読みたいという気持ちは十分にあるのに、なにかの事情で、なかなか読めないままになっている本というのが、きっと誰にもあると思います。
例えば、図書館の書棚で読みたい本を見つけて、意欲が湧き、せっかく借りたものの、優先しなければならない用事ができて、読めないままズルズルと期限がきてしまい、結局返却しなければならなくなる。
そしてまた、しばらく経つと、「ぜひ読みたい」という意欲が湧いてきて、また借りる、そんなふうに同じ本で同じことを何度も繰り返して、結局、達成できないまま意欲だけが燻ぶり続けている、そういった本なのですが、自分の場合のそれは、イサベラ・バードの「日本奥地紀行」(平凡社・東洋文庫)ということになるかもしれません。
もう何年も前になりますが、「日本奥地紀行」の評判が立ち、それも一度に二度ではなく、さらに新聞記事の紹介記事やwebの推薦記事が立て続きにあって、絶対読みたいという思いが頂点に達して借り受けたものの、そのときはたまたま村上春樹の「1Q84」を読んでいる最中だったので、まさかそれを中途で途切らせるわけにもいかず(村上春樹の世界にどっぷりと浸かってしまったら、読書を継続している最中の至福の快感からは、そう易々とは逃れられることはできません)、やはり期限の二週間がきてしまい、返却しなければならなくなりました。
そのときは、その「日本奥地紀行」を借りるとともに、さらにバードの他の著作も読みたいというモチベーションが相当に上昇していて、ほかに「朝鮮奥地紀行」と「中国奥地紀行」も借りたくらいですから、そのときの「意欲」の高まりがどれほどのものだったか想像していただけると思います。
しかし、いつの場合にも、それぞれに読めない事情というのはあって、微妙にバリエーションを変えた支障は幾らもあったとしても、考えてみれば、それは結局、単なる言い訳にすぎないのではないかと、最近、よく考えるようになりました。まさに、カフカの「審判」の世界ですよね。
たとえ、どのような事情があろうと、「絶対に」読むことができないなどということは、たぶん、あり得ません。
結局、突き詰めて考えれば、そこには自分の優柔不断さとか、ムラッ気だとか、意欲を努力に変えられない怠惰だとか、薄っぺらな虚勢心とかが原因で「そう」させているだけで、その辺の自己認識の曖昧さが、いつまでたっても同じアヤマチを繰り返させているのではないかと気がつきました。
「結局、人間って、ひとつのものしか、手に入れられないのよね」というセイフが、瞬間アタマを過ぎりました、そうそう、これは、昨夜見た映画「深夜食堂」(監督・松岡錠司2014)のなかで高岡早紀が発していたセリフです、セリフの残響が余韻となって、まだ自分の中に気配を残していたんですね。
ただ、そのときの「日本奥地紀行」、「朝鮮奥地紀行」、「中国奥地紀行」の三冊を読むことなく返却したということが、少なからぬストレスとして、自分の中に残ってしまいました。
読みもしない本を、ただ図書館と家のあいだを運搬しているだけの自分とは、いったいなんなのだ、という苛立ちです。
そのストレスは、それ以後のある時期、図書館から自分を遠ざけた理由として、たぶん関係があったと思いますし、そして、近所のブックオフに古本を覗きに行くという新たな習慣ができたこととも、たぶんカブルかもしれません。
古本なら、購入してしまえば(それもごく安価です)自分の所有物になるので、図書館のように「返却期限」に縛られたり、読むことを急かされたり、そういうことを気にすることのすべてから解放され、落ち着いてゆっくり読むことができます。
そのことだけでも、なんだか重苦しい足枷から開放されたような晴れ晴れとした気分になることができました。それが「古本」の効用といえますが、しかし、まあ、図書館でしか読むことができないようなタイプの本(そこでは既に「ある選択」がなされていること)も確かにあることが、そのとき気がつきました。
そういうわけで、暇なときにはブックオフに古本を覗きに通い、そこで目に付いた「映画関係」の本(図書館では、たぶん置いてないタグイの本です)を片っ端から買いあさったのですが、その中の一冊に、ビートたけしの「仁義なき映画」(1991.12.30.3刷、太田出版、芸能関係と映画本の老舗出版社です)がありました。
例によって、悪口雑言とイチャモンを、まるで一種の媚びのように駆使する狡猾さで(「乱」でピーターが演じた道化の役どころです)権力に取り入るもうひとつの巧妙で愚劣な姿勢に貫かれているゴミのような映画批評本なのです。
読書をする際にはいつもでチェックできるように傍らに置いておく鉛筆も付箋も、予想どおり、一向に役にたつ機会はありませんでした。
ただし、例外として、一箇所だけ、遠慮がちに鉛筆の「レ」点が入った箇所ありました。
それは、「プリティ・ウーマン」の項で、アメリカの厳しい格差社会において、その作品が描いた欺瞞的なシンデレラ・ストーリーの在り方について痛烈に難じた章で、例のとおりボコボコに貶しつつ、返すカタナで、こんなふうな注文をつけていました。
《この映画を大きく意味づければ、アメリカの「水戸黄門」だよ。要するにのっとり屋が改心する話でさ、なぜ改心したかというとハートフルな娼婦に出会ったからで、それを切っ掛けにバブルな商売から足を洗って額に汗する実業にもどると。それをシンデレラ物語を使ってやっている。
「水戸黄門」や「大岡越前」をバカにするヤツがいるけれど、とんでもない話でさ、こういう映画を見ると、アメリカのほうがずっと遅れているんじゃないかって思うよ。
日本人は浪曲とか講談をもっと評価したほうがいいよ。小説にしても長谷川伸シリーズとか、話としては、「プリティ・ウーマン」の上をいくものがゴマンとあるって。まあ、テレビの時代劇で中身を薄められて毎晩見ているわけだけど。》
このあとで、「アメリカ人の体質としてハッピーエンドじゃないと許さないところが強烈にあるんじゃないのかな。」と、アメリカの格差社会の厳しい現実のなかで、シンデレラ・ストーリーにこだわる(この作品を含めて)アメリカ映画の欺瞞的な在り方の一面についてボコボコに貶しているのですが、自分が関心を持ったのは、そこで取り上げられていた「日本人は浪曲とか講談をもっと評価したほうがいいよ。」という部分に惹かれたのでした。
自分らの子どもの頃は、一般家庭までには、いまだテレビ受像機の普及は届いておらず、もっぱら一家そろってラジオ放送に耳を傾けるというのが、夕方から就寝までの家族団欒の姿だったと思います。
ニュース放送に耳を傾け、三橋美智也や神楽坂はん子などの歌謡曲を聴き、連続ドラマにも耳を傾けていました(「聞く」というよりも、まさに「耳を傾ける」という感じでしたネ)。
横道に逸れますが、「神楽坂はん子」の漢字の表記を確かめるためにwikiを開いたところ、かの大ヒット曲「芸者ワルツ」は、彼女の唄だったのですね、あの当時、幼い子どもたちまでが「あなたのリードで島田も揺れる」と歌っていたものでした。
しかし、ダンスの動きに身を任せながら、結った島田が微妙に揺れるのを感じるなんて、なんと官能的な描写かと、こりゃあ「地毛」じゃないとそうは感じない、肉感的というか発情感みたいなものがリアルに感じられて子供心にも「グッ」と迫るものがありました。
その同じラジオで「赤胴鈴之助」も聞いていたのですから、「性」への導きも「夢」への導きも果たしていたその頃のラジオは、子どもたちにとって、まさに完璧な存在というか無敵だったのだと感じたのも無理ありません。
そうそう、だんだん思い出してきました、たしか戦地に行った自分の家族の消息を知っている人がいないか、呼びかける番組もあったことも、薄っすら記憶しています。
そして、就寝前の少しの時間、部屋の電灯を消して、蚊帳を吊った布団のなかで、親が聞いている「浪曲」や「講談」や「落語」などを一緒になって聴いたものでした(実際は、「聞こえていた」というべきかもしれませんが)。
当時は、まだほんの子どものことですから、聞いているうちにやがて眠気が差してきて、いつの間にか眠ってしまったに違いありません。
ですので、教養としてどうなのかはともかく、雑多ながらも「浪曲」や「講談」や「落語」に接し、聞き込んだ回数なら人後に落ちない、かなりのものがあるはずと思っています。
たけしが上記で述べている趣旨(日本人は浪曲とか講談をもっと評価したほうがいい)が、「評価の面」止まりのことを言っているのか、それとも、さらに敷衍して、それらを海外に「発信」すべきとまで考えているのか、その辺はもっと突き詰めて考えねばならないことだと思います。
自分としては、夫婦の情愛や師弟愛ならまだしも、果ては忠君愛国を謳い上げる「浪曲」や「講談」の理念(人倫の道を説くとはいっても、その根底には封建思想があり、封建体制護持のバイアスが強烈にかかっている印象があります)を、世界の理解を求めるのは、ちょっと無理があるのではないかと考えています。
それに引き換え、落語の場合なら、その辺の事情はちょっと異なってきます。
落語「二十四孝」では、老母を蹴り倒す乱暴者の息子が登場しますし、「佐々木裁き」では、桶屋のせがれ・四郎吉が、奉行に面と向かって行政の乱れを堂々と指摘し権威に挑む姿勢が描かれています、「帯久」では、人の道を外してまで金儲けをはかる悪辣な商人に対して、奉行は法を捻じ曲げてでも落魄した弱者を救おうとします。
「厩火事」では、破綻しかけた夫婦に対して仲人が孔子の教えを説いて仲裁を図ろうとして、ぐうたら亭主に巧みにシテやられます。
どの話も忠君愛国とか滅私奉公などの「大言壮語」的な発想とは無縁の、活き活きとした庶民の逞しい日常が、人情深く語られています。
多くの映画監督たちが、落語に材を求めて映画を作ろうとした理由が、なんだか分かるような気がしますし、それが成功しなかった理由も同時に分かるようなきがします。
そこで、自分的に、映画化したら、とてもユニークな作品になるのではないかという「落語」をひとつご紹介したいと思います。
その題目は、「算段の平兵衛」、桂米朝が発掘した上方噺で、ひとつの死体の処理をめぐって、色々な死に方をさせられる庄屋(すでに死体です)の噺で、ブラック・ユーモワ満載のハードボイルドです。
いままで米朝師匠の語ったものしか聞いていなかったのですが、桂南光の噺をyou tube で聞くことができ、そのガラガラした話振りが、かえって新鮮で迫力があり、米朝とはまた違った味わいで愉しめました。
死体の処理に困ってあちこちに隠して回る大騒動を描いたヒッチコックの映画「ハリーの災難」に似ている部分もありそうですが、「ハリーの災難」と決定的に異なるのは、この落語には、殺害に関わるどの関係者も「殺害する意思」が明確にあるために、シチュエーションを自由にあやつることができて、深刻な事態も一変させてしまう才人・算段の平兵衛の思い通りに動かされてしまう痛快さがあります。
そもそも、最初に手を下した(偶然といえば偶然ですが)のが、そもそもその平兵衛であるというのが、なんとも人を食った話なのです。
【「算段の平兵衛」の要約】
やりくり算段のうまいところから、算段の平兵衛と呼ばれている男がおりまして、庄屋にうまく取り入り、庄屋のめかけを持参金つきでもらいます。
しかし、持参金を頼りにぶらぶら遊び暮らしているうちに金を使い果たし、嫁さんの衣類を始め目ぼしい調度まで売り払い、明日の米を買うのにも不自由な暮らしになってしまいます。
そこで考えついたのが美人局、元旦那の庄屋に美人局を仕掛けて幾らかでも有りつこうという魂胆です。
庄屋を騙くらかして家に引き入れ、嫁さんがしな垂れかかり庄屋がヤニさがっているところに飛び出して凄むという芝居がすぎて、はずみで庄屋を殺してしまう、しかし、そこは算段の平兵衛、死体の処理に算段をして、まず、庄屋の家の前まで死体を運び、表から、朝帰りのていを装って庄屋の声色を使い、留守の女房にやきもちを焼かせます。
そして、女房から「首でも吊って死んでしまいなはれ」といわせると、それを機に、平兵衛は庄屋の死体を松の木に吊るして、とっとと帰ってしまいます。
庄屋の女房は、死体に驚き、その始末に困って平兵衛のもとに相談にきます。
平兵衛は金をもらって死体の処理を引き受けます。
夜陰に乗じて隣の村の盆踊りに紛れ込み、わざと喧嘩を起させるように仕向けて、村人が騒ぎ出したのを汐に死体を放り出して逃げ帰ります。
殴る蹴るのあと村の者たちは庄屋の死体に驚いて、その処置について平兵衛のもとに相談に来ます。
平兵衛は、また金をもらって処置を引き受ける、今度は一本松の崖から転落したように装います。
これで庄屋の死体の始末がついたのですが、圧巻は、このあとのくすぐり、
「世の中にこれくらい気の毒な死体はありまへんな。なぐられたり、首つられたり、どつかれたり、蹴られたり、そのうえ崖から上から突き落されたり、どの傷で死んだのかヨウ分からんようになってます。」
この爽快な一言で、いままで笑っていた観客は、自分たちが「死体の始末」という物凄いことにすっかり加担して笑っていたことにハッと気がついて我に返り、このままで済むわけがないという気持ちを取り戻します。
南光の噺では、こうなります、やがてこの事件の変死を疑う噂がでて、大阪の役人が調べにきて、方々を調べてまわった挙句、平兵衛のもとにやって来ます。
いよいよカンネンする時がきたと覚悟を決めている平兵衛に役人が言います、「この事件はどうもよく分からん、算段してくれ」と。
これがこの噺のサゲなのですが、最後まで罪悪感とか善良さとか勧善懲悪などというヤワな道義心とは一切無縁のそのタフさ加減に、ただただ感心させられたのですが、しかし、よく考えるとその「タフさ」こそが、この噺を発掘しなければならなかった「埋没」に至らせた原因なのかもしれないと気がつきました。
そう考えれば、これまでだって世間をはばかる演者の道義心のために自主規制で失われた噺は幾らでもあったに違いありません。
そうそう、米朝のサゲは、事件のあと、按摩の市兵衛という男が現れて、まだ噺が進展することを匂わせて終わっていたのですが、webで確認したネタ本によれば、
《事件のあと、按摩の市兵衛という男が現れて、杖を突きながら頻繁に、平兵衛の家に行き、何か喋っては金をもらってきます。近所の人が不思議がって
「なんぞ、平兵衛さんの弱いところでもつかんでおるのやろうか」
「それにしても大胆やな、相手は算段の平兵衛や、どんな目におうか分からんでえ」
「そこがそれ、めくら平兵衛(へび)におじずや」》
となっているのだそうです。
米朝が最後まで語ろうとせずに早々に切り上げ、そして桂南光が「役人の取調べ」に改変したこの本来の「さげ」が、近い将来、この噺に再び埋没の危機が見舞う要因になるであろうことは、たぶん確かでしょう。
現代にあっては、「そこがそれ、めくら平兵衛(へび)におじずや」のさげでは、やはりまずかったのだろうなと思います。
しかし、それにしても、「あらすじ」だけの落語なんて、なんと味気ないものか、つくづくわかりました。
つまり、落語をただのストーリーとして、映画化するなり、ユーモア小説仕立てにすることが、必ずしも成功に繋がらなかった理由が、本来の「語り」という饒舌を失ったところにあったのだと、いまさらながら分かりました。
それに、「饒舌」がなければ、死体を弄ぶことで笑いをとるこの陰惨このうえない「算段の平兵衛」が、成立するわけもなかったのです。
最後に米朝師匠を偲んで、出だしの部分の口調を筆写してみたいと思います。
《ようこそのお運びで、相変わらずごく古いお噺を聞いていただきます。
世の中があんまり変わりすぎましたんで、古い落語をやるときに分からんよおなことが、だんだん増えてきまして、説明せんならん場合が増えてきたんですけどね、「算段」なんて言葉も使わんよおなりました。
「遣繰算段(やりくりさんだん)」ちゅう言葉だけが、まだ生きてるように思いますがなあ「ちょっと算段しといてんか」とか「あいつは算段がうまいさかいなあ」とか「そういう算段ならあの男や」とか、日常会話にもよう出てきたんでございますがなあ。
いろいろとこの「算段」をする、ちょっとした無理でも何とか収めてくれるとか、お金が足らんのでも間に合わすようにするとか、そういうことになかなか長けた、上手な人ちゅうのはあるもんでございまして。どこのグループにでも、どこの会社にでもこういう便利な人が一人ぐらいありますわなあ。・・・》
例えば、図書館の書棚で読みたい本を見つけて、意欲が湧き、せっかく借りたものの、優先しなければならない用事ができて、読めないままズルズルと期限がきてしまい、結局返却しなければならなくなる。
そしてまた、しばらく経つと、「ぜひ読みたい」という意欲が湧いてきて、また借りる、そんなふうに同じ本で同じことを何度も繰り返して、結局、達成できないまま意欲だけが燻ぶり続けている、そういった本なのですが、自分の場合のそれは、イサベラ・バードの「日本奥地紀行」(平凡社・東洋文庫)ということになるかもしれません。
もう何年も前になりますが、「日本奥地紀行」の評判が立ち、それも一度に二度ではなく、さらに新聞記事の紹介記事やwebの推薦記事が立て続きにあって、絶対読みたいという思いが頂点に達して借り受けたものの、そのときはたまたま村上春樹の「1Q84」を読んでいる最中だったので、まさかそれを中途で途切らせるわけにもいかず(村上春樹の世界にどっぷりと浸かってしまったら、読書を継続している最中の至福の快感からは、そう易々とは逃れられることはできません)、やはり期限の二週間がきてしまい、返却しなければならなくなりました。
そのときは、その「日本奥地紀行」を借りるとともに、さらにバードの他の著作も読みたいというモチベーションが相当に上昇していて、ほかに「朝鮮奥地紀行」と「中国奥地紀行」も借りたくらいですから、そのときの「意欲」の高まりがどれほどのものだったか想像していただけると思います。
しかし、いつの場合にも、それぞれに読めない事情というのはあって、微妙にバリエーションを変えた支障は幾らもあったとしても、考えてみれば、それは結局、単なる言い訳にすぎないのではないかと、最近、よく考えるようになりました。まさに、カフカの「審判」の世界ですよね。
たとえ、どのような事情があろうと、「絶対に」読むことができないなどということは、たぶん、あり得ません。
結局、突き詰めて考えれば、そこには自分の優柔不断さとか、ムラッ気だとか、意欲を努力に変えられない怠惰だとか、薄っぺらな虚勢心とかが原因で「そう」させているだけで、その辺の自己認識の曖昧さが、いつまでたっても同じアヤマチを繰り返させているのではないかと気がつきました。
「結局、人間って、ひとつのものしか、手に入れられないのよね」というセイフが、瞬間アタマを過ぎりました、そうそう、これは、昨夜見た映画「深夜食堂」(監督・松岡錠司2014)のなかで高岡早紀が発していたセリフです、セリフの残響が余韻となって、まだ自分の中に気配を残していたんですね。
ただ、そのときの「日本奥地紀行」、「朝鮮奥地紀行」、「中国奥地紀行」の三冊を読むことなく返却したということが、少なからぬストレスとして、自分の中に残ってしまいました。
読みもしない本を、ただ図書館と家のあいだを運搬しているだけの自分とは、いったいなんなのだ、という苛立ちです。
そのストレスは、それ以後のある時期、図書館から自分を遠ざけた理由として、たぶん関係があったと思いますし、そして、近所のブックオフに古本を覗きに行くという新たな習慣ができたこととも、たぶんカブルかもしれません。
古本なら、購入してしまえば(それもごく安価です)自分の所有物になるので、図書館のように「返却期限」に縛られたり、読むことを急かされたり、そういうことを気にすることのすべてから解放され、落ち着いてゆっくり読むことができます。
そのことだけでも、なんだか重苦しい足枷から開放されたような晴れ晴れとした気分になることができました。それが「古本」の効用といえますが、しかし、まあ、図書館でしか読むことができないようなタイプの本(そこでは既に「ある選択」がなされていること)も確かにあることが、そのとき気がつきました。
そういうわけで、暇なときにはブックオフに古本を覗きに通い、そこで目に付いた「映画関係」の本(図書館では、たぶん置いてないタグイの本です)を片っ端から買いあさったのですが、その中の一冊に、ビートたけしの「仁義なき映画」(1991.12.30.3刷、太田出版、芸能関係と映画本の老舗出版社です)がありました。
例によって、悪口雑言とイチャモンを、まるで一種の媚びのように駆使する狡猾さで(「乱」でピーターが演じた道化の役どころです)権力に取り入るもうひとつの巧妙で愚劣な姿勢に貫かれているゴミのような映画批評本なのです。
読書をする際にはいつもでチェックできるように傍らに置いておく鉛筆も付箋も、予想どおり、一向に役にたつ機会はありませんでした。
ただし、例外として、一箇所だけ、遠慮がちに鉛筆の「レ」点が入った箇所ありました。
それは、「プリティ・ウーマン」の項で、アメリカの厳しい格差社会において、その作品が描いた欺瞞的なシンデレラ・ストーリーの在り方について痛烈に難じた章で、例のとおりボコボコに貶しつつ、返すカタナで、こんなふうな注文をつけていました。
《この映画を大きく意味づければ、アメリカの「水戸黄門」だよ。要するにのっとり屋が改心する話でさ、なぜ改心したかというとハートフルな娼婦に出会ったからで、それを切っ掛けにバブルな商売から足を洗って額に汗する実業にもどると。それをシンデレラ物語を使ってやっている。
「水戸黄門」や「大岡越前」をバカにするヤツがいるけれど、とんでもない話でさ、こういう映画を見ると、アメリカのほうがずっと遅れているんじゃないかって思うよ。
日本人は浪曲とか講談をもっと評価したほうがいいよ。小説にしても長谷川伸シリーズとか、話としては、「プリティ・ウーマン」の上をいくものがゴマンとあるって。まあ、テレビの時代劇で中身を薄められて毎晩見ているわけだけど。》
このあとで、「アメリカ人の体質としてハッピーエンドじゃないと許さないところが強烈にあるんじゃないのかな。」と、アメリカの格差社会の厳しい現実のなかで、シンデレラ・ストーリーにこだわる(この作品を含めて)アメリカ映画の欺瞞的な在り方の一面についてボコボコに貶しているのですが、自分が関心を持ったのは、そこで取り上げられていた「日本人は浪曲とか講談をもっと評価したほうがいいよ。」という部分に惹かれたのでした。
自分らの子どもの頃は、一般家庭までには、いまだテレビ受像機の普及は届いておらず、もっぱら一家そろってラジオ放送に耳を傾けるというのが、夕方から就寝までの家族団欒の姿だったと思います。
ニュース放送に耳を傾け、三橋美智也や神楽坂はん子などの歌謡曲を聴き、連続ドラマにも耳を傾けていました(「聞く」というよりも、まさに「耳を傾ける」という感じでしたネ)。
横道に逸れますが、「神楽坂はん子」の漢字の表記を確かめるためにwikiを開いたところ、かの大ヒット曲「芸者ワルツ」は、彼女の唄だったのですね、あの当時、幼い子どもたちまでが「あなたのリードで島田も揺れる」と歌っていたものでした。
しかし、ダンスの動きに身を任せながら、結った島田が微妙に揺れるのを感じるなんて、なんと官能的な描写かと、こりゃあ「地毛」じゃないとそうは感じない、肉感的というか発情感みたいなものがリアルに感じられて子供心にも「グッ」と迫るものがありました。
その同じラジオで「赤胴鈴之助」も聞いていたのですから、「性」への導きも「夢」への導きも果たしていたその頃のラジオは、子どもたちにとって、まさに完璧な存在というか無敵だったのだと感じたのも無理ありません。
そうそう、だんだん思い出してきました、たしか戦地に行った自分の家族の消息を知っている人がいないか、呼びかける番組もあったことも、薄っすら記憶しています。
そして、就寝前の少しの時間、部屋の電灯を消して、蚊帳を吊った布団のなかで、親が聞いている「浪曲」や「講談」や「落語」などを一緒になって聴いたものでした(実際は、「聞こえていた」というべきかもしれませんが)。
当時は、まだほんの子どものことですから、聞いているうちにやがて眠気が差してきて、いつの間にか眠ってしまったに違いありません。
ですので、教養としてどうなのかはともかく、雑多ながらも「浪曲」や「講談」や「落語」に接し、聞き込んだ回数なら人後に落ちない、かなりのものがあるはずと思っています。
たけしが上記で述べている趣旨(日本人は浪曲とか講談をもっと評価したほうがいい)が、「評価の面」止まりのことを言っているのか、それとも、さらに敷衍して、それらを海外に「発信」すべきとまで考えているのか、その辺はもっと突き詰めて考えねばならないことだと思います。
自分としては、夫婦の情愛や師弟愛ならまだしも、果ては忠君愛国を謳い上げる「浪曲」や「講談」の理念(人倫の道を説くとはいっても、その根底には封建思想があり、封建体制護持のバイアスが強烈にかかっている印象があります)を、世界の理解を求めるのは、ちょっと無理があるのではないかと考えています。
それに引き換え、落語の場合なら、その辺の事情はちょっと異なってきます。
落語「二十四孝」では、老母を蹴り倒す乱暴者の息子が登場しますし、「佐々木裁き」では、桶屋のせがれ・四郎吉が、奉行に面と向かって行政の乱れを堂々と指摘し権威に挑む姿勢が描かれています、「帯久」では、人の道を外してまで金儲けをはかる悪辣な商人に対して、奉行は法を捻じ曲げてでも落魄した弱者を救おうとします。
「厩火事」では、破綻しかけた夫婦に対して仲人が孔子の教えを説いて仲裁を図ろうとして、ぐうたら亭主に巧みにシテやられます。
どの話も忠君愛国とか滅私奉公などの「大言壮語」的な発想とは無縁の、活き活きとした庶民の逞しい日常が、人情深く語られています。
多くの映画監督たちが、落語に材を求めて映画を作ろうとした理由が、なんだか分かるような気がしますし、それが成功しなかった理由も同時に分かるようなきがします。
そこで、自分的に、映画化したら、とてもユニークな作品になるのではないかという「落語」をひとつご紹介したいと思います。
その題目は、「算段の平兵衛」、桂米朝が発掘した上方噺で、ひとつの死体の処理をめぐって、色々な死に方をさせられる庄屋(すでに死体です)の噺で、ブラック・ユーモワ満載のハードボイルドです。
いままで米朝師匠の語ったものしか聞いていなかったのですが、桂南光の噺をyou tube で聞くことができ、そのガラガラした話振りが、かえって新鮮で迫力があり、米朝とはまた違った味わいで愉しめました。
死体の処理に困ってあちこちに隠して回る大騒動を描いたヒッチコックの映画「ハリーの災難」に似ている部分もありそうですが、「ハリーの災難」と決定的に異なるのは、この落語には、殺害に関わるどの関係者も「殺害する意思」が明確にあるために、シチュエーションを自由にあやつることができて、深刻な事態も一変させてしまう才人・算段の平兵衛の思い通りに動かされてしまう痛快さがあります。
そもそも、最初に手を下した(偶然といえば偶然ですが)のが、そもそもその平兵衛であるというのが、なんとも人を食った話なのです。
【「算段の平兵衛」の要約】
やりくり算段のうまいところから、算段の平兵衛と呼ばれている男がおりまして、庄屋にうまく取り入り、庄屋のめかけを持参金つきでもらいます。
しかし、持参金を頼りにぶらぶら遊び暮らしているうちに金を使い果たし、嫁さんの衣類を始め目ぼしい調度まで売り払い、明日の米を買うのにも不自由な暮らしになってしまいます。
そこで考えついたのが美人局、元旦那の庄屋に美人局を仕掛けて幾らかでも有りつこうという魂胆です。
庄屋を騙くらかして家に引き入れ、嫁さんがしな垂れかかり庄屋がヤニさがっているところに飛び出して凄むという芝居がすぎて、はずみで庄屋を殺してしまう、しかし、そこは算段の平兵衛、死体の処理に算段をして、まず、庄屋の家の前まで死体を運び、表から、朝帰りのていを装って庄屋の声色を使い、留守の女房にやきもちを焼かせます。
そして、女房から「首でも吊って死んでしまいなはれ」といわせると、それを機に、平兵衛は庄屋の死体を松の木に吊るして、とっとと帰ってしまいます。
庄屋の女房は、死体に驚き、その始末に困って平兵衛のもとに相談にきます。
平兵衛は金をもらって死体の処理を引き受けます。
夜陰に乗じて隣の村の盆踊りに紛れ込み、わざと喧嘩を起させるように仕向けて、村人が騒ぎ出したのを汐に死体を放り出して逃げ帰ります。
殴る蹴るのあと村の者たちは庄屋の死体に驚いて、その処置について平兵衛のもとに相談に来ます。
平兵衛は、また金をもらって処置を引き受ける、今度は一本松の崖から転落したように装います。
これで庄屋の死体の始末がついたのですが、圧巻は、このあとのくすぐり、
「世の中にこれくらい気の毒な死体はありまへんな。なぐられたり、首つられたり、どつかれたり、蹴られたり、そのうえ崖から上から突き落されたり、どの傷で死んだのかヨウ分からんようになってます。」
この爽快な一言で、いままで笑っていた観客は、自分たちが「死体の始末」という物凄いことにすっかり加担して笑っていたことにハッと気がついて我に返り、このままで済むわけがないという気持ちを取り戻します。
南光の噺では、こうなります、やがてこの事件の変死を疑う噂がでて、大阪の役人が調べにきて、方々を調べてまわった挙句、平兵衛のもとにやって来ます。
いよいよカンネンする時がきたと覚悟を決めている平兵衛に役人が言います、「この事件はどうもよく分からん、算段してくれ」と。
これがこの噺のサゲなのですが、最後まで罪悪感とか善良さとか勧善懲悪などというヤワな道義心とは一切無縁のそのタフさ加減に、ただただ感心させられたのですが、しかし、よく考えるとその「タフさ」こそが、この噺を発掘しなければならなかった「埋没」に至らせた原因なのかもしれないと気がつきました。
そう考えれば、これまでだって世間をはばかる演者の道義心のために自主規制で失われた噺は幾らでもあったに違いありません。
そうそう、米朝のサゲは、事件のあと、按摩の市兵衛という男が現れて、まだ噺が進展することを匂わせて終わっていたのですが、webで確認したネタ本によれば、
《事件のあと、按摩の市兵衛という男が現れて、杖を突きながら頻繁に、平兵衛の家に行き、何か喋っては金をもらってきます。近所の人が不思議がって
「なんぞ、平兵衛さんの弱いところでもつかんでおるのやろうか」
「それにしても大胆やな、相手は算段の平兵衛や、どんな目におうか分からんでえ」
「そこがそれ、めくら平兵衛(へび)におじずや」》
となっているのだそうです。
米朝が最後まで語ろうとせずに早々に切り上げ、そして桂南光が「役人の取調べ」に改変したこの本来の「さげ」が、近い将来、この噺に再び埋没の危機が見舞う要因になるであろうことは、たぶん確かでしょう。
現代にあっては、「そこがそれ、めくら平兵衛(へび)におじずや」のさげでは、やはりまずかったのだろうなと思います。
しかし、それにしても、「あらすじ」だけの落語なんて、なんと味気ないものか、つくづくわかりました。
つまり、落語をただのストーリーとして、映画化するなり、ユーモア小説仕立てにすることが、必ずしも成功に繋がらなかった理由が、本来の「語り」という饒舌を失ったところにあったのだと、いまさらながら分かりました。
それに、「饒舌」がなければ、死体を弄ぶことで笑いをとるこの陰惨このうえない「算段の平兵衛」が、成立するわけもなかったのです。
最後に米朝師匠を偲んで、出だしの部分の口調を筆写してみたいと思います。
《ようこそのお運びで、相変わらずごく古いお噺を聞いていただきます。
世の中があんまり変わりすぎましたんで、古い落語をやるときに分からんよおなことが、だんだん増えてきまして、説明せんならん場合が増えてきたんですけどね、「算段」なんて言葉も使わんよおなりました。
「遣繰算段(やりくりさんだん)」ちゅう言葉だけが、まだ生きてるように思いますがなあ「ちょっと算段しといてんか」とか「あいつは算段がうまいさかいなあ」とか「そういう算段ならあの男や」とか、日常会話にもよう出てきたんでございますがなあ。
いろいろとこの「算段」をする、ちょっとした無理でも何とか収めてくれるとか、お金が足らんのでも間に合わすようにするとか、そういうことになかなか長けた、上手な人ちゅうのはあるもんでございまして。どこのグループにでも、どこの会社にでもこういう便利な人が一人ぐらいありますわなあ。・・・》