Quantcast
Channel: 映画収集狂
Viewing all 248 articles
Browse latest View live

迎春花

$
0
0
すこし前、2019年6月7日(金)朝刊の訃報欄にこんな記事が掲載されていました。

《岸富美子さん(きし・ふみこ=映画編集者)5月23日午前0時33分に老衰のため東京都小平市の病院で死去した、98歳だった。葬儀と告別式は近親者で済ませた。喪主は長女千蔵真理さん。女性の映画編集者の草分け的存在だった。

1920年(大正9年)中国奉天省営口生まれ。家計を助けるために15歳で京都の第一映画社に入社し編集助手となる。溝口健二「浪華悲歌」(1936)で後に女性監督の草分けとなる助監督・坂根田鶴子の下で編集助手を務め、さらに伊藤大輔といった巨匠作品を手伝った後、JOスタヂオの伊丹万作のもとでアーノルド・ファンクの日独合作映画「新しき土」(1937)に参加した。ドイツの女性編集者アリス・ルードヴィッヒに最新の編集技術を学ぶ。その後、1939年に満州(現中国東北部)に渡り、当時「甘粕正彦が君臨し、李香蘭が花開いた満映」といわれた国策映画会社・満洲映画協会に入社、編集助手として李香蘭主演の「私の鶯」など数多くの作品に関わった。

満映崩壊時、ソ連軍侵攻による玉砕覚悟の必死の籠城も経験した。

その後、中国の内戦に巻き込まれ、内田吐夢監督らと共に東北電影製片廠に残り中国共産党の映画製作に協力・従事した。中国共産党による「精簡」(人員整理)や炭鉱労働、学習会での自己批判など過酷な状況の中で出産。国民的映画「白毛女」(1950)に編集者として参加、アリス・ルードヴィッヒから学んだ編集技術を教えて多くの女性編集者を育て、新中国の映画草創期に映画製作の礎を築いた。しかし、日本人が製作に貢献したという事実は伏せられ、2005年まで「安芙梅」という中国名で記録された。戦中の国策映画で学んだ技術が戦後の新中国で花開くという皮肉にも波瀾万丈の人生は、まさに戦前戦後の激動の映画史を駆け抜けた生き証人といえた。

1953年に日本に帰国、帰国後はレットパージのためフリーランスとして主に独立プロで映画編集を手がけた。2015年(平成27年)映画技術者を顕彰する「一本のクギを讃える会」から長年の功績を表彰された。手記の「満映とわたし」(共著)は舞台化された。》


もう何年も前に見たTVのドキュメンタリー番組で、戦時中、満映で映画製作に携わっていた日本の映画人のうち、戦争が終わっても依然として中国の地にとどまり、中国映画の製作に協力した日本の映画人がいたことは知っていました。

その中に岸富美子さんの名前も入っていて、その6月7日付の社会面に載っていた訃報記事を見たとき、すぐにある程度の反応ができたのだと思います。

その記事を読んだあと「満映」をキイワードにして検索をかけたところ、たまたま満映作品「迎春花」をyou tubeで見られることを知りました。

たしか、当時の満映作品というのはことごとく失われてしまっていて、いまでは作品を見られないと聞いていたので、もう少し調べてみると、日本との提携作品とかなら見ることができると分かりました。

まず、スタッフ・キャストのデータを書いてしまうと、こんな感じです。冒頭の字幕を見ながら転記したので、判読困難な字(なにせ、どれもかなりの達筆です)は、見当で転写したので、誤記の可能性は大いにあります。


(1942満映、撮影協力・松竹)監督・佐々木康、脚本・長瀬喜伴、撮影・野村昊、森田俊保、中根正七、美術・磯部鶴雄、音楽・万城目正、録音・中村鴻一、現像・富田重太郎、平松忠一、編集・濱村義康、台詞指導・王心斎、製作担当・大辻梧郎、磯村忠治、撮影事務・安井正夫、
出演・李香蘭、近衛敏明、浦克、木暮実千代、藤野季夫、吉川満子、那威、張敏、日守新一、戴剣秋、袁敏、曹佩箴、干延江、周凋、王宇培、関操、三和佐智子、路政霖、江雲逵、宮紀久子、下田光子、瀧見すが子、
1942.03.21 9巻 74分 白黒


なるほど、なるほど。

この作品「迎春花」も「撮影協力・松竹」だったので現在でも見ることができるというわけですね。

まだ初々しい木暮実千代(「お嬢様」ふうの我儘っぽい持ち味は最初からだったことがこれでよく分かりました)や、小津作品でおなじみの吉川満子とか、黒澤作品「生きる」で鮮烈な印象のある日守新一の顔も見ることができます、そのほかにも日本名の俳優さんたちがかなり出演している作品です。

タイトルの「迎春花」は、中国旧正月(2月)に咲く「黄梅」のこと、ストーリーも「春を待つ感じ」の冬の奉天(瀋陽)が舞台です。

ある日、日本の建築会社奉天支社に支店長の甥・村川武雄(近衛敏明)が東京から赴任してきます。支店長の娘・八重(木暮実千代)はひそかに彼に想いを寄せているという設定ですが、見た感じ「ひそか」というには、いささか御幣があります。まあ、「もし相手が言い寄ってきたら、そのときは受けてあげてもいいわ」くらいの感じなので、武雄に対する関心度は傍からもあからさまですが、彼女には気高いプライドもあり、あくまでも優位に立ちたいペンディング状態なので、なんらの意思表示や働きかけができないでいるという描かれ方です。

しかし、武雄は、同じ事務所で通訳を務める中国人事務員・白麗(李香蘭)に惹かれていますが、決定的な意思表示をするまでには至りません。彼がなにに躊躇しているのか、とくにその理由の説明もありませんし、中国人の白麗もまた、日本人の八重に気兼ねして武雄との付き合い方の距離を測りかねてはいるものの、激しく拒絶するということはなく、親密そうに歌を歌ったりする場面もあるところを見ると、もしかしたら白麗は、武雄に対してなんらかの「可能性(未練)」を残そうとしているのではないかとも考えたものの、ほかに説明がないというのは、武雄や八重のときの描かれ方と同質の、この映画自体の「煮え切らなさ」に通じてしまうようなものを感じました。

ただし、唯一、武雄がはっきりとした意思をもって「言明する」という場面がありました。

武雄は八重に「白麗は、日本人であるあんたに遠慮してホッケーの試合にでないといっているぞ、彼女にそんなことを思わせることをどう思うのだ」と激しく問い詰めています、日頃は「昼あんどん」みたいな温厚な男(しかも、好意さえ寄せていました)から、そんなふうに言われたら、そりぁ相当なショックだと思います、彼の口から白麗をかばい自分を非難する一方的な言葉を浴びせかけられたわけですから、彼女のダメージは相当なものがあったと思います。

会社の命令で、武雄のハルビン出張に通訳として同行するよう指示されたとき、白麗は、彼らのこじれた関係を取り持とうと八重にも同行を誘いますが、結局、どこまでも煮えきらない武雄の態度に苛立ちを募らせて八重は東京へ戻ってしまいます。そして、これを契機に白麗も北京へ去り、武雄は奉天にひとり帰り、仕事の合間に近所の中国人の子供たちを集めて剣道を教える元の生活に戻ります。

このラストの全員離別の急展開に「なんだ、こりゃ」と、思わず呆れ声をあげた人の感想を読んだことがありましたが、自分としては、物語の収束の性急さを除けば、こういう終わり方もアリかなとは思います。八重の気持ちも白麗の気持ちも、そして、武雄の優柔不断さは、十分に理解の範囲内にあります。

ただ、気に掛かるのは、登場人物のそれぞれが抱え持っているあの「煮え切らなさ」でした。

ここまで、書き進んできて、そうそう、あることを思い出しました。

確かあのドキュメンタリー番組を見たときも、いまと同じように「満映」に興味をもって、自分のブログでも取り上げようかとあれこれ調べてみましたが、資料があまりにも少なすぎて、手掛かりというか、これだという取っ掛かりがどうしてもつかめずに、結果的には平凡な報告みたいなものしか書けなかったのだと記憶しています。

たぶん、どうにかこうにか書きあげたものの、文章にしたものは、番組の内容紹介のようなものにすぎず、自分としては不本意なかたちで終わったという感じでした。

そもそもなにが頓挫した原因だったのかといえば、その理由ははっきりしています。

戦争が終わったというのに、日本の映画人(のなかの幾人か)がなぜ中国にとどまり中国の映画づくりに協力したのか、不可解というよりも、なんだか割り切れない「奇妙」な乖離感のようなものを感じたからだと思います。

彼らが中国から協力を要請されとして、その実体は、「半分暴力的にとどまることを強いられたのではないか」という思いから、「日本人の側から祖国への帰還を先送りしてまで、あくまで善意で中国の地にとどまって映画作りに援助する途を選んだのか」まで、その辺の事情をはっきりと知りたかったのだと思います。

もし、前者の場合(強制留置)なら、そりゃあ、戦勝国ソ連の「捕虜を抑留して酷寒の地に追いやり奴隷のように死ぬほど強制的に酷使した」という例もあるくらいですから、中国にだって、たぶんそいうことなら大いにあり得るだろうなと、かえって納得できる部分はあります、もし、前者ならね。

しかし、仮に後者の場合(善意の協力)だとすると、実に「奇妙」な思いに囚われざるを得ません。

戦時中にあっては、当時の日本の映画批評家たちの「満映」作品を論難する痛烈にして冷淡な反応のその語調だけ見ても、満映作品の稚拙さ・劣悪さは、おおかたの察しがつく冷やかなものばかりです。「論ずるにさえ値しない」という、もはや門前払いの印象です。
例えば、1939年製作の満洲映画協会作品に『知心曲』という作品があります、監督は高原富士郎、解説によるとこの作品を撮る以前は文化映画を撮っていた人とかで、これが最初の劇映画だとありました、「トォキィ技巧概論」1935という著作もあると書き添えてありましたが、「日本映画監督全集」(キネ旬1976)には残念ながらその名を見つけ出すことはできませんでした。

映画についての著作もあるくらいですから、ズブの「素人」ではなかったでしょうが、劇映画には経験の浅かったこういう人でも、当初のころの「満映」では、国策と「中国人慰撫」の緊急の必要から、たとえ経験がどうあれ、意欲さえあれば、どんどん採用していったことがこれだけで推察できます。

この映画『知心曲』をハルビンの映画館で見た岩崎昶は、まずは「失望した」と書き残しています、これが満映の傑作では困る、と。上映した館の中国人の支配人もこの作品には大層不満で、こんな感想を彼に話しました。

「満映の映画は、上海映画に比べて、既に半分の価値しかない。そのうえ、その演出にはなんのリアリティも感じられない。スクリーンに展開されるアクションや会話について、そもそも満人はあのような場合にあのようには言わない、あの身振りや心理の動きは、まさに日本人のものであって中国人としては不自然なものだ」と。

岩崎はその中国人の率直な感想を聞いていちいち納得し、いまさらのように満映の仕事の容易ならざる困難を痛感します。

日本からどんなに優れたプロデューサーや映画人が来ても、中国人の生活や生の言葉をまるで理解しないところで、はたしてこれ以上の仕事ができるだろうか。誰もが、満州の映画がこのままでいいと思っているはずはない、岩崎は、そこにこそ満映の製作首脳部の苦悩があると指摘します、どんなに優れた芸術家でも、その国の民衆の生活様式や心理や感情を知ることなしに「芸術」として民衆の生態を表現することは不可能だと。そう分かってはいるものの、どうにもできないでいる現地の状況というものを述懐しています。

読んでみると、いささか腰が引けた遠慮がちな岩崎の、牙を抜かれた不甲斐ない述懐ですが、ときは戦時下、意のある部分を汲み取って真意の片鱗だけはどうにか理解できるような気がします。

しかし、なにもこうした思いは日本人だけのものではなく、中国人もまた、異国からの支配者・侵略者が、政策として強権をもって押さえにかかってくる象徴として、どこの国のことを描いているのやら分からない「奇妙な映画」(かつての日本映画を片っ端から焼き直したわけですからそれは当然で、無国籍映画と表現しています)を見ることを強いられ、内心では屈辱感と敵意と苦々しい怒りを秘めながら、ウワベは従順を装って微笑を浮かべているという、植民地における被支配者・中国人にとっての「嘘とたてまえ」の象徴として「映画」があったのだと思います。

こうした知識人の賢しらな「だから満映作品はダメなんだ」という迷いに対して、例えば今日出海は、「支配の論理」をむき出しにして、こう一石を投じています。

「文化などまるでない所、そもそも町の姿もろくに無かった所に町を建設し、文化を樹立しようとしてゐるのだ。内地から機構設備や工人をもたらして、内地並みの写真を作ろうと心がけて成功するとも思われない。五民族が、あるいは以上の民族がひとつの国家を作ろうというのに、文化のほうが先にできたなどというとんでもない話があるだろうか。(中略)一朝に建国の実が揚がったとは誰も思うまいが、個々のことになると進歩がない、それをもって文化が低いと断じるとは、どうしたことか。一朝にして成った文化など一体どんなものか、想像すらできぬではないか。(中略)思想が形象化する過程は複雑を極めている。映画は技術だという世迷言は撮影所人種の泣き言にすぎぬ。ぼくは監督たちにも会った。(中略)彼らは傑作を出さぬかも知れぬ。しかし要は傑作ではなく、こうした誠実が文化を支持する柱石であり、文化を育む温床であるということだ。」

支配する側と支配される側とのあいだで、決して埋めることの出来ない溝と亀裂のうえで、互いに本音を隠し虚偽と架空のタテマエで成り立っている「映画」でしかないことを誰もが内心では薄々気がついているのに、それでも、終戦後、日本の映画人たちが「祖国への帰還を先送りしてまで、あくまで善意で中国の地にとどまり中国の映画作りに協力する」なんてことが、あり得るだろうかというのが、自分の素直な疑問でした。

中国人にしたって、満映作品に対して「いい気なものだ」とひそかに冷笑していたに違いない彼らがその怒りの乖離を清算して、日本人の「協力」を受け入れたものとはなんだったのか、いろいろな資料を読んでいく過程で、こんなふうに考えてみました。

満映作品に対して「いい気なものだ」と感じるのは、それは、あくまで抑圧されていた中国人の、あくまで鑑賞者としての態度であって、映画を作る側に現場で身を置いていた中国映画人たち、まだまだ技術的には未熟で、日本人から技術を学び習得しなければならなかった中国人たちにとっては、違った考えを持っていたのかもしれないと。それこそ「タテマエ」と「本音」です。

いままで読んできたものは、植民地にあって、支配する側とされる側のどちら側から見るかという二極的な論点ばかりで、「満映作品」を自立した映画作品として見ようという立場からは、程遠い論議のように感じます。

関東軍がどうの、満州建国や甘粕正彦がどうのというところから語り始められた歴史の本や、大局的なところから論じた戦争史なら、それこそ嫌というほど存在しているのに、当の満映で作られた作品そのものについて言及した資料がほとんどなく、例えば、どういう作品が作られたのか、具体的・逐事的に列挙したような資料が手にすることができなかったからだと思います。

しかも、そのなかでも手にすることのできた限られた資料から読み取れるものといえば、どれもがふたつに引き裂かれているような矛盾と乖離に満ちたものばかりだったということもあります。

日本の植民地支配・管理者にとっての「満映」で作られた作品は、単に、中国人を日本人化しようという目的で作られたふたつの顔(強圧と慰撫)を持っていたものであることが分かります。当時、上海で中国人が撮っていた抗日映画に包囲されている状況下において、対内的にも対外的にも日本の当局者が植民地支配を正当化し対抗するための「宣伝」がどうしても必要とされて、そのひとつが「映画」だったにすぎず、内容的には、中国人への「日本教育」とか「飼い馴らし」にあったのであって、作品の質なんかは二の次、実際、日本の当時の批評家が、この「植民地映画」をまともに論じた(難詰した)ものも幾つかあって、ぼくたちはその惨憺たる評文を孫引きによって読むことができます。

日本国内にあって批評家たちに「満州映画」が箸にも棒にも掛からない愚作だと酷評されていたときに、はたして満映の撮影現場にあっても、意気消沈したり反省したり、みずからの無能さに失望したり自己嫌悪におちいったかどうか、

佐藤忠男の「キネマと砲聲」(岩波現代文庫)という本を読み始めたときに痛感したことがありました。

副題に「日中映画前史」とあるこの本は、満映を調べているいまの自分の調査にはまさに打って付けの本だと、飛びつきました。

自分は、中学のときに教えられた通り、新たな本を読む場合は、最初に「まえがき」を読み、「目次」を眺め、「あとがき」に眼を通してから、おもむろに本文を読み始めるというプロセスをずっと堅持・励行しているのですが、まあ、この本に「まえがき」(著者の執筆意図を知るうえでの早道とかつて教えられました)こそありませんでしたが、「目次」を見ると、書かれているのは、おもに中国映画全般にわたっていて(当然です)、「満映」について書かれている部分といえば、「7、『満州』に日本が夢の工場を作る」と「14、満映が活動する」のふたつの章でした。なるほど、なるほど。

そして、巻末の「著者ノート」には、衝撃的に一文がありました。
「私はこの本を、日中友好のために書いたのであって、現在の中国映画界に無用の波風を立てるために書いたのではない。何人かの中国の友人から、この点について憂慮に充ちた忠告を受けたが、この本を読んでいただければ私の真意は理解していただけると思う。日本の占領下に生きた中国映画人の苦難と苦悩の責任はすべて日本側にある。この本はその日本側において可能な限り中国に友情を保とうとした何人かの日本の映画人の存在を強調したが、だからといって日本人の全体の責任を軽減しようとはまったく思っていない。」

この文章には、映画「迎春花」に感じた「煮え切らなさ」と同質のものが脈々と受け継がれているような気がしました。





●満洲映画協会 全仕事

【1938年(昭和13年)】
★『壮志濁天』(1938満洲映画協会)原作・脚色・監督・坪井與、脚本・仲賢礼、撮影・大森伊八、
出演・王福春、鄭暁君、劉恩甲、張敏、戴剣秋、
匪賊に襲われ、肉親や親友を失った村の青年・劉得功は、匪賊首の馬徳堂を討つために満州国軍に入ることを決意する。恋人の瑞坤は得功を励ましたが、年老いた母や叔父は反対していた。しかし、吉林の第二軍管区に入隊した得功は、やがて伍長に昇進した。そしてある年の匪賊討伐でついに馬徳堂を倒した。得功も深い傷を受けたが、国防婦人会の看護を受けて間もなく治癒した。やがて除隊となって村へ帰ると、村人全員が彼を英雄として迎えた。
この作品は、仮スタジオ完成前のために新京郊外と吉林でのオールロケでほとんど作られた。元マキノ映画の撮影の大森伊八(元P・C・L)のほかは、監督の坪井與(元満州日報社記者)も含めてほとんど素人ばかりで、出演者も近藤伊與吉の特訓を受けた新たに募集したニューフェイスばかりだった。脚本を書いた仲賢礼は、政府の弘報処の役人で映画も満州国軍が活躍する軍の宣伝臭の強い作品になった。この作品は、劇場公開されず、縦貫映画に使われただけなので試作品というところ。嵐寛プロで山中貞雄と仕事(戸波長八郎、磯の源太・抱寝の長脇差)をしたカメラマンの藤井春美は、後輩吉田貞次に「あんなもの、映画のテイをなしておらん」と一蹴し、一度は渡満の要請を蹴ったものの、のちに吉田とともに満映に入社する。

★『明星的誕生』(1938満洲映画協会)原作・脚色・監督・松本光庸、撮影・竹内光雄、照明・松田藤太郎、
出演・何奇人、張敏、孟虹、曹佩箴、高翮、
田舎の青年男女が映画俳優に憧れ、都会に出て首尾よく俳優になることができた。その俳優生活は想像していたようなものではなく、明朗健全なもので彼らのその生活ぶりが展開されていく。坪井與とともに、満映に入社した松本光庸の作品で、彼はそれまで、満日新聞記者として映画評論を書いていた。

★『七功図』(1938満洲映画協会)監督・矢原礼三郎、原作・脚色・裕振民、撮影・杉浦要、
出演・高翮、季燕芬、孫李星、王宇培、劉恩甲、
孫仁の経営する選択屋で働く李意は、その店の娘小茹をひそかな思慕を抱いていた。孫仁は、失業している青年建築家の趙吉、そしてその友人の銭祥に家を貸していた。二人は家賃を払えずに困っているが、小茹は趙吉に同情していた。小茹は趙吉から、李意が自分の事を熱愛していることを聞かされた。

★『満里尋母』(1938満洲映画協会)原作・脚色・監督・坪井與、撮影・大森伊八、
出演・葉苓、郭紹儀、王丹、戴剣秋、
か弱い少年が、母を訪ねて、ただひとりの老人の庇護を頼りに流浪の旅を続け、ついに母にめぐり会う。ヴィクトル・マローの小説「家なき児」を坪井與が脚色し、主演の少年役には女優の葉苓が扮した。娯楽作品として主題歌が挿入され、レコードも吹き込まれた。

★『知心曲』(1939満洲映画協会)監督・高原富士郎、脚本・重松周、撮影・杉浦要、録音・井口博、
出演・杜撰、李鶴、季燕芬、劉恩甲、王宇培、
不良の趙国傑は、ダンスホールで働く恋人の梅麗に、まともな生活をするように説得され、これからは改心してまともになると心に誓った。国傑はある日、子供を轢いて逃げる自動車を目撃した。その自動車を張氏の家まで追うと、その正義心を張氏に惚れ込まれて彼の息子の家庭教師となった。その息子がギャングにさらわれる事件が起こったが、国傑と警官の活躍で解決した。負傷した国傑を看護するのは、国傑に思いを寄せる張氏の令嬢。貧しい花束を抱いて見舞いに来た梅麗は、国傑の将来を思い、身を引こうとした。しかし、国傑は、梅麗のアパートに帰ってきた。
それまで文化映画を撮っていた高原富士郎の始めての劇映画で、著書には「トォキィ技巧概論」1935がある。この映画をハルピンの映画館で見た岩崎昶は失望したと書いている、これが満映の傑作では困る、と。上映した館の支配人も大層不満で、彼からこんな感想を聞く。「満映の映画は、上海映画に比べて既に半分の価値しかない。そのうえ、その演出において何のリアリティも感じられない。スクリーンに展開されるアクションや会話について、そもそも満人はあのやうな場合にあのやうには言わない、あの身振りや心理の動きは、まったく日本的で不自然である」と個々に注釈をつけて不満をもらした。ぼくはそれを聞いていちいち頷ながら、いまさらのように満映の仕事の容易ならぬ難しさを思い知ったのだった。いまのところ、日本からどんなに優れたプロデューサーや芸術家が出かけていったとしても、すぐにこれ以上の仕事はできないに相違ない。しかも、満州の映画がこれであってはいけないこともはっきり分かっているのである。そこに満映の製作首脳部の苦悩がある。どんな国民でも、その生活様式や心理や感情の隅々までを知らずに、これを芸術に表現することは不可能である」
だから満映作品はダメだというこの風評に、今日出海は一石を投じます。
「文化などまるでない所、そもそも町の姿もろくに無かった所に町を建設し、文化を樹立しようとしてゐるのだ。内地から機構設備や工人をもたらして、内地並みの写真を作ろうと心がけて成功するとも思われない。五民族が、あるいは以上の民族がひとつの国家を作ろうというのに、文化のほうが先にできたなどというとんでもない話があるだろうか。(中略)一朝に建国の実が揚がったとは誰も思うまいが、個々のことになると進歩がない、それをもって文化が低いと断じるとは、どうしたことか。一朝にして成った文化など一体どんなものか、想像すらできぬではないか。(中略)思想が形象化する過程は複雑を極めている。映画は技術だという世迷言は撮影所人種の泣き言にすぎぬ。ぼくは監督たちにも会った。(中略)彼らは傑作を出さぬかも知れぬ。しかし要は傑作ではなく、こうした誠実が文化を支持する柱石であり、文化を育む温床であるということだ。」

★『大陸長虹』(1938満洲映画協会)原作・脚色・監督・上砂泰蔵、監督助手・周暁波、撮影・玉置信行、
出演・玉福春、杜撰、鄭暁君、季燕芬、
積鴻は不良の仲間に入り、警察署に留置されたりするので、妹の秀娟はいつも心配していた。積鴻は家に帰った晩、金を持ち出そうとしてあやまってランプの火から火事を起してしまう。秀娟は許婚の李慶恩に救われたものの、慶恩は悪徳警官の策略で放火犯として連行されてしまう。そこに満州建国となった。秀娟は賄賂の金を持って警察へ行ったところ、新国家の警官は正しい者の味方で賄賂など受け取らないと説諭された。慶恩も釈放され、みずからも警官になることを望み、新京の警察官訓練所に入った。妻となった秀娟を連れて、警官となった慶恩は、田舎町に赴任した。渡し舟で子供が溺れたのを慶恩が助けたことから、架橋問題が持ち上がった。やがて橋ができ、町の人々と慶恩夫婦の喜びは大きかった。
監督の上砂泰蔵は、同志社大から新興キネマに入り溝口健二、村田実、内田吐夢の助手を務め、「敵艦見ゆ」1934などを撮ったのち満映に入社した。

【1939年(昭和14年)】
★『蜜月快車』(1939満洲映画協会)監督・上野真嗣、原作・脚色・重松周、撮影・池田専太郎、録音・井口博、
出演・李香蘭、杜寒星、張敏、周凋、戴剣秋、馬旭儀、
子明と淑琴は列車に乗って新京から北京への新婚旅行に出発する。奉天で寝台車に乗り換えたところ、向かいのベッドの男は泥棒で、淑琴のトランクが盗まれてしまう。しかし、泥棒がベッドから転げ落ちてひと騒動おきる。子明と淑琴のあいだでも早くも痴話喧嘩がはじまる。列車が錦県駅に入ると、情婦を連れて北京に向かおうとしていた実業家の孫氏が、ヒステリーの夫人に見つかりひと悶着おきる。さまざまなトラブルを巻き起こして列車は北京へと走り続ける。北京に着いて、ふたりはようやく幸せになる。
李香蘭のデビュー作。大谷俊夫監督「のぞかれた花嫁」(日活多摩川作品)の翻案作品である。日本のB級映画を片っ端から換骨奪胎し満映映画を作った。質より量の、いわば大量生産体制の確立を象徴する一本である。監督の上野真嗣は上砂泰蔵とともに1937年満映に入社した。淑琴を演じた李香蘭は「デビュー作の辛かったこと、恥ずかしかったことは今でも忘れられない」と、自伝に記した。以後、5本立て続けに出演し、李香蘭は人気と名声を高める。そして昭和14年、東宝と提携した渡辺邦男監督「白蘭の歌」「熱砂の誓ひ」が、日本で公開された結果、満映の李香蘭の名は爆発的に高まった。しかし、このことによって、皮肉にも李香蘭は、あくまでも「中国人」でいなければならなかった。彼女の苦悩はここから始まった。

★『田園春光』(1939満洲映画協会)監督・高原富士郎、原作・脚色・山川博、撮影・杉浦要、
出演・李鶴、杜撰、張敏、崔徳厚、
満州の都市と田舎とが背景となり、若い男女の恋がついに田園に実を結び、地方農業の開発に力を注ぐ、満州の農村建設を謳った国策的恋愛映画。

★『國法無私』(1939満洲映画協会)監督・水ケ江龍一、原作・脚色・楊正仁、撮影・池田専太郎、
出演・郭紹儀、李明、薜海樑、張敏、
法と愛情の岐路に立たされた検察官が、法のために全ての至上をなげうつ。満州国における法の神聖さを謳った水ケ江龍一の入社第一回作品。日活映画「検事とその妹」の翻案である。

★『国境之花』(1939満洲映画協会)監督・水ケ江龍一、原作・脚色・楊正仁、撮影・藤井春美、
出演・隋尹輔、王麗君、王福春、徐聡、
青年アルタンの父母はソ連外蒙軍にスパイ容疑で射殺され、アルタンは叔父に連れられて内蒙で成長した。やがてアルタンは軍学校に入り、卒業すると見習い士官となって帰郷した。アルタンが思いを寄せている西宝が、アルタンの配属されている守備隊を訪ねた。その帰り、西宝は連行されソ連兵に守備隊に関してのことを尋問される。なにも答えない西宝は夜中に密書を奪って逃走した。その密書により某事件の企みが判明する。日本軍はその先手を打って勝利を収めることができた。アルタンも戦闘中に傷を負ったが、西宝が看病した。

★『富貴春夢』(1939満洲映画協会)監督山内英三・上野真嗣・鈴木重吉
〈プロローグ〉監督・鈴木重吉、脚本・荒牧芳郎、
〈第一話〉監督・山内英三、脚本・図斉与一、
〈第二話〉監督・上野真嗣、脚本・津田不二夫、
〈第三話〉監督・上野真嗣、脚本・長谷川清、
〈第四話〉監督・上野真嗣、脚本・木村能行、
〈第五話〉監督・上野真嗣、脚本・荒牧芳郎、
〈エピローグ〉監督・鈴木重吉、脚本・荒牧芳郎、撮影・藤井春美、
出演・李香蘭、杜撰、張敏、戴剣秋、
百万円という大金を手にした人々のさまざまな物語。第一話は、罪を犯した子と逞しい母親の愛情との双曲線。第二話は、いつも怒鳴られてばかりいる小僧が手にした百万円。第三話は、帝政時代をしのぶイワン将軍の儚い夢。第四話は、豪華な料理よりは焼き芋が大好物の大王少年。第五話は、百万円は手にしたが、その代わりに恋を失う・・・彼方の空中楼閣で、金の神と貧乏の神とが、それらの人々の姿を眺めては人間を幸福にするものはいったい何なのか、首をひねっている。

★『冤魂復仇』(1939満洲映画協会)監督・大谷俊夫、原作・脚色・高柳春雄、撮影・大森伊八、
出演・張書達、劉恩甲、李香蘭、周凋、
満映最初のお化け映画で勧善懲悪の意思を持つお化けが活躍する。佐藤忠男は「キネマと砲聲」で、当時の野口久光の「満映作品に望む」を紹介している。「ここにはアメリカ製喜劇の型をそのままに、李香蘭をヒロインに、張書達、劉恩甲をコメディアンに見立てた仕草をやらしている。ピンからキリまで、てんでアメリカ映画の模倣なのだ。ローレル、ハーディの二巻物の同じ単純な構成、いや全然これは二巻物の台本である。その二巻物の台本を九巻に撮ってしまったのだからたまらない。これが映画に訓練されていない満人大衆に理解させるための映画手法というなら、もう何も言う言葉はない。・・・日本は将来の満州国の幸福を約束しなければならないと同様、満州映画の芸術発展を全責任を持って当たらなければならない」(キネ旬「日本映画監督全集」の「大谷俊夫」項中、岸松雄の記述からの孫引き)


★『慈母涙』(1939満洲映画協会)監督・水ケ江龍一、原作・脚色・荒牧芳郎、撮影・藤井春美、
出演・李明、張敏、李鶴、杜撰、崔徳厚、王宇培、周凋、趙玉佩、
美貌の歌手・李麗淬は、資産家の息子・曹鳳閣との子・兆鵬を産む。しかし、鳳閣は、麗淬との結婚を両親が許さない。そして鳳閣は曹愛茄と結婚させられてしまう。麗淬は、乳飲み子を抱えて吉林の友人を訪ねるが友人は既に転居していた。行く当てもなく吹雪の中をさまよったあげく倒れていた麗淬母子は成財夫婦に助けられる。わが子を成財夫婦に預け、麗淬は、奉天に働きに出る。八年たっても子宝に恵まれない鳳閣は、成財夫婦を騙して兆鵬を連れ去る。事情を聞いた麗淬は兆鵬を取り戻すが、しかし、兆鵬は成財夫婦になついており、麗淬にはなつこうとしない。麗淬は兆鵬の幸福を祈りながら、ふたたび北満へと働きに出てゆく。本作品は曽根純三監督「母三人」(新興キネマ)の翻案作品である。

★『真仮姉妹』(1939満洲映画協会)監督・高原富士郎、脚色・長谷川清、撮影・島津為三郎、音楽・長沼精一、
出演・李明、鄭暁君、王宇培、杜撰、張敏、徐聡、季燕芬、
吉林の片田舎、郁芬と郁芳の姉妹は年老いた母の手一つで育てられた。その母は、臨終の床で姉の郁芬に遺言書を渡し、それを妹に見せるように言い残して息絶えた。郁芬がその遺言書を盗み読むと、そこには妹がある大金持ちの娘で、郁芬の母はその乳母であることが記されていた。郁芬は遺言書を破り捨てると、ある日、母の告白により自分は金持ちの娘であることが分かったと妹に語る。姉の言葉を信じた妹の郁芳は、姉の留守にふと目にした新聞の尋ね人が姉のことと知り、その広告主に手紙を出す。やがて姉は周佑臣に引き取られ、そして佑臣の甥の李家璧と婚約する。しかし、かつての恋人の王琦が現れて郁芬に結婚を迫る。相手にされなかった王琦は、嵐の夜に郁芬を殺し、自らも命を絶った。死の間際、息も絶え絶えの郁芬は、皆に真実を話すと息を引き取った。

★『煙鬼』(1939満洲映画協会)監督・水ケ江龍一、原作・坂田昇、脚色・中村能行、撮影・藤井春美、
出演・周凋、李顕廷、馬旭儀、季燕芬、張翊、徐聡
銀行員をしている依健章の娘小菊は周家に嫁ぐ。しかし、周家は阿片屋の王某に借金があり、父の健章は、そのために不当貸付をし、自らも阿片屋へと入っていく。小菊は虐待から逃れるために家出をし、戒煙所に勤める。健章の息子・萬年は警官だが、父の不始末に耐え切れず辞表を出す。しかし、所長に諭されて思いとどまる。健章は、王某から逃れることができずに、ケシ畑の管理をさせられている。やがて萬年の所属する警官隊がここを襲い、健章は死ぬ。萬年は父の死を悲しみながらも、阿片の害悪と闘う決意を新たにする。題名の「煙鬼」とは阿片患者のこと。満州の阿片断禁政策を強調するための吉林省からの委嘱作品で公募脚本を助監督・古賀正二が手を加えた。

★『東遊記』(1939満洲映画協会・製作提携・東宝映画)監督・大谷俊夫、原作・脚色・高柳春雄、撮影・大森伊八、
出演・劉恩甲、李香蘭、霧立のぼる、原節子、高峰秀子、藤原釜足、沢村貞子、小島洋々、
満州の片田舎に住む陳と宋は、東京で華やかな生活を送っている友人・王からの手紙に心躍らされ東京へ行く決心をする。東京へ着くとサンドイッチマンの仕事をしながら友人・王を探す。やがてあたりの仕事が認められて化粧品会社の宣伝の仕事につき、美人タイピストの麗琴が通訳として付けられる。その後、二人は昭和映画の俳優となり、ある日、満州料理店で王と出会う。通訳の麗琴は王の妻の姉であり、しかも日本人の愛人がいることが分かった。その麗琴の結婚を機に、二人はふたたび満州へ帰って働くことを決意した。満州国民に日本を紹介する目的で、当方の協力の下に作られた。日本公開は1940年。
東遊記 1939満映系 李香蘭

★『鐡血慧心』美しき犠牲(1939満洲映画協会)監督・山内英三、脚本・高柳春雄、撮影・杉浦要、
出演・李香蘭、趙愛蘋、姚鷺、劉恩甲、杜撰、隋尹輔、李顕廷、
密輸業者を討伐する警士の献身的な活躍を描く。1941年「美しき犠牲」の題名(日本映画貿易株式会社提供)で日本でも公開された。山口猛の「幻のキネマ・満映-甘粕正彦と活動屋群像-」(平凡社)19頁には、日本公開時のポスター(大写しの李香蘭)を掲載していて、その本文の解説では中国における「満映」の微妙な立場に言及している。
《戦前のプロキノ運動の中心的メンバーであり、満州の製作に関係して、戦後もジャーナリストとして活躍した北川鉄夫(当時は西村隆三と名乗っていた)は、はっきりと言い切っている。「『満映』は日本の映画史における恥部である」と。一方この満映作品については、今日見ることができないこともあり、評価をすることは難しい。ただ、当時の一般的な作品評価はきわめて低く、「映画旬報」でも、酷評に近いものが多い。たとえば「鐡血慧心」にしても、「映画旬報」(昭和16.10.21号)では、「すぐれた映画を紹介するのが輸入業者の公徳心ならこの作品は輸入しない方がいい」、さらには「この映画の内容は粗悪」とまで評されている。ならば、満映は芸術性とは無縁だったのかといえば、これには、はっきり「否」と答えることができる。・・・いわば、満映の芸術的価値は、その時点で結実しなくとも、未来ということでは、大きな貢献をしたのである。国内的には、内田吐夢、加藤泰から吉田貞次、坪井誠といった、日本を代表するまでになる多くの監督、技術者を生み出したことを見れば十分だろう。のみならず、中国に対してでも、その後の中国映画に旧満映の人々が及ぼした影響は大きなものがある。すでに、彼(亡くなる一年程前の八木保太郎)には、かつての豪傑の面影はなく死因の直接的な箇所である足がかなり痛そうで、話すのも辛そうだった。それでも、満映について、彼は悲痛にこう叫んだ。「あそこの写真は違うんだ!」日本人が関わりながら、中国人のための映画制作をしている奇妙さ。できあがった国籍不明の混血児とも言うべき作品。ここで、彼は筆を取ることなく、製作事務に励んでいた。だが、八木は、思想では正反対であるはずの甘粕の信奉者であることを隠そうともしなかった。不思議なことに立場として正反対にいる人も、八木同様、ほとんど例外なく、この甘粕正彦に対して親近感を示す。「満映は恥」とする北川鉄夫でさえ、甘粕が魅力的であることを否定しないどころか、「人物の大きさは首相級」と、人間的魅力を、むしろ誰よりもよく語っているほどである。こうした矛盾。それは満映という国策映画会社のもつ本質ではなかったのだろうか。満州という侵略国家の中の文化的象徴としての満映、橋頭堡としての満映が、片や中国人の映画を育て、密接な人間関係が成立してしまった。満映には、そうした矛盾が、至るところに渦巻いていたのである。右翼や軍人に対してはもちろん、左翼の人々に対しても、驚くほど深い洞察力を持っていた甘粕正彦に、それは凝縮していたかもしれない。》
鉄血慧心 1939満映系 李香蘭

★『白蘭の歌 前篇』製作・森田信義、演出・渡辺邦男、製作主任・斎藤久、脚色・木村千依男、原作・久米正雄、撮影・友成達雄、音楽・服部正、演奏・P.C.L.管弦楽団、主題歌・「白蘭の歌」(詞・サトウ・ハチロー、曲・竹内信幸、歌・伊藤久男、二葉あき子)、「いとしあの星」(詞・久米正雄、曲・服部良一、歌・渡辺はま子)、装置・北猛夫、録音・鈴木勇、照明・岸田九一郎、編集・岩下広一、満語監修・首藤弘、製作=東宝映画(東京撮影所)1939.11.30 日本劇場 2,128m 78分 35mm 白黒
出演・長谷川一夫(松村康吉)、斎藤英雄(次弟 徳雄)、中村英雄(末弟 克之)、中村健峰(三人の父)、山根千世子(三人の母)、山根寿子(松村京子)、霧立のぼる(松村杏子)、悦ちゃん(悦子)、清川虹子(芸者歌丸)、高堂国典(建設局長 八丁)、小杉義男(康吉の親友 秋山三郎)、御橋公(康吉の叔父)、江波和子(その娘)、榊田敬治(移民村団長)、谷三平(移民村の隣人 世話役安田)、加藤欣子(その女房)、原文雄(測量隊長 大森)、大杉晋(隊員 鈴木)、手塚勝巳(隊員 三浦)、李香蘭(李雪香)、王宇培(雪香の父 李苑東)、崔徳厚(李苑東の義弟 程応棋)、徐聡(その息子 程資文)、趙書琴(下婢)、芦芸庭(趙祐臣)、李林(苦力場)、張翊(山荘の下男)、薫波(密偵)、宋来(敗残兵A)、当波(敗残兵B)、華愚(敗残兵C)、進藤英太郎(義勇軍訓練所長 後藤)、小島洋々(満鉄総裁)、生方賢一郎(副総裁)、藤田進(満鉄理事)、藤輪欣治(満鉄理事)、柏原徹(満鉄理事)、江藤勇(運輸局長)、伊藤洋(文書課長)、横山運平(下男)、三條利喜江(カフェーのマダム)、
★『白蘭の歌 後篇』
製作・森田信義、演出・渡辺邦男、製作主任・斎藤久、脚色・木村千依男、原作・久米正雄、撮影・友成達雄、音楽・服部正、演奏・P.C.L.管弦楽団、主題歌・「白蘭の歌」(詞・サトウ・ハチロー、曲・竹内信幸、歌・伊藤久男、二葉あき子)、「いとしあの星」(詞・久米正雄、曲・服部良一、歌・渡辺はま子)、装置・北猛夫、録音・鈴木勇、照明・岸田九一郎、編集・岩下広一、満語監修・首藤弘、製作=東宝映画(東京撮影所)1939.11.30 日本劇場 1,812m 66分 35mm 白黒
出演・長谷川一夫(松村康吉)、斎藤英雄(次弟 徳雄)、中村英雄(末弟 克之)、中村健峰(三人の父)、山根千世子(三人の母)、山根寿子(松村京子)、霧立のぼる(松村杏子)、悦ちゃん(悦子)、清川虹子(芸者歌丸)、高堂国典(建設局長 八丁)、小杉義男(康吉の親友 秋山三郎)、御橋公(康吉の叔父)、江波和子(その娘)、榊田敬治(移民村団長)、谷三平(移民村の隣人 世話役安田)、加藤欣子(その女房)、原文雄(測量隊長 大森)、大杉晋(隊員 鈴木)、手塚勝巳(隊員 三浦)、李香蘭(李雪香)、王宇培(雪香の父 李苑東)、崔徳厚(李苑東の義弟 程応棋)、徐聡(その息子 程資文)、趙書琴(下婢)、芦芸庭(趙祐臣)、李林(苦力場)、張翊(山荘の下男)、薫波(密偵)、宋来(敗残兵A)、当波(敗残兵B)、華愚(敗残兵C)、進藤英太郎(義勇軍訓練所長 後藤)、小島洋々(満鉄総裁)、生方賢一郎(副総裁)、藤田進(満鉄理事)、藤輪欣治(満鉄理事)、柏原徹(満鉄理事)、江藤勇(運輸局長)、伊藤洋(文書課長)、横山運平(下男)、三條利喜江(カフェーのマダム)、
満鉄の優秀な技師・村松はが熱河の豪族の娘と恋に落ち、上司の娘や父が遺言で薦めた養女との縁談も断る。長谷川一夫と初共演の李香蘭は、生粋の満州娘として登場し、大陸の理想化されたイメージと一体化して絶大な人気を博した。長谷川一夫にとっては東宝入社以来、初めての現代劇だった。
☆あるサイトで「白蘭の歌」を東宝との提携作品と表示しているものがありましたが、jmdbによると、どうも「製作=東宝映画(東京撮影所)」らしく、あきらかに「製作・提携東宝映画」は誤りのようですが、満映映画の常連俳優が多数参加しており、満映にとっても重要な重要な作品だと思うので、当一覧に加えることにしました。
白蘭の歌・前後篇 1939東宝系 李香蘭

【1940年(昭和15年)】
★『愛焔』(1940満洲映画協会)監督・山内英三、脚本・楊葉、撮影・遠藤灊吉、
出演・李明、李顕廷、王福春、趙愛蘋、
李警士の妹・素雲は村の豪農の息子・王景福の児を産むが、王の両親は二人の結婚を許さない。素雲は子どもを他へ預け、新京で看護婦となって働く。しかし、留守中に子どもは病死してしまう。そして王には別の女との結婚話が持ち上がっていた。警士は妹を思って王の両親に結婚を許してくれるよう頼むが無駄だった。王の結婚式の日がきた。なにも知らない素雲は、子どもと王に会うのを楽しみにかえってきた。恋人に裏切られたことを知った素雲は、思い余って王の家に放火してしまう。やがて兄の言葉に従い、墓に眠る子供に別れを告げると、裁きを受けるために自首して出るのだった。

★『現代日本』(1940満洲映画協会)監督・脚本・大谷俊夫、撮影・杉浦要、
出演・周凋、隋尹輔、徐聡、白玫、中田弘二、風見章子、日暮里子、
宋と陳は、それぞれ満州国と中華民国の村長をしている。そして宋の息子・英福、陳の娘・桂芳もそれぞれに日本に留学中である。恋人同士のふたりの誘いで、宋と陳は日本見物の旅に出る。一緒に神戸に着いた宋と陳は、英福と桂芳の案内で神戸、大阪、奈良、京都と見物し、日本の美しさに感心する。旅はさらに名古屋、東京へと続く。東京では、皇紀二千六百年紀念の祝典の真っ最中で、宋と陳はすっかり日本通になる。英福と桂芳の結婚も手っ取り早く取り決めると、飛行機に乗って帰国の途についた。

★『如花美眷』(1940満洲映画協会)監督・脚本・荒牧芳郎、撮影・池田専太郎、
出演・郭紹儀、隋尹輔、白玫、陶滋心、
身寄りのない麗仙と麗英の姉妹は楊家に引き取られて生活していた。楊家には会社員の兄・克勤と絵の勉強のために洋行している弟・克明がいた。克勤と麗仙とは相愛の中だったが、克明が帰国すると麗仙の心は克明に移っていった。克勤は二人の仲を知って、自ら東辺道の支社へと転勤していった。麗仙は克明と結婚したが、克明の放蕩、そしてむかしの愛人の出現から悲観のあまり家出をする。しかし、克勤に諌められてふたたび固く結ばれる。やがて克勤も麗英と結ばれて新しい生活を始めた。


★『情海航程』(1940満洲映画協会)監督・水ケ江龍一、脚本・熙野(八木寛、長畑博司、張我権)、撮影・藤井春美、
出演・徐聡、季燕芬、白玫、崔徳厚、
王世寛は、幼少のころに両親を失い、張家の世話を受けていた。世寛を見込んだ張家は、世寛が大学を卒業したのち、娘の素琴と結婚させることを約束して、彼を日本へ留学させた。世寛がいなくなったのを幸いに、かねてより素琴に横恋慕していた李永禄は金の力で無理やり素琴と結婚してしまう。世寛は、急いで帰国したものの学生の身分では何もできるはずもなく、自暴自棄になって、高利貸・鄭夫人の手先となった。素事の夫は放蕩三昧の生活から、商売も破綻、世寛より金の援助を受けることになる。そして世寛の悪辣さに逆上し彼を射殺しようとするが、素琴に阻まれてかえって自ら死んでしまう。素琴も自責の念から命を絶とうとするが救われる。病床の素琴を前に、世寛はふたたび人生に幸福を見出す。日満脚本家共同による第一回作品で、熙野は三人の共同のペンネーム。満映が洪熙街にあったことに由来する。なお坪井與の記録では、荒牧芳郎の脚本とある。

★『誰知她的心』(1940満洲映画協会)監督・朱文順、脚本・熙野(八木寛、長畑博司、張我権)、撮影・谷本精史、
出演・葉苓、王麗君、李顕廷、白玫、
小英は、周家の女中として働いていたが、きれいな着物も着られず、化粧ひとつすることのできない今の境遇が情けなく、周家の娘のような令嬢生活に憧れていた。折りしも周一家が旅行に出ることになり、広い豪邸の留守を預かる女中の小英と王媽のふたりは、伸び伸びとした日を迎える。周家の娘の着物を着てすっかり令嬢気取りの小英を、趙喆生は周家の令嬢と誤解して、ふたりの仲は急速に発展する。小英が本当のことを言い出すことができないうちに、とうとう一家が旅行から帰ってくる日がきた。騙されたことを知った趙喆生は怒り、小英も田舎に帰る決心をする。しかし、一度は起こった趙喆生も純情な小英が犯した夢を許して、改めて彼女の手を固く握りなおすのだった。周暁波に次ぐ満州側の二人目の監督による作品。

★『有明自遠方来』(1940満洲映画協会)監督・水ケ江龍一、脚本・張我権、撮影・藤井春美、
出演・徐聡、杜撰、白玫、李鶴、陶滋心、
徐緩と佩娟の新婚家庭に、徐緩の同窓で鉱山師として山を渡り歩いている豪傑の趙自強が突然闖入してきた。この闖入者、一日中酒ばかり飲み、酔うと金鉱主の令嬢を助けた武勇談を繰り返す。二人は夫婦喧嘩の芝居をしてなんとか追い出そうとするが、俺が新しい女房を世話すると言い出して佩娟を追い出し、金鉱主の令嬢秀敏との見合いの段取りまでする。見合いの席上、徐緩は白痴を装って難を逃れると、金鉱主は娘の結婚相手は趙自強と決め、押し問答となる。さすがの豪傑も困ってふたたび鉱山に逃げ去り、徐緩と佩娟にも甘い新婚生活が戻ってきた。

★『風潮』(1940満洲映画協会)監督・脚本・周暁波、撮影・谷本精史、
出演・張敏、徐聡、季燕芬、趙愛蘋、
女工の小香は、社長の弟である俊明と相愛の仲だった。やがて二人は結婚、娘雪苓も生まれて楽しい日々を送っていた。しかし、俊明が研究のために日本へ行っているあいだ、財産目当てから二人の結婚にも反対した社長の妾は、小香に姦通の濡れ衣を着せ、家から追い出してしまう。小香は雪苓を同善堂に預けると自活の道を求めた。それから二十年、雪苓は同善堂で乳児の世話をしながら、女学校に通っている。雪苓の学友美英の兄紹華は、雪苓との結婚を望んでいるが、両親から素性のはっきりしない女はダメだと反対されている。美英の乳母となっている小香はそれを知って、同善堂長を通じて雪苓が俊明の子であることを知らせる。やがて、雪苓と紹華の結婚式の日がくる。小香は母と名乗れぬ悲しみを胸に二人の幸福を祈っていた。満州側監督・周暁波による初めての作品で脚本もオリジナル。

★『芸苑情侶』(1940満洲映画協会)監督・大谷俊夫、脚本・荒牧芳郎、撮影・池田専太郎、
出演・季燕芬、白玫、杜撰、徐聡、周凋、
憧れの新京での舞台を目前にして、火災のために解散した旧劇芝居の一座の花形女優李碧雲は、育ての親である陳百歳、それに蘭芳、連栄とともに自分を捨てた両親を探しに新京にきた。碧雲は連栄を愛していたが、連栄は蘭芳に心惹かれていた。しかし、蘭芳は苦しい生活から逃れるため金持ちの元へ走った。残った二人の生活もいよいよ窮した。しかし、運良く碧雲の美声が放送局に認められ、専属となって放送されたことから両親ともめぐり会うことができた。碧雲は李家に引き取られることになったが、幼いときから辛酸をともにした一座の人々と芸への執着を諦められず、両親の許しを得て一座を再興する。そして、一座の憧れであった新京の舞台を踏む日がきた。

★『流浪歌女』(1940満洲映画協会)監督・山内英三、脚本・楊葉、撮影・福島宏、
出演・李明、陶滋心、李顕廷、戴剣秋、周凋、
淑玲、淑瑯の姉妹は、瞼の母に逢える日を唯一の楽しみとして、冷酷な呉のもとで太鼓叩きの芸人として働いていた。内気なふたりだったが、呉が淑瑯を売り飛ばそうとしたのに堪りかね、呉のもとを逃れる。そして妹は盲目の姉の手を引き、奉天にいるという母を探し求めて流浪の旅に出た。歌をうたって僅かな稼ぎを得ながら苦しいたびを続けるふたりは、ときには諍いを起こしながらも遂に母にめぐり会い、薄幸のふたりにもようやく楽しい日々が訪れる。

★『人馬平安』(1940満洲映画協会)監督・高原富士郎、脚本・中村能行、周藍田、撮影・福島宏、
出演・劉恩甲、張敏、張書達、王麗君、呼玉麟、
城内の裏長屋に住む馬車夫の張は、酒好きで仕事嫌いのその日暮しをしていた。今朝も女房に叩き起こされて仕事には出たものの、人通りの少ないところを選んで流すので客はさっぱり寄り付かない。ところがある夜、酔っぱらいの客が代金のかわりにおいていった籤が一万円の当選と分かり、有頂天になって豪遊する。しかし、家に帰ると、女房から番号が一桁違うと教えられ今度は真っ青になる。それからは心を入れ替えて真面目に働くようになった。懸命に働いたので生活にも余裕ができてきた一年後、女房が突然張の前に一万円を差し出す。あのときに張が一万円を握ったらますます怠け者になると思って女房が嘘をついたのである。同時に子供ができたことを知らされ、張はもっと精を出して仕事をするのだった。高原富士郎の始めての喜劇作品。

★『王属官』(1940満洲映画協会)監督・高橋紀、藤川研一、原作・牛島春子、脚色・高柳春雄、撮影・杉浦要、
出演・趙剛、王三、馬雪筠、張剣秋、
満州建国後、日も浅い頃、属官の王文章は恋人麗英の待つ故郷へ帰ってきた。この村ではまだ地方官吏が税金を不当に徴収するなどの横暴が行われている。麗英の父も娘に人並みの結婚をさせてあげたいばかりに趙牌長の手先となって不正を働いている一人である。不正に気がついた王は麗英との結婚を延期して急ぎ帰任した。発覚を恐れた趙は虚偽の報告書を提出したものの、非を悔いた王の父が一味の名簿を盗み出して王に手渡そうとした。しかし、一味に見つかって半殺しの目にあい、名簿を麗英に渡すと息絶えた。証拠を手にした王は一味を検挙して事件は解決する。王は喜びのむんみんに迎えられ、麗英と結婚式場に向かった。新聞に連載されて好評を博した小説が原作。作者の牛島春子は満州国官吏夫人。新京の大同劇団によるユニット出演作品。

★『新生』(1940満洲映画協会)監督・高原富士郎、原作・姜学潜、脚色・周藍田、撮影・遠藤灊吉、
出演・董波、劉恩甲、徐聡、孟虹、
青年訓練所の出現は、昔ながらに営々と働く老人たちの間では、反対の声が多かったが青年たちからは大いに歓迎された。その青年訓練所を卒業した王維国、章郎、呉漢の三人が村に帰ってきた。そして彼らによって奉仕隊が組織されて各地の刈入れなどに派遣されると、青年たちの心もようやく老人たちに通じた。派遣地では、そこで知り合った村の娘・毛蘭香と呉漢との結婚が発表された。満州の協和会青年運動を描いた作品。

★『現代男児』(1940満洲映画協会)監督・脚本・山内英三、撮影・池田専太郎、藤井春美、
出演・杜撰、崔徳厚、陶滋心、王影英、
自動車修理工の梁国平は国兵徴兵検査に合格、妻の雪英に励まされて入営する。国平の田舎の地主は国平の妹・小麗に思いを寄せているが、その思いが叶わないので、梁一家に恨みを抱いていた。刈入れの季節が来て、梁一家も家族総出で野良仕事に励むが、兄の国英が病気で働けないために、なかなか捗らない。そこへちょうど帰郷した国平も刈入れを手伝うが、帰営時間に遅れてしまう。わけを聴いた体調の情けで翌日に特別休暇が許される。帰郷してふたたび刈入れに精を出ていると、隊長と戦友たちが手伝いにきてくれた。またたくまに刈り入れは進んでいった。夕陽の沈む頃、刈入れを終えた国平は感激の涙を浮かべて村民に送られ戦友たちと兵営に帰っていった。

★『地平線上』(1940満洲映画協会)監督・脚色・荒牧芳郎、原作・宮本陸三、撮影・谷本精史、
出演・劉白、王潔衷、白苹、馬黛娟、
レンガ積みの現場で働く苦力頭の郭は忠実に黙々と仕事をしていたが、もうひとりの苦力頭の修は事業主に賃金の値上げを要求していた。その修の横恋慕に、現場監督の楊と郭の娘・蘭光の恋は急速に進展する。賃上げ要求が通らず、恋にも破れた修は、手下の苦力を連れて現場から引き上げてしまう。困った楊が郭に相談すると、郭は徹夜してでも工事を期日までに仕上げることを約束した。ある日、楊が銀行に工事の金を受け取りに、蘭光と一緒に楽しそうに歩いていく姿を見た修は、銀行の帰りを狙って大金を奪おうとする。王は重傷を負いながらも現場まで逃げ帰るが、金を井戸に投げ込むと息絶える。犯人は修とにらんだ郭は、井戸の金を取りにきた修を待ち伏せし、格闘の末に修を射殺。しかし、郭もまた修の銃弾に倒れた。

★『大地秋光』(1940満洲映画協会)監督・島田太一、脚本・高森文夫、撮影・南田常治、
出演・崔徳厚、李顕廷、李景秋、葉苓、
農夫の崔は、古い頭の持ち主で、息子の明徳が勧める新しい耕作法には耳を貸さず、依然として昔ながらの農法に頼っていた。一方、李はそれとは正反対で、県の技術員の指導を受けて積極的に科学的な農法を取り入れていた。李の娘・小蘭は、親同士が両極端ながらも明徳とは仲が良かった。秋の収穫、李は賞状を受けるほど豊作だったが、崔の家はさんざんで、家畜も病気になっていた。目の前のどうすることもできない現実には、さすがの崔も考えを改めないわけにはいかなかった。そして、来年からは新しい農法に切り替えていくことを明徳と小蘭のふたりに誓うのだった。

★『劉先生回顧』(1940満洲映画協会)監督・山内英三、撮影・遠藤灊吉、
出演・崔徳厚、安琪、葉苓、趙愛蘋、
劉は立派な腕を持つ彫刻の職人だったが、賭博に夢中になり、今日も祭りに着せる娘・素琴の着物を質に入れてしまった。母親の王梅が、娘の着物を質から出してくれるよう別の質草を都合したのだが、途中に賭博場が立っていることを知ると、ふらふらと入り、無理して工面した金をすべて使ってしまった。金に窮した劉は素琴を抵当にして高利貸しから金を借りる。しかし、期日が来ても劉には返すあてがない。素琴は父の素行と一家を救うために自ら身を売る決心をする。それを聞いた素琴の恋人・宋は、自分の蓄えで素琴を救う。ようやく自分の過ちに気づいた劉は、ふたたび仕事に腕を振るう決意を新たにするのだった。

★『都市的洪流』(1940満洲映画協会)監督・脚本・周暁波、撮影・島津為三郎、
出演・杜撰、孟虹、鄭暁君、王宇培、
鳳姐は、町の金貸しの手代・李四に借金のかたとして連れて行かれることになった。鳳姐は恋人の小三子も連れて行くことを条件に村を離れた。李四の主人で好色漢の林は、さっそく鳳姐を自分の女中にしてちょっかいを出す。虚栄に目のくらんだ鳳姐は、やがて放蕩ナ生活に溺れていく。金の魅力に負けて恋人を棄て林と結婚した林太太は鳳姐の出現で自分の座を奪われることとなり、同じく自棄になっている小三子と不倫の関係に陥る。数年後、爛れ腐敗した生活に疲れた鳳姐と小三子は、むかしの二人に戻って村に帰ろうとするが、鳳姐は、いまの自分にその資格がないことを書き残して姿を消した。小三子は彼女が残していった着物を抱え、丘の上に立ち尽くしていつまでも鳳姐の呼び続けた。

★『胖痩閙三更』(1940満洲映画協会)監督・脚本・新田稔、撮影・谷本精史、
出演・那娜、劉恩甲、張書達、
二巻ものの短編喜劇

★『黎明曙光』(1940満洲映画協会・製作提携・松竹、大同劇団)監督・山内英三、原作・脚色・荒牧芳郎、撮影・遠藤灊吉、
出演・季燕芬、徐聡、笠智衆、周凋、杜撰、西村青兒、王宇培、惆長渹、
満州建国当時、東辺道にて匪賊絶滅工作のさなかに殉職した警察官・清水裕吉の物語。松竹との提携第一回作品。満映初のオーンプンセットが組まれた。満州帝国国務総理製作指定作品、満映・松竹・大同劇団提携映画。ポスターには、「建国の聖業に当たり、烈々たる精神を以って人柱となりし英霊は、いま、安らかに眠る。王道楽土の国の礎は永遠に堅く、その栄光は銀幕に燦たり」とある。

支那の夜・前後篇 1940東宝系 李香蘭
熱砂の誓ひ 1940東宝系 李香蘭
孫悟空 1940東宝系 李香蘭


【1941年(昭和16年)】
★『籬畔花香』(1941満洲映画協会)監督・宋紹宗、脚本・熙野(八木寛)、撮影・島津為三郎、
出演・張静、劉潮、杜撰、王影英、張敏、孟虹、
魏雄飛は、童養媳婦児(他人の娘を幼少のときよりもらって女中として使い成長の後、息子に娶る妻のこと)の小鈴を嫁にもせずに、情婦を引っ張り込んでいた。ある日、情婦に愛想をつかされた雄飛は、小鈴に挑みかかるが、小鈴は魏の家を逃げ出し、李の家の門前で気を失って倒れてしまう。しかし、李の娘・敏華に助けられ、やがて李家の女中として働くようになった。夏になると李の息子・頌華が新京の大学から帰郷してきた。小鈴と頌華の二人はやがて離れられぬ間になっていった。小鈴が李家にいることを知った雄飛は図図しく金をせびりにきた。そして小鈴がすでに頌華の子供を孕んでいることを知ると、それをタネに李夫人をゆすった。はじめて事情を知った李夫人は、臨月の小鈴を追い出してしまった。頌華を頼って新京に出るが、急いで帰郷する頌華と入れ違いになり、旅館で産気づいて倒れる。小鈴のお産は重かったが、孫の顔を見て李夫人もようやく二人の結婚を許した。

★『她的秘密』(1941満洲映画協会)監督・脚本・朱文順、撮影・島津為三郎、
出演・王麗君、徐聡、隋尹輔、呉菲菲、
梅雪音の父は、彼女を金持ちの尊重の息子に嫁がせようとして田舎に呼び寄せた。しかし、雪音は、家を飛び出して恋人・程大鵬のもとへ走った。大鵬の父が病死すると程の家は没落した。大鵬も学業を続けることができなくなった。かねてより大鵬に思いを寄せる歌手の宋丹馥は彼に学費を援助することで結婚を迫った。大鵬は断ったものの、それを知った雪音は、大鵬の将来を思って姿を消した。大鵬は宋丹馥と結婚した。それから二十年、大鵬とのあいだに雪音が生んだ子・懐音は、大鵬のもとで立派な青年となり結婚の話も進んでいる。大鵬は偶然に新京で雪音に出逢い、再びむかしの思いが甦る。それを知った懐音の結婚相手の親は、縁談を拒否してきた。懐音は自分の母親とも知らずに雪音を責める。雪音は何事も語ることなく再び身を引く。懐音の結婚式の夜、雪音が着とくとの知らせが届いた。懐音は大鵬と病床に駆けつけるが、懐音から「お母さん」と呼ばれるのを聞きながら、雪音は静かに息を引き取った。

★『雙妹涙』(1941満洲映画協会)監督・水ケ江龍一、脚本・安龍斉、
出演・季燕芬、馬黛娟、隋尹輔、
李栄春は白華と相愛の仲だったが、白華の父から貧しさゆえに結婚を反対され新京へ働きに出る。白華は李を追って新京へ向かうが、すでに李は引っ越したあとだった。白華は百貨店に勤めながら、李を探すことを決めると、そこで同年輩の秀蘭と仲良くなった。李はある工場で働いていたが、その隣が病む祖父を抱えた秀蘭の家だった。親切に面倒を見てくれる李を秀蘭は兄と呼び、その噂を白華にもするのだが、白華はそれが李であるとは知らないでいる。秀蘭の祖父はやがて秀蘭を李に託して息を引き取る。しかし、今度は李が過労のために倒れる。秀蘭は自分のみを犠牲にして李を入院させようとすると、それを知った白華は彼女を助け、そして、兄と呼ばれている人が李であることを初めて知る。しかし、李は二人に見守られつつ息絶える。白華と秀蘭は互いに力を合わせて職場に生きることを誓い合った。

★『新婚記』(1941満洲映画協会)監督・朱文順、脚本・熙野(八木寛)、撮影・福島宏、
出演・劉恩甲、白玫、李景秋、
関克武は社長の娘・宵音と結婚したが、お嬢様育ちの宵音は、気の弱い克武をこきつかう。田舎の父から訪問するという便りに、惨めな生活を見られたくない克武は、同僚の張に相談する。張は、家庭での暴君的な亭主振りを克武に見せ付けるが、しかし、実は張も恐妻家で腕時計を買ってやるという約束で妻と一芝居演じたのだった。克武は宵音に哀願して、やっと父を安心させて田舎に返すことができた。ある夜、社宅の隣組精神を宵音が冒涜したことから、日頃から苦々しく思っていた同僚たちの怒りが爆発した。社長の娘だからと躊躇する主任を押し切り、克武を後押しして宵音を懲らしめる。宵音は起こって実家に帰ってしまうが、かつて恐妻家だった父親に諭され、ようやく自分の非を悟った。晴れた日曜日、隣組同士のピクニックでは、皆が明るく合唱した。坪井與の記録では、脚本の熙野は、八木寛、張我権、長畑博司の三人の共同になっている。

★『天上人間』(1941満洲映画協会)監督・周暁波、脚本・張南、撮影・遠藤灊吉、
出演・季燕芬、杜撰、陶滋心、張奕、
蹴球の選手・呉廷玉は、妹の友人である趙芸芳と愛し合っている。しかし、芸芳の父母は、彼女の卒業を待って従兄と結婚させるつもりでいる。やがて学校を終えた芸芳は耐え切れずに家出して廷玉のもとに走る。二人の固い決意に両家は結婚を許すことにする。ところが、子供もでき、平凡な家庭生活が訪れると、廷玉は飽きてしまい茶社の歌手・艶紅に心引かれ、毎日のように通うようになる。彼女にそそのかされてハルピンに駆け落ちした廷玉は艶紅と情夫の孫根に計られて金を巻き上げられ、阿片密売者の汚名を着せられることになる。ハルピンに駆けつけた廷玉の父の力で無実が判明し、一方、艶紅と情夫の孫根は捕らえられた。悪夢から覚めた廷玉は病床の妻に心から詫びるのだった。

★『雨暴花残』(1941満洲映画協会)監督・山内英三、脚本・劉果全、撮影・島津為三郎、
出演・李顕廷、張静、趙愛蘋、劉潮、鄭暁君、
東京で二年余りの研究を積んで新京へ帰った新進の画家・汪仁良は、自分を待っているはずの愛人・桂芳が、親友の作家・週明敏と同棲していることを知った。汪は、桂芳のために身を引く決意をするが、実は桂芳はいまでも汪を愛し、気弱さから執拗な周の誘惑に勝てないでいるのだった。汪は周に桂芳を託して去っていった。やがて周は自分の戯曲があル劇団によって上演されるようになり、その劇団の女優・麗娜と深い仲になる。身重の桂芳は、周の心を再び取り戻そうとするが、病に倒れてしまう。桂芳の友人・玉華からの知らせを受けた汪は、新京へかけつけると、死に瀕している桂芳を前に、誓いを破った周を激しく責めた。自分の非を思い知らされた周は、悄然と雨の中を去っていく。そのとき、麗娜を周に奪われた劇団員の俳優の刃に刺されて倒れる。その頃、汪と玉華の看病も空しく桂芳は息絶えた。

★『巾幗男児』(1941満洲映画協会)監督・王則、脚本・梁孟庚、撮影・遠藤灊吉、
出演・王麗君、李顕廷、張奕、戴剣秋、張敏、
小珍珠は母をつれて父を訪ねるため、父・張国祥のいる炭鉱の鉱夫募集に、男装して応募する。採用された小珍珠は父母と一緒に暮らすようになるが、しかし、賭博好きの父はいつも借金のために料理屋の馬二虎から責められている。ある夜、小珍珠は馬に女であることを見破られ脅迫されて馬の店で女給として働かされた。組頭の斉は、馬と共謀して鉱夫への配給品を私腹におさめていたが、それも露見する日がきて、呉大福が組頭になった。小珍珠にしつこく言い寄る馬は、呉大福に倒され、呉大福は初めて小珍珠の男装の秘密を知る。そして二人の間には幸福が訪れた。

★『運転時来』(1941満洲映画協会)監督・高原富士郎、原作・鈴木重三郎、脚色・張我権、撮影・池田専太郎、
出演・劉恩甲、張書達、季燕芬、
仲の良い街頭商人の劉と張は、茶社の女・蘭芳の気を引こうと、商売に身が入らないほどお互いに張り合っている。挙句の果てに一攫千金を夢見て北満の鉱山に出かけるが、山の酒場に蘭芳とそっくりの鳳珍がいて、二人はここでも張り合うことになる。大晦日の夜、二人は財布をはたいて鳳珍を招待するが、吹雪にまぎれて迷い込んできたのは虎だった。ますます激しくなる吹雪に小屋ごと二人は谷底に転落する。しかし、かろうじて助かった二人は金塊を発見して、一躍大金持ちになる。モーニング姿の金持ちになったふたりは、蘭芳のいる茶社を再び訪れるが、そこに蘭芳と鳳珍がいて、姿かたちがそっくりならと、それぞれに仲良く収まる。

★『明星日記』(1941満洲映画協会)監督・脚本・山内英三、撮影・福島宏、
出演・劉恩甲、葉苓、李顕廷、
ホテルのガラス拭きの劉と、エレベーターガールの葉苓は互いに淡い恋心を抱いて仲良く働いていた。劉は、いつの日にか映画スターになることを夢見ていた。そして、その苦労が報われて、ようよっと端役で映画に出演できることになった。しかし、葉苓には主役を得ることができたと嘘の手紙を書いてしまう。ところがある日、撮影所の重役と監督の徐が、葉苓のいるホテルに宿泊した。そして、葉苓をひと目で気に入り、女優としてスカウトし入社させた。劉は嘘がばれるので戸惑っていると、徐からラヴシーンのセリフをつけてもらっている葉苓を見てカッとなり、彼女を殴りつけてしまう。葉苓から事情を聞いた徐は劉を抜擢し主役にする。そして葉苓も一本撮り終えたら家庭の人となることを約束して二人はまた元の仲に戻る。

★『黄金夢』(1941満洲映画協会)監督・大谷俊夫、脚本・安関、撮影・福島宏、
出演・蕭大昌、趙愛蘋、姚鷺、葉苓、劉恩甲、張書達、
金鉱掘りに全財産をつぎ込み、借金で首の廻らなくなった王所斉は、支配人から有望な鉱脈が発見されたという知らせを受けるが、五千円の資金の都合がつかない。王の娘・麗芳をひそかに思う高利貸しの銭銅秀は、麗芳が自分の息子の家庭教師になることを条件に出資を引き受ける。王は理学博士の牛米国を連れて鉱脈の鑑定に赴くが、牛博士は実は考古学の学者で鉱脈の鑑定どころではなくなる。皆が悲嘆しているところへ次男が、第二夫人に五万円の富くじが当たったことを知らせにきた。さらに、鉱脈も金こそ出なかったが、契丹の古都であることが牛博士によって発見された。

★『鏡花水月』(1941満洲映画協会)監督・谷俊(大谷俊夫)、脚本・姜衍、撮影・池田専太郎、
出演・浦克、馬黛娟、
常発の父は、小さな別荘以外は何の財産も残さずに死んだ。隣家の娘・桂芬に再会を約し、常発は仕事もない村をあとに都会に出て行った。しかし、お人よしの常発はやっとある会社の計算係に就職したものの、同僚や酒場の女に騙されて三ヶ月でクビになった。悄然として帰郷し、桂芬の家に居候するが、ある日、桂芬の父から自分の別荘に幽霊が出るという話を聞く。常発は別荘に入ると、一巻の奇書を発見した。それによって忍者の隠身術を体得する。そこで再び都会へ行き、かつて自分を騙した者たちを片っ端からやっつける。しかし、ふと目覚めると、それはすべて夢の中の出来事。常発は桂芬の愛情を感じながら田舎で働くべきだと思い直す。

★『花瓶探索』(1941満洲映画協会)監督・水ケ江龍一、脚本・呂平(長畑博司)、撮影・藤井春美、
出演・劉志人、董波、鄭暁君、陶滋心、
探偵事務所を開いている劉と張は、隣の家の富豪・李の娘の姉妹とそれぞれに仲が良い。その李が遺産のありかをかいた紙片を残して死ぬと、正夫人と第二夫人との間で争いが起き正夫人と二人の娘は追い出されてしまう。一週間ほどして、李から遺言状を預かっていた弁護士が現れ、紙片の絵は李が愛蔵していた花瓶であることが判明した。しかし、その花瓶は既に売り払ってしまっていた。映画会社が買い取ったことを突き止めると、花瓶をめぐって第二夫人の息の掛かった無頼漢と、スタジオの中で争奪戦を繰り広げる。ようやく花瓶を取り戻し、探偵二人は遺産を受け継いだ姉妹二人とめでたくゴールインする。

★『患難交響楽』(1941満洲映画協会)監督・張天賜、撮影・谷本精史、
出演・周凋、趙成巽、浦克、王瑛、
裏町のみすぼらしい旅社に住む音楽家、小説家、画家の三人は、貧乏暮らしで家賃の支払いも半年以上滞っている始末である。しかも仲が悪くて喧嘩ばかりしている。ある日、音楽家が、自分の友人を頼って歌の修行に出てきた女を、宿がないので旅社に連れて帰ってくる。旅社の住民がそれぞれに好奇の目を向けるが、彼女が仲に入ることによって三人の仲も良くなり、力を合わせて精進することになる。そこへ旅社の主人が借金で困っていることを聞き、三人は恩返しにと芝居の興行を思い立つ。台本は小説家、音楽は音楽家、装置は画家、出演者は旅社の住民全員、そして出し物は「孟姜女」と決まる。この思い切った興行は大当たりをとり、主人の借金どころか一躍成金になり、そのうえ方々から出演の依頼が殺到し引っ張りだこになる。

★『幻夢曲』(1941満洲映画協会)監督・脚本・周暁波、撮影・島津為三郎、
出演・徐聡、孟虹、杜撰、白玫、
有名な歌手・白萍のステージを見た微娜と麗々は、彼の美貌と美声に心惹かれた。麗々は毎日のように白萍を訪れるが、白萍のほうは微娜に心を寄せていて、彼女が閨秀詩人であることから自分の歌の作詞を依頼する。二人の恋は急速に発展するが、古風な考えの微娜の母親は二人の結婚を許さず、外出することさえ禁じた。白萍は奉天での公演を終えると微娜の作詞による「幻夢曲」の発表会のために新京に帰ってくる。しかし、面会を拒絶されると、自分を捨てたものと誤解し、ステージで倒れてしまう。麗々は病の白萍を西洋に誘い出すと、それを聞いた微娜も家を抜け出してあとを追う。しかし、二人の仲の良いところを見ると悄然として帰郷し、そのまま病床についてしまった。娘の憔悴した姿を見た父親は白萍に手紙を出す。白萍は微娜の病床を訪れ、母親もようやく二人の結婚を許した。

★『鉄漢』(1941満洲映画協会)監督・山内英三、脚本・尚元度、撮影・撮影・遠藤灊吉、
出演・李顕廷、季燕芬、
奉天城の城壁に近い貧民外に住む鍛冶屋の趙は、このあたりの顔役・王大全の子分として綿布の闇取引に一役買っている。趙はトラックの修理を頼んできた運転手の劉も加担させようとするが、劉はきっぱりと拒否する。闇取引の夜、小鳳は養父の趙に強要されて警察の目を誤魔化す役をするが、事情を知らない劉が通りかかって小鳳を助け、自宅に連れ帰ってしまう。闇取引は失敗する。起こった王は小鳳を連れ去る。劉は王の家が城壁の真下にあるのを幸いに、上からロープを使って屋敷に忍び込み、小鳳を救い出すことに成功する。必死にロープを伝って城壁を登ると、古びた城壁の一部が悪人たちの頭上に崩れ落ちていき、二人は無事に逃れることができた。奉天協和劇団の脚本による。坪井與の記録では撮影は気賀靖吾になっているという。

★『家』(1941満洲映画協会)監督・脚本・王則、撮影・池田専太郎、
出演・張敏、周凋、劉潮、鄭暁君、姚鷺、
代々が鍛冶屋の王家は、父の死後、老母の姚氏、長男の家福が仕事を継いでいた。そして生活の因習的でつつましくそのために洋画を勉強している家禄や女学生の桂芬はいつも兄・家福とぶつかっていた。家福にとっては姉の桂芳がいつも生活費の無心を言ってくることが不満で、なにかと波風が絶えない。ある日、桂芳の夫が新事業のために千円の融資を頼んできたことから家福もついに怒りを爆発させてしまう。老母は皆のいざこざから神経衰弱で倒れ、やがて重体に陥る。皆は老母の病気を前にしてようやく目が覚め、家福も、そして家禄や桂芬も老母を中心にして家を守っていくことを誓うのだった。

★『園林春色』(1941満洲映画協会)監督・周暁波、脚本・熙野(長畑博司)、撮影・谷本精史、
出演・杜撰、孟虹、候志昂、
林檎園の管理人の家には、桂芬と和甫の姉弟がいたが、親戚の孤児・小蘭が引き取られてくる。農園には作男の進財もいて、四人はすぐに仲良くなる。ある日、農園の持ち主は和甫の気性に惚れ込み、町の農学校に入学させて、卒業後は管理を任せる約束をする。十年の歳月が流れて和甫は学業を終えて再び農園に帰ってくる。小蘭は美しい娘に成長していて、和甫は妹としてではなく小蘭を娘として見るようになるが、小蘭から進財を愛していることを聞かされて苦悩する。しかし、嫉妬する自分を恥じて父母に二人が結婚できるように説く。なにも気づいていない小蘭は、和甫に感謝しつつ進財のもとに嫁いでいった。

★『奇童歴険記』(1941満洲映画協会)監督・徐紹周、脚本・王智侠、撮影・遠藤灊吉、
出演・趙愛蘋、葉生、戴剣秋、王兆義、馬曼麗、
幼いときに両親をなくした王宏模少年は、継母の宋氏に育てられていた。宋氏は王少年につらく当たっていた。王少年の仲良しは馮兄妹、それに墓守の谷平老人だった。ある夜、馮少年と王少年は、村の不良・趙が墓地で金持ちを刺殺、谷平老人に口止めしているところを目撃した。谷平老人にかかる嫌疑を、王少年は訴えでて趙が犯人であることを証言する。趙は山の中に姿を隠すが、山遊びに行って皆とはぐれた王少年と馮菊児が迷い込んだ洞窟が、趙の隠れ家だった。しかし、趙は誤って谷底に落ち、王少年は洞窟の中に貴重な古鼎を発見して表彰される。継母もようやく前非を悔い、王少年を可愛がるようになった。

★『荒唐英雄』(1941満洲映画協会)監督・脚本・張天賜、撮影・谷本精史、
出演・浦克、張暁敏、馬黛娟、
王大凡は大学を出て三年経つが、まだ就職もできない。恋人の麗華のすすめで体育雑誌社の記者に応募し、運良く就職することができた。運動のことなど皆目分からぬ大凡を主任は首にしようとするが、大凡はあるマラソン退会の取材中に犬に終われて選手団にまぎれ、間違って優勝者にされてしまったことから、社長の信任を得ることになった。そこで運動界の権威・馬博士の奉天での講演の随行を命じられるが、馬博士は汽車に乗り遅れ、大凡ひとりが奉天にいく。大凡が馬博士とそっくりなことから間違えられて大歓迎を受ける。じきに化けの皮が剥がれるが、町外れで馬車夫にハンドバックを奪われようとしている令嬢をたすけると、それが社長の令嬢と分かって一躍課長に抜擢され、晴れて麗華と結婚することになった。

★『満庭芳』(1941満洲映画協会)監督・王則、脚本・張我権、撮影・池田専太郎、
出演・徐聡、王麗君、孟虹、李顕廷、隋尹輔、
梁其祥は娘二人の嫁いだあと、まだ国民学校に通う息子の成長を楽しみに余生を送っている。姉の玉敏は請負師の周誠に嫁いだが、夫が事業に失敗して貧乏していた。妹の玉鳳は、建築会社で働く林長華に嫁いでいるが、夫が薄給でもかまわず虚栄心が強くて濫費を重ね、やがて夫が会社の金を使い込むまでになる。林は退職金で清算するつもりで、其祥にすべてを打ち明けた。もとはといえば自分の娘の濫費から出たこと、其祥は千五百円の金を出してやる。しかし、林は周がようやく落札した請負工事の保証金に困っていることを知り、その金を周に貸し与えてしまう。周からその話を聞いた其祥は、林の思いやりに感動して改めて林に金を与え玉鳳も自分の非を悟るのだった。

★『青春進行曲』(1941満洲映画協会)監督・張天賜、脚本・張我権、
出演・董波、趙成巽、張奕、張暁敏、孟虹、
蒋達夫は母を失い田舎の祖父母のもとで育てられていたが、大学卒業とともに、会社の支配人をしている父・実甫に呼ばれて都会に出てくる。父は達夫を試練のために平社員として入社させる。達夫は同僚の高佩時とアパートに同居するが、佩時が管理人の娘・秀琳を思っているのを知り、橋渡しをしてやる。ところが、秀琳は達夫に思いを寄せていた。一方、達夫は、集金の際に顧客の柳と取っ組み合いの喧嘩をするが、柳の娘・柳莉が中に入っておさめ、この柳莉からも達夫は好意を寄せられる。秀琳は嫉妬から佩時に気持ちが向いていく。ある日、達夫と佩時は副支配人が同業者と結託して、経理をごまかそうとしていることを知ると、二人の活躍でその証拠を掴み陰謀を暴く。実甫は大手柄の息子を支配人に、佩時を副支配人に任命した。やがて達夫と柳莉、佩時と秀琳の二組は幸福を掴む。

★『王麻子膏薬』(1941満洲映画協会)監督・朱文順、脚本・張我権、撮影・福島宏、
出演・周凋、劉志人、陶滋心、張氷玉、劉恩甲、
街の一角にある平民娯楽場の市場に覗き眼鏡屋の店を出している王麻子、手品師の王俊子は、さっぱり客が入らず金にならない。一方、京韻太鼓の桂芬と桂香の姉妹は人気を呼んでいる。4人は同じ田舎から出てきた仲間である。王麻子は、儲からない覗き眼鏡屋を諦め、市場の主人・牛若旦那から金を借りて王麻子膏薬屋をひらく。王俊子も負けてはならじと、桂香の援助でその向かいに老王麻子膏薬屋をひらく。仲の良かった二人も商売上の争いから喧嘩を始める。桂芬と桂香がとりなして、今度は共同して店を持つことになる。しかし、桂芬に手を出そうとして逆に王麻子たちに袋叩きにされた牛若旦那は、王たちの店を叩き潰してしまう。追い出された4人は、街を捨てて再び仲良く田舎へと帰っていった。

★『小放牛』(1941満洲映画協会)監督・王則、撮影・遠藤灊吉、
出演・世枢、孟虹、
牛飼いの朱曲が郊外で放牛していると、村娘の雲姐が通りかかり、杏花村への道を尋ねる。朱曲は道を教えるかわりに、娘に歌を歌ってくれるように頼む。仕方なく娘は歌いだすが、一曲終えると、また頼まれる。そのうちに朱曲も歌いだし、二人は歌のやり取りに連れて踊り、舞い始める。京劇の舞台をそのまま撮影した巡回映写用の作品で四巻の短編。この牛飼いの役を演じては他に並ぶものがないといわれた王長林の、その高弟・世枢が主役を務める。世枢は、王長林亡きあとの第一人者といわれた。

★『玉堂春』(1941満洲映画協会)監督・王心斉、指揮・大谷俊夫、撮影・池田専太郎、島津為三郎、
出演・趙嘯瀾、尚富霞、朱遇春、朱徳奎、
金持ちの息子・王金龍は、源氏名を玉堂春と名乗る芸妓の蘚三と相愛の仲となって金を使い果たしてしまう。蘚三はひそかに王金龍に金を与え都に上って出世し自分を再び迎えに来てくれるように頼む。王金龍は途中で強盗に金を奪われるが、再び蘚三から金を与えられて都へ急ぐ。その後、蘚三は妾として売り飛ばされるが、売られた先の男の女房には情夫がいて、女房は情夫と共謀のうえ夫を毒殺、その罪を蘚三になすり付ける。蘚三は巡按署で裁判を受けることになる。裁判の日、巡按使としてこの事件を裁くのは王金龍であった。王金龍は犯人として出廷したのが蘚三だったので、その場で気絶してしまう。医者の手当てを受けて再び開廷されるが、王金龍は、自分の過去まで明るみに出され、私情を挟むことは許されないので、上司の裁断を乞う。そして心を鬼にして、慕い寄ろうとしてくる蘚三を退廷させる。「小放牛」と同様、京劇の舞台をそのまま撮影したもので、巡回映写用として作られた。映画は前半の部分の舞台劇をカット、裁判の場面の後半のみを作品にしている。王心斉の監督昇進第1回作品で、主役の蘚三を演じた趙嘯瀾は、梅蘭芳と並ぶ四大名女形のひとりといわれる尚小雲の高弟である。巡回で民衆に大好評を得た。

★『夜未明』(1941満洲映画協会)監督・脚本・張天賜、撮影・福島宏、
出演・周凋、馬黛娟、趙恥、浦克、
北満の小さな町で旅行者を営む楊は、温厚な人柄だったが、裏では、呉服屋と称して時おり新京から訪れる王から阿片を仕入れる密売者だった。しかし、楊自身は古い人々と同様に阿片を売ることを罪悪だとは考えていなかった。楊は妻を亡くしたあと、娘の小蘭を目に入れても痛くないような可愛がり様だったが、その小蘭が新京での学業を終えて帰ってくることになった。ある日、小蘭は、父の阿片を見つけると、新時代の教養を身につけた彼女は父を責めて阿片の密売をやめさせる。小蘭が留守のあいだに訪れた王はふたたび阿片の密売を続けさせようとして楊と争い、誤って自分の刃で自らの命を落す。楊は死体を始末するが、やがて王の息子・棟材が父を探しに来た。楊は良心の呵責から、自殺する積りで家を出た。遺書を見た小蘭と棟材は楊を追って馬車を走らせるのだった。坪井與の記録では昭和16年の項に収録されている。

★『春風野草』(1941満洲映画協会)監督・水ケ江龍一、脚本・楊葉、撮影・藤井春美
出演・隋尹輔、白玫、劉志人、陶滋心、
会社員の周超の妻・芳梅は、ある日、周の帰宅が遅かったことから喧嘩となり家を飛び出して、親友の華の家に駆け込む。しかし、華も小説家の夫・李博文と夫婦喧嘩の最中だった。突然転がり込んできた芳梅を前に、喧嘩を一時中断、李夫婦は甘ったるい芝居を打つ。それを見せ付けられた芳梅は堪らずふたたび夫の元へ帰っていく。芳梅が帰ると、李夫婦もさっきまでの喧嘩はやんで、李は明日までといわれていた放送劇を、たったいま体験したばかりの二組の夫婦喧嘩をネタにして書き上げた。翌日の夜、二組の夫婦はそれぞれに放送劇を楽しんで聞いていた。坪井與の記録では昭和16年の項に収録されている。

★『龍争虎闘』前篇・後篇(1941満洲映画協会)監督・水ケ江龍一、脚本・姜衍(姜学潜)、撮影・藤井春美、
出演・徐聡、蕭大昌、張敏、白玫、崔徳厚、張暁敏、隋尹輔、
(前篇)李懐玉は、老母と兄・懐風との三人で貧しい生活を送っている。しかし幼児から山野を駆けあるいは、経書に親しみ、文武両道に秀でた青年に育っていた。官吏登用令が発せられて武芸にすぐれたものを募集することを知って、懐玉は受験の意を固めるが、かつて婚約を結んだ月英の父・呉員外に旅費を借用にてったところ、呉は小銭をやって追い返そうとする。呉の若い後妻・艶雲がを引き止めて歓待すると、呉は二人の間を誤解し、さらに月英との縁を断つために懐玉の暗殺を企てる。月英は小間使いから暗殺の話を聞くと懐玉の部屋にしのんできた刺客を殺し、懐玉に旅費を与えて出発させる。兄・懐風は懐玉の帰りの遅いのを心配して呉の家に談判に赴き、はずみで召使を傷つけてしまう。怒った呉は老母と懐風を捕らえるが、男装した月英の働きで逃げ出す。月英は懐玉を追うが、出会うことができずに、山中で匪首の白狼に襲われる。
(後篇)女ながらも武芸で鍛えた月英に白狼はあっさりと屈服した、義兄弟の縁を月英に乞う。一方、懐玉は、途中で道連れになった葛欽洪と雨宿りのためにある寺に立ち寄る。月英もこの寺に宿を求めるがこの寺は賊の巣窟で、葛欽洪は殺されてしまう。乱闘の末、懐玉は、月英と知らずにまた別れてしまう。やがて試験の日、懐玉は及第するが、遅れてきた月英は、相手を懐玉と知らずに試合を申し込む。試合が始まって月英は、相手が懐玉と気づいたものの懐玉は、男装している月英に気づかず、真剣勝負を挑む。月英は、わざと試合に負け、ようやく一切を知った懐玉は、月英、老母、兄・懐風を伴って故郷へと帰っていった。
唐代の武侠小説をヒントにした満映最初の古装片(時代劇)、日本のチャンバラ映画のテクニックを導入して「胭脂」とともに日本でも高く評価された作品である、興行的にも記録破りの好成績をおさめた。この作品の脚本を書いた姜衍(姜学潜)は、甘粕正彦が満映に入れた人物、満映で中国脚本家として養成された。実は秘密国民党員だったことから、日頃憲兵に目をつけられ、ある日、憲兵に連れ去られた、八木保太郎がそのゆくえを必死になって探したというエピソードが残っている。結局、甘粕の尽力で彼を無事取り返すことができるのだが、探し回る八木が満州における公安機関が林立し、あまりにも複雑すぎて、どこから探せばいいのか分からなかったという「複雑な連れ去られた先」を紹介している。満州内には当時、日本特務機関、日本憲兵隊、満州国憲兵隊、満州国国家警察、市警察、日本領事館警察、刑事警察、満州国特務機関、鉄道警察、と計9機関もあり、それぞれが独立して活動して縄張り争いがはげしく、たがいに反目しているので、結局どこを探せばいいのか途方にくれたという。満映で働く中国人もそこで職を得ているからといって、なにも保護されたり特別扱いされているわけではなく、中国人は日本の官憲に始終目をつけられ監視されており、街の本屋で左翼系の本(そもそもそれが仕掛けられた罠で)を立ち読みしてだけでも、特務機関とつながっている店主から密告されてすぐさま拘束され、ひどい拷問にあったという。

蘇州の夜 1941松竹系 李香蘭


【1942年(昭和17年)】
★『迎春花』(1942満映、撮影協力・松竹)監督・佐々木康、脚本・長瀬喜伴、撮影・野村昊、森田俊保、中根正七、美術・磯部鶴雄、音楽・万城目正、録音・中村鴻一、現像・富田重太郎、平松忠一、編集・濱村義康、台詞指導・王心斎、製作担当・大辻梧郎、磯村忠治、撮影事務・安井正夫、1942.03.21 9巻 74分 白黒
出演・李香蘭、近衛敏明、浦克、木暮実千代、藤野季夫、吉川満子、那威、張敏、日守新一、戴剣秋、袁敏、曹佩箴、干延江、周凋、王宇培、関操、三和佐智子、路政霖、江雲逵、宮紀久子、下田光子、瀧見すが子、
佐藤忠男は「キネマと砲聲」のなかで、当時「キネマ旬報」に掲載されたこの作品の批評として「・・・それにしても之は何という貧しい作品であろう。之は観客を喜ばしめ、楽しませるものを僅かしか持っていない。物語は先ずよいとしても、映画表現の貧困さは、結局、此映画が、李香蘭を売りものにした興業価値に頼る以外に取り柄の無いという感じを与える。二人の女性に日満夫人を象徴せしめた脚本の組み立ては大船映画の常道であるとしても、此処には二人の女の心は明確に汲み取れるほどには描かれていない。・・・満映作品には、之に及ばぬものが数限りなくあるには違いないが、松竹スタッフの全面的な生産である点、それが満映作品としての輝かしい存在理由を持たぬ点に、何よりの不備が感じられる。」(1942.4.21号・村上忠久)とこの作品を酷評するだけでは足りず、満映の一般の作品は、さらに水準が低いはずだと決め付けられたと紹介している。

★『胭脂』(1942満洲映画協会)監督・谷俊、脚本・柴田天馬、撮影・池田専太郎、
出演・鄭暁君、隋尹輔、趙愛蘋、杜撰、候志昂、郭宛、浦克、
終日刺繍をして孝行している胭脂は、向かいに住む龔の妻・王氏と日頃から仲が良いが、王氏は軽口の女だった。ある日、遊びに来ていた王氏を送るために通りに出たところ、通りかかった青年・顎秋隼を見そめる。行商人の夫が留守がちなのを幸い、王氏は宿介という青年と深い仲になっていたが、宿介が顎と同学であることから王氏は仲を取り持つ約束をした。その話を聞いた宿介は、胭脂の家に顎だと偽って忍び込み、胭脂に迫った。胭脂に撥ね付けられたものの、鞋を盗んで逃げる。鞋を男に渡すことは女が全てを許すしるしとされている。しかし、宿介は途中で鞋を落としてしまい、毛大、張三、李四の誰かがそれを拾う。そして拾った人物は胭脂の家に忍び込むが、部屋を間違えて起きてきた父親を殺してしまう。胭脂は鞋を持ち去った男が顎だと思っていたので、それを供述すると嫌疑は顎に掛かった。しかし、裁判ののち、毛大、張三、李四も捕らえられその中から真犯人も判明した。やがて胭脂と顎はめでたく結ばれる。
原作は、清代の小説「聊斎志異」で、京劇「胭脂判」としてもよく知られた怪異譚。脚色の柴田天馬は「聊斎志異」の研究家で、そして大の映画ファンでもあり、満映の嘱託になっていた。坪井與の記録では昭和17年(康徳9年)の項目におさめられている。佐藤忠男の「キネマと砲聲」には、「従来、北京語映画として作られながら、東北三省(満州)以外に公開されなかった満映の劇映画(娯民映画)から優秀作品を選んで、上海ではじめて公開した。それは「龍争闘虎」と「胭脂」の二本であり、ことに後者は情感のある秀作であった。」と高く評価されたことを紹介している。

★『瓔珞公主』(1942満洲映画協会)監督・山内英三、脚本・姜衍、撮影・島津為三郎、
出演・李顕廷、劉潮、趙成巽、安琪、徐聡、趙愛蘋、張静、
遠い昔、魁量とよばれる国は、土地は肥え、五穀は豊穣、民は太平を謳歌し、国王は仁慈の心厚く、城下は賑わっていた。国王夫妻は19歳になる公主に婿を取ることが唯一の望みである。そこで4人の重臣達の公子から婿を選ぶことに決め、親書を送った。やがて、何声春、馬得勝、厳重福、魏鳴が集められたが、魏鳴ひとりだけが献上物も持たずに逞しい体を粗衣に包んだだけで現れた。公主は、それぞれに魔鬼山に棲む龍の目を取ってくるように難題を与えると、何声春、馬得勝、厳重福の三人は龍に近づくこともできず偽の龍眼を持ち帰って公主を欺こうとするが、魏鳴は龍を倒して龍眼を手に入れる。公主は三人の偽物をすぐに見抜き、魏鳴はめでたく公主を得て、魁量国の王位を継いだ。この作品は、坪井與の記録には昭和17年(康徳9年)の項目に収録されている。

★『黄河』(1942満洲映画協会)監督・脚本・周暁波、助監督・徐紹周、撮影・谷本靖史、美術・伊藤彊、
出演・周凋、徐聡、張奕、孟虹、王麗君、隋尹輔、王影英、李香蘭、王字培、
孫唯倹は先祖代々より黄河畔に住む農民だが、盲目の母と妹を抱えて貧乏のどん底生活をしている。わずかな麦畑さえ地主・万才の抵当に入っている。妹の小玉は万才の三男・発泉と許婚であるが、万才はもはや喜んではいなかった。麦畑の刈り入れがきて、唯倹は抵当をめぐって趙と争い、誤って傷つけてしまったことから流浪の旅にでる。その頃、日支の戦いは激烈を極め、敗走する中国軍は黄河を決壊させて日本軍の進路を阻んだ。唯倹は故郷に帰ってみると、家は跡形もなく、村から遠くはなれたところで、ようやく母や妹にめぐり会えた。発泉の兄・発有は中国軍の遊撃隊長だが、民衆の苦しみを眼前にして悩んでいる。しかし、さらに破壊工作の命令が下る。躊躇する発有は、政治局員に狙われるが、それを知った次男の発源が殺されてしまう。発有は政治局員を射殺して日本軍に協力する態度をしめす。決壊された黄河に、軍民協力のもとで新たな堤防が作られ始めた。
黄河 1942満映系 李香蘭

★『歌女恨』(1942満洲映画協会)監督・朱文順、原作・樑孟庚、脚本・丁明(山内英三)、撮影・藤井春美、
出演・白玫、浦克、趙愛蘋、楊恵人、李景秋、呉菲菲、劉恩甲、張静、江雲達、蕭大昌、
若く美しい譚小黛の率いる譚一座は、旅興行の途中、馬車を引く馬が足を痛めて動けなくなってしまった。そこへ通りかかった騎馬の青年・王仲菲は、事情を知って譚小黛を駅まで送り届けた。都会に帰ったある夜、小黛はふたたび王仲菲にめぐり会った。彼はある地主の息子で、叔父の娘・淑鳳と結婚することになっていたが、この再会から二人は愛し合うようになる。二人の秘密を知った義母は、王の叔父と王の通う学校へ密告し二人の仲を割こうとした。叔父は小黛を訪れ、王の将来のために別れてくれるように頼んだ。小黛は願いを聞き入れ王に絶縁状を送った。小黛は旅先の宿で好色の銭に力づくで迫られたが、そのとき、銭に棄てられた妾が飛び込んできて銭を撃った。小黛は、子供を抱いた妾を哀れに思って、自分で罪を着ようとし、裁判を受けた。しかし、真犯人は名乗り出て、小黛は犯人の子供を育て上げることを誓うのだった。

★『一順百順』(1942満洲映画協会)監督・脚本・王心斎、撮影・福島宏、
出演・浦克、張奕、葉苓、周凋、陶滋心、王安、
大順は、子供のときに両親を失い、いまは自動車掃除夫をしている。大順はタイピストの小萍を愛しているのだが、彼女の父が欲張りで金のない大順の結婚を許さない。大順は、自動車掃除夫をやめて、海水浴場の救護員の仕事につく。しかし、彼は泳ぐことができない。ある日、舟の中で遊んでいると、突然助けを求める声がした。自分が泳げないことも忘れて、夢中で海に飛び込む。無事に助けた相手は前の会社の社長令嬢だった。社長からお礼として千円を送られた大順は、ふたたび前の会社に復職できた。そしてめでたく小萍とも結婚することができた。

★『雁南飛』 : 監督楊葉
★『皆大歓喜』 : 監督王心斎

★『黒痣美人』(1942満洲映画協会)監督・劉国権・笠井輝二、脚本・佐竹陸男、撮影・気賀靖吾、
防諜をテーマとした三巻の短編映画。

★『花和尚魯智深 水滸伝初集』(1942満洲映画協会)監督・水ケ江龍一、脚本・何群、張我権、撮影・中根正七、
出演・陳鎮中、李顕廷、徐聡、蕭大昌、戴剣秋、張静、劉恩甲、浦克、杜撰、趙愛蘋、白玫、
金翠蓮と父親は酒楼で琵琶を弾き歌を唄うことで生活している。金翠蓮は愛人の趙が東京に行くための旅費を鎮関西に借りている。一方で鄭に妾のなるように責め立てられている。鄭はある日、場銭の取立てに来て、棒使いの豪傑・李忠、李忠の弟子・史進と争い大騒ぎを起す。そこへ乱暴者の魯達も加わり鄭の一味を追い払う。李忠、史進、魯達の三人は意気投合して酒楼にあがる。そこで翠蓮親子の話を聞いた三人は金を出し合い親子を東京の趙のところへ旅立たせる。翠蓮は趙と出会い、いままでのイキサツを語る。魯達は懸賞を懸けられ追われるが、趙にかくまわれ、やがて五台山文殊院の智真長老を頼って出家し、智深と法名を名乗る。しかし、大酒を飲んで手に負えず、大相祥寺にやることにする。魯智深は長老に感謝し、預けていた禅杖と戒刀を受け取るために旅にでる。

★『娘娘廟』(1942満洲映画協会)監督・水ケ江龍一、脚本・姜衍、撮影・遠藤灊吉、
出演・曹佩箴、張静、馬黛娟、徐聡、張奕、張敏、趙愛蘋、戴剣秋、王瑛、張望、陳鎮中、劉恩甲、郭範、鄭暁君、張暁敏、張氷玉、陶滋心、呉菲菲、周凋、何奇人、王影英、馬旭儀、蕭大昌、
王母娘娘の大殿で三人の天女・碧宵、瓊宵、雲宵が唄い踊っている。これを見た来客の九天娘娘は、三人に天露の酒を与える。酔った三人は、王母娘娘の怒りに触れて下界に追放される。そして、それぞれに下界で生まれ変わり育つ。やがて文武両道を教えられ、ある夜、馬賊が襲来するが、三人の娘は撃退する。そして王娘娘の声で「早く天に帰れ」という夢を見る。三人の娘が歩き疲れていると、若者の馬車に救われ、お礼の歌を唄うと、天に昇っていく。若者は、村人にこのことを告げると、村では娘たちの座っていた石の上に廟を建て三人を祭った。
満鉄広報部で、カメラマン藤井静が隣の丘にカメラをすえ、ズームレンズの威力を駆使して、大石橋の娘々廟に詣でる素朴な農民の姿を精密にとらえた「娘々廟会」(製作は満鉄映画制作所で日本初の文化短編映画とされている)とは別の作品で、解説を中村伸郎が語っている。この娘々廟は、満人の信仰厚く、満州各地にあるが、なかでもこの大石橋郊外迷鎮山の祭りは一番にぎやかで、春になれば農民たちは遠くからこの祭りのためにやってくるその様子が沿道の屋台店とともに親愛を込めて描かれている。この作品を編集・構成したのは名編集者・芥川光蔵、本作は彼の代表作のひとつである。このほか「ガンジュール」、「草原バルガ」、「秘境熱河」があり日本国内でも高く評価され、いずれも佳作としてベストテンを賑わし、あるいはランクされた。彼は青地忠三とともに戦前の日本を代表する記録映画作家のひとりである。1930年の「ガンジュール」は、北蒙古最大のラマ廟の祭礼を記録したもので、美文調のタイトルと原住民の情緒的な描き方が注目された。「草原バルガ」は、満州コロンバイル、バルガ地方の草原風景と遊牧蒙古人の生活をフォトジェニックにとらえ、茫洋として果てしない大陸の風景を巧みに活写した。

★『愛的微笑』(1942満洲映画協会)監督・丁明、脚本・荒牧芳郎・佐竹陸男、撮影・中根正七、美術・堀保治、
出演・葉笙、曹佩箴、王芳明、李唐、干延江、江運達、張敏、畢影、
楊春生は家は貧しかったが、学校では首席を通して
董先生に愛されていた。同じ組の達元は、そんな春生を妬んでいて、いつも意地悪だた。組で万年筆が紛失したときも、春生のせいにした。学校ではグライダーを飛ばすのが流行っているが、買ってもらうことができない春生は、肯定の隅からさびしく眺めているだけだった。しかし、ある日、誘惑に負けて玩具店からグライダーを盗んでしまった。姉はそれを知って、グライダーを店に返させた。店の主人は正直な行為に感心して、かえって大きなグライダーをくれた。生徒たちが写生に出かけた日のこと、達元の画用紙が風に飛ばされて河の中に落ちてしまった。春生は河に入ってそれを拾おうとするが、溺れそうになり、董先生に助けられた。それからは達元と春生は友達になって、運動会では肩を組んで二人三脚に出場するのだった。

★『雁南飛』(1942満洲映画協会)監督・楊葉、脚本・荒牧芳郎、撮影・池田専太郎、
出演・李顕廷、鄭暁君、李景秋、李雪娜、趙恥、陶滋心、杜撰、張愛蘋、蕭大昌、李映、
発動船の機関夫をしている楊徳成は、船主の銭世忠の娘・王華と愛し合っている。しかし、世忠は二千円の金を持ってこなければ、娘との結婚は許さないと楊徳成に言い渡す。楊は、金を稼ぐために地方に出かけて行く。王華と楊とのあいだには、名吉という子供も生まれていたのだが、八年という歳月が流れ、王華の父母は新しい船長の劉源泉との結婚を娘に勧めた。父親のいない名吉を不憫に思って王華は結婚を決意する。三人は幸福だった。そんにところに楊が二千円の金を貯めて帰ってきた。王華は自分の不実を詫びたが、楊は承知できなかった。しかし、劉を実の父親だと信じている名吉の姿を見て、自分から身を引くのだった。そして金をためる九年のあいだ、自分を励ましてくれた義侠の女・静英を懐かしく思い出だしていた。

★『皆大歓喜』(1942満洲映画協会)監督・王心斎、脚本・八木寛、撮影・福島宏、
出演・張敏、徐明徳、劉婉淑、趙愛蘋、浦克、徐頴、王安、
田舎のおばあさんの所へ新京にいる長女・喜英と次男・克定から、建国十周年祝賀行事に来るよう誘いがくる。喜英は病院長の夫人だが、ヒステリーで嫉妬深い。祖母が来たら夫を困らせようと企んでいる。克定は新聞記者で、祖母に結婚の許しを得ようと思っている。三男は博覧会場で会計兼ボーイの仕事につき、妻があるが祖母には隠している。博覧会場で落ち合った一家は、すべてをおばあさんがうまく裁いて、まるい収めてくれる。おばあさんはまた、豊年の喜びに湧く田舎へと帰っていった。

★『恨海難塡』(1942満洲映画協会)監督・朱文順、脚本・丁明、撮影・竹村康和、
出演・徐聡、李顕廷、張静、張慧、趙成巽、隋尹輔、葉苓、陶滋心、
検事・楊国は、妻・秀娟、そして子供の春生と平穏な日々を送っている。そこへ、長年外国で暮らしていた弟の国祚が帰ってきた。かつては秀娟と愛を語ったことのある国祚は、秀娟に金を要求した。そして、もし金を出さなければ、昔もらった秀娟からの手紙を楊国にばらすと脅迫した。秀娟はやむなく信托証書を渡すが、国祚はさらに兄の実印を使って金を手に入れる。しかし、悪党の馮に撃たれて金も証書も奪われる。馮は秀娟の美貌にも目をつけ脅迫する。やがて秀娟は全てを告白して裁きを待つのだった。

★『黒瞼賊 前篇 後篇』(1942満洲映画協会)監督・張天賜、脚本・丁明、姜衍、撮影・藤井春美、
出演・周凋、白崇武、劉恩甲、畢影、王宇培、趙愛蘋、陶滋心、張奕、馬黛娟、戴剣秋、
ある県域で武士ばかりが狙われる殺人事件が起こる。犯人は黒瞼賊と思われているが、捕手頭の高順には手に負えない。高順は呂明と呼ばれるせむしの画家を、その腕を見て武芸達者の者と判断した。呂明は妓館の紫花を描いている。夏輝と名乗る青年武士も足しげく通ってくる。父を黒瞼賊に殺された青年剣客の魏良は、やがて夏輝と一騎打ちをする。高順は夏輝を殺人事件の犯人と見て家を襲うが、夏輝は平然として奥に消えると入れ替わりに黒瞼賊が現れる。高順は地下室に突き落とされ、黒瞼賊の高笑いが響き渡る。やがて犯人が追い詰められるときがくる。呂明は変装をとると夏輝になり、そして、その正体は黒瞼賊であることを自ら暴いて倒れる。張天賜の監督による初めての古装片。前篇 後篇に分かれ、張奕が呂明、夏輝、黒瞼賊の三役を演じている。

★『豹子頭林冲 水滸伝第二集』(1942満洲映画協会)監督・朱文順、脚本・熙野(八木寛、長畑博司、張我権)、撮影・深田金之助、
出演・周凋、王麗君、王芳蘭、李顕廷、趙成巽、陳鎮中、徐聡、
近衛兵の槍術の師範・林沖は、教頭・張の娘・貞娘と許婚だった。ある日、林沖は街中で鉄の禅杖を振り回している一人の僧を押し留めた。有名な花和尚・魯智深であった。二人はすぐに意気投合して酒楼で義兄弟の縁を結ぶと花和尚の大相祥寺へ出かけた。そのとき、ちょうど貞娘が大相祥寺へお参りに来ていたが、貞娘は狩猟の帰りらしい立派な服装の若者に言い寄られて楼上に連れ込まれようとしていた。林沖は若者を打ち倒そうとしたところ、自分の上官・高大尉の息子・高衛内であることから許してやる。高衛内は林沖をなんとかして陥れようと画策する。新しい刀を購入した林沖は、高大尉の使いが、自分の刀と比べたいことを伝えに来たので役所へ出向く。しかし、役所には誰もいず、白虎節堂の中まで入ってしまった。そこは軍の規律で誰も入ってはならない場所だった。そこへ高大尉があらわれ、林沖を取り押さえる。計られた林沖は裁判の後、滄洲へ流罪となる。高衛内の部下は、林沖の護送途中で殺してしまうよう役人に金を与える。しかし、これを花和尚が聞きつけ、やがて衛内もその部下を斬り捨てる。駆けつけた貞娘は、うれし泣きに泣いて林沖と抱き合うのだった。

★『五千万人の合唱』(1942満洲映画協会)監督・大谷俊夫・朱文順、製作・伊東弘、監修・多田満男(牧野満男)、脚本・谷俊・爵青、撮影・藤井春美・福島宏、美術・堀保治、録音・大森伊八、編集・石野誠三、
満州建国十周年の紀念映画として企画された。詳細は不明。坪井與の記録には「作られなかったのではないか」との記述がある。

★勤労的女性(1942満洲映画協会)監督・坂根田鶴子、

★健康的小国民(1942満洲映画協会)監督・坂根田鶴子、


【1943年(昭和18年)】
★『誓ひの合唱』(1943満洲映画協会)製作・藤本真澄、監督・脚本・島津保次郎、撮影・鈴木博、音楽・服部良一、美術・松山崇、録音・鈴木勇、照明・平田光治
出演・李香蘭、黒川弥太郎、鳥羽陽之助、清水将夫、河野秋武、石島房太郎、浅田健三、佐山亮、冬木京三、西村慎、生方明、中村彰、黒井洵、載剣秋、灰田勝彦、
製作=東宝映画=満州映画協会 1943.08.12 紅系 10巻 2,321m 85分 白黒
誓ひの合唱 1943満映系 李香蘭

★『碧血艶影』(1943満洲映画協会)監督・劉国権、脚本・丁明、撮影・気賀靖吾、
出演・徐聡、周凋、張奕、浦克、趙成巽、張静、陳鎮中、李瑞、
金富貴という富豪の家に十万円を要求する脅迫状が届いた。現金を指定の場所に置くと警官が張り込んでいたにもかかわらず持ち去られてしまう。何文才の手下の一人・張甲祖とその女房・蘇秀麗、そして羅子安の三人組が企てた事件だった。終われる犯人の一人・秀麗は、寺の僧に返送して隠れていたが、何文才に突き止められる。そこへ警官が踏み込んできた。金を隠した場所を言わない秀麗を何文才が撃つ。秀麗は倒れながらも何文才を撃ち、金の場所を示す言葉を残して死ぬ。蘇秀麗は、金富貴の家で働く女中・秀麗の姉だった。二人で仲良く暮らすことを夢見て犯した過ちだった。

★『求婚啓事』(1943満洲映画協会)監督・王心斎、脚本・佐竹陸男、撮影・福島宏、
出演・周凋、葉苓、杜撰、浦克、江雲達、梅秋、趙愛蘋、
大順百貨店主の呉国卿は、十年前に妻を失い、いまでは一人娘の芳娥の成長を楽しみにしている。芳娥は、父が再婚しない限りは、一生父のそばにいる積りであった。しかし、ある日、百貨店で逢った田華圃に心惹かれる。国卿は、紅蓮という女の元に通い詰めていたが、紅蓮とその情夫に金をゆすられる。ある日、新聞の求婚広告を見て、国卿は、その相手と会うことになる。しかし、相手の方女史を訪ねたところ、広告のことは何も知らないという。その犯人は芳娥だった。方女史は芳娥の女学校時代の先生だった。やがて国卿と方女史、芳娥と華圃の二組の夫婦がめでたく誕生する。

★『銀翼恋歌』(1943満洲映画協会)監督・大谷俊夫、脚本・長畑博司、撮影・竹村佐久象、
出演・徐聡、戴剣秋、王麗君、趙成巽、陳鎮中、張奕、浦克、趙愛蘋、孟虹、馬黛娟、袁敏、
林志人と秦大華の操縦する小型飛行機が鏡泊湖畔に不時着した。そこで知り合った可憐な乙女・小鳳は、母を失い、叔父を頼って新京に出てきて李家の女中となって働いた。下男として働く従兄の金吾は小鳳をものにしようと狙い、叔母は売り飛ばそうともくろんでいる。ある日、小鳳は、街に出て志人と再会し、飛行場を訪ねて飛行機に乗せてもらう。小鳳は、志人から結婚を申し込まれるが、その頃、金吾は金を使い込んで李家をグビになり、小鳳も家を追われた。全てを諦めて小鳳は身売りすることを承知し、代金はそのまま志人に研究費として送るのだった。落ち込んでいる志人を大華は花街を連れて行く。そこで、いまは雪梅と名乗っている小鳳だった。小鳳は、鏡泊湖に逃げ帰った。志人もあとを追ったが、ときすでに遅く、湖上に小鳳の清らかな姿を見つけた。小鳳は、志人の腕の中で静に息絶えた。

★『白馬剣客』(1943満洲映画協会)監督・張天賜、脚本・八木寛、撮影・藤井春美、
出演・張奕、呉恩鵬、浦克、華影、張暁敏、周凋、戴剣秋、王英影、
城主・陳大守には、白爵のほかに、側室の段氏の子・実念の二人の子供がいた。大守は、跡継ぎを白爵と決めていた。段氏は自分の子供を立てたいという念願で一杯だった。その頃、白爵のみを案ずる重臣たちが、黒衣隊と称する騎馬隊に次々と殺された。白爵派は、黒衣隊を討つには周志傑の帰りを待つよりほかなかった。しかし、帰ってきた志傑は、黒衣隊に恐怖心さえ抱いている様子で、一同は大いに失望した。志傑の恋人・勝姑の父・呂悦まで黒衣隊に殺されるに及んで、勝姑も志傑の不甲斐なさに憤慨する。段氏側は、大宴会を開きその席で大守暗殺さえ企てる。そこへ白馬剣客が現れ、賊を倒す。白馬剣客の仮面の下は志傑その人であった。勝姑は彼の忠誠にただ涙を浮かべた。

★『富貴之家』(1943満洲映画協会)監督・脚本・周暁波、撮影・福島宏、
出演・張敏、王宇培、白玫、周凋、呉菲菲、常娜、梅枝、隋尹輔、張奕、馬黛娟、江雲達、何奇人、陳鎮中、劉恩甲、
大家族丁家の長男・世業は、一家の権力者として家事の一切を妻・大嫂に任せている。次男・世家は、遊び好きで密かに女を作っている。長女・治範は楽天的である。大嫂は、治範を邪魔者扱いして早く嫁にやろうとする。三男・世勤は日本留学中、次女・治平も女学生で学友の桂芬は、兄・世勤と意気投合している。暗い雰囲気の家庭を、帰国した世勤は改革しようとする。しかし、大嫂は治平に結婚を強制しようとして、治平を自殺に追い込む。世勤は大嫂と口論の末、大嫂を殺してしまう。家の財産を自分のものにしようとたくらんでいた長兄の反省を、ようやく牢獄につながれている世勤は知る。桂芬の同情を得て、未来の新生に希望をつないでいる。

★『却後鴛鴦』(1943満洲映画協会)監督・脚本・朱文順、
出演・浦克、張静、徐聡、趙愛蘋、孟虹、張奕、王麗君、王宇培、曹佩箴、江雲達、袁敏、
金持ちの息子・唐鴻志の家には、孤児で従妹の陶英華が引き取られている。英華はすでに鴻志のタネを宿しているが、継母は自分の姪・玉茹と鴻志を結婚させて家を牛耳ろうと思っている。しかし、鴻志が承知しないので英華を弟の家に追いやってしまう。英華は死を考えたこともあるが、腹の中の子供のために仕事を転々としながら、仕事場の同僚の家で出産する。ふたたび鴻志とめぐり会ったとき、子供はすでに死んでいた。鴻志の父は、自分の非を悔いて、財産の一部で貧しい子供たちのために平民学校を創立する。ようやく鴻志と英華の二人も幸せをふたたび取り戻すのだった。

★『千金花子』(1943満洲映画協会)監督・王心斎、撮影・福島宏、
詳細不明

★『燕青と李獅子』水滸伝第三集(1943満洲映画協会)監督・張天賜、脚本・八木寛、撮影・島津為三郎、
燕青は任侠の若者、縁あって梁山泊の宋江の世話になる。宋江は、自分たち梁山泊の連中は悪党ではなく、正義と義侠のために挺身していることを天子に奏上するため、東京城に向かう。しかし、天子は面会しようとはしない。天子の愛している芸妓・李獅子が、宋江に従ってきた青燕に惚れ込んでしまう。李獅子の手引きでようやく宋江は目的を果たすことができる。

★『白雪芳踪』(1943満洲映画協会)監督・朱文順、脚本・馮宝樹、撮影・竹村佐久象、音楽・満映国楽研究部、
出演・張敏、趙成巽、白玫、張素君、華影、戴剣秋、
金持ちの紳士・魏以康は、妻の死後、十回忌の夜、社交界の花形である燕影と再婚するために、女中の呉媽に縁を切ることを伝える。呉媽とのあいだに仲明という男の子までもうけた関係だったが、家を追われて呉媽は仲明の手を引き街をさまよう。ある日、歌う唄いの少女・蓮芳とその祖父との二人連れと知り合い、互いに力を合わせて生活することになる。蓮芳は、歌手としてある茶館と契約した。すこしは収入も安定して仲明も小学校へ通うことができる。それから十二年、仲明は大学生になり、蓮芳と相愛の仲になっている。その頃、魏以康は、燕影との生活にも失敗し、さらに投機にも失敗して破産してしまう。ある夜、魏以康は、茶館で蓮芳を見初め、家に連れ込んで手篭めにしてしまう。魏の家で蓮芳は呉媽と仲明が写っている写真を見つけ、呉媽の告白から過去を知ることになる。蓮芳は汚れた体になったいま、家を出て仲明から去っていく。祖父の死を契機に蓮芳は看護婦となって働くが、ある日、病院に危篤の身となった魏以康が運ばれてくる。魏以康は過去を悔いて呉媽と仲明に会いたいと訴えるが、仲明は自分の過去を知って怒り、会おうとしない。やがて魏以康は息を引き取った。仲明は蓮芳を探したが、ふたたび蓮芳は仲明の前から姿を消して遠くへ去っていった。

★『今朝帯露帰』(1943満洲映画協会)監督・楊葉、脚本・原健一郎、
詳細不明

★『サヨンの鐘』(1943松竹(下加茂撮影所)・台湾総督府・満州映画協会)監督・清水宏、脚本・長瀬喜伴、牛田宏、斎藤寅四郎、撮影・猪飼助太郎、音楽・古賀政男、挿入歌・「サヨンの歌」詩・西条八十、曲・古賀政男、唄・李香蘭、「なつかしの蕃社」唄・霧島昇 菊池章子、「サヨンの鐘」唄・渡辺はま子、美術・江坂実、装飾・井上常次郎、録音・妹尾芳三郎、編集・猪飼助太郎、斎藤寅四郎、衣裳・柴田鉄造、字幕・藤岡秀三郎
出演・李香蘭(サヨン)、近衛敏明(武田先生)、大山健二(村井部長)、若水絹子(その妻)、島崎溌(サブロ)、中川健三(モーナ)、三村秀子(ナミナ)、水原弘志(豚買・サヨンの父)、中村実(ターヤ)、応援参加・桜蕃社
1943.07.01 紅系 9巻 2,520m 92分 白黒
サヨンの鐘 1943満映系 李香蘭

★『萬世流芳』(1942・公開1943中華聯合製片公司=中華電影=満映)監督・張善琨・卜萬蒼・朱石麟・馬徐維邦・楊小仲、
出演・陳雲裳(靜嫻)、袁美雲(玉屏)、李香蘭(鳳姑)、高占非(林則徐)、王引(潘達年)、
阿片戦争 (1840-1842) 百周年記念作品で、中国のトップ俳優4人と李香蘭が共演した話題作。当時広東で阿片の取締りにあたっていた英雄的な大臣林則徐の伝記映画として製作された。中華聯合製片公司と中華電影 (中華電影公司) は日本占領下の上海の国策映画会社 (1943年に合併して中華聯合電影公司) で、満州の国策映画会社満映 (満州映画協会) との共同製作。当初、「反英」のコンセプトで製作されたが、中国人は「抗日映画」と読み替えてヒットしたという。硬質な官憲の伝記映画というよりは、あまいメロドラマと割り切ってみた方が楽しめる。登場する女性3人は女優陣が演技を競う。林則徐が最初に客として招かれた福建巡撫の家の娘靜嫻は林則徐に縁談を断られ、尼寺に篭って阿片中毒を直す薬「戒煙丸」作りに精を出す、阿片戦争が始まると民衆軍を率いて戦い戦死する。福建巡撫の後に林則徐が客として招かれた元県令の家の娘玉屏は、病に倒れた林則徐を看病し、その縁で妻となる。玉屏は母の阿片中毒を直すために「戒煙丸」を求めることで靜嫻と出会い、阿片と戦う林則徐を共に支える。李香蘭が演じるのは阿片窟に出入りする飴売りの娘鳳姑で、阿片中毒で身を崩した潘達年(林則徐の学友)を支えて社会復帰させる妻を演じている。潘達年の阿片中毒を直すために「戒煙丸」を求める鳳姑も靜嫻と知り合う。林則徐の出世や、潘達年の阿片中毒や社会復帰の描写は淡白に描かれているが、女性の成就しない恋、献身、微妙な三角関係と女性間の友情を描いた部分はメロドラマ色が強い。阿片窟で飴売りする靜嫻が阿片窟で飴売りのふりをして『売糖歌』を歌う場面が印象的である。林則徐らの阿片の害毒と国を憂う直接的なセリフよりも、むしろ李香蘭の歌の方が、むしろ説得力があると評された。
萬世流芳 1943満映系 李香蘭

★戦ひの街 1943松竹系 李香蘭

★開拓の花嫁(1943満洲映画協会)監督・坂根田鶴子、

★野菜の貯蔵(1943満洲映画協会)監督・坂根田鶴子、

★暖房の焚方(1943満洲映画協会)監督・坂根田鶴子、


【1944年(昭和19年)】
★『虱は怖い』(1944満洲映画協会)演出・加藤泰通、脚本・今井新、撮影・吉田貞次、動撮(アニメーション)・笹谷岩男、森川信英、音楽・金城聖巻・新京音楽団、照明・山根秀一、2巻 14分 白黒 原題:子虱的怕可
加藤泰(通)が満映で撮った文化映画。実写部分のさまざまな映画技法や当時としては高水準のアニメーションを駆使することによって面白い作品になっている。満映時代にはもう1本『軍官学校』(1944)という作品もある。(原題;子虱的怕可)』(アニメーション;2巻14分)

★『軍官学校』(1944満洲映画協会)演出・脚本・加藤泰通、撮影・黒田武一郎
製作・満州映画協会 白黒

★『晩香玉』(1944満洲映画協会)監督・周暁波、脚本・姜学潜、撮影・藤井春美、王福春、
出演・浦克、白玫、寒梅、屠保光、徐聡、
寒梅は、大連の出身でこの作品でデビューした新人。この一本でスターとなり、「蘇少妹」の主役に抜擢されることになる。

★『緑林外史』(1944満洲映画協会)監督・王心斎、脚本・栗原有三、撮影・近藤稔、
出演・浦克、陳鎮中、曹佩箴、
建国前に監獄に入っていた緑林出身の馬賊が、建国後に出獄して都会に出てくるが、以前の社会とは一変。勝手が違って失敗ばかりする。

★『好孩子』(1944満洲映画協会)監督・池田督、脚本・館岡謙之助、撮影・竹村康和、
出演・干延江、
少年教育を目的とした少年院を舞台とした物語。多くの中学生がエキストラとして参加した。

★『愛與讐』(1944満洲映画協会)監督・笠井輝二、原作・原健一郎、脚本・熙野(八木寛、長畑博司、張我権)、撮影・岸寛身、
出演・孟虹、杜撰、張敏、徐聡、張奕、
文芸作品で、国務院芸術賞を受けた。

★『血濺芙蓉』(1944満洲映画協会)監督・広瀬数夫、脚本・原健一郎、撮影・竹村康和・王福春、
出演・徐聡、白姍、隋尹輔、芦田伸介、
活劇物で監督・広瀬数夫が俳優・ハヤブサ・ヒデト時代のアクロバット芸を披露している。新京放送局放送劇団員の芦田伸介が出演している。

★『夜襲風』(1944満洲映画協会)監督・広瀬数夫、脚本・原健一郎、撮影・福島宏、
周凋、張奕、隋尹輔、李顕廷。
活劇物。助監督の池田督が作った予告編から優れていて好評だった。

★『映城風光』(1944満洲映画協会)監督・大谷俊夫、撮影・深田金之助、
撮影風景を面白く見せる風景映画。

★『妙掃狼煙』原題:王順出世記(1944満洲映画協会)監督・脚本・大谷俊夫、撮影・深田金之助
詳細不明。

★『化雨春風』(1944満洲映画協会)監督・不明、脚本・佐竹陸夫・片岡董、
良家の子だが、臆病な小学生が、遠足に行ってグライダーを見学。そのプロペラを傷つけてしまう。小学生は心配のあまり荒野をさまようが、やがて父の力で気丈夫な子供に成長していく。

★『一代婚潮』(1944満洲映画協会)監督・周暁波、脚本・楊輔仁、
出演・孟虹、杜撰、張敏、周凋、冯露、丹江、云逵、

★『百花亭』(1944満洲映画協会)監督・張天賜、
張奕、寧波、顧萍、寒梅、王人路。

★『月弄花影』(1944満洲映画協会)監督・広瀬数夫、脚本・原健一郎、撮影・深田金之助、音楽・竹内輪治、
出演・李顕廷、顧萍、王宇培、
満映第一回の歌謡映画。歌の上手な人気少女を新京放送局よりスカウトし、顧萍という名前でデビューさせた。

★『私の鶯』(1944満洲映画協会)監督・脚本・島津保次郎、企画製作・岩崎昶、原作・大仏次郎、撮影・福島宏、音楽・服部良一、助監督・池田督、製作提携東宝、
出演・李香蘭、千葉早智子、黒井旬(二本柳寛)、進藤英太郎、グリゴリー・サヤーピン、ヴィクトル・ラウロフ、ニコライ・トルストホーフ、オリガ・エルグコーア、
満州事変で北満にいた日本人一家はそれぞれにはぐれてしまい、母をなくした娘は日系ロシア人の交響楽団員の一人に拾われる。やがて娘は歌手となり、父ともふたたびハルビンでめぐり会う。しかし、養父は最後の舞台で倒れて、娘に看取られて息を引き取る。娘は墓前でひとり「私の鶯」を歌う。戦争の中で家族の別離と再会を描いた東宝との提携作品。内地から演技指導の厳しい名匠島津保次郎を迎え、満映の総力をあげて作った自信作といえる。原作は大仏次郎による「ハルビンの歌姫」。主題歌のほか、李香蘭が次々と名曲を歌う音楽映画。当時、ハルビンの劇場で活躍していた白系ロシア人の歌手を多数出演させ、オペラやロシア歌謡を盛り込み、本編で交わされる会話はほとんどロシア語という異色のミュージカル映画である。しかし、この作品は、昭和19年3月に完成しても一般公開されなかった。内務省の検閲で時局に会わずという理由で公開見送りとされ、満州でもそれに倣ったとされている。しかし、昭和59年に「放浪の歌姫」と改題されたプリントが発見された、当初二時間近くあったものが、半分ほどに再編集されたプリントで、昭和61年6月「私の鶯 ハルピンの歌姫」として一般にも公開された。再編集された短縮版とはいえ脚本は残っているので欠落部分の類推は可能である。一説によると、戦勝国(ソビエト、中国)に差しさわりのある部分は遠慮してカットしたとみられる。満映作品として現在唯一見ることのできる満州映画協会娯民映画である。この作品の撮影中、昭和18年3月に、内田吐夢が脚本家・新藤兼人と「陸戦の華・戦車隊」のロケハンのために渡満していて、島津保次郎の撮影隊と会ったという。1960年代の初めに北京の中国電影資料館の外国映画の整理の仕事をしたアメリカ人の映画史家ジェイ・レイダは、この映画をボルシェヴィキを攻撃・非難している反共映画とした。しかし、元の完全版を見ている大塚有章は、「未完の旅路」五巻で「しかし、あの映画自体は愚劣だったな。シナリオも島津氏が書いたと聞いていたが、仮にも反共映画を作ろうというのなら、少なくとも監督は共産主義のABCくらいは勉強してかからねば駄目だと思うな。ハルビンのキャバレーを舞台にして共産主義者が暗躍しているところを描いたつもりだろうが、あそこまでお粗末では張り合う気も起こらんな」と述懐した。

★室内園芸(1944満洲映画協会)監督・坂根田鶴子、

★野戦軍楽隊 1944松竹系 李香蘭


【1945年(昭和20年)】
★『虎狼闘艶』(1945満洲映画協会)監督・大谷俊夫・池田督、脚本・館岡謙之助、撮影・深田金之助、進行主任・牧野寅太郎、
出演・王心賂、薛素煕、
森林匪賊の物語。虎の出てくる場面が見せ場となるはずだったが、動物園の虎を借りることができず、縫いぐるみと実写のカットバックを用いた。
京劇の舞台女優・薛素煕を抜擢して、龍井から森林鉄道で入った奥地で撮影を開始したが、その鉄道で監督の池田督が足を挟まれ大怪我をするという事故があった。急遽、進行主任の牧野寅太郎が、池田督の書いた絵コンテをカメラマンの深田金之助に渡して撮影は続けられた。撮影末期には池田が5月の大量応召で戦地へ向かうこととなり、さらに深田金之助も撮影終了と同時に招集されたが甘粕が軍に掛け合い南嶺からの外出を許されて完成作品を見ることができた。この作品の完成は、池田の師・広瀬数夫によってなされた。池田督は、甘粕からの特別な書状を持っていたにもかかわらず、誰にも見せることなく、ソ連参戦、日本敗戦で捕虜になり、シベリアへ送られた。

★『芝蘭夜曲』(1945満洲映画協会)監督・朱文順、脚本・周暁波、撮影・杉浦要、音楽・武川寛海、
出演・曹佩箴、
大石橋、娘娘廟を背景とする地での男女の甘い恋物語。

★『蘭花特攻隊』(1945満洲映画協会)監督・笠井輝二、脚本・館岡謙之助、撮影・岸寛身、音楽・武川寛海、
出演・水島道太郎、小杉勇、
昭和20年1月以来、上記のスタッフ・キャストで製作を進行、しかし5月になって笠井輝二監督の応召、そして飛行機の不足から製作中止となった。

★『蘇少妹』(1945満洲映画協会)監督・木村荘十二、脚本・姜学潜・長畑博司、撮影・杉山公平、音楽・武川寛海、
出演・寒梅、
題名の蘇少妹は、宋の詩人・蘇東坡の妹をさすが、実際には妹はなく、伝説中の人物。セットを組み、撮影を開始したところで終戦、未完成に終わった。杉山公平撮影技師は、藤フィルムと交渉して、ラストの部分をカラーにしたい希望があったという。

★『大地逢春』(1945満洲映画協会)監督・周暁波
出演・水島道太郎、小杉勇、

★『夜半鐘声』(1945満洲映画協会)監督・王心斎
出演・王芬蘭

★『租界的夜景』仮題(1945満洲映画協会)脚本・笠井輝二、
昭和19年より満映と華北電影との提携、大東亜省協力作品として笠井輝二が脚本を書き上げた。「脚本が大東亜省の許可を得たので、満映の中村監督、気賀キャメラマン等が華北へ出張、製作スタッフは満映、俳優は華北の企画のもとに天津租界を背景として英国の謀略を描くもの」と、雑誌「日本映画」に紹介された。




●満映における中国人俳優たち
杜撰、周凋、浦克、白玫、江雲逵、王宇培、王安、王影英、王瑛、王麗君、王芳蘭、王芳明、楊恵人、干延江、呉菲菲、劉恩甲、何奇人、戴剣秋、徐聡、李映、李顕廷、李景秋、李雪娜、季燕芬、李唐、李瑞、陳鎮中、曹佩箴、陶滋心、蕭大昌、孟虹、張静、張敏、張望、張奕、張暁敏、張氷玉、張素君、馬黛娟、趙愛蘋、趙成巽、趙恥、趙嘯瀾、張慧、朱徳奎、葉苓、葉笙、隋尹輔、鄭暁君、董波、馬旭儀、安琪、高翮、朱遇春、畢影、杜寒星、劉潮、郭範、尚富霞、候志昂、顧萍、寒梅、袁敏、常娜、梅枝、梅秋、徐明徳、劉婉淑、徐頴、白崇武、李香蘭、


【「満州映画協会」関係文献】国立国会図書館調べ
★満洲映画 [復刻版] 雑誌 ゆまに書房, 2012-2013 東京関西 冊子体
★満州の記録 : 満映フィルムに映された満州 図書 集英社, 1995.8 東京関西 冊子体
★満映男演員名簿 図書 [満洲映画協会], [1940] 東京 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 冊子体 / オンライン
★満映女演員名簿 図書 [満洲映画協会], [1940] 東京 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 冊子体
★「満州映画協会」研究史の整理と今後の展望 雑誌記事 池川 玲子 掲載誌 Image & gender : イメージ&ジェンダー研究会機関誌 7 2007.3 p.99~103 東京 冊子体
★満州映画協会の繁栄と悲劇--大スター李香蘭と甘粕理事長の自決 雑誌記事 掲載誌 政経人 47(5) 2000.05 p.66~74 冊子体
★満映 : 甘粕正彦と活動屋群像 幻のキネマ 図書 山口猛 著. 平凡社, 1989.8 東京関西 冊子体
★幻のキネマ満映 : 甘粕正彦と活動屋群像 (平凡社ライブラリー ; 588) 図書 山口猛 著. 平凡社, 2006.9 東京 冊子体
★「満州」移民映画とジェンダー : 満州映画協会女性監督・坂根田鶴子を中心として 博士論文 池川玲子 [著]. [池川玲子], [2006] 関西 冊子体
★映画随談(第14回)満州映画協会 : 配給部配給係が観た満州とシベリア(1) 雑誌記事 佐伯 知紀 掲載誌 映画撮影 (219):2018.11 p.70-73 東京関西 冊子体
★映画随談(第15回)満州映画協会 : 配給部配給係が観た満州とシベリア(2) 雑誌記事 佐伯 知紀 掲載誌 映画撮影 (220):2019.2 p.60-63 東京関西 冊子体
★甘粕正彦と李香蘭 : 満映という舞台 図書 小林英夫 著. 勉誠出版, 2015.7 東京関西 冊子体
★満映とわたし 図書 岸富美子, 石井妙子 著. 文藝春秋, 2015.8 東京関西 冊子体
★新中国映画の形成 : 旧満州映画協会から東北電影制作所 博士論文 向陽 [著]. [向陽], [2008] 関西 冊子体
★岸富美子(きしふみこ)(元満州映画協会編集者) 甘粕正彦と満洲映画「94歳最後の証言」 雑誌記事 石井 妙子 掲載誌 文芸春秋 92(12):2014.10 p.320-330 東京関西 冊子体
★満映 : 国策映画の諸相 図書 胡昶, 古泉 著, 横地剛, 間ふさ子 訳. パンドラ, 1999.9 東京関西 冊子体 / オンライン
★文化映画 雑誌 文化映画協会 東京 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 オンライン
★文化映画 1(5) 雑誌 文化映画協会, 1938-06 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 オンライン
★文化映画 1(4) 雑誌 文化映画協会, 1938-05 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 冊子体
★初期満映の活動に関する資料--雑誌『月刊満洲』の映画関連記事 (特集 ヴィジュアリズムの光と影--〈満洲〉&東京) 雑誌記事 有馬 学 掲載誌 朱夏 : 文化探究誌 / 『朱夏』編集部 編 (22) 2007.10 p.36~58 東京 冊子体 / オンライン
★映画技術 雑誌 映画出版社 [編]. 映画出版社, 1941-1943 <雑35-335> 関西 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 オンライン
★映画技術 6(1) 雑誌 映画出版社 [編]. 映画出版社, 1943-07 <雑35-335> デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 冊子体 / オンライン
★教材映画 雑誌 十六ミリ映画教育普及会 東京 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 オンライン
★教材映画 (64) 雑誌 十六ミリ映画教育普及会, 1940-06 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 冊子体
★講座日本映画 4 (戦争と日本映画) 図書 今村昌平 [ほか]編. 岩波書店, 1986.7 フィリピン映画/寺見元恵/290日本占領下のインドネシア映画/ユサ・ビラン ; 翻訳/浜下昌宏/300満州映画協会/佐藤忠男/312満映崩壊後の日々/森川和雄 ; 鈴木尚之 ; 新藤兼人/324戦後の大衆文化/鶴見俊介 東京関西 冊子体 / オンライン
★朱夏 : 文化探究誌 雑誌 『朱夏』編集部 編. せらび書房, 1991-2007 東京関西 デジタル 国立国会図書館限定 オンライン
★朱夏 : 文化探究誌 (7) 雑誌 『朱夏』編集部 編. せらび書房, 1994-08 .jp2)中薗英助「わが北京留恋の記」 / 田中益三 / p50~51 (0027.jp2)「証言 満州映画協会」を観る / M・T生 / p58~59 (0031.jp2)小特集<サラワク州の今・昔> サラワク デジタル 国立国会図書館限定 冊子体 / オンライン
★文化映画 雑誌 映画日本社 東京関西 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 オンライン
★文化映画 2(9)(20) 雑誌 映画日本社, 1942-09 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 オンライン
★文化映画 2(5) 雑誌 映画日本社, 1942-05 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 冊子体
★満洲行政経済年報 昭和17-18年版(康徳9-10年) 図書 日本政治問題調査所行政調査部 編. 日本政治問題調査所, 昭和17-18 <14.5-944> 関西 オンライン
★満洲行政経済年報 昭和18年版(康徳10年) 図書 日本政治問題調査所行政調査部 編. 日本政治問題調査所, 昭和17-18 <14.5-944> デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 オンライン
★満洲行政経済年報 昭和17年版(康徳9年) 図書 日本政治問題調査所行政調査部 編. 日本政治問題調査所, 昭和17-18 <14.5-944> デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 冊子体
★満洲行政経済年報 昭和17-18年版 図書 日本政治問題調査所行政調査部 編. 日本政治問題調査所, [19--] <317.9225-M178-N> 関西 オンライン
★満洲行政経済年報 昭和18年版 図書 日本政治問題調査所行政調査部 編. 日本政治問題調査所, 〔19--〕 <317.9225-M178-N> デジタル 国立国会図書館限定 オンライン
★満洲行政経済年報 昭和17年版 図書 日本政治問題調査所行政調査部 編. 日本政治問題調査所, 〔19--〕 <317.9225-M178-N> デジタル 国立国会図書館限定 冊子体
★矢原礼三郎--経歴及び著作目録 雑誌記事 与小田 隆一 掲載誌 久留米大学文学部紀要. 国際文化学科編 / 久留米大学文学部 [編] (25) 2008.3 p.39~49 東京 冊子体
★満洲から筑豊へ : 幻灯『せんぷりせんじが笑った!』(1956)をめぐる「工作者」たちのゆきかい 雑誌記事 鷲谷 花 掲載誌 映像学 / 日本映像学会 [編] (96):2016 p.5-26 東京関西 冊子体 / オンライン
★映画テレビ技術 = The motion picture & TV engineering 雑誌 日本映画テレビ技術協会, 1965- 東京関西 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 オンライン
★映画テレビ技術 = The motion picture & TV engineering (465) 雑誌 日本映画テレビ技術協会, 1991-05 『夜の鼓』(1) / 都築政昭 / p40~46 (0028.jp2)長春映画制作所訪問・報告 残影・満州映画協会(下) / 八木信忠 / p47~51 (0031.jp2)TVニュースの現場から 湾岸情勢取材を終 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 オンライン
★映画テレビ技術 = The motion picture & TV engineering (464)
雑誌 日本映画テレビ技術協会, 1991-04 長春映画制作所訪問・報告--残影・満州映画協会(上) / 八木信忠 / p18~22 (0015.jp2)湾岸戦争のなかの国際映画祭--テヘランか デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 冊子体 / オンライン
★満洲国策会社綜合要覧 図書 満洲事情案内所, 1939 <335.49-M178m> 関西 デジタル インターネット公開 冊子体
★図説満州帝国の戦跡 (ふくろうの本) 図書 太平洋戦争研究会 編, 水島吉隆 著. 河出書房新社, 2008.7 首都//94長春の街を歩く 和洋中を折衷した「満州風」建築物の数々//98東洋一のスタジオを擁した満州映画協会//104第5章 ハルビンロシアが築いた国際都市//110ハルビンの街を歩く ヨーロッパの香り漂う 東京関西 冊子体 / オンライン
★映画国策の前進 図書 山田英吉 著. 厚生閣, 1940 <778-Y158e> 関西 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 冊子体 / オンライン
★映画国策の前進 図書 山田英吉 著. 厚生閣, 昭15 <773-91> 関西 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 マイクロ / オンライン
★映画国策の前進 3版 図書 山田英吉 著. 厚生閣, 昭和15 <特219-301> 東京関西 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 冊子体 / オンライン
★満洲国策会社綜合要覧 康徳6年度 (満洲事情案内所報告 ; 第54号) 図書 満洲事情案内所 編. 満洲事情案内所, 康徳6 <789-94> 関西 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 冊子体 / オンライン
★滿洲映画. Manchou movie magazine 日文版 雑誌 滿洲映畫發行所, 1937-[1939] 東京 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 オンライン
★滿洲映画. Manchou movie magazine 2(8) 日文版 雑誌 滿洲映畫發行所, 1938-09 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 オンライン
★滿洲映画. Manchou movie magazine 2(5) 日文版 雑誌 滿洲映畫發行所, 1938-05 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 冊子体
★満洲帝国 : 満鉄・満映・関東軍の謎と真実 (洋泉社MOOK) 図書 洋泉社, 2014.11 東京関西 冊子体 / オンライン
★ダイヤモンド産業全書 第13 図書 ダイヤモンド社, 昭13 <744-83> 関西 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 マイクロ / オンライン
★映画戦 (朝日新選書 ; 13) 図書 津村秀夫 著. 朝日新聞社, 昭和19 <778-Ts74-9ウ> 東京関西 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 冊子体 / オンライン
★映画戦 (朝日新選書) 図書 津村秀夫 著. 朝日新聞社, 1944 <778-Tu735e7> 関西 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 冊子体
★メディアのなかの「帝国」 (岩波講座「帝国」日本の学知 ; 第4巻) 図書 山本武利 責任編集. 岩波書店, 2006.3 東京関西 冊子体 / オンライン
★帝国の銀幕 : 十五年戦争と日本映画 博士論文 Peter Brown High [著] p236 (0126.jp2)2「王道楽土」への招待 / p238 (0127.jp2)3 李香蘭と満州映画協会 / p241 (0128.jp2)4「支那人を描け!」 / p246 (0131.jp2)第8章 関西 デジタル 国立国会図書館内/図書館送信 冊子体
★写真集成近代日本の建築 7 図書 ゆまに書房, 2012.3 東京関西 冊子体 / オンライン
★特殊会社準特殊会社法令及定款集 康徳5年 (調資B5 ; 第10号) 図書 満州中央銀行調査課, 1938 東京 デジタル インターネット公開 冊子体
★二〇世紀満洲歴史事典 図書 貴志俊彦, 松重充浩, 松村史紀 編. 吉川弘文館, 2012.12 東京関西 冊子体
★秘密のファイル : CIAの対日工作 下 図書 春名幹男 著. 共同通信社, 2000.4 ,155,162,164,330マルコムX//(上)56丸紅//(下)390丸山真男//(上)432満州映画協会(満映)//(上)351満州国//(上)235,351,411 (下)79,162,164満州国通信 東京関西 冊子体
★新聞集成昭和編年史 昭和15年度版 1 図書 明治大正昭和新聞研究会 編集製作. 新聞資料出版, 1992.10 四七〇津田左右吉博士の取調べ一段落//四七一「ロツパと兵隊」三月の北野劇場//四七一「満州人の少女」満州映画協会//四七一八日ソ連の対芬平和提議・社説//四七一銃後の自粛・社説//四七一ソ連・フィンランド和平交渉 東京関西 冊子体
★新聞集成昭和編年史 昭和14年度版 4 (十月~十二月) 図書 明治大正昭和新聞研究会 編集製作. 新聞資料出版, 1992.8 年度輸入洋画百二十本に決る//七三一青年アジア連盟、問題の映画ガンガデイン上映反対に請願書//七三一満州映画協会、映画で日本紹介//七三一蒙古活仏大阪朝日新聞社来訪//七三一元ひとのみち事件結審//七三一二三日議 東京関西 冊子体
★新聞集成昭和編年史 昭和15年度版 4 図書 明治大正昭和新聞研究会 編集製作. 新聞資料出版, 1993.4 壮丁武道大会//三〇〇新考案「祝典結び」//三〇〇馬の売上二十五万円・日本競馬会阪神競馬場//三〇〇満州映画協会、上映も直営に//三〇〇八日蘭印の驕慢を戒しむ・社説//三〇〇米大統領第三期施政への片鱗//三〇一ブ 東京関西 冊子体
★新聞集成昭和編年史 昭和13年度版 3 図書 明治大正昭和新聞研究会 編集製作. 新聞資料出版, 1991.8 /三七四満蒙、意外な大収穫・演劇行脚の一行帰途へ//三七五仏文豪ジイド氏の作品映画化に横槍//三七五満州映画協会、支那を舞台に進出//三七五映画ニユース・「雪山のアルバム」他//三七五五日国境事件の折衝・社説//




ひとの犯す過ち

$
0
0
村上春樹が、フィッツジェラルドの翻訳にこだわっていることを知ったとき、「そうだったのか」と思い当たるものがありました。

あのシニカルで乾いた、独特の理屈っぽい村上春樹の文体は、自分にとって、そこがまたたまらない魅力を感じるところだったのですが、それが1920年代(~1930年代も)のフィッツジェラルドの古風な文体の影響だったと知ったときの意外は、なかなか受け入れられるものではありませんでした。

しかし、今回出版された村上春樹編訳の「ある作家の夕刻」(フィッツジェラルド後期作品集というサブタイトルがついています)を読んだとき、影響を受けたのはむしろ「文体」ではなくて、その文体に染み込んでいる晩年のフィッツジェラルドの「絶望感」だったりとか「蒼ざめた諦念」や「虚無の自嘲」、もうどうだってかまわないとでもいうような「投げやりさ」などにあるのだなと、へんに納得するものがありました。

村上春樹が、ヘミングウェイではなく、むしろフィッツジェラルドに魅せられたことが、なんだかとても好ましく感じました、あえていえば無防備な優しさに対するみたいな「救い」だったかもしれません。

富も名声も、そして自尊心までも充たした輝かしい人生の果てで、さらに虚栄心を満たすかような自殺で締めくくったヘミングウェイに対して、世間から忘れ去られ冷笑を浴びせられながら惨憺たる晩年を不運のなかで過ごしながら、ヨワイ40歳という若さで、まるで老いた憐れなアル中みたいに(事実まさにそのとおりだったのですが)無様に野たれ死んだフィッツジェラルドに魅せられたということに、たまらないシンパシイを感じたのだと思います。

この「ある作家の夕刻」の帯には、このようなコピーが記されていました。

「巧みに、軽妙に、時には、早すぎる死を予期したかのように―翳りのなかにあって揺るぎなく美しい1930年代の名品群」そして「華やかな喧騒の日々から一転、三十代半ばにして迎えた不遇の時代。妻ゼルダの失調、経済的逼迫、アルコール依存、作家としての窮状さえも、フィッツジェラルドは見事に小説に結実させていった。」
この本に収載されている小説は、「異国の旅人」「ひとの犯す過ち」「クレイジーサンデー」「風の中の家族」「ある作家の午後」「アルコールに溺れて」「フィネガンの借金」「失われた十年」の八編、エッセイは、「私の失われた都市」「壊れる」「貼り合わせる」「取り扱い注意」「若き日の成功」の五編で、これらのなかには、今回新たに訳し直されたものもあるということです。

のちのちの自分の「覚え」のために解説を抜書きしました。

★「異国の旅人」(「サタデー・イヴニング・ポスト」誌1930.10.11号)
小扉の解説では、このように要約されています。
《アメリカを離れ、1920年代のヨーロッパを自由に優雅に旅行する裕福な若い夫婦。ハンサムな夫と、美しい妻。イノセントで幸福な彼らの身に、異国の地でいったいどんなことが起こったのか? 来るべき長編小説「夜はやさし」1934の先触れとなるような、静かで巧妙な不穏さを秘めた物語だ。主人公たちのモデルになっているのは、もちろんスコットとゼルダだが、ヨーロッパにおける二人の友人、富裕なジェラルド・マーフィー夫妻の姿もそこに混じり込んでいる。そのへんもまた「夜はやさし」と同じだ。セーヌ川のボート上のパーティーも実際にマーフィー夫妻が主催したもので、その新奇な趣向と優雅さでパリ中の話題を呼んだという。》
旅行者として訪れたヨーロッパの地で若きアメリカ人夫妻が取り澄ましたイギリス人たちとのなかで「ささやかなトラブル」に巻き込まれ、そのとき異邦人としての違和感と孤立感とを描いた作品ですが、自分の印象では、「伝統」とか「身分」とかに対する劣等感ではなく、金にあかせて「洗練」をいかに身にまとおうとも、そうした付け焼刃を「都会人(イギリス人)」からすべて見透かされ冷笑を浴び罵られた「田舎者(アメリカ人)」の屈辱感が描かれているのではないかと感じました。ゼルダの実際の写真を見たときの印象は、自分にはいかにもアメリカの田舎娘だなという印象だったことも拭えません。そして、この感覚は、やがて零落したフィッツジェラルドが、アメリカでしたたかに味わうことになった冷ややかな「軽侮」と「冷笑」と同じものではなかったのだろうかと思いました。

★「ひとの犯す過ち」(「サタデー・イヴニング・ポスト」誌1930.1.18号)
小扉の解説では、このように要約されています。
《原題のTwo Wrongsは、人の犯す過ちに、過ちをもって対しても、決してよい結果は生まないという意味だ。ここでは夫婦の間の危機が描かれているが、それは現実にフィッツジェラルド夫妻の身に起こったことだ。スコットの浮気と、ゼルダの不貞。一種の「楽園追放」とも言うべき出来事であり、それはスコットの飲酒を促進し、ゼルダの精神を無残に蝕んでいくことになる。この頃からフィッツジェラルドの書く小説は否応なく、後戻りのきかない絶望を、そして深い傷を負った心からにじみ出る独特の美しさを含むようになる。それは「夜はやさし」という長編小説の中に見事に結晶していくわけだが。》
この小説のタイトル「ひとの犯す過ち」が、とても気に入って、この小文のタイトルに(ちゃっかり)採用させてもらいました。ここに描かれているのが「自己顕示欲」とか薄っぺらな「うぬぼれ」であったとしても、さらにその奥には、どのようにしても他人とコミュニケーションがとれない孤絶と苛立ちがあって、自分のその不全と無力感に対して「どうしてなんだ」と問い続けるフィッツジェラルドの素直な愚かさに、処世巧者のヘミングウエイなどは、たまらない苛立ちを感じたのだなと思いました。苛立ちのあまり「罵倒のひとこと」くらい発することを抑えられなかったかもしれません。

★「クレイジー・サンデー」(「アメリカン・マーキュリー」誌1932.10号)
小扉の解説では、このように要約されています。
《現在ではフィッツジェラルドの傑作短編のひとつとされているが、当時は十を超す数の雑誌に掲載を断られ、「アメリカン・マーキュリー」というあまりぱっとしない雑誌でようやく日の目を見た。フィッツジェラルドが筋の改変と短縮を、断固拒否したためだった。この作品には、フィッツジェラルドが1930年代初めにハリウッドで仕事をしているときに経験した幾つかの出来事が、材料として用いられている。フィッツジェラルドは、女優ノーマ・シアラーと、その夫である映画界の大物アーヴィング・タルヴァーグの主催するパーティーで、実際に主人公と同じような失敗を犯したといわれている。抑えようのない自己顕示欲が、この人の個人的な泣きどころだった。》

★「風の中の家族」 (「サタデー・イヴニング・ポスト」誌1932.6.4号)
小扉の解説では、このように要約されています。
《竜巻に巻き込まれた南部の田舎町、才能と学識に恵まれながらも、なぜかアルコール依存症で人生を誤ってしまった医師。その外科医の姿は「夜はやさし」の主人公、ディック・ダイヴァー医師の辿った運命を思い起こさせる。なんといっても、巨大な竜巻の描写が実に見事だ。ジョゼフ・コンラッドの名作「颱風」における嵐の描写を彷彿させる。自然の圧倒的な暴力をリアルに描きながら、視線がどこまでも精密で、大げさにぶれることがない。僕(村上春樹です)は高校生のときにこの作品に出会って、その筆力に深く感心したことを記憶している。そういう意味でも個人的に好きな作品だ。今回ようやく翻訳することができて、嬉しかった。》

★「ある作家の午後」(「エスクァイア」誌1936.8号)
小扉の解説では、このように要約されています。
《この作品を書いた当時、フィッツジェラルドは娘のスコッティーと二人で、ボルティモア市内のアパートメントに住んでいた。精神を病んだゼルダが当地の病院に入っていたためだ。仕事は思うように進まず、体調は優れず、多額の借金を抱えていた。商業誌は彼に、むかしと同じような洒落た都会風恋愛小説を求めていたが、苦境にある今の彼には、そんなお気楽な小説を書こうという気はとても起きない。そのギャップが彼を悩ませていた。そのような薄暗い日常を、フィッツジェラルドは「私小説」的に淡々と描写していく。体裁はあくまでフィクションだが、そこに描かれた心情はほとんどフィッツジェラルド自身のものだろう。そのとき彼はまだ四十歳にもなっていないのだが。》

★「アルコールに溺れて」 (「エスクァイア」誌1937.2号)
小扉の解説では、このように要約されています。
《いまから四十年近く前に僕(村上春樹)は、この作品を「アルコールの中で」という訳題で訳出したことがある。ずいぶん昔のことなので、今回改めて訳し直した。この小説の舞台となった街の名は明かされていないが、バスが人種別の席になっているところを見ると、南部であることが分かる。たぶん彼が静養していたサウス・カロライナ州アッシュヴィルではないかと思われる。彼はそのホテルで滞在し、なんとかアルコール依存症から立ち直ろうと苦闘していた。リアルで暗い内容の話であり、普通の商業誌ならまず引き受けそうもないが、「エスクァイア」の編集長アーノルドギングリッチは、フィッツジェラルドの信奉者であり、その作品を進んで掲載することで、晩年の彼を精神的に、経済的に支えた。》

★「フィネガンの借金」 (「エスクァイア」誌1938.1号)
小扉の解説では、このように要約されています。
《一種のユーモア小説と呼ぶべきなのだろうか。借金で首の廻らない自らの生活を、フィクションの形で戯画化している。どんなことだって片っ端から小説の材料にしてしまう作家フィッツジェラルドのタフさ(貪欲さ)に、改めて感心させられることになる。そしてまた、彼が採用している小説スタイルの驚くべき多彩さにも。どんなスタイルで書いても、この人の文章はうまい。原文の巧妙にもってまわったユーモアの感覚が、うまく日本語に移し変えられたいたら嬉しいのだが。スクリプナー社の編集長マックスウェル・パーキンズと、文芸エージェントのハロルド・オーバーが、明らかに登場人物のモデルになっているわけだが、二人はこの作品を読んでおそらく頭を抱えたに違いない。あるいはただ苦笑したか・・・。》

★「失われた十年」 (「エスクァイア」誌1939.12号)
小扉の解説では、このように要約されています。
《これも「フィネガンの借金」と同じように自らの置かれた逼迫した状況を、フィクションとして戯画化した作品だ。駆け出し編集者の若者らしいイノセントな目を通して、ひとりの「謎の人物」が語られる。その人物が、この十年間に彼のたどってきた道のりが、少しずつ、あくまで曖昧にではあるけれど、読者にも示唆されていく。とても軽妙な文体で、短く軽い作品として仕上がっているのだが、そこで示されている内容には、深い絶望と、失われてしまったものに対する憧憬のようなものがうかがえる。フィッツジェラルドの「文章芸」を愉しむための小さなショーケースとなっている。》

★「私の失われた都市」
小扉の解説では、このように解説されています。
《1932年7月に執筆されたが、発表されたのは死後のことだった。この作品も「アルコールに溺れて」と同じく、40年近く前に訳出したのだが、(そのときのタイトルは「マイ・ロスト・シティ」)、今回新しく訳し直した。個人的に好きな作品なので、少しでもよりこなれた、より正確な訳にしたかった。フィッツジェラルドはここで、ニューヨークというひとつの都市を軸として、自分の人生を語る。当時の彼はヨーロッパから引き上げてきたばかりで、妻ゼルダは精神を病み、入院と退院を繰り返していた。アメリカは暗い不況時代を迎え、20年代の浮かれ騒ぎはもう過去のものとなり、フィッツジェラルドの小説スタイルも時代遅れなものと見なされていた。しかし、その都市と自らを語る筆致は精密で逞しく、またリリカルだ。彼は頭ではなく、ペン先で深く考えをめぐらせているように思える。文章の説得力はおそらくそこから生まれてくるのだろう。》

★「壊れる」「貼り合わせる」「取り扱い注意」(「エスクァイア」誌1936.2.3.4号)
小扉の解説では、このように解説されています。
《この三篇のエッセイを引き受けて掲載しただけでも、「エスクァイア」の編集長アーノルド・ギングリッチの功績は賞賛されるべきだ。僕(村上春樹)はこの三篇のエッセイが個人的に大好きで、昔から何度も読み返してきた。自分でも訳したかったのだが、それはもっと年齢を重ねてからの方がいいだろうと思って、今まで手を出さずに大事にとってきた。でもまあそろそろ良い頃合いではないかと思いなし、本書のために訳出した。
僕(村上春樹)はもちろんフィッツジェラルドの小説を愛好しているが、彼の小説から何か具体的な、技術的な影響を受けたかというと、それはあまりないと思う。精神的な影響を受けたということはあっても・・・。しかしエッセイに関しては、ある程度具体的な影響を受けてきたかもしれない。長いエッセイを書くときには、僕(村上春樹)はいつもこの「壊れる三部作」と「私の失われた都市」を頭に思い浮かべるようにしているから。ヘミングウェイに「女々しい」と罵られたこのエッセイの美しさを、そしてそこに隠された芯の強さを、皆さんにも味わっていただけたらと思う。》


実は、すこし前にBSでジョン・フォードの「タバコ・ロード」1941を見てそのハチャメチャぶりに驚いたことがありました。

あの「これでもか」というアメリカ南部の農民の愚かさのキワミのような描き方には、心底うんざりさせられるものがあったのですが、しかし、逆に、あの飾り気のない人間の活力を凝視し、その奥にあるものを描き出すことのできるチカラこそ「アメリカ文学」の魅力であり真髄なのかもしれないと感じた部分もありました。

さらに加えて、「怒りの葡萄」や「わが谷は緑なりき」に続く作品ということを知って、前の二作からジョン・フォードが「社会主義者」の傾向があるのかという噂を払拭し、「アメリカ文学」の信奉者であることの流れの中にある作品であることも知りました。
あ、いつものことながら軽薄に思い立って、さっそく「計画と挫折を前提にしたような読書目標」として「安直・アメリカ文学リスト」を急ごしらえしてみました。

これをどこまで読めるのかは分かりませんが、こうしてリストを作ること自体の意義というものだって別にないわけじゃありません。

でも、これってやっぱ「計画フェチ」とでもいうのでしょうか。

以下は、時系列など無視した「五十音順」のアメリカ文学のリストです。


☆アーサー・ミラー『世界の創造とその他のこと』『セースルマンの死』『るつぼ』『橋からのながめ』
☆アースキン・コールドウェル『タバコ・ロード』『神に捧げた土地』
☆アーネスト・ヘミングウェイ『誰がために鐘はなる』『日はまた昇る』『武器よさらば』『老人と海』『移動祝祭日』『海流のなかの島々』
☆アリス・ウォーカー『カラーパープル』『メリデ ィアン』
☆アレックス・ヘイリー『ルーツ』。
☆アレン・ギンズバーク詩集『吠える』『キャディシュ』『変化』『アメリカの夜』
☆アン・ビーティ『ラヴ・オールウェイズ』
☆アン・ブラッドストリート『第十番目の詩神』
☆イシュメル・リード『自由な葬儀人足』
☆ウィリアム・インジ『帰れ,愛しのシバ』『バス・ストップ』
☆ウィリアム・エラリー・チャニング
☆ウィリアム・カルロス・ウィリアムズ『ペイターソン』
☆ウィリアム・カレン・ブライア ント詩集『ブライアント詩作集』「死生観」
☆ウィリアム・H・ギャス 『アメリカの果てに』
☆ウィリアム・サロイヤン『空中ブ ランコに乗る勇敢な若者』『我が名はアラム』
☆ウィリアム・スタイロン『闇の中に横たわりて』。
☆ウィリアム・ディーン・ハウェルズ『サイラス・ラバムの良心』
☆ウィリアム・バロウズ 『裸のランチ』
☆ウィリアム・フォークナー『アブサロム,アブサロム』『サートリス』『響きと怒り』
☆ウィリアム・ブラッドフォード『ブリマス植民地』
☆ウォーレス・スティーブンス詩集『ハルモニューム』
☆ウォルト・ホイットマン詩集『草の葉』
☆ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』『アーダ』
☆エイミ・タン『ジョイ・ラック・クラブ』。
☆エズラ・パウンド『版画』『詩篇(カントーズ)』
☆エドガー・アラン・ポウ短編『黒猫』『黄金虫』『アーサー・ゴードン・ビム』『アナベル・リー』『ユリイカ』
☆エドガー・L・ドクトロウ『ニューヨーク万国博覧会』『ビリー・バスゲイト』など。
☆エドガー・リー・マスターズ『スプーン・リヴァー・アンソロジー』
☆エドゥイン・アーリントン・ロビンソン『ザ・マン・アゲインスト・ザ・スカイ』
☆エドワード・アルビー『ヴァージニア・ウルフなんか怖くない』
☆エドワード・オルビー『海辺の風景』 。
☆T.S.エリオット『荒地』『四つの四重奏』
☆エリザベス・ビショップ『詩集―北と南,冷たい春』
☆エルマー・ライス『街の風景』『計算機』など。
☆カースン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』『結婚式のメンバー』など。
☆カート・ヴォネガット『チャンピオンたちの朝食』『青ひげ』『母なる夜』『ローズウォーター氏に神の祝福を』『屠 殺場 5号』
☆E.E.カミングズ詩集『チューリブス・シムニーズ』
☆クリフォード・オデッド『レフティを待ちつ つ』『月へのロケット』
☆ゲィリー・スナイダー『亀の島』。
☆ケン・キージー『カッコウの巣』
☆コットン・マザー『アメリカにおけるキリストの大いなる御業ニューイングランド教会史』
☆サミュエル・シューアル『日記』
☆ジェームス D.サリンジャー『ライ麦畑で捕まえて』『フラニーとズーイ』『大工たちよ,屋根の梁 を高く上げよ,シーモア・序章』
☆ジェイムズ・ジョーンズ『地上より永遠 に』。
☆ジェイムス・T・ファレル『若きロニガン』『審判の日』
☆ジェイムズ・フェニモア・クーパー 革脚絆物語―『鹿猟師』『モヒカン賊最後の砦』『道を開く者』『開拓者』『大草原』
☆ジェイムズ・ボールドウィン『山に登りて告げよ』『ジョバンニの部屋』『もう一つの国』『チャーリイ氏の ためのブルース』
☆ジェイムス・ミッチナー『トコリの橋」
☆シドニー・キングスレイ『白衣の人々』『デッド・エンド』
☆シャーウッド・アンダソン『オハイオ州ワインズバーグ』『貧乏白人』
☆ジャック・ケルアック『路上』『禅ヒッピー』
☆ジョイス・キャロル・オーツ『国境の向こう』『ベルフロール』『光の天使』『マラヤ,一人の人生』『彼ら』『愛の車輪』
☆ジョゼフ・ヘラー『キャッチ 22』
☆ジョナサン・エドワーズ『意思自由論』
☆ジョン・アーヴィン『ガーブの世界』『ホテル・ニューハンプシャー』『メアリー・オウエンに祈りを』
☆ジョン・アシュベリー『凸面鏡に映った自画像』
☆ジョン・アップダイク『帰ってきたウサギ』『金持ちになったウサギ』『さよならウサギ』『イーストウィックの魔女たち』『走れウサギ,走れ』『ケンタウロス』『カップル ズ』
☆ジョン・ウールマン『私記』
☆ジョン・ウィンスロップ『ニューイングランドの歴史』
☆ジョン・オハラ『サマーら〔ラ〕の町で会おう』
☆ジョン・ガードナー 『キングス・インディアン』『オクトーヴ〔バ〕ア・ライト』など。☆ジョン・スタインベック『二十日ねずみと人間』『怒りの葡萄』『エデンの東』『怒りの葡萄』
☆ジョン・スミス『ヴァージニアとイングランドとサマー諸島の一般史』
☆ジョン・チーヴァー『短編集』
☆ジョン・ド・クレヴクール『アメリカ農夫便り』
☆ジョン・ドス・パソス『三人の兵士』
☆ジョン・ハーシー『アダノの鐘』『ヒロシマ』など。
☆ジョン・バース『キメラ』『サバティカル』など。
☆ジョン・バース『氷上オペラ』『路の果て』『タバコ商人』『山羊少年ジャイルズ』
☆シルヴィア・プラス詩集『エアリアル』『冬の木立ち』 。
☆シンクレア・ルイス『メイン・ストリート』『バビッド』
☆スーザン・ソンタグ『エッセイ』『私のエトセトラ』『隠喩としての病エイズとその隠喩』
☆スティーヴ・エリクソン『彷徨う日々』 。
☆スティーブン・クレイン『街の女マギー』『怪物』
☆セオドア・ドライザー『シスター・キャリー』欲望三部作『財界人』『巨人』『克己の人』『アメリカの悲劇』
☆セオドア・レトキ詩集『目覚め』『風に向かっての言葉』
☆ソートン・ワイルダー『我が町』
☆ソール・ベロー『学生部長の 12月』『オーギー・マーチの冒険』『雨の王ヘンダーソン』『ハ ーツォグ』『サムラー氏の遊星』
☆チャールズ・ブロックデン・ブラウン『ウィーランド』『エドガー・ハントレー』
☆デイヴィッド・マメット『シカゴの性的倒錯』『グレンギャリー・グレン・ロス』。
☆テネシー・ウィリアムズ『イグアナの夜』『ガラスの動物園』『欲望という名の電車』『バラの刺青』『熱いトタン屋根の上の猫』
☆ドス・パソス『U.S.A.』三部作『北緯 42度 線』『1919 年』『ビッグ・マネー』 。
☆ドナルド・バーセルミ『罪深き愉 しみ』『パラダイス』『帰っておくれ,ガリガリ博士』『白雪姫』『都市生活』
☆トニー・モリスン『青い目がほしい』『ソロモンの 歌』『タールベイビィ』『ビラウド』
☆トマス・ウルフ『天使よ故郷を見よ』『時と川について』
☆トマス・ジェファスン『ヴァージニア覚書』
☆トマス・ビンチョン『重力の虹』『ヴィインランド』『V.』『競売ナンバー 49 の叫び』
☆トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』『冷血』『遠い声,遠い部屋』 。
☆ナサニエル・ウェスト『パルソー・スネルの夢の生活』『いなごの日』
☆ナサニエル・ホーソーン『緋文字』『トワ イス・トールド・テールズ』
☆ニール・サイモン『カリフォルニア・スウィート』『ブライトン海岸のメモリー』Come Blow Your Horn,Bare Foot in the Park,The Odd Couple ,The StarSpangled Girl, Plaza Suite ,Last of the Red Hot Lover。
☆ノーマン・メイラー『死刑執行人の歌』『女性とそのエレガンス』『古代の夕べ』『裸者と死者』『バーバリの岸辺』『鹿の園』『ぼく自身のための広告』『アメリカの夢』『なぜ僕ら はヴェトナムへ行くのか』
☆ハート・クレイン詩『ブリ ッジ』
☆ハーマン・ウォーク『ケイン号の反乱』。
☆ハーマン・メルビル『白鯨』
☆フィリッブ・フレノー『サンタクルズの美しい人』
☆フィリップ・ロス『さようならコロンバス』『ポートノイの不満』『解き放たれたザッカーマン』など。
☆フラナリー・オコナー『賢い血』。
☆フランク・ノリス『マクティーブ』小麦三部作『オクトバス(たこ)』『小麦取引所』『狼』
☆フランシス・フィッツジェラルド『楽園のこちら側』『偉大なるギャッツビー』
☆ベルナルド・マラマッド『魔法の樽』『アシスタント』『もう一 つの生活』『フィクサー』。
☆ベンジャミン・フランクリン『貧しきリチャードの暦』『自叙伝』
☆ヘンリー・アダムズ『アメリカ合衆国史』『ヘンリー・ アダムズの教育』
☆ヘンリー・ジェイムズ『ある婦人の肖像』『使者たち』『黄金の盃』
☆ヘンリー・デービッド・ソロー『森の生活』
☆ヘンリー・ミラー『北回帰線』『南回帰線』『サクセス』『ネクサス』
☆ポール・オースター『ガラスの都市』『最後の者たちの国で』など。
☆ポール・グリーン『アブラハムの胸』
☆A.S.マーウィン『エイシアン・フィギュア』 。
☆マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』
☆マイケル・ウィグルワース『最後の審判の日』
☆マクシン・ホーン・キングストン『チャイナタウンの女武者』など。
☆マクスウェル・アンダスン『ウィンターセット』『上院下院』
☆ユージン・オ ニール『氷人来る』『カリブ島の月』『地平線の彼方』『毛猿』『楡の木陰の欲望』
☆ラルフ・ウォルド・エマソン『自然論』『アメリカの学者』『神学部講演』『代表的人物論』
☆ラルフ・エリスン『見えない人間』
☆リチャード・ライト『アメリカの息子』『アウトサイダー』
☆リリアン・ヘルマン『子供の時間』『子狐たち』
☆レイモンド・カーヴァー『大聖堂』『僕が電話をかけている場所』など。
☆ロナルド・スーキニック『小説の死』
☆ロバート・フロスト『ボストンの北』『証の樹』

東京暮色

$
0
0
BS放送で小津作品「東京暮色」を放映していたので、本当に久しぶりに、じっくりとこの作品を鑑賞することができました。

しかし、このように簡単に「じっくりと鑑賞することができた」などと言葉にしてしまうと、いままで自分がこの作品に対して抱いていた「気持ち」とか「印象」からは、ずいぶんと隔たりのある言い方になってしまうことに気づかされます。

あえて、「じっくりと鑑賞することができた」というなら、正確にはそれは、「久しぶり」ではなくて、むしろ「初めて」のことと言うべきなのではないかと。

「東京暮色」は、その「救いがたい深刻さ」と「陰々滅々さ」において、多くの小津作品とは明らかに一線を画し、というか、他を圧して余りある作品ということができます。

多くの小津作品においてなら、たとえ徹底的な絶望や苦々しい諦念が描かれていたとしても、それでも、そのラストでは、必ずや微かな希望もまた同時に描き込むのを忘れることなく、本編で痛切に描かれている深刻さの割には、鑑賞後の印象はさほどでもなくて、たとえば「救いがたい深刻さ」や「陰々滅々さ」の代表格のようにいわれるあの「風の中の牝鶏」においてさえ、生活苦からやむなく売春に走った妻の一時の過ちを夫が徹底的に責め苛み(戦地に行っていた夫は、自分が不在のために逼迫した家族に何も為しえなかったという責任や負い目も当然あったと思います)お互いを傷つけずにはおられないという夫婦の壮絶な葛藤が描かれたあとの荒廃で、「これでやっと俺たちも、これからどうにか生きていけそうだ」と確認し合い抱擁するというラスト(贖罪感)が描かれていたことを考えれば、やはり深い部分で僕たちは「救い」を感じることができたのだと思います。

しかし、この「東京暮色」においてだけは、この最後の救いすら許されているとは、どうしても思えません。

どこを探してもこの作品には「そんなもの」は、最初からないのです。

次女(有馬稲子)を事故で亡くし、一時同居していた長女(原節子)も夫の元へ帰り、すべてを失った父・周吉は、一人きりの孤独のなかで生きていかねばならない姿がラストで素っ気無く描かれているだけです。

なるほど、なるほど、これがまさに、自分が、《「久しぶり」ではなくて、むしろ「初めて」》と感じた、つまり長い間この作品を事実上「敬遠」してきたという本当の理由だったのだと思い至りました。

思えば、小津作品に描かれている人物たちに対して、そのラストにおいて微かにではあっても「救い」を感じられたのは、その絶望や失意の一端で、「しかし、これでも自分たちは、まだまだ幸せな方なのだ」とか「これでどうにか生きていけそうだ」と思い直す部分がわずかに残されていて、その多様性こそが日常生活を生きる庶民のせめてもの才覚であり姿でもあること、母親の死に直面し、深い悲しみに動揺しながらも同時に喪服の心配ができるという、以前の自分なら「失笑」をさそわれるという反応しかできなかったもの、その矛盾を生きる人間の「なにものか」が、この世を生き抜いていく庶民の処世であり活力であり「救い」であることに気づかされたということなのかもしれません。

「風の中の牝鶏」にあって、「東京暮色」に欠落しているもの、お互いが、お互いを決して許そうとしない家族のこの頑なな緊張関係が、自分が長いあいだ抱いてきた「東京暮色」への違和感であることにようやく気がつきました。

しかし、では何故よりにもよってこの作品にだけは、小津監督は「微かな救い」を織り込もうとしなかったのか、そんなふうに考えていたとき、今年の四月に出た「小津安二郎大全」(朝日新聞出版)の中にも「東京暮色」を製作したときの当時の状況の記述があるので、かいつまんで書いてみますね。

《1956年8月22日、骨髄性白血病で入院した溝口健二を京都府立病院に見舞った。これが最後の別れとなり、24日に溝口は亡くなった。58歳だった。当時としては特別早い死ではない。2年前には同じく交友のあった同年代の井上金太郎監督も亡くなっている。

9月から再び蓼科で過ごす。土地も人々も気に入り、小津も別荘を借り受けた。

そこを「無藝荘」と命名し、野田と「東京暮色」を執筆開始した。「彼岸花」を除いて、以降の作品は、蓼科で執筆することになる。

執筆中は毎日のように酒を飲んだが、酔った小津は「カチューシャ」「千葉心中」「不如帰」「婦系図」などを歌い踊った。ジョン・フォード「駅馬車」のモノマネを披露することもあったという。

11月末、「東京暮色」を脱稿した。

「東京暮色」は、小津監督最後の白黒作品である。画面の調子は暗く、悲劇的な内容だが、カラー作品が増えている当時にあって、小津監督は白黒でしか表現できない深みのある作品を撮ろうとした。

「晩春」以来共同で脚本を務めてきた野田高梧とは物語の内容をめぐって対立し、完成した作品にも批判的だった。

役を演じる俳優をあらかじめ決めて脚本を書く小津だが、想定していた役者に出演を打診した結果、ほぼ全員が想定通り決定したが、想定と異なる配役があった。ひとりは父親役に考えていた山村聰で、舞台出演の時期と重なったため出演不可となり、代わりに刑事役の予定だった笠智衆が父親を演じることになった。

また、主演の次女役には岸恵子を考えていたが、彼女が他作出演や仏国のイヴ・シャンピ監督(仏)との結婚の予定があって都合がつかず、こちらも出演不可となった。

小津は「早春」で岸を大変気に入っており、「俺がひとりの女優のために六ヶ月もかけて書いたシナリオなんだ。これは、君のために書いたんだ。君なんかよりもいい女優はたくさんいる。でも、これは岸恵子じゃなきゃできない役なんだ」と伝えたといわれる(浜野保樹「小津安二郎」)。

しかしその調整はつかず、次女役は結局有馬稲子が演じることになった。この頃の役者は皆喜んで小津作品に出演することを希望し配役には困らなかったという状況下では、これはたいへん異例のことだった。当然、キャスティングの段階で出鼻をくじかれた形になった小津監督に、なんらかの失望とダメージがあったことは否めない。

作品の下敷きになったのは、前作「早春」でも広告が写り込んでいたエリア・カザン監督の「エデンの東」1955である。小津はこの作品にたいへん入れ込んでいた。

偉大な父と、死んだと聞かされていた母、父親からの愛情を切望する次男などの人物設定に類似点がある。自分の境遇を下の子が苦しむ点、母親の働いている場所が社会的地位の低いいかがわしい場所・娼館や麻雀屋という点も同じだが、聖書を基調にしたこの欧米的なストーリーを日本の状況に強引に当て嵌めようとした設定には当然に無理があり、違和感は免れなかった。

時はまさに石原慎太郎が衝撃的な小説「太陽の季節」を書いて太陽族が流行し、映画化もされようかという時代。「大船調」を守っていた松竹の興行成績が、新作二本立てに踏み切って時代劇ブームを起した東映に抜かれ、二位に転落し、翌年には大映にも抜かれて、翌々年には五位に凋落した。大船調を守り続ける松竹の方針に批判が高まり始めたという時代である。

1957年1月、撮影開始。

小津は「いままでは劇的なものは避けて、なんでもないものの積み重ねで映画を作ってきたが、今度は僕のものでは戦後初めてドラマチックな作品となろう。芝居を逃げずに、まともに芝居にぶつかるという作り方をしようと思っている。話の仕組み自体はメロドラマ的なものだが、メロドラマになるもならないも芝居の押し方次第だ。近頃は、大船調批判が厳しいようだが、正調の大船調とはこれだということを、この作品で示してみようと思っている」と語り、作品への意欲を示した。脚本執筆では、野田高梧が反対する部分もあったが、小津は押し通した。助監督によると撮影時、「そんなものが撮れるか、それは野田が勝手に書いたんだ」と小津がめずらしく声を荒げることもあったという。大幅に撮影は遅れ、小津組にはめずらしく、夜中まで撮影が続くこともあった。

4月、「東京暮色」が公開された。物語も画面の調子も暗い作品となったが、「この次に撮る作品も、やはりドラマチックなものにする予定です」と語った。

「東京暮色」は、小津監督が力を入れた作品だったが、批評家や若者から小津は時代遅れだとの批判があがり、キネマ旬報ベストテンでも19位という結果に終わる。それを知った小津は、「俺は19位だから」と周囲に自虐的に語った。野田ものちに、リアルに現実を表現することは無意味だとこの作品を批判した。

のちに小津の脚本全集を出す井上和男からも「若者のヴィヴィッドな動きは、フィックスのローポジでは掴めない」「今の若い女子のにとって、中絶なんて非行でも無軌道でもない、日常茶飯事だ」などと批判された。

生々しい不倫という情事を、女優・岸恵子が演じる軽妙さによって、現実の生臭さと深刻さとを免れた「早春」のあの独特な雰囲気をかもしだそうとした「東京暮色」も、想定していた主演女優を失い、「太陽族ブーム」のあおりを受けて、むき出しの痛切なリアルしか表出できなかったことが、負の成果としての「東京暮色」だったのかもしれないなという思いがきざしてきました。

大人たち=世間と家族の冷ややかな無関心と悪意によって自滅していく「次女・杉山明子」役を、はたして(あるいは「やはり」)、岸恵子以外には演ずることができなかったのかどうか、監督の意に添わぬまま主演に抜擢された有馬稲子と、フランスの三流監督との愚にもつかない結婚のために小津安二郎作品の主演女優の座を逃した岸恵子、この二大女優がいずれもいまだ存命中だとしても、もはやどうすることもできません。


(1957松竹大船撮影所)企画・山内静夫、監督・小津安二郎、監督助手・山本浩三、脚本・野田高梧、小津安二郎、撮影・厚田雄春、撮影助手・川又昂、音楽・斎藤高順、美術・浜田辰雄、装置・高橋利男、装飾・守谷節太郎、録音・妹尾芳三郎、録音助手・岸本真一、照明・青松明、照明助手・佐藤勇、編集・浜村義康、編集助手・鵜沢克巳、衣裳・長島勇治、現像・林龍次、進行・清水富二、
出演・原節子(沼田孝子)、有馬稲子(杉山明子)、笠智衆(杉山周吉)、山田五十鈴(相馬喜久子)、高橋貞二(川口登)、田浦正巳(木村憲二)、杉村春子(文学座)(竹内重子)、山村聰(関口積)、信欣三(民芸)(沼田康雄)、藤原釜足(東宝)(下村義平)、中村伸郎(文学座)(相馬栄)、宮口精二(文学座)(刑事和田)、須賀不二夫(富田三郎)、浦辺粂子(大映)(「小松」の女主人)、三好栄子(東宝)(女医笠原)、田中春男(東宝)(「小松」の客)、山本和子(前川やす子)、長岡輝子(文学座)(家政婦富沢)、櫻むつ子(バアの女給)、増田順二(バアの客)、山田好二(警官)、長谷部朋香(松下昌太郎)、島村俊雄(「お多福」のおやじ)、森教子(堀田道子)、石井克二(菅井の店の店員)、菅原通済(特別出演)(菅井の旦那)、山吉鴻作(銀行の重役)、川口のぶ(給士)、空伸子(給士)、伊久美愛子(うなぎ屋の少女)、城谷皓二(麻雀屋の客)、井上正彦(麻雀屋の客)、末永功(麻雀屋の客)、秩父晴子(義平の細君)、石山龍嗣(深夜喫茶の客)、佐原康(深夜喫茶の客)、篠山正子(深夜喫茶の客)、高木信夫(深夜喫茶の客)、中村はるえ(深夜喫茶の客)、寺岡孝二(深夜喫茶の客)、谷崎純(取調べを受ける中老の男)、今井健太郎(受付の警官)、宮幸子(笠原医院の女患者)、新島勉(バアの客)、朝海日出男(バアの客)、鬼笑介(バアの客)、千村洋子(町の医院の看護婦)、
1957.04.30 15巻 3,841m 140分 白黒




《以下は、挫折し廃棄した草稿です》
この「東京暮色」には、かつて母親がふたりの娘を置き去りにして駆け落ちし、家を出てしまったという一家の「その後の惨憺たる物語」が描かれています。
「現代」においての小津作品に対する僕たちの大まかな印象を、無理やりひとことで括ってしまうとすれば、(自分だけかもしれませんが)やはり「明るさ」ということになると思うので、この「東京暮色」という作品の暗さはいっそう際立っていて、その意味で「例外的な作品」ということは可能なのかもしれません。
自分など、その「明るさ」が過ぎて見えてしまい、むしろずいぶんと虚無的に感じてしまう部分もあったりするのですが。
しかし、残念ながら(というか、むしろここでは謙虚に、「寡聞にして」とでも言うべきでしょうか)、いまに至るまで、この作品が小津作品群の中でどう例外的なのかと表明した評文というものに接した記憶がなかったので、手元の資料に二、三あたって確認してみることにしました。
最初に見たガイドブックには、こう記されていました。
《小津監督は、それぞれの物言わぬ肩や背中に生きることの悲哀をずっしりと感じさせ、寂莫の人生模様を、甘い感傷に溺れることなく、みごとに織り上げてみせた。》
なるほど、なるほど、なんかコレ、やたらと褒めてるじゃないですか。
こちらの家庭の事情で、最初から「例外的」という負の評価に照応するものだけを見つけ出し、歪んだ先入観を満足させられればいいやくらいの身勝手なものだったので、まず受けたこの「意外さ」の不意打ちは、考えればむしろ常識的で、正義にかなった正統な評価ということができるかもしれません。
いつの時代にも「偏見」を振り戻し正してくれる「常識」というものは、やはり存在しているものなのだなとヒトリ感じ入った次第です。

太宰治の「オネエ小説」概論

$
0
0
8月10日の夕刊の一面に、「水の都へ、清きお濠に」という見出しで、皇居の外堀と内堀の汚染が著しいので、玉川上水に接続して抜本的に浄化しようという案が報じられていました。

記事によると現在のお濠は下水道とかにもつながっていて、夏場はとくに汚染が激しく藻や悪臭が発生するそうなので、玉川上水とつないで循環させ、浄化してお濠をきれいにしようという案だそうです。

この唐突な見出しを見た当初は、何十年もほったらかしにしておいて、「なにをいまさら」という気持ちしかありませんでしたが、よく読むと、それもこれも2020年・東京オリンピックをめどにして、それ以後に具体化するということです、そうと分かると「はは~ん、なるほどね」とようやく納得することができました。

まあ、こういうことも婉曲的にはですが、「オリンピック効果」のひとつといえるわけで、当然「是とすべきもの」と思いますが、かつて猥雑な東京を国家的な突貫工事によってまたたくまに高速道路網を完成させ、東海道新幹線も走らせ、驚異的な速さでカラーテレビを普及させた(これについては今上天皇のご成婚時が契機だったという説もあります)あの1964年のオリンピックのときと比べると、もはや施設やインフラ、そしてソフトの面でも完成されてしまっている観のあるいまの東京では、最早することなどごく限られてしまい、為すべきものも尽きていて、仮にもしあるとしてもせいぜい「補修」とか「修繕」くらいしか考えられないので、この「玉川上水連結」など、施策担当者が「仕事はないか」と必死に探したあげくに、やっとひねり出した「妙案」だったのかも、などと感心しながら、その一方で、それにしてもずいぶんと突飛なアイデアだなと思わずクスッと笑ってしまったほどでした。

だって、お堀の水など汚れている方がむしろ重厚なくらいで風格もあっていいじゃないかと思うのですが、しかし、考えてみればあの満開の桜の散る季節、花びらが滂沱と滝のように降り注ぐ千鳥が淵の荘厳な光景を思い起こし、毎年のおびただしい落花が何年にもわたって堆積し、そのままに放置されているわけで、積り積もった堀の底は手の施しようもないくらいのヘドロの層になっていることも想像され、やはりここは玉川上水を回流させるという大鉈を振るう施策というも必要なことなのかもしれないと思えてきました。などと記事を読みながら、一人このような妄想にふけりながら、また別の思いにも捉われていました。

「玉川上水」といえば、すぐに連想するのは、そこで情死をとげた太宰治のことです。

つい最近の映画でも、たしか「人間失格」とか「ヴィヨンの妻」が映画化されて、太宰治の根強い人気を再認識させられた印象が鮮明に残っています、

しかし、自分としては、どうしてもイマイチ好きになれない作家のひとりです。

自らの「不具」(社会的不適応もそのひとつですが)をことさらに誇張し、見せびらかし、売り物にして「オレはこんなにダメな人間なのだ」と同情を誘いながら、「でも、こんなオレのことがアンタは好きなんだろう? な?」みたいな、他人に媚びへつらうような取り入り方にどうしても嫌悪が先立ち、その開き直った傲慢な卑屈さには、どうにも耐えがたいものがありました。

たとえば、小説「晩年」のなか、最初の「葉」の冒頭部分などは、本気なんだか、それとも傷心をよそおって読者の感心を煽るもの惜しげなテクニックだかなんだか知りませんが、どちらにしても、とても嫌なものを感じてしまいます。

こんな感じです。

《死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が折り込められていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。》(「晩年」の「葉」冒頭部分)

こんな感じのものなら、まだまだあります。

小説「姥捨」の冒頭、小説の書き出しとしては、読者の意表をつく「そのとき、」という前後になにひとつ脈絡もなく突飛な言葉で不意に始められる(奇を衒うという意味で)とても有名な冒頭部分です。

《そのとき、(原文では、この言葉を際立たせるために、すぐに改行されています)
「いいの。あたしは、きちんと始末いたします。はじめから覚悟していたことなのです。ほんとうに、もう。」
変わった声で呟いたので、
「それはいけない。お前の覚悟というのは私にわかっている。ひとりで死んでいくつもりか、でなければ、身ひとつでやけくそに落ちてゆくか、そんなところだろうと思う。おまえには、ちゃんとした親もあれば、弟もある。私は、おまえがそんな気でいるのを、知っていながら、はいそうですかとすまして見ているわけにはゆかない。」などと、ふんべつありげなことを言っていながら、嘉七も、ふっと死にたくなった。
「死のうか。一緒に死のう。神様だって許してくれる。」
ふたり、厳粛に身支度をはじめた。》(「姥捨」の冒頭部分)

こんなふうに書いていたら、むかし、ある酒の席で、話の勢いの成り行きから、その「太宰嫌い」を披露しなければならない局面に立たされたことを思い出しました。

そのとき、たまたま隣に座っていたごく若い神経質そうな文学少女に猛烈に反発され、執拗に食って掛かられたことがありました。《あなたがいまウダウダ非難した「それ」こそが、太宰治の人間的な魅力なのだと》

しかし、どのようになじられても、自分としては太宰の人格的な歪みについてはどうしても受け入れられず、とうてい理解できるものではないことを繰り返すしかありませんでしたが。

まあ、そういうことがあったあとでも懲りずに太宰作品は、折りに触れて少しずつ努めて読むようにしていますが、やはり、どうしても、そして、いつまでたっても自分には太宰治(人間と作品)に馴染めないということが、ますますはっきりしただけでした、それくらいが努力した読書の成果というか、収穫といえば収穫ということになります、いわば「不毛な収穫」だったわけですが、いざこうして「不毛な収穫」などと文字にしてみると「収穫」と「不毛」とは、いかにも矛盾し相反する言葉の組み合わせであることが、いまさらながら奇妙な感じです。しかし、これが自分の実感でした。

自分の「嫌悪」は、太宰の世の中に対する甘ったれた姿勢もそうですが(こうストレートにいってしまうと、またまた、揚げ足をとられて非難されそうですが)、むしろ、文体とか語り口のスタイルの方にこそあったのではないかと。そもそも太宰治に馴染めないのは、どうもあの独特の「おんな言葉」で語られる軟弱な独白口調(女性独白体小説)にあるのだと、あるとき、天啓のように気がついたのです、この「気がついた」というのは、ごくごく最近のことで(自分は硬質な文体を好むので、とくにそう感じたのかもしれません)ちょっとそのあたりのイキサツを書いてみようと思います。

自分のいつもの散歩コースの重要な一部に駅前の書店をのぞくというのがあります。

住んでいるところは、なにせものすごい田舎です、そこにある唯一の書店なので(一度つぶれて、いまの店は代替わりした二代目ということになります)、毎日のぞいてみるといっても昨日と今日の品揃えに特別の変化があるかもしれないという懸念などいささかも必要ありませんが、自分の日常的な散歩の定例コースにあたるので、どうしても立ち寄ってしまうという事情があるくらいです。

そして、のぞく売り場というのも、おもに「小説」と「映画」のところと限られているので手間もかかりません。「映画関係」のコーナーは、スペースからいえば普通です、新宿・紀伊国屋書店の売り場(別館の方)と比べても、三分の二くらいは確保されているのではないかという、それなりの扱いになっていますが、しかし、「品揃えのセンス」からいえば比べものにならないくらいの格差を感じます。そりゃあ、あなた、それは単に購買客の資質を反映しているにすぎないよと言われてしまえば、返す言葉もありません。

新宿・紀伊国屋書店の「映画本」売り場で斬新な選択の魅力的な書籍に囲まれながら、それを片っ端から読みとばし世界映画史を跳梁しつくすという快楽の時間は1~2時間くらいではとうてい満足できるものではありません、3~4時間は優に必要で、実際もそうさせてもらっていて、それこそザラにあることです(立ち読みの分際でこんなことを言うのも気が引けますが、それでも時間は足りません)、それに比べてわが町の書店の「映画本」売り場などというものは、ものの3分もあれば十分通過することが可能な腐界にすぎません。なんでこんなにも韓国人俳優やタレントの愚劣な本を律儀に揃えなきゃいけないのだ、いったいこんな愚劣なものを誰が読むんだと一瞬辺りを見回して些か憤り、この見事に低劣な品揃えに心底うんざりして店をあとにしながらも、しかし、「明日」もまたここに立ち寄ることになるわが囚われの哀れな習慣が、なんだかとても可哀想になってきました。ほんとにもう、という感じです。

そんな感じで、この週末、いつもの散歩の定例コースをたどって書店に入りました。

そして、いつものように「小説」の売り場をゆっくり眺めながら歩いていたとき、一冊のオレンジ色の装丁の本が目に止まりました。最近ではついぞ見かけなかった本なので、思わず手に取りました。

背表紙には、大きな活字で「だれも知らぬ」と書かれています。そして、さらにその上に小さな活字で、「太宰治・女性小説セレクション」とあります。いったいこりゃあなんなんだと、ペラペラと頁をめくると、目次には、見知った太宰治の小説のタイトルが羅列されています。さらに本文をパラパラ走り読みすると、どうも収録されている作品の多くは、いままで自分が敬遠してきたあの「おんな言葉」で書かれた女々しい小説が、かなりの割合で収録されている印象です。なるほど、だから「太宰治・女性小説セレクション」なんだなと。

★井原あや編・太宰治女性小説セレクション「だれも知らぬ」(春陽堂書店)2019.7.10.1刷、317頁、2700円

生誕110年とあるこの本は、どうも太宰治の旧作を集めたアンソロジーのようですね。まあ、太宰治亡き今となっては、どの作品も旧作には違いありません。

出版社が、出版物のアイデアに枯渇すると、苦肉の策として名前の通った作家の旧作を集めてアンソロジーを出すということは、よくあることだと耳にします。それなりの売上げがあり、安定的に投入した資金の回収がみこめるからだと思いますが、それにしても、なんでいまさら太宰治なんだと訝しく思いながら、巻末の編者(井原あや)の「解説」を読んだとき、自分の抱いていた積年の疑問が一気に氷解したのでした。

この本に収録されている小説と、掲載された雑誌名・掲載年月号、そして太宰独特の意表をつき、既知の場所から突然動いているストーリーを始めるように読者の関心をダイレクトに掴み取る見事な書き出しを添えて以下に書いてみますね。


☆雌に就いて「若草」1936年5月号《これは後述します》
☆喝采「若草」1936年10月号《書きたくないことだけを、しのんで書き、困難と思はれたる形式だけを、選んで創り、・・・》
☆あさましきもの「若草」1937年3月号《こんな話を聞いた。たばこ屋の娘で、小さく、愛くるしいのがゐた。》
☆燈籠「若草」1937年10月号《言へば言ふほど、人は私を信じて呉れません。逢ふひと、逢ふひと、みんな私を警戒いたします。ただ、なつかしく、顔を見たくて訪ねていつても、なにしに来たといふやうな目つきでもつて迎へて呉れます。たまらない思ひでございます。》
☆I can speak「若草」1939年2月号《くるしさは、忍従の夜。あきらめの朝。この世とは、あきらめの努めか。わびしさの堪へか。わかさ、かくて、日に虫食はれゆき、仕合せも、陋巷の内に、見つけし、となむ。》
☆葉桜と魔笛「若草」1939年6月号《桜が散って、このやうに葉桜のころになれば、私は、きつと、思ひ出します。と、その老夫人は物語る。いまから三十五年まへ・・・》
☆ア、秋「若草」1939年10月号《本職の詩人ともなれば、いつどんな注文があるか、わからないから、常に詩材の準備をして置くのである。》
☆おしゃれ童子「婦人画報」1939年11月号《子供のころから、お洒落のやうでありました。》
☆美しい兄たち「婦人画報」1940年1月号《父がなくなったときは、長兄は大学を出たばかりの二十五歳、次兄は二十三歳、三男は二十歳、私が十四歳でありました。》
老ハイデルベルヒ「婦人画報」1940年3月号《八年前のことでありました。当時、私は極めて懶惰な帝国大学生でありました。一夏を、東海道三島の宿で過ごしたことがあります。》
☆誰も知らぬ「若草」1940年4月号《誰も知ってはいないのですが、と四十一歳の安井夫人は少し笑って物語る、可笑しなことがございました。私が二十三歳のハルのことでありますから、もう、かれこれ二十年も昔の話でございます。》
☆乞食学生「若草」1940年7月号~12月号《一つの作品を、ひどく恥かしく思ひながらも、この世の中に生きていく義務として、雑誌社に送つてしまつた後の、作家の苦悶に就いては、聡明な諸君にも、あまり、おわかりになつてゐない筈である。》
☆ろまん燈籠「婦人画報」1940年12月号~1941年6月号《八年まへに亡くなった、あの有名な洋画の大家、入江新之助氏の遺家族は皆すこし変つてゐるやうである。》
☆令嬢アユ「新女苑」1941年6月号《佐野君は、私の友人である。私のはうが佐野君より十一も年上なのであるが、それでも友人である。》
☆恥「婦人画報」1942年1月号《菊子さん、恥をかいちやつたわよ。ひどい恥をかきました。顔から火が出る、などの形容はなまぬるい。草原をころげ廻つて、わあつと叫びたい、と言つても未だ足りない。》
☆十二月八日「婦人公論」1942年2月号《けふの日記は特別に、ていねいに書いて置きませう。昭和十六年の十二月八日には日本のまづしい家庭の主婦は、どんな一日を送つたか、ちよつと書いて置きませう。もう百年ほど経つて日本が紀元二千七百年の美しいお祝ひをしてゐる頃に、私の此の日記帳が、どこかの土蔵の隅から発見せられて、百年前の大事な日に、わが日本の主婦が、こんな生活をしてゐたといふことがわかつたら、すこしは歴史の参考になるかも知れない。》
☆律子と貞子「若草」1942年2月号《大学生、三浦憲治君は、今年の十二月に大学を卒業し、卒業と同時に故郷へ帰り、徴兵検査を受けた。極度の近視眼のため、丙種でした、恥ずかしい気がします、と私の家に遊びに来て報告した。》
☆雪の夜の話「少女の友」1944年5月号《あの日、朝から、雪が降つてゐたわね。もうせんから、とりかかつてゐたおツルちゃん(姪)のモンペが出来上がつたので、あの日、学校の帰り、それをとどけに中野の叔母さんのうちに寄つたの。》
☆貨幣「婦人朝日」1946年2月号《私は、七七八五一号の百円紙幣です。あなたの財布の中の百円紙幣をちよつと調べてみて下さいまし。或るいは私はその中にはひつてゐるのかも知れません。もう私は、くたくたに疲れて、自分がいま誰の懐の中にゐるのやら、或るいは屑籠の中にでもはふり込まれてゐるのやら、さつぱり見当も附かなくなりました。》

リストの中でいちばん掲載の多い雑誌「若草」について、編者は「右に挙げた一覧のうち、「若草」という雑誌については、ここで少し触れておきたい」と、とくに解説を加えています。

《「若草」は、宝文館の「令女界」の姉妹雑誌として刊行された文芸雑誌である。その後、次第に男性読者・投書家も増えていくのだが、たとえば「雌に就いて」が掲載された前後の号には、「令女界でもよくみかけました」、「令女はサヨナラなさったの?」というように「令女界」や少女雑誌を経て「若草」にたどり着いたという読者の声もあり、創刊時の性格も踏まえて今回ここに収録した。》

そして、太宰治もこのリストの一番最初にあげられた小説「雌について」の冒頭で、「若草」という雑誌に小説を掲載するについて、言い訳がましくこんな書き出しで始めています。

《その若草という雑誌に、老い疲れたる小説を発表するのは、いたずらに、奇を求めての仕業でもなければ、読者へ無関心であるということへの証明でもない。このような小説もまた若い読者たちによろこばれるのだと思っているからである。私は、いまの世の中の若い読者たちが、案外に老人であることを知っている。こんな小説くらい、なんの苦もなく受け入れてくれるだろう。これは、希望を失った人たちの読む小説である。》

なるほど、なるほど。

この本に収録されている太宰治の「女性小説」といわれる作品が、そもそも女性読者を想定したこうした女性文芸雑誌に合うように努めて書かれたのだということがよく分かりました。そうですか、はじめて知りました、そういうことなら了解できますよね。

そして、思えばそれは商業誌としてならごく当然の話ですよね。注文のあった雑誌社の方針や当の雑誌の傾向に合わせて、それなりの作品を太宰は書こうとしたのだと思います。原稿料で食べていかなければならない以上、誰しもそれは「継続的にお仕事をもらうため」には、あるていど当然の判断だと思います。作家は、なにも書きたいものだけを書いていけるわけではなく、発注者の意向をできるだけ忖度して、自分の考え方と先様の要望との兼ね合いのなかで、作品を書くことがプロの作家というものなのだと。

むかし、酒の席で年端のいかない文学少女と太宰文学をめぐって大人気なく言い争うなど、最初から無益なことだったことが、やっとこれで分かりました。

太宰が女性向けに書いた小説を若き女性がまっすぐに受け取り理解したそのことに関して、場外にいるにすぎない大人の部外者がなにもとやかく言う必要も、そしてその資格もなかっただと。

「軟弱な文学」からも、「硬派な文学」からも究極的に受け取る本質というものはきっとただひとつか、あるいは大差なくて、ただそこにあるのは、語り口調やスタイルの違いがあるだけのはなしで、なにもむきになって目くじらを立てることもなかったのかもしれません。

なんかこう書いてみると、太宰治を最初から予断を持って貶してばかりいたみたいですか、決してそんなことはありません。

一時流行のように新潮社や講談社や中央公論、そして文芸春秋社や集英社が、競って出していた「日本文学全集」のたぐいの「太宰治集」からでは、とうてい読むことができなかった作品群(作品の格としてインパクト的に弱く優先順位が劣っていたということはあったかもしれませんが)がこうして読むことができたということは、やはり収穫だったと思います。

今回は、太宰治のストーリー・テラーとしての多才ぶり・巧みな構成力にとりわけ感銘を受けたという一席でした。

なんだよ、ほめてんじゃん。


8月は、確かお約束の「岡本喜八・月間」だったはず

$
0
0
8月に戦争映画の放映が多いのは、「終戦記念日」があるからですが、これを契機に戦争で死んだ英霊のミタマを悼む厳粛な気持ちにならなければと思うより先に、惰性で繰り返される固定化・マンネリ化した戦争映画の放映というお約束の「企画」自体が、いつもながら随分と安直な発想だなとシラケ返り、げんなりさせられ、イマイチ厳粛な気持ちになれないでいました。

だいたい、「戦争映画」とひとくちにいっても、そのスタイルや内容がさまざまであるように見えて、実は、作られ方自体は画一化されていて、迎合するにしろ反発するにしろ、「ご時勢(権力者から大衆まで)」の微妙な鼻息を窺いながら作られているという独特のクサミがどうしても鼻について、素直に見ることができませんでした。

それは、たとえばサキの大戦を懐古する好戦的な映画から、人道主義を持て余したどっちつかずの中途半端な映画まで、いやいや「反戦映画」といわれるタグイの作品群においても、おしなべてそれはいえることのような気がします。だいたい「反」とはいっても権力へ擦り寄る媚態という部分ではなんら変わらない、隠微なシナを作ったオモネリの姿勢はみえみえで同質、結局それはどこまでもただの免罪符とか踏み絵でしかなく、だから一層いかがわしい印象を拭えないまま嫌悪さえもよおし、いずれにしても自分としてはこの「戦争映画」一色に染められた「戦争映画月間」というダレた季節を、どちらにも組みすることもできないまま、落しどころのない苛立ちを抱えて、どうにかやり過ごさなければならないというのが、この「8月」の毎年の過ごし方でした。

もし、キューブリックやオリバー・ストーンの戦争映画を知らないで、これらの低レベルな邦画に晒され続けたとしたら、辛抱の足りない自分などは、とっくのむかしに、きれいさっぱり映画へのこだわりなど放棄できていたと思います。

しかし、そんな作品群のなかにもたったひとつの例外、いわば「救い」という意味での例外的な作品というのはありました、岡本喜八の「独立愚連隊」です。

「戦争」という忌避の固定観念から「アクション映画」という視座を得て切り込み、従来の硬直した贖罪と被虐趣味に隷従していたストーリーを解き放ち、自由な発想とスタイルをもって免罪符でも踏み絵でもない映画、客観的に「戦争」を別の角度から照射してそこにこそ「何もの」かを気づかせてくれることのできた作品、欺瞞に満ちた嘘八百の「深刻さ」ではなく、もちろんベタベタのお涙頂戴の「被虐趣味」なんかでもなく、むしろ「諧謔」や爽快な「誇張」によってしか表現し得ないそのスタイルによって、より「真実」に近づくことのできた映画、それが岡本喜八の「独立愚連隊」でした。日本においては本当に稀有なことですが、スタイルの発見というかたちで「作家性の発揮」を僕たちに見せ付けてくれた数少ない作品だったと思います。

この作品の公開当時、作品に浴びせられた大方の批判(はっきりいって「非難」ですが)は、描き方に対する「戦争に対する不謹慎」という罵声でした。

しかし、その非難は、そのまま発言の批判者自身でさえ気がつかなかっただけの(「戦争」はかく描くべきと断じ偏執した愚にもつかない囚われ)、薄汚れた日本的情緒を持て余していた従来の日本映画なら決して作りえなかった作品、優れて突出した異質な作品に対する驚愕と動揺と条件反射的に異物を排斥せずにおられない狭小で愚劣な情動の証しにすぎなかったことは、この国の映画史がとっくのむかしに証明してしまっていることでもあります。

とまあ、こんな感じで今年も「独立愚連隊」でも見て、せいぜいすっきり救われようかと月間プログラムを楽しみに開いたのですが、なんと「独立愚連隊」の放映予定などどこにもアップされていませんでした。なんだよ、全然わかっちゃねえなあと心底がっかりしてしまいました。

それならいったいなにがあるんだと見たところ、やっぱ派手派手のあの「日本のいちばん長い日」1967は、しっかりとアップされていました。

しかし、それにしても、これはどう贔屓目にみても原田眞人作品を引き立たせるための刺身のツマみたいな扱いにすぎません、もっともそれは「よく言えば」の話なので、実のところは、コタビの岡本作品のアップは「先様を褒めるために、こちらを貶す」というまるで噛ませ犬の扱いです、今後もこんな感じで作家性の希薄な「日本のいちばん長い日」は、こんなふうにして戦争懺悔の「8月の場」に引きずり出されることになるに違いありませんが、はっきりいってこれって随分と「無礼であろう」扱いです。

さんざんコケにされておきながら、いまさら「無礼であろう」もありませんが、そうとでも言わなければ貸した金をネコババしておいて空とぼけシカトを決め込むつもりのずうずうしいあの愚劣な劣等民族に分からせる方法がこれくらいしかないのですから、これもまあ致し方ありませんか。南も北も他国の財産をなにかと因縁をつけ、あるいは脅しをかけてきてこそこそと掠め取ることしか知らないコソ泥根性の恥知らずの国家という意味ではよく似ています。民族でもなんでも統一して共に破綻するという浅慮を早いところ実現させて世界をすっきりさせてほしいものです。

しかし、どちらにしても作家性などなかなか込める余地のなかった超大作映画「日本のいちばん長い日」ですから、作家性不在などとそれほどカリカリする必要もありません。

なにしろ、この作品を撮ってストレスをいちばん強く感じたのは岡本喜八自身で、翌年、この大作の鬱憤晴らしのような低予算作品「肉弾」1968を撮って、「日本のいちばん長い日」で撮ることのできなかったもの、自分は本当のところなにを撮りたかったのか、みたいな作品を残しました。

「独立愚連隊」が当時不謹慎と非難されたように、「日本のいちばん長い日」も当時あれこれと批判されたことは記憶しています。

自分の手元にも、当時の代表的な批判という評文の複写というのが手元にあるのですが、迂闊にも出展を明記しておかなかったので、今となっては、これがいつ頃のどこからの引用かを明記できません、とても残念ですが、出展不明というかたちで引用させてもらいますね。

そこには、「日本のいちばん長い日」について、こんな感じで書かれていました。

《シナリオが戦争を賛美しているわけではない。(この少し前に「橋本忍のシナリオはさすがだ」と褒めています)演出も太平洋戦争が愚挙だったことを否定していない。戦死者200万人、非戦闘員の死100万人との字幕と重なって、戦争の惨禍を表すスチールが映され、仲代達矢の「この同胞の血と汗と涙であがなった平和を確かめ、日本人の上に再びこのような日が訪れないことを念願する」とのナレーションで映画は終わる。これが作者の観点であり、この限りでは作者の認識は間違っていない。だが軍国主義者やファシストの他民族への加害性や侵略性を批判する視点は希薄である。最重要事項を描かずにディテールだけを切り取って描くと、真に大事なものが漏れてしまう。》

なるほど、なるほど。

日本の安定政権が一瞬揺らいだ間隙をついたアダ花みたいな、言ってみれば当時のアサハカな「流行」として、かつて日本が戦争を起したことによってご迷惑をおかけしたアジアの諸国民に対して徹底的に謝り倒すという「はやり」があったわけですが(そのアトサキを考えない幼稚で偽善的で無責任な放言のツケを払うために窮々としている現在です)、この評文なんかもほとんどその「ながれ」に迎合した駄文にすぎないと「うっちゃって」もいいところでしょうが、まあ、その辺は「良識」から非難もせず沈黙を守っていたところ、岡本喜八自身の論考「体験的戦争映画・試論」のなかに目からウロコの落ちるようなクダリを発見しました。「やっぱ、あったじゃ~ん」という感じでしょうか。
岡本喜八は、こう書いています。

《1000万円映画は論外としても、日本の映画作りは、並べて、製作費にユトリが無いのだが、戦争映画作りは特にユトリが無い。
拙作の中でいわゆる大作は二本しかないのだが、「日本のいちばん長い日」では、準備中、俳優費の計算に追われ、「沖縄決戦」では、白兵戦を、彼我夫々一個分隊単位でしか撮れなかったものである。
従って、現場体験から言えば、「部分で全体を・・・」、言い換えれば、「戦略的な規模を狙わず、戦術的な手法を使う」といった、素材選びと処理法の方が、より「戦争」に噛りつき易いと思う。
尤も、製作費にユトリのある筈のアメリカ映画でも、超大作「史上最大の作戦」より、小品「攻撃」に、より「戦争」を感じたところを見ると、製作費の多寡にかかわりなく、「部分で全体を・・・」しか手のないほど、「戦争」という奴は、やっぱり巨大な怪物なのかも知れない。》

誰がどう見たって、オールスターキャストの総花的なダレきった「史上最大の作戦」より、上官への反抗と射殺というショッキングな事件を描いた「攻撃」のほうが、より優れた作品であることは自明の理です、なにが「大状況」だよ、という感じでしょうか。


七人の侍・久右衛門の婆様の話

$
0
0
前回のブログに書いた「日本のいちばん長い日」で、岡本喜八の論考「体験的戦争映画・試論」から一文を引用するとき、原文と照合するために論稿の掲載されている岩波書店刊「講座・日本映画 第5巻 戦後映画の展開」を久しぶりに書棚から引っ張り出しました。

やはり、原文との照合というのは、引用者の当然の責務だと思っているので、転記に際しては誤記のないよう細心の注意を払って、慎重のうえにも慎重を期しています。

以前、自分もヒト様の書いた「引用文」を全面的に鵜呑みにし、そのまま「孫引き」した結果、それが結構デタラメなもので大変な目にあったことがありました。そのときから原典との照合はしっかりしなくてはと、キモに銘じています。

でも、こうして岩波の「講座・日本映画」を手にするのは、なんだか本当に久しぶりです、書棚から引っ張り出したとき、本の周囲をうっすら覆っているホコリのマクに指の跡がつくのを見て、この本を開かなかった歳月の長さには胸に迫るものがありました、大袈裟ではなくて、なんだかこの本を片時も離すことなく手元に置いて夢中で読みふけっていたかつての自分と遭遇したような切ない感慨に捉われました。

まあ、ついでにと言ってはなんですが、懐かしさもあってパラパラと頁を繰ってみました。

当の岡本喜八の小論は、本の最後のほうに掲載されているので、頁を繰るのも自然と最後の頁から見ていくという感じになります。

余談ですが、どの本についてもそうですが、本の全体を眺めようというとき、最後のほうからパラパラ眺めていくというのが自分の流儀です。こうすると本の全体像というのが不思議と的確につかめるような気がして、なんだか物凄く合理的な感じがします。

単なる想像にすぎませんが、書く側にしても、いざ執筆を始めようという作業の起動時においてなら書く動機も構想もしっかり固まっているので、モチベーションも高く当然リキも入っていてガンガン書き始めるでしょうけれども、そのうちネタも尽き息切れもしてきて、最後のほうになるとだんだん構想が途切れて、イタズラニ素材をふやかして間延びさせるとか、「はしょる」とかして、終わりを急いで、最後のほうになると安直にまとめてしまうというのが世の常だと思うので(実際のところ、そういう本は実に多いのです)、だから本を終わりのほうから眺めるというのは、その「痕跡」を見つけ易いそれなりに理にかなった方法で、その本の熱の「途切れ」を測ることのできる優れた本の鑑定法ではないかと自負しています。

もちろん、これはどこまでも自分の経験から割り出した独善的な私見にすぎませんので、どこまで信憑性があるかは分かりません、念のため。

しかし、それにしても、こうしてこの「講座・日本映画」を実際に手にしてみると、とにかくこの岩波本「講座・日本映画」という書籍は、写真やイラストが豊富に掲載されていて(もちろん、収録されている論文はどれも映画史的に貴重で重要なものであることを前提にしてのハナシです)、こんなことをいっては失礼かもしれませんが、暇つぶしにただ写真や図版をつらつら眺めているだけでも楽しくて、いつの間にか時間を忘れてしまうくらいです、かつてそうやってこの本を傍らに置いて常にスチール写真をながめていた自分の習慣をはっきりと思い出しました。

スマホや電子書籍やアマゾンに挟撃されて惨憺たる状況にある現在の逼迫した出版業界において、金儲けとは無縁のこれほどの学術的な仕事をするのは、いまとなっては投入する費用と労力を考えれば、もはや「実現不可能」な、会社にとっては相当なリスクを負うとても困難な事業になることは間違いありません。

しかし、放っておけばいつの間にか散逸し、失われかねない映画関係の貴重な論稿やかけがえのない資料をこういうかたちで残そうというのは、まさに文化遺産保護の名に値する意義ある仕事です、いまになってよく分かりました。

あらためてこの本の奥付をながめると、なるほど、刊行年は1987年11月4日となっています。なるほど、まだまだゆとりのあった当時だから出来たのかなとも思いますが、しかし、心ある出版社なら、出せば売れるチャラチャラしたキワモノの写真集ばかりでなく、30年経とうと40年経とうと、こうして手にとり、読むに値する後世に残る意義ある仕事を切に望むところです・・・なんてね、宮使いの身でそんな奇麗事が通用しないのは、長年窮屈な思いをしながらご奉公してきたこの自分がいちばんよく分かっていますので、まあ、ただの老人の繰り言というか、あり得ない夢物語と聞き流してくだされば結構です。

とにかく、これほど優れた本なわけですから、少なくとも、ホコリで指の跡がついてしまうまで放ったらかしにするなんてことは、今後は決して許されないぞと自戒しつつ、我がキモに銘じた次第です。

さて、この「講座・日本映画 第5巻」のいちばん最後に掲載されている論稿は、廣末保の「映画と日本の古典」でサブタイトルには「西鶴の場合」とあります。

日本映画において西鶴がどのように描かれてきたか、と論証する論文らしいのですが、冒頭には三枚のスチール写真が掲げられていて、それぞれの写真に付せられたキャプションというのはこんな感じです。

〔上段〕「大阪物語」1957演出中の吉村公三郎

〔中段〕「好色一代男」1961演出中の増村保造、右は市川雷蔵

〔下段〕「好色五人女」の構想を語る加藤泰(1984年8月)

上段の「大阪物語」は、溝口健二が撮る予定だったところ、溝口監督が急逝したので吉村公三郎があとを引き継いだ作品だそうですが、物語のテーマの「えげつない吝嗇振り」が前面に出すぎていて原作のアクの強さばかりに振り回され、なんだか上滑りに終わってしまったような印象を持ちました。やはり溝口健二のように強烈な「こだわり」や「毒」がないと、映画は途端にストーリーの焦点がぼやけて、単に粗筋をなぞるだけの緩みを見せはじめ、結局どっちつがずの淡白な作品になってしまうんだなあと感じた記憶があります。

それにひきかえ、なんといってもいちばんに目を引くのは、中段に掲載されている写真、実に艶やかな町人姿でポーズをとっている市川雷蔵と、その左に立つ増村保造がなにやら話しかけている写真、1961年大映作品「好色一代男」だなとすぐに分かりました。

実は、自分は「好色一代男」の作品論をこのブログの早い時期に書いたことがあります。過酷な運命に翻弄され、男たちの身勝手な欲望とエゴによって堕ちるところまで堕ちつくす被虐的な溝口健二の「西鶴一代女」に比べて、自らの運命を自分の意思で選び取っていく強烈な「意思の物語」、まるで、たとえ地獄に堕ちるにしろ、どこまでも自分の意思で運命を選び取って堕ちていくことの爽快さを西鶴の物語のなかに読み取り、まるでイタリア映画のような明るさと活力に満ちた増村作品「好色一代男」をかつて手放しで評価したことを、この写真を見ながら思い出しました。

なるほど、なるほど、なんかいいじゃないですか、この本。

こうして、ただ眺めているだけでも、どんどん勝手に思い出が湧いてきて、はてしなく連想がつながり、ただただ妄想に身をゆだねていられる快感にしばし捉われていたのですが、でも、ちょっと待ってくださいよ、溝口健二の助監督を経験し、すぐれた溝口健二論も多く執筆したほどの増村保造です、その彼が撮った「好色一代男」を「西鶴一代女」と比較して論じるくらいの、ただそれだけのことなら、これってきっと誰もが容易に思いつくに違いない実に陳腐に関係づけた発想にすぎなかったのではないか、もし「好色一代男」という作品自体に真正面から対峙し論じようというなら、溝口作品と比較するなんていうのは単なる「端緒」にすぎず、もっと「その先」を苦しんで切り開いて論を展開させていくことこそが、オリジナリティというものではなかったのか、などとぼんやり考えていたのは、このとき同時に、黒澤明の「生きものの記録」1955をうっすらと連想し思い浮かべていたからかもしれません。

原水爆の恐怖に捉われノイローゼになって、いつ自分を見舞うかもしれない恐怖から遂に自分が経営する小さな町工場に放火したあの老いた工場主は、死の恐怖から逃れるためにブラジルに移住することばかり考えていました。

「好色一代男」において、無粋で過酷な社会の現実に絶望した世之介は、こんな愚劣な俗世なんかにさっさと見切りをつけて、優しい女しか存在しない平和な夢の島「女護が島」を目指して船出するというのが、たしか映画のラストだったと記憶しています。

ほら、このあたりなんか、どう見ても「生きものの記録」とそっくりじゃないですか。いや、似てます、似てます、そっくりです。

あっ、そんなこというなら、今村昌平の「人類学入門 エロ事師たちより」1966のラストなんかどうなのよと。あの作品こそは、モロこの流れに影響されているじゃないですか。

「な~る、そうか、そうなんだよなあ」などとひとりで感心し、まるで金脈を掘り当てたかのように興奮してブツブツと呟き、さらに「講座・日本映画 第5巻」をペラペラと遡上していきました。

この廣末論文「映画と日本の古典 西鶴の場合」の直前に掲載されている論稿は、亀井文夫と土本典昭の対談「ドキュメンタリーの精神」です、その話されている内容の、実に気が重たくなるほどの真摯な重厚さ(なにせこの二人です、そうならないわけがありません)に迷い込むまえに、まずは亀井文夫と土本典昭の取り合わせなんて、思わず、へえ~、こんな対談があったんだ、と今から思うとまるで「夢の対談」みたいに思われるこの傑出した企画の「そっち」の方にむしろ感心してしまいました。

しかし、いざ読みだしてみると、土本典昭が深刻でディープなイデオロギー的なものを引き出そうと必死にミズを向けるのに、亀井文夫の反応は、その論点の矛先をいなすように、むしろ技術論とか、常時撮影を監視していた軍部とどう折り合いをつけて作業を続けたかという、いわば作品は「妥協の産物だった」みたいな話ではぐらかしている印象を受けました。

それもこれも、(対談当時)この二人ともが「撮りたいものを撮る」ための傍流の資金稼ぎの「仕事」に忙殺されるという本末転倒な境遇に同じように晒されていて、そのリアルで愚劣な経済的葛藤に疲れ、面白くもないPR映画を何本も撮らねばならないことに心底うんざりされられているという、共通する「背景」が会話の過程で次第に浮かび上がってくる部分があります。

とくに、この場の亀井文夫の疲労は実に深刻で「ドキュメンタリー映画を撮りたい」という切実なモチベーションなど既に失っているのではないかという兆しも随所に窺われるくらいです。

果たしてドキュメンタリー映画なんかで本当に現実を抉り取ることなどできるのかという深刻な懐疑と、既に映画そのものに興味を失い始めているらしい「なげやり」とが同居し、ここで語られようとしているかつての「仕事」の栄光など、土本典昭が感激しているほどには亀井は感興を催していないどころか、もしかすると数々のドキュメンタリー映画の「名作」に対してさえも随所で自嘲気味に懐疑をもらし、そのことを土本典昭自身もまた会話を通して薄々気づき始めるという奇妙な関係と無残な過程、いわば「堕ちた偶像」のいかがわしさを憧憬者と当事者によってひとつひとつ暴き検証するという倒錯がこの「対談」の実体のような気がしてきました。

こう考えると、この対談そのものこそが、彼らがかつて共通して求めていた真実に肉薄して暴きだす「ドキュメンタリー映画」の優れた手法で進行しているような感じも受けたくらいです。

むしろ、この対談で面白かったのは話の傍流、たとえばカメラマン・三木茂との「無能な監督なんかいらねえよ」という「キャメラ・ルーペ論争」とか、「基地の子たち」における「農家を改造した売春宿」と題された三枚のスチール写真など、過酷な状況下、国家に見捨てられた庶民が、開き直ってふてぶてしく生きる痛ましくも逞しい姿を活写して、実に感動的でした。

それらの写真のなかには「米兵を案内する小学生」というのも写っていて、その農家の「nock-open」と殴り書きされている障子戸を開けて顔を見せているごく若い娼婦(障子にはエミーという名前も書かれているのが見えます)と、客引きらしい少年(肩から白い布カバンをさげていて、いま学校から帰ってきたばかりという様子です)が親しげに話している写真を見ると、もしかすると彼らは実の姉弟だったのではないかとさえ邪推してしまいました。

さらに、本をさかのぼっていくと、論稿は、その土本典昭の「亀井文夫・『上海』から『戦ふ兵隊』まで」と、谷川義雄の「十五年戦争下の『文化映画』」、そして、岡本喜八の「体験的戦争映画・試論」、増村保造の「市川崑の方法」と続いていきます。

どれも熟読しなければならない重要な論稿ですが、とくに日本ドキュメンタリー映画史の白眉、谷川義雄の「十五年戦争下の『文化映画』」は、たっぷりと時間をかけて読んでみたいと思いながら、次の論稿、いよいよ(というか、「やっと」ですが)当コラムの本筋、廣澤榮の「『七人の侍』のしごと」に到達しました。

この「遡上読み」の醍醐味は、論者が苦心して積み上げた「理由」を義理堅く最初から辿ったり、もったいぶった論者の前振りの「焦らし」に付き合わされることなく、その大切な核の部分の「結論」だけをちゃっかり先取りし、美味しいところだけをまずは頂いてしまおうという、あくまでも読者の側に立った実にC調な都合のいい読み方なのであります。

こうなるともう最初から論文のクライマックスに一気に突入です。これこそ煩わしいマクラなしの「一気読み」の醍醐味です。

《その最終カット。久蔵、菊千代が討死し、野武士はことごとく斃れふす。そのとき勝四郎が甲高い声で狂気のように「野武士は、野武士は!」と叫ぶ。と、勘兵衛が「もうおらん、野武士はもうおらん」という。それを聞いて勝四郎がそのまま、泥水の中にくたくたと崩折れて泣く。
そのとき木村功は声を震わせ激しい声でせぐりあげていた。その顔は涙と鼻水と泥でくしゃくしゃの顔だった。そして「カット」の声をきいても、そのままいつまでも泣きじゃくっていた―あれはもう演技ではなかった。なぜなら、それを見守る我らスタッフもその場に崩折れて泣き出したい思いだったから。
3月20日の夜―すべての撮影が終了した夜、スタッフルームに集まった一同の一人一人にテンノウは冷酒をつぎながら
「苦しい仕事だったな、ありがとう」
そして、いった。
「『七人の侍』はみんなでつくった仕事だな」
その言葉とともに『七人の侍』はそれぞれみんなの胸の奥そこに生きている。32年前、おれはあの仕事をやったんだ、わが青春をかけて懸命になって、まぎれもない「本物」をつくったのだと、いま誇らかに思うのである。》

どうです、このどこの世界に、そして誰が、ただ与えられた仕事をこなしていくだけのことなら、「あのときおれは紛れも無い本物を作ったのだ、やりきったのだ」なんて言い切れるものじゃありません、そんなサラリーマンなど、そんじょそこらには居るわけがありません。

一度でもそんなふうに言い切れる充実した仕事と時間を経験できた人のそういう人生は、そうじゃなかった僕たちに到底分かろうはずもありません。ここで語り尽くされている達成感と充実感のクダリには、敬意を表するなんてよりも先に、ただただ羨望の思いを抱くばかりです。

同時にその最終頁に掲げられているスチール写真の3枚を見ながら、この感動の文章を読むと、感興はさらに格別なものがあります。

ちなみに、スチール写真3枚のキャプションは以下の通り。

「雨の中の戦闘シーンにて、上 黒澤明」雨に打たれながらラストシーンの撮影に臨んでいる黒澤明は、笑みさえ浮かべた穏やかな表情です。

「雨の中の戦闘シーンにて、下 三船敏郎と宮口精二」菊千代と久蔵が死力を尽くして種子島に立ち向かい、そして相次いで種子島に撃ち倒される直前の壮絶な場面です。

その野武士を打ち倒すために誰かが死ななければ、この戦いはいつまでも決して終わらなかったかもしれないという絶望的な最後の死闘が描かれています。

その「誰か」こそが、この七人のサムライの物語において、勝四郎とともに僕たちが最も思い入れを強めた菊千代と久蔵で泣ければならなか痛切と痛恨が、この「七人の侍」のラストにおいて、感慨を示した当論文の論者にして現場の当事者・廣澤榮ならずとも、僕たちをもまたあの「聖域」に立ち会ったという思いにさせてくれたのだと思います。

泥水の中に片手片足をついて蹲り、必死の断末魔の抵抗を見せる野武士を鬼気迫る形相で見据える菊千代、そして久蔵は、タメをつくっていままさに斬りかかろうというド迫力のなか、二人が同時に後方に振りかざした刀は激しい軌跡のなかで偶然にも共に虚空で均しく並びあい、美しい均衡を一瞬留めてみせていたことにこの写真は気づかせてくれました。

まるで小津監督が、架空の物差しで虚空を1ミリ、2ミリと計り示し、僕たちにこの頼りなく儚い世界の虚無の瞬間・迫りくる美しい死の影を垣間見せてくれたみたいに。

「雨の中の戦闘シーン最終カットスナップ。右から志村喬、加藤大輔、木村項、一人おいて黒澤明」この写真が、前に引用した《勝四郎が甲高い声で狂気のように「野武士は、野武士は!」と叫ぶ。勘兵衛が「もうおらん、野武士はもうおらん」という。それを聞いて勝四郎がそのまま、泥水の中にくたくたと崩折れて泣く。》に当たる写真ですね。

そうですか、よく分かりました。

さてと、ここはこのくらいで、またまた次の頁へと遡上しますか、と頁を繰ったところに、あっ、ありました、ありました。これですよ、これ。見開いて左、偶数頁側(277頁)の下段に「キクさん」と書かれたその写真はありました。

野武士に身内を殺され一人取り残された老婆(久右衛門の婆様)は、村はずれの打ち棄てられたようなみすぼらしい小屋で、村人の気まぐれな施しと薄い温情にすがって辛うじて命をつないでいるという、「ただ家畜のように生かされている」というだけの惨めな棄民の老婆の姿を、黒澤監督は怖いほどの凝りに凝ったメイキャップで見せています。

それにしても物凄い形相に仕上がっていますよね。本編中まずいちばんに久右衛門の婆様の印象が強烈に残ってしまうのも当然です。

きっとその「物凄さ」は、いかに技術さんのメイキャップ力をもってしても、なにせ出発があれほどの絶世の美女「津島恵子」ですから、無理やりに汚して男装させたとしても、せいぜいがあんなところ、どこまでいっても「美女」からは明らかに逸脱できないのですが、久右衛門の婆様を演じる老婆は(きっと)普段でもすでに物凄い容貌怪奇のババ様だったので、同じメイキャップ力でも出発のそのフライング度も加味して、あれだけダントツに効果を発揮できたのだと思います。

そのことが「生きものの記録」や「影武者」のような描きすぎの「行き過ぎ感」を免れた理由だったに違いありません、久右衛門の婆様の仕上がりは十分リアルの範囲内にとどまっていて、それだけに見るものの印象も鮮烈だったのだと思います。

シーンとしては、勝四郎が志乃に握り飯を差し出す場面から、「それ」は始まります。

村を守るための侍を雇う条件として「侍たちには米の飯を食わせる」があり、そのぶん「百姓は稗や粟(麦だったかも)を食って耐え忍ぶ」というのが、この「七人の侍」という物語を貫いている重要なテーマです。

勝四郎も志乃が日頃米の飯を口に出来ないでいることを十分に知っていて、逢瀬の場に密かに握り飯を持ってきたという設定です。

しかし、志乃は「オラ、食わねえ」と拒み、「これ、久右衛門の婆様に持っていく」と言い返します。この二人の様子を物影から久蔵がじっと見ている場面に続いて、侍たちの食事のシーン。

勝四郎は、「利吉、いまは腹が一杯だ。またあとで食う」と言うと、久蔵が「いいから、お前は食え。今度は俺が残す」

勝四郎は驚いて久蔵を見つめ、侍たちも不審気に久蔵を見つめます。

勘兵衛「どうした? なにかわけがありそうな様子だが」

そして、老婆のいる「久右衛門の家」のシーンに続きます。

シナリオには《ひどい! まったく荒れ果てて、いまにも潰れそうな小屋。病みほうけた老婆が、ただ藁を敷いただけの寝床に起き上がって、その枕元に一椀の飯と汁を差し出す勝四郎と、その後ろに並んだ勘兵衛たちを拝んでいる》という場面説明があって、

勘兵衛「ひどいの! 身寄りはないのか?」

利吉「はい、野伏せりに・・・みんな」

勘兵衛「うむ」

老婆は、なにかに謝るような悲しい調子で訴えかけます。「オラ、早く死にてえだよ。早く死んで、こんな苦しみ、逃れてえだよ」と。

侍たちは、じっとその老婆を見つめています。

老婆「でもなあ、あの世にも、やっぱり、こんな苦しみはあるべえなあ」と語る一連のシーン、流れとしては、このエピソードが、すぐあとに続く生け捕りにした野武士を恨み骨髄の百姓たちがなぶり殺しにしようと殺到してくるのを、勘兵衛たちは、同じ侍としての同情から(せめて誇りある死に方を与えてやれと)懸命に制止しているところに久右衛門の婆様が鍬を振りかざして静かに現れるという場面です。

前の場面で家族を奪われた久右衛門の婆様の惨めさと怒りを十分に知っている侍たちには、この老婆だけは制止できず、野武士に鍬が打ち下ろされるのを静観するしかないという痛切な場面でした。

老婆が野武士を殺すこの場面がかなり衝撃的なので、ついこちらに目が捉われてしまいがちで、そのぶん前出の「久右衛門の小屋の場面」の印象がどうしても薄まってしまうのですが、この廣澤榮の論文「『七人の侍』のしごと」において、この小屋のシーンを撮るにあたってのエピソードの詳細が特別大きく扱われていて、そのリキが入っている分だけ、どうしても紹介せずにはいられません。

それは「第4章」、「『七人の侍』で苦労したのは役者の方も同じであろう。」の一文から始まっています。

そこではまず、亡くなった役者たちのことが語られます。

《「なんだかまた一年兵隊にいったような気分でした」と、亡くなった加東大介がそう言っていた。加東のほか、志村喬、宮口精二、木村功、稲葉義男ももう故人になり、生き残っているのは三船敏郎、千秋実だけになった。そのほか百姓の役をやった高堂国典、左ト全、小杉義雄も亡くなった。》

この論文が書かれた当時には、まだ三船敏郎も、千秋実も元気だったことが分かります。

そして、村の百姓たちを演じた有名無名の俳優たちのことが語られたあとに、こんな一文が出てきます。

《一人だけ俳優ではなく老人ホームのおばあさんが重要な役で出演している》と。

そして語られるのが久右衛門の婆様のエピソードです。

《それは台本では「久右衛門の婆さま」となっている役で、いろいろ年輩の女優さんを連れてきたが、テンノウは「みんな芝居くさくてダメだ」という。そして「本物の百姓の婆さんをつれてこい」という。
そこで私が杉並区高井戸にある浴風苑という老人ホームに婆さまさがしに行った。数多い婆さまの中からこれぞというのを見つけた。
骨太のがっちりした体つきで眼がぎょろっと利く。浅草寺の境内で鳩の豆売りをやっていた人でキクさんという。かなりの年輩らしいが、「年がいくつだったかもう忘れたよ」という。
撮影所に連れてきて見せると一ぺんで気に入った。そして「ひとつ、仕込んでくれ」という。
さあ大ヘンなことになった―この役は野武士に身寄りのすべてを殺されて一人暮らしをしている老婆で、やってきた侍たちにわが身の不遇を訴え「もう生きてる甲斐がねえ、早く死にてえ」という長い台詞がある。もう一つ、生捕りにされ村の広場に引き据えられた野武士にこの婆は「慄える手に鍬をもち、憤怒の形相で鍬を振り下ろす」というシーンもある。
そこでキクさんを撮影所の近くの旅館に泊めて、私とネコ(前出、同僚の助監督)と二人がかりで特訓をはじめる。
ここに至ってキクさんは漸く「活動のネタ取りのため」出演するのだと理解できる。そこで台詞を教えるが、それがなかなかのみこめない。そしてすぐ疲れてコロンと横になってしまう。仕方がないから眠気ざましに身の上ばなしを聞く。
と、キクさんは東京大空襲のときB29が落す焼夷弾の炎の中で倅夫婦と別れたまま、いまだにその消息がわからないという―しめた! では劇的境遇と全く同じだ、同じなら感情移入ができる。
そこで、「キクさんの気持をそのまま言えばいいんだよ」という―どうやらだんだん感じがでてきた。
そして数日後にセット入りとなる。ところがキクさんは、丹精こめてボロボロにした衣裳を見てイヤだという。折角「活動」に出るのならもう少しマシな着物を着たいという。
それを何とか説得してセットに入れる。疲れるからテストは私が代ってつとめ本番だけキクさんに代わる。まるでハリウッドのスタアなみである。
さて、キャメラが回り出すと、キクさんは「身寄りがB29の為に殺されて」という―
たちまち雷のような声がとどろく。
「いったい何をしこんだのだッ!」
私は狼狽してキクさんに台詞の訂正をする。ところが何べんやってもB29が出てくる。そのうちショーイダンまで飛び出してきた。なんせそう思いこんでしまったのだからどうにもならない。
と、テンノウは「表情は感じが出ているからOKにしよう」といってくれた。だからこのシーンは台詞だけ三好栄子さんが吹替をやっている。
さて、無事に大役を終ったキクさんは貰ったギャラに目を丸くして、「こんなにたんといただけるのなら、デパートへ行って着物でも買いたい」という。そのデパートは浅草松屋がいいという。
そこで私がその買い物のおともをする。会社差しまわしのハイヤーで浅草松屋へ乗りつける。そこでキクさんはうんと安物の銘仙を取り「これがいい」という。その銘仙をしっかり抱えご機嫌で浴風苑へ帰ったが、もう一つ後日談がある。
「七人の侍」の撮影が終って一年ほど後、キクさんが亡くなった。そのいまわの際に「トラという人に会いたい」という電話があったという。生憎私は別の映画で地方ロケに行っていた。帰京してから浴風苑を訪ねたら、キクさんはもう白木の位牌になっていた。
その位牌の傍に「七人の侍」に出演したときのスチールが飾ってあった。あの嫌がっていたボロボロの衣裳を着た姿で―キクさんは「七人の侍」に出演したことが生涯を通じてなによりもたのしい思い出だったと、亡くなる前にそう語っていたという。》

原典でこの一連のエピソードを読んだとき、この老婆のボケ振りが面白くて、その部分だけが自分の中で誇張されて、一種の「面白い引用」としての効果ばかりを考えていたのですが、こうして一連の成り行きを通して転写してみると、この論文そのものが映画「七人の侍」に関わった関係者たちが次々と鬼籍に入っていった死の影に覆われた記録=過去帖であったことに気づかされ慄然としました。

いや、そもそも、この論文の当の執筆者・廣澤榮自身が既に1996年2月27日に亡くなっていることを改めてwikiで知り、おびただしく「失われつつある」進行形のうえに映画「七人の侍」の存在が保たれていることを痛感せざるを得ませんでした。

果たして、映画「七人の侍」は、関係者がすべて亡くなったあとも、依然、不滅の名作としてこの地球上に永遠に残るだろうかという疑問と感慨に捉われたとき、なんの脈絡もなく不意に、カフカの短編「プロメテウス」を想起しました。

ごく短いので前文、転写してみますね。

《プロメテウスについて、四つの言い伝えがある。
第一の言い伝えによれば、彼は神々の秘密を人間に洩らしたのでコーカサスの岩につながれた。神々は鷲をつかわし、鷲はプロメテウスの肝臓をついばんだ。しかし、ついばまれても、ついばまれても、そのつどプロメテウスの肝臓はふたたび生え出てきたという。
第二の言い伝えによれば、プロメテウスは鋭いくちばしでついばまれたので苦痛にたえかね、深く深く岩にはりついた。その結果、ついには岩と一体になってしまったという。
第三の言い伝えによれば、何千年もたつうちに彼の裏切りなど忘れられた。神々も忘れられ、鷲も忘れられ、プロメテウスその人も忘れられた。
第四の言い伝えによれば、誰もがこんな無意味なことがらには飽きてきた。神々も飽きた。鷲も飽きた。腹の傷口さえも、あきあきしてふさがってしまった。
あとには不可解な岩がのこった。言い伝えは不可解なものを解きあかそうとつとめるだろう。だが、真理をおびて始まるものは、しょせんは不可解なものとして終わらなくてはならないのだ。》(池内紀訳)

ここでいう「プロメテウス」をそのまま「七人の侍」と言い換えたらどうだろうか、「永遠」の意味を語るとき、ちょっとした誘惑を感じてしまう自分好みのカフカの短編です。

いずれにしても、この世にとどまりながら「忘却」によって空虚に蝕まれ「消滅」も果たしてしまうという「永遠」についての「真理」の話にほかなりません。


にっぽん昆虫記

$
0
0
今村昌平監督が遺した作品のなかでも特に傑出した作品といっていいこの「にっぽん昆虫記」の解説といえば、どれもが必ず「日本の戦中・戦後期を虫けらのように逞しく生き抜いた女の半生記」みたいな画一的な表現であっさりとまとめられてしまっていて、自分の中では、ずっと不満な気持ちを抱いていたことに、今回、久しぶりにこの作品を見て、あらためて気がつきました、というか、その「画一的な表現」に違和感があることを自分自身、いままで大勢に組みするかたちで無視し続けてきてしまったことに、あらためて気づかされたという感じでしょうか。

確かに「日本の戦乱期を虫けらのように逞しく生き抜いた女」というのは、この作品を概括するうえで、それはそれで間違っているわけではありませんし、多くの鑑賞者たちと同じように、自分もまた「そのへんのところ」でこの作品を理解しようとした部分は確かにありました。

でも、これってよく考えてみれば、到底「理解」などというものではなく、単なる「理解の妥協」にすぎなかったのではないかと思えてきたのです。

単に「逞しく生き抜いた女」と言い切ってしまったら、トメというこの日本の寒村で極貧のなかで育った少女の実像を見落とすことになるのではないか、そもそもその誕生のとき、誰のタネとも分からない彼女が、くしくも間引きを免れ、無駄飯食らいの余計者として蔑みと嘲り、そして罵りのなかで成育をとげて、当然のように日常的な過酷な虐待(それはなにもトメやその娘・信子にだけ限った特別なことではなくて、極貧にあえぐ寒村においては、多くの女たち=余計者にとっては、むしろごく一般的なことだったに違いありません)に身を晒しながら、都会へと放逐されるまでの彼女の時間(生育の歴史)という「根」の部分(愚鈍ゆえにトメのことを愛し「わが娘」としてひたすら庇ってくれた父親の無垢の存在)を欠落させてしまうのではないかという危惧があったからだと思います。

ウガチ過ぎといわれてしまえばそれまでですが、かつては閨房の暗闇の中だけで行われていた密室の生殖行為が、現代においては安手で安易な映像として享楽的に氾濫・駄々漏れし年端のいかない小学生までもが簡単に見ることができ、いまでは猥褻カテゴリーの商品名のひとつとでしかないまでにすっかり薄汚れて堕落してしまった「近親相姦」という、本来意味する土俗的な在り方をこの「にっぽん昆虫記」から見失うのではないかという危惧を感じたからだと思います。ウガチ過ぎといわれてしまえばそれまでですが。

そのうえで、欲望を剥き出しにした村の男たちによって、まるで性玩具のように下半身をまさぐられて、淫らな薄笑いとともに性交(野合という生々しい言葉もありますが、この映画からはその「相互感」はうかがわれません)を強いられ、そして不本意で屈辱的な妊娠にいたる、そのために更なる理不尽な蔑みと卑猥な罵詈を受けて「村」の土俗的悪意によって居場所を失うというトメの「原初」からのひと続きに言及できなければ、この作品を十分に理解も解説もしたことにはならないのではないかと感じたからだと思います。

それにトメ自身、たとえ都会に出て売春婦として、あるいは売春婦の元締めとしてそれなりの成功を収めたという意味で「逞しく生き抜いた女」というのなら、それはただ単に彼女の「その後のなりゆき」でしかなく、ますますこの物語の本質をはずして、逸脱することでしかないと感じたのだと思います。

しかし、自分はなにもトメが、やられっぱなしの「可哀想な被害者」だといっているわけではありません。

彼女がsex大好きで、その快楽と悦楽とを十分に愉しむことのできる傑出した素質を持った堂々たる立派な「ヤリマン」であることを認めないわけにはいかないし(それはトメだけではなく、男に比べて、すべての女性が兼ね備えている「傑出した資質」という意味においてです)、男たちから肉体をまさぐられ性交すること、たとえそれが嫌々強いられたものであったとしても、快楽それ自体は別のチャンネルで堪能するとこができる「傑出」なのですが、はんめん、この肉欲をタテにとって肉体が十分に売り物になることに彼女自身目覚めたとき、わが身をひさいで肉欲を金に換える錬金のタフな知識もそのスベも、そして狡猾さをも、みずから利用しようというとき、だから逆に男たちからその卓越した「知識と狡猾」を見透かされ、肉体と悦楽も逆に人質にとられ、巧妙に利用されることを、たぶん屈辱をもって許容しなければならない「拒めない旧弊な女」であるということすべてをひっくるめて過不足なく「解説」することができなければ、彼女の出自にまで遡る「誰のタネとも分からない、間引きを逃れた無駄飯食らいの余計者」が「逞しく生き抜いた女」にいたる「ひとつづきの半生」をカバーしたことにはならないのではないか、そのようにしてトメは、その時代を生き抜いてきたのだと描くこの映画の黙示録的醍醐味は、言い尽くせないと感じたのだと思います。

この映画の中で、その辺のところを実に見事に、象徴的に描いているのは、村を追い出され都会に出てきたトメが進駐軍兵士の情婦の家の家政婦を経て、浄土会で売春婦の元締め・スマ(北林谷栄)と出会い、その売春宿の家政婦として雇われる一連の場面にあります。

ある日、売春宿に「素人」の女を買いにやって来た客が、相手に出た女を、こいつは「素人」のデパートガールなんかじゃない、コテコテの商売女じゃないかと怒ったその穴埋めに、あわてた女主人・スマは、とっさの機転から女中・トメに着物を着せてニワカの売春婦に仕立て、男にあてがいその場をしのぎます。

そもそも、売春宿に「素人」や「処女」や「清楚」や「純潔」を求めてくること自体笑えてしまうのですが、こうした「虚構とラベル」を必要とする滑稽な男の性欲の在り方を一歩引いて笑うことのできるその「乾いた客観性」が、晩年にはすっかり影を潜めてしまった今村監督の往年期の魅力だったと思います。その見事な結実が「人類学入門・エロ事師たち」だったと思っています。

ここでは、スマのセリフだけをピックアップしますが、それは、スマの燦然と輝く素晴らしくタフな自己正当化・自己主張の神々しさに比べて、抗弁するトメの主張(「人権蹂躙」とか「民主主義」とか)があまりにも当たり前すぎて貧弱で弱々しく、今村監督の視点のなかでは「嘲笑」の対象でしかないような、語るに落ちるいかにも力ないものという印象を持ったからだと思います。「人権蹂躙」も「民主主義」も、その空疎さにおいて、「虚構を必要とする滑稽な男の性欲」の足元にも及ばない落ちた偶像、なんの価値もない木偶人形程度まで引き摺り下ろされて「嘲笑の的にされている」と感じたからだと思います。

「お前だってまんざらでもなかったんだろ」というスマの見透かしたような嘲りの言葉に、トメは必死で言い返します「そがなごどありませんよお」と。

その弱々しいトメの抗弁をうけて、激昂したスマはさらに言い募ります。

「じゃ、どうしてめかしこんでノコノコ出てったのさ。誰がお白粉つけろって言ったよ、私がか。寝たくなきゃ、どんなことしたって逃れられるもんだ。なんだい大きな声出してみっともない。金か、ああ、取ったよ。それがどうしたい。えっ、この馬鹿! 売春売春っていうけどさ、買い手がありゃこそ売り手があるんだ。そんなことも分かんないのか。競馬競輪やパチンコみたいに、客からタダで金とろうってんじゃないんだこっちは。客をさんざん楽しませて帰そうってんだからね。飢えていたって、お前らが? なにいってんだいこのごくつぶしめ、三度三度たらふくメシを喰らいやがって。どのつらさげて「飢えた」だの「無理強い」だなんて言える義理かい。第一、いつ私がお前たちを縛り付けたよ、えっ、出ていきたけりゃいつでも勝手に出ていくがいいんだ。ここは赤線じゃないんだからね。私は世の中の不安を少しでもなくそうと精一杯供養しているんだ。さ、コレが不満ならとっとと出ていけ。ただし、三十すぎた女のそんなみっともない弛んだカラダでどこ行ったって、食って寝て、これだけのもんはもらえないんだよ。そこのところをよく考えろ、このウスノロ女、月々たった十回スケベな男とシコシコやりゃ、まるまる一万二千円貰えるんじゃないか。こんなうまい話がどこにある、ただ取りもいいところだ、お前だって男にしがみついて腰まで使って散々ヨガリ声あげてたくせに、まんざら嫌いなみちじゃあるまいしさ、えっ、それでも不服か、不服なのか。そうかそうか、じゃいらないんだね。そんならコレはしまっとくよ。ほらみろ、やっぱり欲しいんだろ、早くもってけ、なんだいみっともない、早くしまっちゃえよ、ただし、着物の代金は六ヶ月で差っ引くからね」

上記は、その口汚さと罵倒の燦然たる輝きをイヤ増すために若干の脚色をほどこしました、念のため。でも「ああ楽しかった」という気分です。しかし、こんなふうにウダウダと書き込んだら、今村監督にどやされたうえに、やっぱりバサバサと削られたでしょうね。当然ですが。

スマのもとで売春婦になったトメは、流産で入院したときに、同僚の内緒の仕事をスマに密告し彼女の信用を得て「女中頭」に取り立てられます。「ある程度まかせられんのお前くらいっきゃいないんだよ」と。

しかし、入院費を工面できずに無心する素振りを見せるトメに対して、スマはきっぱりと怒りをもってはねつけます。

「うちじゃ払えないよ。規則なんだからね。いい気になるんじゃないよ。なんだい女中頭にしてやるからって、そうそうつけ上がられてたまるかい。お前はね、わたしに飼われてんだってことを忘れんじゃないよ!」

この恨みが原動力になって、売春婦たちの不満を密かにかき集めたすえに警察への密告となり、スマを裏切り売春婦の元締めの座を得ます。

そして、この同じ過程をたどるようにして、やがてトメも配下の売春婦の密告にあい逮捕され、有罪判決を受けて服役することになります。

しかし、このようなトメの生き方を見ながら、一方で、はたして人間は、一匹の虫けらのように生きることに耐えられるものだろうかと考えないわけにはいきません。

トメや、そのほかの登場人物たちは、「この人生を、そんなふうにしてまで生きていく意味や価値などあるだろうか」と疑問に捉われることがないのかという疑念に捉われました。

こんな軟弱なことをいえば、「生きる」ことにしか関心もなく、想定もしていないタフな今村監督には一笑に付されてしまうかもしれませんが。

だってほら、トメが、製糸工場の課長補佐・松波(長門裕行)の裏切りにあい悲嘆にくれて川のほとりにうずくまり死のうとまで思いつめた(かに見えた)とき、彼女の口から出てきたものは、

「ぬし去りて われただひとり 川をながめる~うッ」と詠いあげたあの、死ぬために必要な動機としての「絶望や悲嘆」を死につなげることなど理解しようとしないトメは、むしろそれどころか、ただ生きるために必要なもの=滑稽な活力に変えてしまう天性の大らかさで武装していることを示しています。

ウタに読み込まれた彼女の見当違いで薄っぺらな詠嘆は、そのタフさにおいて「生きることの疑問」などハナから近づかせる隙をあたえるような種類のものでないことを明確に示しているだけです、実に迂闊でした。

映画の最終章、トメは仲間の裏切りから密告されて売春斡旋の罪で捕まり服役し、刑期をようやく終えて刑務所から出てからの頼る先といえば、やはりパトロンの唐沢以外にはなく、しかし、いまさら唐沢の世話にもなりにくい。

そうかといって、マエがあるので警察の目も厳しく、ふたたび昔の商売をするわけにもいかないというどん詰まり状態のトメが、結局、頼りにできるのは、自分を棄てた唐沢が、いまではすっかりその若い肉体に耽溺し執着しているわが娘・信子に、屈辱的ではあっても、すがるしかないという状況です。

しかし、映画からはそういう経緯をうけたことによる感情の屈折や高揚など一向にうかがわれず、利にさといトメは、すっかり従順な下僕のように嬉々として唐沢に付き従っている感じです(明らかにそう見えます)。

好色さを剥き出しにした唐沢は、信子に店を持たせる約束をチラつかせながら愛人関係を必死につなぎとめています。

その信子は、唐沢と一緒になるためには、とにかく一度帰郷して「開拓村」との関係をはっきり清算してこなければ断ち切ることはできないと言い出します。そのためにも、それなりの金が必要だと、唐沢から金を引き出そうとしています。

しかし、信子の肉体に執着する唐沢は、彼女の帰郷を不安がり、もし帰らせたらこれきり帰ってこないのではないかという疑心暗鬼にかられ、開拓村から帰ってくれば残りの半金を渡すという条件で信子の帰郷を許します。

しかしその渡されなかった「半金」は、信子がちゃっかりアパートの敷金を引き出して充当していたことが、あとで判明します。

こうしてこの映画は、それきり開拓村から帰ってこない信子を、唐沢のたっての願いを受けて迎えにいくトメの疲れきった様子のシーンで幕を閉じるのですが、ある映画サイトの感想を読んでいたら、この場面について、とんでもない解釈のコメントに遭遇しました。

このシーン、トメは信子と暮らすために開拓村に向かっているのだというのです。

そりゃあないでしょう、それこそ拡大解釈というか、過剰解釈だと思います。

開拓村に向かった悪路をたどるトメは泥濘に足を突っ込み、下駄が割れ、足袋も泥で汚してしまうという場面、「畜生、くそいまいましい」と怒りに舌打ちしてみずからを毒づきます。その誰にとも向けられたわけではないトメの「悪態」は、どう見ても娘と暮らす希望に満ちた新天地に夢を膨らませてむかっている母親の姿ではありません。

むしろ、唐沢の言うままに動かされて、こんなド田舎まで来て足を汚してウロウロしている忌々しいすべてに対して腹を立て癇癪を起している姿といったほうが、あるいは近いのかもしれません。

しかし、そう言い切ってしまったら、「それが、すべてではない」という気が、さらに湧き起こってくることも否定できません。

否定に継ぐ否定の果てに、かろうじての落ち着きどころといえば、この映画の冒頭「虫が泥の中をひたすら前に突き進んでいる」シーンとの一致を思い浮かべるくらいでしょうか。

この作品のタイトル「にっぽん昆虫記」とあるのは、多分このことを示唆しているんだなと、なんとなく察せられるくらいです。


(1963日活)監督・今村昌平、脚本・長谷部慶次、今村昌平、企画・大塚和、友田二郎、撮影・姫田真佐久、美術・中村公彦、音楽・黛敏郎、録音・古山恒夫、照明・岩木保夫、編集・丹治睦夫、スチール・斎藤耕一、英題《The Insect Woman》、映画倫理管理委員会成人映画指定(映倫番号13220)
出演・左幸子(松木とめ)、岸輝子(松木りん)、佐々木すみ江(松木えん)、北村和夫(松木忠次)、小池朝雄(松木沢吉)、相沢ケイ子(松木るい)、吉村実子(松木信子)、北林谷栄(蟹江スマ)、桑山正一(小野川)、露口茂(本田俊三)、東恵美子(坂下かね)、平田大三郎(上林芳次)、長門裕之(松波守男)、春川ますみ(谷みどり)、殿山泰司(班長)、榎木兵衛(若い衆A)、高緒弘志(若い衆B)、渡辺節子(高羽製糸女工A)、川口道江(高羽製糸女工B)、澄川透(正心浄土会A)、阪井幸一朗(正心浄土会B)、河津清三郎(唐沢)、柴田新三(タクシーの運転手)、青木富夫(東北本線の客A)、高品格(東北本線の客B)、久米明(警察の取調官)、炎加世子、
1963.11.16 10巻 3,366m 123分 白黒 モノクロ/シネスコ(1:2.35)35mm

ベルリン国際映画祭銀熊賞(左幸子)(1964年) 
第37回キネマ旬報ベスト・テン 日本映画第1位
第14回ブルーリボン賞作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞
第18回毎日映画コンクール監督賞、女優主演賞、音楽賞


追伸
当初、以下に掲げる文章からこの小論を始めようとしたのですが、映画「にっぽん昆虫記」が、自分が一度は引き付けられた「哀しいことをいっぱい知っている女は、叩かれたくらいで泣きはしない」程度の一文がもたらす甘々な女性像のイメージくらいでは、この作品の描くトメの半生が到底納まりきるものではなく、文脈の発展性にもつながらなかったので、ついに使用することを諦め廃棄した一文です。
掲記することになんらかの意味があるかどうかは分かりませんが、断ちがたい「未練」もあるので掲げることにしました。


《今村昌平監督が残した言葉として、ときおり思い出すものがあります。
「哀しいことをいっぱい知っている女は、叩かれたくらいで泣きはしない」
これがどの作品を撮影した際に放った言葉だったのか、すっかり忘れてしまいましたが、愁嘆場を演ずる新人女優が、緊張のあまりステレオタイプの大仰な感情表現しかできないことに苛立ち、今村監督が言った言葉だったことを「にっぽん昆虫記」を見ながら不意に思い出しました。》




【今村昌平・参考文献】
☆にっぽん昆虫記 : 今村昌平作品集 今村昌平 著. 三一書房, 1964にっぽん昆虫記 / 7豚と軍艦 / 67果てしなき欲望 / 123
☆にっぽん昆虫記/西銀座駅前 (今村昌平日活作品全集 ; 1) 映像資料 パイオニアLDC, c1963 SIDE1-3 にっぽん昆虫記(監督:今村昌平 出演:左幸子,北村和夫,吉村実子,北林谷栄) SIDE4 西銀座駅前(監督:今村昌平)
☆日本人の原型の追求「にっぽん昆虫記」 雑誌記事 品田 雄吉 映画評論 21(1) 1964.01 p.44~47
☆年鑑代表シナリオ集 1963年版 シナリオ作家協会 編. ダヴィッド社, 1964 太平洋ひとりぼっち(和田夏十) 五番町夕霧楼(鈴木尚之,田坂具隆) 江分利満氏の優雅な生活(井手俊郎) にっぽん昆虫記(長谷部慶次,今村昌平) 暴動(星川清司) / 251江分利満氏の優雅な生活 井手俊郎 / 290にっぽん昆虫記 長谷部慶次/今村昌平 / 322暴動 星川清司 / 359
☆日本名作シナリオ選 下巻 第2版 日本シナリオ作家協会「日本名作シナリオ選」出版委員会 編. 日本シナリオ作家協会, 2016.10シナリオを読む 加藤正人 著 切腹 橋本忍 著 にっぽん昆虫記 長谷部慶次, 今村昌平 著 飢餓海峡 鈴木尚之 著 総長賭博 笠原和夫 著 少年 田村孟 著
☆日本名作シナリオ選 下巻 日本シナリオ作家協会「日本名作シナリオ選」出版委員会 編. 日本シナリオ作家協会, 2016.2シナリオを読む 加藤正人 著 切腹 橋本忍 著 にっぽん昆虫記 長谷部慶次, 今村昌平 著 飢餓海峡 鈴木尚之 著 総長賭博 笠原和夫 著 少年 田村孟 著
☆脚本日本映画の名作 第2巻 佐藤忠男 編. 風濤社, 1975にっぽん昆虫記(今村昌平,長谷部慶次) 河内山宗俊(山中貞雄) 悲しみは女だけに(新藤兼人) 非行少女(石堂淑朗)
☆今村昌平の映画 : 全作業の記録 芳賀書店, 1971盗まれた欲情,西銀座駅前,果しなき欲望,にあんちゃん,豚と軍艦,にっぽん昆虫記,赤い殺意,人類学入門,人間蒸発,神々の深き欲望,にっぽん戦後史. 解説 今村昌平と原始的心性
☆現代日本映画論大系 4 (土着と近代の相剋) 冬樹社, 1971欲望は土着の底へ 今村昌平 ボクの『にっぽん昆虫記』論(斎藤竜鳳) 『にっぽん昆虫記』と日本政治(松下圭一) 今村昌平(浦山桐郎) 私たちは同質か異質か(石堂淑朗) 映画対文学・市民
☆日本シナリオ大系 第4-5巻 シナリオ作家協会 編纂. マルヨンプロダクションシナリオ文庫, 1973-1974 座頭市物語(犬塚稔) 新選組始末記(星川清司) 誇り高き挑戦(佐治乾,深作欣二) にっぽん昆虫記(長谷部慶次,今村昌平) 恐喝(田坂啓) 独立機関銃隊未だ射撃中(井手雅人) 大殺陣(池上金男)
☆出版ニュース = Japanese publications news and reviews : 出版総合誌 (632);1964年8月下旬号 出版ニュース社, [1964-08] 12~12今村昌平著 にっぽん昆虫記 三一書房/ /
☆映画芸術 13(11)(218) 編集プロダクション映芸, 1965-11日本の恥部を見せてはいけないか「にっぽん昆虫記」と「赤い殺意」 / 長谷部慶次 / p60~61
☆映画芸術 12(3)(197) 編集プロダクション映芸, 1964-03様式をいかに発見するか「エレクトラ」「にっぽん昆虫記」 / 戸井田道三 / p77~79
☆映画芸術 12(2)(196) 編集プロダクション映芸, 1964-02特集:1964への対決 『にっぽん昆虫記』と日本政治 / 松下圭一 / p7~10特集:1964への対決 父親のイメイ...学 円谷美学からホーム・ドラマまで / いいだ・もも / p40~43ボクの『にっぽん昆虫記』論 / 斎藤竜鳳 / p44~47女蕩しと反独占思想 / 関根弘 / p51
☆映画芸術 12(1)(195) 編集プロダクション映芸, 1964-01わが心境と自己批判 / 大島渚 / p31~33ニッポン昆虫記/特集批評 にっぽん昆虫記・批判 / 石堂淑朗 / p87~88ニッポン昆虫記/特集批評 二大惨事
☆映画芸術 11(12)(194) 編集プロダクション映芸, 1963-12シネマ・エロテイシズム テキサスの四人・ソドムとゴモラ・女と男のいる舗道・春のめざめ・新夫婦善哉・にっぽん昆虫記 / p55~56
☆芸能画報 13(11) サン出版社, 1963-11邦画 話題作に取組む監督『にっぽん昆虫記』『砂の女』 /
☆映画評論 21(1) 新映画, 1964-01日本人の原型の追求「にっぽん昆虫記」 / 品田雄吉 / p44
☆雑誌 シネ・フロント社, 1993-03戦後日本映画の系譜(9)秋津温泉/にっぽん昆虫記 / 木崎敬一郎 / p66~71
☆映画撮影 (9) 日本映画撮影監督協会, 1964-01撮影報告 「にっぽん昆虫記」 / 姫田真左久 / p4~9撮影報告
☆シナリオ : 映画芸術の原点 : Scenarioの月刊誌 26(9)(267) 日本シナリオ作家協会 監修. 日本シナリオ作家協会, 1970-09シナリオ にっぽん昆虫記 / 長谷部慶次 ; 今村昌平 / p141~187 (0071.jp2)「にっぽん戦後史」製作意図
☆シナリオ : 映画芸術の原点 : Scenarioの月刊誌 20(9)(195) 日本シナリオ作家協会 監修. 日本シナリオ作家協会, 1964-09 「今村昌平作品集・にっぽん昆虫記」<ブック・レビュー> / 金坂健二 / p89~89
☆朝日ジャーナル 6(36)(287) 朝日新聞社 [編]. 朝日新聞社, 1964-09にっぽん昆虫記 / 佐藤忠男 / 65
☆映画情報 28(12)(136);12月号 国際情報社, 1963-12『にっぽん昆虫記』の話題/ /
☆映画情報 28(11)(135);11月号 国際情報社, 1963-11 /特集『女の歴史を肌で描く異色作』/ /砂の女・母・にっぽん昆虫記をめぐって/ /グラマー女優変遷史 (8)/南部僑一郎 /
☆遊撃の思想 斎藤竜鳳 著. 三一書房, 1965 欲望の組織者=今村昌平という男 / p37基層社会の〝性〟=『にっぽん昆虫記』のテーマ / p44退却段階の日本映画=64年の総括 / p53
☆シナリオ教室 八住利雄 著. ダヴィッド社, 1964 人のもの / 202 VI シナリオと演出 / 205一 にっぽん昆虫記 / 207 (0108.jp2)二 シナリオは半製品か? / 212 (0111.jp2)三 
☆怠惰への挑発 石堂淑朗 著. 三一書房, 1966 イマン=今村昌平<仮空>対談 / p32庶民の存在論―性の無意識部分の解放『にっぽん昆虫記』 / p43日本的サレムの魔女はどこへ行く―グロテクスなユーモア『パラジ』

☆映画ストーリー 13(1)(149)雄鶏社, 1964-01世界最後の秘境ガラパゴス / 日本ヘラルド / p64~65 (0032.jp2)誌上封切 邦画 にっぽん昆虫記 / 日活 / p146~149誌上封切 邦画 恐怖の時間 / 東宝 / p1
☆キネマ旬報 臨時増刊 キネマ旬報社, 1982-05五番町夕霧楼 / 滋野辰彦 / p312~313にっぽん昆虫記 / 滋野辰彦 / p314~315砂の女 / 滋野辰彦 / p316~317
☆キネマ旬報 (355)(1170) キネマ旬報社, 1964-01編集室 / 嶋地 / p192~192〔日本映画批評〕 にっぽん昆虫記 / 井沢淳 / p106~106〔日本映画批評〕 江分利満氏の優雅な生活 /
☆キネマ旬報 (353)(1168) キネマ旬報社, 1963-11 続・ニッポン珍商売 丹下左膳 女の歴史 われらサラリーマン 巨人 大隈重信 眠狂四郎殺法帖 にっぽん昆虫記 真白き富士の嶺 鬼検事 母 激しい女たち / p81~87
☆キネマ旬報 (352)(1167) キネマ旬報社, 1963-11 新作グラビア にっぽん昆虫記 / p7~7新作グラビア 女の歴史 / 沢鳥忠 / p8~9
☆にっぽん昆虫記 : 今村昌平作品集 今村昌平 著. 三一書房, 1964 ―神々と豚々― / 183赤い殺意 / 267座談会 今村昌平の人と作品 江藤文雄 斎藤竜鳳 山内久 / 329
☆教育者・今村昌平 今村昌平 著, 佐藤忠男 編著. キネマ旬報社, 2010.12
☆今村昌平全映画 解説と自作を語る (巻頭特集 追悼 映画監督 今村昌平)
雑誌記事 今村 昌平 キネマ旬報 (1463) 2006.8.上旬 p.27~37
☆今村昌平監督,自作を語る (特集 うなぎ) 今村 昌平 シネ・フロント (通号 247) 1997.05 p.4~7
☆HOT TALK 今村昌平--父への鎮魂歌の映画を通して非人間的な現代医療を憂う 今村 昌平ばんぶう / 日本医療企画 編 (通号 209) 1998.11 p.2~5
☆THE FACE′89--「黒い雨」をめぐって--〔今村昌平〕今村 昌平, 品田 雄吉 キネマ旬報 (通号 1009) 1989.05.01 p.p51~55
☆今村昌平 : 映画は狂気の旅である (人間の記録 ; 175) 今村昌平 著. 日本図書センター, 2010.2
☆豚と軍艦 (今村昌平日活作品全集 ; 1)今村昌平 監督, 長門裕之, 吉村実子, 丹波哲郎, 三島雅夫 出演. パイオニアLDC, c1961
☆にあんちゃん (今村昌平日活作品全集 ; 1) 安本末子 原作, 今村昌平 監督, 長門裕之, 松尾嘉代, 小沢昭一, 吉行和子 出演. パイオニアLDC, c1959
☆女衒 (今村昌平DVD collection)今村昌平 監督. 東映ビデオ, 2004.5企画:三堀篤/滝田五郎 プロデューサー: 杉山義彦/武重邦夫/大庭二郎 脚本:今村昌平/岡部耕大 撮影:栃沢正夫 音楽:池辺晋一郎 出演:緒方拳/倍賞美津子/レオナルド熊/殿山泰司/
☆盗まれた欲情 今村昌平監督作品今村昌平 監督. ジェネオンエンタテインメント, 2003.12撮影:高村倉太郎 音楽:黛敏郎 出演:長門裕之/南田洋子/柳沢真一/西村晃/小沢昭一 原案・脚本:今村昌平 撮影:藤岡粂信 音楽:中川洋一 出演:柳沢真一/西村晃/小沢昭一/堀恭子/山岡久乃/フランク永井
☆豚と軍艦 今村昌平監督作品 今村昌平 監督. ジェネオンエンタテインメント, 2003.12
☆果しなき欲望 (今村昌平日活作品全集 ; 1) 藤原審爾 原作, 今村昌平 監督, 長門裕之, 中原早苗, 渡辺美佐子, 殿山泰司 出演. パイオニアLDC, c1958
☆映画監督 今村昌平を追う (特集「赤い橋の下のぬるい水」) 垣井 道弘, 今村 昌平 キネマ旬報 (1343) 2001.11.上旬 p.50~55
☆赤い殺意 (今村昌平日活作品全集 ; 2) 藤原審爾 原作, 今村昌平 監督, 西村晃, 春川ますみ, 露口茂, 楠侑子, 近藤宏, 北村和夫, 加藤嘉, 赤木蘭子, 北原文枝 出演. パイオニアLDC, c1964
☆盗まれた欲情 (今村昌平日活作品全集 ; 1) 今東光 原作, 今村昌平 監督, 長門裕之, 南田洋子, 柳沢真一, 滝沢修 出演. パイオニアLDC, c1958
☆果しなき欲望 今村昌平監督作品 今村昌平 監督・脚本. ジェネオンエンタテインメント, 2003.12
☆にあんちゃん 今村昌平監督作品 今村昌平 監督・脚本. ジェネオンエンタテインメント, 2003.12
☆ドキュメンタリーは格闘技である : 原一男vs深作欣二 今村昌平 大島渚 新藤兼人 原一男 著. 筑摩書房, 2016.2深作欣二 述 映画にとって〈虚構〉とは何か 深作欣二, 小林佐智子 述 『人間蒸発』と体験的女優論 今村昌平 述 キャメラマンから見た『人間蒸発』の現場 石黒健治 述 『忘れられた皇軍』の〈真実〉
☆神々の深き欲望 (今村昌平日活作品全集 ; 2) 今村昌平 監督, 三国連太郎, 河原崎長一郎, 北村和夫, 沖山秀子, 松井康子, 加藤嘉, 小松方正, 嵐寛寿郎 出演. パイオニアLDC, c1968
☆ええじゃないか 今村昌平 原作, 今村昌平, 宮本研 脚本, 今村昌平 監督. 松竹ビデオ事業室, [2004.3]監督・原作・脚本:今村昌平 脚本:宮本研 撮影:姫田真佐久 照明:岩木保夫 録音:吉田庄太郎 音楽:池辺晋一郎 美術:佐谷晃能
☆「うなぎ」対「HANA-BI」--今村昌平 (コマネチ! ビートたけし全記録 ; ビートたけし 三大激突対談) ビートたけし, 今村 昌平 新潮45 / 新潮社 [編] 17(別冊) 1998.02 p.112~121
☆カンゾー先生 (今村昌平DVD collection) 坂口安吾 原作, 今村昌平 監督. 東映ビデオ, 2004.5監督・脚本:今村昌平 原作:坂口安吾 脚本:天願大介 撮影:小松原茂 音楽:山下洋輔 出演:柄本明/麻生久美子/ジャック
☆今村昌平論 渡辺 浩 映画評論 20(3) 1963.02 p.66~71
☆人類学入門 「エロ事師たち」より (今村昌平日活作品全集 ; 2) 野坂昭如 原作, 今村昌平 監督, 小沢昭一, 坂本スミ子, 田中春男, 佐川啓子, 近藤正臣, 西村晃, ミヤコ蝶々, 中村鴈治郎 出演. パイオニアLDC, c1966
☆今村昌平論 佐藤 重臣 映画評論 16(12) 1959.12 p.30~35
☆今村昌平,川島雄三作品を語る (没後30年--川島雄三はサヨナラを言わない<特集>〔含 ビデオグラフィ〕) 今村 昌平, 桂 千穂, 阿部 嘉昭 構成 キネマ旬報 (通号 1108) 1993.06.15 p.p111~114
☆豚と軍艦 脚本/山内久 監督/今村昌平 1961年、日活作品 山内 久 シナリオ 68(10)=771:2012.10 p.134-169
☆今村昌平との仕事 『豚と軍艦』 山内久/玲子 山内 久, 山内 玲子, 渡辺 千明 他 シナリオ 68(10)=771:2012.10 p.124-133
☆風船大仏次郎 原作, 今村昌平 脚本, 川島雄三 監督・脚本. 日活, 2006.3 監督・脚本:川島雄三 原作:大仏次郎 脚本:今村昌平 撮影:高村倉太郎 美術:中村公彦 衣裳デザイン:森英恵 出演:森雅之/三橋達也/北原三枝/左幸子/
☆因果と丈夫なこの身体 : 加藤武 芝居語り(11)今村昌平と仲間たち 市川 安紀 キネマ旬報 (1713):2016.4.上旬 p.111-114
☆復讐するは我にあり 佐木隆三 原作, 馬場当 脚本, 今村昌平 監督. 松竹ビデオ事業室, [2004.3] 撮影:姫田真佐久 美術:佐谷晃能 録音:吉田庄太郎 照明:岩木保夫 音楽:池辺晋一郎 監督:今村昌平 出演:緒方拳,小川真由美,倍賞美津子,フランキー堺,北村和夫,ミヤコ蝶々,清川虹子,三國連太郎
☆今村昌平の製作現場 垣井道弘 著. 講談社, 1987.8
☆幕末太陽傳 コレクターズ・エディション 田中啓一, 今村昌平 脚本, 川島雄三 監督・脚本, フランキー堺 [ほか]出演. 日活, 2005.10監督・脚本:川島雄三 脚本:田中啓一,今村昌平 撮影:高村倉太郎 美術:中村公彦,千葉一彦 録音:橋本文雄 音楽:黛敏郎 出演:フランキー堺,左幸子
☆没後10年・生誕90年 今村昌平のもう一つの遺産 : 日本映画学校・卒業制作傑作選 佐藤 忠男 キネマ旬報 (1725):2016.8.下旬 p.119-121
☆今村昌平の世界 増補版 佐藤忠男 著. 学陽書房, 1997.7
☆今村昌平伝説 (人間ドキュメント) 香取俊介 著. 河出書房新社, 2004.2
☆講座日本映画 6 (日本映画の模索) 今村昌平 [ほか]編. 岩波書店, 1987.6 過去帳/田村孟/86『日本の夜と霧』前後/石堂淑朗/106ドキュメンタリー・未帰還兵を追って/今村昌平/118『神々の深き欲望』助監督体験/藤田伝/150ゆらぎはじめた王座[日本シナリオ史6]/新藤兼人
☆講座日本映画 8 (日本映画の展望) 今村昌平 [ほか]編. 岩波書店, 1988.8 大阪的風土と映画/田辺聖子/106運動の記録としての映画/鎌田慧/116現代映画と性/新藤兼人 ; 今村昌平/130極私的戦後映画史その2/馬場当/152映画の忠臣蔵/御園京平 ; 佐藤忠男/168
☆神の耳を持つ男 : 録音技師 紅谷愃一(第7回)今村昌平との運命の出会い 紅谷 愃一, 金澤 誠 キネマ旬報 (1791):2018.10.上旬 p.86-89
☆女の勝利が女自身しか笑えないコメディ : 今村昌平の「重喜劇」・『赤い殺意』をめぐって モルナール レヴェンテ 北海道大学大学院文学研究科研究論集 / 北海道大学大学院文学研究科 編 (17):2017 p.209-228
☆今村昌平論 金坂 健二 映画評論 21(9) 1964.08 p.37~45
☆今平犯科帳 : 今村昌平とは何者 村松友視 著. 日本放送出版協会, 2003.6
☆今村昌平を読む : 母性とカオスの美学 清水正 著. 鳥影社, 2001.11
☆今村昌平監督作品リスト (今村昌平作品研究(特集)) シナリオ 26(9) 1970.09.00 p.33~34
☆復讐するは我にあり (あの頃映画the best松竹ブルーレイ・コレクション) 佐木隆三 原作, 馬場当 脚本, 今村昌平 監督. 松竹, [2015.1]
☆今村昌平作品研究(特集) シナリオ 26(9) 1970.09.00 p.21~34
☆現代映画の時間と空間--大島渚と今村昌平 北村 美憲 新日本文学 / 新日本文学会 [編] 16(3) 1961.03
☆年鑑代表シナリオ集 1962年版 シナリオ作家協会 編. ダヴィッド社, 1963にっぽんのお婆あちゃん(水木洋子) 破戒(和田夏十) キューポラのある街(今村昌平,浦山桐郎) 秋津温泉(吉田喜重) おとし穴(安部公房) 切腹(橋本忍) 人間(新藤兼人) 秋刀魚の味(野田高梧,小津安二郎) 私は二歳(和田夏十) 昆虫記(長谷部慶次,今村昌平) 破戒 和田夏十 / 76キューポラのある街 今村昌平/浦山桐郎 / 108秋津温泉 吉田喜重 / 140おと...243私は二歳 和田夏十 / 271にっぽん昆虫記 長谷部慶次/今村昌平 / 295作品解説 / 330 1962年度シナリオ作家
☆貧困と差別に集約する眼--今村昌平の「パラジ」と映画にふれて 羽山 英作 部落 15(1) 1963.01 p.143~145
☆今村昌平の現場 (巻頭特集 追悼 映画監督 今村昌平) キネマ旬報 (1463) 2006.8.上旬 p.24~26
☆教育者としての今村昌平 (巻頭特集 追悼 映画監督 今村昌平) 佐藤 忠男 キネマ旬報 (1463) 2006.8.上旬 p.68~71
☆今村昌平のもうひとつの仕事 佐藤 忠男 文芸春秋 85(3) 2007.2 p.80~82
☆今村昌平と原爆の表象 野坂 昭雄 原爆文学研究 / 原爆文学研究会 編 (通号 2) 2003.08 p.24~31
☆よみがえれ! 今村昌平--追悼シンポジウム「今村昌平を語る」井上 和男, 北村 和夫, 佐藤 忠男 他 演劇映像 / 早稲田大学演劇映像学会 編 (48) 2007 p.75~96
☆今村昌平 日活作品全集1特典ディスク ジェネオンエンタテインメント, 2003.12 撮影:松根広隆,竹腰正次 出演:今村昌平,天願大介
☆戦後史の中の"棄てられた民"をもとめて(テレビ・ドキュメンタリィ無法松故郷に帰るを撮り終えた) 今村 昌平 シナリオ 30(2) 1974.02.00 p.44~47
☆ヨコスカ裏街道の住人たち今村 昌平 文芸春秋 57(9) 1979.09 p.p260~271
☆今村昌平における戦後史の感覚 (今村昌平作品研究(特集)) 河原畑 寧 シナリオ 26(9) 1970.09.00 p.22~28
☆"俳優"河野洋平氏について 今村 昌平 月刊新自由クラブ / 新自由クラブ政策委員会 編 5(44) 1981.03 p.p107~109
☆〔「楢山節考」(今村昌平監督)〕 (「楢山節考」<特集>) キネマ旬報 (通号 859) 1983.05.01 p.p55~70
☆映画に生命をふき込むには 今村 昌平 映画評論 16(12) 1959.12 p.24~29
☆おりんの生と死の追求で知りたい人生の意味の究極 (「楢山節考」<特集>) 今村 昌平 キネマ旬報 (通号 859) 1983.05.01 p.p49
☆復讐するは我にあり 今村昌平 監督. 松竹, c1979
☆豚と軍艦 今村昌平 監督. 日活, 2002.11
☆今村昌平における映画方法論の展開 (今村昌平作品研究(特集)) 岡田 晋 シナリオ 26(9) 1970.09.00 p.29~33
☆映像文化とはなにか(24)今村昌平論(2) 佐藤 忠男 公評 43(8) 2006.9 p.92~99
☆映像文化とはなにか(25)今村昌平論(3) 佐藤 忠男 公評 43(9) 2006.10 p.96~103
☆今村昌平--1966年野性派代表 浦山 桐郎 日本 9(1) 1966.01
☆今村昌平監督インタビュー (新・世界の映画作家と新作研究-11-今村昌平〔含 フィルモグラフィー〕) 垣井 道弘 キネマ旬報 (通号 1224) 1997.06.01 p.107~109
☆映像文化とはなにか(23)今村昌平論(1) 佐藤 忠男 公評 43(7) 2006.8 p.94~101
☆今村昌平--日本の映画作家-2- 長部 日出雄 映画評論 21(9) 1964.08 p.46~61
☆巻頭特集 追悼 映画監督 今村昌平 キネマ旬報 (1463) 2006.8.上旬 p.23~73
☆今村昌平の映画 : 全作業の記録 芳賀書店, 1971,豚と軍艦,にっぽん昆虫記,赤い殺意,人類学入門,人間蒸発,神々の深き欲望,にっぽん戦後史. 解説 今村昌平と原始的心性(長谷部慶次) 石が浮かねばならない(平岡正明) 帰って来た男(長部日出男)
☆女衒--女衒・伊平治は企業戦士・若王子さんの大先輩である(AJライブ) 今村 昌平 他 Asahi journal / 朝日新聞社 [編] 29(35) 1987.08.14 p.p105~111
☆「人間蒸発」はかく作られた--創作の秘密に対し八ヶ条の質問状(インタビュー) 今村 昌平 他 映画評論 24(9) 1967.09.00 p.44~46
☆楢山節考(今村昌平)(シナリオ時評-13-) 八住 利雄 シナリオ 39(6) 1983.06 p.p89~91
☆講座日本映画 5 (戦後映画の展開) 今村昌平 [ほか]編. 岩波書店, 1987.1
☆講座日本映画 4 (戦争と日本映画) 今村昌平 [ほか]編. 岩波書店, 1986.7
☆講座日本映画 7 (日本映画の現在) 今村昌平 [ほか]編. 岩波書店, 1988.1
☆講座日本映画 3 (トーキーの時代) 今村昌平 [ほか]編. 岩波書店, 1986.3
☆講座日本映画 1 (日本映画の誕生) 今村昌平 [ほか]編. 岩波書店, 1985.10
☆現代日本映画作家論10今村昌平論 佐藤 忠男 映画評論 30(10) 1973.10.00 p.117~123
☆宮崎緑の斬り込みトーク--<映画監督>今村昌平 週刊読売 57(49) 1998.10.25 p.120~124
☆うなぎ 完全版 今村昌平 監督・脚本. ケイエスエス, 2004.1
☆講座日本映画 2 (無声映画の完成) 今村昌平 [ほか]編. 岩波書店, 1986.1
☆今村昌平と『カンゾー先生』 (特集 カンゾー先生) 小沢 昭一 シネ・フロント 23(9) 1998.09 p.3、18~21
☆飢渇の存在--「人間蒸発」と今村昌平 西江 孝之 映画評論 24(9) 1967.09.00 p.40~43
☆年鑑代表シナリオ集 1959年版 シナリオ作家協会 編. ダヴィッド社, 1960 暗夜行路(八住利雄) 独立愚連隊(岡本喜八) 人間の壁(八木保太郎) にあんちゃん(池田一朗,今村昌平) 野火(和田夏十) 作品解説 人間の壁 八木保太郎 / 250にあんちゃん 池田一朗/今村昌平 / 285野火 和田夏十 / 321)作品解説 /
☆追悼インタビュー (巻頭特集 追悼 映画監督 今村昌平) キネマ旬報 (1463) 2006.8.上旬 p.38~65
☆今村昌平の謎なぞ--イマヘイ伝説を解剖する 長部 日出雄 映画評論 24(8) 1967.08.00 p.80~84
☆発掘シナリオシリーズ 競輪上人行状記 大西 信行, 今村 昌平 シナリオ : 映画芸術の原点 : Scenarioの月刊誌 / 日本シナリオ作家協会 監修 73(9)=830:2017.9 p.75-107
☆にっぽん昆虫記/西銀座駅前 (今村昌平日活作品全集 ; 1) パイオニアLDC, c1963 SIDE1-3 にっぽん昆虫記(監督:今村昌平 出演:左幸子,北村和夫,吉村実子,北林谷栄) SIDE4 西銀座駅前(監督:今村昌平 出演:柳沢真一,堀恭子,西村晃,山岡久乃)
☆今村昌平に"気違い"にされた私(猛烈人間のプライバシー) 沖山 秀子 潮 / 潮出版社 [編] (通号 108) 1969.03.00 p.144~148
☆果して岩は落ちたのか--今村昌平の「神々の深き欲望」長部日出雄 映画評論 26(1) 1969.01.00 p.38~41
☆映画は狂気の旅である : 私の履歴書 今村昌平 著. 日本経済新聞社, 2004.7
☆今村昌平監督追悼行事「よみがえれ!今村昌平」主催:早稲田大学、2006年7月15日~8月2日 碓井 みちこ 映像学 / 日本映像学会 [編] (通号 77) 2006 p.81~85
☆年鑑代表シナリオ集 1964年版 シナリオ作家協会 編. ダヴィッド社, 1965 黒い河(新藤兼人) 帝銀事件・死刑囚(熊井啓) 越後つついし親不知(八木保太郎) 赤い殺意(長谷部慶次,今村昌平) われ一粒の麦なれど(松山善三) 甘い汗(水木洋子) 非行少年(佐治乾,河辺和夫) 越後つついし親不知 八木保太郎 / 122赤い殺意 長谷部慶次/今村昌平 / 156われ一粒の麦なれど 松山善三 / 194
☆撮る : カンヌからヤミ市へ 今村昌平 著. 工作舎, 2001.10
☆TALK ABOUT CINEMA 偏愛的戦後映画選(第3回)今村昌平『豚と軍艦』 三角 忠 リプレーザ / 「Ripresa」編集委員会 編 (3) 2007.Sum p.230~240
☆今村昌平監督の弟子が撮った「楢山節考」の極道版か!? 塩田 時敏 シナリオ 59(8) (通号 661) 2003.8 p.20~22
☆〔「ええじゃないか」(今村昌平監督)〕 (「ええじゃないか」<特集>) キネマ旬報 (通号 806) 1981.03.01 p.p70~93
☆映像文化とはなにか(85)韓国で今村昌平を語る 佐藤 忠男掲載誌 公評 49(3):2012.4 p.64-71
☆遥かなる日本人 (同時代ライブラリー ; 259) 今村昌平 著. 岩波書店, 1996.3
☆現代の肖像 今村昌平(映画監督)--銀幕に映らなかった「今村映画」 鎌田 慧 Aera 11(43) 1998.10.26 p.52~56
☆今村昌平の眩惑術--謎なぞシリーズ第2弾(対談) 長部 日出雄 他 映画評論 24(9) 1967.09.00 p.19~35
☆「人類学入門」の中の"他人"--今村昌平論のためのノート 長部 日出雄 映画評論 23(6) 1966.06 p.101~108
☆楢山節考(83東映/今村プロダクション) 映像資料 東映ビデオ, 2002.7〈映像特典〉フォトギャラリー 監督:今村昌平 出演:緒方拳/坂本スミ子
☆年鑑代表シナリオ集 1963年版 シナリオ作家協会 編. ダヴィッド社, 1964 五番町夕霧楼(鈴木尚之,田坂具隆) 江分利満氏の優雅な生活(井手俊郎) にっぽん昆虫記(長谷部慶次,今村昌平) 暴動(星川清司) 江分利満氏の優雅な生活 井手俊郎 / 290にっぽん昆虫記 長谷部慶次/今村昌平 / 322暴動 星川清司 / 359作品解説と展望 /
☆日本映画の二人の監督--黒沢明と今村昌平 雑誌記事 羽山 英作 新日本文学 / 新日本文学会 [編] 15(4) 1960.04
☆今村昌平の汎神論的世界 (特集「赤い橋の下のぬるい水」) 佐藤 忠男 キネマ旬報 (1343) 2001.11.上旬 p.56~60
☆今村昌平(映画監督)--齢70を超えて未だ現役。その"濃い"人生 プレジデント 36(11) 1998.11 p.280~282
☆新・世界の映画作家と新作研究-11-今村昌平〔含 フィルモグラフィー〕 キネマ旬報 (通号 1224) 1997.06.01 p.106~122
☆日活ポルノ裁判ルポー91-今村昌平証人への尋問 斎藤 正治 キネマ旬報 (通号 718) 1977.10.01 p.p179~181
☆みゅーじかる死神 : 今村昌平の原作による / 蘆原コレクション [オールスタッフプロダクション], [19--]
☆年鑑代表シナリオ集 1968年版 シナリオ作家協会 編. ダヴィッド社, 1969 地獄篇(寺山修司,羽仁進) 首(橋本忍) 日本の青春(広沢栄) 肉弾(岡本喜八) 神々の深き欲望(今村昌平,長谷部慶次) 祗園祭(鈴木尚之,清水邦夫) 砂の器<特別賞>(橋本忍,山田洋次) / 206肉弾 岡本喜八 / 254神々の深き欲望 今村昌平/長谷部慶次 / 285祇園祭 鈴木尚之/清水邦夫 / 328
☆吾体感的三文戦後芝居史(第6回)モロッコ・クーデター・今村昌平(後) 藤田 傳 悲劇喜劇 62(11) (通号 709) 2009.11 p.49~51
☆今村映画の魅力 (新・世界の映画作家と新作研究-11-今村昌平〔含 フィルモグラフィー〕) 石坂 昌三 キネマ旬報 (通号 1224) 1997.06.01 p.117~119
☆小沢昭一インタビュー (新・世界の映画作家と新作研究-11-今村昌平〔含 フィルモグラフィー〕) 轟 夕起夫 キネマ旬報 (通号 1224) 1997.06.01 p.112~115
☆エロ事のすすめ--今村昌平監督「人類学入門」"エロ事師たち"より 柾木 恭介 新日本文学 / 新日本文学会 [編] 21(5) 1966.04 p.106~111
☆今村昌平の笑い (抱腹絶倒学入門(乱世のシナリオ講座-1-)(特集)) 押川義行 シナリオ 27(6) 1971.06.00 p.54~59
☆深沢七郎「楢山節考」(監督:今村昌平) (映画の文学誌 ; 小説・シナリオ・映画) 雑誌記事 日高 昭二 國文學 : 解釈と教材の研究 / 學燈社 [編] 28(10) 1983.08 p.p96~97
☆吾体感的三文戦後芝居史(第5回)モロッコ・クーデター・今村昌平(前) 藤田 傳 悲劇喜劇 62(9) (通号 707) 2009.9 p.47~49
☆林真理子対談 マリコの言わせてゴメン!(89)今村昌平「『うなぎ』は本当は直したかった」 週刊朝日 102(27) 1997.06.20 p.46~50
☆「講座 日本映画(1~4巻)」今村昌平,佐藤忠男,新藤兼人,鶴見俊輔,山田洋次編集
雑誌記事 岡 保生 文学 / 岩波書店 [編] 55(5) 1987.05 p.p128~134
☆全集・現代文学の発見 第6巻 (黒いユーモア) 大岡昇平 等編. 学芸書林, 1969(泉大八) あ丶無情(坂口安吾) マッチ売りの少女(野坂昭如) 鳥獣戯話(花田清輝) 果てしなき欲望(今村昌平,山内久) 解説(花田清輝)鳥獣戯話 / 403今村昌平・山内久 /果てしなき欲望 / 453花田清輝 /
☆年鑑代表シナリオ集 1966年版 シナリオ作家協会 編. ダヴィッド社, 1967 女の中にいる他人(井手俊郎) 人類学入門(今村昌平,沼田幸二) 893愚連隊(中島貞夫) 紀ノ川(久板栄二郎) 白昼の通り魔(田村孟) 本能(新藤兼人)目次 /女の中にいる他人 井手俊郎 / 2人類学入門 今村昌平/沼田幸二 / 37 893愚連隊 中島貞夫 / 75紀ノ川
☆幕末太陽傳 田中 啓一, 川島 雄三, 今村 昌平 シナリオ 68(1)=762:2012.1 p.22-67
☆〔「復讐するは我にあり」(今村昌平監督)〕 (「復讐するは我にあり」<特集>)
雑誌記事 キネマ旬報 (通号 759) 1979.05.01 p.p100~123
☆山内久/玲子 聞き書き(オーラルヒストリー)(第11回)今村昌平との仕事(2) 山内 久, 山内 玲子, 渡辺 千明 他 シナリオ 67(7) (通号 756) 2011.7 p.68~78
☆山内久/玲子 聞き書き(オーラルヒストリー)(第10回)今村昌平との仕事(1) 山内 久, 山内 玲子, 渡辺 千明 他 シナリオ 67(6) (通号 755) 2011.6 p.71~81
☆神話と街の間--「神々の深き欲望」をめぐって (「神々の深き欲望」が喚起するもの)
雑誌記事 今村 昌平, 馬場 当 シナリオ 25(3) 1969.03.00 p.12~27
☆27年ぶりの「楢山節考」 今村 昌平, 深沢 七郎中央公論 98(5) 1983.05 p.p278~285
☆「復讐するは我にあり」の犯人像とその周辺 (「復讐するは我にあり」<特集>)
雑誌記事 今村 昌平, 佐木 隆三 キネマ旬報 (通号 759) 1979.05.01 p.p86~91
☆年鑑代表シナリオ集 1967年版 シナリオ作家協会 編. ダヴィッド社, 1968 日本春歌考(大島,田村,佐々木,田島) 上意討ち(橋本忍) 陽の出の叫び(広瀬襄,藤田繁矢) 人間蒸発(今村昌平) 性の起原(新藤兼人) 日本のいちばん長い日(橋本忍) 華岡青洲の妻(新藤兼人) 乱れ雲(山田信夫)陽の出の叫び 広瀬襄/藤田繁矢 / 107人間蒸発 今村昌平 / 132性の起原 新藤兼人 / 195日本のいちばん長い日
☆〔「キューポラのある街」今村昌平,浦山桐郎著,浦山桐郎監督〕 (浦山桐郎の思い出) シナリオ 42(3) 1986.03 p.p141~174
☆地獄に堕ちた人間達を凝視する今村昌平の透徹した眼--「復讐するは我にあり」論
雑誌記事 貞永 方久 キネマ旬報 (通号 763) 1979.06.15 p.p98~100
☆新人監督を輩出する日本映画学校の近況 (日本映画の新人監督地図-1-監督デビューが続く日本映画学校) 今村 昌平, 垣井 道弘 キネマ旬報 (通号 1060) 1991.06.15 p.p59~61
☆「ええじゃないか」で現代の"根"を描く(潮インタビュー) 今村 昌平, 白井 佳夫 潮 / 潮出版社 [編] (通号 263) 1981.04 p.p53~61
☆混沌とした時代に生きる下層庶民の生命力 (「ええじゃないか」<特集>) 今村 昌平, 佐藤 忠男掲載誌 キネマ旬報 (通号 806) 1981.03.01 p.p58~63
☆今村昌平における「棄民」の思想 (特集 日本映画、新しい視点から) 柴田 緑 映画学 / 映画学研究会 [編] (通号 23) 2009 p.45~69
☆幕末太陽傳 川島雄三 監督・脚本. 日活, 2002.11 脚本:田中啓一/今村昌平 音楽:黛敏郎 出演:フランキー堺/南田洋子/左幸子/石原裕次郎/芦川いづみ/小林旭
☆仕事の師であり人生の恩人 (巻頭特集 追悼 映画監督 今村昌平 ; 追悼インタビュー) 紅谷 愃一掲載誌 キネマ旬報 (1463) 2006.8.上旬 p.63~65
☆シネマの記憶喪失(第18回)ドキュメンタリータッチという形式と再現の問題『ユナイテッド93』と今村昌平 阿部 和重, 中原 昌也 文學界 60(8) 2006.8 p.288~294
☆「うなぎ」作品評 (新・世界の映画作家と新作研究-11-今村昌平〔含 フィルモグラフィー〕) 佐藤 忠男, 北川 れい子 キネマ旬報 (通号 1224) 1997.06.01 p.110~111,116
☆キューポラのある街 浦山桐郎 監督・脚本. 日活, 2002.11 原作:早船ちよ 脚本:今村昌平 音楽:黛敏郎 出演:吉永小百合/浜田光夫/北林谷栄/東野英治郎/殿山泰司/小沢昭一
☆阿川佐和子のこの人に会いたい-199-今村昌平(映画監督)--「うなぎ」がグランプリなんておかしいですよ 週刊文春 / 文芸春秋 [編] 39(21) 1997.06.05 p.50~55
☆犯罪の中の現代 今村 昌平, 中央公論編集部 掲載誌 中央公論 94(6) 1979.06 p.p324~329
☆飢餓海峡 浦山桐郎, 恩地日出夫 監督. SEN PLANNING, 2003.7 DISC1 第1回~第4回 DISC2 第5回~第8回 原作:水上勉 脚本:石堂淑朗/富田義朗 企画:今村昌平 出演:若山富三郎/山崎努/藤真利子
☆今村昌平 社会の底辺を描き続けた"不良監督" 生涯ウジ虫を撮り続けてやる! (特集 不良老人伝(PART3)) 香取 俊介 望星 39(4) (通号 467) 2008.4 p.11~16
☆今村昌平 俳優・長門裕之が明かすイマヘイのHな青年時代 (2006追悼ワイド 天国まで何マイル?) 週刊朝日 111(66) (通号 4792) 2006.12.29 p.31~32
☆魅惑の美女はデスゴッデス! : 落語「死神」を艶笑オペラに (日本オペラシリーズ ; no. 71)
図書 池辺晋一郎 作曲, 今村昌平 台本, 藤田傳 脚色. 日本オペラ振興会, [2010]
☆市川崑の世界 今村 昌平, 森 遊机, 石坂 浩二 キネマ旬報 (通号 1091) 1992.10.01 p.p84~88
☆あした来る人 井上靖 原作, 菊島隆三 脚本, 川島雄三 監督. 日活, 2005.10 監督:川島雄三 助監督:今村昌平 原作:井上靖 脚本:菊島隆三 撮影:高村倉太郎 美術:中村公彦 音楽:黛敏郎 出演:山村聰,三橋達也
☆今村昌平の「楢山節考」と自然順応文化論--映画と原作の比較に基づいて 李 活雄 比較文化研究 (75) 2007.1.31 p.55~61
☆飢える魂 完全版 丹羽文雄 原作, 柳沢類寿 脚本, 川島雄三 監督・脚本. 日活, 2006.5 監督・脚本:川島雄三 原作:丹羽文雄 脚本:柳沢類寿 撮影:高村倉太郎 美術:中村公彦 助監督:今村昌平 衣装デザイン:森英恵 録音:橋本文雄 音楽:真鍋理一郎 出演:三橋達也/南田洋子/轟夕起子/大坂志朗
☆わが町 織田作之助 原作, 八住利雄 脚本, 川島雄三 監督. 日活, 2006.5 監督:川島雄三 原作:織田作之助 脚本:八住利雄 撮影:高村倉太郎 美術:中村公彦 助監督:松尾昭典/今村昌平 録音:橋本文雄 音楽:真鍋理一郎 出演:辰巳柳太郎/南田洋子/三橋達也/大坂志郎/殿山泰司/小沢昭
☆みなと紀行 朝日新聞社 編. 朝日新聞社, 1976 小樽(清岡卓行) 酒田(森敦) 宇和島(杉浦明平) 横須賀(今村昌平) 境港(難波利三) 堺(足立巻一) 八戸(三浦哲郎) 石垣(佐木隆三) 小木(水上勉)
☆オリジナル・サウンドトラックによる武満徹映画音楽 5 黒澤明・成島東一郎・豊田四郎・成瀬巳喜男・今村昌平監督作品篇 武満徹 [作曲]. ビクターエンタテインメント, 2006.2
☆脚本日本映画の名作 第2巻 佐藤忠男 編. 風濤社, 1975 にっぽん昆虫記(今村昌平,長谷部慶次) 河内山宗俊(山中貞雄) 悲しみは女だけに(新藤兼人) 非行少女(石堂淑朗,浦山桐郎)
☆弘兼憲史 僕の漫画を生んだこんな映画、こんなシーン--森繁の「社長漫遊記」から「007」、黒澤明、今村昌平、キューブリックまでの興奮 (悠々として急げ) 弘兼 憲史 文芸春秋 84(14) (臨増) 2006.10 p.186~193
☆名作映画の周辺(第4回世田谷フィルムフェティバルより) 山内久--映画「豚と軍艦」他を巡って--川島雄三、今村昌平、浦山桐郎監督らとの仕事 山内 久, 水野晴郎 掲載誌 シナリオ 59(3) (通号 656) 2003.3 p.51~61
☆作品論(佳作)〔悪人譚/今村昌平の「復讐するは我にあり」(新井裕)〕 (キネマ旬報創刊60周年記念企画 ; キネマ旬報創刊60周年記念論文発表) キネマ旬報 (通号 774) 1979.11.15 p.p74~76
☆愛・夢 : ピエロ・リマルディ写真集 ピエロ・リマルディ 著, 今村昌平 監修. ノーベル書房, 1970
☆今村昌平『神々の深き欲望』論--作品イメージと安達征一郎をめぐって (特集 1950年代文学の可能性を探る1955年体制が創り出したもの/隠したもの) 柳井 貴士 社会文学 / 『社会文学』編集委員会 編 (33) 2011 p.118~130
☆日本映画シナリオ選集 1983 映人社, 1984.3 西岡琢也,チエコ・シュレイダー著. ダブルベッド 荒川晴彦著. 積木くずし 新藤兼人著. 楢山節考 今村昌平著. 竜二 鈴木明夫著. 1983年日本映画封切作品リスト:p251~254
☆年鑑代表シナリオ集 1957年版 シナリオ作家協会 編. 三笠書房, 1958  あらくれ(水木洋子) 異母兄弟(依田義賢) 幕末太陽伝(田中啓一,川島雄三,今村昌平) 爆音と大地(八住利雄) 喜びも悲しみも幾歳月(木下恵介) 純愛物語(水木洋子) 気違い部落(菊島隆三)
☆サヨナラだけが人生だ : 映画監督川島雄三の一生 今村昌平 編. ノーベル書房, 1969
☆赤い橋の下のぬるい水(01「赤い橋の下のぬるい水」製作委員会) バップ/「赤い橋の下のぬるい水」製作委員会, 2002.5 密着メイキング映像/予告編(特報・本予告)/TVスポット/NECO情報Pack「生きるか死ぬか」/今村昌平監督X三池崇史監督師弟対談DVD特別編 製作総指揮:中村雅哉 製作:豊忠雄/伊藤梅男/石川富康 プロデューサー:飯野久 監督・脚本:今村昌平 原作:辺見庸 脚本:冨川元文/天願大介 撮影:小松原茂 照明:山川英明 録音:紅谷愃一
☆年鑑代表シナリオ集 1983年版 シナリオ作家協会 編. ダヴィッド社, 1984.4 卍(まんじ) 馬場当著. セカンド・ラブ 田中晶子,東陽一著. 楢山節考 今村昌平著. きつね 井手雅人著. 十階のモスキート 内田裕也,崔洋一著. オキナワの少年 中田信一郎ほか著
☆それは三島の死に始まる : 対談集 小川徹 編. 立風書房, 1972 戦争映画と終末感(武田泰淳,開高健) 日本人の性意識(若松孝二,浦山桐郎) わが性の原体験と祭(今村昌平,小川徹) 性器に個性はあるか(吉行淳之介,佐伯彰一) 大陸帰りと東京派(鈴木清順,実相寺昭雄)
☆現代日本戯曲大系 第6巻 (1963-1965) 三一書房編集部 編. 三一書房, 1971パラジー神々と豚々(今村昌平,長谷部慶次) 新版四谷怪談(広末保) 明治の柩(宮本研) 消えた人(大橋喜一) 冬の時代(木下順二)
☆Matar al padre : Shohei Imamura + Bo Widerberg Jaime Alonso de Linaje Verdugo. Semana Internacional de Cine de Valladolid, 2008
☆全集・現代文学の発見 第6巻 (黒いユーモア) 学芸書林, 1976.6 ああ無情(坂口安吾) マッチ売りの少女(野坂昭如) 鳥獣戯話(花田清輝) 果てしなき欲望(今村昌平,山内久) 解説(花田清輝)
☆日本シナリオ大系 第4-5巻 シナリオ作家協会 編纂. マルヨンプロダクションシナリオ文庫, 1973-1974  釈迦(八尋不二) 豚と軍艦(山内久) 駅前団地(長瀬喜伴) 切腹(橋本忍) キューポラのある街(今村昌平,浦山桐郎) 憎いあンちくしょう(山田信夫) 座頭市物語(犬塚稔) 新選組始末記(星川清司) 誇り高き挑戦(佐治乾,深作欣二) にっぽん昆虫記(長谷部慶次,今村昌平) 恐喝(田坂啓) 独立機関銃隊未だ射撃中(井手雅人) 大殺陣(池上金男) 幕末残酷物語(国弘威雄)
☆現代日本映画論大系 4 (土着と近代の相剋) 冬樹社, 1971欲望は土着の底へ 今村昌平 ボクの『にっぽん昆虫記』論(斎藤竜鳳) 『にっぽん昆虫記』と日本政治(松下圭一) 今村昌平(浦山桐郎) 私たちは同質か異質か(石堂淑朗) 映画対文学・市民対庶民(倉橋由美子) 土着派の生理
☆頂上対談 (新潮文庫) ビートたけし 著. 新潮社, 2004.7 柳美里 述 格闘技には、想像力と創造力がいる 桜庭和志 述 『うなぎ』対『Hana-bi』 今村昌平 述 究極のプロ野球巷談 古田敦也 述 あんたはセンスがいいのよね 淀川長治 述
☆日本名作シナリオ選 下巻 日本シナリオ作家協会「日本名作シナリオ選」出版委員会 編. 日本シナリオ作家協会, 2016.2 シナリオを読む 加藤正人 著 切腹 橋本忍 著 にっぽん昆虫記 長谷部慶次, 今村昌平 著 飢餓海峡 鈴木尚之 著 総長賭博 笠原和夫 著 少年 田村孟 著 砂の器 橋本忍,
☆日本名作シナリオ選 下巻 第2版 日本シナリオ作家協会「日本名作シナリオ選」出版委員会 編. 日本シナリオ作家協会, 2016.10 シナリオを読む 加藤正人 著 切腹 橋本忍 著 にっぽん昆虫記 長谷部慶次, 今村昌平 著 飢餓海峡 鈴木尚之 著 総長賭博 笠原和夫 著 少年 田村孟 著 砂の器 橋本忍,
☆黒いユーモア (全集現代文学の発見 : 新装版 ; 第6巻) 石川淳 [ほか]著. 學藝書林, 2003.7 ああ無情 坂口安吾 著 マッチ売りの少女 野坂昭如 著 鳥獣戯話 花田清輝 著 果てしなき欲望 今村昌平, 山内久 著 解説 白磁鳳首瓶 花田清輝 著
☆佐々木基一全集 7 (新編・映像論) 佐々木基一 著, 佐々木基一全集刊行会 編纂, 古市雅則, 福島紀幸 編. 河出書房新社, 2013.1 山本薩夫「真空地帯」 黒沢明のシナリオについて 混沌のなかの可能性 大島渚「日本の夜と霧」 今村昌平「人間蒸発」 スナップ的方法・序 映画理論の前衛性 前衛映画は今日に生きうるか 映画と現代 映画と文学
☆現代日本映画論大系 2 (個人と力の回復) 図書 冬樹社, 1970 可能性で論じた増村保造論(飯島耕一) 座談会・映画は前進する!(中平康,増村保造,今村昌平,荻昌弘) それは突破口か?(大島渚) 『女殺し油地獄』を見て(北原武夫) 被害者意識のパターン
☆坂口安吾全集 別巻 坂口安吾 著. 筑摩書房, 2012.12 大和屋竺, 曾根中生, 荒井晴彦 著 不連続殺人事件〈テレビドラマ〉 安倍徹郎 著 カンゾー先生 今村昌平, 天願大介 著 白痴 手塚眞 著 坂口家の系図について 坂口献吉 著 阪口寿庵 阪口五峰 著
☆村岡伊平治自伝 (講談社文庫) 講談社, 1987.8
☆カンゾー先生 掲載誌 キネマ旬報 (通号 1269) 1998.11.01 p.94~101
☆シネ・フロント 23(9)(263) シネ・フロント社, 1998-09 特集 カンゾー先生 / / p3~3今村昌平監督、演出を語る / / p4~5話題の人・訪問 / 麻生久美子 / p6~9...先生』と映画『カンゾー先生』 / 半田茂雄 / p14~17今村昌平と『カンゾー先生』 / 小沢昭一 / p18~21 >今村昌平監督フィルモグラフィ / / p22~23シナリオ『カンゾー先生』完全版 /
☆シネ・フロント 22(5)(247) シネ・フロント社, 1997-05 
特集 うなぎ / / p4~17今村昌平監督、自作を語る / / p4~7 話題の人・訪問 / 佐藤允
☆シネ・フロント (161) シネ・フロント社, 1990-03)シネフロント・ベストテン / p24~24受賞者インタビュー / 今村昌平 ; 依田義賢 ; 三國連太郎 ; 田中好子 / p25~34)
☆シネ・フロント (151) シネ・フロント社, 1989-05 特集 黒い雨 / 今村昌平 / p7~12今村昌平監督、演出を語る / p7~12今平と作品を語る / 北村和夫 / p13~
☆シネ・フロント (84) シネ・フロント社, 1983-08 オキナワの少年 完成台本 / p12~28浦山桐郎インタビュー今村昌平と出会いからの『暗室』まで / 木崎敬一郎 / p29~39山田太一インタビュー
☆シナリオ : 映画芸術の原点 : Scenarioの月刊誌 45(5)(490) 日本シナリオ作家協会 監修. 日本シナリオ作家協会, 1989-05 創作ノート / 石堂淑朗 / p130~130 シナリオ 監督 今村昌平 原作 井伏鱒二 主演 田中好子 製作 今村プロ 林原グループ 黒い雨 / 石堂淑朗 ; 今村昌平 / p131~166 シナリオ 「もっともあぶない刑事」シナリオ
☆シナリオ : 映画芸術の原点 : Scenarioの月刊誌 44(3)(476) 日本シナリオ作家協会 監修. 日本シナリオ作家協会, 1988-03 特集1 演出メモ&処刑事件調査資料 / 今村昌平 ; 小林佐智子 ; 原一男 ; 栗林豊彦 ; 鍋島惇 ; 安岡卓治 ; 大宮浩一 ; 高村俊昭 ;
☆シナリオ : 映画芸術の原点 : Scenarioの月刊誌 43(10)(471) 日本シナリオ作家協会 監修. 日本シナリオ作家協会, 1987-10 シナリオ / 佐藤武光 / p124~124シナリオ 監督/今村昌平 製作/東映+今村プロ 女衒 / 今村昌平 ; 岡部耕大 / p125~166
☆シナリオ : 映画芸術の原点 : Scenarioの月刊誌 42(3)(452) 日本シナリオ作家協会 監修. 日本シナリオ作家協会, 1986-03 映画史上に残る青春映画の傑作! 浦山桐郎監督 早船ちよ原作 吉永小百合主演 キューポラのある街 / 今村昌平 ; 浦山桐郎 / p141~174浦山桐郎の思い出 /<浦山桐郎の思い出> 蛇の如く粘れ、頑張れ、へっこむな! / 今村昌平 / p140~140新連載 レポート・エッセイ 映画製作現在進行形
☆シナリオ : 映画芸術の原点 : Scenarioの月刊誌 37(5)(394) 日本シナリオ作家協会 監修. 日本シナリオ作家協会, 1981-05 前田陽一 ; 鈴木清順 / p115~115〔連載〕 日本映画月評 今村昌平監督作品「ええじゃないか」 / 佐藤忠男 / p120~121
☆映画芸術 38(2)(358) 編集プロダクション映芸, 1989-11 特集「黒い雨」は本当にいい映画なのか 長谷川和彦「黒い雨」と今村昌平を語る / 荒井晴彦 / p4~23 特集「黒い雨」は本当にいい映画なのか 特集 私はこれで決めました。 / 池田敏春 ; 石堂淑朗 ; 井筒和幸 ; 伊藤俊也 ; 今村昌平 ; 上垣保朗 ; 大林宣彦 ; 大山勝美 ; 柏原寛司 ; 金子修介 ; 河崎義祐 ; 神代辰巳
☆映画芸術 23(2)(304) 編集プロダクション映芸, 1975-04 ルポ批評 雌伏5~8年の企画・そしてこの夏こそは☆脚光を浴びる旧ライバル・ふたりの教祖 今村昌平と鈴木清順 ぼくは8周期ですよほか / 今村昌平 ; 鈴木清順 / p27~39 批評特集 これらが日本映画のまぎれもない現状だ
☆映画芸術 19(5)(283) 編集プロダクション映芸, 1971-05 特集1 今村昌平<黒念仏殺人事件>について 前近代でなく反近代 / 内村剛介 / p27~31特集1 今村昌平<黒念仏殺人事件>について 今村昌平の共同体論 / 北村皆雄 / p31~34特集2 ヤクザ映画と若松映画の両立
☆映画芸術 17(10)(266) 編集プロダクション映芸, 1969-10
全面特集 日本映画 この生きている10年史 '68(昭43) 今村昌平とオキナワ<東シナ海>は失敗したが / 磯見忠彦 / p71~73
☆映画芸術 17(6)(262) 編集プロダクション映芸, 1969-06 全面特集 現代芸術の前近代への郷愁は何か 内なる前近代と映画(3)今村昌平と武智鉄二 今村の血は透明となった / 大和屋竺 / p28~29全面特集現代芸術の前近代への郷愁は何か 構造主義と日本映画 土着・ブラックユーモア・構造主義--新藤兼人・今村昌平・土方巽の作品に触れて / 伊東守男 / p57~60新しい欧米映画
☆映画評論 30(10) 新映画, 1973-10 ブレヒト / 扇田昭彦 / 94現代日本映画作家論-10-今村昌平論 / 佐藤忠男 / 117アンダーグラウンド・シネマの密儀
☆映画評論 29(4) 新映画, 1972-04 邪宗門 / 寺山修司 / p105未帰還兵を追って / 今村昌平 / p127 SOFT FOCUS / p15
☆映画評論 27(8) 新映画, 1970-08 狂気が彷徨う / 奥村昭夫 / p89につぽん戦後史 / 今村昌平 / p108原点にもどる秘やかな悦楽 / 田山力哉 / p74
☆映画評論 26(1) 新映画, 1969-01 スティバル総評 / 佐藤重臣 / 36果して岩は落ちたのか--今村昌平の「神々の深き欲望」 / 長部日出雄 / 38鈴木清順と「肉体の門」
☆映画評論 25(2) 新映画, 1968-02 7>パリのめぐり逢い / クロード・ルルーシュ / p89神々の深き欲望 / 今村昌平 / p125シネ・ダイアリー / p173
☆変った種族研究 吉行淳之介 著. 講談社, 1965 戸川昌子 / p117殿山泰司 / p127今村昌平 / p137加賀まりこ / p147柳家三亀松 / p
☆キネマ旬報 (1269)(2083) キネマ旬報社, 1998-11 黒田邦雄 ; 吉村英夫 / p86~93特集 カンゾー先生 今村昌平監督インタビュー 柄本明インタビュー 作品評/垣井道弘 ; 金澤誠 ; 村川英 / p94~101
☆キネマ旬報 (1224)(2038) キネマ旬報社, 1997-06 原郁子 / 54~57 (11)新・世界の映画作家と新作研究 今村昌平 今村昌平監督インタビュー「うなぎ」作品評-小沢昭一インタビュー-今村映画の魅力--フィルモグラフィ 北川れい子 ; 轟夕起夫 ; 石坂昌三 / p106~121今村昌平監督インタビュー / 垣井道弘 / 107~109「うなぎ」
☆キネマ旬報 (1108)(1922) キネマ旬報社, 1993-06 特集 没後30年一川島雄三はサヨナラを言わない / p108~110特集 今村昌平、川島作品を語る/桂千穂 / p111~114特集 大映時代
☆キネマ旬報 (1091)(1905) キネマ旬報社, 1992-10 特集 市川崑の世界 / / p84~87仕掛人の辯 / 今村昌平 / p84~84市川崑入門 / 森遊机 / p85~86
☆キネマ旬報 (1089)(1903) キネマ旬報社, 1992-09 三國連太郎 ; 宮下順子 ; 水の江滝子 ; マキノ雅広 ; 蔵原惟繕 ; 舛田利雄 ; 今村昌平 ; 長谷部安春 ; 神代辰巳 ; 高村倉太郎 ; 姫田真左久 ; 八森稔 / p15~15
☆出版ニュース = Japanese publications news and reviews : 出版総合誌 (818) 出版ニュース社, 1969-12 赤児のようないい男 / 今村昌平 / p21~21わが著書を語る / 坂崎乙郎 ; 寺田透 ; 水上勉 ; 宮
☆出版ニュース = Japanese publications news and reviews : 出版総合誌 (632);1964年8月下旬号 出版ニュース社, [1964-08] 今村昌平著 にっぽん昆虫記 三一書房/ / 12~13
☆逓信協会雑誌 9月(676) 逓信協会, 1967-09 今村昌平「人間蒸発」 / 岩瀬好三 / p42~43嘉村礒多「途上」その他 /
☆みんけん : 民事研修 (7)(459) 民事研修編集室, 1995-07 安吾と私と青春 / 今村昌平 / p3~11
☆By the way 7(5)(37) 産業情報研究会 編. ライフ社, 1997-08 時の人 カンヌ金賞を受賞した今村昌平 / 品田雄吉 / p20~21
☆怠惰への挑発 石堂淑朗 著. 三一書房, 1966 見えざる敵―『山猫』 / p29私たちは同質か異質か―ベルイマン=今村昌平<仮空>対談 / p32庶民の存在論―性の無意識部分の解放『にっぽん昆虫記』状況を日本の外にありとする者は誰か?―『日本列島』批判 / p67今村昌平の睪丸―なぜ作家たちはエロチシズムを追い求めたか / p71愚かしいテクニック
☆視聴覚芸術方法試論 当利和成 著. 同成社, 1968 裏切りの季節 / p180ゴダールと今村昌平の作品世界に於ける可能性 / p183日常の慣習と時間の輪舞 / p185
☆月刊新自由クラブ 5(44) 新自由クラブ政策委員会 編. 新自由クラブ, 1981-02 石井光義 / p84~92"俳優"河野洋平氏について / 今村昌平 / p107~109この町この味-8完-松島 / 室生朝子
☆遊撃の思想 斎藤竜鳳 著. 三一書房, 1965 遊び人になるための映画のすすめ / p31欲望の組織者=今村昌平という男 / p37基層社会の〝性〟=『にっぽん昆虫記』のテーマ / p44
☆新潮45 17(別冊) 新潮社, 1998-02 釜山彷徨 / 三島正 / p103~110「うなぎ」対「HANA-BI」 / 今村昌平 / p112~121 さくらももこ、岸本加世子、大杉漣
☆軍事史学 23(2)(90) 軍事史学会 編. 錦正社, 1987-10 ウジ・ナルキス『エルサレムに朝日が昇る』 / / p119~120今村昌平ほか編『戦争と日本映画』 / / p120~120信夫清三郎『江戸時代 鎖国』
☆新評 14(6) 新評社, 1967-06 恥部を暴くランパーツ誌 / 本誌編集部 / 256今様助平のアウトサイダー・今村昌平 / 藤本義一 / 144 2DK時代のアジテーター・白土三平 / いいだもも
☆日本映画は崩壊するか 金坂健二 著. 三一書房, 1968 幽霊は生きている=小林正樹 / p173非構成の構成=今村昌平 / p188後進国の思想=大島渚 / p201
☆Clinic bamboo = ばんぶう 日本医療企画, 1998-11 HOT TALK 今村昌平--父への鎮魂歌の映画を通して非人間的な現代医療を憂う / 今村 昌平 / 2~5
☆現代にとって児童文化とは何か 佐野美津男 著. 三一書房, 1965 テレビのなかの大衆文学 / 193人は虫になり得るか―部分的今村昌平論 / 201巷に雨の降る如く、わが心にも涙ふる―東映児童劇映画について /
☆映画情報 47(11)(復刊363) 国際情報社, 1982-11 雑談えいが情報 / 視根馬雷太 / (0026.jp2)話題作の現場から(3)今村昌平監督の『楢山節考』 / 原寛行 /『この子の七つのお祝いに』『蒲田行進曲』
☆運動族の意見 : 映画問答 花田清輝, 武井昭夫 著. 三一書房, 1967 戦後を超える思想 / p7戦後を超える /今村昌平の批評精神 /ダブル・スパイの立場 /模索と明晰 /
☆リクルートキャリアガイダンス 18(4)(208) リクルート, 1986-05 Monthly Interview人間を心底から好きになってほしい / 今村昌平 / p62~62
☆日活1954-1971 : 映像を創造する侍たち 野沢一馬 編. ワイズ出版, 2000.12『ビルマの竪琴』映画化をめぐって/市川崑/42裕次郎時代の幕開けについて/井上梅次/43日活映画回顧録/今村昌平/45日活黄金期に得た貴重な体験の数々/井本俊康/47照明一筋、担当した日活映画は八十余本/岩木保夫
☆栗田勇著作集 第1 (現代の空間・映像の美学) 新書館, 1968 大島渚と吉田喜重―実存主義と映像 / p406 今村昌平―現実と幻想 / p415
☆魔と残酷の発想 大島渚 著. 芳賀書店, 1966 面接試験にいた面々 / Sの死 /今村昌平と屋台へ /闘争に暮れた京大時代 /重い挫折感を抱いて
☆別册文藝春秋 (220) 文藝春秋, 1997-07 新連載エッセイ われら映画に死す 大島渚や今村昌平と同時代を生きた脚本家が回想する「やぶれかぶれ戦後日本映画史」 / 石堂淑朗 / p408~420
☆暮しの手帖 第3世紀 (27) 暮しの手帖社, 1990-08 水・川・黒い雨 / 今村昌平 ; 岡田正人 / 46~51
☆すばる 17(9) 集英社, 1995-09 エッセイ「黒い雨」映画化のこと / 今村昌平 / p168~169
☆月刊世界政経 5(1) 世界政治経済研究所, 1976-01 三人の未帰還兵のこと / 今村昌平 / p14~15
☆別府と占領軍 : ドキュメント戦後史 佐賀忠男 [著], 「別府と占領軍」編集委員会 編. 「別府と占領軍」編集委員会, 1981.8 目次 / 「佐賀さんの芯を見た」 今村昌平 /
☆東京人 6(4)(43) 都市出版, 1991-04 東京の女(24)田中好子/今村昌平 ; 大倉舜二 / p111~113
☆面白倶楽部 11(16) 雑誌 光文社, 1958-12 果てしなき欲望(日活) 今村昌平 / 大暴れ女俠客陣(新東宝) 毛利正樹 /
☆社会人 (156) 社会人社, 1962-04 映画のページ「キューポラのある街」「黙示録の四騎士」 / 日活 ; 早船ちよ ; 今村昌平 ; 浦山桐郎 ; ジュリアン・ブローステイン ; ビンセント・ミネリ ; ロバート・アードリー /
☆世代'64 2(2) 学習研究社, 1964-02 奇人伝 今村昌平 / X / p105~105
☆日仏映画往来 遠藤突無也 著. フライングボックス, 2017.5  小林正樹//34258 増村保造//34659 岡本喜八//34860 中平康//35061 今村昌平//35362 勅使河原宏//35763 蔵原惟繕//36164 羽仁進//36365 篠田正浩/
☆新聞集成昭和編年史 昭和37年版 1 (自1月-至2月) 明治大正昭和新聞研究会 編集制作. 新聞資料出版, 2014.11 第一回日本映画記者会賞受賞作「豚と軍艦」を演出した今村昌平//一四八

都会で挫折した君に届く母からの手紙

$
0
0
読書についても映画についても、年齢がいってくれば、読むものも観るものも、それなりに進化して深められるものとずっと思い込んでいました。年月の経過が、自然にある程度のクオリティの高みを得られるものという感じです。

しかし、自分が「思い込んでいた」というふうに感じていた時点で、すでにそれは単なる「楽観」でしかなかったことが、いつまで経っても、一向にそのような「穏やかな心境の変化」などみられず、ましてや人間的に成長などという「分別に満ちた高みへの移行」などに至りそうもないことをみればおのずと明らかです。

この分ではおそらく、これから先も、こんなふうにあれこれと手当たり次第に「濫読」し、節操もなく「濫観」しまくるという前のめりの姿勢というのはずっと続くのだろうなという諦念を抱き始めています、しかし、半分ではそれでもいいじゃないか、「あっち」から来ないなら、むしろ開き直ることで一種の安心立命の気分に自分から無理やり浸り込むことに決めました。

だいたい、自分の「濫読」「濫観」を支えているものは何かといえば、ひとことでいえば「山っ気」です。

新書判程度の薄い本を読んでいる最中でも、その内容の浅墓さにゴウを煮やし、あきれ返って付いていけなくなり、そろそろ辛抱も限界にくるあたりで(その中には当然「失望して見放しす」という状況も含まれています)意識の半分は他のもっと魅力的な本に飛んでしまっていて、目の前のつまらない本に「いつまでもかかずらわっている時間」が実にもったいなくて、不当に拘束されているような苛立ちと怒りの焦燥感にかられてしまう気分に陥るからだと思います。

ですので、このザワザワとした心境は、「浮気性」といっては随分と遠慮がち過ぎるので、あえて「山っ気」といってみたわけですが、これはほとんど自分のせいではないにしろ、いずれにしても端から見れば「集中力」に欠けたダレた状態であることには変わりありません。

幼かった自分になにひとつ教えも与えもしてくれなかった小学校のかつての担任教師が狭量な苛立ちをこめて「通信簿」に刻印した「注意散漫で落ち着きがない実にいけすかないガキ」と殴り書きしたその予言だけはどうにか的中していて、いまではその「言い当て」が、自分にとって、傲慢で極め付きの醜女だった教師をしのぶ唯一の懐かしいヨスガになってはいます。

たぶんいまごろは後輩いじめを暴かれて教師を解雇され、落ちぶれ果てた老残の醜態をさらしながら、世間から「ざまあみろ」と罵声を浴びせ掛けられ、どこか辺境の廃屋でひとり寂しく野たれ死んでいるに違いないと確信しています。ばかやろう

さて、話を元に戻しますね。

しかし、なんといっても手にしたその本が面白ければなんの問題もない、見始めた映画もそれが観客の好奇心をしっかりと鷲掴みできるような面白い映画ならなんの問題もないという、それくらいの言い分は自分にも当然ありますし。

最近で言えば、ロバン・カンピヨ監督作品「BPM ビート・パー・ミニット」2017という作品には、実に辟易しました。

解説には
「1990年代のパリでエイズ患者やHIV感染者への差別に抗議した若者たちの恋と葛藤をつづる。第70回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞」
とあり、「男同士の薄気味悪い恋と葛藤」の方(あの性交場面だけは、正直、どうしても正視できませんでした)はともかく、「第70回カンヌ国際映画祭でグランプリ受賞」の文言につられて、つい観てしまったのですが(自分とはそういう人間です)、結果は近来にないさんざんなものでした。途中で幾度観るのを止めようと思ったか知れないくらいです。


なんですか、あれ。

だってですよ、エイズにかかった青少年がやけっぱちになって(しかしその半分以上の責めは当の本人にあるんじゃないんですか)徒党をくんで製薬会社やときの政府をぶち上げ、気炎を上げて、さらに横暴な挑発や行き過ぎとしか見えない暴虐の限りをつくすという現代の日本で言えば半グレが次々と犯罪すれすれの行為をやらかすというのと同質の行為をドキュメイタリー・タッチで描いている作品なのですが、エイズに罹患したことが、あたかもなにかの特権を得たかのような傲慢な暴虐ぶりには(その描き方も含めて)、フランスという国の豊かな社会のなかで甘やかされて育ったガキどもが増長し、勝手気まま好き放題にさんざん享楽と快楽を耽り貪ったあげくの報いのような「結果」であるにもかかわらず、ただただ自己正当化に血道をあげるという身勝手な事象に追随し、引き摺られるままに無定見・無批判に描く映画の姿勢自体に疑問と不甲斐なさを感じざるを得ませんでした、いかに「第70回カンヌ国際映画祭でグランプリ受賞」といえどもです。

そういう描き方は、すでに何年も前にゴダールの破綻とともにすでに終わっていることではあります。

そうした放埓をちゃっかり棚にあげておいて、鬱憤晴らしのような暴虐と、だからその報いのような「お約束の死」のラストの部分だけをいやに拡大して大仰に盛り上げて描く不自然な姿勢(わが国ピンク映画の世界に冠たるお家芸「パートカラー」に匹敵する珍妙な転調)というのが、たまらなく不快だったのです。

おやっさん、そりゃあ杜撰な血液製剤を垂れ流した無責任な製薬会社も悪いは悪い。どっちこっち言ってないですよ。アホらしくって、どちらにしても相手にできんですよ。かつてそういう深刻な社会的事件というものが存在し、当時にあって事件にかかわった当事者・関係者は、それぞれの立場の利害のために狂奔し懸命に取り組んだり弁解したり行動したり誤魔化そうとしたはず、良くも悪くもね。そこんとこだよ問題は。つまり「過去の存在の事実」をすべてひっくるめた「まずは敬意と目配り」という姿勢こそドキュメンタリー映画というもののあり方、ドキュメンタリー・タッチとかいうものなんじゃないんですか? えっ? ある視点に偏った幼稚な描き方じゃなくってね。

まぁ、そりゃあいい、いいですよ、ただね、この映画のあり方そのものの欠落が、自分に堪らない不快感を与え苛立ちを覚えたということを知ってもらいたかっただけですから。

それに長々と書いたこの部分、なにもロバン・カンピヨ監督作品「BPM ビート・パー・ミニット」を批判しようとしたわけではなくて、言いたかったのは《途中で何度観るのを止めようと思ったか分からないくらいです》のクダリです。つまらなすぎて一本の映画をじっと見続けていることに耐えられなくなった時のお話をしたかったのです。まさに「映画を止めれ!」です。

以前なら映画を見始めたら、とにかく辛抱強く律儀に我慢して見通すべきものだと思っていました。

映画を劇場でしか鑑賞できなかったひと昔まえなら、嫌でもそうするしかなかったわけですが、いまはいくらでも「中座・中断」の許される寛容なデジタル時代です。

ついに鑑賞者の「浮気性」も「山っ気」も公然と認められたそういう時代がやって来たという感じでしょうか。それに作品の方だって、そういう気分を後押しするだけの十分なつまらない作品で満ちている現実が片方にはしっかりとあるわけですから、なにをかいわんやという感じです、いえいえ、その契機となったものが、なにもこの「BPM ビート・パー・ミニット」だといっているわけではなく、「おしなべて」自分にとって観るに耐えない酷すぎる作品があまりにも多すぎるということです。

まあ、それは逆に、自分という古びた存在が「この時代」にだんだんそぐわなくなったという逆の証明であるわけで、そのくらいのことは十分にわかっているつもりではいます。

しかし、それにしても、いま、自分の信条(とにかく一本の作品を最初から最後まで律儀に見通すことによって映画に対して敬意をはらうという倫理観)を裏切らなければならないというこの局面に至って一応は忸怩たる思いというのは確かにあります、がしかし、こう思い切り、吹っ切ってしまったら、いままで自分を拘束していた「良識」のタガがあっけなく外れて、解放され、ずいぶん爽快な気分になったこともまた事実です、楽になりました。

ほら、かのサマセット・モームは、度し難い退屈な小説は躊躇なく何十頁も飛ばし読みして、それでも小説の勘所はしっかりと押さえ、作品の良し悪しもちゃんと分かっていたっていうじゃないですか。もっとも、モーム自身が読書巧者であるよりは創作者だったから、緊張感が途切れ思わず弛緩した創作者の「息抜く箇所」を十分に承知していたからこそ、その辺は余裕で読み飛ばすことができたのだと思います。

いやいや、それは映画にだって言えることなのであって、自分としても「つまらない映画」「退屈な映画」は見通すことに別段こだわらず、その間、面白そうな他の作品をどんどん挿み入れて見てしまうという、無節操な「ちゃっかり宗旨替え」というやつを実行したわけですが、結果から言えば、もっと早くこうすべきでした。

面白くない映画ならどんどん中断し、ほかの作品も見て、それがあまりにも面白ければ、たとえ原初の作品に立ち返ることができなかったとしても、そりゃあそれでいいではないか、いやいや、むしろこうした方が得るものは大きいのではないかと思います。たとえ無節操であってもね、目の前にこう作品が氾濫していて、見ようと思えば幾らでも見ることのできる状況下にあっては、ある意味、自衛のためには、やっぱり、こうして選択方法っていうのも、しょうがないことなんじゃないでしょうか。

だってほら、例の「淘汰の理論」とか「市場原理」とかってあるじゃないですか、これこそまさに知的功利主義にかなった行き方というもので、だって、そもそも人気商売(結局、映画ってそうですよね)の基本原理は、まさに「そこ」にこそあったのだと思えば、十分理にかなっていることだと思います。

ただ、自分としては、いままで「淘汰の理論」とか「市場原理」とかで撥ねられ、芸術的価値とは別の商業ベースで淘汰されてしまう作品というのを庇いたいという一心で「こよなく」庇護しようとした立場にいたつもりだったので、まあ、この180度変節の「宗旨替え」にはいささか一抹の寂しさがあるというか、忸怩たる思いというものがないわけではなくて、ちょっと恥ずかしいかなという部分も避けがたく、そりゃあそういうのは確かにありますヨ。

そうそう、つまり、その、早い話が、えっと、なにが言いたいかというと、この「BPM ビート・パー・ミニット」に限らず、「ボヘミアン・ラプソディ」にしても「アリー/スター誕生」にしても自分的にはイマイチで(いちいち「いちゃもん」をつけるとすれば拭い難い東洋偏見の視点とか結構あります)、それらの作品を見ているあいだの「退屈の隙間」で挿み見たサブ映画の方にむしろ出色の作品がいくつもあって、そのことについて書きたかったのです。

そのうちの一本が、クレイグ・ギレスビー監督の「アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル」でした。ここに登場するすべての人物は終始一貫悪辣が過ぎて「間抜け」にまで突き抜けてしまう、しかし、それでも誰一人としてその存在感はブレることなく、最後まで真人間になるなどという無様な改心(従来の作劇上からいえばそれは結末を準備するためのストーリーの歪曲と妥協という一種の自滅的な「無様な改心」とでもいうしかない破綻にすぎなかったと気づかせてくれました)などすることなく、それぞれが頑張って一途に生き抜くという、湿った抒情を一切排した乾いたハードボイルドの手法によってしか、この嫉妬と怨嗟に満ちた救いのない陰惨な傷害事件の「リアル」を表現できなかったことを証明した見事な作品だったといえると思います、これこそが目の前の素材を如何に表現しようとしたか、表現者=映像作家の苦慮と模索の見事な結実なのだなと感銘をうけた次第です。

そもそも素材を与えられて表現を託された映像作家のすることといえば、素材をどうすれば観客に事件のリアルを伝えることができるか、「表現の仕方」をどうすべきかを模索すること以外、ほかにすることなどあるのだろうかと気づかされたいくらいです。

この映画を見て、まさに「そこ」が従来の映画における人物設定の脆弱さ=欠点だったことに気づかせてくれました。

自分にこのように感じさせたのは、西原理恵子の「パーマネント野ばら」を吉田大八が映画化した作品が脳裏にありました。あの作品を観た当初、まず思ったことは、原作者・西原理恵子自身があの作品を世間に出すことを本当に承認したのだろうかという疑問でした。

そんなはずはない、あの映画は単にアラスジだけなぞっただけの、自分の知悉している「パーマネント野ばら」とは似て非なる愚劣な作品という感じを持ちました。

こう言ってはなんですが自分は西原理恵子の「パーマネント野ばら」には一応の思い入れがあって、何年も前にブックオフでこの文庫本を157円で手に入れて以来、わが本棚に不動の位置を得て、折りに触れて読み返すために大切に保存している一冊です。

それは「読了後は躊躇せずどんどん処分する」という自分の蔵書管理のスタイルからすれば、例外中の例外ということができます。

今回、「アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル」を見、目からウロコが落ちるほどの感銘を受け、やはり、快作にして怪作「パーマネント野ばら」の世界観は、クレイグ・ギレスビーというような逸材を得なければ、とうてい表現=映像化などできなかったし、してはいけなかったのではないかと痛感しました。

だいたい、ディテールを積み上げていく先にあるものが、相も変らぬ「抒情」という思い込み自体が映像作家として身の程知らずな卑力の証明なのだと自認できない限り、とうてい「パーマネント野ばら」の世界など描くことは許されないのではないか。

だいたい、主人公「なおこ」の愛人「カシマ」が、最後のほうで既にもう死んでいるらしいことが明かされて、それまでの逢瀬の場面がすべて「なおこ」の追憶の妄想だったとしてしまう改変は、この作品世界の静謐を根底からぶち壊す認識不足以外のなにものでもないというほかありません。

真実は、「なおこ」は、かつての多くの男たちから棄てられたように、今回もまた同じように棄てられ・見放されただけのことであって、それはこの原作の最初のページに明確に描かれています。こんなふうに・・・

《空と海のあわさったなぎの海辺で、私は祖父に手をひかれあるいている。むうとしめった重い潮風。気がつくと私の手をにぎっているのは、今はもういない父親で、彼は私に何かをしゃべっているのだけれど、私は返事をするでもなく、聞くでもなく、浜辺に次々とできていく自分の足あとをみている。次に気がつくと私はまた誰かに手をひかれているのだけれど、その相手がわからない。なぎの海は静かな砂のおとがして、よく聞くとそれはこわれたラジオの音だった。》

ここで仄めかされている「ひとりぽっち」は、まさに「抒情」ではなくて、「痛切な孤独」でなければならないのだと思います。そのためにこの優れた漫画の強力な推進力になっているものが「乱痴気騒ぎのハチャメチャ」の、陰惨な現実から目をそむけるような優しさなのであって、それはただアラスジをなぞっただけでは導き出すことは到底できるものではないことは、この失敗作映画「パーマネント野ばら」がおのずから証明してしまっていると感じました。

まあ、ウダウダと書きなぐってしまいましたが、退屈な映画に我慢しないこの「新方式」は、当然、読書にも援用されているわけで、その「収穫」を書いておこうというのが、本日のお題「都会で挫折した君に届く母からの手紙」とアイなるわけであります。

書名は「合掌のカタチ」2012年刊、著者は、多川俊映という人、wikiで検索すると、興福寺貫首とかいうエライ人です。それくらいのことが分からないまま本を読んでいるのかとなじられそうですが、片っ端から読み漁る「濫読」とはそういうものです。読んでいて感心した箇所があれば、初めてそこで立ち止まり、そのナンタルカを調べればよろしい、という感じです。

というわけで、文中「親子の関係」の、小タイトル「圧倒的な母親」のなかに引用されていた阿部晃工(1906~1966、昭和の左甚五郎といわれた彫刻家)に宛てた母からの手紙、つまり、「都会で挫折した息子に宛てた母からの手紙」の全文です。


《手紙を見ました。
だいぶ困っているようですね。
手紙はお父さんには、まだ見せません。
もう帰ると書いてありますが、それはいけません。
前の手紙でいってやりましたように、いま家は大変です。
一銭の金も送ってやれません。
母はお前を天才児として育ててきました。
母は、それが誇りだったのです。
今はお前も一人前の人間になりました。
その一人前の人間が食べられないから帰るとは何事です。
乞食でも野良犬でも食べています。
お前は野良犬や乞食にも劣る意気地のない男ですか。
母は、末っ子のお前を甘やかして育てたのが悪かったのですけれど、そんなそんな意気地なしには育ててない積りです。
食べられなければ食べずに死になさい。
なにで死ぬのも同じことです、運命なのです。
病気ででもあれば、母はどんなことでもしてやりますが、一人前の男が食べられずにどうしますか。
お前は母がいつまでも優しい母だと思っているのは間違いです。
そんな意気地なしは見るのもいやです。
帰ってきても家へは入れません。
死んで死んで骨になって帰ってきなさい。
私の子は勉強中食えなくなって、死んで帰ってきましたといった方が、近所へ対しても申し訳が立ちます。
そして一日も早くお前の死んで帰る日を母は待っております。
四月十一日  母より
喜二郎どの》


なるほど、なるほど。「母からの手紙」はここで終わり、そのあとすぐ著者・多川俊映の意外に凡庸な感想が記されて興ざめしてしまいますが、このままではなんだか収まりがつきませんので、あえて書いておきますね。
以下の通りです。

《どうでしょうか。こんなすごい手紙はちょっとありません。
「死んで死んで骨になって帰ってきなさい」
「そして一日も早くお前の死んで帰る日を母は待っております」
どうぞがんばってくださいという気持ち、そして、最後の最後に帰ってくるところは、この母の私ですよ・・・もうなんといったらよいか、侵しがたい力を感じます。》






アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル(2018)監督・クレイグ・ガレスピー、脚本・スティーヴン・ロジャース、製作・ブライアン・アンケレス、スティーヴン・ロジャース、マーゴット・ロビー、トム・アカーリー、製作総指揮・レン・ブラヴァトニック、アヴィヴ・ギラディ、クレイグ・ギレスピー、ヴィンス・ホールデン、トビー・ヒル、ザンヌ・ディヴァイン、ローザンヌ・コーレンバーグ、音楽・ピーター・ナシェル、撮影・ニコラス・カラカトサニス、編集・タティアナ・S・リーゲル(英語版)、製作会社・ラッキーチャップ・エンターテインメント、クラブハウス・ピクチャーズ、AIフィルムズ、配給・ ネオン(英語版)、 ショウゲート出演・マーゴット・ロビー(トーニャ・ハーディング)、セバスチャン・スタン(ジェフ・ギルーリー、トーニャの元夫)、アリソン・ジャネイ(ラヴォナ・ゴールデン、トーニャの母親)、ジュリアンヌ・ニコルソン(ダイアン・ローリンソン、トーニャのコーチ)、ポール・ウォルター・ハウザー(ショーン・エッカート、ジェフの友人)、ボビー・カナヴェイル(マーティン・マドックス、元「ハードコピー」リポーター)、ボヤナ・ノヴァコヴィッチ(ドディ・ティーチマン、トーニャのコーチ)、ケイトリン・カーヴァー(ナンシー・ケリガン)、メイジー・スミス(4歳のトーニャ)、マッケナ・グレイス(幼少期のトーニャ)




パーマネント野ばら
(2010)監督・吉田大八、脚本・奥寺佐渡子、原作・西原理恵子『パーマネント野ばら』(新潮社刊)、音楽・福原まり、撮影・近藤龍人、照明・藤井勇、美術・富田麻友美、装飾・佐藤孝之、編集・岡田久美、音楽プロデューサー・日下好明、スクリプター・柳沼由加里、スタイリスト・小里幸子、谷口みゆき、ヘアメイク・小沼みどり、助監督・甲斐聖太郎、松尾崇、今井美奈子、ロケ協力・高知県観光コンベンション協会、宿毛市、大月町、土佐清水市、四万十市、えひめフィルムコミッションほか、製作者・百武弘二、畠中達郎、財前健一郎、星野晃志、北川直樹、野嵜民夫、井上隆由、藤戸謙吾、山本邦義、プロデューサー・松本整、石田雄治、鈴木ゆたか、中村陽介、藤田滋生、エグゼクティブプロデューサー・春名慶、ラインプロデューサー・加藤賢治、企画協力・とりあたま、新潮社、配給・ショウゲート、製作プロダクション・リクリ、製作・「パーマネント野ばら」製作委員会(博報堂DYメディアパートナーズ、アミューズソフト、中央映画貿易、ソニー・ミュージックエンタテインメント、テレビ愛知、テレビ大阪、高知新聞社、高知放送、リクリ)、主題歌・さかいゆう『train』、
出演・菅野美穂(なおこ)、池脇千鶴(ともちゃん)、小池栄子(みっちゃん)、江口洋介(カシマ)、畠山紬(もも)、山本浩司(ユウジ、ともちゃんの夫)、加藤虎ノ介(ヒサシ、みっちゃんの夫)、宇崎竜童(ニューお父ちゃん、カズオ)、本田博太郎(みっちゃんの父)、夏木マリ(まさ子、なおこのお母ちゃん)、霧島れいか(まさ子の若い頃)、田村泰二郎(ムロツヨシ、)、


「村上春樹」関連図書 一覧

$
0
0

1
図書(和書) A wild sheep chase Haruki Murakami/[著] Kodansha International 1989/00 913.6 ○
2
図書(和書) 愛について語るときに我々の語ること 村上春樹翻訳ライブラリー レイモンド・カーヴァー/著 中央公論新社 2006/07 933.7 ○
3
図書(和書) 芥川龍之介短篇集 芥川 龍之介/著 新潮社 2007/06 913.6 ○
4
図書(和書) 芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか 擬態するニッポンの小説 幻冬舎新書 市川 真人/著 幻冬舎 2010/07 910.26 ○
5
図書(和書) あたりまえのこと 倉橋 由美子/著 朝日新聞社 2001/11 901.3 ○
6
図書(和書) あのとき、文学があった「文学者追跡」完全版 小山 鉄郎/著 論創社 2013/03 910.264 ○
7
図書(和書) アフターダーク 講談社文庫 村上 春樹/[著] 講談社 2006/09 913.6 ○
8
図書(和書) アフターダーク 村上 春樹/著 講談社 2004/09 913.6 ○
9
図書(和書) あらゆる小説は模倣である 幻冬舎新書 清水 良典/著 幻冬舎 2012/07 901.307 ○
10
図書(和書) あるクリスマス トルーマン・カポーティ/著 文芸春秋 1989/12 933.7 ○
11
図書(和書) ある作家の夕刻 フィッツジェラルド後期作品集 スコット・フィッツジェラルド/著 中央公論新社 2019/06 933.7 ○
12
図書(和書) アンダーグラウンド 講談社文庫 村上 春樹/[著] 講談社 1999/02 916 ×
13
図書(和書) アンダーグラウンド 村上 春樹/著 講談社 1997/03 916 ○
14
★図書(和書) and other stories とっておきのアメリカ小説12篇 村上 春樹/[ほか]訳 文芸春秋 1988/09 933.78 ○
15
図書(和書) イエローページ村上春樹 Part2 作品別(1995→2004) 加藤 典洋/編著 荒地出版社 2004/05 910.268 ○
16
図書(和書) イエローページ村上春樹 作品別(1979〜1996) 加藤 典洋/編 荒地出版社 1996/10 910.268 ○
17
図書(和書) 偉大なるデスリフ 村上春樹翻訳ライブラリー C.D.B.ブライアン/著 中央公論新社 2006/09 933.7 ○
18
図書(和書) 偉大なるデスリフ C.D.B.ブライアン/著 新潮社 1987/11 933.7 ○
19
図書(和書) 1Q84 BOOK1 a novel 4月-6月 村上 春樹/著 新潮社 2009/05 913.6 ○
20
図書(和書) 1Q84 BOOK1前編 a novel 新潮文庫 4月-6月 村上 春樹/著 新潮社 2012/04 913.6 ○
21
図書(和書) 1Q84 BOOK1-1 a novel 大活字文庫 4月-6月 村上 春樹/[著] 大活字 2011/02 913.6 ○
22
図書(和書) 1Q84 BOOK1-2 a novel 大活字文庫 4月-6月 村上 春樹/[著] 大活字 2011/02 913.6 ○
23
図書(和書) 1Q84 BOOK1後編 a novel 新潮文庫 4月-6月 村上 春樹/著 新潮社 2012/04 913.6 ○
24
図書(和書) 1Q84 BOOK1-3 a novel 大活字文庫 4月-6月 村上 春樹/[著] 大活字 2011/02 913.6 ○
25
図書(和書) 1Q84 BOOK2 a novel 7月-9月 村上 春樹/著 新潮社 2009/05 913.6 ○
26
図書(和書) 1Q84 BOOK2-1 a novel 大活字文庫 7月-9月 村上 春樹/[著] 大活字 2011/02 913.6 ○
27
図書(和書) 1Q84 BOOK2前編 a novel 新潮文庫 7月-9月 村上 春樹/著 新潮社 2012/05 913.6 ○
28
図書(和書) 1Q84 BOOK2後編 a novel 新潮文庫 7月-9月 村上 春樹/著 新潮社 2012/05 913.6 ○
29
図書(和書) 1Q84 BOOK2-2 a novel 大活字文庫 7月-9月 村上 春樹/[著] 大活字 2011/02 913.6 ○
30
図書(和書) 1Q84 BOOK2-3 a novel 大活字文庫 7月-9月 村上 春樹/[著] 大活字 2011/02 913.6 ○
31
図書(和書) 1Q84 BOOK3 a novel 10月-12月 村上 春樹著 新潮社 2010/04 913.6 ○
32
図書(和書) 1Q84 BOOK3前編 a novel 新潮文庫 10月-12月 村上 春樹/著 新潮社 2012/06 913.6 ○
33
図書(和書) 1Q84 BOOK3-1 a novel 大活字文庫 10月-12月 村上 春樹/[著] 大活字 2011/03 913.6 ○
34
図書(和書) 1Q84 BOOK3後編 a novel 新潮文庫 10月-12月 村上 春樹/著 新潮社 2012/06 913.6 ○
35
図書(和書) 1Q84 BOOK3-2 a novel 大活字文庫 10月-12月 村上 春樹/[著] 大活字 2011/03 913.6 ○
36
図書(和書) 1Q84 BOOK3-3 a novel 大活字文庫 10月-12月 村上 春樹/[著] 大活字 2011/03 913.6 ○
37
図書(和書) 一度は読もうよ!日本の名著 日本文学名作案内 Yujin books 宮腰 賢/監修 友人社 2003/12 910.2 ○
38
図書(和書) いなごの日/クール・ミリオン ナサニエル・ウエスト傑作選 新潮文庫 村上柴田翻訳堂 ナサニエル・ウエスト/[著] 新潮社 2017/05 933.7 ○
39
図書(和書) 犬の人生 中公文庫 マーク・ストランド/著 中央公論新社 2001/11 933.7 ○
40
図書(和書) 犬の人生 村上春樹翻訳ライブラリー マーク・ストランド/著 中央公論新社 2008/09 933.7 ○
41
図書(和書) 犬の人生 マーク・ストランド/著 中央公論社 1998/10 933.7 ○
42
図書(和書) いまのあなたへ 村上春樹への12のオマージュ 淺川 継太/著 NHK出版 2014/05 913.68 ○
43
図書(和書) 意味がなければスイングはない 村上 春樹/著 文藝春秋 2005/11 760.4 ○
44
図書(和書) いろんな色のインクで 丸谷 才一/著 マガジンハウス 2005/09 019.9 ○
45
図書(和書) ウォーク・ドント・ラン 村上竜vs村上春樹 村上 竜/著 講談社 1981/07 914.6 ○
46
図書(和書) うさぎおいしーフランス人 村上かるた 村上 春樹/著 文藝春秋 2007/03 917 ○
47
図書(和書) うずまき猫のみつけかた 村上朝日堂ジャーナル 村上 春樹/著 新潮社 1996/05 914.6 ○
48
図書(和書) 雨天炎天 Turkey チャイと兵隊と羊-21日間トルコ一周 村上 春樹/文 新潮社 1990/08 915.6 ○
49
図書(和書) 雨天炎天 村上 春樹/文 新潮社 2008/02 915.6 ×
50
図書(和書) 海辺のカフカ 上 村上 春樹/[著] 新潮社 2002/09 913.6 ○
51
図書(和書) 海辺のカフカ 上 新潮文庫 村上 春樹/著 新潮社 2005/03 913.6 ○
52
図書(和書) 海辺のカフカ 下 新潮文庫 村上 春樹/著 新潮社 2005/03 13.6 ○
53
図書(和書) 海辺のカフカ 下 村上 春樹/[著] 新潮社 2002/09 913.6 ○
54
図書(和書) ウルトラマリン 村上春樹翻訳ライブラリー レイモンド・カーヴァー/著 中央公論新社 2007/09 931.7 ○
55
図書(和書) 英雄を謳うまい 村上春樹翻訳ライブラリー レイモンド・カーヴァー/著 中央公論新社 2008/03 938.78 ○
56
図書(和書) 大いなる眠り レイモンド・チャンドラー/著 早川書房 2012/12 933.7 ○
57
図書(和書) 大いなる眠り ハヤカワ・ミステリ文庫 レイモンド・チャンドラー/著 早川書房 2014/07 933.7 ○
58
図書(和書) おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ 村上 春樹/文 マガジンハウス 2011/07 914.6 ○
59
図書(和書) おおきな木 シェル・シルヴァスタイン/作 あすなろ書房 2010/09 E ○
60
図書(和書) お金本 左右社編集部/編 左右社 2019/10 914.68 ×
61
図書(和書) 小澤征爾さんと、音楽について話をする 新潮文庫 小澤 征爾/著 新潮社 2014/07 760.4 ×
62
図書(和書) 小澤征爾さんと、音楽について話をする 小澤 征爾 新潮社 2011/11 760.4 ○
63
図書(和書) おじいさんの思い出 トルーマン・カポーティ著 文芸春秋 1988/03 933.7 ○
64
図書(和書) 温泉天国 ごきげん文藝 嵐山 光三郎/[ほか]著 河出書房新社 2017/12 914.68 ○
65
✓女のいない男たち(村上 春樹)文藝春秋、2014.4.30.3刷、285頁、1574円(✓ドライブ・マイ・カー、✓イエスタデイ、✓独立器官、✓シェエラザード、✓木野、✓女のいない男たち)
66
図書(和書) オンブレ 新潮文庫 エルモア・レナード/[著] 新潮社 2018/02 33.7 ○
67
図書(和書) 回転木馬のデッド・ヒート 村上 春樹/著 講談社 1985/10 913.6 ○
68
図書(和書) 回転木馬のデッド・ヒート 講談社文庫 村上 春樹/[著] 講談社 1988/10 913.6 ×
69
図書(和書) 帰ってきた空飛び猫 講談社文庫 アーシュラ・K・ル=グウィン/[著] 講談社 1996/11 933.7 ○
70
図書(和書) 帰ってきた空飛び猫 アーシュラ・K・ル=グウィン著 講談社 1993/11 933.7 ○
71
図書(和書) 書きたいのに書けない人のための文章教室 清水 良典/著 講談社 2014/11 816 ○
72
図書(和書) 風の歌を聴け 村上 春樹/著 講談社 1979/07 913.6 ○
73
図書(洋書) 風の歌を聴け 講談社英語文庫 村上 春樹/著 講談社 2011/02 913.6 ×
74
図書(洋書) 風の歌を聴け 講談社英語文庫 村上 春樹/著 講談社 1987/02 913.6 ×
75
図書(和書) 風の歌を聴け 講談社文庫 村上 春樹/[著] 講談社 2004/09 913.6 ○
76
図書(和書) 風の対話集 五木 寛之/著 ブロンズ新社 1986/03 914.6 ○
77
図書(和書) 神の子どもたちはみな踊る 村上 春樹/著 新潮社 2000/02 13.6 ○
78
図書(和書) 神の子どもたちはみな踊る 新潮文庫 村上 春樹 新潮社 2002/03 913.6 ○
79
図書(和書) 彼らの奇蹟 傑作スポーツアンソロジー 新潮文庫 SHINCHOBUNKO ANTHOLOGY 玉木 正之/編 新潮社 2015/05 780.4 ○
80
図書(和書) 川村湊自撰集 3巻 現代文学編 川村 湊/著 作品社 2015/07 910.8 ○
81
図書(和書) カンガルー日和 講談社文庫 村上 春樹/著 講談社 1986/10 B913.6 ○
82
図書(和書) カーヴァー・カントリー レイモンド・カーヴァー/著 中央公論社 1994/10 930.278 ○
83
図書(和書) Carver's dozen レイモンド・カーヴァー傑作選 中公文庫 レイモンド・カーヴァー/著 中央公論社 1997/10 933.7 ○
84
図書(和書) Carver's dozen レイモンド・カーヴァー傑作選 中公文庫 レイモンド・カーヴァー/著 中央公論新社 1997/10 933.7 ○
85
図書(和書) 騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編 村上 春樹/著 新潮社 2017/02 913.6 ○
86
図書(和書) 騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編 村上 春樹/著 新潮社 2017/02 913.6 ○
87
図書(和書) 北村薫のミステリー館 新潮文庫 北村 薫/編 新潮社 2005/10 908.3 ○
88
図書(和書) きみが見つける物語 スクール編 十代のための新名作 角川文庫 あさの あつこ/[著] 角川書店 2008/06 913.68 ○
89
図書(和書) キャッチャー・イン・ザ・ライ J.D.サリンジャー 白水社 2006/03 933.7 ○
90
図書(和書) キャッチャー・イン・ザ・ライ J.D.サリンジャー 白水社 2003/04 933.7 ○
91
図書(和書) 急行「北極号」 クリス・ヴァン・オールズバーグ/絵と文 河出書房新社 1987/12 E ○
92
図書(和書) 急行「北極号」C.V.オールズバーグ/絵と文 あすなろ書房 2003/11 E ○
93
図書(和書) 極北 マーセル・セロー/著 中央公論新社 2012/04 933.7 ○
94
図書(和書) 巨大なラジオ/泳ぐ人 ジョン・チーヴァー/著 新潮社 2018/11 933.7 ○
95
図書(和書) 近代日本思想の肖像 講談社学術文庫 大澤 真幸/[著] 講談社 2012/03 910.26 ○
96
図書(和書) 空想読解なるほど、村上春樹 小山 鉄郎/著 共同通信社 2012/11 910.268 ○
97
図書(和書) 熊を放つ 上巻 改版 中公文庫 ジョン・アーヴィング/著 中央公論社 1996/02 933.7 ○
98
図書(和書) 熊を放つ 上 村上春樹翻訳ライブラリー ジョン・アーヴィング/著 中央公論新社 2008/05 933.7 ○
99
図書(和書) 熊を放つ 下 村上春樹翻訳ライブラリー ジョン・アーヴィング/著 中央公論新社 2008/05 933.7 ○
100
図書(和書) 熊を放つ 下巻 改版 中公文庫 ジョン・アーヴィング/著 中央公論社 1996/02 933.7 ○
101
図書(和書) 熊を放つ ジョン・アーヴィング/[著] 中央公論社 1986/05 933.7 ○
102
図書(和書) クリスマスの思い出 トルーマン・カポーティ/著 文芸春秋 1990/11 933.7 ○
103
図書(和書) グレート・ギャツビー 村上春樹翻訳ライブラリー スコット・フィッツジェラルド/著 中央公論新社 2006/11 933.7 ○
104
図書(和書) ケータイ小説は文学か ちくまプリマー新書 石原 千秋/著 筑摩書房 2008/06 910.264 ○
105
図書(和書) 月曜日は最悪だとみんなは言うけれど 村上春樹翻訳ライブラリー 村上 春樹/編訳 中央公論新社 2006/03 930.29 ○
106
図書(和書) 月曜日は最悪だとみんなは言うけれど 村上 春樹/編・訳 中央公論新社 2000/05 930.29 ○
107
図書(洋書) 現代ニッポン短編小説集 Monkey brain sushi アルフレッド・バーンバウム/編 講談社インターナショナル 2002/07 913.68 ○
108
図書(和書) 現代日本の小説 ちくまプリマー新書 尾崎 真理子/著 筑摩書房 2007/11 910.264 ○
109
図書(和書) 現代人気作家101人 読書案内・作品編 日外アソシエーツ株式会社/編集 日外アソシエーツ 1996/07 910.31 ×
110
図書(和書) 恋しくて Ten Selected Love Stories 村上 春樹/編訳 中央公論新社 2013/09 908.3 ○
111
図書(和書) 声に出して読みたい日本語 4 齋藤 孝/著 草思社 2005/03 809.4 ○
112
図書(和書) ここから世界が始まる トルーマン・カポーティ初期短篇集 トルーマン・カポーティ/著 新潮社 2019/02 933.7 ○
113
★図書(和書) 心と響き合う読書案内 PHP新書 小川 洋子/著 PHP研究所 2009/03 904 ○
114
図書(和書) こころの読書教室 新潮文庫 河合 隼雄/著 新潮社 2014/02 019.9 ○
115
図書(和書) 「心の闇」と動機の語彙 犯罪報道の一九九〇年代 青弓社ライブラリー 鈴木 智之/著 青弓社 2013/12 070.15 ○
116
図書(和書) 国境の南、太陽の西 講談社文庫 村上 春樹/[著] 講談社 1995/10 913.6 ○
117
図書(和書) 国境の南、太陽の西 村上 春樹/著 講談社 1992/10 913.6 ○
118
図書(和書) 言葉のミルフィーユ 小澤 征良/著 文化出版局 2008/03 914.6 ○
119
図書(和書) こぽこぽ、珈琲 おいしい文藝 阿川 佐和子/[ほか]著 河出書房新社 2017/10 914.68 ○
120
図書(和書) コレクション戦争と文学 16 満洲の光と影 浅田 次郎/編集委員 集英社 2012/02 918.6 ○
121
図書(和書) 「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? Asahi Original 村上 春樹/[著] 朝日新聞社 2006/03 914.6 ○
122
図書(和書) ゴースト・トレインは東の星へ ポール・セロー/著 講談社 2011/11 935.7 ○
123
図書(和書) 最後の瞬間のすごく大きな変化 グレイス・ペイリー/著 文芸春秋 1999/05 933.7 ○
124
図書(和書) 最後の瞬間のすごく大きな変化 文春文庫 グレイス・ペイリー/著 文藝春秋 2005/07 933.7 ○
125
図書(和書) 『坂の上の雲』を読み解く! これで全部わかる秋山兄弟と正岡子規 土居 豊/著 講談社 2009/11 913.6 ○
126
図書(和書) 佐々木マキ アナーキーなナンセンス詩人 らんぷの本 mascot 佐々木 マキ/著 河出書房新社 2013/10 726.601 ○
127
図書(和書) ささやかだけれど、役にたつこと レイモンド・カーヴァー/[著] 中央公論社 1989/04 933.7 ○
128
図書(和書) 作家のおしごと 五木 寛之/著 東京堂出版 2019/02 914.6 ×
129
図書(和書) 作家は移動する 青木 保/著 新書館 2010/09 910.264 ○
130
図書(和書) さよなら、愛しい人 レイモンド・チャンドラー著 早川書房 2009/04 933.7 ○
131
図書(和書) さよならバードランド あるジャズ・ミュージシャンの回想 新潮文庫 ビル・クロウ/[著] 新潮社 1999/02 764.7 ○
132
図書(和書) サラダ好きのライオン 村上ラヂオ 村上 春樹/文 マガジンハウス 012/07 914.6 ○
133
図書(和書) サリンジャー戦記 翻訳夜話 2 文春新書 村上 春樹/著 文芸春秋 2003/07 933.7 ○
134
図書(和書) The complete works of Raymond Carver 1 頼むから静かにしてくれ レイモンド・カーヴァー/著 中央公論社 1991/02 938.78 ○
135
図書(和書) The complete works of Raymond Carver 2 愛について語るときに我々の語ること レイモンド・カーヴァー/著 中央公論社 1990/08 938.78 ○
136
図書(和書) The complete works of Raymond Carver 3 大聖堂 レイモンド・カーヴァー/著 中央公論社 1990/05 938.78 ○
137
図書(和書) The complete works of Raymond Carver 4 ファイアズ(炎) レイモンド・カーヴァー/著 中央公論社 1992/09 938.78 ○
138
図書(和書) The complete works of Raymond Carver 5 水と水とが出会うところ/ウルトラマリン レイモンド・カーヴァー/著 中央公論社 1997/09 938.78 ○
139
図書(和書) The complete works of Raymond Carver 6 象/滝への新しい小径 レイモンド・カーヴァー/著 中央公論社 1994/03 938.78 ○
140
図書(和書) The complete works of Raymond Carver 7 英雄を謳うまい レイモンド・カーヴァー/著 中央公論新社 2002/07 938.78 ○
141
図書(和書) The complete works of Raymond Carver 8 必要になったら電話をかけて レイモンド・カーヴァー/著 中央公論新社 2004/07 938.78 ○
142
図書(和書) The scrap 懐かしの一九八〇年代 村上 春樹著 文芸春秋 1987/02 914.6 ○
143
図書(和書) ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック 村上春樹翻訳ライブラリー 村上 春樹/著訳 中央公論新社 2007/07 930.278 ○
144
図書(和書) ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック 村上 春樹/著 TBSブリタニカ 1988/04 930.278 ○
145
図書(和書) 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 村上 春樹/著 文藝春秋 2013/04 913.6 ○
146
図書(和書) 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 文春文庫 村上 春樹/著 文藝春秋 2015/12 913.6 ×
147
図書(和書) 思春期をめぐる冒険 心理療法と村上春樹の世界 新潮文庫 岩宮 恵子/著 新潮社 2007/06 146.8 ○
148
図書(和書) 思春期をめぐる冒険 心理療法と村上春樹の世界 岩宮 恵子/著 日本評論社 2004/05 146.8 ○
149
図書(和書) 思想地図 vol.4 NHKブックス 特集・想像力 東 浩紀/編 日本放送出版協会 2009/11 105 ○
150
図書(和書) シドニー! コアラ純情篇 文春文庫 村上 春樹/著 文芸春秋 2004/07 780.69 ○
151
図書(和書) シドニー! ワラビー熱血篇 文春文庫 村上 春樹/著 文芸春秋 2004/07 780.69 ○
152
図書(和書) シドニー! 村上 春樹/著 文芸春秋 2001/01 780.69 ○
153
図書(和書) 柴田元幸と9人の作家たち ナイン・インタビューズ 柴田 元幸/編・訳 アルク 2004/03 930.29 ×
154
図書(和書) 島森路子インタビュー集 2 ことばに出会う 島森 路子/著者代表 天野祐吉作業室 2010/07 281.04 ○
155
図書(和書) 〆切本 [1] 左右社編集部/編 左右社 2016/09 914.68 ○
156
図書(和書) 少年カフカ 村上春樹編集長 村上 春樹/著 新潮社 2003/06 13.6 ○
157
図書(和書) 将門記 物語の舞台を歩く 村上 春樹/著 山川出版社 2008/06 913.399 ○
158
図書(和書) 将門記を読む 歴史と古典 川尻 秋生/編 吉川弘文館 2009/03 913.399 ○
159
図書(和書) 昭和文学全集34 評論随想集 2 井上 靖編集委員 小学館 1989/12 918.6 ○
160
図書(和書) 職業としての小説家 SWITCH LIBRARY 村上 春樹/著 スイッチ・パブリッシング 2015/09 914.6 ○
161
図書(和書) 新・日本文壇史 第10巻 日本文学から世界文学へ 川西 政明/著 岩波書店 2013/03 910.26 ○
162
図書(和書) 辛酸なめ子の世界恋愛文學全集 辛酸 なめ子/著 祥伝社 2016/05 902.09 ○
163
図書(和書) 心臓を貫かれて 上 文春文庫 マイケル・ギルモア/著 文芸春秋 1999/10 936 ○
164
図書(和書) 心臓を貫かれて 下 文春文庫 マイケル・ギルモア/著 文芸春秋 1999/10 936 ○
165
図書(和書) 心臓を貫かれて マイケル・ギルモア/著 文芸春秋 1996/10 936 ○
166
図書(和書) 新潮文庫20世紀の100冊 新潮新書 関川 夏央著 新潮社 2009/04 019.9 ○
167
図書(和書) 真福寺本楊守敬本将門記新解 村上 春樹/著 汲古書院 2004/05 913.399 ○
168
図書(和書) ジャズ・アネクドーツ 新潮文庫 ビル・クロウ 新潮社 2005/07 764.7 ○
169
図書(和書) ジャズ・アネクドーツ ビル・クロウ/[著] 新潮社 2000/07 764.7 ○
170
図書(和書) 受験国語が君を救う! 14歳の世渡り術 石原 千秋/著 河出書房新社 2009/03 375.85 ○
171
図書(和書) ジョン・アーヴィングの世界 ジョン・アーヴィング/ほか著 サンリオ 1986/01 930.278 ○
172
図書(和書) 人生のちょっとした煩い グレイス・ペイリー著 文藝春秋 2005/06 933.7 ○
173
図書(和書) 数学的思考の技術 不確実な世界を見通すヒント ベスト新書 小島 寛之/著 ベストセラーズ 2011/02 410 ○
174
図書(和書) スタン・ゲッツ 音楽を生きる ドナルド・L.マギン 新潮社 2019/08 764.7 ×
175
図書(和書) スティーヴン・キングの研究読本 モダンホラーとUSA 北宋社 2002/01 930.278 ○
176
図書(和書) 素晴らしいアレキサンダーと、空飛び猫たち アーシュラ・K・ル=グウィン/著 講談社 1997/06 933.7 ○
177
図書(和書) スプートニクの恋人 村上 春樹/著 講談社 1999/04 913.6 ○
178
図書(和書) スプートニクの恋人 講談社文庫 村上 春樹/[著] 講談社 2001/04 913.6 ○
179
図書(和書) するめ映画館 吉本 由美/著 文藝春秋 2010/10 778.04 ○
180
図書(和書) 青春の終焉 三浦 雅士/著 講談社 2001/09 910.264 ○
181
図書(和書) 西風号の遭難 クリス・ヴァン・オールズバーグ/絵と文 河出書房新社 1985/09 E ○
182
図書(和書) 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上 新潮文庫 村上 春樹/著 新潮社 2010/04 913.6 ○
183
図書(和書) 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下 新潮文庫 村上 春樹/著 新潮社 2010/04 913.6 ○
184
図書(和書) 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 村上 春樹/著 新潮社 1985/06 913.6 ○
185
図書(和書) 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 村上 春樹/著 新潮社 2005/09 913.6 ○
186
図書(和書) 世界のすべての七月 ティム・オブライエン/著 文芸春秋 2004/03 933.7 ○
187
図書(和書) 世界文学全集 3-05 短篇コレクション 1 池澤 夏樹/個人編集 河出書房新社 2010/07 908 ○
188
図書(和書) 世界は村上春樹をどう読むか 柴田 元幸/編 文藝春秋 2006/10 910.268 ○
189
図書(和書) セロニアス・モンクのいた風景 村上 春樹/編・訳 新潮社 2014/10 764.7 ○
190
図書(和書) 1973年のピンボール 村上 春樹/著 講談社 1980/06 913.6 ○
191
図書(和書) 1973年のピンボール 講談社文庫 村上 春樹/[著] 講談社 2004/11 913.6 ○
192
図書(洋書) 1973年のピンボール 講談社英語文庫 12 村上 春樹/著 講談社 2011/02 B913.6 ×
193
図書(和書) 戦後日本のジャズ文化 映画・文学・アングラ 岩波現代文庫 社会 マイク・モラスキー/著 岩波書店 2017/05 764.7 ○
194
図書(和書) 戦後日本のジャズ文化 映画・文学・アングラ マイク・モラスキー/著 青土社 2005/08 764.7 ○
195
★図書(和書) 戦争・辺境・文学・人間 大江健三郎から村上春樹まで 黒古 一夫/著 勉誠出版 2010/03 910.264 ○
196
図書(和書) その日の後刻に グレイス・ペイリー/著 文藝春秋 2017/08 933.7 ○
197
図書(和書) 空を駆けるジェーン 空飛び猫物語 アーシュラ・K.ル=グウィン/著 講談社 2001/09 933.7 ○
198
図書(和書) 空飛び猫 アーシュラ・K・ル=グウィン/著 講談社 1993/03 933.7 ○
199
図書(和書) 空飛び猫 講談社文庫 アーシュラ・K・ル=グウィン/[著] 講談社 1996/04 933.7 ○
200
図書(和書) 象 村上春樹翻訳ライブラリー レイモンド・カーヴァー/著 中央公論新社 2008/01 933.7 ○
201
図書(和書) 象の消滅 短篇選集1980-1991 村上 春樹/著 新潮社 2005/03 913.6 ○
202
図書(和書) 象工場のハッピーエンド 村上 春樹/著 CBS・ソニー出版 1983/12 726.5 ○
203
図書(和書) 大変を生きる 日本の災害と文学 小山 鉄郎/著 作品社 2015/11 910.26 ○
204
図書(和書) 平将門伝説ハンドブック 村上 春樹/著 公孫樹舎 2005/02 289.1/203 ○
205
図書(和書) 平将門伝説 村上 春樹/著 汲古書院 2001/05 289.1 ○
206
図書(和書) 高い窓 レイモンド・チャンドラー/著 早川書房 2014/12 933.7 ○
207
図書(和書) 滝への新しい小径 村上春樹翻訳ライブラリー レイモンド・カーヴァー/著 中央公論新社 2009/01 931.7 ○
208
図書(和書) 頼むから静かにしてくれ 1 村上春樹翻訳ライブラリー レイモンド・カーヴァー/著 中央公論新社 2006/01 933.7 ○
209
図書(和書) 頼むから静かにしてくれ 2 村上春樹翻訳ライブラリー レイモンド・カーヴァー/著 中央公論新社 2006/03 933.7 ○
210
図書(和書) 卵を産めない郭公 新潮文庫 村上柴田翻訳堂 ジョン・ニコルズ/[著] 新潮社 2017/05 933.7 ○
211
図書(和書) 誕生日の子どもたち トルーマン・カポーティ著 文芸春秋 2002/05 933.7 ○
212
図書(和書) 短篇で読み解く村上春樹 村上春樹を読み解く会/著 マガジンランド 2017/01 910.268 ○
213
図書(和書) 探訪村上春樹の世界 東京編1968-1997 探訪シリーズ 斎藤 郁男/写真 ゼスト 1998/03 910.268 ○
214
図書(和書) 大聖堂 村上春樹翻訳ライブラリー レイモンド・カーヴァー/著 中央公論新社 2007/03 933.7 ○
215
図書(和書) ダンス・ダンス・ダンス 上 村上 春樹/著 講談社 1988/10 913.6 ○
216
図書(和書) ダンス・ダンス・ダンス 下 講談社文庫 村上 春樹/[著] 講談社 2004/10 913.6 ○
217
図書(和書) ダンス・ダンス・ダンス 下 村上 春樹/著 講談社 1988/10 913.6 ○
218
図書(和書) ダンス・ダンス・ダンス 上 講談社文庫 村上 春樹/〔著〕 講談社 1991/12 B913.6 ○
219
図書(和書) ダンス・ダンス・ダンス 下 講談社文庫 村上 春樹/〔著〕 講談社 1991/12 B913.6 ○
220
図書(和書) 地球のはぐれ方 東京するめクラブ 村上 春樹著 文芸春秋 2004/11 915.6 ○
221
図書(和書) ちくま小説入門 高校生のための近現代文学ベーシック 紅野 謙介/編 筑摩書房 2012/11 913.68 ○
222
図書(和書) 中学英語で日本の文学が紹介できる 万葉集、源氏物語から村上春樹まで YELL books 中学英語で紹介する 水戸 正雄/著 エール出版社 2010/05 910 ○
223
図書(和書) 中国行きのスロウ・ボート 村上 春樹/著 中央公論社 1983/05 913.6 ○
224
図書(洋書) (中国語資料)[ノルウェイの森] 村上 春樹 上海訳文出版社 2001/02 913.6 ○
225
図書(和書) 中国行きのスロウ・ボート 改版 中公文庫 村上 春樹/著 中央公論社 1997/04 913.6 ○
226
図書(和書) ティファニーで朝食を 新潮文庫 カポーティ 新潮社 2008/12 933.7 ○
227
図書(和書) ティファニーで朝食を トルーマン・カポーティ 新潮社 2008/02 933.7 ○
228
図書(和書) TVピープル 文春文庫 村上 春樹/著 文芸春秋 1993/05 913.6 ○
229
図書(和書) TVピープル 村上 春樹/著 文芸春秋 1990/01 913.6 ○
230
図書(和書) 東京奇譚集 村上 春樹/著 新潮社 2005/09 913.6 ○
231
図書(和書) 東京奇譚集 新潮文庫 村上 春樹/著 新潮社 2007/12 913.6 ○
232
図書(和書) 遠い太鼓 村上 春樹/著 講談社 1990/06 915.6 ○
233
図書(和書) 遠い太鼓 講談社文庫 村上 春樹/[著] 講談社 1993/04 915.6 ×
234
図書(和書) 図書館奇譚 村上 春樹/著 新潮社 2014/11 913.6 ○
235
図書(和書) 図書館の水脈 ダ・ヴィンチブックス 竹内 真/著 メディアファクトリー 2004/04 913.6 ○
236
図書(和書) 中上健次エッセイ撰集 文学・芸能篇 中上 健次/著 恒文社21 2002/02 914.6 ○
237
図書(和書) 謎とき村上春樹 光文社新書 石原 千秋/著 光文社 2007/12 910.268 ○
238
図書(和書) 夏ものがたり ものがたり12か月 野上 暁/編 偕成社 2008/06 913.68 ○
239
図書(和書) 名前のない人 C・V・オールズバーグ/絵と文 河出書房新社 1989/08 E ○
240
図書(和書) 20世紀のベストセラーを読み解く 女性・読者・社会の100年 江種 満子/編 学芸書林 2001/03 910.26 ○
241
図書(和書) 日本の一文30選 岩波新書 新赤版 中村 明著 岩波書店 2016/09 910.26 ○
242
図書(和書) 日本の作家  新訂版 伝記と作品 読書案内 日外アソシエーツ株式会社/編集 日外アソシエーツ 2002/05 910.31 ×
243
図書(和書) 日本文学気まま旅 その先の小さな名所へ 浅見 和彦/著 三省堂 2018/12 291.09 ×
244
図書(和書) 日本文学全集 28 近現代作家集 3 池澤 夏樹/個人編集 河出書房新社 2017/07 918 ○
245
図書(和書) 日本文学の百年 小田切 秀雄/著 東京新聞出版局 1998/10 910.26 ○
246
図書(和書) 日本文学100年の名作 第9巻 新潮文庫 アイロンのある風景 池内 紀/編 新潮社 2015/05 913.68 ○
247
図書(和書) ニュークリア・エイジ 上巻 ティム・オブライエン/著 文芸春秋 1989/10 933.7 ○
248
図書(和書) ニュークリア・エイジ 下巻 ティム・オブライエン/著 文芸春秋 1989/10 933.7 ○
249
図書(和書) ねじまき鳥クロニクル 第1部 改版 新潮文庫 泥棒かささぎ編 村上 春樹/著 新潮社 2010/04 913.6 ○
250
図書(和書) ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編 村上 春樹/[著] 新潮社 1994/04 913.6 ○
251
図書(和書) ねじまき鳥クロニクル 第2部 改版 新潮文庫 予言する鳥編 村上 春樹/著 新潮社 2010/04 913.6 ×
252
図書(和書) ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編 村上 春樹/[著] 新潮社 1994/04 913.6 ○
253
図書(和書) ねじまき鳥クロニクル 第3部 改版 新潮文庫 鳥刺し男編 村上 春樹/著 新潮社 2010/04 913.6 ○
254
図書(和書) ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編 村上 春樹/[著] 新潮社 1995/08 913.6 ○
255
図書(和書) ねじまき鳥クロニクル 第3部 新潮文庫 鳥刺し男編 村上 春樹/著 新潮社 1997/10 913.6 ○
256
図書(和書) ねむり 村上 春樹/著 新潮社 2010/11 913.6 ○
257
図書(和書) ノルウェイの森 上 村上 春樹/著 講談社 1987/09 913.6 ○
258
図書(洋書) ノルウェイの森 1 講談社英語文庫 村上 春樹著 講談社 1989/11 913.6 ×
259
図書(和書) ノルウェイの森 上 講談社文庫 村上 春樹/[著] 講談社 2004/09 913.6 ○
260
図書(和書) ノルウェイの森 下 講談社文庫 村上 春樹/[著] 講談社 2004/09 913.6 ○
261
図書(洋書) ノルウェイの森 2 講談社英語文庫 村上 春樹著 講談社 1989/11 913.6 ○
262
図書(和書) ノルウェイの森 下 村上 春樹/著 講談社 1987/09 913.6 ○
263
図書(和書) ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン ダーグ・ソールスター/著 中央公論新社 2015/04 949.63 ○
264
図書(和書) ノーベル文学賞にもっとも近い作家たち いま読みたい38人の素顔と作品 青月社/編 青月社 2014/09 902.05 ○
265
図書(和書) はいほー! 村上朝日堂 村上 春樹/著 文化出版局 1989/05 914.6 ○
266
図書(和書) 走ることについて語るときに僕の語ること 村上 春樹/著 文藝春秋 2007/10 914.6 ○
267
図書(和書) 走ることについて語るときに僕の語ること 文春文庫 村上 春樹/著 文藝春秋 2010/06 914.6 ○
268
図書(和書) 話しベタですが… 暮らしの文藝 浅田 次郎/[ほか]著 河出書房新社 2018/06 914.68 ○
269
図書(和書) ハリス・バーディック年代記 14のものすごいものがたり C.V.オールズバーグ/ほか著 河出書房新社 2015/08 933.78 ○
270
図書(和書) ハリス・バーディックの謎 クリス・ヴァン・オールズバーグ/絵と文 河出書房新社 1990/11 726.6 ○
271
図書(和書) Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち 辛島 デイヴィッド/[著] みすず書房 2018/09 910.268 ×
272
図書(和書) ハルキ・ムラカミと言葉の音楽 ジェイ・ルービン/著 新潮社 2006/09 910.268 ○
273
図書(和書) はればれ、お寿司 おいしい文藝 嵐山 光三郎/[ほか]著 河出書房新社 2019/03 914.68 ○
274
図書(和書) 反知性主義とファシズム 佐藤 優/著 金曜日 2015/05 304 ×
275
図書(和書) ハーバードの日本人論 中公新書ラクレ 佐藤 智恵/著 中央公論新社 2019/06 361.42 ○
276
図書(和書) バット・ビューティフル ジェフ・ダイヤー/著 新潮社 2011/09 33.7 ○
277
図書(和書) バビロンに帰る 村上春樹翻訳ライブラリー ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック スコット・フィッツジェラルド/著 中央公論新社 2008/11 933.7 ○
278
図書(和書) バビロンに帰る ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック 2 スコット・フィッツジェラルド/[著] 中央公論社 1996/04 933.7 ○
279
図書(和書) バビロンに帰る ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック 2 中公文庫 フィッツジェラルド/著 中央公論新社 1999/09 933.7 ×
280
図書(和書) バースデイ・ガール 村上 春樹/著 新潮社 2017/11 913.6 ○
281
図書(和書) バースデイ・ストーリーズ 村上 春樹編訳 中央公論新社 2002/12 933.78 ○
282
図書(和書) バースデイ・ストーリーズ 村上春樹翻訳ライブラリー 村上 春樹/編訳 中央公論新社 2006/01 933.78 ○
283
図書(和書) パン屋を襲う 村上 春樹/著 新潮社 2013/02 913.6 ○
284
図書(和書) パン屋再襲撃 村上 春樹/著 文芸春秋 1986/04 913.6 ○
285
図書(和書) 日出る国の工場 村上 春樹/著 平凡社 1987/04 914.6 ○
286
図書(和書) 日出る国の工場 新潮文庫 村上 春樹/著 新潮社 1990/03 914.6 ○
287
図書(和書) 日の名残り カズオ・イシグロ/著 早川書房 2018/04 933.7 ○
288
図書(和書) 比較文学を学ぶ人のために 松村 昌家/編 世界思想社 1995/12 901.9 ○
289
図書(和書) 羊をめぐる冒険 上 講談社文庫 村上 春樹/[著] 講談社 2004/11 913.6 ○
290
図書(和書) 羊をめぐる冒険 下 講談社文庫 村上 春樹/[著] 講談社 2004/11 913.6 ○
291
図書(和書) 羊をめぐる冒険 村上 春樹/著 講談社 1982/10 913.6 ×
292
図書(和書) 羊男のクリスマス 村上 春樹/文 講談社 1985/11 913.6 ○
293
図書(和書) 必要になったら電話をかけて レイモンド・カーヴァー/著 中央公論新社 2000/09 933.7 ○
294
図書(和書) 必要になったら電話をかけて 村上春樹翻訳ライブラリー レイモンド・カーヴァー/著 中央公論新社 2008/07 933.7 ○
295
図書(和書) 「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける490の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? Asahi Original 村上 春樹/[著] 朝日新聞社 2006/11 914.6 ○
296
図書(和書) 日々の光 ジェイ・ルービン/著 新潮社 2015/07 933.7 ○
297
図書(和書) ビギナーズ 村上春樹翻訳ライブラリー レイモンド・カーヴァー/著 中央公論新社 2010/03 933.7 ○
298
図書(和書) ファイアズ<炎> 村上春樹翻訳ライブラリー レイモンド・カーヴァー/著 中央公論新社 2007/05 938.78 ○
299
図書(和書) フィリップ・マーロウの教える生き方 レイモンド・チャンドラー/著 早川書房 2018/03 930.278 ○
300
図書(和書) ふしぎな図書館 村上 春樹/文 講談社 2005/01 913.6 ○
301
図書(和書) ふしぎな図書館 講談社文庫 村上 春樹/[著] 講談社 2008/01 913.6 ○
302
図書(和書) ふたりの村上 村上春樹・村上龍論集成 吉本 隆明/著 論創社 2019/07 910.268 ○
303
図書(和書) 冬の夢 村上春樹翻訳ライブラリー スコット・フィッツジェラルド/著 中央公論新社 2011/11 933.7 ○
304
図書(和書) 冬の夢 スコット・フィッツジェラルド/著 中央公論新社 2009/11 933.7 ○
305
図書(和書) フラニーとズーイ 新潮文庫 サリンジャー/[著] 新潮社 2014/03 933.7 ○
306
図書(和書) BOOKMARK 翻訳者による海外文学ブックガイド 金原 瑞人/編 CCCメディアハウス 2019/10 902.3 ×
307
✓文学 2019 日本文藝家協会/編 講談社 2019/04 913.68 ○
308
✓文芸春秋短篇小説館 文芸春秋/編 文芸春秋 1991/09 913.68 ○
309
図書(和書) 「文藝春秋」にみる平成史 半藤 一利/監修 文藝春秋 2019/05 210.77 ○
310
図書(和書) 文壇アイドル論 斎藤 美奈子/著 岩波書店 2002/06 910.264 ○
311
図書(和書) プレイバック レイモンド・チャンドラー/著 早川書房 2016/12 933.7 ○
312
図書(和書) 辺境・近境 村上 春樹/著 新潮社 1998/04 915.6 ○
313
図書(和書) 辺境・近境 写真篇 新潮文庫 松村 映三/著 新潮社 2000/06 748 ○
314
図書(和書) 辺境・近境 新潮文庫 村上 春樹/著 新潮社 2000/06 915.6 ○
315
図書(和書) ベンの見た夢 C・V・オールズバーグ/絵と文 河出書房新社 1996/04 E ○
316
図書(和書) ペット・サウンズ CREST BOOKS ジム・フジーリ/著 新潮社 2008/02 764.7 ○
317
✓図書(和書) ペンギン・ブックスが選んだ日本の名短篇29 ジェイ・ルービン/編 新潮社 2019/02 913.68 ○
318
図書(和書) 星のあひびき 丸谷 才一/著 集英社 2010/12 914.6 ○
319
図書(和書) 螢・納屋を焼く・その他の短編 改版 新潮文庫 村上 春樹/著 新潮社 2010/04 913.6 ○
320
図書(和書) 螢・納屋を焼く・その他の短編  新潮文庫 村上 春樹/著 新潮社 1987/09 913.6 ○
321
図書(和書) 螢・納屋を焼く・その他の短編 村上 春樹/著 新潮社 1984/07 913.6 ○
322
図書(和書) 本当の戦争の話をしよう ティム・オブライエン 文芸春秋 1990/10 933.7 ×
323
図書(和書) 本当の翻訳の話をしよう 村上 春樹/著 スイッチ・パブリッシング 2019/05 801.7 ○
324
図書(和書) 翻訳教室 朝日文庫 柴田 元幸/著 朝日新聞出版 2013/04 801.7 ○
325
図書(和書) 翻訳文学ブックカフェ 新元 良一/著 本の雑誌社 2004/09 904 ○
326
図書(和書) 翻訳夜話 文春新書 村上 春樹/著 文芸春秋 2000/10 801.7 ○
327
図書(和書) ぼくが電話をかけている場所 レイモンド・カーヴァー/[著] 中央公論社 1983/07 933.7 ○
328
図書(和書) ポテト・スープが大好きな猫 テリー・ファリッシュ/作 講談社 2005/11 E ×
329
図書(和書) ポートレイト・イン・ジャズ 2 和田 誠/著 新潮社 2001/04 764.7 ×
330
図書(和書) ポートレイト・イン・ジャズ 和田 誠/著 新潮社 1997/12 764.7 ○
331
CD ポートレイト・イン・ジャズ 和田誠・村上春樹セレクション ビリー・ホリデイ/[ほか]演奏 ソニー・ミュージックエンタテインメント 1998/06 A230 ○
332
CD ポートレイト・イン・ジャズ 和田誠 村上春樹セレクション チャーリー・パーカー/[ほか]演奏 ポリドール 1998/05 A230 ○
333
図書(和書) ポートレイト・イン・ジャズ 新潮文庫 和田 誠 新潮社 2004/02 764.7 ○
334
図書(和書) マイ・ロスト・シティー 村上春樹翻訳ライブラリー スコット・フィッツジェラルド/著 中央公論新社 2006/05 933.7 ○
335
図書(和書) マイ・ロスト・シティー フィッツジェラルド作品集 スコット・フィッツジェラルド/[著] 中央公論社 1981/05 933.7 ○
336
図書(和書) 魔術師アブドゥル・ガサツィの庭園 C.V.オールズバーグ/絵と文 あすなろ書房 2005/09 E ○
337
図書(和書) またたび浴びたタマ 村上 春樹/文 文芸春秋 2000/08 807.9 ○
338
図書(和書) 魔法のホウキ C・V・オールズバーグ/絵と文 河出書房新社 1993/06 E ○
339
図書(和書) まるまる、フルーツ おいしい文藝 青木 玉/[ほか]著 河出書房新社 2016/08 914.68 ○
340
図書(和書) 右か、左か 文春文庫 心に残る物語-日本文学秀作選 沢木 耕太郎/編 文藝春秋 2010/01 913.68 ○
341
図書(和書) 水と水とが出会うところ 村上春樹翻訳ライブラリー レイモンド・カーヴァー/著 中央公論新社 2007/01 931.7 ○
342
図書(和書) 水底の女 レイモンド・チャンドラー/著 早川書房 2017/12 933.7 ×
343
図書(和書) みみずくは黄昏に飛びたつ Haruki Murakami A Long,Long Interview 川上 未映子/訊く 新潮社 2017/04 910.268 ○
344
図書(和書) MURAKAMI 龍と春樹の時代 幻冬舎新書 清水 良典/著 幻冬舎 2008/09 910.268 ○
345
図書(和書) 村上朝日堂 改版 新潮文庫 村上 春樹/著 新潮社 2007/08 914.6 ○
346
図書(和書) 村上朝日堂 新潮文庫 村上 春樹/著 新潮社 1987/02 914.6 ○
347
図書(和書) 村上朝日堂の逆襲 村上 春樹/文 朝日新聞社 1986/06 914.6 ○
348
図書(和書)
村上朝日堂の逆襲 改版 新潮文庫 村上 春樹/著 新潮社 2006/11 914.6 ○
349
図書(和書) 村上朝日堂はいかにして鍛えられたか 新潮文庫 村上 春樹/著 新潮社 1999/08 914.6 ○
350
図書(和書) 村上さんのところ 村上 春樹/答えるひと 新潮社 2015/07 914.6 ○
351
図書(和書) 村上ソングズ 村上春樹翻訳ライブラリー 村上 春樹/著 中央公論新社 2010/11 767.8 ○
352
図書(和書) 村上ソングズ 村上 春樹/著訳 中央公論新社 2007/12 767.8 ○
353
図書(和書) 村上春樹 シーク&ファインド 村上 竜[ほか]著 青銅社 1986/07 910.268 ○
354
図書(和書) 村上春樹 はじめての文学 村上 春樹/著 文藝春秋 2006/12 913.6 ○
355
図書(和書) 村上春樹 ザ・ロスト・ワールド 黒古 一夫著 六興出版 1989/12 910.268 ○
356
図書(和書) 村上春樹 群像日本の作家 加藤 典洋/[ほか]著 小学館 1997/05 910.268 ○
357
図書(和書) 村上春樹『1Q84』をどう読むか 河出書房新社編集部/編 河出書房新社 2009/07 913.6 ○
358
図書(和書) 村上春樹を音楽で読み解く「小説」と「音楽」をめぐる冒険。栗原 裕一郎/監修 日本文芸社 2010/10 910.268 ○
359
図書(和書) 村上春樹をどう読むか 川村 湊/著 作品社 2006/12 910.268 ×
360
図書(和書) 村上春樹を読む午後 湯川 豊/著 文藝春秋 2014/11 910.268 ○
361
図書(和書) 村上春樹がわかる。 アエラムック 朝日新聞社 2001/12 910.268 ○
362
図書(和書) 村上春樹雑文集 村上 春樹/著 新潮社 2011/01 914.6 ○
363
図書(和書) 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』をどう読むか 河出書房新社編集部/編 河出書房新社 2013/06 913.6 ○
364
図書(和書) 村上春樹小説案内 全長編の愉しみ方 平居 謙/著 双文社出版 2010/05 910.268 ○
365
図書(和書) 村上春樹スタディーズ 2000-2004 今井 清人/編 若草書房 2005/05 910.268 ○
366
図書(和書) 村上春樹全作品 1 1979〜1989 風の歌を聴け・1973年のピンボール 村上 春樹/著 講談社 1990/05 913.6 ○
367
図書(和書) 村上春樹全作品 2 1979〜1989羊をめぐる冒険 村上 春樹/著 講談社 1990/07 913.6 ○
368
図書(和書) 村上春樹全作品 [2]-1 1990〜2000 短篇集 1 村上 春樹/著 講談社 2002/11 913.6 ○
369
図書(和書) 村上春樹全作品 [2]-2 1990〜2000 国境の南、太陽の西 スプートニクの恋人  村上 春樹/著 講談社 2003/01 913.6 ○
370
図書(和書) 村上春樹全作品 [2]-3 1990〜2000 短篇集 2 村上 春樹/著 講談社 2003/03 913.6 ○
371
図書(和書) 村上春樹全作品 [2]-4 1990〜2000 ねじまき鳥クロニクル 1 村上 春樹/著 講談社 2003/05 913.6 ○
372
図書(和書) 村上春樹全作品 [2]-5 1990〜2000 ねじまき鳥クロニクル 2 村上 春樹/著 講談社 2003/07 913.6 ○
373
図書(和書) 村上春樹全作品 [2]-6 1990〜2000 アンダーグラウンド 村上 春樹/著 講談社 2003/09 913.6 ○
374
図書(和書) 村上春樹全作品 [2]-7 1990〜2000 約束された場所で 村上春樹、河合隼雄に会いにいく 村上 春樹/著 講談社 2003/11 913.6 ○
375
図書(和書) 村上春樹全作品 3 1979〜1989 短篇集 1 村上 春樹/著 講談社 1990/09 913.6 ○
376
図書(和書) 村上春樹全作品 4 1979〜1989 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 村上 春樹/著 講談社 1990/11 913.6 ○
377
図書(和書) 村上春樹全作品 5 1979〜1989 短篇集 2 村上 春樹/著 講談社 1991/01 913.6 ×
378
図書(和書) 村上春樹全作品 6 1979〜1989 ノルウェイの森 村上 春樹/著 講談社 1991/03 913.6 ○
379
図書(和書) 村上春樹全作品 7 1979〜1989 ダンス・ダンス・ダンス 村上 春樹/著 講談社 1991/05 913.6 ○
380
図書(和書) 村上春樹全作品 8 1979〜1989 短篇集 3 村上 春樹/著 講談社 1991/07 913.6 ○
381
図書(和書) 村上春樹短篇再読 風丸 良彦/[著] みすず書房 2007/04 910.268 ○
382
図書(和書) 村上春樹とイラストレーター 佐々木マキ、大橋歩、和田誠、安西水丸 ちひろ美術館/監修 ナナロク社 2016/07 726.501 ○
383
図書(和書) 村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ 三浦 雅士/著 新書館 2003/07 910.268 ○
384
図書(和書) 村上春樹と私 日本の文学と文化に心を奪われた理由 ジェイ・ルービン/著 東洋経済新報社 2016/11 910.26 ×
385
図書(和書) 村上春樹にご用心 内田 樹著 アルテスパブリッシング 2007/10 910.268 ○
386
図書(和書) 村上春樹の「1Q84」を読み解く 村上春樹研究会/編著 データハウス 2009/07 913.6 ○
387
図書(和書) 村上春樹の歌 深海 遙/著 青弓社 1990/11 910.268 ○
388
図書(和書) 村上春樹のなかの中国 朝日選書 藤井 省三/著 朝日新聞社 2007/07 910.268 ○
389
図書(和書) 村上春樹の100曲 栗原 裕一郎/編著 立東舎 2018/06 910.268 ○
390
図書(和書) 村上春樹の深い「魂の物語」色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 谷崎 龍彦/著 彩流社 2014/09 913.6 ○
391
図書(和書) 村上春樹の読みかた 石原 千秋/著 平凡社 2012/07 910.268 ○
392
図書(和書) 村上春樹翻訳<ほとんど>全仕事 村上 春樹/著 中央公論新社 2017/03 910.268 ○
393
図書(和書) 村上春樹<訳>短篇再読 風丸 良彦/[著] みすず書房 2009/03 930.29 ○
394
図書(和書) 村上春樹はくせになる 朝日新書 清水 良典/著 朝日新聞社 2006/10 910.268 ○
395
図書(和書) 村上春樹はノーベル賞をとれるのか? 光文社新書 川村 湊/著 光文社 2016/09 902.05 ○
396
図書(和書) 村上春樹は、むずかしい 岩波新書 新赤版 加藤 典洋/著 岩波書店 2015/12 910.268 ○
397
図書(和書) 村上ラヂオ [1] 新潮文庫 村上 春樹/文 新潮社 2003/07 914.6 ×
398
図書(和書) 村上ラヂオ 村上 春樹/文 マガジンハウス 2001/06 914.6 ○
399
図書(和書) 村上レシピ 台所でよむ村上春樹の会/編著 飛鳥新社 2001/07 596 ○
400
図書(和書) 村上レシピプレミアム Murakami recipi 2 台所でよむ村上春樹の会/編著 飛鳥新社 2001/10 596 ○
401
✓めくらやなぎと眠る女TWENTY-FOUR STORIES(村上 春樹)新潮社2009.11.25.1刷、500頁、1400円(✓めくらやなぎと眠る女、✓バースデイガール、✓ニューヨーク炭坑の悲劇、✓飛行機、✓鏡、✓我らの時代のフォークロア、✓ハンティング・ナイフ、✓カンガルー日和、✓かいつぷり、人食い猫、貧乏な叔母さんの話、✓嘔吐1979、七番目の男、✓スパゲティーの年に、✓トニー滝谷、✓とんがり焼の盛衰、✓氷男、蟹、蛍、偶然の旅人、ハナレイ・ベイ、どこであれそれが見つかりそうな場所で、日々移動する腎臓のかたちをした石、品川猿)
402
図書(和書) メルトダウンする文学への九通の手紙 渡部 直己/著 早美出版社 2005/11 910.264 ○
403
図書(和書) 黙約 下 新潮文庫 ドナ・タート/[著] 新潮社 2017/08 933.7 ○
404
図書(和書) もし僕らのことばがウィスキーであったなら 新潮文庫 村上 春樹/著 新潮社 2002/11 588.57 ○
405
図書(和書) もし僕らのことばがウィスキーであったなら 村上 春樹/著 平凡社 1999/12 588.57 ○
406
図書(和書) <物語と日本人の心>コレクション 5 岩波現代文庫 学術 昔話と現代 河合 隼雄/著 岩波書店 2017/02 913.3 ○
407
図書(和書) やがて哀しき外国語 村上 春樹/著 講談社 1994/02 914.6 ○
408
図書(和書) やがて哀しき外国語 講談社文庫 村上 春樹/[著] 講談社 1997/02 914.6 ○
409
図書(和書) 約束された場所で underground 2 村上 春樹/著 文藝春秋 1998/11 916 ○
410
図書(和書) 約束された場所で underground 2 文春文庫 村上 春樹/著 文芸春秋 2001/07 916 ○
411
図書(和書) 保田与重郎と昭和の御代 福田 和也/著 文芸春秋 1996/06 910.268 ○
412
図書(和書) 闇夜に怪を語れば 百物語ホラー傑作選 角川ホラー文庫 東 雅夫/編 角川書店 2005/03 913.68 ○
413
図書(和書) 夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2009 村上 春樹/著 文藝春秋 2010/09 910.268 ○
414
図書(和書) 吉行淳之介全集 別巻3 吉行淳之介研究 吉行 淳之介/著 講談社 1985/01 918.68 ○
415
図書(和書) 夜になると鮭は… レイモンド・カーヴァー著 中央公論社 1985/07 933.7 ○
416
図書(和書) 夜のくもざる 村上朝日堂超短篇小説 村上春樹文 平凡社 1995/06 913.6 ○
417
図書(和書) ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集 文春文庫 村上 春樹/著 文藝春秋 2018/04 915.6 ×
418
図書(和書) ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集 村上 春樹/著 文藝春秋 2015/11 915.6 ○
419
図書(和書) ランゲルハンス島の午後 新潮文庫 村上 春樹著 新潮社 1990/10 B914.6 ○
420
図書(和書) 乱読すれど乱心せず ヤスケンがえらぶ名作50選 安原 顕/著 春風社 2003/03 910.264 ○
421
図書(和書) ラヴ・ストーリーズ 1 チップス/編 早川書房 1989/05 933 ○
422
図書(和書) リトル・シスター レイモンド・チャンドラー/著 早川書房 2010/12 33.7 ○
423
図書(和書) リトル・ピープルの時代 宇野 常寛/著 幻冬舎 2011/07 361.5 ○
424
図書(和書) 臨床文学論 川端康成から吉本ばななまで 近藤 裕子/著 彩流社 2003/02 910.264 ○
425
図書(和書) レイモンド・カーヴァー傑作選 Carver's dozen レイモンド・カーヴァー/著 中央公論社 1994/12 933.7 ○
426
図書(和書) レキシントンの幽霊 文春文庫 村上 春樹/著 文芸春秋 1999/10 913.6 ○
427
図書(和書) レキシントンの幽霊 村上 春樹/著 文芸春秋 1996/11 913.6 ○
428
図書(和書) レトリックのすすめ 野内 良三/著 大修館書店 2007/12 816.2 ○
429
図書(和書) 魯迅 東アジアを生きる文学 岩波新書 新赤版 藤井 省三/著 岩波書店 2011/03 920.278 ○
430
図書(和書) ロング・グッドバイ レイモンド・チャンドラー著 早川書房 2007/03 933.7 ○
431
図書(和書) ロング・グッドバイ Raymond Chandler collection レイモンド・チャンドラー/著 早川書房 2009/03 933.7 ×
432
図書(和書) ロング・グッドバイ ハヤカワ・ミステリ文庫 レイモンド・チャンドラー/著 早川書房 2010/09 933.7 ×
433
図書(和書) 若い読者のための短編小説案内 村上 春樹著 文芸春秋 1997/10 910.264 ○
434
図書(和書) 私の銀座 新潮文庫 「銀座百点」編集部/編 新潮社 2012/04 914.68 ○
435
図書(和書) 私たちがレイモンド・カーヴァーについて語ること 村上春樹翻訳ライブラリー サム・ハルパート/編 中央公論新社 2011/06 930.278 ○
436
図書(和書) 私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー 村上春樹翻訳ライブラリー 村上 春樹/編訳 中央公論新社 2009/03 930.278 ○
437
図書(和書) ワールズ・エンド<世界の果て>ポール・セロー/著 文芸春秋 1987/07 933.7 ○
438
図書(和書) ワールズ・エンド<世界の果て> 村上春樹翻訳ライブラリー ポール・セロー/著 中央公論新社 2007/11 933.7 ○

村上春樹の「草原の輝き」

$
0
0

年明けのある日、久しぶりにちょっと高めの寿司でも食べにいこうかと近所にある寿司職人のいる回転寿司「寿司清」にいったところ、新年早々店が閉まっていて、張り紙には、モト会社の小野瀬水産が破産したために破産管財人がどうのこうのというようなことが書かれていたので、びっくりしました。

この「寿司清」は、わが町ではちょっとしたハイ・グレードな寿司店として通っていて一目おかれている存在です、たしか数年前の新聞に、他店の回転寿司とは違ってハイ・グレードな差別化をはかっている寿司店とかで紹介されていた記憶があります。そのあたりが最盛期だったのかもしれません。

まあ、回転寿司に果たして「ハイ・グレード」なんてものがあるのかどうかはさておいて、例えば通常ひと皿100円・平日なら90円(はま寿司)というところが、わが町の回転寿司店の価格帯の通念だとすると、小野瀬水産の「寿司清」の富裕層ねらいは、新鮮さにこだわったネタ選びが贅沢なぶん、価格もそれだけ高めに設定するというところが特徴だったのだと思います。

安価な回転寿司店では、当然、寿司職人の姿など見かけることなく、目の前に皿がのったベルトがただぐるぐると廻っているだけで、そこから自分の好みの皿をチョイスして食うという回転寿司が世に登場した当初は、本格的な寿司屋のツウの客からすれば、人の顔の見えない無味乾燥さを「あんなもの」呼ばわりして冷笑していたものでした。

ほら、チャップリンの「モダンタイムス」で、未来の機械が自動で人間に食事を無理やり押し込むなんて随分と皮肉っぽく「機械」を揶揄した場面が冷笑的に描かれていましたよね、ちょうどあんな感じだったのだと思います。

なにしろ当時庶民にとっては、やはり高価で特別な食べ物だった寿司に「回転ベルト」を考案・導入し、とにかく家族で気軽に寿司を食べられるシステムを考案し大衆化につなげて成功した優れものの改革だったわけですから(この「工夫」と「安価」が外人客の集客につながったと思います)、「握る」ことにこだわって本格的な寿司職人を雇うなどという発想をまず棄てて、当然、「握る」部分も機械で自動化することをコミで考えたに違いありません。

たとえ店の奥まった厨房で大学生のアルバイトが型でカタドリした飯の上に機械的にネタをのせているだけだとしても、人件費をそうやって削り込まない限りその「コストパフォーマンス」は実現できなかったと思います。

しかし、そうした「無味乾燥」を味気なく思い、少しくらい金を払ってでも、やはり目の前で元気のいい寿司職人に寿司を握ってもらいたい、それを直接食べたいと願う裕福でノスタルジックな御仁はいつの時代にもいると思うその部分をねらって、寿司清はその「人の手で握る寿司」にこだわって当初の成功につなげた、ひとつの成功例だったとは思いますが、そのクオリティーが定着すれさえすれば、それはそれに越したことはなかったのでしょうが。

我が家でも「100円寿司にいく」というのと、「寿司清にいく」というのとでは明らか暗号的に区別されていて、後者の「寿司清にいく」は、「贅沢しにいく・散財する」みたいな特別な意味を持っていました。その唐突な破産話が冷え切らないうちに、さらにもうひとつのショッキングなニュースが入ってきました。

なんと、わが町でたった一軒しかなかった駅前の新刊書店が、年明け早々店じまいしてしまったというのです。

えっ~、それじゃあなにかい、この町には、新刊書店というものがついに一軒もなくなっちゃったってこと、「なんだなあ、町に本屋が一軒もないなんて、それで文化都市といえるのかよ、まさに世も末だね、こりぁ」とななんとかぼやきながら重ね重ねの衝撃を話の新ネタにしていました。

しかし、考えてみると「新刊書店の閉店」というのは、なんだかガソリンスタンドがバタバタと潰れている状況と見事に呼応しているような感じを受けます。いずれも「時代の激変に追いつけなくて敗退した」みたいな印象はどうしても否めません。

とはいえ、かのガソリンスタンドの閉鎖の方は、明らかにハイブリットカーが普及してガソリンの需要が急速に落ち込んだことにあるのですから、そもそもの原因は根本的には異なり一緒くたにはできませんが、大雑把には高度なデジタル技術化によってもたらされた技術的淘汰といってもいいのではないかと思います。

具体的にいえば、書店の閉店は、「スマホ」の圧倒的普及によって、版元が端末にコンテンツを細分化・記事を切り売りして売り込むという従来にない「業態」の変化を求められ、デジタル化の需要に合わせて販路のシステムを急遽変えなければ対応できなくなり、その対応に遅れればその出版社は業界から抹消されるという差し迫った危機感があって、当然この販路の変更、あるいは廃止は、旧態の販路の出先機関の「書店」に及んで、はっきりいって無用になった現実的な末端の出店(書店)を本家は切り捨てざるを得ないという状況がいま現在の熾烈な現実なのだと思います。まあ、その傍らには、依然として「どんどん本が読まれなくなった」だから「本も売れない」という状況もあるわけで、版元も書店も本とはなんの関係のないこのデジタルという奇妙な「勢い」に挟撃されているという感じではあるのですが。

でも、こうした「書店の閉店」の話に一向に動じない家人は、こんなふうに言います「でもさあ、あんた、まだ古書店とかがあるからいいやないの」と。

なにいってんだ、このやろう。

たしかに近所にはカフェを兼ねた店が一軒だけあることはあります。

しかし、あえていっておきますが、これを「お洒落な店」と勘違いとか早とちりしたら、それこそ、やがてその浅慮をみずから呪うことになりますよ、きっとね。だって、じっさい見たらホントびっくりしますから、その凄まじさには。そりゃあ「失望」なんて生易しいものじゃ済まされません、「あんたねえ、やる気あるの」と思わず苛立ちで突っかかりたくなりますし、やり場のない怒りに駆られて湧き上がる憤怒で思わず激昂し、そこらにある物を手当たりしだい壁に投げつけたくなるくらいそのカフェなるものは惨憺たる「ヘタレな廃屋」です。

なにしろタダ同然のあばら家を安価で借り受け(そういう話を聞きました)、道路に面した正面部分だけを安ペンキのケバイ色でべったりと塗りつけ、それはもうまさにウソ偽りのない壮絶たる「廃屋カフェ」という感じで、平日など客の入っているところを、ついぞ見たことがないという家人の話しでした。いや、むしろ店構えそのものが来客を拒否しているのではないかと思うくらいのオモムキで、それはまさに孤立無援の鬼気迫る壮観さだということです。

しかし、選挙の時期ともになるとマッテマシタとばかりにカフェを休業にして、いそいそと選挙事務所に貸し出し、むしろそちらの方が古書店などやっているより余程実入りがいいらしく、選挙の時期になると、いつもは貧相で幽鬼さえただよう栄養失調気味で険しい顔つきのマスターの貧弱な姿が急に安らぎ、穏やかなホクホク顔になって徐々に肥えはじめるというのがご近所のもっぱらの評判だとか家人が聞き込んできました。

しかし、わが町にただ一軒だけになったその古書店(正確には古書店カフェですが)にじゃあ自分が出かけるのかというと、そこにはまたなかなか行きづらい事情というものがありまして、そのことを少し書いてみますね。

かつて自分は年に数回、神保町の古書店街をぶらぶら歩くのを数十年来楽しみにしてきました。それは、自分が高校生のころから現在に至るまで、ずっと続けている習慣で、いまでも変わりません。

もちろん、その神保町の古書店街で安い本を物色するという楽しみもあるのですが、しかし、むしろ、どちらかといえば「古書店街のぶらぶら歩き」の方に楽しみの比重があって小一日のんびりと町歩きを楽しんでいます。それに古書探しということだけなら、なにもわざわざ「神保町」にこだわる意味も必要もありませんし。

しかし、そうした町歩きに疲れた時いつも思うことがあって、これでちょっと休める場所があったら、なおいいのに考えることが時折あるのです、いえいえ、いまも学生街の象徴的な町、神保町です、喫茶店とかレストランのたぐいなかコト欠かないと思います、それこそ数え切れないくらいあるでしょうが、自分の言ってるのはそうではなくて、古書店がそのまま喫茶店を兼ねているような小洒落た落ち着ける店というか、買った本を読みながらのんびりお茶を飲んだり軽い食事ができるようなそういう店があったらいいなというのが、かねてからの自分の願いなのです。

もっともこの町もいまではすっかり様変わりしてしまって(すずらん通りの飲み屋では外国人留学生たちがコンパで盛り上がっている姿をしばしば見かけます)、実際はそんな店なら幾らもあるのに知らないのは単に自分だけということなのかもしれませんが。

あるとき、ご近所のお爺さんと雑談していて、そんなことを話していたら、「それって図書館みたいなものだとしたら、駄目だろうな」といわれました。「だってさ、図書館は本を読みながらの飲食は厳禁だからね。飲食しての読書を許してたら本が汚れ放題になって堪らないよ。それでなくともさ、ときどき図書館から借りた本のページにクッキーの食べカスとがコーヒーのシミとかがついているなんてことが結構あるからね、そういう本に出会ったときはホントにうんざりしてアタマにくるよ、そんなときは構わないからチクッてやるんだ」

まあ、お爺さんのいう図書館というのはさておくとしても、古書店で廉価本を物色し、面白そうな本をチョイスして、コーヒーを傍らにおいて日向ぼっこしながら、のんびりとその本を読みふけるっていのは、考えただけでもますます楽しい気分に誘われます。なんとなく他人に話しているうちに、そういうシチュエーションこそ自分が思い描いてきた究極の快楽・嗜好の極致でさえある確信してきました。

しかし、続いてそのお爺さんが言うには、オタクの言うその「究極の快楽・嗜好の極致」とかいうものは、なにも神保町くんだりまで行かなくともついそこの近所にもあるよと教えてくれました。

それが先に書いた小汚い「廃屋カフェ」だったのです、「へえ~、知らなかったなあ、もしかして知らなかったのは自分だけというわけだったのお、という感じです。

そのあとで、お爺さんから教わったその店をひそかに見にいったとき、自分が思い描いていた「究極」や「極致」が、現実に具象化されるとなると、こんなにもみすぼらしい「小汚さ」になるのかといういささかの戸惑いはありましたが、しかし、それでもこれで自分の長年の夢が実現されるかもしれないという微かな希望もあり、ちょっとしたワクワク感というか感慨無量なものはなくはありませんでした。

古書店のあるその道は、思えば、格安スーパー「ビッグA」に続く迂回路で、以前にも幾度か通ったことはあるのですが、途中にこんな古書店カフェがあったなんて、正直いままで気がつきませんでした。

そこには、見過ごすのも当然という「自己主張」に乏しい、見るからにアピールに欠けた店構えというものがあったのだと納得もしました。

自分は「ナニゲ」をよそおい、その古書店カフェ前をゆっくり通り過ぎるふうに、風景の一部を見るように素早く店内をうかがいました。

ガラス戸の反射ではっきりとは見えませんが、右側にテーブルがふたつあって客はなく、左側のカウンターでは、長い髪を後ろで束ねた店長らしき男性がカウンターにもたれて夢中で読書にふけっている感じです。

それにテーブル席の背後の右側の壁一面には天井まで届く書棚にくすんだ色の本がぎっしり詰まっていて背表紙をみせているのが見えます、あそこでのんびりと気ままに本が読めると思うと、なんかいい感じじゃないですか。

それによくは見えませんが、カウンターの背後にも書棚らしきものがあるようです。

その店先には、背の低い書棚とワゴンがふたつずつ設えられていて、多くの古書店と同じようにそこには廉価本が無造作に収まっています、いずれも「100円均一」と書かれています。

その廉価本のなかでも一際目に付いた青い装丁の本(一群です)がありました。

はは~ん、むかし懐かしい「高橋和巳作品集」じゃないですか。

思わず足を止めて見入ってしまいました。

確かにその「一瞬」は、「へえ~、いまどき、いったいどこの誰が高橋和巳の小説など好きこのんで読むんだ?」という思いがひとつにはありますが、さらには、この小説の意外に過度な感傷が甘々な楽観に突き抜けてしまうような(いまでは文学としての未熟さを感じざるを得ません)目を背けたくなるような嫌らしい部分に通じていて、それはちょうどかつての「自分」の無様な一部・物欲しげにもがいていた「時代」にがんじがらめに囚われながら、それに甘えてもいた嫌らしい無様な自分の一部でもあったことを、その古書店の店先で見た「高橋和巳作品集」に「時代」から置き去りにされて、腐りかけた干物のように晒しものになっていることに嫌悪を感じてしまったからかもしれません。

しかも、立ちすくんで、しばし見入っていたその姿をバッチシ店の奥の店長に見られてしまったことになんだか「おびえ」、怖気て思わず身を引いた意外にヤワな自分のリアクションに自身でも驚いてしまい、そのアタフタぶりの一部始終を見られてしまったことが羞恥と衝撃となって自分の中に残りました。

たぶんそのとき同時に《自分が属した「世代」を決めつけられた》のではないかみたいな自己を含めた他者嫌悪として感じてしまったのかもしれません、こんなふうに他人から「世代」を決めつけられたり即断され揶揄されたり冷笑されたりしたことは、いままで幾度も経験してきたことで、その対応の「面倒くささ」を自分はつねに経験的に警戒し、とにかく逃げて、どうにかやり過ごすようにしています。むしろこれをトレードマークみたいにして「処世」につなげられたら、ずいぶんと楽な生き方ができるでしょうし、たぶん、もっと巧みに小ざかしくこの世を渡り、自己表出することもできたかもしれません。柴田翔や高橋和巳みたいにね。

それから以後、あの古書店→ビッグAルートは敬遠して、通るのは避けるようになってしまいました。しかし、その負け惜しみではありませんが、古書店で手にする本というのは「たまたま」なのであって、この「奇遇」という気楽な出会い方に依存すると、なんだか「本を読んで愉しむ」ということからどんどん遠ざかってしまうような、やりきれなさというか、空しさみたいなものに陥ってしまいそうになるということはあり得ますよね、だんだんと。

きっと、そういう暗澹たる気分にさせられるのは、そのいわば「気楽さ」が、ある種の「怠惰」に通じてしまっていて、それは例えばスマホで切り売りされたコンテンツをつまみ食いする「走り読み」でモノゴトを理解したような気になってしまったり本を読んだような気になってしまう、あの感じに似ているからかもしれません。

それはちょうど誰かと会話するネタを仕入れるためだけに「見出し」だけさっと読んで済ませるという都合のいいだけの行為の一部にすぎなくて、いやはや、もうこうなると到底自分が考えている読書などというものではありません。

それは、インターネット上で手軽な「朗読」というコンテンツを活用して、通勤の生き返りに電車で気軽に名作小説を耳で聞いただけで読んだ気になるというあたりも「それってどうなの」という気にさせられています。

それらは到底「読書」とはいえない、なにか別のものにすぎなくて、活字一字一字を目で追っていくことで費やす時間が、そのまま脳に入っていくためには必要な時間なのではないなかと考えたりしますし、また、それに加えて読書の愉しみというのは、ある程度、体系的に読んでいかなければ、得られないのではないかということに気がつきました。

なんと、この年になって、やっとそんなことに気がつくなんて、遅きに失した随分迂闊な話には違いありませんが、しかし、どんな「迂闊さ」にだって、それが気づきの契機になってモチベーションにつながれば、それが「いくつ」であろうと遅いなんてことは決してあるはずはありませんよね。

そこでその「体系的に読む」ということに挑戦してみることにしました。

この「体系的に読む」ということに関してなら、「蔵書量」において、古書店よりもはるかに図書館は優れて相応しいものがあるといえます。

そして、この「体系的に読む」という気づきの対象として、まず最初に思いついたのは、村上春樹の作品を短編も含めてすべての作品を通して読んでみたいという長年の秘めたる願いがありました。

ちなみに、近所の図書館のホームページで「村上春樹」と打ち込んで検索をかけた結果、関連の事項を含めてヒットしたのは438件でした、その一覧はこの記事の末尾に貼り付けますが、容量オーバーでアップできない場合にそなえて、「小説の読了・非読了の題名のみ一覧」を合わせて貼り付けますが、その「438件」の方がどこにも見当たらなかった場合は、重くて送信が叶わなかったのだなと悪しからずご了解ください。

さて、村上春樹の作品ですが、長編は刊行されるたびにちょこちょこ読んできたのですが、長短編をどのくらい読んでいるのか整理してみないと分からないというのが正直なところです。

そうそう、自分は、村上春樹が「風の歌を聴け」で「群像」の新人賞を受賞したときに、「群像」の本誌をリアルタイムで読んでいます。

御茶ノ水駅近くの書店で「群像」を買い、電車を待ちながら読み始めたところ夢中になって止まらなくなり、いざ電車に乗りながら乗り越しするのが怖くなって途中下車して、見知らぬ駅のベンチに座り最後まで読みきったという記憶があります。

そのとき受けた自分の衝撃が間違いなく確かなものだったということは、いまのこの現実がすでに証明していることと思います。

忘れてはならないのは、村上春樹を取り巻く当時の日本の文壇のイカガワシイ雰囲気・空気感というものがあります、その愚劣で陰湿・度し難い内向きな体質も含めて、その辺のところはきわめて鮮明に記憶しています。そのへんはいまでも変わりませんが。

そして、その雰囲気・空気感は、そのまま村上春樹がついに芥川賞を受賞しなかったこと(そんなことは彼の「文学性」とその「世界化」にとってなにほどの支障でもかったということは却って痛快です)や、ノーベル文学賞の受賞を阻んでいる状況とか嫉妬に満ちた「でっちあげられた芳しくない評判」によって故意に阻まれていることにも通じています。ナンデスカ、選考にかかわる薄汚い内通者が日本にいるらしく、候補者の「評判」をかの国にあることないことひそかに伝えているとかいう話じゃないですか。大方、文壇の太鼓もちみたいなヤカラがつまらない悪評をでっちあげて内報しているに違いありません。世界に通用する真の変態・大谷崎を差し置いて世間受けする見栄えのいい日本観光案内所みたいな川端をあえて推薦したくらいですから、その実力など、おして知るべしです。

それに、皮肉なことには、日本文壇の太鼓もちの「謗り」や「阻み」が強ければ強いほど、村上春樹はますます世界で読まれ、名声は高まるばかりというのも痛快じゃないですか。

当時、大江健三郎は、選評か批評で村上作品に対して「こんな翻訳文は、到底日本文学とはいえない」と腐したうえに謗っていました。自分こそ朝鮮戦争と60年安保をネタにしたサルトルの翻訳文のパクリで「遅れてきた」とかなんとかこそこそと売り出してきたっていうのに、それを棚に上げておいて「なんだそれ、よく言うよ」と苦笑してしまいました。えらそうに。

現在、若い世代のだれにも相手にされず、とうに忘れられつつある敗残の惨憺たる現状は、時代の「良識」といういかがわしい既存の左翼にすり寄っておもねりその隠れ蓑にぬくぬくと安住してきた分だけ、「この時代」に報復されているという感じを受けます。

まあ、そんなことはさておいて話しを「村上春樹」に戻しますね。

今回、順不同ですが、長短編を新たに読み進め、読み直した結果、ずいぶん映画ネタが、そこここに散りばめられているなという印象を受けました。

そのなかで直接的な引用はともかくとして、自分の目を引いたのは、「かすかなケハイ」という感じを受けた作品です。

以前、自分は、「海辺のカフカ」の中の一文が、映画「スペシャリスト・自覚なき殺戮者」に対する的確な映画批評のように読めてしまった部分を驚きとともにこのブログに書いたことがあります。

それとまったく同じ経験を今回の「読み直し」のなかで遭遇したので、そのことを書きたくて、この拙文をここまでなんとか引っ張ってきた次第です。

それは「我らの時代のフォークロア 高度資本主義前史」という作品と、エリア・カザンの「草原の輝き」1961との相似性です。

ふたつのストーリーの要約(末尾に掲げましたので、ご参照ください)を比較してみると、とても似たストーリーではあるものの、本質的には似て非なる、まるで異なった作品であることがよく分かります。

村上作品「我らの時代のフォークロア 高度資本主義前史」のラストで男がかつての恋人の望みどおり彼女の結婚後にsexしたあとにやり切れない絶望と虚無感におそわれて夜の街で「商売女」を買わずにいられなかったというラストは、ずいぶんと象徴的な結末だなあと痛感します。

「処女」であることや、そして「sex」や、彼女自身の「カラダ」すべてが、彼女の来るべき「将来」のために効率的な利益をもたらすべく彼女みずから既に道具化・商品化していて自分で自身を値段づけしていた無残な倒錯が「結婚するまでは処女でいたいの」の言葉の中に示唆され意味付けられていたことがラストで明かされているのです。

「功利」の一部に役立たせる肉体を持った歪んだミス・クリーンとの空しい性交のあとで、その男がさらにその夜に買った「商売女」と、いったいどこがどれほど違うのかと問う悲痛な絶望感にうちのめされるというラストをもつ、きわめて良質の短編小説に仕上がっているのですが(サブタイトルの「高度資本主義前史」がよく生きています)、この小説の読後には思わずエリア・カザンの「草原の輝き」を思い浮かべました、筋立てなどはとても良く似ていますが、エリア・カザンの「草原の輝き」の方は、若いふたりの「sex」を功利的に考えて歪めてしまうのは、彼らの周りにいる親や社会、そして周囲の人間たちの偏見や頑なな倫理観なのであって、そのために結局破綻せざるを得なかったとしても、ふたりの「sex」そのものは、どこまでも一途で清らかな高潔さを失っていない熱く息づく「青春の夢」であることを放棄しているわけではありません。まさに「草原の輝き」なのです。

それに引き換え「フォークロア」で描かれている破綻の元凶は、成育歴や学歴や、さらにはその肉体としての「わが身」まで金に換算して「将来」への功利をはかろうとする惨憺たる「sex」に貶められたものでしかありません。

その荒涼とした「高度資本主義前史」の荒れ野にひとり取り残された男は、そのラストで、思い余って「商売女」を買って渇きを癒さなければ遣り切れないような絶望感におそわれています。そこのところが、1961年のアメリカの「草原の輝き」と日本の「高度資本主義前史」との違いなのだと痛感した次第です。


★村上作品「我らの時代のフォークロア 高度資本主義前史」のあらすじ
≪主人公の「僕」は1960年代のいわゆる高度経済成長期に中学から大学の多感な時期を過ごした。
そして「僕」は大人になって、高校の級友とある日偶然再会する。
その級友は高校時代には、何でもできた完璧な男だった。
成績が良くて、運動ができて、そのうえ親切で、しかもリーダーシップがとれ、皆からの信頼も厚かった。
特にハンサムというわけではないが、いかにも清潔そうな爽やかな印象で、当然クラス委員をしたりして、声もよく通り、歌もうまくて、おまけに弁も立った。誰にも好かれる言うことなしの完璧な好青年だ。
当時、その彼が付き合っていた女の子がいた、別のクラスだったが、彼女も美人で、同じように成績も良くて、運動ができ、リーダーシップもとれるという、これまたクラスに一人はいるという完璧な美少女で、つまりふたりは誰もが認める似合いのカップルというわけ。いわばミスター・クリーンとミス・クリーンという組み合わせ。
しかし、その頃「僕」たちが興味のあったのは、もっとヴァイタルな政治とロックとセックスとドラッグ。つまり、あのミスター・クリーンとミス・クリーンなんか別世界に生きる異星人としか思えず、「僕」たちには関心も興味も印象もなかった。
大人になった「僕」は、海外で偶然そのミスター・クリーンと再会し、一緒に食事をすることになる。
彼は、あの思春期に付き合っていた彼女ミス・クリーンとの関係について、その後のウチワケ話を始める。
彼女と彼は4年ほど付き合い、その間も、逢えば濃厚なペッティッグをした、しかし、彼女は、指でなら許すが、セックスだけは頑なに拒み続けた、「それなら結婚しよう」と切羽詰まって彼は婚約の申し出をするが、彼女は断る。理由は「結婚するまでは処女でいたいのよ」と。
男は問う「なぜ。だってこんなに愛しているのだから、いいじゃないか」と。
すると女は答える「あなたのことは大好きよ、とても愛しているわ。でも結婚できないの。だって、無資無力な若輩同士のわたしたちが一緒になったって幸せになんかなれるわけないじゃない。私はもう少し年上の資産のある男性と結婚して、あなたは十分な資産が出来てから年下の可愛い子と結婚すればいいのよ」
「そして」と女は続ける「結婚したあとでなら、たっぷりsexしましょう、そのときは連絡するわ」
その言葉を聞いた男は、彼女がなにを言っているのか、一瞬、理解できずに混乱したまま怒りをぶつけ、気まずいまま大学も別れ別れになって、やがて疎遠になる。
何年か経ち、社会人になった彼の仕事もようやく落ち着きはじめたとき、彼女から「会いたい」と電話がかかってくる。
少し躊躇したものの気持ちに負けて会ったなりゆきでsexするものの、その無味乾燥さにげんなりして、別れたあと、その喪失感と空虚を埋めるように商売女を買った。≫



★以下は、エリア・カザンの「草原の輝き」1961のあらすじです。
≪1928年、カンサスに住むバッドと、ディーン(ディーニー)は高校3年生。愛し合っているが、ディーンの母親は保守的な倫理観の持ち主で「男は尻軽な女を軽蔑する。そういう女とは結婚したがらない」ということもあって、母親に会わせづらいディーンはバッドのすべてを受け入れるに至らない。バッドの父で石油業者のエイスは息子がフットボールの選手であることが大自慢で、イェール大学に入れたがっているが、バッドには父親の期待が心の負担になっている。父は理解あるように振舞うが本能的には暴君で、姉のジェニーが家出して堕落してしまい、大学を追われたのも、こんな父のいる家庭がたまらなかったからだ。バッドはひたむきなのだが、彼女はそれを受けとめてくれない。父は「女には2種類あって、時々気晴らしに遊ぶ女と、結婚する女だ。感情に任せて、責任取らされるようなことはするな」という。そんなことでイライラした気持を、バッドは折にふれて乱暴な行動で爆発させる。ついに同級生でコケティッシュな娘ファニタの誘惑に負ける。
青春の悩みに苦しんでいるディーンはこの事件でショックを受け、ワーズワースの詩の授業の途中に教室を抜け出し、川に身を投げる。救助に飛び込んだバッドのおかげで死を免れたディーンは精神病院に入院する。父の希望通りイェール大学に入ったバッドは、勉強にも身が入らず、酒ばかり飲み、あげくにアンジェリーナというイタリア娘と結ばれてしまう。学校は退学寸前のところまでいっている。そこで父のエイスはニューヨークへ出かける。ちょうど、1929年の世界大恐慌がやってきた。エイスは大打撃をかくして息子に会い、女をバッドの寝室に送り込んだりするが、その夜、窓から飛びおりて自殺する。
ディーンは病院で知り合ったジョニーという若い医師と婚約する。退院してから、バッドが田舎へ引込んで牧場をやっていることを知り、訪ねて行く。バッドはアンジェリーナとつつましく暮らしていた。2人は静かな気持ちで再会する。

Though nothing can bring back the hour
Of splendour in the grass, of glory in the flower;
We will grieve not, rather find
Strength in what remains behind...
(Sir William Wordsworth "Ode: Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood")≫



草原の輝き
(1961アメリカ)監督・エリア・カザン、脚本・ウィリアム・インジ、原作・ウィリアム・インジ、製作・エリア・カザン、音楽・デヴィッド・アムラム、撮影・ボリス・カウフマン、編集・ジーン・ミルフォード、
出演・ナタリー・ウッド(ウィルマ・ディーン・ルーミス)、ウォーレン・ベイティ(バット・スタンパー)、パット・ヒングル(エース・スタンパー)、オードリー・クリスティー(ミセス・ルーミス)、バーバラ・ローデン(ジニー・スタンパー)、ゾーラ・ランパート(アンジェリーナ)、フレッド・スチュワート(デル・ルーミス)、ジョアンナ・ルース(ミセス・スタンパー)、ジョン・マクガヴァン(ドク・スマイリー)、ジャン・ノリス(ジュアニータ・ハワード)、マルティーヌ・バートレット(ミス・メットカルフ)、ゲイリー・ロックウッド(アレン・"トゥーツ"・タトル)、サンディ・デニス(ケイ)、クリスタル・フィールド(ハゼル)、マーラ・アダムズ(ジューン)、リン・ローリング(キャロリン)、フィリス・ディラー(テキサス・ガイナン)、ショーン・ギャリソン(グレン)、



【村上春樹 長短編】一応50音順(✓は読了したもの)
アイロンのある風景、✓青が消える、✓あしか、✓あしか祭り、雨やどり、✓アンチテーゼ、✓イエスタデイ、✓1Q84、今は亡き王女のための、✓インド屋さん、✓嘘つきニコル、✓うなぎ、✓馬が切符を売っている世界、✓海辺のカフカ、✓鉛筆削り、✓嘔吐1979、✓小沢征爾さんと音楽について話をする、✓おだまき酒の夜、✓女のいない男たち、✓かいつぶり、✓回転木馬のデッドヒート、かえるくん 東京を救う、✓鏡、✓風の歌を聴け、蟹、✓加納クレタ、✓彼女の町と彼女の綿羊、神の子供たちはみな踊る、✓カンガルー日和、✓騎士団長殺し、✓木野、✓牛乳、✓偶然の旅人、✓グッド・ニュース、✓月刊あしか文藝、✓構造主義、✓氷男、✓五月の海岸線、★午後の最後の芝生、国境の南、太陽の西、✓ことわざ、✓コロッケ、✓サウスベイ・ストラット、✓32歳のデイトリッパー、✓シェエラザード、✓四月のある晴れた朝に100%の女の子、七番目の男、品川猿、✓書斎奇譚、✓新聞、✓ずっと昔に国分寺にあったジャズ喫茶のための広告、✓ストッキング、✓スパゲティーの年に、✓スパナ、✓世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド、✓1963・1982年のイパネマの娘、✓1973年のピーボール、✓ゾンビ、✓大根おろし、✓タイム・マシーン、タイランド、✓高山典子さんと僕の性欲、✓タクシーに乗った男、✓タクシーに乗った吸血鬼、✓タコ、✓駄目になった王国、✓ダンス・ダンス・ダンス、✓チーズケーキのような形をしたボクの貧乏、★チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ、✓中国行きのスローボート、✓沈黙、✓使いみちのない風景、✓天井裏、✓ドーナツ化、✓ドーナツ再び、✓動物園、✓独立器官、✓どこであれそれが見つかりそうな場所で、✓図書館奇譚、★トニー滝谷、✓ドライブ・マイ・カー、✓トランプ、✓とんがり焼の盛衰、✓納屋を焼く、✓ニューヨーク炭坑の悲劇、✓ねじまき鳥クロニクル、✓眠い、✓能率のいい竹馬、✓ノルウェイの森、✓バースデイガール、✓激しい雨が降ろうとしている、✓はじめに・回転木馬のデットヒート、✓ハナレイ・ベイ、✓バンコック・サプライズ、✓ハンティング・ナイフ、✓ビール、✓飛行機、✓羊をめぐる冒険、✓人食い猫、✓日々移動する腎臓のかたちをした石、✓貧乏な叔母さんの話、✓プールサイド、✓フリオ・イグレシアス、✓ふわふわ、★蛍、✓ホルン、✓真っ赤な芥子、✓窓、蜜蜂パイ、緑色の獣、✓虫窪老人の襲撃、村上朝日堂、✓めくらやなぎ と眠る女、✓もしょもしょ、野球場、約束された場所で、✓UFOが釧路に降りる、✓夜中の汽笛についてあるいは動物の効用について、✓夜のくもざる、✓留守番電話、✓レーダーホーゼン、✓レシキントンの幽霊、✓我らの時代のフォークロア、

天才作家の妻 40年目の真実

$
0
0
自分はずっと、曲がりなりにも雑誌と書籍の編集者をしてきたので、この映画が描く「ノーベル文学賞を受賞した作家ジョゼフ・キャッスルマンの作品は、本当は妻ジョーンが代筆していたものだった」というストーリーには、経験的にちょっと受け入れがたいものがあって、すごい違和感を覚えました。

この破綻の物語の最後で、自分は妻ジョーンに「あなたはこれで本当に満足か」と問い掛けてみたいくらいでした。

かつて自分も仕事上、不意のアクシデントにそなえて使い勝手のいい「都合のいいライター」のネットワークというものを持っていました。

執筆者がなにかの事故や事情でどうしても原稿を書けなくなったときなど、その空気をたくみに読んで迅速かつ器用に穴埋めをしてくれる力強いフリーのライターたちです。

そのままページの穴埋めができなければ「始末書」か「退職願い」間違いなしの絶体絶命の状況を、彼らに何度も助けてもらいました。

傍目から見ても明らかに才能にあふれ、オフのときは寸暇を惜しんで勉強していたことも知っています、そんなふうに地道に「自分の原稿」をひそかに書き続け、発表と評価を得る機会を模索しながら、しかし、適当なチャンスにめぐまれないまま、金にあかした政治家や企業経営者の嘘八百の如何にもいかがわしい半生記を請け負ったり、舌も脳も十分に廻らない痴呆タレントの支離滅裂なうわ言を口述筆記して、ちゃんとしたコメントにでっちあげるなど、生活のためとはいえ赤の他人の原稿を代わって執筆するという不毛な仕事に耐えることができるのも、片方で、自分の原稿をひそかに書き続け「自分だけの世界」に誇りを持って、そうやってバランスをとっていたからだと思います。

しかし、この映画「天才作家の妻 40年目の真実」における妻ジョーンは、そうではありません。

夫の小説を代筆したそもそもの発端というのは、「私のことを捨てないで」の代償行為にすぎないし、その小説のテーマ(内容)というのも、「夫に浮気されて苦しむ妻」を描いたそのまんまの私小説らしいので、そりゃあ、ゴシップのネタを求めて付きまとう芸能記者ふうのクリスチャン・スレイターならずとも、その作品が夫のオリジナルなんかではなくて、妻の代筆を疑うのも容易に想像でき、邪推(というか「図星」だったのですが)を受けるのも無理からぬところだったと思います。

そしてラスト、アメリカへと帰国する飛行機のなかで、妻は記者クリスチャン・スレイターにきっぱりと宣言しています。

「あなたの憶測は事実ではないわ。これ以上、夫の名誉を傷つけることがあれば、訴訟を起こしますからね」と。

そして、さらに、隣に座っている息子に向かって「家に帰ったら、姉さんも呼んで、本当のことを話してあげる」とも言っているのですから、自分の代筆は世間に公表しないまま、家族にだけは「真実」を告白しようしているらしいことが分かります。

しかし、ここで守られようとしている「夫の名誉」とはなんなのか、まったく首を傾げざるを得ません。

このラストのメッセージを素直に受け取れば、偽ものと真実の見分けがつかないまま、イカサマ野郎に晴れがましい賞を与えて澄まし込んでいる間抜けな「財団」と「世間さま」を家族でひそかに嘲笑しようと企んでいるわけで、その「悪意」たるや、相当なものと受け取らないわけにはいきません。

それはまるで、愛情を人質にされた夫からさんざんに利用され、そのうえ浮気もされて、それをネタにした小説の苦痛の代筆にさえあまんじた妻の屈辱と積年の恨みを、「真実」を告白して家族を味方につけ、復讐するみたいにウサを晴らそうと、家族中で夫=父の裏切りの生涯とブザマな「虚名」を暴き、唾を吐きかけ、徹底的に貶め嘲笑し、加えてイカサマ野郎を崇め立てた無知無能な「財団」と「世間さま」ともどもその愚劣と無定見ぶりを嘲笑しようというしたたかな「悪意」をさえ感じてしまわないわけにはいきません。

まるで妻の鬱憤晴らしみたいにこの世界や「ノーベル賞」をどのように嘲けようと、しかし、彼女が苦痛のなかで書き続けた自身の作品をどのように考えたのかが、このストーリーからでは終始不明でした、そんなふうに夫の虚名とともに、自身のそれら作品も葬ってしまっていいのか、もし自身の作品をそんなふうに諦められるその程度の価値しか持っていなかったとしたら、彼女の誇りは、いったいどこにあるのだと考えてしまいました。

自分の才能や作品を守るためなら、あえて離婚も辞さず、生涯独身を貫き通して孤独に「書き続けること」を覚悟・選択した多くの孤軍奮闘のライターを知っているだけに、血を吐くようにして書いた自身の作品をあのようにあっさりと放棄できてしまう妻ジョーンのこの素っ気無さはリアリティを欠き、かえって不気味で不潔なものとしか映りませんでした。

夫の愛を繋ぎ止めるために自分の名も作品も棄てて夫に献身を捧げる文学少女の話など残念ながら自分はいままで聞いたことがありません。逆のケースなら大いにありますが。

このような掘り下げの欠いた「妻ジョーン」像への嫌悪を募らせていくにつれて、ここで一方的に「悪者」にされている無能な夫ジョゼフへの同情が湧いてきました。

そもそも家族から嘲笑されなければならなかったほどの彼のその「無能」とは、いったいどういった種類のものだったのか、妻ジョーンの不可解な「潔さ」よりも一層興味をそそられました。

若き日の夫ジョゼフの原稿を読んで妻ジョーンは顔を曇らせ「描写がなってないわ」と批評したうえで「ストーリーは面白いんだけどね」と言います。

もちろん「描写がなってない」は、小説としての全否定ですし、それができてない以上、彼は作家としても根底から「無能だ」と面罵されたと同じなので、それが真実を突いているだけに侮辱されたと夫ジョゼフが激怒するのも無理はありません。激昂するしか、無能な彼にはなにひとつできなかったとも言えるくらいです。そして、この出来事からこの倒錯の物語のすべてが始まるわけですが、実は、後半になるにつれて徐々に失望を余儀なくされることになるこの映画で、唯一興味を引かれたというのが、この「出来事」の部分でした。

自分のつたない想像にすぎませんが、たぶん編集の仕事に従事する者の多くが、この「ストーリーは面白いのにね」という妄想家のタイプで、内心では誰もが「これでオレに描写力さえあれば、小説家にだってなれるのに」と考えながら、編集の仕事にあまんじているような気がします。なので、この夫ジョゼフには最初から並々ならぬ思い入れがあったのかもしれません。「オレも同じだ」みたいな。

芸術的価値は十分に理解できるのに、その表現者には決してなることのできない単なる理解者、それをシンパサイザーという意味で、芸術の周りをうろつく「周辺者」とでもいえるかもしれません。

そんな感じの「周辺者」ということを意識していたときに、またまた角田光代の小説を読んでいて、気持ちにぴったりと寄り添うようなクダリに遭遇しました。

ちょっと紹介してみますね。

《あの男の子は本当にこのアーティストが好きだったんだな、と苑子は思った。本気で、体の全部で好きだったんだな。彼に憧れ、彼の才能を賛美し、彼の持つ力にひれ伏し、そうすればそうするほど、自分の凡庸さが許せなくなる。あのとき25歳だったあの男の子は、自分の凡庸さを壊すのに必死だったんだろう。ただ酒を飲むために、知りもしない花見客に混じること。そこで知り合った女の子とその日のうちに寝ること。野良猫のようにその子の家に居着くこと。ふらりといなくなること。「どうしようもない男だ」と思わせること。そんなようなことに、懸命に、きまじめに、必死に心を砕いていたんだろう。非凡な誰かになるために。まじめで平凡で平和な、大嫌いな自分から少しでも遠く逃げるために。あの男の子は、このアーティストの作品に出会わなければ、もっと自由に生きていただろう。スーツを着ることも着ないことも、凡庸な恋愛をすることもしないことも、平凡な一日を送ることも送らないことも、もっと自由に選べただろう。》(角田光代「くまちゃん」新潮社刊2009.3.30)

「見る」ことはできても、みずからは決して「表現する」ことのできない「周辺者」の苦しい立ち居地を痛切に表現し得た優れた一節だと、ちょっと感動したのだと思います。

文学を愛しながら、しかし、自分はなにひとつ生み出すことのできない凡庸な男・夫ジョゼフは、若い女を誘惑する口説き文句として決まって繰り返す文学作品かららしき引用の一節があります(口説かれた娘は「素敵、それはあなたの作品なの」と問い、「いや、引用だ」と答えています)、ナンパするためにうろ覚えの名作の一節を恥ずかしげもなく繰り返し口にするという、文学周辺者の風上にも置けないこれが、この無能な老人の臆面もない軽薄さと俗悪さを一層際立たせる描写ともなっているのですが、実はこの部分の文章の詳細は、オンデマンド放送を再び見直して、あとで確認すればいいかと簡単にやり過ごしたのちに、この映画がオンデマンドのリストに入ってないことを知って慌てました。

しかし、全体は思い出せないながらも、すこしだけのヒントなら残っています。

なにやら最後の言葉は

「この世の最期がくるまで、雪は音もなくひそやかに、生ける者にも、死せる者にも平等に降り注ぐ」

みたいな感じだったと思います。

これ、どこかで聞いた覚えがあります。

「雪は音もなくひそやかに、生ける者にも、死せる者にも平等に降り注ぐ」

小さな声に出してしばらく繰り返しているうちに、突然思い出しました。

これは、ジョン・ヒューストン監督の名作「ザ・デッド/『ダブリン市民』より」1988のラストで重厚に読み上げられていたあの一節じゃないですか。

そうそう、自分もこの作品の感想をブログに書き込んだ記憶もあります。

さっそく検索して、ありました、ありました、当時、自分も余程感銘を受けたものらしくこの一節をまるごと転写していましたので、以下に貼っておきますね。

あ、それからこれは余談ですが、思いついて岩波文庫版のジェイムス・ジョイス「ダブリンの市民」(結城英雄訳)を引っ張り出して該当箇所と照合してみたら、映画とはまったく異なるのでちょっと意外でした。むしろその方が当然なのかもしれませんが。

念のため、このさらに下に岩波文庫版のものも貼っておきますが、こうして比較すると、映画スーパーの要約が、いかに格調高く要約されていたかがよく分かります。

自分ではなにひとつ生み出すことのできなかった無能な周辺者=夫ジョゼフが、たとえ、わが著作(実は妻が代作)の登場人物の名前を失念して言い間違え、冷笑されたとしても、ジョイスの名文は、まるで呪いのように脳裏に刻印されていて、それを女を口説くための決め言葉としてしか活用できなかった哀しい凡庸さと愚劣さのなかで生き延びる絶望と孤独に自分はむしろ限りない親しみを覚えたのだと思います。

《夫婦とは、いったい何なのだろう。
私は妻の人生のなかで、なにを演じてきたのだ。
むかしの君の美しさを知らないけれども、きっと君は美しかったに違いない。
しかし、時を経たいま、もはや君はマイケルが思い焦がれた美しい少女ではない。
過ぎ去った時を取り戻すことはできない。
なぜこんなにも心が乱れるのだ。
なにが原因なのか。
馬車で君は私の手のキスに応えなかったからか。
パーティーでの下手な私のスピーチに腹を立てたのか。
それともワイン、ダンス、音楽か。
おお哀れなジュリア。
「婚礼のために」を歌ったときのあの老いた悲しみの表情。
彼女も祖父や馬のように、やがてこの世の亡霊となるのか。
私は喪服を着てあの客間に座り、日よけが降りたなか、弔辞の言葉を考えるだろう。
しかし、すべては、無意味なたわ言でしかないだろう。
そう、その日は、きっと間近なのだ。
新聞の予報は正しかった。
アイルランドを雪が覆っていく。
雪は暗い中央の平野にも、樹木のない丘にも、アラン島の沼にも降り続ける。
そのむこう、西の彼方にも音もなく雪は降り注ぐ。
暗く渦巻くシャノン川の流れにも雪が降る。
人は皆いずれ亡霊になるであろう。
むなしく年老いて死ぬより、せめて情熱を抱きながらあの世へ旅立ちたい。
絶望し死を望んだほどの彼の思い出と哀しみの囚われから、できることなら君を解放してあげたい。
誰かのことを生涯をとおして強く思い続けることが、本当の愛というものなのだろうか。
この世の始めから今まで、多くの人がこの世で生き死んで行ったように、私もいずれこの世を離れ、やがては彼らのように灰色の世界へと旅立つだろう。
この世にあって私とともに生きた人々が消え去り、やがてはこの世界自体もいつか衰えて消え去っていく。
雪は降り続ける。
マイケルが葬られたあの寂しげな墓地にも、雪は音もなくひそやかに、宇宙から降り注ぐ、この世の最期がくるまで、生ける者にも、死せる者にも平等に。》
ジョン・ヒューストン監督「ザ・デッド/『ダブリン市民』より」



《彼女はぐっすり眠っていた。
ゲイブリエルは片肘を突き、怒りを覚えることもなく、妻のもつれた髪や半ば開いた口を見つめ、そして深く吸い込む寝息に耳を澄ませた。なるほど、妻の人生にもそんな恋があったわけだ。一人の男がこの女のために死んだのか。自分が夫として、この女の人生の中で実につまらぬ役割を果たしてきたと考えても、もはや心が痛むこともなかった。彼は寝ている妻を見つめた。二人がこれまで夫婦として一緒に暮らしたことがなかったかのように。彼の好奇心に満ちた目が妻の顔と髪に長らく注がれていた。そして当時、まだうら若い美しい娘のころ、妻がどんな様子であったかを考えてみると、不思議なやさしい憐れみが心に湧いてきた。この顔がもはや美しくないとは、自分自身にだって言うつもりはない。だが、これはマイケル・フュアリーが死を賭けたときの顔ではもはやあるまい。
おそらく妻は物語の一部始終を話してはいないだろう。彼の目は妻が脱ぎ捨てた衣類が載っている椅子へと向かった。ペチコートの紐が床に垂れ下がっている。深靴の片方が上を向いているが、上の柔らかい部分が曲がっている。もう片方は倒れて横になっている。一時間前の動揺が不思議に思える。何が発端であんなことになったのだろう。叔母の家の夕食から、自分の愚かしいスピーチから、ワインや踊りから、玄関でさようならの挨拶を交わしているときの浮かれ騒ぎから、雪の中を川沿いに歩いた楽しさからだ。かわいそうなジューリア叔母さん! しばらくすれば叔母さんも影になり、パトリック・モーカンや彼の馬の影と一緒になるだろう。「婚礼のために装いて」を歌っているあいだに、一瞬、あの顔にやつれた表情を見せた。しばらくすれば、自分はあの同じ居間に、喪服を着て、膝にシルク・ハットを載せてすわることになるだろう。ブラインドが降ろされ、ケイト叔母さんが横にすわり、泣き声を上げたり鼻をかんだりしながら、ジューリア叔母さんの最期の様子を語っていることだろう。自分は叔母さんを慰める言葉を心の中で探し求め、結局はぎこちなくて役に立たない言葉しか見つけられないだろう。そうとも、そうとも。こうしたことが近いうちに起こるだろう。
部屋の空気が彼の肩を冷やした。彼はシーツの下にそっと身を伸ばし、妻の隣に身を横たえた。一人ずつみんなが影になってゆく。年をとって惨めに老いさらばえ、消え失せてゆくよりも、情熱の絶頂にあるときにあの世へと大胆に入るほうがましではないか。自分の傍らに横たわる女は、何年もの間、もう生きていたくないと語った恋人の目のイメージを、どんなふうに心のうちに閉じ込めていたのだろう。
寛容の涙がゲイブリエルの目にあふれた。自分自身、これまでどんな女にもこのような感情を持ったことがなかった。だが、このような感情が愛に違いないことはわかる。涙は目の中でさらにあふれ、自分が片隅の暗がりの中で若い男の姿が雨の雫の滴る木の下に立っている情景を目にしている、と想像してみる。他の者の姿も近くにある。自分の魂は大勢の死者たちの群がるあの領域に近づいている。その気まぐれに揺らめいている存在を意識したが、それを理解することはできない。自分の正体も灰色の得体の知れない世界に消え失せていこうとしている。これらの死者たちがかつて築きあげ、暮らしていた堅固な世界そのものが、溶けて縮んでいく。
窓ガラスを軽くたたく音が二、三度聞こえ、彼は窓のほうへ目をやった。ふたたび雪が降り出していた。彼は眠そうな眼ざしで銀や黒の雪片が街灯の明かりを背景にして斜めに降るのを眺めた。自分も西への旅に出る時が来た。まさしく、新聞のとおりだ。雪はアイルランドじゅうに降っている。暗い中央平原の各地にも、木の生えていない丘陵にも降り、アレンの沼地にもやさしく降り、さらに西では、暗く騒ぎ立てるシャノン川の波にもやさしく降っている。またマイケル・フュアリーが埋葬されている、丘の上のさびしい教会墓地の至る所にも降っている。歪んだ十字架や墓石の上に、小さな門の槍の先にも、不毛な茨の上にも厚く降り積もっている。彼の魂はゆっくりと知覚を失っていった。雪が宇宙にかすかに降っている音が聞こえる。最後の時の到来のように、生者たちと死者たちすべての上に降っている、かすかな音が聞こえる。》
ジェイムス・ジョイス「ダブリンの市民」(結城英雄訳)岩波文庫版2004.2.17.1刷


(2017スウェーデン、米、英)監督・ビョルン・ルンゲ、原作・メグ・ウォリッツァー、脚本・ジェーン・アンダーソン、撮影・ウルフ・ブラントース、製作・ロザリー・スウェドリン、ミタ・ルイーズ・フォルデイガー、クローディア・ブリュームフーバー、ジョー・バムフォード、ピアース・テンペスト、製作総指揮・ジェーン・アンダーソン、ビョルン・ルンゲ、ゲロ・バウクネット、ニナ・ビスゴード、マーク・クーパー、フローリアン・ダーゲル、トマス・エスキルソン、ヨン・マンケル、ガード・シェパーズ、美術・マーク・リーズ、衣装・トリシャ・ビガー、編集・レーナ・ルンゲ、音楽・ジョスリン・プーク、原題:The Wife
出演・グレン・クローズ(ジョーン・キャッスルマン)、ジョナサン・プライス(ジョゼフ・キャッスルマン)、クリスチャン・スレイター(ナサニエル・ボーン)、マックス・アイアンズ(デビッド・キャッスルマン)、ハリー・ロイド(若い頃のジョゼフ・キャッスルマン)、アニー・スターク(若い頃のジョーン・キャッスルマン)、エリザベス・マクガバン

新藤兼人の死生観

$
0
0
あっという間に新型コロナウイルスが世界に拡散蔓延し、いまや世界は感染の恐怖にさらされています、東京もますます感染者数に拍車がかかり、その間、少しでも経済活動を継続したい政府対応は明らかに滞り、遅ればせながら先日やっと東京を含めた七都市に対して緊急事態宣言を発出したものの、その内容たるや「極力外出しないように」という程度のユルユルの規制で(人は遊興を求めて規制の無い隣接県へ流れているのが現実で、こんな前提を欠いたダダモレのクラスター調査など無力化するのは明らかです)「そんなことで大丈夫か」と危惧している次第です。

しかし、そんななかでも一際目立ったのは、この状況に対応した愛知県知事の一連の醜態ぶりでした、直前に、独特の偏屈さと愚鈍さを示しながら国の指摘に対して、失礼だとかなんとかのポーズだけのみえみえの憤りをとりつくろい、まるで言いがかりでもつけるかような難癖をつけ(それもみえすいた「演技」なのは、誰が見ても明らかな偽善ぶりでした)、その負け惜しみと開き直りの引っ込みがつかなくなったために大都市・名古屋だけが唯一指定から除外されて(それもこれもすべては本人が掘った墓穴です)、その自らの失態にブザマに大慌して遅ればせながら、たぶん県や議会から突き上げでも食らったのでしょう、恥ずかしげも無くまたまた記者会見で開き直って嘯いていました。あれって、どういう恥知らずな神経をしているのか理解に苦しむとともに、思わず失笑してしまいました。

大都市の首長として、公人として、まずは求められて当然の、しかるべき「公正さ」が深刻なレベルで欠落していて、どう見てもまともな人間とは思えません。

こんな小物の、どこの国を向いて行政を行なっているのか理解に苦しむような愚劣な首長に命運を握られている愛知県民こそいい災難です。いまさら特措法緊急事態宣言の対象地域に加えてくれとか独自の対策を施行するなどとその場しのぎの適当なホラをふいて県民を欺き自ら招いた苦境を姑息にやり過ごそうとしていますが、去年のあの愚劣な展示会対応を記憶に刷り込まれている一般常識人からすると、その売国奴のような無恥蒙昧さには心底あきれ返ります、そんな茶番のあいだにも死者がどんどん出ている逼迫した状況にあるのに自分の感情だけで時間を空費し公金を費消し、多くの県民の生命を失っていること自体、犯罪行為に等しい悪行と言わざるを得ません。

この大村に比べたら、低能を恥じてひたすらに沈黙を守り、側近の県幹部が書いたと思しき原稿を大仰な演技で棒読みしている無策で哀れなタレントくずれの金勘定に長けた我欲のカタマリの森田知事の「無能さ」のほうが、まだしも可愛げがあり好感がもてるというものです。

しかし、いずれにしても中国や欧米に比べると徹底を欠いたずいぶん緩い規制なので(その理由というのが、日本の現状が欧米ほどひどくないというだけの頼りないものです、ついこのあいだ、その油断こそが初動段階で出遅れて痛い目にあったという教訓があるのに、です)、こんなことで本当に大丈夫か、この感染が抑えられて落ち着く方向に向かうことができるのかという不安は限りなく拭いがたいものがあります。

そんなこんなで不安でたまらない日常を家に閉じこもって過ごしているのですが、こうしてただじっと息を潜めている状態にも、やっぱり限界というものも当然あります。

いずれにしても都市機能と医療体制を維持するという意味では、この辺の「緩さ」加減がぎりぎりのところですよね、まさか中国や韓国のように人民大会や選挙を意識して政治的圧力をかけ死者数を捏造・改ざんしてまで誤魔化して嘘八百で通すわけにもいきません(最近はそろそろ改ざんを持続していることに怖くなったのか、隠し通す限界を感じ始めたのか陰性が再び陽性に転じたなどという禁じ手をだして辻褄を合わせようとしています)、それにまた規制を守らない「不要外出者=不届き者」を片っ端から警防で叩きのめすとか(インド)、罹患した家の扉を外から釘付けして見殺しにして夜陰に乗じてひそかに罹患者を焼き殺すとか(北朝鮮)なんてわけにもいきませんので、この「強制力なきお願い」程度が、自由社会・日本においては、行政が為し得るせいぜいギリギリなところなのかなと納得するしかありません。

印象として、こんなぎりぎりまで他国(中国・習近平の来日問題や春節一陣の観光客の入国を許したあたり)や自国内抵抗勢力にまで気を使い遠慮して緊急事態宣言(あるいは、インバウンド効果のご利益を惜しむ拝金主義圧力を抑えていち早く国を閉ざす措置)を先送りにすることはなかったのではないか、という「遅きに失した」印象はやっぱりあったと思います。

日本に限らず、祖先の遺産(観光名所)にすがり、観光でやってくる中国人の落としていく金をひたすら期待し頼りにしていた観光立国を標榜していた欧州の国々(イタリア、スペイン、フランス)が、その「金」とともにもたらされた「菌」をも無抵抗に受け入れざるおえず、感染の多大なダメージを無抵抗に受けてしまったという凄惨な皮肉を目の当たりにしている感じです。

日本にあっても対策の初動が遅れた一因としての「国内の抵抗勢力」というところがありました、考えてみれば、なにしろ彼らは、あの震災前に「仕分け」とかのポーズばかりの中味の無い見せかけだけの「愚民政策」で翻弄し、結句、国民の命を危機にさらしたうえに、多大な犠牲者をだして無辜の国民に害をもたらした刑事罰に相当する悪行・前科のあるあのテアイでしかありません、いわば単なる脆弱な「テイ脳勢力」にすぎないのですから、なにもそこまで配慮することもなかったのです。

しかもまた、そもそも生命を託さなければならない「医療体制」というのも、報ぜられた慶応病院のセンセイ方の酒池肉林の爛れたソドムとか、その乱交の隠蔽工作に走った愚劣きわまる報道を読んだりすると、自分たちがこんなヤツラに命を託さなければならないのかと思うと虫唾が走り、恥を知れとの怒りを通り越して、なんだかやりきれない脱力感におそわれ、苦笑・嘲笑・冷笑・憐笑・哄笑など、いずれにしてもやけっぱちの気分で「どうともなれ」という捨て鉢な「篭城」の日々を送っているという現状です。

こんなふうに終日、家にこもって不気味に広がる感染報道やいかがわしい慶応病院スキャンダルをテレビやパソコンで見せ付けられ、翻弄されているこの状況は、どうにも不健康で気が滅入ってしまいました。

こんなことではいけないと、ここはひとつ気を取り直して、外の空気を吸うために散歩がてら、久しぶりに近所の図書館にでも出かけてみようかと思い、家を出ました、しかし、いざ図書館に行ってみると、5月6日まで休館という告知が張り出されていました。

そうか、そうだよな、わが町の図書館がいかに小ぶりといえども、それでも人が蝟集する公共施設には変わりありません、感染恐怖のご時世を考えてみれば当然の話です、小さくて、それに来館者ときたら老人ばかりときていますので、ここだって例の「三密」のサイたる場所といえるわけで、もしひとりでも感染者がいたら、なにしろ老人集団です、バタバタっと全員一発で逝ってしまうのは火を見るよりも明らかです、これは迂闊でした。

しかし、とはいえ、このまま家に戻るのもなんだか業腹です、第一もったいない、せっかくこうして外に出てきたのですから、もう少し足を伸ばして、そうそう、この先にある古書店をのぞきにいくことにしました。

一応その店はbook and caféと銘うっていて、軽食やコーヒーも飲める店内は、壁一面に書棚がすえつけられていて、かなり硬派な書籍もずらっと揃っているので、実はかねてからじっくり腰をすえて見てみたいという気持ちでいたのですが、店内に飲食をしているお客さんがいたりするとやっぱり気恥ずかしくて(これで結構、来店者というのが途切れないのです)本を物色するためだけに店内に入るというのには気後れを感じてしまい、結局、自分などはもっぱら店頭の廉価ワゴンをうろつき、50円から300円までの均一本をおずおずと物色するだけで帰ってくるというのが、もっぱらの習慣です。

しかし、廉価本といえども侮るなかれです、自分はここで結構な掘り出し物をみつけました。

たとえば、「吉本隆明全著作集」(勁草書房)の第1巻「定本詩集」、第4巻「文学論Ⅰ」、第13巻「政治思想評論集」などをこの廉価ワゴンからゲットしました。この分なら、そのうちこの廉価で全巻そろってしまうのではないかと密かに期待し、そのセコイ想いが日常的なチェックの情熱を下支えしているのかもしれません。

それだけでなく、そのほかにも今ではなかなか手に入りにくい名著をこのワゴンで10冊ほど手に入れました。

さて、古書店の前から中をうかがうと、そのときもお客さんが数人いて、店長となにやら談笑している姿が見えましたので、やはり中に入ることは諦めて、今回もまた例によって散歩がてら何気なく立ち寄り廉価ワゴンの本をのぞくという特性を欠いた通行人を装うことになりました。

そうそう、週に幾度か通りすがりに見ているうちに気がついたことですが、このワゴンは本を詰め込んだままの状態で店内かと店外を朝夕ただ移動しているだけで、ワゴンのラインナップというのは、それ自体よほどのことがない限り変わらないみたいなのです、つまり、一冊売れれば、その減った一冊分のささやかな空間に新たな一冊を補充する、そもそも基本、変更というものは滅多にないワゴン・ラインナップのその法則性と恒常性に気づいたとき、そういうことなら、ただその補充本の「位置」をチェックればいいのだと天啓のように「物色の要領」を習得し、簡潔にして要を得た目配りのポイントというものを獲得しました。まあ、あえていえば「100円ポイント」といったところでしょうか。

そのポイントに位置した本(その日の新顔、でした)が目を引きました。

書名は「生きるための死に方」とあり、もちろんこの意味深な書名にまず目を留めたことは確かですが(見えない恐怖としての「死」をいまほど身近に感じたことは、いままでなかったなと切実に思います)、しかし、それよりもさらに目を引いたのは編者として左上隅に記された「新潮45 編」の四文字でした。

月刊誌「新潮45」の廃刊にいたるスキャンダルは、つい最近の記憶としていまだ鮮明に残っています。それはまさに「問題」とか「事件」と呼ぶにふさわしく社会問題化されて、いまでも「継続」している問題です、しかも、非難を浴びたこの廃刊によって、むしろ逆教師的にLGBTが社会的に認知される切っ掛けをつくったのではないかという印象さえあるくらいです。

しかし、なおいまでも事態は流動的に変転していて、だからなおさら生々しくて完結感はなく、廃刊にいたる経緯を追い掛けるなど、あまりに「近すぎて」まったく意欲がわきません、ただひとつ、かつて編集者の経験のあった自分の印象からいえば、月刊誌「新潮45」の凋落は、発行部数減少の焦りから決して開けてはならないパンドラの函を開けてしまった感があります。

発行部数増を至上のものと捉え(まさかそれを世間の支持の証しなどとすり替えて考えたとは思いませんが)、ひたすら部数を伸ばすことが善、それこそが月刊誌に課された善なる社会実現と位置づけて、部数の伸びるネタ「スキャンダル」や「挑発」をひたすら追い求めた結果、結局は「雑誌」自体を貶め、だから編集者としての自分もどんどん貶めていくことにつながって、世間の歓心を買う悪スパイラルから抜けられなくなって、ついに追い詰められ、火達磨になって破滅しなければならなかったのではないかと。

さて、古書店で手にしたこの「生きるための死に方」の帯には、こんなコピーが記されていました。

《「その日」のために私たちは、どう生きればいいのか、各界の識者が語る死生観。いま、私たちに必要な準備とは?  各界の識者42人が綴る様々な死生観。月刊誌「新潮45」好評掲載のアンソロジー》

なるほど、なるほど、42人の有識者が、来るべき自身の死をどう考えるか、月刊誌「新潮45」に連載したものを書籍化したものらしいのです。

掲載された期間は
昭和63年3、4、6、7、9、10月号「特集・死ぬための生き方」
昭和63年8月号「特集・自分にとって死はないという切札」
平成元年1月号「特集・自分の死を悲劇にしないために」

これらをとりまとめて書籍化した発行年月日が、平成元年6月20日ということですから、最初から書籍化を考慮したうえでの連載だったことがわかりますが、「特集」で謳われたコピーが微妙にぶれているのが気になります。「死ぬための生き方」(死から目を逸らさないで生を充実させようという意識)に対して「自分にとって死はないという切札」(死などに捉われず生ある今の一瞬を大切に生きろ)は、ニュアンス的にはかなり隔たりがあると思うし、「自分の死を悲劇にしないために」に至っては消極的な相当な後退感を禁じえません。ちなみに本文の頁数は254頁、ハードカバーの上品な装丁で定価1150円(本体1117円)と記されています。その丁寧なつくりからすると、かなりお得感のある本だとおもいました。やはり、最初から部数を見越せる名の通った大手の出版社は、やることが違います。

だから、ことさら、こういう本が100円で買えてしまえるのかと思うと(仮に「買う」としての話ですが)、なんだか申し訳のない気が強くなります。

しかし、いずれにしても、この「自分の死をどう考えるか」の特集、ありそうでなかなかない、あるいは、できない斬新な企画かもしれません。だって、あえて「死」について書いてもいいと思う人って、ごく限られているのではないかと自分ではつい思ってしまうからですが(縁起でもないと依頼を忌避する人も多分かなりいるのではと)、それを42人もの有識者を集めたというのですから、それだけでもすごい数字だなと、まずは感心しながら、表紙に羅列された執筆者をながめていたら、そこに新藤兼人と高峰秀子の名前をみつけました、反射的に思わず手にとってしまったというわけです。

映画人の名前を見ると思わず反応してしまうのが習い性になっています。読みたい記事の対象者がただの二人にすぎないなら立ち読みで十分と思い、当初はこの本を買う気などまったくありませんでした。

まずは高峰秀子の随想から読んでみることにしました。

タイトルは「死んでたまるか」、いいですねえ、他人や社会に流されないリアリストとしての、いかにも高峰秀子らしいタイトルじゃないですか、ここに掲載されている他の「42人の有識者」(高峰秀子を除くと「その他」は41人ということになります)の随想を読むと分かるのですが、多くの識者は依頼されたお題の「死」に関するエピソードを自分の人生の越し方行く末に探し求め、あるいは、必死になってあれこれと、事象としての「死」を理解しようと解釈するばかりで、結局は「死の恐怖」の前にたじろぎ、立ちすくみ、思考停止の自動停止装置に翻弄された挙句に一歩も前に進めなくなるというテイタラクな随想ばかりなのを思えば、高峰秀子はそのタイトルが示すとおりすこぶる小気味いい「一蹴する」姿勢に貫かれていて、信じられるものは、いままで自分が生きてきたこと、そのなかで自分が信用できると確信したもの、それだけしか信じないぞという孤高にして清冽な姿勢が、日本映画史に輝かしい足跡を刻印したこの稀有な女優の、その賞賛が作り上げる虚像にさえ溺れることも毒されることもなかった強烈な「人間性」を示していると感じました。

この随想「死んでたまるか」を読むと分かるのですが、ここに書かれているものは、あくまでも「現在の生活」(来るべき老後に備え、いまより少し小さな家に移転しようという顛末を書いたささやかなリアリズム随想です)であって、そのほかの自ら積み上げてきた過去の「燦然たる虚業」だとか、ありもしない「来世」(死後)のことなどには些かも一切触れることなく、終始「潔い一蹴」の姿勢に貫かれているのが一種爽快でさえありました。

そして、その「らしさを貫く」という観点からいうと、新藤兼人の随想「遺言状を書く必要が無かった人」の方こそ、さらにその「一蹴性」は徹底しているという印象を持ちました。

わずか6頁しかないこの随筆で触れられている人物といえば、田中絹代、溝口健二、小津安二郎、そして宇野重吉の4人のそれぞれの死に様(病名とその最期の様子)が描かれています。

宇野重吉の項は便宜上割愛するとして、その他を要約してみると、以下のとおりです。

【田中絹代】
昭和52年3月21日、脳腫瘍のため順天堂病院で死去、67歳。この一世を風靡した大女優に遺言状はなかった。脳腫瘍のため最後は盲目となり、それでも側近には「目が見えなくとも、やれる役があるだろうか」ともらしていた。死後のことは考えなかった。生きている間のことしかあたまになかった。目が見えなくなったことが恐怖だった。17歳でスターの座にのぼり、松竹を背負って立つほどの大スターになったが、ぼつぼつ人気が下がりかけた30歳のとき、溝口健二に出会って演技開眼した。溝口・絹代コンビが残した「西鶴一代女」「山椒大夫」「雨月物語」は人のよく知るところである。
溝口の死後、20年も生きた絹代は、年をとるとともに厳しい道を歩むことになる。スターの条件は若さである。目じりにしわが寄り頬がたるんでくると大衆は目をそむける。老け役しか廻ってこない。それでも昔日の栄光を背負って生きなければならない。
絹代が死の床に横たわったときは無一物であった。いったんスターの座にのぼったものはスターの座を失ってからも、スターのプライドは捨てきれない。華やかだった幻影を捨てることができないのだ。いつかまた、王座を取り戻せそうな気がする。日常の穏やかな雰囲気に静にひたる心境になれない。スターとは非人間的な存在なのである。
仕事がしたい、もう一度ライトを真っ向から浴びたい。自分というものが無くなったらおしまいなのだ、あとのことなど考えられない。だから絹代は遺言など書く必要が無かった。
そして、新藤兼人は、「溝口健二は絹代に執着することによって生涯最高の仕事をした。」と記し、話を溝口健二につなげます。
(このクダリを読んでいて、ふっと湧いた妄想ですが、この一文を「黒澤明は三船敏郎に執着することによって生涯最高の仕事をした。」と言い換えたら、ずいぶん面白い論点で小文を書けるかもしれないという妄想に囚われました。もし三船敏郎に執着して「強靭な男」を主人公に据え続けていたら、あの晩年の黒澤作品の不安定なあてどない低迷というのは、もしかしたらなかったかもしれないなという妄想がわきました。強き者もやがて老いさらばえるという屈辱と失意と絶望のテーマが延々と続くかもしれないマンネリはまぬがれないとしても、それなりのテーマの一連性は担保され作家性は発揮できたのではないかと。)

【溝口健二】
昭和31年8月24日、単核細胞白血病のため京都府立病院で死去、58歳。このクダリも「溝口健二にも遺言状はなかった。」という一文で始まっています。死の直前、「もう新涼だ。早く撮影所の諸君と仕事がしたい」と乱れ字の辞世らしきものを残したが、リアリスト溝口にはふさわしからぬ言葉だった。そんな穏やかな心境ではなかったに違いない。死の無念さを抱えて逝った。
溝口が倒れたのは、「大坂物語」という中村鴈治郎主演のシナリオを作って撮影に入る準備中だった。病床に呻吟しながらもこの撮り方ばかりを考えていた。溝口健二も田中絹代のように仕事だけに生きたのである。家庭よりも仕事であった。家庭の不幸など意に介さなかった。むしろ家庭の不幸が溝口健二をふるいたたせた観さえある。昭和16年に作った「元禄忠臣蔵」の最中に夫人が発狂してから、溝口健二の家庭は二度と元には戻らなかった。
仕事で結ばれた溝口健二と田中絹代は、男女の愛でも結ばれたが、結婚という形には至らなかった。だから死の間際には互いの魂は相寄ったとも思えるのだが、それはメロドラマに冒された勘繰りで、二人の胸に去来したものは死への無念さだけだっただろう。
そして小津監督に話は続くのですが、溝口健二と田中絹代のクダリと比べたら、ほんのわずか、だった12行の分量しかありません。最後に書かれる宇野重吉が優に2頁を占めていることを考えれば、ちょっとした違和感もないではありません。

【小津安二郎】
昭和38年12月12日、頚に癌症状の瘰癧ができ全身に転移した、医科歯科大学付属病院で死去、60歳。生涯独身。
この人も仕事ひとすじだった。頑固に自分自身に固執した。溝口健二は陋巷に埋もれた女の生態をとらえたが、小津安二郎は平凡な庶民の正義を描いた。庶民は体だけで生きて死ぬのである。カネを残しもしないし、教訓を垂れたりもしない。あるときぽつんと死ぬだけなのである。もったいぶって遺言状を書いたりはしない。
小津作品の正義は何かというと、ゆずりあいである。人を押しのけて前へ出ないという生き方、これが小津作品のすべてであった。
すぐれた映画監督に富に恵まれた人は少ない。良心的な監督は年に一本か二年に一本かである。その収入はたかが知れている。バイプレイヤーの収入にも達しない。だから残すべき財産もない。この点からいっても遺言状など書く必要はないのだ。

最後に「溝口健二も小津安二郎もそれぞれいい死に方であったと思う。」と書いて、この映画人たちの項は閉じられているのですが、それぞれが病魔に囚われ、まだまだ成し遂げられなかった「仕事」への思いを悔恨とともにこの世に残しながら無念のうちに死んでいった彼らの最期を、それでも「それぞれいい死に方であったと思う」と賞賛する新藤兼人の「らしさを貫く」を高く評価する視点から推し量ると、たぶん新藤兼人その人も、「遺言状を書く必要が無かった人」だったのだろうなと思ったのですが、この本について、ここまで書けたのは、「立ち読み」によってではなく、結局、この本を購入して家で読み直したからなのですが、なぜ購入することにしたのかという理由を、最後にちょっと書いておきますね、忘れないうちに、

この本を読んでいるうちに、こんな思いに捉われました、30年前に出版されたこの本の執筆者たち42人のうち、いったいどれだけの人が、いまも生存しているだろうか、拾い読みした高峰秀子や新藤兼人監督は、すでに故人となっているように、きっと30年という時間を経て多くの人たちはすでに亡くなっているに違いなく、うまく言えないのですが、それを個々に確認することが、なんだかその人たちを「供養」することにつながるのではないかという気持ちになりました。

自分の死生観を恐怖や焦燥や楽観や無視など、それぞれの思いを込めて熱く語ったこの執筆者たち、かつてこの本に熱い言葉を書き残した彼らもこの30年という時のどこかで既にこの世から消え去り、いま自分が読み取っている言葉や熱は、沈黙のなかに閉ざされている死者たちの「気配」でしかなく、目で活字を追うことが、なんだか死者たちの言葉に耳を傾けているような不思議な錯覚に囚われたのかもしれません。

きっと、彼らの「死の時」を確認しないままで済ませたら、あとで後悔するのではないかという思いに駆られ、結局この「生きるための死に方」という本を購入して帰りました。

とりあえず、調査にそなえて執筆者の名前だけでも書き残しておきます。もちろん、このなかには、生存されている方もおられるはずです。

芹沢光治良、高橋正雄、城夏子、石垣綾子、佐藤朔、山室静、長谷川周重、中村伸郎、飯澤匡、岡本太郎、戸川幸子、新藤兼人、榛葉英治、舟越保武、澤野久雄、青山光二、金田一春彦、大来佐武郎、梁瀬次郎、柴田南雄、秋山ちえ子、福田定良、伊藤桂一、古山高麗雄、阿川弘之、高峰秀子、高田好胤、菊村到、樋口廣太郎、三浦朱門、神崎倫一、諸井虔、河合隼雄、上坂冬子、笹沢左保、諸井薫、後藤明生、佐江衆一、下重暁子、ひろさちや、清水邦夫、浦野純子、


まあとにくか、この新型コロナウイルス感染が、一刻の早く終息することを祈ってやみません、月並みですが切実です。


弱者の糧

$
0
0
さて問題です。
下記小説の原作者は誰でしょう?
回答は末尾にあります。



映画を好む人には、弱虫が多い。私にしても、心の弱っている時に、ふらと映画館に吸い込まれる。心の猛っている時には、映画なぞ見向きもしない。時間が惜しい。

何をしても不安でならぬ時には、映画館へ飛び込むと、少しホッとする。真暗いので、どんなに助かるかわからない。誰も自分に注意しない。映画館の一隅に坐っている数刻だけは、全く世間と離れている。あんな、いいところは無い。

私は、たいていの映画に泣かされる。必ず泣く、といっても過言では無い。愚作だの、傑作だのと、そんな批判の余裕を持った事が無い。観衆と共に、げらげら笑い、観衆と共に泣くのである。五年前、千葉県船橋の映画館で「新佐渡情話」という時代劇を見たが、ひどく泣いた。翌る朝、目がさめて、その映画を思い出したら、嗚咽が出た。黒川弥太郎、酒井米子、花井蘭子などの芝居であった。翌る朝、思い出して、また泣いたというのは、流石に、この映画一つだけである。どうせ、批評家に言わせると、大愚作なのだろうが、私は前後不覚に泣いたのである。あれは、よかった。なんという監督の作品だか、一切わからないけれども、あの作品の監督には、今でもお礼を言いたい気持がある。

私は、映画を、ばかにしているのかも知れない。芸術だとは思っていない。おしるこだと思っている。けれども人は、芸術よりも、おしるこに感謝したい時がある。そんな時は、ずいぶん多い。

やはり五年前、船橋に住んでいた頃の事であるが、くるしまぎれに市川まで、何のあてもなく出かけていって、それから懐中の本を売り、そのお金で映画を見た。「兄いもうと」というのを、やっていた。この時も、ひどく泣いた。おもんの泣きながらの抗議が、たまらなく悲しかった。私は大きな声を挙げて泣いた。たまらなくなって便所へ逃げて行った。あれも、よかった。

私は外国映画は、余り好まない。会話が、少しもわからず、さりとて、あの画面の隅にちょいちょい出没する文章を一々読みとる事も至難である。私には、文章をゆっくり調べて読む癖があるので、とても読み切れない。実に、疲れるのである。それに私は、近眼のくせに眼鏡をかけていないので、よほど前の席に坐らないと、何も読めない。

私が映画館へ行く時は、よっぽど疲れている時である。心の弱っている時である。敗れてしまった時である。真っ暗いところに、こっそり坐って、誰にも顔を見られない。少し、ホッとするのである。そんな時だから、どんな映画でも、骨身にしみる。

日本の映画は、そんな敗者の心を目標にして作られているのではないかとさえ思われる。野望を捨てよ。小さい、つつましい家庭にこそ仕合せがありますよ。お金持ちには、お金持ちの暗い不幸があるのです。あきらめなさい。と教えている。世の敗者たるもの、この優しい慰めに接して、泣かじと欲するも得ざる也。いい事だか、悪い事だか、私にもわからない。

観衆たるの資格。第一に無邪気でなければいけない。荒唐無稽を信じなければいけない。大河内伝次郎は、必ず試合に勝たなければいけない。或る教養深い婦人は、「大谷日出夫という役者は、たのもしくていいわ。あの人が出て来ると、なんだか安心ですの。決して負けることがないのです。芸術映画は、退屈です。」と言って笑った。美しい意見である。利巧ぶったら、損をする。

映画と、小説とは、まるでちがうものだ。国技館の角力を見物して、まじめくさり、「何事も、芸の極致は同じであります。」などという感慨をもらす馬鹿な作家。

何事も、生活感情は同じであります、というならば、少しは穏当である。

ことさらに、映画と小説を所謂「極致」に於いて同視せずともよい。また、ことさらに独自性をわめき散らし、排除し合うのも、どうかしている。医者と坊主だって、路で逢えば互いに敬礼するではないか。

これからの映画は、必ずしも「敗者の糧」を目標にして作るような事は無いかも知れぬ。けれども観衆の大半は、ひょっとしたら、やっぱり侘びしい人たちばかりなのではあるまいか。日劇を、ぐるりと取り巻いている入場者の長蛇の列を見ると、私は、ひどく重い気持になるのである。「映画でも見ようか。」この言葉には、やはり無気力な、敗者の溜息がひそんでいるように、私には思われてならない。

弱者への慰めのテエマが、まだ当分は、映画の底に、くすぶるのではあるまいか。


青空文庫より

底本:太宰治「もの思う葦」新潮文庫、新潮社
   1980(昭和55)年9月25日発行
   1998(平成10)年10月15日39刷

アンネ・フランクのふともも

$
0
0
新型コロナは、ここにきておさまるどころか、いよいよ第三波のピークがやってきそうな勢いです。

有効なワクチンとか特効薬とかも、完成までにはまだまだ時間がかかりそうなので、こう長引くとなると、流行当初、盛んにいわれていた「新しい生活様式の導入」とか「新しい働き方」を、いよいよ本気で生活に取り込まなければならない現実味を帯びてきました。

それに、はたしてコロナが終息するまで、どれくらいの企業や店舗が、この厳しい状況を乗り切れるかも心配です。

自分の近所でもここのところ多様な業種の店舗が、いつの間にか少しずつ、ひっそりと閉店していく状況を目の当たりにしていて、シャッター街がますます寂れていく厳しさを日々実感しているだけに、これから卒業し就職する学生諸君はさぞかし不安だろうなと、老婆心ながらただただお察し申し上げるばかりですが、自分はこの「就職」の話題が取りざたされる時期になると、きまって思い出すことがあります、その辺をちょっと書いてみますね。

題して、不謹慎にも「アンネ・フランクのふともも」という一席。

自分が就職活動をした時期(もう何十年も前の話です)に、ある雑誌でこんなコラムが載っていました。それが就職関係の雑誌だったかどうかは、すっかり忘れてしまいましたが。


学生を面接した会社の重役が質問します。「君の愛読書はなにかね」
学生「はい、『アンネの日記』です」
重役「ほ~う、そりゃあ頼もしい。いっちょ宴会のときにでもかくし芸として披露してもらおうかな。ワッハッハ」


というこれだけのものなのですが、現代からすると、ちょっと理解の困難な部分があると思うので、少し補足しますね。


当時、学生のあいだでは、ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」(みすず書房)がさかんに読まれていて、それに、アラン・レネの同タイトルの映画や「二十四時間の情事」などが高い評価を受けていた時期でした。いわば、重苦しい深刻な「政治の時代」の中でナチスの虐殺の忌まわしい記憶と怒りとがまだまだ十分に有効なそういう時代、そういう雰囲気の中で、ナチスの強制収用所の中で死んでいった思春期の少女の記録「アンネの日記」も、戦争に対する告発の書として共感をもって広く読まれていました。いわば、戦争によって若い命を絶たれた少女の怒りと悲しみの「清潔さ」の象徴みたいな本だったと思います。ジョージ・スティーヴンス監督の「アンネの日記」もヒットしました。

一方、この面接した会社の重役の頭の中には、当時あった女性の生理用品の会社「アンネ株式会社」と、その「アンネ」が女性の生理日を意味するものとして、

「ほ~う、そりゃあ頼もしい。いっちょ宴会のときにでもかくし芸として披露してもらおうかな。ワッハッハ」

という重役の言葉となって、それが重役と学生との意識の落差を象徴的に現わしているコラムだったのですが、自分もまたイカガワシイ「かくし芸」を強要する「宴会」(いまでは到底考えられませんが、「高度経済成長期」にはパワハラまがいのこういうことは、まだまだそこらじゅうにいっぱいあって、その理不尽な強要のことごとくが当たり前のことで、どこか「軍隊」の尻尾を感じさせたくらいでした)が象徴する「会社」というものの愚劣をこのコラムから読み取ったのだと思います。これから自分はそういう会社や社会に入ろうとしているのだと、就職の鳥羽口に立って、たまらない嫌悪感とある種の怖気を感じていたのかもしれません。

しかしまあ、その動揺も一瞬のことで、結局は就職し、会社員生活に慣れるにつれて、すっかり立派なすれっからしになってしまったわけですが。

そして、ここからは最近のことになります、コロナで引きこもっていた期間に読んだ本のなかに小川洋子の対談集がありました。
その記載のなかに「アンネの日記」に言及している部分があって、それがどうも自分の知っている清潔な「アンネの日記」とは、だいぶ違うようなのです。

思春期を迎えたアンネが口汚く母親に反抗したり、隠れ家に同居している男の子と性的にじゃれあったり、性に目覚める過程で姉妹の月経について感心を示し、女友達の身体(婉曲にですが「性器」と思います)に興味を持つ記述があるらしいというのです。

いやいや、アンネ・フランクはそんなんじゃない、自分の記憶にそんな箇所はありません、あるわけないじゃありませんか、自分にとっては、とにかく清潔にして悲しい犠牲者の書「アンネの日記」だったわけですから。

さっそく、近所の図書館に行って増補新訂版と書かれた文庫本「アンネの日記」(文春文庫)を借りてきました。奥付を見ると、この本は2010年7月5日の発行で15刷、2003年4月10日が1刷となっています。

なるほど、なるほど、自分の蔵書の「アンネの日記」は、同じ文芸春秋の発行で、刊行日が昭和48年10月20日で21刷とある大分古い本なので、比較するには最適です。

比較しながらパラパラと頁をめくっていくと、なるほど、「これだな」というのがありました。

日付は、1944年3月24日の項(旧版には、そもそもこの日付が存在しません)です。

ちょっと筆写してみますね、こんな感じです。


《そのうちぜひペーターに訊いてみたいんですけど、彼は女性のあそこが実質的にどんなふうになっているか、知っているでしょうか。わたしの思うに、男性のあそこは女性のほど複雑じゃないようです。写真だの絵だので、裸の男性のようすは正確に見ることができますけど、女性のは見ることができません。女性の場合、性器だかなんだか、呼び名はなんだか知りませんけど、その部分は両脚のあいだの、ずっと奥にあります。おそらく彼も、そんなに近くから女の子のそれを見たことはないでしょうし、じつを言うと、わたしもありません。男性については、説明するのもずっと簡単ですけど、女性については、いったいどうしたらその部分の構造を彼に説明することができるでしょう。というのも、彼の言ったことから推測するかぎり、彼も細部の構造についてはよく知らないみたいだからです。彼は「子宮口」がどうのとか言ってましたけど、それはずっとなかにあって、外からは見えないはずです。女性のあそこは、ぜんぶがはっきりふたつに分かれたみたいになっています。十一歳か十二歳のころまでは、わたしもそこに二組の陰唇があることには気づきませんでした。どちらもぜんぶ見えませんから。わたしの誤解の最たるもの、いちばん滑稽だったのは、おしっこがクリトリスから出てくると思っていたことです。いつぞやわたしはおかあさんに、ここにある小さな突起みたいなものはなんなのかと訊いてみたことがありますけれど、知らないとの答えでした。いまだにおかあさんは、なんにも知らないようなふりをしています。
とはいえ、そのうちまたその問題が持ちあがってきた場合、いったいどうしたら実例を使わずに、その仕組みを説明できるでしょうか。なんならここで、いちおうそれをためしてみるべきでしょうか。えっへん、ではやってみましょう。
立ったところを正面から見た場合、見えるのはヘアだけです。両脚のあいだに、小さなクッションのような、やはりヘアの生えたやわらかな部分があって、直立すると、それがぴったり合わさるので、それより内側は見えなくなります。しゃがむとそれが左右に分かれますが、その内側は真っ赤で、醜くて、生肉っぽい感じです。、てっぺんに、外側の大陰唇にはさまれて、ちっぽけな皮膚の重なりがあり、よく見ると、これが小さな水ぶくれのようなものになっているのが分かります。これがクリトリスです。つぎに小陰唇があって、これも小さな襞のように、たがいに合わさっています。これをひらくと、その内側に、わたしの親指の頭ほどもない、小さな肉質の根っこのようなものがあります。この先端は多孔質で、それぞれ異なる小さな孔がたくさんあり、おしっこはここから出てきます。さらにその下の部分は、一見ただの皮膚のように見えますが、じつは、ここに膣があります。見つけにくいのは、このあたり全体が小さな皮膚の重なりになっているせいです。その下の小さな孔は、見たところおそろしく小さく、ここから赤ちゃんが出てくることはおろか、男性がはいってこられるとさえ思えないくらいです。それほど小さな孔なので、人差し指を入れることもできません、すくなくとも、簡単には。たった、それだけのものなのに、これがとても重要な役割を果たしているんです。》


てな感じで、次から次へと見つけられるかぎりの「青春の桃色記述」を徹底的に筆写しまくろうと思って始めたのですが、この筆写だけで十分その「ひたむきさ」に撃たれました。

成熟していく自分の身体をじっと観察するそのひたむきな少女の健気さと清浄さは、従来のアンネ・フランクの印象をいささかも損なうものでも裏切るものでもありません。

せいぜい、これらをただの宴会芸としてしか認識できなかったあの日本高度経済成長の時代こそが呪わしいものであることを改めて再認識したくらいです。

その後の関連の読書で知ったことですが、戦後、強制収容所から生還した父親・オットー・フランクが、この日記を世に出すにあたって、アンネや家族の名誉のために、さしさわりのある部分(上記のような部分でしょうね)をせっせと削除・添削して出版したという事実を知りました。

しかしまあ、親としてなら、それくらいのことは許されていいものかもしれないなと、いまは考え始めているところです。

「還って来た男」ふたたび

$
0
0
自分が以前書いた川島雄三監督作品「還って来た男」1944のコメントについて、先日、牧子嘉丸さんから

≪なんでこの映画を見て、後味の悪さを感じるのかちょっと不思議。
戦時下のなかでも懸命に生きる庶民の健気さとユーモアを感じないのか。≫

というコメントをいただきました。

このコメントを書いてから、なにせ相当に時間が経過しているので、当の文章はおろか、映画の内容までもすっかり忘れてしまっている始末だったので、慌てて読み直したり、映画を見直したりと、そりゃあもう大変な騒ぎで失われた時を取り戻した次第です。

さいわい作品の方は、ご奇特な方がいらっしゃってyou tubeでどうにか見ることができました。

しかし、いざ作品を見てみれば、やはり、ご指摘いただいた「後味の悪さ」と「戦時下のなかでも懸命に生きる庶民の健気さとユーモアを感じないのか」という部分について、当時感じたままの「ちぐはぐさ」を抱いたまま、やはり今回も同じような感想を持ったに過ぎなかったとご報告しなければならないみたいです。

でも、この感想をどう表現したら的確に理解していただけるかと、ずっと考えていたのですが、ついに象徴的な例を思いつきました。

以前、集英社で刊行した「コレクション戦争と文学」シリーズの1冊「帝国日本と台湾・南方」に収められていた小説を思い出したのです。

それは、戸石泰一の「待ちつづける兵補」だったか、周金波の「志願兵」の方だったか記憶が定かではありませんが、戦時下、南方の戦場でフィリピン人と朝鮮人(どちらかが「将校」で、片方が「軍属」にしても、どちらも「日本国軍人」です)が大喧嘩をしたというエピソードの部分です。

戦争末期になると、南方の戦地では多くの兵士が戦死し、次第に員数が不足してくると、現地人や植民地の人間を日本の軍人として採用して欠員を補填したという事実があったそうです。

この小説は、そのへんのところを描いた物語でした。

そういう状況下で、喧嘩をおっぱじめたふたり(フィリピン人と朝鮮人)、どちらも既に日本の軍隊で「日本軍人」たるべく厳しく訓練され、日本人と同じように教育も受けています(たどたどしい日本語しか話せないのに、軍人勅諭となると苦も無くスラスラと暗唱できるくらいです)、しかし、この「スラスラ」という言葉の語感には、出来なければ凄惨な体罰や制裁を科せられたであろう膨大な屈辱と恐怖に培われた倒錯的な「自負」も込められていることを見逃してはなりません。

だからこそ本人もまた立派で厳格な日本の軍人であることの自覚を持っていて、目の前の植民地人などになめられてたまるかという、「我こそは栄えある日本の軍人だ」という自負があって、その覚悟を競うように言い争い、果ては、凄惨に殴り合いに至るという場面が描かれているわけです。

当然その気持ちの裏には、「俺に比べれば、お前なんか、たかが植民地の人間じゃないか」という相手を蔑む冷笑の気持ちがあるわけですが、しかし、このふたりの実態もその状況も(ともにフィリピン人と朝鮮人なのですから)、その陰惨さにおいては些かも変わるわけでなく、そこには植民地支配の惨憺たる現実がやはり厳然としてあり、ただ、この喧嘩の仲裁に入るとはいえ、この日本人の将校だけが、優越的な「特殊な位置」にいるのであり、日本人将校がいくら「なにを争うのだ、馬鹿なまねは止めて仲良くせんか、どちらも同じ日本軍人じゃないか」と中立公平を装おうとしても、おのずからその口説には、「フィリピン人と朝鮮人の真摯さ」と同じものがあるなどとはどうしても考えられません。

必死に日本人になりきろうとした植民地人=彼らに比べたら、その「真摯さ」において、えらそうに仲裁に入ったこの日本軍の将校が持ち合わせた「もの」など、たかがしれたものと気がついた次第です。

いってみれば、川島雄三作品「還って来た男」を見て感じた自分の居心地の悪さ、そして「ちぐはぐさ」も、その日本軍の将校が持ち合わせた「もの」と同質なものを、この映画の能天気な主人公中瀬古庄平(佐野周二)に感じ取ったのだと思います。

映画のラストシーンで中瀬古庄平(佐野周二)は、すでに好感を抱きはじめている見合いの相手国民学校の教師・小谷初枝(田中絹代)に、自分の夢(子供たちが健康に育つことができる施設を私財を投じて建設すること)をこんなふうに語りかけています。

「進駐先のマレーの原住民の児童を見て、日本の子供はこれではいけない。学童が健康なら次の時代の日本は安心です」

この佐野周二演じる軍医の将校は、日本軍の領土的野心=侵略によって戦場と化した荒廃した地で、過酷な成長を余儀なくされ、将来を滅茶苦茶にされたマレーの憐れな子供たちの惨状を見て、子供がすこやかに成長するためには好環境が絶対に必要だとはじめて気が付き、私財を投げ出してでも、その「日本における子供たちの施設」が必要だと思いついたのです、「マレーの子供みたいになってはダメだ」と。

それって、おかしくないですか。

中瀬古庄平氏が、「これではいけない」と感じたのは、自分たちが理不尽に痛みつけて過酷な目にあわせている当のマレーの瀕死の子供たちに対してではなく、日本の子どもたちなのです。

なんたる狭視野、なんたる傲慢、なんたる教訓、なんたる自己中、なんたる想像力かと、この映画を貫く「姿勢」には、ほとほとあきれ返ってしまいました。

まるで夢の新天地のように語られる、この映画で繰り返し発せられる空疎な「南方」という言葉のなかに、どれほどの「占領地の悲惨なリアル」が描き込まれているか、このラストシーンを見れば一目瞭然、なにをかいわんやです。

自分としても、この作品の定着している世評というものを聞いてないわけではありません。

多分、その定着した「世評」(代表的なものを末尾に添付しておきますが)に反して、自分の感想が悲観的な意味で突飛だったので、

≪なんでこの映画を見て、後味の悪さを感じるのかちょっと不思議。
戦時下のなかでも懸命に生きる庶民の健気さとユーモアを感じないのか。≫

というご意見を頂戴したものと思います。

しかし、この映画が撮られた1944年6月28日の前後には、連合軍がノルマンディに上陸した直後、北九州にはじめて空襲があって、学童疎開がはじまり、米軍がサイパン島・グアム島に上陸し、日本軍守備隊全滅という局面を迎えていた相当切迫した時期であって、カラ元気を装いつつも、当然国民は危機感を身近にしていたはずです。

戦況が切迫した時期に、このような能天気な映画を撮らなければならなかった川島雄三の苦衷にこそ思いを致したいものと思います。


(1944松竹大船撮影所)企画・海老原靖兄、製作・マキノ正博、監督・川島雄三、脚本原作・織田作之助、撮影・斎藤毅、音楽・大澤寿人、美術・小島基司
出演・笠智衆、佐野周二、吉川満子、小堀誠、文谷千代子、辻照八、田中絹代、三浦光子、草島競子、日守新一、山路義人、坂本武、渡辺均、
1944.07.20 白系 7巻 1,849m 67分 白黒/スタンダード



≪ネットで拾った「イワユル世評」です≫
登場人物の行動は、国策に沿ったものなので、検閲では問題がない。このままだと、時局迎合の国民精神教育映画となる。ところが、完成作品を見ると、全編を漂うユーモア、登場人物の行動原理、さわやかな恋、そしてささやかな楽しみと、人生の喜びに溢れていて、戦時下の映画とは思えないほどリベラルである。
織田作之助原作・脚本らしく、京阪神のおっとりとした文化風俗の匂いも全編に漂う。いつも雨に悩まされている「夜店出し」のおじさんも町場のアクセントとなっている。ラブコメディであり、スクリューボールコメディであり、ユーモア映画でもある時局迎合映画。前年の木下恵介のデビュー作『花咲く港』とともに、戦時下の明るい光のような佳作である。


「にごりえ」におけるチラ見とクチパクの実証的研究

$
0
0
先日、またまた牧子嘉丸さんから、うれしい「宿題」をいただきました。

コロナ禍の緊急事態宣言とかで仕方なく家に引きこもり、日々を持て余し途方に暮れている今日この頃、この思わぬ「宿題」になんだか心にハリができたような感じです、いえいえ、むしろこの「宿題」をいつの間にか心待ちしている部分だって大いにあります。

さて、今回の「宿題」は超難問です、あの誰もが知っている今井正監督の名作中の名作「にごりえ」1953からの出題で、そりゃうもう緊張して、脊髄に1万ボルトの電流を流されたような昇天感を味わったとしても少しも大げさではなく、むしろそれくらいの緊張は当然すぎるほど、この作品は日本映画史上に燦然と輝く不動不朽(不要不急ではありません)の名作であることに変わりはありません。


その設題というのは2問あって、こんな感じです。


第1問 二話「大つごもり」のラスト、下女・おみね(久我美子)は、恩ある叔父が病気で臥せって働けず暮らしが困窮したため、彼女の雇い主に借金を申し出てくれないかと依頼されます、女主人は一度は了承したものの、気難しい気まぐれから機嫌をそこね一転して借金の話など知らぬ存ぜぬと拒絶します、切羽詰まったおみねは、思い余って人目をぬすんで主家の金に手を付けてしまう(石之助の寝ている枕元に金の入った硯箱はありました)。その大晦日の大勘定の夜、主人夫婦は帳面が合わないのに気付き、そうそうまだあの金が残っていたぞと、おみねに例の硯箱を持ってくるように命じます。いよいよ盗みが発覚するかという絶体絶命のとき、その空の硯箱にあったのは道楽息子・石之助の「この金も拝借した」との書き付けで、急転直下、おみねの盗みも放蕩息子の仕業に紛れて、彼女の所業は発覚することなく、結局有耶無耶になってしまう(牧子嘉丸さんはこれを「救われる」と表現されています)というラストですが、牧子嘉丸さんは、これだけでは説明不足なので、こう補足すべきだとご提案をされました。
「これでは石之助が金ほしさで盗んだことになってしまい、おみねへの同情やら侠気やらがうまく描けていない。ここはひとつ、おみねの盗みを石之助がちらりと盗み見るシーンがあったほうがよいのではないか」というのです。

第2問 三話「にごりえ」で、おりき(淡島千景)が銘酒屋の二階座敷で結城朝之助(山村聰)に身の上話を語るシーン、そこで大写しになったおりきの口説が一瞬途切れ、クチパクになる場面があって、それを牧子嘉丸さんは「もちろん、これは禁止用語が語られたからだと思うが、あの場面でその手の言葉(禁止用語)が発せられるというのがどうにも解せない、ニュアンスとしては「恋は盲目」とでもいったことなのだろうが、どう思うか」という問いでした。



まず、第1問、「大つごもり」の石之助の方から考えてみました。

自分的には、まず念頭にあった論点は、「はたして石之助に、おみねを救いたいと考えるほどの『同情』やら『侠気』やらが本当にあったのだろうか」という視点から考えようとハナから思っていました(最初から自分は、映画から受けた印象として、石之助は金ほしさで盗んだものという認識を持っていて、それ以外にはあり得ないという、そもそもこのスタートから、自分の認識違いがあり、そのあたりのズレはのちほど説明しようと思っています)。

というのは、この映画を見る限り、仲谷昇の演技や、今井演出から、自分には、石之助がおねみに対して『同情』やら『侠気』やらを有しているなどとは、到底考えられなかったからでした。

雇人の下女などに目もくれずに着飾って遊びほうけているお嬢様たちと同様、放蕩息子・石之助も同じレベルの人間にすぎず、下女の苦労やその事情、その去就、そして下女の些細な行為など(たとえそれが「盗み」であったとしても)なんの関心もなく、父親から脅しのように仄めかされた「自分の勘当」が現実となることだけが気がかり、その前にできるだけ多くの家の資産の取り分(金)をかすめ取りたいというのが彼のもっぱらの関心事である以上、そもそも下女の困窮やその盗みなど彼には取るに足りない些細事で、たとえ偶然にその盗みの現場に居合わせたとしても、彼にとってはどうでもよかったことに違いないというのが、今井演出の意図であると信じていました。

なので、石之助にとっては、硯箱にある金だけが問題なのであって、たとえそれが幾らであろうと(20円だろうが、あるいは2円足りない18円だろうが)、鷲掴みして持ち去るだけの石之助にとっては、どちらにしても大した問題ではなかったはずという演出に自分には見えたのです。

牧子嘉丸さんから「おみねの盗みを石之助がちらりと盗み見るシーンがあったほうがよいのではないか」という提案を読んだとき、≪たとえそれが20円だろうと、2円足りない18円だろうと、どうでもよかったはず≫と考える自分には、正直奇異にしか感じられませんでした。

なぜなら、石之助にそうした「義侠心」を想定すること自体穿ちすぎで、もしそれが事実なら、自分が受けた今井演出が意図したと思われるこの作品の理解や認識(後述しますが)の全体像を根底から揺るがすものになってしまうからでしょう。

硯箱から金をムンズと鷲掴みして持ち去る石之助と、あるいは、「架空の20円(実際は18円でしたが)」という金額の違いの意味を十分に分かっていて持ち去る石之助とでは人物像に雲泥の差を来し、その「2円の足りない」ことの認識を有しているか否かは、この物語の在り方自体を大きく変えてしまう重要な論点です。

極貧の憐れな下女が思い余って犯した盗みを知っていて、さらに自分の行為をそこに覆いかぶせることで帳消しにしてあげようという(ほどなく勘当される大商店の惣領としての特権の最後の行使です)そうなれば、そこには、まさに牧子嘉丸さんがおっしゃられた高貴な「同情と義侠心」とが存在するわけですが、しかし、この映画において、ほどなく勘当される惣領息子の恨みや反抗や捨鉢さも含めて、はたして今井正は彼をそこまで情け深い甘々な人間として踏み込んで描いているだろうかという疑問から、自分はどうにも自由になれないのです。

この映画を見て、石之助という人物像をそこまで見誤るほどの認識不足が自分にあるなら、そしてこの映画が本当にそう描いているのなら、それは映画を読み解くうえでの自分の致命的な能力不足であり、情緒の絶望的な欠落か、深刻な認知症と指弾されても致し方ないという覚悟のうえでいうしかありませんが、もし、牧子嘉丸さんが述べられたように彼がおみねの盗みを垣間見て、義侠心とか同情心を起こし彼女を庇うため、さらなる罪を犯して彼女の犯行を曖昧にしようとして、家の金を盗む、というふうに描かれているとするなら、ほかの2話が描いているオムニバス映画としてのバランスが大きく崩れてしまうのではないかと思えて仕方ないのです。

このどうしようもない放蕩息子は常に遊興のために家の金をこれまで幾度もネコババし盗み取っています、そして今回の「盗み」だって、繰り返してきた多くの盗みと大差ないほんの一部にすぎず、そこには「義侠心や同情」などおよそ無縁な(おみねを酷使し虐待する)この因業な主家の構成員の一人としての、いかにもしでかしそうな所業以外のなにものでもないと描かれていると見る方が、このオムニバス映画にもっともふさわしい、大切なシチュエーション(持てる者の冷酷な虐待や酷使と弱者の理不尽で屈辱的な隷従の対比)を支える柱として理解しやすい行為であるように感じました。

だからこそ、極貧に苦しむ貧乏人にとって、この皮肉な偶然(極貧からのやむにやまれぬ盗みの罪が、有産階級者の遊興に蕩尽するための遊びのような盗みによって掻き消されてしまうという奇妙な恩寵)が生きてくるのだと思い、納得もできました。

自分もこのラストを見たときに、侮辱され虐げられ、常日頃理不尽に苦しめられ続けている貧乏人なのだから、たまにはこんなふうに偶然の皮肉な、まるで夢のような救われ方こそが、もっとも相応しいとさえ感じたくらいでした。いや、むしろここは、ふたりの絶望的な身分の隔たりを超えるためには、嘘っぽい「同情や義侠心」なんかよりも、この突飛で奇矯な、ほとんどあり得ないような「偶然の恩寵」こそが、有効であるとさえ感じ、今井正のリアリズムの手腕に感服したくらいでした。

それに、もし、石之助が突然善意に目覚めて改心し、おみねに救いの手を差し伸べるという善意の結末が描かれているのだとしたら、このオムニバス映画を構成するほかの救いのない悲惨な物語(十三夜とにごりえ)を裏切ることにも繋がってしまうだろうし、そんな一貫性を欠いた変節の物語をことさらにこの物語だけ孤立させて、わざわざ今井正が演出するだろうか、いやそんなはずはないと考えた次第です。

石之助とおみねの間には、相容れない埋めがたい階級的な溝があり(この考え方は、今井正作品に一貫している「信仰」でさえあります)、その埋めがたさは、かの「十三夜」でも「にごりえ」でも描かれている通り、この「大つごもり」においてもそのとおりに演出されたのだと思って差し支えないと思ったのでした。

ですので、以上の理由から、自分としては、第一問の答えは、

「石之助は金ほしさで盗んだだけで、おみねへの同情やら侠気やらなど最初からなかったのだから、そもそも、おみねの盗みを石之助がちらりと盗み見るシーンを用意する必要もあり得ない」と結論付けようと思った矢先、実はとんでもないものを読んでしまいました。

それは、論創社から刊行された「今井正映画読本」2012.5.30発行の「大つごもり」の「あらすじ」207頁の記述です。

そこにはこんなふうに書かれています。

「商家に奉公しているみねは叔父に育てられた。その叔父の頼みで金の工面をしなければならなくなり、女主人に前借を依頼するが断られ、切羽詰まって主人の引き出しにある金に手を付ける。その様子を主人の先妻の息子・石之助が、眠ったふりをして見ており、引き出しに自分の借用書を残して去った。」

おいおい、マジか。それじゃあ絶対的に融和することができない階級対立の構図とか、自分が信じた今井演出とかも、いとも簡単に崩れちゃうじゃないですか、そりゃあ文芸評論風にいえば、実生活で散々借金で苦しんだ樋口一葉の夢想した部分とかもあったかもしれませんが、映画を見る限りにおいて今井正はそんなふうには描いてないけどなあ・・・と思いつつも、裏付けじゃありませんが、つい原作の方を拾い読みしてしまいました。

ああ、なるほど、なるほど、ありますねえ。

≪罰をお当てなさらば私ひとり、遣ふても叔父や叔母は知らぬ事なればお免しなさりませ、勿体なけれど此金ぬすまして下されと、かねて見置きし硯の引出しより、束のうちを唯二枚、つかみし後は夢とも現とも知らず、三之助に渡して帰したる始終を、見し人なしと思へるは愚かや。≫

はっきり言ってますね、【見し人なしと思へるは愚かや】って。

しかし、負け惜しみじゃありませんが、改めて繰り返し、勝手口から入って来た酔った石之助が硯箱のある部屋でうたた寝している一連のシーンを繰り返し見直しました。

なるほど、牧子嘉丸さんが、あえて「おみねの盗みを石之助がちらりと盗み見るシーンがあったほうがよいのではないか」と思うのが無理からぬくらい、今井正の演出は、石之助に対してはあまりにも素っ気なく、迫真の演技を求めたおみねのド迫力な盗みの場面のような執拗で追い詰めるような熱心さは一向に窺われません。石之助はまるでマグロの屍体みたいにゴロリと寝転がっているだけで、観客の憶測を誘ったり、忖度させたり、邪推させるような思わせぶりな挙動など今井正は一切許していないようにさえ見えます。

いままさに、おみねが主家の禁断の金に手を付けようとしている緊迫したデリケートな場面、観客は息をのんでスクリーンをじっと見つめている緊張の中、同情も義侠心も有している石之助という設定なら、遠慮がちにでも微かにチラリとまばたきでもすれば、観客は一瞬のうちに「演出家の意図」を感じ取ることができるという、演出家と観客の意思疎通の条件なら十分すぎるくらいに整っている、なんとも好条件の「待たれる」状況下にあるわけですから、もしそれが「そう」なら、微かなサインとして「おみねの盗みを石之助がちらりと盗み見るシーン」くらいは、当然あるべきだったでしょう。

しかし、たぶん事実は「そう」ではなかった、石之助は、チラ見も、思わせぶりなまばたきも、わざとらしい寝息さえも立てなかったし、(今井演出は)それらの所作を許さないままに、彼を屍体のように寝転がらせ微動だにさせなかったのだろうと思います。

それが「なぜ」だったかは、三話「にごりえ」の、おりき(淡島千景)のクチパクの考察のなかで当然導き出されるものと信じながら、再度、あの銘酒屋の二階座敷の場面を見始めようとしたとき、そうそう「大つごもり」のときの大チョンボの教訓を生かして、遅まきながら原作と対比しながら、該当のシーンを見て見るべきなのではないかと思いつきました。原作の方は、身近に「樋口一葉集」があるので問題ないのですが、その際、できれば、水木洋子・井手俊郎のシナリオも入手できれば「なお可」という感じで、まず、インターネットで検索し、シナリオ「にごりえ」が掲載されている書籍を特定しました。

それは、毎年シナリオ作家協会が編集している「年鑑代表シナリオ集」1953年版(三笠書房、339頁、1954.1.1刊行)に掲載されていると分かりました。同時に掲載されているシナリオは以下のとおりです。

まごころ(木下恵介)、やつさもつさ(斎藤良輔)、煙突の見える場所(小国英雄)、雨月物語(川口松太郎・依田義賢)、縮図(新藤兼人)、雲ながるる果てに(八木保太郎・家城巳代治・直居欽哉)、日本の悲劇(木下恵介)、あにいもうと(水木洋子)、東京物語 (野田高梧・小津安二郎)、にごりえ(水木洋子・井手俊郎)

すごいラインナップです。ぜひ見てみたい、という思いで、近所の図書館のホームページで蔵書を検索してみました。当然、日本映画史に残るこれだけの名作です、シナリオくらい簡単に入手できるものと軽い気持ちでクリックしたのですが、その楽観は見事に裏切られてしまいました。

わか図書館では「年鑑代表シナリオ集」の蔵書は1989年から2019年までの分だけで、それ以前のものはすべて廃棄してしまったそうです、マジか(今日何度目の「マジか」でしょうか)。

試みに東京中央図書館も蔵書検索してみました。さすがです、1952年からの分がすべてそろっていました、勢いついでに国会図書館も蔵書検索をかけてみました、なるほど、さすが国立国会図書館です、蔵書はもちろんありますし、1953年版なら、国会図書館内限定という条件でデジタルで見ることができることも分かりました、しかし、小生の住むド田舎からわざわざ永田町とか広尾まで出向くというのは、なかなか難しいものがありまして、まあ、そこは「貧すれば鈍する」とでもご理解いただくとして、むしろ鈍は鈍なりに工夫して窮地を脱するしかありません、「窮鼠、猫を噛む」という感じで。

問題は、映画を原作やシナリオと「対比」して、忠実になぞっているかどうかの検証にあるのではなく、今井正が原作やシナリオに捉われることなく、どれだけオリジナリティを発揮して演出したかにあるのだとしたら、現に映画の中で交わされている会話を、まずは確認することから始めなければなりません。

盆の休みに、羽目を外したお店者の酔い乱れた愚劣な宴席を逃げ出したおりきが、さ迷い歩く夜店で偶然に結城朝之助(山村聰)と出会い、ふたたび菊之井に戻って、その二階座敷で語らう二人の迫真のやり取りのなかで、例のクチパクが出現します(クチパクの部分は●●●●で表記しました)。

とにかく、画面を見ながら逐語的にセリフを追ってタイプしてみたのですが、以下のとおりです。


結城「おい、いいのかい。下の座敷」
おりき「ええ、どうせお店者のしろうりなんか怒るなら怒れです。少し休むならともかく、今はご免こうむらせてもらいます。ああ、いやだ、いやだ。つくづくもう人の声の聞こえない静かな静かな果てに行っちまいたい。いつまでこんなこと、私つづけなけりゃいけないんでしょうかね」
下女「お待ちどうさま」
おりき「あ、すまないね。取りにもいかないで」
下女「いいんだよ。また姐さん、頭痛でもするかね」
おりき「あ、いいよ、つけなくても。あ、そうそう。閻魔様で櫛売ってたから。夕べ落としたって探してたから。さ、あげるよ」
下女「まあ、きれいな。似合う? 姐さん」
おりき「うん、早く下おいで。また息抜きしてたって怒られないうちに」
下女「旦那さん、どうもお邪魔しました」
結城「ああ」
下女「姐さん、どうもありがとう。今夜は眠られないよ」
結城「ふふ、無邪気な子だな」
おりき「ええ、あんな頃もみんなあったんですよねえ。・・・結城さん、今夜はお酒を思い切っていただきますから、止めないでくださいね」
結城「そりゃ、介抱はいつもさせられてるから」
おりき「うそ、あなたの前で取り乱したことなんてただの一度だって」
結城「よし、いつも壁ひとつ隔たったお前の物言いが気に入らなかった。今夜は心底から遠慮なく付き合おう」
おりき「ええ。じゃこれに下さい」
結城「まあ気の晴れるほど飲むのはいいが、なにをそう怒っているんだ。また聞かせられない話か」
おりき「いいえ、これを二、三杯いただいて、酔ったら今夜は何もかもお話しします。驚いちゃいけませんよ」
結城「あはは、前置きは、すさまじいもんだな。・・・なにをうっとりしてるんだ」
おりき「あなたのお顔を見てますの」
結城「こいつ」
おりき「おお、こわい方」
結城「冗談はのけて」
おりき「いいえ、嬉しいの。今夜はあなたは、ことにご立派に見えるんですもの」
結城「なにをいまさら」
おりき「よっぽど私ってうっかり者なんですわねえ。あ、ごめんなさい、自分ばかりに注いで」
結城「どうしたんだ今夜は。下地があるんだろ」
おりき「いいえ、まだまだ荒れませんから。先にお断りしておきますけど、私の自堕落は承知してて下さいまし。嘘偽りは申しません。なにもかも白状しちまいます。泥の中に生きるには転がらなけりゃ繁盛どころか見に来る人もありませんもの。可愛いの、愛しいの、見染めましたの、出鱈目のお世辞」
結城「そんなことは、当の昔に知れてる。」
おりき「ええ、それを本気にする阿呆がいます。私だとて、たとえ九尺二間の裏長屋でもいわれてみれば身を固めてみようかと考えないこともありませんけど、まんざら嫌いと思わない人でも所帯を持てたらどれほど嬉しいか本望か、いまさら私には分からないです」
結城「やはり浮き草が性に合ってるか」
おりき「そもそも私、始めっからあなたが好きで・・・」
結城「おいおい」
おりき「ねえ、●●●●」
結城「それで?」
おりき「それで、一日お目に掛からないと恋しくて、恋しくて」
結城「おい」
おりき「いや。ねえ、もしもあなたが奥様にと、もしもよ、そうおっしゃって下さったら、どうでしょう。私、やっぱり持たれるのいや」
結城「自由がいいのか」
おりき「ですけど、好き、どうしてもあなたが。こんな気持ち、浮気なんでしょうか。・・・もとはといえば、三代続いた出来損ないからです」
結城「おやじさんというのは?」
おりき「父は職人です。三つのとき、縁石から落ちて片足悪かったものですから、人中に出ることを嫌って坐りっきりの飾り職人・・・」


と、引き続きこの映画「にごりえ」の白眉ともいえるシーン、おりきの幼い日々の痛切な回想へとつながっていくのですが、しかし、ここはとりあえず、「クチパク」の解明を優先させなければなりません。

しかし、こうしてセリフだけをピックアップしてたどっていると、こういう作業って映画の魅力を半減させるだけで、当たり前のことですが、映画は、映像が伴って初めて「映画」なんだよなということをつくづく痛感させられます。

そこで気が付いたことがあるのです。菊之井の二階座敷で交わされる情感に満ちた一連のシーンの流れるような映像の美しさに圧倒されたために、このシーンをあたまから艶っぽい「ふたりの愛の交歓」のような先入観で見ていたわけですが、こうして逐語的にセリフを映像に添わせ当て嵌めてみると、その縫合がどうにも疑わしく思えてきたのです。

おりきは、この二階座敷で結城朝之助に、幾度か「あなたのことが好きで好きで」とか、「恋しくて恋しくて」と愛の言葉を告げていますが、自分には、なんだかこのセリフだけが突飛で、長いおりきの口説のなかで、そこだけ白々しく浮いてしまっているように見えて仕方がありません。

確かにおりきは、結城に、できればこの苦界から救ってほしいと願っていたでしょう。そのために囲われ者になっても構わないと思ったかもしれない。

自尊心をどんなに踏みにじられ、金にために身体をおもちゃにされ、その屈辱とやり場のない憤りに身も心もズタボロにされた酌婦が、客の気を引くために美辞麗句を費やす出鱈目を、「そんなことは、当の昔に知れてる」と受け流す粋人・結城朝之助と、そして「ええ、それを本気にする阿呆がいます」とみずからを自堕落と自認して本音を交わし合える間柄で、なにをいまさら、おりきが結城に、あえて、「好きだ」とか「恋しい」などと言うことがあるだろうか。自分はこの部分に、リアリスト・今井正に、在りうべからざる「ちぐはぐさ」を感じました。


それは、クチパク「●●●●」というセリフを挟む前後のこの一連の部分、

結城「やはり浮き草が性に合ってるか」
おりき「そもそも私、始めっからあなたが好きで・・・」
結城「おいおい」
おりき「ねえ、●●●●」
結城「それで?」
おりき「それで、一日お目に掛からないと恋しくて、恋しくて」
結城「おい」
おりき「いや。ねえ、もしもあなたが奥様にと、もしもよ、そうおっしゃって下さったら、どうでしょう。私、やっぱり持たれるのいや」
結城「自由がいいのか」


まずは、前後のセリフのやり取りから「●●●●」が、どういうことを語ろうとしたのか、大体のニュアンスを考えてみました。

まず、結城は、最初と最後で、「やはり浮き草が性に合ってるか」と語り始め、「自由がいいのか」と締めています。

その間で、おりきは、「あなたが好きで」「恋しくて、恋しくて」「もしもあなたが奥様にと」と愛の言葉を言い募り、しかし、結局、人の持ち物になることを拒むわけですが、その中で、あの「●●●●」というセリフが語られています、それがたとえどういう言葉であろうと、愛の言葉であることには変わりないであろうことは容易に想像できますし、していいと思います。

つまり、「恋は盲目」でも「抱かれたいの」でも「sexしたいの」でも一向に構わない、それらどの言い回しもこの文脈に添った「正解」だからです、「気ちがい」以外はね。

しかし、彼女の心境からその状況下で、果たして、おりきが結城に、そんな悠長な愛の告白なんかする余裕なんかあるだろうか、自分にはどうにも疑わしいのです。

泥酔した下卑た客から面白半分に胸を触られ、股間をまさぐられ、散々おもちゃにされたうえに笑いものにされた屈辱(同僚の酌婦は、戯れに抱え上げられ庭に投げ出されて笑いものにされても、悲憤に歪む表情を隠して卑屈に笑うしかありません)から逆上したおりきは、堪らなくなって外に飛び出します。

身動きのとれない現在の酌婦という境遇の何もかもが嫌になって、悲しみと怒りで張り裂けるような気持ちを抱えて夜店の町を彷徨い、そこで偶然結城朝之助に出会います。結城を伴えば、後先も考えず高ぶる感情に任せて飛び出した手前、帰りづらかった菊乃井にも、帰れる理由となったからでしょう。

そんな気持ちを引きずってのおりきが、やがて菊乃井二階の座敷で結城に果たして本心から、「あなたが好きで」とか「恋しくて、恋しくて」とか「もしもあなたが奥様にと」などと言うとは到底思えないのです、それにこの二人の仲で、いまさら「手練手管」でもないでしょうし。

おりきが、「驚いちゃいけませんよ」と前置きして結城に語り出そうとしたものは、そらぞらしい愛の告白や、むかし極貧の中でなけなしの金をはたいてやっと買ったコメをドブに流してしまった幼い日の痛恨の思い出などではなくて、むしろその根にある出自、こんな惨めな境遇に堕とした自分につながる「三代祟った卑しい血筋」の方だったのではないか、そこでは、「卑しい」とか「気違い」とかと、微妙な言葉を連ねるなかで、この「血筋」のために結城と結ばれることなど到底望めないことを、おりきは彼に話したかったのではないかと考えたのですが、しかし、この映画において「この線」は、深く探求されることなく途切れ、まるでその抑制の裏付けのように浮かび上がってくるのが、この「結城朝之助」という男の薄情ともとれる淡白さ、物語の高揚を逸らせるかのようなあまりの希薄さです。

映画のラスト、深刻な夫婦喧嘩の翌朝、源七が陋屋から姿を消して騒ぎになります。

おりきも身の回りの物を残して、忽然と菊乃井から姿を消し、地回りが探し回っています。

当初は、結城朝之助と駆け落ちでもしたのかと疑われますが、朋輩から「結城さんは駆け落ちするような方じゃない」と即座に否定されています。
やがて、町のはずれの雑木林で付近に入浴道具が散乱した惨たらしい男女の死体が発見され、それが、源七とおりきだと分かります。

脇腹を後ろから刺さされたうえに喉を突かれた刺し傷からみて、源七がおりきを道連れに心中をはかったのだろうと、死体の傷をあらためた巡査が検分します。

「心中だな、相当女は抵抗しているな。後ろから脇腹を刺されている。喉も突かれたのか。男も切腹とは見事なもんだ」

しかし、意外なのは、つづいて野次馬の男が発する「合意のうえなんじゃねえか」というセリフです。

目の前で巡査が検死して「女は、かなり抵抗しているな」と語っているのに、そのうえで野次馬の男は即座に「合意のうえなんじゃねえか」と言うとは、ずいぶん矛盾した奇妙な感想・リアクションだなとずっと思っていました。

しかし、このラストシーンを幾度か繰り返し見ているうちに、その理由がやっと分かりました。

野次馬の男は、じっとおりきの死に顔を見下ろしています、そしておりきの顔の大写し、突然の不運な死に遭遇したにしては、おりきの顔には無残な苦悶の色はなく、穏やかで安らかとさえ見える表情があって、野次馬の男はその顔を見て素直な感想を漏らしたのだな分かりました。どのような惨たらしい理不尽な死に方であろうと、おりきを、その生の絶望から救い、平穏を与えることができたのだと。

しかし、このラストでは、無力な結城朝之助の、姿どころか消息さえも窺い知ることはできないまま、物語は終わりを告げてしまいます、「今日もひねもす蒸して暑い。なにごともなし」と。

多分、結城朝之助は、複雑な事情を抱えるおりきへの好奇心は彼女の死によって満たされ、ふたたび面白そうな酌婦のいる歓楽街をひやかし探し歩いているに違いありません。


(1953新世紀プロ=文学座、配給=松竹)監督・今井正、原作・樋口一葉、脚色・水木洋子、井手俊郎、脚本監修・久保田万太郎、製作・伊藤武郎、製作補・吉田千恵子、宮本静江、製作主任・柏倉昌美、浅野正孝、監督補佐・西岡豊、撮影・中尾駿一郎、編集・宮田味津三、美術・平川透徹、音楽・團 伊玖磨、録音・安恵重遠、照明・田畑正一、企画・文学座、

出演・
第1話 十三夜
丹阿弥谷津子(原田せき)、三津田健(せきの父・齊藤主計)、田村秋子(せきの母・齊藤もよ)、久門祐夫(せきの弟・齊藤亥之助)ノンクレジット、芥川比呂志(人力車夫・高坂録之助)、

第2話 大つごもり
久我美子(みね)、中村伸郎(みねの叔父・安兵衛)、荒木道子(安兵衛の妻・しん)、河原崎次郎(みねの従弟・三之助)ノンクレジット、龍岡晋(石之助の父・山村嘉兵衛)、長岡輝子(石之助の継母・山村あや)、岸田今日子(山村家次女)ノンクレジット、道明福子(山村家三女)、仲谷昇(先妻の息子・山村石之助)ノンクレジット、戊井市郎(三之助)、加藤(のちに北村)和夫(車夫)ノンクレジット、

第3話 にごりえ
淡島千景(小料理屋「菊之井」の酌婦お力)(松竹)、山村聰(結城朝之助)、宮口精二(源七)、杉村春子(源七の妻・お初)、松山省二(源七の息子)、十朱久雄(菊乃井亭主・藤兵衛)、南美江(菊之井女将・お八重)、北城真記紀子(お力の母・お高)、加藤武(やくざ)ノンクレジット、加藤治子(縁日の若妻)、賀原夏子(酌婦お秋)、文野朋子(お高)、小池朝雄(女郎に絡む男)ノンクレジット、神山繁 (ガラの悪い酔客)ノンクレジット、
その他の出演者(ノンクレジット)内田稔、河原崎建三、三崎千恵子、北見治一、有馬昌彦、青野平義、稲垣昭三、小瀬格、
協力出演・前進座、東京俳優協会、文学座

1953.11.23 13巻 3,554m 白黒
第27回キネマ旬報ベスト・テン 第1位
第8回毎日映画コンクール 日本映画大賞、監督賞、女優助演賞(杉村春子)
第4回ブルーリボン賞 作品賞、音楽賞、企画賞(伊藤武郎)


「にごりえ」反証

$
0
0
コロナの緊急事態宣言のために、家にこもりがちになると、しぜん配偶者と顔をつき合わせている時間も増えてくるわけですが、もともと趣味も性格も大きく違うので、とうぜん話題というものも限りがあって、一緒にいてもそのうちに話が尽きてしまうという状況が、しばしば訪れます。

こうなると少し前、お互いの生活環境とか習慣がそれぞれ違っていて、そのなかで顔を合わせるのは、せいぜい朝食と夕食のときだけという、ほぼすれ違いの日々が、いかに二人の関係に調和をもたらしていたかということが痛感されます。

さすがに喧嘩までには至りませんが、会話がこじれて気まずくなり暫く口を利かないなどという事態は結構あります。

これが気軽な男友だちとなら、来たる「東京新聞杯」とか「きさらぎ賞」なんかの予想で二時間でも三時間でも盛り上がり、夢中になって和気あいあいと話せるのですが(しかし、いま街はこういう状況なので、ウマ友とはLineで簡単な情報交換をするくらい、直接顔を合わすことは最近ではほとんどなくなってしまいました)、まさか女房と競馬の話もできませんしね、そうそう、先日なんか、BSで大好きなマーヴィン・ルロイ監督の「心の旅路」を放映していたので、日課のウォーキングを取り止め、もう何十回目になるかもしれない鑑賞に浸って、この不朽の名作を堪能しました。

あの「スミシィ!!」&「ポーラ!!」の感動のラストでは、すでにその場面を十分に知悉しているのにもかかわらず思わず落涙をやらかしてしまいます(このラスト、頭ではいくら「そういうラストになる」と分かっていても、いざ見てしまえば手もなく泣かされてしまうというテイタラクな、「こんなジジイを泣かすなよ」と言わずにおれないくらい、われながら実に不甲斐ないものだと思います)。

しかし、やたら感激している亭主を横目で見て、わが配偶者は実に冷ややかに「これのどこがそんなに面白いの」と、とんでもないことをノタマウのであります。

ただの被害妄想かもしれませんが、彼女のそのときの表情には、心なしか口角に意地の悪い微妙な歪みが翳り、見ようによっては「冷笑」と受け取れなくもないスゲスミの気配が窺われたりするのであります。

「いや、これはべつに面白いとかじゃないだろう、感動だよ感動。記憶喪失で失われた幸福だった日々を、オトコは木戸の音とか桜の枝とかをたどって記憶を取り戻し、肌身離さず大切に持ち続けてきた「鍵」がはじめてそのドアのものだと思い出し、失われた自分の過去の扉を自ら開けたときに《スミシィ!!VSポーラ!!》とくるから感動シマクリなんじゃないの、彼が取り戻すのは、幸福ばかりじゃない、最愛のわが子をすでに失っている苦痛も同時に受け入れなければならないという、実に痛切なこのラストが分からないちゅーわけ!!」

しかし、わが配偶者は、冷め掛けた焼き芋を頬張りながら、鼻で笑っているだけなのです。

だからホント、やんなっちゃうよな、これだから映画とかは、ひとりで見たいんだよ、とつくづく遣り切れない孤独地獄に落ち込む瞬間ですが、

「だったら言うけどさ」と彼女は言います。「あんたの解釈はいつもオカシイ、変だ」

「なにがよ」

「昨日、あんたがあれだけ言うからさ、私もyou tubeで今井正の『にごりえ』見てみたんだ」

ああ、あれか、昨夜、話のなりゆきで、つい今井正の「にごりえ」の話をしてしまいました。

話のネタが尽きたときなんかには、二人の唯一の共通点、彼女の文学好きを頼りに、小説ネタを振って気まずい沈黙の窮地をどうにか脱しようと凌ぎに努めているのですが、「にごりえ」については最近若干調べたこともあり、原作なども読んで、さらに作家論も二、三拾い読みしているくらいなので、その勢いからつい知ったかぶりを発揮して、「映画と文学」の関係などについて暴走気味に滔々と彼女に話したかもしれません(今井正が独自の演出のために原作を自分なりに「かなり解釈」して演出したという例のわが持論です)。

「あんたさあ、いつも自分のいいように解釈するけどさ、それって、ホントおかしい」

「なにが」

「だいたい間違っているからよ。ほら、この今井正の『にごりえ』でも、なんとか言ってたよね、どら息子・石之助が下女・おみねの盗みを見てないとかなんとか強引に押し通そうとしてたじゃん。そう言っちゃったらさあ、このハナシ滅茶苦茶にならない? 放蕩がやまない石之助は近々廃嫡されることになっていて、継母もあからさまにこの息子を嫌がっていてアワヨクバ家から追い出しにかかっていて、そのことに腹を立てている息子は、その腹いせで硯箱の金を搔っ攫っていくんだよ、その行為のなかには当然「おみねの盗みを庇う」ことが「継母に対する腹いせとか当て付け」という部分に密接に関係していることを含めて考えなきゃ全然意味ないじゃん、これってとても重要な要素だとそこらをほっつき歩いている猫でも思うわ、アンタ以外はね。この物語からそこを外してしまったら、もうほとんど小説の体裁をなしてないと思わない? おみねが居間で金の入った硯箱から金を盗む際、寝ている石之助をアンタ「微動だにしなかった」とかなんとか言ってたけどさ、もう一回、you tubeよく見てみな。ここぞという場面で、あのドラ息子、意味ありげにもそもそ動いているからさ。あんたは昔っから言葉に酔う癖あったよね、≪微動だにしなかった≫なんてかっこいい言葉使っちゃったりなんかして、だけどそれって、ただ言葉の響きに陶酔したかっただけなんだよね、そういうご都合主義で、目の前にある事実を強引に歪め、隠蔽し、自分勝手に解釈しただけでしょう、でもそもそもそれが間違っているっていうのよ、結局のところ」

思わず「マジか」と呟きましたが、それはいま女房から糾弾された自分のご都合主義とかに対してではなくて、もちろん「ここぞという場面で、石之助が意味ありげにもそもそ動いている」という部分に、ワタシは思わず「マジか」と呟いたのであります。

そんなに言うなら見てやろうじゃねえかこの野郎という訳で、早速、パソを開いて、you tube動画の「映画・にごりえ」をクリックしました。

そうですね、まずは酔った若旦那・石之助が、主人家族が出払ってる留守に、勝手口からふらりと現れる場面あたりから再生することにしましょうか。
かなり酩酊しているのに、さらに酒の支度を命じられたおみねを訪ねて叔父の子供・三之助が、依頼した金の受け取りにやってきます。

おみね「奥様は外出してしまったの、遠いところを悪いけど、また出直してきてくれない」と三之助少年をいったん家に返します。どうしよう困ったわというおみねの不安な表情が印象的な場面です。

家に戻った三之助から「まだお金の用意ができてない」ことを伝え聞いた叔父は、「やはり無理な依頼だったのだ。あの子にこんなことを頼める義理じゃない、筋違いだった」と年端の行かない娘・おみねに過重な依頼(依存)をしたことを後悔し、(暗に叔母に)おみねへ断りの詫びにいかないといけないなと仄めかす会話が交わされます。

のちに叔母がおみねを尋ねて、「無理な依頼をして済まなかったね、今回のことは忘れてご主人大事に働いておくれ」と言われたとき、おみねは、もう工面(盗んで)してしまったのだから、いまさらなにを言い出すんだとむっとする場面があって、そこには、おみねが、伯父から信頼されて期待に応えようと必死で盗みまでした彼女の自尊心の強さと、そのような苦労も知らずにただ一言で自分の挺身を一蹴されそうになって深く傷つけられたことのショックの大きさが巧みに対比されて描かれていて、いままでおみねは大それた犯罪に手を染めたことに後悔と迷いのあったことが、このときはじめて自分が犯した盗みの罪も迷いもすべてひっくるめて引き受けようと決意したことが明確に描かれています。

居間で寝ている若旦那・石之助のもとに、命じられた酒を持ってきてお燗をつけるおみねは、なにも掛けずに仰向けにごろりと寝ている石之助にフトンを掛けてあげる(この仰向けに寝ている石之助の姿をしっかりと目に焼き付けておかなければなりません)。

おみねがお勝手に戻り、こまごまとした後片づけをしているところに、継母と娘二人が帰宅する。

そこで石之助の来訪を知らされた継母は、突如不機嫌になって(この不機嫌が、一度は了承したおみねの借金の依頼にも否定的に影響したことは明らかです)居間に入った継母は新之助の枕元で、聞こえよがしにあからさまな嫌み(忙しくって暇な誰かさんの体を半分欲しいくらいだ)を言う。

なるほど、このとき石之助は首を右にねじ向けます。

熟睡しているところを枕元が騒がしいので薄っすら目を覚ましたというよりも、とっくに目は覚めていて、そのうえでそんな話なら聞きたくもないという拒絶のポーズと見たほうが、やはり妥当かもしれませんね。

だから、そのあとに続くおみねの「借金の申し出」と女主人の「拒絶」のやり取り、それから嫁いだ娘の出産の手伝いのために慌ただしく継母が出かけたその際に、職人が借金の20円という金を届けに来て、それが硯箱の中に一旦おさめられたという一連の事情のすべてを石之助は覚醒したまま聞いていたと見るのが妥当かもしれません。

もしかしたら、そのあと叔母が訪ねてきて「すまなかったね、ご主人大事に働いておくれ」の一連のやり取りまでも聞いていたかもしれません。それは大いにありうることです。

いやはや、なるほど、恐れ入りました。やれやれ

配偶者は、そんなワタシを「なんか言え」みたいな顔でじっと見ています。

いっそ「どうだ、グウの音もでまい」とでも言つてくれたら、悔しいので「グウ」くらいは言ってやろうと思って身構えていたのですが、しばらく気まずい沈黙があって、あっ、そうだ、思い出しました、もうひとつ、ほらあったじゃん、ほらほら、石之助にそんな善意や侠気があったとして、ハッピーエンド風の結末のストーリーになったとしたら、このオムニバス映画の、その他の物語とのバランスはどうなっちゃうのっていうアレ。

え~、まだ言うの、懲りずに。だってさ、おみねという娘は、2円の盗みであれだけの罪悪感を持ってしまう女の子なのよ。
「ああ、若旦那は、自分の盗みを帳消しにするようなことを敢えてしてくれて、自分のことを庇ってくれたんだ、ありがとう」とほのぼのとした気持ちになってこの物語は終われるのに、もし「石之助のチラ見」がないうえに石之助の盗みが重なるんだとしたら、おみねの罪悪感とその贖罪は宙に浮いたまま納まり所を失ってしまうと思わない? 
そんなふうのおみねだったら「しめしめ、バカ息子のお陰で、自分の盗みがばれずに済んで本当によかったわ」っていう最悪な立場しかなくなっちゃうじゃないの。
おみねが、そんな悪ずれした子で終わるのだとしたら、この小説そのものが下卑た最悪の物語になってしまうじゃない。そんな解釈したら樋口一葉だって怒るわよお。アンタが言った3篇のなかで、この1編だけが「ほのぼのとした気持ちになってこの物語が終わってしまう」ようなら、オムニバス映画のバランスが崩れるとかなんとか。
そもそも、それがアンタの認識違いってやつなのよね。
この3編は、明治の女たちの悲惨さをそれぞれに描いた物語であることには変わりないけど、その結末はどうかというと、おみねの場合がそうだったように、悲惨の中にも「一点の救い」は描かれていると思うの。それがこの映画のキモなのよ。
「十三夜」のせきは、婚家のイビリと仕打ちに耐えられず親元に逃げ帰ってきたのを、父親に説得されて追い返されるわけだけど、その説諭の内容は「自分だけの個人的な苦痛」なんて「貧しいことの社会的悲惨」に比べれば何ほどのものではない、だってあんたは「正妻」じゃないの、その身分的保証の後ろ盾をしっかり認識していれさえすれば少しくらいのイビリや仕打ちなんてなにほどのものでもない、我慢できないはずはないと身分制の拘束を逆手に取ってチカラを得て「帰還」したのだったし(彼女にとってはとても大きな収穫と成長だったに違いありません)、「にごりえ」のおりきにしても、それが傍目には凄惨な無理心中だったかもしれないにせよ、その死に顏のやすらかさは、なによりも「一点の救い」を描いていると思って差し支えないと思うのよね。
どうよ、これ。どうなのよ。

いやはや、なるほど、なるほど、重ね重ね恐れ入りました。やれやれ、やれやれ、やれやれ、やれやれ



2021 カーリング日本選手権

$
0
0
カーリングの日本選手権を予選から見ていて、無敗で勝ち上がったロコ・ソラーレが、当然優勝かと思っていた決勝戦、最後の最後のラウンドで北海道銀行に支配権を奪われ、ちょっとあっけない意外な結果で終わってしまいました。

それまでの全試合を無敗で快調に勝ち進んできただけに、自分の肩入れ・身びいきを差し引いても、最後のたった一投・1敗でいままでの実績がフイになってしまうなどというこの決勝ラウンドというシステムの「いままでの連勝は、いったいなんだったんだ」と思わずにいられない理不尽な思いが、どうしても付きまといます。

しかし、逆の側に立てば、これって起死回生のチャンスに満ちた希望の制度ともいえるわけで、「見る側の面白さ」を盛り上げる意味からすれば、あるいは、そういうこともあるのかもしれませんが、これって「興行」を長引かせて二重も三重も稼ごうという興行サイトの企みとかじゃないのかと勘ぐってみたくもなります。

しかし、反面、ロコ・ソラーレにしても、後半、随所でロコ・ソラーレのショットとスウィープの精度を欠いたちぐはぐさというのも確かにありましたし、そもそもあのオリンピックで「銅メダル」を獲得できたのも、このシステムのお陰だったと言えなくもないので、まあ、それを思うと、やっぱりなんとも言えませんか。

とにかく、今日の新聞記事によると「北海道銀行と前年優勝のロコ・ソラーレは、2022年北京五輪代表の座をかけて代表決定戦を行う」とありますから、まあ、心機一転、そちらで頑張ってもらうしかありません。

今度は必ず、やってくれると思います(って、これが彼女たちに常勝を過剰に意識させてメンタルを圧し潰した「エールの重圧」ってやつか、スマソ)。

実は、あの「五輪銅メダルフィーバー」のとき、関連記事を自分もブログに幾つか書いていて、べつに「ヨイショ記事」ではないのですが、それが今頃になって、(この結果で)ふたたび読まれていることについて、少し照れくさいというか(明らかに当時、ロコ・ソラーレのサクセス・ストーリーにすっかりはまって、酔っていたことは事実なので)、なんだか具合の悪い思いで過ごしています。

今日もまた「東京物語」で日が暮れる

$
0
0
先週の月曜日、午後7時のニュースを見ながら、何気なく夕刊(たしかその日は朝刊は休刊でした)のテレビ番組表を眺めていたら、なんと午後7時30分からwowowで木下恵介監督の「カルメン故郷に帰る」を放映するとか書いてあるじゃないですか。

えっ~、こりゃあ、のんびり夕食なんかとっている場合じゃありません、目の前の飯やらおかずやらを急いで掻き込み丸呑みして、早速テレビの前にスタンバイしました、そうそう、思い出しました、そういえばwowowの今月号に「松竹特集」とか、なんだか書いてあったような気がします。

そうか、いまになってやっと思い出すくらいじゃあ、きっと、もうかなり特集も進んでしまっていて見逃した映画も結構あるだろうなこの分じゃ、と少し気落ちしながらwowowの冊子を引っ張り出して確認したところ(恥ずかしながらこの冊子、届いてもそこらにほったらかして中身を精読したことなんか滅多にありません)、はは~ん、なるほど、「特集・松竹映画の100年」というのは、まさに「今日」からのはじまりって書いてありますね、なになに、その第1作目がこの「カルメン故郷に帰る」というわけですね。

作品のライン・アップをみると

カルメン故郷に帰る(1951木下恵介)、東京物語(1953小津安二郎)、男はつらいよ(1969山田洋次)、幸福の黄色いハンカチ(1977山田洋次)、必殺! (1984貞永方久)、キネマの天地(1986山田洋次)、復讐するは我にあり(1979今村昌平)、その男凶暴につき(1989北野武)、御法度(1999大島渚)、武士の一分(2006山田洋次)、

しかも、なんと明日は、なにィ~、「とと東京物語」を放映するとか書いてあるじゃないですか。ラッキー!! いやはや、見逃さずに良かった良かった。長生きしていると、たまにはこういう、いいこともあるんですよねえ。

なるほど、なるほど、それでこの10作というわけですね。ふ~ん、しかし「特集・松竹映画の100年」と大きくカマシタわりには、なんか、独特のカタヨリ感も禁じ得ませんね。

それは10作品中4作品を山田洋次作品が占めているというあたり、これってずいぶん山田洋次の「生存」に気兼ねして無理して立てた企画のように見えなくもないというあたりが、ちょっと気になるところではあります。

まあ、かつて「男はつらいよ」シリーズを盆と正月にはさんざん見てきたくせに(この習慣が途切れてからもう随分経ちます)、その恩ある作品をいまさらこう言っちゃなんですが、金に飽かして延々と続いた豪華な「映画・男はつらいよ」よりも、それ以前、狭いスタジオでちまちま撮られたなんとも貧弱でガチャついていたテレビ版「男はつらいよ」(高視聴率を獲得して映画製作に道をつけたテレビ作品です)の方が、その発想の原初(故郷を持つ風来坊の物語)のアナーキーさ(精密にいえば、アナーキーになりきれない故郷から縁の切れないアナーキーの滑稽さ)がよく出ていて、よほど面白かったという記憶があります。

そうか、いま思い出しました。「特集・松竹映画の100年」といえば、少し前、国立映画アーカイブでもたしか同様の企画で上映会があったという記事をなにかで読んだ気がします、というわけでさっそく検索をかけてみました。

ほら、これこれ、企画の正式タイトルは「松竹第一主義 松竹映画の100年 Shochiku Cinema at 100」(データの詳細は、末尾に添付しておきますね)とあり、1921年の「路上の霊魂」からはじまり2006年の「花よりもなほ」までの64本が挙がっています、これでこそ「特集・松竹映画の100年」の名にふさわしい企画といえるわけで、「100年」などと大きく出るからには、せめてこの半分くらいのリキは入れてほしいと思います。

しかし、興味の向かうところ千々に乱れ、手当たり次第に本をひっくり返しているかと思えば、パソコンの検索に没頭し、調べながら不意に遭遇した意想外の興味深いネタに誘われるままに別の道をずんずん突き進んで、ついに当初自分が何を調べていたのかすっかり失念していることにやっと気が付いたときには、いつの間にか日暮れを迎えている窓外の夕景をただ呆然と眺めやり「今日もまた、かくして一日が終わったか、いやマジで」とヒトリゴツそんなワタシを見ながら、「映画が趣味」にイマイチ距離を置いている醒めた配偶者は、なにやら口だけモグモグ動かして、無言でなにごとかをワタシに問いかけています。

きっと「このADHD野郎」と言っているに相違ありません、いつものことです、まあ和訳するとすれば「注意欠如の多動症野郎」とでもいったところでしょうか(まんま、直訳じゃねえか)。

そして、

「アンタさあ、『東京物語』の放送があるたんびに録画しているけどさあ、オンナジもの何本録ったら気が済むの、こっちだって見たい番組あるんだよテニスとかさ、いい加減にしてよね、だいいち録画したって全然見てないじゃん」

とかなんとか非難がましいことをノタマウのであります。

お前らみたいなド素人に分かってたまるか、とそのたびに心の中で言い返していますが、まぁ、つまらない妄言に反応して、いちいち対応するっていうのもずいぶん大人げない話なので当然無視しているのですが、まあそれもある意味逃げで、実のところだらしない部分もあるかもくらいは、もとより十分承知いたしておるところではあります。

すると、わが黙殺に苛立った彼女は、ズルそうな薄笑いを浮かべながら、さも訳知り顔にこんなことを言うのです。

「それってさあ、いくら見たって『東京物語』を理解できないあんたの無知蒙昧(あるいは「無能」と言ったかもしれませんが、どちらにしても亭主へのリスペクト感のなさにおいては、ほぼ同じような気がします)のなせる焦燥感を反映した一種の病的行為だよ。臨床学的にみると、いわば精神病だわさ」などと、とんでもないことをほざくのであります。

しかもよりにもよって「だわさ」とはなんだ(ソッチ!?)、と一瞬逆上しかけましたが、しかし、どうにかコンニチまで心強い婚姻制度にも支えられながらではありますが、まがりなりにも「夫婦」という社会的関係性が維持継続できたというのに、ここにきて「東京物語」の録画くらいのことで口争いなどをして婚姻関係を破綻の危機にさらすというのも、どうかなと思う部分もあり、ここは光秀じゃないですが、ぐっと我慢の大五郎ということにアイなりました。いつものことです。

しかし、いままで自分でも考えたことがなかったのですが、そう彼女に言われてみると、たしかにテレビの放送があるたびに、この「東京物語」を録画せずにいられないのというのは、まあ不思議と言えば不思議な話で、「どうしてだ」という疑問は当然起こりますし、あって当然といえるでしょう。

そんななかで、今回もまた録画しながら、「東京物語」を鑑賞しました。鑑賞しながら、あの「どうしてだ」の意味が、だんだん分かってきたような気がします。

自分も年齢を重ねるにつれ、ミタビ・ヨタビと繰り返しこの映画を見ていくなかで、そのつど、いままでとは違うもの・新しい部分が見えてくるというか、「発見」があるのだなということが分かってきたのです。
自分にとって、今回見た「東京物語」は、十代とか二十代で見た「東京物語」とは明らかに違います。こんなふうに、年齢を重ねながら、その節目節目で見た「東京物語」は、それぞれに違った顔を見せて自分を感動させ続けてきたのだろうなということに気がついたのです。

なんだ、そんなことか、当たり前じゃないかと言われてしまいそうですが、自分的には、今回もちょっと目が覚めたような感動を受けたので、そのへんのところを書いてみたいと思います。

いままで自分は、この物語が、尾道の老夫婦が、東京で暮らす子供たちを訪ねて、しかし、そこにはきびしい現実の生活に追いまくられている生活者としての彼らがいて、都会人としてどうにか自立し、それぞれが家族を持って、そのなかで悪戦苦闘している彼らは、もはや老夫婦が育てたあの「子供たち」などでは当然なくて、むしろ彼ら自身が自分の家族の維持のために悪戦苦闘している別のファミリーであって、かつての「老夫婦の家族・親子関係」はかなり薄れてしまっていて、あるいは無きがごときか、さらに「すでに壊れてかけているのかもしれない」ことを薄々感じ始めて、いささか失望する(老妻が「私たちは、まだまだいいほうでさあ」と自分に言い聞かせるように呟くその言葉が、そのことを端的に示しています)という物語だと認識していました。

つまり、老夫婦の、そして老妻の死で「家族が散り散りになって終わる失意の物語」だと。

老夫婦は、東京で暮らす「子供たち」の家に順々に泊まっていくのですが、しかし、子供たちにはそれぞれの生活があって、とてもじゃないが、上京した両親をつきっきりで世話することができません、わずかな小遣い銭を渡されて東京の(あるいは熱海の)街中におっぽり出され、さまよい歩くのですが、しかし、どこにも老いたふたりの安らげる落ち着き場所などあるわけもなく、行き場を失った老夫婦は、仕方なく戦死した次男の嫁・紀子(原節子)を訪ねます。

実の子供たちには、さんざん邪険にあつかわれたあとで、次男の嫁・紀子に、実のこもったあたたかいモテナシを受けて、やっと落ち着けた老妻は、その夜の床で感謝の気持ちを込めて「なあ、紀さん」と、嫁・紀子に語り掛けます。

とみ「気を悪うされると困るんじゃけど、昌二のう、死んでからもう8年になるのに、あんたがまだああして写真なんか飾ってくれとるのを見ると、わたしゃなんやらあんたが気の毒で・・・」
紀子「どうしてなんですの?」
とみ「でも、あんた、まだ若いんじゃし」
紀子「もう若かありませんわ」
とみ「いいえ、ほんとうよ。あたしゃ、あんたにすまん思うて。ときどきお父さんとも話すんじゃけえど、ええ人があったら、あんた、いつでも気兼ねなしにお嫁に行ってつかあさいよ」

(紀子、笑ってやり過ごそうとする)

とみ「ほんとうよ、そうして貰わんと、わたしらもほんとうにつらいんじゃけ」
紀子「じゃあ、いいとこがありましたら」
とみ「あるよ、ありますとも、あんたならきっとありまさあ」
紀子「そうでしょうか」
とみ「あんたにゃいままで苦労のさせ通しで、このままじゃ、わたしすまんすまん思うて」
紀子「いいの、お母さま、わたし勝手にこうしていますの」
とみ「でもあんた、それじゃァあんまりのう」
紀子「いいえ、いいんですの。あたし、このほうが気楽なんですの」
とみ「でもなあ、いまはそうでも、だんだん年でもとってくると、やっぱり一人じゃさびしいけえのう」
紀子「いいんです、あたし、年とらないことに決めてますから」
とみ「ええひとじゃのう、あんたァ」
紀子「じゃ、おやすみなさい」

そして紀子は立ち上がって、電灯を消して寝床に入ります。

玄関扉のあかり取りからアパート廊下の常夜灯の光が紀子の涙のにじんだ顔を薄っすら浮かび上がらせている、自分は長いあいだ、その紀子の涙のわけを、直前に義母から言われた「やっぱり一人じゃさびしいけえのう」という言葉に感応して、断ちがたい亡夫・昌二への思いとか、この厳しい現実に独り身で生きていかねばならないさびしさ・わが身の不幸を悲観しての「悲しみの涙」だとばかり思ってきました。

それは、この映画の白眉といえるラストシーン、その義父・周吉との会話の中でも繰り返されていて、そこでも紀子がはじめて感情をむき出しにして語る述懐こそは「厳しい現実に『戦争未亡人』のまま独り身で生きていくことのさびしさ・あてどなさ・わが身の不幸と悲観」の訴えなのだという観点でずっと理解してきたのだと思います。

しかし、今回、義母・とみと紀子との会話のシーンを見ていて、むしろこれは自分のために親身になって気遣い心を砕いてくれる義母の深い優しさに対しての感謝の涙と素直に理解してもいいのではないか、嫁いだこの「平山家」から自分が再婚することによってそんなふうに縁・関係が切れてしまう(家族を失う)ことへの、さびしさの「涙」ということも肯定できるような気がしてきたのでした。

義母・とみの葬儀も終わり、紀子がいよいよ帰京するという朝、

周吉の「あんたみたいなええ人はない言うて、母さんも褒めとったよ」という優しい言葉にイザナワレルように、紀子はそれまで抑えに抑えていた思いを噴出させる迫真のシーン、実は、このシーンは、あのアパートの紀子の部屋で交わされた「とみと紀子の会話」と対を成し、さらに周吉が妻・とみの気持ちをそのまま受け継いで、紀子に語り掛ける場面として見なければ、この「東京物語」を理解したことにはならないと思い至った次第です。

たとえ、血はつながっていなくとも、(自分が育てた子供より、いわば他人のあんたの方が、よっぽどわしらにようしてくれた)紀子を「家族」として受け入れようというその証しが、妻・とみの懐中時計のあの形見分けだったのだなと思い至りました。

この場面でも、義父・周吉は、「とみと紀子との会話のシーン」で、とみが紀子に語り掛けたあの「再婚の勧め」を繰り返しますが、すでに観客は、その話が、紀子を「平山家」から放逐することを意味するわけではないことを十分に察していて、義母・とみには話せなかった領域(とみにとっても、紀子に対しての「それ」は十分にあったと思います)に踏み込んで話始めるふたりの会話がはじまります。


周吉「京子、出かけたか」
紀子「ええ、お父さま、わたくし、今日お昼からの汽車で」
周吉「そう、帰るか、長いこと、済まなんだなあ」
紀子「いいえ、お役にたちませんで」
周吉「いやあ、おってもろうて助かったよ。お母さんも喜んどったよ、東京であんたのとこへ留めてもろうて、いろいろ親切にしてもろうて」
紀子「いいえ、なんにもお構いできませんで」
周吉「いやあ、お母さん、言うとったよ、あの晩がいちばん嬉しかったいうて、わたしからもお礼を言うよ、ありがとう」
紀子「いいえ」
周吉「お母さんも心配しとってたけえど、あんたのこれからのことなんじゃがなあ」
紀子「・・・」
周吉「やっぱりこのままじゃいけんよ、ええとこがあったら、いつでもお嫁にいっておくれ。もう昌二のこたあ忘れて貰うてええんじゃ。いつまでもあんたにそのままでおられると、かえってこっちが心苦しゅうなる、困るんじゃ」
紀子「いいえ、そんなことありません」
周吉「いやあ、そうじゃよ。あんたみたいなええ人ぁないいうて、お母さんもほめとったよ」
紀子「お母さま、わたしを買い被っていらしたんですわ」
周吉「買い被っとりゃせんよ」
紀子「いいえ、わたくし、そんな、おっしゃる程のいい人間なんかじゃありません。お父さまにまでそんなふうに思っていただいてたら、わたくしの方こそ却って心苦しくって・・・」
周吉「いやあ、そんなこたあない」
紀子「いいえ、そうなんです。わたくし、ずるいんです。お父さまやお母さまが思っていらっしゃるほど、そういつも昌二さんのことばかり考えている訳じゃありません」
周吉「いやあ、ええんじゃよ、忘れてくれて」
紀子「でもこの頃、思い出さない日さえあるんです。忘れている日が多いんです。わたくし、いつまでもこのままじゃいられないような気もするんです。このままこうして一人でいたら、一体どうなるんだろうなんて、ふっと夜中に考えたりすることがあるんです。一日一日が何事もなく過ぎていくのがとても寂しいんです。どこか心の隅で何かを待っているんです。ずるいんです」
周吉「いやあ、ずるうはない」
紀子「いいえ、ずるいんです。そういうこと、お母さまには申し上げられなかったんです」
周吉「ええんじゃよ、それで。やっぱりあんたは、ええ人じゃよ、正直で」
紀子「とんでもない」
周吉「いやあ」

周吉は立ち上がり仏壇の引出から、なにやら取り出して紀子の前に置きます。

周吉「これは母さんの時計じゃけえどなあ、いまじゃあこんなもの流行るまいが、お母さんがちょうどアンタくらいの時から持っとったんじゃ。形見にもろうてやっておくれ」
紀子「でも、そんな」
周吉「ええんじゃよ、貰うといておくれ、あんたに使うてもらやあ、お母さんもきっと喜ぶ」
紀子「すみません」
周吉「いやあ、お父さん、ほんとにあんたが気兼ねのう、さきざき幸せになってくれることを祈っとるよ、ほんとじゃよ」

紀子、胸に迫ったものがあり思わず顔を蔽います。

周吉「妙なもんじゃ、自分が育てた子供より、いわば他人のあんたの方が、よっぽどわしらにようしてくれた。いや、ありがとう」

周吉から贈られたとみの懐中時計は、長女・志げが自分から言い出してハンバ強引に持ち去った形見(ただの物質としての露芝の夏帯と絣の上布)とは、そこに込められた意味においては大きく異なります。
義母・とみが長年愛用したその懐中時計を紀子に贈ることは、紀子にどのような将来が待ち受けていようと、周吉にとって彼女が、かけがえのない家族の一員であることを伝え示していて、帰りの汽車の中で紀子がその懐中時計を感慨深げにじっと見入るラストシーンは、そのことを彼女自身も十分に知悉し、癒されたことを示しているのだと思います。


(1953松竹大船撮影所)監督・小津安二郎、脚本・野田高梧・小津安二郎、製作・山本武、撮影・厚田雄春、美術・浜田辰雄、録音・妹尾芳三郎、照明・高下逸男、音楽・斎藤高順、編集・浜村義康、録音技術・金子盈、装置・高橋利男、装飾・守谷節太郎、衣裳・齋藤耐三、現像・林龍次、監督助手・山本浩三、撮影助手・川又昂、録音助手・堀義臣、照明助手・八鍬武、進行・清水富二
出演・笠智衆(平山周吉)、東山千栄子(俳優座)(とみ)、原節子(紀子)、杉村春子(文学座)(金子志げ)、山村聡(平山幸一)、三宅邦子(文子)、香川京子(京子)、東野英治郎(俳優座)(沼田三平)、中村伸郎(文学座)(金子庫造)、大坂志郎(平山敬三)、十朱久雄(服部修)、長岡輝子(文学座)(よね)、桜むつ子(おでん屋の女)、高橋豊子(隣家の細君)、安部徹(鉄道職員)、三谷幸子(アパートの女)、村瀬襌(劇団ちどり)(平山實)、毛利充宏(劇団若草)(勇)、遠山文雄(患家の男)、諸角啓二郎(巡査)、三木隆(艶歌師)、長尾敏之助(尾道の医者)、




≪参考≫ 
国立映画アーカイブ「松竹第一主義 松竹映画の100年」詳細

1 路上の靈魂[弁士説明版](84分・24fps・HDCAM-SR・白黒)
(1921松竹キネマ研究所)(監・出)村田實(原)ヴィルヘルム・シュミットボン、マクシム・ゴオリキイ(脚・出)牛原虚彦(撮)水谷文次郎、小田濱太郎(美)溝口三郎
(出)小山内薫、英百合子、伊達龍子、東郷是也、澤村春子、久松三岐子、南光明、蔦村繁、岡田宗太郎(説明)徳川夢声
1920 年、小山内薫は松竹のキネマ俳優学校の校長として招かれ、同校出身者らとともに松竹キネマ研究所を設立した。本作は、芸術としての映画を追究した同研究所の渾身の第1作。クリスマス・イブ、山の別荘に集う人間模様を通して、憐れみや不寛容といった人間の普遍的な価値に迫る。上映するのは2014 年に当館が復元した弁士説明版。封切当時の映画説明者だった徳川夢声が1954 年に再び説明を披露したときの音声が、最初と最後の54分間に収録されている。

2 海浜の女王 他(計88分)
海浜の女王[松竹グラフ版](14分・18fps・35mm・無声・白黒)
(1927松竹蒲田)(監)牛原虚彦(原)津久秋良(脚)小林正(撮)水谷文二郎
(出)鈴木傳明、柏美枝
晴れゆく空(53分・18fps・35mm・無声・白黒)
(1927松竹蒲田)(監)赤穂春雄(原)逓信省簡易保險局(脚)吉田百助(撮)越智健治
(出)石山龍嗣、松井潤子、小藤田正一、戸田辨流、二葉かほる、木村健次、斎藤達雄
石川五右ヱ門の法事[パテベビー短縮版](21分・16fps・35mm・無声・白黒)
(1930松竹蒲田)(監)斎藤寅次郎(原)絹川秀治(脚)池田忠雄、伏見晃(撮)武富善雄
(出)渡辺篤、横尾泥海男、青木富夫、坂本武、香取千代子
『海浜の女王』は、蒲田モダニズムを代表する牛原虚彦監督=鈴木傳明主演の1 本で、映画保存協会の「映画の里親」プロジェクトにより、2006 年に復元したもの。二枚目スターの傳明が女装姿で水泳、カーチェイス、乱闘を繰り広げる。『晴れゆく空』は松竹を代表する名プロデューサー・城戸四郎の知られざる監督作(赤穂春雄はペンネーム)で、逓信省の簡易保険と郵便年金のPR 短篇。『石川五右ヱ門の法事』は斎藤寅次郎の貴重な無声期のナンセンス喜劇で、1997 年に9.5mm短縮版が発見された。恋人の父親に結婚を反対されて撲殺された男が幽霊になってよみがえり、先祖の大盗賊・石川五右衛門の助力を得て恋人を奪い返す。
弁士:片岡一郎 伴奏:上屋安由美

3 民族の叫び 他(計123分)
民族の叫び(61分・18fps・35mm・無声・白黒・部分)
(1928松竹蒲田)(監)野村芳亭(原)黄子明(脚)吉田百助(撮)小田浜太郎
(出)井上正夫、清水一郎、筑波雪子、岩田祏吉、木村健兒、東榮子、岡田宗太郎、押本映治、松浦浪子
島の娘(62分・35mm・サウンド版・白黒)
(1933松竹蒲田)(監)野村芳亭(原)長田幹彦(脚)柳井隆雄(撮)長井信一(美)脇田世根一(音)佐々木俊一
(出)坪内美子、竹内良一、江川宇礼雄、若水絹子、岩田祐吉、鈴木歌子、河村黎吉、宮島健一、水島亮太郎、高松栄子、兵藤静枝
『民族の叫び』は満蒙開拓宣伝のための大作映画で、満鉄が出資し、満洲でロケーション撮影が行われた。山東省の豪家・楊老大人(井上)や、父の「日中親善」の遺志を継ぐ福本眞太郎(岩田)を軸に、理想郷としての満洲開拓の意義が説かれる。オリジナルは12巻だが、現存するのは後半部分と思われる。『島の娘』は、当時の大ヒット曲をモチーフにしたサウンド版小唄映画。伊豆大島を舞台に、若者たちのすれ違いと悲恋が抒情豊かに描かれる。当時、三原山で続発した若者の自殺が、物語に機敏に取り入れられている。

4 不壞の白珠 他(計103分)
恋の捕縄(2分・18fps・35mm・無声・白黒・断片)
(1925松竹蒲田)(監・原・脚)清水宏(撮)佐々木太郎
(出)奈良真養、森肇、吉村秀哉、石山龍嗣、筑波雪子、田中絹代、二葉かほる、人見松調、富士龍子
不壞の白珠[染色版](101分・24fps・35mm・無声・染色)
(1929松竹蒲田)(監)清水宏(原)菊池寛(脚)村上徳三郎(撮)佐々木太郎(美)水谷皓
(出)八雲恵美子、髙田稔、及川道子、新井淳、小村新一郎、鈴木歌子、伊達里子、髙尾光子、小藤田正一、藤田陽子、滝口新太郎、谷崎龍子
松竹時代の清水宏は、メロドラマやシリーズものなど「蒲田調」を支えるプログラム・ピクチャーを多く手がけながらも、斬新でモダンな感覚を持つ新進気鋭の監督として注目されていた。『不壞の白珠』は、清水による菊池寛の小説の映画化。俊枝(八雲)は成田(高田)に好意を寄せているが、成田はそれに気づかず俊枝の妹・玲子(及川)と結婚してしまう。玲子の奔放さゆえ、二人の結婚生活も長くは続かないが…。俊枝の孤独や挫折が、ショット構成、編集など、映画的手法の駆使によって表現され、城戸四郎に一目置かれた清水のメロドラマ演出の才腕を堪能できる。2018年に神戸映画資料館で断片が発見された『恋の捕縄』とともに上映。

5 若者よなぜ泣くか(193分・20fps・35mm・無声・白黒)
1930(松竹蒲田)(監)牛原虚彦(原)佐藤紅緑(脚)村上徳三郎(撮)水谷至閎(美)西玄三、藤田光一、矢萩太郎
(出)鈴木傳明、岡田時彦、田中絹代、藤野秀夫、川崎弘子、筑波雪子、吉川満子、山内光
アメリカで映画製作を学んだ牛原虚彦は、帰国後、鈴木傳明を主演にアメリカニズムあふれる作品を次々と発表した。本作は牛原=傳明による最後の作品。妻に先立たれた上杉毅一(藤野)がモガの歌子(吉川)を妻に迎え、上杉家の空気は様変わりしていく。学生時代、水泳選手として活躍した傳明の鍛えられた体型は日本映画の新たな俳優像を提示している。

6 マダムと女房(56分・35mm・白黒)
1931(松竹蒲田)(監)五所平之助(原・脚)北村小松(撮)水谷至閎(美)脇田世根一(音)高階哲夫、島田晴誉
(出)渡辺篤、田中絹代、市村美津子、伊達里子、横尾泥海男、吉谷久雄、月田一郎、日守新一、小林十九二、関時男、坂本武、井上雪子
国産初の本格的なトーキー。「ドラマの構成の上に、発声効果を取入れる」というのが城戸の方針であったが、まさしく映画の音響効果は、劇作家・新作(渡辺)の創作の邪魔をする日常のさまざまな雑音を表現し、物語を展開する上で不可欠な要素になっている。ユーモラスな台詞もトーキーならではの軽快なテンポを生み出している。

7 婚約三羽烏(66分・35mm・白黒)
(1937松竹大船)(監・脚)島津保次郎(撮)杉本正二郎
(出)上原謙、佐分利信、佐野周二、三宅邦子、髙峰三枝子、森川まさみ、武田秀郎、葛城文子、斎藤達雄、河村黎吉、小林十九二、飯田蝶子、水島亮太郎、岡村文子、大塚君代、若水絹子
入社同期の仲良し三人組が社長令嬢を巡って恋の争いを繰り広げる。松竹入社間もない上原謙、佐分利信、佐野周二が「三羽烏」を掲げて共演した最初の作品。都会的で理知的な上原、野生的で豪傑肌の佐分利、気弱で純朴な佐野は、各々の持ち味を発揮し、不動の人気を獲得した。モダニズムに富んだ戦前の大船映画の特色を味わえる一作。

8 愛染かつら[新篇總輯篇](89分・35mm・白黒)
(1938-39松竹大船)(監)野村浩将(原)川口松太郎(脚)野田髙梧(撮)髙橋通夫(音)萬城目正
(出)田中絹代、上原謙、佐分利信、大山健二、水戸光子、三桝豊、桑野通子、藤野秀夫、葛城文子、森川まさみ、河村黎吉、吉川満子、小島敏子、斎藤達雄、坂本武
高石(田中)と津村(上原)は「愛染かつら」の木の下で愛の誓いを交わすも、運命のいたずらに翻弄され、すれ違い続ける。川口松太郎原作の映画化である本作は、公開後、その恋愛を中心とした感傷性が、総力戦体制下の映画としてふさわしいかという論争を巻き起こしたが大ヒットし、大船では女性向けのメロドラマが主流を占めていった。

9 和製喧嘩友達 他(計125分)
『和製喧嘩友達』は、二人のトラック運転手が、身寄りのない娘を引きうけ、恋の鞘当てを演じる小津安二郎の監督第9作。『突貫小僧』は青木富夫の愛らしさと悪童振りが魅力的な喜劇。原作の野津忠二は、野田高梧、池田忠雄、大久保忠素と小津の合名である。『鏡獅子』は日本文化の海外への紹介のため、国際文化振興会が松竹に委託して六代目尾上菊五郎の舞踊を撮影させた、小津唯一の記録映画。『父ありき』のゴスフィルモフォンドで発見されたフィルムは、国内版とくらべて15分程度短いバージョンだが、より良好な音声を聞くことができる。
和製喧嘩友達[パテベビー短縮版/デジタル復元版](14分・24fps・35mm・無声・白黒)
(1929松竹蒲田)(監)小津安二郎(原・脚)野田高梧(撮)茂原英雄
(出)渡辺篤、浪花友子、吉谷久雄、結城一郎
突貫小僧[パテベビー短縮版](14分・24fps・35mm・無声・白黒)
(1929松竹蒲田)(監)小津安二郎(原)野津忠二(脚)池田忠雄(撮)野村昊
(出)斎藤達雄、青木富夫、坂本武
鏡獅子[英語版](25分・16mm・白黒・日本語字幕なし)
(1936国際文化振興会=松竹)(監)小津安二郎(撮)茂原英雄(音)松永和風、柏伊三郎、望月太左衛門
(出)尾上菊五郎
父ありき[ゴスフィルモフォンド版](72分・35mm・白黒)
(1942松竹大船)(監・脚)小津安二郎(脚)池田忠雄、柳井隆雄(撮)厚田雄治(美)濱田辰雄(音)彩木暁一
(出)笠智衆、佐野周二、津田晴彦、佐分利信、坂本武、水戸光子、大塚正義、日守新一

10 陸軍(87分・35mm・白黒)
(1944松竹大船)(監)木下惠介(原)火野葦平(脚)池田忠雄(撮)武富善男(美)本木勇
(出)笠智衆、田中絹代、東野英治郎、上原謙、三津田健、杉村春子、星野和正、長濱藤夫
太平洋戦争開戦3周年記念映画として陸軍省の要請で製作された作品。田中絹代が、気弱な息子を立派な軍人に鍛え育てることに使命感を持つ母親を演じる。プロパガンダ映画の空虚な明るさは、息子の出兵の日、突然、茫然自失になって軍人勅諭をつぶやくわか(田中)のクロースアップから急転し、息子を戦地に送る母親の悲痛な心境が浮かび上がる。

11 フクチヤン奇襲 他(計100分)
フクチヤン奇襲(11分・35mm・白黒)
(1942松竹動画研究所)(監・撮)政岡憲三(原・脚)横山隆一(動画)桒田良太郎、熊川正雄(音)淺井舉瞱
くもとちゅうりっぷ[デジタル復元版](15分・35mm・白黒)
(1943松竹動画研究所)(監・脚・撮)政岡憲三(原)横山美智子(動画)桑田良太郎、熊川正雄(音)弘田龍太郎
桃太郎 海の神兵[デジタル修復版](74分・DCP・白黒)
(1945松竹動画研究所)(監・脚)瀨尾光世(構成)熊木喜一郎(影絵)政岡憲三(音)古關裕而
松竹は日本のフィルム式トーキーアニメーションの最初期の1本『力と女の世の中』(1933、政岡憲三)を製作するなど、国産アニメーションの革新を推し進めていた。『フクチヤン奇襲』は、その政岡を責任者に、1941年に設立された松竹動画研究所の第1作。ミュージカル調の『くもとちゅうりっぷ』は、てんとう虫の少女を主人公にした物語で、戦時下にありながら詩情に満ちている。敗戦間際に公開された日本初の長篇アニメーション『桃太郎 海の神兵』は戦争アニメーションの白眉。奇襲作戦の実話に題材をとり、落下傘部隊のシーンのため実際の動きを徹底研究した。

12 そよかぜ 他(計132分)
そよかぜ(60分・35mm・白黒)
1945(松竹大船)(監)佐々木康(脚)岩澤庸德(撮)寺尾清(美)本木勇(音)萬城目正(出)上原謙、佐野周二、斎藤達雄、髙倉彰、奈良眞養、伊東光一、加藤清一、並木路子、波多美喜子、若水絹子、三浦光子、霧島昇、二葉あき子
はたちの青春(72分・35mm・白黒)
(1946松竹大船)(監)佐々木康(脚)柳井隆雄、武井韶平(撮)齋藤毅(美)小島基司(音)萬城目正
(出)河村黎吉、髙橋豊子、幾野道子、西村青兒、大坂志郎、坂本武、逢川かほる、髙倉彰、三村秀子、櫻庭あき、奈良眞養、佐藤忠治、志村榮美、稲川忠一、榊保彦
『そよかぜ』は、戦前に名曲映画シリーズでヒットを飛ばした佐々木康=万城目正コンビの戦後第1作。レビュー劇場の照明係・みち(並木)の愛と夢が、敗戦の影などどこにもない抒情的でのどかな雰囲気のなかに描かれる。松竹歌劇団出身の並木路子が劇中で歌った「リンゴの唄」は、その明るく和やかなメロディで人々の心を癒し、戦後最初のヒット曲となった。並木は『はたちの青春』でも主題歌「可愛いスイトピー」を歌い、美声を披露した。日本映画史上初の接吻映画と受け止められた本作は、戦後、スクリーンにもたらされた自由と解放を端的に示している。幾野道子と大坂志郎のキス・シーンは、当時、賛否両論を起こすほど話題になった。

13 安城家の舞踏會(89分・35mm・白黒)
(1947松竹大船)(監・原)吉村公三郎(脚)新藤兼人(撮)生方敏夫(美)浜田辰雄(音)木下忠司
(出)原節子、逢初夢子、瀧澤修、森雅之、淸水將夫、神田隆、空あけみ、村田知英子、殿山泰司、津島惠子、岡村文子、日守新一、松井ゆみ、紅沢葉子、二宮照子
舞踏会が開かれている安城家の夜。そのはでやかな舞踏会の背後に渦巻く人間模様から敗戦後の世相が浮き彫りになる。原節子扮する安城敦子が、旧態依然とした華族の家柄に縛られる姉(逢初)に舞踏会の開催反対を表明する強烈なオープニングは、彼女を戦後民主主義の象徴たらしめた。後に近代映画協会を設立する吉村公三郎=新藤兼人コンビの第1作。

14 悲しき口笛(83分・35mm・白黒)
(1949松竹大船)(監)家城巳代治(原)竹田敏彦(脚)清島長利(撮)西川亨(音)田代与志
(出)美空ひばり、原保美、津島恵子、菅井一郎、徳大寺伸、大坂志郎、神田隆、水島光代、清水一郎、山路義人
同名の主題歌もヒットした、美空ひばり初主演作。路上生活をしていたミツコ(美空)は、バイオリンの流しをしている修(菅井)とその娘(津島)と生活することに。一方、ミツコの兄・健三(原)は復員後、妹の行方を捜していた…。逆境にめげず、燕尾服でステッキ片手に歌う美空の姿が、戦後の新たなスターの登場を印象づけた記念すべき作品。

15 てんやわんや(96分・35mm・白黒)
(1950松竹大船)(監)澁谷実(原)獅子文六(脚)斎藤良輔、荒田正男(撮)長岡博之(美)浜田辰雄(音)伊福部昭
(出)佐野周二、淡島千景、桂木洋子、志村喬、三島雅夫、藤原釜足、薄田研二、望月美惠子、三井弘次、三津田健、紅沢葉子、佐々木恒子、髙堂国典、高松栄子
東京での生活に嫌気がさした犬丸(佐野)は、社長(志村)の指令で四国に向かうも、そこでは「四国独立運動」が展開されていた。長年松竹でキャリアを積みながらも大船調からはみ出す型破りな演出で知られる渋谷実が、獅子文六の原作を得て、風俗映画作家としての手腕を発揮している。淡島千景が水着姿で鮮烈なデビューを飾った作品でもある。

16 女優と名探偵 他(計109分)
松竹映画三十年 思い出のアルバム(78分・35mm・白黒)
(1950松竹大船)(構成)池田浩郎(撮)坂本松雄(美)熊谷正雄(音)万城目正
(出)田中絹代、淡島千景(司会)松井翠聲(解)靜田錦波、生駒雷遊
女優と名探偵(31分・35mm・白黒)
(1950松竹大船)(監)川島雄三(原)瑞穗春海(脚)中山隆三(撮)長岡博之(美)熊谷正雄(音)万城目正
(出)日守新一、西條鮎子、河村黎吉、坂本武、増田順二、髙屋朗、小藤田正一
『松竹映画三十年 思い出のアルバム』は、松竹キネマ創設30周年を機に製作された映画。松竹作品の名場面を引用し歴史をたどる。女優に重点が置かれ、30年間の女優史にもなっている。無声映画は、松井翠声による紹介とともに登場する静田錦波や生駒雷遊の説明つきで楽しむ構成で、観客として田中絹代と淡島千景もゲスト出演する。『女優と名探偵』は、探偵(日守)とスリ(西條)、警備員たちの追いつ追われつの大追跡を通じて、本来なら見ることのできない松竹大船撮影所の舞台裏を活写していく。田中、佐野周二など、本人役として特別出演するスターたちの豪華な顔ぶれも見どころ。当時も2本立てで上映され、松竹映画史と1950年当時のスタジオの裏側を同時に知ることができた。

17 カルメン故郷に帰る(86分・35mm・カラー)
(1951松竹大船)(監・脚)木下惠介(撮)楠田浩之(美)小島基司(音)木下忠司、黛敏郎
(出)髙峯秀子、佐野周二、笠智衆、井川邦子、坂本武、見明凡太郎、小林トシ子、三井弘次、望月美惠子、山路義人、磯野秋雄
富士フイルムとの提携により製作された国産初のカラー長篇劇映画。ストリッパーのカルメン(高峯)が里帰りし、田舎町に波乱が起きる。感度や発色など、初期カラーフィルムの限界を克服すべく、木下惠介、楠田浩之らスタッフは入念にテストやシナリオの検討を行い、信州の山を彩るカルメンの華やかな踊りで、カラー映画ならではの魅力を最大限に引き出した。

18 波(111分・35 mm・白黒)
(1952松竹大船)(監・脚)中村登(原)山本有三(脚)大木直太郎(撮)生方敏夫(美)熊谷正雄(音)吉沢博、黛敏郎、奥村一
(出)佐分利信、淡島千景、津島恵子、桂木洋子、笠智衆、坂本武、北龍二、岩井半四郎、十朱久雄、石浜朗、村瀬禅、設楽幸嗣
実子かどうか疑問を抱きつつも、子供を育ててきた見並(佐分利)の日々と悲恋の人生を、回想形式で描く。『羅生門』(1950、黒澤明)のヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞など、海外で日本映画への評価が高まる中、松竹が企画段階から海外輸出も狙って製作し、1952年のカンヌ国際映画祭に出品した作品。

19 新東京行進曲(97分・35mm・白黒)
(1953松竹大船)(監)川島雄三(原)入江徳郎、辻本芳雄、戸川幸夫(脚)柳沢類壽(撮)長岡博之(美)逆井清一郎(音)木下忠司
(出)高橋貞二、北上弥太朗、小林トシ子、淡路惠子、三橋達也、日守新一、坂本武、大坂志郎、須賀不二夫、桂小金治、北原三枝、望月優子
数々の災害をくぐり抜けてきた東京。そんな東京のど真ん中にある泰明小学校を卒業した同級生たちの愛と友情の物語。東京を変貌させた歴史的事件を経て、いまや各々異なる人生を歩んでいる彼らの青春群像が軽快に描かれる。ほぼ毎作、独創的なオープニングを披露した川島雄三が、本作では意外な人物を特別出演させ、異色なオープニングを演出する。

20 君の名は(127分・35mm・白黒)
(1953松竹大船)(監)大庭秀雄(原)菊田一夫(脚)柳井隆雄(撮)斎藤毅(美)熊谷正雄(音)古関裕而
(出)佐田啓二、岸惠子、淡島千景、月丘夢路、川喜多雄二、小林トシ子、野添ひとみ、淡路惠子、笠智衆、市川春代、望月優子、須賀不二夫、市川小太夫
大空襲の夜に出会った眞知子(岸)と春樹(佐田)は、互いの名も知らず、半年後に数寄屋橋で再会する約束だけを残して別れるのだが…。菊田一夫のラジオドラマ(1952-54)の映画化。3 部作として公開され日本映画史に残る大ヒットを記録した。本作の成功は、松竹の企画の方向性を決定づけ、「大船調」はメロドラマの代名詞になっていった。

21 君の名は 第二部(120分・35mm・白黒)
(1953松竹大船)(監)大庭秀雄(原)菊田一夫(脚)柳井隆雄(撮)斎藤毅(美)濱田辰雄(音)古関裕而
(出)佐田啓二、岸惠子、淡島千景、月丘夢路、川喜多雄二、小林トシ子、北原三枝、笠智衆、日守新一、柳永二郎、市川春代、望月優子、淡路惠子、野添ひとみ、三井弘次
夫・勝則(川喜多)との離婚を決意した眞知子は春樹のいる北海道に向かい、つかの間の再会を果たすが…。前作に続き、たった一晩の出会いに運命を感じた二人の再会と別れが、北海道、佐渡などの大自然を舞台に描かれる。運命に翻弄される男女の切ないラブストーリーを描いた本作は、戦前の『愛染かつら』と双璧をなす「すれ違いメロドラマ」の代表作である。

22 君の名は 第三部(123分・35mm・白黒)
(1954松竹大船)(監)大庭秀雄(原)菊田一夫(脚)柳井隆雄(撮)齋藤毅(美)濱田辰雄(音)古関裕而
(出)佐田啓二、岸惠子、淡島千景、月丘夢路、川喜多雄二、小林トシ子、紙京子、三橋達也、笠智衆、柳永二郎、大坂志郎、市川春代、望月優子、野添ひとみ、磯野秋雄
眞知子は離婚を求めて雲仙に旅立つものの、勝則は離婚に応じてくれない。春樹に思い焦がれる眞知子はついに病に倒れるが…。1939年の監督デビュー以来、松竹お家芸のメロドラマを多く手がけた大庭秀雄は、本作でその職人芸を遺憾なく発揮して観客の涙を絞り、今に至るまで『君の名は』とともにその名を残すことになった。

23 二等兵物語(95分・35mm・白黒)
(1955松竹京都)(監)福田晴一(原・出)梁取三義(脚)舟橋和郎(撮)片岡清(美)川村芳久、加藤㐂昭(音)原六郎
(出)伴淳三郎、宮城野由美子、アチヤコ、関千惠子、幾野道子、松井晴志、山路義人、戸上城太郎、青山宏、柳紀久子、有木山太
梁取三義の同名小説に心ひかれた伴淳三郎の提案による作品。中年の二等兵古川(伴)の笑いあり涙ありの兵営生活を通じて「帝国軍隊」の不条理や非人間性が告発される。低予算で製作されたが、予想外の大ヒットを記録してシリーズ化され(1955-61)、伴淳の代表作となった。敗戦後、戦争や軍隊の経験を、ユーモアを交えて風刺したコメディ映画の先駆けとして特筆される。

《松竹時代劇と下加茂・太秦撮影所》▶No. 24-34
 1923年9月1日の関東大震災の発生後、松竹は製作スタッフを京都・下加茂に移し、新たに撮影所を開設した。当初、下加茂では現代劇と時代劇の両方が製作されたが、折から到来した時代劇ブームによって人気剣劇スターたちが次々と独立プロダクションを興した機をとらえ、松竹は彼らとの連携によって時代劇の量産を開始する。まず1925-26年に阪東妻三郎プロダクションを下加茂撮影所に迎え(同プロはその後、太秦に専用の撮影所を開設して移る)、26年には衣笠映画聯盟、28年には市川右太衛門プロダクションとも配給提携、また27年には林長二郎、30年には高田浩吉がそれぞれデビューを飾った。こうして松竹では、蒲田撮影所=現代劇、下加茂撮影所=時代劇という分業が成立し、『斬人斬馬剣』(1929、伊藤大輔)のような問題作や『雪之丞変化』3部作(1935、衣笠貞之助)などのヒット作が京都から次々と生み出された。1940年には、既存の撮影所を買収して松竹太秦撮影所とし、溝口健二の歴史大作『元禄忠臣蔵』前後篇(1941-42)などを製作、京都の松竹は2撮影所体制となった。
 敗戦後の占領期、時代劇の製作が制限されたため、松竹京都でも再び現代劇が作られるようになった。ところが1950年、下加茂撮影所で火事が起こり、敷地の3分の1を焼失してしまう。翌51年、時代劇の製作本数制限が撤廃されたことに伴い、太秦撮影所のステージが増設され、拠点も太秦に移される(下加茂撮影所は52年に売却)。以後、太秦撮影所は、超大作から芸道もの、歌謡時代劇、コメディなどの時代劇作品を幅広く製作し、その中心には戦前からの生え抜き監督・大曾根辰夫(辰保)がいた。太秦撮影所は、現代劇のヒットシリーズ「二等兵物語」(1955-61)なども生み出しながら時代劇製作を続けたが、松竹本社の合理化による閉鎖(1965)によってその機能を停止することとなった。その後1974年、松竹傍系の京都映画が太秦撮影所に移転し、現在もなお映画やTV、CMなどの撮影を行っている(現在の社名および撮影所名は松竹撮影所)。

24 無声時代劇選集(計75分)
一殺多生剱[マーヴェルグラフ短縮版](29分・Blu-ray・無声・白黒)
(1929市川右太衛門プロ)(監・原・脚)伊藤大輔(撮)唐沢弘光
(出)市川右太衛門、高堂國典、金子弘、泉春子、沢村勇、春日陽二郎、中村栄子、実川童
切られ與三[短縮版](20分・16fps・35mm・無声・白黒/染色/染調色)
(1928松竹下加茂)(監)小石栄一(原・脚)前田弧泉(撮)円谷英一
(出)林長二郎、千早晶子、浦浪須磨子、坪井哲、市川伝之助、関操
斬人斬馬剣[パテベビー短縮版/デジタル復元版](26分・18fps・35mm・無声・白黒)
(1929松竹下加茂)(監・原・脚)伊藤大輔(撮)唐澤弘光
(出)月形龍之介、天野刃一、伊東みはる、関操、石井貫治、市川傳之助、岡崎晴夫、中根竜太郎、浅間昇子
『一殺多生剱』は、『斬人斬馬剣』とともに「傾向映画」時代の伊藤大輔の代表作とされるが、長らく現存が確認されていなかった幻の作品。2011年に16mm短縮版が映画研究者・牧由尚氏によって入手され、陽の目を浴びることとなった(オリジナルは12巻3606m)。幕末の動乱期に、生き写しの旗本と髪結い(市川右太衛門の二役)が、時代の大きなうねりに抗い、命を燃やしていくさまを描く(松竹配給)。牧氏所蔵の上映素材を借用して上映する。『斬人斬馬剣』では、現存する長さはオリジナル(10巻2502m)の2割強に過ぎないものの、鉄砲隊が出動する場面や主人公が農民の救出に駆けつけるクライマックスなどを見ることができる。『切られ與三』は神戸映画資料館所蔵の3本の16mmフィルムから今回最長版を作製したもので、デビュー翌年の若き林長二郎の匂い立つような色気を確認することができるだろう。
弁士:澤登翠 伴奏:湯浅ジョウイチ、鈴木真紀子

25 雪之丞変化[総集篇](97分・35mm・白黒)
(1935松竹下加茂)(監・脚)衣笠貞之助(原)三上於菟吉(脚)伊藤大輔(撮)杉山公平(音)松平信博、杵屋正一郎
(出)林長二郎、嵐徳三郎、髙堂國典、千早晶子、伏見直江、山路義人、志賀靖郎、髙松錦之助、南光明、日下部龍馬、原健作
松竹時代劇の金看板、衣笠貞之助=林長二郎コンビの代表作にして大ヒット作。長二郎が復讐心に燃える歌舞伎の女形・雪之丞とその母親、やくざ者の闇太郎の三役を演じて魅力を存分に発揮した。オリジナルは計5時間に及ぶ3部作だが、現存するのは戦後に再公開された際に、第二篇を中心にまとめられた97分の総集篇。

26 風雲金比羅山 他(計97分)
風雲金比羅山(92分・35mm・白黒)
(1950松竹京都)(監)大曾根辰夫(脚)鈴木兵吾(撮)太田真一(美)桑野春英(音)須藤五郎(出)阪東妻三郎、山田五十鈴、黒川彌太郎、山路義人、草島競子、井川邦子、永田光男、清水将夫、寺島房作、原駒子
故 阪東妻三郎 関西映画人葬実況(5分・35mm・白黒)
(1953松竹京都)
『風雲金比羅山』は、やくざ映画の知られざる傑作である。盆の暮れに銚子に戻ってきた素っ飛びの安(阪東)が、網元たちを虐げる磯の長右衛門(山路)と衝突し、義のために立ち上がる。二人の名優、阪妻と山田五十鈴の見せる粋と情の厚さもさることながら、篠突く雨や風車といった情緒溢れる演出が、映画に豊かな奥行きを与えている。『故 阪東妻三郎 関西映画人葬実況』は、1953年に亡くなった阪妻の功績を讃える、松竹京都撮影所での関西映画人たちによる葬儀の記録。

27 獄門帳(131分・35mm・白黒)
(1955松竹京都)(監)大曽根辰保(原)沙羅双樹(脚)井手雅人(撮)石本秀雄(美)松山崇(音)鈴木静一
(出)鶴田浩二、香川京子、笠智衆、岡田英次、近衛十四郎、須賀不二夫、香川良介、左卜全、小園蓉子、有島一郎、夏川静江、寺島貢、市川小太夫
主殺しと不義密通の科で投獄された若い武士・喬之助(鶴田)を見て無実と確信した熟練の牢奉行(笠)は、事件の再調査に奔走するが、処刑の時は刻々と迫る…。回想を駆使しながら人間心理のひだを探る異色の時代劇で、明暦の大火をモデルとしたスペクタクル描写も迫力満点。

28 流轉(94分・35mm・カラ)
(1956松竹京都)(監)大曽根辰保(原)井上靖(脚)井手雅人(撮)石本秀雄(美)水谷浩(音)鈴木静一
(出)髙田浩吉、香川京子、市川段四郎、市川小太夫、雪代敬子、北上彌太郎、渡辺篤、市川春代、近衛十四郎、山路義人、永田光男、目黒祐樹
花形役者(市川段四郎)と対立し江戸を追われた三味線の名手(高田)が、旅芸人の踊り子(香川)に助けられながら彼女に芸を教え、自身も再び芸道に戻るまでの苦難を描く。芸に対する名人同士の意地の張り合い、師匠と弟子の愛というメロドラマ的葛藤が、厳しい試練を経て唯一無二の芸へと昇華するさまは、芸道ものの極め付きと言っても過言ではない。

29 歌う弥次喜多 黄金道中(102分・35mm・カラー)
(1957松竹京都)(監)大曾根辰保(脚)吉田一郎、淀橋太郎(撮)石本秀雄(美)水谷浩(音)万城目正
(出)高田浩吉、伴淳三郎、高峰三枝子、シーリア・ポール、日守新一、アチャコ、山路義人、永田光男、堺駿二、トニー谷、広澤虎造、島倉千代子、東富士、小坂一也、内海突破、関千惠子、草島競子
高田浩吉と伴淳による正月映画で、当時の人気歌手や喜劇人が大集合した賑やかなロードムービー。弥次さん(高田)と喜多さん(伴)が、偶然出会った娘(ポール)と共に、黒船に連れ去られたという娘の母(高峰)を探して旅をする。キャスト欄に表記した者以外にも、ミス・ワカサと島ひろし、蝶々=雄二、こまどり姉妹、東けんじと玉川良一なども登場。日本芸能史のドキュメントとしても貴重な作品である。

30 侍ニッポン(105分・35mm・白黒)
(1957松竹京都)(監)大曽根辰保(原)郡司次郎正(脚)久板栄二郎(撮)石本秀雄(美)大角純一(音)鈴木静一
(出)田村高広、高千穂ひづる、松本幸四郎、山田五十鈴、森美樹、近衛十四郎、松山清子、山路義人、龍崎一郎、河野秋武、石黒達也
郡司次郎正による同名小説の4度目の映画化で、田村高廣が、自らの出生に苦悩しながら攘夷運動に身を投じる青年・新納にいろ鶴千代を熱演する。スケールの大きなセットや陰影に富んだ白黒シネマスコープの画面など、松竹京都撮影所の底力が随所に発揮された正統派時代劇。

31 武士道無残(74分・35mm・白黒)
(1960松竹京都)(監・脚)森川英太朗(撮)川原崎隆夫(美)大角純平(音)真鍋理一郎
(出)森美樹、山下洵一郎、高千穗ひづる、渡辺文雄、小田草之介、桜むつ子、倉田爽平
大曾根辰夫に師事した森川英太朗のデビュー作にして唯一の監督作。お家断絶を避けるため、死んだ若君の後を追って殉死するよう命じられた若侍(山下)が、武家社会の不条理に翻弄されるさまを描く。「ヌーヴェルヴァーグ」期の松竹における、京都撮影所からの鮮烈な一作。

32 いも侍・蟹右ヱ門(93分・35mm・白黒)
(1964松竹京都)(監)松野宏軌(脚)犬塚稔(撮)酒井忠(美)大角純一(音)山本直純
(出)長門勇、天知茂、宗方勝己、野川由美子、倍賞千恵子、小畑絹子、蜷川幸雄、高梨まゆみ、竜崎一郎、堀雄二、吉田義夫、穂積隆信、江見俊太郎
浪人・蟹右ヱ門(長門)が、道場を開く従兄弟(宗方)を訪ねる旅すがら、さまざまな出来事に遭遇する。出世作となったTV時代劇「三匹の侍」(1963-69)での浪人役そのままに、長門勇が岡山弁のとぼけた口調と風変わりな殺陣で魅せる。逆手の邪剣使い・淵上(天知)の見せる殺陣にも注目。

33 コレラの城(96分・35mm・白黒)
(1964松竹京都=さむらいプロ)(監)菊池靖(監・出)丹波哲郎(脚)田坂啓(撮)小杉正雄(美)大角純一(音)佐藤勝
(出)鰐淵晴子、南原宏治、稲葉義男、河野秋武、三島雅夫、山本麟一、花沢徳衛、坊屋三郎、葵京子、伊藤弘子、宝みつ子
『三匹の侍』(1964、五社英雄)に続く、丹波哲郎が設立したさむらいプロダクションと松竹の提携作品で、丹波は主演の他、製作と殺陣場面の監督も務めている。コレラで廃墟と化した城に眠る砂金をめぐり、悪徳商人や用心棒、取り潰しとなった城の旧家臣たちが入り乱れる。怪奇・残酷描写もふんだんに盛り込まれた娯楽作。

34 忍法破り 必殺(89分・35mm・白黒)
(1964松竹京都)(監)梅津明治郎(原)犬塚稔(脚)元持栄、舟木文彬(撮)小辻昭三(美)倉橋利昭(音)阿部晧哉
(出)長門勇、竹脇無我、丹波哲郎、大瀬康一、片岩正明、路加奈子、佐治田恵子、山東昭子、曾我廼家明蝶、名和宏、島米八、堀雄二
足軽の孫兵衛(長門)と兵七郎(竹脇)はひょんなことから、城を失い再起を期して落ち延びる若君小太郎(片岩)を助けることに。だがそこに悪徳家老(名和)の配下の忍びたちが迫る…。本作が監督デビューの梅津明治郎が、長門勇の持ち味を活かし、オフビートな忍者ものに仕上げた。少林寺拳法を採り入れた殺陣も目新しい。

35 抱かれた花嫁(96分・35mm・カラー)
(1957松竹大船)(監)番匠義彰(脚)椎名利夫、光畑碩郎(撮)生方俊夫(美)浜田辰雄(音)牧野由多可
(出)有馬稲子、高橋貞二、高千穂ひづる、大木実、田浦正巳、朝丘雪路、片山明彦、日守新一、望月優子、須賀不二夫、永井達郎、櫻むつ子、桂小金治、高屋朗
松竹グランド・スコープ第1作。浅草の老舗すし屋の女将・ふさ(望月)は、婿養子をとって店を継がせようと焦るも、娘の和子(有馬)は興味がない。結婚をめぐる世代間の葛藤を描いた松竹得意のホームドラマであるが、日光の広々とした景色や華やかなレビュー、大がかりな火事シーンなど、シネマスコープならではのスペクタクルを堪能できる。

36 黒い河(110分・35mm・白黒)
(1957松竹大船)(監)小林正樹(原)冨島健夫(脚)松山善三(撮)厚田雄春(美)平高主計(音)木下忠司
(出)有馬稲子、渡辺文雄、仲代達矢、山田五十鈴、桂木洋子、淡路惠子、東野英治郎、宮口精二、清水将夫、髙橋とよ、賀原夏子、三好栄子
木下惠介に師事し、社内では第2の木下と目されていた小林正樹がその殻を打ち破ったと評される作品。米軍基地周辺を我が物顔で闊歩する愚連隊と安アパートの住人たちを中心に、敗戦後の世相が生々しく描かれる。凶悪で非道な愚連隊のリーダー、人斬りジョーを演じた仲代達矢は、本作を機に小林の代表作の数々に出演することになる。

37 日本の夜と霧(107分・35mm・カラー)
(1960松竹大船)(監・脚)大島渚(脚)石堂淑朗(撮)川又昻(美)宇野耕司(音)真鍋理一郎
(出)桑野みゆき、津川雅彦、渡辺文雄、芥川比呂志、佐藤慶、戸浦六宏、吉沢京夫、小山明子、味岡享、速水一郎、左近允洋
1960年の安保闘争がきっかけで結ばれた記者と学生の結婚披露宴が舞台。闘争を敗北と総括し、その犠牲をめぐって共産党を批判する新世代と、党の責任を認めない旧世代の学生運動家OBたちの激しい応酬が回想も交えて描かれる。松竹は封切から4日で上映を打ち切り、大島渚は抗議し松竹を退社。「松竹ヌーヴェルヴァーグ」の1本だが、大島本人はこの呼称を嫌っていた。

38 非情の男(82分・35mm・白黒)
(1961松竹大船)(監・脚)高橋治(脚)国弘威雄(撮)加藤正幸(美)梅田千代夫(音)三保敬太郎
(出)三上真一郎、瞳麗子、芳村真理、久我美子、城所英夫、三井弘次、渡辺文雄、上田吉二郎、小坂一也、織田政雄、中村是好、幾野道子、左卜全
高橋治の第3作。やくざの片棒を担ぐ五郎(三上)は、日雇い労働者たちの搾取や青年結社の活動で金を稼ぎ、成り上がろうとする。だが自分以外の誰も信じず、他人を利用するばかりの五郎には、強烈なしっぺ返しが待っていた…。開巻から凄絶なラストまで、非情な青年を鮮烈に演じ切る三上真一郎が素晴らしい。

39 スパイ・ゾルゲ 真珠湾前夜(128分・35mm・白黒)
(1961松竹大船=テラ)(監・脚)イヴ・シャンピ(原)ハンス・オットー・マイスナー(脚)沢村勉、アンリ・アルロー(撮)生方敏夫(美)梅田千代夫(音)セルジュ・ニッグ
(出)トーマス・ホルツマン、岸恵子、小沢栄太郎、山内明、南原宏治、マリオ・アドルフ、ジャック・ベルチエ
ゾルゲ(ホルツマン)はスパイとして、日本の機密情報をソ連に伝えていた。外国人を監視する任務を負ったユキ(岸)は、ゾルゲに接近する。同じく松竹とフランスの映画会社との合作『忘れえぬ慕情』(1956)の監督で、岸恵子の夫でもあったイヴ・シャンピが監督。ゾルゲ事件の映画化を発案したのは、岸だったという。

40 秋刀魚の味[デジタル復元版](117分・35mm・カラー)
(1962松竹大船)(監・脚)小津安二郎(脚)野田高梧(撮)厚田雄春(美)浜田辰雄(音)斎藤高順
(出)笠智衆、岩下志麻、佐田啓二、岡田茉莉子、吉田輝雄、三上真一郎、中村伸郎、北竜二、東野英治郎、杉村春子、岸田今日子
小津の遺作で、男手一つで育てた娘を嫁に出す父(笠)の気持ちや、嫁ぐ娘(岩下)の心情を細やかに描き出す。父の友人たち、老いた恩師とその娘、父の海軍時代の部下、団地住まいの兄夫婦など、主筋以外も豊かに点描している。2013年に作製したデジタル復元版を上映。冒頭に4分の復元デモを含む。

41 男の嵐(80分・35mm・白黒)
(1963日米映画)(監)中川信夫(原・脚)松浦健郎(撮)宮西四郎(美)中野忠仁(音)小沢秀夫
(出)村田英雄、青山京子、山本豊三、五月みどり、清川新吾、中西杏子、小林重四郎
中川信夫が、TV映画や劇映画を製作していたプロダクション・日米映画で撮った任俠映画(松竹配給)。予算や人材に恵まれたようには見えないが、ロケーション撮影の見事な活用などによって娯楽映画としての高い質を維持する中川の職人的才覚が際立つ。村田英雄が渡世人・松次郎に扮して熱演。

42 嵐を呼ぶ十八人(109分・35mm・白黒)
(1963松竹京都)(監・脚)吉田喜重(原)皆川敏夫(撮)成島東一郎(美)大角純一(音)林光
(出)早川保、香山美子、殿山泰司、平尾昌章、芦屋雁之助、根岸明美、三原葉子、中村芳子、浦辺粂子、浪花千栄子、高桐真、白妙公子、沢美子
瀬戸内海の造船所で働く社外工の島崎(早川)は、特別給与が出るという話に惹かれ、寮の管理人になる。ところが新たに入寮したのは、大阪から集団就職してきた18人の無軌道な若者たち。彼らと島崎の間の軋轢が荒々しいタッチで描かれる。資本家・労働者の二項対立を超えた描写により、「社会派映画」への吉田喜重からの返答と評される。

43 乾いた花(96分・35mm・白黒)
(1964文芸プロダクションにんじんくらぶ)(監・脚)篠田正浩(原)石原慎太郎(脚)馬場当(撮)小杉正雄(美)戸田重昌(音)武満徹、高橋悠治
(出)池部良、加賀まりこ、藤木孝、杉浦直樹、三上真一郎、佐々木功、中原功二、原知佐子、宮口精二
刑務所帰りの村木(池部)は、賭場で謎の美少女冴子(加賀)に出会い、彼女に惹かれていく。革新的な映像表現で知られる篠田正浩が、光と影、明と暗の対比を活かして奥行きを演出し、官能的でありながら虚無感が漂う世界を創造している。公開当時、内容が反社会的だという理由で成人映画に指定されたが、かえって話題になり大ヒットを記録した(松竹配給)。

44 新宿そだち(88分・35mm・カラー)
(1968松竹大船)(監)長谷和夫(脚)成沢昌茂(撮)丸山恵司(美)佐藤公信(音)鏑木創
(出)荒井千津子、高橋長英、松岡きっこ、川津祐介、藤田憲子、桜井浩子、應蘭芳、金子信雄
カウンターカルチャー全盛期の1968年、松竹は鮮やかな刺青をまとった女性を主人公にした風俗映画『いれずみ無残』、『新 いれずみ無残 鉄火の仁義』(共に関川秀雄)を製作しヒットさせる。本作はシリーズ3作目で、主演も前2作と同様に荒井千津子と松岡きっこ。大木英夫と津山洋子のデュエットによるヒット歌謡曲「新宿そだち」がモチーフになっている。

45 いい湯だな 全員集合!!(89分・35mm・カラー)
(1969芸映プロ)(監・脚)渡邊祐介(脚)森崎東(撮)荒野諒一(美)宇野耕司(音)萩原哲晶(出)いかりや長介、加藤茶、仲本工事、高木ブー、荒井注、木暮実千代、生田悦子、左とん平、春川ますみ、犬塚弘、左卜全、三木のり平
ザ・ドリフターズの「全員集合!!」シリーズ(1967-75)の第3作。強面の長吉(いかりや)をリーダーにギャング団を結成した5人は、高校生芸者をめぐって対立深まる洞爺湖温泉で、推進派の女将(木暮)に雇われ、反対派の用心棒(左とん平)と相対する。女将の莫大な財産もからみ、家族関係の愛憎も真偽も入り乱れていくコメディ映画(松竹配給)。

46 男はつらいよ(91分・35mm・カラー)
(1969松竹大船)(監・原・脚)山田洋次(脚)森崎東(撮)高羽哲夫(美)梅田千代夫(音)山本直純
(出)渥美清、倍賞千恵子、光本幸子、笠智衆、志村喬、森川信、前田吟、津坂匡章、佐藤蛾次郎、関敬六、三崎千恵子、太宰久雄、近江俊輔、広川太一郎、石島房太郎
1968-69年放映のTVドラマの人気を受け、ドラマの脚本を担当した山田洋次が松竹に直訴して映画化を実現した、26年にも及ぶ寅さん放浪記の第1作。中学のとき、父親と喧嘩して家を飛び出したフーテンの寅(渥美)がふらりと葛飾柴又に舞い戻り、恋と笑いの大騒動を巻き起こす。2019年には、開始から50周年を迎え『男はつらいよ お帰り 寅さん』が公開された。

47 虹をわたって(89分・35mm・カラー)
(1972松竹大船)(監)前田陽一(脚)田波靖男、馬嶋満(撮)竹村博(美)佐藤公信(音)森岡賢一郎
(出)天地真理、沢田研二、なべおさみ、谷村昌彦、岸部シロー、大前均、日色ともゑ、有島一郎、武智豊子、左時枝、財津一郎、萩原健一
松竹で数多くの喜劇映画を手掛けた前田陽一による、天地真理の映画初主演作品。家出したマリ(天地)は、川に浮かぶ安宿で、持ち家を夢見る愉快な住民たちと一緒に暮らすことになる。競艇狂いの住民を演じたなべおさみや、マリの継母を演じた日色ともゑの名演も見どころ。天地が歌う同名の主題歌もヒットした。

48 旅の重さ(91分・35mm・カラー)
(1972松竹大船)(監)斎藤耕一(原)素九鬼子(脚)石森史郎(撮)坂本典隆(美)芳野尹孝(音)よしだたくろう
(出)高橋洋子、高橋悦史、三国連太郎、横山リエ、岸田今日子、砂塚秀夫、中川加奈、秋吉久美子、園田健二、森塚敏
家出をした16歳の少女(高橋)が、旅芸人の一座や行商人などさまざまな人との出会いを経て、自分なりの生きる道を見つけ出そうとする。映画初出演とは思えない高橋洋子の演技に驚かされる。スチルカメラマン出身で、自らプロダクションを興して監督になった斎藤耕一による青春映画。

49 女生きてます 盛り場渡り鳥(89分・35mm・カラー)
(1972松竹大船)(監・脚)森崎東(原)藤原審爾(脚)掛札昌裕(撮)吉川憲一(美)佐藤之俊(音)山本直純
(出)森繁久弥、中村メイコ、川崎あかね、山崎努、春川ますみ、なべおさみ、浦辺粂子、財津一郎、南美江、藤原釜足
「女」シリーズ(1971-72)最終作。金沢(森繁)と妻・竜子(中村)が営む「新宿芸能社」に住み込みで働き始めた初子(川崎)は、家事を完璧にこなし、二人も大助かり。ところがある日、初子の姿が消え、金沢のへそくりも消えていた…。山崎努や春川ますみといった助演俳優陣が怪演し、平穏な生活が破壊されていく。森﨑東の家族観が強烈に表現された一本。

50 砂の器(143分・35mm・カラー)
(1974松竹大船=橋本プロ)(監)野村芳太郎(原)松本清張(脚)橋本忍、山田洋次(撮)川又昻(美)森田郷平(音)芥川也寸志
(出)丹波哲郎、加藤剛、森田健作、島田陽子、山口果林、加藤嘉、春田和秀、笠智衆、夏純子、松山省三、内藤武敏、春川ますみ、佐分利信、緒形拳、渥美清
野村芳太郎=橋本忍コンビによる松本清張原作の最後の映画化。天才作曲家(加藤)の暗い過去が、殺人事件を捜査する刑事・今西(丹波)によってあぶりだされる。原作ではわずか数行でしか説明されない父子の旅が、壮大な音楽と四季折々に移ろう美しい風景のなかに描かれ、清張をして「小説では表現できない」と言わしめた壮絶な叙事詩に昇華されている。

51 ブロウアップ ヒデキ BLOW UP! HIDEKI(87分・35mm・カラー)
(1975松竹=芸映プロ)(構成・監)田中康義(撮)坂本典隆、羽方義昌(美)横山豊
(出)西城秀樹、藤丸バンド、永尾公弘とザ・ダーツ、クル クル、惣領泰則、秦野貞雄、一の宮はじめ
“ウッドストック”のような野外コンサートを企図した一大ツアー「西城秀樹☆ʼ75 全国縦断サマー・フェスティバル」の密着ドキュメンタリー。富士山麓で30mクレーン3台を駆使したロックなライブを皮切りに、北海道から沖縄、ラストの大阪球場まで、時代を疾走する 20歳の秀樹と仲間、ファンの熱い夏を描く。

52 同胞はらから(127分・35mm・カラー)
(1975松竹大船)(監・原・脚)山田洋次(脚)朝間義隆(撮)高羽哲夫(美)佐藤公信(音)岡田京子
(出)倍賞千恵子、寺尾聡、松尾村青年会員、統一劇場劇団員、下條正巳、大滝秀治、井川比佐志、三崎千恵子、下條アトム、杉山とく子、今福正雄、赤塚真人、市毛良枝、渥美清
東京から劇団を招いて公演を実現させるべく奮闘する岩手県松尾村の青年会の物語。公演シーンでは、 5台のキャメラを動員した大がかりな撮影が行われた。経済成長に伴い過疎化が進む農村社会へのノスタルジアが感じられる一作。本作の最後、村を立ち去った「統一劇場」は、山田洋次の77年作『幸福の黄色いハンカチ』にも登場し北海道の夕張で公演する。

53 さらば夏の光よ(88分・35mm・カラー)
(1976松竹=バーニングプロ)(監)山根成之(原)遠藤周作(脚)ジェームス三木(撮)坂本典隆(美)森田郷平(音)梅垣達志
(出)郷ひろみ、秋吉久美子、川口厚、仲谷昇、進千賀子、林ゆたか
行動的で調子のいい現代っ子・宏(郷)と内気で真面目な少年・野呂(川口)は京子という少女(秋吉)に恋をするが、やがて三人の愛の共同体は瓦解させられてゆく。野呂が主人公だった原作を大幅に書き変えたジェームス三木の大胆な発想もさることながら、山根成之の繊細な演出と郷ひろみの演技がとりわけ光る 1970年代青春映画の名篇。

54 俺たちの交響楽(112分・35mm・カラー)
(1979松竹)(監・脚)朝間義隆(原)山田洋次(脚)梶浦政男(撮)吉川憲一(美)出川三男(音)外山雄三
(出)武田鉄矢、友里千賀子、伊藤達広、永島敏行、森下愛子、岡本茉莉、熊谷真実、山本圭、田村高廣、田辺靖男、倍賞千恵子、渥美清
「男はつらいよ」シリーズ(第7作以降)をはじめとして、山田洋次作品の脚本で知られる朝間義隆の監督デビュー作。川崎の労働者たちが、仲間を集めて公演でベートーベンの「第九」を歌うまでを描いた青春群像劇。初主演の武田鉄矢が滑稽さとペーソスとで魅せる。

55 ざ・鬼太鼓座(105分・35mm・カラー)
(1981/94デン事務所=松竹=朝日放送)(監)加藤泰(脚)仲倉重郎(撮)丸山恵司(美)梅田千代夫、横尾忠則(音)一柳慧
(出)河内敏夫、林英哲、大井良明、藤本吉利、高野巧、森みつる
加藤泰最後の作品で、『炎のごとく』(1981)と同時並行で製作されたドキュメンタリー。鬼太鼓座の若者たちの青春を、その躍動する肉体への注視によって浮かび上がらせる。オールシンクロの撮影、ロケとセット両方を駆使した大胆な美術やカメラアングルなど、加藤泰のアヴァンギャルドな実験性が噴出する。4 年をかけて製作され、一般公開はさらにその13年後となった。

56 必殺! THE HISSATSU(123分・35mm・カラー)
(1984松竹=朝日放送)(監)貞永方久(脚)野上龍雄、吉田剛(撮)石原興(美)芳野尹孝、倉橋利韶、北尾正弘(音)平尾昌晃
(出)藤田まこと、三田村邦彦、鮎川いずみ、菅井きん、白木万理、ひかる一平、中条きよし、山田五十鈴、芦屋雁之助、片岡孝夫
人気TV時代劇「必殺」シリーズの第21作「必殺仕事人IV」(1983-84)をベースにした劇場版。表の顔は昼行燈の同心、裏の顔は凄腕の殺し屋である中村主水(藤田)を筆頭に、三味線屋のおりく(山田)と勇次(中条)、飾り職人の秀(三田村)といったおなじみの面々が「仕事人殺し」の悪党に立ち向かう。TVでも数々の名エピソードを手がけた貞永方久が監督を務めた。

57 キネマの天地 他(計169分)
キネマの天地(135分・35mm・カラー)
(1986松竹)(監・脚)山田洋次(脚)井上ひさし、山田太一、朝間義隆(撮)高羽哲夫(美)出川三男(音)山本直純
(出)中井貴一、有森也実、渥美清、松坂慶子、倍賞千恵子、すまけい、美保純、笠智衆、松本幸四郎、藤山寛美
ありがとう大船撮影所―新たな天地へ向けて―(34分・35mm・カラー)
(2000松竹)(解)澤登翆
『キネマの天地』は松竹大船撮影所50周年記念作。東映京都で撮影された松竹=角川作品『蒲田行進曲』(1982、深作欣二)に刺激を受けて作られた。昭和8、9年頃の松竹蒲田撮影所を舞台に、大部屋出身の新人女優が大作映画の主演に抜擢され、見事スターとして花開くまでを描く。『ありがとう大船撮影所』は2000年の大船撮影所の閉鎖に伴い製作された作品。蒲田撮影所からの引越しの記録映像に始まり、数々の大船作品の名場面をアンソロジー形式で見せる。作品名と監督名に加えて、登場する俳優の名前もテロップで教えてくれるので、松竹映画入門にぴったり。

58 異人たちとの夏(108分・35mm・カラー)
(1988松竹)(監)大林宣彦(原)山田太一(脚)市川森一(撮)阪本善尚(美)薩谷和夫(音)篠崎正嗣
(出)風間杜夫、秋吉久美子、片岡鶴太郎、永島敏行、名取裕子、川田あつ子、ベンガル、笹野高史、入江若葉、竹内力、峰岸徹、高橋幸宏、本多猪四郎
山田太一の同名小説を市川森一が脚色し、大林宣彦監督が映画化。妻と別れたばかりの脚本家・原田(風間)はある夜、同じマンションに住む女性・桂(名取)の突然の訪問を受けるが、冷たく追い返してしまう。その後、原田は故郷浅草を訪れ、幼い頃に死んだはずの父(片岡)と母(秋吉)に再会する。古典的怪奇映画のテイストとノスタルジックなヒューマンドラマが融合し、忘れがたい余韻を残す。

59 釣りバカ日誌(93分・35mm・カラー)
(1988松竹)(監)栗山富夫(原)やまさき十三、北見けんいち(脚)山田洋次、桃井章(撮)安田浩助(美)重田重盛(音)三木敏悟
(出)西田敏行、石田えり、三國連太郎、谷啓、山瀬まみ、アパッチけん、戸川純、笹野高史、江戸家猫八、丹阿弥谷津子
仕事そっちのけで釣りにいそしむ「釣りバカ」サラリーマン浜崎伝助(通称ハマちゃん)を主人公とした人気漫画の映画化。鈴木建設の高松営業所から東京本社へ転勤してきたハマちゃん(西田)は、偶然知り合った寂しげな老人スーさん(三國)に釣りの指南をすることに。ところがスーさんの正体は…。「男はつらいよ」シリーズの併映作品としてヒットし、全22作(1988-2009)が製作される松竹の看板喜劇となった。

60 つぐみ(106分・35mm・カラー)
(1990松竹富士=FM東京=山田洋行ライトヴィジョン)(監・脚)市川準(原)吉本ばなな(撮)川上皓市(美)正田俊一郎(音)板倉文
(出)牧瀬里穂、中嶋朋子、白島靖代、真田広之、安田伸、 渡辺美佐子、あがた森魚、下條正巳、財津和夫
吉本ばななの同名小説を映画化。老舗旅館を営む両親のもとに生まれたつぐみ(牧瀬)は、病弱な体質ゆえに甘やかされて育ち、家族を困らせてばかりいた。従姉妹のまりあ(中嶋)、姉の陽子(白島)とともに過ごすことになった18歳の夏、つぐみはある出来事をきっかけに恭一(真田)という青年と出会う。監督の市川準、主演の牧瀬里穂が各映画賞を独占するなど高い評価を得た思春期映画の秀作(松竹配給)。

61 ソナチネ[再タイミング版](94分・35mm・カラー)
(1993バンダイビジュアル=松竹第一興行)(監・脚)北野武(撮)柳島克己(美)佐々木修(音)久石譲
(出)ビートたけし、国舞亜矢、渡辺哲、勝村政信、寺島進、大杉漣、北村晃一、十三豊、深沢猛、津田寛治、逗子とんぼ、矢島健一、南方英二
幹部の命を受けて沖縄へ渡ったヤクザの村川(たけし)は、手下とともに混乱を避け、ひとときの遊戯に興じるが、やがて激しい抗争の只中に身を投じてゆくことになる。死に取りつかれたかのような独特の諦観と危ういユーモアが全篇を支配し、いまだ彼の最高傑作と評する者も多い北野武の監督第4作。カンヌ国際映画祭で絶賛されるなど北野映画の海外での認知度を高めるきっかけともなった(松竹配給)。今回初めて上映するプリントは、柳島克己キャメラマン監修のもと、当時本作のタイミング(色彩補正)を担当した大見正晴(当館技術職員)による技術的助言を得て、現役のタイミングマンが公開当時に近い色彩を再現したものである。

62 釣りバカ日誌スペシャル(106分・35mm・カラー)
(1994松竹)(監)森﨑東(原)やまさき十三、北見けんいち(脚)山田洋次、関根俊夫(撮)東原三郎(美)重田重盛(音)佐藤勝
(出)西田敏行、石田えり、富田靖子、加勢大周、加藤武、田中邦衛、清川虹子、松尾嘉代、谷啓、西村晃、三國連太郎
「釣りバカ日誌」シリーズの通算7作目にして、初めて「男はつらいよ」の併映を離れ単独公開された特別篇。前半では佐々木課長(谷)の娘・志野(富田)の結婚をめぐるエピソード、後半では妻のみち子さん(石田)とスーさんの不倫を疑うハマちゃんの暴走が描かれる。それまでの栗山富夫監督に代わり森﨑東が登板、破天荒な演出でシリーズに新風を吹き込んだ。石田えりの初代みち子さん(次作より浅田美代子に交代)が見られる最後の作品でもある。

63 珈琲時光(103分・35mm・カラー)
(2004松竹=朝日新聞社=住友商事=衛星劇場=IMAGICA)(監・脚)侯孝賢ホウ・シャオシェン(脚)朱天文(撮)李屏賓
(出)一青窈、浅野忠信、余貴美子、小林稔侍、萩原聖人、江乃ぶ、江庸子
東京で一人暮らしをしているライターの陽子(一青)は、もうすぐシングルマザーとなる。彼女は台湾出身の作曲家・江文也について調べており、ときおり肇(浅野)が営む古書店を訪れている。東京の街や喫茶店を舞台に、二人の緩やかな交わりが描かれ、電車の行き交いが物語を紡ぎだす。侯孝賢ホウ・シャオシェンによる小津安二郎生誕100周年記念作。

64 花よりもなほ(128分・35mm・カラー)
(2006「花よりもなほ」フィルムパートナーズ)(監・原・脚)是枝裕和(撮)山崎裕(美)磯見俊裕、馬場正男(音)タブラトゥーラ
(出)岡田准一、宮沢りえ、古田新太、香川照之、田畑智子、上島竜兵、木村祐一、加瀬亮、千原靖史、平泉成、絵沢萠子、夏川結衣、國村隼、中村嘉葎雄、浅野忠信、原田芳雄
父親の敵を討つために江戸へやって来た青木宗左衛門(岡田)。しかし、気が弱く剣術にも疎い宗左衛門は、貧乏長屋で暮らすうちに少しずつ心変わりしてゆく。是枝裕和監督の現時点で唯一の時代劇だが、「弱さ」を見据える視点、復讐の物語を通して浮かび上がる「罪と罰」の問題、寺子屋の描写に顕著な子どもと地域社会の関係性など、是枝作品の一貫したテーマはここにも明確に表れている。




永遠の門 ゴッホの見た未来

$
0
0
すでに知っている人からすれば「なんだ、そんなこと、いまや常識だぞ」と言われてしまうかもしれませんが、この映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」によれば、ゴッホの死は、いままで言われてきたような「絶望の果ての自殺」なんかではなくて、近所の悪ガキたちのタチの悪いカラカイにあった際に、たまたま銃が暴発して負傷し、その後の治療が十分でなかったための、いわば「事故死」か、もしくは「過失死」だったと描かれていて、その意想外の結末に、「な、なに~!?」と思わず驚愕し、はしたなくもあられもない声(この場合の使い方として正しいか否かはともかく、少なくとも「いや~ん、だめぇ、ばかん」のあっち系の用法でないことだけは、ひと言お断りしておかなければなりません)をあげてしまいました。

だって、そうですよね、自分たちがこれまで教え込まれてきたゴッホという人のヒトトナリは、狂気に燃えあがる天才画家で、なにしろ晩年のほんの数年間で名作とされる数々の驚異的な作品を描き上げ(それも最後の2年間に集中しているのだそうです)、そしてその理由として、晩年において次第に狂気の発作が頻繁に起こり、いつ理性が狂気に侵され崩壊し、錯乱と忘我のなかで狂い死ぬかもしれないという切迫した死の影に怯えながら、その焦燥感をエネルギーに変え、僅かな命のホムラを燃え尽くすかのような激しい色と切迫した筆遣いとによって数々の名作を描き上げた逆上と狂気の天才画家とずっと刷り込まれてきたワレワレですから、いまさら「いや、あれは事故死だったんだよ、ごめんね」と言われても、そう簡単に信じるわけにはいきませんし、納得できそうもありません。

生涯の最期が「絶望の果ての自殺」と「銃の暴発による過失死」とでは、それこそ雲泥の違いで、なにしろ付和雷同的聡明さを有するワタクシどもとしては、生涯の最期が「絶望の果ての自殺」というのならば、その最期から逆算し、忖度して、ストーリーとしても十分に納得できるだけのそれっぽい生きざまを勝手に思い描き、系統立てて納得し、波乱に満ちたゴッホの生涯を「そりゃそうだろうな」といちいち納得してきたわけですから、もしその「最期」に「ごめんね」の修正が生ずるとなると、「我がゴッホの生涯」のそもそもの筋立てのアチコチに綻びが生じ、狂気の為せるワザと理解した数々の「常識」が、根底から覆されてしまうに違いないからで、こんなちゃぶ台返しを喰らったら誰だって「あられもない叫び声」のひとつやふたつは上げようというものです、少しも不思議な話なんかではありません。

精神を病み、錯乱し、激昂の果てに卒倒し、なにもかも分からなくなる、その狂気のなかで他人に危害を加える虞れだってないわけじゃない、そういう発作の間隔がだんだん短くなっていく不安と、実際の深刻な病状の進行を恐れながらも、ゴッホがどうにかこの世界とつながり精神の安定を保てたのは、夢中になって絵を描いているときだけ(絵を描くことだけが、彼にとって唯一残された、社会とつながっていられる「正常な部分」)だったというあの従来の「理解」はどうなってしまうのでしょうか。

そして、その自身の「社会への楔」のような絵を描く生活に専念できたのは(ゴッホにとってそれは死活問題です)、弟・テオから生活費全般の援助を受けているからで、しかし、描き続ける絵は一枚も売れず、画家として一向に世間から見向きもされない(むしろ村人からはいつ凶暴化するかもしれない精神病の発作を恐れられ、忌避と迫害にあって孤立している状況)その孤独と惨憺たる失意のなかで、ゴッホは、弟テオや、僅かながらも自分のことを好意的に思ってくれる周囲の人たちにこれ以上の迷惑はかけられないと「絶望の果ての自殺」を選んだのだという、きわめて納得しやすい、それっぽいストーリーを僕たちは長い間教え込まれ信じてきました、そう信じてきた者にとって、突如、アレは悪ガキどもにからかわれたすえの「銃の暴発による過失的事故死」だったんだよ、自殺なんかじゃないからねといまさら言われても、「へえ、そうだったんですか」とそう簡単に受け入れられるわけもないし、その戸惑いをどこに持っていけばいいのか呆然とするしかありません。

しかし、この戸惑いが、なにも自分ひとりの思い過ごしでも何でもないことが、すぐに分かりました。

この「永遠の門 ゴッホの見た未来」に対する簡単明瞭にして的確な感想をYahooで見つけたのです。

いわく

「やっぱりねえ、このゴッホには狂気が足りない。ほぼない。それは俺にとってのゴッホじゃない。」ですって。

そりゃそうですよ、このコメントに出会ったとき、そうなのだ、自分たちにとっては、「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」といえば、小林秀雄や高階秀爾の評論(それらに記された聖性は、あくまでもゴッホの自殺あってのものでした)、いやいや、なんといっても強烈で不動の印象を残したのは、ヴィンセント・ミネリ監督「炎の人ゴッホ」1956において狂気の画家ゴッホの鮮烈な個性を強烈に演じた名優カーク・ダグラスの「スタンダード基準」というものが僕たちの脳の奥深くには形成されていて、それが不動の固定観念として長きにわたりボクラを支配してきたことを、この「戸惑い」は、改めて教えてくれたように思います。

ゴッホにとって絵を描くことは、まさに生きることと同義で、それを修行僧のように禁欲的にいずれの道も突き詰めることを厳しく自らに課し、また他人にも同じように道義的に求めたためにうるさがられ敬遠され、それを自分に対する痛切な裏切りと感じて絶望し、孤立し、自分でもどうにも制御できない強烈な個性と狂気を見事に演じたカーク・ダグラスは、まさに「ゴッホ・スタンダード」に値する無比の演技だったと思いますし、なによりも俳優カーク・ダグラス自身にとっても、アカデミー賞主演男優賞受賞にもっとも近づいた(残念ながらノミネートどまりでしたが)名演だったと思います。

このほかにカーク・ダグラスが主演男優賞にノミネートされた作品といえば、「チャンピオン」1949と「悪人と美女」1952があげられますが、自分としては、それに先立つビリー・ワイルダー監督の「地獄の英雄」1951とウィリアム・ワイラー監督の「探偵物語」1951の強烈な印象が捨てがたく、なによりもまずこの2作品をあげないわけにはいきません。

しかし、いずれにしても、この時期の演技が、この俳優にとってのピークの時期であったことは明らかで、そう考えると、こうしたすべての演技の頂点に結実したのが、この「炎の人ゴッホ」という作品だったといえないわけではないと感じた次第です。

しかし、実際は、これは単なる推測にすぎませんが、同時代的・リアルタイムでこれらのカーク・ダグラスの演技を身近で継続して見続けたアカデミー会員にとって、その印象は、「相も変わらぬマンネリ化した一本調子」の過剰な演技しかできない役者と決めつけられ、そのほかの繊細な演技などできないのでは、みたいなマイナスの評価をされた結果、「主演男優賞」は遠のき、彼にとってまたとない好機を逸してしまったのではないかと、つい邪推してしまいました。

いつの間にか、話がつい横道に逸れてしまいました、「ゴッホの事故死説」に戻しますが、この映画が描く「ゴッホの事故死説」にどうしても納得できない自分は、この映画を見たあと、ネットで関連の情報を検索し、興味深いyou tube(かつてのテレビ番組をアップしたものみたいです)と一冊の新書版に到達することができました。

新書版の方は、小林利延という人の書いた「ゴッホは殺されたのか」(朝日新書、2008.2.28.1刷)という幾分遠慮がちに「ゴッホ殺人説」を幾つかの項目を立てて論証したもので、読んでみると、「あるいは、そうかもしれない」と思わせるものがなくはありませんが、やはりそれらの点をつなぐためには、ゴッホが頼りにした弟テオやその奥さんのヨハンナ、そして限られていたとはいえ数少ない友人たちまでも「悪意ある人々」と決めつけなければ、どうにも先に進めないような無理のある強引な「論証」なので、自分にはもうひとつ納得できないものが残りました。

そのうえでyou tubeにアップされた「テレビ番組」なるものを見てみたのですが、どうもこの番組自体、先述した新書版を参考にして製作された番組のようで(ときおりフランス現地の学者やご当地の役人や関係者の証言というものも挿入されています)、スキャンダラスな部分だけがヤタラ誇張された、もうほとんど妄想の暴走という域を脱していない代物という印象を受けました。

この番組によれば、ゴッホの死について、従来の「自殺説」のほか、当初から「他殺説」や「決闘による死」などというとんでもないものまであって、そのなかに「子供が誤射してゴッホにあたった」というのもあり、映画はこの説によって作られたのだなということが分かりました。

一方、「他殺説」をとるこの番組は、ゴッホを銃撃した犯人は、なんと生活に行き詰った弟・テオの仕業だと結論付けているのです、「やれやれ、そこまでいうの!?」という感じですが、よく聞いてみればまんざら理由なきとしないものは、確かにあるのかもしれません、兄・ゴッホの作品の展示に固執したテオは、雇い主から、なぐり描きとしか見えないゴッホの絵など売れないことを理由に、ついに画廊を解雇されます。もはや兄の作品を世間の人の目に触れさせることが出来なくなったばかりか、これからは兄への仕送り150フランという金も捻出できなくなったことに加えて、子供が病気になり家族もバラバラになってしまうという悲嘆と絶望のなか、思い余って、ついに「こうするしかない」と意を決したテオは、兄・ゴッホを撃ちに銃を携えてオーヴェールに出かけて行ったというのです。

しかし、番組としても、そこは兄弟の情愛というものを無視できなかったとみえて、テオがいきなりゴッホに「ズドン」ではなく、絵を描いているゴッホの至近距離まで近づいたときに、やはり気後れをおこし、実行を躊躇して揉み合っているうちにハズミで銃を暴発させたという設定になっていました。

自分という存在が弟の生活をこんなにも荒廃させ、心理的にここまで追い詰めてしまったのかと痛恨の思いに叩きのめされた兄・ゴッホは、自らの罪と、弟の苦衷のすべてを察し、血の出る傷口を押さえながら「これでいいんだ、お前に罪はない、早く逃げろ」と弟を現場から遠ざけたあと、弟の逃走の時間稼ぎをするためにゴッホはいろいろと小細工を弄したというのが、ここに「いわゆる謎」としてあげられたものだと思います。

この「自殺」と断定するには、どうにも疑わしい「いわゆる謎」というのを挙げてみますね。

・自らを撃ったとされる場所が、いまだ特定されていない。
・当のピストルが見つかっていない。
・右利きの人間(ゴッホは右利き)が自分自身を撃ったにしては、不自然な角度からの銃創である。
・関係者の証言が食い違っている。
・事件発生から死ぬまでの不自然な空白の時間がある。

これらすべてが自分以外の者が撃ったことの証しで、そして弟を逃がす時間稼ぎのための行為だったとの説明があって、「だから、兄ゴッホの意を受け、そして負い目もあったテオも妻のヨハンナも、ゴッホの死を狂気の自殺とあえて喧伝したうえで、ゴッホの生涯と死を天才伝説に変えることを使命と考えた」と結論づけています。

そして、その弟・テオもまた、半年を経ずして狂気を発し、精神病院において兄を追って死んでいったことも、「その線」でいくらでも説明できるとしています。

そのほか、かの「ゴッホの耳切り事件」にも驚くべき説明が付けられていました。

貧に窮していたゴーギャンがゴッホの誘いを受けて共同生活を始めたのは、あくまでも生活費の補助を受けられる打算からにすぎず、もともと金に細かいゴーギャンと、金には無頓着なゴッホとでは気性が合うわけもなく、恵まれたゴッホの生活を嫉妬・軽蔑したゴーギャンとは、早晩喧嘩別れすることは目に見えていて、芸術上の意見の差(写実とイメージ)などは、あとから付随したものにすぎないとして、そのうえで「ゴッホの耳切り事件」の説明がありました。

アルルの田舎の人びとの偏屈さと意地の悪さにうんざりしたゴーギャンが、いよいよパリに去ることをゴッホに伝え、それをどうにか押しとどめようとするゴッホとの間でこぜりあいが起こります。哀願し縋りつくゴッホを振り払うゴーギャン、なおも激昂してわけの分からなくなったゴッホが剃刀を振りかざして迫ってくる姿に危険を感じたゴーギャンは、防衛のために手にしたサーベルでゴッホの剃刀を振り払おうとしたとき、はずみでゴッホの耳を切ってしまったというのです。

もともとサーベルを扱うのはゴーギャンの趣味で、日ごろから持ち歩いていたといわれていて、「本当かな」という気もしないではありませんが、それにしても、ここでのゴーギャンの人間性については、品性下劣のイカサマ野郎などとボロカスに言われてしまっています。

結局、「ゴッホの耳切り」はサーベル男・ゴーギャンの仕業で、ゴッホを傷つけた後、口を閉ざして逃げたのだと説明されています。そして、後年、厚かましくもイケシャアシャアと「ゴッホとの思い出」などインタビューに答えてもっともらしいコメントを残していると若干揶揄されていました。

さて、ここまでいろいろな事例(ガシェの贋作の件は端折りました)を列挙してみたのですが、ゴッホに関わった他の人たちの人間性は明確なイメージとして浮かび上がり、それぞれ思い描くことができるのに、皮肉なことにゴッホ本人のイメージが、あの「炎の人・カーク・ダグラス」ほどには、どうしても湧いてきません。

なぜでしょうか。

この映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」は、日曜日の午後9時、wowowで小山薫堂と信濃八太郎がMCを務めている「W座からの招待状」において鑑賞しました。

この時間帯でアップされる映画は、自分的に最低限は「見ておくべき映画」という位置づけで楽しみにしており、それなりに見ごたえのある映画が多く、しかも小山薫堂と信濃八太郎のふたりの「やり取り」に魅せられ、この時間帯だけは都合をつけて見るようにしています。

放映前と放映後に二人が上映された映画についてささやかな感想を述べあうのですが、一見弱々しい信濃八太郎の柔らかなコメントにすごく惹かれています。実に含蓄に富んでいて、一言一言がとても刺激的で、彼の一言で、いままでも多くのイメージの広がりと「啓示」を貰いました。

実際のところ、この映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」も、「ウィレム・デフォーの好演」というだけでは、きっと「是非とも見よう」とは多分思わなかったかもしれません。ましてや、作品の感想などを書いてみようとまでは思わなかったはずです。

今回、信濃八太郎はこんなことを発言していました。

「ゴッホという人は、どんな目に遭っても、そのことについて他人には決して何も言わなかった人だったそうです」と。

このひとことで、なんだか視界が一挙に開けた感じがしました、ゴッホの人間性が具体的に理解できました。

この映画のなかでも、野外で絵をかいていたゴッホが子供たちに揶揄われ、「変な絵だ」と侮られ、囃され、罵られ、書きかけた絵に悪戯をされるという屈辱的な場面がありました。

ゴッホは怒り、逆上します、夜の町でも悪ガキたちに付きまとわれ、石を投げつけられ、嘲笑をあびます、

「この薄汚いキチガイ野郎!! お前の居場所なんかどこにもないぞ」と。

その子供たちを捕らえて懲らしめようとすると、今度は親たち・大人たちが関わってきて、さらに迫害される、され続ける、

そのことをゴッホは弁解も訴えも主張も説明すらもすることなく、じっと我慢します。

それは、頭のオカシイことくらいは自分でもよく分かっていて、自分などゴミ同然の無価値で、この世から追い立てられても仕方のない厄介者の定めだと受け入れ・諦めているからだと思います。

この世の中の片隅で、目立たないように絵を描くささやかな場所が与えられたことに感謝し、そこで目立たないようにひっそりと生きていくことだけが、自分が生きていられるかろうじての「場所」なのだと。

「ああ、そうか」と突然、この映画のなかで思い当たる傑出したシーンが浮かびました。

映画の後半、サン=レミ精神病院の寒々とした廊下で、マッツ・ミケルセン演じる聖職者とゴッホが面談する場面です。


拘束衣を解かれたゴッホは、聖職者から椅子に掛けるように促されます。

聖職者「坐って私と話をしよう。入院した理由は、分かっているかね」
ゴッホ「あなたと話すのは、治療のためか。それとも、僕が病院を抜け出したからか」
聖職者「あのとき、道で何があった」
ゴッホ「覚えてない」
聖職者「病院を抜け出したね」
ゴッホ「アルルに行きたかったんだ」
聖職者「アルルの住民は君を追放する嘆願書に署名したんだよ」
ゴッホ「知っている」
聖職者「子供に性的虐待をしたのか」
ゴッホ「一度もしてない」
聖職者「耳を切って娼婦に渡したのは本当か」
ゴッホ「ギャビーは娼婦じゃない」
聖職者「なぜそんなことをした」
ゴッホ「僕の友人に耳を渡して欲しかったんだ」
聖職者「彼女はそれを渡したのか」
ゴッホ「知らない」
聖職者「変わった頼みごとだな。怒りを感じることはあるか」
ゴッホ「そりゃ、あるさ」
聖職者「そのときはどうする」
ゴッホ「外に出て、草の葉やイチジクの枝を見て気を静める」
聖職者「効果はあるのか」
ゴッホ「もちろん。神は自然であり、自然は美しい」
聖職者「君が絵を描く姿を見た。画家だと聞いたが」
ゴッホ「僕は画家だ」
聖職者「なぜそう言える、絵の才能があるのか」
ゴッホ「ある」
聖職者「どこから授かった。神から画才を与えられたのか」
ゴッホ「神から授かった唯一の才能だ」
聖職者「この絵は、君が描いたのか。これは絵なのか」
ゴッホ「もちろんだ」
聖職者「答えてくれ、なぜ自分を画家だというのか」
ゴッホ「絵を描くからだ。描かねばならないからだ。僕はいつも画家だった」
聖職者「天性のか」
ゴッホ「そうだ」
聖職者「なぜ分かる」
ゴッホ「描くことのほかは、何もできないからだ」
聖職者「才能を与えられたから、これが描けたというのか」
ゴッホ「そうだ」
聖職者「君には分からないのか、この絵をよく見るがいい。傷つける気はないが、この絵は、なんというか、不愉快だ、醜い」
ゴッホ「なぜ神は、僕に醜いものを描く才能を与えたのだろう。ときどき、すべてから遠く離れていると感じる」
聖職者「絵を買う人はいるのか」
ゴッホ「いない」
聖職者「だから貧しいと」
ゴッホ「とても貧しい」
聖職者「生活はどうしてる」
ゴッホ「弟のテオがここの費用を払ってくれる、弟も裕福じゃないが」
聖職者「神は君を苦しめるために、才能を与えたのか」
ゴッホ「そうは思わない」
聖職者「ではどう思うのだ」
ゴッホ「ときどき考える、もしかしたら神は・・・」
聖職者「続けて」
ゴッホ「時間を間違えたのだと思う」
聖職者「間違えた?」
ゴッホ「未来の人びとのために、神は僕を画家にしたんだ」
聖職者「あり得ることだな」
ゴッホ「人生は種まきのときで、収穫のときではないという、描くことは美点であり、欠点でもある」
聖職者「神が間違いを犯したというのか」
ゴッホ「僕は自分がこの地上の追放者だと思っている。イエスはこう言われた、目に見えぬものに心を留めよ。イエスも生きている間はまったく無名だった」
聖職者「なぜ、それを知っている」
ゴッホ「父は牧師で僕は宗教と関りが深い」
聖職者「それは本当か 君は牧師なのか」
ゴッホ「そうだ、自分が画家だと気づく前は神に仕えようと思っていた。だから勉強したのだ」
聖職者「福音書に詳しいのか」
ゴッホ「そればかりじゃない、イエスが世に見出されたのは死後30年か40年のことだ。生前は話題にも上がらなかった。百人隊長が妻に向けて『イエスという名の男がエルサレムで磔刑になった』と書いた手紙も存在しない」
聖職者「君を退院させるか判断するのが私の仕事だ」
ゴッホ「官邸のイエスを思い出す」
聖職者「なんだって、どの官邸だ」
ゴッホ「ピラト総督のさ。聖書を信じるなら、ピラトはイエスの磔刑を望まず、望んだのは民衆だ」
聖職者「その問題は別の機会に話し合おう」
ゴッホ「ピラトの意に反しイエスは自分の言葉で有罪になった。だから僕もまた自分の言葉に気をつけねば」
聖職者「よく分かるよ。君がよければ私に会いにきてくれ。また話がしたいな。レー医師が待っている。君を引き取りに来た」
ゴッホ「出ていけるのか」
聖職者「するべき治療は尽くした」
ゴッホ「治っているといいが」
聖職者「私もそう願うよ」

こうして会話をたどっていくと、ゴッホが牧師であろうとした過去を知った時から、聖職者のゴッホに対する態度が好意的に一変するのが分かりますが、その直前、子供の性的虐待が疑われる狂人が「画家」でもあることを知った聖職者は、なぐり描きの理解不能なゴッホの絵を見てこんなふうに話しています。

聖職者「君には分からないのか、この絵をよく見るがいい。傷つける気はないが、この絵は、なんというか、不愉快だ、醜い」

ゴッホ「なぜ神は、僕に醜いものを描く才能を与えたのだろう。ときどき、すべてから遠く離れていると感じる」

ゴッホ自身の口から、自分が描いた絵を前にして、果たして、みずからの才能を天から与えられたと言いつつ、それを「醜いもの」を描く才能などとあえて言ったりするだろうか。それとも聖職者がこの絵は「不愉快だ、醜い」と言ったから、その言葉をそのまま受けて、言葉としてはそのまま使いながら、いわば括弧付きの引用のかたちで聖職者に返しただけで、ゴッホ本人は、もっと別の意味を込めて言ったのではないか、まさか自分の才能を「醜いものを描く才能」なんて本気で思ったりするだろうか、そもそも「ひまわり」や「糸杉と星の見える道」は、醜いものとして表現されたものなのか、考えているうちにすっかりわけが分からなくなってしまいました。


(2018英仏米)監督脚本・ジュリアン・シュナーベル、製作・ジョン・キリク、脚本・ジャン=クロード・カリエール、脚本編集・ルイーズ・クーゲルベルク、撮影監督・ブノワ・ドゥローム、音楽・タチアナ・リソヴスカヤ、編集・ジュリアン・シュナーベル、美術・ステファン・クレッソン、衣装デザイン・カラン・ミューレル=セロー、製作総指揮・シャルル=マリー・アントニオーズ、ムーラッド・ベルケダール、ニック・バウアー、ジャン・デュアメル、フランソワ=ザヴィエ・デクレーヌ、ニコラ・レルミット、ディーパック・ナヤール、マルク・シュミットハイニー、トーステン・シューマッハー、カール・シュポエリ、クレア・テイラー 、 フェルナンド・サリシン 、マキシミリアン・アルヴェライズ、製作会社・リバーストーン・ピクチャーズ、イコノクラスト
出演・ウィレム・デフォー(フィンセント・ファン・ゴッホ)、ルパート・フレンド(テオ・ファン・ゴッホ)、マッツ・ミケルセン(聖職者)、マチュー・アマルリック(ポール・ガシェ医師)、エマニュエル・セニエ(マダム・ジヌー)、オスカー・アイザック(ポール・ゴーギャン)、アンヌ・コンシニ、ニエル・アレストリュプ(狂人)、ヴラジミール・コンシニ(フェリックス・レイ医師)、アミラ・カサール(ヨハンナ・ファン・ゴッホ)、ヴァンサン・ペレーズ(責任者)、アレクシス・ミシャリク(タンバリン)、ステラ・シュナーベル(ギャビー)、ロリータ・シャマー(道端の少女)、ディディエ・ジャレ(精神病院の看守)、ルイ・ガレル(アルベール・オーリエ評論朗読)、

Viewing all 248 articles
Browse latest View live