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「にごりえ」反証

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コロナの緊急事態宣言のために、家にこもりがちになると、しぜん配偶者と顔をつき合わせている時間も増えてくるわけですが、もともと趣味も性格も大きく違うので、とうぜん話題というものも限りがあって、一緒にいてもそのうちに話が尽きてしまうという状況が、しばしば訪れます。

こうなると少し前、お互いの生活環境とか習慣がそれぞれ違っていて、そのなかで顔を合わせるのは、せいぜい朝食と夕食のときだけという、ほぼすれ違いの日々が、いかに二人の関係に調和をもたらしていたかということが痛感されます。

さすがに喧嘩までには至りませんが、会話がこじれて気まずくなり暫く口を利かないなどという事態は結構あります。

これが気軽な男友だちとなら、来たる「東京新聞杯」とか「きさらぎ賞」なんかの予想で二時間でも三時間でも盛り上がり、夢中になって和気あいあいと話せるのですが(しかし、いま街はこういう状況なので、ウマ友とはLineで簡単な情報交換をするくらい、直接顔を合わすことは最近ではほとんどなくなってしまいました)、まさか女房と競馬の話もできませんしね、そうそう、先日なんか、BSで大好きなマーヴィン・ルロイ監督の「心の旅路」を放映していたので、日課のウォーキングを取り止め、もう何十回目になるかもしれない鑑賞に浸って、この不朽の名作を堪能しました。

あの「スミシィ!!」&「ポーラ!!」の感動のラストでは、すでにその場面を十分に知悉しているのにもかかわらず思わず落涙をやらかしてしまいます(このラスト、頭ではいくら「そういうラストになる」と分かっていても、いざ見てしまえば手もなく泣かされてしまうというテイタラクな、「こんなジジイを泣かすなよ」と言わずにおれないくらい、われながら実に不甲斐ないものだと思います)。

しかし、やたら感激している亭主を横目で見て、わが配偶者は実に冷ややかに「これのどこがそんなに面白いの」と、とんでもないことをノタマウのであります。

ただの被害妄想かもしれませんが、彼女のそのときの表情には、心なしか口角に意地の悪い微妙な歪みが翳り、見ようによっては「冷笑」と受け取れなくもないスゲスミの気配が窺われたりするのであります。

「いや、これはべつに面白いとかじゃないだろう、感動だよ感動。記憶喪失で失われた幸福だった日々を、オトコは木戸の音とか桜の枝とかをたどって記憶を取り戻し、肌身離さず大切に持ち続けてきた「鍵」がはじめてそのドアのものだと思い出し、失われた自分の過去の扉を自ら開けたときに《スミシィ!!VSポーラ!!》とくるから感動シマクリなんじゃないの、彼が取り戻すのは、幸福ばかりじゃない、最愛のわが子をすでに失っている苦痛も同時に受け入れなければならないという、実に痛切なこのラストが分からないちゅーわけ!!」

しかし、わが配偶者は、冷め掛けた焼き芋を頬張りながら、鼻で笑っているだけなのです。

だからホント、やんなっちゃうよな、これだから映画とかは、ひとりで見たいんだよ、とつくづく遣り切れない孤独地獄に落ち込む瞬間ですが、

「だったら言うけどさ」と彼女は言います。「あんたの解釈はいつもオカシイ、変だ」

「なにがよ」

「昨日、あんたがあれだけ言うからさ、私もyou tubeで今井正の『にごりえ』見てみたんだ」

ああ、あれか、昨夜、話のなりゆきで、つい今井正の「にごりえ」の話をしてしまいました。

話のネタが尽きたときなんかには、二人の唯一の共通点、彼女の文学好きを頼りに、小説ネタを振って気まずい沈黙の窮地をどうにか脱しようと凌ぎに努めているのですが、「にごりえ」については最近若干調べたこともあり、原作なども読んで、さらに作家論も二、三拾い読みしているくらいなので、その勢いからつい知ったかぶりを発揮して、「映画と文学」の関係などについて暴走気味に滔々と彼女に話したかもしれません(今井正が独自の演出のために原作を自分なりに「かなり解釈」して演出したという例のわが持論です)。

「あんたさあ、いつも自分のいいように解釈するけどさ、それって、ホントおかしい」

「なにが」

「だいたい間違っているからよ。ほら、この今井正の『にごりえ』でも、なんとか言ってたよね、どら息子・石之助が下女・おみねの盗みを見てないとかなんとか強引に押し通そうとしてたじゃん。そう言っちゃったらさあ、このハナシ滅茶苦茶にならない? 放蕩がやまない石之助は近々廃嫡されることになっていて、継母もあからさまにこの息子を嫌がっていてアワヨクバ家から追い出しにかかっていて、そのことに腹を立てている息子は、その腹いせで硯箱の金を搔っ攫っていくんだよ、その行為のなかには当然「おみねの盗みを庇う」ことが「継母に対する腹いせとか当て付け」という部分に密接に関係していることを含めて考えなきゃ全然意味ないじゃん、これってとても重要な要素だとそこらをほっつき歩いている猫でも思うわ、アンタ以外はね。この物語からそこを外してしまったら、もうほとんど小説の体裁をなしてないと思わない? おみねが居間で金の入った硯箱から金を盗む際、寝ている石之助をアンタ「微動だにしなかった」とかなんとか言ってたけどさ、もう一回、you tubeよく見てみな。ここぞという場面で、あのドラ息子、意味ありげにもそもそ動いているからさ。あんたは昔っから言葉に酔う癖あったよね、≪微動だにしなかった≫なんてかっこいい言葉使っちゃったりなんかして、だけどそれって、ただ言葉の響きに陶酔したかっただけなんだよね、そういうご都合主義で、目の前にある事実を強引に歪め、隠蔽し、自分勝手に解釈しただけでしょう、でもそもそもそれが間違っているっていうのよ、結局のところ」

思わず「マジか」と呟きましたが、それはいま女房から糾弾された自分のご都合主義とかに対してではなくて、もちろん「ここぞという場面で、石之助が意味ありげにもそもそ動いている」という部分に、ワタシは思わず「マジか」と呟いたのであります。

そんなに言うなら見てやろうじゃねえかこの野郎という訳で、早速、パソを開いて、you tube動画の「映画・にごりえ」をクリックしました。

そうですね、まずは酔った若旦那・石之助が、主人家族が出払ってる留守に、勝手口からふらりと現れる場面あたりから再生することにしましょうか。
かなり酩酊しているのに、さらに酒の支度を命じられたおみねを訪ねて叔父の子供・三之助が、依頼した金の受け取りにやってきます。

おみね「奥様は外出してしまったの、遠いところを悪いけど、また出直してきてくれない」と三之助少年をいったん家に返します。どうしよう困ったわというおみねの不安な表情が印象的な場面です。

家に戻った三之助から「まだお金の用意ができてない」ことを伝え聞いた叔父は、「やはり無理な依頼だったのだ。あの子にこんなことを頼める義理じゃない、筋違いだった」と年端の行かない娘・おみねに過重な依頼(依存)をしたことを後悔し、(暗に叔母に)おみねへ断りの詫びにいかないといけないなと仄めかす会話が交わされます。

のちに叔母がおみねを尋ねて、「無理な依頼をして済まなかったね、今回のことは忘れてご主人大事に働いておくれ」と言われたとき、おみねは、もう工面(盗んで)してしまったのだから、いまさらなにを言い出すんだとむっとする場面があって、そこには、おみねが、伯父から信頼されて期待に応えようと必死で盗みまでした彼女の自尊心の強さと、そのような苦労も知らずにただ一言で自分の挺身を一蹴されそうになって深く傷つけられたことのショックの大きさが巧みに対比されて描かれていて、いままでおみねは大それた犯罪に手を染めたことに後悔と迷いのあったことが、このときはじめて自分が犯した盗みの罪も迷いもすべてひっくるめて引き受けようと決意したことが明確に描かれています。

居間で寝ている若旦那・石之助のもとに、命じられた酒を持ってきてお燗をつけるおみねは、なにも掛けずに仰向けにごろりと寝ている石之助にフトンを掛けてあげる(この仰向けに寝ている石之助の姿をしっかりと目に焼き付けておかなければなりません)。

おみねがお勝手に戻り、こまごまとした後片づけをしているところに、継母と娘二人が帰宅する。

そこで石之助の来訪を知らされた継母は、突如不機嫌になって(この不機嫌が、一度は了承したおみねの借金の依頼にも否定的に影響したことは明らかです)居間に入った継母は新之助の枕元で、聞こえよがしにあからさまな嫌み(忙しくって暇な誰かさんの体を半分欲しいくらいだ)を言う。

なるほど、このとき石之助は首を右にねじ向けます。

熟睡しているところを枕元が騒がしいので薄っすら目を覚ましたというよりも、とっくに目は覚めていて、そのうえでそんな話なら聞きたくもないという拒絶のポーズと見たほうが、やはり妥当かもしれませんね。

だから、そのあとに続くおみねの「借金の申し出」と女主人の「拒絶」のやり取り、それから嫁いだ娘の出産の手伝いのために慌ただしく継母が出かけたその際に、職人が借金の20円という金を届けに来て、それが硯箱の中に一旦おさめられたという一連の事情のすべてを石之助は覚醒したまま聞いていたと見るのが妥当かもしれません。

もしかしたら、そのあと叔母が訪ねてきて「すまなかったね、ご主人大事に働いておくれ」の一連のやり取りまでも聞いていたかもしれません。それは大いにありうることです。

いやはや、なるほど、恐れ入りました。やれやれ

配偶者は、そんなワタシを「なんか言え」みたいな顔でじっと見ています。

いっそ「どうだ、グウの音もでまい」とでも言つてくれたら、悔しいので「グウ」くらいは言ってやろうと思って身構えていたのですが、しばらく気まずい沈黙があって、あっ、そうだ、思い出しました、もうひとつ、ほらあったじゃん、ほらほら、石之助にそんな善意や侠気があったとして、ハッピーエンド風の結末のストーリーになったとしたら、このオムニバス映画の、その他の物語とのバランスはどうなっちゃうのっていうアレ。

え~、まだ言うの、懲りずに。だってさ、おみねという娘は、2円の盗みであれだけの罪悪感を持ってしまう女の子なのよ。
「ああ、若旦那は、自分の盗みを帳消しにするようなことを敢えてしてくれて、自分のことを庇ってくれたんだ、ありがとう」とほのぼのとした気持ちになってこの物語は終われるのに、もし「石之助のチラ見」がないうえに石之助の盗みが重なるんだとしたら、おみねの罪悪感とその贖罪は宙に浮いたまま納まり所を失ってしまうと思わない? 
そんなふうのおみねだったら「しめしめ、バカ息子のお陰で、自分の盗みがばれずに済んで本当によかったわ」っていう最悪な立場しかなくなっちゃうじゃないの。
おみねが、そんな悪ずれした子で終わるのだとしたら、この小説そのものが下卑た最悪の物語になってしまうじゃない。そんな解釈したら樋口一葉だって怒るわよお。アンタが言った3篇のなかで、この1編だけが「ほのぼのとした気持ちになってこの物語が終わってしまう」ようなら、オムニバス映画のバランスが崩れるとかなんとか。
そもそも、それがアンタの認識違いってやつなのよね。
この3編は、明治の女たちの悲惨さをそれぞれに描いた物語であることには変わりないけど、その結末はどうかというと、おみねの場合がそうだったように、悲惨の中にも「一点の救い」は描かれていると思うの。それがこの映画のキモなのよ。
「十三夜」のせきは、婚家のイビリと仕打ちに耐えられず親元に逃げ帰ってきたのを、父親に説得されて追い返されるわけだけど、その説諭の内容は「自分だけの個人的な苦痛」なんて「貧しいことの社会的悲惨」に比べれば何ほどのものではない、だってあんたは「正妻」じゃないの、その身分的保証の後ろ盾をしっかり認識していれさえすれば少しくらいのイビリや仕打ちなんてなにほどのものでもない、我慢できないはずはないと身分制の拘束を逆手に取ってチカラを得て「帰還」したのだったし(彼女にとってはとても大きな収穫と成長だったに違いありません)、「にごりえ」のおりきにしても、それが傍目には凄惨な無理心中だったかもしれないにせよ、その死に顏のやすらかさは、なによりも「一点の救い」を描いていると思って差し支えないと思うのよね。
どうよ、これ。どうなのよ。

いやはや、なるほど、なるほど、重ね重ね恐れ入りました。やれやれ、やれやれ、やれやれ、やれやれ




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