がんらい神様のたぐいは、ハナから信じていないので、個人的には初詣など行く義理も道理もないと考えている自分ですが、家族が行くとなれば頑なに否定してもおられず、意地を押し通すのもなんだか大人げないので、そこは渋々ながらもお付き合いさせていただくというのが長年の習わしになっています。
もちろん浮世の義理とか世間体も大いに影響していることは事実です。
そんなこんなで、去年のお守り札の返納と、新たなお札を受けるために、今年も家族で某神社にお参りに行ってきました。
その神社の拝殿前で、礼拝している人の「二礼二拍手一礼」を見様見真似でどうにかお参りを済ませたとき、すぐ隣にいた中学生くらいの女の子が、上のタイトルそのまま「神様おねがい、私のオッパイ、もっと大きくして!! 」と周囲に聞こえるくらいの大声で叫んだので、思わずびっくりしてしまいました。
もっとも、彼女の周囲には同年代の連れの女の子が多数群れていてキャッキャとはしゃぎ廻っていたので、その子の「神様お願い」の絶叫も、たぶん熱くなった周囲の少女たちのノリに誘われた悪ふざけとも推察できますが、それにしてもマリリン・モンローが持てはやされた時代ならいざ知らず、「ボイン」とか「ナイン」だのと口を滑らしでもしたら、それこそ女性蔑視と厳しく糾弾されかねない今のこの似非平等時代にあって、それら同調圧力を撥ね返して片田舎の一少女が秘めた豊胸願望たる内なる本音の絶叫に立ち会えたことに、実に爽やかな感動を覚えました。
ぶっちゃけ親の立場から言わしてもらえば、この男社会にあっての女子の容貌(美醜)は、生涯の幸運の呼び込みに直結する実に心強いアドバンテージであることは否定しがたく、その証拠には女子の命名の際には相変わらずの「美」の字の頻度を見れば一目瞭然です。
そして、さらにそこに「豊胸」でも加われば、世渡り最強と彼女たちが考えているらしいことは明らかです。
建前のうえでなら、耳障りの言い多様性の時代などとうそぶきつつ、あたかも「平等」であるかのような体裁だけは整えながら、しかしその実態ときたら封建時代と何ひとつ変わることのない旧態依然の、まだまだ厳しい女性蔑視のこの男社会を生き抜いていかなければならない彼女たちにとってのアイテム「豊胸」こそ、ささやかではあっても力強い味方と認識しているらしい少女たちの本音を、今回確認できたような気がして、なんだか久々に嬉しくなり、実に爽やかな感動を覚えたのだと思います。
そんな感慨に浸りながら、そういえば昔、そんなようなタイプの小説を読んだことがあったな、なんだったっけと、考えながら帰途につきました。
そして、帰宅後、ようやく思い出しました、そうそう、川上未映子の「乳と卵」でした。
長い間、読み直すこともなかった「乳と卵」を本棚から抜き出し久しぶりに手に取りました。
パラパラとページをめくっていると、ときどき行の頭に鉛筆で薄くチェックの入っている箇所があったりするので、そんな個所を拾い読みしているうちに、だんだん思い出してきました。
女子にとって「胸が大きい」ということが、男社会にあってどういう問題があるのかについて、ふたりの少女が侃々諤々論争するクダリです。
この部分、最初に読んだときは、小説全体の流れを停滞させるずいぶん観念的な挿入だなと感じたのですが、二度目に読んだときには、停滞かもしれないが、魅力にもなっていると感想が一変し、その卓越を改めて再認識したことを記憶しています。
素晴らしい箇所なので、ちょっと筆写してみますね。
なお、原文は川上未映子らしい改行なしのずいぶん挑発的な書き方をしているのですが、「ふたりの会話」というところを汲んで理解していただきたいと思います。
実際に自分が誰かと会話したのか、単に本で読んだだけなのか、テレビなんかで耳に入っただけなのかの真相が壊滅的にはぐれおってそんな始末。でも確か、胸おおきくしたいわあ、とある女の子が云って、わたしじゃなくてそこにはもうひとり別の女の子がおって、その女の子がそれに対してネガティブな物言いをしたんやった、え、でもそれってさ、結局男のために大きくしたいってそういうことなんじゃないの、とかなんとか。男を楽しませるために自分の体を改造するのは違うよね的なことを冷っとした口調で云ったのだったかして、すると胸大きくしたい女の子は、そういうことじゃなくて胸は自分の胸なんだし、男は関係なしに胸ってこの自分の体についているわけでこれは自分自身の問題なのよね、もちろん体に異物を入れることはちゃんと考えなくちゃいけないとは思うけれど、とかなんとか答えて、すると、そうかな、その胸が大きくなればいいなあっていうあなたの素朴な価値観がそもそも世界にはびこるそれはもうわたしたちが物を考えるための前提であるといってもいいくらいの男性的精神を経由した産物でしかないのよね実際、あなたが気がついていないだけで、とかなんだかもっともらしいことを云って、胸大きくしたい女の子はそれに対して、なんだって単純なこのこれここについているわたしの胸をわたしが大きくしたいっていうこの単純な願望をなんでそんな見たことも触ったこともない男性精神とかってもんにわざわざ結びつけようとするわけ? もしその、男性主義だっけ、男根精神だっけかが、あなたの云うとおりにあるんだとしてもよ、わたしがそれを経由してるんならあなたのその考えだって男性精神ってもんを経由してるってことになるんじゃないの、わたしとあなたで何が違うの、と答えたわけだ、するとその冷っと女子は、だーかーら、自分の価値観がいったいどこから発生してるのかとかそういうことを問題にしつつ疑いを持つっていうか飽くまでそれを自覚してるのと自覚してないのとは大違いだって云ってんのよ、とこう云って、その批判に対して胸大きく女子は、まあ何がそんなに違うのかあたしさっぱりわかんないけれど、わたしのこの今の小さい胸にわたし自身不満があること、そして大きな胸に憧れのようなものがあることは最初から最後まであたしの問題だってこう云ってんのよ、それだけのことに男性精神云々をくっつけて話ややこしくしてんのはあなたで、あなたが実はその男性精神そのものなんじゃないの? 少なくともわたしは男とセックスしたりするとき、例えば揉まれるときなんかにああこの胸が大きくあって欲しかったこの男の興奮のために、なんてことは思わない、ってことははっきりわかってるっていう話よ、ただ自分ひとりでいるときに思うってそれだけよ、ぺったんでまったいらなこれになぜだか残念を感じてしまうだけのことで。すると冷っと女子は、だからその残念に思う気持ちこそがそもそもすっかり取り込まれてんのよ、その感慨を、その愁嘆を、そういう自分自身の欲望の出自を疑いもせずに胸が大きくなったらいいなあ! なんてぼんやりうっかり発言したりするのが不用意極まりないっていうか、腹立たしいっていうか無知というかなんていうかさ、とさらにその冷っ、が増した声で冷り女子は静かに云うと、は、じゃあさ、あなたがしてるその化粧は男性精神に毒されたこの世界におかれましてどういう位置づけになんのですか、その動機はいったい何のためにしてる化粧になるの、化粧に対する疑いは? と胸女子が云えば、これ? これは自分のためにやってんのよ、自分のテンション上げるためにやってんの、と冷っと女子、それを受けて胸派女子は、だからあたしの胸だって自分のために大きくしたいってそういう話じゃないの? あんたのそのそのばちばちに盛った化粧が自分のためだっていうのがあんたのさっきの理屈に沿うんならね、だいたいおんなじ世界で生きててこっちは男根主義的な影響受けてますここは受けてませんて誰が決定するんだっつの。と鼻で笑えば、何云ってんのよまったく、化粧と豊胸はそもそもがまったく違うでしょうが、だいたい女の胸に強制的にあてがわれた歴史的過去における社会的役割ってもんを考えてみたことあるわけ? あなたのその胸を大きくしたいってんならまずあなたの胸が包括している諸問題について考えることから始めなさいよって云ってんの、それに化粧はもともと魔よけで始まったもんなのよ、人間が魔物を恐れてこれを鎮めるために考えられた知恵なのよこれは人間の共同体としての、儀式なのよ。文化なの。大昔には男だって化粧やってるんだしだいたいあんたはそもそもわたしの云ってる問題点がまったく理解出来てないわ、話にならない、と顎で刺すように云えば、は、じゃああんたのその生活諸々だけ男根の影響を受けずに全部魔よけの延長でやってるってこういうわけ、性別の関係しない文化であんたの行動だけは純粋な人間としての知恵ですってそういうわけかよ、なんじゃそら、大体女がなんだっつの。女なんかただの女だっつの。女であるあたしははっきりそう云わせてもらうっつの。まずあんたのそのわたしに対する今の発言をまず家に帰ってちくいち疑えっつの。それがあんたの信条でしょうが、は、阿保らしい、阿保らしすぎて阿保らしやの鐘が鳴って鳴りまくって鳴りまくりすぎてごんゆうて落ちてきよるわお前のド頭に、とか云って、なぜかこのように最後は大阪弁となってしまうこのような別段の取り留めも面白みもなく古臭い会話の記憶だけがどういうわけかここにあるのやから、やはりこれはわたしがかつて実際に見聞きしたことがあったのかどうか、さてしかしこれがさっぱり思い出せない。
川上未映子の強引な筆力をいかんなく見せつけたクダリで、この「乳と卵」はさまにオッパイ小説の白眉として記憶の中に位置づけられた作品ではありました。
もちろん浮世の義理とか世間体も大いに影響していることは事実です。
そんなこんなで、去年のお守り札の返納と、新たなお札を受けるために、今年も家族で某神社にお参りに行ってきました。
その神社の拝殿前で、礼拝している人の「二礼二拍手一礼」を見様見真似でどうにかお参りを済ませたとき、すぐ隣にいた中学生くらいの女の子が、上のタイトルそのまま「神様おねがい、私のオッパイ、もっと大きくして!! 」と周囲に聞こえるくらいの大声で叫んだので、思わずびっくりしてしまいました。
もっとも、彼女の周囲には同年代の連れの女の子が多数群れていてキャッキャとはしゃぎ廻っていたので、その子の「神様お願い」の絶叫も、たぶん熱くなった周囲の少女たちのノリに誘われた悪ふざけとも推察できますが、それにしてもマリリン・モンローが持てはやされた時代ならいざ知らず、「ボイン」とか「ナイン」だのと口を滑らしでもしたら、それこそ女性蔑視と厳しく糾弾されかねない今のこの似非平等時代にあって、それら同調圧力を撥ね返して片田舎の一少女が秘めた豊胸願望たる内なる本音の絶叫に立ち会えたことに、実に爽やかな感動を覚えました。
ぶっちゃけ親の立場から言わしてもらえば、この男社会にあっての女子の容貌(美醜)は、生涯の幸運の呼び込みに直結する実に心強いアドバンテージであることは否定しがたく、その証拠には女子の命名の際には相変わらずの「美」の字の頻度を見れば一目瞭然です。
そして、さらにそこに「豊胸」でも加われば、世渡り最強と彼女たちが考えているらしいことは明らかです。
建前のうえでなら、耳障りの言い多様性の時代などとうそぶきつつ、あたかも「平等」であるかのような体裁だけは整えながら、しかしその実態ときたら封建時代と何ひとつ変わることのない旧態依然の、まだまだ厳しい女性蔑視のこの男社会を生き抜いていかなければならない彼女たちにとってのアイテム「豊胸」こそ、ささやかではあっても力強い味方と認識しているらしい少女たちの本音を、今回確認できたような気がして、なんだか久々に嬉しくなり、実に爽やかな感動を覚えたのだと思います。
そんな感慨に浸りながら、そういえば昔、そんなようなタイプの小説を読んだことがあったな、なんだったっけと、考えながら帰途につきました。
そして、帰宅後、ようやく思い出しました、そうそう、川上未映子の「乳と卵」でした。
長い間、読み直すこともなかった「乳と卵」を本棚から抜き出し久しぶりに手に取りました。
パラパラとページをめくっていると、ときどき行の頭に鉛筆で薄くチェックの入っている箇所があったりするので、そんな個所を拾い読みしているうちに、だんだん思い出してきました。
女子にとって「胸が大きい」ということが、男社会にあってどういう問題があるのかについて、ふたりの少女が侃々諤々論争するクダリです。
この部分、最初に読んだときは、小説全体の流れを停滞させるずいぶん観念的な挿入だなと感じたのですが、二度目に読んだときには、停滞かもしれないが、魅力にもなっていると感想が一変し、その卓越を改めて再認識したことを記憶しています。
素晴らしい箇所なので、ちょっと筆写してみますね。
なお、原文は川上未映子らしい改行なしのずいぶん挑発的な書き方をしているのですが、「ふたりの会話」というところを汲んで理解していただきたいと思います。
実際に自分が誰かと会話したのか、単に本で読んだだけなのか、テレビなんかで耳に入っただけなのかの真相が壊滅的にはぐれおってそんな始末。でも確か、胸おおきくしたいわあ、とある女の子が云って、わたしじゃなくてそこにはもうひとり別の女の子がおって、その女の子がそれに対してネガティブな物言いをしたんやった、え、でもそれってさ、結局男のために大きくしたいってそういうことなんじゃないの、とかなんとか。男を楽しませるために自分の体を改造するのは違うよね的なことを冷っとした口調で云ったのだったかして、すると胸大きくしたい女の子は、そういうことじゃなくて胸は自分の胸なんだし、男は関係なしに胸ってこの自分の体についているわけでこれは自分自身の問題なのよね、もちろん体に異物を入れることはちゃんと考えなくちゃいけないとは思うけれど、とかなんとか答えて、すると、そうかな、その胸が大きくなればいいなあっていうあなたの素朴な価値観がそもそも世界にはびこるそれはもうわたしたちが物を考えるための前提であるといってもいいくらいの男性的精神を経由した産物でしかないのよね実際、あなたが気がついていないだけで、とかなんだかもっともらしいことを云って、胸大きくしたい女の子はそれに対して、なんだって単純なこのこれここについているわたしの胸をわたしが大きくしたいっていうこの単純な願望をなんでそんな見たことも触ったこともない男性精神とかってもんにわざわざ結びつけようとするわけ? もしその、男性主義だっけ、男根精神だっけかが、あなたの云うとおりにあるんだとしてもよ、わたしがそれを経由してるんならあなたのその考えだって男性精神ってもんを経由してるってことになるんじゃないの、わたしとあなたで何が違うの、と答えたわけだ、するとその冷っと女子は、だーかーら、自分の価値観がいったいどこから発生してるのかとかそういうことを問題にしつつ疑いを持つっていうか飽くまでそれを自覚してるのと自覚してないのとは大違いだって云ってんのよ、とこう云って、その批判に対して胸大きく女子は、まあ何がそんなに違うのかあたしさっぱりわかんないけれど、わたしのこの今の小さい胸にわたし自身不満があること、そして大きな胸に憧れのようなものがあることは最初から最後まであたしの問題だってこう云ってんのよ、それだけのことに男性精神云々をくっつけて話ややこしくしてんのはあなたで、あなたが実はその男性精神そのものなんじゃないの? 少なくともわたしは男とセックスしたりするとき、例えば揉まれるときなんかにああこの胸が大きくあって欲しかったこの男の興奮のために、なんてことは思わない、ってことははっきりわかってるっていう話よ、ただ自分ひとりでいるときに思うってそれだけよ、ぺったんでまったいらなこれになぜだか残念を感じてしまうだけのことで。すると冷っと女子は、だからその残念に思う気持ちこそがそもそもすっかり取り込まれてんのよ、その感慨を、その愁嘆を、そういう自分自身の欲望の出自を疑いもせずに胸が大きくなったらいいなあ! なんてぼんやりうっかり発言したりするのが不用意極まりないっていうか、腹立たしいっていうか無知というかなんていうかさ、とさらにその冷っ、が増した声で冷り女子は静かに云うと、は、じゃあさ、あなたがしてるその化粧は男性精神に毒されたこの世界におかれましてどういう位置づけになんのですか、その動機はいったい何のためにしてる化粧になるの、化粧に対する疑いは? と胸女子が云えば、これ? これは自分のためにやってんのよ、自分のテンション上げるためにやってんの、と冷っと女子、それを受けて胸派女子は、だからあたしの胸だって自分のために大きくしたいってそういう話じゃないの? あんたのそのそのばちばちに盛った化粧が自分のためだっていうのがあんたのさっきの理屈に沿うんならね、だいたいおんなじ世界で生きててこっちは男根主義的な影響受けてますここは受けてませんて誰が決定するんだっつの。と鼻で笑えば、何云ってんのよまったく、化粧と豊胸はそもそもがまったく違うでしょうが、だいたい女の胸に強制的にあてがわれた歴史的過去における社会的役割ってもんを考えてみたことあるわけ? あなたのその胸を大きくしたいってんならまずあなたの胸が包括している諸問題について考えることから始めなさいよって云ってんの、それに化粧はもともと魔よけで始まったもんなのよ、人間が魔物を恐れてこれを鎮めるために考えられた知恵なのよこれは人間の共同体としての、儀式なのよ。文化なの。大昔には男だって化粧やってるんだしだいたいあんたはそもそもわたしの云ってる問題点がまったく理解出来てないわ、話にならない、と顎で刺すように云えば、は、じゃああんたのその生活諸々だけ男根の影響を受けずに全部魔よけの延長でやってるってこういうわけ、性別の関係しない文化であんたの行動だけは純粋な人間としての知恵ですってそういうわけかよ、なんじゃそら、大体女がなんだっつの。女なんかただの女だっつの。女であるあたしははっきりそう云わせてもらうっつの。まずあんたのそのわたしに対する今の発言をまず家に帰ってちくいち疑えっつの。それがあんたの信条でしょうが、は、阿保らしい、阿保らしすぎて阿保らしやの鐘が鳴って鳴りまくって鳴りまくりすぎてごんゆうて落ちてきよるわお前のド頭に、とか云って、なぜかこのように最後は大阪弁となってしまうこのような別段の取り留めも面白みもなく古臭い会話の記憶だけがどういうわけかここにあるのやから、やはりこれはわたしがかつて実際に見聞きしたことがあったのかどうか、さてしかしこれがさっぱり思い出せない。
川上未映子の強引な筆力をいかんなく見せつけたクダリで、この「乳と卵」はさまにオッパイ小説の白眉として記憶の中に位置づけられた作品ではありました。