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啄木のローマ字日記②

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しかし、アンタ、啄木の作った「短歌」は、どれも実に素晴らしい芸術作品ばかりじゃないか、それでも彼を天才ではないというのかね、とお叱りを受けてしまいそうですが、彼の生涯を知れば知るほど、彼にとって「短歌」は、あくまでもホンの余技にしかすぎず、小説こそがまずは本命、それが思わしくないと分かると(多くの小説が未完のまま遺されています)つぎに評論を書くこと(不遇な彼の絶望からの「世の中なんてぶち壊してしまえ」という破壊願望の気分に時の大逆事件に共振しました)に全勢力を注いでいて、それらを評価されて世に出ることこそ、彼が夢見ていたことだと分かります。

啄木の短歌のその「芸術性」については、後述したいと思いますが、まずは「ローマ字日記」から。

上述の書評でも「ローマ字日記」について、「赤裸な自己表現」と書かれているだけで、それ以上踏み込んだ深い分析がなされていないのが、なんだかとても残念ですが、字数の限られたあのようなごく短い書評では、「そこまで」は踏み込めなかったことは理解できます。

ですので、「そのあたり」をどう書いているのか、できれば早くドナルド・キーンの「石川啄木」を読みたかったのですが、まあ、事情が事情ですので、いたし方ありません、諦めました。

実は、自分は、奇妙なところで啄木の「ローマ字日記」の存在を知りました、まずはそのイキサツから語り出すべきだったかもしれませんが。

話は少し飛びますが、まだブレーク前の杏が、早朝のNHK教育テレビ(いまではETVとかいうのかもしれません)で、「Jブンガク」という番組に出演していたことがありました。日本文学の名作を一作ずつ取り上げて、解説・紹介するという教養番組です。

若年者向けの「100分de名著」という感じだったでしょうか。

ネットで確認したところ、放送していた期間は、2010年3月30日~2012年3月29日まで、そこで啄木の「一握の砂」が取り上げられたのが、2010年8月31日か、あるいはリピート放送が9月3日か9月7日か9月10日にしたとありますから、自分はそのいずれかの日に番組を見たことになります。

そして、そこでもうほとんどショックといってもいいくらいの体験をしたのです。

その番組では、もうひとり、若い女性の出演者がいました。

アシスタントというには少し格上で、解説者というにはグッと落ちる、あえていえば、杏の「お友だち」程度の「対等な関係」という設定だったかもしれません、ごくフツーの若い女の子です。

放送日から検索すると、その女の子は、おそらく加賀美セイラという名前であることが分かりました。

その子が、その日のテーマである「一握の砂」などそっちのけで、啄木がいかにスケベで淫蕩な女好きだったかを、何度も何度も滔々と捲くし立てるのが気になって仕方ありませんでした。

そこには、未知の(そう演じていただけかもしれませんが)sexについて語る好奇に満ちた若い女の子独特の意地悪そうな薄ら笑いと、上気した卑猥な饒舌さで語られる啄木への興味と嫌悪(このふたつが合わさると、女たちがとても下卑た卑猥な表情に豹変することをそのとき始めて知りました)の入り混じった高揚した熱心さで、ヒステリックに語られる歌人・啄木の淫蕩さは、確かにそれなりにリアルで生々しくて現実感もあり、まるっきりの出鱈目とも思えませんでしたが、なにせこちらは「たはむれに母を背負いてそのあまり」の先入観しかなかったあの同じ清貧の人・啄木だったのですから、陰ではいかにスケベで淫蕩を重ねた女好きだったかという彼女の仄めかすことのすべてが初耳だっただけに、とてもショックだったのです。

放送後、啄木関係の評論集をあれこれと読み漁っているうちに、彼女の言っていた淫蕩に当たるものが「ローマ字日記」の中に書かれていることを突き止めました。

そして、その当時も、この同じ「石川啄木全集 第六巻 日記Ⅱ」(筑摩書房刊)を借り受けたのですが、彼女の言っていた「啄木がいかにスケベで淫蕩な女好きだったか」の箇所は、すぐに見つけることができました。

あっ、そうそう、言い忘れましたが、「ローマ字日記」というだけあって、もちろん原文はすべてローマ字で書かれていて、改めて漢字・平仮名に書き起こされたものが、すぐあとに付けられている形式なのですが、まず驚かされたのは、これだけ屈折した繊細な文章を、啄木はダイレクトにローマ字で書き綴ったのだろうかという疑問でした。

誰が考えても慣れないにローマ字で書くとしたら、ローマ字に変換することに気が散って意を尽くせず、どうしてもたどたどしくなってしまうのではないかと考えると思うのですが、その的確な描写と言い回しの繊細さから、もしかしたら、一度に和文で書き下ろしたものを、改めてローマ字に書き直したのではないかと思うくらい、急迫する生活苦と、小説をかけずに動揺する苦悶と情感を見事に辿った、それはそれは精密な文章でした。

フツー、おそらく、たどたどしくなるに違いないローマ字書きで、果たしてここまで書くことができるのか、とても信じられません、もしダイレクトに書き付けたことが事実だとしたら、それこそ実に驚くべき才能といわねばなりません。

さて、以下が、啄木が「淫蕩」だと決め付けられた問題の部分です。少し長い引用になりますが、転写してみますね。

《明治四十二年四月十日 土曜日
・・・・
いくらかの金のある時、予は何のためろうことなく、かの、みだらな声に満ちた、狭い、きたない町に行った。予は去年の秋から今までに、およそ十三-四回も行った、そして十人ばかりの淫売婦を買った。ミツ、マサ、キヨ、ミネ、ツユ、ハナ、アキ・・・名を忘れたのもある。予の求めたのは暖かい、柔らかい、真白な身体だ。身体も心もとろけるような楽しみだ。しかしそれらの女は、やや年のいったのも、まだ十六ぐらいのほんの子供なのも、どれだって何百人、何千人の男と寝たのばかりだ。顔につやがなく、肌は冷たく荒れて、男というものには慣れきっている、なんの刺激も感じない。わずかの金をとってその陰部をちょっと男に貸すだけだ。それ以外に何の意味もない。帯を解くでもなく、「サア、」と言って、そのまま寝る。なんの恥ずかしげもなく、股をひろげる。隣りの部屋に人がいようといまいと少しもかもうところがない。(ここが、しかし、面白い彼等のアイロニイだ!)何千人にかきまわされたその陰部には、もう筋肉の収縮作用がなくなっている、緩んでいる。ここにはただ排泄作用の行なわれるばかりだ。身体も心もとろけるような楽しみは薬にしたくもない!
強き刺激を求むるイライラした心は、その刺激を受けつつある時でも予の心を去らなかった。予は三たびか四たび泊まったことがある。十八のマサの肌は貧乏な年増女のそれかとばかり荒れてガサガサしていた。たった一坪の狭い部屋の中に灯りもなく、異様な肉の臭いがムウッとするほどこもっていた。女は間もなく眠った。予の心はたまらなくイライラして、どうしても眠れない。予は女の股に手を入れて、手荒くその陰部をかきまわした。しまいには五本の指を入れてできるだけ強く押した。女はそれでも眼を覚まさぬ。おそらくもう陰部については何の感覚もないくらい、男に慣れてしまっているのだ。何千人の男と寝た女! 予はますますイライラしてきた。そして一層強く手を入れた。ついに手は手くびまで入った。「ウ-ウ、」と言って女はその時眼を覚した。そしていきなり予に抱きついた。「ア-ア-ア、うれしい! もっと、もっと-もっと、ア-ア-ア!」十八にしてすでに普通の刺激ではなんの面白味も感じなくなっている女! 予はその手を女の顔にぬたくってやった。そして、両手なり、足なりを入れてその陰部を裂いてやりたく思った。裂いて、そして女の死骸の血だらけになって闇の中に横だわっているところ幻になりと見たいと思った! ああ、男には最も残酷な仕方によって女を殺す権利がある! 何という恐ろしい、嫌なことだろう!》(「石川啄木全集 第六巻 日記Ⅱ」130頁~131頁)

「ローマ字日記」の中で「赤裸な自己表現」の「性的」な部分といえば、おそらく唯一この箇所かもしれません。

啄木の淫らについて熱心に語っていた「Jブンガク」の可愛い少女も、きっとこの箇所を意識して話していたのだと思います。


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