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兵士のアイドル-女優「高峰秀子」を演じることの痛み

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このところ、立て続けに書評欄に取り上げられていて、少し気になっていた本がありました。

そして、ここにきて、ついに「日本経済新聞」の書評欄(2016.7.10)にも取り上げられて、やっぱりいま話題の本だったのかと、遅ればせながら認識した次第です。

その書名は、「兵士のアイドル」(押田信子著、旬報社刊、2200円)。

戦時中に、前線で戦う兵士たちのための慰問雑誌が刊行されていたとかで、海軍の肝いりで作られたのが「戦線文庫」、そして陸軍は「陣中倶楽部」という娯楽雑誌だそうです。

「戦線文庫」のグラビアには、現在のアイドル雑誌さながらに映画女優のポートレートで埋め尽くされ、原節子、田中絹代、高峰三枝子、李香蘭といった大スターたちが、妖艶なポーズで掲載されていて、たとえば、1938年の創刊号のグラビアでは、ロングドレスに着物と服装は華やかな、そして扇情的なポーズの写真も多く掲載されていたと書かれています。

「これが戦時下の雑誌かと驚いた。」と書評氏(梯久美子)は驚嘆を込めて書いていますが、軍隊(陸・海軍)が、最前線で戦う明日をも知れぬ兵士たちの慰問のために作った雑誌なのですから、当然お色気たっぷりの娯楽に徹した雑誌だったろうなということは容易に想像できます。

あの朝鮮戦争の最前線にヘリで颯爽と降り立ち、疲れた兵士たちを慰問したマリリン・モンローのあの悩ましい腰つきと笑顔に見入る兵士たちの熱狂を思い浮かべれば、「これが戦時下の雑誌か」などと、なにもカマトトぶって驚く振りをするには及びません。

兵士たちは、明日もまた、ことの善悪など超えた凄惨な戦場に赴き、自分が殺されるよりも先に敵を殺さなければならないぎりぎりの修羅場に身を置かねばならないのですから。

この書評を読んでいくうちに、この本の論点は、どうも「兵士のアイドル」などにあるのではなく、「政治と金」ならぬ「軍隊と金」の問題を追求しているらしい「そっち系」のお堅い本であることが分かりました。

素直に「兵士のアイドル」のネタにした芸能雑誌だと早とちりして購入したミーハーの読者(当然自分もその中のひとりです)には、きっと、この鬱陶しい真摯な内容に遭遇して、突然脳天を鉄槌で勝ち割られ、脳髄を打ち砕かれるくらいの驚きと恐怖に見舞われるかもしれません。まさに鼻血ブーならぬ「脳髄ブー」であります(ずいぶん古い)。

書評氏もその辺のところは気にしているみたいで、限られた書評欄にしては、かなりの比重を割いてこの「軍隊と金」の解説に当てています。その部分を以下に引用して、紹介してみますね。

《この「戦線文庫」は海軍の肝煎りで生まれた雑誌で、軍部が監修し、一括して買い上げていたと知って再度驚いた。

制作費は国民からの慰問金である恤兵金から拠出されていたという。

「戦線文庫」とともに部数と内容の充実度で群を抜いていたのが、一年遅れで創刊された陸軍慰問雑誌「陣中倶楽部」である。

本書はこの二誌を詳細に読み解きながら、国家が国民を動員する手段として、女性たちの美や性的魅力をどのように利用したかを明らかにしていく。

女優や歌手だけでなく、ルポや小説、座談会などで雑誌に登場する女性作家にも「美」が求められたという指摘(美貌だった真杉静枝は海軍に重用され特別な待遇を受けていた)も興味深い。

一方で、慰問雑誌の背景にあった恤兵金に注目し、陸海軍の恤兵部が大衆の支持を得るために銃後で行っていた文化動員についても、これまでになかった視点から考察している。

終戦と同時にこの二誌は消え失せ、国会図書館にも保存されていないという。

それを掘り起こして分析したことは、戦時のメディア研究の空白部分を埋める意義があるが、それ以前に読み物としても魅力的である。》

この解説が事実なら、この本の書名は、せいぜい「日本の軍隊と消えた恤兵金」とするくらいの誠実さは示すべきだったかもしれません。

しかし、そんなお堅いタイトルにしたら、いまの時代、本なんか売れるわけがなく、それでなくたって、いま電車の中で、本を開いて読んでいる人の姿など、まったくの皆無といってもいいほど見かけることもなく、もはや書名を工夫したくらいでは、この深刻な出版不況は止められません。

ナチスは、焚書をして「有害書物」の徹底的な絶滅を図りましたが、いまの日本なら、そんなことをしなくたって、すでに誰もが知的好奇心を失ってしまっていて、せいぜいスホマの見出しを読むだけですべてを分かってしまった気になり、それだけで十分満足し、好奇心などさっさと完結して萎んでしまうというのが実態なのです。

早晩、本なんて死滅してしまいそうな勢いの、まさに危機的な状況といえます。

ですので、これが「兵士のアイドル」という書名なら、少しは希望が持てるかもしれません。

アイドル・オタク(どちらかというと、「自分」もそうかもしれません)が「総選挙」のためとか勘違いして10冊くらいは爆買いしてくれないとも限りませんしね。

しかし、やっぱ、この著者、「内容に偽りあり」のタイトルをつけることに少しは気後れしたのか、僅かながらの芸能人のエピソードを挿入することは忘れませんでした。

それはこんな具合です。

《国策に利用されたアイドルたちではあるが、では兵士たちとの心の交流が偽りだったかというとそうではない。彼女たちは誌上に慰問文を書き、戦場からは熱烈な便りが届いた。誌面はアイドルと兵士が交流するメディア空間だったのである。

死を覚悟した前線の兵士から、ブロマイドが送られてきたという高峰秀子の話が紹介されている。ずっと胸ポケットに入れていたが、ともに戦場で散らすのは忍びないので送り返すとの手紙が添えられていたそうだ。豊富なエピソードのひとつひとつから、戦争の時代を生きた若者たちの貌が見えてくる。》

個々の検証もすることなく、一応に女優たちを「国策に利用された」と決め付ける荒っぽい粗雑な言い方には、思わず「ムッ」とくるものがあって反感も覚えますが、しかし、最初から「女優」を将棋の駒のようにしか考えられないような人ならば、それも仕方のないことかもしれません。

「利用された」などと、映画人だってまったくの木偶の坊じゃないのですから、正確にいうのなら、むしろ、「国策」に群がった女優たちや映画人たちくらいには書くべきだったと思いますし、いずれにしても、そんなことは言い方の問題にすぎず、そもそもが取るに足りないことだと思っています。

「軍部」が権勢を振るった時代が去れば、「利用」された映画人も、「群がった」映画人も、ともに、さっさと見限り、次の権力者である「民主主義」に取り入っただけの話で(歴史が証明しています)、いかなる時代の権力者に対しても適当に調子を合わせながら、映画人は「撮る自由」を守ってきたのだということを理解できないと、やれ「転向した」だの、「裏切った」だの、「矛盾している」だの、つまらない道義心とかに振り回され、「勘違い」を犯して、晩節を汚す醜態を演じなければいいのですが。

この書評の無味乾燥な文章から、いままさに「死を予感した兵士」がスターにブロマイドを返送する行為と、「スター・高峰秀子」が無残に汚れた自分の写真を兵士から受け取るその無残な関係性について、どれほどの「真実」が読み取られているか、この書評に対して自分は少なからず苛立ち、そして疑心暗鬼になってしまったかもしれません。

おそらく、兵士は、「高峰秀子」を、自分にとってかけがえのない夢の象徴、不可能な「未来」や「希望」に代わるものとしたかったにちがいなく、そして、女優・高峰秀子にとっては、戦場から何百・何千と送り返されてくる自分のブロマイドひとつひとつに染み込まれた兵士たちの死の影に覆われた思いの重みに押し潰されないはずがありません。

高峰秀子は、「わたしの渡世日記」に、その苦しい思いを刻みつけるように記しています。

《「今日まで、貴方の写真を胸のポケットに抱きつづけてきましたが、共に戦場で散らすに忍びず、送り返します。よごしてしまって済みません・・・。一兵士より」

支那事変から大東亜戦争の終わりまでの間に、私は何百通、何千通の手紙を前線の兵士から貰ったけれど、ほとんど返事を書いた記憶がない。返事を書こうにも、相手の住所も名前も書いてない手紙が多かったからである。今、思えば、それらの手紙の一通一通は、まるで遺書のようなものであった。「日本国 高峰秀子」の七文字だけで、私のもとに届いた軍事郵便に驚くよりも、そんないいかげんなあて名で、果たして届くか届かぬかも分からない手紙をしたためる兵士たちの、やりきれなく、うつろな寂しさを思うと、あの膨大な数の軍事郵便を、なぜ大切にしまっておかなかったのかと悔やまれる。

私には、身内から戦死者を出した経験はないけれど、私のブロマイドを抱いて、たくさんの兵士が、北の戦地を駆けめぐり、南の海に果てたことを知っている。

慰問袋から飛び出した私のブロマイドは、いつも歯をむき出してニッコリと笑っていただろう。兵士たちは、私の作り笑いを承知の上で、それでも優しく胸のポケットにおさめてくれた、と思うと、私もまた、やりきれなさで身の置きところがないような気持ちになる。おそらく、私の映画はもちろんのこと、私の名前さえ知らぬ農民兵士の手にも、ブロマイドは渡ったことだろう。彼らは、どこの馬の骨かわからない、見ず知らずの少女の顔を背嚢にしょって幾百里も歩き、そして死んでいった・・・もし、そうだとしたら、何と悲惨な青春ではないか。》(「わたしの渡世日記」血染めのブロマイド)

この高峰秀子の文章には、戦場における兵士たちの絶望を、そして彼らのことをなにひとつ知りもしない薄っぺらな作り笑いをしているだけの自分が、そのたった一枚の写真を大切に抱いて死んでいった若者たちの無残な死に対して、「申し訳なさ」を、苦渋の言葉で綴っています。

戦場で死んでいった若き兵士の胸のポケットで、「歯をむき出してニッコリと笑っていた」自分の空しい作り笑いの醜悪さを、嫌悪を込めて書いています。

筆者が、ことさらに採用したこの「ブロマイドを返送してきた兵士のエピソード」の意味するところは、「ブロマイドの返送」という行為に、当時の若者たちの遣り場のない無残な思いを、ことさらに強調したかったからでしょうが、果たしてその「効果」が意図したとおりにあったかどうか、残念ながら、効果は随分と的外れなものとして終わってしまったのではないかというのが、自分の感想です。

死を目前にした兵士たちは絶望し、疲れ果て、あるいは、ブロマイドを「女優」に送り返したかもしれません。

しかし、写真を抱いて死のうが、送り返そうが、その悲惨な死に様にとって、なにほどの違いがあったといえるでしょうか。

「返送」を悲惨と感じるのは、平和な内地にいて安穏と暮らすドラマ好きの人間たちの妄想にすぎません。
そこに「ある」兵士たちの悲惨は、やはり些かも変わるものではなかったことを、「女優」になりきれなかった少女は見抜いています。

そして、少女は、「女優」を演じ切れなかったことで、兵士たちの思いを受け止められなかったことに傷つき、そこにある自分の醜悪さを嫌というほど思い知ったとき、「女優」として生きることの本当の意味に気がついたかもしれません。

からっぽの人間になって、それが失意のなかで死んでいく若き兵士のポケットの中であろうとなんだろうと、いかなる荒廃も意に介さず、馬鹿みたいに「歯をむき出してニッコリと笑って」みせることだと。

不世出の名女優・高峰秀子の誕生の瞬間(人間性を失うことが「演者」の真髄だと発見した)を、見てしまったような錯覚に捉われました。


マリアのお雪

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you tubeで手軽に見られるところから、ここ最近、古典的な日本の名作映画を立て続けに見てきたのですが、一本だけどうしても見ることを躊躇した作品がありました。

溝口健二の1935年作品「マリアのお雪」です。

最初は、溝口健二らしからぬこの「マリアのお雪」という題名が、どうにもなじめず、「隠れキリシタン」でも扱った映画なのかとイラヌ憶測をしたり、やたら重そうなその雰囲気に、見る前から既に圧倒されたことも敬遠した理由のひとつだったかもしれません。

そして、さらに、この作品に関する批評や解説のあまりの少なさもあったと思います。

どちらにしろ、かの溝口健二が撮った作品ですから、見る者を厳しく選別するような暗鬱な作品であることには違いありません。

そんなおり、ある本を読んでいて、長い間、自分が影響(はっきりいって、「呪縛」です)を受けてきた文章に、ついに邂逅したのです。

その本は、三一書房が1970年頃に出版した「現代のシネマ」というシリーズの中の一冊、ミシェル・メニル著「溝口健二」の末尾に付された解説(佐藤忠男筆)の中にありました。

「1970年頃」といえば、自分的には、「すべて」のことが起こり、そして終わってしまった季節と重なります(「ように思える」と書き直すべきか、迷います)。

そのあとの時間を「余生だ」といった友人もいたくらいで、思えば、ずいぶんと長い「余生」ではありましたが。

この三一書房の「現代のシネマ」は、当時の、生真面目で融通がきかない、小難し好きの時代の空気をよく現わしていて、刊行されたシリーズのラインナップを見れば、そのことがよく分かると思います。

①ジャン・リュック・ゴダール(ジャン・コレ著)
②ミケランジェロ・アントニオーニ(ピエール・ルブロオン著)
③ルイス・ブニュエル(アド・キルー著)
④溝口健二(ミシェル・メニル著)
⑤アラン・レネ(ガストン・ブーヌール著)
⑥アンジェイ・ワイダ(アドラン・トリノン著)
⑦フェデリコ・フェリーニ(ジルベール・サラシャ著)
⑧セルゲイ・エイゼンシュタイン(レオン・ムシナック著)
⑨オーソン・ウェルズ(モーリス・ベシー著)
⑩ロベルト・ロッセリーニ(マリオ・ヴェルドーネ著)

いまもって、いささかも色あせていないこの不滅の映画作家たちの揺るぎない重要度には、あらためて驚かされます、自分たちは、とくに異国の感性に写る「溝口健二」を、夢中になって読みふけったものでした。

そこに、日本の映画監督が外国の知識人たちに認知される恍惚感に酔った部分のあったことも否定はしません。

さて、ミシェル・メニルの「溝口健二」末尾に付された解説(佐藤忠男筆)ですが、該当箇所を転写してみますね。

《溝口健二は、サイレント映画時代にすでに第一級の監督として名声を得ていた。1930年代の後半から40年代においては、後輩の小津安二郎や内田吐夢とともに、日本映画界で最高の敬意を受けていた。が、当時、すでに、多くの賞賛と同時に批判が書かれている。
そして戦後には、賞賛よりも批判を受けることが多くなり、それは、「西鶴一代女」がフランスで評判になる時期までつづいた。
批判の要点は、彼の主題と技法が古くさい、ということであった。
たとえば、批評家岸松雄は1930年代のいわゆる「明治もの」をこう批判した。
「右を向いても左を向いても芸術の自由は奪われているのではあるまいか。それならいっそ旧き世界の美しさに帰ろう。ゲテモノ趣味も悪くない。ラムプ、陶磁器、手織の着物にも数寄を凝らそう。ゲテモノ研究に耽っていたこの当時の溝口健二に会った者は誰でも、凝りに凝りやしたナ、と呆れたよう御世辞を言いたくなるものがあった。
「神風連」「滝の白糸」はなるほどおもしろい。考証にもぬかりはない。「折鶴お千」「マリアのお雪」はしかしおもしろくない。というのは、時代考証だけが幅を利かせはじめて、かんじんの人間がお留守になってしまったからだ。少しむずかしいいい方をすれば、時代と人間との相関関係を描くことを忘れたためである。往来を走る二頭立ての馬車は本式かもしれない。畳の上に投げ出される太政官紙幣もでたらめではないだろう。としても、それだけではどうにもならない。溝口健二は、ゲテモノ趣味の外形に淫してしまったのではあるまいか。」(「日本映画様式考」1937年)》

いまとなっては、かつて自分がこのクダリを「確かに読んだのか」という確証は、なにひとつありませんが、自分の中の「溝口健二のいわゆる明治もの」に対する「駄作」という偏見を植え付けられた「元凶」があったとすれば、(海外批評家から認知される以前に)この手の批評を繰り返し読み続けてきたためにモタラサレタものだということは、そうだろうなと言えると思います。

批評家岸松雄なる者が、ほんとうに「折鶴お千」「マリアのお雪」において「人間がお留守になる」という状態をなにを根拠に評したのかの検証はさておき(佐藤忠男が岸評言を引用した動機も、おそらくは同じネガティブな意味でだったでしょうが)、しかし、ここで問題にしなければならないのは、「溝口健二のいわゆる明治もの」が、本当に箸にも棒にもかからないクダラナイ作品なのかという論点整理です。

そして、長年にわたって自分の中に植えつけられた「偏見」にあがらいながら、自分はこの「マリアのお雪」を鑑賞しました、you tubeで。

ときは「西南の役」、戦火が迫る熊本の町を、急いで乗合い馬車で逃れる庶民の姿が描かれます。

その乗合い馬車には、士族の一家もいれば豪商や僧侶もおり、そのなかに二人連れの流しの女芸人も乗り合わせています。

身分の卑しい女芸人などと同席することを、士族一家や豪商夫婦はとても嫌がり「けがらわしいから馬車から降りろ」となじりますが、そんなおり、悪路のために馬車は転倒し、大破して立ち往生、一行は身動きとれなくなります。

やがて猛烈な空腹に襲われる士族一家や豪商夫婦は、流しの女芸人たちが所持していた「弁当」を思い出します。

かつて、馬車の中で「こんなときに弁当など持って花見にでも行くつもりか」と嘲笑して馬鹿にしたあの「弁当」です。

しかし、幾ら金を積まれようと、さっきの屈辱を決して忘れていないおきん(原駒子が演じています)は、「ざまあみろ」とせせら笑い、見せびらかしながら弁当をおいしそうに食べますが、お雪(山田五十鈴が演じています)は、「もしよかったら」と弁当を彼らに譲ってしまいます。

おきんは、お雪の行為が理解できず、唖然としますが、屈辱を受けた憤りのおさまりがつかないまま、お雪に対しても微かな苛立ちが、その歪んだ表情にうかがわれるシーンです。

ここまできて、やっぱり「マリア」は、あの「マリア」のことなのだな、と思いはじめました。

そういえば、朝倉晋吾(夏川大二郎が演じています)の率いる官軍に囚われたとき、士族一家や豪商夫婦が、自分たちの延命のために娘を朝倉に人身御供として差し出そうとする場面、この作品において個々の「人間の質」が問われる重要な場面ですが、泣いて怯える娘の哀れを見かねて、まず、おきん(原駒子)が、朝倉晋吾にしなだれかかり、「なんにも知らないあんな生娘なんかが相手じゃ、面白くもなんともないじゃないかね。私でどう、いい思いさせてあげるわよ」と誘う場面があります(自分など、「いやいや、生娘の方で結構でやんす、イッヒッヒ」などとヨダレを拭いながら思わず口走ってしまいたくなる場面ですが、ここはまず自重して映画のつづきに集中します)。

性技百般、手練手管でいままで男をさんざん蕩かしてきた「その道」のプロです、クンズホグレツのsexのことなら、十分に自信のあるおきんですから、これは当然の申し出だったかもしれませんが、それはあくまで、朝倉晋吾に「その気」があった場合のことで、そもそも、ことの発端の「娘の人身御供」の考えは、士族一家や豪商夫婦が、自分たちの被害妄想から発した恐怖心の何の根拠もない「仮定」による先走った提案にすぎないので、その妄想の延長線上にあるだけの「おきんの申し出」は、朝倉晋吾にとって、はなはだ迷惑、おおきなお世話以外のなにものでもなかったわけで、その辺の「行き違い」を整理と理解ができていないおきんは、朝倉晋吾から拒絶されたことに激怒します。

理解の道筋としては、「この道」で一度として男から拒まれたことのなかった彼女の(性的)自尊心が傷つけられ、激怒につながったと(一応は)見るべきなのかもしれません。

やがて、このコジレタ関係は、さきの「弁当事件」と同じ経過をたどって、ふたたび「お雪」が解きほぐすことになりますが、おきんの場合と異なり、この「お雪」→「朝倉晋吾」の心的紐帯が、すでに、朝倉が士族一家や豪商夫婦たちが画策した保身のための「人身御供」などという卑劣な行為を罵倒する場面において、山田五十鈴の「なんて素晴らしい人だろう」という思い入れたっぷりに朝倉晋吾を見つめる正面からの美しいショットで、すでに十分に語り尽くされているので、朝倉晋吾へのお雪の接近(もはや「恋愛関係」にあります)が、おきんの場合と決定的に異なることが分かります。

いつも「美味しいところ」だけはお雪が持っていってしまうことに対して、なにごとにつけても不器用なおきんには、はなはだ面白くありません。

しかし、その怒りは、ひたすら朝倉晋吾にぶつけることしかできないでいます。

ラストシーン、窮地から逃れてきた傷ついた朝倉晋吾を、敵軍に引き渡すと言い張る憎悪に燃えるおきんに対して、その憎悪こそ朝倉晋吾に対する恋情だとお雪に指摘されてはじめて、おきんは自分が間違っていたことを理解します。納得したかどうかは、ともかく。

「急転直下」、まるでミテリー小説のような終わり方をしてしまうこの「大団円」(お雪のひとことが、まるで神の啓示のようになされ、おきんは、雷に打たれたように自分の不明を悟ります)に関しては、自分としては少し不満な思いを抱きました。

同じようにまた、おきんを演じた原駒子も、もうひとつこの役の終わり方に対して、消化不良みたいなものを感じたのではないかという感じも持ちました。あるいは、彼女はこの役を「演じきれなかった」と思ったかもしれません。

ぼくたちが接することのできる「原駒子」像といえば、乱した日本髪で不適な薄笑いを浮かべながら、着崩れた着物の懐から拳銃をちらつかせて正面を三白眼で睨み据えた物凄い形相の大迫力の毒婦役として認識しています。

それが、「まるで神の啓示のようになされ、おきんは、雷に打たれたように自分の不明を悟ります」などで、本当にこれで良かったのだろうかという思いが残りました。

むしろ、原駒子にとって「一度として男から拒まれたことのなかった彼女が、朝倉晋吾から拒絶されたことに性的自尊心が傷つけられ、激怒した」ままの方が、なんぼか彼女らしかったかのではないか、という「残念」な思いだけが残った感じがしたのでした。

朝倉晋吾に言い寄った理由が、生娘を救うための身代わりであろうと、あるいは心底から愛していたためであろうと、そんなことはどうだっていい、おきんは、いずれにしても、やはり同じ行動をとっただろうと思ったのは、「性愛」こそが、ヴァンプ女優・原駒子の真骨頂だと感じたからでした。

以前見た三浦大輔の「愛の渦」のなかで、「好きになってんじゃねえよ」という新井浩文の吐くセリフが、ふと脳裏に過ぎったことを申し添えます。それもひとつの真実かなと。

(1935製作・第一映画社、配給・松竹キネマ)監督・溝口健二、監督補・寺内静吉、高木孝一、高橋富次郎、坂根田鶴子、脚色・高島達之助、原作・川口松太郎「乗合馬車」(原案:モーパッサン『脂肪の塊』)、撮影・三木稔、撮影補・竹野治夫、内炭吉四郎、宮西四郎、選曲・高木孝一、伴奏・中央トーキー音楽協会、指揮・酒井龍峯、金馬雄作、装置・西七郎、斎藤権四郎、西山豊、録音・室田順一、擬音・西沢都時、照明・堀越達郎、編集・石本統吉、技髪・高木石太郎、美髪・石井重子、衣裳・小笹庄治郎、字幕・小栗美二、
出演・山田五十鈴(お雪)、原駒子(おきん)、夏川大二郎(官軍・朝倉晋吾)、中野英治(佐土原健介)、歌川絹枝(おちえ)、大泉慶治(宮地與右衛門)、根岸東一郎(権田惣兵衛)、滝沢静子(お勢)、小泉嘉輔(儀助)、鳥居正(官軍大佐)、芝田新(横井慶四郎)、梅村蓉子(通子)
1935.05.30 浅草電気館 10巻 2,370m 1時間16分 白黒

折鶴お千

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映画を漫然と見ているうちに、それがいつしか惰性におちいり、次第に緊張感を欠いてしまい、ただ「流されて」しまうだけの状態になることを常に恐れています、それだけは避けなければと、注意しているつもりです。

不幸にして、たまたま、そういう「期間」に見てしまった映画が、たとえそれが、いわゆる「名作」と呼ばれる作品だとしても、ほかの多くの駄作に巻き込まれるかたちで、十把ひとからげ的に無感動に(正確にいえば、むしろ「無感覚」という感じかもしれません)スルーし、忘却という「ゴミ箱」に直行して、まったく印象に残っていないという苦い経験をかつて幾度も経験しました。

でも、また新たに意識を整えて再度見ればいいじゃん、とか言われてしまいそうですが、最初の出会いをこんな怠惰なかたちで損なってしまうと、あとはどうやっても「建て直し」ができない感じが以後ずっと付きまとってしまいます(そこは、ホラ、男女の出会いと一緒かもしれません)。

つまり、自分的には、その作品の存在を「見失ってしまった」ことと同じで、あとは他人の価値観や認識を借りて映画をなぞるだけという、自分の価値観や認識でスキャンすることに失敗したわけで、やはり、初めての作品に対する接し方はとても大切だと思うので、努めてそこは慎重に準備しなければと考えていますし、たとえば、自分なりの「基準」なども設けて鑑賞しています。

具体的にいえば、その映像作家の最良の作品を常に念頭に置くという方法なのですが、たとえば、溝口健二作品でいうと、やはりそれは「残菊物語」ということになるでしょうか。

晩年に海外で大いに評価された「西鶴一代女」や「雨月物語」や「山椒大夫」などは、たしかに優れた作品なのかもしれませんが、それは溝口健二の溢れ出る才気や優れた技術を誇示した作品というだけで、しかし、はたしてそれらが、溝口が本当に撮りたかった作品だったかといえば、それはまた別なハナシという感じがして仕方ありません。

やはり、「基準」という観点からすれば、献身と忍従によって自我を貫いた一途な明治の女を凄絶に描いた「残菊物語」が、やはり一頭地を抜いた作品ではないかと考えています。

この作品を筆頭に、ほか一連の「女性像」を描いた作品の系譜があるからこそ、「西鶴一代女」や「雨月物語」や「山椒大夫」が成立したに違いないと思っています。

しかし、こんなふうにして見た「折鶴お千」ですが、実は、そんな「基準」を設定してしまったことに、すぐに後悔した作品でもありました。

この「折鶴お千」には、あの「残菊物語」の衝撃も感激も残念ながらありませんでした、ただ、納まりどころのつかない苛立ちだけが自分の中にワダカマッテしまった感じです。

その「苛立ち」のひとつは、お千(山田五十鈴が演じています)の苦労・苦衷を最後まで理解することのなかった宗吉(夏川大二郎が演じています)の鈍感さが気になりました。

そこに溝口健二らしからぬリアリズムの欠如を感じたからかもしれません。

お千は、最初から脅かされるままに嫌々悪党の手先にさせられて、ときには騙す相手への餌として、その美貌や肉体を提供させられ、ずるずると悪事の加担を強いられてきただけの哀れな女です。

彼女自身に、悪事に対する才覚もその覚悟もあったわけではなく、ただ地獄のような屈辱的な生活から逃れたいという一心があって、やがて、同じように悪党たちから虐待される薄幸の孤児・宗吉への同情が次第に共感となって膨張・共振し、爆発してこの苦界から逃れることができるのですが、やがて、ふたりが居を共にし、お千が宗吉の学業を援助するという後半へつながっていくことを思えば、お千の気持ちのなかに憐れな宗吉に対する「ほどこし」の気持ちだけで居を共にしたわけではないことは十分に認識できます。

宗吉を支えることが彼女の生きる励みともなったその思いが強すぎて、一方で、彼らの生活を支えなければならないお千に、最初から生活の経済的基盤を確保するだけの生活能力が欠如していたこと(そのために、ふたりの生活の破綻はすぐにやってきます)を、当のお千自身が、当初はそれほど深刻には考えていなかった(認識すること自体ができなかったとも考えられますが)ことは理解できるとしても、それは、あくまでも「お千」なら「そう」かもしれないというだけのことで、将来は医学博士にでもなろうかという優秀な青年・宗吉もまた、ごく近い将来に自分たちの生活が破綻をきたすという予想や認識をできなかったとは、どうしても考えられないのです。

ましてや、かつて悪党たちの屈辱的な支配に甘んじていた頃の弱々しい(誰かに寄生しなければ生きていけない生活無能力者といってもいい)お千をつねに身近に見てきて、彼女の卑弱さを十分に知っていた宗吉が、やがて彼らのうえに襲い掛かる生活苦を、そのようなお千が支えきることができるなどと考えたとは、どうしても思えないのです。

ここまで書いてきて、ひとつの仮説が浮かび上がってきました。

悪党たちが、お千の美貌と肉体を散々食い物にしたように、宗吉もまた、お千の好意に寄りかかって、この都合がいい生活をできるだけ長引かせてやろうとしたのではないか。

宗吉の計画は、お千の不注意によって(客が財布を忘れ、届け出る前に彼女は捕縛されてしまいます)この都合のいい生活の破綻は意外に早くやってきてしまいますが、宗吉には、お千以上に世慣れた才覚があり(もともと優秀なのですから、当然の成り行きです)、すぐに次のパトロンを探し当て、将来への途を開きます。

この最後の部分、腹のなかで「舌」を出してほくそえむ宗吉を辛らつに描いたとしても、溝口作品らしさという意味でいえば、それこそ可能性の範囲なのではないかと考えました。

男たちから散々に食い物にされた哀れな女たちを描きつづけ、多くの優れた作品を残した溝口健二への共感が、自分にここまで妄想させたのだなと思いましたが、はたして本当に「妄想」だったのか、この作品が「回想」によって大きく括られていることが、始終気になっていました。

あの「回想」が、どういう意味だったのかといえば、それは、宗吉が、その栄達の間中、「お千のことをまったく忘れていた時間」のことだと思い当たりました。

最後の場面、宗吉が、たとえ取ってつけたように泣き崩れたとしても、「忘却」というその残酷な事実は、消しようがありません。

そのとき、不意に、むかし、加川良が歌っていた歌を思い出しました。

題名はたしか「忘れられた女」だったかとうろ覚えながらネットで検索したら、これは、マリー・ローランサンが作った「鎮静剤」という詩なのだそうですね。

you tubeで確認したところ、高田渡の歌っているものもありましたが、やはり加川良の歌のほうが、メロディの感じなんかがよくつかめるような気がしました。

自分も加川良の歌を聞いて覚えていました。

まさに映画「折鶴お千」のための詩なのではないかと思えるくらい、ぴったりした詩だと思いました。


「鎮静剤」
退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと哀れなのは 寄る辺ない女です。
寄る辺ない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。


(1935製作=第一映画社 配給=松竹キネマ)監督・溝口健二、監督補・寺内静吉、 高木孝一、 伊地知正、 坂根田鶴子、脚色・高島達之助、原作・泉鏡花 『売食鴨南蛮』、撮影・三木稔、撮影補・竹野治夫、岡田積、選曲・松井翠聲、装置・西七郎、美術・小栗美二、録音・佐谷戸常雄、録音補・室戸順一、三倉英一、照明・中西増一、普通写真・香山武雄、衣裳・小笹庄治郎、技髪・高木石太郎、結髪・石井重子、衣裳調達・松坂屋、解説・松井翠声、
出演・山田五十鈴(お千)、夏川大二郎(秦宗吉)、羅門光三郎・芳沢一郎(浮木)、芝田新(熊沢)、鳥井正(甘谷)、藤井源市(松田)、北村純一(盃の平四郎)、滝沢静子(お袖)、中野英治(宗吉の恩師・教授)、伊藤すゑ(宗吉の祖母)、
1935.01.20 帝国館 10巻 2,634m 96分 モノクロ/スタンダード シネマ・スコープ(1:2.35) 解説版

風船爆弾の戦果 ②

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いい機会ですので、さっそく「竹やり 戦果」のキイワードでネット検索をしてみました。
なるほどなるほど、予想していたとおり「正解」までは見つけることができませんでしたが、しかし、「まったく収穫なし」というわけではありません。

こんな片言のコメントを発見しました。

「竹やり・・・脱出したB29の乗員を刺し殺したり、パラシュート降下した味方日本人を敵と間違えて殺害した」
信憑性はともかく、そういうことなら、成行き上、「竹やりで刺殺」ということも十分に有り得たことかもしれませんね。

そこは、大島渚の「飼育」に描かれた世界を考えれば理解が早いのかもしれません。

しかし、実際に捕虜にしたまではいいとしても、扱いに持て余して、結局捕虜の命を絶ってしまえという考えに達したとき、その方法として、鍬・鋤での「撲殺」や、食事を与えずに放置して「餓死」させるとか、果ては「生き埋め」にするなど、差し迫った事態で選択される処刑(じつは「私刑」ですが)の方法なら、それこそ幾らでも考えられるのに(やがて終戦になって捕虜殺害の罪に問われ、戦犯として処刑されました)、それがなんでことさらに「竹やり」でなければならなかったのか、そこにこだわるところが、どうしても自分には理解できなかったのです。

あえて「竹やり」で刺し殺すことにこだわる必要などどこにもなく、あの「竹やり訓練」そのものがとても滑稽で幼稚っぽく、それでも、戦闘行為としても実効性のあるのだというポーズばかりのイカサマ性を、あえて信じる振りをしなければならなかった思考の脆弱さに、たまらない嫌悪感を覚えました。

写真に映っている「竹やり訓練」にいそしむ国防婦人会の婦人たちのその真剣な表情が、真剣であればあるほどますます嘘っぽく、いまにも皆うちそろって腹を抱えて笑い出すのではないかと思えるくらいの不自然な緊張感に満ちています。

本当は、砲弾や弾丸が飛び交う激烈な戦闘時に、「竹やり」なんかで悠長に敵兵を刺し殺したりできないことなど誰もが分かっていたに違いなく、しかし、それを嘘っぱちだとは言い出せない異常な空気のなかで、戦闘とはなんの関係もない「訓練」というまやかしの国民の義務が試される踏み絵のような単なる儀式にすぎず、従順を装って参加しなければ排斥される強迫観念によってすべてが支えられていたのだと思います。

それはちょうど、市民の本音である「不平」や「不満」を、強権が威嚇しながら「恐怖」によっていかに押し黙らせ、ひとときの沈黙を強いようとも、市民はうんざりしながら、「タテマエ」にひれ伏すように見せかけて、影ではその滑稽さの本質を見抜いて、陰口=流言蜚語(苦笑と嘲笑によって)という本音の反感と抵抗を密かに発信しながら、その面従腹背によって、無様な国家権力などとうに見限っていたのだと思います。

そういえば、「竹やり」がそれほど滑稽なものなら、もうひとつの作戦・「風船爆弾」だって、そうとう珍妙な作戦だなと、同じように自分などはずっと考えてきたのですが(この小論の最後で、その「珍妙な」を「卑劣」という言葉に訂正するのですが)、「捨て切れない本」のなかのもう1冊に、その思い込みを根底から覆すような衝撃的な内容の記述がありました。

それは、エヴリン・イリタニー著「ポート・アンジェルス 日本人とわが町」(TBSブルタニカ、1995.10.9)という本で、アメリカ・ワシントン州シアトルの北西に位置するポート・アンジェルスという港町と、江戸時代から戦前・戦中・戦後にわたる四世代の「日本人」との関わりを描いた本で、その内の戦中の章に「風船爆弾 ジェット気流がもたらした悲劇」という章がありました。

風船爆弾とは、気球に爆弾を括りつけて、気流にのせてアメリカ本土まで飛ばして爆発させ、アメリカ国民にダメージを与えようという気宇壮大、実にのんびりとした気の長い作戦で、当時のアメリカのメディアも、その悠長な滑稽さと間抜けさ加減を相当な揶揄と嘲笑で報じた記事を自分も読んだ記憶があるくらいで、その辺は「『竹やり』がそれほど滑稽なものというなら、もうひとつのこの『風船爆弾』だって、相当無害・無力な滅茶苦茶滑稽な作戦の象徴みたいなものだ」とずっと思ってきました。

しかし、この本を読んでからというもの、「無害」という部分は、ぜひとも訂正しなければならないだろうなと強く思うようになったのです。

それは1945年5月5日のこと、ピクニックをしていた若い婦人と5人の子供たちが、山中で原因不明の爆発によって全員が死亡するという事故が起こります。

やがて、その「原因不明の爆発」が日本から飛来した風船爆弾によるものと判明します。

ひとりの幼い男の子が、草むらの中にパラシュートがあるのを見つけ、好奇心にかられて触ったところ、爆発したことが分かりました。

太平洋戦争では日米ともに実に多くの人間が亡くなっています。それに比べたら、この子供たちの死など、とるにたりない実にササヤカなものだったかもしれません。

この本のなかに、遠慮がちに触れられているように、戦争の終結がもう少し早ければ、あるいは子供たちは、死なずに済んだかもしれないなどと、「遅かった原子爆弾」を恨めしげに惜しむ随分身勝手な部分もあります。

広島・長崎に投下された原爆によって死亡した多くの人々、あるいは幾多の戦場で命を落とした人々と、一人の若い米国婦人および5人の子供たちの命とを天秤に掛けて惜しもうという著者の倒錯した神経には、少なからず共感できない部分もありますが、それでも、若い米国婦人と5人の幼い子供たちが、ピクニックの途中で、邪気のない満面の笑みと命が突然の爆発によって断ち切られる不慮の事故に遭遇する残酷な場面には、正直胸をつかれる悲痛なものがありました。

これが、悠長で滑稽な「間抜けな作戦」の象徴ともいわれた「風船爆弾」が、太平洋戦争史上に唯一残した「戦果」の実体です。

本来なら、「戦果なし」として(それこそ、この滑稽な作戦の本来あるべき姿だったと思います)と脱力感だけを残して終わることで穏便に収束できていたものが、痛ましい戦果をもたらしてしまったことに、遣り切れないものを感じました。

殺意を漲らせた「敵」として襲い掛かってきたわけではない、戦争とはなんの関係もないイタイケな幼な児の命を奪うという、いっちょ前にもっともらしい戦果をあげてしまったことに対して、たまらない苛立ちと憤りを感じてしまったのだと思います。

間の抜けた発想の作戦なら、それなりの「人畜無害」の平和な横顔のままで完結していれば、ただの失笑で済まされたものを、子供たちを殺したこの瞬間から、この珍妙な作戦は、滑稽でも、間抜けな作戦でもない、陰険で邪悪な企みに豹変します。

誰であっても構わない、その不慮の死を企み、期待し、きたるべき「成果」を空想してほくそ笑みながら、せっせと爆弾作りに励んでいた少女たちの、陰険で邪悪な作業の意味をそのとき、はじめて悟らされたのだと思います。爆弾の組立作業にいそしむ取り繕ったその真剣さが、自分には、ただ鬱陶しく、たまらなく腹立たしかったのだと思います。

国家の対面と体裁だけを取り繕ったこんなにも愚劣な作戦、失笑と黙殺によって終わっていてもいいはずだった嘘とハッタリ、冗談とも付かないコケ脅かしのこの愚劣な作戦が、指し伸ばされた幼児のひと触れによって痛ましい惨状に一変し、実際には有り得ない痛ましい戦果をもたらしてしまったことに対して遣り場のない憤りに襲われました。

幼い男の子が、草むらの中に奇妙な風船を見つけて、物珍しさのあまり思わず手を伸ばして爆死したその悲痛な瞬間を、自分は「西部戦線異状なし」のあのラストシーン(熾烈な戦闘によって憔悴しきった青年が美しい花に心を動かされ思わず手をのばし掛けた瞬間に狙撃されて死ぬという悲痛な場面です)とダブらせていたかもしれません。

この章には、かつて「風船爆弾」を作っていたという当時の日本の少女たち(当然、いまは立派な老婦人です)の「のどかな思い出」の同窓会に一石を投じるように、あの事件を知る日系人が、米国婦人と5人の幼い子供たち人の平穏な日常を無残に奪った事実を知らせることで、死の重みを問う重厚な展開が描かれていきます。

さて、これでやっと胸の痞えがとれました。

こうなれば、いよいよ念願の「猶予していた本の処分」というやつを断行することができます。

まあ、これでやっと「2冊」という話ですけれどね、こんなことで、この本の山を消失させることができるのだろうかと、少し不安になったり、気が遠くなったりしますが、しかしまあ、ホント、やれやれです。

ただ、このスピード感を果たして妻が理解できるかどうか、むしろ「そっち」の方が気掛かりです。

それは彼女が、あの本の山から2冊分だけ減ったことの「事実」と「誠実さ」とに気づくかどうかに掛かっているわけですが、しかし、いままでの経験に照らせば、その辺は常に絶望しかなかった、と言わざるを得ません。


風船爆弾の戦果 ①

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読み終えたのに、なかなか処分できない本というのが数冊、本棚のいちばん下にまとめて置いてあります。
取って置いたからといって、別にどうするわけでもないのですが、捨てる決心がなかなかつきません。

部屋の狭さに対して、所有する本の冊数が限度を越え過剰になっているヤバイ状態を考えれば、このまま放置できない深刻な問題であることくらい自分でも十分に承知しているつもりですが、いまとなっては正直、どうすればいいのか、身動きのとれない状況に追い詰められている感じです。

それに、まるまる一部屋を自分の「ツンドク本」によって占領されて、活用したい部屋のスペースを失ってしまった配偶者にしても、本の山を見るたびに深い溜息をついて、「この本、さっさと捨ててよね」と苛立たしげに詰りますし、機嫌の悪いときなどは、「あんたって、ほんとビョーキよね」などと、まるで異常者扱いで詰りますが、不甲斐ない自分にも相応の疚しさがあり、最近はできるだけ妻と視線を合わせないようにしているくらいです。

ゴミの日、たまたま自分が留守のときなどは、妻が、そこらにある文庫本を少しずつ処分しているらしいことも薄々承知しているのですが、当初、そのことを知ったときには、「怒り」と「黙認」のあいだで動揺したものですが、しかし、よくよく考えてみれば、所詮は複製物に過ぎない本のこと、どれほど捨てたって改めて入手する手段は幾らでもあり補充もきくわけで、要は「なに」を失ったのかさえ分かっていればそれで十分、さしたる問題でないことと納得したときから、鬼のような形相で逆上して言い募る妻に対しても、優しく微笑みかけて、冷静さを取り戻すように諭す冷静さで対することができるようになりました。

これなどはまあ、一種の達観の境地を得たとでも言っていいことかもしれません。

「物が命」の初版本蒐集のマニアの方には、こうはいかないと思いますが、なにせこちらは、情報重視の「廉価本蒐集者」にすぎません、「物質」にこだわらない分だけ、強みといえば強みなので、今後も、さらに買いまくる雑草のような逞しさで古本の蒐集に努めていきたいと考えています。

いわば「まだ読んでない本は、捨てるわけにはいかない」という一点が、自分にとっての課題です。

そんなある日、この「捨てられない」ことについて、自分なりにじっくり考えてみたことがありました。

「捨てられない」とは、いったいどういうことなのだろうか、逆に、読み終えたとき、その本のなかに心に響くものがなければ、右から左にさっさと処分できている現状を考えれば、少なくとも自分は、なにもかもが捨てられないという「性癖」の持ち主ではなく、「捨てる」こと自体には別段こだわりを持っているわけではありません。

だとすれば、読了後の本が特に捨てられないという理由、つまれり、その本の感動した部分をなんらかの形で残しさえすれば、あとは捨ててもいいというわけで、多分そこのところが満たされていないから、躊躇したり、抵抗を感じたりしているのだと思います。

つまり、「まだ読んでない本は捨てられない」という部分と、読了した本の、その「感動」した部分を残すということができれば、難なく捨てられるのだということに気がついたのでした。

そういうことなら、「映画」に対する自分の思いとか、していることとかに重なる部分が、かなりあります。

そもそもこのブログを始めた切っ掛けは、映画を録画した本数が過剰になって、見るのが追いつかない、ストックばかりが増えて消化できないことに苛立ったことから始めたものでした。

そして、見終わった作品のその感想をなんらかの形で書き留めたいと思っても、相応しい場所がないという状況に膠着感を抱いたことから発した結果だったと思います。

一方では、自分が見て感動した映画作品の納得できる情報が(たぶんマイナーな作品が多かったからだと思いますが)ネットでは、まだまだ少ないことに物足りなさを感じていて、自分の感動したことや失望したことなどの記憶を、形のあるものに留めておきたい、その記憶保存ができれば(文章にするということですが)自分のなかのモヤモヤを発散できるような「発信」をすることができないかと立ち上げたのがこのブログであることを思えば、「読書」(あえて言えばツンドク本の解消)についてだって、これと同じことで解決の道筋がつくのではないかと考えた次第です。

そこで適当な本を書棚の最下段から取り出して、この方法(いわば、「捨てる」ことを自分に納得させるために必要な禊的な儀式ということですが)を試みることにしました。

適当に選択した本は、川島高峰著「銃後-流言・投書の太平洋戦争」(読売新聞社、1997.8.15)という本です。

太平洋戦争開戦から終戦の玉音放送に至るまでの期間、日本国内で広まった「流言」や、匿名の「投書」に書かれた内容を時局ごとに紹介して、その間の民情の動向を分析しようという大変興味深い内容の本です。

タイトルだけ見ても、なかなか面白そうな本じゃないですか。

緒戦の真珠湾奇襲攻撃の大成功に世論は沸きかえり、その時流に遅れまいと新聞等のメディアはコゾッテ世情を煽りたて(進軍を躊躇する軍部に対して、逆に恫喝的な記事を書いて戦線拡大、つまり更なる「侵攻」を促すようなものさえあったそうです。

しかし長期戦になるにつれて、陸海軍の覇権争いに加えて、未熟な統制の結果、戦局を悪化させて数々の大敗を重ね、次第に戦局の危機的な状況が明らかになるにつれて、大衆は苛立ち、民情が著しく悪化していきます。

そうした推移をこの本は「流言」や匿名の「投書」のなかに求めようとしているわけですが、しかし、なんといってもそこは所詮ネガティブな「流言」や匿名の「投書」のたぐいです、ほんの少しは逆説的に世情を反映しているとはいえ、「匿名」という隠れ蓑に隠れて、「本音」を憎悪で過大にみせたり、世の中をハスに見た極論のその場かぎりの無責任な言いっぱなしだったりと、ハナシ半分に聞いたとしても、さらに歯止めの効かない誇張された嘘臭さがつきまとっているわけで、自分もその辺は、ほとほと辟易しました。

そういえば、以前にもこれと同じ感じを覚えたことがあります。

2チャンネルの書きっぱなしの投稿をそのまま本にしたもの(「私が逝った理由」みたいなお色気ものでしたが)を読んで、その言いたい放題の進展のないイカガワシサには、心からうんざりさせられたことがあって、ちょうどあの感覚と少し似ていたかもしれません。

しかし、それでも「銃後-流言・投書の太平洋戦争」を最後まで読み通させた「チカラ」が、この本には確かにありました、それがとても印象深かったことを覚えています。

ここに掲載された数々の具体的な「流言」や匿名の「投書」の記事が、どれも「特高月報」(内務省警保局編纂)という本に掲載された記事からの引用なのだそうです。

「特高」といえば、作家・小林多喜二を拷問して虐殺した例のあの悪名高き特別秘密警察のことですよね。

そして、ここに取り上げられている「流言」は、「特高」の刑事が、職人や行商人などに変装して街の雑踏にまぎれ、ひそかに市民の会話を立ち聞きして(つまり「盗聴」です)、そこで不敬的言辞や反軍的言辞を耳にすると、ただちに逮捕したとされています。

そして、その取調べについては、とくに戦争遂行に支障をきたす反戦的な思想犯に対して苛烈な拷問におよんだのだろうと思います。

つまり、戦争遂行に不満を持つ者や異議を持つ者の反戦・反軍的な日常会話に聞き耳をたてて片っ端から根こそぎ逮捕したのだそうです。

こうして常に官憲から監視されているという恐怖心が、さらなる恐怖心を増幅させ、やがて「隣組体制」や「国防婦人会」などを基にして市民が市民を監視するという「密告」や「告げ口」のはびこる社会、相互監視体制社会ができあがり、ついに物言えぬ恐怖社会が形作られていったのだと思います。

そういえば、戦中の写真に町内会で行われた「竹やり訓練」を写したものがありますが、あれも、そうした相互の監視体制のギスギスした雰囲気のなかで強制的に行われたものだったのでしょう。

しかし、あの「竹やり訓練」を「させた側」も「させられた側」も、どこまでそれが実効性のあるものと信じたのか、そもそも、進攻してきた米兵をその「竹やり」で実際に刺し殺した事例が1件でもあったのだろうか、自分は常に疑問に思っていました。

十日間の人生

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サラリーマンの「悲しいサガ」とでもいうのでしょうか、だらだらと惰眠をむさぼりたいような土曜・日曜の朝でも、平日と同じ起床時間にはきっちり眼が覚めてしまいます。

舌打ちのひとつでもして寝なおそうかと思うのですが、既に「出勤モード」になってしまっているカラダもアタマもますます冴えていく一方で、朝の光の眩しさもあり、こうなってしまっては、改めて寝付くことなど、到底できません。

しかたなく、いつもベッドの傍らに置いてあるタブレットを引き寄せて、最近ちょっと習慣になっているyou tubeにアップされている映画を、ゴロゴロしながら見ようかと検索をはじめました。

土曜日の朝の起き抜けにベッドでゴロつきながら、特にすることもないので、「名作映画でも見ようか」などという発想自体、ひとむかし前には、とても考えられなかったことですよね。

かつては、数年に一度しか見るチャンスが訪れないような「名作映画」を見逃すまいと、プログラムに合わせてわざわざ有給休暇をとり、京橋の「フィルムセンター」や「並木座」、池袋の「文芸地下」にまで駆けつけて、長年の思い(自分的には、まさに「百年の恋」状態です)をやっと果たせたなどということを繰り返していたあの頃とは、実に隔世の感があります。

ですので、作品そのものの客観的な評価よりも、抱き続けたその作品への個人的な思いの方がよほど強くて、「邂逅できた」という達成感がなによりも優先し、明滅するスクリーンを見つめる歓びに浸れるだけで十分、その作品が面白いかどうかなど実は二の次で、世間の「評価」など自分にはどうでも良かったのだと思います。

考えてみれば、子供の頃、夜の学校の校庭で行われた「映画上映会」で、風にハタメク布のスクリーンを驚きの目で見つめていたあの無垢な「視線」が持続していたのは、有給休暇をとって見にいった「フィルムセンター」までが最後だったかもしれません。

驚くべきデジタル化の進歩によって、レアな名作映画がいつでも手にはいり、幾らでも見られる環境になった現在、自分はいまでも、一本一本の「映画」を、あの頃と同じように緊張感をもって大切に、そして慈しんで見ているだろうかという忸怩たる思いと、さらなる迷いとに捉われ続けています。

しかし、「失ってしまったもの」があるということは、逆に、「得るもの」だってきっとあるに違いないと信じて、これからも自分なりに映画に対峙していこうと思っています、いや、いくしかありません。

さて、タブレットを手にしながら、そういえば、少し前に内田吐夢の「限りなき前進」(小津安二郎の原案と聞いています)を見かけたのを思い出し、いろいろキイワードを駆使してあれこれと探してみたのですが、どうしても見つけ出せません。

しかし、インターネット検索の面白いところは、あちこちと探していくうちに、当初の目的からどんどん外れていきながらも、むしろそこで思わぬ拾い物をすることもあるので、「当初の目的」などにいつまでも拘っているつもりはなく、そのときも偶然に渋谷実監督の「十日間の人生」に行きあたりました。

この作品に対する予備知識など、まったくありませんでしたが、見ているうちにその風格みたいなものは、すぐに感じ取れました。

そして、見終わったあと、実に優れた作品にめぐり会えたものだという喜びも噛みしめることができました。
しかし、「予備知識が、まったくなかった」という意味は、「調べなかった」ということではなくて、「調べたけれども資料がまったく存在しなかった」ということなので、それは、さらにインターネット上での「情報の貧弱さ」にもそのまま通じていることが分かりました。

それはまた、監督・渋谷実の現代の評価(御三家、五大名にさえ入っていないという意味での無名性です)にも、たぶんそのまま反映されていて、かつて「エスプリの効いたシニカルな笑い」によって高く評価され、また、当時の観客動員数においても小津安二郎や木下惠介に対していささかの引けもとらなかった監督・渋谷実が、いつしかこの松竹二大巨匠に大きく水をあけられ、凡庸な小市民映画の監督に成り下がってしまった理由が、自分には、この1941年作品「十日間の人生」のなかに潜んでいるような気がして仕方ありませんでした。

あっ、それからもうひとつ、この映画で、親に捨てられた孤独な娘役を演じている主演の田中絹代の「発声」についてです。田中絹代って、こんな声だっけ?と思わず隣の人に聞いてしまいたくなるような意外なほどの野太い声に、なんだか彼女の演技の工夫みたいなものが感じられ、そういえば、なにしろ、この前年には「浪花女」による溝口健二監督との出会いがあったわけだし、などとその辺をあれこれ妄想する楽しみは、大いに尽きることがありません。

さて、この作品を、どこから語り出せばいいのか、しばし考えました。

ただ、そもそもこの作品の「あらすじ」というものが、驚くべきことにインターネットには(もちろん、「書籍」的には、なおさらですが)存在しないのです。

作品の理解には「あらすじ」というものは、実に大切なものなのです、特に自分にとってはね。

ですので、この作品「十日間の人生」の「あらすじ」(ネットに存在しないので)をざっと書いてみますね。

船員が三人しか乗ってない小型漁船が、遠洋漁業から帰ってきて、いままさに古巣の港に入港しようとしています。

船の船長(井上正夫が演じています)は、この航海を最後に船乗りを辞めようと決めており、陸にあがって、いよいよ最愛の息子と暮らせるというので、嬉しくて仕方がない様子が描かれています。

一方、工場で働いている羽振りのいい息子・篤一(高田浩吉が演じています)の方は、親爺ほどには同居を喜んでいるようには見えません、「別にどっちでもいいや」というドライな感じで描かれています。

また、宿屋の女中として働いているヤス(田中絹代が演じています)の元に、やつれた父親(水島亮太郎が演じています)が訪ねてきます。実は、ヤスは明日、極北の地・エトロフ行きが決まっていて、彼の地で働く契約の金は、鉱山の投資で失敗した父親の借金の返済に既に充てられたことが、ふたりの会話で仄めかされます。

不甲斐ない父親は、「お陰ですべて無事にすんだよ」と娘に弱々しく礼を言い、娘はほっと安心しながら、父親の「他人行儀」をなじりますが、実は、その父親は、孤児だったヤスを拾って育ててくれた赤の他人=恩人であることが後で明かされます。

やがて、父親が去り、残していった置手紙には、「さらに事業に失敗したこと、最早自殺するしかないこと」が書かれており、ヤスは父親のあとを追って必死で港を探し回ります。

一方、たまたま、父親の自殺の現場に行き合わせた船員と篤一は入水の音を聞きつけ、船員だけが海に飛び込んで父親を引き上げますが、いっとき遅く父親は絶命します。

船員は、一緒に篤一が飛び込んでいたら父親は助かったかもしれない、新調した服が濡れるのが嫌だったのかい、とからかいますが、彼が意気地なしであることは、誰よりも篤一自身が痛いほど分かっていたことでした。

父親の葬儀を済ませた後、船長は、身寄りのないヤス(葬儀のため、エトロフ行きは一週間延期されました)を一時引き取って同居しますが、ヤスに対して疚しい気持ちをもつ篤一は、世話をやこうとする彼女の親身を悉く拒絶します。

船長は、息子と住む空家を探しているとき、同行した船員から、父親が自殺したときに篤一がとった行動(なにも出来なかったこと)を知らされ、不甲斐ない息子に「そんなやつは、自分の息子ではない」と激怒し、激しい言葉でなじります。

深く悔いた息子は、ヤスに代わりエトロフ行きを決め、「親爺の世話をたのむ」とヤスに話します。息子と同居することをあれ程楽しみにしていた船長の気持ちを知っているヤスは、激しく断りますが、「自分の気持ちが済まないのだ、北の地で自分を鍛えなおしてきたい」と、ヤスを無理やり納得させます。

船主の平田(河村黎吉が演じています)から、ヤスに代わって篤一がエトロフ行きを契約したことを聞き知った船長は、急いで港に駆けつけ、「そう決心しただけで十分だ。お前はもう腑抜けなんかじゃない」と息子を押し留め、海に慣れた自分こそが、エトロフ行きには相応しいのだと言い残して、若いふたりの見送りを受けながら北の海へと旅立っていきました。

どうです、まるで、リリアン・ギッシュでも出てきそうな、素晴らしいシチュエーションじゃありませんか。
「あらすじ」だけで、こうも感動させてしまえるのですからね。

ここではただ、万感の思いを抱いて船出する船長に、「ありがとね」と手を振る息子と若き娘(娘は、若いに決まってますが)の幸福感を胸いっぱい味わえばいいのであって、それ以外のなにか余韻のようなものを求めたりしてはなりません。

ここには、「東京暮色」のラストシーン、北海道に旅立つ山田五十鈴と中村伸郎の敗残のやる瀬なさも、「二十四の瞳」の貧しさから学校を退学し奉公を余儀なくされた教え子との別れの痛恨もあるわけではなく、そもそも「そういう映画」ではないわけですから。

そうそう、うっかり書き忘れるところでした。

このストーリー、以前どこかで聞いたことがあるなと、なんとなく考えていたのですが、やっと思い出しました。
「最後の一葉」で有名なオー・ヘンリーの「賢者の贈り物」です。

貧しい夫妻が、互いにクリスマスプレゼントをしようと思いますがお金がない。

妻は、自慢の長い髪をバッサリ切って売り、そのお金で夫が愛用している金時計の鎖を買い、夫は、妻が欲しがっていた鼈甲の櫛を買うために、自慢の懐中時計を質に入れて金を作ります。

クリスマスの夜、ふたりは、失なわれた物のためのプレゼントを前にして、やるせないため息をつきますが、オー・ヘンリーは、物語の末尾で

「東方の賢者は、ご存知のように、 賢い人たちでした、すばらしく賢い人たちだったんです、飼葉桶の中にいる御子に贈り物を運んできたのです。 東方の賢者がクリスマスプレゼントを贈る、という習慣を考え出したのですね。 彼らは賢明な人たちでしたから、もちろん贈り物も賢明なものでした。たぶん贈り物がだぶったりしたときには、別の品と交換をすることができる特典もあったでしょうね。さて、わたくしはこれまで、つたないながらも、アパートに住む二人の愚かな子供たちに起こった、平凡な物語をお話してまいりました。 二人は愚かなことに、家の最もすばらしい宝物を互いのために台無しにしてしまったのです。しかしながら、今日の賢者たちへの最後の言葉として、こう言わせていただきましょう。 贈り物をするすべての人の中で、この二人が最も賢明だったのです。 贈り物をやりとりするすべての人の中で、この二人のような人たちこそ、最も賢い人たちなのです。 世界中のどこであっても、このような人たちが最高の賢者なのです。 彼らこそ、本当の、東方の賢者なのです。」

と結んでいます。

「賢い」と「賢者」という言葉を連発しているところを見ると、オー・ヘンリーは、このふたりの行為を非難はしていないみたいですが、実際のところは、よく理解できません。

多分、行き違いよりも、「物」を失ったこと(わが身の犠牲)を評価して、そう言っているのではないかという気がするのですが、さらに貧乏になったとはいえ、「誠意」は、充分にお互いに伝わったわけなので、このことによって夫婦仲が悪くなるということは考えにくいと思います。

愛するためには、それなりの犠牲を必要とするのだということなら、なんだか「十日間の人生」にも通じる部分があるかもしれません。

(1941松竹・大船撮影所)製作担当・磯野利七郎、監督:渋谷実、原作:八木隆一郎「海の星」、脚本:斎藤良輔、撮影:長岡博之、音楽・前田王幾、美術:浜田辰雄、編集:浜村義康、現像・宮城島文一
出演:井上正夫(船長)、田中絹代(ヤス)、高田浩吉(篤一)、水戸光子(あや)、山田巳之助(辰吉)、河村黎吉(平田)、斎藤達雄(浅間)、水島亮太郎(ヤスの父)、笠智衆(巡査)、飯田蝶子(下宿の内儀)、岡村文子(港屋の女将)、草香田鶴子(港屋の女中とめ)、高松栄子(雑炊婦)、出雲八重子(雑炊婦)、青山万里子(雑炊婦)、水上清子(雑炊婦)、若水絹子(盛り場の女)、忍節子(盛り場の女)、東山光子(盛り場の女)、磯野秋雄(射的屋の客)、青野清(床屋のおやぢ)、油井宗信(船員)、松本行司(船員)

製作=松竹(大船撮影所) 1941.04.01 国際劇場 8巻 白黒

時よ止まれ 君は美しい

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最近は、不景気な閉館のニュースしか耳にしない名画座ですが、自分が学生の頃は、まだまだ二番館、三番館とよばれる映画館が、都内各地に目白押しに散在していました。

それはまさに、「嫌というほど」という形容詞をつけたくなるくらいのものだったと思います。

そこではたまに、古典と呼ばれる「名作映画」が上映されるので、それをとても楽しみにしていました。

その名作映画群が、幾館でもプログラムされたときは、まる一日掛けてあちこちの名画座を渡り歩いたものでした、いわば、名画座のハシゴですよね。

そこでは、ジュリアン・デュヴィヴィエの「望郷」1936だとか、「舞踏会の手帖」1937なども掛かっていて、もちろん、ヌーヴェルバーグの映像作家や批評家たちからは、デュヴィヴィエの作品が手酷い批判を浴びていたことは知っていましたが、しかし、自分は、むしろ彼のミエミエの通俗さをこそこよなく愛していたので、当時の進歩的な「映研」のトレンドには同調できず、授業を抜け出してはひとり、デュヴィヴィエ作品を見に行ったものでした。

その若きヌーヴェルバーグの作家たちのデュヴィヴィエ対する嫌悪感を知ったとき、日本人とフランス人とでは、「通俗」というものに対する考え方がずいぶんと違うのだなということを強烈に感じました。

ちょっと古いフランスの小説なんかを読んでいると、「プチブル」という中途半端な階級の日和見性を徹底的に嫌悪する、滑稽なくらい潔癖な共産党びいきの親爺というのが、たまに登場したりするじゃないですか。

そういえば、フランス映画の喜劇のつまらないことといったらありません、ルイドフュネスの生真面目すぎて崩れきれないところが、自分にはどうしても笑えませんでしたし、あの感覚は日本人には絶対理解できないと思う。

あれと同じだなという感じで、しかし、いい年こいたその幼児性には、苦笑でちょっと頬が緩んでしまう反面、嫉妬めいたものもないではありません。

自分の友人にも、「オレは純文学しか読まない、探偵小説やミステリー小説などという、あんなくだらないものは絶対嫌だ」というのがいますが、(探偵小説やミステリー小説にしたっていい作品なら山ほどあるのにモッタイナイ)そんなに頑なにならなくてもいいのではないか、ひとつのジャンルを偏見で、そんなふうにマルゴト拒否すると、結局損をするのは自分なのにな、という憐れみの感情がある一方で、そのような乱暴な思い込みだけで世界を理解しようとする強引な決然さには、憧れみたいなものも正直のところ、あるにはあります。

さて、「望郷」や「舞踏会の手帖」ですが、もちろん、それらの作品は当時としても、こてこての古典映画とみられていたし、自分としてもヌーヴェルバーグや、アメリカン・ニューシネマの諸作品とは明らかに異なるもの、いわば古色蒼然たる作品として位置づけて見ていたわけですが、そのことについて、最近、よく考えることがあります。

例えば、それらの作品を見ていた当時の「その頃」を仮に「1970年」と設定した場合、かの「望郷」や「舞踏会の手帖」なんか、せいぜい三十数年前の映画にすぎなかったわけですよね。

なにが言いたいかというと、いま現在の「2016年」という年を基準として考えた場合、その「三十数年前」は、「1970年」どころじゃない、もっと現在に近づいたところに位置するわけで、自分が「望郷」や「舞踏会の手帖」を見ていた状況と、いまの人が「イージー・ライダー」や「真夜中のカーボーイ」や「明日に向かって撃て!」を見ることと「同じ」なのかと考えたとき、デュヴィヴィエ作品も含めたあれらの作品は、(見る人が見れば)実は決して「古色蒼然」なんかじゃなかったのだということに気がついたのです。

つまり、「古典映画」なんてものは、最初からなかったのだと。そうした括り方をすること自体、単なる思い込みや偏見にすぎなくて、「見る」ときこそが、常に「いま」だったのであって、なぜ「あの時」もっとヌーヴェルバーグやアメリカン・ニューシネマをトレンドにのってつきつめて、もっと徹底的に見ておかなかったのかと悔いる気持ちが湧いてきました。

結局、それもこれも自分の「へそ曲がり」がもたらした天邪鬼からきたものなのだろうなということで一応の結論に達した次第です。

とはいっても、いったい何が言いたかったのか、自分でももうひとつ分からないような・・・。

「一番美しく」と「真空地帯」のあいだ ②

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その夜は、こんな話から始まりました。

先年亡くなった小沢昭一が、終戦間際に海軍兵学校に入った話は有名ですよね、その理由ってのを知っていますか、と大橋さんが訊ねてきました。

僕の「知る」とか「知らない」とかの答えなんか待つこともなく、間髪をいれずに大橋さんは続けます、「実はね」と。

実はですね、海軍の鉄拳制裁って有名じゃないですか。
いまでもその伝統は、自衛隊に受け継がれているとかいわれてますよね。あれって新参者や弱者をいたぶり踏みつけにして鍛え上げるという日本独自の人間形成のためのいじめの伝統で(そういうのを「おためごかし」というのですが)、いまでも自衛隊では、そのシゴキに耐えられなくなって自殺者が出るとかいわれているくらいです。

そこで、小沢昭一は、「殴られるより、殴る方に回ろう」と思い、海軍兵学校に入ったというのです。

まともに徴兵検査で入営すれば、日々ぶん殴られたり、殴り合いをさせられて、あるいは柱にしがみついてミンミン鳴く蝉とか、両腕で体を支えて血の気がなくなるまで宙で脚を漕がされる自転車漕ぎとか、いじめの手段は幾らもあって、そうした地獄のような一日を終えた憔悴しきった新兵たちがやっと寝られるというとき、消灯を知らせるラッパの音が「新兵さんは可哀想だね、また寝て泣くのかよお」と聞こえたというのです。

「どうです、面白い話でしょう?」と大橋さんは得意気に言うのです、自分としては別に面白い話だとも思いませんが、「じゃあ、山本薩夫の『真空地帯』って、そういう映画だったわけですね」と振ってみました。

「そうですよ、あの作品で描かれていることが軍隊の実体だったんだ」と大橋さんは、感に堪えるように答えました。「そして、あの作品は、戦中に作られた雄々しい数々の国策映画に対するアンサー映画の意味もあったと思いますよ」

その言葉から、ふっと、遠い時間に埋もれたままになっていた「黒澤明だって、『一番美しく』という国策映画を撮っているじゃないか」というかつての言葉を思い出したのでした。「本当に、そうだろうか」という疑問とともに。

実は、自分が「一番美しく」という作品を思うとき、必ずいつも一緒に想起する映画があります。

水木荘也の「わたし達はこんなに働いている」というドキュメンタリー映画です。当時「国民映画賞」というのがあって、それを受賞した作品だとかで、それなりに優れた作品だったのだと思います。

そして公開はなんと日本が敗戦する一ヶ月前の1945年6月28日、海軍衣糧廠で働く女子挺身隊の必死の働きぶり・生活ぶりをリアルに描いたもので、いわゆる「国民総動員映画」なので、国民の戦意を鼓舞する作為が込められているのは、たぶん確かでしょうが、しかし、それを差し引いても、ここには当時の逼迫した「状況の真実」が迫真の緊張感で描き込まれています。

資料から、この映画の解説部分を引用してみますね。
《海軍衣糧廠に働く女子挺身隊員の活動記録で、七つボタンの予科練服をはじめ、一日平均7~8枚の軍服を縫いあげるため、少女たちは一分一秒も無駄にしないようにと、必死の活躍である。カメラはそれを表象するかのように、齣おとしで撮影しているから、映写される画面は、人物がゼンマイ仕掛けの人形のように、起居進退ともに走り廻っている。アナウンスもややかすれた健気な少女の声で、「わたしたちはこんなに働いているのに、なぜ、サイパンは陥ちたのか」と、眼に見えぬ怒りをぶちまけており、仕事の最中にミシンの針が折れた少女の一人は、ミシンの上に突っ伏して泣き出す。
この映画が作られ公開された頃は、サイパンが陥ち、硫黄島が占領され、連日のようにアメリカ空軍機が編隊で来襲し、日本各地の都市や軍事基地が次々と爆撃されていたのである。五体満足の壮年男子はほとんど軍務に徴発され、隣組の婦人たちは竹槍訓練や防空演習に連日奔走し、少年少女たちはそれぞれの適性に応じて、軍需工場の労力奉仕にありったけの精根を尽くした。その間にも、敵は沖縄を陥として、本土の海ぎわにまで接近している。絶体絶命である。居ても立っても居られず、すきっ腹を抱えて走り廻らずにおられぬ状態を、齣おとしのフィルムは、痛ましいまでに表現している。
はたちになってもお嫁に行くなんて間違いだと思え、と監督教官が訓戒する。お嫁に行きたくとも、おじいちゃんや子供ばかりで、相手が居ないではないか。娘たちは文字通り一汁一菜の食事に餓えをしのぎながら、あの山のような仕事に、夢中になって取り組むことによって、明日なき現実を忘れようとしていたのであった。》
この切実な戦意高揚映画になんらかの「作為」があったとすれば、それは「齣おとし」くらしか思いつきませんし、それは彼女たちの奮闘振りを際立たせようとしたためなのでしょうが、ミシンに屈み込み縫製に奮闘する彼女たちの懸命さや、作業中に突然ミシンの針が折れて、切迫した緊張が一瞬途切れた少女が思わずミシンに突っ伏して悔しがる切実さのまえでは、そんな技術的な小手先の「作為」などなんら必要なく、ただうるさいだけの「無力さ」を明かし立てることでしかありませんでした。

むしろ、監督教官が少女たちに「(この戦時下に)はたちになってもお嫁に行くなんて間違いだと思え」と厳めしく訓戒する場面で、それまで謹聴していた少女たちが、思わず緊張がほどけてワッと恥らって笑う場面の瑞々しさ(少女たちにとって「お嫁にいく」こと、愛されて結婚することを夢見ることが、「戦時下」をさえ無力にしてしまうファンタジーであること)によって、この映画がきわめて健康な「戦意高揚映画」である以上の意味で、瑞々しい大和撫子たちの「高揚映画」であることを明かし立てています。
「一番美しく」の公開は1944年4月13日、この「わたし達はこんなに働いている」公開に先立つ一年前とはいえ、すでに北九州では空襲があり、そろそろ本土にも拡大する兆しがみえてきて、いよいよ「本土決戦」の噂も囁かれはじめた時期です(サイパン玉砕は報道管制によって、事実はしばらく抑えられました)。

「一番美しく」は、精密なレンズの検査作業を任された作業において、気の緩みから未修正のレンズを紛らせてしまった少女たちが、作業員としての矜持をもって全員一丸となり徹夜で探し出す作業をやり遂げる、いわばスポ根ものみたいなストーリーです。

この物語において、黒澤明は、少女たちに「人間の矜持」や生きる姿勢としての「完全」を求めたのだと思いますが、しかしこの作品に、あの「わたし達はこんなに働いている」において、「お嫁さん」の話にワッと沸く少女たちの瑞々しさと生々しさがあったかといえば、それは少なからず疑問というしかありません。

その意味において、「一番美しく」は、「わたし達はこんなに働いている」以上の「戦意高揚映画」とはなり得なかったというしかありません。

わたし達はこんなに働いている(1945朝日映画社)演出・水木荘也、撮影・小西昌三、構成・高木たか、18分 一番美しく(1944東宝・砧)監督脚本・黒澤明、製作監督助手・宇佐美仁、企画・伊藤基彦、撮影・小原譲治、音楽・鈴木静一、編集・矢口良江、美術・安部輝明、録音・菅原亮八、調音・下永尚、照明・大沼正喜、鼓笛隊指導・井内久、スチール・秦大三、出演・志村喬(石田五郎)、清川荘司(吉川荘一)、菅井一郎(真田健)、矢口陽子(渡辺ツル)、谷間小百合(谷村百合子)、入江たか子(水島徳子)、尾崎幸子(山崎幸子)、西垣シズ子(西岡房枝)、鈴木あさ子(鈴村あさ子)、登山晴子(小山正子)、増愛子(広田とき子)、人見和子(二見和子)、山口シズ子(山口久江)、河野糸子(岡部スエ)、羽島敏子(服部敏子)、萬代峰子(阪東峰子)、河野秋武(鼓笛隊の先生)、横山運平(寮の小使)、真木順(鈴村の父)、85分

「一番美しく」と「真空地帯」のあいだ ①

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話の前後のイキサツは、すっかり忘れてしまいましたが、ある人と数十年前に交わした会話の中で聞いたひと言が、折りに触れて、唐突に甦ってくることがあります。

それは、「黒澤明だって、『一番美しく』という国策映画を撮っているじゃないか」というものですが、それまで、「一番美しく」をそんなふうに考えたことがなかったので、まあ、それなりの「ショック」を受けたのだと思います。

つまり、「国策映画」の方にではなくて、あの作品を「そんなふうに考える人がいる」ということに対してです。

だいたい自分は、その頃だって、そして今でも、別に「国策映画」だろうと「迎合映画」だろうと別に全然構わないと思っていました、映画など、撮る機会があればトニカク撮ればいいし、そこでスポンサーからなんらかの要求があれば従う方向で検討するのがフツーだし、そこはできるだけ反映させてあげればいいくらいに思っていました。

そういうものは、ただの「条件」にすぎなくて、きっとほかにもクリアしなければならないもの(状況)なら、たぶん幾らでもあるだろうし、「スポンサーの要求」も「国家権力からの圧力」も変わることのないそのうちのひとつ(リスクかストレスかの違いだけで、もとよりそこには軽重の別などありません)いちいち律儀に負い目など感ずるほどのものでもないくらいに考えとけばいいので、重要なことは「映画を撮り切ること」であって、それがどんな作られ方をしようが、映画の本質とはなんら関係なく、その作品の本当の価値は、きっとその内部から自ずから立ち上がってくるものだと考えています。

黒澤明もこの「一番美しく」に対して、国家権力から執拗に干渉と検閲を受け、改変を強いられて憤ったという資料を読んだことがありますが、たとえそのような「改変」を強要されたとしても、それでも、自分は「一番美しく」がこの世の中に存在してくれていて本当に良かったと心から思っています。これは、映画を心から愛する者の本音です。

これはまたあらゆる映画づくりに関していえることだと思いますが、結果的に「国策映画」だろうと「迎合映画」だろうと、そんなものは自分的には全然構わないのです。

そのような無意味なレッテル貼りなど「映画」そのものにはなんの影響もおよぼさないし、作品そのものがすべてと考えている自分にとっては、作品を見もしないうちからそのような偏見で仕分けして作品に対するなど、むしろずいぶん失礼で臆病な見方だなと考えているくらいです、どんなカタチで撮られた映画であろうと、「実際に見れば」作品の優劣などすぐに分かるはず、しかし、そこはまあ、個人の好みというものもあるので、一概に「優劣」などと決め付けてはなりませんが。
「黒澤明だって、『一番美しく』という国策映画を撮っているじゃないか」と言った人に対して、当時、これだけのことを伝えられたかどうか、記憶も自信もありませんが、最近このことを思い出させてくれた出来事がありました。

話は少し飛びますが、わが社には、1年毎の持ち廻りで各職場から一名委員として代表を出して、会社のいろいろな問題を話し合う「職場改善プロジェクト」なるものがあります。

このプロジェクト、社長直属の秘書課がすべてとり仕切っている委員会ですので、いい加減にあしらったりすると、「あとで」怖い目に遇うおそれがあります、寒冷地への「異動」とかね。

「いろいろな問題」というのは、最近新聞などをにぎわせている事件を取り上げて、「わが社では、どうなってるの、大丈夫よね」とか話し合う意見交換会みたいなものです。

最近で言えば、歴代三社長のパワハラ圧力の恫喝に屈して虚偽の利益をでっちあげた「帳簿改ざん問題」とか、自分の財布と他人の財布の区別がつかない「守銭奴都知事問題」(そのセコさなんか、あの野々村でさえもマッツァオです)とか、女とみればすぐに手を出す桃色の噂が絶えなかったジャーナリスト気取りのおっさんが遂に秘事を暴かれて抗弁もできないという「色魔都知事候補問題」だとか(髪型も変だし、なにかというとしゃしゃり出てくる色情狂の女坊主が背後でうろついてなんだか薄気味悪いです)、責任者不在どころか押し付け合いの醜態を演じている「伏魔殿盛り土問題」とか(あっ、そういえばこれって都庁ばっかりじゃないですか。まさにお金の匂いにハエと蛆虫が群がる典型的な構図ですよね、そのうちに議会のお偉いさんの収賄事件にでも発展しそうな勢いです、どうもアヤシイゾー。
でも、怒って税金返せコノヤローって誰も騒がないのがなんだか不思議ですよね、どうなってるんでしょうかね、都民は?)、まあ、こんな感じで、「職場改善プロジェクト」は、はっきりいって一時間程度のなんてことない雑談で終わるのですが(もっとも、どの「問題」にしても恐れ多くて私らあたりが結論など出せる問題でもありませんが)、こんなダレた無意味な会議でも出席率は常に100%、社長も大満足です、というのは建前、皆さん、そのあとの「呑み会」(経費は、会社の「会議・研修費」として予算に計上されているそうです)が楽しみで、かえってオフレコのこちらの寄り合いの方がよっぽど有意義な話が交わされていて、自分などは、最初からここで話をさせて録音でもとれば、すごい成果があがるのではないかと常に思っているくらいです。
しかし、なにせ「予算」で呑もうというタカリ精神なのですから、「高級」とか「小ぎれい」とか「おしゃれ」などという店を期待してはなりません、また、そういう場所が似合うような面々でもありませんしね。

むしろ、汚いくらいの方が気の落ち着く貧乏性の私らですが、それにしても「程度問題」ということもあります、むやみに息をすれば悪い空気を吸って肺でも悪くしてしまうのではないかとか、手で触れたりすれば手から体にばい菌がうじょうじょ沁み込んできて悪い病気にかかって鼻でも落ちてしまうのではないかなどと危惧するくらいの、それはもう汚れ放題の楕円のカウンターの周りに、明らかに尻の幅より小さく作ってある椅子が隙間なくびっちりと並べられた席で(常識的な寸法なら二尻に三脚は絶対必要なはずの過酷な寸法です)、切り詰められた空間に押し込まれ、どうにも身動きのとれない一同が肩を並べて一斉に呑み始めるという壮絶な図ですが、これでもし火事でもおこったら端から静かに人間が燃えてくるのを、ジョッキ片手にただ眺めてじっと待っているしかないくらいの覚悟が必要な、微動だにできない殺人的な鮨詰め状態です。

冷静に考えればこれってシゴク恐ろしい話ですが、しかし、それを上回る「呑みシロ・ロハ」の圧倒的な魅力の前に皆の危機感は完全に麻痺して、死の恐怖も克服し、まさに死んでもいいやくらいの気持ちで(あっ、これって黒木華がCMで言っているフレーズと同じだ)、逆上気味に浅ましく、嬉々として憑かれたようにジョッキをあおり始めています。

自分の席は、経理の門口さんと資料課の大橋さんに挟まれていて、このおふた方とも既に65歳の延長雇用期間もとっくに過ぎており、さらに70歳まで勤めあげようかと頑張っている鉄人です(聞くところによると、70歳が年金加入のできる限度の年齢だそうで、それまでは働き続けて掛け金を払い続け、残された余生をできるだけ安心できるものにしようという計算なのだそうです、その見上げた了見というか魂胆というか、蟻さんのような堅実な心がけには尊敬とともに畏怖さえ感じますが、薄らぼんやりした自分などには、到底及びも付かないことで、願わくば、その70歳到達以前に皆さんの寿命が尽きることのないよう陰ながら切にお祈りを申し上げるばかりです)。

特に、資料課の大橋さんは、若い女の子には絶大の人気があって、女性だけの聖域・洗い場やトイレなどでは「死霊課のゾンビちゃん」という愛称で慕われているご仁です。
しかし、それって蔑称じゃね、などと若い男連中は眉を顰めますが、ご本人は一向に意にかいすることもなく、むしろ、そんなことは十分承知のうえで、ソトメには大変に喜んでおられるように見受けられ、たとえそれが会社にしがみつき続けるための涙ぐましい言い訳と健気なポーズだったとしても、それはそれで爽やかで凄いことじゃないですかと感心していますが、大橋さんの心の闇の深淵をのぞいたわけではなく、本当はどう感じていらっしゃるのかまではちょっと判断がつきませんが。

その大橋さんと隣り合って座れば、よく映画の話をしています。

会話していても変な緊張感がなく、大変話しやすいので、自分もついつい話し込んでしまいます。ほら、よく若い人たちと話すと、お互いに「知識のひけらかし合戦」みたいになって、ストレスばかり溜まってしまうあの寒々しい感じがとても嫌で、話した後の後味も悪く、そんな思いをするくらいならと、できるだけ若い連中の話の輪には入らないようにしていますし、ましてや彼らと「映画」の話などすることは滅多に、いや、絶対にありません。

それに比べると、(小心なくらいに)なにかと気配りをしてくれる大橋さんと話すのは、実に快適です、話の合間にうつ相槌も的確にして絶妙そのもので、とても優しくて、つい話しに夢中になってしまうのです。

あるとき、やはり例の「会議・研修費」持ちの呑み会でのこと、いつものように大橋さんと隣り合わせました(一説では、私らが皆から煙たがられているので、自然にこの組み合わせに落ち着いてしまうのだとか、たぶんそういうことなら、それで十分と最近はその「自然のなりゆき」に身をまかせています。

極道のロジック

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「職場改善プロジェクト」が終わったあとの飲み会で、資料課の大橋さんと黒澤明の「一番美しく」について話したことは、この前に書いたとおりですが、実は、時間的にいえば、会話全体の、それはほんの一部のことにすぎません。

ほとんどの時間を、タイトルにあるとおり「極道のロジック」について話しました。

「なんだ、そりゃ」と思われるかもしれませんが、別に唐突でもなんでもないのです。

大橋さんの叔父さんが、千葉の方で保護司をしていらして、その同じ保護司仲間にヤクザの社会に精通した「作家」の方(仕事柄なのかどうかは分かりません)がいるのだそうです、そのことは以前にも大橋さんから幾度か聞いたことがありました。

それまで自分は全然知りませんでしたが、お名前を向谷匡史という方で、結構著作もあって、わが社の社内研修でもその人の本を使ったことがあるのだとか(大橋さんが教材の調達の係をしています)、大橋さんは話していました。

「えっ、極道とビジネス、ですか?」と、その取り合わせがあまりにも奇異に聞こえたので、思わず聞き返してしまったくらいでした。

「おかしいですか?」と、大橋さん、「そら、嵌った」みたいなドヤ顔で満面の微笑です。

営業の交渉術とかもそうでしょうが、会社で生き抜いていくためには、相手を納得させて黙らせるくらいのロジックとか雄弁さで、強烈に自己主張することは絶対に必要なことじゃないですか。

すかさず「愛嬌も必要ですヨ」という私の進言をまったく無視して大橋さんは続けます。

そういう会話術みたいなことを、どんなに言葉を飾って上品にいうことは、幾らでもできるかもしれませんが、要するに相手を圧倒して黙らせて、自分の意見を押し通すことですよね。

それくらいできなくちゃ、会社では仕事の実績をあげられないどころか、仕事そのものを得るチャンスも掴みそこなうかもしれません、過当競争に生き残るって、それくらい厳しいことですよね、そういう意味では、残念ながら私もあなたも「敗残のおちこぼれ」の窓際族で出世とは無縁でしたよね。いえいえ、これはワルギで言っているのではありませんから。

ワルギでいわれてたまるか、コノヤロー。おおきなお世話だ。

しかし、こんなことで怒る自分ではありません、職場では、若い女の子たちから、もっとひどいことを(ワルギなく)気軽に言われていますから、もう慣れましたヨ・・・(さびしー)。

私の異変に気がついた大橋さんは、しばし話を中断して「大丈夫ですか」という目顔で首を傾げて覗き込んでいます、アイドルじゃあるまいし首なんか傾げたって可愛くなんかねえや、くそジジイ、とはまさか言いませんが、「いえいえ、大丈夫です、続けてください」と自分。

たとえば、ですね。(そうそう、まだ極道とビジネスの話、続いていたんですよね)

あまり想像したくありませんが、仮に、ヤクザに道で絡まれたとしますよね。先様は、脅かして金でも巻き上げようと考えています。

早い話、クライアントを二、三発殴っておいてから威嚇して、すごんで金を出させるというのが手っ取り早い方法と思うでしょうが、彼らはそんなことはしません。

そんなことをすれば傷害罪で逮捕されてしまうし、費用対効果からいっても暴力がいかに間尺にあわないかを一番よく知っているのが「暴力団」です。

ですから、彼らは、いかに暴力を用いずに済ませるかを常に考えている。

例えば、街頭でチンピラが若者に因縁をつけたとしますね。

「コラッ、黙ってりゃさっきから人のことをジロジロ見やがって、オレの顔に何かついてんのか!」

「見てません」と答える。

と、ここで先様は、「見てるじゃねえか!」とは、返さないで、

「てめえ、オレが嘘をついているとでも言うのか!」とくる。

「いえ・・・」

「じゃ、ジロジロ見てるってことじゃねえか」
つまり、「見た」「見てない」という次元での応酬を続ける限り、ただの水掛け論になってしまい、果ては煮詰まって「暴力」に行き着くしかない。それはまずい。

だから、ここは素早く論点を変えて

「見たと主張する俺の言葉がウソなのか」と、次元をチェンジして、違う角度から攻めにかかる。

それでなくとも怖い顔で凄んでいるヤクザに向かって

「あなたが、嘘を言っているんだ」とは言いにくいので、

つい、「ウソは、ついていません」と答えたならば、論理的にクライアントが「ジロジロ見た」ということになってしまい、結局、金を出させられる羽目になる。

すなわち、「正しいのはオレで、悪いのはお前」という構図をつくっておいて、

「オレに因縁つけやがって、この野郎!」とガンガン攻めて、「お詫び」として金品を巻き上げるというわけです。

これが、極道のロジック。

ええ

ヤミ金の取立ては、こんな感じです。

「違法金利です」と、債務者が主張したとする。

しかし、先様は、「どこが違法だ」と応じないで、すばやく「次元」をチェンジする。

「借りるとき、金利の話をしなかったか?」


「しましたが・・・」

「だったら納得ずくで借りてるんじゃねえか。てめえ、借りるだけ借りておいて、いざ返すときになってゴネるのか。無銭飲食と同じだろ!」

暴力を振るわず、「正しいのはオレで、悪いのはおまえ」というレトリックに取り込まれてしまうというのだそうです。
「はあ、はあ。そうですか。しかし、大橋さん、これと「ビジネス」と、どういう関係が?」とボケる私に、大橋さんは、さも「どこまでも分からない人だなー」という顔で、「だから、要は、押しと異次元転換というハナシってことですよ。」

などと苛立たしげに言い募るのですが、ますます、分からなくなってしまった自分でした。

「偽王の処刑」という生贄の祝祭

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「地獄の黙示録」について「たまごさん」から、とても含蓄に富むコメントをいただき、たいへんおもしろく読ませていただきました。

とくに、文中の「王殺し」のひとことなど、思わずグッときました。

自分は、最近、赤坂憲雄の「結社と王権」講談社学術文庫2007.7)というのを読んでいて、その本に書かれていることと共鳴する部分が少なからずあり、その意味からも、とりわけおもしろく感じたのかもしれません。

たぶん、そのおもしろさを説明するには、本からの引用(咀嚼できてないところはナマのまま提示するかもしれませんが)にかなりの部分を頼らなければならないと思いますが、できるだけ自分の言葉で、自分なりの感じたところを書いてみようと思います。

煩雑な註は、あえて表示を避けました。

ただし、当初は、「地獄の黙示録」との関連など、全然念頭になかったので、「やっぱり、関係なかったみたい」的な「結局、空振り」という事態も大いに予想されます。


これは単なる妄想にすぎないかも、という軽い気持ちで読んでいただければ、当方の気持ちとしても大いに楽なので、その辺はよろしくお願いします。

まず、「王権とは」という問いに、「王殺し」・「道化」・「偽王」・「祝祭」のモメントからアプローチしよう、といいます。

その「王権の象徴論的分析」の起点にすえるのが、山口昌男が示した四つの「王権の象徴性」の指標。

つまり、① 王権は非日常的な意識の媒体としてはたらく。② 「文化」を破ることで「自然」の側に移行し、力(マナ)を自分のものとする。③ 日常的な意識にたいする脅威を構成するゆえに、王権はつねにその基底に反倫理性をもつ。④ 日常生活における災厄を王権の罪の状況と結びつけることによって、災厄を祓う役割を王権に負わせることを可能にする。として、こんなふうに説明しています。

「王権とはいわば、共同体または国家に堆積する災厄・罪・穢れの浄化装置である。

それゆえ、潜在的なスケープゴートとしての王。

ルネ・ジラールによれば、王とは「この上もない違犯者、いかなるものも尊重することのない存在、残虐極まりないものであれ、『過剰』のあらゆる形態をわがものにする存在」である。

近親相姦その他のタブーの違犯をつうじて、王はもっとも極端な穢れを具有する存在と化し、そうして王国に堆積する災厄を一身に帯びることによって、原理的には祝祭における供犠の生け贄として殺害される殺害される宿命にある。

フレイザーの「金枝篇」に収録された、王殺しをめぐる習俗や伝承の破片は、いまも検証不可能ないかがわしい仮説として放置されている。」のだそうです。
王は、多くの場合、つねに自身が果たすべき役割を他者に転嫁する巧妙な装置を産出する。

そこに、王の身代わりとしての「反逆の王子」、道化または偽王(モック・キング)といった一連の主題群が登場します。

つまり、先に掲げた「王権の形は、王殺し・道化・偽王・祝祭といった幾つかのモメント」というやつですね。

そして、さらにこのように説明します。

「古代エジプトの最古の道化が、人間の棲む世界のはるか彼方の、幽霊や口をきく蛇のいる神秘の国からやってきた醜い小人であったことに注意したい。

ローマ帝国の富裕な人々が娯楽の目的で家に置いておくことを習慣としたのも、肉体的な畸型者(フリークス)であった。

道化は多く、その身心に不具性・異形性を刻印されていたのである。

中国の宮廷道化とかんがえられる宦官が、去勢されたグロテスクな容姿の男たちであったことを想起してもよい。

さらに、構造として眺めれば、道化と同様に供犠されるべき王の身代わり、裏返された王の分身であるモック・キング(偽王ないし仮王)について語らねばならない。」

さて、この王の身代わり、裏返された王の分身であるモック・キング(偽王ないし仮王)とはなにか。

ここからが、すごくおもしろいのです。

《モック・キングは祝祭(カーニヴァル)の時空における、仮の、いつわりの王である。

古代ギリシャのクロニア祭、ローマのサトゥルヌス祭をはじめとして、バビロニアやチベットのラサの新年祭にいたるまで、主としてインド=ゲルマン文化圏の祝祭のなかにはしばしば、その倒錯的な姿が見出される。

偽王は奴隷や賎民によって演じられた。

王冠をかぶった奴隷は王座のうえから命令をくだし、後宮の妻妾たちをほしいままに扱い、狂宴と蕩尽にふけったあげく、祭りの終わりに生け贄として殺害された。

偽王をいただく祝祭の場にあっては、さまざまな性の禁忌はとりのぞかれ、盗みは合法的となり、奴隷と主人は交代し、男と女は衣装をとり換える。

あらゆる秩序は好んで裏返され、社会的ヒエラルキーは逆転する。

さかしまの世界がそこかしこにくりひろげられるのである。

とはいえ、そうした儀礼的かつ遊戯的な役割転倒は、秩序の転覆といった事態を招来することなく、逆に規範と法を強化するための、王権的秩序そのものに裏側から組みこまれた制度であったとかんがえられる。》

つまり、

《偽王は、奴隷や賎民によって演じられ、狂宴と蕩尽にふけったあげく、祭りの終わりに生け贄として殺害される。この処刑によって、王権の規範と法は一層強化される。

偽王の存在も、そしてその処刑も、王権的秩序そのものとして裏側から組みこまれた制度のひとつであった。》というのです。

ということは、「地獄の黙示録」でいえば、カーツも、おそらくは殺す側のウィラードも、王権を担う者ではない「偽王」ということになり、秩序強化のために、ほんのひととき支配者の役を演じたとしても、結局は処刑台にのぼる者たち=偽王でしかありません。

それなら、真の王権たり得る者とは、いったい誰なのかというと、そのイメージは、すぐに浮かびました。

カーツが支配するという密林の奥地に足を踏み入れたとき、沈黙の異様な静さをもってウィラードを迎えた者たち、顔や半裸の全身をけばけばしい絵の具で不気味に塗りたてた沈黙のあの「被支配者たち=大衆」たち、なのではないかと。

彼らが、たとえ「愚衆」の無力の象徴のように描かれていたとしても、その彼らが生き延びるためには、道化を演じさせ、やがて処刑する「偽王」を必要としたのだということが、あの映画の最後で描かれていたのではないかと感じました。

もう何年も「地獄の黙示録」を見ていないので、ストーリーとか、「映像」のそのものの記憶の曖昧さなどは相当にあり、正確さという面では、「それって、どうなの?」的な心もとないものもありますが、「たまごさん」の「王殺し」のひと言から勇気をもらって、あえて強引にこじつけてみました。

岸辺の旅

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誰もが持っていると思いますが、自分にも、仕事上や趣味面で、信条(自分を行動に踏み切らせる切っ掛けというかジンクスみたいなものですね)としているものが幾つかあります。そのどれもが、あまりに思い込みのつよい幼稚なものなので、公言するのはちょっと気が引けるのですが、例えば、「いま考えていることに関連する事柄に三タビ遭遇したら、迷わず行動する」みたいな感じのものです。 最近、その「公式」にぴったりハマったことがあったので、ちょっと書いておこうと思います。 以前、黒沢清監督の「岸辺の旅」を見たとき、世間が評価するほどには、自分は、もうひとつ賛同できなくて、そのことがずっと気になっていました。 確かにこの作品「岸辺の旅」は、素晴らしい作品です。 ただ、自分の心情として、その辺をさらに正確に表現するとすれば、「確かに、素晴らしい部分のある作品です」くらいには言い直したくなる感じです。 そうでもしなければ、どうにも気持ちの収まりようがなく、この作品には何か大切なものが欠けているという思いでいます(あなたねえ、カンヌ国際映画祭で、ある視点部門監督賞を受賞しようかというすごい作品なのに、なにをいまさら「大切なものの欠落」でもないじゃないですか、と抗議されてしまいそうですが)。 そこで、最近経験した例の「三タビの遭遇」の方程式にハマッタことについてちょっと書いてみますね。 この作品について、自分が、このような「いまいち」懐疑の気持ちを持っていて、無意識にですが、折に触れネットでこの作品につていの「感想」を読む習慣が、いつの間にか身についてしまったかもしれません。超有名な人気作品ですから、その感想の量も膨大なのですが、あえて目についたものをランダムに紹介してみたいと思います。 「黒沢清監督のゴーストものだが、怖い映画ではない。」 「岸辺に住む人々のお陰で、妻は夫を理解し、本当の別れを迎えることができる、深津さんのラスト、素晴らしかった。」 「幽霊の存在・霊魂の可視化に挑んだゴーストものはひとつのジャンルと呼べる。」 「旅先でその地の人々と一緒に、楽しく生活する二人。だが、いつしか瑞希は、死者に対する想い出に介入して、人の心を乱してしまう。知らずにしてしまっことだが、結果的にそれらは、死者と生者の心の区切りを付けさせる為の一助となる。旅の目的はこういうことなのか。これが優介のお世話になった人々への恩返しであり、別れの儀式なのだ。」 「岸辺という生死の狭間をさまよう生き霊たち。そんな荒ぶる魂を鎮めるための、これは男と女、二人の道行きの物語。生者と死者(元生者)との激しい葛藤。とり返しのつかない言動が生んでしまった永遠の懐疑と悔恨を何とか成仏させたいという切なる願いを胸に、旅をする夫婦。」 「突然行方不明になり、そして死んでしまった人がどんなことを考えていたのか。そして何をしていたのか。どうしようもなく知りたいことのひとつだと思う。本作は死んだ夫の幽霊とともに旅をし、真実が明らかになっていくというストーリー。設定が設定だけに不気味で怖かったり突拍子もなかったりするが、主演二人の素晴らしい演技によってすんなり観られる大人の映画に仕上がっている。」 「映像や音楽、夫婦役の2人が美しい。自然の中のシーンも、室内での照明の感じも綺麗だった。途中、夫が妻に『泣きながらでもご飯食べていそう』と妻の芯の強さを表現。ラストシーンの深津絵里の表情でそのセリフに納得。大切な人をゆっくりと失う感じが切なかった。」 「死者に対して人は二度お別れを言わなければならない。肉体的なお別れと、精神的なお別れだ。」 なるほどなるほど、しかし、これら感想のどれも、自分の中に存在する苛立ちを解消してくれるものではありませんでした、むしろ、不信感を一層煽るようなものばかりというのが本音です。 つまり、自分を苛立たせるこれら感想の「大勢」が、この小文の出発点ということになるわけですが。 そこで、まずひとつ目の「遭遇」からいきますね。 ここのところ「日本映画専門チャンネル」で、今村昌平の「人間蒸発」を幾度か放映していて、機会があれば、繰り返し見ています。 自分的には、「繰り返し」、そして「幾度」も、絶対に見つづけるべき価値のある作品のひとつだと思っていますし、見るたびに得るものがあり、いままでその期待を裏切られたことはありません。 この「人間蒸発」を見ていて、とても印象深いのは、理由も告げず自分を置き去りにして蒸発(失踪)した「婚約者」を捜索する主人公「早川佳江」の執拗さです。 「婚約者」がどこへ行ってしまったのか、そして、なぜ失踪したのか、彼に失踪しなければならないほどの何があったのか、失踪について誰がどのように関与したのか、主人公の早川佳江は、失踪者=婚約者の最後の立ち寄り先や接触した関係者の誰彼構わず尋ねまわり徹底的に調べます。 当初、この作品がリアルに現実を捉えたドキュメンタリー映画だと信じて見ていた僕たちは、そのラストで、この作品がすべて「虚構」だと明かされたあとでも、「早川佳江」という人物像が、今村昌平やスタッフが企んだ架空のものであることを知ったあとでも、やはり、その執拗さには真に迫ったものがあり、それを「異常」とは思わせない観客を十分に納得させる「もの」が、そこにはありました。 たぶんそれは、理由も分からずに不意に婚約者を失ってしまった女性の「屈辱」と「納得するわけにいかない自責の念」だったからかもしれません。 自分は彼をあれだけ愛していたのだから、婚約者が失踪したなんてどうしても納得できない。少なくとも「失踪」なんて、絶対自分のせいなんかではない、何らかの理由で第三者が関与して彼を失踪に追い込んだに違いないという(自分を除外した)懐疑が、彼女を激しく突き動かし、「真相」を求める情熱となったのだと思います。 訳も分からず、突然、恋人や夫が、不意に自分の前から姿を消したとしたら、残された者はどのように感じるかの「リアル」が、映画「人間蒸発」には描かれていると思いました。 失うまでの相手を深く愛し、理解していたと確信していればこそ、「自責の念」や「屈辱感」より以前に、突然の「失踪」に対して、「何故だ」「どこへ行った」「誰かが企んで陥れたに違いない」という「早川佳江」の思いに到達できたのだと思います。それが、人間のごく普通の感情なのではないかと。 たとえ一度でもお互いに愛するという感情を共有したことがあり、だから生活も共にしてきた同棲相手が不意に姿を隠したことに対して、「なんで自分の前から消えたのだ」という共棲者として憤りを込めた痛切な思いに苦しめられたようには見えない「岸辺の旅」の妻・薮内瑞希が、自分には、どうしても「リアル」に欠けるように思えてならなかったのだと思います。 そして、ふたつ目の「遭遇」です。 会社では、自分は、偏屈とか、頑固とか、その他いろいろな言われ方をしていて、そのどれもが決して「いいふう」に言われておらず、また、もちろんそんなふうな理不尽な言われ方に同意できるはずもないのですが、ひとつだけ「無理もないか」というものがあります、「悪趣味」です。 わが課では、始業時にその日の「官報」を回覧していますが、「官庁の契約関係」とか「役所の人事異動」とかは、それぞれ別の課がチェックしているので、さしてわが課が関係するような記事はありません。 はっきり言って、わが課では、「官報」の回覧などは無用のことで、ただ惰性で行われている「慣行」にすぎないのです。 課員は、官報の頁を繰ることもなく、余白に閲覧印をさっさと押して、瞬く間に課を一周し、再び官報は自分の手元に戻ってきます。 さて、ここからが、自分が「悪趣味」といわれている所以です。 官報には、ほぼ毎日、市町村長名で公示される「行旅死亡人」という記事が掲載されています、いわゆる「行き倒れ」(病気や飢え・寒さなどのために、路上で倒れること。また、倒れて死ぬこと。また、その人。行路病者。いきだおれ。大辞林第三版)ですよね。 自分がその記事をコトサラ熱心に読みふけっていることを知っている課員は、こちらをチラ見しては、クスクス笑います。 しかし、官報を愛読しているということを「悪趣味」というのならまだしも、「行き倒れ」の記事を毎朝「楽しみにしている」などと誤解し、そしてそれ掴まえて「悪趣味」というのなら、それは少し違うぞと強く抗弁したい気持ちがあり、心外に思っています。いつか弁明する機会があれば、彼らにも理解できるように説明したいと思います。 さて、その「行旅死亡人」ですが、ある日の官報に「岸辺の旅」を連想させるこんな記事(平成28.11.15号外251号50頁)があったので、思わず複写をしてしまいました。 ≪行旅死亡人本籍・住所・氏名不詳、年齢55歳から75歳位の男性、身長175cm位、体格中肉、白髪交じりの短髪、茶色チェック柄シャツ、黒色長袖Tシャツ、青色ジーパン、黒色スパッツ、黒色靴下、黒色スニーカー、青色ボクサーパンツ、現金3万491円、黒色二つ折り財布、黒色と灰色のジャンパー、フード付きフリースパーカー、黒色ニット帽、手袋、眼鏡、腕時計上記の者は、平成27年12月14日宮城県仙台市青葉区一番町4丁目2番10号東映プラザ地下1階ダイナム宮城一番丁館休憩コーナーで椅子に座ったまま意識不明となり、仙台市立病院に搬送され、同日縦隔腫瘍による呼吸不全のため死亡しました。上記の遺体は、身元不明のために火葬に付し、遺骨は仙台市無縁故者納骨堂に安置してあります。心当たりの方は、当市青葉区保護第一課まで申し出てください。≫ 作品「岸辺の旅」には、作り手や受け手が興味を示した「幽霊の存在」だとか「霊魂の可視化」以外にも、このストーリーの中に込められたはずの無残な思いとか、もっと興味を示してもよかったかもしれないリアルで熾烈で悲惨な「現実」がもう一方にあったことを、この「官報」が教えてくれているように感じたのでした。 さて、三つ目の「遭遇」です。 京大の酒巻匡教授が、ある雑誌に「性悪説」というコラムを書いていました。 書き出しは、こうです。 「人間には、悪の能力がある。これは、法学・政治学の大前提であり、この学問分野に少しでも触れたことのある者にとっては常識であろう。しかし、筆者は、法制度の設計を専門的に検討する審議会の委員を務めた際に、健全な社会常識を代表するという一般有識者委員の言動から、これが世間一般の常識ではないらしいことを知った。」 IR推進法案反対の幼稚な言説でも分かるように、綺麗ごとをひたすら並び立てて現実を見ようとしない「良識人間」とか「人道主義」が、いかに現実を歪めたか、アメリカをはじめ世界はいま、その揺り戻しに時期に差し掛かっているように感じます。 結局は、善人しか登場していないような幽霊の話なんて、てんで興味がなかったと、「岸辺の旅」についての感想を最初からズバリ言ってしまえば良かったのかもしれませんね。 (2015)監督脚本・黒沢清、原作・湯本香樹実『岸辺の旅』(文春文庫刊)、脚本・宇治田隆史、撮影・芦澤明子、美術・安宅紀史、編集・今井剛、音響効果・伊藤瑞樹、音楽・大友良英、江藤直子、照明・永田英則、飯村浩史、録音・松本昇和、助監督・菊地健雄、製作・畠中達郎、和崎信哉、百武弘二、水口昌彦、山本浩、佐々木史朗、エグゼクティブプロデューサー・遠藤日登思、青木竹彦、プロデューサー・松田広子、押田興将、ゼネラルプロデューサー・原田知明、小西真人、音楽プロデューサー・佐々木次彦、VE・鏡原圭吾、スクリプター・柳沼由加里、ヘアメイク・細川昌子、衣裳デザイン・小川久美子、COプロデューサー・松本整、マサ・サワダ、VFXスーパーアドバイザー・浅野秀二、助成・文化庁芸術振興費補助金、配給・ショウゲート、企画制作・オフィス・シロウズ、製作・「岸辺の旅」製作委員会(アミューズ、WOWOW、ショウゲート、ポニーキャニオン、博報堂、オフィス・シロウズ) 出演: 深津絵里(薮内瑞希)、浅野忠信(薮内優介)、小松政夫(島影)、村岡希美(フジエ)、奥貫薫(星谷薫)、赤堀雅秋(タカシ)、千葉哲也、藤野大輝、松本華奈、石井そら、星流、いせゆみこ、高橋洋、深谷美歩、岡本英之、蒼井優(松崎朋子)、首藤康之(瑞希の父)、柄本明(星谷)、 第89回キネマ旬報日本映画ベスト・テン第5位、主演女優賞(深津絵里、『寄生獣 完結編』と合わせて受賞)、第70回毎日映画コンクール日本映画優秀賞、第37回ヨコハマ映画祭(2016年)日本映画ベストテン第7位、第10回アジア・フィルム・アワード(2016年)最優秀助演男優賞(浅野忠信)、第25回日本映画プロフェッショナル大賞(2016年)ベストテン・6位、特別功労賞(芦澤明子、本作ほか長年の映画撮影の功績に対して)、第25回日本映画批評家大賞(2016年)主演男優賞(浅野忠信)、第30回高崎映画祭(2016年) 最優秀主演女優賞(深津絵里)、最優秀助演女優賞(蒼井優)、第8回TAMA映画賞(2016年)最優秀女優賞(蒼井優、『オーバー・フェンス』『家族はつらいよ』と合わせて受賞。)、第68回カンヌ国際映画祭ある視点部門監督賞受賞(黒沢清)、

「岸辺の旅」と「雨月物語」のあいだ

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前回、「岸辺の旅」の感想を書き進めながら、自分がこの作品に対して、かなり低い評価しか持っていないことが徐々に分かりはじめたとき、そのことが、かえって自分でも、とても意外でした。

この作品を鑑賞する前に、世間では既に定まっていた「高評価」が、自分にはどうにも気に入らず、ただ「そのこと」の反発だけで自分の真意を歪めてしまったのではないかと。

それはいまでも他人から評価を押し付けられたり、決めつけられたりすることをもっとも警戒し嫌悪している自分ですので、そう考えれば、あながち無理のない選択ではなかったのかもしれないのですが、ときには極端な「勇み足」というものも、ないではありません。

なにせ、根が「へそ曲がりの天邪鬼」ときている自分です、そういった心にもないリアクションを思わず採ってしまい、内心「しまった」と反省しながらも、もはや訂正できないまま「誤った立場」を固辞しなければならなくなり、心ならずもその「誤った立場」を正当化するという詭弁を積み上げていって、自分をどんどん窮地に追い込んでいくという苦い経験を幾度も繰り返してきているので(仕事の場でもです)、その辺は十分に注意している積りですが、今回もまた「それ」をやらかしてしまったのではないかと、この一週間にあいだ、年末の事務処理に追われながら、忸怩たる思いで、ずっと考え続けてきました。

つまり「岸辺の旅」の感想が、「高評価」に対する反発からの詭弁の積み上げにすぎなかったのではないか、と。

しかし、いくら考えても、あの作品「岸辺の旅」の妻・薮内瑞希と夫・薮内優介の実像が、自分にはどうしても見えてこなかったのです。

彼らが、かつての生活のなかで積み上げてきたはずの具体的な「愛憎の機微」、生活していくなかで彼らがお互いに対して持ったはずの「ブレ」と違和感みたいなもの、つまり生活史の実態が全然見えてこないのです。

その果てにあったはずの失意や絶望が見えなければ、夫がどういう思いで失踪し、生きている間は決して妻の元には帰ろうとせずに、誰も知らない土地で絶望のなかで野垂れ死んでいったのか、この「不意の失踪」や「かたくなな放浪」や「身元を放棄した絶望のなかでの野垂れ死に」にこそ、夫・薮内優介の意思がこめられているとしたら、それらすべては、妻・瑞希を苦しめるための当てこすりのような「憎しみ」だったのではないかと。

そういう鬱屈を妻に打ち明けたり弁明したりすることもなく、無言のまま失踪したそのこと自体に妻は深く傷つき、彼にとって自分とはいったい何だったのかと苦しみ、その死さえ知らされずに無視されたことに対して憤ったに違いありません。

こういうことすべてが、世俗にまみれて暮らす人間のごく普通の(誰もが経験するはずの)愛憎の感情なら、あの映画で描かれていた夫婦は、なんと生活感のない無機質なただの人形にすぎなかったのか、と。

その意味では、たぶん、あの小文にこめた違和感は、自分の真意を正当に反映したものだったと思います。

そして、自分のなかにあの作品に対する「真の反発」があったとしたら、それは、妻・瑞希が、亡霊となった夫・優介に最初に出会うシーンの、出会いの感動や憎しみや恐怖を欠いた無機質さに対してだったかもしれません。

このことを考え続けてきたこの一週間、自分の気持ちの中には、つねに溝口健二の「雨月物語」の最後の場面、源十郎と妻・宮木の美しい再会の場面が占めていました。

この国の空

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映画の元ネタといえば、ほとんどがコミックや、ゲームをストーリー化したアクションものなどが多い昨今、この作品は、いまどきめずらしい(古いタイプと言ってしまえばそれまでですが)硬派な文芸作品の映画化で、自分としてはそれだけでもとても嬉しくて、この幸せな先入観のおかげで、随所に、かつての松竹大船調のオマージュなどを見つけ十分に堪能できた佳作だったと、内心とても好意的な気持ちを抱いていたのですが、友人からwebでは酷評が満ちていると聞いて、さっそく自分でも検索してみて、はじめてこの作品に対する嫌悪と失望感が尋常でない量であることを実感し、とても意外でした。

しかし、最近の映画というのは、極端に言えば、開始早々、バタバタ人が死ぬ凄惨なシーンが展開したり、くんずほぐれつの濃厚なsex場面が挟まったり、ひどいのになると、手ひどく強姦されたはずの被害者女性が、たくましく豹変して熟達した濃密な性技をみせたりするなどの一貫性を欠いた「なんだこりゃ」的な自家撞着のタフなストーリーを嫌というほど見せつけられてきて「その手の」物語に慣れきってしまった観客は、sexシーンに至るまで相当な心理的手続きを要するこういう「この国の空」みたいなタイプの文芸作品には、もはや辛抱も理解もできなくなってしまったのだろうなというのが、自分の率直な印象でした。

なにしろsexシーンに至るまで、主人公は、沸き上がるみずからの内なる欲望にああでもない・こうでもないと思い悩みながら、しかしそれは優柔不断なんかでは決してなく、静かな決意で一歩を踏み出すという、こういう物語こそ「松竹大船調」の真骨頂なのですが、「発情」を持て余しぎみの、すっかりセッカチになってしまった観客には、こんな悠長なストーリーなど、たぶん受け入れ難かったのかもしれないなと感じました。

しかし、その片方で「この非難だって、随分とおかしな話じゃないか」という憤りの気持ちが、自分にも次第に沸き上がってきました。

わが職場でも、団塊の世代が徐々に去り、入れ替わりに若い世代(20代~30代)が構成員の大勢を占めるようになったのですが、わが課のスタッフで既婚者といえば、自分と50代の「お局様」のふたりだけで、ほかの若い世代のスタッフは、(彼ら自身が「そう」言っていますし、既婚者から見ても)到底「結婚なんてできそうにもない」人たちなのです。

いわゆる、「結婚しない世代」というやつですが、自己防衛と被害者意識が異常に強く、他人に余計な口出しをしないかわりに、だからお前も俺のことを干渉するなよ的な自分勝手な面々で、当然、得にもならない他人の仕事の協力やバックアップなどするはずもなく、他人事には一切関心も興味も示さないという徹底ぶりです。

そして、この「ルール」を他人が逸脱し自分の領域を侵そうものなら、その逆上ぶりは異常に凄まじく、それに一度でも接したことがある者なら、もう二度と彼らには関わりたくないと思うくらいの狂気の逆切れ体験をしなければなりません。

彼らそれぞれが殻に閉じ籠りそういう感情を持ってトゲトゲしく身構えているので、これではとても職場の連帯意識なんてハナから育つとは思えません。

しかし、この手のことを、職場などで公言したりするとセクハラだとかパワハラだとかの面倒くさいことになるというので、一切口にするなよと総務部長からきつく釘をさされているので、それじゃあ自分は彼らの何を管理すればいいのか、と問い返しても、「そんなことくらい自分で考えろよ」というのがいつもの答えですから、結局なすすべもないお手上げ状態です、個人情報の過剰な保護といい、なにもかもが悪意と疑心暗鬼に満ちたとても嫌な時代になったものだと、ため息のひとつも出てしまいますよね。

ですので、以下に述べることは、まあ、無能な中間管理職の愚痴だと思って聞いてくださいましな。

少なくとも、自分たち旧世代の人間は、他人に自分のことを良くみせたい、みっともない真似だけはしたくない、それにせっかく同じ職場で働いているのだから、和気藹々とやろうじゃないかと雰囲気作りに精を出して、いろいろと気遣い、お互いの足らざるところを庇い合って協力しあってきたものです。

しかし、いまの若い連中ときたら、職場の「殺伐さ」なんてそもそも自分には何の関係もない、「それもまた、いいんじゃね」くらいにしか思っておらず、これが常態で結構ですと受け入れて、職場環境の改善など自分には一切無関係の他人事としか考えていないのです。

他人からとやかく言われる干渉を極力嫌悪し、気持ちを閉ざして自分だけの世界に充足して他人に興味も関心も一切持たない彼らにとって、だから必ず相方が必要となる「性欲」も、抑制することになるというのも当然の帰結であり、相互過干渉が大前提の「結婚」なんて最初から論外で、当然受け入れられるわけもないのです。

なにも「結婚」するだけが人生のすべてだとは思っているわけではないですが、ただ揃いも揃って全員が同じようなことを言うっていうのがどう見ても異常です、互いに反発しながらも、個性を欠如させた連帯意識なき「右へならえ」を疑いもなく大合唱して憚らない、そういうことが自分にはどうにも異常で薄気味悪く感じられてならないのです。

この映画に対して若い多くの観客たちがあからさまに表明した「嫌悪感」は、まさに映画「この国の空」に描かれているものが、彼らのそうした「思考」を逆撫でするような、彼らにとっては嫌悪しか催さないような、いまではすっかり失われてしまったかつての若い日本人の男女が備えていた思考性(少なくとも成熟をとげるみずからの「性欲」に対しては誠実であったことを含めて)を色濃く描き込んでいたからに違いありません。

戦争末期、配給の食料を待っていたのでは、どうにもならない食糧不足の困窮のなかで、母娘が交換する着物を持って、闇の食料品を求め、農村へ買い出しに出かける場面、河原で弁当を食べながら語り合う重要なシーンがあります。

母は、娘のすっかり成熟した体を見ながら、娘が「成熟した性欲」を持て余していることにも気がついています。

しかし、いま内地では「若い男」がすっかり戦地へ出払ってしまっていて、若い女性の「成熟した性欲」を上手に開花させてくれるような適当な男性がいないことも知っています。

だから母は、「普通の状況なら、たとえ隣家であろうと、若い未婚の娘が、一人暮らしの男の元へ行くなど決して許さないのだけれど」と前置きして、「市毛さんに気をゆるしてはだめよ、女は溺れやすいから」と忠告しながら、「でも、いまはこういう時代だから、隣家に市毛さんがいることに感謝しているわ、『娘をよろしくお願いします』って言いたいくらいよ」とさえ話します。

ここには、「悶々と」であれ、若い女性の成熟していく性欲の存在と、その極限状態のなかで性欲が歪められることなく育成され完熟を遂げさせてあげたいと見守りながら願っている母親の姿が、きわめて冷静に描かれています。

しかし、この部分こそが「他人からとやかく言われる干渉を極力嫌悪し、気持ちを閉ざして自分だけの世界に充足して他人に興味も関心も一切持たない彼らにとって、だから必ず相方が必要となる「性欲」も、抑制することになるというのも当然の帰結であり、相互過干渉が大前提の「結婚」なんて最初から論外で、当然受け入れられるわけもない」現代の若い世代の感性を逆撫でし、当然のように忌避されたのだと思います。

あるサイトで、この作品に対する象徴的な感想に接しました。

書かれていることが、結局無様な恐怖感でしかないことに本人もまた気が付いていないことが異常ではあります。

≪荒井晴彦の完全監督作という事で興味があり鑑賞。日常生活部分のパートがやたらに冗長だったな。確かインタビューで「戦争時中ではあるけれど庶民、ある男女の視点から戦争を視る映画を創りたかった」と語っていたような気がしたがセットや衣装役者陣のしゃべり方などで“とりあえず”戦争中なのかな〜とボンヤリと時代背景がわかるような・・・わからないような・・既視感はあるんだけどはっきりいって隣の別居中の男と隣に住む母娘の娘とのポルノチックなドラマでも良いんじゃあないか・・・なぜ戦時中にしたのか・転がり込んで来た母の姉をストレスに思いながら三人食卓に交えた現代劇をバックに隣の中年男に惚れる娘・・正直映画終盤の終盤までその必然がわからなかったさらに追い討ちをかけるように枕の匂いを嗅ぐ汗ばんだ肌と蛾が着付する電燈トマトとトマトのムシャブリ口元の水を払うしぐさ長谷川博己が二階堂ふみにそぞろと歩み寄る歩み寄り大樹に追い込まれた瞬間!!蝉の歓奇と二階堂の歓喜がシンクロする!!!すんげーベタwwwwwwwwwwあまりのエロ表現度の素人ブリがこの映画から俺をトンデモナク遠ざけてしまったなwwww古くさいというよりセンスなさすぎwwあからさまに童貞が撮ったかのような青くさいエロ表現ほんとう教科書どおりのセンスのない映像表現にゲンナリしてしまった・・・最期の最期で『戦争と不倫は同じで みな、憎しみ嫌っているけれど 実はみな戦争が好きなんだよ』その同義語である事を云いたいがための『戦争映画』だったのだろうか、それにしては中だるみすぎである。≫

やれやれ、これからも、この手の連中と付き合っていかなければならないのかと思うと、気が重くなります。

それはともかく、高井有一が、情緒不安定な母親を、死の予感におびえながら少年の視点から描いた繊細な作品、芥川賞受賞作「北の河」をふと思い出しました。


(2015日本)監督脚本・荒井晴彦、原作・高井有一『この国の空』(新潮社刊)、ゼネラルプロデューサー・奥山和由、プロデューサー・森重晃、撮影・川上皓市、美術・松宮敏之、音楽・下田逸郎、柴田奈穂、録音・照井康政、照明・川井稔、編集・洲崎千恵子、ラインプロデューサー・近藤貴彦、助監督 野本史生、詩・茨木のり子『わたしが一番きれいだったとき』、制作担当 森洋亮、VFX・田中貴志、効果・柴崎憲治、装飾・三木雅彦、配給/ファントム・フィルム、KATSU-do
出演・二階堂ふみ(田口里子19歳)、長谷川博己(市毛猛男)、工藤夕貴(里子の母・田口蔦枝)、富田靖子(里子の伯母・瑞枝)、滝沢涼子、斉藤とも子、北浦愛、富岡忠文、川瀬陽太、利重剛(物々交換先の農家を紹介する男性)、上田耕一(里子の上司)、石橋蓮司(疎開を待つ町の住人)、奥田瑛二(疎開する画家)、 所里沙子、土田環、福本清三、木本順子、前島貴志、上田こずえ、岡部優里、川鶴晃弘、下元佳好、高橋弘志、司裕介、星野美恵子、宮崎恵美子、矢部義章、宮田健吾、福岡歓太、山野井邦彦、あきやまりこ、太田敦子、奥村由香里、小泉敏生、鈴川法子、武田晶子、西山清孝、細川純一、宮永淳子、山口幸晴、篠野翼、井上蒼太郎、七浦進、泉知奈津、大矢敬典、桂登志子、小峰隆司、髙野由味子、武田香織、林健太郎、松永吉訓、安井孝、山中悦郎、覚野光樹、小野寛、七浦紀美代
公開・2015年8月8日 130分


大つごもりにて「三枚起請」を省察す

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仕事納めの数日前から軽く風邪をひいてしまい、納めの翌日から予定していたツアー旅行を泣く泣くキャンセルしなければならなくなりました。

でも、当日までにどうにか平熱に戻って参加できるだろうくらいに高をくくって楽観し、ギリギリまでねばったのですが、熱はなかなか下がらず、キャンセル料はどんどん嵩むで、結局、コン負けして3日前に旅行会社にキャンセルの連絡を入れざるを得ませんでした。

手持ちの札は惨憺たるものなのに、ハッタリをかまし、ギリギリまで手を明かさないで、相手が先に勝負を降りるのを待つような、まるでポーカーでもしているような追い詰められた気分でした。

この数か月、仕事に忙殺され、休暇をとる暇も余裕もなかった毎日の中で、「年末の旅行」だけが、いつのまにか単調な生活に耐える唯一の励みになっていたので、キャンセルしたときはとてもショックで気落ちし、まるでうつ状態みたいになってしまったのですが、結局なにもかもがすべて自分の油断からきたことなので、諦めも結構早かったかもしれません。

ですので、この年末、旅行の予定を入れていたことから、それがスッポリ抜けてしまったので、これといってとりたてて用事もなく、どこからも電話が入らない(自分は、今頃、どこかに旅行中のはずです)まったくの空白の数日を過ごしました。

ここで電話が鳴っても、ばつの悪い言い訳のひとつも言わなければならないのかと思うと気が重く、たぶん電話は鳴りっぱなしにしておくことになると思います。かえってその方がいいような気がします。

その一方で、あれほど望んでいた「自由時間」を突然手にしたわけですから、これまでしたくとも出来ずにいたことを片っ端から処理できる絶好の機会のはずなのですが、いざ「自由時間」が実現したとなると、何をすればいいのかさっぱり思い当たりません。

あれやこれや考えてみるのですが、いざ「それ」を目の前に据えると、自分にとって、こんなことがそれほど重要なことだったのか、「なにも今、わざわざそんなことをしなくともいいではないか」という感じで、結局いままで後回しにしてきたことには、それなりの理由があったことが判明し、逆に自分の「ズボラ」を正当化してしまう妙な納得をしてしまいました。

そこで、常日頃、わずかの余白時間を工面して行っていることを、ひとつひとつ箇条書きにしてみました。

その選択の条件としては、時間切れで中断されて悔しい思いをしたことがあるもの、そして、いつも時間切れになるのをビクビクしながらしていることの2つです。

①録画を最後まで見切れずに中断しなければならない。一夜ではどうしても見切れずに、一本の映画を刻んで見ている現状です。鑑賞したあとで、さらに映画の感想を書くというのも、一応自分に課しているスケジュールのひとつです。

②小説でも評論でも、そこらにあるものを手当たり次第、手に取って読んでいるぶつ切りの乱読状態なので、読みたいものを読むなんてほど遠い、じっくり関連付けて読書するなんて、いまの生活では夢みたいな話です。

③上記と関係あるのですが、毎週の「書評」を読んでから、その中から興味のある本を選択して読むというのが理想なのですが、そもそも「書評」をwebでも新聞でも、じっくりなんて読めたためしがありません。新聞は、たまるいっぽうだし。mailチェックも追いつかないし。

④ときどき東大TVの特別講義を見ているのですが、どれも一コマでは済まず、短くても200分以上あるので、午後9時に帰宅して、明日も早出などという限られた時間しか持てないしがないサラリーマンの身では、到底見るなんてことは不可能です。

⑤パソコン(you tubeなど)で見られるクラシックな邦画もだいたい100分はありますから、東大TVとほぼ条件は同じです。そうそう、ときどき、志ん生、文楽、円生、志ん朝、米朝の落語を聞くというのも、自分にとって大切なストレス解消の一つになっています。

⑥パソコンの前にいることが多いので、わざわざ録画を見るよりもパソコンで見られるwowowのメンバーズ・オンデマンドの映画が見やすいので、極力見るようにしているのですが、なにせ上記の項目が押せ押せになっているので、どうも捗々しくありません。

⑦投資信託の基準価格のチェックというのもあります。いまになって、やっと景気も上向きかけ「そろそろ」と盛り上がってきた雰囲気なのですが、「売り」にでるほどには、まだまだ「戻り」に至ってないというデリケートな時期ではあります。

⑧そうそう、この時期、そろそろアカデミー賞の情報が飛び交い始めるので、いろいろなサイトをのぞき見しています。

う~ん、これだけの「したくても出来ないこと」を毎晩抱えているのですから、こりゃストレスになるのが当然かもしれませんが、よく考えてみれば、これって結局自分が自分にストレスをかけているだけじゃないかと思えてきました。あほくさ

そこで、結局は、「今晩もyou tubeで落語」ということにしました。

最近の出版物を見ていると、落語の関連本が何冊も出ていて、ちょっとした落語ブームみたいな印象を受けますが、みなさん「古典」をじっくり聞いてのブームなのか、いまひとつ疑問です。

実は、この晩に聞いた落語は、志ん朝の「三枚起請」、やり手の女郎が客をつなぎ止めるために起請文(本来は、誓紙なので1枚のはず)を乱発し、それを知った3人の騙され男たちが、仕返しに女郎に恥をかかせようとお茶屋に乗り込むのですが、逆に開き直られてしまい、剣突を食わされてしまうというストーリーです。

じつは、この落語、いろいろな噺家で何度も聞いているのですが、この晩に聞いた印象が、以前とは少し異なっていました。

噺は、通りかかった亥之吉を棟梁が呼び止め、「最近、遊びが過ぎてるっていうじゃねえか、たいがいにしねえな、おふくろさんが心配していたぜ」と問うところから始まります。そこで亥之吉は、ナカにいいのが出来た、末を誓った起請文まで貰った仲だと告白します。

その起請文を読んだ棟梁は、すこし驚きながらも、自分も同じ女郎から貰ったという起請文を見せます。

そこに清公がやってきて亥之吉の起請文を読み、自分も同じ女郎から起請文を貰ったことと、それについちゃあ妹に苦労を掛けた顛末を話して「あの女郎、ただじゃおかねえ」と激怒します。

そして、お茶屋に乗り込み、証拠の乱発した起請文を突き付けて追及するのですが、

「打つなと、蹴るなと、好きにするがいいや。だけど言っとくけどね、あたしの体は売り物だ。身請けしてからどうなと好きにしておくれ」
と開き直られます。

男たちは、鉄拳制裁ができずに、たじたじになるという結末ですが、話を順に聞いていると、この「たじたじ」になるずっと以前に、彼らは、すでに制裁の意思を喪失しているように見えます。

いまさらながら「女郎の体は売り物だ」と言われなくとも、彼らはそんなことは十分に承知していて、むしろ、最初から「制裁」なんて真剣に考えているとは思えない軽妙なお祭り気分で登楼していくようにさえうかがわれます。

陰惨な「女郎の体は売り物だ」というあまりにも生々しい台詞の彼方に広がる現実をいささかでも薄めるためにも、一方で、この軽妙なシチュエーションが、バランス的にどうしても必要だったのかもしれませんね。

川島雄三「幕末太陽傳」の軽妙さと共鳴するなにかが、この「三枚起請」には、あるのではないかと、ふと感じた年の瀬でした。



殺人カメラ

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you tubeで志ん朝の「三枚起請」を見たあと、なにか珍しい映画でもアップされてないかとテレテレ検索していたら、奇妙な写真を掲げた動画(すっとぼけたオッサンが、呆けたように、あらぬ方向を向いている写真です)に遭遇しました。

なんだか直感的にルイス・ブニュエルの「昇天峠」を連想させるほどのオーラを放ったインパクトのある写真なのですが、映画のタイトルはといえば、それがなんとも軽々しい「殺人カメラ」というのです。

「なんだこりゃ」的なこのタイトル、古今東西のあらゆる映画の題名に精通していると自負していた自分でも、こんな脱力系のタイトルなんか、今のいままで聞いたことも見たこともありません。

いやいや、むしろ逆に、この手のタイトルなら、言葉の組み合わせを自在に入れ替えただけの幾通りもの紛らわしい題名のバリエーションがある分だけ、今までに接したかもしれないとしても、覚えていられるわけもなく、何が何やら、どれがどれやら、ぐちゃぐちゃに錯綜して、頭の中はカオス状態で最早判別など覚束ないというのが実情です。

そうそう、いま思い出しました、そういえば、むかし、「血を吸うカメラ」とかいう作品(確かカメラにナイフが括り付けてあって、アップしながらグサッと殺す、まさに死の瞬間をリアルに捉えようというカメラ狂の映画だったような記憶です)がありましたよね、これって、あの作品とちゃうのん?。

当時(たぶん、今でもそうかもしれませんが)あの作品は、マニアックな人たちが、盛んに持て囃していたという先入観があったので、急いでウィキで「血を吸うカメラ」を調べてみました。

しかし、そこでは、カルト・ムービーの評価どころか、惨憺たるフィルムの来歴にぶち当たることになりました。

1960年公開のイギリス映画で、監督は、なんと名作「赤い靴」や「ホフマン物語」で名高いあのマイケル・パウエルだそうです。

へぇ~、そうなんだ、ますますこの作品の「解説」を読まないわけにはいかなくなりました、さあ早く早く。

≪本作品はしばしば、ほぼ同時期に発表された映画『サイコ』と比較される。『サイコ』が「殺害される人間の恐怖」を表現しているのに対し、『血を吸うカメラ』では「殺戮を行う側の心理」を惜しげもなく表現している。また、この作品は人間の目から見たカメラ視点が特徴である。≫

ふむふむ、ここまでは、まあいいじゃないですか、ベタ褒めという感じではないにしろ、少なくとも貶したり腐したりしているわけではないし、むしろ、かの名作、ヒッチコックの『サイコ』と並び称された作品とあるくらいですから、一応は敬意を払われているとみてもよさそうですし、当時はそれなりのインパクトのあった作品だったのだろうなと思っていた矢先、このあとがいけません、驚嘆するような事実が書かれていました。

≪性的・暴力的な内容から、公開当時はメディアや評論家から酷評を浴び、イギリスを代表する映画作家の一人ともみられていたパウエルの名声は失墜した。パウエルはこの映画の後はほとんど映画を撮ることができないまま死去した。しかし後年になって再評価の声が高まり、本作は米国を代表する国際ニュース誌『TIME』が発表したホラー映画の歴代ベスト25に入っている。≫

なるほどなるほど、自分は、この「しかし後年になって再評価の声が高まり」と同じ時期にこの作品に遭遇したので、さほどの悪印象を持つことがなかったのだと分かりました。

おまけに、マイケル・パウエルが、この作品によって、名声を失墜させ、二度と映画が撮れなくなって、失意のなかで死んでいったという惨憺たる事実(いかにも、建前と本音の落差の激しいイギリスらしい「おもてなし方」じゃありませんか)も知らなかったくらいですから、多くのB級映画と同じように、呑気に「血を吸うカメラ」を鑑賞し、軽く軽侮の吐息をついたあと大した印象も抱くことなく、あっさり忘れてしまったのだと思います。

さて、呆けたような顔のオッサンの写真を掲げたこの動画が、かの「血を吸うカメラ」じゃないとすると、いったいこの「殺人カメラ」とは何なんだと、さらにクリックを進めると、なんとそこには、ロベルト・ロッセリーニが監督した1948年の作品と書いてあるではありませんか。

おいおい、あの「無防備都市」や「戦火のかなた」、「ドイツ零年」で知られた硬派なロッセリーニが「殺人カメラ」なんて軽々しいオチャラカ映画を撮ったのかよ、嘘だろう、いや、嘘だ嘘だ、そんなはずはない、大嘘にきまってる、自分の記憶の中には、ロッセリーニ作品として「殺人カメラ」なんてタイトルの映画はインプットされていません、そんなの全然知らない、聞いたこともない。

やがて徐々に、ショックというよりも、無知だった自分が、なんだか小馬鹿にされて辱められているような感じがします。

こりゃあ、「紅白歌合戦」どころじゃないぞと(この時間には、そろそろ公共放送で全国民的必見番組「紅白歌合戦」が始まろうとしています)さっそく、最近はとんと開いたことのないジョルジュ・サドゥールの「世界映画史」(1964.12.30発行、みすず書房刊)を書棚から引っ張り出して、ロッセリーニのフィルモグラフィ1948年のページを開きました。

なるほど、なるほど、ありますね、1948年の項に、イタリアの原題で「LA_MACCHINA_AMMAZZACATTIVI」とあり、英語では「THE MACHINE TO KILL BAD PEOPLE」と題された作品が撮られたことが書かれていました。なるほど、これですか、つまり、直訳的には、「悪人を殺すための機械」ということですね。「フムフム、そういうことか」という気持ちです、このふたつのタイトルの違いについては、微妙ですが(「機械」を「カメラ」と意訳したのでしょうが、そういう姿勢が、この場合、ほんとうに正しい姿勢といえるのか、ということについてです)、まずは、とにかく、動画を見ることにしました。実際に見てみなければ、なにひとつ始まりませんしね。

しかし、ここだけの話ですが、こういう歴史的な作品をクリックひとつで手軽に見られてしまうなんて、すごい時代だと思います、しかもロハで。

さて、さっそく、映画「殺人カメラ」を見てみました。以下に、メモ程度にストーリーを書いておきますが、当ブログは、あくまで個人的な心覚えの場所なので、「ネタバレ」などといわれるのは心外です。だいたい「あらすじ」が分かったくらいで、どうこうしてしまうような映画なら、最初から大した映画なんかじゃありません、心配しないでください。

さて「あらすじ」です。

≪舞台は第二次世界大戦後のイタリア南部の小さな漁村、大聖堂の祝祭日に、人の良い写真家チェレスチーノは、多くの人でにぎわう祭りの様子を写真に撮ろうとしたところ、暴君の警察署長に邪魔されてしまいます。その夜、彼のところに、旅の老人が一夜の宿を求めて尋ねてきます。
聖アンドレアと名乗るその老人は、写真の被写体をカメラで撮影するだけで写真の人物(悪人)を殺すことのできるという大変な能力をチェレスティーノに授けます。
この老人を、聖人とすっかり信じている写真屋チェレスティーノは、その驚くべき力に驚きながらも、試しに警察署長の写真を撮ってみたところ、その直後、本当に署長は突然死してしまいます。
常日頃、自分さえよければ他人などどうなっても構わないという強欲な村の人間たちに怒りを覚えていたチェレスティーノは、次第に自分の不思議な力に取り憑かれたようになって「写真」を撮影し、強欲な村人(もちろん欲深い悪人たちです)を次々に殺していきます。
村を牛耳る警察署長の次には、高利貸しの老婆マリアも殺しますが、遺書に遺産の相続人を村で最も貧しい3人に与えると書かれていることを知り、チェレスティーノは動揺し混乱し、さらに事態は紛糾するのですが、そこにアメリカ人によるホテル建設計画も加わって、欲に溺れた村人たちが織りなす騒動はさらに大きくなっていきます。
チェレスティーノはカメラで悪人を次々と消してゆきますが、事態は一向に改善しません。
村で最も貧しいという3人も、善人というわけではないということが分かってきます。
そんな中、彼に力を与えた例の老人が現われ、実は自分は悪魔なのだと告白し、チェレスティーノは彼に十字の切り方を教え、悪魔も改心し、ただの人間になってしまうのでした。
めでたたし、めでたし。≫

というわけなのですが、自分は、この「貧乏人が、必ずしも善人なわけじゃない」という部分に強く惹かれました。このことをロッセリーニは、言いたかったのではないかと思いました。

これは、現代にも通ずる(ヒューマニストとかいう人たちが決して認めたがらない)社会保障の根幹を問う辛辣な指摘です。

生活保護費を全部パチンコにつぎ込むとか、働けば保護を打ち切られるので働かないとか、いまでもこういうのってよく言われているじゃないですか。

人を救うのがヒューマニズムなら、人を堕落させるのもまた、ヒューマニズムだということでしょうか。

ジョルジュ・サドゥールの「世界映画史」で、ロッセリーニのフィルモグラフィを見たとき、あることに気が付きました。


1948年にこの「殺人カメラ」を撮った翌年、「ドイツ零年」に続いて撮ったのが「神の道化師・フランチェスコ」でした。(自分も2004. 11.6に小文をアップした記録がありました)極貧の中で信仰を貫いた聖人を描いた映画です。たしかゼフィレッリも「フランチェスコもの」を撮っていたと記憶しています。

戦争という極限状態の中で撮った「無防備都市」や「戦火のかなた」が、高く評価されればされるほど、やがて平和な時代が訪れたとき、自分の撮るべきものを見いだせないまま、焦燥感のなかで模索し、やがて失意の中で沈黙におちいったロッセリーニの「迷い」の姿を示すような2作だったのかもしれません、ロッセリーニにとって、戦争が過酷だったように、平和な時代もまた同じように過酷だったのかしれないなと思えてきました。

(1948イタリア)監督脚本製作・ロベルト・ロッセリーニ、脚本・セルジオ・アミディ、ジャンカルロ・ヴィゴレルリ、フランコ・ブルザーティ、リアーナ・フェルリ、原案・エドゥアルド・デ・フィリッポ、原作・ファブリチオ・サラツァーニ、製作・ルイジ・ロヴェーレ、撮影・ティーノ・サントニ、エンリーコ・ベッティ・ベルット、音楽・レンツォ・ロッセリーニ、原題・LA_MACCHINA_AMMAZZACATTIVI (THE MACHINE TO KILL BAD PEOPLE) 出演・ジェンナーノ・ピサノ(Celestino esposito)、マリリン・ビュファード、ウィリアム・タブス(Il Padre della Ragazza)、ヘレン・タッブス(La Madre della Ragazza)、マリリン・ビュフェル(La Ragazza Americana)、ジョヴァンニ・アマート、ジョ・ファルレッタ、ジアコモ・フリア、クララ・ビンディ、ピエロ・カルローニモノクロ音声 上映時間 83分


【参考】
「神の道化師、フランチェスコ」

すごい映画だと聞いていました。

まぼろしの名作と紹介している本もあります。

なにせ「無防備都市」や「戦火の彼方」を撮ったロッセリーニの作品です。

それらの作品が映画史に与えた影響の大きさを思えば、この映画を見る前の期待と緊張は当然だと思います。

それに、イタリア人にとって聖フランチェスコは、特別な意味があるらしいのです。

その証拠に僕たちが知っているだけでもフランコ・ゼフレッリの「ブラザー・サン シスター・ムーン」、リリアーナ・カヴァーニの「フランチェスコ」とそれ以前に「アッシジのフランチェスコ」という作品も撮っているそうです。

話は、中世の修道士たち(聖フランチェスコと仲間たち)の布教活動と、その質素極まる生活をリアルに描いたものです。

荒涼とした原野に廃墟のような小さな教会を建て、粗末なボロ服に裸足という驚くべき徹底した極貧のなかで、彼らは寄り添いながら教化活動に携わります。

俗世の欲望を捨て去り、貧しさの極限で自己犠牲の歓びを見出すという被虐的なまでの修道士たちの様々なエピソードが綴られます。

それはこの世で持てる総ての財産を失い尽くすことが、精神世界の豊かさを得、ひいては神の身元へ近付きうる唯一の方法ででもあるかのような感じです。

「奪い合えば足りず、譲り合えば余る」という逆説的な精神世界が描かれてゆきます。

所有欲から解放されれば、気高い精神世界が獲得できると信じて疑わない単純極まる率直さには、そのあまりの無邪気さに、ときに失笑を誘いますが、しかし、このリアリズムに徹した優れた作品が、「無防備都市」や「戦火の彼方」と、どうつながってゆくのか理解できずに戸惑いました。

作品それ自体が優れて自立していれば、それだけでいいのだとも思いますが、一方ではやはり納得するだけの理屈も欲しい気がします。

パゾリーニの「奇跡の丘」なら分かるのです。

パゾリーニのイエスは、荒涼とした原野をせかせかと足早やに歩き回り、言葉がまるで人を打ち砕くことのできる武器ででもあるかのように人々に、そして権力者に恫喝を投げかけ挑発する、まさに全存在を賭けた戦闘的な布教活動を展開します。

為政者を怯えさせ危機感に追い込んで処刑を決意させた程のイエスとは、多分こうだったんだろうな、とパゾリーニの姿勢とともに十分納得できたのです。

しかし、ロッセリーニのこの作品の異常なまでの被虐的な謙虚さは、いったい何を示唆しているのか、見当もつきません。

これからの宿題です。 


八日目の蝉

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自分が、この作品を見たときは、すでにweb上には、あまりにも多くの「八日目の蝉」の感想が氾濫していて、思わずその量の凄さに圧倒されてしまいました。

いまさら自分が何を書けるのかと迷い、最初から「書く意味」を見失って意気阻喪したその「徒労感」と、今までアガライ続けきたような気がします。

しかも、この乳児誘拐という深刻なストーリーは、あらゆるネガティブな要素が互いに錯綜しながら打ち消しあっていて、果たしてこの映画のどこからアプローチすればいいのか、手も足も出ないお手上げ状態という迷いもありました。

こんなふうに、この重厚な作品に対して、一言の感想も発せられないという自身の不甲斐なさもあって、たぶん、ねじ伏せられてしまったような敗北感を抱きながら、長いあいだ、この作品から自分を意識的に遠ざけてきたのだと思います。

それに、正直、ラストの恵理菜のセリフも、それまで彼女が経てきた過酷な人生を真正面から受け止めうえでの言葉とは到底思えず、なので、あたらしい未来に向かってこれから生まれる子供とともに踏み出そうという不意の「転調」にも、なんだかそぐわない違和感をおぼえ、正直繋がりも感じ取れないまま、この作品と距離をとるしかなかったのかもしれません。


しかし、あるとき偶然に、この作品について極く短いコメントに遭遇し、突然目が覚めるように、自分の中にあった「迷い」が、ふっと溶解しました。そのときのことを書きたいと思います。

そのフレーズには、前後にもう少し説明的な語句が幾らか散りばめられていたかもしれませんが、それはこんな感じでした。

「犯罪者であるのに、いつしか捕まって欲しくないという気持ちになっていて、最後には、育ての母親に会ってほしいと思い始めていました。」

それまで、数多くのコメントに接してきていたので、この感想の稚拙さと特異さ(あまりにも素直で率直なために、ストーリーを読めてないKY的な「幼稚すぎるコメント」として無視されたとしてもなんら不思議ではありません)は突出しており、とても目を引きました。


かつての乳児誘拐事件のルポを書くために秋山恵理菜(井上真央が演じています)に近づいてきた安藤千草(小池栄子が演じています)から、幼少期をすごしたエンジェルホームを訪ねる旅に誘われたとき、恵理菜はとっさに、千草がその旅で自分を野々宮希和子(永作博美が演じています)に逢わせようとしているのではないかと疑い、その危惧をあらわにして、自分にはまったくその気持ちはないと千草に釘を差しています。

そんなことをしたら自分の「負け」になると、恵理菜自身がいちばんよく分かっていることを映画は明確に描いており、「逢う可能性」についてなど、それからのストーリーの進行の中でも二度と触れることも仄めかされることもありませんでした。
少なくとも、被害者・秋山恵理菜が、犯罪者・野々宮希和子を許せるわけがないことは、「大人の分別」として明確に理解できることですし、説明することもできます。

かつて乳児だった自分が野々宮希和子に誘拐され、偽の親とはいえ濃密な情愛を一身に受けて生育するものの、幼児期に至りそれが突如奪い取られるという異常な体験によって、物心がつく人格形成の大切な時期に、人間的な関係を保つための根本的な情緒が傷つけられ(心が拉致され奪われたというべきかもしれません)、親も含めた他人との関係が築けないという心の空虚と不具に見舞われた痛切な半生を考えれば、(たとえ、父・秋山丈博との不倫の代償として中絶を強いられた希和子が、二度と子供のできない体にされてしまった絶望と憎悪とを考慮したとしても)恵理菜が、犯罪者・野々宮希和子を許せるわけもなく、ましてや彼女に逢いに行くなどということは論外で、有り得ない絵空事としか思えないと、映画は最後まで「無視」の態度を貫いています。

僕が読んできた多くのコメントも、ほとんどがそうしたスタンスで書かれていたものでした。

しかし、あの特異なコメント氏が、こうした痛ましい過去のイキサツや彼女の歪められた感情を考慮しうえでも、それでもなお「育ての母親に会ってほしい」と願っていたのだとしたら、それっていったい何なのだと、すこし混乱してしまいました。

あのコメントには、希和子が犯した過去の犯罪や憎悪や絶望など些かも考慮することなく、また、たとえそれが「誘拐犯」という犯罪者であろうと・偽ものの親子であろうと、「寄り添って二人で過ごした濃密なあの情愛の時間」だけを真っ直ぐに見据え、あの時間までをも否定できるのかと問い掛けているように思えたからでした。

ラストシーンで恵理菜は、「自分は、長いあいだ、この場所に帰ってきたかったのだ」と述懐します、自分が違和感を覚えたあのラストシーンです。

幼児の自分を心から愛してくれた希和子の存在を欠いた場所で、希望に満ちて子供との未来に微笑みかける恵理菜のアップに違和感を覚えたわけが、少しだけ分かった瞬間でした。


蛇足ですが、この作品を思い返すたびに、この映画で描かれている幼い恵理菜の手を引いた希和子の逃避行の姿が、自分のなかで、不治の病におかされた父と子の当てのない巡礼を哀切に描いた「砂の器」とダブッて仕方ありません。

(2011松竹)監督・成島出、脚本・奥寺佐渡子、原作・角田光代(2005・11・21~2006・7・24読売新聞夕刊連載、第2回中央公論文芸賞受賞作)、音楽・安川午朗、撮影・藤澤順一、照明・金沢正夫、美術・松本知恵、装飾・中澤正英、製作担当・道上巧矢、録音・藤本賢一、衣装デザイン・宮本茉莉(STAN-S) 、編集・三條知生、キャスティング: 杉野剛、音響効果・岡瀬晶彦、音楽プロデューサー・津島玄一、スクリプター・森直子、ヴィジュアルエフェクト・田中貴志(マリンポスト)、助監督・谷口正行、猪腰弘之(小豆島・子役担当)、ヘアメイク: 田中マリ子、丸山智美(井上真央担当)、制作プロダクション・ジャンゴフィルム、製作総指揮・佐藤直樹、製作代表・野田助嗣、製作・鳥羽乾二郎、秋元一孝、企画・石田雄治、関根真吾、プロデューサー・有重陽一、吉田直子、池田史嗣、武石宏登、製作・映画「八日目の蝉」製作委員会(日活、松竹、アミューズソフトエンタテインメント、博報堂DYメディアパートナーズ、ソニー・ミュージックエンタテインメント、Yahoo! JAPAN、読売新聞、中央公論新社)、主題歌・中島美嘉「Dear」、挿入歌・ジョン・メイヤー「Daughters」、坂本九「見上げてごらん夜の星を」、ビーチ・ハウス「Zebra」、
現像・IMAGICA、
ロケ協力・小豆島映像支援実行委員会、小豆島観光協会、小豆島町、土庄町、小豆島急行フェリー、四国フェリー、香川フィルムコミッション、諏訪圏フィルムコミッション、岡山県フィルムコミッション連絡協議会ほか、撮影地・小豆島・寒霞渓、二十四の瞳映画村、福田港、洞雲山寺、中山農村歌舞伎舞台、戸形崎、中山千枚田、その他・平塚市日向岡(秋山家があり、特徴的な三角屋根が集合する住宅地)、青梅鉄道公園(0系新幹線車内)、大阪城とOBP(空撮)、長野県富士見町の廃校(エンジェルホーム)、東金市の城西国際大学(恵理菜が通う大学)、足利市の松村写真館(タキ写真館)、

出演・井上真央(秋山恵理菜)、永作博美(野々宮希和子)、小池栄子(安藤千草)、森口瑤子(秋山恵津子)、田中哲司(秋山丈博)、渡邉このみ(薫・幼少時の恵理菜)、吉本菜穂子(仁川康枝)、市川実和子(沢田久美・エステル)、余貴美子(エンゼル)、平田満(沢田雄三)、風吹ジュン(沢田昌江)、劇団ひとり(岸田孝史)、田中泯(小豆島の写真館主・滝)、相築あきこ、別府あゆみ、安藤玉恵、安澤千草、ぼくもとさきこ、畠山彩奈、宮田早苗、徳井優、吉田羊、瀬木一将、広澤草、蜂谷真紀、松浦羽伽子、深谷美歩、井上肇、野中隆光、管勇毅、荒谷清水、日向とめ吉、日比大介

受賞
第36回報知映画賞・作品賞 / 主演女優賞(永作博美)[27]
2012年エランドール賞 プロデューサー賞 - 有重陽一(日活)[28]
第85回キネマ旬報ベスト・テン・主演女優賞(永作博美) / 助演女優賞(小池栄子)
第66回毎日映画コンクール・女優助演賞(永作博美)
第54回ブルーリボン賞・主演女優賞(永作博美)
第35回日本アカデミー賞・最優秀作品賞・最優秀監督賞(成島出)・最優秀主演女優賞(井上真央)・最優秀助演女優賞(永作博美)・最優秀脚本賞・最優秀音楽賞・最優秀撮影賞・最優秀照明賞・最優秀録音賞・最優秀編集賞
第3回日本シアタースタッフ映画祭 主演女優賞(井上真央)
第35回山路ふみ子映画賞 新人賞(井上真央)
第3回TAMA映画賞 最優秀新進女優賞(井上真央)主演女優賞(永作博美)
第24回日刊スポーツ映画大賞 新人賞(井上真央)
第21回日本映画批評家大賞 監督賞(成島出)
第66回日本放送映画藝術大賞 最優秀作品賞・最優秀脚本賞・最優秀助演女優賞(小池栄子)最優秀音楽賞・最優秀撮影賞・最優秀録音賞・最優秀音響効果賞
上映時間・147分、映倫 G


自分対策

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いつの間にか時間が物凄い勢いで過ぎてしまい、このブログにもすっかりご無沙汰で、実に大きなブランクをつくってしまいました。

まあ、仕事の方もそれなりに忙しく、慌ただしいこともありますが、もちろん、そんなことは、なんの言い訳にもなりません、いままでだって、そういう繁忙期の中でどうにか時間をやりくりしては、ささやかな映画の感想をコツコツと書きついできたわけですから。

その「ブランク」には自分の「なまけ癖」というものが大いに関係しているのは、事実ですが、しかし、要は、ある作品に対して筋道のついた考えをじっくり深めたり組み立てたりという集中力が、このところすっかり切れてしまったというのが、本当のところのような気がします。

モチベーションが途切れた理由として思いつくことといえば、去る2月の中旬、久しぶりに旧友と会い、雑談のなかで「好きな監督は誰」と聞かれ、思わず清水宏と答えたところ、「現在活躍している監督じゃなきゃ意味がない」と言われたことにあるかもしれません。

いまこの瞬間、「時代」に対峙して、この現実をどのように生きていけばいいのか、そういうテーマに取り組みながら、たとえ稚拙な表現ではあっても(これは、どのような作品でも器用にかたちをつけてしまう初期の清水宏監督のことを皮肉っているようにも聞こえました)閉塞した時代を切り開こうとしている同時代人の「映像作家」のことを話さなければなんの意味もないと言われたのだと思います。

彼は、一応映画関係の仕事をしていた人なので、この世界の苦労を知っている人に、素人の自分などが「青い議論」を吹きかけることなど、実におこがましく愚かしいことは、十分に承知しており、そのときはなんの反論もできずにいたことが、ストレスになってしまったのかもしれません。

それ以来、なにかにつけて、ちょっと不調なのです、特に映画の感想を書こうとすると、出かかってきた言葉が、変な自制心に邪魔されて、どうもすんなりでてきません。

しかし、だからといって映画の方は、相も変わらず見ているわけで、いわゆる「ストック」(正確には「保留」という感じですが)は、着実に増え続けています、まあ、見るだけなら「楽」という部分もありますので、見ることの方は、いまでも途切らせてはいません。

見た順に作品のタイトルと製作年度、それに監督名くらいはメモしていますが、実は、そのリストも、ただ書きっぱなし、それきりほったらかしているという極めてダレた状況にはあります。

自分の不甲斐なさを棚に上げて、出会う作品のクオリティの無さに責任転嫁してしまうみたいで気が引けますが、たぶんいままで、ぜひ書きたいという思いにさせてくれる程の作品に出会えなかったのだから、ということを言い訳としてずっと考えてきました。

しかし、それを言ってしまえば、「称賛」よりも、むしろ、ひたすら「けなす」ことの方がずっと多い自分のブログの性格上、「感動した作品」に出会えないからというのは、書けない理由にはならないわけで、むしろ「見すぎる」ということの方が、集中力を欠く原因になっているのかもしれないなどと、あれやこれや「行ったり来たり」「七転八倒」の迷いを重ねたすえに、そうだ、大づかみな「クオリティうんぬん」などと言っておらずに、実際にいままで見てきた映画を10本ごとに括って、ひとつひとつ検証してみたらどうだろうかと思いつきました。

時期的なくくりとしては、そうですね、このブログに最後にアップした「八日目の蝉」あたりくらいからではどうかなと。

ベスト10というわけではないのですが、一応自分の好みの順になってしまったかもしれません。

これは、いわば、自分自身の活性化をはかるための自分整理というか、「自分対策」みたいなものですね。



八日目の蝉(2011)監督・成島出
ブリッジ・オブ・スパイ(2015)監督スティーブン・スピルバーグ
この国の空(2015)監督・荒井晴彦
殺人カメラ(1948)監督ロベルト・ロッセリーニ
ザ・ウォーク(2015)監督ロバート・ゼメキス
黒の魂(2014)監督フランチェスコ・ムンズイ
忠臣蔵(1958)監督・渡辺邦男
妹の体温(2015)監督・アンネ・スウィツキー
シービスケット(2003)監督ゲーリー・ロス
ユーズドカー(1980)監督ロバート・ゼメキス


からゆきさん(1973)監督・今村昌平
元禄忠臣蔵(1941)監督・溝口健二
団地(2015)監督・阪本順治
総長賭博(1968)監督・山下耕作
葛城事件(2016)監督・赤堀雅秋
最愛の子(2014)監督ピーター・チャン
蜜のあわれ(2016)監督・石井岳龍
カナリヤ(2004)監督・塩田明彦
シン・ゴジラ(2016)監督・庵野秀明
僕だけがいない街(2016)監督・平川雄一朗


怪談(1965)監督・小林正樹
さよなら人類(2014)監督ロイ・アンダーソン
情事(1959)監督ミケランジェロ・アントニオーニ
岸辺の旅(2015)監督・黒沢清
王将(1948)監督・伊藤大輔
オデッセイ(2015)監督リドリー・スコット
黄金のアデーレ 名画の帰還(2015)監督サイモン・カーティス
サヨナラの代わりに(2014)監督ジョージ・C・ウルフ
クロノス(1993)監督ギレルモ・デル・トロ
白鯨との闘い(2015)監督ロン・ハワード


キャロル(2015)監督トッド・ヘインズ
三里塚の夏(1968)監督・小川紳介
大丈夫であるようにCOCCO終わらない夏(2008)監督・是枝裕和
ドラゴンタトゥーの女(2011)監督デヴィット・フィンチャー
春香伝(2000)監督イム・グォンテク
約束 名張毒ぶどう酒事件死刑囚の生涯(2012)監督・齊藤潤一
12人の優しい日本人(1991)監督・中原俊
さや侍(2011)監督・松本人志
森山中教習所(2015)監督・豊島圭介
ドレイ工場(68)監督・山本薩夫、武田敦


レヴェナント:蘇りし者(2015)監督・アレハンドロ・G・イニャリトゥ
あん(2015)監督・河瀬直美
風花(1959)監督・木下恵介
殿、利息でござる(2016)監督・中村義洋
沈黙(1971)監督・篠田正浩
あ、春(1998)監督・相米慎二
式部物語(1990)監督・熊井啓
先生と迷い猫(2015)監督・深川栄洋
日露戦争勝利の秘史 敵中横断三百里(1957)監督・森一生
ドグラ・マグラ(1988)監督・松本俊夫


永い言い訳(2016)監督・西川美和
スポットライト 世紀のスクープ(2015)監督トム・マッカーシー
弥勒MIROKU(2012)監督・林海象
野のなななのか(2013)監督・大林宣彦
起終点駅 ターミナル(2015)監督・篠原哲雄
珈琲時光(2003)監督・侯孝賢
地球最後のふたり(2003)監督・ペンエーグ・ラッタナルアーン
無知の知(2014)監督・石田朝也
リトル・マエストロ(2012)監督・雑賀俊郎


エイゼンシュテインと俳句、あるいは豹柄の顔について

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先週の木曜日、朝の通勤途中のことでした、別段急いでいた訳でもないのですが、歩道の段差に蹴躓いて転倒し、その勢いで車道まで転がり出て、アスファルトに額をしたたか打ち付けてしまいました。

しばらくは容易に立ち上がれず突っ伏したままでした。

そのときのタイミングで自動車が通りかかっていたら、完全に軋かれていました。

激突で衝撃を受けた額はかなりの痛みがあり、手を当てるとどんどん腫れてきたのが分かり、血も少し滲んできたのですが、救急車のお世話にもならずにそのまま出勤しました。

とりあえず会社に入って、総務課で労災の手続きをしてもらい、そのうえで病院に行こうととっさに判断したのだと思います。

手続きが終わり、虎の門病院に連絡してもらって、緊急外来として駆け込みました。

そこでCTスキャンなどの検査をしてもらったのですが、脳内に出血はなく、骨にも「別段の異常はない」という結果が出たので、ひとまず安心です。

早々に会社に戻り、上役に経過を報告し、翌日の休暇届を出し、金曜日の夜に友人と飲む約束があったので事情を話して約束の延期をお願いしたり(ごめんなさい)、仕事の引継ぎをしたりと、大方の手当てをしてその日は早めに退社した次第です。

翌日は、別段静養というほどでもないのですが、脳内出血していれば痙攣は2日後くらいにはあるはずだぞ、そのときの処置はだね、などと救急担当医師に脅されていたので、おとなしく痛み止めを飲んだり湿布を変えたりして終日家で過ごしました。

その日の夕方には何事もなく腫れも引き、痛みの方も和らいできたことが自分でもはっきり実感できました。

そして、明けて土曜日には、あっけないくらい「いつもの常態」に戻っていたので、「もう、なんともないぞ」と家人に話したところ、「ちょっと鏡を見てみなさいよ」と言われ、言われるままに鏡を覗き込んでビックリ、「これがオレ!?」、そこには顔面全部痣だらけの物凄い顔が写っていました。

あの「豹柄」とでもいった方がふさわしいくらいの、まるで歌舞伎のくま取りといっていいシュールさです、特に目の周りなど黒々と腫れあがっていて、これじゃあまるでパンダです。

そういえば、額を打ち付けた際に眼鏡の枠が目の周囲の柔らかい部分に食い込んだかもしれません、そのときだって、たまたまそこに自動車が通りかからなかったから良かったし、それに加えて眼鏡にしても、よくぞガラスが割れなかったものと、ぐにゃりとひしゃげた眼鏡のフレームを見ながら、いずれにしても「一歩間違えば大変なことになったのだ」と今更ながら事故の重大さにゾッとした次第です。

しかし、よく見ると、目の周りの痣は、ちょうどアイラインを入れみたいに色っぽくなっていて、退職したら一度ニューハーフのホステスでも試してみるか、結構いけるかも、などと冗談が出そうになりましたが、なんだか昨日から不機嫌な家人には到底通じるとは思えないので、躊躇の末に口にするのはやめました。

まあ、痣だらけの猛烈なこの顔はどうにかカモフラージュするとして、体は健康なので、とりあえず、月曜日には出勤するつもりでいますが、そのためには、このひしゃげた眼鏡をどうにか修理しとかなければなりません。

そうそう、それに、髪も伸びすぎているのでそろそろ散髪に行かなければならないだろうな等と考え、とりあえず、この土曜日は、このふたつのことを一回の外出で一挙に処理してしまうことに決めました。

眼鏡は去年の12月に安売りで有名な近所のチェーン店の年末セールで買ったばかりのもので、いつもなら領収書とか保証書のたぐいは、早々に捨ててしまうのですが、今回は幸いにもちゃんと保管してありました。ああ良かったという感じです。

眼鏡店については、いままで安売りのチラシにつられて眼鏡を買いに行って、店員のしつこい営業トークにあい、圧倒され、フレームはブランドものでなければ見栄えがしないとか、安物レンズは分厚くていかにもチープでみっともないとか、話自体を聞いているのが面倒になって(いま思えばそれが営業戦略だったのでしょうが)、逃げる許可を得るみたいについつい高価な眼鏡を買ってしまう・買わされるという苦い経験を幾度もしてきました。

その点この安売りチェーン店の対応は実にあっさりしていることが大いに気に入っています。

それに、もともと安価なので、たとえ予備の眼鏡をもうひとつ作ったとしても、いままで買わされた眼鏡よりもはるかに安い価格で済むということもあり、最近はもっぱらこの店を愛用していますし、今回もそのとき作った予備の眼鏡があったので実に助かりました。

価格の安い眼鏡を求めて来客が多くたて混んでいるせいもあるのですが、対応も余計なことは一切言わないクールなビジネスライクに徹しており、その点も自分好みです。

今回の修理もサービス内で、翌日にはできるというので、まずは、こちらの方は一安心でした。

さて問題は散髪の方です、顔見知りの理髪店なので、この痣だらけの顔を見たら、あの好奇心の強いオヤジのことですから、きっと根掘り葉掘り何かとうるさいことを聞いてくるに違いありません、間断なく話しかけることがサービスかなんかだと勘違いしているらしい、その善良さ(かどうかは分かりませんが)そのまま面倒くささと同居しているごく単純な、それだけに厄介なオヤジなので、いわば今の自分にとっては、「死の棘」といってもいいような存在というしかありません。

客足が鈍る昼下がりを見計らって理髪店のドアを開けました。案の定お客さんはひとりもいません。

「いらっしゃい」とやたら元気ないつものオヤジの声です。「しばらくですね、どうされました」などと話しかけ、椅子を回しながら、にこやかな顔で客を招くいつもの仕草をして自分が座るのを待っています。

こちらは、オヤジが顔の痣のことをいつ切り出すかと身構えているのですが、一向にその気配はありません、緊張していたぶん次第に拍子抜けしていく感じです。

オヤジは、いつもの手順で散髪を始めながら、いつも最初は「野球」か「俳句」かのどちらかの話から始まります。

どの客にたいしても「そう」なので、きっとこれが彼にとっての営業用のルーティンなのだなと考えられ、今日のところもひと当たりこれをやらないと彼も私の「顔の痣」の話題に取り掛かるきっかけがつかめないのかもしれません。

そのときは終わったばかりの「WBC」の話題の方も大いにあり得たのでしょうが、今日の最初の話題は、「俳句」の方でした。方々の句会にも参加しているという、もう40年からのキャリアをもつ俳人で、大そうな号もあるとか、詳しいことは知りませんが、いずれにしてもたいしたものです。

オヤジは言います。「今日の夕刊見ました? 室生犀星の全集未収録の手紙が64通も発見されたそうですよ」

ここに来る前に自分も夕刊はチラ見してきたので、その記事は読みました。犀星に対して特別な興味があるというわけではないのですが、彼がまだ金沢にいた当時、裁判所に勤めていたという経歴が強くインプットされて印象に残っているので、関連記事には一定の反応をするのだと思います。

「なんだかその手紙には未発見の俳句も書かれていたんですってね」

オヤジが「俳句」の話題を振る前に、自分が先に言ってしまったのは、たぶんお喋りの彼に対して少しばかり意地悪をしてやろうという邪心があったことは否めません、事実です。

しかし、そのときは「そう」ではありませんでした。

いや、それは、話題を横取りした自分に対するオヤジの更なる逆襲だったのかもしれません。

「私が購読している俳句の雑誌に、たまに「小説家の俳句」とか「文化人の俳句」なんかを特集することがあるのですが、ごくたまに「映画人の俳句」なんていう特集もあるんですよ。」

「あっ、そうなんだ」映画好きの自分を見込んだうえで意表を突いてそうくるか、という感じです。

「そこにね、小津安二郎監督の俳句も載っていたことがありましたよ。小津監督も俳句を作ったんですね、五所監督や吉村監督が俳句好きってことは、有名ですけどね。」

「へえ、そうなんだ」だの「ほほお、なるほど」だの、今日の自分は、まるでバカみたいな「あいづちマシーン」になり下がっています。

「それによると、俳句っていうのは、それぞれまったく違う言葉の組み合わせによって異なるイメージが喚起するという部分で、映画作りにも多大な影響を与えたんだそうですよ」

もはや相槌どころではありません、感心しなから聞き入ってしまっていました。

「それって、小津監督が、ですか」

「いえいえ、そちらはエイゼンシュテイン、例のモンタージュ理論のもとになったとか。日本の文化が好きだったから、彼。もちろん小津監督や日本の多くの映画監督にだって相当な影響を与えたこと間違いないとは思いますけどもね」

散髪してもらっているのに、ほんとうに申し訳なかったのですが、あえてのけぞり、オヤジさんの顔を思う存分しげしげと仰ぎ見ました。


やがて散髪も終わり、「どうもありがとうございました」というオヤジの声に送り出されて店を出てきたのですが、結局最後まで、オヤジは、自分のこの顔の痣のことには一切触れませんでした。

ああ見えても、あのオヤジ、自分が顔の痣のことを気にしているかもしれないと忖度して、差しさわりのある話題をあえて避け、「エイゼンシュテインと俳句」などという驚天動地の話題を振ることができるあたり、彼も結構なプロだったんだなと感心しました。

たとえ自分が店のドアを閉めた途端、さっそく奥さんに「お前、あの人のすごい顔の痣見たかい、なんだろうね、ありゃ、ええ」などといつものオヤジらしく興味本位のネタにされたとしても、まあ、今度ばかりは許してもいいかなと考えながら家路をたどりました。


小津安二郎と俳句

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実は、前回ブログに書いた「エイゼンシュテインと俳句」の後日談というのがありまして、例の理髪店から帰宅して、しばらくテレビを見たあと、すこし早めの夕食でもとろうかと思っていたとき、さきほどの理髪店のオヤジさんが訪ねてきました。

なにか店に忘れ物でもしたのかと思って出てみると、先ほど店で話した雑誌をオヤジさんがわざわざ届けにきてくれたというのです。
手渡されたその雑誌の表紙には「月刊・俳句界」(文学の森刊行)2015.3月号とあり、その下に幾分小さめの活字で「特集・映画人の俳句」と書いてあります、なるほど、なるほど。

そしてそのすぐ下には、確かに「小津安二郎から渥美清、夏目雅子まで」とありました。

「これですよ、店で話した特集記事というのは。ほら、ほんとだったでしょう。さっき旦那が、なんだか疑わしそうな顔をしていたので、実物を見てもらおうと思って届けにきました」ということでした。

「返却の方は、いつでも結構ですからね」とそれだけ言い残して、オヤジさんは、そそくさと帰っていきました。

「あっ、いえ、かえって恐縮」とかなんとか、およそ場違いな挨拶を遠ざかっていくオヤジさんの背中に慌てて投げかけました。

このときの自分の応対が素っ気なかったとすれば、それは不意のことに戸惑っただけなので、「小津安二郎と俳句」というのなら大歓迎、興味なら大いにあります。

しかし、こうした「証拠」を目の前にしたいまでも、なんだか半信半疑なのは解消していません、そもそも「小津安二郎と俳句」なんて、いままで考えたこともありませんでした。

だって、なんだか「らしくない」感じの方が勝って、どう考えてもしっくりこないというのが正直な気持ちです。

いままで自分のなかで「小津安二郎」と「俳句」を結びつけるという「発想」そのものがなかったということもありますが、そもそもあの寂しがり屋の小津安二郎がひとり孤独にふけって俳句という言葉遊びに興じたり・熱中したり・煩悶したりという孤独な時間を過ごしたということに(仲間を集めてワイワイ賑やかなことがとても好きな小津監督のことですから、そういう孤独な「時間」をひとりで過ごして言葉遊びにふける人とはどうしても思えなかっただけに)、なんだか意表を突かれたからだと思います。

さっそく「月刊・俳句界」の小津安二郎の俳句が掲載されているとかいうページを開いてみました。

なるほど、ありますね、あるある。

ページの右端に「小津安二郎」という見出しがあり、俳句が6句掲載されています。

ごく短いので、ちょっと書き写してみますね。


つくばひに水の溢るる端居かな
黒飴もひとかたまりの暑さかな
手内職針の針のさきのみ昏れのこる
未だ生きている目に菜の花の眩しさ
月あかり築地月島佃島
春の雪石の仏にさはり消ゆ


最初から分かっていたことですが、俳句の素養なんてまるでない自分です、この6つの句を目の前に並べて、その句の良し悪しが「どうこう」判断できるわけもありません、ただ言えることは、どの句にも感情というものが些かも感じられないということくらいでしょうか。

あっ、そうか、これって正岡子規がいっていた「写生」とかいうもので、後継者の虚子も「花鳥諷詠」とかいってたっけな(これは深見けん二先生からの受け売りです)と乏しい知識から、これら小津俳句の「素っ気なさ」の意味がだんだん分かってきました。

そういえばあの司馬遼太郎の「坂の上の雲」で、なんで正岡子規の設定が必要だったのか、読んだ当時も(そしていまでも)訝しく思ったことを思い出しました。

とかなんとか余計なことを考えながら、まあ、この小津俳句、早い話が、感動していいものやら、しなくていいものやら、少しも分からないという思いだけがヤタラ空回りして同じ所を堂々巡りするばかりです。

で、いつもなら、これで話は途切れて「おしまい」になってしまうのですが、この特集記事の最初に掲載されている齋藤愼爾という方の「映画人の俳句逍遥」という論考の、そのなかの一文を読んで、俄然興味が湧いてきました。

そこには、こんなふうに書かれていました。

「田中眞澄(小津映画の研究家)が、小津の手帳、メモ帳、覚書帳から編集した1933年から63年に至る「全日記小津安二郎」(フィルムアート社)には、およそ123句の俳句と10首ほどの短歌を拾うことが出来る。最も多産だったのは、「東京の宿」が公開された1935年の46句だ。5月18日には、同行13名で仙台行。夜は句会を開いている。連衆は小津の他に斎藤寅次郎(監督)、清水宏(監督)、野村浩将(監督)、野田高梧(脚本家。小津とは処女作以来、終生の名コンビ)である。」


そして、そのすぐあとに、つぎの3句が紹介されていました。
籤運の悪さをなげく旅の空 斎藤寅次郎
さみだれに濡るる仔馬を見て過ぐる 野田高梧
郭公もしとどに濡れて五月雨 小津安二郎

ちなみに、ここにある13名とは、

斎藤寅次郎、清水宏、野村浩将、野田高梧のほかに、荒田正男、佐々木啓祐、柳井隆雄、井上金太郎、池田忠雄、北村小松、伏見晁、斎藤良輔、そして小津安二郎だったそうです。

なるほど、なるほど、これならよくわかります。出来の方はともかく、あの寂しがり屋の小津が愛した俳句というのが、こうして仲間内でワイワイ賑やかに楽しむ華やかな連句だったんだなと、「小津安二郎にとっての俳句」の意味が少しだけ分ったような気がしてきました。


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