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啄木のローマ字日記①

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新聞各紙に掲載された書評をまとめて読めるサイトは、詳細な関連情報も豊富で、それなりに便利なのですが、やはり自分は、紙をガサゴソいわせながらシンプルに読む新聞紙の方が、なんだか落ち着くし、気分もよくて性にあっているみたいです。

小学校の頃から常に「落ち着きなく集中力に欠いている」と通信簿に書かれたムラッ気の多い自分です、眼一杯に広げた新聞を、あちこちそわそわとよそ見しながら、傍線を引きまくったり、四つに畳んだものを更に八つに折り畳んだりしながら、さっき読んだばかりの斜め下の書評となんだか関連がありそうだなどと、その記事と記事とを丸で囲んで繋げたり、なんだかんだと大騒ぎして、そんなふうに「紙」で読むのが自分にはピッタリあっているし、却ってこの方がアタマにもよく入ってくるみたいな気がします。

タブレットで読むとしたら、こうはいきません。

タブレットを十分に使いこなせていないことを棚に上げていうのもなんだか気が引けますが、ガラス板に押しつぶされた寒々しいノッペリとした活字が、そもそも自分には馴染めなく、気が散るばかりで集中力どころの騒ぎではないのです。

それに引き換え、あの紙独特のガサゴソとしたザワメキとか、読んでいるうちにバラバラに解れてしまって収拾のつかなくなったページを順番にまとめる愛すべき面倒くささとか、紙に染み込んだインクの、郷愁に満ちた匂いや温もりなど、どれも気分を落ち着かせてくれるたまらない「ダサさ」が、とても魅力的なのです。

眼の粗い粗雑な紙の上に押し付けられた活字を写すざらついた印影の早朝の駅の売店で買う新聞は、まだインクが十分に乾いてなくて手に付着することさえあり、「やれやれ」などと独り言などを言いながらも、さらに嬉しくなります。

そうそう、朝の電車などで、如何にも図々しそうな中年の太ったサラリーマンが、混雑など一向に気にすることもなく、我が物顔で座席を1.5人分占領したりして、大きく新聞を広げて熱心に読み耽っている姿を見かけることがあります。

周囲の迷惑顔など無視して、図太い体躯を広げた新聞紙に隠しながらも、頭だけがキョトキョト動いているのが見えるその所為がなんだかたまらなく滑稽で、怒る気持よりも先に苦笑してしまうのですが、しかし、果たしてあのオッサン、本当に記事を読んでいるのかと、とても疑問に思ったりします。

あちこち首を振っているその姿を見ていると、もしかすると、ただアタマをあちこちに動かす行為自体に取り憑かれてしまっているだけなのではないかと思うことさえあります。

ペリーの吉野家ではありませんが、「あなた、そうしたいだけ!」と小一時間でも問い詰めたくなりますが、とはいえ、そういう部分に共感してしまう自分がいることもまた否定できません。

自分も含め、「こだわり」を極端に拡大すると、誰もがああなってしまうのではないかと、ふと感じるからかもしれません。

大好きな新聞紙に、こうしてせっせと傍線や丸や三角を書き込んだ満艦飾のその新聞紙を、さて大切にとっておくのかというと、そんなことは毛頭考えていません。

保存しておいて、それをドウコウしようなどという気はハナからなく、読み終った新聞紙は、すぐに四つに畳んで片っ端からさっさと新聞紙蒐集袋に放り込んでしまうので、よく考えてみれば、なんだか物凄く無駄なこと(「傍線」とか「○や△のシルシをつける」こととかね)に時間をかけているわけで、まあ、徒労も甚だしいという気もしないではありませんが、しかし、そういうことを言ってしまったら日常生活のあらゆる行為が、多かれ少なかれ、これに当て嵌まり、ですので、つまり、却ってこういうことこそが「ココロの贅沢」というものなのではないかと勝手に考えています。

ですので、自分のしていることも、あのオッサンの「首振り」と大差ないことなのかもしれないなという気がしたわけで、あえて認めたくはないものの、ワズカながらの「共感」を抱いたユエンです。

さて、先月か先々月の新聞に、立て続けにドナルド・キーンが書いた「石川啄木」(新潮社・2200円)の書評が掲載されていて、そこでほんの少し触れられていた「ローマ字日記」の部分が気になったので、その新聞をしばらく手元に置いておきました。

できれば、まずその本をじかに読んでみたかったので、さっそく週末に近所の図書館に出かけたところ、やはり、同じように考える人は結構いるみたいで、すでに貸出予約が10人もいると聞かされ、ちょっと驚いてしまいました。

当初、貸出し中なら予約するつもりでいたのですが、10人も待っていると聞いてタジロイデしまい、張り切っていた気も一気に萎えてしまいまいた。

そういう事情を分かってしまったうえで、それでも予約するのかと思うと、なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまいました。「10人の人たちが読み終わって」自分の番がくるまでの気の遠くなるような時間をじっと辛抱強く待ち続けている自分の間抜け顔がちらついて、たまらない気持ちになってしまったのだと思います。

「待ち」のあいだ中、興味やモチベーションを保つだけの気力も若さも、残念ながらすでに今の自分にはありません。

しかし、せっかく来た図書館です、このままむざむざと帰るのもなんだか癪なので、「啄木全集」の「ローマ字日記」が載っている巻(「石川啄木全集 第六巻 日記Ⅱ」筑摩書房刊)を借りることにしました、なんといっても原典に当たるに如くはありませんからね。

実を言うと、この本、以前にも借りたことがありました、ですので、この本を手にするのは、これで二度目というわけです。

帰宅して、まず、保存しておいたクダンの書評を取り出して、ふたたび読み返してみました。

重要な部分だけ少し引用すると、こんなふうに書かれています。

《名著「百代の過客」-日記にみる日本人」の著者であるキーン氏は、続編の近代篇ですでに啄木の日記の魅力にふれ、ことに「ローマ字日記」の「赤裸な自己表現」を高く評価している。なぜローマ字が選ばれたのだろうか。「妻に読ませたくない」からだと言うが、同時に啄木は自分の真実を書きたいとも思っている。書きたいが読ませたくないというこのジレンマから彼はローマ字表記という斬新な「意匠」を思いたったのではないだろうか。事実、啄木は短歌の「三行書き」のような革命的な意匠を即興で苦もなく作りだした天才であった。》

この書評について、いくつかの部分に対して、自分のごく狭い認識からひとこと言わせてもらうとすれば、

①日記をローマ字表記としたことを、「妻に読ませたくない」ためだと理由づけていますが、それはちょっと疑問です。
突然ひとり上京してしまった啄木(事実は、啄木の身勝手な「出奔」と呼ぶべき衝動的なものでした)に置き去りにされた一家の生活を支えるために、妻・節子は、函館区立宝小学校の代用教員をしたくらいの教養人ですから、ローマ字など読めないはずはありません。「ローマ字表記」には、もっと他の理由づけが必要です。

②「啄木は短歌の『三行書き』のような革命的な意匠を即興で苦もなく作りだした天才であった。」とありますが、三行書きを最初に世に出したのは、土岐善麿の「NAKIWARAI」(ローマ字三行書きの歌集)が一歩早く、啄木の「三行書き短歌」はその影響下によったものという説が有力です。

しかし、なにより、啄木を理解するために、この書評氏が無頓着・不注意にも「天才であった。」などと口走っていますが、この場合、この文脈で天才という言葉を正確に使おうというのなら、やはり、ここは括弧で括るべきだったのではないかと思います(「天才」とかね)。

啄木の生涯を知れば知るほど、自分は優れた人間=天才であるという異常な思い上がりと過剰な自負と気位の高さ(職業を選択するのに「文学」という幻想から自由になれません)が、その矜持によって、他人をあからさまに「愚か者」扱いするために、常に人間関係に軋轢を生じさせては破綻し、どの職場でも悶着をおこして喧嘩別れしなければならず、結局出て行くのは常に雇われ者の啄木の方で、その結果、常に職を転々とすることになりました。

それに加えて、啄木はこうした失敗を反省したり、以後の戒めにするなどということは一切なく、知人を介して紹介された義理ある職場でも同じような喧嘩と破綻を繰り返すばかり、なかなか定職にも落ち着けず、だから収入も不安定で、常に生活費に不自由する始末です、どう贔屓目にみても、困窮を自ら招いてしまっている啄木のあまりに身勝手な幼さの印象をどうしても拭えません。

その「自負」の極端さは、一種病的でさえあり、つきつめれば、その不遜な対人関係の底に見え隠れするものは、明らかに啄木自身の「コンプレックス」でしかありません。

文才もあり、仕事も最初のうちは積極的に手際よくこなし、評価もそれなりに伴うにもかかわらず、中学校中退という学歴のなさのために、どの会社でも地位は低く抑えられるという現実に直面すると、次第に嫌気がさしてきて(飽きっぽいという性癖も加味しなければなりませんが)、自分のような「天才」が、ただ単に学歴が低いというだけで、大学出の無能な奴らの後塵を拝さねばならないのかという理不尽さへの鬱屈と不満が啄木を苛立たせ、激昂させ、彼をひとつの職場に長く留めさせることができなかったのだと考えられます。

「新潮・日本文学小辞典」には、学歴コンプレックスについて、こう記されています。

《啄木は、美しい魂とすぐれた才能の持ち主であったが、正規の学歴を身につけなかったことは、生涯における最大の不幸であった。せっかく八年にわたる盛岡での学生生活を送りながら、最後の段階で学業を放棄して(試験における二度の不正行為で譴責を受けました)、明治社会のつくり出したエリートとしての資格を失ったことは、その全生涯を決定する痛ましいできごとであった。事実、盛岡中学校を退学してからの、彼の歩んだ道は容易なものではなかった。》

啄木の小説「雲は天才である」のタイトルが、啄木自身の命名であることを考えると、大人気ない負け惜しみみたいな憐れさが先に立って、なんだかとても複雑な気持ちにさせられますよね。


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