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キネマ旬報作成「外国映画監督ベストテン」の懸念

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インターネットの怒涛のような普及で、web対応に遅れた雑誌(紙ベースにこだわってきた雑誌は特に悲惨です)は、刊行部数激減の果てに、雪ダルマ式に負債を増やしながら追い詰められ、どんどん廃刊に追い込まれている現実に歯止めがかかりません。

雑誌の刊行部数の戦後最低記録を年毎にますます塗り替え続けているというのが現状です。

通勤電車のなかで雑誌はおろか新聞を読んでいる人さえ最近はまったく見かけませんし(ましてや書籍などトンデモナイという感じですから)、町で行き交う人たちが片手に雑誌を抱えている姿など見なくなりました。

スマホがそういう日常風景の在り方を根本から変えてしまったのでしょうね、驚くべきことだと思います。

以前ならサラリーマンが週刊誌(自分の場合は「週刊文春」か「週刊新潮」でしたが)を抱えている姿などザラだったし、なかにはあの分厚い「文芸春秋」をさえ持ち歩いていた人もいたくらいですから、いまの出版業界の閑散としたシャッター状態と比較すると、ほんとに昔日の感があります、実にさびしい限りです。

まあ、ハナから発行部数が少なかった学術誌や地味系の専門誌などは、それでも律儀な固定読者がしっかりと支えてくれているので、どうにか踏みとどまっているらしいのですが、もっとも厳しい局面にあるのが膨大な発行部数を誇っていたトレンディなファッション雑誌や料理本など趣味の本関係ということらしいのです。

しかし、なにも読者が「ファッション」や「レシピ」の情報を必要としなくなったのかといえば、そうではなくて、いま必要な部分だけが提供される「切売り」があれば十分(まさにスマホです)なので、いま必要としない情報までには金は出さないという「シビア」な姿勢に変わってきたのだと思います。

そういう熾烈な状況を考えると、自分が愛読している「キネマ旬報」などは、随分と頑張っていると思います、実にたいしたものだと常々感心している次第です。

まあ、これからちょっと苦言を呈しようかと思っているので、ここはひとつ軽く褒めておかないといけないかなということで。
しかし、この「キネマ旬報」、月にたった2回の配本だというのに、(自分のズボラとテイタラクを棚に上げて言うのもなんですが)ここのところ、じっくり腰を落ち着けて読んだという記憶がありません。

いえいえ、記事がつまらないということではなくて、むしろ「ぜひとも読んでみたいという記事があるのにもかかわらず」ですから、そこを「読み逃」してしまう(イメージは「見逃す」と同じです)というのですから、自分のグウタラ振りもほとんど重症です。

そのなかで、これだけは是非ともじっくり目を通したい・通さねば、という一冊がありました。それは去年の11月下旬号掲載の「100%監督主義」という巻頭の特集記事で、サブタイトルが「100人の評論家が選んだ外国映画監督ベスト・テン」という物凄い企画です。
なるほど、なるほど。

世の中の急激な変化を敏感に反映する映画のことです、昨日の情報が、今日には役立たないなんてことは当然で、入れ替わりの激しいトレンディな「映画監督情報」なら是非ともチェックしておきたいとは気になっていながら、なんだかんだと延び延びになり、ついに「今日」になってしまいました。

記事の構成は、「外国映画監督ベスト・テン」の12人(同数として7位が2人、9位が4人)が顔写真入りで紹介されており、次頁に、下位の監督名がずらっと並んでいます。

大まかに振られているNo.を辿っていくと総勢361人になる勘定なのですが、実は、189位とすべき箇所を「289位」と表示したミスプリントがあって、実のところの総勢は、261人であることをリスト(下記参照)を作成して確かめました(「読者1位」は、読者のベストテン1位の意味です)。

そして、リストのうち1行空けた箇所は、そのグループの獲得ポイントの境目で、例えば、

クリント・イーストウッドの81ポイントの1位からはじまって、ドゥニ・ヴィルヌーヴの43ポイントの2位、ポール・トーマス・アンダーソン30ポイトンの3位、という具合にベストテングループがあり、順次ずっと下がって、【アベル・フェラーラ】のグループがすべて3ポイント獲得、【アヌラーグ・バス】のグループがすべて2ポイント獲得、【アキ・カウリスマキ】のグループがすべて1ポイント獲得した監督という感じで下位の大きなグループが極めて僅差な点差で接しています。

しかし、考えてみれば、なんとアバウトで大味なランキングかとあきれてしまいました。なにしろ、各グループ内は、きっちり「五十音順」になっているところを見ると、最初に五十音順になっている整然たるリストがあって、それを切り取ってきただけらしいイージーさです、あきれないわけにはいきません。

なにしろ、たった2ポイントの差で100位からの差がついてしまううえのこの「五十音」ですから、どこがベストテンかと、思わず苦笑してしまいました。日本の雑誌でこんなことして遊んでいるなんて知ったら、カウリスマキはなんて言うでしょうね、うっかり教えられませんよね。

知られたら大変だ、もう日本になんか来てくれないかもしれません。

それに、末尾に掲げた4人は、読者のベスト10でランクされていた監督なのですが、業界人が選んだ261位にも入らなかったというわけで、「それってどういうことなの」という気分です。

なんだか釈然としませんが。

以下は、ランキング・リストです。とにかく「労作」です、褒めてください。


【クリント・イーストウッド】1位・読者2位
【ドゥニ・ヴィルヌーヴ】2位・読者5位
【ポール・トーマス・アンダーソン】3位
【ミゲル・ゴメス】4位
【ウェス・アンダーソン】5位・読者17位
【デイミアン・チャゼル】6位・読者9位
【ジャン=リュック・ゴダール】7位
【キム・ギドク】8位
【ジャン・ジャンクー】9位・読者26位
【ラース・フォン・トリアー】10位
【クリストファー・ノーラン】11位・読者1位
【ジョエル&イーサン・コーエン】12位・読者20位

【ジョニー・トー】13位・読者14位
【パオロ・ソレンティーノ】14位

【グザヴィエ・ドラン】15位・読者8位
【スティーヴン・スピルバーグ】16位・読者7位
【トッド・ヘインズ】17位
【リチャード・リンクレイター】18位・読者28位

【アルフォンソ・キュアロン】19位
【アルハンドロ・ホドロフスキー】20位
【イエジー・スコリモフスキー】21位

【アピチャッポン・ウィーラセタクン】22位
【アスガー・ファルハディ】23位
【クェンティン・タランティーノ】24位・読者4位
【トーマス・アルフレッドソン】25位
【ブリランテ・メンドーサ】26位
【ホン・サンス】27位
【ワン・ピン 王兵】28位

【アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ】29位・読者10位
【ウディ・アレン】30位・読者6位
【ジャウマ・コレット=セラ】31位
【ブライアン・デ・パルマ】32位
【ポール・フェイグ】33位

【アルノー・ディプレシャン】34位
【アンドレイ・ズビャギンツェフ】35位
【イーライ・ロス】36位
【ジャック・オディアール】37位
【ドリュー・バリモア】38位
【ポン・ジュノ】39位・読者18位

【イ・チャンドン】40位
【ヴィクトル・エリセ】41位
【ギヨーム・ブラック】42位
【ケン・ローチ】43位
【サラ・ポーリー】44位
【ジャンフランコ・ロージー】45位
【ジョン・カーペンター】46位
【ジョン・ワッツ】47位
【ミア・ハンセン=ラブ】48位
【レオス・カラックス】49位

【アブデラティフ・ケシシュ】50位
【アン・リー】51位
【ヴェルナー・ヘルウォーク】52位
【シュー・ハオフォン 徐浩峰】53位
【チャウ・シンチー】54位
【ディアオ・イーナン 刀亦男】55位
【トム・フォード】56位
【ハニ・アブ・アサド】57位
【ホウ・シャオシェン】58位
【リドリー・スコット】59位・読者24位

【アダム・ウィンガード】60位
【ギレルモ・デル・トロ】61位
【ジョン・カーニー】62位・読者15位
【ソフィア・コッポラ】63位
【ペドロ・アルモドバル】64位
【マーティン・スコセッシ】65位・読者20位
【モフセン・マクバルハフ】66位
【ラヴ・ディアス】67位

【ショーン・ペン】68位
【ディヴィッド・ミショッド】69位
【ヌリ・ビルゲ・ジェイラン】70位
【ノア・バームバック】71位
【ベン・アフレック】72位

【アイラ・サックス】73位
【アニエス・ヴァルダ】74位
【アリ・フォルマン】75位
【イム・グォンテク】76位
【ギジェルモ・アリアガ】77位
【ジェームス・L・ブルックス】78位
【ジェームス・キャメロン】79位
【ジェームス・グレイ】80位
【ジェフ・ニコルズ】81位
【ジャファール・バナヒ】82位
【ジョージ・ミラー】83位・読者19位
【ジョン・トレス】84位
【シルヴェスタ・スタローン】85位
【スサンネ・ビア】86位
【スティーヴン・ダルドリー】87位
【スティーヴ・マックイーン】88位
【セバスチャン・シッパー】89位
【ダン・ギルロイ】90位
【チャン・ロンジー】91位
【ツァイ・ミンリャン】92位
【トミー・リー・ジョーンズ】93位
【トム・ティクヴァ】94位
【ナ・ホンジン】95位
【ニコラス・ウィンディング・レフン】96位
【バズ・ラーマン】97位
【ファティ・アキン】98位
【フィル・ロード&クリストファー・ミラー】99位
【フランソワ・オゾン】100位・読者13位
【ペドロ・コスタ】101位
【マティアス・ピニェイロ】102位
【ミロスラヴ・スラボシュピツキー】103位
【リ・イン 李纓】104位
【リョン・ロクマン&サニー・ルク】105位
【レナ・ダナム】106位
【レニー・エイブラハムソン】107位
【ローズ・ボッシュ】108位
【ロブ・マーシャル】109位
【ロブ・ライナー】110位

【アトム・エゴヤン】111位
【ウィゼマ・ボルヒュ】112位
【ウィリアム・フリードキン】113位
【ギャスパー・ノエ】114位
【クアク・ジャヨン】115位
【クレイグ・ブリュワー】116位
【サイモン・カーティス】117位
【シーグリット・アーンドレア・P・ベルナード】118位
【J・J・エイブラハムス】119位
【ジム・ジャームッシュ】120位
【ジョー・カーナハン】121位
【ジョシュア・オッペンハイマー】122位
【ジョン・ファブロー】123位
【チャンヤン 張楊】124位
【チャン・ユーシュン】125位
【チョン・モンホン】126位
【デイヴィッド・エアー】127位・読者25位
【デブ・ラグラニック】128位
【ナンシー・マイヤーズ】129位
【ネヴェルダイン/テイラー】130位
【パン・ホーチョン 彭浩翔】131位
【ブルハン・クルバニ】132位
【フレデリック・ワイズマン】133位
【ベルトラン・ボロネ】134位
【ホイット・スティルマン】135位
【マーレン・アーデ】136位
【マルガレーテ・フォン・トロッタ】137位
【ミケランジェロ・フランマルティーノ】138位
【ミシェル・アザナヴィシウス】139位
【ミヒャエル・ハネケ】140位・読者23位
【ヤウ・ナイホイ】141位
【リチャード・アイオアディ】142位

【アベル・フェラーラ】143位
【アレクセイ・フェドロチェンコ】144位
【イー・ツーイェン】145位
【ヴォルフガング・ベッカー】146位
【ウルリヒ・ザイドル】147位
【エリック・エマニュエル・シュミット】148位
【キム・ゴク&キム・ソン】149位
【ギャヴィン・フッド】150位
【キャスリン・ビグロー】151位
【クリスティアン・ペッツォルト】152位
【クリストファー・マッカリー】153位
【クリスビン・グローヴァー】154位
【ジェイ・ローチ】155位
【J・C・チャンダー】156位
【ジェームズ・ガン】157位
【ジャスティン・リン】158位
【ジャド・アパトー】159位
【ジャン=マリー・ストロープ】160位
【ジョディ・フォスター】161位
【ジョナサン・グレイザー】162位
【ステファヌ・ブリゼ】163位
【ダニー・ボイル】164位
【ダン・トラクテンバーグ】165位
【ディヴィッド・フィンチャー】166位・読者3位
【ディヴィッド・リンチ】167位
【ティム・バートン】168位・読者12位
【テリー・ギリアム】169位
【トッド・フィールド】170位
【トニー・ガトリフ】171位
【トム・フーバー】172位
【ナワポン・タムロンラタナリット】173位
【ニール・ブロムカンプ】174位
【ネメス・ラースロー】175位
【ハイレ・ゲリマ】176位
【パトリシオ・グスマン】177位
【フランシス・F・コッポラ】178位
【ベネット・ミラー】179位
【ベン・ウィートリー】180位
【ホセ・ルイス・ゲリン】181位
【マーク・ローレンス】182位
【ミランダ・ジュライ】183位
【メイベル・チャン】184位
【ラージクマール・ヒラーニ】185位
【リュ・スンワン】186位
【ロバート・ストロンバーグ】187位
【ロン・ハワード】188位

【アヌラーグ・バス】189位
【ウォン・カーウァイ】190位
【エドモンド・ヨウ】191位
【オリヴィエ・アサイヤス】192位
【カルロス・ベルムト】193位
【カン・ギェジュ】194位
【ゲイリー・ロス】195位
【サース・ヤーノシュ】196位
【サミュエル・ベンシェトリ】197位
【ジャンニ・アメリオ】198位
【ジュゼッペ・トルナトーレ】199位
【ジョージ・クルーニー】200位
【ジョゼ・パジーリア】201位
【ジョセフ・カーン】202位
【ジョン・ブアマン】203位
【ジョン・リー・ハンコック】204位
【スティーヴン・フリアーズ】205位
【ソト・クォーリーカー】206位
【ダン・ニャット・ミン】207位
【ディヴィッド・クローネンバーグ】208位
【ディヴィッド・マッケンジー】209位
【ディヴィッド・ロバート・ミッチェル】210位
【トム・マッカーシー】211位
【ニコラス・ローグ】212位
【ニック・パーク】213位
【パスカル・フェラン】214位
【プラッチャヤー・ピンゲーオ】215位
【フレッド・カヴァイエ】216位
【フロリアン・ダーヴィト・フィッツ】217位
【ホアン・ミンチェン 黄銘正】218位
【マーティン・マクドナー】219位
【マシュー・ヴォーン】220位・読者11位
【マルタン・プロヴォスト】221位
【ヨアヒム・トリアー】222位
【ラミン・バーラニ】223位
【リー・ダニエルス】224位
【リサンドロ・アロンソ】225位
【リチャード・ケリー】226位
【リティ・パニエ】227位

【アキ・カウリスマキ】228位
【アラン・モイル】229位
【アレキサンダー・ペイン】230位・読者30位
【イム・スルレ】231位
【ヴァンサン・マケーニュ】232位
【エドウィン】233位
【カルロス・レイガダス】234位
【ジェームス・T・ホン】235位
【ジェームズ・ヴァンダービルト】236位
【ジェフリー・C・チャンダー】237位
【シャロン・マイモン&タル・グラニット】238位
【ジョー・グータイ 周格泰】239位
【ジョエル・ホプキンス】240位
【ジョージ・A・ロメロ】241位
【ジョージ・ルーカス】242位
【ジョージ・ロイ・ヒル】243位
【ジョン・ハイアムズ】244位
【スティーヴン・ナイト】245位
【スパイク・ジョーンズ】246位
【スペイシー・ペラルダ】247位
【ダミアン・マニヴェル】248位
【タル・ベーラ】249位
【チェ・ドンフン】250位
【チェン・ユーシュン 陳玉勲】251位
【チョン・グンソプ】252位
【デレク・シアンフラン】253位
【ドーリス・デリエ】254位
【トビアス・リンホルム】255位
【ハーモニー・コリン】256位
【ブリュノ・デュモン】257位
【マイケル・マン】258位
【モンテ・ヘルマン】259位
【リリ・リザ】260位
【ルーシャン・キャステーヌ・テイラー&ヴェレナ・パラヴェル】261位

【ジャン=ピエール&リュッリ・ダルデンヌ】・読者16位
【ペドロ・アルモノバル】・読者22位
【ギレルモ・デル・トロ】・読者26位
【ナ・ホンジン】・読者29位




堕胎によって夫を見限る妻たち

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ずいぶん以前にアップした作品のコメントに、最近になって多くのアクセスをいただいて、意外な思いをしたことが幾度かありました。

例えば、松本俊夫監督が亡くなられた時には、「薔薇の葬列」に多くのアクセスをいただきましたし(あの訃報を知った日、自分も書棚から久しぶりに「映画の革命・芸術的ラジカリズムとは何か」を引っ張り出して、学生時代に引いた傍線の力のこもった文体にしばし読みふけり、受けた影響の大きさとか、鋭い論理で既成の価値観に決然と立ち向かった松本監督の孤高の「過激」をひとりしみじみと偲びました)、そのほかにも、思い出の作品に多くのアクセスをいただいたときなど、きっとどこかのチャンネルでその作品が放映されたに違いないという当て推量で、懐かしさも手伝って、もし再放送でもあれば是非みたいものと考え、大急ぎで検索をかけてみたことも再三ありました。

それに、自分が、当時いったいどんなことを書いたのかも、とても気になりますので、テレくささを抑え、恥ずかしながらと拙文をチラ見することもしばしばあり、ここ数日のことについていえば、成瀬己喜男監督の「山の音」がまさにそういう感じでアクセスをいただきました。

おそらくはきっと、この作品も、どこかの上映会かチャンネルで放映したに違いありません。

そして、本当に久し振りに自分のその感想なるものを読み返してみたのですが、文章のあまりの稚拙さ・言葉足らずに思わず顔が赤らみ、恥ずかしさでひとりウツムイテしまったほどだったものの、しかし、思えば、その稚拙さは、「言い回し」とか「語彙の貧しさ」とか「文体」についてだけのことであって、当時必死になって書こうとしたことのエッセンス自体は、「いま」でも、さほど変わっているとは思えません、いや、もしかすると同じようなことをまた書いてしまうかもしれないなというのが正直なところです(人間の感情というものは、たとえ時間がいくら経過しても、そう簡単には「変わったり、進化したり」するようなものではないということなのだろうと思います)。

さて、今回、自分の書いたものながら、読んでいるうちに、ハッと気づかされることがありました、最近見た幾つかの映画で共通して感じた「あること」が、その「山の音」のコメントのなかに書き込まれていたからでした。

少し長めの引用になりますが、「その部分」を契機にして自分が感じたことも併せて書いてみようかと思います。


≪「山の音」一部引用≫
「夫の異常な性向は、事務所の女子事務員を伴って愛人宅を訪れるという不自然なシチュエーションに加えて、さらに、その愛人と同居しているという女友達をも巻き込みながら、酔って荒れるという「乱交」的な異常さを連想してしまうような部分に簡潔に描かれていると思います。
そうした異常な余韻を受けて、観客は「娼婦の真似など出来ない」妻を追い詰める夫の冷ややかな朝のシーンの皮肉な言葉に、夜の寝間での夫婦の性的なやり取り(ある性技の要求と拒絶、あるいはその延長にある無理矢理の性交)という秘められた淫らなイメージがどこまでも広がっていき、だからこそ妻は、自分に宿った命を殺すという堕胎によって、そういう夫に対する拒絶の意思を明らかにしたのだと思います。」

*

最後の部分「だからこそ妻は、自分に宿った命を殺すという堕胎によって、そういう夫に対する拒絶の意思を明らかにしたのだ」というところですが、これってまさに最近見て感銘を受けた「レボリューショナリー・ロード / 燃え尽きるまで」(2008サム・メンデス監督)そのものじゃないですか。


会社での仕事が思うようにいかずに、すっかり生気を失って苛立ちを募らせている夫(レオナルド・ディカプリオが演じています)を見かねた妻(ケイト・ウィンスレットが演じています)は、こんな淀んだ生活なんかさっさと清算し、心機一転、かつて夫が夢のように語っていた「パリでの新生活」を提案します。

最初は半信半疑だった夫も、すっかり行き詰ったこの生活(妻とのあいだにも不協和音があり、言い争いが絶えません)を打開するには、あるいはいいことかもしれないなとちょっぴり気持ちを動かされ、ずるずると妻に同意してしまいます。

しかし、この時ですら、「パリでの新生活」に対して、ふたりの気持ちがぴったりと寄り添っていたかといえば、それはきわめて疑問だったといわねばなりません。

夫は、表向きには妻の提案に同意したものの(正確には、「拒否できなかった」からというのが本音です)、意識のどこかで、「そんな夢みたいなことなど、できるわけがない」と高をくくっていて、それは、そう決めた以後の夫の奇妙な陽気さと快活さ(そこにあるのは、パリ行きなど、所詮は非現実的な絵空事としか捉えてない実感のなさからくる解放感です)に序実に表れているように思えます。

そんな折、夫は図らずもオーナーから自分の仕事を評価され、破格の待遇で共同経営者にならないかと誘われます。

気持ちが揺らぐ夫に対して、その優柔不断さを妻は厳しく詰ります。

そしてある日、夫婦は修復不可能なくらいに互いを激しい言葉で難詰し、非難し、卑しめ、完膚なきまで傷つけ、もはや互いに共感できるものなど何ひとつ残ってないという極限の絶望の淵まで追い詰め、疲れ切って失意の夜を過ごします。

そして翌朝、すっかりぼろぼろになった夫は、「もはや、すべてを失ったのだ」という絶望と不安のなかで起き出していった台所で、不意に、背中を向けて甲斐甲斐しく朝食の支度をしている妻の姿を見出します。

妻は、静かに振り向き、優しい笑顔で夫を迎えます。

昨夜、口汚く罵り合った激しく無残な言葉の応酬は、あれは錯覚かマボロシにすぎなかったのかと思わせる奇跡のように穏やかな朝の食事をとりながら、ふたりは静かに言葉を交わし、微笑み合い、深く心を交わす(かに見える)素晴らしいラスト・シーンでした。

そして、妻は夫に穏やかに語り掛けます。

妻「夢を話しているときのあなたが、とても好きだったの」

夫「どの夫婦もするように、微笑みを交わしながら静かに朝食を食べ、そして、妻に笑顔で送り出されて会社にいく平凡な毎日が自分の望みだったんだ」

思えば、妻と夫のこの言葉のあいだには、修復不能な絶望的な亀裂があって、夫は「これで、すべてうまくいく」と喜びに胸躍らせて会社に向かっているそのとき、妻は、夢を失い、愚劣な「現実」を嬉々として語る夫に失望しながら、失意の中でお腹の子供(という「現実」)をオロス作業にわが身を傷つけ、そして失敗し、苦悶のなかで血まみれになって無残に息を引き取っていきます。

最初から「パリの新生活」など求めてもいなかった夫には、妻を不意に失ったその理由も、彼女が熱く求めていた夢のことも、結局は理解できなかったのだと言わざるを得ません。

「レボリューショナリー・ロード / 燃え尽きるまで」で描かれた妻と夫の絶望的な亀裂の物語は、日常に深く根ざした成瀬作品「山の音」が描いた妻の失意と諦念の物語に比べれば、随分と観念的なストーリーと感じられてしまうことは否めないとしても、それだけに一層ピュアなものを感じてしまったのかもしれませんね。


当初、「堕胎によって夫を見限る妻たち」と大きく構えてタイトルをつけたのは、橋口亮輔監督の「ぐるりのこと。」と、マイケル・ウィンターボトム監督の「トリシュナ」を絡めながら書くつもりだったのですが、ついにチカラ及ばず息切れして、残念な結果に終わらせてしまったことを告白しておかなければなりません。

アシカラズ


Revolutionary Road
(2008アメリカ・イギリス)監督・サム・メンデス、脚本・ジャスティン・ヘイス、原作・リチャード・イェーツ『家族の終わりに』(ヴィレッジブックス刊)、製作・ボビー・コーエン、ジョン・N・ハート、サム・メンデス、スコット・ルーディン、製作総指揮・ヘンリー・ファーネイン、マリオン・ローゼンバーグ、デヴィッド・M・トンプソン、音楽・トーマス・ニューマン、撮影・ロジャー・ディーキンス、編集・タリク・アンウォー、プロダクションデザイン・クリスティ・ズィー、衣装デザイン・アルバート・ウォルスキー、音楽監修・ランドール・ポスター、製作会社・BBCフィルムズ、ドリームワークス
出演・レオナルド・ディカプリオ(フランク・ウィーラー)、 ケイト・ウィンスレット(エイプリル・ウィーラー)、 キャシー・ベイツ(ヘレン・ギヴィングス夫人)、 マイケル・シャノン(ジョン・ギヴィングス)、 キャスリン・ハーン(ミリー・キャンベル)、デヴィッド・ハーバー(シェップ・キャンベル)、 ゾーイ・カザン(モーリーン・グラブ)、 ディラン・ベイカー(ジャック・オードウェイ)、 ジェイ・O・サンダース(バート・ポラック)、 リチャード・イーストン(ギヴィングス氏)、 マックス・ベイカー(ヴィンス・ラスロップ)、 マックス・カセラ(エド・スモール)、 ライアン・シンプキンス(ジェニファー・ウィーラー)、 タイ・シンプキンス(マイケル・ウィーラー)、 キース・レディン(テッド・バンディ)、


阪東妻三郎の強欲

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wowowで放送した番組を、たとえそのとき見逃しても、パソコンでいつでも見ることができる「メンバーズ・オンデマンド」というのがあって、これってなかなかの優れもので、結構便利に活用させてもらっています。

とにかく、放送時間にこちらが合わせなくてもよくて、しかも、わざわざテレビの前に陣取る必要もないという「時間と場所」に拘束されないで済む自由で手軽なところが大いに気に入っています。

しかし、考えてみれば、「放送時間に合わせてテレビの前に座るのが億劫だ」なんて、なんという怠惰かと我ながら呆れ返りますが、思えばこの手の進化って、テレビのコントローラーが登場したあのあたりから、こんなふうな便利グッズへの「依存と鈍感」が始まったのではないかという気がしています。

便利に使わせてもらっていて、散々恩恵を受けているくせに、こんなふうに言うのも随分と身勝手で気が引けるのですが、逆にいえば、視聴者に対するメーカーの際限のないオモネリが、どんどん歯止めがかからなくなったという面もあるような気がします。

視聴者をただ甘やかしているにすぎない現実の「技術の進歩」が目指している定見なき「方向」というものが、なんだか間違っているのではないか・本当にこれでいいのかと、家電メーカーの凋落の報に接するたびに、なんだか分からなくなることがあったりします。

そういえば、むかしのテレビは、チャンネルを合わせるたびに、ダイヤルをガチャガチャ回していたわけで、それだけにダイヤル部分の劣化が激しく、故障といえば、まずはダイヤルの接触不良によって画像が写らなくなるというのが、最もポピュラーな故障だったように記憶しています。

応急処置として、その緩みはじめたダイヤルの下に文庫本かなにかを当てがい持ち上げておけば、しばらくはどうにか写るのですが、また少し経つと再び画像が乱れて薄れ始める、さらに文庫本を追加して持ち上げる、なんてことを際限なく繰り返しているうちに、いよいよ画像が心霊写真状態になって、とたんに「プシュー」とかいって消え、ついになにも写らない「放送終了画面」(当時は、深夜の放送はありませんでした)に至るということが多かったような気がします。

しかし、そんなふうに故障しても、当時はとても高価だったテレビ受像機のことですから、そう簡単に買い替えるなどという発想はなく、町の電気屋さんに幾度も修理にきてもらい、散々手を尽くし、いよいよ「こりゃ駄目だ」と最終宣告を受ける臨終状態になるまで、どうにかテレビ受像機を持たせていたことを思い出しました。

それを思うと、「死なないダイヤル」を生み出したテレビのコントローラーっていうのは、物凄い発明だった代わりに、その発明自体がテレビ受像機の販売台数を激減させた原因ともなったのだとしたら、なんだか皮肉な話だなあと思ったりしました。

話が物凄く横道に逸れてしまいましたが、なんでしたっけ、あっそうそう、wowowの「メンバーズ・オンデマンド」でしたよね。

アレ、結構よく見ていて、いまでもジャンル的には圧倒的に「映画」をチョイスすることが多いのですが、先日たまたま「ドキュメンタリー」というジャンルを選択してみました。

しかし、別に、この選択が初めてというわけではなくて、少し前に「アンダーカバー・ボス」とかいうアメリカの番組をよく視聴していました。

企業の社長とかCEOが変装して、身分を隠して自社の工場に新米の臨時工として入り込み、現場の様子(勤務状態とか不満とか)をつぶさに実見し、忠誠心を正当に評価されていない社員には金銭的な顕彰をして感謝・感激を強要するというなんとも安普請の「泣かせ番組」なのですが、その変装といっても、ヅラをつけて眼鏡をかけた付け髭という誰が見たってすぐに「あっ、社長だ」と分かってしまう程度のもので、それらを撮影するカメラだって別段隠す様子もないという「ヤラセ」はみえみえ、しかし、そういうことすべてを差し引いても、結構面白く見ていたのは、最後の「恐れ多くもここにおわしますのは」という水戸黄門的な、社長が身分を明かしたときの従業員のワザとらしいお約束のサプライズ・リアクションと、生活苦にある忠誠心に満ちた社員にボーナスを与えるときのスーパー・サプライズ・リアクション(感謝する従業員は大げさに号泣し、社長も貰い泣きします)にあるのですが、注目は、噓泣きしている貧しく哀れな従業員の方ではなくて、むしろ、二代目か三代目と思しき苦労知らずの若社長の見え透いた「どや顔」の方にあり、アメリカのクールな経営者たちがもし仮に、いままでの労使間関係になんらかの反省があって、ウワベではこうした家族的な繋がりもまた必要だなどと考えているのだとしても、アメリカの現実おいては、すでにシビアな格差社会(もはや移動不可能な固定された強固な階級社会です)がすっかり成熟して極限まで進行していて、すでに「自由と博愛」を語る小奇麗なタテマエなどとうに崩れており、そういう貧乏人の怒りを煽り、彼らの苛立ちを利用して仕事を奪う移民の排斥と過剰な保護主義政策を標榜して、実はひと儲けしようと画策している「死の商人」にすぎない「荒唐無稽なトランプ」を合衆国大統領に選出してしまうという、切迫した怒りの本音を吐露せざるを得ない貧困に苦しむ追い詰められた労働者たちが、この番組では、まるで従順な哀れで無力な羊にすぎなくて、そういう惨憺たる状態にある人間関係を、札びらを切って(あるいは、社長のポケットマネーを小出しにするような上から目線の見えすい行為によって)塗り固めようと夢見る経営者たちの見え透いたグロテスクなその時代錯誤の視点の噓寒さと滑稽さに(それが彼らのリアルの限界です)たぶん自分は惹かれ続けていたのだと思います。

それに、この愚劣な猿芝居(想像力の限界)を見ていると、アメリカのクールな経営者たちにとって、日本の「終身雇用」などという慣行は、まるで集団自決か自滅行為=カミカゼ特攻隊みたいな荒唐無稽で無謀な慣行としか考えてない冷笑さえ感じ取れる、実に興味深いものがありました。

あっ、またまた話が横道に逸れてしまいましたね。

≪その日、たまたま、ジャンルをいつもの「映画」ではなく、「ドキュメンタリー」を選択したとき≫までに話を戻しますね、やれやれ。

その日、たまたま、ジャンルをいつもの「映画」ではなく、「ドキュメンタリー」を選択したとき、真っ先に、「阪東妻三郎」の笑顔の写真が目にとまりました。

へぇ~、こんな番組があったんだと、意外な感じでちょっと驚きました。

タイトルは、「ノンフィクションW 阪東妻三郎 発掘されたフィルムの謎 ~世界進出の夢と野望」というものなのですが、なんで「意外な感じ」をもったのかというと、つい最近、高橋治の「純情無頼 小説阪東妻三郎」という本を読んだばかりだったので、この偶然になんだか不思議な巡り合わせを感じたからかもしれません。


高橋治には、「絢爛たる影絵―小津安二郎」という名著があって、読んだ当時は、随分ハマってしまいました。
その当時、自分もこの本から幾つかのネタを拝借した覚えがあります。

この著者の魅力は、なんといってもご当人が、しばらく松竹の撮影所に在籍していて、多くの絢爛たる映画人にジカに接したという生の経験の「引き出し」を多く持っていることで、紹介するエピソードの豊富さと迫力は群を抜いており、いわば余人の口出しを許さない「犯人しか知りえない事実の重み」みたいなものを語れる「特権的立場」にあるといえるからでしょう。

これは書き手とすれば最強であって、いわば「独壇場」には違いないのですが、その一方で、その関係があまりにも近すぎると「しがらみ」という要素が勝って、ややもするとそのエピソードに見え隠れする「きな臭い事実」の部分については、あからさまな言及ができずに口を閉ざすという、自制を伴う「足枷」も背負い込むという弱点もないわけでなく、その配慮が過剰であれば、当然単なる「ヨイショ本」に堕落するというリスクのあることは容易に想像できます。

紅白歌合戦のような華やかな「絢爛たる影絵―小津安二郎」においてなら「独壇場」という真価を十分に発揮できたものも、「純情無頼 小説阪東妻三郎」にあっては、「しがらみ」が大いに災いして、機能したのは「ヨイショ」の視点だけという残念な印象を受けました。
そして、今回wowowで見た「ノンフィクションW 阪東妻三郎 発掘されたフィルムの謎 ~世界進出の夢と野望」もまた、同じようにその無残な「ヨイショ」的な視点の域をいささかも出ていなかったのではないかという感じを持ちました。

このドキュメンタリーは、サブタイトルにもあるように阪東妻三郎の「世界進出の夢と野望」という文字通り華々しい視点から作られたものですが、しかし、映画史的に見れば、このユニヴァーサル社との提携と破局に至るまでの事情について、もうひとつ別の観点がなかったわけではありません。

田中純一郎の「日本映画発達史 Ⅱ」には、ユニヴァーサル社の現代劇部長だったという近藤伊与吉の談話が紹介されていますが、かくいう近藤伊与吉もユ社との契約解除後に「美しき奇術師」(1927)という作品を監督したと記録されています。どういうイキサツでユニヴァーサル社の現代劇部長になり、契約解除になったあとに提携作品を監督し(たぶん、残債整理ということもあったかもしれません)、そしてどういう立場で以下のようなコメントを残したのか、大いに興味があります。


≪ユ社は、The Picture of Bantsuma,Tachibana and Universal Corporation のCorporationは、製作を含めた興業、配給の共同責任と解釈し、阪妻、立花はCorporateしても、製作は自由で、ユ社は配給と興業に専念すればよい、と解釈した。だから、アメリカから技術者が来たり、製作上のアイデアをいくら持ってきても少しも受けつけず、ユ社と契約して来た自分などは、異端者扱いにされた。何よりもいけないことは、阪妻、立花は、1フィートいくらでユ社にネガフィルムを売り、これによってユ社は独占権を持つというだけの、紳士契約であった。ユ社は第一回配給映画を試写した時から、この紳士契約に悩まされた。1フィートいくらで買うのだから、どんな作品でもいいのだというので、片っ端から出鱈目な作品を製作した。尺数が予定に足らなければ、金のかからぬタイトルを、どしどし長引かしたのである。つまり、「あっ! しまった!」というタイトルは、通常1フィートでよいのに、それを6フィート、10フィートにして、観客はいつまで経っても「あっ! しまった!」を熟読し玩味しなければならなかった。だが、ユ社はこれに対しても、劇的場面同様、1フィートいくらの代金を支払わされたのである。≫


ユニヴァーサル社相手に尺数で金儲けを画策した「商魂」と、作品によって世界進出を図ろうとした「野心」とのあいだにどういう整合が成り立つのか、いまさら誠実さだとか営業倫理などを持ちだすまでもなく、ただひたすら戸惑うばかりですが、少なくともこのドキュメンタリーのタイトルに「世界進出の夢と野望」など到底似つかわしいとは思えず、この小文のタイトルとして冒頭に掲げた「阪東妻三郎の強欲」くらいが最も相応しいのではないかと愚考した次第です。


提携作品は、以下のとおりです。


★1927年 1月
1 「切支丹お蝶」原作脚本監督山上紀夫、撮影ハロルド・スミス・高城泰策、照明アル・ボックマン、主演五月信子、高橋義信 (※同時上映『大帝の密使』ヴィクトル・トゥールジャンスキー監督) 
★1927年 2月
2 「吸血鬼」監督山口哲平   
3 「笑殺」監督川浪良太、製作ジェイ・マーチャント、原作・脚本志波西果、主演金井謹之助   
4 「青蛾」監督鈴木重吉  
5 「突風を突いて」監督深海陸蔵  
6 「狂乱星月夜」監督悪麗之助  
7 「馬鹿野郎」監督志波西果   
★1927年 3月
8 「相寄る魂」監督小沢得二  
9 「濁流」監督多々羅三郎  
10 「明暗」監督安田憲邦  
11 「血潮」監督深海陸蔵  
12 「若人とロマンス」監督服部真砂雄  
13 「逆生」監督石川聖二  
14 「輪廻」監督門田清太郎  
15 「潮鳴」監督小沢得二  
16 「愛怨二筋道」監督宇沢芳幽貴  
★1927年 4月
17-1 「嵐に立つ女・前篇」監督小沢得二  
18 「泥濘」監督山口哲平  
17-2「嵐に立つ女・後篇」監督小沢得二  
19 「武士の家」監督深海陸蔵  
20 「惑路」監督笹木敦  
21 「当世新世帯」監督小沢得二  
22 「石段心中」監督古海卓二  
23 「仇討奇縁」監督宇沢芳幽貴  
24 「湖」監督服部真砂雄  
★1927年 5月
25 「雲雀」監督鈴木重吉
26 「兄貴」監督小沢得二  
27 「閃影・前篇」監督悪麗之助  
28 「閻魔帖抜書」監督宮田十三一  
29 「街道」監督石川聖二  
30 「弱虫」監督鈴木重吉  
31-1 「飛行夜叉・前篇」 監督宇沢芳幽貴  
★1927年 6月 契約解除後  
32 「武士なればこそ」 監督山口哲平  
33 「港の灯」 監督印南弘  
★1927年 7月
34 「美しき奇術師」 監督近藤伊与吉  
31-2「飛行夜叉・中篇」 監督宇沢芳幽貴(最終作品、後篇は製作せず)



花芯

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この「花芯」という作品が、もの凄く優れた作品なのか、それとも単に奇をてらっただけの愚劣な作品にすぎないのか、ずっと考え続けているのですが、もうかなりの期間、考えをまとめられないまま煩悶の日々を過ごしています。

そして、いまでは、この「花芯」は、自分にとって「躓きの石」というか「死の棘」というか、そういう作品になっていて、まるでそれは黒々とした癌細胞のように自分の内部を侵蝕しつづけています、たぶん、こういうのを「脅迫観念」とでもいうのだろうななどと、まさに恐慌状態にあります。

しかし、そんなふうに共感はおろか理解のできない映画というなら、なにもこれが最初の遭遇ってわけでもないので、この作品もそのうちの一作とみなしてさっさと思考放棄してしまえば、それはそれで済むことなのですが、しかし、それがなかなかできません。

それに、たとえ、自分の第一印象が「嫌悪」や「理解不能」であったとしても、また、この作品自体のチカラ不足のために見る側に十分な理解を届けられない卑力な映画なのだからと「負い目」に感じる必要はないと思う一方で、そういう作品にだって(「だからこそ」というべきか)なんらかの「伝えたいもの」があるはずで、たとえそれが自分にとって「負の部分」に位置するものであっても、そのことを理由として、つまり自分の「負の部分」を占めるものは一切考えないし書くことも放棄するのかという部分で引っ掛り、自分は「躊躇」し「煩悶」もしてきたのだと思います。

それに、自分の反応として、せいぜい「嫌悪感」くらいしかなかったのですが、やはりそれが「反応」のひとつであるなら、そのことをもって「思考停止」につなげるのはなんだか違うかなという思いもあり(むしろ、そちらの方が大きいかも)、たぶんそんなふうにこの作品を放棄したら、いままでの経験から、きっとあとあとまで後悔するに違いないと思いました。

思考停止して、過去に置き去りにしてきた「書けなかった作品」というのが、自分の中ではまるで「水子」か「喉につかえた魚の骨」みたいに、記憶の底深くに淀み沈殿しつづけ、ときおり疼き出して、その存在を痛みとして意識することに辟易しているので、いま目の前にあるこの映画「花芯」までミスミスそのうちのひとつとすることに戸惑うものがあるからかもしれません。

ですので、書けないのなら書けないなりに、そこに確かに存在しているものだけを頼りにしてでも、つまり「花芯」という作品に対して持った、たとえ「苛立ちと嫌悪感」だけを手掛かりにしてでも、ということですが、考えを少しでも前へすすめてみようかと思い立ちました、そして、足掻きついでに、この映画の感想をサイトでざっとオサライしてみました。

「この女性(主人公の園子です)は、誰も幸せにできないし、自分も幸せになれない感じで切ない。男性からすると、どう扱っていいものやら、どうしようもないって感じですかね。」とか、

「全く理解できないふしだらな女の話で、当時なら青線や赤線ででも働けば、きっと天職だっただろうにという感想しか思い浮かばなかった。」とか、オオムネこんな感じでしょうか。

しかし、この感想の背後に、自分が感じたのと同じ「嫌悪感」が見え隠れしているところからすると、このコメント氏もきっと男性に違いありません。

この「誰も幸せにできない」とか「青線や赤線ででも働けば、きっと天職だ」という、本質論とはまるで無縁の感情的な感想は、逆にいえば「自分のことを幸せにしてくれない女は駄目だ」とか「フシダラな女は、自分の伴侶にしたくない」と読み替えもでき(そこに男性の側の身勝手な願いや一方的な危惧が込められているだけなら)、当然、女性の側にだってそれなりの言いたいことも在り得るわけで、そこのところを是非とも知りたいと思いました。

たぶん、検索するまえの自分は、「男の所有物になって、経済的にも性的にも支配下に置かれることに反発する」という「男におもねらないで生きる時代を先取りした女性讃歌」みたいなコメントを想定していて(その延長線上で「寂聴先生バンザイ」なんていうのもあるかもしれません)、検索前に自分がどういう方向で論を進めていこうとしているのか、すでに無意識下で組み立てていたと思います。たぶん、ジェンダーギャップみたいな方向からのアプローチとか、ですが。

しかし、意外なことに、自分の安易な予想は、悉く裏切られました。

多くのコメントは、この作品を「理解」しようと務めてはいるものの、手放しの「好意的」なコメントはまったく見当たらない、「性差」を論ずる以前に「なんだか嫌な感じ」みたいなものがほとんどで、いわば「シャットダウン」的な拒否反応という印象を受けました。

「そうか、分かった!」思わず自分は膝を叩きました。

つまり、これってこういうことですよね。

「それが、どういう世界のことかは不明だけれども、とにかくフツーの人間の理解を阻む『いかがわしさや嫌悪感』だけなら、それは確かに『ここ』にある」みたいな。

つまり、(「つまり」だかどうだか分かりませんが)「それでも地球はやっぱ回っている」だったのです、自分の「嫌悪感」だけは確かに正しかった、のです。

自分は、この「花芯」という作品を、いつの間にかトッド・ヘインズ監督作品「キャロル」2015と同じタイプの誠実な作品と思い込み、必死になってその次元で理解しようと努めていたために、なおさら「理解」できずに(最初からそこには「出口」なんかなかったのですから当然だったのです)、拒否反応のような「嫌悪感」だけが、まるでサーモスタットか安全装置のように反応・機能して、思考がシャットダウンしたのだと始めて気がつきました。

あの作品において、中年女キャロルがテレーズを求めたのは、なにもレスビアンとして彼女の若い肉体をムサボリたかったからではありません。そもそもキャロル自身が真にレスビアンだったかどうかさえきわめて疑問と考えているくらいです。

もはや嫌悪感しか抱けない夫との冷え切った夫婦関係を修復できないまま、娘の親権さえ失おうとしているなかでキャロルはテレーズと出会います、上辺だけの人間関係に上手に適応できずに疲れ切り、世間の悪意ある偏見をうまく捌けないまま社会の片隅に追いやられようとしている孤独を抱え込んだ彼女にとって、その「孤独」を理解し合えるその一点で寄り添う誰かが必要だったというだけで、たとえその関係を成立させるものが、仮に「レスビアン」だったとしても一向に構わない、それは単にひとつの関係を築く手段にすぎないというだけで、孤独な人間同士が結びつくことができれば、その理由づけなんて実は「なんでもよかった」のだというのが、自分の印象でした。

しかし、映画「花芯」は、そういう世界のことが描かれているわけではありません。

親が決めた「いいなずけ」と結婚した園子は、夫との無味乾燥な夫婦関係を惰性的に続けていくうちに、逆に「無味乾燥でないsex」があることを徐々に肉体的に自覚します。

そして彼女は、「大恋愛」と思い込みながら夫の上役・越智と肉体関係をもちますが、実はそれは「無味乾燥でないsex」の歓びを自己証明するためのほんの最初の試みにすぎなかったということが、第二の自己証明としてなされる画学生・正田との性交のあとの「な~んだ、こんなことだったのか」というヒステリックな不意の高笑いによって彼女の「性の気づき」は的確に描かれています。

性交における肉体の歓びの前では、「親子関係」や「夫婦関係」と同じように、真実らしくみえる「恋愛関係」(じつは不倫です)でさえも空々しく、ただの取り繕ったマヤカシにすぎないことを、このとき園子は見抜きます(あるいは、「見抜いた」と錯覚します)。

しかし、彼女が、本当に「見抜いたのか」どうか、僕たちの抱いた「嫌悪感」は、まさに「そのこと」を正しく感覚的に否定していたのだと思います。

そのとき彼女の感じた性の歓びは、小学生や中学生が発見するのと同質の、極めて素朴な、単なる「自慰」の切っ掛け程度の「訪れ」でしかなかったはずなのに、園子にとっては、親が決めた許婚に唯々諾々と従ったように同じ無能な無抵抗さで、襲いかかる「快楽」にも唯々諾々と蹂躙・従属しただけのことにすぎなかったのであって、そのダラシナサや、「きみという女は、からだじゅうのホックが外れている感じだ」というセリフの演出者の解釈間違い(だらしない歩き方や阿部定のような着崩れでしか表現できない演出者の底知れない無能)が、僕たちに堪らない嫌悪感を抱かせたのだと思います。

フツーの人間ならやり過ごせるその性との遭遇を「事大」にしか認識できない意志薄弱な園子は、驚き戸惑い、自分の中で上手に処理できないまま(中学生がオナニーにふける他動的な熱心さで)性の快楽にのめり込んでいったにすぎません。

それは、少なくとも僕たちの世界のものではないし、映画「キャロル」が描こうとしたものでもありません。

むしろそれは、「わが秘密の生涯」や「O嬢の物語」や「悪徳の栄え」で描かれるべきものであって、そうである以上、同時に社会の見え透いた価値観に敢然と立ち向かい、みずからの全存在と命を懸けて戦いつづけ、ついには早世を余儀なくされた誠実な文人たちと同じような誠実さが不可欠だったのに、しかし、瀬戸内晴美こと寂聴は、よりにもよって、仏門などといういかがわしい見当違いな場所に逃れ込み身を隠してのうのうと小銭稼ぎに精を出しているという偽善者以外のなにものでもないことに心底あきれかえり、その「あきれ返り」の直感として、僕たちのあの「嫌悪感」があったのだと思い当たりました。

ラストシーン、久しぶりに逢った実の子供に手を差し伸べたとき、母親として・人間としての存在そのものを全否定されるような子供からの拒否にあったとき、園子はただぶざまな薄笑いを浮かべることしかできませんし、そこにはいささかの演出の工夫もありません。

そこにはただ、どうしていいか分からないでいる単なる定見なき淫乱女の惨憺たる戸惑いが描かれているにすぎませんでした。


(2016日本)監督・安藤尋、原作・瀬戸内寂聴『花芯』(講談社文庫刊)、脚本・黒沢久子、製作・間宮登良松、藤本款、エグゼクティブプロデューサー・加藤和夫、根上哲、プロデューサー・佐藤現、成田尚哉、尾西要一郎、キャスティングディレクター・杉野剛、ラインプロデューサー・熊谷悠、撮影・鈴木一博、照明・中西克之、録音・小川武、美術・小坂健太郎、編集・蛭田智子、助監督・石井晋一、
出演・村川絵梨(古川園子)、林遣都(雨宮清彦)、安藤政信(越智泰範)、藤本泉(古川蓉子)、落合モトキ(正田)、奥野瑛太(畑中)、毬谷友子(北林未亡人)、


小津安二郎、厚田雄春、宮川一夫

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週末の夕方、久し振りに神保町の三省堂前で友人と待ち合わせをしました。

友人と会うのも久し振りなら、神保町に来るのも本当に久し振りです。

帰宅部だった高校生の頃の自分は、帰途、雨さえ降っていなければ九段の坂を下って神保町の古書店を見て回り、御茶ノ水か、気分次第で秋葉原(ここだって当時は古色蒼然としたドヤ街みたいな感じの街でした)や湯島・根岸くらいまで足を延ばして帰宅したものでした。

あるいは、秋に行われる恒例の「古書店まつり」には、どんな用事があっても都合をつけて必ず行ったものですが、社会人となってからは勤めが多忙になるにつれて行けなくなり、徐々にその習慣も崩れて途絶え、いつしか「神保町」の雑踏や匂いのことなども思い出さなくなり、現在にいたっています。

考えてみれば、この街に来るのはあれ以来ですから、ほんと何十年振りになるわけで、ほとんど「里帰り」状態で、どこもかしこも懐かしく、それだけに激変した町並みが一層物珍しくて、キョロキョロとあたりを見回して歩きました。

それだけに「ここは自分の知っている街じゃない」という思いに強く囚われたのかもしれませんが、なんといってもその極めつけは、待ち合わせ場所とした三省堂書店前についたときでした。

あの正面のパッと見の感じは、そのまんま高級レストランではないですか、それは少なくとも自分の知っているコテコテの「本屋」、店頭に野放図に本を山積みした「あの無防備な三省堂書店」なんかではありませんでした。

こう考えると、かつて自分の知っていた「三省堂書店」は、むしろ「焼け跡・闇市」の時代(戦後の荒廃)を引きずっていたのかもしれませんね。

そんなふうに、どこもかしこもすっかり綺麗になってしまったヨソヨソしい神保町ですが、それでもここはやっぱり「神保町」なんだよなと、足早に行きかう人の波をぼんやり眺めながら(誰もがとても身ぎれいで裕福そうなのが、むかしとは大違いです)、そこに立っているだけで、流れ去った時間の重さに押しつぶされそうになり、なんだか胸がいっぱいになってしまいました。

それにこんなに街の様子がサマ変わりしたと感じたのは、その人群れにチラホラ外国人学生や観光客が混ざっていて、その彼らが真顔で古書を物色している様子が、なんの違和感もなく自然に「神保町」の風景に馴染み溶け込んでいると感じたからかもしれません。

さて、待ち合わせの時間に少し早く着いてしまったので、靖国通りからすずらん通りを廻って(舗道はどこも綺麗に整備されていました)ふたたび三省堂まで戻ってこようと、古書店の店頭にあるワゴンや棚の廉価本を眺めながら、ぶらぶら歩き出しました。

そこには、なんと3冊で100円なんていう魅力的なサービス本もあるので、仇やおろそかに見過ごすわけにはいきません、なにせ自分は廉価本(小説か映画関係の本か歴史ものですが)というのには滅法弱く、内容よりも、まずは価格の誘惑に負けてしまって「とりあえず買っておいて、あとで精査する」という収集狂タイプの人間です、それが昂じてこんな夢をみたことがありました。

たぶん場所はこの神保町、古書店巡りをしている自分が、ある店の店頭で「三島由紀夫全集」全巻で100円という廉価本をみつけて、飛び上がらんばかりに狂喜乱舞し(夢なのですが)、歓喜のあまり大声をあげながら(こちらは現実です)跳ね起きたことがありました。

横で寝ていた家人がびっくりし起き上がり、訝し気に「ウナサレテタよ、なんか怖い夢でも見たの」と声をかけてきたので、そこは反射的に「うん、なんか、もの凄く怖いやつ」とかなんとか取り繕っておきました。

それでなくとも現状は整理の追いつかない「廉価本」で家が溢れかえり、生活に必要な空間まで徐々に占領し始めている危機的状況に常に苛ついている家人のことです、自分の能天気な夢のこと(三島由紀夫全集全巻100円で発見)、そして歓喜のあまり大声を発して飛び起きたなんてことを知ったら、それこそ逆上して明け方まで延々と嫌味を言われるのがオチなので、ここは機転を利かせた咄嗟の返答でうまく躱すことができたのは、我ながら実に見事な対応だったと思います。

さて、一応そのとき買った「3冊で100円」という本をちょっと紹介しておきますね。

①木村威夫「彷徨の映画美術」(株式会社トレヴィル)1990.10.25初版
②藤本義一「映像ロマンの旗手たち(下)ヨーロッパ編」(角川文庫)昭和53.12.20初版
③ダイソー日本の歴史ブックシリーズ6「平清盛」(株式会社大創出版)平成24.15.2刷

なのですが、この3冊のうち、当初いちばんの掘り出し物と思っていた①の木村威夫「彷徨の映画美術」は、意外に淡白・脱力系の内容で、映画美術というよりも、木村氏が仕事を始める前にいかに熱心に資料集めに奔走したか、今度やる映画が描く当時の世情や町並み・生活や風物を知るための資料集めがドンダケ大変だったかという、いわば資料集めの苦労話(それは、それなりに楽しいのですが)、「本の虫 行状記」みたいに読めば面白いにしても、「映画美術」の木村威夫の仕事が知りたい読者の期待にこの本がどれだけ答えられるかといえば、そこは大いに疑問とするところかもしれないなというのが、正直な印象でした。ですので、当初の「いちばんの掘り出し物」という看板は引っ込めなければなりません。

②の藤本義一「映像ロマンの旗手たち(下)ヨーロッパ編」は、ゴダール、トリュフォー、フェリーニ、パゾリーニの生い立ちを、彼らが撮った作品を随所に配して辻褄合わせのようにつなげながら生い立ちを「小説」に仕立てているのですが、しかし、個人的作業の小説家と違い映画監督に「生い立ち」を知ることが、それほど重要で有効なことなのかと少し疑問に囚われ、しかし逆に、この強烈な個性の4人なら、あるいは「あり」なのかもしれないなと考え直しました。

どちらにしても、映画が強烈な個性を前面に出して撮ることのできたあの「時代」こそ、そういうことも、あるいは許される「天才たちの時代」だったのだと、その「食い足りなさ」の残念な印象でさえも、それなりに楽しむことができました。

問題は③の「平清盛」です、具体的な執筆者名の表示がなく(当時放送していた同名の大河ドラマを当て込んだ際物として急遽作られた本だと思います)、ほんの140頁のパンフレット同然の如何にも安価な歴史本ですし、定価も100円と表示されていますので、100均のダイソーの100円ブランドとして売られたものと見当はつきましたが、その「侮り」は見事に裏切られました、一読して実に見事な間然するところなきその要約ぶりには心底感心してしまいました(巻末に16点のネタ本が参考文献として掲げられています)。

いずこかの名もなき編集プロダクションがダイソーから請け負って執筆・編集されたものだと思いますが、プロに徹した「匿名」氏たちのその見事な仕事ぶりには感銘を受け、密かな称賛を捧げた次第です。

自分は、「メディアマーカー」というサイトに蔵書を入力して管理しているのですが、以前はその「蔵書」という言葉に拘って、こういう3冊(読了したら処分する予定です)は「蔵書」扱いせずに、読了したら右から左にさっさと処分するだけ、あえて入力(記録)はしていませんでした。

いわば「読み捨て」状態のこれらの本は、期間限定の「記憶」に残るだけで「記録」としては残りません。

しかし、これってなんかオカシナ話ですよね。買って読みもせずにただ積んでおくだけの本(多くは権威ある執筆者によるメジャーな出版社の本です)は「蔵書」としてコマメに記録するのに、たとえダイソー本であっても、自分に大きな感銘を与えた「平清盛」は、ある日「燃えるゴミ」と一緒に処分されようとしている。

しかし、自分にとって、一番大切なこと(記憶すべきもの)は、まずは自分に感銘を与えることができた「実績」の方であって、少なくとも未だ頼りない存在でしかない「期待」の方なんかじゃないことは明らかです。

ここまで考えてきたとき、「それなら図書館から借りて読んだ本は、どうなんだ」と自分の中から問い掛けてくる声がありました。

実は、こんなふうに考えたのは、ひとつの理由があります(前振りが少し長くなりましたが、ここからが表題の「小津安二郎、厚田雄春、宮川一夫」です)。

小津監督作品について考えているとき、派生的に、以前なにかで読んだエピソードがふっと思い浮かんできて、それを原典にあたって確かめたくなるなんてことがよくあります。

例えば、そういう位置付けにある本として蓮實重彦が聞き手になった厚田雄春の「小津安二郎物語」(筑摩書房)があげられ、近所の図書館が在庫しているので時折借りて愛読しています。

しかし、この本、難点もないわけではありません。

本来なら、撮影現場で小津監督のすぐ傍らにいて、時折遠慮がちにでも小津監督にお願いしてカメラを覗かせてもらっていた小津組のハエヌキ・厚田雄春の述懐ですから、それだけでも「第一級資料」たるべき役割を果たさなければならないのに、自由奔放、移り気で散漫な厚田雄春の思うがままに四散する述懐を制御できない蓮實重彦の聞き出しのまずさが、掘り下げにも広がりにも失敗したという大変残念な印象だけが残る淡白な本です。

しかし、それでも折に触れ、そこに書かれているエピソードを確かめたくなるときもあって、図書館から借り直すということをしばしば繰り返している本で、例えば、木暮実千代が厚田雄春に撮り方について注文をつけるクダリ(170頁~171頁)は、こんな一文ではじめられています。

「で、『お茶漬けの味』は、女優が木暮実千代、木暮が小津さんに出たのは、後にも先にもこれっきりでしょう。いまだからいえるけど、これは撮影中にいろいろあったんです。スキャンダルめいたことはいいたくありませんけど・・・」と前置きし、まず、木暮実千代が自分がどんなふうに撮られているか、所長試写ということで、小津監督には内緒でラッシュを(製作の山内武と渋谷組のキャメラ助手とともに)見ていたという話を紹介したあとで「大変無礼なことだと思いましたね」と憤慨し、「で、木暮は自分のアップが少ないから不満だっていってるんだってことがあとでぼくの耳に入ったんです。で、ぼくは小津さんに言ったんです。『撮影がまずくて汚く撮れた』っていわれたんなら仕方がない。でもそうじゃなくて、アップが少ないからいやだなんていわれたんじゃあ絶対困る。小津さん、『そんなことで騒ぐなよ』っていっておられましたけどね。」

そして、さらにこんなふうに続きます。

「御承知のように、小津組で『アップ』というときは顔一杯のアップじゃない。本当のこといえば、『アップ』は『バスト・ショット』なんです。みんな、胸から上くらいをねらっててそれが小津さん独特の画面になってる。そしたら、ある日、準備ができて位置が決まったとき、木暮が『厚田さん、こっち側から顔を撮ってね』といったんです。自分が綺麗だと思ってる右側の顔にしろというんでしょう。ぼくは、『うん、うん』っていって7フィートの位置をつけたんですけど、小津さんそれを聞いてらしたようで、『ロングでいいよ』と。で、ぼくは小津さんの顔を見たわけですよ。あ、私に対して気をつかって下さるんだな、ありがたいなって思いましたね。」

この一連の文章をどう読み取るか、「あ、私に対して気をつかって下さるんだな」でこのエピソードを覆い包むか、それとも、傲慢で我儘な女優の横暴を茶坊主よろしくご注進に及びバタバタと騒ぎ立てる厚田氏に対して「そんなことで騒ぐなよ」とうんざりしながら苦笑する小津監督の言葉の真意が、この文章の最後まで覆って支配しているとみるべきか、自分などには判断がつかないところですが、ただ、フィルムアート社刊・田中眞澄編の「小津安二郎 戦後語録集成 1946~1963」における厚田雄春への小津監督の言及のあまりの少なさとか、例の「女中に手を付けてしまった」発言などを考えると、小津監督は厚田氏をあくまで内輪のスタッフとして冷徹にみていたことが分かります、その裏付けとして、大映に出向いて宮川一夫と仕事をした際の、過剰ともいえる気の使い方や、敬意の払い方を伝えるエピソードなどを読み比べてみれば、あるいは、おのずとそこに答えは出ているのかもしれませんね。


「マイ・ベスト10」

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なにせ性分なのでどうにも仕方がないのですが、映画を10本見るごとに、どうしても順位をつけずにはいられません。

むかしからずっと続いているこの習慣(ほとんど性癖です)を知った友人も「そんなことして、どうする」と訝しがりますが、「したいから、しているだけ」と、まるで小学生のような受け答えしかできないでいます。

べつに、このことを吹聴して、世間に対してどうこうする積りなど毛頭ありません。

たとえば、メモを大切に保管して2000本溜まったら(安打じゃねーし)集大成の一覧表でもつくって世界に向けて発信するとかなんて、ひとむかし前なら、こんなこと、大風呂敷のただの戯言として失笑されるのがオチだったのが、いまでは世界がネットで繋がっていて情報が世界の隅々にまで瞬時に拡散する時代です、到底冗談なんかでは済まされるわけもなく、こういう無責任な言いっぱなしは深刻な混乱を招きかねないので、そのへんは慎重に発言しなければならないと肝に銘じています。

このあたりがインターネットの面倒くさいところですよね、それに情報がまたたく間にグローバル化する「便利さ」が行き過ぎると、「自由」のはずのネット社会の盲点をつくみたいに、異常にナーバスな部分(弱者に対する「差別」意識とか、犯罪のたくらみとかテロの陰謀など)が密かに醸成され、単なる言い回しなどにも生真面目に反応し、皮肉にも、逆にひと言も発せられない「言葉の魔女狩り」みたいな息苦しい時代が迫っているような不吉な予感がします(いや、いまだって、十分「そう」かもしれません)。

この世から差別をなくすために、一挙手一投足にびくびくと気を使い、他人の行動にも異常に反応して、お互いを監視し合うサイト狩りに狂奔し、そうしたことに無知・無頓着な人々の揚げ足をとるみたいに暴き出しは糾弾し、正当化された「いじめ」みたいに苛烈に、まるで集団リンチのような集中攻撃をかけて追い詰め、自殺などという陰惨な結果を再生産しているのではないか(そもそも、その「正義」っていったいなんなんだと問いたいです)と胸を痛めているこの頃です。

さて、「映画を10本見ると、それごとに順位をつける」という自分のオタク的な私的行事(今どきの言葉でいえば「ルーティン」ですが)のことを書きますね。

あのとき、「そんなことして、どうする」と訝しがられた友人に、自分がささやかながらも映画のコラムを書く習慣があること(いずれにしても、べつに大したものではありませんが)を知らせていたら、せっせと「マイ・ベスト10」を考えたり、思いついたフレーズを手帳に書きとったりしていたことも、きっと友人はあんなふうに訝しがらずに済んだかもしれません。

友人には、自分の趣味は「映画鑑賞」と漠然と伝えていたので、そのへんで「いつもなにをそんなにメモしているわけ?」と戸惑わせてしまったことを、いつか機会があれば弁解したい気持ちです。

しかし、ただのコラムとはいえ、やはり「書く」よりも「見る」方が、はるかに楽なので、あるひとつの作品にこだわり続けていると、ずるずると書けない状態を長引かせてしまうので(なんだって長引かせれば煮詰まるのが当然です)、その期間に日々見ている映画の在庫をひたすら増大させてしまうという状態が常にあるわけですが、問題はテンションの高め方が、「書く」ことと「見る」こととは、まったく違うために、その切り替えが容易でないというところにあるかもしれません。

それに、どう転んでも自分には到底書くことのできないジャンルの作品というものがありますし、いざ書き始めても、モタモタしている間に「見る」方がどんどん捗って本数が増え、さらに10本に届いてしまったなんてこともざらにあります、自分の日常はその繰り返しで成り立っているといってもいいくらいです。

それに、「さらなる10本」の方が、現在モタモタとかかずらわっている作品より、はるかに優れた作品ぞろいだったりした場合など(多くの場合は「そう」なります)、かなり悲惨な状況で、「いったい自分は、なにをやっているんだ」みたいな惨憺たる気分におちいるわけなのです。

嫌味がましくなるかもしれませんが、例えば、安藤尋監督の「花芯」のコラムにグズグスとかかずらわっていた時が、まさに「それ」でした。
あのコラム全体に漂っている「まったく、もう」という苛立ちの半分は、その背後に、もっと書くに値する優れた作品があったこと、しかし、現状は、どうでもいいような作品に時間をとられていて、そのあいだにも、すぐれた作品を検討する機会を失い続けている外的圧力に対する腹立たしさだったと思います。

恨みごとみたいになりますが、今回は、「花芯」のコラムにかかずらわっていた間にやり過ごさねばならなかった作品群について、「マイ・ベスト10」を検討するみたいに(いつもの方法です)書いてみようと思い立ちました。

まずは、ラインナップを見た順に書きますね、数えていませんでしたが、当然10本は超えていると思います。

「ドリームホーム 90%を操る男たち」(2014)監督:ラミン・バーラニ
「ニーチェの馬」(2012)監督:タル・ベーラ
「スモーク」(1995)監督:ウエイン・ワン
「朗らかに歩め」(1930)監督:小津安二郎
「さよなら歌舞伎町」(2014)監督:廣木隆一
「座頭市 地獄旅」(1965)監督:三隅研次
「箱入り息子の恋」(2013)監督:市井昌秀
「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」(2011)監督:瀬田なつき
「ターザン:REBORN」(2016)監督:デヴィッド・イエーツ
「カミハテ商店」(2012)監督:山本起也
「裸足の季節」(2015)監督:デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン
「ブルックリン」(2015)監督:ジョン・クローリー
「教授のおかしな妄想殺人」(2016)監督:ウデイ・アレン
「ティエリードグルドーの憂鬱」(2015)監督:ステファヌ・ブリゼ
「裁かれるは善人のみ」(2014)監督:アンドレイ・スビャギンツェフ
「ひつじ村の兄弟」(2015)監督:グリームル・ハウコーナルソン
「黄色いからす」(1957)監督:五所平之助
「ザ・ギフト」(2015)監督:ジョエル・エドガートン
「セトウツミ」(2016)監督:大森立嗣
「若者のすべて」(1960)監督:ルキノ・ヴィスコンティ
「ジュラシック・ワールド」(2015)監督:コリン・トレヴォロウ
「ある終焉」(2015)監督:ミシェル・フランコ
「ジュリエットからの手紙」(2010)監督:ゲーリー・ウィニック
「座頭市 牢破り」(1967)監督:山本薩夫
「地獄」(1979)監督:神代辰己

ざっとこんな感じです。なるほど、なるほど、25本になりますか。

一応、見た順に並べましたが、この作品群からベスト10なるものを選び出すとなると、これはもう相当な難題です。

しかし、それがまた愉しみでもあるんですよね。

さて、上記の作品のうち、自分的に「ベスト10」としてイメージできない作品を、まずは抜き出してみました。

【「ベスト10」としてイメージできない作品とその理由】
*「ドリームホーム 90%を操る男たち」・・・最初被害者だった主人公が、加害者の側に加担しようとした悪への決意が明確に描かれていないのでは。
「朗らかに歩め」・・・もう少し気持ちに余裕があるときに見たら小津ワールドを堪能して、あるいは素直に評価できたかも。
「座頭市 地獄旅」・・・三隅研次監督作品として失望した。あの「座頭市物語」の孤独の深さはどこへいった。
「箱入り息子の恋」・・・夏帆のオヤジ役・大杉漣の演技は、アレで良かったのか。
「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」・・・怖い話なら、それなりの語り口で話してほしい。
「ターザン:REBORN」・・・今度のターザンは、とても小男に見えたのだが、ああいう理解でよかったのか。
「カミハテ商店」・・・自殺の名所の脇にある売店の老女の話で、そのたびごとに自殺者に立ち寄られて、彼女、最後まで鬱から抜け出せない。
「黄色いからす」・・・母親に甘えて纏わりつく設楽幸嗣の嫌らしさに、ちょっと嫌悪感を持ちました。
「ザ・ギフト」・・・ギフトが意味する最後のこのオチ、以前どこかで見たような。それともこれってリメイク。
「ジュラシック・ワールド」・・・改めてみると、ストーリーは、ジョーズそのまま。緊迫感だけが欠如。
「ジュリエットからの手紙」・・・恋でも愛でも、むかし失ったものは、それなりの理由があってそうなったわけだから、いまさら取り戻せないし、失われたものは、そのままでいいというのが、自分の立場です。
「座頭市 牢破り」・・・山本薩夫に座頭市を撮らせるなって。結果は最初から見えてたよ。あの「先生」とやらを、最後に腹黒い詐欺野郎だったとラストでバラしたら、結構座頭市らしくなっただろうに。タケシはそうしてたよね。
「地獄」・・・前振りのストーリーが理屈っぽくて長すぎて、これじゃ中川信夫に到底敵うわけない。


そして、いよいよ「ベスト10」作品です。

評価基準は、以下の5項目

荒涼たる風景、または心象風景が、自立した映像として捉えられている
荒廃した都市に見捨てられた人々の絶望と希望
孤独の深さと物語の完結度
痛切な演技
シナリオのちから


そして【「ベスト10」としてイメージできる作品】は、以下の通り

「ニーチェの馬」(2012)監督:タル・ベーラ
「裁かれるは善人のみ」(2014)監督:アンドレイ・スビャギンツェフ
「ひつじ村の兄弟」(2015)監督:グリームル・ハウコーナルソン
「ブルックリン」(2015)監督:ジョン・クローリー
「若者のすべて」(1960)監督:ルキノ・ヴィスコンティ
「スモーク」(1995)監督:ウエイン・ワン
「さよなら歌舞伎町」(2014)監督:廣木隆一
「裸足の季節」(2015)監督:デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン
「教授のおかしな妄想殺人」(2016)監督:ウデイ・アレン
「ティエリードグルドーの憂鬱」(2015)監督:ステファヌ・ブリゼ
「セトウツミ」(2016)監督:大森立嗣
「ある終焉」(2015)監督:ミシェル・フランコ

一応、順不同ですが、上位5本は、圧倒的な映像のチカラで、ねじ伏せられてしまった5作品です。




スモーク

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前回、「マイ・ベスト10」というタイトルでコラムを書きました。

おもな理由は、自分がいままで書いてきたコラム群が、そのまま自分が感動した映画作品と必ずしもイコールってわけじゃないことを書き残しておきたかったからです。

つまり、映画「花芯」の感想を書いているあいだにも、実に多くの映画に出会っていて、実は、そちらの方をこそ書きたかったこと、むしろ書き残しておくべきだったのだけれども、そうできなかったのは、それなりの「遣り過ごさなければならなかった事情とイキサツ」のあったことなどを書いておかなければと、ちょっと「遣り切れない気持ち」から、背中を押されるようにして書きました。

いつのときもきっと「そう」なのでしょうが、すべてのことを忘れてしまうくらいの時間が経ってしまったとき、コラムの表題の羅列を眺めながら、そのなかに混ざり込んでいる「花芯」のタイトルを見つけ、「ああ、こんな作品にも関心を持ったんだ」と、この自分でさえもシンプルに思ってしまうに違いない可能性(いわば、「懼れ」です)が大いにあることに呆然とし、当然それは現実には避けられないことであって、そういうこと(忘却)の繰り返しで日常は成り立っているのだとしても、そのタイトルを掲げたことによって剥落したもの(タイトル)もまたあったのだということを書き残したかったのだと思います。

時が過ぎ、すべての記憶が失われ、やがてくる未来のいつの日かに、たまたま「花芯」のタイトルを見出した時、「花芯」に囚われていたその時間の流れの中には、自分のチカラ不足のために、たとえ自立したコラムとして成立させることができなかったとしても、そこには同時に


「ニーチェの馬」、「裁かれるは善人のみ」、「ひつじ村の兄弟」、「ブルックリン」、「若者のすべて」、「スモーク」、「さよなら歌舞伎町」、「裸足の季節」、「教授のおかしな妄想殺人」、「ティエリー・ドグルドーの憂鬱」、「セトウツミ」、「ある終焉」

に寄せる想いもまたあったこと、いや、そればかりではなく、実に多くの愛すべき作品たち、

「ドリームホーム 90%を操る男たち」、「朗らかに歩め」、「座頭市 地獄旅」、「箱入り息子の恋」、「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」、「ターザン:REBORN」、「カミハテ商店」、「黄色いからす」、「ザ・ギフト」、「ジュラシック・ワールド」、「ジュリエットからの手紙」、「座頭市 牢破り」、「地獄」

に揺れた想いもまたあったのだということを書き残しておきたかったこと、少なくともそれが「いま」の自分のリアルでもあったことを「未来」に向けて是非とも書き残しておきたかったのだと思います。

さて、こんなふうに言い訳がましいことを縷々書き綴ってきたのですが、それにはひとつの理由があります。

それは、「スモーク」(監督:ウェイン・ワン)の感想を書きたいと思いながら果たせないでいるという現状があって、ただ、手元にはその素晴らしい一場面を書き残したメモだけが中途半端な「猶予」の状態で残ったままになっています。

これをなんとかしなければという気持ちから、この一文をここまで無理やり引っ張ってきた次第です。

ブルックリンの街角で小さな煙草屋を営んでいるオーギー・レン(名優ハーヴェイ・カイテルが演じています)は、10年以上毎日同じ時刻の同じ場所で写真を撮影する習慣をもっている。

煙草屋の常連でオーギーの親友でもあるポール・ベンジャミン(これまた名優ウィリアム・ハートが演じています)は作家で、数年前の銀行強盗があったとき流れ弾で妻を亡くして心に深い傷を負っています、それ以来、小説がまったく書けない状態(静かな悲嘆と空虚な日々)が続いています。

ある夜、切れた煙草を求めて閉店間際の店に駆け込んできたベンジャミンは、たまたまオーギーに写真撮影の趣味のあることを知り、アルバムを見せてもらいます。

「みんな同じ場所だ」と驚くポールに

「そう、しかも同時刻にね」とオーギーは答えます。

いわゆる「同時刻・定点撮影」というやつです。

そして、アルバムのページをめくっていくポールは、その写真集のなかに亡き妻の在りし日の姿を見つけて驚き、号泣するというとても素晴らしい場面です。

妻を亡くして傷心を抱え持った男の孤独と、孤独がどういうものか知り尽くしている親友の優しい交歓の傑出した場面、そう簡単には忘れるわけにはいきません。

そのシーンのやり取りを必死になって逐一メモりました。


ポール「みな同じだ」
オーギー「そう、4000枚、みな同じ写真だ。朝の8時の7番街と3丁目の角、4000日、1日も欠かしていない。休暇もとれない。毎朝、同じ時間に同じ場所で写真を撮る。」
ポール「こんな写真は初めてだ。」
オーギー「おれのプロジェクトだ。一生を懸けたおれの仕事だ。」
ポール「驚いたな。だが、分からない。なぜそんなことをする。そもそもこんなことを始めた切っ掛けはなんだ。」
オーギー「ただの思いつきさ。おれの街角だ。世界の小さな片隅にすぎないが、いろんなことが起こる。おれの街角の記録だ。」
ポール「確かにすごい記録だ。」

同じ時間・同じ場所で撮られた写真ばかりだと知ったポールは、無造作にさっさとページを繰り始めます。

オーギー「ゆっくり見なきゃだめだ。」
ポール「どうして?」
オーギー「ちゃんと写真を見てないだろう。」
ポール「でも、皆同じだ。」
オーギー「同じようでいて一枚一枚全部違う。よく晴れた朝、曇った朝。夏の日差し、秋の日差し。ウィークデイ、週末。厚いコートの季節、Tシャツと短パンの季節。同じ顔、違った顔。新しい顔が常連になり、古い顔が消えていく。地球は太陽を廻り、太陽光線は違う角度で差す。」
ポール「ゆっくり見る?」
オーギー「おれはそれを勧めるね。明日、明日、明日、時は同じぺースで流れる。」

そして、

ポール「これを見ろ。見ろよ。エレンだ。」
オーギー「そうだ、奥さんだ。ほかにも何枚かある。出勤の途中だ。」
ポール「エレンだ。見ろよ。僕が愛したエレン。」

そして、ポールは泣き崩れます。

同じようでいて一枚一枚全部違うこと、ポールにとっては特別な一枚である写真を見つけ出します。


よく晴れた朝、曇った朝。

夏の日差し、秋の日差し。

ウィークデイ、週末。

厚いコートの季節、Tシャツと短パンの季節。

同じ顔、違った顔。

新しい顔が常連になり、古い顔が消えていく。

地球は太陽を廻り、太陽光線は違う角度で差す。


季節はめぐり、時は移ろい、穏やかな静けさで残酷に時を刻み、新しい顔が常連になり、そして、古い顔が消えていく。

失われた名優ウィリアム・ハートに思いをはせながら、名優ハーヴェイ・カイテルのこの述懐の素晴らしい場面を繰り返し見続けました。

(1995米日独)監督・ウェイン・ワン、原作脚本・ポール・オースター『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』(邦訳・新潮文庫『スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス』所収)、製作・ピーター・ニューマン、グレッグ・ジョンソン、黒岩久美、堀越謙三、エクゼクティヴ・プロデューサー・ボブ&ハーヴェイ・ウェインスタイン、井関惺、製作・堀越謙三、黒岩久美、ピーター・ニューマン、グレッグ・ジョンソン、撮影・アダム・ホレンダー、音楽・レイチェル・ポートマン、美術・カリナ・イワノフ、編集・メイジー・ホイ、
出演: ハーヴェイ・カイテル(オーギー・レン)、ウィリアム・ハート(ポール・ベンジャミン)、ハロルド・ペリノー・ジュニア(トーマス・コール)、フォレスト・ウィテカー(サイラス・コール)、ストッカード・チャニング(ルビー・マクナット)、アシュレイ・ジャッド(フェリシティ)、エリカ・ギンペル(ドリーン・コール)、ジャレッド・ハリス(ジミー・ローズ)、ヴィクター・アルゴ(ヴィニー)、ミシェル・ハースト(エム)、マリク・ヨバ(クリーパー)、ジャンカルロ・エスポジート(トミー)

95年ベルリン映画祭金獅子賞受賞。95年度キネマ旬報外国映画ベストテン第2位


わが社の「太陽がいっぱい」・・・完全犯罪が崩れるとき

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先週の木曜日、毎月恒例の「半日出張」というのがありました。

最近は、もっぱら若い課員たちの持ち回りで行われていたので、永い間、この「半日出張」から自分は遠ざかっていたのですが、本当に久し振りにお鉢がまわってきました、そのワケというのを書きますね。

大企業の出張といえば、華々しい「ニューヨーク出張」とか、「ロンドン出張」ということになるのでしょうが、わが社では、せいぜい東京近郊の営業所に顔を出して、現場で最近の営業成績の報告を聞き、それを報告書にまとめて本社の担当部長にあげるだけの、半日あれば十分こと足りる楚々とした可愛らしい出張です。

まあ、営業所とのコミュニケーションを図るというのが主たる目的ですね。

それでもバブルの頃は、このミーティングのあとには「酒席」が用意されて、現場の営業所員の慰労も兼ねた賑やかな親睦の会が持たれていました。

なにしろ、景気のいいピークのときなどは、コンパニオンの綺麗どころをよんでチークダンスを踊ったり、飲めや歌えの大騒ぎをしたなんてこともあったんですよ、実にシアワセな思い出です、いまとなっては大昔の夢物語です。

なので、当時は、これは課長(あるいは、それに準ずる管理職)の特権的な出張ということだったのですが、現在のこの深刻な営業成績の大低迷期にそんな浮かれた「酒宴」などとんでもない話で、最近では、若手が順番に営業所に出向いて報告を聞き、そのまま帰ってくるという素っ気ない出張に落ち着いています。「落ち着いてきた」というのは、言い換えれば、「ダレ始めてきた」ということでもあったかもしれません、後述しますが

そして先月、ちょっとした事件がありました。

当日、出向く予定だったわが課の若手担当者が、その朝になって俄かに急用ができて、営業所に
「急に行けなくなったので、こちらで報告書を上げておきますから、行ったことにしておいてほしい。ついては、そちらの方も口裏だけ合わせてください」
と連絡したのだそうです。

これはなにも悪気があって会社の方針に楯突くとか叛逆するとか、そんなダイそれたことではありません、「急用ができたので仕方ない」という素直な気持ちから(たぶん上記の「ダレ始めていた」ことが、その発想を後押ししたとしても、「出張拒否」までの意識はなかったと思います)、彼は定石通り「ホーレンソー」の「連絡の項」をチョイスし、忠実に責務を果たしたのだと思います。

連絡を受けた営業所も、営業報告なら定期的に逐一本社に送っているわけだし、なにも本社の人間がわざわざ出向いてくるには及ばない、しかも来る人間といえば何の権限もない若手ばかり、といっても、本社の人間がわざわざ来るとなればムゲにもできず、時間を割いてそれなりの対応をしなければならない、そのうえで実際に話すことといったら決まりきった儀礼的な話をするだけで半日つぶされてしまう、日ごろはこちらの事情も無視して「もっと頑張れ、稼げ、稼げ」などと無理難題を吹っかけてくるくせに、なにもこの忙しい時期に形骸化した鬱陶しい慣行を押し付けて営業の邪魔をしなくたっていいじゃないか、本社はなにを考えているんだ、マッタクモウ、こんなもの「さっさとやめてしまえ」というのが、常日頃の営業所の「本音」なので(時間をとられるということでは、本社の若手課員の方だって同じです)、この申し出には営業所の方もすぐにのってきて、架空の相互アリバイ工作は成立しました。常日ごろ、抑制していた不満が噴出する切っ掛けみたいになって、互いに共鳴してしまったという感じです。

もともと形骸化していた「半日出張」です、相互で「懇談」があったことにすれば、あとは営業所が本社に告げた数字を教えてもらい、定型文書の空欄にそれを書き込み、通常ルートでハンコをもらって、上へあげておけばそれでオシマイというわけです、「なんの支障もありません」とこの若手社員は考え、このダレた半日出張のその「ダレ」感を、営業所ばかりでなく、本社の担当部長も共有しているに違いないといつの間にか思い込んでいたのが、そもそもの誤りだったのかもしれません。

この、「あったことにする」という口裏合わせの企み(甘い誘惑)は、出張の当事者なら誰もが一度は妄想した魅惑のアイデアには違いありませんが、それを実行に移すかどうかは、また別の問題です。けれども、実際、出向いた営業所で話されることといえば、先月だって先々月だって、半年前だって1年前だって、いつも同じなので、口裏を合わせるもなにもそんな大仰なことでなく、虚を捨てて実を取るという観点からすれば、この「相互アリバイ工作」、それなりに合理的な考えだったことは否めませんが、のちにこの事件が発覚した時、事件にかかわった関係者のすべてが、基本的にこの考え(「口裏合わせ」には「やめてしまえ」が強く作用しています)に同調したことは明らかで、これが「半日出張」を立案した担当部長の怒りをさらに一層煽って逆上させたといえるかもしれません。

「無礼者! 会社の決め事をどう考えておるのだ」という感じです。

さて、「事件の発覚」の話に戻りますね。

この事件、関係書類さえ完璧に整っていたら、あるいは、「発覚」までは至らなかったかもしれません、たぶん、ここで話はおしまいだったはずでした。しかし、この企み、ひょんなところ(ささいな書類の不備)から「足が付いた」のです。

営業所とのミーティングには、さすがにお酒こそ出ませんが、その都度、人数分のコーヒーを近所の喫茶店からとることは許されており、コーヒー代は予算にもしっかり計上されています、そのほかには電車賃相当額の「出張旅費 請求書」と「半日出張手当 請求書」というのが、部長の元に集まることになっており、それを部長が一括して専用ファイルに綴り込むというのが手順になっています。

つまり、担当部長の手元には、その日の「出張報告書」、「半日出張手当 請求書」、それに当日出された「コーヒーの請求書」と「交通費請求書」がセットになって提出されるのですが、そのときの書類のセットに、「コーヒーの請求書」だけが欠落していることを部長は気づきました、経理に問い合わせても、それらしい「領収書」も「請求書」も届いてないという返事がかえってきました。
担当部長は、当初、

「なにも遠慮することないじゃないか、コーヒーくらい頼めよ」

と慰労するくらいの積りで(そのときは、当然上機嫌でした)担当者を部長室に呼びました。

サラリーマンなら、誰しも「部長室に呼ばれる」ということが、いかにプレッシャーであるか、お分かりいただけると思いますが、なにしろ、われわれはまさに「ここ」で、突然の僻地への「異動」を命じられたり、君には本当に申し訳ないが、なにしろこの不景気でねと「減俸」を告げられたり、酒席での暴言を咎められて「譴責」を受けたり、果ては悪夢のような「解雇」だって言い渡されかねない、そういうさまざまな「理不尽で忌まわしい命令」に甘んじて受けなければならない実に恐ろしい処刑場のような場所なので、「部長室に呼ばれ」た若者が、部長室に歩を運ぶまでに「自分がなにか悪いことでもしでかしたのか」と恐る恐る妄想をめぐらし、「もしかしたら、あの半日出張の口裏合わせ!」と思い至り、「ああ~あれか!」と恐怖・恐慌に襲われた瞬間がちょうど部長室の前、震える手でノックするときには、顔面蒼白、血の気が一気に失せて、部長の問いにもまともな返事ができないまま、すぐに「出張報告書」が虚偽であることを自供しました。
A部長が、烈火のごとく怒ったのは、当然といえば至極当然のなりゆきといえます。

この「半日出張」は、いまも担当部長をしているこのA氏の肝いりで始められたプロジェクトだけに、「会社の決め事を無視した」よりも、「自分のプライドを傷つけられた」と思ったとしても無理ありません。

たぶん、どこの会社もそうだと思いますが、「本社」と「営業所」は、なにかと敵対し合い、いがみ合って、つまらないことで仕事そっちのけの見苦しい足のすくい合いをします。

営業所勤務の長かったA部長は、かつて当事者だっただけにそういう事情(弊害です)には精通・熟知していて、それをとても気に病んでおり、なんとかして本社と営業所との風通しをよくしようと様々な施策を講じてきました、チームワークなくして営業成績アップなんて、とても望めないのだと全社員に力説し続けてきたのです。

その施策のひとつが、「半日出張」で、A部長にとってはとても思い入れの深い施策でした。まさに、A部長にとっての理想(本社と営業所が手を取り合い、かばい合い、和気藹々と協力し合って一丸となって仕事をする)につながる大切な施策です。

みんなが努力すれば「全社一丸」は夢物語なんかじゃないと固く信じている「半日出張」推進の懸案者で推進当事者でもある担当部長(「一人は皆のために、皆は一人のために」が口癖です)にとって、この「半日出張」こそは、その精神性のシンボル的な仕事として位置づけ、重要視し、とても熱心に注視していたことが、あとで分かりました、この出張は部長にとっては「形骸化」でもなんでもない、とても重要な施策だったのです。

その大切な施策を虚偽の出張報告で誤魔化そうとしたことは、たぶん、A部長のプライドを深く傷つけただけではなく、同時に、この虚偽報告を通して、本社と営業所のほとんどの人間がこの「半日出張」を批判的に冷笑していることを瞬時に察知したのだと思います。

それは、徳川綱吉が、目の前で「生類憐みの令」の愚かしさ・馬鹿々々しさ・愚劣さを家臣から正面切って直接罵倒され嘲笑され冷笑されたようなものだったかもしれません。誰一人自分の理想を理解しようとしないA部長の失望と怒り(社員のすべてが自分を揶揄する敵に見えたに違いありません)は、想像を絶するものがあったのだと思います。

疑心暗鬼になったA部長の怒りの嵐は、本社と営業所を揺るがしました、部長室には入れ替わり立ち代わり関係者や無関係者(人事課長とか営業所長とか)が慌ただしく出入りし、そのたびにトビラは叩きつけるように閉められたり、恐る恐る開けられたり、その一瞬開いた扉の向こうからは誰のものとは分からない悲痛な絶叫「お前たちはな!」とか「そんな理由で有能な社員を・・・」などというさまざまな声が入り乱れて漏れ聞こえてきます。

それを同じフロアで逐一聞かされている当の青年はじめ社員たちは、身をすくめて、真っ青になって聞いていました。

やがて、部長室の騒ぎもだんだん収まってきたのが雰囲気で分かるようになった頃、部長室の扉が静かに開いて人事課長の顔が現れ、自分を手招きしています。

ジェスチャーで「わたし?」と自分を指さして目を見開いた顔が、我ながらなんとも間抜けだなと思いましたが、この際そんなことを気遣っている場合ではありません。

フロアにいる社員全員の注視を受けながら、おずおずと部長室に入りました。

実は、A部長と自分とは同期です。

例の「コンパニオンとチークダンス」の際も、一緒になって泥酔して騒いだ仲です、たぶんそのときが、彼と「同僚」として付き合った最後の時期だったかもしれませんが。

その後、彼はめきめきと頭角を現し出世街道を邁進しました。

しかし、相変わらず、その根っから「叩き上げ」のような貪欲な仕事ぶりから、彼が、とんでもない高学歴の持ち主であることが、どうしても結びつかず、その辺の愚直さも周りから好感をもたれたことのひとつだったと思います。

そして、この部長室に呼び入れられたとき、自分は気心の知れたかつての同僚として「事態の収束」の役目を課せられるのだなと察しました。

A部長は、まず、今度の虚偽出張は、社員の無自覚と綱紀の緩みにあるが、そもそも、そういうことを許した管理職にも責任の一端があり、自分としては、当事者数人を処分すれば、それで今回の問題が済むなどとは少しも考えていない、「半日出張」なんてつまらないことかもしれないが、会社の仕事で「つまる」ことなんてどこにある、円滑な人間関係があってはじめて・・・とかなんとか話をまとめたA部長は、自分に向かって、

「そこで当分のあいだ、半日出張は、営業所に顔の利く〇〇さん(自分です)に、行ってもらうことにしましたので、よろしく」と指示しました。

一連の騒動は、これでお仕舞いになりました。

管理職が皆退出したあと、自分は、ガチガチになっている虚偽出張の当事者の若者を呼び入れて、ともに部長に謝罪し、深々と最敬礼しました。

部長は青年に歩み寄り、肩に手を置いて「これからは気をつけろよ、君にもいい薬になっただろう。この経験を忘れるな」と言い渡しました。

元はといえばこの事件を引き起こした当の本人が、ごく間近で、身をすくめながら騒動の一部始終を見ていたわけですから、それだけで十分な制裁を受けたと判断した部長の、これがいまの彼ができる精一杯の励ましなのだなと思いました。

さて、これでようやく自分が「半日出張」に行くようになったイキサツが書けました。

それが文頭の
「先週の木曜日、毎月恒例の『半日出張』というのがありました。」
です。

ですが、なにせ午後から出かければいいので、前夜床に入る際には、翌朝はぎりぎりまで朝寝をして、午前中は家でゆっくりできるなと思いながら寝付いたのですが、結局、骨身にしみた貧乏性のために、いつものとおり午前6時前には目が覚めてしまいました。

いったん、目が覚めてしまうと、体まで目覚めてしまい、それ以上横になっていることができません。

起きだして自分が最初にすることは、新聞なんか読むより先に、今日どんな映画を放送するか、プログラムを眺めて確かめることから始まります。

そんなことをしても、会社のある日には、ほとんど見られないのですが、眺めて「こんな作品をやる」と思うだけでも楽しいのです、これはストレスではなく、十分な楽しみな習慣のひとつになっています。

その木曜日、なんと日本映画専門チャンネルで午前6時30分から佐伯幸三監督の「ぶっつけ本番」(1958東宝)が放映されると書いてあるじゃありませんか。

この作品の高評価は、ずっと以前、友人から聞いたことがあったのですが、いままで見る機会がありませんでした。

まだ間に合う、いやいや、間に合うどころじゃない、大セーフだ、それに今日は午後出張だから、ゆっくり見られます。

実にいいタイミングだ、こんな巡り合わせって、滅多にありません、初めての経験です。

「あなた、出張、大丈夫なの」と女房に嫌味を言われながら、見事全編を見通しました。

ということで、次回は、佐伯幸三監督「ぶっつけ本番」(1958東宝)のコラムを書こうと考えています、予告先発みたいですが。


さて、このコラム、実は、フランス映画「パーフェクトマン 完全犯罪」(2015、監督・ヤン・ゴズラン)を見たときに、思わず最近の会社であったこの騒動を連想し、しかし、完全犯罪映画の傑作といえば、やはり「太陽がいっぱい」だろう(死体をビニールでぐるぐる巻きして処理した感じが似てました)と連想がさらに飛び、あの死体のバラシ方が「パーフェクトマン 完全犯罪」の方では随分あっさりしていて淡白なので、やはり、そのあたりを凝りに凝って見せた「太陽がいっぱい」は、やはり名作だったんだなという思いを込めて書きたかったのですが、実際の生々しい事件を前にしては、どうもしっくり嵌りませんでした。


パーフェクトマン 完全犯罪
(2015フランス)監督ヤン・ゴズラン、製作チボー・ガスト、マシアス・ウェバー、ワシム・ベシ、製作総指揮ウーリー・ミルシュタン、脚本ヤン・ゴズラン、ギョーム・ルマン、撮影アントワーヌ・ロッシュ、音楽シリル・オフォール
出演ピエール・ニネ、アナ・ジラルド、アンドレ・マルコン、バレリア・カバッリ、ティボー・バンソン、マルク・バルベ、ロラン・グレビル



ぶっつけ本番

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昼過ぎから「半日出張」に出かける予定だった木曜日、たまたまその午前中に、以前から気になっていた佐伯幸三監督作品「ぶっつけ本番」1958が放映され、ようやく見る好機に恵まれました。

友人から推薦されて以来、意識しながら十数年ものあいだ、ずっと見る機会がなかったわけですから、この巡り合わせは、まさに「好機」といっても差し支えないと思います。

鑑賞前、ざっくりとした知識でも得ようかとネットで検索してみたのですが、その「ヒット」のあまりの少なさには、意外というよりも、ちょっと不吉なタジログものを感じました、「見る機会の少なさ」というものが、あるいは、こういうところにも象徴的に表れているのかなと、チラっと思ったりもしました。

それでも、だいたいの雰囲気を知る情報だけは得ることができました。

ざっとこんな感じです。

≪戦後の混乱期、ニュース・カメラマンとして活躍した松井久弥の、カメラマンとしての逞しく厳しい生涯を描いた異色作で、同僚の水野肇と小笠原基生の原作を笠原良三が脚色し、佐伯幸三が監督した。

終戦後、戦地から戻り、ニュース映画会社に復職した松木は、突撃的な事件カメラマンとして著名な数々の事件現場(下山事件、メーデー事件など)を迫真の映像でとらえて高い評価を受けたが、品川駅で引上げ列車を取材中に列車にひかれて殉職した。

作品には、随所に彼が撮った実写映像が挿入され、迫力ある戦後動乱期を回顧する歴史的ドキュメンタリーの趣きもある作品である。≫

そして、映画を見始めてすぐに松井久弥(劇中では「松木徹夫」です)の最初のスクープとなる下山事件・総裁轢断現場の激写のクダリで、あの綾瀬・北千住間の生々しい現場の実写映像が挿入されています、ああ、このフィルムも松本久弥の仕事だったのか、これなら確か熊井啓の「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」にも一瞬衝撃的に使われていたアレだなと気が付きました。

そこには、後進の多くの優れた映像作家たちの心を震わせる緊迫した冷然たる時間がそのまま切り取られたようなワンショットが写し込まれていました。

あるいは、「三鷹事件列車転覆」、「伊勢湾台風による大洪水」、「オイルタンカー火災」、「メーデーのデモ隊と警官の皇居前衝突」、「洞爺丸沈没」、「相模湖の内郷丸遭難」、「第五福竜丸の被爆者死去」など、それらどの事件の「迫真の映像」も、いささかも揺るぐことなく、それぞれに圧倒的な迫力で当時の緊迫した死の気配を臨場感をもって伝えています。

しかし、その迫力に満ちた映像が世評で高く評価されればされるほど、松木への同業者からの風当たりは強く、仲間内の申し合わせを無視する「抜け駆け野郎」と陰口をたたかれ、スクープ狙いのその孤高の突撃スタイルは、そのたびに同業者からの熾烈な批判に晒され続けていることも描かれています。

オイルタンカーの火災現場を、生命の危険を冒してまでスクープ撮影に成功した松木は、会社の幹部とともに意気揚々と試写に臨みます。

当然、迫力に満ちたそのスクープ映像を皆から称賛されるものと思っていた松木に、しかし、管理職や同僚からの非難が集中します。

「たったこれだけかね」と山田製作部長は松木に尋ねます。

「たったこれだけかって、600フィートも回したんですよ」と松木は部長の冷ややかな言葉を訝しく思いながら抗議します。

山田部長「これじゃ燃えている船が映っているだけで、客観性もなにもないじゃないか」とさらに指摘します。

小林製作課長「客観描写っていうのはな、人物を描き込むってことだよ。例えば、事故を見守る人たちとかね。これじゃ客観描写の欠落って言われても仕方ないぞ」

同僚「いくら松木でも、今度のやり方は反対だな。子供を危険に晒したり、巻き添えにして、燃えているオイルタンカーまで小舟を漕がせたそうじゃないか? そんなスクープ精神は、根本から間違っていると思わないか」

しかし、松木は、この身内からの非難の渦中にあるときでさえ「いまの俺には、ほかにはなにもできないから、この仕事に体を張るしかないんだ」と内心思っていたに違いない、と自分的には確信しています。

たしかに、映画では「そう」は、描いていません。いや、むしろ「逆」かもしれません。

ストーリー的にこの映画を追えば、松木は、人間味を欠いた「スクープ精神」を非難され、少し反省して、「孤児の親探し運動」の人間味あふれるニュース映画を撮り(この仕事で彼は実際に高い評価を得ています)、「改心」して人間的に「成長」したかのように描かれていますが、しかし、それはあくまで「映画」として話を整えただけなので、実際の松本久弥はどうだったかといえば、それは、ラストの「列車で轢死」という事実が証明しているように思えて仕方ありません。

松木は、相変わらずスプーク狙いのために、がつがつと、ひとりホームから線路に降り立ち、危険も顧みず、線路上を彷徨いながら、格好のアングルを探しているそのサナカに列車にひき殺されました。

そして、その直前、同じ取材をしている同業者から、またしても「抜け駆けするなよ」と皮肉を言われ、松木はそれを無視してやり過ごすというシーンも描き込まれています。

このラストは、松木という男のハングリーさが、最初から最後まで、なにひとつ変わっていなかったことを示している証左ではないかと思えて仕方ないのです。

サラリーマンなら、与えられた仕事をこなすだけで、自分の好みで「仕事」を選ぶことなど、とてもできるわけがないことくらい常識です。

その仕事の履歴をつなげて、それがあたかも人間的な成長の軌跡であるかのように描くこの行き方は、なんだか脚本の巧みなウソに嵌められたような嫌な違和感を覚えました。

この「自分の違和感」が、どこから始まったのか、この映画を少しずつ巻き戻しながら探してみました。

メーデーの皇居前騒乱の現場取材で大けがを負った夫・松木を気遣い、妻・久美子は病院で「いつまでもあんな危険な職場にいたら心配だ」と、不安を夫の上司に話す場面がありました。

そこで山田製作部長が「こりゃあ、なんとかせにゃあいかんな」と小林課長(佐野周二の好演がひかります)と話す場面があり、そのすぐあとに松木が、風物を撮る仕事(明らかに閑職です)に職場替えされて、刺激のない仕事に心底腐って、飽き飽きしている場面が描かれていますが、すぐに国会詰めの部署に回されて、紛糾する国会乱闘を夢中になって取材するという場面に続き、松木は改めて事件現場を取材する仕事の充実感を味わい、その喜びを嬉々として妻に話す場面に繋がっていきます。

事件取材ができる仕事の充実を嬉しそうに語る夫の笑顔を見ながら、妻は「あなたは、やっぱり、そういう仕事が好きなのね」、そして、「実は、自分が職場転換を会社にお願いしたのだ」と告白します、松木は激怒し、「自分が今までどんな気持ちで『風物』を撮っていたか、その気持ちがお前に分かるかと」と言い捨てて、家を飛び出す場面です。

ここで松木が怒るのも無理はありません、仲間が嬉しそうに事件取材に飛び回っているのを横目で見ながら、意に添わぬ「風鈴や金魚」を撮っていたわけですから、話の筋は十分に通っています。

しかし、彼がなぜ「国会詰め」(この仕事は明らか事件現場です)にこんなにも早く戻されたのかが不思議でした。

会社は、彼の身の安全や体の心配をしたから(奥さんからの申し出もありました)彼のことを気遣って「風物」に配転したのではなく、なにかの「ほとぼり」が覚めるまで事件現場から意識的に彼を遠ざけていただけなのではないか、という気がしてきました。仕事上のトラブルに巻き込まれたときなど、事態が沈静化するまで一時配転させる(時期がくれば戻すという前提です)ということなら、会社ではよくある話です。

TV業界に転職する仲間(親友・原もそのうちの一人です)の送別会のあとの二次会で、松木は小林課長に「自分の職場転換は、誰が指示したのか、妻が願ったからか」と問いただします。

「そんなわけないだろう。まさか会社が、奥さんの意見を入れて人事なんか動かすと思うか。君の職場転換を具申したのは自分だ」と小林課長は答えます。

驚いて「どうして」と松木が問い返すと、

小林課長は、「これから、TVの速報性にはかなわない時代がくる。君のニュースには迫力や驚きはあるが、感動がない。これからどういうものを撮ればいいか、自分でよく考えろ」と諭します。

ここで自分の職場転換が妻の希望だったのかという疑念は否定され、迫りくるTV時代に対抗するためにはどうすればいいのか考えろという話に(強引に)引き戻されます。

そう諭されて考え込む(かに見える)松木の描写に、自分の違和感は増幅しました。

それは、時代がどのように動こうと、松木がそんなものに捉われて仕事をしたことが、かつてあっただろうか、という思いからです。

彼は、事件現場にいち早く駆け付け、誰もが躊躇するような危険な場所に踏み込み、誰にも撮れない現場を激写した熱血漢です。

警察が張った規制線のさらに遥か後方から「あちらに見えるのが事件現場です」などととんでもない見当違いの場所から安全に中継するチャラチャラとダレきった愚劣なTV報道なんかとはワケが違う。

いまのTVにできることといえば、お笑い芸人の馬鹿笑いを3台のカメラで必死になって追いかけるくらいが関の山ですから。

どのような時代がこようと、誰よりも「踏み込んで撮る」姿勢で撮ってきた松木にとって、TV時代の到来など何ほどのことでもなかったはずです。

この男と、その仕事にとって、TVの隆盛は、果たしてそれほどの脅威だったのか。

どんな職場であろうと、身の危険を冒してでも、突撃取材することが、この男の仕事のやり方である以上、「TVとは、違った方法」など、最初からとるにたりないものだったと思います。

ですので、この一連のやり取りは、なんだかとてもおかしい、不自然と感じた所以です。

TVの速報性は、確かに「脅威」だったに違いありませんし、それに、入場料をとって見せるニュース映画に比べれば、ロハで見られるTVニュースの廉価性の脅威というのも確かにあったでしょう(しかし、この二つが、TVが芸術性から見放され、猥雑で無様な弱体とアンモラルな荒廃を招いたことも明らかで、このことはいつか機会があれば別のときに話したいと思います)。

しかし、当初から松木(松本久弥)が目指していたものが、そもそも速報性なんかでもなければ、「廉価」でもなかったのは明確です。

「下山事件の轢断現場」にしても、「三鷹事件列車転覆現場」や「伊勢湾台風出水現場」や「オイルタンカーの火災現場」や「メーデーのデモ隊と警官の皇居前衝突現場」にしても、また、「洞爺丸沈没」、「相模湖の内郷丸遭難事件」、「第五福竜丸の被爆者死去」など、そのどれをとっても、『君のニュースには迫力や驚きはあるが、感動がない。』の言葉が当て嵌まるとは思えません。

彼のニュースが多くの人々の気持ちを引きつけ捉えたのは、まさにその≪迫真の映像によって、驚きや感動≫を与えたからです。

そういえば、小林課長の「そんなわけないだろう。まさか会社が、奥さんの意見を入れて人事をすると思うか」も言わずもがなで、あまりに当然すぎて奇異な感じさえ受けます。

そして、その転換の理由が何かといえば、

「ニュースが記録と思っているうちはダメだ。本当のニュースキャメラマンになって欲しいんだ」という小林は、なんとも抽象的な理由しか述べていません(元々「ない」のだから、理由など述べられないというのが本当のところかもしれませんが。)。

そこで、ふたたび、松木の「風物撮影」への職場転換の話に戻しますね。

なぜ彼は「一時的」とはいえ、唐突な職場転換をさせられたのか、なんらかの差しさわりがあって、事件取材のセクションから、当分のあいだ遠ざけられたのではないか(会社ならよくある話です)という仮説を立ててみました。

このコメントを書き始める直前に行った「検索」で、映画「ぶっつけ本番」でヒットした事項が気抜けするくらい少なかったことを書きました。文頭に戻って読み返してみると、それを「意外というよりも、ちょっと不吉なタジログものを感じました」と表現しています、なんだか尋常じゃありません。

実は、その「数少ないヒット」のなかで、二つの記事に出会っています、それを紹介しておきますね。

少し長文の引用になるので、その引用文の最後につける予定にしている一文をここに書いておきますね、つい忘れてしまいそうなので。

≪なるほど、なるほど。それでたまたま飛んできた投石に当たって負傷したとしておく方が、すべてにわたって好都合だったと、こういうわけですね。これで、自分の疑問も氷解しました。≫


★引用(文中、松本久弥の名前を目立たせるために墨付きパーレンで囲いました。)

まず最初の引用です、昭和26年3月15日付けの「第010回国会 法務委員会 第10号」議事録となっています。
当日の議題は、3点「犯罪者予防更生法の一部を改正する法律案(内閣提出第五二号)」、「有限会社法の一部を改正する法律案(内閣提出第一〇〇号)」、「犯罪捜査及び人権擁護に関する件」で、その3つ目の「犯罪捜査及び人権擁護に関する件」の中でこんな質疑が交わされています。
「○上村委員 まず第一に、三月七日に東京都北区の朝鮮人学校において、その前に行われた朝鮮人の不当な捜査に対する事件真相発表演説会というものが持たれました。そのときに、朝鮮人の会合する者二千人、これに対して約三千の警官が参りまして、それを解散しようとしたのでありますが、その光景を写さんといたしまして、日本ニユースのカメラマンの【松本久彌君】がそこへ行つて撮影しておつたのでございます。ところがその撮影が当時の警官の気に入らぬために、そこで暴行を力えられ、右後頭部に非常に強烈な打撃を加えられて、鮮血淋漓たる状態になつて昏倒したのでございます。この事実を一体法務府ではお調べになつておりますか。お調べになつたとすれば、暴行を加えた警官の人たちを取調べておるかどうか、そういう点について詳細の御説明を願いたいのであります。
(中略)
○上村委員 ここに【松本久弥】自身の手記が私どもの方へ届いておりますが、これによるとカメラのサックを忘れて来たので、それを届けに労働者風の人が来て、そいつを受取つた。そうするとそばにおる二人の警官がいきなり、どういう理由ですか、そのカメラのサックを届けたところの青年に手錠をかけてしまつた。そして自分の持つておるカメラをとろうとするので、自分は同業の朝日の記者を呼んだ。そうするとそれがどういうふうに向うへ聞えたか、いきなりそばにおる制服の警官が自分を、こん棒でもつて右の後頭部をたたいた。そして自分はその間に足がよろめき頭が混濁して来た。こういうふうにはつきり言つておるのであります。そうするとそれに対しては、今警視庁と捜査機関としては、そういう点を見のがしておるのでございますか。そういうのを基準にして捜査を進めておるということでございますか。
(中略)
○猪俣委員 これはちつと法務行はうかつでございますよ。そうなつております。そこで当時の新聞を見ますと、トップに出るような大事件について、ニュース写真が載つておらぬのはふしぎだというようなことを、新聞記者が自嘲的に書いておる。それはおわかりにならなければそれでよろしい。そうすると、これは法務府でもごらんになつておらぬと思うのでありまして、これをぜひひとつ法務府でもごらんになつていただきたいし、これは法務委員長に私お願いがあるのですが、あとで国会でこのニュースを映写してもらいたいと思います。どういう理由でこれが一般に映写されないのであるかわかりませんが、事実映写はできないそうであります。
 そこでなおいまひとつ法務府にお尋ねいたしますが、この【松本久彌】が王子駅前の岸病院にまだ入院加療中であります。ところが警視庁の捜査第二課の田島領四郎という警部補がしよつちゆう行つて、お前の傷はぼくらがなぐつたんじやない。あれは石が当つたんだぞということを言い聞かせておる、こういうのであります。一体自分たちがなぐりもせぬのに、病院に行つて、かような病気見舞においでになることは、殊勝なことであるけれども、ちつと異例だと思うのであるが、この辺について何か事情をお聞きになつたことはございませんか。

そして、引用の二つ目です。

青丘文庫月報(第264 号 2012.11.1 1)とあります。
「朝鮮戦争中の1951 年2 月と3 月に米軍政部と日本政府当局による都立朝鮮人中高等学校への武力弾圧が行われた。それを『警視庁史』はこのように記している。
〈2 月23 日占領目的阻害文書を所持した都立朝鮮人中・高校の生徒を検挙し調べたところ、同校内で印刷していることが判明したので、2 月28 日早朝に同校の捜索を実施し多数の印刷物を押収した。翌日、それを不当として朝鮮人が抗議に押しかけ、3 月7 日同校において「真相発表大会」という無届集会が開催された。主催者に対し大会中止を勧告したが応じずに集団暴力行動を行ったので実力で解散させ首謀者を逮捕した。〉
3 月7 日約700 名の警官が出動し校内に突入した際、多くの生徒・教員以外にも取材中の日本映画社カメラマン【松本久弥】も警棒で頭を殴られ重傷を負った。【松本】は翌日、事件に関する一切を布施に委任した。3 月の中・下旬の国会法務委員会では上村進、羽仁五郎らがこの事件を取り上げ、報道の自由の侵害と警官の暴力行為を追及し、ついで4 月27 日には暴行した警官を刑事告発している。
しかし警視庁は警官の暴力を認めない姿勢であるので、同年11 月に東京都と警視総監田中榮一を相手に「謝罪状及びこれに附帯する慰謝料請求」という民事訴訟を提訴することになり、数回の公判が開かれた。
しかし結局この裁判は1960 年に取下げられている。裁判の中心人物である布施が1953 年に病死し、原告【松本久弥】自身も1956 年事故死したこと、さらに警官の暴行を立証するのは非常に困難なことなので、敗訴の判例が出るのを避けるためにも取下げることにしたのではないかと推測される。」

なるほどね、これじゃあメディアもビビッてドン引きするわな。

「はい、こちら事件現場です」なんて呑気なこと言ってる場合じゃないしね。


(1958東京映画)製作・佐藤一郎、山崎喜暉、監督・佐伯幸三、脚本・笠原良三、原作・水野肇、小笠原基生「ぶっつけ本番 ニュース映画の男たち」、撮影・遠藤精一、音楽・神津善行、美術・北辰雄、録音・酒井栄三、照明・伊藤盛四郎
出演・フランキー堺(松木徹夫・ニュースキャメラマン)、淡路恵子(松木久美子・徹夫の妻)、大谷正行(松木隆・長男三歳)、二木まこと(松木隆・長男七歳)、板橋弘一(松木明・次男)、小沢栄太郎(製作部長・山田)、佐野周二(製作課長・小林)、仲代達矢(キャメラマン・原)、増田順二(キャメラマン・川崎)、堺左千夫(キャメラマン・ドンちゃん)、天津敏(キャメラマン・小山)、守田比呂也(キャメラマン・大木)、中村俊一(企画部員・後藤)、佐伯徹(企画部員・長谷川)、内田良平(企画部員・関口)、吉行和子(編集部員・飯田マサ子)、光丘ひろみ(女事務員・北村)、山田周平(他社のキャメラマン・森)、沖啓二(他社のキャメラマンB)、木元章介(他社のキャメラマンC)、三谷勉(他社のキャメラマンD)、水の也清美(アパートの主婦)、黒田隆子(病院看護婦)、塩沢登代路(赤線の女)、中原成男(宗谷船員A)、鷲東弘功(宗谷船員B)、池田よしゑ(相談所の先生)、坂内英二郎(院長)、磐木吉二郎(父親)、川内まり子(産婦人科看護婦)、森静江(産婦人科看護婦)、田辺元(運転手・平さん)、

配給=東宝 1958.06.08 10巻 2,712m 白黒


喜劇 駅前競馬

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前回、映画「ぶっつけ本番」のコラムを書く前に、この作品の予備知識を得ようと、ネットで検索した結果、意外な収穫があって、作品評はそっちのけで、作品の時代背景について、つい熱中して書いてしまいました。

いえいえ、そのことについて反省しているわけではなくて、むしろ「収穫 その2」があるので、そのことを書いておこうと思っています。

実は、このコラムを書く前に、この作品が公開された1958年という年の「キネマ旬報ベスト10」をチラ見しました。

まあ、当時の批評家が、評価を含めてどんなふうにこの作品を見ていたか、その距離感というか、空気感みたいなものを知りたいと思ったのが動機です。

結果は、こうでした。

1 楢山節考(木下恵介)
2 隠し砦の三悪人(黒澤明)
3 彼岸花(小津安二郎)
4 炎上(市川崑)
5 裸の太陽(家城巳代治)
6 夜の鼓(今井正)
7 無法松の一生(稲垣浩)
8 張込み(野村芳太郎)
9 裸の大将(堀川弘通)
10 巨人と玩具(増村保造)

なるほどね、ここまでが、ベスト10圏内の作品ですか。

さすがに、映画「ぶっつけ本番」が圏内に入っているとは最初から思っていませんでしたが、それにしてもお約束のとおり、ベスト10といえば、やはり、名実ともに「ベスト10監督」に相応しい名匠・巨匠がずらりとランクされているわけですが(「なにをいまさら」という当然すぎる話ですが)、しかし、もし仮に、ここに、軽妙洒脱な異色作「ぶっつけ本番」がランクインしていたら、ずいぶん面白いだろうなとチラッと思ったりしました。

べつに、偏ったジャンル(「社会問題」とか「政治的陰謀の暗示された事件」)にこだわった作品や、「深刻さと重厚さと悲壮感」ばかりの「見せかけ」だけ整えた作品が必ずしも優れた映画とは思わないし、むしろ、コメディやエログロに徹した映画の中にも傑出した映画はたくさんあることをいままで学んできた(「思い知った」といった方が相応しいかも)わけで、強引な演出力で最初からグイグイ映画の中に引き込んでくれる、たとえば山中貞雄作品のような、いわば、映画の本質を瞬時に分からせてしまうような映画を、自分的には、ずっと待ち続けながら、日々映画を見漁っているような気がします。

しかし、やはり結果的には、この時代特有の「もっともらしい深刻さと重厚さ」を過大評価する「時代の囚われ」から自由でいられた映画批評家など、ただの一人もいないのだということは、この1958年のベスト10の場合だってなんら変わらないのだということが、すぐに分かりました。

いつの時代でも、評価されるのは、「それ(真実)」ではなく、「それっぽい(深刻ぶった)」作品や人なのであって、鑑識眼が脆弱なら、見極めの基準として「深刻さと重厚さと悲壮感」を頼りにでもすれば、それほど低劣な評価の失敗を世に晒さなくて済むというわけなのかもしれません、やれやれ、結局、今も昔も(右も左も、ですが)映画批評家なんて、やっぱり「右向け右」の人種といわれても仕方ないのかもしれませんね、痛感しました。

さて、わが異色作「ぶっつけ本番」が、ベスト10内に見当たらないので、仕方なく視野を広げて(「下げて」です)少しずつカウントダウンしてみることにしました。

そして、ようやく「19位」に「ぶっつけ本番」を見つけました(しかし、思っていたより高評価でした)、その間の順位は以下の通りです。

11 陽のあたる坂道(田坂具隆)
12 鰯雲(成瀬己喜男)
13 一粒の麦(吉村公三郎)
14 白蛇伝(薮下泰司)
15 赤い陣羽織(山本薩夫)
16 悪女の季節(渋谷実)
17 蛍火(五所平之助)
18 つづり方兄妹(久松静児)
19 ぶっつけ本番(佐伯幸三)
20 谷川岳の記録・遭難(高村武次)


とありました。そして、このベスト10を紹介しているサイトのなかで、合わせて「有名人のベスト10」という記事も併載してありました、面白いのでちょっと紹介しますね。

その「有名人」というのは、安部公房、武田泰淳、花田清輝、淀川長治の4名ですが、安部公房だけは、「洋画」のみを選出対象としているので、この際は除外しなければなりません。


それではまず、武田泰淳から。

1 彼岸花
2 夜の鼓
3 楢山節考
4 裸の大将
5 赤い陣羽織
6 無法松の一生
7 白蛇伝
8 隠し砦の三悪人
9 張込み
10 森と湖のまつり

まあ、取り立てて奇抜さも特徴もなく、「ごくフツウじゃん」という感じです。
それにしても「森と湖のまつり」(泰淳の原作です)があって、「炎上」を入れてないのは、なんだか三島由紀夫に対するジェラシーと思われても仕方ないかもしれませんね。
いかに内田吐夢の力作とはいえ、「森と湖のまつり」と「炎上」では、最初から優劣が明らかにされているわけで(遠慮がちの「10位」という位置づけも、なんだかその辺を自認しているような)、それをどう転倒させてみたところで、世間の人は「奇抜」とは見てくれないと思いますが。

つぎに、淀川長治です。

1 炎上
2 楢山節考
3 彼岸花
4 隠し砦の三悪人
5 杏っ子
6 白蛇伝
7 結婚のすべて
8 紅の翼
9 裸の太陽
10 無法松の一生

こちらは、「ジェラシー」がない分、「公式のベスト10」に接近し、より一層堅実な印象を受けてしまいます。
逆に言えば、映画紹介者としてのバランス感覚に満ちた「公式的見解」に寄り添った、平均点的な大人しい「ベスト10」という感じがしますが、しかし、すでに「公式ベスト10」というものが存在する以上、面白味がまるでない(邦画を面白がろうともしていない)姿勢みたいなものを感じます。「杏っ子」を除いてはね。

そして、最後の花田清輝、見た途端ぶっ飛びました、なんと「ぶっつけ本番」を第4位にランクしているではありませんか、実に驚きです。批評家など皆「せいぜい右向け右の人種だ」などと悪口をいった手前、赤面する思いで「花田ベスト10」をじっくりと眺めました。

以下が、そのベスト10です。

1 張込み
2 炎上
3 夜の鼓
4 ぶっつけ本番
5 隠し砦の三悪人
6 若い獣
7 巨人と玩具
8 大菩薩峠・第二部
9 裸の大将
10 鰯雲

なるほどね、自己主張が、「しっかり見える」力強い印象を与えるベスト10だと思いました。

そして、続いて花田清輝の「選評」(そう言っていいですよね)が紹介されていたので、ちょっと引用させてもらいますね。

≪一般的にいってこの種の行事の選者たちには、ほかの芸術の領域においても同じことだが、大家とかなんとかいわれる人の作品を選ぶ傾向がある。私は次の時代をになう人たちの作品に注目し、一貫してそれらを見てきた。その結果比較的未熟であっても、未来への可能性をもっている作品を選んでみたのである。

決定をみて、ちょっと感じられるのは、こういう選者たちの傾向として、比較的最近封切られた作品が印象に残り、それを推してしまうということである。文学などと違って、たやすく読み返しができぬという映画の特殊性があるとはいえ、いささか不満である。≫


なるほど、なるほど。

「大家・時系列」偏重説ですか、自分がうだうだ言ったことをズバリと言われて、ますます顔が赤らみました。

そして、このサイトの管理者のコメントが続きます。

≪「ほほう、ちょっと個性を感じる10本ですね。当時若手の野村芳太郎の『張込み』を1位に挙げ、石原慎太郎が初監督した『若い獣』まで入れてます」

「若い世代を積極的に評価したい、と主張する花田は翌年の1959年度では、大島渚のデビュー作『愛と希望の街』を6位に推している。キネ旬ベスト・テンでこの作品に票を投じたのは二人だけだったから、大島はとても感激したそうです」≫

この文中、「翌年の1959年度では、大島渚のデビュー作『愛と希望の街』を6位に推している。キネ旬ベスト・テンでこの作品に票を投じたのは二人だけだったから、大島はとても感激したそうだ」とあるのに注目しました。

「愛と希望の街」を翌年に撮り、その次の年には、いよいよ「青春残酷物語」を撮って松竹の看板監督の地位に一気に駆け上る(背景には従来の松竹作品『大船調』の低迷と不振があります)、そういう年だったんですね、この年は。

この時期の勢いを得た大島渚の気負った顔がありありと見えるようです。

半裸の桑野みゆきを、これもまた裸の川津祐介が、思い切り張り倒す、張り倒された女の苦痛に歪んだ顔の大写しが描かれた煽情的な宣伝ポスターに、まるで煽られたかのように大衆は雲霞のごとく映画館に押し寄せました。いままで楚々としたメロドラマ調に慣らされてきた松竹映画ファンには恐ろしくショッキングな驚天動地の「事件」だったと思います。

そのときの小津監督のコメントがあります、「これからも松竹は、筏の上でズロースを干すような映画を作るつもりなのかね」

木下恵介「あの人たちの作ったものを見ているとまったく遣り切れない気持ちになるよ。僕の見た場面で、一人の男が豚のモツで顔を叩かれるというのがあったが、あの人たちはどうしたらお客を不愉快にできるかということに心を使っているのではないかと思った。暴力や愛欲シーンをどぎつく描かなければ、自分の意図が表現できないとすれば、それは演出が未熟だということになる。映画はやはり娯楽であり、美しさが必要だと私は信じている。」

そして、大島渚は、こう言います(木下さんの堕落は『二十四の瞳』以来のことと切って捨て)「いまの松竹は撮影所のスタッフを全部戦後派で固めること。百歩ゆずっても、小津安二郎、渋谷実、野村芳太郎以外の戦前派監督はいらない」とまで言い切っています、木下恵介への痛烈な批判です。

ステージ上で野坂昭如と殴り合った大島渚のあの傲岸不遜は、なにもあれが最初というわけではなく、遠く松竹時代、監督としてスタートをきった時もそのまま「傲岸不遜」だったことは、これでよく分かりましたが、ただ、そのとき、不意にあるひとつのことを思い出しました。

以前、you tubeで、大島渚のナレーションで、日本映画の100年を振り返る「100 Years of Japanese Cinema (1995)」というドキュメンタリー映画を見たことがあります。

その中で、大島渚は、自分が映画界に入ったのは、木下恵介の「女の園」に衝撃を受けたからだと告白しています。

「二十四の瞳」と「女の園」、その作品に対する愛憎の落差のなかに「大島渚」という男の人間像が浮かび上がってくるような気がしますよね。

なんだか、雰囲気が盛り上がってきたので、自分もなにかコクりたい気分になってきました、佐伯幸三監督絡みで、ですが。

実は、リアルタイムで見た「喜劇駅前競馬」1966という作品があります。

競馬にハマッタお約束の面々が、例のドタバタを繰り広げる佳作ですが、その1シーン。

馬券を当てたフランキー堺が、恋人か女房(大空真弓が演じていました)にセーターを買ってあげようと、メジャーで胸を測って寸法をとるという場面です。

それまでに二人の雰囲気は、すでに熱々、相当にヒートアップしていて、ネチネチ・コチョコチョとてもあやしいムードになっています。

メジャーを胸に回され、くすぐったそうに身をくねらせる大空真弓のその悦楽の表情を楽しみながら、フランキー堺は、さらに乳首(薄いブラウスからはっきりと透けて突き出て見えてます)をメジャーで挟み、その柔らかさを楽しむみたいにコリコリと刺激し、妻は身もだえします、これってまるで「前技」です。
当時思春期真っ只中の自分は「これ」にはまいりました。

外の世界は、世情騒然たる時局にあって、暗い映画館の片隅でひとり、密やかな股間の高揚に戸惑っていた、これが自分の佐伯幸三体験の最初でした。

(1966東宝)監督・佐伯幸三、脚本・藤本義一、製作・佐藤一郎、金原文雄、音楽・松井八郎、撮影・村井博、編集・諏訪三千男、美術・小島基司、照明・今泉千仭、録音・原島俊男、スチル・橋山愈、
出演・森繁久彌(森田徳之助)、フランキー堺(坂井次郎)、伴淳三郎(伴野孫作)、三木のり平(松木三平)、山茶花究(山本久造)、藤田まこと(伴野馬太郎)、淡島千景(景子)、池内淳子(染子)、大空真弓(由美)、乙羽信子(駒江)、野川由美子(鹿子)、北あけみ(紙子)、稲吉靖(白馬)、松山英太郎(五郎)、藤江リカ(安子)、千葉信男(由在巡査)、館敬介(駒山)、三遊亭小金馬(ゲスト)、安藤孝子(安藤女史)、星美智子(しるこ屋の女将)、北浦昭義(若い警官)、島碩彌(アナウンサー)、渡辺正人(解説者)、
製作=東京映画 1966.10.29 7巻 2,483m カラー 東宝スコープ


≪参考≫
1.1958.07.12 喜劇 駅前旅館 豊田四郎
2.1961.08.13 喜劇 駅前団地 久松静児
3.1961.12.24 喜劇 駅前弁当 久松静児
4.1962.07.29 喜劇 駅前温泉 久松静児
5.1962.12.23 喜劇 駅前飯店 久松静児
6.1963.07.13 喜劇 駅前茶釜 久松静児
7.1964.01.15 喜劇 駅前女将 佐伯幸三
8.1964.06.11 喜劇 駅前怪談 佐伯幸三
9.1964.08.11 喜劇 駅前音頭 佐伯幸三
10.1964.10.31 喜劇 駅前天神 佐伯幸三
11.1965.01.15 喜劇 駅前医院 佐伯幸三
12.1965.07.04 喜劇 駅前金融 佐伯幸三
13.1965.10.31 喜劇 駅前大学 佐伯幸三
14.1966.01.15 喜劇 駅前弁天 佐伯幸三
15.1966.04.28 喜劇 駅前漫画 佐伯幸三
16.1966.08.14 喜劇 駅前番頭 佐伯幸三
17.1966.10.29 喜劇 駅前競馬 佐伯幸三
18.1967.01.14 喜劇 駅前満貫 佐伯幸三
19.1967.04.15 喜劇 駅前学園 井上和男
20.1967.09.02 喜劇 駅前探検 井上和男
21.1967.11.18 喜劇 駅前百年 豊田四郎
22.1968.02.14 喜劇 駅前開運 豊田四郎
23.1968.05.25 喜劇 駅前火山 山田達雄
24.1969.02.15 喜劇 駅前棧橋 杉江敏男


稲妻

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「えっ~、まだ見てなかったのぉ!?」なんて言われてしまいそうですが、そうなんですヨ、成瀬巳喜男監督作品「稲妻」1952を通して見たのは今回が初めて、しかも、いまさらながら、そのことに、まったく気づかず、やっと今回、そのことに改めて気づかされたというわけなのです。

「はぁ? なに言ってんだか、さっぱり分からないよ、それじゃ」

そうですよね、そりゃ、うまく説明しないと、この辺の事情は分かっていただけないかもしれませんよね。

今回は、「その辺の事情」というのも含めて成瀬作品「稲妻」について書いてみたいと思います。

メディアによって紹介されることの多い名作映画にはよくあることですが、この「稲妻」も、かなり頻繁に取り上げられていて、そのたびに必ず映し出されるのがラストシーン、三女・清子(高峰秀子が演じています)が母親(浦辺粂子が演じています)に

「どうして自分たち兄妹を、同じ父親の子として産んでくれなかったのよ」

となじる場面だけが切り取られたカタチで、僕たちはいままで繰り返し見せられ続けてきたような気がします、数え切れないくらいにです。

大写しの高峰秀子が、悲嘆と怒りに歪めた泣き顔で母親に必死に訴えかける、悲痛で、それだけにとても美しい場面です。

もし同じ父親から生まれた子供だったら、自分たち兄妹は、こんなにもバラバラにならずに済んだかもしれない、いや、きっとそうだ、こんなにも気持ちを荒ませ、疑心暗鬼で互いを傷つけ合うこともなかったと詰る痛切な場面は、間違いなくこの作品の「核」になる最も重要な場面と言っても、決して過言ではありません。

それに、清子が母親をなじるまでに気持ちを高ぶらせたのは、その直前に、隣家の心優しい兄妹(根上淳と香川京子が演じています、香川京子の清らかさと美しさに思わず目を奪われてしまいました)の仲睦まじさを目の当たりにして心和ませ、羨望の思いに捉われていた彼女に、その兄・根上淳から逆に「ご兄弟は?」と問い返されて、思わず口ごもって表情をくもらせる場面に、他人に依存しなければ生きていけない家族への嫌悪と、自分が切り開こうとしている将来の希望など、清子の一連の心情が的確に描かれている傑出した場面です。

その兄・根上淳からの突然の問いに、思わず、清子が、兄妹の存在そのものまで否定へと揺らいだことは明らかで、もしかしたら、彼女のその「くもらせた表情」のなかには、たとえ微かにでもその否定に動いてしまった罪悪感も、母親への「なじり」に込められていたはずです。

そもそも清子に、家族を捨て山の手の下宿先へ家出同然の(突然の)転居を決意させたものは、・・・などと彼女が少しずつ積み重ねてきたストレスのひとつひとつを逆に辿っていけば、母親をなじるに至る感情の軌跡と、その思いの複雑さは徐々に明かされるとは思いますが、しかし、いま、ここで問題にしているのは、このぶつ切りにされて見せられ続けてきたラストシーン、「清子が母親をなじる」というシーンだけを孤立して見せられ続けたことによって、自分が「稲妻」という作品のイメージを、いつの間にか「別のもの」として作り上げてしまっていたらしいこと(自分的には「刷り込まれた」と言いたいのですが)を説明したかったのです。

ずいぶんウザッタイ持って回った言い方をしてしまいましたが、要するに自分は、いままで、この母親をなじる高峰秀子の悲痛な顔のアップに「終」の字が被るに違いない、これがこの作品のラストシーンだといつの間にか思い込んでしまっていました、実際にこの作品を見る「つい昨日」までは。

しかし、今回見て、それが自分のまったくの思い違いであることに気が付きました。

清子は、母親をなじり、激高のすえに両手で顔を覆って泣き出します。

一瞬「東京物語」のラストシーンの原節子を思わせるくらいの実に美しい場面です。

すると母親は、「私だって、なにも好きこのんでそうしたわけじやない」と抗弁し、その時その時の過酷な現実に翻弄された思いをよみがえらせ、そのときだって精一杯誠実に生きてきて今の現在があるのだと、積み重ねた苦労に胸詰まらせ、そのように生きるほかに自分はどうすればよかったのだと、やはり泣き出します。

そして、「兄妹のなかでお前がいちばんいい子だと思っていたのに、母親をこんなに泣かせるなんて、なんて悪い子だ。」と清子を逆になじります。なんで私が非難されなけりゃいけないんだとでも言うように。

その言い方、その声の調子は、まるで聞き分けのない幼い子を叱る母親の柔らかさに満ちていて、虚をつかれた清子はふっと顔をあげ、思わず苦笑気味に愚鈍な「母親」を見つめます(「見つけます」と言ってもいいかもしれません)。

幾人もの男たちに依存して生きてきたそのだらしなさと愚かさの結果が、「父親違いの子供たち」というイビツな現実を生み出してきたのだとしても、そのようにしか生き得なかった母親の無防備な善良さに不意を打たれた清子は、それさえも愚かしいと唾棄し、罵り否定できるのかと戸惑います。
どうあろうと、この人が私の母親に違いないのだという感じでしょうか。

理解や同意まではできないとしても、この母親もそれなりに・彼女なりに懸命に生きてきたことを受け入れようとする娘と、どこまでも「被害者」として理解を押し付けてくる母親とが、かろうじて心かよわせる安らぎと柔らかさに満ちたシーンです。

帰る母親を駅まで送る夜道で、母親は何かを拾います、「なんだ、王冠だ、五十銭銀貨かと思った」と言って捨てる姿に「いまどき五十銭銀貨なんてないわ」と苦笑で応じる清子の眼差しには、ついさっきまでの母親への非難の厳しさは、すでに消えています。

これが、成瀬作品「稲妻」の本当のラストシーンです。

そうか、分かってしまえば、なんてことありません。

自分の「刷り込み」から妄想した悲嘆と絶望の大アップが、この映画の最終画面だなんて、少し考えてみれば、そんな切羽詰まった終わり方をするなど、もっとも成瀬巳喜男作品らしからぬ「有り得ない終わり方」であったことくらい、すぐにでも分かりそうなことでした。

しかし、これで自分の中に長い間わだかまっていた「オリ」のようなものが、氷解しました。

ここまでは、思い込みが如何に恐いかというお話なのですが、ここで話が、すこし飛びますね。

以前、「映画好き」が集まるある会合で、この自分の思い違いを話したことがあり、この話を聞いた参加者はどっと沸いて、座を大いに盛り上げたことがありました。

しかし、そのすぐあとで、こんなことを言った人がいました。

≪この「稲妻」は、いったい「誰と誰」との物語なのだろうか≫というのです。

座を盛り上げた自分の話が、あたかも「清子対母親」の物語のように聞こえ、その人は、そのことに違和感を持ったのかもしれません。

そのように言う以上、その人にも、また別の意見があるに違いないと考えた自分は、「あなたは、どのように考えているのか」と尋ね返してみました、実際には、この時を得た極めて恰好な話題が一座の関心を一気にさらい、談論風発の状況を呈して、自分の問いなど、その多くの人たちのザワメキの中に飲み込まれてしまって届きませんでしたが。

いちばん多かった意見は、やはり、全編を通して描かれている、金のチカラによって清子を無理やり我が物にしようと画策したパン屋・綱吉(小沢栄太郎が実に嫌らしく演じています、名演です)との確執でしょうか。

いや、この場合「確執」というのはおかしい、綱吉は清子につきまとっているだけで、嫌悪から避け続けている清子にとって「確執」という交渉まで至っていないというのが、本当のところかもしれません。
だとすれば、それは、物語を大きく包み込む「不吉な影」ではあったとしても、決してそれ以上のものではなかったような気がします。
綱吉の経済力に全面的に依存しているこの家族にとってその「不吉な影」は、結局は「恐怖」でしかなく、物語をひとつひとつ推進させるチカラ(まさに確執こそが「それ」です)にはなり得ていないような気がするからです。

あえて「確執」というなら、盛んに綱吉との縁談をすすめようとする長姉・縫子(村田知英子が演じています)とのギスギスとした関係の方が、むしろ相応しいのではないか。

しかし、なぜ長姉・縫子は、清子を綱吉に結びつけようとしたのか、もちろん、そこには清子に対する綱吉の並々ならぬ感心(あからさまな肉欲です)があったからには相違ないのですが、すでに綱吉とカラダの関係を持っていたに違いない長姉・縫子にとって、自分の位置を脅かしかねない清子を、あえて綱吉に人身御供としてあてがうメリットはあるだろうか。

いやいや、まさに次姉・光子(三浦光子が演じています)の例があるじゃないですか。

自分に欠けているもの(綱吉の欲望を満たすだけの性的魅力)を「次姉・光子」にカラダで担わせて、自分・長姉・縫子は利益(見返り)の方だけをちゃっかり頂戴しようと思っていたところ、結局は、自分の地位を脅かされていることに気づいて、不安と疑心暗鬼のすえに大喧嘩して、次姉・光子の家出・行方不明という事態を招きます。

ここには長姉・縫子が思い描いていた「姉妹の協力=役割分担」など、到底有り得ないことだったと彼女自身も思い知らされたわけですよね。

それは、次姉・光子にしても同じことだったと思います。利用されたとみせかけて、身をくねらせて綱吉の欲望を満たし、その見返りに金を引き出そうとした彼女も、姉の嫉妬によって企みがすべて瓦解するという「姉妹バラバラ」の事態を招いていますから、それはどうにも身動きのとれない、この先物語がどう展開するのか、まったく予測できない膠着状態をきたします。

そこで、ふたたびラストシーン、三女・清子のあのセリフ
「どうして私たち兄妹を、同じ父親の子として産んでくれなかったのよ」
に返りますね。

いままで考えてきたことすべてを受けたこのセリフの響きに、当初感じた突き放し、見捨てたような響きが、幾分薄らいできたことに気づきました。

少なくとも、清子は、綱吉を嫌悪したのと同じように、姉たちを見ているわけではない、もしかしたら、一時の怒りに激高した思いをこえて母親を許し、受け入れたのと同じように、欲望に翻弄された姉たちをもまた、許し、受け入れようとしているのではないかという思いさえ抱きました。

いずれにしても、高峰秀子の陰影のある奥深い演技があったればこそ、ここまで考えさせられたことは事実です。

思えば、この作品「稲妻」が撮られた1952年から、まさに女優・高峰秀子のピークに駆け上る成熟期のスタートの年として記憶されています。

稲妻(1952大映東京)
カルメン純情す(1952松竹大船)
女といふ城 マリの巻(1953新東宝)
女といふ城 夕子の巻(1953新東宝)
煙突の見える場所(195エイトプロ3)
雁(1953大映東京)
第二の接吻(1954滝村プロ)
女の園(1954松竹大船)
二十四の瞳(1954松竹大船)
この広い空のどこかに(1954松竹大船)
浮雲(1955東宝)


しかし、これらの「名演技」を、高峰秀子自身が、どのように自覚していたか、「子役スターから女優へ」という傑出したインタビュー記事が残されているので紹介しますね(聞き手は、佐藤忠男)。


佐藤 でも例えば「稲妻」なんて大映ですね。非常に細かいちょっとした仕草みたいなものが、非常に意味がある映画のようなものですね。「稲妻」は私、高峰秀子さんの最高傑作のひとつだと思っています。

高峰 忘れちゃった、あれはバスの車掌さん・・・。

佐藤 バスガールで、浦辺粂子さんの娘で種違いの兄妹がいる。村田知英子と三浦光子と、植村謙二郎が村田知英子のご主人で、・・・。

高峰 それで私どうするんですか(笑)。

佐藤 それであなたは、よりよく生きたいという理想を持っていて、だけれども、実に現在の生活がみじめったらしい。経済的にみじめったらしいというのではなくて、精神的にもみじめったらしく、何もものを考えていそうにない家族ばっかりで、こんな家にいるのは嫌だと。嫌なんだけれども、血肉の愛情があって、捨てるわけにもいかない・・・。

高峰 それで浦辺さんと移動で歩いていて、浦辺さんがなにか拾ったら、ビンの栓だった。そこだけ覚えている。あと何にも覚えてない。

佐藤 それはお金かなと思って拾った。何てまあいじましいんでしょうという。

高峰 そうそうそう。あれ変だな、だって「秀子の車掌さん」というのもバスガールですね。

(講座・日本映画、6巻「日本映画の模索」より)

高峰秀子生涯の名演技に話しを向けたところ、すぐにいなされ、「秀子の車掌さん」に逃げられる、そこには彼女一流のテレもあったかもしれませんが、高峰秀子という人の資質を十分に伝えてくれる逸話だと思います。


そもそもこの座談が、高峰秀子の「忘れちゃった」という一言で始められているのも、出色ですよね。



このラストでも成瀬巳喜男は、説明的なセリフや強い感情をモロに伝えるセリフを嫌い、田中澄江の脚本を大幅に改変し、日常的にしっくり嵌らないセリフはことごとく削除・省略したといわれています、とくにこのラストにおいて。

母娘の言い争いが収束にむかう会話

清子「母ちゃん・・・こんど浴衣一枚買ってあげるわ。売れ残りの安いのを」

おせい(機嫌はなおっています)「いやだよ、売れ残りなんて」

この会話を受けて田中澄江の元の脚本では、ラストシーンは、こんなふうになっていたそうです。

夜の道

ときおり稲妻が光っている

並んで歩く母娘


おせい「帰ってくるよ・・・きっとお光は。あの子小さい時から雷が嫌いでね。雷が鳴り出すと私にしがみついたもんだ」

「終」


しかし、成瀬巳喜男の「削除・省略」を経た実際のラストシーンは、「こう」なりました。

下宿の一階

家主「お帰りですか」

おせい「お邪魔しました」

家主「お構いもしませんで」

おせい「どうぞよろしくお願いします。(すぐに家主の作っている人形に気づき)あっ、お人形ですか。まあまあ」

清子「お母ちゃん!」

あせい(あきらめて)「あいよ。それじゃ」


そして、夜の道

並んで歩く母娘

おせいは何かに気づき、拾い上げる

清子「お母ちゃん、なに?」

おせい「50銭銀貨かと思ったら、ビールの口金だよ」

清子「50銭銀貨なんて、今ありゃしないわよ」

おせい「そうだよ。あたしも変だと思ったよ」

清子「いやあね。あ、ねえ、お母ちゃん、あのルビーの指輪ねえ、見てもらったら本物だって」

おせい「そうだろう。そうだとも。お前のお父っつぁんは、嘘なんかつけない人だったよ」


「終」


そういえば、誰やらが書いた成瀬本の書名に「日常のきらめき」というサブタイトルがあったのを、いま思い出しました。

(1952大映)監督・成瀬巳喜男、脚本・田中澄江、原作・林芙美子、企画・根岸省三、撮影・峰重義、美術・仲美喜雄、音楽・斎藤一郎、助監督・西條文喜、撮影助手・中尾利太郎、美術助手・岩見岩男、録音・西井憲一、録音助手・清水保太郎、音響効果・花岡勝太郎、照明・安藤真之助、照明助手・田熊源太郎、編集・鈴木東陽、製作主任・佐竹喜市、装置・石崎喜一、小道具・神田一郎、背景・河原太郎、園芸・高花重孝、移動・大久保松雄、工作・田村誠、電飾・金谷省三、技髪・牧野正雄、結髪・篠崎卯女賀、衣裳・藤木しげ、 スチール・坂東正男、記録・堀本日出、
出演・高峰秀子(小森清子)、三浦光子(次姉・屋代光子)、村田知英子(長姉・縫子)、植村謙二郎(縫子の夫・龍三)、香川京子(国宗つぼみ)、根上淳(つぼみの兄・周三)、小沢栄(栄太郎)(パン屋・綱吉)、浦辺粂子(清子の母・おせい)、中北千枝子(田上りつ)、滝花久子(杉山とめ)、杉丘毬子(下宿人・桂)、丸山修(清子の兄・嘉助)、高品格(運転手)、宮島健一(バスの老人客)、伊達正、須藤恒子、新宮信子、竹久夢子、
製作=大映(東京撮影所) 1952.10.09 9巻 2,392m 87分 白黒




変態家族 兄貴の嫁さん

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少し前、古い友人と会ってお酒を飲んでいたとき、話のはずみで周防監督の「終の信託」の話になりました。

「それでもボクはやってない」の捜査官(副検事だったかも)の熾烈な取り調べの場面は、実にリアルで、恐ろしいくらいでしたが、「終の信託」の検察官(大沢たかおが憎々し気に演じていました。)もまた、それに劣らぬ「権力」というものの存在感を露骨に見せつけて(薄気味悪いくらいでした)、かなりの衝撃を受けたことを覚えています、そのことについて話しました。

時代劇なんかによくあるじゃないですか、お奉行さまの取り調べが佳境に入ったりすると、突然「役目によって言葉を改める」とかなんとか豹変して威儀を正し、一切の反論は絶対に許さない、ただ、お前は黙って罪を認めておればそれでいい、みたいな強硬なあの手の場面ですが、「終の信託」における大沢たかお演じる検察官も、かなり強引で冷ややか、恐ろしいくらいの名演でした。

リアルに「役人」というものが「権力」の一部であることを露骨に気づかせ、スクリーンでまざまざと見せつけました、いままで、あんなに「権力」を誇示した冷厳な役人像は、あまり見た記憶がありません、だから一層衝撃を受けたのだと思います。

そう思わせるくらい、「権力」を後ろ盾とした、あからさまな「検察官像」だったと思います(それもこれも周防監督の演出力の力量を示したものに違いありませんが)、あの場面を見ていて、「権力の走狗」という言葉が(最近は、あまり耳にしませんが)、自分の中から自然に沸き上がってきたくらいですから、それはもう大変な演出力でした。

映画「それでもボクはやってない」でも、取調官の手元には、すでに事件についての調書(下書きかも)が用意されていて、実際の対面での取り調べは、単にその作文をなぞって確認するだけの「復習=復唱」にしかすぎず、被疑者が「その部分は事実と違う」と必死に抗弁しても、「余計なことを言うな! お前は、本官が尋問したことだけ答えればいい」と一喝され、そうした恫喝のもとで成立した検察官の調書(たとえそれが脅迫によって捏造されたものであっても)を認め、署名捺印でもすれば、それで権力のメンツは立ち、そのあとで、「罪を認めれば許してやるぞ」的な「寛容な恩情」によって「二度とやるなよ」と放免されるという国家権力の「裁きのシステム」を、周防監督は、あの作品によって如何なく白日の下に暴き出したのだと思いますし、その指摘が「冤罪」を生み出すシステムであったことにも気づかせた結果、司法を痛撃し、国を動かしたことも事実だったと思います。

いや、まずい、まずい、酒の席で、ついテンションをあげてしまい、こんなカチンコチンの硬派な話をしてしまって、久しぶりの貴重な邂逅の時間を台無しにするところでした。

なにも、こんな陰気で深刻な話をするつもりなど、さらさらなかったのですが、つい場の勢いでこんな話になってしまいました。

その責任の一端は自分にもありますので、あわてて話を周防監督のデビュー作「変態家族 兄貴の嫁さん」に捩じ向けました。

この作品の話なら、深刻にも陰気にも、なろうはずはありません。

これは実にいい機転だったのですが、いかんせん、周防監督のこのデビュー作「変態家族 兄貴の嫁さん」を、自分はまだ見ていませんでした、この時点ではね。

しかし、この作品、小津監督へのオマージュ作品としての評判だけなら、むかしから嫌というほど聞かされていたので、作品の方向性というか、「作られ方」みたいなものの見当はだいたいつきます、「見てない」ことはぼかしながら、ひたすら小津監督サイドから話を向けていけば、なんら問題はなしと、適当に話を合わせていたのですが、そのうちに作品の細部についての「同意」の要請に対して幾たびか口ごもり・失敗し、やがて自分がこの作品を「見てない」ことが、ついにバレてしまいました。

そうなれば、ここはふてぶてしく開き直るしかありません、長い会社人生、いままでだって自分はそうやって立派に生きてきました、自分で言うのもなんですが。

まあ、そんなふうに頑なにならなくたっていいのですが、言ってしまえば気が楽になり、「見てないことのどこが悪い」と逆に居直り、あとはひたすら聞き役に回りました。

そして、聞いているうちに、彼がそのテープを保有していることが分かりました。

「えっ、あるの?」、「なら貸してよ」と図々しくおねだりし、その次の飲み会のときに、ついに周防正行監督デビュー作「変態家族 兄貴の嫁さん」を入手しました・できました。

そして、見終わったのが、いまのいまなのですが、う~ん、この作品にどのような「感想」を自分が抱いたのか、実のところ戸惑っています。

最初は、話の筋を忠実にたどってみました。

しかし、そこに、どのようなヒントも隠されていないことは、明らかです、「そういう」映画として作られた映画ではないわけですから。

あっ、そうそう、自分が読んだエピソードの中に、「こんな奇妙な作品を撮って、映画会社が激怒した」なんていうのがありました。

煽情的な場面を期待してピンク映画館にやってきた客も、会社と同じように大方はきっとそうだったに違いありません。

小津監督の整理された画面、整理された時間、整理された枠組みを模倣するとなれば、当然そこには如何なる「情動」も入る余地がないということになるのかもしれません。ですので、こうして小津的に規制されて撮られた作品によって「エッチの気持ち」になりたいなどと願うこと自体、どだい無理な話だったのです。

しかし、自分がいままで経験した「オマージュ作品」っていうものは、もう少しデフォルメされていて、ときおり「自分」の作家性をも気づかせるために、オリジナルから少し必要な距離をとっている、その絶妙な距離感が「オマージュ」だと信じていたので、この「変態家族 兄貴の嫁さん」の「そのまんま」には、たとえそれが単なるパロディだったとしても、逆に「解釈」が必要なのではないかと悩んでしまいました。

つまり、この「距離感のなさ」を自分的に納得しなければ、この作品を「どう楽しめばいいか」ということも分からないのでないかと考えたのかもしれません。

そのとき、ふっと「あること」を思い出したのです。

ずっとむかし、和田誠の著作に、川端康成の「雪国」の出だしの文章を、当時の流行作家たちが書いたらどうなるか、というパロディ本があったことを思い出しました。

書名はちょっと思い出せませんが、実にユニークな着想で、感心し、腹を抱えて笑ってしまった記憶だけは鮮明に残っています。

さっそく「和田誠」をキーワードにして検索してみました、まずは国会図書館のサイトから。

そこでは、なんとヒット数は3744件、その中には、再版・重版(刊行日が違っても、それを1とカウントしているみたいです)も含まれているみたいなので、実数としてはもう少し少ないかもしれませんが、3744件とは、これはまた驚きました。

この中から、書名さえ分からない本を探すのは、至難のワザです。ましてや、(デジタル公開されていて内容が確認できるのならともかく)漠然としか分からない内容と、不明な書名とを勘で結びつけるなど、出来るわけがありません。

そこで、とっさの思い付きですが、苦し紛れにダイレクトで「和田誠 雪国」と検索してみました。

ありました、ありました。

なるほどね、最近になって重版されたみたいですね、この本。

書名は、和田誠「もう一度 倫敦巴里」とあります。(ナナクロ社刊、デザイン協力:大島依提亜、判型 :A5判上製176ページ、カラー多数、価格:2200円+税、発売:2017年1月25日)

そして、その内容の紹介には、

≪和田誠、1977年初版の伝説的名著『倫敦巴里』が、未収録作を加え、『もう一度 倫敦巴里』としてついに復活!
★川端康成の『雪国』を、もし植草甚一が、野坂昭如が、星新一が、長新太が、横溝正史が書いたとしたら。(『雪国』文体模写シリーズ)
イソップの寓話「兎と亀」をテーマに、もし黒澤明が、山田洋次が、フェリーニが、ヒッチコックが、ゴダールが映画を作ったとしたら。(「兎と亀」シリーズ)
ダリ、ゴッホ、ピカソ、シャガール、のらくろ、ニャロメ、鉄人28号、星の王子さま、ねじ式、007、「雪国」……数々の名作が、とんでもないことに!?
谷川俊太郎、丸谷才一、清水ミチコ、堀部篤史(誠光社)の書き下ろしエッセイを収録した特製小冊子付。(※丸谷才一さんのエッセイのみ、再録となります)
※本書は、1977年8月、話の特集より刊行された『倫敦巴里』に新たに「『雪国』海外篇」「雪国・70年2月号・72年11月号・73年12月号・75年2月号・77年2月号のつづき」を加え、再編集したものです。著者監修のもと、原画がカラーで描かれていた作品は、カラーで掲載しています。≫


とあり、かつて自分が読んだのが「★『雪国』文体模写シリーズ」だったんですね。

さっそく、この本を図書館から借りてきました。

せっかく借りてきたので、「もし村上春樹が『雪国』を書いたら」を転写しておきますね。


≪昔々、といってもせいぜい五十年ぐらい前のことなのだけれど、そのとき僕はC62型機関車が引く特急の座席に坐っていた。とびっきり寒い冬の夜だった。
機関車は逆転KO勝ちを決めようとするヘヴィー級ボクサーのようにスピードを上げ、国境のトンネルをくぐり抜けた。やれやれ、また雪国か、と僕は思った。
一日がガラス瓶だとすれば、底の方に僕たちはいた、果てしなく白い底だ。
信号所に汽車が停止したとたんに、「月光価千金」のメロディが聴こえた。向かい側の座席にいる女の子が吹く、澄んだ星のような音色の口笛だった。彼女は人目をひくほどの美人ではなかったけれど、おそろしく感じのいい女性だった。
彼女は立ち上がって、僕の前のガラス窓を落とした。雪の冷気がかたまりになって流れこんだ。
「駅長さあん、駅さあん」
窓いっぱいに乗り出して、アルプスでヨーデルでも歌うみたいに彼女が遠くへ叫ぶと、闇の中から黄色い光を放つカンテラをさげた男がやってきた。光は闇の対極にあるのではなく、その一部なのだ、と僕は感じた。≫


転写に集中していたら、この「文体模写シリーズ」と「変態家族 兄貴の嫁さん」が、どのように繋がるのか、繋がりを持たせようとしたのか、そのアイデアをすかっり忘れてしましました。

思い出したら、また書きますね、ごきげんよう。

(1984国映、新東宝)朝倉大介(企画)、周防正行(監督)、井上潔(監督助手)、富樫森(監督助手)、周防正行(脚本)、長田勇市(撮影)、滝影志(撮影)、周防義和(音楽)、TOJA2(演奏)、種田陽平(美術)、矢島周平(美術)、大坂正雄(音楽録音)、ニューメグロスタジオ(録音)、小針誠一(効果)、長田達也(照明)、豊見山明長(照明)、菊池純一(編集)、磯村一路(製作担当)、斉藤浩一(タイトル)、
出演・風かおる(間宮百合子)、山地美貴(間宮秋子)、大杉漣(間宮周吉)、下元史朗(間宮幸一)、首藤啓(間宮和夫)、深野晴彦(従兄・間宮秀三)、麻生うさぎ(「ちゃばん」のマダム)、原懶舞(九州の若夫婦)、花山くらら(九州の若夫婦)、

1984.06. 62分 カラー ビスタサイズ

リベンジ「変態家族 兄貴の嫁さん」

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前回、周防監督作品「変態家族 兄貴の嫁さん」の自分のコメントに、CB400Fさんから
「(吉本新喜劇風に)な、な、なんじゃそら!?」
と強烈なツッコミを入れられてしまい、その一言を胸に秘めながら、ただただ反省と悔恨の日々を過ごしました。

自分のあのコメントは、結論をはぐらかした、はっきり言って苦し紛れの「逃げ」のコメントだと言われても仕方ないくらいの支離滅裂さで失速し、中途半端に頓挫したわけですので、CB400Fさんのあのツッコミは、当を得た至極当然な発出だったと思います、しかし、弁解がましくなりますが、自分的には、本題へのアプローチに若干の齟齬をきたしたというだけで(結果的に、です)、目指した方向性とか姿勢に関しては、それほどの間違いをおかしたわけではないという気持ちが強いので、今回もまたその辺のところを含めながら書いてみたいと思います。

いま思えば、自分の反省としては、「オマージュ」と「パロディー」とを取り違えて論を始めようとした迂闊さに、そもそもの原因があったのだとはじめて気が付きました。

周防監督作品「変態家族兄貴の嫁さん」は、決して「『雪国』文体模写シリーズ」のような「パロディー」を目指したものなんかじゃなかったことは、夜の床で周吉が百合子(あっ、「紀子」じゃない!)に「夫婦のしあわせ」について語り掛ける場面の、オリジナル作品の「なぞり方」の忠実さと誠実さを見れば明らかです、これこそ「オマージュ」以外のなにものでもないのだと思いました。

周吉「そりゃ、結婚したって初めから幸せじゃないかもしれないさ。結婚していきなり幸せになれると思う考え方がむしろ間違っているんだよ。幸せは待ってるもんじゃなくて、やっぱり自分たちで創り出すものなんだよ。結婚することが幸せなんじゃない。新しい夫婦が、新しいひとつの人生を作り上げていくことに幸せがあるんだよ。それでこそ初めて本当の夫婦になれるんだよ。お前のお母さんだって始めから幸せじゃなかったんだ。長い間いろんなことがあった。台所の隅っこで泣いているのを、お父さん幾度も見たことがある。でも、お母さんはよく辛抱してくれたんだよ。お互いに信頼するんだ。お互いに愛情を持つんだ。お前が今までお父さんに持ってくれたような温かい心を、今度は佐竹君に持つんだよ、いいね?」

この日本映画史上特筆すべき高潔なセリフを周防監督は、別段茶化して言わせているわけでもないし、あえて曲解を招くような特異なシチュエーションのもとで話させているわけでもありません。

少なくとも、このセリフの「なぞり方」は、「『雪国』文体模写あそび」とは、まったく異質なものだと改めて感じました。
しかし、自分は、この「あえて曲解を招くような特異なシチュエーションのもとで話させているわけでもない」という部分に、とても深い違和感を覚えました。

そもそも、この映画を成り立たせている物語の骨格は、新たに家に迎えた肉感的な兄嫁に対する家族の並々ならぬ性的関心の物語です、カテゴリー的にいえば、「近親相姦・総当たりトーナメント」みたいなSMを絡めた「なんでもアリ」の艶めかしい雰囲気につつまれた家族映画です。

ですから、義父・周吉が嫁・百合子に語りかけるあのしんみりとした夜の床の場面でも、嫁はすでに夫(周吉には息子)に逃げられていることでもあり、義父と嫁の「(性的な)絡み」の機は十分に熟したと見ている観客にとって、ここは当然、義父・周吉が、すきを見て嫌がる嫁・百合子を強引に引き寄せたりなんかして、「いいじゃないか百合子さん、キッスくらい、なっ、なっ」てなことを言いながら、タコの吸出しのように口をとがらせて真っ白な肌(興奮で薄っすら赤味がさしています)の百合子にキッスを迫り、勢いで顔をなめまわし、かたや百合子は、誘うように身をくねらせ弱弱しい抵抗をみせながら「いやいや、いけませんわ、お父さま。ウ~ン、ダメェ、あっあー・ソコ」みたいな、そういった煽情的な場面を大いに期待しているにもかかわらずですよ、見せられたものは例の「そりゃ、オマエ、結婚なんてものはね」とかなんとか、実に興ざめなシャチホコばった長セリフが登場するわけですから、そりゃあ、観客の違和感たるや相当なものがあったわけですが、しかし、考えてみれば、周吉に好意を寄せていたバー「ちゃばん」のママとの「関係」にしてもなんら深められることなく、あっさり長男・幸一に横取りされてしまうというシチュエーションなども考え合わせれば、「あっ、これがオマージュってやつなんだよな」(汚れなき義父です)と変に納得してしまいました。

いやいや、理由を書かずに、すぐ納得なんかしてしまうと、また、CB400Fさんから「(吉本新喜劇風に)な、な、なんじゃそら!?」と言われてしまいますので、もう少し時間稼ぎをしてみますね。時間稼ぎとかじゃないだろ。あっ、はい。自問自答

自分は、「忠臣蔵」の大ファンで(お、おい、全然違う話が始まっちゃってるけど、大丈夫なの? まかしてください、大丈夫です)、御園京平の「映画の忠臣蔵」(講座・日本映画)という記事を座右に置いて常に繰り返し愛読しています。いつか、この記事をパクッて(お、おい!)、「大忠臣蔵列伝」を完成させたいと思っています。ちょっと考えただけでも、日本映画史を縦断・横断する物凄いものができるに違いありません。ぞくぞくしますよね。

こんな自分なので、タイトルに忠臣蔵と付いているだけで、なにを置いてもその作品は真っ先に見ることにしています、特に変種のものには、目がありません。むかし、「ワンワン忠臣蔵」なんてのもありました。

最近も、白竜主演の「極道忠臣蔵」(2011監督・片岡修二)という作品を見ました。

縄張り争いのゴタゴタもあって、侮辱されたことで逆上した組長が相手の組長に切りかかったことで本部から破門され、さらには陰謀によって雇われ殺し屋に暗殺され、そして若頭・白竜が出所してきて、苦難の末に親分の仇をとるという物語です。さしずめ、白竜が「大石内蔵助」です。

もし、タイトルに「忠臣蔵」となければ、すこぶる淡白に見過ごした可能性があります、第1回ピンク大賞監督賞を受賞した片岡修二監督作品といえどもね。

あっ、この場面は、「あの場」だと、いちいち記憶と照合する楽しみがあってこその「忠臣蔵」なのです。

そして、こういうことが「オマージュ」というものではないのかなと感じた次第です。


極道忠臣蔵
(2011)監督・片岡修二、企画・山本ほうゆう、プロデューサー・渋谷正一、脚本・片岡修二、撮影・河中金美、
出演・白竜、小沢和義、本宮泰風、武蔵拳、河本タダオ、國本鍾建、木村圭作、Koji、BOBBY、堀田眞三、松田優、加納竜、原田龍二


トーキョー×エロティカ 痺れる快楽

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ずっと見る機会のなかった周防監督の伝説の映画「変態家族 兄貴の嫁さん」のテープを、酒の席の雑談でたまたま友人が所有しているのを知ったときのその驚きと喜び(そのとき瞬時に「これは借りられるな」と思いました)は、いまでも忘れることができません、日を置かずにさっそく借りて見ることができて、これでやっと積年の願いが叶いました。

実は、そのとき同時に借りたテープというのがあります、瀬々敬久監督の「高級ソープテクニック4 悶絶秘戯」1994、「牝臭 とろける花芯」1996、「トーキョー×エロティカ 痺れる快楽」2001の3本です。

いまでこそ、「64-ロクヨン-前後編」などメジャーな作品を立て続けに撮っている瀬々敬久監督ですが、かつては「ピンク映画四天王」の一人といわれて数多くの傑出した作品を残しています、今回借りたこの「高級ソープテクニック4 悶絶秘戯」も「牝臭 とろける花芯」も「トーキョー×エロティカ 痺れる快楽」も、この「分野」では、いずれも高い評価を受けた作品と聞いています。

あの酒の席での雑談で、友人に、かつて自分が「黒い下着の女 雷魚」のコラムを書いたと話したことを覚えていて、それで今回わざわざ貸してくれたのだと思います、

しかし、それにしても、これらの作品、その内容からは遥かにかけ離れた、相当物凄いタイトルです。

ピンク映画会社の集客のための営業戦略とはいえ、それぞれの作品に付されたこの淫靡で過激なタイトルから、その内容を憶測することは、ほとんど不可能です。

このコラムを書こうと思い立ってからの自分も、いくら頑張っても、ついに結びつきができないので、仕方なく、タイトルと簡単な内容とを対照したカンニング・ペーパーを作ったくらいでした。

ピンク映画のタイトルといえば、それこそ、オナニーやら強姦やら近親相姦やら、思わず目を背けたくなるような淫語の大パレードなわけですが、しかし、それも「掴み」のコツさえ分かってしまえば、なんてことありません。

使われる用語とその組み合わせは、意外なほどに単純でパターン化されているので、「ピンク映画」のもつ独特のタイトルの限定的な発想(淫語の種類などタカが知れていて、セイゼイその限られた熟語の組み合わせにすぎません)に慣れてしまえば、異様な性的意匠の外見や挑発的な用語にたじろぐ必要など毛頭ないことがだんだん分かってくると思います、いわば「慣れ」ですよね。

逆に、そのパターン化・記号化された単調さのために、かえって縁もゆかりもないタイトルから作品の内容がどんどん欠落・剥離し、タイトルが本来課せられているはずの内容を象徴する機能と役割を十分に果たせなくなっている印象です、いや、むしろ、その結び付けの試みを頑なに放棄しているようにさえ見えるくらいです。

例えば、「変態家族 兄貴の嫁さん」の描く世界は「近親相姦」の話ですが、このタイトルから、そのまま現にこの社会に存在する深刻で生々しいリアルなノンフィクションと思う人などは、まずなく、場数を踏めば、ただの妄想・とんでもない欲望ファンタジーみたいなものだと自然に「読み替え」ができるようになると思うのですが、しかし、一般の観客にとっては、「そう」はいきません。

お隣の妙齢なお嬢さんと世間話をしながら「ローマの休日」について話すみたいには、これらの作品(「高級ソープテクニック4 悶絶秘戯」や「牝臭 とろける花芯」のお噂)をタイトルをあげて話すことなど、やはり躊躇し、憚られるものがあります。

しかし、それもこれも、見る者を厳しく選別する一種の「業界用語」みたいな記号だと分かってしまえば、その作品が持つ真正な価値をきっと見失うこともないだろうと信じながら、書くべきことを箇条書きに整理し始めました。

そして、だんだん分かってきました。

もしかすると、これって最初から、そういうチャラチャラした層の観客を拒絶する戦略的意味合いもあったのかと。

ピンク映画においては、固定客(リピーター)以外の観客などハナから相手にしないどころか、「イチゲンさん、お断り」みたいに拒絶する・切り捨てるという戦略で、「分かる人だけが見に来てくれればいい」という立ち位置こそ、一般の価値観から距離をとって作ることができる本来の「ピンク映画」の在り方なのかもしれないと。

しかし、それにしても内容を象徴できないタイトルなんて全然意味がないと思うし、作り手の立場からすると、随分残酷な話のようにも思います。

以前自分がコラムに書いた「黒い下着の女 雷魚」のタイトルならまだしもです、このタイトルなら映画の内容も鮮明に想起することができますからね。

しかし、「高級ソープテクニック4 悶絶秘戯」や「牝臭 とろける花芯」や「トーキョー×エロティカ 痺れる快楽」のどこに、自立してその内容を瞬時に想起させることができる象徴性というものがあると言えるでしょうか、もはやスレスレの域を超えて、きわめて疑問と言わざるを得ません。

ピンク映画において「撮る自由」を獲得できた若き映像作家たちは、その見返りとして、内容を象徴するタイトルの「命名権」を失ってしまったのではないか、剥奪されてしまったのではないかと思えるくらいの無残な印象です、しかし、これってとても重要なことだと思いませんか。

習作時代の作品のタイトルを問われ、つい口ごもる彼らは、タイトルを失っために「作品」そのものも失ったことをそのとき気づくのではないかと。

でも、「自由」を獲得できるということは、本来そういう本質的なものの犠牲と喪失のうえに成り立っているものなのかもしれません、そんな気がしてきました。

さて、自分にとって、これだけの前振りがないとピンク映画の感想が書けないのかというと、そんなことはありません。

タイトルが内容の象徴的機能を果たせないのならば、かわりに「比喩」でその作品の全貌を言い表せないか、考えてみました。

まず「高級ソープテクニック4 悶絶秘戯」の印象です。

全編死の影に覆われたその殺伐とした風景描写(精神の荒廃も表しています)から、仮に「ゴダール風」と仮定してみましたが、しかし、ゴダールの描く人物像は、いずれもクールで淡白、極く乾いた印象で、こんなにも濃密に人間が人間にかかわろうとする関係(愛憎によって人を殺すに至るまでの激しい情感)を描いたものなどかつて見たことがないので、まずこれは違うなとすぐに否定し、しばし考えたのちに、ぴったりと重なる映画に思い当たりました。ミケランジェロ・アントニオーニの「さすらい」1957です。ラストの墜落自死ばかりでなく、風景の荒廃が魂の荒廃を映しているところなど、ぴったりなのではないかと思いました。

そして「牝臭 とろける花芯」は、直感的にロベール・アンリコの「冒険者たち」1967を連想してしまいました。底抜けの明るさに照らされながら、しかし、それは単に不吉な予兆にすぎず、「明日」に怯えている喪失感の不安みちた切迫感が作品全体を引き締めている、その感じが、思わず自分に「ロベール・アンリコ」を連想させたのだと思います。



そして、「トーキョー×エロティカ 痺れる快楽」は、断然ベルイマンだと思いました。絶えず「死の時間」を問いながら「死」を生きる者たちの緊張感に満ちた映像体験ができました。


冒頭、「生まれる前の時間と、死んだ後の時間って、どっちが長いと思う?」という問いからこの映画は始まります。

それは、この世に生まれ出るまでの待機の時間(そんなものが、果たしてあるのかと思う)と、死んだあとに無限に続く喪失の時間の長さを比較しようという、考えてみれば、なんと奇妙で空しい問いかと一瞬あきれてしまいます。

たとえ、それがどのような「時間」であろうと、空虚と化した自己にとってはもはや無縁以外のなにものでもない「時間」のはずです、それをあえて数えようという苦痛の虚無行為に、人はどれだけ耐えられるのかと思います。

しかし、この「ふたつの不在」を問う問いとは、つまり、そのまま、いま頼りなく生きているリアルな時間の卑小と無意味を問いただすことでもあるのだと気が付きました。

「死ぬまでどう生きるかはお前の自由だ」という悪魔の囁きも、荒廃した「現在」の限られた時間を、不確かでなんの拠り所もなく怯えて生きることの不安のどこに、「自由」などと呼べるものがあるのかという過酷な反語以外のなにものでもないような気がします。

時間軸が交錯し(というよりも「錯綜」し)「来たるべき死」は、予告されると同時に過去において決行され、頼りなげな幾つもの「生」は絶えず「殺意」に脅かされながら、生きる意味も見失い、動揺し、またたく間に「不条理な死」に強引になぎ倒される。

地下鉄サリン事件、東電OL事件、天安門事件など重くのしかかる時代の不安を核に、幾組かの男女の過去と未来、生と死、そして暴力と殺人の物語が交錯しながら描かれます。

やはりこれは、ベルイマンだなと思いました。


(時系列の整理、しときますね)
1995年、バイクに乗っていたケンヂ(石川裕一)は、街に散布された毒ガステロに遭い、この世を去ります。その死の瞬間、以前付き合っていた恋人ハルカ(佐々木ユメカ)を思い出します。
1997年、そのハルカは、父親へのトラウマから昼はOL・夜は娼婦という生活をしています。ある夜、ウサギの着ぐるみを着たサンドイッチマンの男とラブホテルに入り、そして、その死神を名乗るそのサンドイッチマンの男に、ホテルで撲殺されます。
1995年、ケンヂが死んだ日、ハルカと偶然町で擦れ違ったトシロウ(伊藤猛)は妻がいながらOLの真知子(佐々木麻由子)と不倫を重ねており、二人はSMプレイに溺れますが、事後トシロウは出産間近の妻の元へ急ぎます。
1989年、ケンヂのアパートにはバンド仲間のハギオ(佐藤幹雄)とミチ(奈賀毬子)、シンイチ(川瀬陽太)とアユミ(えり)が住んでおり、友人の葬儀の夜、それぞれ互いの恋人を相手に秘密で性行為に耽ります。翌日、シンイチは拳銃でアユミの頭を撃ち抜きます。
2002年、死んだケンヂとハルカは生まれ変わって再び出会い、やがて安らぎに満ちた新しい物語が始まろうとしています。



★高級ソープテクニック4 悶絶秘戯(迦楼羅の夢)
(1994国映)監督・瀬々敬久、企画・朝倉大介、脚本・羅漢三郎(瀬々敬久、井土紀州、青山真治)、撮影・斎藤幸一、照明・金子雅勇、編集・酒井正次、録音・銀座サウンド、助監督・今岡信治
出演・伊藤猛(イクオ)、栗原早記(メイコ)、下元史朗(トミモリ)、葉月螢、滝優子、夏みかん、小林節彦、サトウトシキ、上野俊哉、山田奈苗
製作=国映 配給=新東宝映画 1994.04.22 62分 カラー ワイド

★牝臭 とろける花芯
(1996)企画・朝倉大介、脚本・井上紀州、瀬々敬久、監督・瀬々敬久、撮影・斉藤幸一、編集・酒井正次、録音・シネ・キャビン、助監督・榎本敏郎
出演・穂村柳明、槇原めぐみ、川瀬陽太、伊藤清美、下元史朗、伊藤猛、小水一男
製作=国映 配給=新東宝映画 1996.07.26 61分 カラー ワイド

★トーキョー×エロティカ 痺れる快楽
(2001国映)監督脚本・瀬々敬久、企画・朝倉大介、プロデューサー・衣川仲人、森田一人、増子恭一、助監督・坂本礼、撮影・斉藤幸一、音楽・安川午朗、録音・中島秀一、編集・酒井正次、監督助手・大西裕、
出演・佐々木ユメカ(ハルカ)、佐々木麻由子(小谷真知子)、えり(アユミ)、奈賀毬子(ミチ)、石川裕一(ケンヂ)、下元史朗(サンドイッチマンの男)、伊藤猛(来生トシロウ)、佐藤幹雄(ハギオ)、川瀬陽太(シンイチ)、佐野和(ウサギ)、
製作=国映=新東宝映画 配給=国映=新東宝映画 2001.08.31 77分 カラー ワイド



リップヴァンウィンクルの花嫁

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少し前の日経新聞に興味深い記事(コラムです)が掲載されていて、捨てきれずにそのページだけ保管していたことを、いまのいままで、ついうっかり忘れていました。

これはまずいぞと、さっそく当初感じたことなどを書き留めておこうと思い立った次第です。

それは「それでも親子」というコラム欄で、執筆者は劇作家の永井愛、題は「父が教えた人間の悲喜劇」(2017.7.11夕刊)という記事です。

画家だった厳しい父親は、劇作家としての娘(永井愛)の仕事をなかなか認めてくれようとせず、1996年の紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞したときでさえも、「世も末だ」と言っただけで特に褒めてはくれなかったと述懐しています、その後、やっと認めてくれたと感じたのは2002年だったと書いています。

このコラムの主旨は、その父の生誕101年を記念し、今年の4月練馬にオープンした「永井潔アトリエ館」の館長として、彼女が運営に携わっていることを自から紹介したものですが、衝撃だったのは冒頭部分で触れている、彼女が幼い頃(2歳)に離婚して家を出ていったという母親と17歳のとき久しぶりに会ったときの思い出が記された部分です。

自分にはその箇所が、ことのほか強烈に印象に残り、それで、そのままこの記事を忘れてしまうわけにはいかないなと感じたのだと思います。

その箇所をちょっと引用してみますね。

「17歳のときに母から突然連絡があり、会いに行きました。手作りのトンカツをごちそうしてくれたのですが、ほぼ初対面の女性にいきなり母親のように振る舞われて違和感がありました。どんな映画が好きかと聞かれ、「戦艦ポチョムキン」と「旅情」と答えると、「2つとも好きというのは矛盾」と言われ、論争になりました。母をすっかり嫌いになって、会わずにいるうちに亡くなってしまったのが心残りです。」

ただ、これだけの文章なのに、何故か胸を塞がれるような堪らない気持ちになってしまいました。

自分的には、好きな映画は何かと聞かれ、「戦艦ポチョムキン」と「旅情」だと答える17歳の少女の飾らない澄んだ率直さに感銘したのですが、しかし、その奇妙な取り合わせに違和感を抑えられなかった母親は「そう」ではなかったのかもしれません、たとえ実の母娘とはいえ、ふたりの間には15年もの空白の時間が流れてしまっています。

母親が、いかに娘への愛情を募らせ、思いを込めて語り掛けても、「なにをいまさら」という思いを抱えている娘は素直になれないまま、母のその不自然な過剰さと、常識にこだわる杓子定規な切り返しに苛立ち、違和感と反発しか覚えることができなかったのだと思います。

たとえあの時、母親の問い掛けに対して、娘が≪「戦艦ポチョムキン」と「旅情」≫と答えていなかったとしても、ぎくしゃくと空回りするしかないふたりの会話には、いたるところに、また別な火種が潜んでいて、再び同じような「論争」をギスギスと繰り返したに違いありません、おそらくは、定められた「破綻」に向けて。

馴れ馴れしくされればされるほど苛立ち、自分には母親なんかいなくとも、これから先だって「ひとり」で立派に生きていくことができるのだ(今までだって「そう」してきた)と反発する娘の気持ちは、とうに母親から離れていて、ひたすら突っ掛かっていくことしかできなかったのだと想像できます。

そして幾年か経ち、母の死の知らせを聞いたときに感じた彼女の、会っておけば良かったという「心残り」も、仮にその「知らせ」が少し先送りされていたとしたら、たぶん「心残り」の方もその分だけ少し先送りされていたに違いない、その程度の心残りだったのだと想像することは極めて容易です、そのことはすでに現実が証明してしまっていますし。

いずれにしても娘は決して、そしていつまでも母親に会いにいこうとはしなかったはずだと自分は強く確信しました。

そして、「そう」感じた瞬間、自分の中に鮮明な映像として怒涛のように流れ込んできたのが、岩井俊二監督作品「リップヴァンウィンクルの花嫁」の、安室(綾野剛が演じています)と七海(黒木華が演じています)が、娘・真白(Coccoが演じています)の死を母親に報告に行くあの鮮烈なラストシーンでした。

長い間、疎遠だった娘の突然の死を知らされた母親(りりィ生涯最高の名演です)は、家を出て行ったきり、いままで連絡のひとつも寄こしてこなかったあんな娘など、もはや自分の子だとは思っていないと、コップに満たした焼酎をあおりながら、頑なに否定し続けます。

そこには、母親である自分を徹底的に否定し、見捨てて去っていった娘に対する憤りというよりも、どんな窮状に見舞われても決して親の自分を頼ろうとしてこなかったことに対する(侮辱されたような)怒りだったに違いありません。

母親は、仏壇の横に飾られた娘の写真を手でなぞりながら、あの子の目はこんなじゃなかった、あの子の顔はこんなじゃなかった「これじゃまるで別人だ」と吐き捨てるように言い捨てます。

そして、ポルノ女優になったと知った時の驚きを苦々しく述懐し始めます、よりにもよって人様の前で裸をさらし、恥ずかしい姿を撮られて世間にさらされるような、そんないかがわしい仕事をしなくたってよさそうなものじゃないか、わたしゃ世間様に恥ずかしくって顔向けができなかったよと掻き口説く母親は、酔いで体を揺らしながら、娘の死の報告に来た安室と七海の前で、突然着ている服を脱ぎ始めます。

母親のその突然の行為に、当初はただの「だらしない酔態」と見て、あっけにとられていた安室と七海が、しかし、徐々に母親の真意を理解するという傑出した場面です。

冷酷で厳しいこの社会を、女がひとりで生きていこうとして(なにか必然的な過程のなかで)ポルノ女優という過酷な職業を選ぶ、人前で「脱ぐ」ということが如何に恥ずかしいことか、生活のために娘が耐えたその辛さと惨めさを少しでも理解しよう・少しでも近づこうとして母親は、悲しいくらい必死に脱いだのだと思います。

彼女たちだって、なにも特別な人間なんかじゃない、世間では悪意の込もった卑猥な薄笑いで語られる「AV女優」という偏見に満ちた「特殊さ」を、(りりィが「脱ぐ」ことによって)「恥ずかしさに耐える」という常識の域まで引きずりおろしてみせた岩井俊二の心優しい悲痛な「思い」に自分は撃たれたのだと思います、撃たれないわけにはいきません。

売れない俳優が集まって副職として結婚式の親戚代行業をしていくなかで、余命わずかな孤独な女優(真白)のために、画策して密かに「花嫁」(心を通わせられる親友)を妻合わせるという、少し強引なこの癒しの物語の背後には、岩井俊二の密かな「哀悼」の思いがひそんでいるのではないか、劇中名に使われた「皆川七海」や「里中真白」や「恒吉冴子」の仮名を眺めながら、ぼろぼろになって早世を余儀なくされた不運な女優たちのことを思わず連想させられてしまったのは自分だけだったのか、いまは確かめるすべもありません。


(2016東映)監督原作脚本編集・岩井俊二、エグゼクティブプロデューサー・杉田成道、プロデューサー・宮川朋之、水野昌、紀伊宗之、制作・ロックウェルアイズ、撮影・神戸千木、美術・部谷京子、スタイリスト・申谷弘美、メイク・外丸愛、音楽監督・桑原まこ、制作プロダクション・ロックウェルアイズ、製作・RVWフィルムパートナーズ(ロックウェルアイズ、日本映画専門チャンネル、東映、ポニーキャニオン、ひかりTV、木下グループ、BSフジ、パパドゥ音楽出版)
出演・黒木華(皆川七海)、綾野剛(安室行舛)、Cocco(里中真白)、原日出子(鶴岡カヤ子)、地曵豪(鶴岡鉄也)、和田聰宏(高嶋優人)、佐生有語(滑)、金田明夫(皆川博徳)、毬谷友子(皆川晴海)、夏目ナナ(恒吉冴子)、りりィ(里中珠代)、

映画第40回日本アカデミー賞(2017年) 優秀主演女優賞 (黒木華)
第41回報知映画賞(2016年) 助演男優賞(綾野剛、『怒り』『64-ロクヨン- 前編/後編』と合わせて受賞)
第31回高崎映画祭(2017年) 最優秀助演女優賞(りりィ)
第90回キネマ旬報(2017年)日本映画ベスト・テン 第6位



マドモアゼル

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今月の初めに検査入院とやらを経験しました。

6月の定期健診で腫瘍マーカーの値が基準値を超えているといわれ、専門医の診察を受けるようにという指示の書かれた検査表に、「紹介状」も添えられていました。

まあ、ことがことだけに、いままでのように無視するわけにもいかず、さっそく近くの中規模の専門病院に予約を入れて診察を受けにいきました。

特に中規模病院を選んだ理由は、仮に検査の結果が思わしくなかった場合、その病院でそのまま「手術」→「入院」という一連の手続きができるからと考えたからです。

自分の身近にも、健診センターで「悪結果」が出て町医者に掛かり、そこで改めて一からの検査を受け直して、再び「悪結果」が出たとき、ここでは手術ができないからと、さらに手術のできる大きな病院に回され、そこでまた改めて初めから検査を受けさせられるという時間のかかる例を幾度も見てきたので、それならと、最初から一つの検査で、「手術」→「入院」とストレートに済む中規模病院を選びました。

いままで自覚症状らしきもの(それが「自覚症状」と言えるとしてですが)なかったわけではありません、ごく軽い「残尿感」とか「頻尿」とか、もっと軽い「尿漏れ」とか、そういうものなら、確かに幾つかは思い当たるものがあった気がします。

あっ、そうそう、ここのところ「ノコギリヤシ」の新聞広告なんかも、やたら目についたということも、あるいは「自覚症状」のひとつだったかもしれません。

そんなふうにして受けたMRIの検査結果では、とくに異常なものは見つからなかったのですが、さらに検体検査をやってみましょうということで、冒頭の1泊2日の「検査入院」ということにアイなった次第です。

入院手続きの際、受付の人に「これなども入院ですか」と聞いたら、目をむいて「もちろんですよ」と怒られてしまいました、なにかその人のプライドを傷つけてしまったようなことを言ってしまったのかと軽い罪悪感に襲われたのですが、あるいは、たまたま彼の腹の虫の居所が悪かっただけだったのかもしれませんが。

実は、「入院」と名の付くものは、今回がまったくの初めてで、どうにも勝手がわかりません。

もちろん不安はありますが、いくら心配したって、検査とか治療の方は自分ではどうすることもできない、まさに「俎板の鯉」状態なので、ここは腹をくくるしかないと思い定めて、むしろそれ以外のことを考えることにしました。

これまで幾人かの友人の入院を見ていると、共通しているのは、持て余す時間をどう埋めていくかにかかっているような印象を受けています。

入院手続きの際、その受付の人からテレビを契約するかと聞かれたのですが、思わず入院患者が一日中ぼんやりとテレビを見ている生気のない姿が思い浮かんできて、どうあっても「あれだけは避けたいな」とすぐに思い、それなら、パソコンを持ち込むのだって、同じようなものだと考えて両方とも取りやめました。

しかし、改めて考えてみれば、これってまさに「一日だけ自由な時間が与えられる」願ってもないチャンスなわけですよね、勤めのある自分にとって、夢のような解放された「自由時間」なわけで、そういうことなら結論はきわめて簡単です、思い悩む必要などありません。

「晴耕雨読」の生活が夢だった自分にとって、ここは、やはり読書しかありません、読みながらまどろみ、まどろみながら読む、これ以上ない、なんという「至福」だろうかと考えたとき、不意に、それならいつも通勤電車でやっていることと同じじゃね~かという思いに虚を突かれ、「青い鳥」じゃありませんが、人間って結構、どのような生活を送っていても、知らないうちにほんの少しずつ、それなりの「理想」に近づこうとしているものなのだなと考えた次第です。

こうして1日だけの入院生活は、絶え間ない読書とまどろみによって終わりました、「読書三昧」ということなら、理想的な1日だったと言うことができると思います。

そしていまは、その検査の結果を待っているという状態です。

「しかし、あのさあ、これってアンタのたった1日だけの入院生活の話でしょ、タイトルの『マドモアゼル』とは、なんの関係もないじゃないですか」

お叱りはごもっともです、ごもっともですが、しかし、こんなことで驚いちゃいけません、いままでだって自分のブログは前振りのダベリが長すぎて、横道にそれっぱなしで、主題を見失ってしまったことなんて、そりぁ数えきれないくらいありました、否定はしませんが、今回の場合に限っていえば違います、大いにね、隅々に至るまですべてが緻密な計算で張り巡らされて「主題まっしぐら」なのですから。ホントです。

なので、その話をしますね。

入院に際し、例の「絶え間ない読書とまどろみ」のための1冊を選ぶお話をすれば、きっとその辺の空気感を分かっていただけると思います。

本選びに際して、自分がまず考えたのは、いままで読んだことのない「新刊」を持参するか、あるいは、かつて読んだことのある「既読本」を持っていくかということですが、それは考えるまでもなく「既読本」です、当然じゃないですか、いまさら新たな感動など求めたって仕方ありません。

前記した「晴耕雨読」という言葉が象徴している状態は、新たな感動を得るなどという攻めの状態ではなく、むしろ乱読で読み飛ばして、いままで振り返ることもしなかったかつての「感動」のひとつひとつをもう一度静かに辿り直したい・振り返りたいという「守り」の思いしかありません。

実は、自分は学生時代にサルトルに嵌った時期がありました、著作の中では、特に「聖ジュネ」に大いに感銘を受けました、当時、世間的にも自分的にも一種の「倒錯ブーム」みたいなものがあったと思います。

ですので、今回の入院に際し、ぜひ「聖ジュネ」を読み直したいという気持ちから、例の人文書院刊のクリーム色の本を時間ギリギリまで探したのですが、どうしても見つけ出すことができません。

残念だったのですが、仕方なくサルトルの「嘔吐」を持っていくことにしました。

これも、自分に大きな影響を与えた本でした、哲学書としてではなく、風変わりな小説として。

特に、登場するタイプとしての「独学者」の人間像に強く惹かれました。

「嘔吐」の書き出しは、こんな言葉から始まっています。

≪いちばんよいことは、その日その日の出来事を書き止めておくことであろう。はっきり理解するために日記をつけること。取るに足らぬことのようでも、そのニュアンスを小さな事実を、見逃さないこと。そして特に分類してみること。どういう風に私が、この机を、通りを、人々を、刻み煙草入れを見ているかを記すべきだ。なぜなら、変わったのは、「それ」だからである。この変化の範囲の性質を、正確に決定しなければならない。≫

辛抱強く書き続けることが、なによりも大事なのだと説きながら、一方で、それが生活の、ひいては生きるための技術を説いているようにも読める、そんなふうにこの小説を「入院」している間に読みました。

実は、退院してから、溜まってしまっていた新聞を、1頁1頁目を通していた時、ジャンヌ・モローの訃報に接しました。
そこには彼女の出演作が紹介されています。

「死刑台のエレベーター」1957、「雨のしのび逢い」1960、「突然炎のごとく」1961、「ジャンヌ・モローの思春期」1979、

どれも彼女の女優人生にとって重要な作品には違いありませんが、もっとも彼女らしい作品と思っていた「マドモアゼル」1966が掲げられていないことが、自分にはなんだかとても不満でした。

入院前の慌ただしい時に、サルトルの「聖ジュネ」を堪らなく読みたくなって、探しまわったことも、なんだか啓示のように感じられてなりません。

トニー・リチャードソン監督「マドモアゼル」は、泥棒にして性倒錯者ジャン・ジュネが、シナリオに参加した異色作です。

(1966英仏)監督・トニー・リチャードソン、脚本・マルグリット・デュラス、原案・ジャン・ジュネ、製作・オスカー・リュウェンスティン、音楽・アントワーヌ・デュアメル、撮影・デイヴィッド・ワトキン、編集・ソフィー・クッサン、アントニー・ギブス、美術ジャック・ソルニエ、製作会社・ウッドフォール・フィルムズ・プロダクションズ、字幕翻訳・中沢志乃
出演・ジャンヌ・モロー(Mademoiselle)、エットレ・マンニ(Manou)、キース・スキナー(Bruno)、ウンベルト・オルシーニ(Anton)、ジェラール・ダリュー(ブーレ)、ジャーヌ・ベレッタ(Annette)、モニー・レイ(Vievotte)、ジョルジュ・ドゥーキンク(The priest)、ロジーヌ・リュゲ(Lisa)、ガブリエル・ゴバン(Police Sergeant)、
シネマ・スコープ(1:2.35)、モノクロ/シネスコ、モノラル、35mm

マドモアゼル ふたたび

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映画を見て、感銘した作品について感想を書いたり、あるいは落胆した作品についても努めて感想を書くことを続けてきたこのブログを、曲がりなりにも現在までどうにか持続させることができたのは、きっと、自分の感じ方に少しばかり「特異」な部分があって、それが反発の「バネ」になり継続につながったからだと思います。

メディアやネットに表れる多くの「感想」や「批評」が、自分の感じ方のそれと大差のないものなら、きっと自分は書き続ける意欲も意味も見失い、「映画収集狂」というブログの看板なんてさっさと下ろして、躊躇なく口を閉ざし、心静かに「沈黙」を選ぶこともできたと思います。

なにもわざわざ大勢の考え方をなぞるような「提灯持ち」や「迎合」をしてまで、苦労して「キャッチコピー」の更なるコピーをアップするような愚をおかすことだけはすまいというのが、自分に課した一応の指針であり覚悟でした。

ですので、逆に言えば世間に流布される「大勢」に対する違和感が、自分のブログを持続させてきた原動力・推進力だったといえるかもしれません。

さて、今回、映画「マドモアゼル」のコラムを書くにあたって、語句の解釈を確認するために語句検索をかけていたら、こんなロイター電に遭遇しました。


題して
≪消える「マドモワゼル」、フランスの行政文書で使用禁止に≫とあります。
フランスのフィヨン首相は、今後同国の行政文書に、未婚女性の敬称「マドモワゼル」を使用しないと発表した。
国内の女性団体が昨年9月、この単語の使用が性差別に当たると陳情しており、首相がこれに対応した形となった。
首相は、正当な理由なく女性の婚姻区分を示す単語が書類に使用されていると言及して、新たに印刷する書類から「マドモワゼル」は消去され、女性を示す性別欄は「マダム」で統一されることになる。
なお男性には従来から選択肢がなく、一律で「ムッシュ」とされている。
「マドモワゼル」には、若さや未熟といった意味合いも含まれており、一定の年齢に達しても結婚しない女性にはそぐわない言葉だった。
[パリ 2012年 02月23日 ロイター] 


なるほど、「マドモワゼル」という言葉にそんな微妙な意味(一定の年齢に達しても結婚しない女性に「若さや未熟」はそぐわない)もあったなんて、この記事を読むまで知りませんでした、迂闊です。

女性が結婚していようがいまいが、行政文書における「性別欄」の表記は、男(ムッシュ)がそうであるように、「マダム」と単一表記に統一すべきという、つまり「性差別を含んだ用語の使用を禁止する」という、いささか遅すぎた感もありますが、これは歴史的な措置なのだと分かりましたが、しかし、この記事が示唆しているのが、それだけではなくて、婚期を逸した未婚女性には「若さや未熟」(つまり、処女性です)を連想させる言葉は似つかわしくない・相応しくない、という意味もあるとも読めました。

「結婚していようがいまいが、大きなお世話だ」とする女性たちの性差別への抗議が結実したその一文に、知らぬ間に取り込まれた「(単に表示としての)処女性の否定」という付帯概念まで女性たちは認識し、容認したのだろうかという疑問です。

この年になって、いまさら「処女」がどうのなんて、ちゃんちゃらおかしいわよと冷笑するか、

幾つになっても女として「処女(若さや未熟)」の初々しさを失わずに持つことは大切なことだわと思うか、です。

このロイター電がどこまでのことを言おうとしているのか、その及ぼす「射程」について考えてしまいました。

そもそも、この記事に出会った切っ掛けというのが、映画「マドモアゼル」のコラムを書くための語句検索の途上だっただけに、なんだか複雑な思いです。

映画「マドモアゼル」は、女性差別を告発したり啓蒙したりするようなタイプの映画ではありません。

ジャンヌ・モローが演じている村の女教師は、どう見ても35歳~40歳の女性で、僕の子供時分の言い方からすれば、「オールド・ミス」(いまでは、こう口にするだけで糾弾されかねない恐れとオノノキを感じてしまうくらいの世間を憚る死語になっています。そういえば「シスターボーイ」なんて懐かしい言葉もありました、まあ関係ありませんが)というジャンルに属する女性です、しかし、当然ながら「マドモアゼル」の方がはるかに素敵で響きもよく、「淑女」という印象さえ感じられていると思っていたら、この言葉には、リスペクトのほかに、暗に「老いた未通女」とでもいうべき揶揄も含まれていると町山智浩がyou tubeで話していることを知り、ちょっと意外な感じを受けました。

しかし、たとえそうだとしても、「オールド・ミス」の呼び方の酷さ(救いも温かさもない蔑称という印象です)は、到底その比ではありませんし、だからなおさら、「性的抑圧」というニュアンスをこの言葉から一層感じ取ってしまうのかもしれません。
このトニー・リチャードソン監督作品「マドモアゼル」は、確認できる限り、いまでもネットにおいては、「理解不能」と「嫌悪感」の大合唱に満たされている作品です。


自分が投稿サイトで読んだ感想は、だいたいこんな感じでした。

≪マドモアゼルがイタリア人の出稼ぎ労働者マヌーに惹かれ、実際森の中でするsexも執拗に描写されているのに、なぜ彼女は彼に対して態度を豹変させたのか、そこがどうしても理解できない。
マドモアゼルは、どういう理由でいつ殺したいと思うほどの殺意が芽生えたのかが正直わからない。
故意ではなかった最初の火事が、どうして邪悪な「水門の破壊」や「放火」や「家畜の毒殺」にまでエスカレートしたのか、その後の事件を起す動機がまったく理解できない。
第一マドモアゼルとマヌーの関係は、どちらかといえば物語の中では希薄な印象で、むしろ、マヌーと直接接触する以前、彼女は、マヌーの息子ブルーノに意識的に接近し、執拗に親切にしようとしたかと思うと、すぐに態度を変えてみすぼらしい服装を非難したり貧しさを罵声する場面(まったくひどい話です)の方に比重をかけて描いているのにも理解できない。マヌーの気を引くためにそうしているとも思えないし、なんだかあの前後の辻褄があわないような気がする。
これってただの女性特有の単なる気紛れとか、ヒステリーなのか。
いずれにしてもマドモアゼルの悪意(心理と行為)の在り方が謎すぎて追えない。
冷徹な抑えた映像と乾いた暴力的な描写には「映画」として惹かれるものがあったけれど、この邪悪な物語自体には嫌悪感さえ覚えたし、ストーリー的にはチンプンカンプンだった。≫


この難解な作品からすれば、「そりぁそうだ」と、この感想氏の疑問符には自分も全面的に同意したい気分になりました。

しかし、これらの反応が、別にいまさら湧きおこったことでもなんでもなく、1966年カンヌ映画祭に出品されたとき以来の疑問符が、現在まで継続して投げかけられ続けている反応にすぎず、そうだとすれば、多くの映画ファンは、この「マドモアゼル」という作品に馴染めないまま、「理解不能」と「嫌悪感」(解明できない「違和感」という癌細胞)を抱えて、実に半世紀ものあいだ悶々としてきたことになります。

その非理解(「理解」の放棄)と拒否反応は、現代においても維持されていて、それがそのまま、ネットにおける情報のあまりの少なさに反映しているような気がします。

当時の時代的限界を踏み越えたアンモラルなこのテーマ(水門破壊、放火、飲料水への毒物混入、淫乱、児童虐待、愛人への裏切り)は、あらゆる批評家から愚劣なポルノ映画にすぎないと決め付けられ、迫害と無視の仕打ちにあいます、それにトニー・リチャードソンとジャンヌ・モローのスキャンダルなども加味され、モロー本人の人間性と才能を疑問視されたうえ、彼女の仕事を選ぶ基本的な能力までをも疑われるなど、作品は深刻なダメージを受けて興行的にも失敗を余儀なくされました。

いわば、この映画で描かれた「家畜を溺死させた水門破壊、焼死者を出した放火、家畜の飲料水への毒物混入による家畜の毒殺、貧しさのための粗末な服装をみっともないと罵った児童虐待、そして淫乱と裏切り、そして罪を着せた愛人の撲殺」のどの犯罪に対しても理解を得ることや賛同を得ることが困難だったとしても、しかし、将来の長きにわたって、この作品を決定的に拒否させたものは、映画の最後でマドモアゼルの犯罪のすべてを許容したかに見える(否定的姿勢といえば、せいぜいマヌーの息子ブルーノがマドモアゼルに唾を吐きかける場面があるくらいです)演出者トニー・リチャードソンに対する観客の嫌悪と拒否でした。

「長距離ランナーの孤独」において、ゴールライン直前で「勝たないこと・負けること」で有産者階級への厳しい抵抗を示したあの「怒れる作品」とは、わけが違います。そこにも、この作品に対して観客が抱いた厳しい違和感と拒絶の根があったかもしれません。


半世紀もの長きにわたって、良識ある世界から一貫して拒絶され、一度として受け入れられることのなかった異色作「マドモアゼル」は、主演女優・ジュンヌ・モローのその死に際しても、それが彼女の輝かしい経歴の中に数えられることもなく、まるでそんな作品など最初から存在しなかったかのような「無視」の扱いを受けています。

その間、このアンモラルな映画が、最初から嫌悪と拒否のなかで終始全否定されて不遇な扱いを受けてきたかというと、決してそうではありません、「理解」への努力は為されたはずです。

しかし、この作品に描かれているジャンヌ・モロー演じるマドモアゼルの悪意に満ちた密かな数々の奇行と犯罪のなかに、仮に「狂気」を想定したとしても、最後には結局悉くその「理屈」の予測は裏切られてしまう、絶え間ない「否定」に次ぐ更なる「否定」の連続という「ちゃぶ台返し」(「愛の不在」などという生易しい次元ではこの謎解きはできません)にあい、肩透かしを食わせられる苛立ちと、男に対する異常な関心・性的欲情と罪悪感も、フロイトの尺度だけでは到底測り得ないと気が付いたときの自棄的な「駄作呼ばわり」とか、あるいはお座なりな「階級対立」の絵解きだけでは到底説明のつかない覚束なさとか、この作品の掴み所のなさに対する苛立ちと嫌悪感に満たされている印象を自分もまた受けてきました。

そして、いままで得られなかったその答えというのが、はたして老いた未婚の処女(マドモアゼルでありオールド・ミス)が抱いた狂気の妄想と「犯罪」として具現化された奇行にあるのか、自分もまた「この地点」までようやく辿り着いたまま、その先に進めず、タジロギ、身動きができなくなりました。

一両日「この先」を考えたのですが、しかし、書き加えるべき1行のアイデアも思い浮かばず、自分に課した許容時間も過ぎました。
しかし、答えはきっと、「聖ジュネ」の中に記されているはずです。

ギブアップの苦し紛れついでに「聖ジュネ Ⅰ」「すべてであるに至るためには、何事においても何ものでもないように心がけよ」の章の298頁上段(註11)に掲げられているエピソードを紹介しておきますね。

≪ジュネは自分の子供を殺したいという誘惑につかれている病女に問うたことがある。
「なんだって子供を殺すの。君の夫ではだめなの?」
すると彼女は答えた。
「だってわたしはそれほど夫を愛していないんだもの」≫

自分も文中で
「愛の不在」などという生易しい次元ではこの謎解きはできません
などと言ってしまっている以上、ここに書かれている「愛していないんだもの」も一筋縄ではいかない屈折したものと理解せざるを得ません。


(1966ウッドフォール)監督・トニー・リチャードソン、脚本・マルグリット・デュラス、原案・ジャン・ジュネ、製作・オスカー・リュウェンスティン、音楽・アントワーヌ・デュアメル、撮影・デヴィッド・ワトキン、編集・ソフィー・クッサン、アントニー・ギブス、美術ジャック・ソルニエ、製作会社・ウッドフォール・フィルムズ・プロダクションズ、字幕翻訳・中沢志乃
出演・ジャンヌ・モロー(Mademoiselle)、エットレ・マンニ(Manou)、ケイス・スキーナー(Bruno)、ウンベルト・オルシーニ(Anton)、ジェラール・ダリュー(ブーレ)、ジャーヌ・ベレッタ(Annette)、モニー・レイ(Vievotte)、ジョルジュ・ドゥーキンク(The priest)、ロジーヌ・リュゲ(Lisa)、ガブリエル・ゴバン(Police Sergeant)、
シネマ・スコープ(1:2.35)、モノクロ/シネスコ、モノラル、35mm


エレファント・マン

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名作として世評も高いし、いままで知人の誰と話しても悪く言う人なんて一人としていなかったこのデヴィッド・リンチ監督作品「エレファント・マン」ですが、しかし、そうした情勢の中で、それでもなおこの作品を悪く言う人が、果たして、この世界に存在するだろうかというのが、自分の長年の疑問でした、というのは、この自分もその「果たして」のうちの一人だったからです。

例えば、友人が、オレ感動して見たあと泣いてしまったよ、などと興奮ぎみに告白するのを前にしながら、まるで相手の神経を逆撫でするみたいに「俺なんか退屈で、最後の方は眠気が差した」などと、そんなこと、どうして言えます? たかが自分のつまらない映画の感想ごときに拘り、意地を張ってまで言い張り、長年つちかってきた親友とかの人間関係をむざむざ壊し、失っても構わないなどと思ったことは一度もありません、処世のためなら「踏絵」くらいどんどん踏んでみせてしまうタイプです。

キリストの顔がデザインされた足ふきマットを玄関に敷いて朝夕踏んで見せてもいい(なんなら2度くらい往復して踏み直してもいいデスヨ)と思っているくらいだし、さらにキリストの顔がデザインされた便座カバー(そんな物があるのかどうかは知りませんが)に腰を落ち着け、毎朝のルーティン(頻尿ですが、便秘ではありません)に勤しむことも一向に差し支えないと思ってはいるのですが、しかし、やはり躊躇するものがないではありません。

批判する作品が、人畜無害な「恋愛もの」とか「アクションもの」、あるいは「伝記もの」などならともかく、映画「エレファント・マン」は、19世紀の話とはいえ、いわば身障者を扱った「ヒューマニズム」映画です、軽い気持ちで「エレファント・マン」という作品をこき下ろし軽々に罵倒するあまり、チカラ余って「良識を踏み外して失言する→炎上」なんてことになったら、それこそ本末転倒です。

そのためには、この現代という時代、実に微妙で複雑なので、そこのところは注意が必要ですし、相当な覚悟が求められるということは十分に承知しています。

そして最近、wowowで改めてこの作品を見直す機会があって、ある感銘を受けながらも、またその違和感というのも改めて思い知らされました。

この映画が、自分には、どうしても共感できない部分がある、その「部分」というのが自分にとってどういうものなのか、この機会に、じっくり考えてみたいと思いました。

まずは、このデヴィッド・リンチ監督作品「エレファント・マン」についての記事をweb検索していたら、wikiでこんな記述に遭遇しました。

それは、表題「エレファント・マン」の「批評」という小見出しに記されていました。

「アカデミー賞8部門ノミネートなどから、日本ではヒューマンな映画として宣伝されたが、一部の評論家は悪趣味な内容を文芸映画風に糊塗しているだけだと嫌悪感を表明した。なかでも森卓也は、その後リンチ監督の前作『イレイザーヘッド』が公開された際に、結局ヒューマニズムより猟奇趣味の方がこの監督の本質だったのだと述べている。」

という記述です。

そういえば、この手の記事なら、自分も今まで少なからず読んだ記憶があります。

手元にあるコピーの綴りのなかに、北島明弘という人が、デヴィッド・リンチについて書いたものがあり、その中にもそんな感じの記述はありました、確かこれは「世界の映画監督」について幾人もの批評家が分担して書いた解説書かなにかに載っていたと記憶しています。

余計なことですが、実は、自分は、本を読んでいる際、「ここはぜひ記憶しておきたい」と思う箇所は、すぐに複写して50音順に並べて綴るということを励行しています。

この「50音順に編綴」という方法、コラムを書くうえでなかなかの優れもので、意外な機動性を発揮して、とても便利に活用していますが、しかしその際、うっかり原典を書き添えておかないと、今回のように出展元不明のまま、書名を特定できず「解説書かなにか」みたいな情けない書き方になってしまうことも多々あるので、そのときは小ネタ程度の使用という浪費しかできないこともあるのですが。

さて、その北島明弘のコメントです、こうありました。

「次いで、(デヴィッド・リンチは)メル・ブルックスに認められて、彼の会社ブルックスフィルムで『エレファント・マン』を撮った。19世紀のイギリスに実在した象のような顔の持ち主ジョン・メリックと彼をみとる医者との交流を中心にしたドラマだ。彼を見舞う女優には、ブルックス夫人であるアン・バンクロフトが扮していた。彼女の部分にエセ(似非)ヒューマニズムの印象を受けたので、来日した際に問いただしたところ、むっとした顔をしながら『私はそうは思わない』と答えたものだった。のちにブルックスは、彼のことを『火星から来たジミー・スチュアート』と評している。モノクロ画面がヴィクトリア朝のイギリスを見事に再現していた。」

なるほど、なるほど。

女優アン・バンクロフトはボスの奥さんでもあるところから、その役を設定するにあたり、ひたすら「善人」として描かざるを得ず、だから「彼女だけ物凄くいい人に描いたのではないか」などと、わざわざ極東の島国くんだりまでやってきて、芸能記者だか批評家だか訳のわからないアジア人に突然こんな腹の底を見透かされたような因縁をつけられたのですから、そりゃあ、誰だってむっとするのも無理ありません。

しかし、このふたつのコメントをよく読めば、前記・森卓也の「悪趣味な内容を文芸映画風に糊塗しているだけでヒューマニズムより猟奇趣味の方がこの監督の本質だ」というコメントと、後記・北島明弘の「エセ・ヒューマニズム論」は、一見隔たっているようにみえて、その実、そこにはとても似通ったものがあることが分かります。

まあ、ざっくり言ってしまえば、「ヒューマニズムの仮面をかぶった猟奇趣味のイカサマ野郎」と腐しているのと、一方は、「あんな意に反した気取ったヒューマニズムを描き込むなんて君らしくないじゃないか、君の本質は、あんなものじゃないだろう」と持ち上げている隠れヨイショのミテクレだけ違うだけで、言ってることはまるで一緒というのは一目瞭然です。

そして、自分的にこのミテクレだけは分裂したように見えるふたつの見解を象徴する場面を上げるとすれば、フレデリック博士(アンソニー・ホプキンス)が、異形の人ジョン・メリック(ジョン・ハート)を始めて見たときの反応(あまりの悲惨と同情から思わず落涙します)に対する、後半に描かれている下層の民衆の奇形を食い物にする執拗な悪意の描写に自ら圧し潰され、バランス的に上流社会の善意を過剰に描いてしまった、いわば、この「不毛な二元論」(実は同じもの)に困惑してしまったデヴィッド・リンチは、ついに「本質」を見失ってしまった、手放しの善意を描いてしまったために、分かりにくくしてしまったものがあったのではないかと思うようになりました。

つまり、「上流階級の庇護」も「下層民・民衆の虐待」も、結局は、根の一つのものという「真実」から目を逸らさねばならなかったリンチの困惑(もしかしたら自分の違和感もリンチの困惑をそのまま感じ取ったのかもしれません)を示唆しているような気がします、そして、それがそのまま、アカデミー賞の完敗(候補8部門・作品賞、主演男優賞、監督賞、脚本賞、美術監督・装置賞、作曲賞、衣装デザイン賞、編集賞)に序実に反映されたのではないかと。

そしてまた、その一方で、アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭グリンプリ受賞という現実も、その答えを示したものといえるかもしれませんよね。

さらに、「日本で大ヒットした」という現実も見過ごしにはできません。

僕たちは、実在のエレファント・マン(ジョン・メリック)が、たまたま奇形に生まれついたために醜悪な動物のような見世物小屋で晒し物とされ、悪意の虐待を受けて人間性を蹂躙されたことに対して、デヴィッド・リンチが、いかなる同情を示し、いかなる憤慨を現しているのかを、その作品として、どこまで描き得ているのか、それとも、リンチの描いたものは、結局のところ、この映画自体が、身障者を晒し物として奇形を売りにした単なる悪意に満ちた「見世物小屋」でしかないと見るかというところまで追い込まれたとき、そこで「ヒューマニズム」を示されたとしても、あるいは、かたや「醜悪な見世物小屋」を示されても、自分はいずれにも「違和感」を覚えたことを唯一の手掛かりにして、この一週間ずっと考え続けてきました。

実はその間、ふたつの映画に出会いました。

ひとつは、伝説の映画、トッド・ブラウニング監督作品「フリークス (怪物團)」、1932

トッド・ブラウニング監督作品「フリークス (怪物團)」は、実に驚くべき映画ですが、しかし、見ていくうちに、その「実に驚くべき」は、実は自分が「常識」から一歩も抜け出せなかった硬直した感性の持ち主であることに気づかされたからにすぎません。

いわば、そこには「奇形」を普通に撮り続けたために、狡猾な健常者たちからの侮蔑と虐待に対する怒りの報復が描かれていく過程で、人間の正常な在り方が示されているラストの爽快感が余韻として残るのに比べたら、いじめ抜かれて死んでいく「エレファント・マン」の救いのない無力で陰惨なリンチの描き方は、逆に実在のジョン・メリックを、その最後まで人間性を放棄した惨めな小動物に貶めたというしかありません。

そしてもう一本は、本多猪四郎「マタンゴ」1963です。

嵐に遭遇し、漂流のすえに絶海の孤島に流れ着いた男女7人が、飢えに耐えきれず、ついに禁断のキノコを食べたことから、巨大で醜悪なキノコに変身していくというストーリーですが、醜悪なのはカタチだけで、巨大キノコに変身した彼らは実に満足げに快楽のなかに陶酔していることを描いています。

あの「エレファント・マン」にあっては、他人の視線にさらされ、他人に映る「エレファント・マン」は終始描いていたとしても、はたして、巨大キノコ「マタンゴ」自身が(未来には破滅しかないと分かっていながら)陶酔のなかで持ったような快楽を描けていただろうか、たぶん自分の違和感は、そこにあったのだと思います、つまり、「だからリンチさあ、エレファント・マン自身は、どうだったんだよ」みたいな・・・。

★エレファント・マン
(1980パラマウント)監督脚本・デヴィッド・リンチ、脚本・クリストファー・デヴォア、エリック・バーグレン、原作・フレデリック・トリーブス、アシュリー・モンタギュー、製作・ジョナサン・サンガー、製作総指揮・スチュアート・コーンフェルド、メル・ブルックス 、音楽・ジョン・モリス、撮影・フレディ・フランシス、編集・アン・V・コーツ、プロダクションデザイン(美術)・スチュアート・クレイグ、衣装デザイン・パトリシア・ノリス、編集・アン・V・コーツ、音楽・ジョン・モリス、製作会社・ブルックス・フィルムズ・プロ
出演・ジョン・ハート(John Merrick)、アンソニー・ホプキンス(Frederick Treves)、アン・バンクロフト(Mrs. Kendal)、ジョン・ギールグッド(Carr Gomm)、ウェンディ・ヒラー(Mothershead)、フレディ・ジョーンズ(Bytes)、ハンナ・ゴードン(Mrs. Treves)、マイケル・エルフィック(NightPorter)、デクスター・フレッチャー(バイツの連れている少年)、キャスリーン・バイロン、フレデリック・トレヴェス、
124分 アスペクト比・シネマ・スコープ(1:2.35)、モノクロ、35mm

★フリークス (怪物團) Freaks
(1932MGM)監督製作・トッド・ブラウニング、脚本・ウィリス・ゴールドベック、レオン・ゴードン、エドガー・アラン・ウルフ、アル・ボースバーグ、撮影・メリット・B・ガースタッド、編集・バシル・ランゲル、
出演・ウォーレス・フォード(フロソ)、レイラ・ハイアムス(ヴィーナス)、ハリー・アールス(ハンス(小人症))、デイジー・アールス(フリーダ(小人症))、オルガ・バクラノヴァ(クレオパトラ)、ロスコー・エイテス(ロスコー(吃音症))、ヘンリー・ヴィクター(ヘラクレス)、ローズ・ディオン(マダム・テトラリニ(団長))、デイジー&ヴァイオレット・ヒルトン(シャム双生児)、エドワード・ブロフィー(ロロ兄弟)、マット・マクヒュー(ロロ兄弟)、ピーター・ロビンソン(骨人間(るいそう))、オルガ・ロデリック(ひげの濃い女性)、ジョセフィーヌ・ジョセフ(半陰陽者)、クー・クー(クー・クー(ゼッケル症候群))、エルヴァイラ・スノー(ジップ(小頭症))、ジェニー・リー・スノー(ピップ(小頭症))、シュリッツ(シュリッツ(小頭症))、ジョニー・エック(ハーフボーイ(下半身欠損))、フランシス・オコナー(腕の無い女性)、プリンス・ランディアン(生けるトルソー(手足欠損))、アンジェロ・ロシェット(アンジェロ(小人症))、エリザベス・グリーン(鳥女)、
64分(1932年製作、1996年国内リバイバル上映、2005年国内再リバイバル上映)

★マタンゴ
(1963東宝)監督・本多猪四郎、特技監督:円谷英二、製作・田中友幸、原案・星新一、福島正実(ウィリアム・H・ホジスンの海洋綺譚『闇の声』より)、脚本・木村武、撮影・小泉一、美術・育野重一、録音・矢野口文雄、照明・小島正七、音楽・別宮貞雄、整音・下永尚、監督助手(チーフ)・梶田興治、編集・兼子玲子、音響効果・金山実、現像・東京現像所、製作担当者・中村茂、特殊技術撮影・有川貞昌、富岡素敬、光学撮影・真野田幸雄、徳政義行、美術・渡辺明、照明・岸田九一郎、合成・向山宏、監督助手(チーフ)・中野昭慶、製作担当者・小池忠司
久保明(村井研二・城東大学心理学研究室の助教授)、水野久美(関口麻美・歌手、笠井の愛人)、小泉博(作田直之・笠井産業の社員)、佐原健二(小山仙造・臨時雇いの漁師)、太刀川寛(吉田悦郎・新進の推理作家)、土屋嘉男(笠井雅文・青年実業家。笠井産業の社長)、八代美紀(相馬明子・村井の教え子で婚約者)、天本英世(マタンゴ・変身途上)、熊谷二良(東京医学センターの医師)、草間璋夫(警察関係者)、岡豊(東京医学センター医師)、山田圭介(東京医学センター医師)、手塚勝巳(警察関係者)、日方一夫(警察関係者)、中島春雄(マタンゴ)、大川時生(マタンゴ)、宇留木耕嗣(マタンゴ)、篠原正記(マタンゴ)、鹿島邦義(マタンゴ・変身途上)、伊原徳(マタンゴ・変身途上)、林光子(東京医学センター看護婦)、一万慈鶴恵(東京医学センター看護婦)、


揺れる大地

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先日の朝、いつものように出社前の慌ただしい身支度をしながらテレビのニュースをチラ見していたら、いま稚内港ではスルメイカが豊漁で、全国のイカ釣り漁船がこの最北の港に集結し、港町全体が大いに賑わっているというニュースを流していました。

意外でした、確かつい先だっては、今年は全国的にスルメイカの不漁が続いており、函館では、そのアオリを受けて老舗の水産加工会社が廃業するなど、事態はずいぶん深刻化しているというニュースを聞いたばかりだったからです。

そこには中国船・韓国船が出張ってきて不法に乱獲していることもかなり影響していると報じていたことも、うっすら記憶しています。

久しぶりの豊漁に恵まれた稚内のニュースでは、いまの水揚量が1604トンで、市の試算によると経済効果は実に2億3800万円だとか、そして、稚内の町では関連の周辺産業(発泡スチロールの出荷量は既に1年分を超えた)だけでなく、スーパーマーケットやコインランドリー、飲食店、はては銭湯などまで広くその好影響が及んで繁盛していると報じていました。

ひと月前の暗いニュースから一変したずいぶん景気のいい話になっているので(函館の方はどうなっているのか分かりませんが)、思わず食事の手を止めて、テレビの画面に見入ってしまいました、テレビに映し出されていた市の職員(経済効果を試算した人です)は、「この豊漁がこの先、何か月も続いてくれるといいのですが」とホクホク顔でインタビューに応じています。

そのニュースのなかで、誰もがやや訝しそうに、なぜこんなふうにイカが大量に押し寄せてきたのか分からない、とちょっと首をかしげながら話しているのがとても印象的でした、しかし、その怪訝な表情も一瞬のことで、すぐに晴れ晴れとした顔に戻り、「まあ、いずれにしろ、この豊漁なので、どちらでもいいようなものですが」と笑って答えていました。

何年も不漁続きだったのに、ある日突然、不意に大量の魚群が浜に押し寄せてきて、寒村が狂喜に沸き返る、というこの感じが、以前どこかで体験した=読んだような気がするのですが、それがどの本だったのか、どうしても思い出せません、気になって通勤途上もずっと考え続けたのにもかかわらず、結局、思い出せないまま会社につき、伝票の整理に取り掛かったときに、不意に記憶がよみがえってきました。
そうだ、これって、以前読んだ吉村昭の「ハタハタ」という小説の一場面です。

短編ながら、自分に与えたインパクトは実に強烈で、あのニュースの内容とどこか「共鳴」するものがあったに違いありません。

夜、帰宅してから、さっそく本棚から文庫本を探し出して読み返しました。

数頁読むうちに記憶が鮮明に戻ってきました。

東北の貧しい漁村、主人公は少年・俊一、漁師の祖父と父、母と赤ん坊とで暮らしていて、母親は妊娠しています。

貧しい漁村の生活の糧といえばハタハタ漁ですが、ここ何年も不漁続きです。

沖に回遊しているハタハタ(メス)は、海藻に卵を産み付けるために「どこかの浜」に群れを成してやってくる、そしてオスは、その卵に精液をかけるためにメスを追ってさらに大挙して押し寄せてくる、このときハタハタに選ばれた幸運な浜が「豊漁」となるのですが、俊一の暮らす浜は、この僥倖からここ何年も見放されていて、慢性的な貧しさに囚われています。

そしてまた、そのハタハタ漁の季節がやってきます。

今年こそハタハタが大挙して押し寄せてくるという「夢」を信じて、漁師たちは随所に定置網を仕掛け、番小屋で夜通し「その時」を待ち続けています。

しかし、次第に嵐が激しくなり、海がシケり始めます、網の流失を心配した網元が、ひとまず網を引き揚げることを漁民に訴えます。

その網の引き上げのさなかに、修一の祖父と父親ほか何人かの漁師が、粉雪舞う寒冷の海に投げ出され行方不明になってしまいます。

緊迫した空気のなかで行方不明者の捜索が必死に続くなか、遠くの方から微かなどよめきが聞こえてきます。

それは、ハタハタの群れが大挙して浜に押し寄せてくるという狂喜の叫び声でした。

一刻を争う人命救助を優先しなければならないことは十分に承知しているとしても、ここ何年もなかった「豊漁」の兆しを目の前にして、漁民たちは動揺します。

人命救助の建前の前で身動きできなくなってしまった漁師たちは、「死んだ者は、もどりはしねえじゃねえか。生きているおれたちのことを考えてくれや」という思いを秘めて、夫を失った俊一の母の動向をじっとうかがっています。

そういう空気のなかで母親は決断します。

「ハタハタをとってください」

漁村に暮らす者のひとりとして決断した母親のこの必死の選択も、「豊漁」の狂喜に飲み込まれた村民たちにとっては、むしろ鬱陶しく、ただ忌まわしいばかりの「献身」として顔を背け、無理やり忘れられようとさえしています。

身勝手な村の仕打ちに対して憤りを抑えられない俊一は、母親に

「母ちゃん、骨をもって村落を出よう。もういやだ、いやなんだ」と訴えます。

しかし、母親は、「どこへ行く」と抑揚のない声で答えて、赤子に父を含ませる場面でこの小説は終わっています。

最後の一行を読み終え、本を閉じたとき、次第に、この物語で語られる豊漁への「期待と失意」、嵐の中での「絶望」などから吉村昭の「ハタハタ」を連想したのと同時に、もしかしたら、ヴィスコンティの「揺れる大地」を自分は思い描いたのではないかと考えてた次第です。

なお、この吉村昭の「ハタハタ」は、「羆」というタイトルの新潮文庫に収められている一編ですが、「羆」ほか「蘭鋳」、「軍鶏」、「鳩」も憑かれた者たちを描いたとても素晴らしい作品です。


揺れる大地
(1948イタリア)監督脚本原案・ルキノ・ヴィスコンティ、脚本・アントニオ・ピエトランジェリ、製作・サルヴォ・ダンジェロ、音楽・ヴィリー・フェッレーロ、撮影・G・R・アルド、編集・マリオ・セランドレイ、助監督・フランチェスコ・ロージ、フランコ・ゼフィレッリ、
出演・アントニオ・アルチディアコノ(ウントーニ)、ジュゼッペ・アルチディアコノ(コーラ)、アントニオ・ミカーレ(ヴァンニ)、サルヴァトーレ・ヴィカーリ(アルフィオ)、ジョヴァンニ・グレコ(祖父)、ロザリオ・ガルヴァトーニョ(ドン・サルヴァトーレ)、ネッルッチャ・ジャムモーナ(マーラ)、アニェーゼ・ジャムモーナ(ルシア)、マリア・ミカーリ(マドーレ)、コンチェッティーナ・ミラベラ(リア)、ロレンツォ・ヴァラストロ(ロレンツォ)、ニコラ・カストリーナ(ニコラ)、ナレーション・マリオ・ピス、


消えた声が、その名を呼ぶ

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半年に一度くらい、繰り返しなのですが、期間をおいて放送されているNHK制作の「映像の世紀」を楽しみに見ています。

このプログラムがまとめて放送されたのは相当以前のことで、その当時、放送を見ながらリアルタイムで録画もしていて、そのテープは大切に保存してあるのですが、ヒストリー・チャンネルなどで頻繁に放映されるので、録画したものを見るまでもなく、そのテープは、文字通り永久保存状態で御蔵入りになっています。

また、そういう放送を待つまでもなく、you tubeなどでいつでも手軽に見られるので、放送すら待つ必要がないというのが実態です。

そう簡単には見ることのできない相当貴重な歴史的映像であることを考えると、実に素晴らしい時代になったものだという狂喜や感心を通り越して、空恐ろしくなるばかりです。

放送された年月日だとか、その構成・内容などについて、どれも記憶が曖昧なので、さっそく「映像の世紀」と打ち込んでネット検索を試みました。

放送は、1995年3月から1996年2月にかけて、毎月第3土曜日にNHK総合テレビの「NHKスペシャル」で全11集にわたって放映されたと書かれていました。

へえ~、もうカレコレ20年以上も前の放送だったんですね、自分としては、CS放送やネットなどでたびたび接しているので、そんなに古い放送だなんて、なんだか実感がわきません。

検索の結果は以下の通りです。


第1集「20世紀の幕開け」カメラは歴史の断片をとらえ始めた 1995.3.25 放送
第2集「大量殺戮の完成」塹壕の兵士たちは凄まじい兵器の出現を見た 1995.4.15 放送
第3集「それはマンハッタンから始まった」噴き出した大衆社会の欲望が時代を動かした 1995.5.20 放送
第4集「ヒトラーの野望」人々は民族の復興を掲げたナチス・ドイツに未来を託した(第1集放送時の予告仮題「国家の狂気」)1995.6.17 放送
第5集「世界は地獄を見た」無差別爆撃、ホロコースト、そして原爆 1995.7.15 放送
第6集「独立の旗の下に」祖国統一に向けて、アジアは苦難の道を歩んだ(第1集放送時の予告仮題「革命いまだならず」)1995.9.16 放送
第7集「勝者の世界分割」東西の冷戦はヤルタ会談から始まった  1995.10.21 放送
第8集「恐怖の中の平和」東西の首脳は最終兵器・核を背負って対峙した 1995.11.18 放送
第9集「ベトナムの衝撃」アメリカ社会が揺らぎ始めた(第1集放送時の予告仮題「超大国が揺らぎ始めた」)1995.12.16 放送
第10集「民族の悲劇果てしなく」絶え間ない戦火、さまよう民の慟哭があった(第1集放送時の予告仮題「さまよえる民」)1996.1.20 放送
第11集「JAPAN」世界が見た明治・大正・昭和 1996.2.24 放送


なるほど、なるほど。

第二次世界大戦の戦後50周年とNHKの放送開始70周年、さらに加えて映像発明100周年記念番組ということで制作されたドキュメンタリー番組で、NHKとアメリカABC放送の国際共同取材で制作された壮大な企画だったわけですね。とにかく凄い。感心しました。

でも、なぜ自分がいま「映像の世紀」のことを思い出したかというと、つい先週、ファティ・アキン監督の「消えた声が、その名を呼ぶ」を見たときに、たしか「映像の世紀」の中で20世紀の難民の歴史を扱ったものがあったことを不意に思い出したからでした。

そして検索した結果、それは第10集の「民族の悲劇果てしなく」であることが分かりました。

その冒頭部分で、20世紀最初に映像が捉えた難民としてほんの瞬間的に紹介されていたのが、まさにこの映画「消えた声が、その名を呼ぶ」で描かれていた「アルメニア難民」だったのです。

思えば、現在に至るまで、世界における地域紛争は絶え間なく起きていて、おびただしい数の難民が生み出されており、国境を越えて他国に逃れた彼らを、建前的には人道上(実際のところは、大国の過去の植民地経営の負の歴史的遺産です)あるいは、安価な労働資源としてそれら難民を受け入れるまでは良かったものの、やがて飽和状態となって国内の富の分割・社会保障などの矛盾と歪みを露呈し、やがて自国民の失職を招いて不満を増大させた結果、難民とのあいだに軋轢を生じさせて、やがて欧米各国に右傾化政権を次々と生み出した経緯を考えると、これは歴史的必然でもあり、ひとつの象徴としての顕著なのがアメリカのトランプ政権(貧困の不満の吸収)誕生なのではないか、しかし、それは、それ以前のオバマの優柔不断・現状の諸矛盾からことごとく直視を避けた無責任な政策運営・偽人道主義にも重大な過失はあったはずだと考えています。

当時日本でも、民主党の一部議員が、人道上「難民を受け入れよう」などと馬鹿げた論陣を張っていましたが、歴史的定見を欠いた唐突な痴言(その愚劣と愚鈍は「トラストミー」で既に世界では経験済みです)は世界的に冷笑を買っていることさえ認識さえできなかったというテイタラクでした。

まあ日本の政治家のレベルでは、せいぜい「いかがわしい不倫」をこそこそやらかすか、「政党助成金ころがし」で私腹を肥やすか、「政策活動費のちょろまかし」に精を出すくらいが似合っています。まあ、これじゃあまるでハエか、ゴキブリですが、やれやれ。

そんな淫乱女や立場の弱い者とみると居丈高に罵倒しまくる頭のおかしな勘違い女か、もしくはコソ泥野郎のために汗水たらした金をせっせと税金に持っていかれるのかと思うとハラワタが煮えくり返ります。

さて、自分がこの映画「消えた声が、その名を呼ぶ」の感想を書きたいと思ったのには、もうひとつの理由があります。

あるサイトでこの作品の感想を読んで、思わず愕然としたからでした。

ちょっと引用してみますね(引用も何も、これですべてなのですが)。

《戦時下に差別と虐殺から生き延びた男が家族と再開するために旅をする話。
面白いけど、少し冗長で飽きてきた頃感動の再開…と思いきや、あっさり声が出ちゃうし、「今までどこに…」って、なんだそれ?
しかも大した盛り上がりもなく終了。
何とも締まらず残念過ぎる。》

「なんだそれ?」って、あんたが「なんだそれ?」なんだよ、馬鹿野郎。

「あっさり声が出ちゃう」のは、たとえ声を失っても最愛の娘にだけは聞こえた「ささやかな奇跡」を描いているからだし、「今までどこに…」は、祖国を追われ故郷を失った者たち(あるいは、父娘)が、遠い異国の地でお互いを求め合っていた思いの深さを「そう」表現しているからだよ、馬鹿野郎。

大量虐殺から奇跡的に逃れられた父親が、これも奇跡的に生き残った愛娘を異国の地で執念で探し当てたんだぞ。

「お父さんが探し当ててくれた」って言っていたろう?

それに「しかも大した盛り上がりもなく終了」って、あんたね、今までなに見てたんだよ、えっ?

こういうヤカラは、たとえ馬にされた母親が自分の前で、血の出るくらい死ぬほど鞭打たれ、苦しみの叫び声を上げても、へらへら笑っていられる無神経な野郎なんだ、きっと。

う~ん、もう! おまえなんか、金輪際、映画見なくともいい。オレが許す。

今日は、映画のコラムなんて書ける状態じゃない、これじゃ。

だから。今日はこれでオシマイ。


(2014独仏伊露ほか)監督脚本製作・ファティ・アキン、共同脚本・マルディク・マーティン、製作・カール・バウムガルトナー、ラインハルト・ブルンディヒ、ヌアハン・シェケルチ=ポルスト、フラミニオ・ザドラ、音楽・アレクサンダー・ハッケ、撮影・ライナー・クラウスマン、編集・アンドリュー・バード、美術・アラン・スタルスキ

出演・タハール・ラヒム(ナザレット・マヌギアン)、セヴァン・ステファン(バロン・ボゴス)、ヒンディー・ザーラ(ラケル)、ジョージ・ジョルジョー(ヴァハン)、アキン・ガジ(ヴァハン)、アレヴィク・マルティロシアン(アニ)、バートゥ・クチュクチャリアン(メフメト)、マクラム・J・フーリ(オマル・ナスレッディン)、シモン・アブカリアン(クリコル)、トリーネ・ディアホルム(孤児院院長)、アルシネ・カンジアン(ナカシアン夫人)、モーリッツ・ブライブトロイ(ピーター・エデルマン)、ケボルク・マリキャン
第71回ベネチア国際映画祭コンペティション部門ヤング審査員特別賞受賞


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