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Channel: 映画収集狂
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レイ/Ray

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超有名人とか、メディアが最初から「超名作」と決めつけプッシュしてくる映画(映画ばかりとは限りませんが)に対して、抗体というものをまったく有していない大衆があやつられるままに一斉に同じ方向を向くというような環境の中で、ひとり別な方向を向く(顔をそむける)という「孤立無縁」の立ち位置を選び取ることは、とても勇気のいることだと思います。

レイ・チャールズの生涯を描いたこの辛らつな作品「レイ/Ray」は、きっと「その辺」のところを試しにかかってくる映画かもしれません。

もともと自分は、ギター一本でうめくように歌い上げる泥臭いブルースがむかしから大好きなので、you tubeでもアメリカのかなり古い貴重な動画を繰り返し見て楽しんでいます。

その観点から言わせてもらえば、「逸脱」とか「堕落」とはいわないまでも、ごくごくポピュラーソング化されたレイ・チャールズやレオン・ラッセルなどの楽曲も、臆することなく、よく聞いて親しんできました。

そういう感じで親しんできたこともあって(楽曲に親しむことが、その歌手の人格まですっかり分かってしまったような気分にさせられたのかもしれません)、レイ・チャールズの生涯が、こんなふうに薬物中毒と複雑な女性関係(それもこれも結局は自分の「ダラシナサ」のせいだったのですが)に囚われていたとは、この映画を見るまで少しも知りませんでした。

その意味ではショックでしたが、しかし、すでに「ジャージー・ボーイズ」など多くの内幕もの映画を散々見てきた自分にとって、それほどショッキングなものということもなく、まあ、「レイ・チャールズよ、お前もか」という程度でしたので、その気分のままに、この作品を深くアプローチすることもなく通り過ぎたのだと思います。

それから少し時間が経っています。

最近、沢木耕太郎の「銀の森へ」(朝日新聞社刊)という映画批評集を読んでいて、この「レイ/Ray」の批評に邂逅しました。

「テロルの決算」以来、沢木耕太郎の著作は刊行されるたびにどうにか読むようにしていますが、しかし、自分が、この著者の作品を、まず「テロルの決算」から読み始めてしまったことが、果たして自分にとって良かったことだったのか、すこし複雑な気持ちでいます。

というのは、この著者の他の作品を読むたびに、この著者にとって、日本のテロリスト青年を描いた「テロルの決算」とは、いったいどういう位置づけの作品だったのか、そしてまたどういった意味があったのだろうかと問い返さずにいられない自分がいて、眼の前の著作以外のところで、少しずつ積み上げてしまう根本的な「失望」みたいな堆積があって、遣り切れない重苦ししさが増すばかりなのです。

思えば、あの「政治の季節」の真っ只中で「テロルの決算」と出会ったことは、自分にとって、またこの著者との関係にとっても、とても「不運なスタート」だったのではなかったかという憂鬱な気持ちに満たされてしまいます。

たとえば、しかつめらしく「著者」などという位置づけなどせずに、最初から「スポーツ・ライター」というラフな認識だったなら、もっと楽な気持ちで沢木耕太郎やその著作に接することができただろうし、もっと自由な読書体験も持てたかもしれないと思うと、なんだかとても悔しい気持ちでいっぱいですが、あの「政治」や「思想」を最上なものと思い上がり、「スポーツに血道を上げる愚劣さ」と貶めていた自分の硬直した思考は、歪んだ政治の季節のなかで道を見失い、彷徨っていたころの「宿痾」としか呼びようのない人間的欠陥であって、いまさら治癒するわけもなく、この欠陥をこのまま引き受けて生きていくしかないと、もうほとんど途方にくれながらすっかり諦めています。

しかし、その話とは全然違う部分で、この「銀の森へ」という本は、あまりお薦めすることはできません。

朝日新聞に連載されていた映画コラムだそうですが、なにしろ実質本文350頁ほどのスペースに90本の映画批評がぎゅうぎゅう詰めにされていて、一本につき僅か3頁に満たない分量なので、著者の書き足りない苛々感が、そのまま読者の読み足りない欲求不満に直結してしまうという惨憺たる反映のうえに成り立っているような、筆舌に尽くしがたいストレス本という感じをもちました。

それは、所詮「広く浅く」が宿命付けられている新聞記事というものの持つ運命みたいなものの、反映そのものの姿だったのかもしれません。

それに、金詰りの会社(まさかあの大新聞社の朝日に限ってそんなことはありませんが)が、「予算達成のために、なにか売れそうな本があれば、なんでもいいからでっち上げて、「朝日経」信者の馬鹿どもに売りつけろとばかり、ゴリ押しで無理やり編まれた本なのではないかと邪推したくなるくらいの安普請です。

さて、そのような本の中に収められている「レイ/Ray」の批評ですから、あまり期待されても困りますが(模範解答の見出しの羅列のようなもの、という意味です)、要約すれば、こんな感じです。

沢木氏は、「それなりに楽しんで見た作品だが、はっきりいって上っ面だけ描かれているだけで深みに欠ける残念な映画だった、しかし、映画のなかで聞いたレイ・チャールズの楽曲は、どれも自分が親しんできた曲なので、帰宅して改めて聞いてみたが、どの曲も映画で聞いたような感慨はなかった。

やはり、映画というものはそれなりに(ストーリーに裏付けられるため楽曲を輝かせられる)意味あるものなんだなあ」ってな具合に書いてみると、結局筆者がこの映画をどう評価しているのか、特に最後の部分など何を言っているのか、さっぱり分かりませんでした。

たぶん、その理由は、結論を曖昧なままにしてしまったからに違いないのですが、原文を何度読んでみても、やはり明快な決め言葉などどこにも書かれていません。

どうも筆者自身が結論を避けているように感じられてなりません。

なにしろ発表の場が、大新聞紙上ということもあって、滅多なことなど書けるわけもないでしょうし、書く側としても、仕事とあれば、新聞社の意をくんで口籠もるくらいの芸はみせたかもしれません。

しかし、自分としてもこの映画批評を貶すばかりでは後味が悪く、気持ちの治まりがつきませんので、ここはひとつ出色の部分もあるにはあったことを紹介しておかなければ、と思います。

その出色の一文というのは、以下のとおりです。

「たとえば、目の見えないレイ・チャールズが恋愛遍歴を重ねる。
彼はどのようにして女性を認識し、選んだのか。
映画では、レイ・チャールズが女性と握手するとき、反対の手でそっと相手の手首を握るというシーンが挿入されている。
監督のテイラー・ハックフォードは、そうした細部によって、レイ・チャールズの歌の官能的な部分を視覚的に伝えられるよう周到に組み立てていたのかもしれないのだ。」(266頁)

「握手しながら、もう片方の手で相手の手首を握る」シーンを、沢木耕太郎は、「歌の官能的な部分を視覚的に伝えられるよう周到に組み立てていた」などとあえて上品に無力化して逃げていますが、この部分は明らかにレイ・チャールズが、女性の体を卑猥に撫で回し「女」を物色していたことと同義であることを描いていることは明らかです。

誰が見ても手首が女性としての官能的で重要な「その部分」を暗示しているか、もしくはモロ直結しているか、おそらくそのどちらともであって、それはそのまま、レイ・チャールズという男が、目の不自由なことをいいことにして下卑た好色さを隠そうともしなかったしたたかな姿を描ききっているのだと思います。

そんな例なら日本にだって、つい最近ありました。

障害を盾に取り、良識をよそおった世間の偽善と哀れみの虚をついた「佐村河内」現象です。

と、ここまで書いてきて、ひとつの投稿文と出会いました。

レイ・チャールズは、こんな人じゃないというファンによる作品「レイ/Ray」に対する怒りの一文です。

ちょっと感動したので、転載させていただきました。

《この作品を見終えた後の感想は、とても不快なものでした。
私は小さい頃からのレイ・チャールズファンです。(当然、今でも‥)
だから、彼の人生を冒涜しているみたいで、とても不愉快なんです。
この作品を見て、彼(レイ)を、どんな男だと思いましたか?
音楽の才能があることで大金を得て、眼が見えないことを言い訳にして、好き勝手なことばかり‥。
最低だとおもいませんか?(誰の証言を元に製作されたか知りませんが‥)
特に、麻薬の常習容疑で逮捕されるも、金の力で取消し。
にもかかわわらず、やめようとさえしない。(暗闇を理由に‥)
全盲ながら、一生懸命いきている人達は沢山おられます。
(あえて、それ以上は触れませんが‥)
確かに、ジェイミーの演技は素晴らしかったけど、ただだらしない男を演じたに過ぎないし‥。
むしろ、レイの母親を演じた彼女こそ、素晴らしかった。
とても自然に演じていたし、母親も愛情の深さも体現していた。
しつこいようですが、私はレイ・チャールズの大ファンです。
晩年の彼しか知らない私には、彼の苦労話など当然解りません。
でも、この作品は彼のことを想っての製作だとはとても思えません。
彼が生きていてこの作品を見たら、どう想うでしょう。
子供達に夢を持たせようと、努めていた彼です。》

このレイ・チャールズファンの人が、たとえどちらを向いて何を語ろうと、したり顔した大勢から顔をそむけたその姿の凛々しさに惹かれて転写してみたのですが、「レイ・チャールズの生涯を描いたこの辛らつな作品「レイ/Ray」は、きっと「その辺」のところを試しにかかってくる映画だったのかもしれません」ね。

(2004UIP映画配給)監督脚本製作・テイラー・ハックフォード、製作・ハワード・ボールドウィン、カレン・エリス・ボールドウィン、スチュアート・ベンジャミン、製作総指揮・ ウィリアム・J・イマーマン、ジェイム・ラッカー・キング、原案: テイラー・ハックフォード、ジェームズ・L・ホワイト、脚本・ジェームズ・L・ホワイト、撮影・パヴェル・エデルマン、編集・ポール・ハーシュ、音楽・レイ・チャールズ、クレイグ・アームストロング、美術・スティーヴン・アルトマン、音楽監修・カート・ソベル、衣装(デザイン)・シャレン・デイヴィス、
出演・ジェイミー・フォックス(Ray Charles)、ケリー・ワシントン(Della Bea Robinson、レイ・チャールズの妻)、クリフトン・パウエル(Jeff Brown、ツアー・マネージャー)、ハリー・レニックス(Joe Adams、長年にわたるマネージャー)、リチャード・シフ(Jerry Wexler、レイ・チャールズのプロデューサー)、アーンジャニュー・エリス(Mary Ann Fisher、女性バック・ヴォーカル歌手)、シャロン・ウォーレン(Aretha Robinson、レイ・チャールズの母)、カーティス・アームストロング(Ahmet Ertegun、レコード会社の重役)、レジーナ・キング(Margie Hendricks、女性バック・コーラス)、テレンス・ダッション・ハワード、ラレンツ・テイト(クインシー・ジョーンズ)、ボキーム・ウッドバイン、C・J・サンダース( 幼少のレイ)
152分

第77回アカデミー賞主演男優賞・ジェイミー・フォックス、録音賞・スコット・ミラン、グレッグ・オルロフ、ボブ・ビーマー、スティーヴ・カンタメッサ(英語版)
第62回ゴールデングローブ賞主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)・ジェイミー・フォックス
第47回(2005年)グラミー賞最優秀コンピレーションサウンド トラック賞/映画・テレビ・映像部門・レイ・チャールズ、映画・テレビサウンドトラック部門・クレイグ・アームストロング


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