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市川右太衛門の「赤ひげ」

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以前このブログで、「あったかもしれない渡辺邦男監督の『七人の侍』」というコラムを書いたことがありました。正確なタイトルは、すこし違うかもしれません、忘れてしまいました。

ときの流行を敏感に反映しなければ、「映画」という産業は成り立たず、すぐに大衆から見放されかねない危機を常にはらんでいることは、実際、過去に何度も経験してきたことだと思います。

しかし、大衆におもねってばかりいると、じきに飽きられてしまうという側面も、また見すごしにはできません。

「七人の侍」において黒澤明監督が、当初むすんだ契約を無視して、撮影にあまりにも時間をかけすぎることに業を煮やした会社の上層部は、黒澤監督への嫌がらせか、単なる脅しにすぎなかったとしても、後半部分は監督を交代して早々に撮り上げようという話まで飛び出した、というエピソードを紹介しました。候補に挙がった監督は、早撮りの巨匠の異名を持つ渡辺邦男監督です。

上層部から、やいのやいの言われて、イササカうんざりしていた黒澤監督が、気も弱っていたこともあって、その監督交代の話を「了承してもいい」の一歩手前までいったということを、そのときはじめて知りました。

しかし、渡辺邦男監督の「七人の侍」というのも、結構面白いものに仕上がったかもしれません。

前半では威厳があって重厚だった志村勘兵衛が、後半では一変して妙に軽々しくなり、踊りながら歌なんぞも歌ったりして(「鴛鴦歌合戦」1939の例があります、あのときも、既にお爺さんでした)、へらへらしながら、たまには志乃のお尻を撫ぜたりして、キャッキャッと飛び跳ねながら、ついにラストは、百姓も野武士も死んだ亡者たちも総出で、やけっぱちのヒステリー気味大団円、なんと後半部分はわずか1週間と半分で撮り上げたぞという撮影所長の賛辞のコメントが添えられたにこやかなツーショット写真が新聞に掲載され、さらに、「いやいや、1週間と半分の『半分』の方は余計だったな、馬さえオレのいうことを聞いてくれていれば、もっと早く撮れたはずだ、相手が動物じゃ仕方ないけどな、ワッハッハ」みたいなコメント付きの渡辺監督の写真も掲載されていて、これもまた違った伝説的な映画になっていたかもしれません。いまのような世界で1~2を争う名作とはいかないまでも、カルトムービーで生き残るという途もありますし。

そして、自分は、このいきさつを読んだとき、ずいぶん象徴的な話だなと思いました。

黒澤監督は、作品を作るうえにおいて、自分の信念とか構想を曲げてまで「時流」に乗ったり、取り入れたりするようなタイプの映画監督なんかではありません。

たとえ契約書に「撮影期間」という欄があって、そこに何かを記載しなければならないから、適当な日付を記入するだけのことで、最初からそんなものに従う気など毛頭なく、自分が取りたいものを納得できる時間をかけて撮るだけの話で、会社側も「少しくらいなら仕方ないか」と諦め半分のつもりでいて、それでもズルズルと引き延ばされ、とうとう資金繰りも尽きて、そろそろ「破産」の危機が現実的なものとなるにあたりで、とうとう切羽詰まって監督交代の話まで出てきたのだろうと思います。

たしかその頃だったと思います、この「あったかもしれない渡辺邦男監督の『七人の侍』」というフレーズが気に入って、しばらく、ひとり遊びに耽ったことがありました。

つまり、「あったかもしれない〇〇〇〇監督の『〇〇〇〇』」という○○の部分に適当な言葉を入れ、妄想を膨らませて楽しむのです。

例えば、小津安二郎の「仁義なき戦い」とかね。

小津監督は、松竹の監督ですから、メロドラマとか、軽い小市民映画(小津監督の小市民映画は、本当は「軽重たい」という本当は深刻な作品が多いのですが)などは、お手のものだと思うので、どうしても「東映」のやくざものとか、「日活」の社会派作品とかしか思い浮かびません。だけど、小津監督自身は、推測ですが「暴力描写」はあまり好きではないとお見受けしました、だって、「風の中の牝鶏」で、亭主が売春した妻を階段から突き落とす場面など、ずいぶん無理して撮ってるなあという痛々しい印象を受けましたから。野田高梧が、「風の中の牝鶏」を小津安二郎らしくないと言った意味が、なんとなく分かるような気がします。

それから、成瀬巳喜男の「四畳半襖の裏張り」なんていうのは、どうでしょうかね。あっ、これなら、なんとなく「あり」な気がしますね。あるある、きっと、ありそうだ。でも、成瀬監督は、濡れ場のシーンは、「そういうイヤらしいことは、やめましょう」とかなんとか言って、シーンやセリフをどんどん消してく人ですから、きっと濡れ場シーンのない「四畳半襖の裏張り」ができあがると思います。でも濡れ場シーンがない分だけ役者に複雑微妙な演技を求めるわけで、思えば、「山の音」なんて随分、隠微な夫婦の性生活が暗喩的に描かれていて、それを原節子は、夫から強いられる性技への嫌悪と、そういうことにどうしても応じられない、「女」に成り切れない自身の頑なさへの劣等感との葛藤が、微妙な表情と、身をすくませるようにして生理的に受け入れられない嫌悪をみごとな象徴的な演技で魅せてくれました。

考えてみれば、時代が進めば進むほど性行為の描写がどんどん許容されつづけ、それが直接的になればなるほど、印象度はますます薄まり、現在では「そのものズバリ」の性行為を(こうなると、もはや演技ではありませんが)行う女優も男優も、ほとんどの俳優が、真正な意味で、ついに「顔」そのものを失ってしまったということができると思います。

無限に続きそうな言葉遊びに飽きてきたころ、古い友人から「沢島忠全仕事」(ワイズ出版)をロハで譲り受けました。時間が空いたときなどに、思いついたところを適当に開いて拾い読みしているのですが、偶然読んでいたページにこんなことが書かれていました。


―― 右太衛門さんは、はじめてですか。

沢島 監督になってからも、私は若手ばかり撮っていましたから、市川先生には一本もご縁がなかった。今度はじめて監督することになった。所長も代わって。髙橋さんが所長でしたから。右太衛門さんがあんたとやりたがっているって。じゃあ、行きましょうと。
それで、「赤ひげ」が撮りたいって言ったんです。僕は前から山本先生の原作を読んでましたから。おお、ええやないかと。右太衛門先生もそれでいけと。喜んでホンを書いたんです。
そのころ、右太衛門先生は、南禅寺に物凄い大きな邸宅をお建てになった。北大路の家を売って。疎水の水が庭に引き込まれて、庭の池に鯉がピチピチしてて、門を入ってから玄関に行くまで、しばらく玉砂利を踏んでいかないとつかない。
大邸宅の応接間でホン読みしたんです。「赤ひげ」の。
「あかん、こんな地味なものはだめだ」即座におっしゃった。「小石川療養所なんて、そんな貧弱なものはだめだ。道場を持っていて、その横に診療所があって、剣と医術両方をやっている。街を歩くときは、〈悪鬼必殺道場〉と書いたのぼりをもって、それで庶民の治療に当たる。女にもてる。酒は強い。これをそのように書き直して」
もう封切りも決まっているしね。これを直すのは大変なんですよ。でも、右太衛門先生らしいでしょう。もっともこれは右太衛門先生らしい話です。それで急遽やり直しましたけれどもね。長崎から帰ってくる若い医学生の役が千代ちゃんだった。

――黒澤監督作品で加山雄三がやる役が千代之介さんに決まってたんですか。

沢島 私がそういうふうに配役していた。アタマから千代ちゃんを使うことになってるから。年のことは言わんでください。会社から与えられるものを私たちはやらなきゃならない。そういう監督ですから。黒澤さんみたいに自分が好きなものを全部呼んできてやるんじゃないんです。僕らのは、主役級を全部与えられる。右太衛門さん、千代之介さん、それから里見君。女は月丘夢路さん。これだけくらいは決まっている。その中で、こっちが料理していくんです。「赤ひげ」の原作に当たった役は皆あったんです。急遽変わりましたから、それを全部違う役にして、書き直しましたが、少し原形がのこるんです。これは山本周五郎先生の所へ許可を貰いにいかないかん。
先生は前の「暴れん坊兄弟」をすごく気に入ってもらってた。あれは先生の「思い違い物語」を脚色したんです。それで、僕のことをすごく信用してもらっていたから、企画部長の渡辺さんが、先生の所へお許しを貰いに行ってくださった。そしたら、山本先生は、「いいじゃないですか。時代劇の世界っていうのは、狭い世界だから、似た話もありますよ」って。許してくださった。




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