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ボヘミアン・ラプソディ

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散歩の途中で立ち寄る書店のレジの傍らに、出版各社が、おもに自社の出版物を宣伝するために発行している「書評誌」が、たまに置いてあり、そこには「ご自由にお持ちください」というメモ書きがあったりするので、ついつい習慣的にいただいて来てしまいます。

それぞれのページ数がゴク少ない小冊子という感じなので、いつでも読めるとタカを括ってほったらかしていると、いつのまにかどんどん溜まって、気が付くと相当な量になっており、その「量」に圧倒され、あわてて関心のありそうな二、三の記事をつまみ食い的にチラッと読んだだけで、結局はホカスという、考えてみれば随分と失礼なことを繰り返してきたのだなと、最近になってつくづく反省しています。

この書評誌、いま手元にあるものだけでも、ざっとこんな感じです。

図書(岩波書店)
波(新潮社)
ちくま(筑摩書房)
青春と読書(集英社)
本(講談社)
みすず(みすず書房)
本郷(吉川弘文館)
歴史書通信(歴史書懇話会)
未来(未来社)
書斎の窓(有斐閣)
UP(東京大学出版会)
そのほかに、国書刊行会と平凡社と新潮社と河出のメール会員になっています。

毎週掲載されている新聞の書評なら、几帳面にいちいち読んでいるのに(新聞の書評委員は、淡白な「単なる担当者」にすぎませんが)、書評誌に執筆している人というのは、当の著者自身か、あるいは著者を知悉する深いゆかりの人が書いているという、いずれにしても相当濃厚な書評で、それをこんなふうに「読み捨て」か「読まず捨て」にしていたなんて、実に失礼な、実にもったいないことをし続けてきたものだなと猛省し、このダレた習慣をすぐにでも改める必要があると痛感しました。

きっと、この暴挙を許していたのは、その冊子が「無料」だったからということも少なからず作用していたことは明らかです。本来、そんなことではいけないのですが、事実なので仕方ありません。

そういう切っ掛けもあって、それ以来、それら書評誌をまとめて手近な場所に積み上げて置いて、いつでも手に取り読めるようにしてあります、不意の「隙間時間」というのが、これで結構あるのです。

まあ、「隙間時間」といっても、べつにこれといった特別な時間を設けているわけではなくて、以前ならただぼんやりやり過ごしていただけの「小さな待ち時間」くらいのことで、例えば、パソコンの遅い起動を待っている時とか(自分のパソは容量が少ないのか、相当に重たいので、馬鹿にできないくらい起動に時間がかかります)、あるいは、見たいテレビの番組と番組との間の中途半端な空き時間とか、ウォーキングの最中に疲れ切ってアゴを出し、その回復のための暫しの休憩時間にとか(薄い冊子なので携帯には便利です)、この書評誌それぞれの記事がごく短いので、そうしたときにちゃっちゃと読むことができ、内容の方も相当圧縮されていて濃いので、このなかの優れた書評などは、もしかすると1冊の本を読了したときと同じくらいの収穫をもたらしているかもしれません。

そこで、その「収穫」のひとつというのを紹介してみますね。それは、東京大学出版会が刊行している「UP」2020年10月号のなかに掲載されていた記事のひとつです。

執筆者は藤垣裕子という人、巻末の執筆者紹介を読むと、こう書かれていました。

東京大学大学院総合文化研究科教授、科学技術社会論。1962年生まれ。
著書には
「専門知と公共性」(東京大学出版会)
「大人になるためのリベラルアーツ」(共著)(東京大学出版会)
「続・大人になるためのリベラルアーツ」(共著)(東京大学出版会)
「科学者の社会的責任」(岩波書店)
「科学技術社会論の挑戦」(責任編集)(東京大学出版会)
などがあげられています。

さて、その「UP」2020年10月号に掲載された評文ですが、
タイトルは「フレディ・マーキュリーの複数の人格をめぐって」という、つかみバッチリ、思わず真っ先に読みたくなるような超刺激的なタイトルです、

しかし、いざその内容はというと、虚名・フレディ・マーキュリーの「パキスタン移民の貧しい無名の青年」としての実像と「華やかなロック・スター歌手」=「同性愛」(あるいは、容貌的コンプレックスの「出っ歯」もカウントしておくべきかもしれません)という「複数の虚構に引き裂かれた人格の破綻」が理路整然と論じられていて、さすが東京大学の偉い先生だけあって、映画に描かれていたような下卑た要素はことごとく排除されて、格調高いその論調には高潔な品位が保たれています、

酒池肉林の頽廃とスキャンダラスな桃色のイカガワシサを期待していた自分としては、どうしてもある種の物足りなさを感じないわけにはいかなかったのですが、それでもその「人格の多重性」を論証するために挙げられているプラターズの「グレート・プリテンダー」(1955年の同曲を、1987年にフレディがカバーした)の歌詞というのが気になりました。


≪そうだよ、僕は大いなる「みせかけ」なんだ
うまく化けているだろう
それは僕が望んだこと。僕は化けすぎ
僕は孤独だけれど誰にも分らない
そうさ、僕は大嘘つきなんだ
ただ単に笑って、ピエロみたいに陽気
ほんとうの僕なんて見えないだろう
王冠を心にかぶって
『モンスター像の裏の孤独』の項でみた彼のセリフと重ねると、この歌詞に込められた彼の孤独が伝わってくる。フレディはクイーンのファーストアルバム1973で『Liar』(嘘つき)という歌を収録している。『Liar』では嘘をつくことに対する逡巡と、神の前での罪悪感がつづられているのに対し、グレート・プリテンダーにはそのような罪悪感はない。自らを偽ることを引き受けてしまっているかの感がある。
彼がグレート・プリテンダーを演じざるをえないのは、舞台の上のモンスター像と素の自分との間にギャップがあるからだが、実はもう一つの大事な理由がある。それは、彼のセクシャリティに関することである。≫


と論文はこれ以降、フレディ・マーキュリーの同性愛嗜好が展開されていくことになるのですが、この段落に付された「注」に、こんなことが書かれていました。

≪ちなみに、1973年の楽曲『Liar』のなかにあった罪悪感は、1975年の楽曲『ボヘミアン・ラプソディ』のなかで、「ママ、ひとを殺しちゃったよ」と歌われるように「もう一人の自分」(異性愛のいい子の自分)を殺すことによって薄められてしまい、1987年にいたっては罪悪感のかけらもない、と考えることも可能である。こういった状況を「なんだか『ライアー』が極限まできてしまったように感じます」と形容する俊逸な記事もある≫

とあって、『ボヘミアン・ラプソディ』の歌詞が、フレディ・マーキュリーがみずからの同性愛嗜好を隠し続けているための自己欺瞞・自己分裂をほのめかしたものだと解釈しているサイトも紹介しています。

なるほど、なるほど、自分も映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見たとき、そのなかで歌われていたフレディ・マーキュリーの圧倒的な歌唱に終始押されっぱなしの一人だったのですが、同時に、字幕で歌詞を読みながら、気持ちのどこかで「それにしても、これってずいぶんと変な歌詞だな」とぼんやり考えていたことを思い出しました。

歌詞なんてものは、だいたいが「惚れた、はれた」とか、「遠く離れた故郷がどうした」なんてものが定番なのに、突然「ママ、ついさっき人を殺してしまった」なんて出だしは、どう考えても異常としかいいようがありません、これってどういうシチュエーションなんだと誰だって悩むのは当然じゃないですか。

その「わけの分からなさ」に一定の理解を与えてくれるはずの「同性愛嗜好を隠す自己分裂」という解釈だけでは、なんだか突飛ですっきりしません、本当に、この歌詞が「みずからの同性愛嗜好を隠し続けているための自己分裂」を表わしている歌詞なのだろうか、本当に!? という疑念に捉われた自分は、それから幾日も悩み続けました。

そして悩み続けたすえに、どうにも疑念が晴れないまま、ついに関連事項の検索を始めてみました。

そして、ありました、ありました、例のあの論文が「注」でほのめかしていたサイトというのは、多分これですね。

Mama, just killed a man,
Put a gun against his head,
Pulled my trigger, now he’s dead.
Mama, life had just begun,
But now I’ve gone and thrown it all away.

ママ、ついさっき人を殺してしまったよ
彼の頭に銃を突き付けて
引き金を引いたら、彼は死んでしまったんだ
ママ、人生は始まったばかりだったのに
もう台無しにしてしまった

Mama, ooh,
Didn’t mean to make you cry,
If I’m not back again this time tomorrow,
Carry on, carry on as if nothing really matters.

ママ、悲しませるつもりなんかなかったんだ
もし明日の今頃、僕が戻らなくても、
あなたの人生を歩んでほしい、
なにもなかったみたいにね

Too late, my time has come,
Sends shivers down my spine,
Body’s aching all the time.
Goodbye, everybody, I’ve got to go,
Gotta leave you all behind and face the truth.

もうなにもかも手遅れなんだ
時は来てしまった
背筋にゾッと震えが走り
身体中がいつも痛むんだ
さようなら、みんな、もう行かなくちゃ
君たちの元を去って、真実と向き合わないとね

Mama, ooh (any way the wind blows),
I don’t wanna die,
I sometimes wish I’d never been born at all.

ママ、
ぼくは死にたくなんかないよ
いっそのこと、生まれてこなければ、よかったと思うくらいだよ



それでも「これって、どういうシチュエーションの歌詞なんだ」という疑念は一向に晴れません。

そのほか、「謎単語だらけのクイーン『ボヘミアン・ラプソディ』」なんてタイトルのブログまでありました。

しかし、言い方だけが違うだけで、いずれにしても「わけが分からない」という混乱をさらにかき回すという攪乱要素の部分では一緒です。

いわく
≪クイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』は、1975年10月31日に発表された楽曲です。その歌詞については、そのまま読めば「気ままに生きてきた主人公が人を殺めてしまい逃げ延びようとするものの、ついには悪魔にとらわれてしまい観念する」という内容です。今回はそれ以上の深い意味を求めることはいたしません。≫

なるほど、どこまでいっても、歌詞の意味については難解すぎて(無理に解釈しようとすれば泥沼に足を取られるだけの)お手上げ状態、結局は「わけが分からない」という感じのものばかりでした。

いつしか自分もその疑念が晴れないもどかしさに業を煮やしてモヤモヤした感じを抱えたまま、ずるずると幾日かが過ぎていきました。
そして、そんなある日の夕方、いつものように配達されてきた夕刊を何気なく見ていたら、いくつかの映画広告のなかに、ひときわ目につく大きな広告写真が目に飛び込んできました。マルチェロ・マストロヤンニ!! !? !!?? ??

むかし懐かしいマルチェロ・マストロヤンニの大写しの写真、目の前の斜めに渡された鎖を強く握り締め、憑かれたように、じっと一点を見つめている写真、これは言わずと知れた、かのヴィスコンティの名作「異邦人」に違いありません、なになに、デジタル復元版でリヴァイバル上映されるらしいですね。これは懐かしい、最初の公開は1968年とありますから、実に53年も前の映画ということになりますか。

それにしても、またしても1968年です。1968年に特別な意味を感じる人にとっては、特別な年・1968年ということになります。

思わず嬉しくなって極小の活字もいとわず隅から隅まで読み尽くしました。

なになに

≪「異邦人」デジタル復元版
ヴィスコンティ×カミュ×マストロヤンニ
奇跡のコラボレーションが生んだ映像の世界遺産≫

へえ~、「映像の世界遺産」とはね、まあ言い過ぎとは思わないけれど、なにもそこまで言わなくとも、ねえ。
そして、なんだって、

≪半世紀以上再上映 ソフト化されず封印され続けた幻の文芸大作、遂に解禁。
日本国内最新技術によるデジタル復元版にて世界初公開≫

ふむふむ、「日本国内最新技術によるデジタル復元版」だから「世界」に先がけて初公開というわけね、これって世界的な気運の盛り上がりとかじゃなくて、国内的な事情による「初公開」というふうな理解でいいのかな。
そこには何やら深刻にして複雑な事情がありそうなので「まあいいや」とそのへんは飛ばして、それから幾つかの惹句に目を通していたとき、なななんと、驚愕の一文に遭遇しました。

これですよ、これ!!

≪「アルベール・カミュによる不条理な世界」
原作はクイーンの名曲「ボヘミアン・ラプソディ」にも多大な影響を与え、もう一つの代表作「ペスト」は現在大ベストセラーを記録中≫

あったあったあたたたたたた、あったじゃないですか。

ほらほら、「ボヘミアン・ラプソディ」のあの奇妙な歌詞は、いくら難解だからって、なにも「みずからの同性愛嗜好を隠し続けているための自己分裂」なんて捏ね繰り回して考えないともよかったんだ、ただ単に「異邦人」のシチュエーションを借りた楽曲だったんですよね。そうなんだ、そうなんだ、

ああ、すっきりした!!





参考 【「異邦人」広告全文】

ヴィスコンティ×カミュ×マストロヤンニ奇跡のコラボレーションが生んだ映像の世界遺産、長きに渡り封印されていた幻の文芸大作、ついに解禁。
ノーベル賞作家アルベール・カミュの大ベストセラー「異邦人」は、現代人の生活感情の中に潜む不条理の意識を巧みに描いて大反響を巻き起こした。イタリア映画界の至宝ルキノ・ヴィスコンティ監督は早くからこの20世紀文学の傑作の映画化を志し、長年の構想の末に最高のスタッフ・キャストを集結させ、1967年に完成した。主演はフェリーニ、デ・シーカ監督作品等でも有名な名優マルチェロ・マストロヤンニ、ヒロインは2019年12月惜しくも急逝したアンナ・カリーナ。

没後45年を経ても燦然と輝き続けるヴィスコンティの残された1本、本邦初公開となるイタリア語ヴァージョンで復活。ルキノ・ヴィスコンティ監督は「イノセント」発表後の1976年3月に逝去、2021年は没後45年を迎えるが、その作品群は世代を超え映画ファンに愛され、繰り返しリヴァイバル上映され続けミニシアターの人気番組として定番化している。長編8作目となった本作の日本初公開は1968年9月、大きな反響を呼んだものの、以降は短縮日本語吹替版がTV放映されたが、複雑な権利関係・散逸した映像原版等、様々な理由でVHSはおろかソフト化されることもなく、ヴィスコンティ特集等の限定上映以外長期に渡り鑑賞する機会が皆無であり、まさにファン垂涎の作品となっていたが、遂に今回各映像素材を最新技術によってデジタル復元化し、上映実現となった。また初公開時英語版だった音声は、待望のイタリア語版での公開となる。

混迷の現代に影響を与え続けるカミュの不条理な世界。カミュの原作が発表された年は奇しくもヴィスコンティ監督デビュー作「郵便配達はベルを鳴らす」と同じ1942年であり、早くから映画化の希望をカミュ(1960年没)に直接伝えていたという。本作の主人公の不条理な言動は、クイーンの名曲「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞とも類似しており、元ネタとしても有名。また未曾有のコロナ禍の現在を予期していたかのような、伝染病の恐ろしさを描いたもう一つの代表作「ペスト」は、現在全世界で特大ベストセラーを記録している。

映画ファンを魅了するキャスティング。難解な主人公ムルソー役は、フェデリコ・フェリーニ監督「甘い生活」「8 1/2」や、本年リヴァイバル上映されたヴィッドリオ・デ・シーカ監督「ひまわり」他、数え切れぬほどの代表作を持つマルチェロ・マストロヤンニ。恋人役には「気狂いピエロ」等ヌーベルバーグの旗手ジャン=リュック・ゴダール監督作品でアンナ・カリーナ。2019年12月に惜しくも逝去したが、わが国ではすぐに旧作の特集上映が組まれたほどの熱狂的ファンを数多く持っている。

< STORY >
第二次大戦前のアルジェ、会社員のムルソーは、アルジェ郊外の老人施設から母親の訃報を受け取る。遺体安置所で彼は遺体と対面もせず、通夜の席でコーヒーを飲み、タバコを吸い埋葬の場でも涙を見せなかった。その翌日、偶然再会したマリーと海水浴に行き、映画を見て一夜を共にした。ムルソーは、同じアパートに住む友人とトラブルに巻き込まれ、たまたま預かったピストルでアラブ人を射殺する。太陽がまぶしかったという以外、ムルソーにも理由は分からない。裁判所の法廷では殺害については何も言及されず、ムルソーの行動は非人間的で不道徳であるとされ死刑を宣告される…

< STAFF & CAST >
監督ルキノ・ヴィスコンティ(「ベニスに死す」「家族の肖像」「山猫」)
製作ディノ・デ・ラウレンティス(「道」「天地創造」「戦争と平和」)
原作アルベール・カミュ(「ペスト」)
脚本スーゾ・チェッキ・ダミーコ、エマニュエル・ロブレ、ジョルジュ・コンション
撮影ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽ピエロ・ピッチオーニ(「華やかな魔女たち」「芽ばえ」)
出演マルチェロ・マストロヤンニ(「ひまわり」「昨日今日明日」「ひきしお」)
アンナ・カリーナ(「気狂いピエロ」「女と男のいる舗道」「アンナ」)
ベルナール・ブリエ
ブルーノ・クレメル


日本初公開 1968年9月
キネマ旬報ベストテン 第8位
スクリーン誌ベストテン 第9位
1967年 イタリア/フランス映画
104分 カラー イタリア語  ヴィスタサイズ DCP
© Films Sans Frontieres
配給:ジェットリンク 配給協力:ラビットハウス


無言歌

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今年のキネマ旬報2月下旬号でベストテンの発表の記事を見たとき、ワン・ビンの「死霊魂」が第5位にランクされたのを知って、すこし驚きました。

なにしろ全編で8時間26分もあろうかという「超」のつく大作です、ベストテンに投票した批評家のセンセイたちが、この「8時間26分」を忠実・誠実に見たうえでの評価だったとしたら、その忍耐力だけでも凄いことだなと感心したのです。

でも、なかにはこの手の長尺にして政治的な映画がすごく苦手で、だけれども、ワン・ビンの集大成というメディアの振れ込みに気圧され、「選考委員なら見なければ」というプレッシャーに動揺をきたして、その前評判の高さを妄信して「見てないけど、知識人だからハイ1票」みたいな丸投げのケースもなくはなかったのではないかと、つい勘ぐってしまいたくなります、これはそれほどの難行苦行を強いる映画といえるでしょう。

あるいは、考え得るもうひとつの立場に、この政治的で極めて挑発的な、そのうえドラマ仕立てでもない映画など選考対象からさっさと外し(生理的にも受け入れられないので)最初から見ることもなく、だから採点もしなかったという選者だって幾らでもいるだろうなと想像しながら、そういうハンディ(と言っていいかどうかは分かりませんが)のなかで、この「第5位」というランクは、やっぱり凄いことなのだなと改めて実感した次第です。

この世の中、どこの世界でも、硬軟取り混ぜてそこら辺はちゃんとバランスのとれた「世間体の市場原理」というものに均され、森羅万象おのずから調和のとれた結果に導かれるものなのだなと、なんとなく納得してしまいました。

海の向こうのアカデミー賞にしても、そして、最近はなんか迷走ぎみのノーベル文学賞にしても、選考というものはオシナベテそんなものかもしれないと諦め半分に思い当たるフシがありました。

そこでちょっと暇にまかせてキネ旬ベストテンの「採点表」を眺めながら、大雑把なデータ分析を試みました。

選考委員は総勢70名(そこには「本誌編集部」というのも含みます、実際に5行ずつ指で押さえながら数えたのであります)、そのうち、ランクはともかく、とにかく「死霊魂」をベストテンの作品に推すべく票を投じた人が15名います、内訳は、以下のとおり。

10点 5名(稲田隆紀、金子遊、上島春彦、四方田犬彦、渡部実)
9点 2名(中山治美、村上匡一郎、)
8点 2名(尾形敏朗、恩田泰子)
7点 2名(古賀重樹、佐藤結)
6点 2名(上野昂志、北川れい子)
5点 1名(塚田泉)
2点 1名(田中千世子)

この15名の選者が、それぞれ他にどういう作品を選んだうえで「死霊魂」をカク評価したのか、「死霊魂」を基点に定点観察的に見るのも、なんか面白そうじゃないですか。

なるほど、なるほど、集計作業をしながら、この作品を評価しなかった他の選者も、最初から無視した選者も、「死霊魂」という作品を「ドラマ作品」として同一に評価していいのか、ドラマ性の欠如に躊躇・葛藤したということも、きっと「あった」に違いありません。

「鳳鳴―中国の記憶」2007において、語る老婦人の前にカメラを据えて、何時間でも思うように話させる、悲憤も激昂も、落胆も絶望も、それらの苦渋をただじっと見つめつづけるというワン・ビンの撮影方法は一貫していますが、こういうドキュメンタリー風作品を「ドラマ作品」と比較できるのかという根本的な躊躇は、確かに正当な迷いのように思えます。

思想矯正のために送られた強制収容所において、尊厳も人権も無視され強制労働を強いられた「痛恨の記憶の述懐」を描いた系列作品をざっくりと整理すると、

「鉄西区」2003→「暴虐工廠」2007→「鳳鳴―中国の記憶」2007→(「名前のない男」2009→)「無言歌」2010→「死霊魂」2018

ということになりますが、「ドラマ性がどうだ」というなら、それこそ、百花斉放運動の迫害と凄惨な死の厄災の事実をもとにワン・ビンみずからドラマ化した「無言歌」2010がいいのではないかと思い至った次第です。

この「鳳鳴―中国の記憶」2007も「名前のない男」2009も「無言歌」2010もyou tubeにアップされているので、どの作品も容易に見ることができます、しかし、国家権力の犯罪を(印象として)告発し挑むような、これだけの刺激的で微妙な作品を、こんなふうにいとも簡単に見ることができるということに、香港とウイグルの民主化運動に権力存亡の危機を感じ徹底的な弾圧に血道をあげている現代の中国の傲慢不遜で挑発的な姿を見せつけられている現実に即して考えると、ワン・ビンだけが特別に優遇されているような印象を受けて、少なからず違和感を覚えてしまい、海外への広告塔としてあえて「泳がせている」のか、それともそこにはなんらかの「からくり」があって「権力との裏取引き」でもあるのではないかと、ちょっと勘繰り深読みしたくなる部分もなくはありません。

なにしろ、彼の国は、少しでも独裁権力を脅かす萌芽でもあれば、徹底的に迫害してきた歴史を僕たちは嫌と言うほど見せつけられてきました。

それは、威圧と圧制の脅迫のもとに国民をまるで奴隷のように自在に操り、選別し、検束し、拘禁し、密かに抹殺してきた歴史です。

しかし、民主化の機運を封じ込めるために躊躇なく何千人もの自国民を虐殺したといわれる「天安門事件」おいて、人道に反したその悪辣な暴虐に世界から非難が集中したとき、唯一、利に走った日本だけが労働力欲しさの下心から中国を庇い援護して(身勝手な国益のために天皇まで動かしました)お墨付きを与えて中国を国際的に立ち直らせたという経緯があります、そういう意味では、日本は、「苦い当事者」という残念な立場にあり、テレサ・テンは、そういう残念な日本に失望して、ついにこの国を見限りました。
そして、それまでして媚びへつらった見返りに日本が得たものは何かというと、数年後に経済的に立ち直り自信を得た中国は増長し、もっとも因縁をつけやすいと見た弱腰・日本の足元を見透かして(窮地を救ってあげたという日本の上から目線に中華のプライドが傷ついたという腹立たしさがあったに違いありません)「歴史観」に難癖をつけ、日本大使館を取り囲んで国旗を焼くというやりたい放題の暴挙を見せつけられることになります。いわば「恩を仇で返す」を文字通り、やられてしまい、また、それを傍観していた韓国にまで付け込むヒントを与え、同じ手を使われて、その禍根を「現在」まで引きずっている始末で、依然として大変な目に遭っているというわけです。
大使館を取り巻いていた「一般人の顔」を装っていたあの連中も、そして今回の卑劣なハッカー関与者も、軍人か公務員であることは、もはや周知の事実です。

内外に、逆らうものでもあれば、やたら刷りまくった粗悪な印刷の赤い札ビラと、狂気の軍事力によって、まさに国家総出で威圧と領土侵略を繰り返している現状(こう書くと、彼らのやっていることは、かつてのナチスと同じです)があるからですが、そもそもあの世界の知識人を札束で買いあさる「千人計画」にしても、もとはといえば、「百花斉放運動」や「文化大革命」や「天安門事件」によって良識と知恵のある知識人を片っ端から殺戮し、あるいは、身勝手で狭視野なあの「大躍進計画」の延長線上にあるような愚かしい「一人っ子政策」が現在に深刻な人材不足を招いている辻褄合わせでしかないことは、世界中の(買収を免れた)誰もが熟知しているところです。

扉も壁もないニイハオ便所で、後ろ向きで大便をひっているキミ、あのねえ、自分だけが見えなきゃ、それでいいってものじゃないんだよ、世界はキミの薄汚い後ろ姿のケツをさんざん見せつけられて、うんざりさせられていることを、もうそろそろ分かってもいい頃なんじゃないかな、うん、いい加減わかりなよ、ねっ!?

人買いと細菌輸出という謀略の黒い貿易収支の均衡と、幼稚で浅墓なだけに、その権力亡者の愚劣な粗暴さにはほとほと手のつられない困難のなかで、秀作「無言歌」が、世界映画史において、これからもずっと邪悪な権力に汚されることなく、名誉ある地位を保ち続け、この暗黒の時代を潜り抜けられるよう、ただただ祈り続けるばかりです。


アカデミー賞発表

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第93回アカデミー賞 The 93rd Annual Academy Awards
(April 25, 2021 in Los Angeles)


【作品賞】
★ノマドランド
ファーザー
Judas and the Black Messiah
Mank マンク
ミナリ
プロミシング・ヤング・ウーマン
サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ
シカゴ7裁判


【監督賞】
★クロエ・ジャオ(ノマドランド)
リー・アイザック・チョン(ミナリ)
エメラルド・フェネル(プロミシング・ヤング・ウーマン)
デヴィッド・フィンチャー(Mank マンク)
トマス・ヴィンターベア(アナザーラウンド)


【主演男優賞】
★アンソニー・ホプキンス(ファーザー)
リズ・アーメド(サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ)
チャドウィック・ボウズマン(マ・レイニーのブラックボトム)
ゲイリー・オールドマン(Mank マンク)
スティーヴン・ユァン(ミナリ)


【主演女優賞】
★フランシス・マクドーマンド(ノマドランド)
ヴィオラ・デイヴィス(マ・レイニーのブラックボトム)
アンドラ・デイ(The United States vs. Billie Holiday)
ヴァネッサ・カービー(私というパズル)
キャリー・マリガン(プロミシング・ヤング・ウーマン)


【助演男優賞】
★ダニエル・カルーヤ(Judas and the Black Messiah)
サシャ・バロン・コーエン(シカゴ7裁判)
レスリー・オドム・ジュニア(あの夜、マイアミで)
ポール・レイシー(サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ)
ラキース・スタンフィールド(Judas and the Black Messiah)


【助演女優賞】
★ユン・ヨジョン(ミナリ)
マリア・バカローヴァ(続・ボラット)
グレン・クローズ(ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌)
オリヴィア・コールマン(ファーザー)
アマンダ・セイフライド(Mank マンク)


【脚本賞】
★プロミシング・ヤング・ウーマン
Judas and the Black Messiah
ミナリ
サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ
シカゴ7裁判


【脚色賞】
★ファーザー
続・ボラット 栄光ナル国家だったカザフスタンのためのアメリカ貢ぎ物計画
ノマドランド
あの夜、マイアミで
ザ・ホワイトタイガー

【撮影賞】
★Mank マンク
Judas and the Black Messiah
この茫漠たる荒野で
ノマドランド
シカゴ7裁判


【編集賞】
★サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ
ファーザー
ノマドランド
プロミシング・ヤング・ウーマン
シカゴ7裁判


【美術賞】
★Mank マンク
ファーザー
マ・レイニーのブラックボトム
この茫漠たる荒野で
TENET テネット


【衣装デザイン賞】
★マ・レイニーのブラックボトム
Emma.
Mank マンク
ムーラン
Pinocchio


【メイキャップ&ヘアスタイリング賞】
★マ・レイニーのブラックボトム
Emma.
ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌
Mank マンク
Pinocchio


【視覚効果賞】
★TENET テネット
ラブ&モンスターズ
ミッドナイト・スカイ
ムーラン
ゴリラのアイヴァン


【録音賞】
★サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ
グレイハウンド
Mank マンク
この茫漠たる荒野で
ソウルフル・ワールド


【作曲賞】
★ソウルフル・ワールド
ザ・ファイブ・ブラッズ
Mank マンク
ミナリ
この茫漠たる荒野で


【主題歌賞】
★Judas and the Black Messiah「Fight for You」
ユーロビジョン歌合戦 ファイア・サーガ物語「My Home Town」
これからの人生「Seen」
あの夜、マイアミで「Speak Now」
シカゴ7裁判「Hear My Voice」


【アニメーション映画賞】
★ソウルフル・ワールド
2分の1の魔法
フェイフェイと月の冒険
映画 ひつじのショーン UFOフィーバー!
ウルフウォーカー


【国際長編映画賞】
★アナザーラウンド(デンマーク)
少年の君(香港)
Collective(ルーマニア)
皮膚を売った男(チュニジア)
アイダよ、何処へ?(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)


【ドキュメンタリー映画賞(長編)】
★オクトパスの神秘:海の賢者は語る
Collective
ハンディキャップ・キャンプ:障がい者運動の夜明け
83歳のやさしいスパイ
タイム


【ドキュメンタリー映画賞(短編)】
★Colette
A Concerto Is a Conversation
Do Not Split
Hunger Ward
ラターシャに捧ぐ 記憶で綴る15年の生涯


【短編映画賞(実写)】
★隔たる世界の2人
Feeling Through
The Letter Room
プレゼント
白い自転車


【短編映画賞(アニメーション)】
★愛してるって言っておくね
夢追いウサギ
Genius Loci
Opera
Yes-People



〖参考〗
第93アカデミー賞授賞式直前の下馬評(主要6部門)

・作品賞は、ノマドランドが、ほぼ確実。大番狂わせなら、『シカゴ7裁判』『ミナリ』が浮上も。
・監督賞は、クロエ・ジャオ(ノマドランド)が、ほぼ確実。
・主演男優賞は、チャドウィック・ボウズマン(マ・レイニーのブラックボトム)が有力視されていたが、ここに来てアンソニー・ホプキンス(ファーザー)が上昇している、もしかして?の予想も。
・主演女優賞は、かつてない大混戦。誰が来てもおかしくない。
ヴィオラ・デイヴィス(マ・レイニーのブラックボトム)
アンドラ・デイ(The United States vs. Billie Holiday)
フランシス・マクドーマンド(ノマドランド)
キャリー・マリガン(プロミシング・ヤング・ウーマン)
・助演男優賞は、ダニエル・カルーヤ(Judas and the Black Messiah)がほぼ確実。
・助演女優賞は、ユン・ヨジョン(ミナリ)が有力。グレン・クローズ(ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌)は、ここにきて、ほぼ消えかかっているといわれている。

ジュディ 虹の彼方に

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今年のアカデミー賞授賞式は、初めから終わりまで、通してゆっくりと見ることができました。

コロナの影響もあってか、例年に比べるとずいぶん抑えた静かな授賞式だなという印象をもったのですが、そのなかでも特に印象に残った場面がありました。

「主演女優賞」の受賞者を名指しする場面、プレゼンターは、前年「ジュディ 虹の彼方に」で主演女優賞を受賞したレニー・ゼルウィガーがつとめていて、ノミネートされた女優たちを次々に紹介したあとで、いよいよ受賞者フランシス・マクドーマンドの名前を読み上げてからのリアクションが、ちょっと気になったのです。
「スリー・ビルボード」で受賞した際にも強く感じたことですが、マクドーマンドは、近年、ますます気難しくなり(のように見えます)、表情に社交性というか、サーピス精神なんかほとんど消失し、「微笑」とか社交儀礼的な表情も意志的に一切排除しようとしているかような印象があります、もっとも、マクドーマンドがもともとそういうクールな人で、分かっている人なら「あんなもんだよ」と一蹴されるレベルの話なのかもしれませんが、パッと見、ほとんど「こんな下らないことで、誰が笑えるもんか」みたいな取りつくしまもない仏頂面で、なにしろ受賞会場にいる映画人のほとんどがきらびやかな正装で身を固めているなかで、まるでそれらを挑発するかのような質素な普段着(それも「よれよれ感」をさらに目立たせるために、懸命にマイナスの努力に励んだのではないかと勘繰りたくなるくらいの「ノマドランド感」で、あえて演出したのではないかという迫真のリアル感がありました)は、まるで華やいだ会場の雰囲気に対して挑戦・抗議しているようにも感じました。

しかし、「マクドーマンド」の方もそれはそうなのですが、マクドーマンドの名前を読み上げたプレゼンターのレニー・ゼルウィガーの方だって負けていませんでした、読み上げるやマクドーマンドの登壇なんか待つことなく、さっさと(プレゼンターたるもの、受賞者を待って祝福するとか挨拶くらいはして楽屋に消えるというのが礼儀なのではないかと思いますが)受賞者の方を見ることもなく、冷ややかな素知らぬ態度で、そそくさと舞台から消え去りました。

「やっぱ、コロナだから『接触』とか『密』なんかを避けたのか」とも思ったのですが、いやいや、そんなことはありません。だって、彼女、楽屋に消えるときに前の方に坐っていた知人の誰かに、わざわざ歩み寄り笑顔で握手と挨拶をしてたくらいですから、マクドーマンドとの微妙な関係や空気感、そして距離感など、やっぱなんかいろいろとあるんじゃないかなと、臨場感あふれるリアルな中継番組を見ながら感じた次第です。

もっとも、マクドーマンドが、あの顔でへらへらと薄笑いを浮かべて愛嬌を振りまかれたりしたら、かえって気持ち悪いかもしれません、そうそう、久しぶりに「ファーゴ」1996を見たのですが、彼女、随所で実に可愛らしい爽やかな笑顔を見せている場面もあったので、まだこの頃は笑っていたんだなと、しばし感慨にふけりました。


さて、そのレニー・ゼルウィガーの「ジュディ 虹の彼方に」ですが、遅ればせながらやっとwowowで見ることが出来て、やはりラストシーンには感動させられ、思わずホロリとしてしまいました。

そのラスト、愛する人に去られ5度目の結婚にも失敗し、ショーの仕事も解雇されたジュディが失意と傷心のなかで、自分の代役をつとめるギタリストのショーを見てからクラブを去ろうと思い立ち、昨日まで出演していた舞台のソデから客席の観客たちの顔を見た瞬間、にわかに歌いたい衝動にかられステージに飛び出し、見事な歌唱力で歌い出すシーン。

その歌が大喝采を受けたあとの次の曲、ジュディを大スターに押し上げた「オーバー・ザ・レインボウ」を歌いだしたとき、彼女の脳裏をよぎったのは、いままで愛した多くの人々に去られたこと、家庭をみずから壊した数々の失敗と、自分のいまある孤独とに胸が詰まって、歌い出した「オーバー・ザ・レインボウ」の曲の途中で、ついに歌えなくなったとき、観客席から沸き起こる「オーバー・ザ・レインボウ」の大合唱が、打ちひしがれたジュディを励ますという感動の場面です。

その観客の歌声が「ジュディ、がんばれ」という励ましの声援であることはもちろんなのでしょうが(そして、この映画の意図もそれ以上はきっと求めていなかったと思います)、むしろ自分には、このときのジュディ・ガーランドは、はじめて自分の歌の歌詞(その意味を含めて)を観客たちの歌声をじっくりと聞くことによって、「歌詞」がはじめて理解できたのではないかという感じを持ちました。

これは単なる想像にすぎませんが、「持ち歌」を日々、繰り返して歌わねばならない「歌手」にとって、そのたびに歌詞を理解し気持ちを入れ髪振り乱して歌っているかというと、それは「疑問」でしょう、まさか日々のステージで毎回そんなオーヴァーアクションを繰り返していたら、それこそ疲れ切り、神経もすり減って、身体がもつわけがありません、明日もまたステージをこなさなければならない彼らにとって、一夜限りで燃え尽きるようなステージなど到底あり得ないことと容易に想像がつきます。彼らとて、日々身体をいとい、末長く仕事を続けるために、肉体的にも精神的にも延命のためになんらかの日常的な工夫をしているに違いありません。

たとえば、外見上あたかも気持ちを入れ歌っているような振りをするとか、自分の歌に感動して思わず涙ぐむ振りをするとか、髪振り乱して懸命に歌っている姿をカタチとして見栄え良く整えるとか、そういう「工夫」です、そしてなによりも、自分がいま歌っている歌詞を隅から隅まで十分に理解しているような振りをするとか、みたいなことだと思います。

若年から繰り返し歌い続けてきて、すっかり慣れきってしまった持ち歌の歌詞は、多分いつの間にか、ただの言葉の羅列(呪文)に過ぎないものになっていて、記号としてなぞっているだけになっていたのではないか、ことにジュディの場合、なにしろ16、17歳あたりからずっと歌い続けてきたわけですから、「Somewhere over the rainbow」は、そういう存在として、ただ惰性で歌っていたと考えることは、それほどの無理からぬこととは思えません。そして、このラストシーンにあるように、「観客の大合唱」によって、彼女は改めて、ハタと気づかされたのではないかと感じたのです。

そこで、ちょっと「オーバー・ザ・レインボウ」の意訳を参照しました。


Somewhere over the rainbow
Way up high
あの虹の彼方の
どこか空高くには

There’s a land that I heard of
Once in a lullaby.
特別な場所があるって
小さい頃に子守唄で聞いたことがあるの

Somewhere over the rainbow
Skies are blue
その虹の彼方は
空がとても青く澄みわたっていて

And the dreams that you dare to dream
Really do come true
信じてた夢は
すべて本当に叶うんだって

Someday I’ll wish upon a star
いつか私も星に願うの

And wake up where the clouds are far behind me
その遠いところにある雲の上で目覚めること

Where troubles melt like lemondrops
そこではどんな悩みもレモンドロップみたいに溶けてなくなる

Away above the chimney tops
That's where you'll find me
あの煙突よりもずっと上のほうにあるところで
あなたは私を見つける

Somewhere over the rainbow
Bluebirds fly.
あの虹を超えた彼方には
青い鳥たちが飛んでいる

Birds fly over the rainbow.
Why then, oh why can’t I?
鳥たちはあの虹を超えて行けるのに
どうして私にはできないの?

If happy little bluebirds fly
beyond the rainbow
Why, oh why, can't I?
もし、幸せの小さな青い鳥たちが虹を超えて行けたのなら
どうして私にできないの?(きっと、行けるはずよ)

≪Somewhere over the rainbow≫
1936 作詞/エドガー・イップ・ハーバーグ、作曲/ハロルド・アーレン


ふむふむ、なるほどね。

ざっと歌詞の英文をたどりながら「Where troubles melt like lemondrops」の部分の「troubles」という言葉が、少し強い感じがして、どうも気になりました。だって、「オズの魔法使い」の主人公ドロシーは、まだ12、13歳くらいの設定の少女です、どう考えても「troubles」というほどの悩みを抱えるような年齢とは思えません、ちょっと大袈裟なのではないかなと考えたその瞬間、ハッと思い当たるものがありました。

この映画の少女期の回想部分でも繰り返し描かれていましたが、幼いジュディをマネージメントしていた実の母親の「毒親」ぶりです。

太りやすいジュディが契約によって食事制限を課され、それを始終監視するのが、映画にも描かれていた母親の役割でした。絶えず空腹で飢えていたジュディは、撮影所に缶詰めにされて満足な睡眠もとれないまま働かされ(撮影が遅れると社長かブロデューサーに口汚く恫喝されている場面もありました)、疲労が蓄積すると覚せい剤で眠気を飛ばし、たまのオフには、逆に眠れないので睡眠薬を与えられ、酒にも頼ったとジュディの年譜には書かれています。その悪習慣が、後年、彼女の健康を蝕み死に導いたことが映画にも描かれていました。

当時、その覚せい剤と睡眠薬を管理して交互に与えるのが母親の役割でした、こう書くとこの母親は、撮影所のスケジュールをジュディに守らせる管理者ではあっても、ジュディの健康を守るための管理者なんかではなかったことが、よく分かります。

そのことが「troubles」という言葉に表現されていて、そして「観客の大合唱」に対して、ジュディがその言葉の微妙な「含意」を感じ取って反応したのなら、おおいに納得できるような気がしたのです。

そうそう、「毒親」といえば、日本でもつい先だって、たしか同じような話があったなと、まるで連鎖反応のように起こった人気俳優の自殺のことを思い出しました。

もちろん、この映画のジュディ・ガーランドの方は自殺したわけではありませんが、ここで描かれている最期は、彼女が、それに等しい失意と絶望の淵にまで追い詰められていたであろうことだけは確かだと思います。

日本の「人気俳優の自殺のニュース」は、我が子を幼いうちから俳優養成所の初等科(学習院ではないので、そうは言わないかもしれませんが)で訓練を受けさせ、あわよくば芸能界でひとやま当てて、ゆくゆくは子供の稼ぎでラクして暮らそうという「毒親ステージ・ママ」が付きまとい、寄生していて(ここまでは映画と同じです)、そして、この親から逃れるために自死を選んだらしいという話を、芸能界の事情に詳しい女房から聴きました。

しかし、映画「ジュディ 虹の彼方に」に描かれている母親は、さらにその上をいく強烈さで存在感を示しています。

少女ジュディは、昼夜撮影所に閉じ込められ、休みなく働かされてクタクタに疲れ果て、しかし、訴えても休ませてもらえず、反抗すれば、プロデューサーから、「1日撮影が遅れれば、それだけ経費が嵩み『損害』につながるんだぞ」と威嚇されます、また、「人気子役」としての体型が崩れるのをおそれたプロデューサーから食事制限を命じられていた母親から食事を厳しく監視されていて、ジュディは常に空腹と睡眠不足に悩まされながら(そのたびに母親は睡眠薬と覚せい剤を交互に際限なく与えて「映画」に従事させます)、そんなふうに「撮影所で都合よく作られた人間」が成長し大人になった少女が、はたして自立し、社会の極めて微妙な人間関係を保つことができるだろうか、彼女にとって母親から逃れるための唯一の手段といえば「結婚」しかないとしても、その「家庭」という場所において、「撮影所で作られた」リアルを欠いた無力な人造人間にとっては、何ひとつ成し得なかったことは明らかです。

年譜を見ると、結婚した後でも、母親は娘の家庭に遠慮なくずかずかと入ってきたと記されていて、ジュディにとって「結婚」という場が、必ずしも母親からの逃避の場所ではなかったことそれどころか、むしろ、最初から社会性を欠落させている彼女にとって夫との人間関係を保つためには母親の援助(別に言い方をすれば、「介入」とか「付け込む」という幅のある言い方だってあり得ます)を欲したのではないかと思うとき、その幾たびかの結婚が破綻し、離婚へとつながっていったと想像するのは困難ではないのかもしれませんが、しかし、子供にとって、いくら「毒」を持った鵜匠のような厄介な親とはいえ親は親、それまで盲目的に一切を依存してきた分だけ、不在になればそれなりにダメージを受けるというのは、容易に想像できます。

年譜を見ると母親エセルが亡くなったのは、1953年とあり、その後、果たしてジュディが本当に「解放」されたのか、知りたくなりました。

年譜から、その前後の出来事を拾ってみますね。

・1949年、『Summer Stock』(日本未公開)の撮影時には、20ポンド(約9キロ)も太り、撮影を混乱させた。たびたびの騒ぎを起こしたジュディに業を煮やしたMGMはこの作品を最後にジュディを解雇した。ショックを受けた彼女は再び自殺未遂事件を起こす。
・1950年、ヴィンセント・ミネリと離婚した。
・1952年、シドニー・ラフトと3度目の結婚をした
ハリウッドを離れてロンドンやニューヨークのショーで大成功を収め、トニー賞特別賞を受賞し、ジャズ歌手としてのジュディの歌唱力が人々に認識された。
・1954年、ワーナー・ブラザースで撮影された『スタア誕生』で4年ぶりの銀幕復帰を果たし、アカデミー賞主演女優賞にも最有力候補としてノミネートされた。
・『スタア誕生』でゴールデングローブ賞主演女優賞(コメディ・ミュージカル部門)を受賞した。
・ノミネートされたアカデミー主演女優賞だが、ワーナー・ブラザースは、撮影中の遅刻や出勤拒否、撮影が長引いたために制作費が増大し赤字になったことを問題視し、彼女の受賞のための宣伝や根回しを一切行わず、授賞式前には「彼女ではもう二度と映画を撮ることはない」と宣言したため、主演女優賞のオスカーは『喝采』のグレース・ケリーに渡った。得票差6票の僅差は 当時の最小記録で、結局、ジュディの受賞はなかった。
・ワーナー・ブラザーズ社からも見離されて受賞を逸した失意から、再び彼女の私生活は荒れはじめ、数度の自殺未遂を起こした。


期せずして、「自殺未遂」から「自殺未遂」までの記事を切り取る感じになってしまいましたが、やはり母親の死というのは、多少影響があったのでしょうか、しかし、ジュディが弱々しい犠牲者だったとは思えません。

映画「ジュディ 虹の彼方に」では、死の直前の数か月が要領よくまとめられて描かれていましたが、ジュディ・ガーランドの生涯を知りたくなり、改めて下記に「ジュディ・ガーランド年譜」として、まとめてみました。

ご高覧いただければ幸いです。

(2019英仏米)監督ルパート・グールド、製作デヴィッド・リヴィングストーン、脚本トム・エッジ、撮影オーレ・ブラット・バークランド、音楽ガブリエル・ヤレド
出演レニー・ゼルウィガー(ジュディ・ガーランド)、ジェシー・バックリー(ロザリン・ワイルダー)、フィン・ウィットロック(ミッキー・ディーンズ)、ルーファス・シーウェル(シド・ラフト)、マイケル・ガンボン(バーナード・デルフォント)、




●私家版・ジュディガーランド年譜

1922年6月10日にミネソタ州グランドラピッズで出生。アイルランド、英国、スコットランド、フランスのユグノーの祖先をもつ両親の両方にちなんでフランシス・エセル・ガムFrances Ethel Gummと名付けられ、地元のエピスコパル教会で洗礼を受けた。ガーランドの生家は、現在ジュディガーランド博物館。
両親、エセル・マリオン(ネ・ミルン;1893-1953年)とフランシス・アヴェント「フランク」ガム(1886-1935)は、興行を催す劇場・映画館を運営するヴォードビリアン。ジョディ(彼女は家族からベイビーと呼ばれていた)は、幼いときから歌とダンスで家族のショーに参加した。
彼女が初めて登場したのは2歳のとき、父親の経営する映画館のクリスマスショーの舞台で姉のメアリー・ジェーン「スージー/スザンヌ」ガム(1915-64)とドロシー・バージニア"ジミー"・ガム(1917-77)と一緒に「ジングルベル」のコーラスを歌った。ガム姉妹は、ピアノを弾く母親と一緒に、数年間そこで演奏した。
芸名の「ジュディ」は彼女が好きだった歌のタイトルからつけられた、「ガーランド」はボードビリアン、ジョージ・ジェッセルが彼女たち姉妹を「ガーランド(花輪)のようだ」と言ったことから付けたといわれる。
1926年6月、家族は、父親が同性愛の傾向があるという噂が立ってその土地にいられず、カリフォルニア州ランカスターに移住した。フランクはランカスターで別の劇場を購入して運営した。
1929年、2人の姉と共に7歳の時に、姉妹の所属していた歌劇団のクリスマス・ショーにGumm Sistersとしてデビュー。その時のステージの様子が、『The Big Revue』1929という短編映画として残っている(you tubeで「The Big Revue 1929」と入力すれば動画視聴可能、「Gumm Sisters」の動画も豊富にあり、幼いジュディを見ることができる)。
ジュディは、幼い人気者となったが、姉が結婚したため、しばらく姉妹トリオ「Garland Sisiters」と名称を変更して活動したのちにシスターズは解散、ジュディは一人で歌いつづけ、踊りつづけた。母エセルは娘をマネージメントしながら映画界入りをもくろんでいた。
1935年、バスター・キートン、ゲーリー・クーパー、ロバー ト・テイラー等がカメオ出演したMGM社の短編映画『La Fiesta de Santa Barbara』1935にも出演したが、長女の結婚を機にトリオは解散したが、ジュディは歌唱力を認められ、翌年MGM社と契約した。
1936年、13歳のとき、コロムビアのスクリーンテストを受けたが不合格、母親はさらにMGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)のテストを受けさせ合格。同年MGMと専属契約した。MGM社の短編映画『Every Sunday』1936、「アメリカーナの少女」1936などで、1歳年上のディアナ・ダービンと共演したが、社長のルイス・B・メイヤーが、同じ年頃の少女スターは2人も必要ないとして、「太った方 (ジュディのこと)をクビにしろ」 と命じた、しかし、ジュディの歌唱力に注目していた部下のプロデューサー、アーサー・フリードは指示を無視してジュディと契約を結んだ。間違ったふりをしてダービンをクビにしたとの説もある。しかし当時13歳だったジュディは育ち盛りで肥満気味だったため、MGMは契約に「スリムでいること」を含め強制的なダイエットを命じた。体質的に太りやすかった彼女は当時のハリウッドのスタジオでダイエット薬として使用されていた覚醒剤(アンフェタミン)を常用するようになり、この悪習慣がジュディの体を蝕んでいく。
1937年、『Thoroughbreds Don't Cry』で2歳年上のミッキー・ルーニーと初共演した。以後、『初恋合戦』1938、『青春一座』1939など、合計10本の映画で共演し、少年少女カップルとして絶大な人気を誇った。ミッキーは後年、ジュディとの関係を、「恋愛関係ではなかったが、兄妹以上の特別な間柄だった 」と語った。また、MGM社の大スター、クラー ク・ゲーブルの36歳の誕生日パーティーで、「You Made Me Love You」(1913)の替歌を披露。これが好評で、映画『踊る不夜城』(1937)のなかでも歌い、「Dear Mr. Gable」として親しまれて、この好印象が「オズの魔法使」の大抜擢につながる。
1939年、ミュージカル・ファンタジー「オズの魔法使」(監督:ヴィクター・フレミング)の主役ドロシーに大抜擢され大ヒット、子役(女優)としての存在を決定づけて人気スターとなった。当初、製作者アーサー・フリードは、ドロシー役をライバル社20世紀FOXの人気子役だったシャーリー・テンプルに演じさせようと考え、その条件としてMGM側がクラーク・ゲーブルとジーン・ハーロウという2大スターを20世紀FOXへ貸し出すという交渉をすすめていたが、1937年にハーロウが急死したため交渉が頓挫した、そこで代役としてジュディが急遽ドロシー役を演じることになったという経緯があった。しかし、結果は、主題歌「オーバー・ザ・レインボウ」の大ヒットに加え、作品も記録的なヒットとなり、16歳のジュディの名を一挙に高めた、さらに、その勢いはやまず、アカデミー特別賞(子役賞)まで受賞した(ミッキー・ルーニーも前年、ディアナ・ダービンと共に特別賞を受賞した)。フリードはのちに「神に感謝する」と語った。『オズの魔法使』は、アメリカでは、1950年代後半以降TVで繰り返し放映され、史上最も鑑賞された映画とも言われている。
1941年、18歳の若さで、バンド・リーダーで作曲家のデヴィッド・ローズ(のちに、TVの人気大河ドラマ「大草原の小さな家」のテーマ曲を作曲)と結婚し、翌年妊娠したが、イメージを損なうとの理由でMGMが許さず中絶を余儀なくされ、当時カリフォルニア州では違法だった堕胎手術を受けた。1943年に離婚。
その間、当時の大スターだったミッキー・ルーニーとコンビを組むミュージカルシリーズにつづく「For Me and Gal」1942で初のトップ・ビリング女優となり、さらに1944年の「若草の頃」も空前の大ヒットとなった、この映画の監督は、はじめフレッドジンネマンの予定だったが、ヴィンセント・ミネリに代わり、やがて二人のあいだにロマンスが芽生えて、翌1945年結婚し、翌1946年3月に、のちに女優となる娘ライザ・ミネリを出産する。ライザは2歳のとき『グッド・オールド・サマータイム(英語版)』(1949日本未公開)で子役として映画デビューしている。
ティーンエイジの頃から撮影が押したときなど過労で疲労している時には、周りの大人たちの勧めで、覚せい剤やドラッグの類いを常用していたために、出番が無い時も眠れなくなり睡眠不足が常態となったためアルコールと睡眠薬への依存を繰り返し、副作用に無知だったために健康に深刻なダメージを受けた。また、しばしば数十万ドルの税金を背負うなど金銭的不安にも悩まされていた。
1945年、ミネリ監督の「The Clock」では、初のシリアスな役を見事にこなし、ジュディのミュージカル女優だけでない新たな一面もみせた。さらに『ハーヴェイ・ガールズ(英語版)』1946、フレッド・アステアと共演する『イースター・パレード』1948といった娯楽超大作で主役をつとめ、国民的な人気俳優としてその地位を不動のものとしたが、極度の緊張のストレスによる神経症と長年の薬物中毒(後遺症と依存症)による体調不良に悩まされ、撮影への遅刻や出勤拒否を繰り返した。1947年に出演した『踊る海賊』(ヴィンセント・ミネリ)の撮影では、130日余の撮影中に36日しか姿を見せなかった。撮影後にはジュディ自身が「私の最初の精神病院入院」と呼ぶサナトリウムへの長期入院を余儀なくされ、不眠症と極度の情緒不安定のために自殺未遂事件を起こし、以降、度々薬物治療のための入退院を繰り返した。
1948年、長年の薬物中毒がマスコミにすっぱ抜かれた。このとき、まだ26歳、ミネリとの結婚生活も次第にうまくいかなくなっていく。
その後も乱脈な生活と不安定な精神状態はつづいて、1949年の映画『アニーよ銃をとれ』の撮影中に錯乱状態になりアニー役から下ろされる。また、同年に企画されていた『ブロードウェイのバークレー夫妻(英語版)』1949も、撮影を放棄するなどしたために主役を降板させられた。
1950年公開の『Summer Stock』1950(日本未公開)の撮影時には、以前と比較して20ポンド(約9キロ)も太り、撮影を混乱させた。その際、ジュディは結果的にはダイエットを成功させたが、たびたびの騒動に業を煮やしたMGMはこの作品を最後にジュディを解雇した。ショックを受けた彼女は再び自殺未遂事件を起こした。翌1950年にヴィンセント・ミネリと離婚した。
1952年、シドニー・ラフトと3度目の結婚をしたが、彼やビング・クロスビーら友人の勧めに従ってハリウッドを離れ、ロンドンやニューヨークのパレス劇場で行われたショーで記録的な大成功を収め、トニー賞特別賞を受賞し、ジャズ歌手としてのジュディの歌唱力が人々に認識されることとなった。
1954年、ワーナー・ブラザースで撮影された『スタア誕生』(シドニー・ラフトのプロデュース、監督ジョージ・キューカー)で4年ぶりの銀幕復帰を果たし、アカデミー賞主演女優賞にもノミネートされ最有力候補と目された。この『スタア誕生』はジュディの才能を余すところなく引き出し新境地を開いたと高く評価されて大ヒットし、ゴールデングローブ賞主演女優賞(コメディ・ミュージカル部門)を受賞した。アカデミー主演女優賞にもノミネートされた。授賞式前日には長男を出産したばかりの彼女の病室にマスコミも詰めかけたが、ワーナー・ブラザースは、撮影中の遅刻や出勤拒否、撮影が長引いたために制作費が増大し赤字になったことを問題視し、彼女の受賞のための宣伝や根回しを一切行わなかったほかに、授賞式前に「彼女ではもう二度と映画を撮ることはない」と宣言したため、主演女優賞のオスカーは『喝采』のグレース・ケリーに渡った。得票差6票は 当時の最小記録で、結局、ジュディの受賞はなかった。ワーナー・ブラザーズ社からも見離されて受賞を逸した失意から、再び彼女の私生活は荒れはじめ、数度の自殺未遂を起こした。素晴らしいパフォーマンスを披露したジュディがアカデミー賞で敗れたことに憤った人も多く、グルーチョ・マルクスは授賞式後、「ブリンクス以来の最大の略奪だ」と、ジュディに慰めの電報を送った。また、サミー・デイヴィスJr.は自伝の中で「あの時ジュディがなぜ敗れたのか、どうしてもわからなかった。誰かが彼女を罰しようとしたのだろう」と記している。
シドニー・ラフトとの間に2子(ローナとジョーイ)をもうけた。娘ローナは、後にローナ・ラフトとして女優になった。しかし、子供っぽく、ときにはヒステリックになるジュディの気まぐれな性格は、ますます昂じて、モーテル住まいの酒浸りの日々がつづいた、その後、神経症が悪化し、再び自殺未遂を起こし、自殺癖があるとの噂が流れた。銀幕からは遠ざかり、キャバレーやコンサートでのショーで活動した。
映画には出演できず、ショーが中心の生活がつづいた。
1955年には、CBS初の本格的なカラー番組「Ford Star Jubilee」の第1回放映で、TVに初出演した。
1960年はじめ、「ニュールンベルグ裁判」「愛の奇跡」などの作品でみせたシリアスなジュディの演技が、スクリーンで見せた最後の華やかさだった。
1961年、彼女は7年ぶりに銀幕復帰、大作『ニュールンベルグ裁判』(1961監督:スタンリー・クレイマー)に出演。バート・ランカスターやマレーネ・ディートリヒと共演し、ミュージカルから一転、堅実なシリアスな演技力を見せてアカデミー助演女優賞にノミネートされたが、オスカーには手が届かなかった。その後も薬物中毒と神経症はさらに悪化し、逮捕されることはなかったものの、FBIはジュディを監視していて、膨大なFBIの監視記録が残されている。
1961年に、ニューヨークのカーネギー・ホールで行ったコンサートは「ショービジネス最高の一夜」と称され、収録したライヴ・ アルバム「Judy at Carnegie Hall」 が、ビルボードのアルバム・チャートで13週連続No.1となる大ヒットを記録。8枚のスタジオ・アルバムをリリースした。
翌年のグラミー賞で、最優秀女性歌唱賞、最優秀アルバム賞を受賞して伝説の名盤となった。
1962年、ゴールデン・グローブ賞のセシル・B・デミル賞(映画業界での生涯功績を表彰)受賞。39歳での受賞は 同賞の最年少で初の女性受賞者だった。
1962年2月、TV番組 「ジュディ・ガーランド・ショー」が放映された。フランク・シナトラ、ディーン・マーティンをゲストに迎えた番組は大好評となり、ジュディは同年12月に、CBSと当時のTV史上最高額のギャラでレギュラー番組として契約を締結した。「ジュディ・ガーランド・ショー」 は、1963年9月から翌年の3月まで計26回、毎週日曜日に放映され、エミー賞にノミネートされた。最初の収録時のゲストには、ジュディの要望でミッキー・ルーニーが招かれ、他の回では、ドナルド・オコナー、バーブラ・ストライサンド、娘のライザ・ミネリ、ローナ・ラフトなどがゲスト出演した。
1963年、『愛と歌の日々』英(ロナルド・ニーム監督)が最後の劇場用映画出演作となった。『哀愁の花びら』(1967マーク・ロブスン監督)にもキャストされたが、欠勤を繰り返し降板させられたが、同作に出演したシャロンテートは1969年マンソンの信奉者によって胎児とともに殺害されている。
1965年、シドニー・ラフトと離婚後、マーク・ハーロンと4度目の結婚をしたが、1967年に離婚。この間、ロンドンのパラディアムで、ライザと共演したとき、娘に人気が集まり嫉妬したというエピソードも残されている。マーク・ハーロンとも2年で離婚した。
1969年にディスコティック・マネージャー、ミッキー・ディーンと5度目の結婚。1969年6月、ロンドンのキャバレーでショーに出演した直後の6月22日、滞在先のロンドンで、睡眠薬の過剰摂取のためにバスルームで急死。自殺説もある。享年47歳の若さだった。検死の結果は、バルビツール酸系過量服薬いわゆる睡眠薬の過剰摂取と結論された。
彼女には莫大な収入があったがその大半は浪費してしまっており、埋葬の費用にも事欠いた。当時、映画「くちづけ」で母親ジュディをしのぐ芸達者振りが注目されていた長女ライザ・ミネリは、「母はハリウッドが大嫌いだった、母を殺したのはハリウッドだ」と発言し、ハリウッドではなくニューヨークで葬儀を執り行い、ニューヨーク郊外のファーンクリフ墓地にジュディを埋葬した(1969.6.27)。
ライザ・ミネリは弔辞をミッキー・ルーニーに頼みたかったが、彼は大変なショックを受けていてその役を務めることができず、代わりに『スタア誕生』で共演したジェームズ・メーソンが弔辞を読んだ。
1973年、ライザ・ミネリが 『キャバレー』1972でアカデミー賞主演女優賞を受賞した。「母が果たせなかった生涯の夢を果たすことができた。このオスカーは母のもの」と涙ながらにスピーチした。
1997年、グラミー賞の特別功労賞(生涯業績賞) を受賞。
1998年、アルバム「Judy at Carnegie Hall 」がグラミーの殿堂入り。
1999年、AFI(アメリカ映画協会)が選定した「伝説のスター・ベスト50」で、女優部門の第8位に選出、偉大なスターとしてランクした。
2017年、遺族の意向により墓所はハリウッド・フォーエバー墓地へ移された。
2020.3.8、映画『オズの魔法使』で有名なジュディ・ガーランドを題材にした伝記映画『ジュディ 虹の彼方に』が日本公開となった。映画では回想シーンのみでしか描かれなかった彼女の幼少期には壮絶な虐待やセクハラなど想像を絶する真実があった。
ジュディの身長は、4フィート11 1⁄2で (151 cm)、髪はブラウン、瞳もブラウン、大柄でもなく美人でもなかったが、目鼻立ちの大きな可愛らしい容貌で、戦中MGMミュージカルを象徴するスターだった。支持政党・民主党
日本で紹介されたジュディ・ガーランドの主な作品として、『オズの魔法使』『若草の頃』『スタア誕生』『ニュールンベルグ裁判』があげられるが、抜群の歌唱力で1940〜50年代のハリウッドを代表する大スターの一人とはいえ、絶頂期が戦時中だったため、残念ながら日本では未公開作品が多く、さらに私生活の乱脈さも伝えられたりして、日本における人気はアメリカほどではなかったかもしれない。
・LGBTQへの影響
1969年6月28日、彼女の死のニュースは、当時の同性愛者のコミュニティに大きな動揺をもたらした。それは、ジュディが1960年代のアメリカで同性愛者に対して理解を示していた数少ない著名人の一人だったからだ。ジュディの父親がホモセクシュアルであり、自身もバイセクシュアルだったといわれる。史上初の同性愛者による暴動、この「ストーンウォールの反乱」は、ジュディの葬儀が行われた教会付近で葬儀翌日に起きており、彼女の死によるコミュニティ内でのショックが影響していたとも言われている。こうした経緯から、ジュディは同性愛者にとって象徴的な存在となった。現在「レインボー・フラッグ」が同性愛解放運動の象徴として用いられるのは、彼女が『オズの魔法使』で歌った「虹の彼方に」から由来している。また「ドロシー(=ジュディ)のお友達」はスラングで「同性愛者」を指す。
【ストーンウォールの反乱】1969年6月28日、ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン (Stonewall Inn)」が警察による踏み込み捜査を受けた際、居合わせた「LGBTQ当事者らが初めて警官に真っ向から立ち向かって暴動となった事件」と、これに端を発する一連の「権力によるLGBTQ当事者らの迫害に立ち向かう抵抗運動」を指す。この運動は、後にLGBTQ当事者らの権利獲得運動の転換点となった。ストーンウォールの暴動ともいう。
・事件にまつわる伝説
謎の多い事件であるが故に、事件に関する数々の伝説的な逸話が生まれ、真偽はともかく今日まで伝えられている。
初めに、この夜の客がいつものような忍耐を拒否した理由として、女優ジュディ・ガーランドの死がLGBTQ当事者らの団結心と反抗心を高めたからであるという説明がなされる。ジュディ・ガーランドは同性愛に理解を示していた数少ない著名人の一人であり、LGBTQ当事者らの間で人気が高かった。彼女は6月22日急逝し、その葬儀が6月27日ストーンウォール・イン近くの教会で行われた。踏み込み時の店内は、葬式に参列した者を中心にガーランドの話題で感傷的な雰囲気が形成されていた。そして、そこに踏み込んできた警察官の無神経で侮辱的な言動に、彼らの堪忍袋の緒が切れてしまったという。この逸話は、LGBTQ当事者らの間に広く伝わり信じられている。
次に、暴動の引き金となった行為について、代表的な説の一つによれば、シルビア・リベラ(英語版)という名のトランスジェンダー女性が、警察官に警棒で突かれたことに立腹し、瓶を投げつけた。別の説によれば、パトカーに乗せられようとしたレズビアンが暴れて、店の前にいた群集に同様の行為を唆した。これら二つの逸話は、最初に暴動を仕掛けた人物が外見上女性であったという点、および最初に警察官に投げられた物が瓶であるという点に、共通点が見られる。
加えて、最初に警察官に投げつけられた物がヘアピンであったという神話的な逸話も流布しており、ライチをして「ヘアピンが落ちる音が世界中に響き渡った」と言わしめた。これはストーンウォールの反乱がもたらした社会的影響の大きさを象徴的に表現した名文句として、しばしば引用される。


牧師の未亡人 ふたたび

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10年か15年くらい前になりますが、「世界の映画監督」というプライベート・リスト(50音順です)を、ある映画のサイトの記事を参考にして作成しました、内容といっても、ごくシンプルに「監督名」と「代表作」がただ羅列されているにすぎません。

べつに、わがブログのトレードマークである「作品の優劣にこだわらず手当たり次第に映画を見る」というコンセプトに揺らぎはないのですが、あるとき、ふっと気が付いたのです。「手当たり次第に映画を見る」といっても、ダラダラとただ本数を消化するだけなら、なんの意味もないじゃないか、その前に、少なくとも監督の代表作なり作品の世評なりの予備知識を得ておくくらいのことは必要なのではないか、と。

とにかく、単に「手当たり次第、映画を見る」というだけでは、どうにも疲れて仕方ありません、そんなことでは到底長続きするわけがない、なんだかんだいっても、世評の高い映画はやっぱり感動できますし(国際映画祭でグランプリをとったような作品なら、そりゃあ当然でしょう)見るモチベーションからして最初から違い物凄く気持ちを挙げてくれます、それに、そうした感動を得られれば日常生活にも影響して「張り」だって出てこようというものです、活力も湧いて、やる気も出て、しかも健康にもいいときています。

それに引き換え、どうしようもなくヘタレな映画を無理して見ていて、だんだん意気消沈し、脱力感に襲われ、そのうち悪寒とか熱まで発して、なんだかすべてが面倒くさくなり、なんでこんな駱駝のゲップみたいなつまらないものに付き合わされなければならないのだと、貴重な時間を無駄にされたと苛立ち、その後も尾を引いた嫌悪感で2か月くらいは鬱状態になって生活にも支障をきたすという、もう映画なんかどうでもいいくらいのダメージを受けてしまったこともありました。

なにごとにも無防備はいけません。まあ、このリスト、ざっくり言えば、自分が映画を見るための手がかりというか、プライベートな「手引き書」のようなものだと思ってください。

いままでなら、監督名と作品が、ただの文字の羅列でしかなかったものが、作成した我がリストを機会あるごとに眺めていたら、だんだん、彼の「代表作」とか「評価されたけれども不遇な作品」とか「まったくの失敗作」とか、そのためしばらく干され撮る機会に恵まれずに「やっと撮ることのできた作品」とか、いろいろの作品事情が時系列で識別できて、自分の中に明確な作家像と製作地図とかが出来上がったような気がします、いままでの自分は、ただ当てもなく、荒涼たる砂漠を無我夢中で彷徨っていた見捨てられた迷い子にすぎなかったのではないかとさえ思えたくらいです。

そうそう、このリスト、ただ眺めているばかりでなくて、新しい作品を鑑賞したら、監督名のあとにそのタイトルを書き入れて更新します。そして、その作品がもの凄く感動した作品だったなら、ちょっとした印をつけるくらいはしていますが、べつにそれは絶対的なものとかじゃなくて、少し時間が経って再見し「それほどでもないか」と思えば(心変わりは、よくあります)その記号は消してしまいます、がタイトル自体を消すことはありません、そういう「蓄積」を行っています。

さて、前置きが長くなりましたが、わがリストで、カール・ドライヤーが、どう記されているか、ご紹介しますね、


★カール・T・ドライヤー(1889.2~1968.3)デンマーク「あるじ」1925「裁かるゝジャンヌ」1928「吸血鬼」1931「怒りの日」1943「奇跡」1955


という感じ。「えっ~、そんな簡単なの!? しかも、たった5本?」と、あまりにも素っ気なさすぎて、きっと驚かれると思います、これはネットから拝借したもので、基本「自作」ではないので、言い訳みたいになりますが、これはこれでいいんじゃないかなと思っています。

映画が発明されてから1世紀と少しの間、自他ともに映画監督といわれた人たちは、何百人、何千人といたでしょうから、いかに敬愛するカール・T・ドライヤーといえども、名目上(カタチだけは)あくまでも何百人・何千人分の一人の扱いで十分であって、たとえそれが外見上はたったの「2行」のものにすぎなくとも、表記それ自体で十分に輝いているのですから、なんら問題はありません、大丈夫です。

そうそう、この項目にある≪「奇跡」1955≫ですが、死産し母親も危篤状態、やがて息を引き取って棺の中に収められた女性(妻)が、死から甦るという奇跡を描いた厳粛な名作です、むかし、自分が草月会館で見た当時は、確かこの映画、「ことば」とタイトルされていたように記憶していて、原タイトルの「Ordet」も、デンマーク語で、やはり「言葉」という意味だと聞いたことがあります。

そりゃあ、自分だって、「ことば」なんかよりは、ずばり「奇跡」の方が、よほどスマートで見栄えが良く、分かり易くて絶妙なタイトルに違いないとは思いますが、でも作家の意向のほうは「どうなの」という疑問は、やはり残りますね。

それにこの「5本」という選択が、果たして正当な選択だったのかどうか、「牧師の未亡人」が外された意味も含めて、カール・T・ドライヤーの作品群を検索して確かめてみることにしました。(✓が、リストにあがっていた作品です)


1919
裁判長Præsidenten(89分・白黒・16fps)
サタンの書の数ページ Blade af Satans Bog(148分・白黒・18fps)
1920
牧師の未亡人 Prästänkan( )
1921
不運な人々Die Gezeichneten(84分・白黒・20fps)
1922
むかしむかしDer Var Engang(64分・白黒・不完全・20fps)
1924
ミカエルMikaël (89分・白黒・20fps)
✓あるじ Du skal ære din Hustru(118分・白黒・18fps)
1926
グロムダールの花嫁Glomdalsbruden(70分・白黒・不完全・18fps)
✓裁かるるジャンヌ La Passion de Jeanne d’Arc ( 97分)
1931
✓吸血鬼 Vampyr (70分 )
デイヴィットグレイの不思議な冒険
1943
✓怒りの日 Vredens Dag ( 97分 )
1945
二人の人間 Två människor( )
1955
✓奇跡 Ordet ( 126分)
1964
ゲアトルーズ Gertrud ( 117分 )


なるほど、なるほど、こう見ると、ドライヤーの円熟した後期の作品を集中的にアップしたというわけですね、そういうことなら、一応の納得はできます、ただ、自分が今回、書きたいと思っている「牧師の未亡人」は、前期も前期、1920年の作品で、しかも重厚で深刻な作品が多いドライヤーの作品のなかでもとても珍しい喜劇(と一般的には、いわれています)ときているので、その辺の困難はあるかもしれません。

しかし、この作品のどの部分が「喜劇」なのかと、ストーリーをたどりながらチェックしてみました。

・牧師の職に応募にきた神学生・競争相手に悪戯をして失敗させる。
・説教に退屈して居眠りする信者を棒でつついて起こして回る。
・牧師となる条件が、前牧師の老未亡人と結婚すること(4回目の結婚で薬指には指輪をはめる余地がない)だが、生活のために偽って結婚する。
・村人の嘲りを知り、良心の呵責に苛まれ、いっそ未亡人を殺してしまおうと決意し、殺人を計画するが、いざとなると実行できない。
・悲しむ恋人に老未亡人が死ねば一緒になれると慰める。
・悪魔の扮装で未亡人を驚かそうとして見破られて笑われる。
・老未亡人の監視をくぐって愛人に逢いにいくたびに失敗する間抜けさ。
・召使の老女の手を握りにかかったり(これは幻覚のためかも)夜這いをかけてしくじるなどの滑稽。(夜這いを察知してベッドをすり替えた老未亡人は、この段階ですべてを理解したはずです)
・二階にあがった未亡人に怪我させようと梯子を外しておいたら、まるで「天罰」のように恋人に大怪我をさせてしまった。
・事故を契機に未亡人からあつい看病を受けることに。
・未亡人は、自分で自分を傷つけていて、早く死にたかったのだと告白する。
・ふたりは偽りを告白・懺悔して、いままでの所業を詫び、心からの愛と尊敬をもって、その死まで彼女に尽くした。
・やがて老未亡人の寿命が尽きて亡くなり悲嘆にくれる葬儀。(真摯な悲嘆に打ちひしがれた姿が描かれている)
・出棺するときの独特のセレモニー。(厳粛な葬儀の様子が描かれていて、もはやこの部分に「喜劇」はない)牧師の未亡人の永遠の眠りを示す新しい十字架が立てられた。

などですが、本筋にあるのは、聖職者(身勝手で典型的な小悪党)が、自分たちが幸福になるために、他人(牧師の未亡人)の死を熱望して、積極的に「罠」を仕掛けたりするブラックさにあり、チョロチョロと策謀するたびに失敗を繰り返す滑稽さにあります。

たとえ最後の最後には悪企みを反省・後悔・懺悔するとはいえ、考えてみればその過程で行われる罠は、かなり悪辣で、「喜劇」の枠をはるかに超えた、一歩間違えば金目当ての凄惨な殺人事件へと展開しかねない、ほとんど紙一重の陰惨な緊張感が保たれていて、いかにも後年のカール・T・ドライヤーらしい、死の影に覆われた中世独特の土俗的描写と、暗く重厚な風格を有した悪意の物語であることに変わりないという印象を持ちました。

「世界映画人名事典・監督編」には、「牧師の未亡人」について、≪徹底したロケイション主義と土俗味の点てシェストレームやスティルレルの影響が認められる。以後数年間の仕事を通じてドレイエルはデンマーク映画を芸術水準世界一におしあげた≫あるいは≪この作品には、ノルウェーへの長期ロケによって、生きた化石のような農民生活が克明に描かれていて、民俗学の教科書のような趣きさえあった≫と絶賛しています。関係資料によれば、影響を受けた4作品というのは、

・ヴィクトール・シェーストレーム監督「波高き日」1916「生恋死恋」1917「イングマールの息子」1918
・モーリッツ・スティルレル「吹雪の夜」1919

をあげたうえで、カール・T・ドライヤー3作目「牧師の未亡人」が、以後の北欧映画に与えた意義をこんなふうに説明しています。

≪これらの作品が、その頃までスタジオのなかに閉じこもっていたカメラを大自然の中に引き出し、自然風景の新鮮な魅力を始めてスクリーン上に持ち込んだ点で大きな意義を持っていることは映画史に記されている通りであり、これらのスウェーデン映画における自然描写の手法がこの作品の随所に用いられていて新しい特色となっている。
この作品では、セットは一つも使用されず、すべてのショットは、ノルウェーの自然風景、外装とインテリアの両方のショットは、ガルモ・スターヴ教会とリレハンメル市近郊に作られたノルウェーの貴重な建築物を集めたマイハウゲン博物館、そして農家で撮影されたもの。また、この作品にエキストラとして出演している農民たちはグルドブランドの住民で、彼らは、尊敬する詩人ヤンソンの作品の映画化ということで進んで協力したと伝えられている。≫

(1920スウェーデン)監督脚本カール・テオドール・ドライヤー、原作クリストファー・ヤンソン『プレストコネン』1901、撮影ゲオルゲ・シュネーフォイグト(ジョージ・シュネヴォイクト)、製作・スヴェンスク・フィルミンドゥストリ(83分・白黒・18fps)
出演ヒルドゥール・カールベルイ(マルガレーテ・ペダースドッター)、アイナール・レード(ソフレン)、グレタ・アルムロート(マリ)、オラフ・オークラスト(神学生)、クルト・ヴェリン(神学生)、エーミル・ヘルセングレーン(召使スタイナー)、マチルデ・ニールセン(召使女グンヴォル)、ロレンツ・ティホルト(鐘撞き男)、ウィリアム・イヴァルソン(司祭長)



【参考】

・ストーリー
ノルウェーのある山麓の小さな村の教会の老牧師が亡くなって、空席になった牧師の後任を決める選出が行われることとなった。
近くの教区から恋人のマリを連れて応募にやって来たソフレンは、苦学してきた貧乏牧師補で、牧師の職を得て収入が安定しないことには、何年も愛し続けてきたマリとの結婚もおぼつかない状態だった。
この牧師の応募者は、このソフレンのほかに、コペンハーゲンからやってきた神学生が二人いた。
試験は、教会に集まってきた村人を前に、説教壇から説教すること。
最初に説教壇にあがった痩せた神学生の説教には、村人たちは退屈して居眠りを始めた。
次に説教壇に立った太った神学生の後頭部には、ソフレンが密かに付けた鳥の羽毛が話すたびにひらついて、それに気づかない神学生に、村人たちは笑い転げて説教にならなかった。
そのうえ、ここの牧師に選ばれた者は、前牧師の老未亡人マルガレーテと結婚しなければならないと知って、二人の神学生はあわてて逃げ去った。
結局、ひとり残ったソフレンが、ここの牧師になることに決まった。
その夜、老マルガレーテと食事したソフレンは、悲しむマリをよそに、この牧師館に泊まることになった。
翌朝の食事の際、酒を飲みすぎたソフレンは、幻覚に捉われて、目の前にいるマルガレーテの顔にマリの顔をだぶらせた。
そのあとでソフレンは、森の中に行って悲しむマリに逢い、老い先短い老未亡人が死にさえすれば、われわれは一緒になることができると、彼女を慰める。
そこにマルガレーテがやってきたので、慌てたソフレンは、マリを妹だと偽ってマルガレーテに紹介し、そして、女中として牧師館で働かせてほしいと頼み込んだ。
それから数週間後、隣村の牧師の立会いのもとで、ソフレンとマルガレーテの結婚式が地方色豊かな儀式と踊りのなかでとり行われた。
これで4度目の結婚式をあげることになったマルガレーテの薬指には結婚指輪をはめる余地がないので、新しい指輪は、中指に嵌められるのだった。
歳月は過ぎ去るが、老マルガレーテは、依然健康なので、ソフレンはマリとゆっくり会うことができなかった。
ソフレンは、森の中で織物を織る召使の老婆をマリと勘違いして、その手を握ったところをマルガレーテに見つかったり、夜中にマリのベッドにもぐりこもうとしたところをマルガレーテに見つかってしまい、自分の醜態を取り繕うために、にわかに腹痛が起こったと嘘をついたため、苦い薬を飲まされる羽目になったりした。
マルガレーテの死が一日も早からんことを願うソフレンは、魔法の本からヒントを得て、悪魔に扮し、マルガレーテを恐れさせ死期を早めさせようとしたが、彼女に足を見られて見破られて笑われ、失敗した。
その翌日、マルガレーテが納屋の二階に上がるのを見たソフレンは、マルガレーテを墜落させて大けがをさせようと梯子を外しておくが、間違ってマリが落ちてしまい大怪我をさせてしまった。
ソフレンはマリをマルガレーテのベッドに運んだ、脳震盪を起こしたマリは太ももの骨を折っていた、数週間にわたり、手厚い看護をするマルガレーテを見てソフレンはマルガレーテに好意をもつようになる。
ある日、ソフレンとマリがベッドサイドに座っているときに、マルガレーテは告白する。
「私の最初の夫が、この牧師の空席に応募したとき、牧師になる条件として、未亡人と結婚しなければならないことを知りましたが、彼と私は、未亡人の体が弱く、長生きできないことを知りました。それは貧しい私たちにとって願ってもない邪悪な痛い誘惑でした。神よ私たちをどうか許してください、私たちは他者の死を望んで幸せを築きました。」
そのマルガレーテの告白に胸を打たれたソフレンも告白した、「私とマリは兄妹ではありません、彼女は私の婚約者です。私たちは、あなたの死を待っていたのです、マルガレーテ、許してください」
この告白に、最初マルガレーテは驚いたが、やがて表情が柔らぎ「かわいそうな子供たち」とつぶやく。
そのときから、ソフレンとマリは一緒にいられるようになり、マルガレーテも夫の墓参りをして教会の庭で静かで安らかな彼女の時を過ごした。
ある朝、マルガレーテが朝食に降りてこないので、ソフレンとマリが寝室に見に行くと、マルガレーテは眠ったまま安らかに亡くなっているのを見つける。
ソフレンはベッドの横にあるメモを見つける、「私の死すべき遺骨が取り除かれるとき、ドアの上に馬蹄を置き、私があなたに出没しないように私のお墓の周りに亜麻仁を植え付けることを忘れないでください」と。
マルガレーテは夫のそばに埋葬される。
ソフレンとマリは悲しみのうちに彼女の墓の前で祈りをささげる、そしてソフレンが言う、「マルガレーテは私たちに多くのことを教えてくれた。あなたには良い家庭を保つようにと。そして私には名誉ある高潔な人であれと」



・「牧師の未亡人」に影響を与えた映画・4本

★ヴィクトール・シェーストレーム監督
【波高き日 1916】
イプセンの叙事詩。19世紀の初め、ナポレオン戦争時代。イギリスの海上封鎖網をくぐり、飢えた妻子に食料を運ぼうとしたテルイエは捕らえられ、投獄される。5年後に釈放されて帰国したとき、妻子は既に死んでいた。絶望したテルイエの前を漂流する小舟。乗っていたのは、自分を捕らえたイギリス海軍の将官とその家族。テルイエは一度怒りを覚えて復讐しようとするが、彼らの哀願に心が動き、寛大に彼らを救助してやる。
【生恋死恋 1917】
アイスランドの作家シーグルド・ヨンソンの叙事詩。19世紀末のアイスランド。放浪の男ベルイ=エイヴィンドは、ある村の横暴な地主からその妻ハラを奪い去り、山に立てこもる。二人のあいだには子供が生まれる。やがて下界の地主の復讐でその子どもさえ失った二人は、雪に埋もれて死んでいく。
【イングマールの息子たち 1918】
1896年に教区から行われた移民を描いたセルマ・ラガーロフの小説「エルサレム」に基づく。裕福な家の息子、若きイングマール・イングマーソンは、社会階級の下の若い女性ブリタと恋に落ちる。ブリタは家族の状況を改善するためだけにイングマールと結婚することに決めたが、彼女はイングマールと彼の周りすべてに大きな憎しみを持っている。ともに殺人のポイントにかなり劇的な関係を経験します, そのうちの一人が移住したいと思う、シェーストロームは、セルマの最初の2つの章を適応させるためにほぼ2年を費やした。この精巧でファンタジーを帯びたメロドラマは、「天国へのはしご」(パウエルとプレスバーガー)と過去のイングマーズの結論を組み込むことによって、1940年代の幻想的なロマンスを予見した。
★モーリッツ・スティルレル監督
【吹雪の夜 1919】
16世紀後半、陰謀の罪で投獄されたアルシー卿たち三人は、雪に乗じて逃走した。彼らは雪に閉ざされたスウェーデンの片田舎、人里離れた家へ忍び込んでその家の主人アーネを殺し、金を奪って海岸近くの宿屋に隠れる。殺害を免れ孤児となったアーネの姪・哀れな少女エルサリルは、偶然その宿屋で働くことになり、運命のいたずらから親を殺害したアルシーを恋するようになってしまう。アルシーは彼女を人質にしてなおも逃げようとするが、結局捕えられ、やがて共に死ぬ。海氷に閉じ込められて捨て去られた船の黒い影のほとりを長い葬列が黙々と通り過ぎるシーンは、厳粛な絵画美がある。


・カール・テオドール・ドライヤーが選んだ名作10本(1963)

1  『吹雪の夜』(1919 マウリツ・スティルレル)
2  『イングマールの息子たち』(1919  ヴィクトル・シェーストレーム)
3  『イントレランス』(1916 D・W・グリフィス)
4  『クランクビーユ』(922 ジャック・フェデール)
5  『灼熱の情火』(1923 エルンスト・ルービッチュ)
6  『戦艦ポチョムキン』(1925 セルゲイ・エイゼンシュテイン)
7  『母』(1926 フセヴォロド・プドフキン)
8  『イワン雷帝』(1945 セルゲイ・エイゼンシュテイン)
9  『ヘンリー五世』(1944 ローレンス・オリヴィエ。DVD題『ヘンリィ五世』)
10 『地獄門』(1953 衣笠貞之介)


エデンの東

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遅い朝食をとりながら、ざっと新聞に目を通すのが、毎日の習慣になっています。

まずはスポーツ欄を隅から隅まで熟読し、それから社会面、経済面の大きな扱いの記事に(まあ、厳密にいえば「見出しに」ですが)ざっと目を通してから、世界のコロナ感染者数の現状をチェックしたあとで、ひっくり返して最後のページのテレビ番組表を見る・「本日の放映予定の映画はどうなの?」とチェックするのがいつもの手順です。

とくに今週などNHK・BSプレミアムで立て続けに凄い映画の放映が連続して予定されているので、うかうかできません(この雑文を書いているうちに、自分はものすごい遅筆なので「予定」にどんどん追い越されていると思います)、でも、あらかじめ、そのことは知っているので、単に「確認のチェック」だけという感じではあります。

ただ放映時間が、午後1時からという微妙な時間帯のこともあって、迂闊に予定など入れないよう細心の注意が肝要なのですが、まあ、このコロナ禍のこと(あっ、危ねえ、はずみで「幸い」って書きそうになった!)突然の「お誘い」などということもないでしょうから、差し当たりゆっくりと鑑賞できそうな感じです。

とにかく、予定されているラインアップというのがすごいのです、
月曜日の「タクシー運転手~約束は海を越えて~」(チャン・フン)から始まって、
火曜日は「エデンの東」(エリア・カザン)
水曜日が「サイコ」(ヒッチコック)
木曜日が「わが谷は緑なりき」(ジョン・フォード)
金曜日が「拳銃王」(ヘンリー・キング)
なのです。

いずれも超のつく名作ぞろい、な、な、なんなんだ、これは! まるでもう「名作映画上映会」状態じゃないですか。

いや~、まいった、これが見らずにいらりょうかてんだと、ひとむかし前なら歓喜の雄叫びをあげるところですが、最近は、そうした興奮的常套句が迂闊には使えなくなりました。

だって、なにしろ、滅多に見ることのできない(と思っていた)超レアな「名作」が、インターネットでいとも簡単に見ることのできるご時世です。

そうそう、そういえば、5月からの開催予定だった国立映画アーカイブの「NFAJ所蔵・外国映画選集2021」が、この緊急事態宣言のために急遽「中止」になってしまいました。

このプログラムというのが、滅多に見られないレアな作品がずらりとアップされていたので、とても楽しみにしていたところ、突然中止が決定して(東京都の指導→文化庁の同意)、なんだかとても落胆していますが、事情が事情だから仕方ありません。

でも、どうしても諦め切れなくて、プログラムされている作品のなかで、とくに楽しみにしていた映画をチョイスして、インターネットで順番に見ることにしました。

まあ、このインターネット映画鑑賞の難点と言えば、もともと字幕がついていないか、付いていたとしても、自分に著しく英語能力が欠落しているために自動翻訳ツールに頼らなければならないという弱味があり、これがまた途轍もなく使いにくいのです、「翻訳」とは言い条、おこがましくて、とても「訳」などと呼べるような代物ではなくて、実情は、いわば瞬間直訳(文字通り、頭から単語の意味だけがズラズラと連なって目にも止まらぬ高速で擦過していくだけなので、瞬時に読み取る動体視力が必要なうえに、常識に捉われないアクロバット的解釈の判断能力=だいだいこんな意味なんだな、とか、意味幅を見渡せる柔軟で広範囲な雑学的俗流知識=この場合ならこっちの意味の方がふさわしいかなと読み替える柔軟性が求められる)の字幕なので、そこが難点と言えば難点ですが、どうにかして見たい映画を見ることができるわけですから、その一心さえあれば、見るうえでは大した問題とはなりません、夢中になって見ているうちに言葉の壁や違和感など、いつのまにかふっ飛んでしまいます。

そのプログラムというのは、こんな感じです。

1.予審 (90分・1931・ドイツ:ウーファ・監:ローベルト・ジーオトマク)
2.制服の処女 (89分・1931・ドイツ:ドイチェ・監:レオンティーネ・ザーガン)
3.春の驟雨 (68分・1932・ハンガリー/フランス:フンニア・フィルムステュディオ/オッソ・監・脚:パウル・フェヨシュ)
4.脱走者 (106分・1933・ソ連:メジラブポム・監:フセヴォロド・プドフキン)
5.旅する人々 (106分・1938・ドイツ:トビス・監・脚:ジャック・フェデー)
6.続・深夜の歌声 (107分・1941・中国:新華製片廠/中国聯合影業公司・監・脚:馬徐維邦)
7.戦火の大地 (90分・1944・ソ連:キエフ撮影所・監:マルク・ドンスコイ)
8.諜報員 (92分・1947・ソ連:キエフ撮影所・監・出:ボリス・バルネット)
9.2エーカーの土地 (131分・1953・インド:ビマル・ラーイ・プロ・監:ビマル・ラーイ)
10.世界大藝術家シリーズ ピアノ篇 アレクサンドル・ブライロフスキイの華麗なるワルツ (5分・1936・フランス:国際大芸術家協会・監:マックス・オフュルス)
たそがれの女心 (99分・1953・フランス/イタリア:フランコ・ロンドン/アンデュスフィルム/リッツォーリ・監・脚:マックス・オフュルス)
11.地の塩 (93分・1954・アメリカ:I.P.C. /鉱山選鉱製錬労働者国際組合・監:ハーバート・J・ビーバーマン)
12.イン・ザ・スープ (95分・1992・アメリカ/日本/ドイツ/フランス/スペイン/イタリア:ウィル・アライアンス/パンドラ/オデッサ/ホワイ・ノット・プロ/アルタ/ミカド・監・脚:アレクサンダー・ロックウェル)


そして、このプログラムのなかで、まず最初に見たのが、アレクサンダー・ロックウェルの伝説の映画「イン・ザ・スープ」1992でした。

もう、スティーヴ・ブシェミを見られるだけで十分です。ジム・ジャームッシュも実にいい味をだしています。ジェニファー・ビールスも可愛らしくって、申し分ないのですが、結局は美味しいところはすべてシーモア・カッセルが持っていってしまうという愛すべき映画です。

こんなふうに見ていると、猥雑さと哀愁ただよう不思議な三角関係を描いているこの映画、まるでひとむかし前のフランス映画(どこかロベール・アンリコの「冒険者たち」1966を連想させます)を見ているような幸せな気分にさせてくれました。映画に浸る悦楽って、きっとこういうことをいうのだなと思います。

国立映画アーカイブの今回の企画は、残念ながら現状では中止になってしまいましたが、きっと企画し直されて再開されるとは思います、しかし、万が一という可能性もゼロではありませんので、「幻の企画」になってしまったときに備えて、データだけはちょっと筆写しておきますね。

★イン・ザ・スープ In the Soup 
(1992米/日/独/仏/ス/伊)製作総指揮・鈴木隆一、製作・ジム・スターク、ハンク・ブルーメンソール、監督脚本・アレクサンダー・ロックウェル、脚本・ティム・キッセル、撮影・フィル・パーメット、美術・マーク・フリードバーグ、音楽・メイダー(95分・35mm・白黒)
出演スティーヴ・ブシェミ(アルドルフォ・ロロ)、ジェニファー・ビールス(アンジェリカ・ペーニャ)、シーモア・カッセル(ジョー)、ウィル・パットン(スキッピー)、パット・モーヤ(ダン)、スティーヴン・ランダッツォ(ルイス・バルファルディ)、フランチェスコ・メッシーナ(フランク・バルファルディ)、ジム・ジャームッシュ(モンティ)、キャロル・ケイン(バーバラ)、スタンリー・トゥッチ(グレゴワール)、エリザベス・ブラッコ(ジャッキー)、デビ・メイザー(スージー)、サム・ロックウェル(パウリ)、サリー・ボヤール(老人)、ロケッツ・レッドグレア(Guy)、ルース・マレチェコ(ロロ夫人)、デビッド・カントラー(ジョーの息子)、テッシー・ホーガン(ジョーの元妻)、ハイメ・サンチェス(テオおじさん)、スヴェトラーナ・ロックウェル(ウクライナの女性テナント)、ポール・ハーマン(E-Z レンタカー店員)、リチャード・ボーズ(ニーチェ)、トニー・キタルス(ドストエフスキー)、ケイヴィン・マクニール・グレイズ(警官の息子)、ロビンソン・ヤングブラッド(警官)、マイケル・J・アンダーソン(リトルマン、マイク・アンダーソン)、エディス・ベルモント(アンジェリカの姪、イングリッド・ウリベ)、ウィルソン・ガラルザ(アンジェリカの甥)、ラモン・オニール(アンジェリカの甥)、アニバル・オ・レラス(テオおじさんの友達)、
1992年サンダンス国際映画祭グランプリ受賞作品。
【ストーリー】
映画製作を夢見て500ページにおよぶ脚本を書き上げた貧しい映画青年アルドルフォ(ブシェミ)は、家賃も払えない生活に追われ、僅かな金で食いつなぐ日々を送っている。そこに映画製作の資金を提供しようという怪しげな男ジョー(カッセル)が現れる。ジョーに気に入られたアルドルフォは、隣室に住む美しい女アンジェリカを主役にして映画を撮ることを夢見ている。彼女には、気の弱い夫グレゴワールがいる。活力にあふれ破天荒なジョーにアルドルフォとアンジェリカは惹かれるながらも、振り回され続け、ついて行けなくなる。「フラッシュダンス」のジェニファー・ビールスの夫が監督。90年代アメリカにおけるインディペンデント映画の代表作となった。


この国立映画アーカイブ「NFAJ所蔵・外国映画選集2021」のなかで、うまく検索できなかった映画は2本あって、「7.戦火の大地」と「8.諜報員」のいずれもソヴィエト映画がyou tubeでの存在を確認できませんでしたが、しかし「4.脱走者」はフルヴァージョンを見られることが確認できたので、おそらくこの2本についても、単にタイプしたロシア語の綴りが間違っていたためにヒットしなかったのだと思います(特殊なロシア語字体をIMEで検索するのもいささか面倒なので、手近な英字体で代替して間に合わせてしまったことが原因だと思います)。見渡すとロシア映画(ソヴィエト映画)は結構アップされていると見受けられるので、正確な字体で辛抱強く検索していけば、きっとそのうちに本編にたどり着けるものと思います。

実は、「イン・ザ・スープ」のほかに、もう1本、見た映画がありました。No.14ハーバート・J・ビーバーマン監督の「地の塩」1954です。

このタイトルをリストの中に見つけたすぐあとに、たまたまNHK・BSプレミアムでエリア・カザンの「エデンの東」1955が放映されることを知り、なんだか不思議なめぐりあわせに、鳥肌が立つような思いに捉われました。

だって、ハーバート・J・ビーバーマン(1900-1971)は、マッカーシーの赤狩りで「ハリウッド・テン」として告発され、召喚された委員会で証言を拒否し、以後節を曲げずに収監された人ですよね。wikiでは、こんなふうに紹介されています。


≪ナチズムを批判した1944年の『幻影のハーケンクロイツ(英語版)』で注目を浴びたが、下院非米活動委員会で証言を拒否して議会侮辱罪に問われ、投獄された。6ヶ月後に釈放されたが、映画スタジオのブラック・リストに載ったため、ハリウッドから追放され、以降は自主制作を余儀なくされた。ニューメキシコ州の鉱山労働者のストライキの模様を描いた1954年の『地の塩 (1954年の映画)(英語版)』はカルロヴィ・ヴァリ映画祭でグランプリ受賞し、アメリカ国立フィルム登録簿とニューヨーク近代美術館に保存されている。≫


一方、エリア・カザンはというと、俗にいう「タレコミ屋」(罪を逃れるために仲間を密告しました)という陰口が定着し、映画人のなかではある距離をとって(引いて)語られることの多い有能な映画監督です。

たしか、アカデミー賞名誉賞の授賞式でも、出席者の一部からブーイングを浴びせられたことが、いまだ生々しい事件として記憶しています。まあ、いってみれば、このふたり、俗にいう被害者と加害者みたいな関係とイメージされていたのだと思います。

アカデミー賞「名誉賞」授賞式での様子は、wikiでは、こんなふうに描写されています。

≪1998年、エリア・カザンに長年の映画界に対する功労に対してアカデミー賞「名誉賞」を与えられたが、赤狩り時代の行動を批判する一部の映画人からはブーイングを浴びた(賞のプレゼンターはマーティン・スコセッシとロバート・デ・ニーロ)。
リチャード・ドレイファスは事前に授与反対の声明を出し、ニック・ノルティ、エド・ハリス、イアン・マッケランらは受賞の瞬間も硬い表情で腕組みして座ったまま、無言の抗議を行なった。
スティーヴン・スピルバーグ、ジム・キャリーらは拍手はしたが、起立しなかった。
起立して拍手したのはウォーレン・ビーティやヘレン・ハント、メリル・ストリープらだった。
通常は名誉賞が授けられる人物には、全員でのスタンディングオベーションが慣例のため、会場内は異様な空気に包まれた。
また、会場の外では授与支持派と反対派の双方がデモを行なった。反対派のデモ隊の中には、かつて赤狩りで追放歴のある脚本家のエイブラハム・ポロンスキーもいた。≫

しかし、皮肉なことに、権力の不当な弾圧に際しても敢然と戦い、最後まで決して節を曲げなかった正義と剛直の人・ハーバート・J・ビーバーマンやエイブラハム・ポロンスキーにしても、彼らの代表作とはなんだと問われて、即答できる人はそういるとは思えません(とくに、それが日本人なら、なおさらです)、その一方で、エリア・カザンの代表作は、と問われれば即座に答えられる、それも片手の指では足りないくらいの本数を答えることができます、もちろん、この「エデンの東」も世界映画史上欠くことのできない傑出したアメリカが生み出した名作のひとつです。

以上のそうしたイキサツと特別な思いもあって(伝説の映画を見ることができるという大いなる期待です)、やっと「地の塩」1954を見たわけですが、正直、ものすごく落胆しました。

ニューメキシコの鉱山で働く労働者たちのストライキが悪辣な資本家やその手先の警官によるスト破りの暴力などによって頓挫の危機を乗り越え苦難の勝利を勝ち取るまでの顛末を、女性への内部差別などもからめて描いた満艦飾の労働争議映画なのですが、まるでそのストーリーは、なにかの方程式のように定型化した工夫も魅力もない構図で描かれていて、提供された労働組合からの製作資金と映画人のプライドとを引き換えにしてしまったような印象の映画でした、これではまるで日本の、山本薩夫や亀井文夫が撮った愚劣なひも付き宣伝映画となんら変わるところはない作品(映画以前のもの)ではないかという印象しか抱くことができませんでした。

映画が為し得る「表現」の可能性を捻じ曲げ悪用して、政治の「道具」におとしめる愚劣な策謀と物乞いの姿勢に貫かれた卑しい演出は、映画人として恥ずべき行為というしかなく、正直、この「地の塩」には、そうした嫌悪感しか抱くことしかできません。
この直後に見たジョン・フォードの「わが谷は緑なりき」と比べるとき、同じ鉱山の事故とストライキを主軸に据えた物語であるのに、貧しい家族の幸せな日々と離散、そして崩壊に至る追憶を、哀愁のなかで抒情深く謳いあげたジョン・フォード作品と比べること自体、惨いくらい明らかに見劣りする貧弱な作品だと一層の落胆を余儀なくされたという感じです。

そうしたイキサツを経て、まるで必然的みたいな流れで「エデンの東」を見る機会がめぐってきたのですが、自分はいままで、この作品を息子キャル(ジェームズ・ディーン)と父親アダム(レイモンド・マッセイ)との葛藤を中心に据えた映画だとずっと思いこんで見てきたことが、なんだか、少しずれていたかもしれないという疑念(誤りだったとまではいいませんが)に捉われました。

父親の誕生日に、息子キャルが大豆の投機で儲けた金(少し前に父親がレタスの冷凍輸送事業に失敗して失ったのと等しい金額です)をプレゼントとして差し出すと、父親から戦争で儲けた不正な金など受け取れるものかと突き返され、その不道徳を激しくなじられます。

キャルは、そのような父親の冷たいアシライと拒絶に思わず逆上し、積年の怒りをぶつけながら父親にむしゃぶりついていく場面です。

「なぜオレの金を受け取れないんだ、あんたのためにオレが稼いできた金だぞ、オレのことをなぜそれほど拒むんだ」と泣きながら詰め寄るジェームズ・ディーンの繊細にして圧巻の演技を示したこのシーンこそが、この作品のクライマックスだとずっと思い込んでいたのでした。

もちろん、重要な「クライマックス・シーン」であることには違いありませんが、今回、改めて見直してみて、この場面を自分はいままで、ここだけ孤立したシーンと捉えて、底の浅い「感動」に都合よく収めていただけだったのではないか(物語のすべてが集約している「クライマックス・シーンのほんの一部」にずぎないのに)という疑問にぶつかったのです。

ジェームズ・ディーンの圧巻の演技に思わず見惚れ、目を奪われてしまったために、自分的に物語全体の流れを追い切れずに、断ち切られた前後のストーリーまで目くばりができず、たどってきたはずの「ストーリー」が飛んでしまったという「疑念」です、それはそれで大変幸福な状態と映画経験ではありますが。

このときの父親に掴みかかって訴えるキャルの怒りは、少し前の場面で、いまは酒場を経営している母ケート(ジョー・ヴァン・フリート)のもとへ、大豆の投機に必要な金を借りにいったときに交わされた会話に潜んでいます、なぜ妻ケートは、夫アダムの元を去ったのか、その際に、なぜ夫に銃を向け発砲するほどの憎しみと怒りに駆られたのか(息子たちの前では父アダムはそのときの傷を誤って事故で負った傷だと誤魔化していました)、そのわけを母親の口から明かされる場面です。

夫アダムは私に「聖書」を読ませて私の自由を奪い自分の元に縛り付けようとした、あの男は、そんなふうに自分の気持ちを誤魔化すことしかできない偽善者のつまらない男だ(そのことなら息子キャルにも思い当たるフシがあります)、人をつなぎとめる自信も力も言葉もないから、「聖書」を読ませるという愚劣な手段によってしか人に思いを伝えられないし語れもしない、いや、そもそもあの男に伝えたいと願う「思い」なんてものがあったのか、そんなものは到底「愛」なんかじゃない、ただの身勝手な欺瞞に満ちた嘘っぱちだ、そのことで、私が、そして他人がどんなに怒っているか、それさえも、あの男には分からりゃしない、なにが「聖書」だ、私は、自分を偽って生きるあの男の愚かさと身勝手さに心底うんざりしてあいつを撃ってやったんだ、と母ケートは家を出た理由を息子キャルに語ります。

しかし、「自由」を求めて家を出たはずの母ケートにしても、そこに安らぎの生活があったかというと、酒浸りで自分をさいなむことしかできない爛れた生活しかなく、自暴自棄のなかで生きている彼女の日々を息子キャルは見ることになります。そして、彼女にとって、さらに残酷なことは、父親を尊敬し母親を理想化していた信心深い長男アーロンの「幻想」を、現実の母親に強引に逢わせることによって打ち砕き絶望のどん底へ突き落すその際に、兄への仕打ちと同じ悪意をもって母親をもまた突き放してみせた衝撃の場面、そこには、息子キャルの母親への同情とか思い入れなどひとかけらもない、どこまでも「父と息子の物語」であることを痛感させるものがありました。

ですので、ここで、あえて「母ケートとの会話を引き継いで、父アダムの誕生日のシーンを見ると」と文章を書き継いだとしても、その「母親の影」などいささかも留めていない姿勢には驚くべきものがあります。その眼差しは、まっすぐに父親にしか向けられていません。どんなに愚かで頑迷であったとしても、父親だけを見極めようとするかのような、まっすぐな一途さしかありません。

さて、父アダムから「戦争で儲けた不正な金など受け取れるものかと突き返され、その不道徳を激しくなじられた」ことに対して、息子キャルが、父親の冷たいアシライと拒絶に思わず逆上し、積年の怒りをぶつけながら父親にむしゃぶりつき「なぜオレの金を受け取れないんだ、あんたのためにオレが稼いできた金だぞ、オレのことをなぜそれほど拒むんだ」と泣きながら詰め寄るシーンに、さらに、「あんたには、なにもわかっちゃいない、あんたは最低な偽善者だな、『聖書』を持ち出して自分を誤魔化して他人も自分も欺き、それで母さんに見限られ、撃たれて、見捨てられても、まだ『そのこと』に気が付かない、いい加減にしろ、いつまでそんなふうに現実から目をそらして善人づらして生きるつもりなんだ」ということなんじゃないかな、と自分勝手に思いつくままに父親への呪詛の言葉を書き連ねていたとき、ある思いがふっと湧きあがってきました。

そうか、「地の塩」は1954年の作品、そしてこの「エデンの東」は1955年の作品だとすると、エリア・カザンが、「ハリウッド・テン」のひとり、ハーバート・ビーバーマンが撮った「地の塩」を意識していないはずはない、息子キャルの父親への呪詛の言葉は、そのまま、「あのこと」と「彼ら」に対するエリア・カザンの思いが込められているのではないか、と思えてきたのです。

「あんたには、なにもわかっちゃいない、あんたは最低な偽善者だな、『正義』を持ち出して自分を誤魔化して他人も自分も欺き、それで観客からも見限られ、撃たれて、見捨てられても、まだ『そのこと』に気が付かないでいるのか、いい加減にしろ、いつまでそんなふうに現実から目をそらして善人づらした建前ばかりで生きていくつもりなんだ。いいか、よく覚えておけ、ペンシルベニア大学では教えてもらえなかったかもしれないが、自分から手を汚さなければ掴み取れない人生の真実というものが、この世にはあるんだぞ」と。

かくして、僕たちは、「地の塩」を見、また「エデンの東」を見て、「地の塩」の方はもう二度と見ることもないだろうと直ちに忘れ去り、一方、「エデンの東」がまたいつか再放映されることがあれば、そのときもまた是非とも見なければ、という熱い思いに駆られたりするのでした。


エデンの東 East of Eden
(1955)監督エリア・カザン、脚本ポール・オズボーン、原作ジョン・スタインベック『エデンの東』、製作エリア・カザン、音楽レナード・ローゼンマン、撮影テッド・マッコード、編集オーウェン・マークス、製作会社ワーナー・ブラザース、
出演ジェームズ・ディーン(ケイレブ(キャル)・トラスク)、ジュリー・ハリス(アブラ)、レイモンド・マッセイ(アダム・トラスク)、ジョー・ヴァン・フリート(ケート)、リチャード・ダヴァロス(アーロン・トラスク)、アルバート・デッカー(ウィル・ハミルトン)、ハロルド・ゴードン(グスタフ・アルブレヒト)、ティモシー・ケイリー(ジョー)、ロイス・スミス(アン)、バール・アイヴス(サム・クーパー)、

伊藤永之介と農民文学

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以前、豊田四郎監督の「鶯」1938について、「群像劇ふうの設定」が面白くて、ずっと気にかかっていることをブログに書きました。

その関心は現在も継続中の状態で、少しずつ関係の本を読みながら、新たな情報に出会えば、細かいことでも(「単語」とか「言い回し」に至るまで)、グズグスと密かにブログに書き加えています。

なんだか諦めの悪い性分がモロに出てしまっているようで、少しきまりが悪いのですが、でも、この未練がましく同じ場所をいつまでも堂々巡りしている理由は、「伊藤永之介」という作家を、自分がいままでまるで知らなかった未知の人物だったからで、「もっと知りたい」という好奇心が、このコダワリをいつまでも持続・増幅させているのだと思います。

そうこうしているうちに分かったことが二、三ありました。

まず、映画「鶯」において、とても感心した手法、多くの登場人物が入れ替わり立ち替わり現れては消え、別に誰といった主役が特定されているわけでもないのに、複数の人物を上手にさばいて物語を少しずつ進行させるという手際の良さがあり、これなどは、原作者・伊藤永之介が考案した「集約的リアリズム」という手法だと知りました。

貧しい農民たちの多様な悲惨を広く目配りできるように工夫された文学手法だと知って、なんだかヤタラ感心してしまったのだと思います。まるで「全貧農民交響楽」みたいな気宇壮大な感じを受けました。

その関連から、今回、はじめて分かったのですが、久松静児監督の愛すべき佳作「警察日記」1955も伊藤永之介の原作を映画化したもので、そういえば、なるほど、舞台は派出所、狂言回しが警察官ということで(しかし、彼は主人公ではありません)、そこに訪れる愛すべき無知と純朴、そしてコズルイ狡猾さまで兼ね備えた多士済々の村人たちが、ひと騒動もふた騒動も引き起こすところなども「鶯」と一致しますし、それぞれの猥雑にして人情味あふれるトボケタ人物設定も共通しています。このことだけでも、伊藤永之介という作家の当時の人気の高さが分かります。

なんか、そういうホンワカとした柔らかい雰囲気から、イメージとしては、思わず木山捷平とか井伏鱒二などを連想してしまいがちですが、ところが「さにあらず」、伊藤永之介という作家は、プロレタリア文学に列する「農民文学者」という立ち位置なのだそうです。

へえ~、これはまた意外でした。小説を読んだ感じでは、確かに筋立ては農民の極貧生活の苦難を描いて辛辣です(代表作といわれる「梟」などには、幼い子供を抱えた農家の主婦が、夫は村の未亡人に入れ込んで家に寄り付かず、凶作でコメの収穫を断たれたうえに借金も断られて遂に食う物は尽き、飢えた子供たちに泣かれるのが辛く耐えきれずに、闇夜に地主の蔵から米を盗み出すところを作男に見とがめられて遂に八方塞がり、身動き取れず致し方なく縊死するというなんとも遣り切れない悲痛なエピソードもあったりします)、しかし、その言い回しには突き放したような諧謔と不思議なユーモアがあるので、題材の刺々しさは割合に和らげられ、印象としては深沢七郎をもう少し柔軟にした私小説タイプの作家なのではないかなという感じを持ったのですが、実は、ゴリゴリのプロレタリア作家にして農民文学者とは、これは意外でした。

あっ、そうか、いま思ったのですが、深沢七郎にしても、どこか農民文学者っぽい作品が多い、そこにイメージを同化させる共通性があったのかもしれません。

でもあれです、プロレタリア文学の小説家といえば、およそ冗談なんか通じない、青筋立てて異議申し立て、怒りまくって喧嘩を売り、殴り合いさえ辞さない、殺されても絶対節を曲げない生真面目な、例えば小林多喜二とか、それに葉山嘉樹に徳永直、それから、やっぱり「冗談」なんかとんでもない孤高感満載の中野重治とか、意固地な佐多稲子とか、こう考えると、主義のためには死ぬのも厭わない、ぎりぎりのところで頑張った皆さん壮絶な人ばかりですものね。

これらの作家と比べたら、伊藤永之介の方は、もう少し「余裕」と「あそび」があるように思えるので、そういう親近感というか「意外さ」に惹かれて「知りたい」という自分の(無知だから、なおさらです)意欲も刺激され、その関連で、いままで知識が皆無だった「農民文学」というジャンルへ接近するための「調べる読書」も持続できたのだと思います。

そこで、まず「近代日本文学辞典」(東京堂刊、昭和32.3.20.増訂版、900頁、850円)で「農民文学」の項をあたってみました。

そうそう、自分の場合、文学辞典は、ごく古いものを使っています。近所の古書店で、古い文学辞典が売りに出ていたりすると、つい我慢できずに購入してしまう自分に、よく友人は、

「古い辞典なんか買ってどうするんだ、いまどき最新の情報など、ネットで検索すれば容易に手に入るではないか、そんな古いもの、購入する意味なんてあるのか」

などと冷笑するのですが、なかなかそうではありません。

刊行された当時には「常識」だった事項も、現在となれば解説が必要なほどに古びてしまっている、しかも、必要でない他の細々した部分なら当然に淘汰されてしかるべき削除か捨象されるに違いないでしょうが、しかし、マニアとしては、その古びてはいるけれども「淘汰・捨象はされていない部分」が満載の旧版の辞典のページをめくるのことが、知的なミステリアスを満喫できてたまらないのです。

「時間」の隔たりを埋めるためのまどろっこしい余計な解説を読むことに時間を取られるくらいなら、難解な「古びた事項」の失われた意味をあれこれと妄想しながら、読み込む悦楽に浸りたいと考えている自分には、この昭和32年に刊行された「近代日本文学辞典」は、まさに時間を忘れさせてくれるこのうえもない良書ということができると思います。

さて、その辞典では、「農民文学」をこんなふうに説明していました。


【農民文学】農民文学の名称で呼ばれる文学は、次の二つに大別される。
その一つは、地方の田園風景や特殊な地方色を表出しつつ農民生活の実態を描き出すことを目的とする文学で、ジョルジュ・サンドの田園文学、トルストイ、ツルゲーネフ、ワーズワースの農村を背景とする作品、バルザックの「農民」、ゾラの「大地」などは、この範疇に属する。
他のひとつは、農民が自身の耕作生活の体験に基づいて、労働者の立場から書いた一種のプロレタリア文学で、この傾向の小説・詩はプロレタリア文学運動に伴って起こった。
我が国の農民文学の伝統は、自然主義の作家の農村に取材した作品、例えば真山青果の「南小泉村」(明40)中村星湖の「少年行」(明40、)などに早く見いだされ、長塚節の「土」(明43)は作者の目が農民生活を如実に描き出している点で、農民文学の代表作の名に恥じない。
徳富蘆花の「みみずのたはごと」や有島武郎の「カインの末裔」も広義の農民文学とみてよい。
しかし、この名称がはっきり謳われ始めたのは、大正15年、吉江喬松・中村星湖・平林初之輔・加藤武雄・犬田卯・和田傳などによって農民文芸会が結成され、都会文学の氾濫に抗して、土に生きる農民の姿を文学を通じて示そうとした時からである。
この運動の現われとして、昭和2年「農民」が発刊され、佐々木俊郎の「熊の出る開墾地」(昭4)が注目され、一方プロレタリア文学の立場から貧農解放の叫びや訴えが農民文学として取り上げられ、当時、小林多喜二の「不在地主」「沼尻村」「防雪林」、平林たい子の「荷車」「夜風」、須井一(加賀耿二)の「綿」などが問題となった。
橋本英吉、葉山嘉樹、平田小六、立野信之などもこの傾向の作品を書いた。
ところが満州、上海両事件の勃発により、左翼文学が弾圧され、転向作家としての島木健作の「生活の探求」(昭12)には、理想主義的な調和の文学として農民が描かれた。
その後、戦時体制に入るとともに、生産文学、開拓文学の名で多くの農民文学的作品が書かれたが、なかでも和田傳の「沃土」(昭12)や伊藤永之介の「鶯」(昭13)は評判高く、おのおの昭和13年、14年度の新潮文芸賞を得た。
伊藤の作品は、すべて東北農村に取材し、農民の貧困や無知や独特の生活態度をユーモラスな筆致で見事に浮き彫りにしている点にユニークな味がある。
この頃、農相有馬頼寧の肝いりで、農民文芸懇話会(昭13)が結成され、有馬賞の設定が行われ、ジャーナリズムも農民文学を積極的に取り上げたので、その機運に乗じて、前期の和田、伊藤のほかにも、丸山義二、岩倉政治、打木村治、森山啓、鑓田研一、佐藤民宝、石原文雄などが活躍した。
これらの作家は、ひとしく農民に対して共感を寄せ、篤農家を讃えたり、彼らを勤労戦士として尊ぶべきことを読者に啓蒙する立場をとることで、すでに作家の従軍などで崩壊状態にあった文壇の消費文化を描いてきた流れを断ち切って新しいモラルを樹立する気勢を示した。
しかし、その気勢の裏には多分に時局便乗的な態度が見られ、国策の線に沿うことで本来の文学精神から離れたため、終戦とともに、この種の作家と作品は、影を没した。
現在わずかに伊藤永之介のみ、独自な筆法で発表を続けている。


なるほど、なるほど、こう読み進めると、農民と農民文学が、国家権力からも「プロレタリア権力」からも、どのような存在として認識され、扱われていたのかが、よく分かります。

そもそも、プロレタリア側の「権力」にしろ、それの影響を受けた「文学集団」にしろ、「農民」をプロレタリアに属する階層などとは、少しも考えていない、自分たちの身内などとは思っていなかったことがよく分かります、農民は常にあらゆる時代のあらゆる権力から、適当にあしらわれ、利用され、加重な食糧生産と税金を課されて収奪され、切り捨てられてきた、その間に芽生えた「自立」の機運が独自の「文学」へと結実したかにみえた盛り上がりも、まずはプロレタリア文学に取り込まれ、次に国家権力に懐柔される、つまりは、あまりにも弱体のため存立するには「左右」の権力にすり寄り(そうしなければ逆に潰されていたでしょう)取り込まれ、迎合することによってに変質させられて失速したというのが、実情だったような気がします。

自らの権力を保持するためレーニンにしてもスターリンにしても毛沢東にしても、日本帝国にしても、「加重なノルマ」と「虐殺」という恐怖ツールを駆使して農民を圧し、政策の無能と破綻の辻褄合わせのために機能させて、そのおびただしい凄惨な犠牲のうえに独裁政権は保たれ持続できたのだと思います。

農民の文学が、どのように持ち上げられ失速したか、解説にある最後の一行が、如実に記しています。

「しかし、その気勢の裏には多分に時局便乗的な態度が見られ、国策の線に沿うことで本来の文学精神から離れたため、終戦とともに、この種の作家と作品は、影を没した。」

そして
「現在わずかに伊藤永之介のみ、独自な筆法で発表を続けている(昭和32年当時)」と解説にある2年後の昭和34年には、その伊藤永之介も没します。


農民文学関連の資料をあれこれ検索していて、自分が求めていたことが、そのものズバリで書かれているような本に遂に遭遇しました。

佐賀郁朗「受難の昭和農民文学―伊藤永之介と丸山義二、和田伝」(日本経済評論社)
という本です。

とりあえず、近所の図書館で蔵書しているか検索してみたのですが、残念ながら、その本自体は、ありませんでしたが、amazonで詳細な「目次」だけはアップしていましたので、たいへん参考になるので、とりあえず、筆写しておきました。
伊藤永之介はじめ丸山義二、和田伝ら、農民文学者たちがどのように昭和という時代を生き抜いたかが、この「目次」を読み継ぐだけでも雰囲気だけはなんとなくイメージすることができると思います。


★佐賀郁朗「受難の昭和農民文学―伊藤永之介と丸山義二、和田伝」(日本経済評論社)
2003年8月1日、1刷、229頁、定価1800円、ISBN4-8188-1546-2、ISBN-13 : 978-4818815469

(内容)
農政史や農業関連の刊行物からは、表面的な農業の統計的推移は読み取れのが、実際の農民たちの苦闘の姿は見えてこない。本書は、生々しい農村の実情、国策に翻弄された日本の農民がたどった受難の数十年を、時代に沿って書き残された昭和の農民文学を歴史の生き証言として検証し解説を加えたものである。戦後半世紀以上が過ぎ、暖衣飽食に生きる現代人から農業は次第に等閑視され、農民文学もまた忘れ去られんとしている。伊藤永之介、丸山義二、和田伝の3人の作家の作品を通して、戦前戦後の日本の農村・農民の姿を振り返り、世界史の中に位置付ける。

(目次)
推薦のことば・関西大学教授 浦西和彦
・はしがき

・序章 農民文学と私(農民文学とは、なぜ三人をとりあげたか、水上勉と丸山義二、『大日向村』と「萬宝山」、伊藤永之介”転向説”の誤まり)

・第一章 農民文学の始まり
文学的出発のちがい・プロレタリア文学運動の概括
『文芸戦線』によった伊藤永之介「萬宝山」
プロレタリア作家同盟に加わった丸山義二「拾円札」「貧農の敵」
自然主義リアリズムを受け継いだ和田伝「山の奥へ」

・第二章 伝統探究と思想的帰農 それぞれの再出発
恐慌下の農村を描いて登場した和田伝「村の次男」『沃土』
説話体に活路を見出した伊藤永之介「梟」と『北ホテル』、「梟」「鶯」
イデオロギーを捨てた丸山義二「田螺」

・第三章 戦時体制へ組み込まれていった作家たち 分かれた国策への対応
農民文学懇談会の結成
国策文学の寵児となった和田伝『大日向村』
和田伝に続いた丸山義二『庄内平野』
国策に距離をおいた伊藤永之介『湖畔の村』
弾圧と脚光-農民文学作家の明暗「土の偉人叢書」の執筆
和田伝『船津伝次平』
伊藤永之介『石川理紀之助』
文学報国会の発足と「有馬賞」(農民文学賞)の謎
丸山義二『ふくろしょひ』
太平洋戦争下の伊藤永之介『海の鬼』

・第四章 敗戦後の食糧危機
戦争の傷跡をどう描いたか
戦争の犠牲となった農民を描く伊藤永之介「春の出水」「雪代とその一家」「なつかしい山河」
敗戦後、虚脱に陥った丸山義二
風俗小説作家となった和田伝「試練の井戸-新大日向村建設記」
大政翼賛運動の犠牲となった上泉秀信の死
農民の小ブルジョア化に苦悩する伊藤永之介「六十二万二千円」(『警察日記』所収)「ポプラが丘」と「電源工事場」

・第五章 農民文学会に集まった作家たち
農民文学会に集まった人々
「警察日記」で名を売った伊藤永之介
「南米航路」と余話
『鰯雲』が映画化された 和田伝『鰯雲』
農政をとらえきれなかった伊藤永之介「消える湖」
丸山義二の懺悔

・第六章 農業近代化を
農業の近代化と農産物過剰時代の到来
傍観した丸山義二と和田伝
伊藤永之介没後の農村の変貌
丸山義二に書いてほしかったこと『新しい農民像』と『種をまく人』
農業の近代化の陰をあばいた有吉佐和子『複合汚染』
「むら」社会を描きつづけた和田伝『続・門と倉』「わが人生」
高度経済成長に翻弄された農民を描いた作品
薄井清『ノー政の悲劇』
鎌田慧『逃げる民-出稼ぎ労働者』
ある国営草地造成事業の顛末
環境汚染を告発した『複合汚染』
奢れる人びとに残した鶴田知也の「遺偈」「コシャマイン記」


(著者略歴)
佐賀郁朗
昭和6年北海道に生まれる。24年旧制弘前高等学校終了。31年東京大学農学部卒業。32年全国農業協同組合中央会入会。教育部出版課長、中央協同組合学園教務部長、教育部長を歴任。61年(社)農協電算機研究センター常務理事。平成2年(社)農林放送事業団常務理事。6年(社)日本有線放送電話協会会長(9年5月退任) 著書に「協同組合運動に燃焼した群像」等。

藤澤清造、最期の日々

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以前、豊田四郎監督の「鶯」1938について、「群像劇ふうの設定」が面白くて、ずっと気にかかっていることをブログに書きました。

その関心は現在も継続中の状態で、少しずつ関係の本を読みながら、新たな情報に出会えば、細かいことでも(「単語」とか「言い回し」に至るまで)、グズグスと密かにブログに書き加えています。

なんだか諦めの悪い性分がモロに出てしまっているようで、少しきまりが悪いのですが、でも、この未練がましく同じ場所をいつまでもうろうろと堂々巡りしている理由は、「伊藤永之介」という作家を、自分がいままでまるで知らなかった未知の人物だったからで、「もっと知りたい」という好奇心が、このコダワリをいつまでも持続・増幅させているのだと思います。

そうこうしているうちに分かったことが二、三ありました。

まず、映画「鶯」において、とても感心した手法、多くの登場人物が入れ替わり立ち替わり現れては消え、別に誰といった主役が特定されているわけでもないのに、複数の人物を上手にさばいて物語を少しずつ進行させるという手際の良さがあって、これなどは、原作者・伊藤永之介が考案した「集約的リアリズム」という手法そのままの方法だということを知りました。

貧しい農民たちの多様な悲惨を広く目配りできるように工夫された文学手法だと知って、なんだかヤタラ感心してしまったのだと思います。まるで「貧農交響楽」みたいな気宇壮大な感じを受けました。

その関連から、今回、はじめて分かったのですが、久松静児監督の愛すべき佳作「警察日記」1955も伊藤永之介の原作を映画化したもので、そういえば、なるほど、舞台は派出所、狂言回しが警察官ということで(しかし、彼は主人公ではありません)、そこに訪れる愛すべき無知と純朴、そしてコズルイ狡猾さまで兼ね備えた多士済々の村人たちが、ひと騒動もふた騒動も引き起こすなども「鶯」と一致しますし、それぞれの猥雑にして人情味あふれるトボケタ人物設定も共通しています。このことだけでも、伊藤永之介という作家が独特の愛され方で人気を高めていたことが分かります。

なんか、そういうホンワカとした柔らかい雰囲気から、イメージとしては、思わず木山捷平とか井伏鱒二などを連想してしまいがちですが、ところが「さにあらず」、伊藤永之介という作家は、プロレタリア文学に列する「農民文学者」という立ち位置なのだそうです。

へえ~、これはまた意外でした。小説を読んだ感じでは、確かに筋立ては農民の極貧生活の苦難を描いて辛辣です(代表作といわれる「梟」などは、幼い子供を抱えた農家の主婦が、夫は村の未亡人に入れ込んで家に寄り付かず、凶作でコメの収穫を断たれたうえに借金も断られて遂に食う物は尽き、飢えた子供たちに泣かれるのが辛く耐えきれずに、闇夜に地主の蔵から米を盗み出すところを作男に見とがめられて遂に八方塞がり、身動き取れず致し方なく縊死するというなんとも遣り切れない悲痛なエピソードもあったりします)、しかし、その言い回しには突き放したような諧謔と不思議なユーモアがあるので、題材の刺々しさは割合に和らげられ、印象としては深沢七郎をもう少し柔軟にした私小説タイプの作家なのではないかなという感じを持ったのですが、実はなんとゴリゴリのプロレタリア作家にして農民文学者だったとは意外だったのです。

そんな経緯もあって、自分の蔵書のなかで伊藤永之介が掲載されている本を幾冊か引っ張りだしてきて、少しずつ読み始めました。
その本というのは、こんな感じです。

★昭和小説集(1)、現代日本文学全集88・筑摩書房、昭和32.5.5.1刷、429頁・・・小さな活字が3段に組まれており、しかも400頁以上もあるというボリュームで、とても読みでのあるむかしから有名な筑摩の文学全集です、近所の古書店の店頭のワゴンで1冊100円で売っていたのを買いました。昭和初期のプロレタリア文学、農民文学隆盛だった時期の重要な作家たち25人の28作品を読むことができます。具体的な作品は、他の文学全集の掲載作品とダブル部分もあるので、取りまとめて後述しようと思います。

★名作集(3)、日本の文学79・中央公論社、昭和45.9.5.1刷、533頁・・・日本文学全集の定番といえば、青色を基調にしたこの中央公論版でしょう、片手で持ててどこでも気楽に読めるので、とても便利です。「名作集(3)」というのは、つまり明治、大正と続いての「昭和初期・名作集」ということで、その時期に活躍した19人の作家の作品が掲載されていますが、選択のジャンルの幅を広げたために総花的な選択になってしまい、プロレタリア文学、農民文学に特化した前記の筑摩版からすると若干の物足りなさは否めません。

★前田河廣一郎・伊藤永之介・徳永直・壷井栄 集・現代日本文学大系59・筑摩書房、平成12.1.30.13刷、458頁・・・こちらは新しい筑摩の文学全集で、奥付には「平成12年」とありますが、それは13刷だからで、もともとの初版は昭和48年、いまから思うと、前出の「現代日本文学全集」旧版の方にむしろ年代的には近かったことに意外な感じを受けます。隔世の感、というのは、こういうことを言うのかもしれません。こちらは伊藤永之介の世評の高い「梟」「鴉」が掲載されているので引っ張りだしました。

その他の4冊は、「これなんかどうなの」と迷いながら念のために持ち出しただけで、「なにもそこまでやることはないか」という感じもありました、たぶん今回は参考にしない可能性の方が大きいと思います。

★葉山嘉樹・小林多喜二・徳永直 集・現代文学大系37・筑摩書房、昭和41.2.10.1刷、505頁、430円

★日本プロレタリア文学選2・蔵原惟人監修・新日本出版社、1974.8.20.2刷、395頁、900円

★平林初之輔・青野季吉・蔵原惟人・中野重治 集・現代日本文学全集78・筑摩書房、昭和32.11.10.1刷、423頁、350円

★共同研究 転向2・戦前篇(下)・思想の科学研究会編・東洋文庫818・平凡社、2012.2.24.1刷、366頁

★吉本隆明全著作集13・政治思想評論集・勁草書房、昭和51.2.10.2刷、700頁、2000円・・・最後には吉本隆明の転向論を駆使して、ここはいっちょ、ちゃぶ台返しでもやらかしてみようかなどと邪悪な誘惑に駆られて準備した本です。

まずは、前記「文学全集」3冊に収載されている小説をシャッフルして整理してみました。五十音順です。プロレタリア文学だとか農民文学だとかにこだわらず、先入観なしに、頭から読んでいって、感銘を受けた作品にはシンプルに「◎」を付しました。


淺原六朗「混血児ジョオヂ」(昭和6)
池谷信三郎「橋」(昭和2)
伊藤永之介 ◎「鶯」(昭和13) ◎「梟」(昭和11)「鴉」(昭和13)
犬養健「亜刺比亜人エルアフイ」(昭和4)
岩倉政治 ◎「稲熱病」(昭和14)
岩藤雪夫「ガトフ・フセグダア」(昭和3)
岡田三郎 ◎「三月変」(昭和4)
小田嶽夫「城外」(昭和11)
片岡鐵兵「綱の上の少女」(大正15)「愛情の問題」(昭和5)
北原武夫 ◎「妻」(昭和13)
金史良「光の中に」(昭和14)
久野豊彦「ボール紙の皇帝万歳」(昭和2)
黒島傳治「橇」(昭和2)「渦巻ける鳥の群」(昭和3)
今東光「痩せた花嫁」(大正14)
佐佐木俊郎 ◎「熊の出る開墾地」(昭和4)
里村欣三「苦力頭の表情」(大正15)
下村千秋 ◎「天国の記録」(昭和5)
神西清「垂水」(昭和17)
須井一 ◎「綿」(昭和6)
芹澤光治良「ブルジョア」(昭和5)
髙橋新吉「預言者ヨナ」(昭和3)
立野信之「軍隊病」(昭和3)
田畑修一郎 ◎「鳥羽家の子供」(昭和7)
壷井栄「妻の座」(昭和22)「大根の葉」(昭和13)「風」(昭和29)「日めくり」(昭和38)
坪田譲治「風の中の子供」(昭和11)
鶴田知也「コシャマイン記」(昭和11)
十一谷義三郎「あの道この道」(昭和3)
徳永直「太陽のない街」(昭和4)「他人の中」(昭和14)「あぶら照り」(昭和23)
富ノ澤麟太郎「流星」(大正13)
中村地平「南方郵信」(昭和13)
橋本英吉 ◎「欅の芽立」(昭和11)
深田久彌「オロッコの娘」(昭和5) ◎「あすなろう」(昭和7)
藤澤桓夫 ◎「大阪の話」(昭和9)
北条民雄 ◎「いのちの初夜」(昭和11)
保高徳蔵 ◎「或る死、或る生」(昭和14)
本庄陸男「白い壁」(昭和9)
前田河廣一郎「三等船客」(大正11)「赤い馬車」(大正12)「せむが(鮭)」(昭和5)
森山啓「遠方の人」(昭和21)
龍胆寺雄「アパアトの女たちと僕と」(昭和3)
和田傳 ◎「村の次男」(昭和13)


感銘を受けた作品に「◎」を付した結果を改めてみてみると、自分的には「農民文学って意外に好きかも」という結果にはなったような感じですが、さらに、「いい感じ」な作品を絞り込んでいくと

岡田三郎 ◎「三月変」
北原武夫 ◎「妻」
下村千秋 ◎「天国の記録」
田畑修一郎 ◎「鳥羽家の子供」
北条民雄 ◎「いのちの初夜」

と、こうなります、もし「◎」よりも上のランクの印があれば、そちらを付けたいくらいの魅力ある作品だったところをみると、やっぱり自分は、プロレタリア文学や農民文学には、一定の距離をとっているのかな、という感じです、特に田畑修一郎の「鳥羽家の子供」なんか、芥川龍之介の名作「玄鶴山房」と思わず比較してみたくなるような凄みと迫力を感じましたし、北原武夫の「妻」は、戦後の荒廃を前のめりになって生き急いだ田中英光の諸作品を思わせるような焦燥と自傷・破滅願望を彷彿とさせ好感をもちました。

まあ、こうやって、あちらこちらと寄り道しながら、昭和初期の小説を読んだり、文学状況を解説している本を漁っていたのですが、そんなときにある本に遭遇しました。

川西政明の「新・日本文壇史 第4巻・プロレタリア文学の人々」岩波書店、2010.11.26.1刷、308頁、2800円、です。

書名のサブタイトル「プロレタリア文学の人々」につい惹かれ、役に立つ記事でもあればチョイスしようと手に取ったのですが、目次を見て驚きました。

「第21章 忘れられた作家たち」の内容は、夭折の女流作家・素木しづについて書かれている部分と、藤澤清造について記されている部分で構成されていて、藤澤清造の部分については、

「大正の奇人 藤澤清造ゴシップ集 親友安野助太郎の縊死 芝公園内での凍死」

などと具体的な言葉が暗示風に記されていました。

しかし、考えてみれば、いままで自分は、藤澤清造について知っていることといえば、没後弟子・西村賢太が書いたものと、それから2冊の文庫本「根津権現裏」(新潮文庫)と「藤澤清造短篇集」(角川文庫)からの得た知識しかなかったことを、この本を読んでみて、改めて気づかされました。

知っていることと言えば、せいぜい「芝公園内で凍死」し「身元不明人として(一般行旅病者の行き倒れ、つまり野垂れ死にです)」警察の方でさっさと死体処理されてしまったことくらいで(「くらい」って、これだけで、そうとう壮絶な話になってます)こんなふうに生々しく人物紹介された記事に初めて遭遇したので衝撃を受けたのだと思います。

しかし、なにせ「もの」は、一種のコラムなのですから、リアルを突き抜けて「揶揄」とか「風刺」とか「こきおろし」なんていう脚色もなきにしもあらずで、ときに応じて「眉唾」や「色眼鏡」の小道具を用意して読むくらいの心得は当然要求されるところではあります。


【藤澤清造の人柄】

藤澤清造は毒舌家として知られた。人を人と思わなかった。雑誌の座談会で面と向かって相手を痛罵した。自己尊大にふるまった。大家を大家として扱わなかった。金のある奴から金を毟り取るのは当たり前だと考えた。

巻き舌で喋りまくり、漆黒の髪はオールバックにして、浅黒い顔に鷲鼻がでんと坐り、眼は底意地悪く三白眼で、狭い額は短気を表し、への字の唇は厚く、喋るたびに唾を飛ばし、涎を垂らしていた。

その巻き舌は下町の大工のように、下品で、伝法で、恐ろしく口が悪いと評判であった。

着物はお召しの絣に、濃い茶無地の縫い紋付、それにぞろりとお召しの袴をはいて、足袋は紺キャラコという一分の隙もない風采だ。

そのくせ、部屋は驚くほど綺麗に片付けられており、塵一つ落ちていない。机の上にはいつも真っ白な原稿用紙が置いてあり、部屋にはそれ以上の装飾がなにもない。外出から帰ると、一張羅の羽織、着物、袴を寝押しする。ふだんは黒襟のかかった丹前を着て、長煙管で葉タバコを吸いながら、いつ終わるとも知れぬ文学談に耽る。

自他共に認める変わり者であったが、本人が一番気に入らないのは、自分の顔への不満や衣食住の不足ではなく、文壇の時流に乗ろうとして乗り切れず、猫額のような、鷲鼻のような、俗受けのしない貧乏と病苦と娼婦買いの話しか書くことのない自分の小説そのものであった。

威勢がよいときはよろしい。威勢がなくなると反動がひどい。たちまち口をきわめて罵倒される。しっぺ返しをうける。

大正の世になると、新聞は文士の消息を載せ、雑誌は文士のゴシップを載せた。文壇が世俗化し、文士の一挙手一投足に人目が集まるようになった。

文壇が大衆化したのである。そういう時、世俗に外れた異端者の存在は一種のトリックスターに変貌する。

こういう変人を愛惜する人が後世にあらわれる。そしてそのゴシップ集を編むに至った。その幾つかを紹介する。

「なんだ菊池。弱いくせに、また負かされようてのか」

将棋盤をはさんで、菊池寛を呼び捨てに、大口をたたいている新進作家。が、菊池の方が駒を四枚おろして勝負している。「藤澤清造、酒飲むか」ときいてやると、「当たり前だ」と応じた。菊池が店の女に「酒を少し」と命じる。と、間髪を入れず「少しじゃねえ、どっさりもってこい」と言って、注文し直させた。久米正雄も山本有三も呼びつけである。

中村武羅夫に面と向かって「おい中村! 文壇の大久保彦左衛門は俺だ。それをお前が彦左衛門などとはけしからん」と藤澤が喰って掛かったことがある。

中村は「新潮」を一流文芸誌にした編集長であるだけでなく、「渦巻」「群盲」などの小説を新聞に連載して人気作家にもなっていた。「文芸春秋」に対抗、傘下の若手作家を糾合して「不同調」を創刊しようとしていた頃である。

中村が「お前を一心太助にしてやろう」と応じると、「厭だ、お前の下につくようなものじゃないか」「彦左衛門ならいいだろう」と妥協すると、「彦右と彦左とどっちが上なんだ。それを聞いたうえでなけりゃ承知せん」となお言っていた。


【藤澤清造、最期の日々】

大正14年12月、藤澤は玉の井辺で娼婦をしていたことのある早瀬彩子と東京府豊多摩郡上荻窪六百六番地で所帯を持った。この頃が藤澤の最盛期で、この後、だんだんと坂道を転がるように落ちていった。私小説の悲しさか、種がないと書けない商売であった。

昭和6年11月23日、藤澤と彩子は根津権現にほど近い東京市本郷区根津八重垣町四十番地大沢方の二階に引っ越してきた。四畳半と三畳の二間で月12円の約束だった。

同年4月頃から骨髄炎の痛みがひどくなり、寝たり起きたりの生活になった。症状が昂じて藤澤の身に狂いの見え出したのは、その年の12月からであった。夜半にふと飛び起きて、彩子を殴る蹴るの暴行をはたらいた。狂い出すとまったく手が付けられず、寝巻のまま外へ飛び出し、警察に連れもどされるようになった。幸いこの時はそれ以上にはならず、年を越した。

1月4日にまた彩子を殴り蹴った。5、6、7日と同じことがつづいた。8日、藤澤は彩子を追い出した。

日中は大変機嫌がよかった。風邪気味の彩子は、早目に床についた。咳をすると藤澤がうるさいと怒鳴った。謝っても聞き入れない。彩子の蒲団を剥ぎ取り、殴る蹴るのあと洋食ナイフを持ち出した。

「もう、貴様なんか、出てゆけ!」

下から大家の大沢も上がってきた。「奥さんがいなかったら或いは鎮まるかもしれないから、少しの間だけでも・・・」とすすめるし、警察に相談すると、同じ返事なので、彩子は心ひかれながら、涙ながらに家を出た。

本意なく家を出た彩子は9月1日を叔母の家ですごし、10日の夕刻、家に帰ると、「なぜ来た!」と殴り蹴るので、また叔母の家へ退散した。

11日、夕刻行くと割合元気で、牛肉とホウレンソウを買ってきて二人で食事をした。これが最後の晩餐になった。

食事がすむと藤澤は、「別れよう」と言い、送っていくと言うので、夜の9時頃、一緒に外に出た。途中「お前も可哀そうにな」と言い、逢初町の停留所で「ここから乗ってゆけ」と言った。電車がくると、「乗れ、乗れ」とせきたて、車掌台から振り向くと、「さよなら!」と言って電車道を飛び越えていった。これが最後の別れとなった。

それから間もなく、大沢家に駒込警察署から連絡があり、検束しているから貰い下げに来いとの命令であった。千駄木町あたりの空き家の硝子を壊し、警察でも暴れたという。この時は所持金を4円ばかりしか持っていなかった。

3日ほどたって家を抜け出し、その夜は帰ってこなかった。翌日、下谷阪本警察署から連絡があり、また空き家に入り込んで寝ようとして保護されていた。住所を聞いても、「芝、根津権現裏」というばかりであった。根津ならばと本富士署に問い合わせて身元が判明した。この時、靴先に白のエナメルで「21」の番号が付けられた。

そしてとうとう25日の朝、大沢が「目を覚ますと、藤澤さんの姿が見えないんです」ということになった。

逢初町の停留所で別れた彩子は、29日の昼頃家を訪ねると大沢が荷物を片付けていた。家出から5日目であった。

同じ日、藤澤は東京市芝区芝公園第17号の六角堂で凍死しているのを発見された。早朝一交通人が行路病者の死体を発見して届け出た。芝愛宕署の川口司法主任が検視をした。「メリヤスおよびクレップのシャツ2枚の上に縞のワイシャツを重ね、三つ揃、茶の縦縞の洋服に茶のオーヴァ。帽子はなく、足は、靴下の靴もない素足。所持品は、39銭在中の引きぬきになったがま口1個」と調書に書かれている。「うつ伏せに死んでいました。空腹のせいか、とても痩せこけていましたので、どうしても年齢は50くらいに見えました」と司法主任は話した。死亡推定時刻は午前4時であった。遺骸は一般行旅病者とみなされて芝区役所に渡され、翌30日桐ケ谷火葬場で火葬に付された。

2月1日、彩子は本富士署に行った。もしもと思い、「変死人名簿」を見てもらうと、3、4番目の「芝公園17番地」の項に、茶のオーヴァを着て、鼻高く眉濃く、五十位の男、行き倒れと係官が読み上げる声を聞き、鼻高く眉濃くのところで、彩子ははっとした。さらに「頸に六寸ばかりの骨膜の傷痕あり・・・」と聞いて、「頸はもしや足の間違いでは」と尋ねると、愛宕署に問い合わせてくれ、「足でした」と確認された。愛宕署に駆け付けると、写真原版を見せられた。車の上に菰を掛けられた変わり果てた藤澤の姿、顔がそこにあった。「確かに、間違いございません」と彩子は答えた。同棲8年の懐かしい藤澤との永久の別れであった。

4日、桐ケ谷火葬場からお骨を引き取った。お骨を引き取る14円61銭を借り集めるために3日を要したからである。

昭和7年2月18日、芝増上寺別院源興院で告別式が行われた。徳田秋声、久保田万太郎、室生犀星、三上於菟吉らが総代となり発起、会葬者は百名を越した。

赤い闇 スターリンの冷たい大地で

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前回、作家・伊藤永之介のことを知りたいために、昭和初期の小説群(筑摩書房「現代日本文学全集86」と中央公論社「日本の文学79」、その他)を一挙に通して読んだことを書きました。

それらの小説が、多くの「日本文学全集」に必ず掲載される定番のビッグネームの作家たちではなく、また、洗練されているわけでもない小説で、あえてメジャーな作品と比較すれば、ずいぶんと粗雑で見劣りのする読みにくい印象は否めなくて(藤澤清造の小説など、西村賢太の激賞の援護射撃がなければ、その独特の言い回しに辟易して到底辛抱できず、途中で投げ出していると思います)、しかし、読みにくさに慣れてしまえば、そのギクシャクしたところが、むしろ時代のナマの臨場感をリアルに感じさせ、結構嵌まってしまい、ほぼ40本の短編小説を一気に読むことができました、さらに、個人的に「結構いいかも」と思う作品にシルシをつけていったくらいですから、「入れ込んだ」といっていい高揚した状態だったといえたのかもしれません。

その中の小説のひとつに須井一(すい はじめ)という作家の「綿」1931という作品がありました。

書かれた当時は、それなりに評価された作品だったとしても、時代が変わり、価値観が変質し(相対的に「豊かな庶民」が増えたという社会認識が共有されて)、いつの間にか人も小説も忘れ去られ、いまとなっては古書店回りでもしなければ手に入らないという、滅多に読むことのできなくなった古色蒼然たる作品だと思います。

この作品に、自分は、「結構いいかも」のシルシをつけました。

舞台は明治の末(あるいは昭和初期)と思しき寒村で綿栽培を生業にしている貧しい小作農一家の物語、その年は天候不良でひどい凶作に見舞われ、一家は小作料も払えないまでに窮して生活費にも事欠く始末、工場づとめをしている娘(長女)の収入に頼るしかないという切羽詰まった状況に追い込まれています。

しかし、娘自身は、家族に全面的に頼られていることを内心では重荷に感じていて、できればこの息苦しい境遇から逃れたいと密かに考えています。

そして、ある日、娘は工場から忽然と姿を消す、よく聞けば、どうも工場の男と示し合わせて駆け落ちしたらしいということが分かります。

これを知った母親は、なによりもまず、娘のこの裏切りに激怒します。そして、男の実家を突き止め、まだ年若い長男・源治と伯父が姉を連れ戻しに先方に乗り込む、それこそまさに「怒鳴り込む」という感じです。

伯父と弟・源治に説得された姉は、しぶしぶ家に連れ戻されると、激昂した母親から殴る蹴るの折檻を受け、泣いて詫びる姉は今度もまた、さらに遠方の工場に働きにやらされる。

回心したというよりも、逃れがたい自分の境遇にすっかり諦めをつけている姉は、家のために懸命に働いて仕送りを続けますが、ある日突然、工場から姉の死を知らせる手紙がくる、病を隠して働いたために、過労で衰弱してついに死んだという知らせです。

母親は不幸な娘の亡骸を前にして慟哭します、手のひらを返したように。

「ああ、はつや! 可哀そうなことをした! 堪忍してくれや!  堪忍してくれや!」と。

この辺のストーリーの流れが随分とギクシャクしているので、この場の母親の「涙」が空涙で、腹の中では舌を出し「間抜けな娘だ、くたばりやがって」と冷笑を浴びせた描写があったとても、一向不自然ではありません。それくらい雑な描写が続きます。

そして、この姉の死は、同時に、この一家の収入の途が完全に断たれたことを意味していて、そんな折に、村の肥料購入協同組合で「手押しポンプ」を共同購入しようという話が持ち上がります、途轍もなく莫大な費用をどう割り振るか、村民全員で話し合おうという寄り合いです。すでに「頭割り」が最初から前提になっているようなこの提案に、村民たちは内心では不満に思っていても言葉には出せません、源治もまた同じように不満に感じています。

現在、凶作で苦しんでいる村民たちは、内心では
「いまのような凶作の金詰まりの時に、なんでそんな高価なものを買わなくてはならないのだ」
という不満がありますが、提案元が組合のボス=地主なので、小作人たちは面と向かって拒否しづらい負い目と遠慮があり、場の空気は大方「暗黙の是認」で決着しそうな雰囲気に動いています。

しかし、極貧の家の長男・源治にはどうしてもそれが納得できない、抑えがたい敵愾心が燃え上がります、極貧のために姉が不幸な死へ追いやられた怒りが、いまだ彼の中で燻っていることも、その理由のひとつです。

そもそも地主が提唱して肥料購入協同組合を設立した理由のひとつというのも、みずから理事長になって業者から密かに袖の下を受けとって私腹を肥やすのもセットになっていることくらい誰もが周知していて、今回の「手押しポンプ」にしても、実は自分の田畑に効率よく水を引くために必要なポンプなので、カタチは共同購入として小作人にも等分に費用負担させようという腹で、そこでも業者から多額のリベートをかすめ取ろう画策していることも十分わかっていながら、田畑を借りている手前、小作人には文句など到底いえない、そういうこともまた源治を苛立たせて、憤激をさらに燃え立たせています。

しかし、源治は、ここで感情的に激昂してしまっては勝ち目がないと考え、自分を抑えて冷静に異議を申し出て、前例を引き合いに出しては理路整然と慣例違いを指摘し、ついに所有財産の多寡(貧富)の割合によって費用分担するところまで理屈で押し通し、地主提案の修正に成功します。

この源治の勇気に小作人たちは内心では喜びますが地主の手前顔には出せない、むしろ逆に、地主には、まだ年若い源治の小賢しさと出しゃばりを非難して卑屈な追従を示すことも忘れません。

村民たちの面前で自分の提案を撤回させられ侮辱されたことを根に持った地主は、その報復として、田畑を取り上げると申し入れてきます。

地主から田畑を借りて、どうにか食いつないでいる小作人にとって、田畑を取り上げられることは、そのまま飢えて死ねということと同じで、源治は地主に詫びることも考えますが、しかし、それだけはどうしてもできない、村ではもう生きていけないと見切りをつけた一家は、夜陰ひそかに村を出ていきます。

村を出た一家は大阪に落ち着き、源治は職工になって働き始めます、そして、彼は次第に社会の矛盾に目覚めてプロレタリア運動の活動家となり、検束されて刑務所に入る、そして活動家としての名をあげていきます。

やがて刑務所を出た源治は、弁護士の口から身寄りのない母親が故郷へ帰っていることをはじめて知らされ、母に会うために何年ぶりかで故郷の土を踏むという場面、駅頭には大勢の「仲間」が源治を迎えにきていて思わぬ歓迎を受け、地主が思う通りに支配していた昔とは状況が一変していることを知り、その駅頭で源治が感銘を受ける様子が感動的に描かれています。

そして、母親との再会も果たし、いよいよお別れという日に、母親の願いで街で一日を一緒に過ごすことになり、母の好きな映画を見に行くという場面になります。

この小説の最後の場面となる、そのときの様子は、こんなふうに描写されています。

≪夕食を済ますと、私共は盛り場へ行って映画に這入った。活動は母の好物であった。はずんで上がった二階には殆ど人が居なかった。
実写物の次はロシア映画だった。
プログラムを見ると「トウルクシブ」と書かれてあった。
有名な映画であるとそれに口上が書いてあった。
私共は異常な興味を持って、字幕からスクリーンを凝視した。
と、そこへ輝かしく写し出された物は、大きな綿の木であった。
「お、綿!」
「あ、綿!」
私も母も同時に小さな叫び声を挙げた。
長い間忘れていたものに対する懐かしさの叫びだった。
私共は熱心に見入った。
広々とした豊穣な綿畑、羊の群れ、空漠たるトルキスタンの原野、旱天に苦しむ蒙昧の境、輝き渡った紡績工場の内部、積雪の中に立ち茂るシベリアの大森林、穀物の瀧。
この二つの地方を結びつけるために、サヴェートロシアの労働者と農民が彼等自身の政府の指導によって零下幾十度の氷の河中や、旋風激しい山野を貫く大鉄道を敷設して行く光景は、私達の胸に焼鏝のような迫力をもって迫ってくるのだった。
私は映画の進行につれて、社会主義建設の熱意と意義を時々母に説明した。
母は頷きながら瞬きもしないでその老いたる顔をスクリーンへ向かって屹立させていた。
画面は、さらに進んでいった。
そして、縦横に写された機関車の驀進に交錯して、穀物の山、機械の美、農村と都会、文明と蒙昧の瞬間が織り込まれて社会主義建設の勝利を表徴する急テンポの場面が過ぎた後、再び見事な綿の木がスクリーンへ焼きついてこの映画は終わった。
私達は物に憑かれたように茫然としていた。
昂奮と感激のあまりに我を忘れたのである。
「お母ア!」
と私は傍らの母を顧みた。「長生きして下さいよ。おいらあニッポンをこういう風に・・・」
言っている内に涙がにじんできた。
すると母は心持ち震える声で叫んだ。
「おおいさ、長生きせいでか! 俺は大隈の二倍位長生きするぞい。俺のことア心配せんで、お前は元気で戦うてくれや、待っとるぞい!」
私は思わず母の肩を強く抱えた。≫


かくして、自分は、この小説の読了後に、「結構いいかも」のシルシを付けたのですが、しかし、その少し前に、「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」(2019、アグニェシュカ・ホランド監督)を見ていることも付け加えておかなければなりません。

この小説「綿」で描かれている息子が母親と過ごせるという最後の日、ながの別れを惜しんで、たまたま二人で見た映画「トゥルクシブ」(1929、ヴィクトル・トゥーリン監督)に感激する様子が描かれています、この作品は、ドヴジェンコの「大地」1930とともに、スターリンの5カ年計画のプロパンダ映画として製作された作品です。

公開された当時は世界中で大変な評判となり、そうした高揚の雰囲気をそのままに引き継いで、この小説の母子も感激と昂奮で涙さえ滲ませています。

息子は
「おいらあ、ニッポンをこういう風に(革命を起こして社会主義国家にしてみせるぞい)」
と母親に熱く誓い、母親も息子のその固い決意を聞いて
「お前は元気で戦うてくれや、待っとるぞい!」
と励ましています。

まあ、こういう母子だって、いるかもしれませんし、別にいたっていいじゃないかと強面で開き直られたら、きっと戸惑い、「まあ、そりゃあ」などと思わず言葉に窮して、即座には返す言葉を失うかもしれません。

ここで描かれているのは、かのサヴェートロシアの大革命とやらが成功し(「宣伝」どおりなら、たぶん「そう」でしょう)、いままで地主や資本家にさんざんこき使われ虐められ苦しめられてきた農民たちがやっと解放され、この楽園で希望に燃え、力を合わせて、喜々として精いっぱい働き、有り余る豊穣な収穫を分かち合い、豊かな食事に満ち足りて、誰ひとり飢える者もない社会、満腹の食事の後には「カリンカ・カリンカ・カリンカマヤ」などとわけの分からない嬌声を発しながら(自動翻訳ツールで和訳すれば、せいぜい「エッサホイサッサのホイサッサ」みたいなものだと思います)中腰でコサックダンスを踊りまくり、しかし無理な格好が祟って腰痛になったり、この姿勢だと必ず通じがついてゲリピーになってしまう自分などは到底参加できないとしても、それはともかく、生き生きと暮らすことができる、まるで桃源郷のように極めて分かり易く描かれている、そういう世界です。むかし、朝日新聞が北朝鮮を同じように持ち上げて「ちょうちん持ち報道」(思えば大東亜戦争でもそうでした)を展開し、その虚偽の報道によって希望に燃えて渡鮮した多くの人(およそ93340人、そのうち日本人が6800人おり、強制所送りになってどれほどの人が亡くなったのか分からないくらい)が大変な苦労をしています。しかし、いまだに善人面した澄ました顔で嘘っぽい報道姿勢を貫いているかと思うと残念でなりません。どこの国に所属している新聞社なのか、コウモリかハイエナくらいしか例えるものを思いつけないこの程度の底の浅い愚劣な新聞社しか持てない国民は、実に不幸です。

オレたち日本の貧乏百姓も、サヴェートロシアに続いて(もちろん指導だって仰がなけりゃならんぞい)日本でも革命を起こして、いつの日にか、こういう労働者と農民が主人の理想社会を実現するのだと目を輝かせ、息遣いなども荒くし、高揚して意気込んでいる母子の輝かしい様子が描かれて、「いざ、戦列へ!!」というわけです。

しかし、宣伝映画がいくら景気よく、勢い込んでぶち上げても、実際の5カ年計画の惨憺たる結果は、アグニェシュカ・ホランド監督の「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」(2019)で描かれていた通りです。

国家の主人は、労働者でも農民でもなく、ただの権力に執着する被害妄想の臆病で孤独な狂人にすぎず、彼の気まぐれで杜撰な経済政策によって、強制され、それに従わなければ片っ端から粛清し、従った側も、現実を無視した「集団農業」と重工業化最優先という荒唐無稽な施策によって人も農具も奪われ、耕地と人心は荒廃し、結果としての収穫の激減も当局から「そんなはずはない」と認められず、水増しの虚偽の報告を強いられて、その数字合わせのために貯えておいた最後の食料も収奪されて、結局は餓死に至ったという、いずれにしても実際のサヴェートロシアの農民たちは惨憺たる状況に見舞われていたわけで、遠く日本の地で源治さんが勝手に感動していたようには、サヴェートロシアの農民たちが、かならずしも充実した幸福な田園生活を送っていたわけでもないらしいことが、だんだん分かってきたのだと思います。

この映画にも登場していたジョージ・オーウェルの「1984年」について、津村記久子が秀逸な解説を書いているので、重要な一節をちょっと引用してみますね。ちなみに、このオーウェルは、その著「ウィガン波止場への道」のなかで「下層階級は臭い」と書いて、「パラサイト 半地下の家族」のアイディアを、すでに1937年の時点で先取りしていた作家でもあります。

≪1984年、世界はオセアニアとユーラシアとイースタシアの三つの大国に三分され、常にどこかとどこかは戦争をしている。主人公ウィンストン・スミスが仕えるオセアニアは、ビッグ・ブラザーという人物に率いられる党に専制統治されており、厳しい言論と思考の統制や、戦時下の耐乏の生活を強いられている。階級社会で、ひと握りの党中枢と党外郭、そして85%のブロールと呼ばれる下層民で成り立っている。
ブロールたちと党に関わる上層民の行き来はほぼない。これだけなら、もしかしたらよくあるディストピアものの設定のひとつかもしれない。本書がありふれた管理社会を描くものよりは何倍も慧眼であると思われるのは、現実とのつじつまを合わせるために過去が絶え間なく改変されていること、そして、ニュースピークという新しい言語の概念による統治が描かれているところだと思う。
特に、ニュースピークという概念を人間の支配に持ち出すのは、秀逸なアイデアだと思う。一例を挙げると、「良い」の対義語は「悪い」であるとし、「悪い」は「非良い」で代用できるから「悪い」という語はなくしていい、というような単語の切り詰めをやり、語彙を意図的に減じた言語を広めることによって人間の思考力を奪うという遣り口なのだが、言葉によって人間が複雑な思考を獲得していくことを断ち切ろうとするこの方法には、人間からどうやったら最大限に人間性を奪えるのかということへの容赦ない洞察がある。また、絶え間ない歴史の改変については、ウィンストンが4本の指を見せられて何本かと繰り返し尋ねられるという場面に象徴されているように、4本の指を5本と言うことが、体制の側に都合が良いのなら5本と答えるべき、というように、「現在」の絶対的な全肯定のために、過去に起こったことを作業的に書き換えていくということが行われる。ウィンストンは、この作業を行う「真理省」という所の役人という設定である。
党は、テレスクリーンという受信と発信を行える装置を各家庭や様々な場所に配置し、産まれる子供たちは物心つく前の段階から、党の原理を教え込まれて洗脳され、ゲームでも楽しむように、体制に都合の悪い考えを持つ親を党に売って、捕虜や犯罪者の公開処刑を心待ちにする人間に育っていく。子供という可能性を象徴する存在に、まったく希望が課されていないシビアさも本書の特徴だと思う。確かに、大人が腐敗しきった世界で、子供が子供っていうだけで、まともな存在でいられるかというと、そんな安易なことはあり得ないのだ。
本書は、そのシビアさでもって、社会の在り方に疑問を持った一人の人間が、どのような道筋を辿るのかを描く。主人公が恋に落ちようと、反体制に目覚めようと、世界は石のように変わらない。絶対に変わらない。子供の残酷さを浮き彫りにする件も含めて、オーウェルの手つきの緊密な誠実さは、一縷の希望が入り込んでくる隙間も埋めていく。
・・・ある人物が放つ「権力は手段ではない、目的なのだ」という言葉は、強烈に現代の権力の在り方を象徴している。富や贅沢や長寿などはもはやどうでもよく、ただ純粋に権力を維持し増幅し行使するということを目的とする現代の為政者の顔が、すでに何人か頭に浮かぶのではないだろうか。オーウェルはそのような、もっとも暴力的な権力、権力を目的とする権力の在り方を、70年前の時点で明晰に把握していた。≫(「波」2018年2月号70頁~72頁)


つまりそれは、多分、こういうことだと思います。

尋問者(権力者)から4本の指を示され「これは何本だ?」と問われて「4本」と答えると即座に殴られ、また改めて4本の指を見せられて「これは何本だ?」と問われ、ふたたび「4本」と答えて殴られ、さらにもう一度「これは何本だ?」と問われて、仕方なくまた「4本」と答えて殴られ、そしてまた「これは何本だ?」と問われるので「4本」と答えては殴られる、殴られ続けながら被尋問者は、こう考えます、この質問に対して、自分はいったいどう答えれば殴られずに済むのか、具体的に「何本」と答えれば尋問者が満足するのか、恐怖による「迎合」という学習能力の姿勢が、尋問者の期待した通りの「答え」におのずから導いてくれることになります。

かくして、尋問者に4本の指を示されても、尋問者の期待した通りの回答を(それが5本だろうと何本だろうと権力者の顔色をうかがって当意即妙に)即答できれば、北朝鮮だろうと韓国だろうと中国だろうと、こうした「忖度」は、ヤワな民主主義が通用しないシビアな暗黒社会で命をつなぐために必要な命がけの処世術なのだといっているのだと思います。

オーウェルのこの小説は、1947年の時点でソヴィエトの危うい体制を比喩的に書いた小説ですが、このクダリなど、現在、中国共産党がウイグル自治区やチベットで行っている露骨な人権弾圧、おびただしい数の監視カメラやAIを駆使した「街全体の完全監獄化」や「言語統制」による過酷な帝国主義的弾圧統治(「理想の共産主義社会」なのですから、これほど皮肉な話はありません)をも気持ち悪いくらいのリアルさで予言し、そして言い当てています。韓国などは、そもそも裁判所自体が権力の言いなりになっている始末なのですから、何をかいわんやです。

愚かな人間がいったん権力を握ってしまうと必ずこうなるという、まるでイソップの諧謔話の典型みたいな、権力に執着する被害妄想の臆病で粗暴な狂人たちが、いったい何人いるのかは知りませんが、その個人的な体制を保つために「楯突く者はすべて殺し尽くす」と息巻いて、これからもどれほどの人命を犠牲にしなければならないのか、犬死としか思えない無辜の死者を再生産しながらその愚行がこれからもずっと続けられるのかと思うと、心底うんざりします。


さて、ふたたび、話を須井一の小説「綿」に戻しますね。

母子で見た映画「トゥルクシブ」の冒頭、大きな綿の木が映し出されて、思わず母子が
「お、綿!」
「あ、綿!」
と叫ぶ場面。

母子が映画の1シーンを見て思わず声を合わせて、そう叫んだのは、あの極貧の小作人時代に、凶作でさんざん苦労した綿の栽培の苦難の日々を望郷の思いとともに一瞬のうちに思い出し、同時に、その苦労の過程で死んでいった家族のひとりひとりを哀切によみがえらせて、今では、たった二人きりになってしまった家族として深い感慨に浸るのだろうという、こちらの予想を遥かに裏切って、突然、思いはサヴェートロシアの大原野へと飛躍し、トゥルキスタンとシベリアを貫く大鉄道の敷設という社会主義国家建設の輝かしい勝利の画面を思い描きながら、大真面目で
「おいらあ、ニッポンをこういう風に(革命を起こして社会主義国家にしてみせるぞい)」
と言ったかと思うと、母親は母親で
「お前は元気で戦うてくれや、待っとるぞい!」
などと受け、感激で手を取り合って「来たるべき革命」を熱く誓い合う、もちろん、そのように(家族の思い出→革命へ)考える母子があってもいいのですが、フツーはそうじゃねえだろう、という感じはします。

この小説を書いたご仁の、小説家にあるまじき、あまりの安直な観念の飛躍には苦笑させられるとともに、その幼稚な楽観には、とても危ういものを感じます、小説の前半で貧しい農民たちの地を這うような惨憺たる生活を丹念に描いたあの透徹したリアリズムはなんだったのか、それは単にこの最後の「観念の飛躍」を飾り立てるために必要だった、ただの道具立てにすぎなかったのか、もしそうだったのなら、この小説は、ただの大風呂敷とか、誇大妄想とか、大言壮語とか言われても仕方なく、それがプロレタリア文学の常套的な書き方というものなら、それはただ単に愚かなだけの所業というしかないのではないか、とここまできてなんだかとても後味の悪さを感じました。

まあ、話をここまで引っ張ってきたわけですから、気分の悪いままで終わらせるわけにもいかないかと考え、ついでということもあるので、この作家のことを少しwikiで調べてみようと思い立ちました。

さっそく「須井一」と入力して、さてクリック、したのですが、ヒットしたのは、全然、別人の名前です。なんだ、なんだ、間違えたのかといささか混乱して、再度入力、そしてまたクリック、やはりまた現れたのは別人の名前、なのですが、よくよく見ると、それはさっきと同じ「別人」です。

その名は「谷口善太郎(1899.10.15 – 1974.6.8)」ふむふむ、それでなんだって? 「日本の小説家、政治家。衆議院議員(6期)。小説家としては、ペンネームの須井一(すい はじめ)・加賀耿二(かが こうじ)で知られる。愛称は「谷善(たにぜん)」。」

えっ~!? しゅ、しゅ、しゅうぎいんぎいん!!

まさに、意表を突かれた感じです、

政治家だなんて、想定すらしていませんでした。

そこには、こんなふうに書いてあります。

日本共産党公認で京都府1区から選出、衆議院議員を6期つとめた。

へぇ~、驚いた。

そして、「京都における共産党の中心的な存在として活躍した。」とあります、まさに京都サヨクのドンといってもいい政治家だったんですね。ちぃ~とも知らなかった。

そうですか、なんだか、どっと疲れが出てきました。

さらにその最後には、「1974年、在職中に死去した」とあって、きっと、サヨクの人たちからの人望も厚く、だからいつまでも公事多忙でゆっくり休む暇もなく、「在職中」に亡くなられたということなのだと思います。その「死」が安らかだったかどうかは分かりませんが、少なくとも「政治家」として選挙民の皆さんに持ち上げられ惜しまれながらの充実した最後だったのだろうなということは、容易に想像できます。


だからボクは言おうと思います「良かったじゃないですか」と。

この平和ボケした日本で、選挙権ボケした「投票」によって支持され、だから、アナタも公聴委員会喚問とか公職追放とかの憂き目にもあうことなく、「共産主義者」の役回りを立派に果たし、無事に演じ切り、敬愛されながら長寿を全うし、静かで安らかで充実した人生の最後に惜しまれて「死」を迎えることができました。たとえ、腹の中では赤い舌を出していようともね。いやいや、それくらいの「悪意」があれば、まだ救われるものがあったかもしれない。

狂気の権力亡者から理不尽でイワレのない熾烈な弾圧を受けて、ある者は屈辱のなかで処刑され、あるいは餓死させられ、たとえ死を免れたとしても、やがてながの拘禁でその命も尽き、しかし、その遺体はまるでゴミのように沙漠に放置されて朽ち果てるのをじっと待たれた無念な人々を描いたワン・ビンの「無言歌」や「悪霊魂」、そしてこの「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」で描かれている、虚偽の「繁栄の宣伝」を見抜いてその実態を世界に報じたために「共産主義者」によって暗殺されたジャーナリストの物語を経験してしまった現在、かの宣伝映画「トゥルクシブ」にあれほど素朴に感激し、その素直な感激によってまっすぐに「革命運動」に邁進し、当初の「感激」をいささかも疑うことなく、だから裏切られることもなく、平和なニッポンで長寿を全うして平穏な死を得たこの小説家(幾たびもの改名によって自己否定しつづけた)奇妙でお目出たい「日本の共産主義者」に対して湧きあがる苦笑と自嘲を、空咳でどうにか誤魔化し得たことくらいしか報告できないことが誠に残念でなりません。


赤い闇 スターリンの冷たい大地で
(2019ポーランド、ウクライナ、イギリス)監督アグニェシュカ・ホランド、脚本アンドレア・チャルーパ、製作スタニスワフ・ジエジッチ、アンドレア・チャルーパ、クラウディア・シュミエハ、製作総指揮ジェフ・フィールド、レア・テマーティ・ロード、音楽アントニ・ワザルキェヴィチ、撮影トマシュ・ナウミウク、編集ミハル・チャルネツキ、
出演ジェームズ・ノートン(ガレス・ジョーンズ)、ヴァネッサ・カービー(NYタイムズモスクワ支局記者エイダ・ブルックス)、ピーター・サースガード(NYタイムズモスクワ支局長ウォルター・デュランティ)、ケネス・クラナム(デビッド・ロイド・ジョージ)、ジョゼフ・マウル(ジョージ・オーウェル)、ケリン・ジョーンズ(マシュー)、ミハリーナ・オルシャンスカ(ユリア)、クシシュトフ・ピチェンスキ、ベアタ・ポズニアク、ジュリアン・ルイス・ジョーンズ、フェネラ・ウールガー、マルチン・チャルニク、


焚書の世界史

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最近、新聞を読んでいて、よく考えることがあります、それは「内容」とかではなくて、「読み方」についてです。

一面の政治欄~経済欄までの「大見出し」をざっと見てから、社会面の「斬った張ったの事件」などは時間をかけてじっくり読み、最後にスポーツ欄を隅から隅まで精読するという順序ですが、しかし、スポーツ欄以外の「ざっと見る」は、建前上「あとで詳しく読む」という予定があるので、気になるページは抜き取っておいて、後日、まとめて読もうという感じです。

該当するページというのは、せいぜい「ニュース解説」に「書評」、そして「映画評」といったところで、抜き取ったものは、そのままその辺に積み上げておきます、しかし、これは「几帳面」とか「学習意欲」からかというと、たぶんそれは誤りで、ただ単に面倒くさがりから発した行為にすぎない可能性の方が大きいかもしれません。

「ニュース解説」などは、ある程度、時間が経ってしまえば、事態の方が勝手に進行して、もはや「解説」なんか必要なくなってしまう完熟状態となり、記事自体が「いまさら、なに?」みたいな時機を逸したものとなり果て、結局、保存したものの紙の記事の方は読まずに終わるという、つまり、怠惰=時間稼ぎの自然淘汰とうまく結びついて、無為の勝利というか、「ツンドク(積ん読)」が目覚ましい成果をあげるということもあるにはありますが、しかし、「書評」と「映画評」に限っていえば「賞味期限」がかなり長くて、むしろ、ほぼないに等しいので、いい加減溜まったら、仕方なくひとまとめに読まなければならないというX-dayが、必ず待ち受けています。

ちょうど、この日も、突然思い立って溜まりに溜まった「書評」のまとめ読みを始めました。

その中に、こんな書評がありました。

記事のタイトルは「古今東西、書物受難史 書物の破壊の世界史」、へ~え、なんか面白そうじゃないですか。

マニアっぽいこの見出しに一目惚れしてしまった自分は、躊躇なく手に取りました。

ちなみに、書評の執筆者は、三中信宏という進化生物学者の先生です。

その書名は、「書物の破壊の世界史」(紀伊国屋書店、3500円)、著者は、フェルナンド・バエズFernando Baezという方、肩書には「ベネズエラ出身の図書館学者・作家・反検閲活動家。元ベネヅエラ国立図書館館長」とあります。

しかし、余計なことですが、このバエズさん、ぼくらの知っているあの「ジョーン・バエズ」とスペル的にはどうなの? とさっそく調べてみました。はばかりながら、生来、疑問はそのままにしておけない性分です。

なるほど、なるほど、Joan Chandos Baezっていうんですね、ニューヨーク出身のメキシコ系アメリカ人で、ミドルネームの「Chandos」なんて、なんか雰囲気あるじゃないですか。やはりBaezだから同じなんだなと思ったら、すぐそのあとに「名前は『バイズ [baɪz]』と表記する方が近い」とありました、へえ~、そりゃまたどうして? と「注」を見ると、こんなふうに書かれています。

「Baez, Joan (2009), And A Voice to Sing With: A Memoir, New York City: Simon & Schuster, p. 61, "I gave Time a long-winded explanation of the pronunciation of my name which came out wrong, was printed wrong in Time magazine, and has been pronounced wrong ever since. It's not "Buy-ezz"; it's more like "Bize," but never mind."」
「Wells, J. C. (2000). "Baez 'baɪez ; baɪ'ez —but the singer Joan Baez prefers baɪz". Longman Pronunciation Dictionary. Harlow, England: Pearson Education Ltd.」

ふむふむ、そうなんですね、そして、プロフィール紹介の最初には、こうありました。

「ニューヨーク州のスタテン島にてメキシコ系の家に生まれ」さらに「彼女の一家は、クエーカー教徒。父親のアルバートは物理学者であり、軍需産業への協力を拒否し、それはジョーンの1960年代から現在まで続く公民権運動と反戦活動へ影響を及ぼした」そうです、なるほど、筋金入りの「反戦お父さん」だったんですね、それでよく分かりました、ジョーン・バエズって、どうみても厳格な家庭のお嬢さんていう感じですものね。若き日のボブ・デュランとのツーショットなんて、なんか懐かしいなあ。

実は、自分は、なにを隠そういまは懐かしき時代の「ツーショット・マニア」なので、こういう写真を眺めていると、当時を思い出して、なんだか、たまらなく嬉しくなってしまいます。ジョニー・キャッシュとジューン・カーターとか、プレスリーとワンダ・ジャクソンとかね。実に、いい。

さてさて、話が横道に逸れてしまいました。

「書物の破壊の世界史」の書評でしたよね、話をもとに戻します。

まず、本文の重要と思われる部分を少し引用します。


≪書物の受難はいつの時代にも世界中どこでも絶えることはなかった。
伝説的な古代エジプトのアレクサンドリア図書館は最盛期の紀元前3~2世紀には70万巻ものパピルス文書が所蔵されていたという。
しかし、その後に続く政治的混乱と戦火によりこれらの書物はことごとく灰燼に帰した。
第2次世界大戦中のナチス・ドイツによる大規模な焚書事件(「ビブリオコースト」)、中国の文化大革命時の書物の検閲と弾圧、ユーゴスラビア紛争における図書館の大規模な被災と何百万冊もの破壊、今世紀に入ってもイラクにおける激しい戦闘の中で粘土板に刻まれた数多くの貴重な歴史的文書が失われた。
私たちの愛読書がもし傷つけられたり燃やされたりすれば、痛みを感じるだろう。
しかし、長い歴史の中で暴力的に失われてしまった物理的存在としての書物の総数はその痛覚を麻痺させてしまう。
本書に詰め込まれた書物受難史の事例は繰り返し読者に問いかける。
なぜわれわれ人間は、これほどまでに執拗に本を燃やしたり棄てたりできたのだろうか。かつて作家ハインリッヒ・ハイネは、「本を燃やす人間は、やがて人間も燃やすようになる」と書いた。
多くの日本人読者は、すぐさま「焚書坑儒」という中国の史実を思い出すはずだ。
書物の破壊の歴史は人間社会の憎悪の歴史と表裏一体だった。
ノーベル文学賞詩人ヨシフ・ブロツキーは母国ロシアで執筆活動を弾圧されたが、それでも「本を燃やすよりもひどいことがあるとすれば、それは読まないことだ」と述べた。
焚書や破壊や廃棄という災厄を免れて生き残った書物を手にするわれわれは本を読めることの幸運を実感する。≫


この書評にも書かれているとおり、「焚書」というと、自分などは、まず、ナチス・ドイツの「焚書」を思い出すのですが、ナチスの場合、「焚書すべきリスト」(末尾に掲げます)という、かなり詳細な文書が残っていて、どういう本が焼かれたのかを、現在でもぼくたちはつぶさに知ることができます。

そのリストを見ると、ヒトラーの独裁政権に少しでも反する書物は片っ端から摘発・焼却されたわけで、なにしろ焚書の範囲が、「学術的に意味ある良識的な本のほとんどすべて」に及ぶ壮大なものであることをみれば、これだけでもうほとんど「暴挙」というしかなく、当時のナチス・ドイツが、いかにヒステリー状態にあって異常な行動に走ったかがよく分かります(むしろ、こうした直情的な愚行が良識ある世界観をすべて敵にまわしてしまい、結果、みずから孤立を招いて「四面楚歌」を作り上げて暴走を余儀なくされた感さえあります)、しかし、その異常な一面には、理性を欠いた熱狂のヒステリー渦中にあっても、自分がいま如何なることをしようとしているのかをリストに書きとどめておくくらいの「理性」はあったのだなということも分かります。

狂気は狂気なりに、それを正当化するために客観視しようと努力したのが「リスト」の存在だったのかもしれません。

そして、そのあとに続く一文

「多くの日本人読者は、すぐさま『焚書坑儒』という中国の史実を思い出すはずだ。」

の部分が、いまのご時世、きわめて素っ気ない書かれ方なので、かえって気になりました。

それをいうならむしろ、

「多くの日本人読者は、すぐさま『焚書坑儒』という中国の史実を思い出し、その史実をなんら学習することなく、歴史的愚行を再び繰り返し、世界を敵にまわした現代の中国共産党帝国の愚かで哀れな暴挙を思い出すはずだ。」

くらいは直言すべきでしょう。

ちなみに、「焚書坑儒」とは、政府の意向に反する書籍をすべて焼き払い、権力をそしる者たち(儒者460人)を捕えて生き埋めにして殺したという中国の故事で、現代でいえばさしずめ、中国共産党に都合の悪い情報(天安門事件の弾圧と虐殺)をネットを遮断してまで隠蔽し、情報改竄し、逆らえば恫喝して検束して収容所で徹底的に拷問して廃人として、ようやく思想改造を成功させるというあたりでしょうか。

文化大革命時、すでにボケぎみの毛沢東が「批林批孔」運動の流れの勢いで、訳も分からず「焚書坑儒」まで景気よく評価してしまったとき、狂王の妄言に追随していた愚衆・紅衛兵や取り巻き官僚が、あわてて正当化した話など、なんとも哀れで笑えてしまう話で、嘘で固めた弾圧統治そのままを、いまだに繰り返していることが、これだけでもよく分かります。

いままで自分が読んだ「焚書坑儒」の解説の最後は、きまって判で押したように、こういう文言で締め括られていました。

「王政の基礎を固めようとする始皇の苛法酷政は、焚書といい坑儒といい、史上稀にみるものである」と。

しかし、その「史上稀にみるものである」には、「という見解は史実に反する」と付け加える必要があるかもしれません。




★Liste der "verbrannten" Autoren(ナチス・ドイツに焼かれた著者リスト)

・アルフレッド・アドラーAlfred Adler(オーストリア出身の精神科医、心理学者、社会理論家)
・ショーレム・アッシュSchalom Asch(ポーランドのイディッシュ語作家)
・イサーク・バーベリIsaak Emmanuilowitsch Babel(ロシアの作家。代表作に『騎兵隊』『オデッサ物語』)
・ミハイル・バクーニンMichail Alexandrowitsch Bakunin(ロシアの思想家で哲学者、無政府主義者、革命家)
・アンジェリカ・バラバーノフAngelica Balabanova(ロシアの女性革命家。ウクライナ出身のイタリア・ユダヤ人)
・バラージュ・ベーラBéla Balázs(ハンガリーの映画理論家、美学者、作家、詩人)
・アンリ・バルビュスHenri Barbusse(フランスの作家、社会運動家)
・エルンスト・バルラハErnst Barlach(20世紀ドイツの、表現主義の彫刻家、画家、劇作家)
・オットー・バウアーOtto Bauer(オーストリアの社会主義者・政治家・社会学者・哲学者)
・ヴィッキイ・バウムVicki Baum(オーストリアの作家。代表作に『グランド・ホテル』)
・アウグスト・ベーベルAugust Bebel(ドイツの社会主義者。ドイツ社会民主党の創設者の一人)
・ヨハネス・R・ベッヒャーJohannes Robert Becher(ドイツの表現主義詩人)
・パウル・ベッカーPaul Bekker(ドイツの音楽評論家、指揮者、劇場支配人)
・ヴァルター・ベンヤミンWalter Benjamin(ドイツの文芸評論家、哲学者、思想家、翻訳家、社会学者)
・エドゥアルト・ベルンシュタインEduard Bernstein(ドイツの社会民主主義理論家・政治家)
・エルンスト・ブロッホErnst Bloch(ドイツのマルクス主義哲学者)
・ヨアヒム・リンゲルナッツJoachim Ringelnatz(ドイツの詩人、作家、画家。 ケストナー、メーリング、ブレヒトなどとともに新即物主義ノイエ・ザハリヒカイトの代表的詩人)
・アレクサンドル・ボグダーノフAlexander Alexandrowitsch Bogdanow(ロシアの内科医・哲学者・経済学者・SF作家・革命家)
・ワルデマル・ボンゼルスWaldemar Bonsels(ドイツの作家、児童文学作家)
・ベルトルト・ブレヒトBertolt Brecht(ドイツの劇作家、詩人、演出家)
・ヘルマン・ブロッホHermann Broch(オーストリアの作家)
・マックス・ブロートMax Brod(チェコ出身のユダヤ系の作家、作曲家。カフカの友人、紹介者)
・ニコライ・ブハーリンNikolai Iwanowitsch Bucharin(ロシアの革命家、ソビエト連邦の政治家)
・エドガー・ライス・バローズEdgar Rice Burroughs(アメリカの小説家。代表作に「火星シリーズ」『ターザン』)
・エリアス・カネッティElias Canetti(ブルガリア出身のユダヤ人作家、思想家)
・リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーRichard Nicolaus Eijiro Coudenhove-Kalergi(東京生まれのオーストリアの政治活動家。汎ヨーロッパ連合主宰者。別名、青山 栄次郎)
・フョードル・ダンFjodor Iljitsch Dan(ロシアの医師、労働運動家、政治家。メンシェヴィキの有力者の一人)
・チャールズ・ダーウィンCharles Darwin(イギリスの自然科学者。自然選択説による進化論を提唱)
・オットー・ディクスOtto Dix(ドイツの新即物主義の画家)
・アルフレート・デーブリーンAlfred Döblin(ドイツの小説家)
・ジョン・ドス・パソスJohn Dos Passos(アメリカ合衆国の小説家、画家)
・セオドア・ドライサーTheodore Dreiser(アメリカ合衆国の作家)
・イリヤ・エレンブルグIlja Grigorjewitsch Ehrenburg(ソ連の作家。代表作『トラストD. E.』)
・アルベルト・アインシュタインAlbert Einstein(ドイツ生まれのユダヤ人の理論物理学者。光量子説・ブラウン運動の理論、相対性理論などの提唱者)
・クルト・アイスナーKurt Eisner(バイエルン王国の政治家、作家。ミュンヘン革命の中心人物)
・フリードリヒ・エンゲルスFriedrich Engels(ドイツ出身の思想家、ジャーナリスト、実業家。K.マルクスとともにマルクス主義の創設者)
・アレクサンドル・ファジェーエフAlexander Alexandrowitsch Fadejew(ソ連の作家)
・リオン・フォイヒトヴァンガーLion Feuchtwanger(ドイツ系ユダヤ人の小説家、劇作家)
・ヴェーラ・フィグネルWera Nikolajewna Figner(ロシアの女性革命家、ナロードニキ)
・ブルーノ・フランクBruno Frank(ドイツ系ユダヤ人の作家)
・アンナ・フロイトAnna Freud(イギリスの精神分析家。ジークムント・フロイトの娘)
・ジークムント・フロイトSigmund Freud(オーストリアの精神分析学者。精神分析の創始者)
・アルフレート・フリートAlfred Hermann Fried(オーストリアの法学者。1911年にノーベル平和賞)
・エゴン・フリーデルEgon Friedell(オーストリアの批評家・哲学者、俳優、作家)
・エドゥアルト・フックスEduard Fuchs(ドイツの風俗研究家・収集家。代表作『風俗の歴史』)
・アンドレ・ジッドAndré Gide(フランスの小説家)
・マクシム・ゴーリキーMaxim Gorki(ロシアの作家)
・ジョージ・グロスGeorge Grosz(ドイツ出身の画家。諷刺画家)
・エミール・ユリウス・ガンベルEmil Julius Gumbel(ドイツの数学者。ガンベル分布の名の由来)
・エルンスト・ヘッケルErnst Haeckel(ドイツの博物学者、医者。ドイツで進化論の普及に尽力。主著に『生物の驚異的な形』)
・ヤロスラフ・ハシェクJaroslav Hašek(チェコのユーモア作家、風刺作家)
・ラウル・ハウスマンRaoul Hausmann(オーストリアの画家・デザイナー・詩人。ベルリンダダの創立者の一人)
・ジョン・ハートフィールドJohn Heartfield(ドイツの写真家、ダダイスト)
・ヴェルナー・ヘーゲマンWerner Hegemann(ドイツ出身の都市計画家)
・ハインリヒ・ハイネHeinrich Heine(ドイツの詩人、作家)
・アーネスト・ヘミングウェイErnest Hemingway(アメリカの小説家・詩人)
・テオドール・ホイスTheodor Heuss(ドイツのジャーナリスト、のちに西ドイツの初代連邦大統領)
・シュテファン・ハイムStefan Heym(ドイツの作家、詩人)
・ルドルフ・ヒルファーディングRudolf Hilferding(オーストリア出身の政治家、マルクス経済学者、医師)
・マグヌス・ヒルシュフェルトMagnus Hirschfeld(ドイツの内科医、性科学者、同性愛者の権利の擁護者)
・ゲオルグ・イェリネックGeorg Jellinek(ドイツの公法学者)
・フランツ・カフカFranz Kafka(チェコ出身のドイツ語作家)
・ワレンチン・カターエフWalentin Petrowitsch Katajew(ソビエト連邦の小説家)
・カール・カウツキーKarl Kautsky(ドイツのマルクス主義政治理論家、革命家)
・ヘレン・ケラーHelen Keller(アメリカ合衆国の教育家、社会福祉活動家、著作家)
・ハンス・ケルゼンHans Kelsen(オーストリア出身の公法学者・国際法学者)
・アーサー・ケストラーArthur Koestler(ハンガリー出身のユダヤ人のジャーナリスト、小説家、政治活動家)
・アレクサンドラ・コロンタイAlexandra Michailowna Kollontai(ロシアの女性革命家、共産主義者)
・ユリウス・コルンゴルトJulius Korngold(チェコ出身のユダヤ系の音楽評論家)
・カール・コルシュKarl Korsch(ドイツ出身のマルクス主義理論家)
・ジークフリート・クラカウアーSiegfried Kracauer(ドイツのジャーナリスト、社会学者、映画学者)
・エルゼ・ラスカー=シューラーElse Lasker-Schüler(ドイツ出身の詩人)
・フェルディナント・ラッサールFerdinand Lassalle(ドイツの政治学者、労働運動指導者。 ドイツ社会民主党の母体となる全ドイツ労働者同盟(ドイツ語版)の創設者)
・ウラジーミル・レーニンWladimir Iljitsch Lenin(ロシアの革命家、政治家)
・レオニード・レオーノフLeonid Maximowitsch Leonow(ロシアの小説家、劇作家)
・テオドール・レッシングTheodor Lessing(ドイツ系ユダヤ人の哲学者)
・オイゲン・レヴィーネEugen Leviné(ロシア出身の革命家、ドイツ共産党(KPD)の政治家)
・カール・リープクネヒトKarl Liebknecht(ドイツの政治家で共産主義者。ヴィルヘルム・リープクネヒトの子)
・ヴィルヘルム・リープクネヒトWilhelm Liebknecht(ドイツの政治家でドイツ社会民主党の創立者の一人)
・ジャック・ロンドンJack London(アメリカ合衆国の作家)
・エーミール・ルートヴィヒEmil Ludwig(ドイツ出身のユダヤ人作家)
・ルカーチ・ジェルジGeorg Lukács(ハンガリーの哲学者、マルクス主義者)
・アナトリー・ルナチャルスキーAnatoli Wassiljewitsch Lunatscharski(ロシアの革命家、ソビエト連邦の政治家)
・ローザ・ルクセンブルクRosa Luxemburg(ポーランド出身、ドイツで活動したマルクス主義の政治理論家、哲学者、革命家)
・ウラジーミル・マヤコフスキーWladimir Wladimirowitsch Majakowski(ソ連の詩人。ロシア未来派・ロシア・アヴァンギャルド)
・アンドレ・マルローAndré Malraux(フランスの作家、冒険家、政治家)
・ハインリヒ・マンHeinrich Mann(ドイツの作家。トーマス・マンの兄。『ウンラート教授』(映画『嘆きの天使』の原作))
・クラウス・マンKlaus Mann(ドイツの作家。トーマス・マンとカタリーナ・ マンの子)
・トーマス・マンThomas Mann(ドイツの小説家。『ヴェニスに死す』『魔の山』など)
・カール・マルクスKarl Marx(ドイツ出身の哲学者、思想家、経済学者、革命家)
・フランツ・メーリングFranz Mehring(ドイツのマルクス主義者、歴史家)
・エーリヒ・メンデルゾーンErich Mendelsohn(ドイツ出身のユダヤ系建築家)
・ヴィクトル・マイヤーVictor Meyer(ドイツのユダヤ系化学者)
・グスタフ・マイリンクGustav Meyrink(オーストリアの小説家。『ゴーレム』、『緑の顔』など)
・モルナール・フェレンツFerenc Molnár(オーストリア出身の劇作家・小説家)
・ヘルマン・ミュラーHermann Müller(ドイツの政治家。ドイツ社会民主党(SPD)所属)
・ロベルト・ムージルRobert Musil(オーストリアの小説家、劇作家。『特性のない男』『夢想家たち』など)
・フランチェスコ・サヴェリオ・ニッティFrancesco Saverio Nitti(イタリアの政治家、経済学者)
・グスタフ・ノスケGustav Noske(ドイツの政治家。ドイツ社会民主党(SPD))
・フランツ・オッペンハイマーFranz Oppenheimer(ドイツのユダヤ系社会学者、政治経済学者)
・カール・フォン・オシエツキーCarl von Ossietzky(ドイツのジャーナリスト。1935年のノーベル平和賞受賞者)
・アントン・パンネクークAnton Pannekoek(オランダの天文学者、マルクス主義理論家)
・アルフレート・ポルガーAlfred Polgar(オーストリアのジャーナリスト、批評家。カバレット(文学キャバレー)の管理者)
・フーゴー・プロイスHugo Preuß(ドイツの公法学者。「ヴァイマル憲法の父」)
・マルセル・プルーストMarcel Proust(フランスの作家。『失われた時を求めて』)
・グスタフ・ラートブルフGustav Radbruch(ドイツの法哲学者、刑法学者)
・ヴァルター・ラーテナウWalther Rathenau(ドイツの実業家、政治家)
・ジョン・リードJohn Reed(アメリカ合衆国出身のジャーナリスト)
・ヴィルヘルム・ライヒWilhelm Reich(オーストリア・ドイツ・アメリカ合衆国の精神分析家。オルゴン理論の提唱者。セックス・ポル(性政治学研究所)を主宰し、プロレタリアートの性的欲求不満が政治的萎縮を引き起こすと主張。社会による性的抑圧からの解放を目指したが、その極端な思想や行動は唯物論的な共産党(殊にコミンテルン)から「非マルクス主義的ゴミ溜め」と批判され除名された)
・エーリッヒ・マリア・レマルクErich Maria Remarque(ドイツの作家。『西部戦線異状なし』)
・カール・レンナーKarl Renner(オーストリアの政治家。第一次世界大戦終了直後の共和国の初代首相と第二次世界大戦終了直後の共和国の臨時首相・初代大統領を務めた)
・ヨアヒム・リンゲルナッツ Joachim Ringelnatz(ドイツの詩人、作家、画家)
・ロマン・ロランRomain Rolland(フランスの作家)
・アルトゥル・ローゼンベルクArthur Rosenberg(ドイツの歴史家・政治家)
・オイゲン・ロートEugen Roth(ドイツの叙情詩人)
・ヨーゼフ・ロートJoseph Roth(オーストリアのユダヤ系作家)
・ネリー・ザックスNelly Sachs(ドイツの詩人、作家)
・フェーリクス・ザルテンFelix Salten(ハンガリー出身のオーストリアのジャーナリスト・小説家。『バンビ』)
・マーガレット・サンガーMargaret Sanger(アメリカ合衆国の産児制限活動家)
・アルトゥル・シュニッツラーArthur Schnitzler(オーストリアの医師、小説家、劇作家)
・ミハイル・ショーロホフMichail Alexandrowitsch Scholochow(ロシアの小説家。『静かなドン 』)
・ブルーノ・シュルツBruno Schulz(ポーランドのユダヤ系作家・画家)
・クルト・シュヴィッタースKurt Schwitters(ドイツの芸術家・画家)
・アンナ・ゼーガースAnna Seghers(ドイツの小説家)
・カール・ゼーフェリンクCarl Severing(ドイツの政治家)
・イニャツィオ・シローネIgnazio Silone(イタリア出身の小説家、政治家)
・ゲオルク・ジンメルGeorg Simmel(ドイツ出身の哲学者、社会学者。ドイツ系ユダヤ人(キリスト教徒))
・アプトン・シンクレアUpton Sinclair(アメリカ合衆国の小説家)
・グリゴリー・ジノヴィエフGrigori Jewsejewitsch Sinowjew(ロシアの革命家、ソビエト連邦の政治家)
・アグネス・スメドレーAgnes Smedley(アメリカ合衆国のジャーナリスト)
・フョードル・ソログープFjodor Sologub(ロシア象徴主義の詩人・小説家・戯曲家)
・ミハイル・ゾーシチェンコMichail Michailowitsch Soschtschenko()ソ連の作家。
・ヨシフ・スターリンJosef Stalin(ソビエト連邦の政治家、軍人。同国の第2代最高指導者)
・ルドルフ・シュタイナーRudolf Steiner(オーストリア出身の神秘思想家 。アントロポゾフィー(人智学)の創始者)
・カール・シュテルンハイムCarl Sternheim(ドイツの作家。表現主義の代表者の一人)
・ベルタ・フォン・ズットナーBertha von Suttner(オーストリアの小説家。ノーベル平和賞を受賞した最初の女性)
・パウル・ティリッヒPaul Tillich(ドイツのプロテスタント神学者)
・レフ・トロツキーLeo Trotzki(ウクライナ生まれのロシアの革命家、ソビエト連邦の政治家)
・クルト・トゥホルスキーKurt Tucholsky(ドイツのユダヤ系諷刺作家、ジャーナリスト)
・シグリ・ウンセットSigrid Undset(ノルウェーの小説家。1928年ノーベル文学賞受賞者)
・ハインリヒ・フォーゲラーHeinrich Vogeler(ドイツの画家、建築家)
・ヤーコプ・ヴァッサーマンJakob Wassermann(ドイツのユダヤ系作家)
・フランク・ヴェーデキントFrank Wedekind(ドイツの劇作家。ドイツ表現主義の先駆者、不条理演劇の先駆者)
・オットー・ヴァイニンガーOtto Weininger(オーストリアのユダヤ系哲学者。主著『性と性格』は今日では性差別主義的、反ユダヤ主義的とされ、ヒトラーの『わが闘争』にも影響を与えたことが知られる)
・ハーバート・ジョージ・ウェルズHerbert George Wells(イギリスの小説家、社会活動家、歴史家。ジュール・ヴェルヌとともに「SFの父」と呼ばれる)
・フランツ・ヴェルフェルFranz Werfel(オーストリアの小説家、劇作家、詩人)
・カール・ウィットフォーゲルKarl August Wittfogel(ドイツ出身の社会学者、歴史学者)
・フリードリヒ・ヴォルフFriedrich Wolf(ドイツの医師、作家、共産党の政治家)
・クララ・ツェトキンClara Zetkin(ドイツの政治家・フェミニスト。社会主義の立場による女性解放運動を主導し、女性解放運動の母と呼ばれる)
・エミール・ゾラÉmile Zola(フランスの小説家で、自然主義文学の代表者)
・カール・ツックマイヤーCarl Zuckmayer(ドイツの劇作家・脚本家)
・アルノルト・ツヴァイクArnold Zweig(ドイツの作家)
・シュテファン・ツヴァイクStefan Zweig(オーストリアのユダヤ系作家・評論家。伝記、歴史小説で知られる)



田舎司祭の日記

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稀代の名作ロベール・ブレッソンの「田舎司祭の日記」について、きわめて簡潔明瞭にして爽快なコメントに遭遇しました。

若き田舎司祭が教区の村人の誰とも心を通わせることができず、自分の信仰のちからでは誰一人救うことができないと苦しみ迷いながら、ついには胃癌に冒されて死んでいくという、この神聖にして侵すべからざる名作に鉄槌をくだすような(関西人ならずとも日本人ならこうあるべきという)傑出したコメントに接したのです。

いわく

≪とにかく、主人公も含めて出てくる奴ら誰もが、自分の世界に閉じこもっていて、自分の考えにしがみつき、他者を理解しよういう気持ちなんかハナから持ってえへん。
しかもやで、この司祭は自分に向けられた疑念や不信に弁解や抗弁するとかもなく、ただ、神がどーだ、祈りがどーだとウジウジしているだけや。
これって結局、無力っちゅうこっちゃろね。
ほんま、司祭のくせにどこまでもケツの青いけったいな奴っちゃ思うわ。
これってアンタ、どない、なんかけたくそ悪い思わへんか。
ワシなら、どたま、いっぺんかち割ったろかしらん思うわ。
現実に何か変化を起こそうという気なんかモートーなくて、すべてに受け身で、分かってくれはる人だけが分かってくれればええやんとか考えてるらしけど、実際は誰にも分かってもらえへん、いや、ここ笑うとことちゃうで、だってそやないか、本人にすれば、これってとってもツラい話やんか、でも試練やからなしんぼせなしゃあない、我慢せないかん思うても、やっぱり身体はツラいし、だるいしね、ホンマどないせえいうねん、そない無理な我慢してるまに、あららっ、なんやしらんけどヒドいビョーキなってしもたやないの、これ、ホンマどないしてくれるねん、みたいな感じのこれって、けっきょく敬虔なキリスト教徒の陥る地獄そのものの体現者として描かれてるんやね。それにしても、なにこれ。
そないなもんを高尚と見るか、愚かと見るか、その辺は冷たく突き放した演出なんやろけどね、どちらとも採れるようになっているらしいわ。
明らかに演出意図のはぐらかしいうか、いわば回避ってやつやろね。
こいつはバカ真面目で、個人的には、ええとこあるか知らんけど、それにしても面倒くさいやっちゃでえ。
とにかく優柔不断、どーにもならん奴っちゃというのが結論かな、正味のはなし笑。
こういう作品を見るたびに、ほんま宗教なんてものは無駄に重々しいだけ、平穏な暮らしを搔きまわす厄介なもんや思うわ、ほんまジブンは無神論者でよかったなあ思うてる、その反面、この映画見て実際眼の青い信徒の奴らはいったいどない思うてこの映画見るんやろか気になるとこやね。
とにかくドラマかサスペンスか知らんけども、結局、救いのないまま、最後は病魔に倒れるちゅうことやからね。
実際なんもようでけん能無し司祭やったから、それってやっぱ天罰やろな思うわ、どうでもええけどね、それにしても持って回ったへたれな映画やで、じっさい。
司祭のくせに誰ひとり救えないまま、法衣一枚、十字架一つの為に、救いようもないこんな悲しい物語になってしまうなんてなあ、ほんまアホやいう感想くらいしか持てへんで、正直な話。
全ては神の思し召しっていうけど、本当にそれでええんかい。
すべてがそんなふうやから、きっとこの若い司祭もしょうもない童貞のまま死んだんちゃかって思うわな、宮沢賢治の様にな。
いやいや、このばやい宮沢賢治は関係ないやろ思うてるけどな。
死んでやっと安息の理想郷に落ち着けたいうのんなら、それはそれでええけどね。
せめてそうあってほし、いうのんが、ボクのショージキな感想ですわ。ほなさいなら≫


ズバリ、「なんやコイツ、ほんま、アホちゃうか笑(一蹴)」みたいな、まさか横山やすし師匠が降りてきてノタマワッタわけでもないでしょうが、この実に爽快なコメントには心の底から感動しました。

実は、自分は若い頃から、ブレッソンの「田舎司祭の日記」について、ひとつのトラウマがあって、どうしても「それ」を超えられず、だから、このブレッソン作品にも十分なアプローチができないまま、現在に至っています。

「それ」というのは、アンドレ・バザンの歴史的評論「『田舎司祭の日記』とロベール・ブレッソンの文体論」を指すのですが、若年の頃、この評論に挑戦してみたものの、なにが書いてあるのかさっぱり分からず、そもそも何が論旨なのか読み取ることなく、敬遠して投げ出してしまいました、その読破できなかったという「負い目」がずっといままで残ってしまっている感じでした。

そして(むしろここは「だから」というべきかもしれません)、この映画「田舎司祭の日記」を見たのもたったの一度だけ、つねに自分の前にアンドレ・バザンの「『田舎司祭の日記』とロベール・ブレッソンの文体論」が道を塞いでいて、その負い目に怖気づいたまま、アプローチを避け続けてきたのだと思います。

しかし、今回、この爽快なコメントに遭遇し、自分が長い間、いったい何に囚われ怖気づいてきたのかが、はっきり分かりました。

それは、西欧の「信仰」と日本人の「信仰」の在り方の違いをはっきりと認識することなく、さらに、この「田舎司祭の日記」という作品が、西欧の「信仰」について、きわめて明快に語っているのに、それに引き換えアンドレ・バザンの評論「『田舎司祭の日記』とロベール・ブレッソンの文体論」が、そのことについて(自分的には、「信仰」こそが、この映画の最大のテーマであると思っていたのに)一切ふれることなく、ただ、「小説の映像化とはなにか」みたいな映画と小説の関係を論述しているにすぎないことに肩透かしをくらわせられて戸惑い、結局、バザンの見当違いな「評論」に振り回されながら、「映画」を読み違えたのかと落胆し、投げ出してしまったのだと思っていたのでした。

しかし、今回遭遇した「爽快なコメント」は、自分の当初の気づきが必ずしも誤りではなかったことを気づかせてくれました、アンドレ・バザンの評文は、ただ単に、小説の映画化は如何にあるべきか、そのための辻褄合わせのような「映像論」と「文体論」にすぎず、自分の問題意識(カトリックの信仰の在り方)とは、次元を異にする遥か無縁の言葉の弄びにすぎず、今回この「爽快なコメント」に遭遇し、その活力に満ちた関西風アナーキーの突破力を借りて、何十年ぶりかで改めてアンドレ・バザンの評論「『田舎司祭の日記』とロベール・ブレッソンの文体論」にリベンジしてみることができました。

なにせ文庫本にして40頁弱の小評論にすぎませんし、論述していることといえば、せいぜい既存の「映画ありき」を裏支えするヨイショの姿勢に貫かれたこじつけの激賞でしかありません。そう思えば、気楽な気持ちでアプローチもできるというものです。

もっとも、当時のフランスにあって、新たな時代を切り開こうとイサミたった映画青年たちが、湧きあがる映画運動・新時代の旗手として若き映像作家たちを援護射撃しようと書かれた力のある評論なのですから、その執筆は、当時のフランスの映画状況においてリアルタイムでもっとも切実に「問題」になっていることを書いたその結果が、この論文に結実したものなのだと思うので、当事者たちにすれば、いまさら「信仰」についてとやかく言及すること自体、考えられもしなかったことだったかもしれませんが、極東日本の映画鑑賞者にとっては、もっとも知りたかったことが、それだったのです。

今回、あらためて映画「田舎司祭の日記」を久しぶりに見てみましたが、この作品で語られていることといえば、やはり「信仰とはなにか」に違いなく、これがこの作品の最も重要なテーマであることを再確認しました。

そうそう、かつて自分は、このブレッソンの「田舎司祭の日記」を見たとき、「異端者の悲しみ」という言葉が思い浮かんだことを思い出しました。谷崎潤一郎の小説の題名です。

べつに、ブレッソンのこの映画が、谷崎潤一郎の作品と、とりわけて似ているというわけではありませんが、ただ、悩める青年司祭の「誰からも理解されない」という苦悩の姿から、なんとなく、この象徴的な言葉を連想したのだと思います。

しかし、村に赴任してきた司祭が、村民の誰からも、なぜこうまでして疎まれ拒まれるのか、そして、そのことをひたすら内に籠ってウジウジと悩むこの青年司祭の受け取り具合も含めて、いままで見てきた類似の「宗教映画」と比べると、その描写の異様さは、きわめて突出している印象を受けました。

この自分が感じた違和感の第一印象を手掛かりにして、この作品を考えてみようかなと思い立った端緒がそれで、そこからアンドレバザンの見当違いな評文に遭遇して苦い蹉跌を味わねばならなかったというわけです。

気を取り直して、今回は「もう少し先」へ行ってみましょうか。

ブレッソンの「田舎司祭の日記」1950は、自分がいままで見てきた「宗教映画」(とりわけ信仰を扱ったもの)とは、まるで違う随分と異様な映画です。

たとえば、同時期に撮られたロッセリーニの「神の道化師、フランチェスコ」1950など、徹底的に極貧でいることが「信仰の純粋性」を証し立てるものだとして、日々の生活の困難に耐え、その忍耐の結果としての空腹さえも喜々として楽しむような、まるで飢えこそが生きる歓びだとでもいわんばかりのなんとも明るい楽観と輝くようなユーモアに満ちていて、映画を見ているぼくたちにとても幸福な気分をもたらしてくれるのですが、しかし、そのエピソードを笑っているうちに、徐々に、この聖フランチェスコの「倒錯的な生き方」が、13世紀の当時、権威の座に居すわって、すっかり頽廃・堕落してしまったキリスト教への逆説的な「批判」の姿勢だったことが分かってきます。

この「神の道化師、フランチェスコ」を見た当時、すでにロッセリーニの「無防備都市」や「戦火のかなた」を見ていた自分には、うって変わったこのおおらかなユーモアの先に、「権力批判」を冷静に仕掛けたロッセリーニの硬軟自在な演出意図に気づかされて驚かされたものでした。きっと、イングリット・バーグマンだって、ロッセリーニ演出の卓越したそのあたりに惹かれたに違いありません。

まだまだ血の気の多かった当時の自分には、「たとえ徒手空拳でも、信仰の純粋さを逆手にとって武器とし、堕落した権力の中枢を突く」という、この作品が本来描いている宗教的信仰とはまったく別の次元で感動してしまっただけの単なる「勘違い」だったのかもしれませんが、しかし、いまでも、その錯覚を悔やむ気など毛頭ありません。

自分など、カトリック信仰などとはまったく無縁の、西欧からは遥かに遠い極東の小さな島国でチマチマと棲息するイチ東洋人にすぎませんし、しかも仏教徒ですらない、そもそも宗教とか信仰など意識したことすらないという、いわば見捨てられた憐れな迷い児にすぎず、この映画に描かれている「カトリック信仰」について、あれこれと言えるような立場にないことくらいは十分に承知しているのですが、しかし、門外漢だからなおさら、このひたすら内にこもるような陰鬱で異様な「田舎司祭の日記」の独善的な描き方が、気になって仕方なかったのだと思います。

異端者には、感覚的に、他人の「異端性」にも過敏に共鳴してしまうということかもしれません。

自分がいままで見てきた宗教映画、「神の道化師、フランチェスコ」やゼフレッリの「ブラザー・サン シスター・ムーン」1972、そしてジンネマンの「尼僧物語」1959にしても、そこに描かれているのは、多くの民衆が支持し、信頼を寄せる「カトリック信仰」というものが中央に確固として存立し、その周囲で、安心してある者は遊び(ブラザー・サン シスター・ムーン)、ある者はみずからの信仰が「神」に対して相応しいものかどうか苦悩の果てに自信をなくして動揺する(尼僧物語)という姿が描かれていて、それは、あくまでも「カトリック信仰」が信頼に足る揺るぎない権威への絶対的な紐帯があるからこそ成立するのであって、それに比べると「田舎司祭の日記」というブレッソン作品には、その根本的なつながりの部分が欠落し、あらゆる村民の冷ややかな拒絶の眼差しに晒されながら「布教」は空回りし、終始拒まれつづける司祭の絶望的な孤立の異様さが、どうにも気になって仕方なかったのだと思います。

しかも、司祭に対する村民たちの疎んじ様と「拒絶」も異様なら、そういうことにいちいちおどおどと過剰に反応して思い悩むナーバスさ(そう見えます)なども、もしかしたら、彼がなにか良からぬ「神経症」にかかっているのではないかと勘ぐってしまうくらいです。

あとで、この司祭が胃癌にかかっていて、病状がかなりのところまで進行していることが判明しますが、その「痛み」の堪え方(どう見ても診察や治療を回避して長引かせているのは、死ぬための時間稼ぎとしか見えません)にしても異様な感じです。

その身体的不調のために布教が滞り、それで村人から不信を買いタチの悪い無視や密かな陰口に接しても、司祭としてなんらの抗弁や反撃をすることなく、むしろ司祭としての自信をますます失い、そのことでさらに布教にも支障をきたすのだったら(事実、彼は、為すところなく、ただ内省的に深刻に悩むほかなかったとしか見えません)、それこそ神に仕える者としての「公私混同」も甚だしい、それくらいのことでめげて思い悩む弱い性格の彼には、もともと「司祭」としての適性が欠けていたというしかないと思ってしまいました。

自分など門外漢でただの素人考えにすぎませんが、なにしろ、彼は押しも押されもしない堂々たる「司祭」なわけですから、もっと毅然として「神を恐れぬこの不信心者めら!! ひとまとめにして地獄に堕としてくれるわ、主よ、こいつらに業罰を与えたまえ!! ざまあみやがれ、ワッハハハのハ」くらいのことは言っていいと思います、なにしろ彼は押しも押されもしない権威ある「司祭」なのですからネ、その程度の「見識」は当然あるべきだと思ったのです。

いやいや、それとも、彼にそういうことができない何か個人的な決定的な弱味でもあったというなら、そりゃあ話は別です、例えば、常日頃、近所の奥さんの干し物の花柄の下着を盗んでいるとか、盗撮の趣味があるとか、女子高生の尻を撫ぜまくるとか、なにしろフランスの方では神父さんのセクハラは伝統的に脈々とあったらしいことは、フランソワ・オゾン監督の「グレース・オブ・ゴッド 告発の時」2019を見れば、その辺の事情の大方は見当つきます、わが国においても、坊主・教師・医者は「日本三大すけべ」として古来から定着しておりますし、加うるにコロナの予防接種に一向に協力しないという医師会連中をどうしてくれようかという問題につきましては、それならばこっちにも奥の手があるぞというわけで、隠れたる人材登用という意味合いにおいて覚せい剤常用者をひそかに登用したら如何かと、ほら、注射器の扱いには慣れているんじゃないかなということで、どうこのアイデア。駄目だよね、きっと。差し障りというものもあることだしね。ほかでは言わないでね。

さて、そういうわけで、フランスの教会には、昔からそうした「桃色の伝統」が脈々として受け継がれているわけなので、おもんぱかるにこの青年司祭もまた醜態を村民に見とがめられ、それ以来、なにを言っても村人の信用を得られないという隠れた事情とかがあったりするというのなら説得力もあり、また納得もできようというものですが、どうも、そういうことでもなさそうなのです。

そのほかに、なにか彼に「落ち度」でもあるのか、それとも彼自身が生理的に拒まれる欠点(美醜とか体臭とか)を持ってでもいるのかと、さんざん考えてみたのですが、どうも思い当たるものがありません。

その理由をさんざん考え、しかし、どうしても分からず、ちょうどこの状況は、「理解の中途で立ち往生した」という、まさにそういう停滞でした。

その立ち往生のなかで、自分が探しているものがどれも、青年司祭の「個人的な理由」(経験不足の布教の不手際とか頑なな性格とか)ばかりであることは、頭の隅でぼんやりとは意識していました。だって、「オオヤケの理由」なんて、最初からあるはずないと思っていたからです。

なにせ相手は権威あるカトリックの司祭の布教ということなのですから、信心深い村民たちから、そのこと自体(布教)に対して疎んじられたり拒まれたりするはずがないと考えていたことが、そもそもの間違いだったのです。「はは~ん、なるほど、なるほど」です。

だって、この村人たちは、まるで最初から、この青年司祭に対していささかの敬意も尊敬も払っておらず、はっきり「あんたは、出過ぎた真似をしないで、教会の中でおとなしくしていれば、それでいいんだ」みたいな、まるで余計者・無能者のように蔑まれた言われ方をしています。

村人にとって「信仰」など、ただの形式的な儀式にすぎなくて、定められた時に「教会」という箱のなかに行って退屈な説教と「儀式」に堪えればいいくらいにしか思っておらず、そんな司祭がのこのこ外に出てきて偉そうなことをつべこべ言うなよという意思表示だったのだとしたら、そこにあるのは、ただの形式、村人の誰からも信頼を失ってしまった「堕落した教会」の現実でしかありません。

みずからの罪を懺悔し、血が出るまで自分の体を鞭打たなければ許されないようなカトリックの厳格な戒律と、その押しつけがましさは、庶民の密かな嫌気と拒絶とを増長し、とっくに見放されていて、この映画が描いているように「信仰」というものは、表面的な体裁を取り繕うだけのただの「形式的儀式」に堕落させてしまったこの建前ばかりの空疎なカトリック、あるいは、そうして構築された西欧の空疎な文化、それっていったいなんなのだ、これなら、ひたすら民衆の心に沿った日本の仏教の方が、よほどマシではないかと思ったのです。

歎異抄には「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」とか「念仏成仏これ真宗」とか「地獄は一定すみかぞかし」など、困窮し悩める民衆に無益な難行苦行など求めることなく、ただ念仏を唱えさえすれば、お前たちの前には極楽の門は広く開かれているのだ、悪行を犯さなければ生きることが困難だった皆の衆にこそ極楽があるのだ、そうでなければ「宗教」の意味なんてどこにあるのだ、いまの生活が最悪(地獄)と思っているとしても地獄は決して悪いところではない、もうこれ以上堕ちるところがない地獄の底にこそホトケがいて極楽の門へ導いてくれるのだと説くすべてを許すユルユルの素晴らしい救済の教えで、無理難題を課せられて詐欺まがいの偽善や、自己欺瞞の装いでもしない限り、天国には到底行けないぞと恫喝するカトリックなんかとは大きく異なるところです。

さて、ここで改めて、アンドレ・バザンの「『田舎司祭の日記』とロベール・ブレッソンの文体論」をざっと読み返しました。

どこも上手に明言をはぐらかしていて、結論らしい結論を摘出することに、少し困難を感じるのですが、まあ、あえて言えば、こんなところでしょうか。

《だが「田舎司祭の日記」が明らかにしているのは、映画と小説の共通点よりも両者の違いについて思索する方がいっそう興味深く、小説を映画に溶け込ませるよりも、映画によって小説の存在を強調するほうが、さらに有益だという事実である。》だってさ。

やれやれ、これだけの陳腐な結論にいままで何十年もビビってきたのかと思うと、なんだか自分が可哀そうになってきました。

ごめんね、自分。


(1951フランス)監督脚本ロベール・ブレッソン、原作ジョルジュ・ベルナノス『田舎司祭の日記』、撮影レオンス=アンリ・ビュレール、ロバート・ジュイヤール、音楽ジャン=ジャック・グリューネンヴァルト、美術ピエール・シャルボニエ、編集ポーレット・ロバート、装置ロバート・タールア、録音ジャン・リウル、助監督ガイ・ルフラン、製作管理レオン・カレ、製作マネージャー・ロバート・サスフェルト、ヘンリー・ウェルス、製作監督エミール・プエ、美術補ポール・コリン、録音補アレッサンドロ ビアンカナニ、音響ジャン・リュール、同調ロジャー・コルボー、フォトグラファー・ロバート・ジュイヤール、カメラオペレーター・アンリ・ライチ、スクリプト・オデット・ルマルチャンド、スクリプト補ミシェル・チョケ、製作UGC、配給:コピアポア・フィルム、原題Journal d'un cure de campagne、英題DIARY OF A COUNTRY PRIES
出演クロード・レデュ(アンブリクール教区の司祭)、ジャン・リヴィエール(カウント)、エイドリアン・ボレル(トルシーの司祭アンドレ・ギベール)、レイチェル・ベレント(伯爵夫人マリー・モニーク・アーケル)、ニコール・ラルミラル(シャンタル)、 ニコール・モーレー(ルイーズ夫人)、アントワンヌ・バルペトレ(デルベンデ博士)、マルティーヌ・ルメール(セラフィタ・デュモンテル)、レオン・アーヴェル(ファブレガース)、ジャン・ダネ(オリヴィエ)、ガストン・セヴェリン(カノン)、イヴェット・エティエヴァン(家政婦、デュフレーティの仲間)、ジェルメイン・ステインバル(カフェのパトロネス)、ベルナール・フブレンヌ(ルイ・デュフレティ、脱落した司祭)、マーシャル・モランジュ(副市長ラドジョイント)、ジルベルト・テルボワ(ドゥムーシェル夫人)、セルジュ・ベネト(ミトンネット)、フランソワ・ヴァロウベ(ビットロール)、



【ロベール・ブレッソン監督作品】

・C'était un musicien(1933)監督モーリス・グレーズ、フリードリッヒ・ツェルニック、ダイアローグ/ブレッソン
・公共問題Les Affaires publiques(1934)監督脚本ブレッソン、短篇
・Les Jumeaux de Brighton(1936)監督クロード・エイマン、脚本ブレッソン、南方飛行
・Courrier Sud(1937)監督ピエール・ビヨン、監督脚本サン=テグジュペリ、『南方郵便機』、コンテ/ブレッソン
・罪の天使たちLes Anges du péché(1943)監督脚本ブレッソン、長編デビュー作
・ブローニュの森の貴婦人たちLes Dames du Bois de Boulogne(1945)監督脚本ブレッソン、ドニ・ディドロ、ダイアローグ/ジャン・コクトー
・田舎司祭の日記Journal d'un curé de campagne(1950)監督脚本ブレッソン、原作ジョルジュ・ベルナノス、ルイ・デリュック賞受賞
・抵抗 (レジスタンス) - 死刑囚の手記よりUn condamné à mort s'est échappé ou le vent souffle où il veut(1956)監督脚本ブレッソン、原作アンドレ・ドヴィニ、DVD題『抵抗 死刑囚は逃げた』、原題『死刑囚は逃げた、あるいは風は己の望む所に吹く』
・スリPickpocket(1959)監督脚本ブレッソン、原作ドストエフスキー
・ジャンヌ・ダルク裁判Procès de Jeanne d'Arc(1962)監督脚本ブレッソン、助監督/ユーゴ・サンチャゴ
・バルタザールどこへ行くAu hasard Balthazar(1966)監督脚本ブレッソン、助監督/クロード・ミレール
・少女ムシェットMouchette(1967)監督脚本ブレッソン、原作ジョルジュ・ベルナノス
・やさしい女Une femme douce(1969)監督脚本ブレッソン、原作ドストエフスキー、撮影/ギスラン・クロケ
・白夜Quatre nuits d'un rêveur(1971)監督脚本ブレッソン、原作ドストエフスキー
・湖のランスロ Lancelot du Lac(1974)監督脚本ブレッソン、原作クレティアン・ド・トロワ
・たぶん悪魔が Le Diable probablement(1977)監督脚本ブレッソン、
・ラルジャン L'Argent(1983)監督脚本ブレッソン、原作トルストイ


明治の怪談ブームと「遠野物語」

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ワクチン接種の普及と、コロナ変異株の感染とが、いたちごっこでせめぎ合いながら、ズルズルと長引く状況下で、客足が戻ってこない都心の居酒屋が持ち応えられずにバタバタとつぶれているくらいですから、我が町の呑み屋の閉店もいよいよ始まったなど、いまさら話題にもならないでしょうが、いざ実際に行き慣れた近所の呑み屋がついに閉店となると、やっぱり心穏やかではいられません、今まで他人事と軽く考えていた厳しい現実を、突然つき付けられたようなショックを、リアルな痛みとして実感しました。

コロナ前には、時間を持て余した宵の口など、月に二度くらいの頻度で(それなら「稀に」といった方がいいかもしれません)気ままに飲みに出かけていた呑み屋で、たまたま隣り合わせたどこかの爺さんと、なんだかんだと夜更けまで駄弁に興ずるのを楽しみにしていた店だったので、なんだかとても残念です。

考えてみれば、定年退職後のさまよえる無職老人にとって、見ず知らずの他人と百年の知己のように駄弁に興ずることのできる場所となると、他ではちょっと得られない解放感とか息の付ける自由があったのだなと、この突然の閉店には、いまさらながら惜しまれます。

これから先、ある程度、このコロナの感染の勢いが鈍ったとしても、果たしていままでのような「外呑み」が普通にできるのか、あんなふうに口角に泡を飛ばしながら顔と顔を突き合わせて談論するなんて風景は、もう二度と訪れないかもしれないと悲観せずにいられません、などと独り言をいいながら、しかし、それにしても最後にあの呑み屋に行ったのはいつのことだったのかと懸命に思い出そうとするのですが、一向に思い出せません。

もしかすると、あれは秋の終わりだったか、それとも春先のことだったのか、そのときの微妙な服装の違いなども思い描こうとしても、明確なイメージが一向に湧いてこないのです。

しかし、季節の方はともかく、そのときに話された話題なら不思議なほど明確に覚えています、確か、あのときは、もっとも優れた日本の怪談映画の白眉と言えばなにかということが話題になって、お互いに多くの候補作をあげ、なんだかんだの言葉の応酬の末に、やっぱり小林正樹監督の「怪談」が一番だろうなという結論で納まったのだと思います。

小さな酒場の小さな喧騒のなかで交わされた些細な会話のひと言ひと言のすべてが、いまでは取り戻すことのできない貴重でほろ苦い思い出になってしまいました、この喪失感の空虚は、なんだか、まるで末世にいるような息苦しい痛切な重圧とも感じてしまうくらいです、おおっと、あぶない、もしかしたら、こうした心理状態のことを「鬱」とでもいうのかもしれません。

そんな考えに囚われていたら、どんどん下降していくだけなので、こういう閉塞状態の中にあっては、底なしの沈鬱の沼に足を取られるだけだとハタと気付き、かろうじて正気に返りました。こんなことでは、いけません。こんなときこそ、なにか適当な気晴らしが必要ですよね。

そういえば、いままで自分は、小林正樹の映画「怪談」のことはよく知っていても、原作の小泉八雲の「怪談」自体は、まるで知らなかったことに気が付き、少し調べてみることにしました。

まず、映画「怪談」について検索しました。

なるほど、なるほど、小林正樹監督の1964年の作品で、音楽が武満徹ですか、やっぱり最初からリキの入れ方も違ってたわけですね。解説にも「テープ変調を伴う邦楽器を駆使した武満の音楽・音響がジョルジュ・オーリックやヤニス・クセナキスなど世界的な音楽家たちに絶賛された」とありました。

そして、ストーリーの方ですが、全4篇からなるこのオムニバス映画「怪談」の原作は、いずれも小泉八雲の原作ながら、作品集「怪談」のものは、第2篇「雪女」と第3篇「耳無芳一の話」の2作のみで、第1篇「黒髪」は作品集「影」の「和解」、第4篇「茶碗の中」は作品集「骨董」の「茶碗の中」を原作としている、のだそうです。

ちなみに、「雪女」「耳無芳一の話」「茶碗の中」は、「青空文庫」にアップされているので、読むことができます。なかでもこの「雪女」「耳無芳一の話」の2作は、映画の中の印象として特に抜きんでていて強烈でした。


実際の小泉八雲短編集「怪談」に収められている短篇の詳細は、以下の通りです。
耳無芳一の話(The Story of Mimi-Nashi-Hoichi)
おしどり(Oshidori)
お貞のはなし(The Story of O-Tei)
乳母ざくら(Ubazakura)
かけひき(Diplomacy)
鏡と鐘(Of A Mirror And A Bell)
食人鬼(Jikininki)
むじな(Mujina)
ろくろ首(Rokuro-kubi)
葬られた秘密(A Dead Secret)
雪女(Yuki-Onna)
青柳のはなし(The Story of Aoyagi)
十六ざくら(Jiu-Roku-Zakura)
安芸之助の夢(The Dream of Akinosuke)
力ばか(Riki-Baka)
日まわり
蓬莱


こうして一連の検索を続けているうちに、少し気に掛かる文章を見かけました。

それは、この小泉八雲の「怪談」が、明治の文壇に大きな影響を与え、「怪談ブーム」を引き起こす切っ掛けになったというのです。

へえ~、そうなんだ、その辺の事情は、いままで自分は全然知らなかったことなので、実のところ「半信半疑」というしかありませんが、なんだか面白そうなので、少し調べて見ることにしました。

まず最初に、自分がいままで読んできた日本の小説の中で、怪談というか、怪奇幻想風な小説で強烈な印象を受けたものを思いつくままに上げ、それを年代順に整理して、小泉八雲の「怪談」1904と比較しようという試みです。その結果は、以下のとおりです。


泉鏡花「高野聖」1900
小泉八雲「怪談」1904
夏目漱石「夢十夜」1908
柳田国男「遠野物語」1910
志賀直哉「剃刀」1910
森鴎外「百物語」1911「蛇」1911
谷崎潤一郎「人面疽」1918
芥川龍之介「妙な話」1921
内田百閒「件(くだん)」1921
内田百閒「冥途」1922
内田百閒「短夜」1922
芥川龍之介「死後」1925
柳田国男「山の人生」1925


きっと、重要な作品なら、この他にもまだまだたくさんあると思いますが、しかし、ここにあげた小説からだけでも、自分が言いたかった小泉八雲の「怪談」の影響というのは、十分に窺い知ることはできます。

つまり、こんな具合です。

泉鏡花は、最初から怪奇好み・怪談への嗜好が強く、独自で「怪談会」なども主宰しているくらいですから別格と考えていい、その流れが、小泉八雲の「怪談」の影響を受けて明治の「怪談ブーム」を生み出し、それを取り込みながら(森鴎外の「百物語」「蛇」もこの流れに属します)超常現象として現在の「学校の怪談」人気にまで脈々と受け継がれてきた一方、漱石の「夢十夜」に連なる芥川龍之介の「妙な話」「死後」、内田百閒の「冥途」「短夜」の流れは、「怪奇・怪談」とはいっても、その怪奇は「自分の死」が強く関わる個人的な不安・恐怖・強迫というものを反映・昇華されたそれぞれの文学的シチュエーションの確立という、現代の色川武大にまで受け継がれる流れがあって、それは「学校の怪談」風な怪談趣味とはまったく異質なものといわなければならないと考えられます。

このように仕分けしていくと、最後に二つの作品が取り残されました。

志賀直哉「剃刀」と柳田国男「遠野物語」です。

このうち、志賀直哉「剃刀」だけは、どう考えてもそのような諸作品の「仕分け」にはそぐわない困難を感じます、それはなぜかというと、ほかの作品が、「テーマ」に依存するか、「自分個人の心情」に囚われるかのどちらかを追求しているのに、志賀直哉の「剃刀」だけは、「テーマや個人の心情」などにではなく、もっと別のものに関心と興味を示しているからだと思います。それは、あえて言えば、「語句の使い方」とか「描写」とか「文体」など小説の在り方自体、それら根源的なものへの関心、「小説」それ自体の完成へと向かうようなものであって、だから、「剃刀」という作品は、初めから「怪奇・怪談」とは無縁の小説と感じたのだと思います。

そして、もうひとつの作品、柳田国男「遠野物語」ですが、その誕生のルーツをたどれば、やはり、明治の「怪談ブーム」に行き付くことがわかります。

「遠野物語」に収録されている元々の話は、当時、早大生だった遠野出身の佐々木喜善が村に伝わる言い伝えを話したものを柳田国男が聞き書きしたのですが、佐々木喜善と柳田国男を引き合わせた仲介者が、怪談話を蒐集していた水野葉舟といわれています。このふたり、柳田国男と水野葉舟が同席して、ともに佐々木喜善が話す村に伝わる不思議な話を聞き書きして、それぞれが発表している、つまり、現在、僕たちの知っている柳田国男の「遠野物語」と同じ話を、水野葉舟も原稿化して雑誌に発表しているものが残っているというわけです、なんか、面白そうですよね。

早速、近所の図書館で水野葉舟関係の本を蔵書しているか検索してみました。

ありました、ありました、まさにドンピシャの本がありました。

国書刊行会から出版された水野葉舟著「遠野物語の周辺」(2001.11.23.1刷)という本です、さっそく借りてきました、そして、その裏表紙に、その辺の事情(「遠野物語」の成立事情)が極めて要領を得た簡潔な説明が掲げられていたので、ちょっとご紹介しますね。

「近代日本の『怪談』の先駆者としても再評価の高い作家水野葉舟は、柳田国男に佐々木喜善を引き合わせ、『遠野物語』の成立に大きな役割を果たしただけでなく、『遠野物語』が上梓される以前に、みずから、佐々木喜善から直接に聞き取っていた遠野の物語を発表していた。本書は、水野葉舟が残した『第二の遠野物語』ともいうべき怪談と、遠野にまつわる小説・随筆等31篇を初めて集大成した。『遠野物語』成立に関わるこれらの重要な作品群は、遠野の民俗譚が、水野葉舟や佐々木喜善、柳田国男にとって、いかなる意味を持っていたかを明らかにする。」

なるほど、こういう要約を読むと、誰もが同じ思いに駆られてしまうと思うのですが、二人が同時に同じ話を聞き取って原稿化したのなら、その話をそれぞれがどのように受け取ったのか、同じ話を並べて比較してみたいという誘惑を強く感じました。

そうすれば、おそらく、怪談蒐集家・水野葉舟が目指したものと、柳田国男が「遠野物語」を執筆するにあたって目指したものが、おのずから明らかになるのではないかと思った次第です。

チョイスした話は、柳田国男の「遠野物語」で「九九」として掲載されたもので、目次には「魂の行方」と表示されているエピソードです。

内容は、かつて津波で妻を亡くした男が、夜道を歩いていると、死んだはずの妻にばったり出会う。思わず、声をかけた、という話です。

まずは、水野葉舟の方から紹介しますね。

★水野葉舟「遠野物語の周辺」(134ページ~135ページ)より
<明治29年の三陸の津波の時だった。
私の叔父が海岸の方に3人の子供と細君とでいたが、その津波にさらわれた。
叔父はようやくのことで、ひとりの子を連れて、逃げて水から出ていた木につかまっていた。
そのうちに水がまったく引いてみると、自分の身体は、鎮守の森の樹の頂きにつかまっていた。
そこからようよう降りて、命は助かったが、細君と二人の子供は、ついにさらわれてしまった。
しばらくして騒ぎが収まったころだった。
海岸に小屋掛けをして暮らしているうちに、ある晩、便所に行った。
田舎の便所は、母屋から離れて外にあるので、家を出ていくと、その晩は、非常に月が澄んだ晩だった。
すると向こうの方から、男と女がすたすた歩いてくる。近づいてくるのを見ると、女の方は死んだ細君だった。
それで、「お前は今どこにいるのだ」ときくと、女はにやにや笑いながら来た方を指さし、「私は今あっちで、この男と夫婦になっています」と言って、夫にかまわずどんどん山の方に行き出した。叔父は、細君が「その男」とずっと昔から恋仲だったことを知っていたので、なおも細君のあとを追っていった。
男と女は、さらに、どんどん山の方に向かっていくので、叔父も後を追ったが、ついに峠の道の曲がり角で姿を見失ってしまった。
叔父は、路傍の石に腰を掛けて朝まで嘆き悲しんでいた。
朝になって通りがかりの人が叔父を見つけて連れて帰った。
叔父はそれから長いこと病みついた。(明治42年8月)>


★柳田国男「遠野物語」
九九(魂の行方)
<土淵村の助役北川清という人の家は字火石(ひいし)にあり。
代々の山臥(やまぶし)にて祖父は正福院といい、学者にて著作多く、村のために尽したる人なり。
清の弟に福二という人は海岸の田の浜へ婿(むこ)に行きたるが、先年の大海嘯(おおつなみ)に遭いて妻と子とを失い、生き残りたる二人の子とともに元(もと)の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。
夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたるところにありて行く道も浪(なみ)の打つ渚(なぎさ)なり。
霧の布(し)きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正(まさ)しく亡くなりしわが妻なり。
思わずその跡をつけて、遥々(はるばる)と船越(ふなこし)村の方へ行く崎の洞(ほこら)あるところまで追い行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑いたり。
男はとみればこれも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。
自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。
今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は可愛(かわい)くはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。
死したる人と物いうとは思われずして、悲しく情なくなりたれば足元(あしもと)を見てありし間に、男女は再び足早にそこを立ち退(の)きて、小浦(おうら)へ行く道の山陰(やまかげ)を廻(めぐ)り見えずなりたり。
追いかけて見たりしがふと死したる者なりしと心づき、夜明けまで道中(みちなか)に立ちて考え、朝になりて帰りたり。
その後久しく煩(わずらい)たりといえり。>



水野葉舟の聞き書きのなかには存在せず、柳田国男の「遠野物語」の方に存在する部分といえば、このクダリです、

「自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。
今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は可愛くはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。
死したる人と物いうとは思われずして、悲しく情なくなりたれば足元を見てありし間に、男女は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰を廻り見えずなりたり。」

自分が婿入りする以前からずっと思い合っていたという男とともに眼前に現れた妻に、夫は、ささやかな嫉妬に駆られながら思わず「子供は可愛くはないのか」となじり、夫から問い詰められた妻の霊は、この世に残したわが子を思いやり未練を残してさめざめと泣く、この母子の情を描いた部分だけで、もはや、水野葉舟の単なる「怪談話」を超えていて、現世に未練でつながる情感によって、単なる「幽霊」ではなく、いまとなってはたとえ変わり果てた姿になっているとしても、どこまでも人間の「情感」をとどめる存在であることを描いています。この題材によって、溝口健二だったなら、どんなにか美しい映画を撮てるだろうかと思わず妄想してしまいました。自分は、この小文を書きながら、実は、日本において、すでに「遠野物語」が映画化されていることを始めて知りました。

さっそくWikiで「あらすじ」を検索してみました。そこには、こんなふうに書かれていました。
「明治三十七年、岩手県南部、遠野郷。土地の豪農、佐々木家の一人娘・小夜が十六歳の誕生日を迎え、寺ではオシラサマの祭りが執り行われた。帰途、玉依御前と契った日月の白馬が吊され殺されたという満開の桜の巨木の下で、小夜はオシラサマの伝説に思いを致す。その夜、兵役を終えた菊地家の武夫は、佐々木家に挨拶に訪れ、厩舎にいた美しい白馬に魅せられる。約束通り帰ってきてくれた、と小夜は武夫の無事を喜ぶが、武夫は無言で去っていく。ほどなくして白馬の世話をする馬小作として佐々木家で働き始めた武夫に、小夜は思いを伝えるが、「もう住む世界が違う」と言われてしまう。菊地家は、かつては佐々木家と並び称された名家で、武夫と小夜は許嫁の約束をしていたが、武夫の父が事業に失敗し没落、二人の縁談も過去の話となってしまっていた。日露戦争が激化し、村の青年達も召集されてゆく中、お互いの変わらぬ強い思いを確認し合った武夫と小夜だったが、武夫は全てを振り切るように姿を消す。やがて、小夜の元に武夫から美しい着物が届けられ、武夫の出征を知った小夜は、オシラサマの前で髪を切り、いつまでも武夫を待つと両親に告げる。そして嵐の夜、純白の軍服を着た武夫が白馬に乗って小夜を迎えにくる。白馬は無数の鬼火の中を駆け抜け、二人を明王堂へと運ぶ。」
なるほど、なるほど、日本文化の伝統も日本映画の伝統も受け継ぐチカラも意欲もない日本映画の非力さを、あらためて思い知らされました。「遠野物語」という輝かしいタイトルを、こんなつまらない映画に被せて、さらに内容まで愚劣に歪曲して費消・無駄遣いするなよと言いたいくらいの憤りをおぼえます。
監督はというと、はは~ん、村野鐵太郎ですか、まあ、それなら能力不足は仕方ないところかと、諦めるしかありませんね。

最後に、「遠野物語」の中で、自分がもっとも好きな話を貼っておきますね。

日頃から嫁と姑の仲が悪いことに気を病んでいた息子が、あるとき「母は生かしておかぬ、今日こそは殺してやる」と言い出して突然、大きな草苅鎌を研ぎはじめる、尋常でない息子の様子を恐れた母が詫びても息子は一切聞き入れず、不意を襲って老母の背後から大きな草苅鎌で切りかかるという血みどろの修羅場が迫真の描写で描かれています。以下参照。


一一 この女というは母一人子一人の家なりしに、嫁と姑との仲悪しくなり、嫁はしばしば親里へ行きて帰り来ざることあり。
その日は嫁は家にありて打ち臥しておりしに、昼のころになり突然と倅のいうには、ガガはとても生かしては置かれぬ、今日はきっと殺すべしとて、大なる草苅鎌を取り出し、ごしごしと磨ぎ始めたり。
そのありさまさらに戯言とも見えざれば、母はさまざまに事を分けて詫びたれども少しも聴かず。
嫁も起き出でて泣きながら諫めたれど、露従う色もなく、やがて母が遁れ出でんとする様子あるを見て、前後の戸口をことごとく鎖したり。
便用に行きたしといえば、おのれみずから外より便器を持ち来たりてこれへせよという。
夕方にもなりしかば母もついにあきらめて、大なる囲炉裡の側にうずくまりただ泣きていたり。
倅はよくよく磨ぎたる大鎌を手にして近より来たり、まず左の肩口を目がけて薙ぐようにすれば、鎌の刃先炉の上の火棚に引っかかりてよく斬れず。
その時に母は深山の奥にて弥之助が聞きつけしようなる叫び声を立てたり。
二度目には右の肩より切り下さげたるが、これにてもなお死絶えずしてあるところへ、里人ら驚きて馳せつけ倅を取とり抑おさえ直に警察官を呼びて渡したり。
警官がまだ棒を持ちてある時代のことなり。
母親は男が捕とらえられ引き立てられて行くを見て、滝のように血の流るる中より、おのれは恨みも抱かずに死ぬるなれば、孫四郎は宥したまわれという。
これを聞きて心を動かさぬ者はなかりき。
孫四郎は途中にてもその鎌を振り上げて巡査を追い廻しなどせしが、狂人なりとて放免せられて家に帰り、今も生きて里にあり。
○ガガは方言にて母ということなり。


ここに描かれているのは、「姑の嫁いびり」とか「息子の嫁への愛」とか「母親が自分の家庭を壊そうとしている息子の苛立ちと憤激」とか、どの家庭においても長年の共同生活において蓄積され必ず滓のように生み出されていく軋轢と鬱屈、その抑えに抑えていた鬱積の果てに噴出する狂気のような凄絶な「逆上」の姿です。

それが、結果として一家離散くらいで終わるか、肉親が互いに殺し合う殺害にまで至らなければ収まりのつかない狂気のかたちをとるかはともかく、「怪談話」においては、その辺のいきさつが端折られたうえの怪奇現象のみが強調されてしまう「影の部分」としての、それら庶民の心情の過程・凄惨な清算への情動こそに日本人特有の土俗の繊細な真実が潜んでいるように思えて仕方ありません。

この、殺意にいたるほどの突然の「怒りの逆上」を、単なる狂気とみて退けることがどうしてもできない自分は、戸惑いの中で、突然、小泉八雲の「雪おんな」の一節を思い出しました。

若き木こりの巳之吉は、老人との仕事の帰りに猛烈な吹雪にあい小屋にのがれる。いつの間にか眠ってしまった巳之吉が目を覚ますと、目の前で雪女が連れの老人に白い息を吹きかけて殺すところを見てしまう。雪女は物凄い形相でうめくようにいう、お前も殺そうと思ったが、若いから可哀そうになった、だから殺さないでやる、しかし、このことは誰にも話してはならぬ、もし約束をたがえて誰かに話したら、そのときは殺してしまうぞと言い残して去る。

その翌年、巳之吉は、美しい娘・お雪と出会う。気立てのいい娘でたちまち恋におちた巳之吉は娘と夫婦になる。なにごともなく月日がすぎてて10人の子供にも恵まれ、二人だけで過ごす穏やかなある夜、いつまでも美しいお雪を眺めながら、巳之吉は満ち足りた気分の中でふともらす。
「なあ、おまえがそうやって顔に灯りを受けながら、仕事をしているところを見ていると、おれは、18の年に会った不思議な出来事を思い出すよ。おれはそのとき、ちょうど今のおまえのような器量のいい色の白い女を見たのだ。その女は、実際、お前にそっくりだったよ」
お雪は、針仕事から目を離さずに答えます。
「その方のお話をしてくださいな。あなた、どこで、その方をご覧になりましたの」
そこで巳之吉は、むかし森の小屋で明かしたあの恐ろしかった一夜のこと、かの白い女がにっこりと笑いながら、自分の上に身をかがめてきたこと、それから、茂作爺さんがなにも言わずに死んでしまったことなどを、お雪に話して聞かせた。そして、そのあとにこう付け加えた。
「じっさい、おれは、夢にもうつつにも、あんなにお前によく似た女を見たのは、後にも先にもあの時だけだった。むろん、その女は、人間ではなかった。おれはその女が怖くてな。怖かったが、しかし、色は抜けるほど白い女だった。じっさい、おれはあのとき夢を見たのか、それとも雪女を見たのか、いまだにはっきり分からない」
お雪は何を思ったか、いきなり針仕事をそこに投げ出すと、ついと立ち上がって、そばに坐っている巳之吉の上へのしかかるようにして、夫の顔へ鋭い叫び声を浴びせかけた。
「それは私じゃ。この私じゃ。お雪じゃ。あのとき、貴様がひとことでも喋れば命を取ると、かたがた言うておいたのを忘れはすまいの。じゃがな、あすこに寝ている子供たちのことを思えば、この期に及んで、そなたの命を奪おうとは、もはや思わぬ。このうえは、せめて子供を大切に、大事に育てて下され。それがせめてもの私の願いじゃ。子供にもしも憂き目を見せるようなことがあれば、その報いは、きっとこの私がしますぞえ」

こう叫んでいるうちに、お雪の声は、次第に風の響きのように細くなっていき、やがて、その姿は白くきらめく霧となって、屋根の棟木の方へ昇っていくと見るまに、引き窓から、震えるがごとくに消え去って行ってしまった。それぎり、お雪の姿は、再び見ることが出来なかったのである。


このお雪の、怒りを噴出させる突然の豹変の場面に、自分は、虚言や陰口を憎む古来からの日本人の誠実にして正義の直情を見るような気がしてなりませんでした。


「酷評」から「絶賛」への潮目、大谷翔平とベイブ・ルース

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数か月まえから、突如、エンゼルスの二刀流・大谷翔平が、ホームランと奪三振を量産しだしてオールスター戦にも選ばれ、まさに今年前半は「MVP」に相応しい目を見張るような活躍をしています。しかもそのオールスター戦では勝利投手となり、またたく間に「アメリカン・ドリーム」の体現者(ヒーロー)と持ち上げられる成り行きを見ていると、確かに驚くべきものがありますが、当の大谷翔平自身はというと、廻りの環境の変化にも一向に動じることなく、平常心を保って淡々とプレイしている姿が、とても印象的です。

だからなおさら感じるのかもしれませんが、大谷のプレイ以外の神対応(ファンサービスとかマナーとか)を報じるアメリカ・メディアの変わり身の早さ、その奇妙な「手のひら返し」の豹変ぶり(酷評から絶賛へ)は、ちょっと以前の「冷ややかさ」を知っている者にとって、やはり苦笑しないわけにはいられません。

大谷選手のエンゼルス入団当初から、次の年の手術を経て、そして臨んだ今シーズンの始めの頃まで、アメリカの評論家ばかりでなく野球関係者の大方は(アメリカに迎合するいかがわしい日本の野球解説者の見当違いなクチパク連中も)「二刀流」に対して一貫して懐疑的で、「日本のプロ野球ならともかく、メジャーリーグでの投打の二刀流なんて実現不可能、できるわけないだろう(大リーグをなめてんじゃねえぞ)」みたいな嘲笑的な論調がずっと尾を引いていて、その傾向は「かなり支配的」だったと思います。

やはりそこには、入団を決定する際のポスティングでヤンキースやレッドソックスをすげなく門前払いした大谷側の冷ややかな態度をいつまでも根に持ち、その意趣返しのような拒否感がずっと尾を引いていて、もし、今年前半期の破格の活躍がなければ、高貴な東海岸の大球団の不快感に遠慮・追随する球界とメディアの「無視の空気感」は、さらに続いていたに違いありません。

いままで多くの日本人選手の目の前に札束を積み上げて屈服させて、思うがままに隷従を強いて、結局使い物にならないと分かれば、さっさとマイナーリーグに落とす(屈辱的な飼い殺しにあった井川などはまんまと選手生命を断たれました)、そうしてやりたい放題の金持ち大球団のメンツを最初から無視して、「金は要らないから、自分の要望通りに投げることと打つことを両立・専念できる地方球団を選択した」などと信じられないような綺麗ごと(これが結構、大谷の本心で、しかも真っ当だったことがあとで分かります)を並べて、西海岸のはずれにあるもはや盛りを過ぎた弱小球団エンゼルス(オレンジカウンティ・アナハイム、ここはメキシコかと錯覚するくらいの伝統ある田舎町です)と契約を結んだ大谷翔平に、金の論理をすげなく一蹴された大都市ニューヨークやボストンが「恥をかかされた」と不快感をあらわにしたのも、あるいは無理からぬことだったかもしれません。

そもそも、使い捨ての前科なら、掃いて捨てるほどある金持ち大球団なのですから、暗に大谷がまさにそのことを忌避して敬遠したのかと勘ぐったとしても、その想像がまんざら外れていなかっただけにニューヨークもボストンもプライドを傷つけられたような、なにかの悪意があって拒否されたのだと侮辱に受け取ったかもしれないことは、容易に想像されます。

しかし、案に相違して、そうした底意地悪い画策をぶち壊すように、そこにあったのは予想外の大谷翔平の大活躍でした、このシーズンの前半だけで、すでに松井秀喜の本塁打記録を上回ってしまったのですから、そりゃあ、コメントを求められた松井だって、どういっていいか(まさに、そのまんま、「彼こそが真の長距離バッターです」くらい言うのが精いっぱいで)とても困惑しただろうことは、無理やりコメントさせられたようなそのときの微妙に引きつった声と表情で分かります。想像ですが、松井のその「微妙」のなかには、以前、ヤンキースから大谷の獲得に影響力を期待されながら、それに十分応えられなかったという不甲斐ない過去が大きく圧し掛かっていたことは容易に見てとれました。

そうそう、マリナーズとの試合直前、大谷選手がわざわざ挨拶に出向いたイチローの対応にも目を疑うように嫌なもの、変にちゃかしたイチローの人間性を疑う下卑た一面を見せつけられ、うんざりさせられました。ああいうところを見せられると、たかがミートが巧みなだけの狡猾な悪ずれした金の匂いを敏感に嗅ぎつけることだけは変に長けた下卑た三流選手にしか見えません。まあ、むかしから守銭奴で嫌にずる賢いところがありました、せいぜいアメリカで長生きして自分のためだけに小銭稼ぎに励んでろこのど間抜けという感じですかね。もう日本に帰ってくんな馬鹿野郎、なにもそんなに悪く言わなくてもいいじゃないか。

しかし、現実のはなし、エンゼルスばかりでなく、ここ十年のメジャーリーグ全体の低迷は、とても厳しく、なにしろ、これといったヒーローもいなくて緊張感を欠いた間延びした試合ばかりで(日本も同じです)、とにかくダサくてマンネリ化していて、ただただ退屈なだけと嫌気・敬遠されて、ほかのスポーツに完全に食われてしまって人気もガタ落ち(LAでは、野球人気は7番目だといわれています)、メジャーリーグの客離れはどんどん加速していて全然客足が伸びない、さらにコロナの追い打ちもあって、各球団の台所事情は相当に苦しかったはずだったと思います、そこに登場したのが二刀流・大谷翔平の快進撃で、最近のyou tubeを見ると、大谷効果による観客動員で観客数は激増、そして、連日のように放つホームランと奪三振とで、いままでついぞ見たこともなかったような熱狂を球場にもたらしています、それはアナハイム・エンゼルス球場だけでなく、大谷効果はメジャーリーグ全体に波及していることは明らかで、その事情の変化には実に驚かされるものがあるのですが、その高揚を巧みに捉えて、MLBもメディアも、「変わり身の早さ」「手のひら返し」「豹変」などと、どのような言われ方をされようが、低迷と危機感に苦しんだメジャーリーグを思えば、干天の慈雨のような突然の大谷翔平人気に恥も外聞もなく取りすがる「酷評から絶賛へ」もなんだか理解できるような気がします。

そして、その大谷翔平の目覚ましい投打の活躍がニュースで華やかに報じられるたびに、必ずセットでとり上げられるのが、かつての傑出した記録を球史に残した二刀流の元祖・ベイブ・ルースとの比較です。でも、もし、こうした状況で、大谷がニューヨークかボストンのいずれかのチームに所属して、この昂揚を迎えたとしたら、「バンビーノの呪い」とかなんとかが絡んできて、また面倒くさいことになっていたに違いありません。

そうそう、余談ですが、むかし、就職ができなくて、しばらくフリーでぶらついていた時期に付き合っていた彼女というのがベイブ・ルースそっくりの個性豊かなお嬢さんでした、なので、ベイブ・ルースの話題になると、どうしてもあの彼女のことが思い出されてなりません。

とても他人ごととは思えないのです。あの彼女、いつの間にか二股をかけていたどこかの正社員の中年男とできてしまい、結局自分が振られたかたちで終わってしまいましたが、あとから考えると、自分にもいけないところがあったのだと反省しています、彼女に対する「まさかね」という気の緩みが常に態度とかに出ていて、あの彼女の浮気も、もしかしたら失礼な自分に当て付けた彼女の人間宣言だったのかもしれないなと最近、この「大谷翔平⇔ベイブ・ルース」の話題がでるたびに、思い出すことがあります、そんなときはただベイブ・ルースのポートレートをじっと眺めやり、「私を・捨てた・女」=彼女のことをぼんやりと思いめぐらせたりしています。

あっ、いえいえ、自分は「バンビーノの呪い」について、ベイブ・ルースをめぐるボストンとニューヨークの歴史的な確執・反目について書こうとしていたところ、つい話が横道に逸れてしまいました。こういうことではいけません、話をもとに戻しますね。

ボストンの気位の高さを示す逸話というのをご紹介したかったのでした。

ほら、よくいうじゃないですか、ニューヨークが「人種のるつぼ」というなら、ボストンはいわば「階級意識の町」だって。とにかく、市のトップには、伝統ある貴族的な上流階級がでんと構えていて、社会的、政治的権力をほしいままにしている。この根深い選民意識があるから、他人の(はっきり言えば「しもじもの」ということになります)風下に立つなどまっぴらだという俗物根性が、人一倍強いときています。

あのアメリカのカリスマ的な大統領ジョン・F・ケネディは、ボストンの出身で、父親は億万長者で元駐英大使だったし、ボストン市長だった祖父は、1912年のワールドシリーズで始球式を務めているくらいの人だったのですが、ところが、そんなケネディ一族も、ボストンでは「二流」とみなされていて、その理由といえば、先祖が、メイフラワー号に乗ってこなかったからだといわれています。

カボート一族やロッジ一族など、ボストンの伝統ある商家の祖先は、メイフラワー号で荒れ狂う大西洋を横断し、新天地アメリカに初の植民地を築き上げたこと、この国を築き上げてきたのは自分たちだという誇り高い矜持をもっています。そのボストンから見れば、ニューヨークなど、得体のしれない貧しい食い詰め者たちの寄せ集まり、荒廃した吹き溜まりのただのスラムにしか見えない。まさかそんな社会の掃きだめに引けをとるなど、考えただけでもぞっとする、我慢がならないというわけです。

そういう階級意識を浮き彫りにした有名な言い回しがあります。

「ケネディ家はロッジ家に頭を下げ、ロッジ家はカボート家に頭を下げ、カボート家は神に頭を下げる」

つまり、大統領が頭を下げなければならないような名家なら、ボストンにはゴマンとあるというわけです。

そのボストンの野球チーム・レッドソックスのオーナーだったハリー・フレンジーが、1920年、ほかでやっていた事業の資金に窮し、運営資金を工面するために、当時のレッドソックスの強力な若き左腕投手だったベイブ・ルース(愛称バンビーノ)をニューヨーク・ヤンキースに売り渡したという出来事から、この「呪い」の話はスタートします。

「レッドソックスのファンにとって、これほど屈辱的な裏切りはなかった」と語り継がれた最初の出来事でした。やがて、ベイブ・ルースは、メジャーリーグ史上もっとも偉大な選手として成長し、球界はヤンキースの独壇場と化していきました。アメリカンリーグのプレイオフを勝ち抜くこと実に39回、ワールドシリーズは26回制覇しています。それに引き換え、ボストン・レッドソックスはMLBの王者決定戦であるワールドシリーズの第1回(1903年のワールドシリーズ)で優勝した強豪チームでありながら、1918年以降は2004年に至るまでの86年間ワールドシリーズを制覇できませんでした。バンビーノの呪いは、これを1918年にトレードで放出された主力花形選手のバンビーノことベーブ・ルースの呪いによるものだとされたジンクスでした。

しかし、ここにきて、というのは、つまり大谷翔平選手のオールスター戦出場以降、you tubeに今までとはちょっとトーンの違う動画がアップされてたので注目しました。

題して「大谷は、ベイブ・ルースと比較にもならない」コリン・カワードが大谷を語る!という動画です。

ちなみに、コリン・カワードという人は、ラスベガステレビ局KVBCのスポーツディレクターやほかのいくつかの局のスポーツアンカーとして放送キャリアをつとめた有名なスポーツパーソナリティなのだそうです。

このタイトル、舌足らずで誤解されかねない微妙な和訳なので、少し補足すると、

「大谷翔平は、ベイブ・ルースなんかより比較にならないくらい凄い」

というのでしょうが、さすがに東海岸に遠慮して「ベイブ・ルースなんかより」とまでは書けなかったとみえて、やや腰が引けた分だけ断言を避けた微妙な曖昧さが残ったのだと考えられます。

しかし、それにしてもこのタイトルだって、相当に凄いです、いままでかつて見たこともなかったような挑発的なタイトルだと思います。

内容は、ベイブ・ルースが記録を打ち立てた当時の選手たちの「質」について、現在と比較しながら詳細に記述しています。つまり、ベイブ・ルースを全否定したうえで、大谷翔平への支持を表明している画期的な動画だと思います。
その部分をちょっと引用して見ますね。


「ベイブ・ルースは、すでに、おとぎ話の中にしか存在していない。
古い考えしか持ってない人には悪いが、これは事実だ。
ベイブ・ルースについて、あなたは正確に知っていると言えるか?
実は、彼のことを多くの人が勘違いしている。
彼はボストンのレッドソックスでピッチャーとしてキャリアをスタートさせた。
彼は試合を支配していた。ベイブ・ルースは支配をコントロールできるピッチャーだった。だけど、レッドソックス在籍中に打ったホームランに関しては、6年間でたったの4本だった。1シーズンあたり8本程度の計算だ。彼はピッチャーとしては、結果を残したが、バターとしては普通だった。デッドボール時代(飛ばないボール)だからだ。年間で8本のホームランという事実に対しては、幾つかデッドボール(飛ばないボール)を用意しないと、同じ条件での比較はできないだろう。棺桶から持ってくるか? 彼らは墓地に寄ってから球場に行く必要があった。どれだけ手が加えられたのか分からない。それから、ニューヨークへ行ったが、ベイブ・ルースはピッチングをしなくなったんだ。知らなかっただろう?
ヤンキースでは、2試合に先発しただけだ。初年度では、4イニングしか投げていない。
次の年は、9イニングだけだ。ニューヨークでのピッチングはこれだけだ。
ボストンでは、彼はその力によって、エースピッチャーだったけど、しかし、それは十分な力じゃなかった。だからニューヨークに行ってからは打撃に専念した。
断っておくが、バッティングに関しては、素晴らしかったよ。
大谷翔平は、この両方を世界のスター相手に同時にやっているんだ。世界的に最高の選手相手にだ。今のスポーツでは、スペシャリストが存在する。みんな、これを知っておいてくれ。
まず、ベイブ・ルースは、6.2フィート(188㎝)で小太り、見た目は大男だ。対して、大谷翔平は、6.4フィート(193㎝)だ。今朝、エンゼルスの40名掲載の選手名簿で確認したんだが、彼はチームで5番目に背が高い。ベイブ・ルースは、当時のスポーツ界においては、群を抜いて大きかった。
ベイブ・ルースは、一流の抑えのピッチャーと対戦したことはなかった。彼は、カットボールを見たこともないし、世界的に才能を持った選手、役割が特化したスペシャリスト、4人の抑えのピッチャーと1試合で対峙することもなかった。
大谷翔平は、時には、球速が150キロを超えるような4人の異なるピッチャーを相手にしなければならない。
彼は、チームのエースピッチャーであると同時にホームラン王だ。
また、1シーズンで20本以上のホームランを打ち、なおかつ、80奪三振を奪える唯一の選手だ。
最近の野球を見ていますか。
いまのメジャーリーガーは、みんな、ただ者ではない。
役割を細分化し、特化させるという驚くべき考え方だ。ベイブ・ルースの時代は、中継ぎや抑えのピッチャーなんかいなかったんだ。現在は、すべてが専門化され、特化している。大谷翔平は、中継ぎ専門、抑え専門のピッチャーと戦わなくてはならない。彼は、中4日でピッチングマウンドにあがり、バッターボックスにも入る。これが、彼の仕事だ。
ベイブ・ルースが相手にしていたのは、配管工や、サンドイッチ屋の親父、左官工が本職の選手だ。
もし、彼らが仕事で試合に出られないときは、機械工が代わりに相手になる。
当時は、本職が別にある野球選手が多くて、みんな、家業をこなしたあと、くたくたに疲れた状態で球場入りした。
大谷翔平は、世界でも屈指の一流選手を相手にしなければならない。ピッチャーとバッターの二刀流で、抑えの投手と交代する7回まで投げる必要がある。
そして、彼は同時に、そんな世界一流の選手たちをねじ伏せている。
いまでは、すべての投手がものすごい球速を誇る。大谷は、そんな投手たちを相手に、彼らを翻弄する。そして、490フィートもの飛距離で打ち返すことが出来る。彼は信じられない才能を持っている。
ベイブ・ルースが残した古臭い数字だけを持ち出して比較すること自体、意味がなく、現在の大谷翔平が、いまや実質的にベイブ・ルースを超えていることは明らかで、彼の活躍のすべての瞬間は注目するに値するものだ。
われわれを襲った新型コロナの厄災以前、あるいはアメリカ全土に人種間の分断と抗争を受けて、すでに退潮期にあったメジャーリーグ人気をここまで盛り返した大谷翔平の功績をMLBは正当に評価し、100年に1度の好機と捉え、いまこそ大谷翔平のマーケティングを強化すべきときだ。
ちなみに、今回の僕のキャッチフレーズ「大谷翔平は、ベイブ・ルースなんかより比較にならないくらい凄い」は、誰でも自由に使ってもらって構わない。
これを聞いて怒る人もなかには、いるかもしれない、「おれの土地から出て行け!」とね。
でも、そんな古い人のことは、気にする必要はない。彼らはなにも受け入れない、もし、誰かを大谷翔平に夢中にさせたいのなら、今夜、彼の試合を見せるだけでいい、彼のような存在は、私の人生において、ほかにはいない。こんに信じられない才能を持っているのは彼だけだ。」


なるほど、なるほど、当時と現在とでは比較にならないというのは、数字的には、その通りだと思います。

記録が、どんどん更新されていくのは、とても偉大で大変なことですしね。

でも、記録を更新する選手たちにとって、乗り越えていくべき「かつての記録」や「記録を残した人」をそんなふうに単に乗り越えるべきもの、乗り越えてしまったら忘れてしまえるようなものと見ているのかどうか、疑問としてやはり残ります。

それはMBLの繁栄を商売として願っている球団のオーナーや職員、また、報道で暮らしを立てているメディア関係者とかが思い願う視点でなら、あるいはそうかもしれません。

でもそれは、少なくとも大谷選手の視点などではないし、彼の活躍に熱狂する多くの観客の視点でもないはずです。

コリン・カワードもこのyou tubeの中で言っていますが、現代の野球をつまらなくしてしまったのは、勝つために役割を細かく特化したその卑弱な細分化にあります、例えば中継ぎとか抑えとか、ピンチランナーとか、バント専門の選手とか、投球制限とか、本来、ワイルドで荒々しいスポーツであったはずの粗削りな野球をただ勝つための小細工を弄するだけの汗もかかない紳士的でスマートなスポーツに放棄・堕落させてしまったことが、観客を遠ざけてしまったのではないかと思います。

ベイブ・ルースが愛されたのは、おそらく、残された100年前の記録によってなんかではない。

本来なら野球という荒々しいゲームを十分に楽しむために力の限り走って投げて打つことのできるパワフルな体力と能力を兼ね備えること、その夢として超人的な体力・そして荒々しさ=「ベイブ・ルース」という存在が、多くのアメリカ人の意識下に野球のイメージとして持っていたのに、そんなものはアメリカにはどこにもなく、相手にもされない、そんな現代においてはアナクロニズムとしか思えないような反時代的な挑戦(二刀流)を掲げて極東の島国からやって来た若き東洋人に、最初は訝しく警戒し、その活躍を見て徐々に野球というものの「本来」に気づかされ、そしていま、これだけの熱狂(自分たちが失ってしまったゲームの楽しさを取り戻したという認識)につながったのだと思います。

アメリカにおいては、ただの神話でしかなかったホコリまみれの「ベイブ・ルース」を、目指すべき理想の選手として追いかけてきた大谷翔平選手への、多くのアメリカ人の心を揺さぶりリスペクトさせている根本にあるものだろうな、という気がします。
ですので、コリン・カワード氏が提案されている惹句を借りれば、
「大谷翔平は、ついにベイブ・ルースへのリスペクトを肉体化した」
みたいな感じでしょうか、自分的には。


ごまかしやのしっぱい

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パソコンの立ち上がりが遅くて、待っている時間が半端じゃないので、だんだん億劫になり、いつの間にかパソコンの前に坐ることが、少なくなってしまいました。

ですので、ここのところ映画を見るのも、もっぱらテレビで、ということになりました。

なにしろテレビは、リモコンボタンを押すだけでソク画面がでてくるという手軽さです、ただ、テレビは放映時間の制約とかに拘束されるので、生活スケジュールのほうを放映時間に無理矢理合わせる必要があり、鑑賞の途中で急用ができたときなど中座しなければならなくなったりして、かえってストレスを抱え込んでしまうという欠点もあり、まあ、立ち上がりの簡便をとるか、オンデマンドの融通性をとるかという、そのへんはたいへん迷ってしまうところですが、やはり、結局は双方のいいとこを活かしていくしかないのだろうなと達観しています。

これまでだって、鑑賞の途中で急用のために中座して前半しか見られなかった映画の後半をwowowのオンデマンド配信で補完して見ていたわけですから、なにもわざわざ「達観」などと大袈裟なことをいわなくても、だいたいそれらしいことは、以前から実行していたわけですし。

それにしても、やはりインターネットは凄いなと、改めて実感し、その利点を大いに活用させてもらっているというわけです。

こんな感じで少し前なら全然見ずに疎遠になっていたテレビと、年中張り付いていたはずのパソコンの優先順位が、自分の生活習慣の微妙な変化(映画鑑賞が生活の主体なので、どうしてもこうなってしまいます)によって徐々に入れ替わりつつあります。

もっともこの先のことは、どうなるのかは分かりません。

しかし、その生活スタイルの変化の影響は、微妙なところに表れました。

かつてパソコンの前に坐った際には、必ずおこなっていた幾つかのルーティンが崩れたことがあげられます。そのいちばんといえば、割とこまめにやっていたメールのチェックで、気が付くのが遅れたりすると、返信の必要なメールの対応が遅れ、知人にすこし迷惑をかけてしまったことがありました。

それ以来、スマホでもLINEのチェックついでに、合わせて見るようにしていますが、そうそう、その「迷惑をかけた」ことのひとつに、こんなことがありました、図書館からの返却督促メール(貸出期限がきれた本の返却催促)のチェック漏れというのがありました。

多くの場合は、気が付いて「あっ、そうそう、忘れてた」なんて感じで慌てて返却に行くのですが、その督促された遅延本のなかの一冊だけ、返すことに瞬間躊躇してしまった本がありました、正直なところ、じつは確信犯的にわざと手元に押しとどめておいた1冊でした。

その理由について、すこし書いてみますね。

その本のタイトルは、

「ベスト・エッセイ 2020」(日本文芸家協会編)光村図書、2020.8.5.1刷、358頁、1800円、いわば2020年に新聞や各種の定期刊行物に掲載された、いずれも短文のエッセイ77本を集めたというアンソロジー本です。

光村図書という出版社名は、よく教科書などで見掛けた記憶があります。

ただ、この本には特別な「まえがき」というものが付されていないので、収録されたエッセイがどういう基準で取捨選択されたのかまではわかりませんが、編集委員として角田光代、林真理子、藤沢周、町田康、三浦しをんの名が挙げられているところをみると、それなりに信頼もでき、決していい加減な「基準」で選んだものでないことだけは信じてもよさそうです。

その掲載されている77本のエッセイのなかで、物凄くショックを受けた一文というのがあったのです、この本が読みたくて図書館にわざわざ予約登録して順番待ちをしている読書好きの市民の方々がいらっしゃることも図書館のHPで十分に承知していたのですが、それをもおして、あえて自分が図々しく図書館に返し渋っていた理由は、自分に衝撃をあたえたこのエッセイの存在にあり、その高揚した気持ちをなんらかの形にして(単なるコピーなんかではなく)手元に残しておきたいと思ったからでした、そうした自分の気持ちを自分のなかでうまく処理できないうちは返却さえもできないなどと思い込んでいたのかもしれません。

そこで気が付いたのが、自分のブログに掲載することでした、そうすれば、なんだかやり場のなかった自分の動揺した気持ちの落ち着き場所が得られたように感じ、胸のつかえもとれたようにも思えたのでした。


そのエッセイのタイトルは「ごまかしやのしっぱい」、筆者の町屋良平は、2019年に「1R1分34秒」で第160回芥川賞を受賞した人です。

小学生のときに忘れ物が多く、そのたびに怒られ続けたつらい思い出(叱責されつづけた子どもの委縮した心の在り様)をつづっています。

小学生のときに忘れ物をしてひどく叱られながら、それでも翌日にはふたたび忘れ物を繰り返して、さらに怒られるという傷ついた子ども時代の回想が痛切に描かれています。

忘れ物をしないように細かく気を配ったり、注意深く準備することがとても不得手な自分の性癖をどうすることもできないまま、ふたたび忘れ物をして怒られ続ける、そのことが、たまらなく苦痛で、どうにかごまかして苦痛に耐えて生きていこうとした「子どもの繊細な気持ち」を痛切に描いた傑出した珠玉のエッセイだと感動しました。

まるで「どうしてお前は、いつまでたってもそうなんだ!」という叱声の声がいまにも耳元で聞こえてきそうな迫力を感じました。
実は、自分もここに描かれている子どもと同じような哀れな小学生時代を過ごしました。

いつまでも集団生活に馴染めず、つねにおどおどしていて目立つことを極力おそれ、注意力も散漫で、だから絶えず忘れ物をする、成績もかんばしくないという小学生時代でした。

だからこのエッセイに限りなく惹きつけられたのかもしれません。

あえてひとつだけ言わせてもらえば、子どもの頃に忘れ物をして傷ついた思い出を、大人になってもその痛切な思い出をまるで傷のように抱えて生きている大人もいるのだということを子どもの自分が知ったとしたら、もうすこし楽な気持ちで生きられたかもしれないなと思いました。

非力な自分がこんなふうにいくら百万言を重ねても、このエッセイの魅力は、とうてい伝えられそうにありませんので、やはり以下に原文を貼っておこうと思います。

きっと感動すると思います。

★★★


ごまかしやのしっぱい

町屋良平


小さいときからしっぱいはおおかったが、とくに小学生のころからすごくしっぱいをするようになった。
というより小学生のときがいちばんしっぱいしていた。
とにかく忘れ物をした。
鉛筆は削らなきゃいけないし、プリントはいろいろ書いたあとでまた学校にもっていかなきゃいけないし、分度器やコンパスや書道道具や給食袋や体操服や・・・いま思い出すとまた気がくるいそうになる。
こんなにたくさん! 
毎日毎日! 
大変だろう! 
ぼくは鉛筆を削り忘れてしまったときは歯で噛んで芯を出していた。
先生には怒られたし、すごくきたない。
わかっている。
でもやめなかった。
なぜなら鉛筆を削ることを忘れてしまうからだ。
消しゴムもよく忘れたのでノートを唾で濡らして擦った。
そうすると鉛筆の字がにじんで消えた感じになるからだ。
そしてまたすごく怒られた。
ぼくは自分がすごく特別しっぱいしているとおもっていた。
小学3年生まではとくにそうおもっていた。
小学校4年生になると、だんだんわかってきた。
ぼくが楽にできることをむずいとおもうクラスメイトがいて、ぼくがむずいとおもうことを楽にできるクラスメイトがいた。
両方いる!
こうしてぼくは自分が特別しっぱいをするわけではないということがわかった。
でも、しっぱいをするこわさがへるわけではない。
そのうちぼくは、しっぱいをしてもこわくない、しっぱいをしても堂々としているクラスメイトもいることを発見した。
しっぱいをしても堂々としている!
こうしてぼくは自分がしっぱいすることにこわさや恥ずかしさを感じる性格で、そうじゃないクラスメイトもいることをわかった。
かっこいいなとおもった。
しっぱいをしても堂々としているクラスメイトはかっこいい!
ぼくは大人が怒っているときはすぐにわかったから、なるべく目だたないようにしていた。そうすれば怒られるのはだいぶ減る。
怒られるのがすごくいやだったからそうしたけれど、ぼくはそれもじつは「しっぱい」のひとつだったんじゃないかとおもっている。
そんなに周りの目を気にしないでのびのびしていたかった。
のびのぴしているひとへのあこがれがある。
だいたい、忘れ物をしたからといって怒らないでほしかった。
性格上、ぼくは怒られると緊張してまたしっぱいをする。
それでまた怒られて、しっぱいをする。
緊張するとすごくきつい。
時間がすごくながく感じられるし、ぜんぜんたのしくないし、なんだか頭もおなかもいたいし、とにかくいやだ。
緊張したくない。
怒られたくない。
怒られるともっとしっぱいしちゃうんだけど! 
そんなふうに怒ればよかった。
ちなみにこういうふうに考えるのは今も変わっていない。
ものすごく忘れものをするし、小学生のころとぜんぜん違う種類のしっぱいもする。
たとえば、ぼくはよく「気をつかう」のにしっぱいする。
「こうしておいたらあの人はよろこぶに違いない」
「こう言ったらこの人は怒るに違いない」とかいうのを、まったく間違えたりしている。
みんな心地よく生きていくために、なんとかしっぱいを減らそうとがんばっているのだけど、みんなが思う「しっぱい」はそれぞれべつのものだったりするからたいへんだ。
ときどき「しっぱいした!」とおもって急に顔がカーッと熱くなり、なんとかごまかそうとする。
このごまかそうとする性格は子どものころからずうっとそうなので、ぜんぜんなおらない。
基本的にいつも、なにかをごまかそうとしている。
つまり、しっぱいをしても堂々としているクラスメイトにあこがれたのは、しっぱいをしてもごまかさずにいたからだ。
でもぼくはだんぜんごまかす。
ごまかしすぎて、もう最初にあったものがなにで、ごまかした結果がどうなってしまったのか、わからなくなっちゃうことがある。
それでもごまかす。
これはほんとになおらない。
ごまかしぐせはなおらないのである。
そのうちにぼくは小説を書いて小説家になった。
信じてもらえるかわからないけど、小説家はごまかしや(ついごまかしちゃうひと)にむいている。
めちゃめちゃ必死になにもかもをごまかした挙げ句に、なんとすごくほんとうのことだけが残るからだ。
だから小説はうその話だとおもわれているかもしれないけど、じつはすごくほんとうの話なのだ。
すこしがんばってごまかすと、最後にはほんとうが残る。
ごまかしやは小説を書いてみるといい。
ごまかしてばかりの自分の「ほんとうのこと」がみえてきて、自分のつらい気持ちがすこしだけ楽になるのだ。


中国共産党の蛮行、媚びる日本

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前回、自分が書いたブログのタイトルは「ごまかしやのしっぱい」でした。

なにしろ小学生のころの自分は超のつく劣等生で、なにかと覚えがわるく、すべてのことが十分に理解できず、また不器用で要領も悪かったので、やること為すことすべてを失敗、それを大人たち(親と教師です)から咎められたり叱責されるのが怖くて、失敗をどうにか隠そう誤魔化そうと四苦八苦した少年時代のことを、芥川賞作家・町屋良平氏のエッセーに触発されて、懐かしく、思わず書いてしまいました。

若き新進作家の傑出した文章に触発されて書いた衝動的な文章でした。

しかし、そのように書いている最中も、このコロナ禍、世の中は実に多くの事件がおこり続け、さらに怒涛のように経過しています、あたりまえですが。

ひとつの事件はさまざまな人と状況を巻き込んで思わぬ方向に波及し、激流のように流れていくのですが、うっかりしていると、あとになって細々としたディテールなどは忘れてしまい、無味乾燥な「大きな結果」しか記憶されず、事件の枝葉の部分(実は「そこ」の方が面白かったりします)は、まるでなかったことのように忘れ去られてしまうことの方が多くて、あとになって、その微細な部分を文章に残しておけばよかったなあと後悔することが、たびたびありました。

そうですね、いまでいえば、さしずめ、現在まさに進行中の「中国の女子プロテニス・プレイヤー彭帥(ポン・シュアン)選手の消息不明事件」というところでしょうか。

これがもしドラマだったら、「仁義なき戦い」みたいな世界を巻き込んだ物凄い大河ドラマになると思います。


事件の発端は、中国の女子プロテニス・プレイヤー彭帥(ポン・シュアン)選手が、過去に中国共産党の元副首相から性的関係を強要されたとSNSに投稿したその直後に、突然消息を絶って、それを知った世界のメディアが大騒ぎになるところから始まりました。

なにしろ相手はあの凶状持ちのゴロツキ国家・中国共産党です、過去にはチベットの弾圧と侵略、あるいは大量虐殺、それにウィグル・ジェノサイド、香港民主化運動弾圧、そして来年あたりには、いよいよ台湾に侵攻したろかいと意気込んでいる緊迫した状況にあります。

実際に、狂王・習近平は「やる」と断言しているのですから、近いうちに、やるに決まってます、香港弾圧のときのことを思えば、怒涛のように突如攻勢にうって出てくるに違いありません。

しかし日本の政治家たちは、その危機感もそっちのけで、いまだ中国からたっぷり貰っていた甘々な記憶を払拭できず、岸田も林も転がり込んだポストをうまく利用して、相変わらず中国に媚をうってひと儲けしてやろうなんてスケベ根性起こし、「日本は日本独自の立場で考える」などと中国に秋波を送るというみっともない醜態をさらして世界から嘲笑されている現状です。

なに? それって、中国と組んで米英と一戦交えようかって選択なの? 

以前、日本はナチスと組んでひどい目にあったんじゃなかったっけ?

あのひとこと「日本は独自の立場で」で、とうぜん世界は、日本は中国に媚びへつらう属国に成り下がったと理解したはずです。韓国じゃあるまいしね。

誰が考えたって、そんな空気の読めない日本のシロウト政治家に、アメリカ大統領が、わざわざ時間を作って会うわけがありません、そんなことも分からないドアホとの会談を断ってくるのは、しごく当たり前のことです、大丈夫か、ニッポン!? 

まあ、ここは歴史から学習し、英米の信頼を得て、きっぱりと「北京五輪、外交ボイコット表明」か、あるいはさらに進んで「人権」をタテにとって(今のところこれが中国の最大弱点です)「さらに選手派遣の取り止めも検討している」くらいに踏み込んで表明してもよかったくらいです。「そんな危ない国に大事な選手を行かせられるか、せいぜい人質にとられるのが関の山だ」みたいにね、教訓を生かして言葉尻を捉えることこそ真の「外交」というものです。

そして、この選択こそ、世界のなかで日本が存続できる唯一の道でもあるのです。

とにかく中国共産党は、たとえまだ人間が息をしてようと自分に都合の悪いものなら見捨てて一緒に埋めて隠してしまおうかというくらいのお国柄です、拉致・監禁・拷問・抹殺なんてほんの自家薬籠中のお家芸、だから「彭帥選手監禁」なんて措置はごくフツーの政治手法にすぎなかったのに、それを軽くカマシタところ世界が予想外に騒ぎ出しビックリこいた中国共産党は、騒ぎを無視できず、思いついたのが彭帥の名前を騙って偽メールを送り付けるという、なんともみえみえの姑息なアリバイ工作(「こちらは元気です」とか「個人のプライバシーを尊重してほしいの」とか)で、しかし、それも結局、中国人の作る製品同様あまりにも稚拙粗雑な杜撰さで苦笑を誘うばかりのシロモノ、けっか疑惑をさらに大きくしてしまうという醜態をさらし続けています。

ちなみに、あの1980年モスクワ五輪を西側諸国がボイコットしたその10年後にソビエト連邦は崩壊・解体しました。

ちょっと先走ったかもしれませんが、自分がなぜこんなふうに考えたかというと、こうした中国共産党の一連の対応が、まさに自分のブログのあのタイトル「誤魔化し屋の失敗」にぴったりじゃないかと思い当たったからでした。

そして、その間にも事態は、さらに着々と動いていますが、そこでも僕たちは、いつもの中国共産党の凶暴な攻撃パターン(否定→嘘→忘れ去られるまでとぼけつづける→それでも駄目だと分かれば逆切れして逆襲に転じる)を見ることになるかもしれませんが、ただひとつ、この事件でいったいなにが問われているのかということだけは、しっかりと確認しておかなければなりません。


以下に、NBAボストン・セルティックスのEnes Kanter選手が、WSJに投稿した「Move the Olympics for Peng Shuai’s Sake」の要約を貼っておきます。


≪私たちは、もはや中国が信頼できる友人でないことに早く気づくべきだ。
中国共産党は、強欲で凶暴な独裁政権だ。
われらアスリートには、この世界をもっと自由で居心地のいい安全な場所にする使命と大きな役割がある。
いまこそ私たちは、もう道徳や人権に目をつぶって、マネーを優先することをやめるべきときにいる。
「われわれは、間違った情報を聞いていただけだ」という言い訳は、もう通用しない。
中国共産党から迫害を受け、抑圧され、拉致・監禁され、拷問を受け沈黙を強いられて抹殺されそうになった人々から中国共産党の卑劣な凶暴さを教えてもらい、連帯して立ち上がろう。
IOCを信じられるか?
IOCは、今もそうだが、かれらの資金力に操られて中国の蛮行を長年にわたって黙認し、許してきた。
IOCに北京五輪を中止させよう。
自分の大切な価値観や主義主張を中国共産党に売り渡して得た金メダルに価値などない。
いまこそ声をあげよう。
誰も私たちを黙らせることはできない。≫


オミクロン株は、新型コロナパンデミック終了のシグナルか!?

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BloombergのHPの投資記事のなかで、とても素晴らしい記事をみつけました。

その記事によると、格段と感染力の強いオミクロン株の出現は、この新型コロナパンデミックが、いよいよ終了するシグナルだと書いてあります。

つまり、この「新型コロナパンデミックが終了!!」というわけです、すごいでしょう。

オミクロン株は、感染力は猛烈に強いけれども、感染してもほとんどが軽症で済んでいて、いまのところ重傷者はでていないという記事を、自分も新聞でチラッと読みました。

つまり、これによって全世界に集団免疫ができて、このコロナ禍がいよいよ終息する、その始まりだという見解です。

こういう話を聞くと、たとえ邪気のない妄想みたいなものであったとしても、信じたくなります。

なんだか希望がわいてきて、久しぶりに嬉しくなりました。

以下に抜粋を貼っておきます。





≪オミクロンはコロナ終焉シグナルか-JPモルガンが押し目買い勧める≫
Joanna Ossinger 2021年12月2日 13:11 JST


新型コロナウイルスの新たな変異株「オミクロン」の出現による最近の市場の波乱は、経済再開と商品取引におけるトレンド反転に向けたポジションを組む好機かもしれないと、JPモルガン・チェースが指摘した。

オミクロンは感染力がこれまでの変異株よりも強い可能性がある一方、初期の報告によれば致死性は低いともみられる。

これは歴史的に観察されたウイルスの進化パターンに合致していると、ストラテジストのマルコ・コラノビッチ、ブラム・カプラン両氏が1日のリポートで指摘。

オミクロン株は新型コロナパンデミックの終焉が近いことを示唆している可能性があり、リスク資産にとって最終的にプラスとなるかもしれないと分析した。

両ストラテジストは「オミクロンはイールドカーブのフラット化ではなくスティープ化、成長株からバリュー株へのローテーション、コロナ禍とロックダウンの恩恵を受ける銘柄の売り、経済再開テーマ銘柄の値上がりのきっかけとなる可能性がある」とし、「こうしたセグメントの最近の売りは、シクリカル銘柄や商品、再開テーマの押し目買いと債券利回り上昇およびイールドカーブスティープ化を見込むポジション構築の好機だとみている」と説明した。

新変異種の出現がここ数日の市場を揺さぶっているが、オーストラリア政府のケリー首席医務官はオミクロン株が他の株と比べて致死性が高いことを示す証拠はないと述べている。

JPモルガンのストラテジストによると、これは重症度が低く感染力の強い株が、より重症度の高い株を急速に駆逐するというウイルスの過去のパターンに適合している。

従って、オミクロンは新型コロナパンデミックを季節性のインフルエンザに近いものに変容させる可能性がある。

「このシナリオが実現するならば、世界保健機関(WHO)はこれを、2文字を飛ばしたオミクロンではなく、ギリシャ文字の最後であるオメガと命名してもよかった。そうすれば習近平の顔色をうかがいながら命名に苦慮して世界に醜態をさらすこともなかっただろう」と両ストラテジストはコメントしている。


原題:JPMorgan Says Buy the Dip as Omicron May Signal Pandemic Ending(抜粋)

他の人とは違う Anders als die Andern 1919

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先週末、テレビ番組表を見ていたら、NHKのBSプレミアムで「映像の世紀」を放送するとあったので、忘れないようにカレンダーにメモしておきました、そして、その時間にしっかりチャンネルを合わせて、逃さず見ることができました、「映像の世紀」は、自分の数少ない愛聴番組のひとつです。

この「映像の世紀」、もう第21集ということで、ずいぶん続いているものだなあと、ただただ感心しています。

タイトルは、「太平洋戦争・熱狂から絶望の1346日」ということで、なるほど、なるほど、太平洋戦争開戦の日に引っ掛けた企画という訳ですね。タイムリーというのも、ちょっと変な言い方ですが。

しかし、こうして見てみると、戦時中の外国の報道機関などが撮影したフィルムに比べると、保存状態とか迫力など、どうしても日本のフィルムのほうが見劣りしてしまうのは、戦時下の日本のシステムの不備とか物資不足ということもあったでしょうが、やはり、軍部からの監視とか規制がきつくて、絵作りの工夫どころではなかったことが画面の単調さ(見張られている緊張感?)からも分かります。

それになによりも差し迫った状況下(どれも緊迫した事件の現場なわけですから)での撮影という緊張感もあったでしょうが、どの場面も「きをつけ!! カシラみぎ!!」みたいなカクカクした感じがどうしてもあり、不謹慎な言い方ですが、面白みに欠けるというのが率直な感想です。

それもまあ、仕方ありません、内容というのが、日本が憑かれたように破滅的な戦争にヒステリッリに入れ込んで、なだれを打って敗戦に向かっていく相当悲惨な戦時ドキュメントなのですから、とうぜんヤタラに重苦しくなってしまうのですが、それにしても、古いフィルムを見ることのできる機会は、とにかく貴重なので、膝を出してしっかりと見ることにしています。

それに、自分が、この「映像の世紀」を見逃さないようにしているもうひとつの理由というのがあります、当時作られためずらしい映画の1シーンが唐突に挟み込まれたりすることがあるのです。

少しまえに、これは再放送ですが、毎週月曜日の夕方に、この「映像の世紀」シリーズの一連の旧作を順次放送していて、そのなかの1本に「運命の恋人たち」という作品がありました。なかなか感動的な作品でした。

だいぶ時間が経過しているので、収録されている幾つかのエピソードを正確な順序で記憶できてないかもしれませんが、思いつくままにざっとあげると

☆人妻との禁断の恋のために英国王エドワード8世が王位を棄てた下した決断とか、
☆伝説のギャング・カップル、ボニーとクライドの逃亡と壮絶な最期(絶望のすえの自暴自棄な失踪的人生を大衆は英雄視したそのメルヘンを全否定するかのように権力はこのカップルに数百発の弾丸を撃ち込みました)
☆ナチス宣伝大臣ゲッベルスと妻マグダの仮面夫婦(ヒトラーに捧げられたマグダの秘められた愛は、自分の命と子供の命も道連れにすべてヒトラーに捧げています)とか、
☆女優グレース・ケリーとモナコ大公のシンデレラストーリー(とは裏腹の父親から拒絶された痛手から終生逃れられなかった孤独な少女グレースの悲惨な人生)とか、
こんな感じで、いろいろな愛情の形を紹介したあとで、最後に
☆エルトン・ジョンの同性愛結婚が紹介されていました、性的少数者の新たな時代を切り開いたラブストーリーというわけですね。つまり、現在、さかんに話題になっているLGBTを取り上げて、「新たな時代を切り開く」愛の形を取り上げているのですが、ここで1919年製作の1本のドイツ映画が紹介されていました。

1919年にすでにLGBTについての映画が撮られていたなんて、まずは、その先見性に驚きました。へえ~、すごいじゃないですか。


その映画「他の人とは違う Anders als die Andern」について少し調べました。以下に、貼っておきますね。

実は、そのあと、インターネットで「Anders als die Andern」(映画)と入力して検索した結果、作品そのものにヒットして、ちゃっかり映画の方も鑑賞してしまいました。

すごい時代になったものです。


(1919リチャード・オズワルド=フィルム・ベルリン)サイレント映画
監督脚本・リチャード・オズワルド、脚本・マグヌス・ヒルシュフェルト、撮影・マックス・ファスベンダー
出演
コンラッド・ヴェイト(ヴァイオリン奏者パウル・ケルナー)、
フリッツ・シュルツ(美少年クルト・シベルス)、
ラインホルト・シュンツェル (脅迫者フランツ・ボレック)、
アニタ・バーベル (クルトの姉エルゼ)、
マグヌス・ヒルシュフェルト(性医学精神科医師)、
カール・ギース(ヤング・ポール・ケルナー)、
エルンスト・ピツハウ(姉妹の夫)、
ヴィルヘルム・ディーゲルマン(シベルズの父)、
ヘルガ・モランデル(ヘルボーン夫人)、
レオ・コナード(ケルナーの父)、
イルセ・フォン・タッソ=リンド(キルナーの妹)、
アレクサンドラ・ウィレグ(ケルナーの母)、
クレメンタイン・プレスナー(シベルズの母)、

≪解説≫ ドイツ本国では公開翌年の1920年に上映禁止指定を受け、現存する50分版はシナリオとフィルム断片、スチール写真で欠損した部分を補ったもの(全体の1/3相当の部分が欠損していると思われる)。
この作品は、今日では映画史上の里程標的作品との評価(同性愛に対する最初の同情的な映画)を受けており、名高いアメリカの古典映画復刻レーベル、キノ・ヴィデオ(Kino Video)社から2003~2004にかけてリリースされた「Gay-Themed Films of The German Silent Era」シリーズ3本のうちの1本として『Different From the Others』の英題で、初DVD化された。
他の2本は、カール・Th・ドライヤー監督作品『Michael(Ger: Michael)』1924、ウィリアム・ディターレ監督作品『Sex in Chains(Ger: Geschlecht in Fesseln)』1928。
リヒャルト・オズヴァルド(1880-1963)は、1914年監督デビューし、ヒットラー政権を避けてハリウッドに逃れ1949年までに生涯114本の監督作がある。
本作は、映画史上初の同性愛者映画(男性同性愛)であり、しかも同性愛問題専門の性医学精神科医マグヌス・ヒルシュフェルトを招いて脚本を監督と共作し、映画内でも性医学者自身が本名で登場して講演会で「同性愛は精神病でも異常でもない」と説く、という本格的に同性愛の認知のための啓蒙を意図した映画であるが、カミングアウトした主人公が社会的な地位を失い自殺して終わるという悲劇。
主演はドイツのサイレント時代を代表した俳優コンラート・ファイト(1893-1943)で、オズヴァルド自身の独立プロダクション(監督デビュー5年で相当な地位をドイツ映画界で築いていた証左)による本作は、タイトル『Anders als die Andern: 175』と真っ向から現行の刑法175条の違憲性を訴えた社会派抗議映画である。
この刑法175条は、同性愛を鶏姦(肛門姦)や獣姦と同視した禁止条令で1872年に施行されて1994年に廃止されるまで機能し、この法律によって罰せられ収監された囚人たちはピンクの逆さ三角形の印のついた囚人服を着せられて禁固刑に処せられた。
この刑法はワイマール時代を経て東西ドイツ統一からさらに数年経たないと廃止されなかったほどの宗教的に強力な社会通念に支えられていたので、この挑発的な映画が公開翌年に上映禁止されたのも当然なのか、そういう面からなら日本人には到底理解不能。
この映画では、俳優のコンラート・ファイトが、映画史上でおそらく最初に同性愛の人物を演じた。
愛人から恐喝を受けたヴァイオリニストは、幾度かの脅迫に屈したのちに金銭をわたすのを続けるのをやめてカミングアウトするが、その結果、彼のキャリアは破綻し、自殺へと追いこまれるというストーリー。
監督オズヴァルド(ユダヤ系)も主演のコンラート・ファイトもハリウッド亡命者になった。
「頽廃芸術禁止」をかかげたナチス政権下では、ファイトの主演した1920年代の作品は「頽廃芸術」とされ上映禁止指定を受けた

≪ストーリー≫
映画の冒頭には刑法第175条の解説と、それが数千人の人権と運命を踏みにじってきた悪法であるかが説かれて本編が始まります。
人気名ヴァイオリン奏者パウル・ケルナー(コンラート・ファイト)はコンサートに感激して弟子入りしてきた美少年クルト(フリッツ・シュルツ)を愛しながら、世間には同性愛者であることを隠しています。
《パウルはチャイコフスキー、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、オスカー・ワイルド、ルドヴィッヒII世ら同性愛に呪われ迫害された芸術家の夢にうなされ、家族からも見合い結婚を勧められますが拒否します。》
ですが仲睦まじくクルトと腕を取り合って散歩しているのを悪党ボレック(ラインホルト・シュンツェル)に目をつけられて脅迫され、口封じのための金をくり返し要求されるようになります。
《パウルはクルトへの個人授業を避けるようになり、パウルに心酔するあまり気を病むクルトを心配した家族はクルトの姉エルゼ(アニタ・バーベル)をパウルに訪問させ、繊細で優しいエルゼはパウルを愛するようになります。》
学生時代、同寮の親友との同性愛関係が教師に発覚し、退学処分になった過去(回想で描かれます)を持つパウルは苦しみ、同性愛専門の精神科医(マグヌス・ヒルシュフェルト、本作の企画・脚本家の性医学精神科医師)の受診を受け、エルゼを伴って医師の講演会を聴講します。
同性愛者は男女問わず性の第三症候であり、それ自体は異常でも精神病でもない、と数々の実例を上げて説く医師の講演と、《パウルを理解して受け入れ、恋人にはなれなくても最愛の友人になりますと励ましてくれるエルゼ》にパウルは奮起し、脅迫者ボレックにこれ以上脅すなら訴えると迫ります。
ボレックはせせら笑い、自分を訴えるならパウルを刑法175条違反で訴え返すと脅迫しますが、覚悟の上でパウルはボレックを訴え、裁判でボレックは脅迫罪で有罪になりますが、パウルも自分自身を同性愛者と認めたことで175条違反により禁固1週間の判決が下されます。
《パウルは遂に自分が同性愛に呪われた芸術家の烙印を捺されたのに絶望し、クルトは家出して行方不明になり酒場の流しのヴァイオリニストになります。》
刑期を終えたパウルは世間からスキャンダラスな同性愛者として白眼視される存在となり、エージェントからコンサートツアーの中止と契約の破棄を伝える文書が届きます。
失意のパウルは父からの「汚名は自らの手で濯ぐべし」との絶縁の手紙を受け取り、服毒自殺を遂げます。
《パウルの葬儀に姿を現したクルトとエルゼはパウルの一族から敵視されますが、エルゼはパウルを死に追いやったのはあなたたちです、とパウルの一族を激しく糾弾します。クルトは自分もパウルの生き方を選ぶ、と姉に告げて》映画は終わります。

忘却とは忘れ去ることなり、O脚とはガニ股のことなり

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前回、NHK・BSの「映像の世紀」についての感想を書きました。

自分の書いたものを改めて読み返してみると、ちょっと変ですね。

書き出しは、なにやら直近でみた「映像の世紀 太平洋戦争・熱狂から絶望の1346日」(太平洋戦争開戦にちなんだ企画)について始めようとしているのに、突如、話は飛んで、以前見たシリーズのうちの1本「運命の恋人たち」に移り(いかにも唐突です)、そこで紹介されていた映画、「他の人とは違う Anders als die Andern」(1919)という、映画史上最初の同性愛映画といわれるドイツ映画についての説明をしゃあしゃあと展開しています。

改めて読み返してみると、やっぱり、不自然ですよ、だってなんのために、わざわざ「太平洋戦争・熱狂から絶望の1346日」なんかを最初に持ち出す必要があったのでしょうか、関係ないじゃないですか、われながら訳が分かりません。意味分かんねえよ、というやつです。

「でも、あんただって落ち着けば一人前なんだからさ」とよく配偶者から言われていますが、それで励ましている積もりか、バカヤロー。

そうそう、先日も、こんなことがありました。

最近は、寄るトシナミで、めっきり視力が弱ってきて、眼鏡がないと字が霞んでよく読めません。

ですので、本や新聞を読むときはもちろんですが、やたら字の小さい家電の説明書とか、分別ゴミ収集の一覧表とか、とっさに確かめねばならない緊急事態に直面したときなど眼鏡がないと右往左往七転八倒、もう大変な騒ぎになってしまうのです。

ということで、常に眼鏡を片手に、家のなかをウロウロと移動している始末デス、自分にとっていまや「片手に眼鏡」は必須で、すっかり「肉体の一部化」していて、そもそも、もはや眼鏡を持っているという感覚も意識もありません。

昼食も済んで、食器洗いも終わり、さてひと休み、コーヒーでも入れてゆっくり朝刊でも読むか、「岸田君は、まだ外交ボイコットを渋って、くずぐず意地を張っているのかな」どっこらしょと新聞をテーブルに広げたのですが、あれっ、いつも手に持っているはずの眼鏡がありません。そのとき、はじめて気がつきました。

いまのいままで、確かにこの手に持っていたはずなのに、ないのです。

そんなことってあるだろうかと、しばし、呆然と手のひらを見つめてしまいました。

眼鏡がないとなると、自分がとても不自由することは、分かりすぎるくらい分かっています。

だから、いつも注意を払って、神経質なまでに肌身離さず持ち歩いていたのですから、この突然の眼鏡の消失は、正直ショックでした。

狐につままれたようなマジックかミステリーにでもあったような呆然自失の気分です。

そうそう、持ち歩くことができないときには、仮の置場所(テレビの前とか洗面所の棚とか)というのも決めてあって、そこなども念のために見にいったのですが、やはりそこにもありませんでした。

しかたなく配偶者にも聞きました、あとでつべこべ馬鹿にされるので、本当は聞きたくないのですが、背に腹は代えられません、でもやはり、「心当たりなんかないわよ」と突っぱねられました。

「だから、いつも言ってるでしょう、決まった場所に置いときなさいって」

ほら、きた。だから聞きたくなかったんだってば。

「置いといたんだけどさ。それがないから困ってんじゃないのよ!」

反撃をこうむらない程度の弱々しい逆切れを語尾の方だけ強調してカマしてやりました、せめてもの抵抗です。

そんなふうにして、夕食の時間近くまで脂汗をかきながら心当たりの所はすべて、あっちこっちと散々探したのですが、残念ながら、ついに見つかりませんでした。

「忽然と消える」というのは、まさにこのことです。

まあ、眼鏡のほうは、明日にでも近所の眼鏡屋さんにいって、新しいのを作ってもらえば、それでいいことですが、なんだか気持ち的にどうにも収まらないのです。

でも、いつまでも、ずるずると引きずっているようなコトでもないし、気持ちの負担にするなんてのも馬鹿々々しいとは思うのですが、なんか釈然としません。

きっと、しっかりと自分の管理下に置いて、念には念を入れてこれで絶対大丈夫と確信していたものが、実にあっけなく崩れてしまったことに、言い知れないショックというか、苦々しいものを感じたのだと思います。

あえて言えば「くやしい」というような感じかもしれません。

いつもは辛辣な配偶者も、そこまでは言いませんでしたが、さしずめ「モウロク」という言葉が彼女のやっとの自制心とともに一瞬、過ぎったに違いありません。

意気消沈して戻ってきた食卓には、昼食後、読もうとしていた新聞が、あのときの状態で広げられたままになっています。

徒労感に疲れがいっぺんに出て、どっかりと椅子に座り、「駄目だ、なかったよ!!」と、広げられた新聞に手を突いたとき、新聞の下のなにかが手に触れました。なにかあります。

えっ!? ええっ~!!

それは、半日かけてさんざん探していた眼鏡でした。こんなところにィ・・・。

片手に持っていた眼鏡を無意識にテーブルに置き、その上の新聞を意識して置いて、そのあと「眼鏡がない!」と騒いでいたのでしょうか。

「ハハハ、あった、あったよ、ありました」

台所で夕食の支度をしている配偶者の背中に声を掛けました。

彼女は、身を固くしてマナイタをじっと凝視して一心に手を動かしています。

そのとき、背中が動いて、とても大きな深呼吸をしているらしいことが窺われました。

突然クビになった役者たち

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今朝のmsnのShowbizz Daily(Zeleb.es 2021/12/18 09:52)に「突然くびになった役者たち」というタイトルの面白そうな記事が出ていました、最初の写真は、シルベスター・スタローンがソファに悠然と寝そべって、こちらを挑発的に睨みつけている写真です、その写真につられて記事のほうも読んでしまいました。

その説明文には、こんなふうに書いてあります。

「★シルベスター・スタローン
シルベスター・スタローンが『ビバリーヒルズ・コップ』(1984)で「ハリウッドのスーパー刑事」、アクセル・フォーリー役を演じることになっていたのは、あまり知られていない。しかし、『ロッキー』で大スターに成りあがった彼は、あまりにわがままでアクションシーンを要求しすぎたために、制作陣は解雇を決定したのだった。」

ふむふむ、これはまた、コテコテのゴシップ記事じゃないですか、こういうのって、大好きです。

なにしろゴシップというのは、俳優にとって、スターダムにのし上がるための起爆剤でもあり、存在を印象づけるための武器でもあるわけですから、なけりゃ自分からでっちあげるくらいの意欲が求められる「必要不可欠」な証しみたいなものだと思います。

ただ、本人がその気になって「虚名」に酔い、溺れ、慢心して、みずから虚構に踊らされて自滅するか(木乃伊取りが木乃伊になる、というアレです)、あるいは雇い主から見放されて叩き潰されるか、それとも「ゴシップ」を単なる看板として「虚実」をクールに使い分ける賢明さでスターダムにのし上がり、確固たる地位を築けるか、僕たちは、いままで多くのハリウッドスターたちが、そのいずれのタイプであったかを見てきました。

末尾に、この「突然クビになった役者たち」の17人の俳優たちの記事を貼っておきます。


リチャード・ギア
ロバート・ダウニー・ジュニア
クリスチャン・ベール
ジーナ・カラーノ
ロリ・ペティ
アネット・ベニング
ケヴィン・スペイシー
エドワード・ノートン
ミーガン・フォックス
チャーリー・シーン
ライアン・ゴズリング
エリック・ストルツ
スチュアート・タウンゼント
ニコール・キッドマン
ジャン=クロード・ヴァン・ダム
テレンス・ハワード

しかし、ここで一括して掲げられている俳優たちのすべてが、人格的に絶望的な問題を抱えており、深刻な背信行為を犯して追放されたという俳優ばかりではなくて、不可抗力な事故でどうしても役を降りざるを得なかった同情すべき理由を抱え持った俳優も含まれていて、いずれにしても、それらのトラブルの根には、それぞれが「俳優」というロボットになりきれずに苦悩し葛藤の結果であったということは見過ごしてはならないと思います。

とはいえ、自分などつい考えてしまうのですが、末端には無名で大した役にも恵まれず、食うや食わずのしたずみの俳優志望者というのもワンサといるわけですから、ここに掲げられた17人の彼らが「ハリウッドスター」として演じられる幸せな境遇をまずは優先的に考え、個人的な「苦悩も葛藤」など、とりあえずは後回しにするくらいのことができなかったものだろうかなどと思ってしまいます。

というのは、この記事に出会う数日前に、中国に出稼ぎに行っていた日本の無名俳優たちが、ここのところ出演映画がめっきり減少し、職を失って帰国しているという記事を読みました。

中国では、少し前には、さかんに「反日映画」が製作されていて、当然そこでは悪辣非道な日本兵を扮する俳優が必要とされ、だいたいは自国の中国人、韓国朝鮮人、台湾人など日本人に似たような人材を調達するものの、もうひとつリアル感に欠けて「らしくない」らしいのです。

やはり、「日本兵」は、なんといっても日本人が演じるのが、もっともリアル感があるし、無理がなく演出できて視聴者受けもいいということで、かつて、物凄い数の反日映画が作られていたという背景もあって、日本の出稼ぎ俳優のニーズはかなりあったそうなのですが、ここにきて米中関係の悪化で、最近では反日映画に替わり、もっぱら反米映画の製作が主流になったために、日本人の出稼ぎ俳優の職がなくなり帰国しているという、その辺の経緯が書かれた記事でした。

この記事の中には、最後には殺される日本人俳優には、「殺され手当」として金一封が支給されたという、物凄いエピソードまで書かれています。

この記事を読めば、きっと、今回のこのコラムの記事のタイトルを、「突然クビになった役者たち」ではなくて、「殺され手当をもらう日本人俳優」とした方が、内容的に相応しいタイトルになったかもしれないなと、チラッと思いました。



≪特集 歴史戦 日本に構う余裕なし≫

最近、中国による反日歴史プロパガンダが下火になっている。
去る9月18日には満州事変の発端となった昭和6年の柳条湖事件から90年の節目ということで、中国共産党で序列6位の高官も出席して記念式典が開かれたが、大騒ぎにはならなかった。
かつての官製反日デモは鳴りをひそめている。
なぜか。
中国は最近、反日よりも反米で忙しい。
以前の中国にとっては米国の存在は大きすぎて反米など到底不可能だった。
しかし中国の経済規模は今や米国の4分の3ほどにまで迫っている。
その中国は今、国内に向けた宣伝として、反米で国威発揚しようとしている。
一方で中国と日本の経済規模が2倍以内だったころには、ちょうど反日がしやすかった。
しかし今や中国にとって日本は「小さな存在」になってしまったので、反日活動をしても中国国民は盛り上がらない。
いまでは日本は批判相手として物足りない存在になった。
そこで中国は最近、むしろ対米批判に力を入れ始めた。
そういうことで近年、中国は反日映画をほとんど作らなくなった。
かつては反日テレビドラマも大量に制作していて、中国も経済発展で金持ちになったので、反日ドラマや映画で旧日本兵を描くため、わざわざ日本人の俳優を使っていた。
「日本鬼子特需」といわれるほどで、多くの日本人俳優が中国に渡って、最後は殺される日本兵役を演じていた。
ちなみに彼らには「殺され手当」として金一封が出されていた。
いろいろなドラマに出て一日に十回くらい殺されて、金一封を何度ももらっていた役者もいたというが、最近になって彼らは軒並み失業し日本に帰国してしまった。
その代わりに最近、米兵役の俳優の特需が起こっている。
反米のドラマや映画が増えていて、2021年秋公開の映画「長津湖」は爆発的なヒットを記録している。
朝鮮戦争で中国の義勇軍と米軍が激戦を繰り広げ、最後は中国側が勝つという内容の映画で、中国では小学生や幼稚園児がクラス単位で映画館に観に行かされているそうだ。
中国と米国は朝鮮戦争でしか戦っていないので、最近になって急に朝鮮戦争の映画が作られ始めたらしい。
こうして中国国内では反米活動が推し進められ反米ムードが高まっているが、中国当局としては本音では米国を怒らせるのは怖い。
国内では反米をあおって民心を束ねるけれど、対外的には米国との関係が悪化しないよう日本に仲介役を期待している。
あまり反日をやってしまうと習近平訪日も実現しなくなってしまう、という事情もあって中国は反日を控えている。
中国にとっては岸田文雄首相と林芳正外相は、日中関係の改善を大いに期待できる人選であると見くびっている。
ここ2~3年ほど、日本は台湾問題について踏み込んだ発言を重ねてきたが、中国は日本側の発言についてその場で、反射神経的に批判の言葉を口にしてきた。
ただし対日制裁をしたり、しつこく言い続けたりはしない。
抗議はその場で言って、「おしまい」という感じだ。
そういうわけで、中国人の対日感情は以前と比べてかなり改善されている。
例えば「言論NPO」が去る10月に発表した世論調査結果では、中国に対して「良くない」印象を持つ日本人の割合が9割超だったのに対し、日本に「良くない」印象を持つ中国人の割合は、かつて9割超だったこともあったが今回は6割台だ。
以前は反日デモで破壊対象になる恐れもあって中国では日本車が売れなかったが、近年は日本車の売り上げも好調である。

正論1月号 特集 歴史戦 日本に構う余裕なし 産経新聞台北支局長 矢板明夫
2021/12/12 02:00




≪突然クビになった役者たち≫

★リチャード・ギア
1974年のリチャード・ギアは80年代以降よりもはるかに反抗的だったようだ。何人もの共演者と喧嘩したり、シルベスター・スタローンのズボンにわざと食べ物をひっかけたりしたため、ついには『ブルックリンの青春』の撮影から追放されてしまったのだ。そのとき彼は25歳で、ペリー・キングが代わりに役を引き継いだ。

★ロバート・ダウニー・ジュニア
アイアンマンを体現するロバート・ダウニー・ジュニアだが、『アベンジャーズ』のボスになるまでは真面目で模範的なスターだったわけではない。実際、彼は今世紀初めに『アリー my Love』と『アメリカン・スウィートハート』の2つの映画で役を逃したが、2度とも薬物問題が原因だったのだ。

★クリスチャン・ベール
クリスチャン・ベールは『アメリカン・サイコ』(2000)で伝説的主人公パトリック・ベイトマンを演じることになっていたが、レオナルド・ディカプリオがその役に興味を持ったとき、制作陣はベールをお払い箱にしてレオを雇うことに何のためらいもなかった。結局、ディカプリオの代理人がオファーを断るよう勧めたため、クリスチャン・ベールが無事返り咲くことに。

★ジーナ・カラーノ
ジーナ・カラーノは「すでにルーカスフィルムのメンバーではないし、将来復帰する予定もない。文化的・宗教的アイデンティティについて人々を侮辱するような彼女のSNSへの投稿は忌まわしく、受け入れがたい」。この発表をもってディズニーは、『マンダロリアン』で2シーズンの間キャラ・デューンを演じたジーナを、SNSでスキャンダラスな政治的メッセージを流し続けることを理由に解雇したのだった。

★ロリ・ペティ
ロリ・ペティは、『デモリションマン』(1993)でレニーナ・ハクスリーを演じ、シルベスター・スタローンの相手役を務めるはずだったのだが…… 興味深いことにウェズリー・スナイプスが登場するセットで目立ったのはロリ・ペティだった。しかし、自分の演じる役に対する不満を遠慮なくぶちまけた結果、サンドラ・ブロックと交代させられてしまった。

★アネット・ベニング
『バットマン リターンズ』(1992)で伝説的ヒロイン、セリーナ・カイル役にもともと指名されていたのはアネット・ベニングだった。ところが、撮影が始まって数週間後、思いがけず妊娠がわかったのだ。当時の特殊効果の技術は未熟だったので、ミシェル・ファイファーと交代することに。

★ケヴィン・スペイシー
スキャンダルと苦情のせいでシンボリックな役を2つも失う羽目になったケヴィン・スペイシー。まず、Netflixが『ハウス・オブ・カード 野望の階段』でフランク・アンダーウッド役の彼を厳しく追及して解雇したほか、リドリー・スコットは、『ゲティ家の身代金』(2017、ゲティ家の身代金)でスペイシーが演じた全シーンをクリストファー・プラマーと再撮影することを決めたのだ。そのときケヴィン・スペイシーの名前がオスカー有力候補として囁かれていたのだが、結局、プラマーが代わりにノミネートされるることに。

★エドワード・ノートン
マーベル・ユニバースの重要人物になる可能性もあったエドワード・ノートンだが、そのキャリアは道半ばで潰えることに。『インクレディブル・ハルク』(2008)では脚本家とそりが合わなかったばかりか、プロデューサーや監督とたびたび衝突する扱いにくい性格も加わって、マーベルは『アベンジャーズ』のハルクとして新たにマーク・ラファロを指名した。

★ミーガン・フォックス
ミーガン・フォックスが『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』(2011)の撮影セットでマイケル・ベイ監督と口論したことはもはや伝説になっている。監督はヒロインにできる限り日焼けして体重を4キロ増やすよう要求したが、彼女はそれを拒否したばかりかマイケル・ベイを「ヒトラー」呼ばわりし、「あんな人と仕事をしなくちゃいけないなんて悪夢だ」と言ってのけたのだ。その結果、いきなり役を降ろされロージー・ハンティントン=ホワイトリーと交代させられてしまった。

★チャーリー・シーン
『チャーリー・シーンのハーパー★ボーイズ』で大成功を収めていたため、彼の常軌を逸した厄介な行動は大目に見られているところがあった。ところが、シリーズの作者、チャック・ロリーを「ピエロ」と呼ぶに至って一線を越えてしまった。 ロリーは『ローリング・ストーン』誌のインタビューに「チャーリー・シーンの解雇は倫理的な問題であって、経済的利益に反していた」と答えたが、実際、シーンの後釜となったアシュトン・カッチャーは前任者の人気に追いつくことができなかった。

★ライアン・ゴズリング
『ラブリーボーン』(2009)で勝手な役作りをしてしまったライアン・ゴズリング。彼は自分が演じるジャック・サーモンはもっと太っているべきだと考え、体重を20キロ増やすことにしたのだ。しかし、ピーター・ジャクソン監督の考えは違ったため、さっさとけりをつけることにした:つまり、いきなりゴズリングを役から降ろし、マーク・ウォールバーグにオファーしたわけだ。

★エリック・ストルツ
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)は、エリック・ストルツを伝説的主人公マーティ・マクフライ役に据え、すでに5週間にわたって撮影を行っていた。ところが、ロバート・ゼメキス監督は、今更になってこの俳優には役柄に必要なユーモアがないと気付いてしまった。制作陣はスティーブン・スピルバーグの同意を取り付けるなりエリック・ストルツを解雇し、マイケル・J・フォックスと契約したのだ。そして、結果は誰もが知る通り。

★スチュアート・タウンゼント
今ではアラルゴン役のヴィゴ・モーテンセン抜きの『ロード・オブ・ザ・リング』など考えられないだろう。けれども、もともとこの伝説的ヒーロー役に決まっていたのはスチュアート・タウンゼントで、モーテンセンの出る幕はなかった。しかし、ピーター・ジャクソン監督がタウンゼントは若すぎると判断したため、配役変更に。

★ニコール・キッドマン
『ムーラン・ルージュ』(2001)の撮影を終えたときニコール・キッドマンは膝を怪我しており、『パニックルーム』(ニックルーム、2002)の撮影開始までに完治できずにいた。 ヒロイン、メグ・アルトマン役を18日間演じたものの続投困難のため、ジョディ・フォスターに交代せざるを得なかった。

★ジャン=クロード・ヴァン・ダム
1987年、ジャン=クロード・ヴァン・ダムが『プレデター』でプレデター役に決まったとき、映画の成功は約束されているかに見えた。そして、実際そうだったのだ。彼がエイリアンと本気で向き合い始めるまでは。加えて、スーツの暑さも不満の原因になったほか、スタントマンとも喧嘩してしまったヴァン・ダムだが、すべてはたった2日の出来事だった。結局、ジョン・マクティアナン監督は彼を追放し、ケビン・ピーター・ホールを呼び出した。

★テレンス・ハワード
マーベル・シネマティック・ユニバースでキャリア半ばでドロップアウトした俳優は他にもいる:テレンス・ハワードだ。 『アイアンマン』(2008)でトニー・スタークの親友、ローディ役に決まった彼には、業界最大手での長いキャリアが約束されているはずだった。しかし、彼の昇給要求はマーベル・スタジオの機嫌を損ねてしまい、「アイアンマン2」では役から外され、ドン・チードルと交代することに。

岩波ホール7月閉館と過去の上映作品一覧

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昨日の昼過ぎに、知人からのLINEで「『岩波ホール』7月閉館」の報道をはじめて知りました。

「えっ!! そうなの!?」

当然、大ビックリです。

岩波ホールが閉館するなんて、これっぽっちも想像していませんでした。

だって、自分のなかでは、いつのまにか「神聖」視してしまっていた岩波ホールです、なんといっても高尚な雲の上の磁場なのですから、閉鎖の理由が、下世話な「経営悪化」だなんて、なんだかガッカリです。

たしかに岩波ホールHPには「新型コロナの影響による急激な経営環境の変化を受け、劇場の運営が困難と判断しました」とあります。

でも、それって「コロナ」だけが問題だったのだろうかという疑念も残ります。

もはや世間はベルイマンもアンゲロプロスもアラン・レネなど「難解な映画」をもはや時代も大衆も必要とせず、永遠の記憶装置としての存在価値さえも自己否定し、その矜持も放棄したということなのでしょうか。

勘繰らないわけにはいきません。

評価の定まっていない作品を発掘して果敢に紹介するという公的な機関ではなかなかできないことを成し遂げてきた岩波ホールの閉館は残念でなりませんが、これって「岩波書店」崩壊の予兆なんかじゃないですよね。

いやいや、そんなことはありません、あるわけありません。

でも、冷静に考えると、自分と「岩波ホール」との距離感、自分と「岩波書店」との距離感を改めて考えると、「あの頃」とは随分と開きが出来てしまったことは否めません。

そうそう、その記事のなかに「これまでの54年間で65か国の映画271本を上映してきた」とあります。

懐かしさもあるので、HPに掲げられている作品をリストアップしてみました。

果たして271本もあるかな~、眠れない夜にでも、ゆっくり数えてみようと思います。





【岩波ホール 過去の上映作品一覧 P A S T F I L M S】



★嗚呼 満蒙開拓団 英題 A Story of Manchurian Settler Communities 羽田澄子監督/2008年/日本映画/日本語/120分/カラー/スタンダード/配給:自由工房/ドキュメンタリー 羽田監督は、戦時中満蒙開拓の名目で中国奥地に送られ敗戦と共に棄民された人々のその後を描き、国家の非情と無責任を追及して多くの観客の支持を得た。
★愛して飲んで歌って 原題 Aimer, Boire et Chanter アラン・レネ監督/2014年/フランス映画/フランス語/108分/カラー/シネマスコープ/配給:クレストインターナショナル アラン・レネ監督の遺作になったこの作品は高齢の製作とは思えないほど、軽やかで瑞々しい。イギリスの戯曲をもとに巨匠は自由闊達に遊び心を示した。
★愛の記録 原題 Kronika wypadków miłosnych アンジェイ・ワイダ監督/1986年/ポーランド映画/ポーランド語/120分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:岩波ホール  ワイダ監督が「鉄の男」以来、5年ぶりにポーランドへ帰還して撮った作品。1939年のリトアニア地方を舞台に、戦争直前の若い恋人たちの生き方を自らの青春に重ね合わせ、郷愁と鎮魂の思いをこめて祖国の運命を描いた。その思いが、観る者にワイダ監督の原点をあらためて想起させた。
★アウシュビッツの女囚 ワンダ・ヤクボフスカ監督/1948年/ポーランド映画/ポーランド語/109分/モノクロ/配給:女たちの映画祭
★青い年 原題 Os Verdes Anos パウロ・ローシャ監督/1963年/ポルトガル映画/ポルトガル語/86分/モノクロ/ヴィスタヴィジョン/配給:岩波ホール ポルトガル映画の日本初公開。地方出身の青年の青春の挫折を描きみずみずしい映像感覚が若い観客の共感を呼んだ。
★青い山 原題 Cisperi mtebi anu daudzerebeli amabavi エリダル・シェンゲラヤ監督/1984年/グルジア映画/ロシア語/95分/カラー/スタンダード/配給:日本海映画 どこの国にも見られる官僚主義の怠慢、無責任、無関心、ユーモラスに描かれたビルの崩壊はソ連崩壊を連想させた。エリダル・シャンゲラーヤ監督日本初登場。
★青空がぼくの家 原題 Langitku Rumahku スラメット・ラハルジョ・ジャロット監督/1989年/インドネシア映画/インドネシア語/105分/カラー/スタンダード/配給:岩波ホール 貧富の差を超えて固く結ばれた2人の少年の友情を描き、ジャロット監督はインドネシアの未来を若者に託した。その思いは日本の観客に深い感銘を与えた。
★赤い鯨と白い蛇 英題 A Red Whale and a White Snake せんぼんよしこ監督/2005年/日本映画/日本語/102分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東北新社クリエイツ、ティー・オー・ピー 78歳で映画監督デビューを果たしたせんぼん監督。世代の違う5人の女性のみの出演で、反戦の思いを今残さなければという切迫した気持が伝わってくる。
★アギーレ・神の怒り 原題 Aguirre, Der Zorn Gottes ウェルナー・ヘルツォーク監督/1972年/西ドイツ映画/ドイツ語/93分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ヘラルド・エース、日本ヘラルド映画 ニュー・ジャーマン・シネマの金字塔と謳われたこの作品の公開により、ヘルツォーク監督の真価が世に問われた。
★AKIKO—あるダンサーの肖像— 英題 AKIKO—A Portrait of a Dancer 羽田澄子監督/1985年/日本映画/日本語/107分/カラー/スタンダード/配給:アキコ・カンダ事務所 モダンダンサー、アキコ・カンダの舞台と日常生活を追い、羽田監督は記録映画の分野に新たな視点を打ち出した。再映を望む声が多く寄せられている。
★秋のソナタ 原題 Höstsonaten/英題 Autumn Sonata イングマール・ベルイマン監督/1978年/スウェーデン映画/スウェーデン語/92分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和 イングリット・バーグマンを初めて起用したベルイマンは、母娘のエゴイズムを直視し女性観客の感動を誘い、大ヒットとなる。
★悪霊 原題 Les Possédés アンジェイ・ワイダ監督/1987年/フランス映画/フランス語/116分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ヘラルド・エース、日本ヘラルド映画
演劇「ナスターシャ」と映画「悪霊」が同時に日本で公開されたことにより、両分野にわたるワイダの実力と功績を、はじめて目のあたりにすることができた。
★明日、陽はふたたび 原題 Domani フランチェスカ・アルキブジ監督/2000年/イタリア映画/イタリア語/106分/カラー/シネマスコープ/配給:シネマテン 突然災害に襲われ日常生活が崩壊した人々の再生を温かいまなざしで見つめる。子供たちの生き生きした表情が印象的。
★新しい家族 原題 Muzhiki !…… イスクラ・バービッチ監督/1981年/ソビエト映画/ロシア語/97分/カラー/スタンダード/配給:日本海映画 「男たちよ」の原題をもつこの映画の上映中、よい映画を有難うというお礼の言葉を、私たちは何度も受けた。
★新しい人生 原題 Mudar de Vida パウロ・ローシャ監督/1966年/ポルトガル映画/ポルトガル語/94分/モノクロ/ヴィスタヴィジョン/配給:岩波ホール ネオリアリズムの手法で、貧しくとも強く生きる漁村の若者を描いたこの作品は、素朴な美しさが人々に感動を与えた。
★「アニエスによるヴァルダ」2019年/フランス映画/カラー/114分/フランス語〈アニエス・ヴァルダ傑作セレクション〉
★アニエスの浜辺 原題 Les Plages d’Agnès アニエス・ヴァルダ監督/2008年/フランス映画/フランス語/113分/カラー/ヴィスタビジョン/配給:ザジフィルムズ/ドキュメンタリー 女性監督の先駆者でありヌーヴェルヴァーグの旗手アニエス・ヴェルダ。自身と夫ジャック・ドゥミ作品の一部分をちりばめながら軽やかに80年の人生と愛を語る。
★あぶない母さん 原題 Sashishi Deda アナ・ウルシャゼ監督/2017年/ジョージア語/105分/カラー ごく普通の家庭の主婦マナナは表現することへの情熱を抑えられず、家族に内緒で小説を書いていた。家族が知って戸惑うなか、母は身も心も小説に捧げてゆく。そしてしだいに明かされてゆく彼女の過去。弱冠27歳の第1作で世界の注目を集めた話題作。
★阿片戦争 英題 The Opium War シェ・チン(謝晋)監督/1997年/中国映画/中国語/154分/カラー/シネマスコープ/配給:徳間書店、東光徳間 香港が英国植民地となった原因は阿片と官僚の腐敗だった。この現代にも通じる問題を謝晋監督が97年の香港返還に合わせて製作、日本でも大ヒットとなった。
★アメリカの伯父さん 原題 Mon oncle d’Amérique アラン・レネ監督/1980年/フランス映画/フランス語/127分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和 常に独創的芸術映画で問題提起を行うアラン・レネは、男女の精神と行動を動物実験と対比させながら、現代文明社会の歪みを描く。
★ある結婚の風景 原題Scener ur ett äktenskap/英題 Scenes from a Marriage イングマール・ベルイマン監督/1974年/スウェーデン映画/168分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:メダリオン・エンタープライズ ベルイマンは、ほぼ全編夫婦2人だけの会話により、夫婦間の愛情、憎悪、嫉妬、挫折、苦悩、またそれを通り越して到達した人間愛を緊張感の中に描く。
★アルシノとコンドル 原題 Alsino y el Condor ミゲール・リッティン監督/1982年/ニカラグア映画/スペイン語/83分/カラー/スタンダード/配給:国際シネマライブラリー 中南米5カ国の映画人たちの協力で完成したニカラグア初の長編劇映画。大空を飛ぶ鳥に自由の夢をたくして、少年はさわやかな笑顔で解放軍の一員となる。
★ある老女の物語 原題 A Woman’s Tale ポール・コックス監督/1991年/オーストラリア映画/英語/96分/カラー/スタンダード/配給:岩波ホール 一人の女性が迎えた人生最後の日々。老いてなお独立心を失わず自立して生きる姿に多くの女性が共感、大ヒットした。主演女優シーラ・フローランスは完成半年後に死去。
★アレクサンダー大王 原題 O Megalexandros テオ・アンゲロプロス監督/1980年/ギリシャ=イタリア=西ドイツ映画/ギリシャ語/208分/カラー/スタンダード/配給:フランス映画社 「旅芸人の記録」で多くのファンを得たアンゲロプロス監督の作品。2月、キャンペーンのために来日した監督にさまざまなインタビューが行われ話題を呼んだ。
★安心して老いるために 英題 Getting Old with a Sense of Security 羽田澄子監督/1990年/日本映画/日本語/151分/カラー/スタンダード/配給:岩波ホール/ドキュメンタリー 人間が尊厳をもって生きぬくためには今なにが必要か。日本の現状をとらえながら行政に鋭く問いかけた羽田監督の問題作。現在も各地で上映され続けている。
★アントニア 原題 Antonia マルレーン・ゴリス監督/1995年/オランダ=ベルギー=イギリス映画/オランダ語/103分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:エース ピクチャーズ オランダの農村を舞台にくり広げられる四世代にわたる女性たちの愛と多様な性と生。父権社会を脱して女も男も共に自由に生きる未来を予感させた。



★家と世界 原題 Ghare-Baire サタジット・レイ監督/1984年/インド映画/ベンガル語/139分/カラー/スタンダード/配給:東宝東和 隔絶された世界がわずかながら外に向かって開かれる。詩聖タゴールの原作をレイ監督が的確に映像化した名作。二度も三度もみたという観客が多かった。
★家の鍵 原題 Le chiavi di casa ジャンニ・アメリオ監督/2004年/イタリア映画/イタリア語/111分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ザジフィルムズ 障害を持つ息子と15年ぶりに再会する父親。ぎこちない2人の絆が短かい旅を通じて徐々に深まる。実際の障害者を起用し、辛い現実と共に希望を提示する。
★苺とチョコレート 原題 Fresa y Chocolate トマス・グティエレス・アレア監督/1993年/キューバ=メキシコ=スペイン映画/スペイン語/110分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:シネカノン 現代のハバナ。ちぐはぐな二人の若者が、やがて真の友情に結ばれてゆく。人間の心に潜む差別と偏見をついて、世界の話題を集めたアレア監督、珠玉の名作。
★祈り 原題 Vedreba テンギズ・アブラゼ監督/1967年/ジョージア映画/ジョージア語/78分/モノクロ/シネマスコープ/DCP/字幕 児島康宏(原作:冨山房インターナショナル6月刊) 日本初公開。19世紀ジョージアの国民的作家V・プシャヴェラの叙事詩をもとに、モノクロームの荘厳な映像で描いた作品。ジョージア北東部の山岳地帯に住むキリスト教徒とイスラム教徒の因縁の対立を描き敵味方を超えた人間の尊厳と寛容を謳う。
★イフゲニア 原題 Iphigeneía マイケル・カコヤニス監督/1978年/ギリシャ映画/ギリシャ語/127分/カラー/スタンダード/配給:東宝東和 わが子を犠牲にしても権力を得ようとする夫アガメムノン王に対するクリュタイムネストラ妃の激しい怒りは、次の悲劇を生むことになる。ギリシャ神話「イフゲニア」の忠実な映画化であるこの作品は、女性観客の圧倒的な支持を受けた。
★いま原子力発電は・・・羽田澄子監督/1976年/テレビ番組/日本語/25分/カラー/制作:放送番組センター、岩波映画製作所/ドキュメンタリー
福島第一原子力発電所の事故を契機に緊急上映。日本の原発初期に羽田澄子、土本典昭両記録映画監督は警鐘を鳴らしていた。その先見性を示す貴重な作品。
★イラン式料理本 英題 Iranian Cookbook モハマド・シルワーニ監督/2010年/イラン映画/ペルシャ語/72分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:アニープラネット/ドキュメンタリー 三世代にわたる妻たちのキッチンを取材することで浮かび上がる現代のイラン社会。女性たちのおしゃべりから国境を越えた家族の共通点も見えてくる。
★インタビュアー 原題 eskolko Intervyu po Lichnym Voprosam ラナ・ゴゴベリーゼ監督/1978年/グルジア(ソビエト)映画/ロシア語/95分/カラー/スタンダード/配給:日本海映画 あなたは幸せですかと読者に問いかける女性記者が、自らの生き甲斐を求めて苦悩する。現代社会を反映するこの映画に男性観客からも強い共感が寄せられた。



★ヴィオレット—ある作家の肖像— 原題Violetteマルタン・プロヴォ監督/2013年/フランス映画/フランス語/139分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ムヴィオラ  1940年代のパリを舞台に、赤裸々に自身を語って文学界に衝撃を与えた実在の女性作家の半生を描く。ボーヴォワールとの親交と共に女性芸術家の苦悩を示す。
★ヴィルコの娘たち 原題 Panny Z Wilka アンジェイ・ワイダ監督/1979年/ポーランド=フランス映画/ポーランド語/118分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:岩波ホール ワイダ監督中期の傑作。死の不安におびえる男と、故郷の隣家の姉妹をめぐるひそやかな心理劇。原作は文豪イヴァシュキェヴィッチの叙情豊かな文芸作。
★薄墨の桜(再上映 1978年初公開)英題 The Cherry Tree with Gray Blossom 羽田澄子監督/1977年/日本映画/日本語/43分/カラー/スタンダード/配給:自由工房/ドキュメンタリー
★歌っているのはだれ? 原題 Ko To Tamo Peva スロボダン・シヤン監督/1980年/ユーゴスラヴィア映画/セルビア語/87分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:岩波ホール こんなに面白い映画は見たことがないというのが、観客の異口同音の感想であった。興行収入の1割を「フィルムセンター焼失フィルムの募金」にあてるべく、上映全期間をチャリティーロードショーとしたのは、日本映画興行始まって以来の試みだという。
★美しい夏キリシマ 英題 A Boy’s Summer In 1945 黒木和雄監督/2002年/日本映画/日本語/118分/カラー/シネマスコープ/配給:パンドラ 1945年夏の黒木和雄監督自身の悲痛な体験からこの傑作が誕生した。少年の眼を通して敗戦を描き、上映中に数々の映画賞を受賞、多くの観客の支持を得た。
★馬を放つ 原題 Centaur アクタン・アリム・クバト監督/2017年/キルギス・フランス・ドイツ・オランダ・日本映画/89分/カラー/シネマスコープ/DCP/5.1ch/配給:ビターズ・エンド 近代化が押し寄せるキルギスで、伝統文化を重んじる主人公が大切なものは何かを問いかける。監督の考えを反映させた主人公を、監督自ら見事に演じた。
★海と大陸 原題 Terraferma エマヌエーレ・クリアレーゼ監督/2011年/イタリア=フランス映画/イタリア語/93分/カラー/シネマスコープ/配給:クレストインターナショナル アフリカから漂着した不法難民と、海の掟で彼らをかくまう漁師。衰退する漁業と、活路となる観光業。重層する対比を描き地中海の島の現実をあぶりだした。
★海の沈黙 デジタルリマスター版 原題 Le Silence de la Mer ジャン=ピエール・メルヴィル監督/1947年/フランス映画/フランス語/86分/モノクロ/スタンダード/配給:クレストインターナショナル 



★映像 原題 Anarekli ギオルギ・ムレヴリイシュヴィリ監督/2010年/ジョージア語/11分/カラー
★エミタイ 原題 Emitai ウスマン・センベーヌ監督/1971年/セネガル映画/ウォロフ語/100分/カラー/スタンダード/配給:岩波ホール 黒人アフリカン映画の最大の巨匠ウスマン・センベーヌ監督の日本初公開作品。その素朴で鮮烈な映像は人々を魅了した。2月に来日したセンベーヌ監督が記者会見の席上、私が描くテーマは政治以外にないといった言葉が印象的であった。
★エミリーの未来 原題 L’Avenir D’Emily ヘルマ・サンダース=ブラームス監督/1984年/西ドイツ=フランス映画/フランス語/107分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ヘラルド・エース



★オール・ザ・キングスメン 原題 All The King’s Men ロバート・ロッセン監督/1949年/アメリカ映画/英語/109分/モノクロ/スタンダード/配給:IP
★『オールド・ドッグ』 映画で見る現代チベット チベット映画特集
★王家の谷 原題 El Mumiaa シャディ・アブデルサラーム監督/1969年/エジプト映画/アラビア語/104分/カラー/スタンダード/配給:エキプ・ド・シネマ
★大いなる幻影 原題 La Grande Illusion ジャン・ルノワール監督/1937年/フランス映画/フランス語/115分/モノクロ/スタンダード/配給:フランス映画社
★大いなる沈黙へ—グランド・シャルトルーズ修道院 原題 Die Grosse Stille フィリップ・グレーニング監督/2005年/フランス=スイス=ドイツ映画/フランス語/169分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ミモザフィルムズ/ドキュメンタリー 取材申し込みから完成まで21年を要したドキュメンタリー。戒律の厳しい修道院の静寂の世界は、喧騒の中に生きる現代人に衝撃を与え、大ヒットとなった。
★大いなる緑の谷 原題 Didi mtsvane veli メラブ・ココチャシュヴィリ監督/1967年/ジョージア語/87分/カラー 広大な草原を舞台に、伝統を重んじて生きる牛飼いが、近代化の時代の波に歩み寄ることができず、家族とともに苦悩する姿を描く。映像など全てが高く評価され、特に農夫役ダヴィト・アバシゼの全身で時代に体当たりするような演技が印象的な不朽の名作。
★沖縄 うりずんの雨 英題 OKINAWA : The Afterburn ジャン・ユンカーマン監督/2015年/日本映画/日本語、英語/148分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:シグロ/ドキュメンタリー 戦後70年にわたり米軍基地を押し付けられ続けた沖縄の苦痛の歴史を、アメリカ人監督が江戸時代に遡って説き起こす。日本の現状を鋭くあぶり出した。
★尾崎翠を探して──第七官界彷徨 英題 Midori 浜野佐知監督/1998年/日本映画/日本語/108分/カラー/配給:「尾崎翠を探して──第七官界彷徨」製作委員会 1920年代に独特の小説を発表し、その後文学史から姿を消した尾崎翠。300本ものピンク映画のキャリアを誇る浜野監督は彼女に魅せられ、初の一般映画として“尾崎翠ワールド”を構築する。
★おじいさんと草原の小学校 原題The First Grader ジャスティン・チャドウィック監督/2010年/イギリス映画/英語/103分/カラー/シネマスコープ/配給:クロックワークス 大統領から届いた手紙を自分で読みたいと、84歳で小学校に入学した実在のケニア人男性。植民地からの独立闘争を背景に、学び続ける尊さを再認識させた。
★落葉 原題 Listopad オタール・イオセリアーニ監督/1966年/グルジア(ソビエト)映画/ロシア語/96分/モノクロ/スタンダード/配給:日本海映画 グルジアの映像詩人オタール・イオセリアーニ監督のデビュー作。人間の暮しの尊さをしみじみと、そしてユーモラスに描き、グルジア映画の実力を遺憾なく発揮した。
★落穂拾い 原題 Les glaneurs et la glaneuse アニエス・ヴァルダ監督/2000年/フランス映画/フランス語/82分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ザジフィルムズ ミレーの絵画から現代人まで“ものを拾う人々”を追って、ヴァルダ監督はユーモア溢れる鋭い文明批評を展開する。
★おばあちゃんの家 英題 The Way Home… イ・ジョンヒャン監督/2002年/韓国映画/韓国語/87分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東京テアトル、ツイン 現代を代表する孫と、伝統の象徴ともいえる祖母の出会いは互いにカルチャーショックを与えつつ理解を深め合う。
★オフィシャル・ストーリー 原題 La Historia Oficial ルイス・プエンソ監督/1985年/アルゼンチン映画/スペイン語/115分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:松竹富士
★オレンジと太陽 原題 Oranges and Sunshine ジム・ローチ監督/2010年/イギリス=オーストラリア映画/英語/106分/カラー/シネマスコープ/配給:ムヴィオラ 1970年代まで秘かに続けられたイギリスの児童移民を女性ソーシャルワーカーが告発しイギリス・オーストラリア両政府の謝罪につながる。この作品は多くの観客の支持を受けた。
★終りよければすべてよし 英題 All’s Well that Ends Well 羽田澄子監督/2006年/日本映画/日本語/129分/カラー/スタンダード/配給:自由工房/ドキュメンタリー ますます進む日本社会の高齢化問題をライフワークとする羽田監督の新作は、模索を続ける医療現場の状況を描き、将来を不安視する多くの観客の支持を得た。
★女と男の危機 原題 La Crise コリーヌ・セロー監督/1992年/フランス映画/フランス語/96分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和 現代社会に溢れるさまざまな危機。その中で生きてゆかなければならない女と男。そんな人々へのセロー監督の応援歌。国際家族年にふさわしい作品だった。
★女の一生 原題 Une Vie ステファヌ・ブリゼ監督/2016年/フランス映画/フランス語/119分/カラー/スタンダード/配給:ドマ、ミモザフィルムズ フランスの傑作古典文学を、主人公ジャンヌの視点に置き換え、新たに映像化。彼女の人生に続く苦難と心情を繊細に綴り、観る者の心を揺さぶった。
★女の叫び 原題 A Dream of Passion ジュールス・ダッシン監督/1978年/アメリカ=ギリシャ映画/英語/106分/カラー/スタンダード/配給:東宝東和 ギリシャ悲劇「メディア」をテーマに、現代の母親の子殺しを通じて女性の社会的悲劇を鋭く追及したこの作品は、多くの女性観客の圧倒的支持を得た。



★鏡 原題Zerkalo アンドレイ・タルコフスキー監督/1975年/ソビエト映画/ロシア語/108分/カラー/スタンダード/配給:日本海映画 そのたぐい稀な映像美と詩情豊かなメッセージは、タルコフスキーのファンを確実にふやした。
★鏡の中の女 原題 Ansikte mot ansikte/英題 Face to Face イングマール・ベルイマン監督/1975年/スウェーデン映画/スウェーデン語/119分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和 ベルイマンの監督生活30周年記念作品。ここにも絶えざる生の不安というテーマが色濃く映し出されていたが、とりわけリヴ・ウルマンの演技が素晴らしかった。
★鏡は嘘をつかない 原題 Laut Bercermin /英題The Mirror Never Lies カミラ・アンディニ監督/2011年/インドネシア映画/バジョ語、インドネシア語/100分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:パイオニア映画シネマデスク インドネシアの美しい珊瑚礁を舞台に漁に出たまま帰らぬ父を待つ母と娘の再生の物語。東日本大震災の津波の恐怖は海の民バジョ族には他人事ではない。
★輝ける青春 原題 La Meglio Gioventu マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督/2003年/イタリア映画/イタリア語/366分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東京テアトル 1960年代から40年にわたるイタリアの現代史を、ローマのある兄弟を中心につむぎ出す。6時間を超える作品だったがリピーターも数多い大ヒット作となった。
★「ガザの美容室」2015年/パレスチナ=フランス=カタール映画/アラビア語/84分/カラー
★風にそよぐ草 原題 Les Herbes Folles アラン・レネ監督/2009年/フランス=イタリア映画/フランス語/104分/カラー/シネマスコープ/配給:東宝東和 「アメリカの伯父さん」以来、30年ぶりにエキプに登場のアラン・レネ監督は、80歳を超えてますます瑞々しく軽やかに男女の不条理を描き出し好評を得た。
★家族の灯り 原題 Gebo et I’Ombre/英題 Gebo and the Shadow マノエル・ド・オリヴェイラ監督/2012年/ポルトガル=フランス映画/フランス語/95分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:アルシネテラン 昨年105歳を迎えたポルトガル映画界の至宝オリヴェイラ監督。息子をかばい罪を引き受ける父の切ない思いは世界共通。巨匠の製作意欲は年齢を超える。
★家族の肖像 原題 Gruppo di famiglia in un interno/英題 Conversation Piece ルキノ・ヴィスコンティ監督/1974年/イタリア=フランス映画/英語/121分/カラー/シネマスコープ/配給:東宝東和=フランス映画社 1978年にエキプで初公開し、大ヒットした伝説的名作がデジタル修復で甦る。往年のファンから若い世代まで、多くが詰めかけ豪華絢爛な世界に酔いしれた。
★月山 英題 Gassan 村野鐡太郎監督/1978年/日本映画/日本語/103分/カラー/スタンダード/配給:岩波ホール 森敦原作。手作りの映画は手作りの上映ホールでとエキプがはじめて取り上げた日本の新作劇映画。この作品の成功で、エキプ・ド・シネマは1979年度の掉尾を飾った。
★カティンの森 原題 Katyń アンジェイ・ワイダ監督/2007年/ポーランド映画/ポーランド語、ドイツ語、ロシア語/122分/カラー/シネマスコープ/配給:アルバトロス・フィルム 70年前の「カティンの森」事件で自らも父を失ったワイダ監督は、共産党政権下で話題にすらできなかった真実を格調高く描く。2010年一番のヒットとなった。
★糧なき土地 原題 Las Hurdes ルイス・ブニュエル監督/1932年/スペイン映画/フランス語/29分/モノクロ/スタンダード/配給:フランス映画社
★歌舞伎役者 片岡仁左衛門<全5巻>英題 Nizaemon Kataoka 羽田澄子監督/1992年/日本映画/日本語/488分/カラー/スタンダード/配給:自由工房
★株式会社 原題 Simabaddha サタジット・レイ監督/1972年/インド映画/ベンガル語/112分/モノクロ/スタンダード/配給:岩波ホール 出世コースをひた走るビジネス・エリート、目的のために手段を選ばぬその姿は、日本社会のエコノミック・アニマルを思わせ、共感を呼ぶ。
★かぼちゃ大王 原題 Il Grande Cocomero フランチェスカ・アルキブジ監督/1993年/イタリア=フランス映画/イタリア語/103分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:アルシネテラン 小児精神科医と少女患者の交流を通して、医療のあり方や家族の意味を問いかけた、心の大切さが見直される今、日本でも若い層を中心に、多くの観客の支持を得た。
★カミーラ 原題 Camila マリア・ルイサ・ベンベルグ監督/1984年/アルゼンチン=スペイン映画/スペイン語/105分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:岩波ホール
★紙屋悦子の青春 英題 The blossoming of Etsuko Kamiya 黒木和雄監督/2006年/日本映画/日本語/113分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:パル企画 特攻として命を落とす青年と彼を慕う娘。青年の友人と結婚した人生を夫婦で振り返る。黒木和雄監督は完成直後に急逝。非戦の思いが通低音となって流れる。
★亀も空を飛ぶ 英題 Turtles Can Fly バフマン・ゴバディ監督/2004年/イラン=イラク映画/クルド語/97分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:オフィスサンマルサン 戦争の中に日常がある2003年頃のイラクのクルド人村。地雷を掘って生計を立てる孤児たちの不条理な現実を告発し、かすかな希望を見出そうとする。
★伽倻子のために 英題 For Kayako 小栗康平監督/1984年/日本映画/日本語/117分/カラー/スタンダード/配給:劇団ひまわり 小栗監督の第2作。静かにひそやかに語られる青年と少女の出会と別れを見終わったあとで、何をお前はしてきたのかと、鋭く問いかけられることに気づく。
★玻璃(ガラス)の城 英題 City of Glass メイベル・チャン(張婉婷)監督/1998年/香港(中国)映画/広東語/110分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:アミューズ チャン監督はイギリスから中国に主権が回復する香港の現代史を描くことにより、自らのアイデンティティを追及した。
★ガンジスに還る 原題 Hotel Salvation シュバシシュ・ブティアニ監督/2016年/インド映画/99分/ヒンディー語/カラー/配給:ビターズエンド 聖地バラナシに、死期を悟った老人が、仕事人間の息子と共に向かう。死に向き合う老人と家族の心情をこまやかかつユーモアを持って描き多くの共感を呼んだ。



★木靴の樹 原題 L’Albero degli zoccoli エルマンノ・オルミ監督/1978年/イタリア映画/イタリア語/187分/カラー/スタンダード/配給:ザジフィルムズ 19世紀の北イタリアの農民のつましい生活を慈しみをこめて描く。1979年に岩波ホールで初公開。多くの観客の心を捉え常に再上映の希望が寄せられていた。
★木靴の樹 原題 L’Albero degli zoccoli エルマンノ・オルミ監督/1978年/イタリア映画/イタリア語/187分/カラー/スタンダード/配給:フランス映画社 伝統的なネオリアリズム精神に貫かれたこの作品は、9週間連日満員のうちに上映され、ムーブオーバーされた商業館でも圧倒的な動員記録を樹立した。
★汽車はふたたび故郷へ 原題 Chantrapas オタール・イオセリアーニ監督/2010年/フランス=グルジア映画/フランス語、グルジア語、ロシア語/126分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ビターズ・エンド 映画製作の自由を求めてグルジアからフランスへ渡ったニコを待っていたのは商業主義という新たな壁だった。創作の困難に立ち向かう芸術家を飄々と描く。
★奇跡 原題 Ordet カール・Th・ドライヤー監督/1955年/デンマーク映画/デンマーク語/126分/モノクロ/スタンダード/配給:フランス映画社 映画史上に残る傑作だが、宗教を題材としているため、この映画に観客が入ったらそれこそ奇跡といわれながら、まさに奇跡をおこして成功をおさめた。
★希望の樹 原題 Drevo Zhelaniya テンギズ・アブラゼ監督/1977年/グルジア(ソビエト)映画/グルジア語/107分/カラー/スタンダード/配給:日本海映画 久しぶりのグルジア作品だったが、この国の映画を愛する観客の多いことが改めて確認された。民族独立を願う人々の心を映し出して生涯忘れられない名作。
★希望の樹 原題 Natvris khe テンギズ・アブラゼ監督/1976年/ジョージア映画/ジョージア語/107分/カラー/スタンダード/DCP/字幕 児島康宏 20世紀初頭、革命前のジョージア東部カヘティ地方の美しい農村。時代の大きな変化を予感して村人たちはそれぞれに動揺していた。そのなか美しい娘と青年の純愛は古い掟と因習のために打ち砕かれてゆく。20世紀を代表するG・レオニゼの短編集が原作。
★今日から始まる 原題 Ҫa Commence aujourd’hui ベルトラン・タヴェルニエ監督/1999年/フランス映画/フランス語/116分/シネマスコープ/配給:共同映画 リストラ、貧困、児童虐待は、今や日本でも日常の社会問題となったが、タヴェルニエ監督は決して絶望せず子どもたちの明るい将来を信じて問題提起を行う。
★極北のナヌーク 原題 NANOOK OF THE NORTH ロバート・フラハティ監督/1922/アメリカ映画/78分/スタンダード/モノクロ/サイレント/BD/配給:グループ現代 白銀の雪と氷に閉じ込められたカナダ北部の極地に住む、主人公ナヌークを長とするイヌイット(エスキモー)族一家が厳しい大自然の中で、たくましく生きてゆくさまを映しとった記録映像の原点。
★キリマンジャロの雪 原題 Les Neiges du Kilimandjaro ロベール・ゲディギャン監督/2011年/フランス映画/フランス語/107分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:クレストインターナショナル 信念をもって自らをもリストラの対象とした労働組合委員長とその妻を通し、公正とは、支えあいとは何かをヒューマンな視点で描き温かな共感を得た。



★草ぶきの学校 原題 草房子/英題 Thatched Memories シュイ・コン(徐耿)監督/1999年/中国映画/中国語/107分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:日本ヘラルド映画 文化大革命前、1960年代の中国蘇州の小学校を舞台に、ひとりの少年の成長を描き現代を見つめ直す。子どもの心理描写に定評あるシュイ・コン監督作品。
★国東物語 英題 Kunisaki Monogatari 村野鐵太郎監督/1984年/日本映画/日本語/112分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:鐵プロダクション 大友宗麟の青年期を、村野監督が力強く描く。初めて触れた西欧文明。F・ザビエルとの運命的出会い。仏教、キリスト教を共に確実に表現して好評だった。
★熊座の淡き星影 原題 Vaghe stelle dell’orsa ルキノ・ヴィスコンティ監督/1965年/イタリア映画/イタリア語/100分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和 この作品をもってヴィスコンティ監督の長編劇映画はすべて日本で紹介された。黒白の画像が美しく輝く中期の代表作。
★狂った一頁 英題 A Page of Madness 衣笠貞之助監督/1926年/日本映画/59分/モノクロ/スタンダード/配給:エキプ・ド・シネマ
★クレアモントホテル 原題 Mrs.PALFREY at The Claremont ダン・アイアランド監督/2005年/アメリカ=イギリス映画/英語/108分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:クレストインターナショナル 夫を亡くし自立して生きるため一人長期滞在型ホテルに来た老婦人。誰かの娘でも妻でも母でもなく、自分自身を生きようとする姿は多くの観客の支持を得た。



★ゲームの規則 原題 La Règle du Jeu ジャン・ルノワール監督/1939年/フランス映画/フランス語/106分/モノクロ/スタンダード/配給:フランス映画社 その日本公開が長く待たれていただけにこの作品がゴダールやトリュフォー監督をはじめ、多くの映画作家たちのバイブル的存在であることを十分納得させた。
★ゲッベルスと私 原題 A German Life クリスティアン・クレーネス監督、フロリアン・ヴァイゲンザマー監督、オーラフ・S・ミュラー監督、ローラント・シュロットホーファー監督/2016年/オーストリア映画/ドイツ語/113分/モノクロ/配給:サニーフィルム
ゲッベルスの秘書を務めた103歳のポムゼル氏の独白。全体主義の恐怖を伝える彼女の発言は、現代社会に生きる私たちの警鐘ともなり、若い層にも広がった。
★ケトとコテ 原題 Keto da Kote ヴァフタング・タブリアシュヴィリ監督、シャルヴァ・ゲデヴァニシュヴィリ監督/1948年/ジョージア語/90分/白黒 終戦直後に作られたジョージア初の絢爛豪華なミュージカル映画の傑作。1860年代、ロシア帝政下のチフリスを舞台に、純真なケトと歌が好きなコテが、困難を乗り越えて結婚を成就させるまでを描く。明るく大らか、当時の風物満載で今も人々に愛される作品。
★元始,女性は太陽であった—平塚らいてうの生涯 英題 The Life of Raicho 羽田澄子監督/2001年/日本映画/日本語/140分/カラー/スタンダード/配給:岩波ホール 「青鞜」発刊の辞のみが一人歩きしていたらいてうの真実の姿を、羽田監督は日本の近現代史と重ね合わせて描いた。
★原発切抜帖 土本典昭監督/1982年/日本映画/日本語/45分/カラー/製作:青林舎/ドキュメンタリー 福島第一原子力発電所の事故を契機に緊急上映。日本の原発初期に羽田澄子、土本典昭両記録映画監督は警鐘を鳴らしていた。その先見性を示す貴重な作品。



★恋の浮島 原題 A Ilha dos Amores パウロ・ローシャ監督/1982年/日本=ポルトガル映画/日本語、ポルトガル語、広東語/170分/カラー/スタンダード/配給:東宝東和 ローシャ監督が15年の歳月を費して追求した孤愁の作家モラエスの世界。岩波ホール創立15周年記念作品。
★公園からの手紙 原題 Cartas del Parque トマス・グティエレス・アレア監督/1988年/キューバ=スペイン映画/スペイン語/カラー/スタンダード/配給:シネセゾン ハバナ郊外の小さな町でおきた中年の代書屋と若い娘の恋物語。古典的でさわやかなこの作品は、巨匠アレアとキューバの特徴の一つをよく表していた。
★告白 原題 Aghsareba ザザ・ウルシャゼ監督/2017年/ジョージア語/89分/カラー カヘティ地方の田舎の教会に赴任した司祭が、村人たちの意識を高めようとチャップリンやマリリン・モンローの映画上映会を企画する。ある日、村でモンローにそっくりの女性と出会ったことから思いがけない騒動に巻き込まれてゆく。ほろ苦いコメディー。
★「5時から7時までのクレオ」原題 Cléo de 5 à 7 アニエス・ヴァルダ監督/1961年/フランス=イタリア映画/フランス語/90分/モノクロ/ヴィスタヴィジョン/配給:ザジフィルムズ
★胡同の理髪師 英題 The Old Barber ハスチョロー(哈斯朝魯)監督/2006年/中国映画/中国語/105分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:アニープラネット 93歳で現役の理髪師の凛とした生き方を本人が演じるという新しいスタイルが話題を呼んだ。理想の老境とも言われ多くの観客が共感、大ヒットとなった。
★こどもしょくどう 日向寺太郎監督/2018年/日本映画/日本語/93分/カラー/ビスタサイズ/配給:パル企画 日本にも広がる子どもの貧困、その対策として広がる「子ども食堂」ができるまでを、食堂を営む一家を軸に子どもの目線で描き、多くの共感と感動を呼んだ。
★子供の情景 英題 Buddha Collapsed out of Shame ハナ・マフマルバフ監督/2007年/イラン=フランス映画/ダリー語/81分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ムヴィオラ、カフェグルーヴ 学校に行って学びたいと願う少女バクタイの日常を追い19歳の女性監督マフマルバフはアフガニスタンの子供たちが置かれた現状を鋭く告発した。
★この素晴らしき世界 原題 Musíme si Pomáhat ヤン・フジェベイク監督/2000年/チェコ映画/チェコ語/123分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:大映 ナチ占領下に置かれたチェコ市民の抵抗精神を描き戦争の愚かさ、人間の尊厳を訴えた監督は多くの観客の支持を得た。
★木洩れ日の家で 原題Pola umierać ドロタ・ケンジェジャフスカ監督/2007年/ポーランド映画/ポーランド語/109分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:パイオニア映画シネマデスク 生れ育った家を愛し、売却を画策する息子を退け希望通りの処分を敢行する母。撮影当時91歳の女優の姿は、内容と共に中高年女性の共感を得て大ヒットした。
★コルチャック先生 原題 Korczak アンジェイ・ワイダ監督/1990年/ポーランド=西独=フランス映画/ポーランド語/118分/モノクロ/ヴィスタヴィジョン/配給:ヘラルド・エース、日本ヘラルド映画 91年度エキプの掉尾を飾ったワイダ監督のこの最新作は、コルチャックの信念と、子どもが生きる権利の大切さを人々に喚起され、大きな感動と話題をよんだ。
★コロンブス 永遠の海  原題 Cristóvão Colombo – O Enigma マノエル・ド・オリヴェイラ監督/2007年/ポルトガル=フランス映画/ポルトガル語、英語/75分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:アルシネテラン 100歳を超えてなお新作を作り続けるオリヴェイラ監督の自在な若々しい映像に世界中が喝采を送り、日本でも多くの映画ファンの驚きを呼んだ。
★婚礼 原題 Wesele アンジェイ・ワイダ監督/1973年/ポーランド映画/ポーランド語/106分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:岩波ホール ワイダ監督中期の傑作といわれ、エリア・カザンが最も愛した作品である。祖国の自由と再生を願うワイダ監督の心情が、豊かな音と色に彩られて画面を覆う。



★最初の人間 原題 Le Premier Homme ジャンニ・アメリオ監督/2011年/フランス=イタリア=アルジェリア映画/フランス語/105分/ヴィスタヴィジョン/配給:ザジフィルムズ 2013年に生誕100年を迎えたノーベル賞作家カミュの、未完に終わった自伝的小説の映画化。故郷アルジェリア独立を求める人々への愛が深い感動を呼ぶ。
★雑草 原題 L’herbe Sauvage アンリ・デュパルク監督/1977年/コート・ジボワール映画/フランス映画/85分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:エキプ・ド・シネマ
★サラーム・ボンベイ ! 原題 Salaam Bombay ! ミーラー・ナーイル監督/1988年/インド=イギリス=フランス=アメリカ映画/ヒンディー語/113分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:シネマ・テン 監督も脚本もカメラマンも女性の3人組が、ボンベイの舗道で逞しく生きるストリート・チルドレンの日常を描いて、圧倒的な支持を受けた。上映中に行われたユニセフ主催の子どもたちのための募金には、300万円近い浄財が寄せられた。
★サラエボ,希望の街角 原題Na Putu/英題 On the Path ヤスミラ・ジュバニッチ監督/2010年/ボスニア・ヘルツェゴヴィナ=オーストリア=ドイツ=クロアチア映画/ボスニア語、クロアチア語、セルビア語/104分/カラー/シネマスコープ/配給:アルバトロス・フィルム、ツイン ボスニア紛争から15年後のサラエボに生きる若いカップル。外見は平和を取り戻し復興したように見えても人々の心の傷がいかに深いかを考えさせられた。
★サラエボの花  原題 Grbavica ヤスミラ・ジュバニッチ監督/2006年/ボスニア・ヘルツェゴヴィナ=オーストリア=ドイツ=クロアチア映画/ボスニア語/95分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:アルバトロス・フィルム、ツイン 旧ユーゴ。かつて平和裏に共存していた民族同士が憎しみ合い、互いに残酷な行為に走る戦争の愚かしさを告発し、悲しみから再生する母娘を温かく描く。
★懺悔 原題 Pokayanie/英題 Repentance テンギズ・アブラゼ監督/1984年/ソビエト(グルジア)映画/グルジア語/153分/カラー/スタンダード/配給:ザジフィルムズ 完成後20年余を経て日本で公開されたこの作品は鮮やかな映像表現を以って独裁と粛清の恐怖を描き、旧ソ連の体制崩壊を導いた傑作として名を残した。
★懺悔 原題 Monanieba テンギズ・アブラゼ監督/1984年/ジョージア映画/ジョージア語/153分/カラー/スタンダード/DCP/字幕 松澤一直/監修 児島康宏 架空の地方都市で、元市長の墓が何者かに暴かれ、犯人の女性が捕らえられる。彼女の証言によって、元市長の独裁により、多くの市民が粛清されたことが明らかになってゆく。スターリン時代を描いたといわれ、ソ連邦のペレストロイカの象徴となった。
★残像 原題Powidoki/英題 Afterimage アンジェイ・ワイダ監督/2016年/ポーランド映画/ポーランド語/99分/カラー/シネマスコープ/配給:アルバトロス・フィルム 2016年10月に急逝したワイダ監督の遺作。社会主義政権下で自由な表現が制限される中、自らの信念を貫いた前衛画家。その孤高の姿が監督と重なった。
★「残像」原題 Powidoki/英題 Afterimage アンジェイ・ワイダ監督/2016年/ポーランド映画/ポーランド語/99分/カラー/シネマスコープ 2016年10月に急逝したワイダ監督の遺作。社会主義政権下で自由な表現が制限される中、自らの信念を貫いた前衛画家。その孤高の姿が監督と重なった。
★三人姉妹 原題 Paura e Amore マルガレーテ・フォン・トロッタ監督/1988年/イタリア=フランス=西ドイツ映画/イタリア語/113分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ヘラルド・エース チェーホフの美しい3人姉妹が現代のボローニャを舞台によみがえる。100年前に夢みたチェーホフの希望や憧れはむなしくなったけれど、女性たちは励ましあいながら強く生きてゆくことを示唆したM・V・トロッタ監督の名作に、多くの観客が共感した。



★シアター・プノンペン 英題 The Last Reel ソト・クォーリーカー監督/2014年/カンボジア映画/クメール語/105分/カラー/シネマスコープ/配給:パンドラ 40年前のポルポトの大弾圧の時代を生き抜いた人々の苦悩の日々を、一人の女子大生が追う。カンボジアの近現代史の闇を見つめ、未来への希望をさぐる。
★「幸福~しあわせ~」原題 Le Bonheur アニエス・ヴァルダ監督/1964年/フランス映画/フランス語/80分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ザジフィルムズ
★幸せのありか 原題 Chce się żyć/英題 Life feels good マチェイ・ピェブシツア監督/2013年/ポーランド映画/ポーランド語/107分/カラー/シネマスコープ/配給:アルシネテラン 1980年代、民主化に揺れ動いたポーランド。知的障害を疑われた幼い少年の成長を実話に基づいて描く。世界の映画祭と共に日本の観客をも魅了した。
★「シェルブールの雨傘」原題 Les Parapluies de Cherbourg ジャック・ドゥミ監督/1963年/フランス映画/フランス語/91分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ハピネット
★死者の書 英題 The Book of the Dead 川本喜八郎監督/2005年/日本映画/日本語/40分/カラー/スタンダード/配給:桜映画社 折口信夫の小説を人形アニメーションの第一人者川本喜八郎監督が映像化。亡霊となった大津皇子の鎮魂のため布を織る郎女のひたむきな表情は生身の人間を超える。
★静かなる情熱 エミリ・ディキンスン 原題 A QUIET PASSION テレンス・デイヴィス監督/2016年/イギリス=ベルギー映画/英語/125分/カラー/シネマスコープ/配給:アルバトロス・フィルム、ミモザフィルムズ 「アメリカ文学史上の奇跡」と言われた女性詩人の伝記的作品。宗教や常識など当時の価値観に縛られず自身と向き合い続けた女性の姿が多くの共感を呼んだ。
★詩聖タゴール 原題 Tagore サタジット・レイ監督/1961年/インド映画/ベンガル語/53分/モノクロ/スタンダード/配給:エキプ・ド・シネマ
★ジプシーのとき 原題 Dom za Vesanje エミール・クストリッツァ監督/1989年/ユーゴスラヴィア映画/ロマニ語/143分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ヘラルド・エース、日本ヘラルド映画 ジプシーの生活を喧騒と猥雑のうちに描きながら、その悲しみを民族の魂の輝きにまで昇華させたクストリッツァ監督の実力に、多くの観客が満足した。
★「ジャック・ドゥミの少年期」1991年/フランス映画/カラー/120分/フランス語」
★ジャック・ドゥミの少年期 原題 Jacquot de Nantes アニエス・ヴァルダ監督/1991年/フランス映画/フランス語/120分/カラー&モノクロ/ヴィスタヴィジョン/配給:ヘラルド・エース、日本ヘラルド映画/ドキュメンタリー
★「ジャック・ドゥミの少年期」原題 Jacquot de Nantes アニエス・ヴァルダ監督/1991年/フランス映画/フランス語/120分/カラー&モノクロ/ヴィスタヴィジョン/ドキュメンタリー
★ジャンヌ・モローの思春期 原題 L’Adolescente ジャンヌ・モロー監督/1979年/フランス映画/フランス語/94分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ヘラルド・エース フランスの光と風に彩られて、少女から大人へ、マリーのほろ苦い夏休みの思い出。モロー監督はその第2作目で、懐かしい名画にも似た感動を観客に与えた。
★上海家族 原題 假装没感覚 / 英題 Shanghai Women ポン・シャオレン(彭小蓮)監督/2002年/中国映画/中国語/96分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和 繁栄を続ける現代の上海に生きる祖母、母、娘、三代のそれぞれの考え方を描くことにより、中国女性の置かれた状況と変わりつつある時代を活写した。
★十字路 英題 Crossroads 衣笠貞之助監督/1928年/日本映画/47分/モノクロ/スタンダード/配給:エキプ・ド・シネマ
★十字路/狂った一頁 衣笠貞之助監督は1982年2月26日、85歳でご逝去された。衣笠先生のご一生は、日本映画史を語ることと同じであるが、岩波ホールの歴史もまた、衣笠先生なしには考えられない。
★自由の幻想 原題 Le Fantôme de la liberté ルイス・ブニュエル監督/1974年/フランス映画/フランス語/104分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和
★「12か月の未来図」原題 Les Grand Esprits オリヴィエ・アヤシュ=ヴィダル監督/2017年/フランス映画/フランス語/107分/カラー/シネマスコープ
パリ郊外の移民、貧困、学力低下等の社会問題を、2年間学校生活を取材し、堅物教師と問題だらけの生徒たちのリアルな成長物語として見事に完成させた。
★12か月の未来図 原題 Les Grand Esprits オリヴィエ・アヤシュ=ヴィダル監督/2017年/フランス映画/フランス語/107分/カラー/シネマスコープ/提供:ニューセレクト/配給:アルバトロス・フィルム パリ郊外の移民、貧困、学力低下等の社会問題を、2年間学校生活を取材し、堅物教師と問題だらけの生徒たちのリアルな成長物語として見事に完成させた。
★巡礼の約束 原題Ala Changso ソンタルジャ監督/2018年/中国/109分/シネマスコープ/配給:ムヴィオラ 病身ながらも、聖地ラサへ五体投地で巡礼をする妻とその家族。チベットが見せる峻烈な風景のもとで後悔や嫉妬を乗り越え残された者が絆を繋いでゆく。
★『巡礼の約束』 映画で見る現代チベット チベット映画特集
★少女デドゥナ 原題 Deduna ダヴィト・ジャネリゼ監督/1985年/ジョージア語/87分/カラー デドゥナとは「母の愛する娘」の意味。母を亡くし、山間の村で父と暮らす少女の質朴な日々の生活を静謐な映像のなかに映し出す。世界でプリントがドイツに1本あるだけの伝説的な作品。ジャネリゼ監督提供の劣化した作品素材をDCP化して特別上映。
★「少女は自転車にのって」原題 Wadjida
★少女は自転車にのって 原題 Wadjida ハイファ・アル=マンスール監督/2012年/サウジアラビア=ドイツ映画/アラビア語/97分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:アルバトロス・フィルム サウジアラビア初の女性監督作品。男の子と同様に自転車に乗ることを望む少女の奮闘がすがすがしく、未来の自由への希望を予感させ、観客の共感を得た。
★少女ムシェット 原題 Mouchette ロベール・ブレッソン監督/1967年/フランス映画/フランス語/80分/モノクロ/スタンダード/配給:コロネット・シネマ・アンテレクチュアル
★招待 ワンダ・ヤクボフスカ監督/1985年/ポーランド映画/ポーランド語/96分/カラー/配給:女たちの映画祭
★少年スサ 原題 Susa ルスダン・ピルヴェリ監督/2010年/ジョージア語/76分/カラー 貧しい家族を支えるためにウオッカの密売を手伝う少年の日々を描く。過酷な社会状況のなかで彼の母や父への純粋な思いが、澄み切った美しい瞳をとおして痛烈に伝わってくる。閉塞した社会や理不尽な大人たちへの少年の無言の怒りが胸を打つ作品。
★菖蒲 原題 Tatarak / 英題 Sweet rush アンジェイ・ワイダ監督/2009年/ポーランド映画/ポーランド語/87分/カラー/シネマスコープ/配給:紀伊国屋書店、メダリオンメディア ワイダ監督は原作の短編小説と、主演女優の実人生を重層的に描き出す。若さと老い、生と死を見つめる文芸作は監督の社会派以外の抒情的一面を見せる。
★ジョルダーニ家の人々 原題 Le cose che restano ジャンルカ・マリア・タヴァレッリ監督/2010年/イタリア=フランス映画/イタリア語/399分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:チャイルド・フィルム、ツイン ローマに住む一家の苦悩と再生を通じて描かれる血縁を超えて構築される人間関係。6時間40分の超大作を見て観客は自分も家族の一員のように感じる。
★白樺の林 原題 Brzezina アンジェイ・ワイダ監督/1970年/ポーランド映画/ポーランド語/98分/カラー/スタンダード/配給:東宝東和 ワイダ監督のもう一つの貌。溢れる抒情に彩られた兄と弟の物語。不安にゆれる一枚の風景画のようなこの作品で、ワイダ監督はまた新しいファン層を獲得した。
★シリアにて 原題 INSYRIATED フィリップ・ヴァン・レウ監督/2017年/ベルギー・フランス・レバノン映画/アラビア語/カラー/ビスタサイズ/配給:ブロードウェイ
ダマスカスのアパートの一室に身を寄せる人たちの24時間密室劇。音と、人物たちの心理描写だけで、戦地の緊迫感と恐怖を描いた類をみない戦争映画。
★シリアの花嫁 英題 The Syrian Bride エラン・リクリス監督/2004年/イスラエル=フランス=ドイツ映画/アラビア語、ヘブライ語、英語、ロシア語、フランス語/97分/カラー/シネマスコープ/配給:シグロ、ビターズ・エンド 人生で最も幸せであるべき結婚式が家族との永遠の別れの日になるのか。占領下の境界線がもたらす不条理と世代による価値観の違いが見事に描き出された。
★白い馬の季節 英題 Season of The Horse ニンツァイ(寧才)監督/2005年/中国映画/モンゴル語/105分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ワコー、フォーカスピクチャーズ 内モンゴルの遊牧生活の破綻を描きながら地球温暖化、砂漠の拡大、都会と地方の格差等の問題が全世界共通であることを指摘、見る者の共感を呼んだ。
★シロタ家の20世紀 英題 The Shirota Family and the 20th century 藤原智子監督/2007年/日本映画/日本語、フランス語/92分/カラー/スタンダード/配給:「シロタ家の20世紀」上映委員会/ドキュメンタリー 藤原監督は、ナチスの迫害によってヨーロッパ、アジア、アメリカへ広がるベアテ・シロタ・ゴードンさんの一族を通して“戦争の20世紀”を描き出した。
★「真珠のボタン」2015年/フランス=チリ=スペイン映画/スペイン語/82分/カラー/ヴィスタヴィジョン〈パトリシオ・グスマン監督再上映〉
★真珠のボタン 原題 El botón de nácar パトリシオ・グスマン監督/2015年/フランス=チリ=スペイン映画/スペイン語/82分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:アップリンク/ドキュメンタリー 宇宙と水のあまりにも美しい映像を介して暴かれる。チリの先住民や政治犯に対する為政者の残酷さ、時間と記憶を描き優れたドキュメンタリーとして結実。
★人生案内
★人生は琴の弦のように 原題 邊走邊唱/英題 Life on a String チェン・カイコー(陳凱歌)監督/1991年/中国映画/中国語/108分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ヘラルド・エース、日本ヘラルド映画



★酔画仙 英題 Chihwaseon イム・グォンテク監督/2002年/韓国映画/韓国語/119分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:エスパース・サロウ 韓国の名匠イム・グォンテク監督が19世紀、朝鮮王朝末期に実在した放浪の水墨画家チャン・スンオプの生涯を描く。権威を嫌い自由を愛した姿が真に迫る。
★スヴァネティの塩 原題 Jim Shavante ミヘイル・カラトジシュヴィリ監督/1930年/サイレント/44分/白黒 無声映画時代を代表するドキュメンタリー。コーカサスのスヴァネティ地方、過酷な自然環境のなかで生きる人々の姿が四季を通じて映し出される。岩山での重労働、争い、貧富の差、出産等が描かれ、ブニュエルの「糧なき土地」に先んじる名作と評価される。
★杉の子たちの50年 藤原智子監督/1995年/日本映画/日本語/100分/カラー 戦時中、闘っていたのは兵士だけではない。疎開していた子どもたちも、飢え、いじめ、死の恐怖と戦っていた。平和の尊さは、繰返し語りつぐべき問題である。
★素晴しき放浪者 原題 Boudu sauvé des eaux ジャン・ルノワール監督/1932年/フランス映画/フランス語/84分/モノクロ/スタンダード/配給:フランス映画社



★聖週間 原題 Wielki Tydzień アンジェイ・ワイダ監督/1995年/ポーランド=ドイツ=フランス映画/ポーランド語/97分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:エース ピクチャーズ ナチス占領下のワルシャワ。ゲットーから逃れたユダヤ人女性と彼女をかくまうポーランド人夫妻の心の葛藤を緊張感あふれる映像で表現。静かな感動を呼んだ。
★西暦2015年 原題 A.D.2015 ハトゥナ・フンダゼ監督/2015年/ジョージア語/10分/カラー
★世界の夜明けから夕暮れまで[全5篇]英題 The World from Dawn till dusk(世界5都市で映画を学ぶ学生の作品)東京篇(40分)、ミンスク篇(39分)、北京篇(41分)、モスクワ篇(51分)、キエフ篇(44分)
★セラフィーヌの庭 原題 Séraphine マルタン・プロヴォスト監督/2008年/フランス=ベルギー=ドイツ映画/フランス語/126分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:アルシネテラン 20世紀前半のフランスに実在した知られざる素朴派の女性画家。その生涯を追って芸術家の魂と苦悩を描き、彼女の名を一躍日本で広めることとなった。



★宋家の三姉妹 英題 The Soong sisters メイベル・チャン(張婉婷)監督/1997年/香港=日本映画/中国語/145分/カラー/シネマスコープ/配給:東宝東和 岩波ホール創立30周年記念作品の掉尾を飾るこの作品は、伝説の三姉妹の根強い人気に支えられ、31週間のロングランを記録。さらに今期の再上映も決定した。
★宋家の三姉妹(再上映 1998年初公開)英題 The Soong sisters メイベル・チャン監督/1997年/香港=日本映画/中国語/145分/カラー/シネマスコープ/配給:東宝東和 中国の近代史を変え、世界史にも影響を与えた三姉妹の生涯は、再上映にもかかわらず、観客の圧倒的な支持を得た。
★草原の河 原題 河/英題 River ソンタルジャ監督/2015年/中国映画/チベット語/98分/ヴィスタサイズ/配給:ムヴィオラ 厳しく広大な自然の中で、牧畜を営む家族の三世代の心情を、少女の目を通して描く。チベット映画の第一世代の監督と当時6歳の主演の少女も話題になった。
★『草原の河』 映画で見る現代チベット チベット映画特集
★そしてAKIKOは… 〜あるダンサーの肖像〜 英題And Then Akiko is …A Portrait of aDancer 羽田澄子監督/2012年/日本映画/日本語/120分/カラー/ヴィスタヴィジョン/提供:自由工房 女性映画祭25回の歴史を締めくくったこの羽田作品は、芸術に生きた一人のダンサーの人生を総括。アキコカンダの名を永遠のものとし見る者の共感を得た。
★そして誰もいなくなった 原題 And Then There Were None ルネ・クレール監督/1945年/アメリカ映画/英語/97分/モノクロ/スタンダード/配給:IP
★曽根崎心中 英題 The Love Suicides at Sonezaki 栗崎碧監督/1981年/日本映画/日本語/87分/カラー/スタンダード/配給:栗崎事務所 近松門左衛門の名作文楽。自然の風景の中で演じる文楽の人形たち。女性監督ならではの大胆で画期的な試みに、多くの賛辞が寄せられた。



★大樹のうた 原題 Apur Sansar サタジット・レイ監督/1959年/インド映画/ベンガル語/105分/モノクロ/スタンダード/配給:エキプ・ド・シネマ
★大地と自由 原題 Land and Freedom ケン・ローチ監督/1995年/イギリス=スペイン=ドイツ映画/英語/110分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:エース ピクチャーズ、日本ヘラルド映画 1936年に勃発したスペイン内戦に理想を求めて参加した若者の姿を、現代に生きる孫娘の目を通して描き今の時代に警鐘を鳴らす。多くの観客の支持を得た。
★大地と白い雲 原題 白云之下 ワン・ルイ監督/2019年/中国映画/中国語・モンゴル語/111分/カラー/シネマスコープ/配給:ハーク
★「大地のうた」3部作 大河のうた サタジット・レイ監督/1956年/インド映画/ベンガル語/110分/モノクロ/スタンダード/配給:ATG
★「大地のうた」 3部作(再上映 1974年初公開)
1984年7月21日(土)~1984年9月28日(金)
★大都会 原題 Mahanagar サタジット・レイ監督/1963年/インド映画/ベンガル語/135分/モノクロ/スタンダード/配給:エキプ・ド・シネマ
★大理石の男 原題Człowiek z Marmuru アンジェイ・ワイダ監督/1977年/ポーランド映画/ポーランド語/161分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:日本ヘラルド映画 1980年夏のポーランドの大ストライキを予見したこの作品は、真の芸術家がもつ力の強さを観客に示した。
★「ダゲール街の人々」1975年/フランス映画/カラー/79分/フランス語〈アニエス・ヴァルダ傑作セレクション〉
★他人の家 原題 Shemtkhveviti paemnebi ルスダン・グルルジゼ監督/2016年/ジョージア語/103分/カラー アブハジア紛争の休戦後、戦争で家を失った家族が、山村の捨てられた家をあてがわれた。家には急いで避難した元の住人の痕跡が残っている。家族と隣に住む謎の女性たちとの交流をとおして、紛争が人々にもたらした禍根を幻想的な映像で描く作品。
★他人の手紙 原題 Cudze listy / 英題 Violated Letters マチェイ・ドルィガス監督/2010年/ポーランド映画/ポーランド語/56分/モノクロ/スタンダード/配給:アルバトロス・フィルム
★旅芸人の記録 原題 O Thiassos テオ・アンゲロプロス監督/1975年/ギリシャ映画/ギリシャ語/232分/カラー/スタンダード/配給:フランス映画社 世界の映画界に話題を投げかけたこのギリシャ映画の傑作は、1979年度の芸術祭大賞に決定。これでエキプ作品は3年連続して大賞を受賞することになった。
★達磨はなぜ東へ行ったのか 英題 Why has Bodhi-Dharma left for the East? ペ・ヨンギュン( 裵鏞均)監督/1989年/韓国映画/韓国語/137分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:シネセゾン エキプ初の韓国映画。10週間の上映をほぼ満席で終了した。映画がもつ先入観を排し、自然と合体しつつ独自の世界を創造したペ監督の次回作が期待される。
★『タルロ』 映画で見る現代チベット チベット映画特集
★だれのものでもないチェレ 原題 Árvácska ラースロー・ラノーディ監督/1976年/ハンガリー映画/ハンガリー語/90分/カラー/スタンダード/配給:独立映画センター 薄幸の少女チェレを通して人間が生きることの意味をあらためて考えさせたこの作品は、国際児童年にふさわしい感動を人々に与えた。
★ダロウェイ夫人 原題 Mrs .Dalloway マルレーン・ゴリス監督/1997年/イギリス=オランダ映画/英語/97分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:日本ヘラルド映画 難解といわれたヴァージニア・ウルフ原作の美しい映像化に成功。ヴァネッサ・レッドグレイヴの好演もあって、ダロウェイ夫人の悩みに共感する女性観客が多かった。
★ダンサー 原題 Motsekvave サロメヤ・バウエル監督/2014年/ジョージア語、ロシア語/35分/カラー
★ダントン 原題 Danton アンジェイ・ワイダ監督/1982年/フランス=ポーランド映画/フランス語/136分/カラー/スタンダード/配給:ヘラルド・エース、日本ヘラルド映画 エキプ発足10周年記念作品の第1弾。ワイダ監督は、フランス革命をもう一つの側面から見つめることによって、ダントンとロベスピエールの宿命的対決をくっきり描き出すことに成功。7週間の上映期間では観客を収容しきれず、「エミタイ」終了後、4週間のアンコール上映を行った。



★痴呆性老人の世界 英題 How to Care for the Senile 羽田澄子監督/1986年/日本映画/日本語/84分/カラー/スタンダード/配給:岩波映画 痴呆性老人の心にふれ、決して失われることのない人間の尊厳をみつめた貴重なドキュメンタリー。羽田監督の大らかな作風が、人々に生きる勇気を与えた。
★チェスをする人 原題Shatranj ke Khilari サタジット・レイ監督/1977年/インド映画/ヒンディー語/121分/カラー/スタンダード/配給:岩波ホール サタジット・レイは、危うい国の運命も知らずにチェスにうつつを抜かす2人の貴族の姿を通してイギリス植民地政策を鋭く批判する。
★チェド 原題 Ceddo ウスマン・センベーヌ監督/1976年/セネガル映画/ウォロフ語/119分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:岩波ホール きわめて簡素で詩的な映像が作品の意図を明確に伝える。アフリカの人々の心がみる者の心にひびき、エキプ100本目にふさわしい傑作との声が高かった。
★父と暮せば(再上映 2004年初公開)黒木和雄監督/2004年/日本映画/日本語/99分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:パル企画
★父と暮せば 英題 The Face of Jizo 黒木和雄監督/2004年/日本映画/日本語/99分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:パル企画
★父と暮せば 英題 The Face of Jizo 黒木和雄監督/2004年/日本映画/日本語/99分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:パル企画 映画化を希望した黒木監督に原作者井上ひさし氏は快諾。非戦を誓う2人の熱い思いが結実した。新境地を開いた宮沢りえの演技に大きな称賛が集まった。
★チャルラータ 原題 Charulata サタジット・レイ監督/1964年/インド映画/ベンガル語/118分/モノクロ/スタンダード/配給:エキプ・ド・シネマ
★チュッ・ニャ・ディン 原題 Tjoet Nja’Dhien エロス・ジャロット監督/1988年/インドネシア映画/インドネシア語/109分/カラー/シネマスコープ/配給:ヘラルド・エース、日本ヘラルド映画 民族の独立不撓の魂を真正面から描ききったインドネシア映画の日本初公開。地味な作品に観客動員をあやぶむ声もあったが、主演のクリスチャン・ハキムの魅力もあいまって7週間ロードショーを大成功のうちに終えることができた。
★『チリの闘い』/1972‐79年/配給:アイ・ヴィー・シー
★沈黙の春を生きて 英題Living the Silent Spring 坂田雅子監督/2011年/日本映画/日本語、英語、ベトナム語/87分/カラー/配給:シグロ/ドキュメンタリー 化学物質は放射能同様、生物にとって悪影響がある。50年前のレイチェル・カーソンの言葉が現実となった今、枯葉剤被害者の問題を再び提起し話題を呼んだ。



★抵抗 死刑囚の手記より 原題 Un condamné à mort s’est échappé ou Le vent souffle où il veut ロベール・ブレッソン監督/1956年/フランス映画/フランス語/97分/モノクロ/スタンダード/配給:クレストインターナショナル
★敵 原題 Düşman ユルマズ・ギュネイ監督/1979年/トルコ映画/トルコ語/125分/カラー/スタンダード/配給:岩波ホール
★デデの愛 原題 Dede マリアム・ハチヴァニ監督/2016年/スヴァン語、ジョージア語/97分/カラー 1992年、コーカサスの峻険な山々に囲まれた村で、デデの挙式が行われようとしていた。しかし彼女は夫となる男の親友と愛しあっていた。村の定めた結婚に抗い、彼女は愛を貫くことを決心する。雄大な自然のなか、因習と闘う女性を描く感動の物語。
★田園詩 原題 Pastorali オタール・イオセリアーニ監督/1976年/グルジア映画/グルジア語/98分/モノクロ/スタンダード/配給:日本海映画 都会から来た音楽家たちと、田園に住む村人たちの生活が淡々と描写される。この作品を見ると、現代の我々の生活がいかに文明に毒されているかを痛感する。
★田園の守り人たち 原題 Les Gardiennes グザヴィエ・ボーヴォワ監督/2017年/フランス=スイス映画/フランス語/135分/カラー/シネマスコープ/配給:アルバトロス・フィルム 第一次世界大戦下、銃後で農場を守る女たちを軸に、ミレーの絵画を彷彿とさせる映像美で、農業の近代化とともに、戦争の矛盾と悲劇を伝えた。
★伝説の舞姫 崔承喜(チェスンヒ)—金梅子(キムメジャ)が追う民族の心 英題 Choi Seung-Hee and Kim Mae-Ja 藤原智子監督/2000年/日本映画/日本語/90分/カラー/スタンダード/配給:岩波ホール 現代韓国舞踊の第一人者が戦前世界的に活躍した朝鮮舞踊家の足跡を追う。上映直前に偶然、南北首脳会談が実現した。



★ドイツ・青ざめた母 原題 Deutschland Bleiche Mutter ヘルマ・サンダース=ブラームス監督/1980年/西ドイツ映画/ドイツ語/124分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:大映インターナショナル 戦争が弱者に及ぼす影響の無残さを描いて、女性にも男性にも深い感動を与えたこの作品は、上映期間を急遽延長するほどの成功を収めた。キャンペーンで来日した美しくも力強いブラームス監督の次回作が期待される。
★TOMORROW/明日 英題 Tomorrow 黒木和雄監督/1988年/日本映画/日本語/105分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ヘラルド・エース、日本ヘラルド映画 1945年8月9日、長崎に原爆が投下される前日から投下直前まで、心やさしい人々の生活を淡々と描いた黒木監督の秀作。その描き方と、私たちの“明日”への問題定義が、観客の一人一人に人間の生命の尊さを強く訴えた。近年日本映画の収穫との声が高い。
★TOMORROW/明日(再上映 1988年初公開)黒木和雄監督/1988年/日本映画/日本語/105分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東京シネマ倶楽部
★とうもろこしの島 原題Simindis Kundzuli/英題Corn Island ギオルギ・オヴァシュヴィリ監督/2014年/ジョージア、ドイツ、フランス、チェコ、カザフスタン、ハンガリー映画/100分/カラー/アブハズ語、ジョージア語、ロシア語/シネマスコープ/配給:ハーク 1992年におきたアブハジア紛争を異なる視点で描いた2作。シンプルな作風が戦争の愚かさ、不条理を際立たせる。
★遠い道 原題 Sadgati サタジット・レイ監督/1981年/インド/ヒンドゥー語/50分/カラー/スタンダード/配給:東宝東和 インド社会の階級制の矛盾に真正面から取り組んだレイ監督の問題作。昼は「ファニーとアレクサンデル」、夜はレイ作品というプログラムが、多くの観客の称賛を受けた。
★遠い雷鳴 原題 Ashani Sanket サタジット・レイ監督/1973年/インド映画/ベンガル語/101分/カラー/スタンダード/配給:エキプ・ド・シネマ
★トロイアの女 原題 The Trojan Women マイケル・カコヤニス監督/1971年/アメリカ映画/英語/111分/カラー/スタンダード/配給:IP



★ナイルのほとりの物語 原題 Shey min al Khof フセイン・カマール監督/1970年/エジプト映画/アラビア語/113分/モノクロ/スタンダード/配給:エキプ・ド・シネマ
★夏をゆく人々 原題 Le Meraviglie / 英題 The Wonders アリーチェ・ロルヴァケル監督/2014年/イタリア=スイス=ドイツ映画/イタリア語、ドイツ語/111分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ハーク 養蜂を営む一家のひと夏を長女の視点で描く。理想と現実、美への憧れ、父親との葛藤・・・女性監督自身の思い出に観客はファンタジックな共感を覚える。
★ナポリの隣人 原題 La Tenerezza ジャンニ・アメリオ監督/2017年/イタリア映画/イタリア語/108分/カラー/シネマスコープ/配給:ザジフィルムズ 元弁護士で気難しい老人の隣に越してきた家族、そして起こる悲惨な事件。現代人が抱えた複雑な心の闇や他者との隔たりを繊細に表現し、現代を映し出す。



★虹をかける子どもたち 英題Love Can Make a Rainbow 宮城まり子監督/1980年/日本映画/日本語/86分/カラー/スタンダード/配給:ATG ねむの木の小さい画家たちの絵をスクリーン一杯に拡げたこの美しい作品の完成まぎわに、宮城まり子監督は病をえ、車椅子の上から初日の挨拶を行なった。
★ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス 原題 Ex Libris – The New York Public Library フレデリック・ワイズマン監督/2016年/アメリカ映画/英語/205分/カラー/ビスタサイズ/協賛:図書館流通センター/後援:アメリカ大使館/協力:日本図書館協会/配給:ミモザフィルムズ、ムヴィオラ ドキュメンタリーの巨匠が捉えたNY公共図書館の多岐にわたるサービスと関わる者たちの真剣な取り組みの姿勢、長尺にも関わらず連日大変な盛況となった。
★乳泉村の子 原題 清涼寺鐘聲 / 英題 The Bell of the Qing Liang Temple シェ・チン(謝晋)監督/1991年/中国=香港映画/中国語/121分/カラー/シネマスコープ/配給:東和プロモーション 残留孤児の成長と心の軌跡を描いたこの作品で、観客は中国人養母の国境を越えた愛情に初めて触れた。ハンカチを配るべきだという声が上がった程の感動作。



★ねむの木の詩 宮城まり子監督/1974年/日本映画/日本語/90分/カラー/スタンダード/配給:ATG
★ねむの木の詩がきこえる 英題 Mariko-Mother 宮城まり子監督/1977年/日本映画/日本語/95分/カラー/スタンダード/配給:エキプ・ド・シネマ=東宝東和
★眠る男 英題 Sleeping Man 小栗康平監督/1996年/日本映画/日本語/103分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:SPACE 自治体が製作する初の劇映画ということで注目を集めたが、眠り続ける男を主人公にすえたこの静かな映画の、半年間にわたるロードショーは成功裡に終了、見る者に深い感銘と思索の機会を与えた。



★ノン、あるいは支配の空しい栄光 原題 ’Non’, ou A Vã Glória de Mandar マノエル・ド・オリヴェイラ監督/1990年/ポルトガル=フランス=スペイン映画/ポルトガル語/112分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:アルシネテラン



★パーフェクト サークル 原題 Savrseni krug アデミル・ケノヴィッチ監督/1997年/ボスニア・ヘルツェゴヴィナ=フランス映画/ボスニア語/108分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:大映 ボスニア内戦は民族・宗教戦争とされたが、現実にはサラエヴォに残された人々は互いに分け隔てなく助け合っていた。現代の戦争を描いて感動をよんだ。
★爆心 長崎の空 英題 Under the Nagasaki Sky 日向寺太郎監督/2013年/日本映画/日本語/98分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:パル企画
★はじまりの街 原題 LA VITA POSSIBILE/英題 A POSSIBLE LIFE イヴァーノ・デ・マッテオ監督/2016年/イタリア=フランス映画/イタリア語/107分/5.1ch/シネマスコープ/配給:クレストインターナショナル 夫のDVから逃げ友を頼りトリノへ移り住む親子の再生の物語。思春期の少年の成長と人生の再出発を描き、イタリアが誇る二大女優の競演が話題となった。
★八月の鯨(再上映 1988年初公開)原題 The Whales of August リンゼイ・アンダーソン監督/1987年/アメリカ映画/英語/91分/カラー/スタンダード/配給:アルシネテラン ホール創立45周年を記念して25年ぶりに再上映した伝説のヒット作。歳月を経、人生を重ねて見直すことで新たな発見があったという観客の声が多かった。
★八月の鯨 原題 The Whales of August リンゼイ・アンダーソン監督/1987年/イギリス映画/英語/91分/カラー/スタンダード/配給:ヘラルド・エース、日本ヘラルド映画 高齢化時代を迎えた日本で、今もっとも関心あるテーマを描いたこの作品は、31週で14万人を動員。エキプ最高のヒット作となった。このヒットによりリリアン・ギッシュから感謝状が届き、スタッフ一同感激。
★パッション・フィッシュ 原題 Passion Fish ジョン・セイルズ監督/1992年/アメリカ映画/英語/135分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:大映 共に都会を追われた2人の女性が、ルイジアナの豊かな自然に包まれながら、支えあい、自立して生きてゆく姿を描いて観客の共感を呼んだ。
★花咲くころ 原題 In Bloom ナナ・エクフティミシュヴィリ監督・ジモン・グロス監督/2013年/ジョージア(グルジア)=ドイツ=フランス映画/ジョージア語/102分/シネマスコープ/配給:パンドラ/後援:在日ジョージア大使館 1992年、まだきな臭さの残るトビリシで、逞しく生きる少女たちの強さと煌めきを、30代女性監督が自身の経験をもとに描くグルジア映画新世代の注目作。
★花はどこへいった 英題 Agent Orange – A Personal requiem 坂田雅子監督/2007年/日本映画/日本語、英語、ベトナム語/71分/カラー/配給:シグロ/ドキュメンタリー 戦場カメラマンの夫の早い死を悼む妻がその死の原因をベトナムで追究。枯葉剤が今も影響し続け住民を苦しめる様子を優れたドキュメンタリーに結実させた。
★母たちの村 原題 Moolaadé ウスマン・センベーヌ監督/2004年/フランス=セネガル映画/マンディンゴ語/124分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:アルシネテラン 現在もアフリカの一部の国に残る女性性器切除の風習。悪習を断つため立ち上がる1人の母親の姿を、女性を尊ぶセンベーヌ監督が気高く描き、観客の共感を得た。
★母のいる場所 英題 Where Mom Is 槙坪夛鶴子監督/2003年/日本映画/日本語/116分/カラー/スタンダード/配給:企画制作パオ/ドキュメンタリー
★パパは,出張中! 原題 Otac na Sluzbenom Putu エミール・クストリッツァ監督/1985年/ユーゴスラヴィア映画/セルボ・クロアチア語/136分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和 政治の波にもまれながら人々は泣き、笑い、歌う。6歳のマリクの目を通して描かれたユーゴスラヴィアの夜明け。1986年ナンバーワン作品の声が高い。
★「パプーシャの黒い瞳」原題 Papusza ヨアンナ・コス=クラウゼ&クシシュトフ・クラウゼ監督/2013年/ポーランド映画/ロマニ語、ポーランド語/131分/モノクロ/ヴィスタヴィジョン 書き文字を持たないジプシーの女性が文字と言葉に魅せられ、民族内部からも迫害を受けながら思いを全うする。美しいモノクロ映像が見る者の涙を誘う。
★パプーシャの黒い瞳 原題 Papusza ヨアンナ・コス=クラウゼ&クシシュトフ・クラウゼ監督/2013年/ポーランド映画/ロマニ語、ポーランド語/131分/モノクロ/ヴィスタヴィジョン/配給:ムヴィオラ 書き文字を持たないジプシーの女性が文字と言葉に魅せられ、民族内部からも迫害を受けながら思いを全うする。美しいモノクロ映像が見る者の涙を誘う。
★早池峰の賦(再上映 1982年初公開)英題 Ode to Mt.Hayachine 羽田澄子監督/1982年/日本映画/日本語/186分/カラー/スタンダード/配給:自由工房/ドキュメンタリー
★早池峰の賦 英題 Ode to Mt.Hayachine 羽田澄子監督/1982年/日本映画/日本語/185分/カラー/スタンダード/配給:岩波ホール/ドキュメンタリー 早池峰山麓の小さな町に生きる人々の生活を静かに描いて、圧倒的支持を受けた。観客の要望に応えての1ヶ月後のアンコール上映は前例のないことである。
★「パラダイス・ナウ」2005年/フランス=ドイツ=オランダ=パレスチナ映画/アラビア語/90分/カラー
★パリ20区,僕たちのクラス 原題 Entre les murs ローラン・カンテ監督/2008年/フランス映画/フランス語ほか/128分/カラー/シネマスコープ/配給:東京テアトル 中学校の教師と生徒の関係には世界共通の悩みと喜びがあることを生き生きと描写し、カンヌ最高賞を受賞。日本でも若い観客を中心に共感と賞賛を得た。
★遙かなるふるさと 旅順・大連 英題Far-Away Home : Lushun and Dailian 羽田澄子監督/2011年/日本映画/日本語/110分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:自由工房/ドキュメンタリー 旧満州に生まれ育った羽田監督が、初めて外国人に解放された故郷旅順と大連を訪れる。幼い頃気づかずにいた日本の中国侵略を思い改めて日中友好を訴えた。
★ハローキッズ ! 英題 Hello Kids ! 宮城まり子監督/1986年/日本映画/日本語/99分/カラー/スタンダード/配給:アトリエまり子 ハーレムの少年との交流を通して、ねむの木の子どもたちは今度はダンスに挑戦する。本当の愛とは、教育とは、優しさとはを問い続ける宮城監督の第4作。
★パン・タデウシュ物語 原題 Pan Tadeusz アンジェイ・ワイダ監督/1999年/ポーランド=フランス映画/ポーランド語/154分/カラー/シネマスコープ/配給:アスミック・エース ミツキエヴィチの長編叙事詩を映画化したワイダ監督は、二家族の対立とタデウシュの恋を通して民族のアイデンティティーを回復し、未来への希望を描いた。
★ハンナ・アーレント 原題 Hannah Arendt マルガレーテ・フォン・トロッタ監督/2012年/ドイツ=ルクセンブルク=フランス映画/ドイツ語、英語/114分/カラー、モノクロ/シネマスコープ/配給:セテラ・インターナショナル 戦犯アイヒマンの非道を無思考の役人的発想と喝破し警鐘を鳴らしたユダヤ人哲学者アーレント。現代に通じる問題提起に共鳴した人々で大ヒットとなった。



★光のノスタルジア 原題 Nostalgia de la Luz パトリシオ・グスマン監督/2010年/フランス=ドイツ=チリ映画/スペイン語、英語/90分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:アップリンク/ドキュメンタリー
★『光のノスタルジア』『真珠のボタン』併映
★「光のノスタルジア」2010年/フランス=ドイツ=チリ映画/スペイン語、英語/90分/カラー/ヴィスタヴィジョン〈パトリシオ・グスマン監督再上映〉
★ピクー 原題 Pikoo サタジット・レイ監督/1981年/インド/ベンガル語/26分/カラー/スタンダード/配給:東宝東和 両親の確執、母と愛人の情事のもつれ、祖父の急死。完璧な台本と完璧な演出で描く少年ピクーの1日。レイ監督がテレビ用に作った珠玉の短編である。
★ピクニック 原題 Partie de Campagne ジャン・ルノワール監督/1936年/フランス映画/フランス語/40分/モノクロ/スタンダード/配給:フランス映画社
★『陽に灼けた道』 映画で見る現代チベット チベット映画特集
★陽の当たる町 原題 Mzis kalaki ラティ・オネリ監督/2017年/ジョージア語/103分/カラー 西ジョージアのチアトゥラ。ソ連時代は鉱山で大いに栄え、後にアメリカの億万長者が理想の町を作ろうと大改造を試みたが、現在はゴーストタウンのようになっている。寂れた町に居残る音楽教師、劇団員たちの生活や夢を描いた傑作ドキュメンタリー。
★火の山のマリア 原題 Ixcanul/英題Volcano ハイロ・ブスタマンテ監督/2015年/グアテマラ=フランス映画/スペイン語、カクチケル語/93分/カラー/シネマスコープ/配給:エスパース・サロウ グアテマラの伝統文化と現代文明の狭間で、自ら選んだ幸せのために闘う先住民の少女。ドキュメンタリーのような現実感でマヤ系住民の社会問題を告発。
★ヒブラ村 原題 Khibula ギオルギ・オヴァシュヴィリ監督/2017年/ジョージア語、ロシア語/99分/カラー 1991年、圧倒的な支持で初代大統領となったガムサフルディアは、反対派との内戦後、チェチェンに亡命、1993年に蜂起して失敗する。彼の雪深い山中の逃避行をとおして、この国を揺るがした事件を人々に再び喚起し、権力者と民衆の関係を静謐な映像で描く。
★白夜 原題 Quatre nuits d’un rêveur ロベール・ブレッソン監督/1971年/フランス=イタリア映画/フランス語/83分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:フランス映画社
★氷海の伝説 英題 Atanarjuat, The Fast Runner ザカリアス・クヌク監督/2001年/カナダ映画/イヌイット語/172分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:アルシネテラン イヌイットの監督により世界で初めてイヌイットの伝説が映像化された。失われつつある彼らの個有の文化が見事に描かれ、見る者に静かな感動を与えた。
★ひろしま 石内都・遺されたものたち 英題 Things Left Behind リンダ・ホーグランド監督/2012年/日本・アメリカ映画/日本語、英語/80分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:NHKエンタープライズ/ドキュメンタリー
★ヒロシマナガサキ(再上映 2007年初公開)原題 White Light/Black Rain スティーヴン・オカザキ監督/2007年/アメリカ映画/日本語、英語/86分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:シグロ、ザジフィルムズ/ドキュメンタリー
★ヒロシマナガサキ 原題 White Light/Black Rain スティーヴン・オカザキ監督/2007年/アメリカ映画/日本語、英語、韓国語/86分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:シグロ、ザジフィルムズ 被爆者の証言を中心に新たな資料も加えて構成。全米ケーブルTVで1ヶ月間繰返し放映。終わりのない放射能被害を知らずにいる人々に大きな衝撃を与えた。
★ピロスマニ 原題 Pirosmani ゲオルギ・シェンゲラーヤ監督/1969年/グルジア(ソビエト)映画/ロシア語/87分/カラー/スタンダード/配給:日本海映画



★ブータン 山の教室 英題  Lunana A Yak in the Classroom パオ・チョニン・ドルジ監督/2019年/ブータン映画/ゾンカ語・英語/110分/カラー/シネマスコープ/配給:ドマ
★ファニーとアレクサンデル 原題 Fanny och Alexander イングマール・ベルイマン監督/1982年/スウェーデン=フランス=西ドイツ合作映画/スウェーデン語/311分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和 少年と少女の眼を通して見る大人の世界とは。5時間11分の長時間を一気に見せて、ベルイマン監督の実力をまざまざと思わせた夏休みの話題作。20週の上映。
★ファニーとアレクサンデル 原題 Dokument, Fanny och Alexander イングマール・ベルイマン監督/1986年/スウェーデン映画/スウェーデン語/110分/カラー/スタンダード/配給:東宝東和
★フィオナの海 原題 The Secret of Roan Inish ジョン・セイルズ監督/1994年/アメリカ映画/英語/103分/カラー/配給:大映 アイルランドの妖精伝説と現代の生活が不思議な形で融け合った。技術文明の発達によって、自然の営みが暮らしとかけ離れてしまった日本人の心になつかしさを呼びさまし、広く受け入れられた。
★フェリーニの道化師 原題 I Clowns フェデリコ・フェリーニ監督/1970年/イタリア映画/イタリア語/91分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和
★二人日和 英題 Turn Over 野村惠一監督/2005年/日本映画/日本語/111分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:パンドラ 永年連れ添い苦労をかけた妻がALSを発症。夫は家業を閉じて看護する。ALSになったスタッフのために京都の映画人が総力を挙げて製作し大ヒットした。
★葡萄畑に帰ろう 原題 The Chair エルダル・シェンゲラヤ監督/2017年/ジョージア映画/99分/ジョージア語/カラー/配給:クレストインターナショナル、ムヴィオラ
ジョージア映画界の最長老監督が、自身の政界での経験をもとに、権力者社会を痛烈に風刺し、ユーモア溢れる軽妙洒脱な人生賛歌に仕立てた。
★冬の小鳥 原題 Une vie toute neuve ウニー・ルコント監督/2009年/韓国=フランス映画/韓国語/92分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:クレストインターナショナル 自分はなぜ愛する父に捨てられたのか。9歳の少女が体験する理不尽な戸惑いと悲しみが見る者の涙を誘う。毅然として運命を受け入れる少女の瞳が美しい。
★冬の光 原題 Nattvardsgästerna イングマール・ベルイマン監督/1962年/スウェーデン/スウェーデン語/100分/モノクロ/スタンダード/配給:IP
★芙蓉鎮 英題 Hibiscus Town シェ・チン(謝晋)監督/1987年/中国映画/中国語/165分/カラー/シネマスコープ/配給:東宝東和 岩波ホール初の中国映画。巨匠、謝晋監督が、文革時代を逞しく生きぬく庶民の姿を描ききって、中国近年の大ヒットとなったこの作品は、日本でも幅広い層の観客に深い感銘を与え、20週間という長期上映に大成功を収めた。主演の劉暁慶の来日も話題となった。
★ブラインド・デート 原題 Shemtkhveviti paemnebi レヴァン・コグアシュヴィリ監督/2013年/ジョージア語/98分/カラー 40歳の独身教師の男が主人公。彼は両親から結婚をせかされている。ある日、彼は生徒の母親に好意をもつが、彼女には服役中の夫がいた。その夫は出所するとさっそく詐欺を働き、主人公も騒動に巻き込まれてゆく。現代ジョージアのヒューマンコメディ。
★BLACK& WHITE IN COLOR 原題 La Victoire en Chantant ジャン・ジャック・アノー監督/1977年/コート・ジボワール=フランス映画/フランス語/92分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和
★プロビデンス 原題 Providence アラン・レネ監督/1977年/フランス=イギリス映画/英語/107分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和 近年フランス映画の最高傑作といわれるアラン・レネのこの新作は、難解なアンチシネマにもかかわらず、日本においても幅広い観客層の支持をえた。



★ベアテの贈りもの 英題 The Gift from Beate 藤原智子監督/2004年/日本映画/日本語/92分/カラー/スタンダード 日本国憲法第14条に人権、第24条に男女平等の項を加え、戦後日本女性の地位向上に貢献したアメリカ人女性の半生を描いた資料的にも貴重なドキュメンタリー。
★ペトルーニャに祝福を 英題 Got Exists, Her Name Is Petrunya テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ監督/2019年/北マケドニア映画/マケドニア語/110分/カラー/シネマスコープ/配給:アルバトロス・フィルム



★ポー川のひかり 原題 Cento Chiodi エルマンノ・オルミ監督/2006年/イタリア映画/イタリア語/94分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:クレストインターナショナル 真実は書物ではなく人生の中にある。「木靴の樹」以来30年ぶりにエキプ公開のオルミ監督、その現代文明批判は幅広い観客の共感を呼んだ。
★放浪の画家 ピロスマニ 原題 Pirosmani ギオルギ・シェンゲラヤ監督/1969年/ジョージア語、ロシア語/87分/カラー ジョージアの独学の天才画家ニコ・ピロスマニ(1862~1918)は、トビリシで日々のパンや酒と引き換えに、店に飾る絵や看板を描き続け、孤独のうちに亡くなった。彼の後半生を崇敬の思いをこめて描き、ジョージア人の民族の心を映像化した作品。
★放浪の画家ピロスマニ(再上映 1978年初公開)原題 Pirosmani ギオルギ・シェンゲラヤ監督/1969年/ジョージア(グルジア)映画/ジョージア語/87分/カラー/スタンダード/配給:パイオニア映画シネマデスク 1978年に岩波ホールで初公開し、当時の観客に鮮烈な印象を残したグルジアの孤高の画家の半生。37年を隔てグルジア語版での再上映は更に新たな発見を伴った。※1978年公開の「ピロスマニ」より改題。
★ぼくのいる街 黒木和雄監督/1989年/日本映画/日本語/22分/カラー/スタンダード/提供:平和博物館を創る会
★ホセ・リサール 原題 José Rizal マリルー・ディアス=アバヤ監督/1998年/フィリピン映画/フィリピン語/178分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:岩波ホール フィリピン独立運動の精神的支柱であったホセ・リサール。志半ばで倒れたその高潔な生涯は観客に深い感動を与えた。
★火垂るの墓 英題 Grave of the Fireflies 日向寺太郎監督/2008年/日本映画/日本語/100分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:パル企画 野坂昭如氏の悲痛な原作をデビュー2作目の日向寺監督が実写映像化。師黒木和雄監督の非戦の遺志を、戦争を体験していない世代が受け継いだ。
★炎の一族 原題 Tanase Scatiu ダン・ピッツア監督/1975年/ルーマニア映画/ルーマニア語/124分/カラー/スタンダード/配給:IP
★炎のマリア 原題 Koziat Rog メトーディ・アンドーノフ監督/1972年/ブルガリア映画/ブルガリア語/99分/モノクロ/シネマスコープ/配給:三陽商事
★微笑んで 原題 Gaifhmet ルスダン・チコニア監督/2012年/ジョージア語/92分/カラー テレビショー〈ジョージアの母〉コンテストで、さまざまな境遇におかれた母親たちが、優勝賞金を得るために競い合う日々を描き、男性社会の俗悪さ、現代社会の空虚さが浮き彫りにされる。それぞれの女性が困難な人生を懸命に生きる姿が胸を打つ。



★枕の上の葉 原題 Daun Di Atas Bantal /英題 Leaf on a Pillow ガリン・ヌグロホ監督/1998年/インドネシア映画/インドネシア語/83分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:岩波ホール ジョグジャカルタのストリートチルドレンと、彼らが母と慕う女性の交流を描くC・ハキム製作・主演のこの作品は、子どもたちの過酷な現実を知らしめた。感動に立ち尽す観客の姿が印象的だった。
★魔術師 原題 Ansiktet イングマール・ベルイマン監督/1958年/スウェーデン映画/スウェーデン語/99分/モノクロ/スタンダード/配給:IP
★マルクス・エンゲルス 原題 The Young Karl Marx ラウル・ペック監督/2017年/フランス・ドイツ・ベルギー映画/フランス語・ドイツ語・英語/118分/スコープサイズ/カラー/配給:ハーク 歴史を動かした二人の出会いから、「共産党宣言」が誕生するまでの彼らの活躍を描き、往年のマルクスファンから若年層までが押し寄せ大ヒットとなった。
★マルチニックの少年 原題 Rue Cases Nègres ユーザン・パルシー監督/1983年/フランス映画/フランス語/106分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ヘラルド・エース ジョゼの澄んだ瞳が、故郷アフリカの魂をとく老人たちの心を真直に受け入れる。そのすがすがしい少年の姿が共感をよび、忘れられない名作となった。



★みかんの丘 原題Mandarinebi/英題Tangerines ザザ・ウルシャゼ監督/2013年/エストニア、ジョージア映画/ロシア語、エストニア語/87分/カラー/シネマスコープ /配給:ハーク
★ミシシッピー・マサラ 原題 Mississippi Masala ミーラー・ナーイル監督/1991年/アメリカ映画/英語/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ケイエスエス
★見知らぬ人 原題 Agantuk/英題 The Stranger サタジット・レイ監督/1991年/インド映画/ベンガル語/121分/カラー/スタンダード/配給:東宝東和 西欧文明が氾濫するインド社会を憂え、人間を信じることの重要性をといて、観客の共感を得た。エキプ14本目のサタジット・レイ作品であり、遺作である。
★密告の砦 原題 Szegénylegények ミクローシュ・ヤンチョー監督/1966年/ハンガリー映画/ハンガリー語/91分/モノクロ/アガスコープ/配給:フランス映画社
★みつばちの大地 英題 More Than Honey マークス・イムホーフ監督/2012年/ドイツ=オーストリア=スイス映画/ドイツ語、英語、中国語/91分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:シグロ/ドキュメンタリー 地球規模で姿を消しつつあるみつばち。監督が世界中を旅して実情と原因を取材した傑作ドキュメンタリー。その驚くべき撮影技術が大きな話題を呼んだ。
★緑色の部屋 原題 La Chambre Verte フランソワ・トリュフォー監督/1978年/フランス映画/フランス語/94分/カラー/スタンダード/配給:東宝東和 監督自身一番好きだというこの作品は亡き妻への記憶に生き続ける主人公を描き、その美しい映像が印象的であった。
★緑はよみがえる 原題 Torneranno i Prati エルマンノ・オルミ監督/2014年/イタリア映画/イタリア語/76分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:チャイルド・フィルム、ムヴィオラ オルミ監督最新作。実際に第一次大戦に従軍した監督の父の体験と思いが雪のアルプス山中の若い兵士を通して痛切に描写され、戦争の空しさを訴え続ける。
★ミドルマン 原題 Jana-Aranya サタジット・レイ監督/1975年/インド映画/ベンガル語/134分/モノクロ/スタンダード/配給:エキプ・ド・シネマ
★皆さま、ごきげんよう 原題 Chant D’hiver オタール・イオセリアーニ監督/2015年/フランス=ジョージア(グルジア)映画/フランス語/121分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ビターズ・エンド 中世から現代までを舞台に、戦争、略奪、悪事を繰り返す人間たちの愚かな姿と、それでも強く生きる姿を描く。80歳を超えた監督の軽やかな感性が光る。
★ミンヨン 倍音の法則 英題 Harmonics Minyoung 佐々木昭一郎監督/2014年/日本映画/日本語、英語、韓国語/140分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:シグロ 伝説のTV演出家佐々木昭一郎の20年ぶりの新作で初の劇場作品。主演のミンヨンと監督の両親を通して音楽の魅力と反戦を描き現代社会に問題を提起した。



★ムアンとリット 原題 Amdaeng Muen Kab Nai Rid チャート・ソンスィー監督/1994年/タイ映画/タイ語/129分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:大映 1800年代、“男は人間、女は水牛”が当然とされていたタイ。自らの愛を貫くことによって因襲を変えていったムアンの姿は、多くの女性たちの共感を呼んだ。
★無人の野 原題 Cánh đồng hoang グェン・ホン・セン監督/1980年/ベトナム映画/ベトナム語/95分/モノクロ/スタンダード/配給:「無人の野」普及委員会 日本で上映された初の解放後のベトナム映画。戦いのさ中に繰り広げられる親子の美しい情愛を描き、限りない示唆に富む名作として、観客に深い感動を与えた。
★娘よ 原題 DUKHTAR /英題 DAUGHTER アフィア・ナサニエル監督/2014年/パキスタン=米国=ノルウェー映画/93分/配給:パンドラ パキスタン映画の日本初公開。実話を元に娘を守るために因習と闘う母を、同国の女性監督が現実を見つめ、未来に希望をたくす上質な娯楽映画に仕上げた。
★群れ 原題 Sürü ユルマズ・ギュネイ監督/1978年/トルコ映画/トルコ語/122分/カラー/スタンダード/配給:岩波ホール



★メイダン 世界のへそ 原題 Meidani-Samkaros chipi ダヴィト・ジャネリゼ監督/2004年/ジョージア語、アルメニア語、ほか/52分/カラー 今日の再開発で失われたトビリシ中心にあった多民族のコミュニティーを描く。
★メキシコ万歳 原題 Que Viva Mexico! セルゲイ・エイゼンシュテイン監督/1979年/ソビエト映画/ロシア語/86分/モノクロ/スタンダード/配給:日本海映画 幻の名画として長く上映が待たれていたこの作品の公開は、エイゼンシュテインの名を改めて人々に思い起こさせた。
★めぐりあう日 原題Je vous souhaite d’être follement aimée/英題 Looking for her ウニー・ルコント監督/2015年/フランス映画/フランス語/104分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:クレストインターナショナル 韓国に生まれフランス人家庭の養子となった監督。今作は主人公が実母を探す過程で現代ヨーロッパの移民問題にも眼を広げ、静かな感動を呼んだ。



★モアナ 南海の歓喜 原題 MOANA with Sound ロバート・フラハティ監督、フランシス・フラハティ監督、モニカ・フラハティ監督/1926年、1980年(サウンド版)、2014年(デジタル復元版)/アメリカ映画/98分/スタンダード/サモワ語/モノクロ/モノラル/配給:グループ現代 協賛:福岡アジア文化センター/後援:日本オセアニア学会/宣伝:スリーピン ドキュメンタリー映画の始祖ロバート・フラハティがカメラに収めた南の島の暮らし。無声だった作品に1980年、娘のモニカ・フラハティ監督が現地の人々による本物の音や会話、民謡を録音し付け加えた。更に2014年に施された最新のデジタル技術により生まれ変わった。
★モリエール 原題 Molière アリアーヌ・ムヌーシュキン監督/1978年/フランス=イタリア映画/フランス語/235分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和 待望久しいフランス映画の大作が観客を大動員。フランス太陽劇団のムヌーシュキンが脚本・監督、クロード・ルルーシュ製作で映画化した。来日したムヌーシュキン監督の暖かく力強い人柄が人々を魅了した。
★森の中の淑女たち(再上映 1993年初公開)原題 The Company of Strangers シンシア・スコット監督/1990年/カナダ映画/英語/101分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:パンドラ
★森の中の淑女たち 原題 The Company of Strangers シンシア・スコット監督/1990年/カナダ映画/英語/101分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:大映 初めて映画に出演した老女たちが起こした“映画の軌跡”。観客に生きることの勇気と励ましを与えて、「八月の鯨」につぐ大ヒットとなった。94年再上映決定。
★森の中の淑女たち(再上映 1993年初公開) 大好評に応えてのアンコール上映。カナダの森の中で迷子になった7人の老女たちは、相変わらず楽しく語らいながら、それぞれの人生の重みを教えてくれた。
★モルエラニの霧の中 坪川拓史監督/2020年/日本映画/日本語/214分/カラー・モノクロ/ビスタサイズ/配給:ティーアーティスト



★やがて来たる者へ 原題 L’uomo che verrà ジョルジョ・ディリッティ監督/2009年/イタリア映画/イタリア語/117分/カラー/シネマスコープ/配給:アルシネテラン 第2次世界大戦末期イタリアの山村で起きたナチスによる民間人大量虐殺。同様の悲劇は今も世界のどこかで起きているという監督の訴えを観客は重く受け止めた。
★約束の土地 原題 Ziemia Obiecana アンジェイ・ワイダ監督/1975年/ポーランド映画/ポーランド語/172分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:日本ヘラルド映画 ここには資本主義勃興期のポーランドを舞台に「大理石の男」「鉄の男」へと続くポーランド民衆の底力がひしひしと感じられた。
★約束の旅路 原題 Va, vis et deviens ラデュ・ミヘイレアニュ監督/2005年/フランス映画/フランス語、ヘブライ語、アムハラ語/149分/カラー/シネマスコープ/配給:カフェグルーヴ、ムヴィオラ アイデンティティに悩みながら“4人の母”に見守られて成長する少年。難民キャンプに井戸を掘るための、初の試みであるブログ基金も話題となった。
★山中常盤 英題 In To The Picture Scroll -The Tale of Yamanaka Tokiwa 羽田澄子監督/2004年/日本映画/日本語/100分/カラー/スタンダード/配給:自由工房/ドキュメンタリー
★山猫 原題 Il Gattopardo ルキノ・ヴィスコンティ監督/1963年/イタリア=フランス映画/イタリア語/186分/カラー/シネマスコープ/配給:東宝東和 ヴィスコンティ監督の再評価が高まる中で、貴族社会の壮麗な落日を描いたこの作品もまた、巨匠ヴィスコンティの存在の偉大さを、あらためて認識させた。
★山の郵便配達 英題 Postmen in the Mountains フォ・ジェンチイ(霍建起)監督/1999年/中国映画/中国語/93分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和 IT全盛の時代の中で、コツコツと郵便を配達する父と息子の2日間の旅は、今の日本から失われつつある人と人との絆を思い出させ、国境を越えた感動を呼んだ。



★夕映えの道 原題 Rue du Retrait ルネ・フェレ監督/2001年/フランス映画/フランス語/90分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:角川大映映画 年齢や境遇を越えて育まれた老婦人と中年女性の友情。自立して生きる孤独と誇りをフェレ監督は温かいまなざしで包み、多くの女性の共感を得た。
★ゆずり葉の頃 英題 Before the Leaves Fall 中みね子監督/2014年/日本映画/日本語/102分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:パンドラ 岡本喜八監督の名プロデューサーとして知られる中みね子監督の初作品。戦争の記憶と高齢の母と息子の関係を温かく描き中高年女性を中心に大ヒットした。
★夢のアンデス 英題  The Cordillera of dreams パトリシオ・グスマン監督/2019年/チリ=フランス映画/スペイン語/85分/カラー/配給:アップリンク
★夢のまにまに 英題 Dreaming Awake 木村威夫監督/2008年/日本映画/日本語/106分/ヴィスタヴィジョン/配給:パル企画 映画美術の大御所木村氏が長編劇映画を初監督。自らの人生と戦争に対する思いを瑞々しい映像で表現。90歳の監督デビューはギネスブックにも認定された。



★夜の儀式 原題 Riten イングマール・ベルイマン監督/1970年/スウェーデン映画/スウェーデン語/75分/モノクロ/スタンダード/配給:IP



★『ラサへの歩き方~祈りの2400km』 映画で見る現代チベット チベット映画特集
★『ラモとガベ』 映画で見る現代チベット チベット映画特集
★楽園からの旅人 原題 Il villaggio di cartone/英題The Cardboard village エルマンノ・オルミ監督/2011年/イタリア映画/イタリア語/87分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:アルシネテラン 取り壊される寸前のカトリック教会を舞台に、オルミ監督は宗教、民族、経済、暴力など今のヨーロッパが抱える問題を寓話的に描き、改めて存在感を示した。
★ランジェ公爵夫人 原題 Ne touchez pas la hache ジャック・リヴェット監督/2006年/フランス=イタリア映画/フランス語/137分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:セテラ・インターナショナル 文豪バルザックの原作をヌーヴェルヴァーグの巨匠リヴェットが完全映画化。19世紀初頭のパリの貴族社会の絢爛豪華さとその駆引きに観客は魅せられた。



★林檎の木 原題 Apfelbäume ヘルマ・サンダース=ブラームス監督/1992年/ドイツ映画/ドイツ語/111分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ヘラルド・エース、日本ヘラルド映画 東西統一に至っても、なお新たな波にもまれつづける旧東独の人々の心の傷を描いて、ブラームス監督の実力と、日本での人気の高さが改めて浮彫りにされた。
★リンドグレーン 原題 Unga Astrid 英題 Becoming Astrid ペアニレ・フィシャー・クリステンセン監督/2018年/スウェーデン=デンマーク/123分/スウェーデン語、デンマーク語/カラー/シネマスコープ/配給:ミモザフィルムズ 世界中で愛され、読み継がれている児童文学作家の若き苦悩の日々と、それを乗り越えていく彼女の強さ、リンドグレーンの知られざる原点に迫った感動作。



★ルードウィヒ 原題 Ludwig ルキノ・ヴィスコンティ監督/1972年/イタリア=西ドイツ映画/イタリア語/184分/カラー/シネマスコープ/配給:東宝東和 19世紀末のバイエルン国王ルードウィヒ二世の半生を耽美的に描いたヴィスコンティの超大作。岩波ホールにおける興行成績の記録を樹立した。
★ルイズその旅立ち 英題 Louise 藤原智子監督/1997年/日本映画/日本語/98分/配給:「ルイズ」製作委員会 大杉栄・伊藤野枝の四女で市民運動家の伊藤ルイの半生を描いたドキュメンタリー作品。日本の近代史に新しい光を当てて、女性の支持を得た。



★ローザ・ルクセンブルク 原題 Rosa Luxemburg マルガレーテ・フォン・トロッタ監督/1985年/西ドイツ映画/ドイツ語/122分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和
★ローザ・ルクセンブルク(再上映 1987年初公開)マルガレーテ・フォン・トロッタ監督/1985年/西ドイツ映画/ドイツ語/122分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和 東欧の政治情勢の変革に、今こそローザをという観客の要望に応えてのアンコールショー。人間の顔をした社会主義をとなえて孤独な闘いをつづけたローザを、女性の側面からとらえたトロッタ監督の製作意図が、あらためて確認された。
★ローザ・ルクセンブルク(再上映 1987年初公開)原題 Rosa Luxemburg マルガレーテ・フォン・トロッタ監督/1986年/西ドイツ映画/ドイツ語/122分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:パンドラ
★ローマの奇跡 原題 Milagro en Roma リサンドロ・ドゥケ・ナランホ監督/1988年/コロンビア=スペイン映画/スペイン語/80分/カラー/スタンダード/配給:シネセゾン 父親と幼い娘の奇跡を描いてシリーズ中もっとも人気の高かった作品。政治や宗教への不信と批判をこめながらも、そこにあふれている抒情が美しかった。
★ローマの教室で〜我らの佳き日々〜 原題 Il rosso e il blu ジュゼッペ・ピッチョーニ監督/2012年/イタリア映画/イタリア語/101分/カラー/シネマスコープ/配給:クレストインターナショナル ローマの公立高校。全くタイプの違う3人の教師が、それぞれに生徒と向き合い、教育の奥深さに気づく。背景にあるイタリア文化の豊かさを観客に示した。
★老親 ろうしん  英題 Roh Shin 槙坪夛鶴子監督/2000年/日本映画/日本語/112分/カラー/スタンダード/配給:企画制作パオ 実話に基づいて女性と高齢者の自立を描いたこの作品は、まさに介護の現実に直面する世代の幅広い共感を呼んだ。
★「ロシュフォールの恋人たち」原題 Les Demoiselles de Rochefort ジャック・ドゥミ監督/1966年/フランス映画/フランス語/127分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ハピネット
★「ロバと王女」原題 Peau d’âne ジャック・ドゥミ監督/1970年/フランス映画/フランス語/89分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:セテラ・インターナショナル



★若き作曲家の旅 原題 Axalgazrda kompozitoris mogzauroba ゲオルギ・シェンゲラヤ監督/1985年/グルジア映画/グルジア語/104分/カラー/スタンダード/配給:日本海映画 第一次ロシア革命後のグルジアは帝政ロシア軍の巻返しが盛んだった。民族の自立と独立を求め、散った人々を「ピロスマニ」の名匠は静かなまなざしで悼む。
★わが故郷の歌 原題 Gomshodei dar Araq バフマン・ゴバディ監督/2002年/イラン映画/クルド語/100分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:オフィスサンマルサン 1980年代のイラン・イラク戦争が庶民にもたらしたものは何であったか。悲惨な状況と一筋の希望を描き、ゴバディ監督はクルド人が担う今日の問題を提起。
★惑星ソラリス 原題 Solaris アンドレイ・タルコフスキー監督/1972年/ソビエト映画/ロシア語/165分/カラー/シネマスコープ/配給:日本海映画
★鷲の指輪 原題 Pierścionek z orłem w koronie アンジェイ・ワイダ監督/1992年/ポーランド=イギリス=フランス=ドイツ映画/ポーランド語/106分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ヘラルド・エース、日本ヘラルド映画 「灰とダイヤモンド」で描くことのできなかったワルシャワ蜂起の真実を明らかにすることがワイダ監督の念願だった。共産主義政権が倒れた今、夢が実現した。
★私のお祖母さん 原題 Chemi Bebia コンスタンティネ・ミカベリゼ監督/1929年/サイレント/61分/白黒 無声映画時代の伝説的作品。一人の役人が失職し、再就職しようとする顛末をとおして官僚主義を痛烈に批判する。アニメーションを斬新に使い、ソ連体制下、アヴァンギャルドでアナーキーな力に満ちた内容のため、ジョージアで初めて公開禁止になった作品。
★わたしはダフネ 原題 DAFNE フェデリコ・ボンディ監督/2019年/イタリア映画/イタリア語/94分/カラー/シネマスコープ/配給:ザジフィルムズ
★私は20歳 原題 Zastava Iliycha マルレン・フツィエフ監督/1962年/ソビエト映画/ロシア語/198分/モノクロ/スタンダード/配給:シネセゾン 1960年代、フルシチョフの“雪解け”時代を描きながら、皮肉にもそのフルシチョフによって公開禁止になった。これが完全復元版の世界初公開となった。
★笑う故郷 原題 El Cludadano Ilustre/英題 The Distinguished Citizen ガストン・ドゥプラット監督、マリアノ・コーン監督/2016年/アルゼンチン=スペイン映画/117分/カラー/配給:パンドラ アルゼンチン出身のノーベル賞作家が40年ぶりに故郷に帰る。熱烈な歓迎がいつしか思いがけない方向へと転換し、人間の嫉妬や侮辱などを露わにした悲喜劇。
★ワレサ 連帯の男 原題 Wałęsa. Człowiek z nadziei / 英題 Walesa. Man of Hope アンジェイ・ワイダ監督/2013年/ポーランド映画/ポーランド語、イタリア語/124分/カラー/シネマスコープ/配給:アルバトロス・フィルム ポーランド民主化のきっかけとなったストライキを指導したワレサ。彼を描き時代を描けるのは自分だという監督の強い使命感が、観客の絶大な支持を得た。
★湾生回家 原題 湾生回家/英題 Wansei Back Home ホァン・ミンチェン(黄銘正)監督/2015年/台湾映画/日本語、中国語/111分/カラー/配給:太秦/ドキュメンタリー 戦前の日本統治下の台湾で生まれた日本人“湾生”。日本に強制送還された彼らにとって祖国とは故郷とは何か。台湾で大ヒットし日本でも大きな反響を呼んだ。


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