そして、ここにきて、ついに「日本経済新聞」の書評欄(2016.7.10)にも取り上げられて、やっぱりいま話題の本だったのかと、遅ればせながら認識した次第です。
その書名は、「兵士のアイドル」(押田信子著、旬報社刊、2200円)。
戦時中に、前線で戦う兵士たちのための慰問雑誌が刊行されていたとかで、海軍の肝いりで作られたのが「戦線文庫」、そして陸軍は「陣中倶楽部」という娯楽雑誌だそうです。
「戦線文庫」のグラビアには、現在のアイドル雑誌さながらに映画女優のポートレートで埋め尽くされ、原節子、田中絹代、高峰三枝子、李香蘭といった大スターたちが、妖艶なポーズで掲載されていて、たとえば、1938年の創刊号のグラビアでは、ロングドレスに着物と服装は華やかな、そして扇情的なポーズの写真も多く掲載されていたと書かれています。
「これが戦時下の雑誌かと驚いた。」と書評氏(梯久美子)は驚嘆を込めて書いていますが、軍隊(陸・海軍)が、最前線で戦う明日をも知れぬ兵士たちの慰問のために作った雑誌なのですから、当然お色気たっぷりの娯楽に徹した雑誌だったろうなということは容易に想像できます。
あの朝鮮戦争の最前線にヘリで颯爽と降り立ち、疲れた兵士たちを慰問したマリリン・モンローのあの悩ましい腰つきと笑顔に見入る兵士たちの熱狂を思い浮かべれば、「これが戦時下の雑誌か」などと、なにもカマトトぶって驚く振りをするには及びません。
兵士たちは、明日もまた、ことの善悪など超えた凄惨な戦場に赴き、自分が殺されるよりも先に敵を殺さなければならないぎりぎりの修羅場に身を置かねばならないのですから。
この書評を読んでいくうちに、この本の論点は、どうも「兵士のアイドル」などにあるのではなく、「政治と金」ならぬ「軍隊と金」の問題を追求しているらしい「そっち系」のお堅い本であることが分かりました。
素直に「兵士のアイドル」のネタにした芸能雑誌だと早とちりして購入したミーハーの読者(当然自分もその中のひとりです)には、きっと、この鬱陶しい真摯な内容に遭遇して、突然脳天を鉄槌で勝ち割られ、脳髄を打ち砕かれるくらいの驚きと恐怖に見舞われるかもしれません。まさに鼻血ブーならぬ「脳髄ブー」であります(ずいぶん古い)。
書評氏もその辺のところは気にしているみたいで、限られた書評欄にしては、かなりの比重を割いてこの「軍隊と金」の解説に当てています。その部分を以下に引用して、紹介してみますね。
《この「戦線文庫」は海軍の肝煎りで生まれた雑誌で、軍部が監修し、一括して買い上げていたと知って再度驚いた。
制作費は国民からの慰問金である恤兵金から拠出されていたという。
「戦線文庫」とともに部数と内容の充実度で群を抜いていたのが、一年遅れで創刊された陸軍慰問雑誌「陣中倶楽部」である。
本書はこの二誌を詳細に読み解きながら、国家が国民を動員する手段として、女性たちの美や性的魅力をどのように利用したかを明らかにしていく。
女優や歌手だけでなく、ルポや小説、座談会などで雑誌に登場する女性作家にも「美」が求められたという指摘(美貌だった真杉静枝は海軍に重用され特別な待遇を受けていた)も興味深い。
一方で、慰問雑誌の背景にあった恤兵金に注目し、陸海軍の恤兵部が大衆の支持を得るために銃後で行っていた文化動員についても、これまでになかった視点から考察している。
終戦と同時にこの二誌は消え失せ、国会図書館にも保存されていないという。
それを掘り起こして分析したことは、戦時のメディア研究の空白部分を埋める意義があるが、それ以前に読み物としても魅力的である。》
この解説が事実なら、この本の書名は、せいぜい「日本の軍隊と消えた恤兵金」とするくらいの誠実さは示すべきだったかもしれません。
しかし、そんなお堅いタイトルにしたら、いまの時代、本なんか売れるわけがなく、それでなくたって、いま電車の中で、本を開いて読んでいる人の姿など、まったくの皆無といってもいいほど見かけることもなく、もはや書名を工夫したくらいでは、この深刻な出版不況は止められません。
ナチスは、焚書をして「有害書物」の徹底的な絶滅を図りましたが、いまの日本なら、そんなことをしなくたって、すでに誰もが知的好奇心を失ってしまっていて、せいぜいスホマの見出しを読むだけですべてを分かってしまった気になり、それだけで十分満足し、好奇心などさっさと完結して萎んでしまうというのが実態なのです。
早晩、本なんて死滅してしまいそうな勢いの、まさに危機的な状況といえます。
ですので、これが「兵士のアイドル」という書名なら、少しは希望が持てるかもしれません。
アイドル・オタク(どちらかというと、「自分」もそうかもしれません)が「総選挙」のためとか勘違いして10冊くらいは爆買いしてくれないとも限りませんしね。
しかし、やっぱ、この著者、「内容に偽りあり」のタイトルをつけることに少しは気後れしたのか、僅かながらの芸能人のエピソードを挿入することは忘れませんでした。
それはこんな具合です。
《国策に利用されたアイドルたちではあるが、では兵士たちとの心の交流が偽りだったかというとそうではない。彼女たちは誌上に慰問文を書き、戦場からは熱烈な便りが届いた。誌面はアイドルと兵士が交流するメディア空間だったのである。
死を覚悟した前線の兵士から、ブロマイドが送られてきたという高峰秀子の話が紹介されている。ずっと胸ポケットに入れていたが、ともに戦場で散らすのは忍びないので送り返すとの手紙が添えられていたそうだ。豊富なエピソードのひとつひとつから、戦争の時代を生きた若者たちの貌が見えてくる。》
個々の検証もすることなく、一応に女優たちを「国策に利用された」と決め付ける荒っぽい粗雑な言い方には、思わず「ムッ」とくるものがあって反感も覚えますが、しかし、最初から「女優」を将棋の駒のようにしか考えられないような人ならば、それも仕方のないことかもしれません。
「利用された」などと、映画人だってまったくの木偶の坊じゃないのですから、正確にいうのなら、むしろ、「国策」に群がった女優たちや映画人たちくらいには書くべきだったと思いますし、いずれにしても、そんなことは言い方の問題にすぎず、そもそもが取るに足りないことだと思っています。
「軍部」が権勢を振るった時代が去れば、「利用」された映画人も、「群がった」映画人も、ともに、さっさと見限り、次の権力者である「民主主義」に取り入っただけの話で(歴史が証明しています)、いかなる時代の権力者に対しても適当に調子を合わせながら、映画人は「撮る自由」を守ってきたのだということを理解できないと、やれ「転向した」だの、「裏切った」だの、「矛盾している」だの、つまらない道義心とかに振り回され、「勘違い」を犯して、晩節を汚す醜態を演じなければいいのですが。
この書評の無味乾燥な文章から、いままさに「死を予感した兵士」がスターにブロマイドを返送する行為と、「スター・高峰秀子」が無残に汚れた自分の写真を兵士から受け取るその無残な関係性について、どれほどの「真実」が読み取られているか、この書評に対して自分は少なからず苛立ち、そして疑心暗鬼になってしまったかもしれません。
おそらく、兵士は、「高峰秀子」を、自分にとってかけがえのない夢の象徴、不可能な「未来」や「希望」に代わるものとしたかったにちがいなく、そして、女優・高峰秀子にとっては、戦場から何百・何千と送り返されてくる自分のブロマイドひとつひとつに染み込まれた兵士たちの死の影に覆われた思いの重みに押し潰されないはずがありません。
高峰秀子は、「わたしの渡世日記」に、その苦しい思いを刻みつけるように記しています。
《「今日まで、貴方の写真を胸のポケットに抱きつづけてきましたが、共に戦場で散らすに忍びず、送り返します。よごしてしまって済みません・・・。一兵士より」
支那事変から大東亜戦争の終わりまでの間に、私は何百通、何千通の手紙を前線の兵士から貰ったけれど、ほとんど返事を書いた記憶がない。返事を書こうにも、相手の住所も名前も書いてない手紙が多かったからである。今、思えば、それらの手紙の一通一通は、まるで遺書のようなものであった。「日本国 高峰秀子」の七文字だけで、私のもとに届いた軍事郵便に驚くよりも、そんないいかげんなあて名で、果たして届くか届かぬかも分からない手紙をしたためる兵士たちの、やりきれなく、うつろな寂しさを思うと、あの膨大な数の軍事郵便を、なぜ大切にしまっておかなかったのかと悔やまれる。
私には、身内から戦死者を出した経験はないけれど、私のブロマイドを抱いて、たくさんの兵士が、北の戦地を駆けめぐり、南の海に果てたことを知っている。
慰問袋から飛び出した私のブロマイドは、いつも歯をむき出してニッコリと笑っていただろう。兵士たちは、私の作り笑いを承知の上で、それでも優しく胸のポケットにおさめてくれた、と思うと、私もまた、やりきれなさで身の置きところがないような気持ちになる。おそらく、私の映画はもちろんのこと、私の名前さえ知らぬ農民兵士の手にも、ブロマイドは渡ったことだろう。彼らは、どこの馬の骨かわからない、見ず知らずの少女の顔を背嚢にしょって幾百里も歩き、そして死んでいった・・・もし、そうだとしたら、何と悲惨な青春ではないか。》(「わたしの渡世日記」血染めのブロマイド)
この高峰秀子の文章には、戦場における兵士たちの絶望を、そして彼らのことをなにひとつ知りもしない薄っぺらな作り笑いをしているだけの自分が、そのたった一枚の写真を大切に抱いて死んでいった若者たちの無残な死に対して、「申し訳なさ」を、苦渋の言葉で綴っています。
戦場で死んでいった若き兵士の胸のポケットで、「歯をむき出してニッコリと笑っていた」自分の空しい作り笑いの醜悪さを、嫌悪を込めて書いています。
筆者が、ことさらに採用したこの「ブロマイドを返送してきた兵士のエピソード」の意味するところは、「ブロマイドの返送」という行為に、当時の若者たちの遣り場のない無残な思いを、ことさらに強調したかったからでしょうが、果たしてその「効果」が意図したとおりにあったかどうか、残念ながら、効果は随分と的外れなものとして終わってしまったのではないかというのが、自分の感想です。
死を目前にした兵士たちは絶望し、疲れ果て、あるいは、ブロマイドを「女優」に送り返したかもしれません。
しかし、写真を抱いて死のうが、送り返そうが、その悲惨な死に様にとって、なにほどの違いがあったといえるでしょうか。
「返送」を悲惨と感じるのは、平和な内地にいて安穏と暮らすドラマ好きの人間たちの妄想にすぎません。
そこに「ある」兵士たちの悲惨は、やはり些かも変わるものではなかったことを、「女優」になりきれなかった少女は見抜いています。
そして、少女は、「女優」を演じ切れなかったことで、兵士たちの思いを受け止められなかったことに傷つき、そこにある自分の醜悪さを嫌というほど思い知ったとき、「女優」として生きることの本当の意味に気がついたかもしれません。
からっぽの人間になって、それが失意のなかで死んでいく若き兵士のポケットの中であろうとなんだろうと、いかなる荒廃も意に介さず、馬鹿みたいに「歯をむき出してニッコリと笑って」みせることだと。
不世出の名女優・高峰秀子の誕生の瞬間(人間性を失うことが「演者」の真髄だと発見した)を、見てしまったような錯覚に捉われました。