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Channel: 映画収集狂
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荷車の歌

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せっかく録画しておきながら、なんだか見るのが億劫で延び延びになってしまい、そのうち、録画しておいたことさえ忘れてしまったような作品が、なんだかどんどん溜まってしまう感じで、そういうなかの一作に山本薩夫監督の「荷車の歌」1959があります。

じつは、この作品、子どもの頃に親に連れられて見ています。

きっと当時は、この作品を見ること自体がブームになっていて、これを見なければ時代に乗り遅れるみたいな強迫観念に捉われるくらいの話題作だったらしいのです(これって、三國連太郎が「老人」に扮するために歯を全部抜いたというあの伝説の映画ですよね)。

おそらく誰も彼もが、そのスキャンダラスな話題の勢いに押されて、詳しい内容など分からないまま(そんなことなどお構いなしだったでしょう)映画館に駆けつけたのにつられて、きっと自分の親も見に行ったのだと思います。

その証拠に、このひたすら陰々滅々な映画を、大胆にも「子連れ」で見に行くという、情操教育上「これってどうなの」的な、いわば暴挙なわけなのですから、その薄らぼんやりさ加減を除外すれば、まあ、ある意味、快挙といってもいいかもしれません、その目論見は見事、的中したといえます。

この映画は、自分の子供心に強烈な傷を残しました、それは現在に至るまでトラウマとなって自分のなかに居座り、いまでもタイトルを見ただけでゾーっとし、繰り返し「いや~な」気持ちにさせられています。

なにがそれ程いやだったかというと、どう見ても滅茶苦茶ジジイの亭主(三國連太郎が扮しています)が、滅茶苦茶年寄りのバアサン(浦辺粂子が演じています)を妾として(そこに正妻が住んでいるのに、ですよ)家に引き入れて同居を始めるという部分です。

いくら子どもとはいえ、「夫婦」というものが、どういうことをするのかくらいのことは、なんとなく知っていました。

しかし、そういう桃色行為は、あくまでも若々しくて、見目麗しい青年男女が、羞恥心のなかで裸体を朱に染めて感動的に「いたす」からこそ、まだ納得できる部分があるのであって、これがあの爺さんと婆さんとが絡み合い、どす黒いシワシワの体を重ねてゴシゴシ揉み合い互いの欲情をぶつけ合うのかと思うと、人間の欲情の浅ましさというか、ゲダモノとなんら変わらない人間のおぞましい醜さをトコトン思い知らされたような、たまらない嫌悪感に見舞われて、辟易したのだと思います。

人間の浅ましさを、人生の最初に思い知らされたそういう子どもが、その後、嫌悪感を抱えながら、大人へと辿る人生の、とても困難な青少年期を過ごさなければならなかったことは、これもひとえに映画「荷車の歌」のオカゲなのだと、いまでもカタク信じて、お恨み申し上げております。

しかし、その嫌悪感しか持てなかったような映画を、なぜいまさら思い出したのかというところから説明しなければなりません。

自分は、気になった新聞や雑誌の記事があると、切り抜いてスクラップしておく習慣があるのですが、しかし、スクラップしたからといって、あとでどうこうするわけでもなく、いままでは読み返すということもありませんでした。

それに根が気分屋なので、思い立って何日も続けて切り抜きを励行することもあれば、数ヵ月も切抜帳をほったらかしにすることも多々あり、あるいは、こういういい加減なマダラ気分が、かえってスクラップの習慣を長続きさせているのかもしれません。

最近、久しぶりに、その切抜帳を手にしました。

たぶん、そのときは、たまたま暇を持て余していて、ほかにすることもなく、切抜帳がたまたま手近にあったからにすぎませんが、その切り抜いた記事のなかに「荷車の歌」という文字がチラリと見えてゾーっとし、つい読む気になったのでした。

その記事は、どうも占領下の時代から少したった頃の日本の映画状況が書かれているみたいなのです。

それは、こんな感じでした。

《(占領下の解放的な気分がある一方)同時にまた極端に感傷的な時代でもあった。
戦争の敗北を噛み締め、悲嘆に暮れ、反省にふける時代でもあったから、それは当然である。
多くの感傷的なメロドラマが作られ、歓迎されたが、特にこの時代の感傷を代表するヒット・シリーズとしては、1940年代の終り頃から50年代の終りにかけて主として大映で約30本製作された三益愛子主演のいわゆる「母もの」があげられるだろう。
「母」1948、「母三人」1949、「母紅梅」1949といった一連の母性愛メロドラマである。
あるいは1950年代から60年代にかけての、望月優子主演のリアリズム版の母ものとでも言うべき「日本の悲劇」1953、「おふくろ」1955、「荷車の歌」1959といった作品も挙げることができる。》

ほら、ありました、ありました、「荷車の歌」。

このタイトルがさっき目に飛び込んできた例のやつですよね。

だいたい、このスクラップ、貼ったあとでなにか引用したり利用したりするなど目的など毛頭考えないで始めた大雑把な作業ですから、「どこから切り抜いたもの」とか「誰の書いたもの」など、まったくメモっていない杜撰な作業でホント恐縮もので、まったく分からないながら、ここまで読んできて、この文章の執筆者は、どうも佐藤忠男のような気がしてきました。

まあ、誰がなんと言おうと、自分にとって影響大の映画批評家なので、だからスクラップまでしたんでしょうね。

ではまた、すこし続けることにしますね。

《三益愛子も望月優子も、中高年の母親の惨めさを演じることで人気のあった女優である。
失礼だが、2人ともいわゆる美人タイプの女優ではない。
愛嬌も乏しい。
むしろ、みるからに苦労を重ねてきたという印象が強く、その結果としての恨めしげな悲哀の表情が彼女たちの魅力だった。
その恨めしげな悲哀は、母親として子どもを育てるためにその人生のすべてを犠牲にしてきたということを表しており、それでもし、子どもたちがこの親の苦労を忘れて勝手なことをしたら、親は恨めしさのあまり死んでも死に切れないであろうという気分を示している。
じしつ母ものは、そういう気分をメロドラマ的に拡大して見せるものであった。
この気分が、単に同じような思いを持っている日本の庶民の母親たちの共感を呼んだだけでなく、そういう母親を持つ若者たちをも盛大に泣かせたのである。》

なるほど、なるほど。それで、どういう・・・?

《一説によれば、日本人の親孝行感覚を支えているのは、学校でそれを徳目として教えていたからというよりも、むしろ一般に日本の母親が愚痴っぽいことにあると言う。
日本の母親は、子どものために自分がどれだけ苦労してきたかということをよく子どもに言う。
それを聞かされて育った子どもは、母親に対して罪の意識を持つようになり、母親を悲しませるということをなによりも怖れるようになる。・・・
三益愛子や望月優子が演じたのは、そういう、苦労して恨めしげな口ぶりが身についた母親である。
この時代には(あるいは、この時代までは)子どもたちもまた積極的に感傷に身をゆだねる気風を持っていた。
気の毒な人間の身になって共に泣くことに喜びを感じることができたのである。》

ここまで読んできて、自分のトラウマもだいぶ和らいできたような気がします。

「母親に対する罪の意識」ですか、なるほどね。

しかし、自分の事ばかり考えた果てに被害妄想を抱くようなそういう母親から始終自分は不幸だと愚痴ばかり吹き込まれ続けて、ついには「罪の意識」まで持たされてしまう子ども(自分です)の方が、よっぽど深刻で可哀そうな気がしますけどもねえ。

ナンダロ、この映画。

(1959新東宝) 監督・山本薩夫、脚色・依田義賢、原作・山代巴、製作・中山亘、立野三郎、企画:全国農協婦人組織協議会、撮影・前田実、美術・久保一雄、音楽・林光、録音・空閑昌敏、照明・内藤伊三郎、編集・河野秋和、
出演・望月優子(セキ)、三國連太郎(セキの夫・茂市)、岸輝子(セキの姑)、左幸子(セキの娘・オト代)、西村晃(初造)、稲葉義男(藤太郎)、水戸光子(ナツノ)、佐野浅夫(三造)、奈良岡朋子(コムラ)、利根はる恵(リヨ)、浦辺粂子(茂市の妾・ヒナ)左時枝(オト代の少女時代、当時の芸名は左民子)、矢野宣(セキの末っ子・三郎)、塚本信夫(セキの長男・虎男)大町文夫(セキの父)、小沢栄太郎(ナナシキの旦那)、利根はる恵(リヨ)、辻伊万里(コユキ)、戸田春子(西屋の女房)、小笠原慶子(セキの次女トメ子)、赤沢亜沙子(鈴枝)、奈良岡朋子(コムラ)、島田屯、五月藤江、加藤鞆子(スエ子) 、安芸秀子(セキの母)、


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