むかし、といっても小学校の上級年くらいからのことだと思いますが、大人の誰彼に映画館に連れて行ってもらって観た映画の一シーンとか、当時のテレビで放映された映画の断片的なシーンをふいに思い出すことがあり、「あれって、いったいどういうタイトルの映画だったのか」とたまらなく知りたくなることがあるのですが、しかし、多くの場合は、それが前後の脈絡が断たれたぶつ切りのワンシーンにすぎないために、それをたどってタイトルを調べあげるなど(俳優の容貌から国を想定したり、ストーリーからジャンルにあたりをつけても)到底不可能、それこそ雲をつかむような話で、結局のところどうにも調べようがなく、仕方なくあきらめて、そのうちに「知りたい」と思ったこと自体もいつの間にか忘れてしまうなんてことが、いままでもよくありました。
しかし、そんななかでも、記憶に残る強烈な印象のシーンを手掛かりにして、いろいろと調べていくうちに、ついに実体の伴うタイトルに行き当たった映画というものも、ごく稀にですがありました。
そういう作品のひとつにアルネ・マットソンというスウェーデンの監督の「沈黙の歓び」1962という作品があって、その探索のイキサツを、少しむかしになりますが、このブログに書いたことがあります(2008年6月7日付)、そしてここ最近にきて、多くの方からこの「沈黙の歓び」にアクセスをいただいて、当初は「なんでだ?」と訝しく思いながら検索してみたところ、やっと分かりました。
いま、国立映画アーカイブで「スウェーデン映画への招待」というタイトルで11月27日から12月23日までのあいだ、特集上映をやっていたんですね、はじめて知りました。
なるほど、なるほど、それでこの「沈黙の歓び」が、国立映画アーカイブで上映されるのかと早合点し、アーカイブのサイトで上映プログラムを確認してみたところ、当の「沈黙の歓び」は上映予定にないことも知りました、ここでまたまた新たな壁にぶち当たったというわけです。
しかし、この「疑問」に付き添って、さらにまた、ずるずると調べをすすめていったら、なんだか途方もない迷路とか隘路とかの深みに嵌まり込んでしまいそうな不吉な予感がします、きっと、以前の自分なら、まあここらあたりで、とりあえず「まっ、いいか」と早々に切り上げて、この先に踏み込むことなく(面倒くささを敬遠して)、さっさと諦めてしまうところなのですが、しかし、なんといってもこの映画には、以前、記憶の中に埋もれていて、その「身元」さえ不明のまま永遠に失いかけていたものを苦労して発掘したという経緯があります(忘却の中から「掘り返した」という意識が強いので)、それを考えれば、自分にとって特別な意味を持つこの映画「沈黙の歓び」です、ここはまあひと汗かくのもいいかなという気持ちで、プログラムに掲載されてある作品の監督名をひとつひとつ当たり「アルネ・マットソン」という名前があるかどうかを確かめてみることにしました。
それにしても「しんどい仕事」ですが、まあ「コピペして不要部分を削除」という回りくどい作業をするくらいなら(実際、過情報のデジタルというのは、かえってそういう煩雑さってありますよね)、地道にひとつひとつアナログ的に潰して見てしまった方が、逆に能率的にも優れているように思います、いえいえ、皮肉なんかじゃありません。
それに、いざ作業にかかってしまえば、なんていう手間でもありませんし。自分は以前にも、似たような仕事をしていましたから。
そうやって、一作ずつ監督の名前を確認していくうちに、ついに「アルネ・マットソン」の名前に行き当たりました。
「春の悶え」1951という映画を監督したと記載されています、まあ、リストには、アーネ・マットソンという表記になっていましたが。
この「春の悶え」がアルネ・マットソンの作品だと知ったとき、思わず「えっ、え~!!」と驚いてのけぞってしまいました。
「らしくない」という意外さが、まずありました、不意打ちをくらって、まさに衝撃といっていいサプライズだったからでしょうか、だって、あの孤独の青年の破綻を描いた「沈黙の歓び」と、自分の知っている淫らっぽい(正直、そういう印象でした)「春の悶え」では、イメージとして天と地ほどの差があるように思えたからだと思います。
実は、この「春の悶え」が日本で公開された当時の世情(雰囲気みたいなもの)というのを自分はよく覚えています。
いやいや、ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞したこの秀作を日本の配給会社がどのように煽情的に宣伝し、そして世間がどのように淫らがましく受け止めたか、その淫猥な紐帯で意思統一して身構えた配給者と鑑賞者の日本では、この作品をどのように受け入れたのか、その雰囲気というのを自分はよく覚えていたのです。
この映画を語る時の大人たちは、淫らな薄ら笑いを浮かべながら、人差し指と中指のあいだから親指を淫猥にのぞかせたいやらしい下卑たサインを示し「あの」映画のことを淫猥な興奮に上気して話していたのも知っています。
それに街の隅々、あらゆる電信柱とか掲示板には、まばゆいような半裸の少女のポスターが貼られ、その逆光に輝く美形の少女は、全裸が透けて見えるような薄物の服をハダケルように着て、顔だけは背けながらも、しかし、ふくらみかけた胸を恥ずかし気に両手で隠している、そんな煽情的なポスターだったと記憶しています、そしてそのポスターも貼ればたちまち剥ぎ取られて盗まれてしまうというスキャンダラスな噂話までもがまことしやかに報ぜられたことも記憶しています。
ポスターに象徴されたこのような扱いは、この秀作映画にとっても、また、思春期にあった少年たちにとっても、じつに過酷な受難であり試練だったに違いありません。
しかし、逆に、この映画が、それなら「愛こそすべてだ」と高邁に描いているのかというと、当時にあっても、そうとまでは言えないのではないかという印象を持ちました。
実は、このコラムを書く前に、ネットでこの映画に対する2、3の感想を読みあさりました。いまの若い人たちが、この映画をどういうふうに受け止めているのか、少なからず興味がありました。
しかし、もともと、この作品が超レアな作品(ベルリン国際映画祭金熊賞受賞作なのにね)ということもあって、感想自体もごく少ないのですが、代表的なものをちょっと引用させてもらいますね。それはこんな感じでした。
≪愛の前では、どんな教義も説教も全て効力を持たない。
愛を交わし語り合う若者に対して世間が持つイメージが淫靡であるように感じることがある。
愛ってそんなものなのでしょうか。
「汝の隣人を愛せよ」とキリスト教の有名な言葉があります。
それなのに、この作品で登場する神父は、若い二人が道を間違えるだろうということで引き離そうとします。
これは「若年者をコントロールしたい」という欲求があるから起こるものなのかな、と感じました。
思い通りに行かない若者を「懲らしめてやろう」ということです。
大人というものは、若者に対する偏見を持ってしまうことが多い。
それは何故か?
若さゆえの心の素直さへの「嫉妬」、はたまた年長者である自己の支持従わないことへの「怒り」、そして若さへの「羨望」。
あげたらきりが無いのかも知れないのだが、この作品にはその滑稽なまでの姿が当然の様に描かれるのだった。
ラストの葬儀のシーンでの神父と若者の顔つきの違いをとくとご覧いただきたい。
両者の表情は単純な老若でも、美醜でもないなにかが違う。
それは魂を、生を生き切る姿の違いから来る輝きなのかも知れない。
邦題が作品のカラーに合っていないので、タイトルで敬遠してしまう方がいるだろうと思うと大変残念です。≫
なるほど、なるほど、そういうことですか。
ここに書かれていることは、おおむね理解できますが、世間では、「若さがすべて、愛がすべて」と素直に妄信している人たちばかりでは、必ずしも「ない」ことは、容易にネットでも知ることは可能です。
以下は、自分が読んだうちのこの作品の解説として一般的なスタイル(ステレオタイプとまではいいませんが)だと思うので、ちょっと紹介しておきますね。
≪逆光の中で湖畔での若い男女の全裸のラブシーンが「セックス王国スウェーデン」の名をスキャンダラスに高めることになり大ヒットしたが、美しい自然描写と性的な自由さという、スウェーデン映画の一般的イメージを確立した作品でもある。この全裸シーンは輸出先の国の検閲の程度に合わせて大胆なものからおとなしいものまで3種類撮影されたというが真相は不明。日本ではむしろ「処女の泉」の強姦シーンがカットされたというところに、その後の擬似検閲の問題の始まりがあった。しかし、全篇を支配するのは、教会に代表される旧道徳に縛られた農村社会と、都市文化の流入によって、一瞬の青年期を燃焼し尽くすかのように純粋に異性を求めようとする若者たちとの、熾烈な世代間闘争のドラマである。ベルリン国際映画祭金熊賞受賞。1954年日本公開。≫
ほらほら、あるじゃないですか、これですよ、これ。
「全篇を支配するのは、教会に代表される旧道徳に縛られた農村社会と、都市文化の流入によって、一瞬の青年期を燃焼し尽くすかのように純粋に異性を求めようとする若者たちとの、熾烈な世代間闘争のドラマである。」
ここには「愛こそすべて」ばかりじゃない、さらにハイブローらしきことが書かれているにしろ、しかし、それにしても自分がこのステレオタイプの解説で興味をひかれたのは、むしろその前半部分に書かれてある箇所でした。
「逆光の中で湖畔での若い男女の全裸のラブシーンが「セックス王国スウェーデン」の名をスキャンダラスに高めることになり大ヒットしたが、美しい自然描写と性的な自由さという、スウェーデン映画の一般的イメージを確立した作品でもある。この全裸シーンは輸出先の国の検閲の程度に合わせて大胆なものからおとなしいものまで3種類撮影されたというが真相は不明。日本ではむしろ『処女の泉』の強姦シーンがカットされたというところに、その後の擬似検閲の問題の始まりがあった。」
この一文、どこかで読んだ記憶があるぞという気がしたので、書棚の本を片っ端から漁っていくと、ありました、ありました、キネマ旬報の「世界の映画作家34 ドイツ・北欧・ポーランド映画史」の219ページ中段~下段に、このようなマンマの記述がありました。
「アーネ・マットソン(1919~)の「春の悶え」1951は、逆光の中であるとはいえ、若い男女の全裸シーンのおかげで「セックス王国スウェーデン」の虚名を高めることになった。そのシーンは輸出先の国の検閲の程度に合わせて大胆なものからおとなしいものまで3種類撮影されたというが真相はわからない。日本ではむしろ『処女の泉』の強姦シーンがカットされたというところに、その後の擬似検閲の問題の始まりがあった。」(三木宮彦「北欧映画史」より「復活した北欧映画」)
あるいは、こんな一文も見つけました。
「シェーベルイ監督の『もだえ』1944のシナリオライターとしてデビューし、50年代半ばに『不良少女モニカ』『道化師の夜』ともに1953、『夏の夜は三たび微笑む』1955などで世界を驚かせたイングマル・ベルイマンが、スウェーデン映画の神秘主義を一身に背負って今日に至っている。ギリシア神話のダフネスとクロエの物語を純潔な官能美で満たした北欧版アルネ・マットソン監督『春の悶え』1951の大ヒット以来、スウェーデン映画はセックスの氾濫時代を迎えるが(その頂点がビルゴット・シェーマン監督『私は好奇心の強い女』1967)、ベルイマンはそうした流行とはまったくかかわりなく、『沈黙』1963に見られるようなセックスと神,すなわち肉欲と信仰の葛藤をテーマに映画をつくり続け、60年代末には『ベルイマンの神秘主義』に反発してフランスのヌーヴェル・ヴァーグの感覚を意識的に採り入れ、抒情性と社会性をミックスした映画をめざした新鋭監督ボ・ウィデルベルグ(『みじかくも美しく燃え』1967、『ジョー・ヒル』1971)などの登場が注目されたものの、やはり、その豊饒な創作活動と息の長いキャリアで巨匠・ベルイマンの位置は不動のままである。
なお、グレタ・ガルボを筆頭に,『第二のガルボ』といわれたイングリッド・バーグマン、アニタ・ビョルク、ビベカ・リンドフォース、ビビ・アンデルソンといったスウェーデン女優がハリウッドに輸入されたが、なかでもガルボとバーグマンはハリウッドの女優史の中核をなす重要な存在になった。」
こういう一文を前にすると、なんだかベルイマンの方へ持っていかれそうになりますが、ここはこらえてアルネ・マットソンに拘りたいと思います。
とはいえ、「アルネ・マットソン」というキイワードで検索してみても、その結果が惨憺たるものであることは経験済みです。
せいぜいのところ、≪出生地・スウェーデン、生年月日・1919年12月2日 いて座、没年月日・1995年6月28日(享年75歳)≫くらいしか存在しません。
そもそもこの監督、キネマ旬報社の「世界映画人名事典・監督(外国)編」に掲載がありません、ネットが、原本があってのコピーで成り立っている砂上の擬似(偽造)楼閣みたいなものとの認識はありましたが、しかし、ここまでひどいとは。
オリジナルなどなにひとつ存在しない、もう最初からナニオカイワンヤという感じです。国民性を考えると、著作権無視のコピー帝国・中国においてネット社会が大繁栄するということが、なんだか実感をもって深く納得できてしまう事態だと思いました。
そのなかでも、「沈黙の歓び」や「春の悶え」を含んだマットソン監督作品というのが幾本かヒットしましたので(たったのこんだけ!!)、あげておきますね。
★春の悶え
ペロロフ・エクストラームの小説「彼女は一夏しか踊らなかった」からW・セミチョウヴが脚色、新進アルネ・マットソンが監督したスウェデン映画1952年作品。撮影は「令嬢ジュリー」のイエラン・ストリンドベルイ、音楽はスヴェン・シエルドで52年度カンヌ映画祭において音楽賞を獲得した。主演はフォルケ・サンドクィスト、ウラ・ヤコブソンで、以下「愛欲の港」のベルタ・ハルとエリック・ヘル、エドウィン・アドルフソン、イルマ・クリステンソンらが助演する。
中学を終えたイエーラン(フォルケ・サンドクィスト)は夏休みに田舎の伯父の農園に行き、隣家の娘シエルスティン(ウラ・ヤコブソン)と遊び友達になった。処が頑迷な村の老人達はこの健康な若者達の行動に眉をひそめ就中牧師はことごとに彼らを攻撃した。シエルスティンの父母も娘の教育に関しては厳格をきわめ、若い二人はやっと伯父の理解で農園の納屋を解放して貰っていたが、ここで若者達の芝居をやろうという計画も、事故による伯父の重傷や二人のデイトが娘の義母に発見されたことなどからオジャンになった。娘は遠くの農家へ送られ、恋の想いに堪えられなくなったイエーランは彼女を追って森の中で再会、二人はすべてを忘れて恋に酔った。イエーランは町の両親の許に連戻されたものの再び学校を脱出して村へ戻り、納屋が牧師の指金で焼かれたので、他場所で芝居を敢行した。しかし幸福も束の間、その帰途二人をのせたオートバイが転覆して、重傷を負ったシエルスティンの若い命はうばわれた。葬儀の日、参列したイエーランが受けたのは牧師の嘲笑であった。堪えかねた彼はひそかに墓地を脱け、悄然と思い出の森の湖畔に立って、二度と帰らぬ恋に泣いた。
(1951ノーディスク・トーネフィルム)監督・アルネ・マットソン、脚色・ヴォロージャ・セミチョフ、オーレ・ヘルボム、アルネ・マットソン、原作・ペロロフ・エクストラーム『彼女は一夏しか踊らなかった』、製作・レナート・ランドハイム、撮影・イョーラン・ストリンドベルイ、音楽・スヴェン・シエルド、編集・レナルト・ウォーレン、美術・ビビ・リンドストルム/プロダクションデザイン
出演・ウーラ・ヤコブソン(Kerstin)、フォルケ・スンドクヴィスト(Goran)、エドヴィン・アドルフソン(Anders Persson)、イルマ・クリステンソン(Sigrid)、ヨン・エルフストローム(The Priest)、ニルス・ハルベルグ(Nisse)、グンヴォール・ポンテン、ベルタ・ハル(Anna)、ゴスタ・グスタフソン(Berndt Larsson)、エリック・ヘル(Torsten)、ステン・マットソン(Olle)、アルネ・シューレリュード(Viberg)、ステン・リンドグレン、エーリヒ・コンラッド、オラヴ・リエゴ、カルル・グスタフ・リンドステット、クリスティナ・アドルフソン、ジョン・メラン、ジャン・サンドクイスト、John Elfström、Nils Hallberg、Arne Källerud、Axel Högel、Hedvig Lindby、Margaretha Löwler、Ulla-Bella Fridh、Ejnar Haglund、Ingemar Holde、Gustaf 'Stålfarfar' Håkansson、Gunilla Pontén、Birgitta Wetterhall、
(日本公開年1954.3.6 110分・スタンダード(1:1.37)、モノクロ 35mm)
★沈黙の歓び
ラルス・フォルセルの原作をエヴァ・ゼーベルグが脚色し、アルネ・マットソンが監督した。撮影はアーケ・ダルクビスト、音楽はウルリク・ノイマンが担当。出演はこの映画で63年度スウェーデン・フィルム・アカデミーの最高演技賞を獲得したペール・オスカルソン、ジオ・ペトレほか。製作はローレンス・マルムステット。
この若い男(P・オスカルソン)は百貨店の夜警である。彼は毎夜、空虚な店内に投げ出されてあるマネキン人形の群を見ているうちに、いつしかその中のひとつに烈しい恋をした。彼には生身の女性よりもマネキン人形の方がはるかに美しく理想的に見えた。そしてついにある夜、彼はその人形を盗み出し、自分のアパートの部屋へ持ちこんだ。一瞬にして殺風景な男の部屋に花が咲いたようになった。彼はその人形を狂おしく愛撫した。そして沈黙の支配する中で彼は生れて初めて愛する歓びを知った。ある夜、固く動かなかったマネキン人形(G・ペトレ)が彼の愛撫に応えた。アパートの住人たちは彼の不可解な様子をいぶかった。ひとりの荒くれ男は、好奇心をおさえかねて、夜警の部屋におしいった。男がベッドの中に見たのは冷たい石のマネキン人形だった。仕事から帰ってきた夜警は皆から笑われ、その上人形をぶちこわされてしまった。愛人をこわされ、夢を破られた男は怒り狂い拳銃でその男を殺そうとしたが、失敗した。夜警の部屋には、手も足も胴もバラバラになったマネキン人形が散らばっていた。だが暗い片隅にころがっている首だけが、ニコッとほほ笑み、夜警の愛撫を求めていた。
(1963スウェーデン)監督・アルネ・マットソン、脚色・エバ・ゼーベルグ、原作・ラルス・フォルセル、製作・ローレンス・マルムステット、撮影・アーケ・ダルクビスト、音楽・ウルリク・ノイマン、
出演・パール・オスカーソン(Nightwatchman)、ジオ・ペトレ(The Doll)、トル・イセダル(Barber)、Elsa (PrawitzLandlady)、ベント・エクルンド(Caretaker)、MalouYoung(Girl)、ミミ・ネルソン(The Mother)、Ric Axberg(Young Son)、Dagmar Olsson(Charwoman)、
配給・NIC、1966年公開
★断罪
ユングベ・リットケンスの同名小説を「愛のレッスン」に出演したエヴァ・ダールベックが脚色し、「沈黙の歓び」のアルネ・マットソンが監督した作品で、犯罪実話の映画化。撮影はラース・ビヨルネ、音楽はゲオルク・リーデル。出演は「沈黙」のグンネル・リンドブロム、「禁断」のクリスティーナ・ショリン、新人エスタ・エクマンほか。製作はローレンス・マルムステット。
スウェーデン南部のある農家。近所づきあいも悪く、意地のきたない女アンナ(G・リンドブロム)は、年頃になった息子のヤン(G・エクマン)に何とか嫁をとらせようと、八方手をつくして探し廻ってみたが、そう簡単には見つからなかった。それというのもアンナとヤンの不倫な関係が噂にのぼっていたからである。だがアンナの念願がかなって、やっと近くに住む地方判事の娘ハンナ(C・ショーリン)を迎えることが出来た。息子を溺愛し、彼と肉体関係まで結んでいたアンナは、結婚後三日とたたないハンナを執念深く、皮肉たっぷりにいじめ始めた。ある日母子の破廉恥な行為を目撃したハンナはあまりの恐ろしさに気も転倒したが、何時かはヤンも自分のところ戻ってくると信じ、虐待にじっと耐えた。だがアンナの仕打ちは日増しに度を越すばかりであった。そしてアンナは息子との関係を続けていくのにどうしてもハンナが邪魔だと知るや、息子と共謀して一八八九年三月も終りに近づいた日の深夜、ひそかにハンナを殺害し、近所の人びとには誤って地下室へ落ちて死んだとふれ歩いた。裁判にのぞんでもアンナとヤンは、根も葉もない嘘をならべたて無実を証明しようとした。だが結局は判事の巧みな誘導尋問が彼らの罪をあばくことになった。かくして実子に相姦を強要し、結婚後に夫婦の関係を禁じていた世にも恐ろしい母親アンナは、スウェーデン最後の女子死刑囚として、無残にもナタで首を断たれた。しかしヤンは村人の協力でかろうじて無罪となった。
(1966スウェーデン)監督・アルネ・マットソン、脚色・エバ・ダールベック、原作・ユングベ・リットケンス、製作・ローレンス・マルムステット、撮影・ラース・ビヨルネ、音楽・ゲオルク・リーデル、
出演・グンネル・リンドブロム(Anna)、クリスティナ・ショリン(Hanna)、エスタ・エクマン(Jan)、Elsa Prawitz
配給・松竹映配、1967年公開
★慕情のひと
「春の悶え」のアルネ・マットソンが脚本・監督を担当した純愛ロマン。撮影はラース・ビヨルネ、音楽はモーツァルトの『クラリネット五重奏曲イ長調』と、ヨハン・シュトラウスの『ウィーンの森の物語』を使用。録音はラルス・クレットナーとハンス・アンデルソン。出演はノルウェー出身の歌手グリネット・モルビグ、新人ビヨルン・タンベルト、「春の悶え」のフォルケ・サンドクィストとウラ・ヤコブソンほか。
青年クリステル(B・タンベルト)は、母ベラ、父ベルイと、何不自由なく平穏な生活をしていた。だが、ある日のこと、父が交通事故で不慮の死をとげたときから、彼の日常は一変した。バルブロ(G・モルビク)という女性が現われたからだ。彼女は平凡なOLだが、生前の父と、ひそやかに関係を秘めていた。彼にとっては尊敬する父親だったのにそんな一面があったとは--。傷つきやすい青年の心はバルブロへの憎しみにもえた。だがその憎しみが、バルブロへの深い想いに変わっていくのも遠い日ではなかった。彼は愛した。そして多分、彼女も。一方、母親のベラは、息子との話しあいから、すべてを知り、バルブロに会った。一人を男を同時に愛した二人の女。共通する喜びと悲しみ。だが、その男も今は亡い。二人の女は、クリステルの将来のために、一年ほど外国留学させることにした。別れがせまった頃、バルブロの胎内に新しい生命が宿っていた。ベルイの子である。本当に愛したのはベルイ。彼のほかに自分の愛はない。彼女は、その喜びをかみしめながら、海辺の道をどこまでも歩いていく。
(1968スウェーデン)監督・アルネ・マットソン、脚本・アルネ・マットソン、撮影・ラース・ビヨルネ、音楽・ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ヨハン・シュトラウス2世、録音・ラルス・クレットナー、ハンス・アンデルソン、
出演・グリネット・モルビグ(Barbro)、ビヨルン・タンベルト(Christer)、フォルケ・スンドクビスト(Mr. Berg)、ウーラ・ヤコブソン(Vera)、
配給・東和、1969年公開
★牝あわせ
数々の官能作品に出演するスウェーデン女優、マリー・リシュダールが主演を務めたエロティックドラマムービー。それまであまりテーマとして取り上げられることがなかった同性愛をテーマにし、本格的なレズシーンが展開する構成で話題となった衝撃作。
年増の映画評論家アンと結婚を間近に控えたイヴ(M・リシュダール)の旅先でのアヴァンチュールを描いた作品。M・リシュダールのピチピチヌードは拝めるもののエロさはイマイチ。ただ、トラックの荷台でまわされるシーンはそれなり。アン役のG・ペトルの熟女パワー炸裂だが、いかんせん貧乳+タレ乳なので萎える。エロそうな儀式?なんかもあったが、そのとき変な映像処理がされてて最悪。ストーリーは偽善や憎しみなど、複雑な女心を描きつつ、現代女性の恋愛を描いている感じでした。それと、映画評論家に対する痛烈な皮肉なんかも描いていました。
この映画の感想にこんなのもありました。「マリーリシュダールがレズシーンに挑戦したことで、センセーションを巻き起こした話題作? 嘘つけ! レズシーンなんてどこにもないぞ! 買って損した!」なんてね。
(1971スウェーデン)監督・アルネ・マットソン、製作・レナルト・ベルンズ、脚本・エルネスト・ホッチ、撮影・マックス・ウィレン、音楽・ベンクト=アルネ・ワリン
出演・ジオ・ペトレ、マリー・リシュダール
★仮面の殺意
(1985アメリカ)監督・アルネ・マットソン、製作・トミー・イワーリング、脚本・ヴォロージャ・セミチョフ、撮影・トミスラフ・ピンター、音楽・ビョルン・ヨーソン・リンド
出演・ロッド・テイラー、ヴァレリー・ペリン、クリストファー・リー、フランク・ブレナン
★魔・少・女/ザ・ガール
小悪魔のような14歳の妖艶な少女(クレア・パウニー)に翻弄され、やがて殺人にまで巻き込まれて行く中年弁護士(F・ネロ)を描く。映像は秀逸だが、思わせぶりな冗長な描写が目立つ異常心理サスペンス物としては描き込みが足りない感じだがパウニーに魅了される。
(1986イギリス/スウェーデン)監督・アルネ・マットソン、製作・アルネ・マットソン、脚本・エルネスト・ホッチ、撮影・ラース・カールソン、ゴーラン・マシェヴァ、トミスラフ・ピンター、音楽・アルフィ・カビリョ、
出演・フランコ・ネロ、クレア・パウニー、バーニス・ステジャース、フランク・ブレナン、クリストファー・リー、マーク・ロビンソン、デレク・ベンフィールド、クリフォード・ローズ
前述の「愛こそすべて」のコメント氏は、「春の悶え」という煽情的なタイトルが、この作品の本来の価値を損なっていると嘆いている一文がありましたが、「牝あわせ」に比べたらアナタ、「春の悶え」なんかまだまだ可愛い方ですって。
しかし、これだけではあまりにさびしすぎます、このコラム、ここで打ち切ってしまうと、悲惨な尻すぼみの「なんだ、これ!」みたいになってしまうので、アルネ・マットソンがこんなもんじゃない(なにせ、ベルリン国際映画祭金熊賞受賞監督なわけですから!)というところを、失地回復の願いを込めて海外wikiの記事を丸投げしてしのぎたいと思います。
結局、丸投げじゃん!!
訳の方はヨロシク、とはいっても、他の作品は、もともと輸入されていないわけですから、わざわざ和訳したところでどうにもなりませんが。あしからず
Arne Mattsson
From Wikipedia, the free encyclopedia
【Arne Mattsson】
Born 2 December 1919
Uppsala, Sweden
Died 28 June 1995 (aged 75)
Nationality Swedish
Occupation
Director, writer
Years active
1941–1989
Spouse(s)
Elsa Prawitz (m. 1956–1965)
Arne Mattsson (2 December 1919 - 28 June 1995) was a Swedish film director, born in Uppsala.
His early movies were mostly comedies. His biggest success was Hon dansade en sommar (1951, aka. One Summer of Happiness), which earned him the Golden Bear at the Berlin International Film Festival[1] and a nomination for the Grand Prize at the Cannes Film Festival in 1952.[2] It caused some controversy at the time because it contained nudity.
His 1953 film of Peder Sjögren's second novel, Bread of Love (Kärlekens bröd), based on Sjögren's experiences as a volunteer in the Finnish Continuation War of 1941-44 angered the author, was banned in Finland and incurred the wrath of the Soviets at the Cannes Film Festival. In spite of all this, Sjögren grudgingly admitted that as a study of men under severe pressure it was impressive.[3]
In 1958 he directed Damen i svart, the first in the series of five Hillman-thrillers, centred on Folke Mellvig's crime-solving middle-class city couple Kajsa and John Hillman. The second in the series, Mannekäng i rött (1958), is considered by some to be a precursor of the Italian giallo films, notably Mario Bava's Blood and Black Lace.[4][5]
The popularity of his mystery movies declined and in the 1970s and 1980s he made mostly low-budget thrillers - some in collaboration with Mats Helge Olsson - which got mostly bad reviews.
★Filmography[edit]
I brist på bevis (1943, writer)
Räkna de lyckliga stunderna blott (1944, writer and assistant director)
... och alla dessa kvinnor (1944)
I som här inträden (1945)
Maria på Kvarngården (1945)
Rötägg (1946)
Peggy på vift (1946)
Pappa sökes (1947)
Det kom en gäst (1947, also writer)
Rallare (1947)
Kvinna i vitt (1949)
Farlig vår (1949, also writer)
När kärleken kom till byn (1950)
Kyssen på kryssen (1950)
Kastrullresan (1950)
Hon dansade en sommar (1951, known as One Summer of Happiness)
Bärande hav (1951)
För min heta ungdoms skull (1952)
Hård klang (1952)
Det var dans bort i vägen (1953, short film)
Kärlekens bröd (1953, known as Bread of Love)
Salka Valka (1954)
Storm över Tjurö (1954)
Förtrollad vandring (1954)
Hemsöborna (1955)
Nattens väv (1955, also known as Männen i mörker)
Flickan i frack (1956)
Litet bo (1956)
Livets vår (1957)
Ingen morgondag (1957)
Körkarlen (1958, known as The Phantom Carriage)
Damen i svart (1958)
Mannekäng i rött (1958)
Ryttare i blått (1959)
Får jag låna din fru? (1959)
Sommar och syndare (1960)
When Darkness Falls (1960)
Ljuvlig är sommarnatten (1961)
Vaxdockan (1962)
Biljett till paradiset (1962)
Vita frun (1962)
Den gula bilen (1963)
Det är hos mig han har varit (1963)
Blåjackor (1964, also writer)
Brott och straff – men det är svårt (1964, also writer)
Morianerna (1965, also writer)
Nattmara (1965, also writer)
Här kommer bärsärkarna (1965)
Yngsjömordet (1966)
Mördaren - En helt vanlig person (1967, also writer)
Förtrollad resa (1966, also writer)
Den onda cirkeln (1966)
Bamse (1968, also writer)
Ann and Eve (1970)
Smutsiga fingrar (1973)
Mannen i skuggan [sv] (1978, also writer)
Sometime, Somewhere... (1983)
Mask of Murder (1985)
The Girl (1987)
Sleep Well, My Love (1987)
The Mad Bunch (1989, with Mats Helge Olsson)
References
[1] "2nd Berlin International Film Festival: Prize Winners". berlinale.de. Retrieved 2009-12-22.
[2] "Festival de Cannes: One Summer of Happiness". festival-cannes.com. Retrieved 2009-01-17.
[3]Problem while searching in The Literature Collection
[4] Andersson, Pidde (October 2, 2006). Blue Swede Shock! The History of Swedish Horror Films. The TOPPRAFFEL! Library. ISBN 1445243040.
[5]Alanen, Antti. "Mannekäng i rött / Mannequin in Red (SFI 2000 restoration)". Retrieved September 3, 2014.
The director, Arne Mattson is mentioned in chapter 29 of the police procedural novel, The Laughing Policeman, by Major Sjowall and Per Wahloo
しかし、そんななかでも、記憶に残る強烈な印象のシーンを手掛かりにして、いろいろと調べていくうちに、ついに実体の伴うタイトルに行き当たった映画というものも、ごく稀にですがありました。
そういう作品のひとつにアルネ・マットソンというスウェーデンの監督の「沈黙の歓び」1962という作品があって、その探索のイキサツを、少しむかしになりますが、このブログに書いたことがあります(2008年6月7日付)、そしてここ最近にきて、多くの方からこの「沈黙の歓び」にアクセスをいただいて、当初は「なんでだ?」と訝しく思いながら検索してみたところ、やっと分かりました。
いま、国立映画アーカイブで「スウェーデン映画への招待」というタイトルで11月27日から12月23日までのあいだ、特集上映をやっていたんですね、はじめて知りました。
なるほど、なるほど、それでこの「沈黙の歓び」が、国立映画アーカイブで上映されるのかと早合点し、アーカイブのサイトで上映プログラムを確認してみたところ、当の「沈黙の歓び」は上映予定にないことも知りました、ここでまたまた新たな壁にぶち当たったというわけです。
しかし、この「疑問」に付き添って、さらにまた、ずるずると調べをすすめていったら、なんだか途方もない迷路とか隘路とかの深みに嵌まり込んでしまいそうな不吉な予感がします、きっと、以前の自分なら、まあここらあたりで、とりあえず「まっ、いいか」と早々に切り上げて、この先に踏み込むことなく(面倒くささを敬遠して)、さっさと諦めてしまうところなのですが、しかし、なんといってもこの映画には、以前、記憶の中に埋もれていて、その「身元」さえ不明のまま永遠に失いかけていたものを苦労して発掘したという経緯があります(忘却の中から「掘り返した」という意識が強いので)、それを考えれば、自分にとって特別な意味を持つこの映画「沈黙の歓び」です、ここはまあひと汗かくのもいいかなという気持ちで、プログラムに掲載されてある作品の監督名をひとつひとつ当たり「アルネ・マットソン」という名前があるかどうかを確かめてみることにしました。
それにしても「しんどい仕事」ですが、まあ「コピペして不要部分を削除」という回りくどい作業をするくらいなら(実際、過情報のデジタルというのは、かえってそういう煩雑さってありますよね)、地道にひとつひとつアナログ的に潰して見てしまった方が、逆に能率的にも優れているように思います、いえいえ、皮肉なんかじゃありません。
それに、いざ作業にかかってしまえば、なんていう手間でもありませんし。自分は以前にも、似たような仕事をしていましたから。
そうやって、一作ずつ監督の名前を確認していくうちに、ついに「アルネ・マットソン」の名前に行き当たりました。
「春の悶え」1951という映画を監督したと記載されています、まあ、リストには、アーネ・マットソンという表記になっていましたが。
この「春の悶え」がアルネ・マットソンの作品だと知ったとき、思わず「えっ、え~!!」と驚いてのけぞってしまいました。
「らしくない」という意外さが、まずありました、不意打ちをくらって、まさに衝撃といっていいサプライズだったからでしょうか、だって、あの孤独の青年の破綻を描いた「沈黙の歓び」と、自分の知っている淫らっぽい(正直、そういう印象でした)「春の悶え」では、イメージとして天と地ほどの差があるように思えたからだと思います。
実は、この「春の悶え」が日本で公開された当時の世情(雰囲気みたいなもの)というのを自分はよく覚えています。
いやいや、ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞したこの秀作を日本の配給会社がどのように煽情的に宣伝し、そして世間がどのように淫らがましく受け止めたか、その淫猥な紐帯で意思統一して身構えた配給者と鑑賞者の日本では、この作品をどのように受け入れたのか、その雰囲気というのを自分はよく覚えていたのです。
この映画を語る時の大人たちは、淫らな薄ら笑いを浮かべながら、人差し指と中指のあいだから親指を淫猥にのぞかせたいやらしい下卑たサインを示し「あの」映画のことを淫猥な興奮に上気して話していたのも知っています。
それに街の隅々、あらゆる電信柱とか掲示板には、まばゆいような半裸の少女のポスターが貼られ、その逆光に輝く美形の少女は、全裸が透けて見えるような薄物の服をハダケルように着て、顔だけは背けながらも、しかし、ふくらみかけた胸を恥ずかし気に両手で隠している、そんな煽情的なポスターだったと記憶しています、そしてそのポスターも貼ればたちまち剥ぎ取られて盗まれてしまうというスキャンダラスな噂話までもがまことしやかに報ぜられたことも記憶しています。
ポスターに象徴されたこのような扱いは、この秀作映画にとっても、また、思春期にあった少年たちにとっても、じつに過酷な受難であり試練だったに違いありません。
しかし、逆に、この映画が、それなら「愛こそすべてだ」と高邁に描いているのかというと、当時にあっても、そうとまでは言えないのではないかという印象を持ちました。
実は、このコラムを書く前に、ネットでこの映画に対する2、3の感想を読みあさりました。いまの若い人たちが、この映画をどういうふうに受け止めているのか、少なからず興味がありました。
しかし、もともと、この作品が超レアな作品(ベルリン国際映画祭金熊賞受賞作なのにね)ということもあって、感想自体もごく少ないのですが、代表的なものをちょっと引用させてもらいますね。それはこんな感じでした。
≪愛の前では、どんな教義も説教も全て効力を持たない。
愛を交わし語り合う若者に対して世間が持つイメージが淫靡であるように感じることがある。
愛ってそんなものなのでしょうか。
「汝の隣人を愛せよ」とキリスト教の有名な言葉があります。
それなのに、この作品で登場する神父は、若い二人が道を間違えるだろうということで引き離そうとします。
これは「若年者をコントロールしたい」という欲求があるから起こるものなのかな、と感じました。
思い通りに行かない若者を「懲らしめてやろう」ということです。
大人というものは、若者に対する偏見を持ってしまうことが多い。
それは何故か?
若さゆえの心の素直さへの「嫉妬」、はたまた年長者である自己の支持従わないことへの「怒り」、そして若さへの「羨望」。
あげたらきりが無いのかも知れないのだが、この作品にはその滑稽なまでの姿が当然の様に描かれるのだった。
ラストの葬儀のシーンでの神父と若者の顔つきの違いをとくとご覧いただきたい。
両者の表情は単純な老若でも、美醜でもないなにかが違う。
それは魂を、生を生き切る姿の違いから来る輝きなのかも知れない。
邦題が作品のカラーに合っていないので、タイトルで敬遠してしまう方がいるだろうと思うと大変残念です。≫
なるほど、なるほど、そういうことですか。
ここに書かれていることは、おおむね理解できますが、世間では、「若さがすべて、愛がすべて」と素直に妄信している人たちばかりでは、必ずしも「ない」ことは、容易にネットでも知ることは可能です。
以下は、自分が読んだうちのこの作品の解説として一般的なスタイル(ステレオタイプとまではいいませんが)だと思うので、ちょっと紹介しておきますね。
≪逆光の中で湖畔での若い男女の全裸のラブシーンが「セックス王国スウェーデン」の名をスキャンダラスに高めることになり大ヒットしたが、美しい自然描写と性的な自由さという、スウェーデン映画の一般的イメージを確立した作品でもある。この全裸シーンは輸出先の国の検閲の程度に合わせて大胆なものからおとなしいものまで3種類撮影されたというが真相は不明。日本ではむしろ「処女の泉」の強姦シーンがカットされたというところに、その後の擬似検閲の問題の始まりがあった。しかし、全篇を支配するのは、教会に代表される旧道徳に縛られた農村社会と、都市文化の流入によって、一瞬の青年期を燃焼し尽くすかのように純粋に異性を求めようとする若者たちとの、熾烈な世代間闘争のドラマである。ベルリン国際映画祭金熊賞受賞。1954年日本公開。≫
ほらほら、あるじゃないですか、これですよ、これ。
「全篇を支配するのは、教会に代表される旧道徳に縛られた農村社会と、都市文化の流入によって、一瞬の青年期を燃焼し尽くすかのように純粋に異性を求めようとする若者たちとの、熾烈な世代間闘争のドラマである。」
ここには「愛こそすべて」ばかりじゃない、さらにハイブローらしきことが書かれているにしろ、しかし、それにしても自分がこのステレオタイプの解説で興味をひかれたのは、むしろその前半部分に書かれてある箇所でした。
「逆光の中で湖畔での若い男女の全裸のラブシーンが「セックス王国スウェーデン」の名をスキャンダラスに高めることになり大ヒットしたが、美しい自然描写と性的な自由さという、スウェーデン映画の一般的イメージを確立した作品でもある。この全裸シーンは輸出先の国の検閲の程度に合わせて大胆なものからおとなしいものまで3種類撮影されたというが真相は不明。日本ではむしろ『処女の泉』の強姦シーンがカットされたというところに、その後の擬似検閲の問題の始まりがあった。」
この一文、どこかで読んだ記憶があるぞという気がしたので、書棚の本を片っ端から漁っていくと、ありました、ありました、キネマ旬報の「世界の映画作家34 ドイツ・北欧・ポーランド映画史」の219ページ中段~下段に、このようなマンマの記述がありました。
「アーネ・マットソン(1919~)の「春の悶え」1951は、逆光の中であるとはいえ、若い男女の全裸シーンのおかげで「セックス王国スウェーデン」の虚名を高めることになった。そのシーンは輸出先の国の検閲の程度に合わせて大胆なものからおとなしいものまで3種類撮影されたというが真相はわからない。日本ではむしろ『処女の泉』の強姦シーンがカットされたというところに、その後の擬似検閲の問題の始まりがあった。」(三木宮彦「北欧映画史」より「復活した北欧映画」)
あるいは、こんな一文も見つけました。
「シェーベルイ監督の『もだえ』1944のシナリオライターとしてデビューし、50年代半ばに『不良少女モニカ』『道化師の夜』ともに1953、『夏の夜は三たび微笑む』1955などで世界を驚かせたイングマル・ベルイマンが、スウェーデン映画の神秘主義を一身に背負って今日に至っている。ギリシア神話のダフネスとクロエの物語を純潔な官能美で満たした北欧版アルネ・マットソン監督『春の悶え』1951の大ヒット以来、スウェーデン映画はセックスの氾濫時代を迎えるが(その頂点がビルゴット・シェーマン監督『私は好奇心の強い女』1967)、ベルイマンはそうした流行とはまったくかかわりなく、『沈黙』1963に見られるようなセックスと神,すなわち肉欲と信仰の葛藤をテーマに映画をつくり続け、60年代末には『ベルイマンの神秘主義』に反発してフランスのヌーヴェル・ヴァーグの感覚を意識的に採り入れ、抒情性と社会性をミックスした映画をめざした新鋭監督ボ・ウィデルベルグ(『みじかくも美しく燃え』1967、『ジョー・ヒル』1971)などの登場が注目されたものの、やはり、その豊饒な創作活動と息の長いキャリアで巨匠・ベルイマンの位置は不動のままである。
なお、グレタ・ガルボを筆頭に,『第二のガルボ』といわれたイングリッド・バーグマン、アニタ・ビョルク、ビベカ・リンドフォース、ビビ・アンデルソンといったスウェーデン女優がハリウッドに輸入されたが、なかでもガルボとバーグマンはハリウッドの女優史の中核をなす重要な存在になった。」
こういう一文を前にすると、なんだかベルイマンの方へ持っていかれそうになりますが、ここはこらえてアルネ・マットソンに拘りたいと思います。
とはいえ、「アルネ・マットソン」というキイワードで検索してみても、その結果が惨憺たるものであることは経験済みです。
せいぜいのところ、≪出生地・スウェーデン、生年月日・1919年12月2日 いて座、没年月日・1995年6月28日(享年75歳)≫くらいしか存在しません。
そもそもこの監督、キネマ旬報社の「世界映画人名事典・監督(外国)編」に掲載がありません、ネットが、原本があってのコピーで成り立っている砂上の擬似(偽造)楼閣みたいなものとの認識はありましたが、しかし、ここまでひどいとは。
オリジナルなどなにひとつ存在しない、もう最初からナニオカイワンヤという感じです。国民性を考えると、著作権無視のコピー帝国・中国においてネット社会が大繁栄するということが、なんだか実感をもって深く納得できてしまう事態だと思いました。
そのなかでも、「沈黙の歓び」や「春の悶え」を含んだマットソン監督作品というのが幾本かヒットしましたので(たったのこんだけ!!)、あげておきますね。
★春の悶え
ペロロフ・エクストラームの小説「彼女は一夏しか踊らなかった」からW・セミチョウヴが脚色、新進アルネ・マットソンが監督したスウェデン映画1952年作品。撮影は「令嬢ジュリー」のイエラン・ストリンドベルイ、音楽はスヴェン・シエルドで52年度カンヌ映画祭において音楽賞を獲得した。主演はフォルケ・サンドクィスト、ウラ・ヤコブソンで、以下「愛欲の港」のベルタ・ハルとエリック・ヘル、エドウィン・アドルフソン、イルマ・クリステンソンらが助演する。
中学を終えたイエーラン(フォルケ・サンドクィスト)は夏休みに田舎の伯父の農園に行き、隣家の娘シエルスティン(ウラ・ヤコブソン)と遊び友達になった。処が頑迷な村の老人達はこの健康な若者達の行動に眉をひそめ就中牧師はことごとに彼らを攻撃した。シエルスティンの父母も娘の教育に関しては厳格をきわめ、若い二人はやっと伯父の理解で農園の納屋を解放して貰っていたが、ここで若者達の芝居をやろうという計画も、事故による伯父の重傷や二人のデイトが娘の義母に発見されたことなどからオジャンになった。娘は遠くの農家へ送られ、恋の想いに堪えられなくなったイエーランは彼女を追って森の中で再会、二人はすべてを忘れて恋に酔った。イエーランは町の両親の許に連戻されたものの再び学校を脱出して村へ戻り、納屋が牧師の指金で焼かれたので、他場所で芝居を敢行した。しかし幸福も束の間、その帰途二人をのせたオートバイが転覆して、重傷を負ったシエルスティンの若い命はうばわれた。葬儀の日、参列したイエーランが受けたのは牧師の嘲笑であった。堪えかねた彼はひそかに墓地を脱け、悄然と思い出の森の湖畔に立って、二度と帰らぬ恋に泣いた。
(1951ノーディスク・トーネフィルム)監督・アルネ・マットソン、脚色・ヴォロージャ・セミチョフ、オーレ・ヘルボム、アルネ・マットソン、原作・ペロロフ・エクストラーム『彼女は一夏しか踊らなかった』、製作・レナート・ランドハイム、撮影・イョーラン・ストリンドベルイ、音楽・スヴェン・シエルド、編集・レナルト・ウォーレン、美術・ビビ・リンドストルム/プロダクションデザイン
出演・ウーラ・ヤコブソン(Kerstin)、フォルケ・スンドクヴィスト(Goran)、エドヴィン・アドルフソン(Anders Persson)、イルマ・クリステンソン(Sigrid)、ヨン・エルフストローム(The Priest)、ニルス・ハルベルグ(Nisse)、グンヴォール・ポンテン、ベルタ・ハル(Anna)、ゴスタ・グスタフソン(Berndt Larsson)、エリック・ヘル(Torsten)、ステン・マットソン(Olle)、アルネ・シューレリュード(Viberg)、ステン・リンドグレン、エーリヒ・コンラッド、オラヴ・リエゴ、カルル・グスタフ・リンドステット、クリスティナ・アドルフソン、ジョン・メラン、ジャン・サンドクイスト、John Elfström、Nils Hallberg、Arne Källerud、Axel Högel、Hedvig Lindby、Margaretha Löwler、Ulla-Bella Fridh、Ejnar Haglund、Ingemar Holde、Gustaf 'Stålfarfar' Håkansson、Gunilla Pontén、Birgitta Wetterhall、
(日本公開年1954.3.6 110分・スタンダード(1:1.37)、モノクロ 35mm)
★沈黙の歓び
ラルス・フォルセルの原作をエヴァ・ゼーベルグが脚色し、アルネ・マットソンが監督した。撮影はアーケ・ダルクビスト、音楽はウルリク・ノイマンが担当。出演はこの映画で63年度スウェーデン・フィルム・アカデミーの最高演技賞を獲得したペール・オスカルソン、ジオ・ペトレほか。製作はローレンス・マルムステット。
この若い男(P・オスカルソン)は百貨店の夜警である。彼は毎夜、空虚な店内に投げ出されてあるマネキン人形の群を見ているうちに、いつしかその中のひとつに烈しい恋をした。彼には生身の女性よりもマネキン人形の方がはるかに美しく理想的に見えた。そしてついにある夜、彼はその人形を盗み出し、自分のアパートの部屋へ持ちこんだ。一瞬にして殺風景な男の部屋に花が咲いたようになった。彼はその人形を狂おしく愛撫した。そして沈黙の支配する中で彼は生れて初めて愛する歓びを知った。ある夜、固く動かなかったマネキン人形(G・ペトレ)が彼の愛撫に応えた。アパートの住人たちは彼の不可解な様子をいぶかった。ひとりの荒くれ男は、好奇心をおさえかねて、夜警の部屋におしいった。男がベッドの中に見たのは冷たい石のマネキン人形だった。仕事から帰ってきた夜警は皆から笑われ、その上人形をぶちこわされてしまった。愛人をこわされ、夢を破られた男は怒り狂い拳銃でその男を殺そうとしたが、失敗した。夜警の部屋には、手も足も胴もバラバラになったマネキン人形が散らばっていた。だが暗い片隅にころがっている首だけが、ニコッとほほ笑み、夜警の愛撫を求めていた。
(1963スウェーデン)監督・アルネ・マットソン、脚色・エバ・ゼーベルグ、原作・ラルス・フォルセル、製作・ローレンス・マルムステット、撮影・アーケ・ダルクビスト、音楽・ウルリク・ノイマン、
出演・パール・オスカーソン(Nightwatchman)、ジオ・ペトレ(The Doll)、トル・イセダル(Barber)、Elsa (PrawitzLandlady)、ベント・エクルンド(Caretaker)、MalouYoung(Girl)、ミミ・ネルソン(The Mother)、Ric Axberg(Young Son)、Dagmar Olsson(Charwoman)、
配給・NIC、1966年公開
★断罪
ユングベ・リットケンスの同名小説を「愛のレッスン」に出演したエヴァ・ダールベックが脚色し、「沈黙の歓び」のアルネ・マットソンが監督した作品で、犯罪実話の映画化。撮影はラース・ビヨルネ、音楽はゲオルク・リーデル。出演は「沈黙」のグンネル・リンドブロム、「禁断」のクリスティーナ・ショリン、新人エスタ・エクマンほか。製作はローレンス・マルムステット。
スウェーデン南部のある農家。近所づきあいも悪く、意地のきたない女アンナ(G・リンドブロム)は、年頃になった息子のヤン(G・エクマン)に何とか嫁をとらせようと、八方手をつくして探し廻ってみたが、そう簡単には見つからなかった。それというのもアンナとヤンの不倫な関係が噂にのぼっていたからである。だがアンナの念願がかなって、やっと近くに住む地方判事の娘ハンナ(C・ショーリン)を迎えることが出来た。息子を溺愛し、彼と肉体関係まで結んでいたアンナは、結婚後三日とたたないハンナを執念深く、皮肉たっぷりにいじめ始めた。ある日母子の破廉恥な行為を目撃したハンナはあまりの恐ろしさに気も転倒したが、何時かはヤンも自分のところ戻ってくると信じ、虐待にじっと耐えた。だがアンナの仕打ちは日増しに度を越すばかりであった。そしてアンナは息子との関係を続けていくのにどうしてもハンナが邪魔だと知るや、息子と共謀して一八八九年三月も終りに近づいた日の深夜、ひそかにハンナを殺害し、近所の人びとには誤って地下室へ落ちて死んだとふれ歩いた。裁判にのぞんでもアンナとヤンは、根も葉もない嘘をならべたて無実を証明しようとした。だが結局は判事の巧みな誘導尋問が彼らの罪をあばくことになった。かくして実子に相姦を強要し、結婚後に夫婦の関係を禁じていた世にも恐ろしい母親アンナは、スウェーデン最後の女子死刑囚として、無残にもナタで首を断たれた。しかしヤンは村人の協力でかろうじて無罪となった。
(1966スウェーデン)監督・アルネ・マットソン、脚色・エバ・ダールベック、原作・ユングベ・リットケンス、製作・ローレンス・マルムステット、撮影・ラース・ビヨルネ、音楽・ゲオルク・リーデル、
出演・グンネル・リンドブロム(Anna)、クリスティナ・ショリン(Hanna)、エスタ・エクマン(Jan)、Elsa Prawitz
配給・松竹映配、1967年公開
★慕情のひと
「春の悶え」のアルネ・マットソンが脚本・監督を担当した純愛ロマン。撮影はラース・ビヨルネ、音楽はモーツァルトの『クラリネット五重奏曲イ長調』と、ヨハン・シュトラウスの『ウィーンの森の物語』を使用。録音はラルス・クレットナーとハンス・アンデルソン。出演はノルウェー出身の歌手グリネット・モルビグ、新人ビヨルン・タンベルト、「春の悶え」のフォルケ・サンドクィストとウラ・ヤコブソンほか。
青年クリステル(B・タンベルト)は、母ベラ、父ベルイと、何不自由なく平穏な生活をしていた。だが、ある日のこと、父が交通事故で不慮の死をとげたときから、彼の日常は一変した。バルブロ(G・モルビク)という女性が現われたからだ。彼女は平凡なOLだが、生前の父と、ひそやかに関係を秘めていた。彼にとっては尊敬する父親だったのにそんな一面があったとは--。傷つきやすい青年の心はバルブロへの憎しみにもえた。だがその憎しみが、バルブロへの深い想いに変わっていくのも遠い日ではなかった。彼は愛した。そして多分、彼女も。一方、母親のベラは、息子との話しあいから、すべてを知り、バルブロに会った。一人を男を同時に愛した二人の女。共通する喜びと悲しみ。だが、その男も今は亡い。二人の女は、クリステルの将来のために、一年ほど外国留学させることにした。別れがせまった頃、バルブロの胎内に新しい生命が宿っていた。ベルイの子である。本当に愛したのはベルイ。彼のほかに自分の愛はない。彼女は、その喜びをかみしめながら、海辺の道をどこまでも歩いていく。
(1968スウェーデン)監督・アルネ・マットソン、脚本・アルネ・マットソン、撮影・ラース・ビヨルネ、音楽・ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ヨハン・シュトラウス2世、録音・ラルス・クレットナー、ハンス・アンデルソン、
出演・グリネット・モルビグ(Barbro)、ビヨルン・タンベルト(Christer)、フォルケ・スンドクビスト(Mr. Berg)、ウーラ・ヤコブソン(Vera)、
配給・東和、1969年公開
★牝あわせ
数々の官能作品に出演するスウェーデン女優、マリー・リシュダールが主演を務めたエロティックドラマムービー。それまであまりテーマとして取り上げられることがなかった同性愛をテーマにし、本格的なレズシーンが展開する構成で話題となった衝撃作。
年増の映画評論家アンと結婚を間近に控えたイヴ(M・リシュダール)の旅先でのアヴァンチュールを描いた作品。M・リシュダールのピチピチヌードは拝めるもののエロさはイマイチ。ただ、トラックの荷台でまわされるシーンはそれなり。アン役のG・ペトルの熟女パワー炸裂だが、いかんせん貧乳+タレ乳なので萎える。エロそうな儀式?なんかもあったが、そのとき変な映像処理がされてて最悪。ストーリーは偽善や憎しみなど、複雑な女心を描きつつ、現代女性の恋愛を描いている感じでした。それと、映画評論家に対する痛烈な皮肉なんかも描いていました。
この映画の感想にこんなのもありました。「マリーリシュダールがレズシーンに挑戦したことで、センセーションを巻き起こした話題作? 嘘つけ! レズシーンなんてどこにもないぞ! 買って損した!」なんてね。
(1971スウェーデン)監督・アルネ・マットソン、製作・レナルト・ベルンズ、脚本・エルネスト・ホッチ、撮影・マックス・ウィレン、音楽・ベンクト=アルネ・ワリン
出演・ジオ・ペトレ、マリー・リシュダール
★仮面の殺意
(1985アメリカ)監督・アルネ・マットソン、製作・トミー・イワーリング、脚本・ヴォロージャ・セミチョフ、撮影・トミスラフ・ピンター、音楽・ビョルン・ヨーソン・リンド
出演・ロッド・テイラー、ヴァレリー・ペリン、クリストファー・リー、フランク・ブレナン
★魔・少・女/ザ・ガール
小悪魔のような14歳の妖艶な少女(クレア・パウニー)に翻弄され、やがて殺人にまで巻き込まれて行く中年弁護士(F・ネロ)を描く。映像は秀逸だが、思わせぶりな冗長な描写が目立つ異常心理サスペンス物としては描き込みが足りない感じだがパウニーに魅了される。
(1986イギリス/スウェーデン)監督・アルネ・マットソン、製作・アルネ・マットソン、脚本・エルネスト・ホッチ、撮影・ラース・カールソン、ゴーラン・マシェヴァ、トミスラフ・ピンター、音楽・アルフィ・カビリョ、
出演・フランコ・ネロ、クレア・パウニー、バーニス・ステジャース、フランク・ブレナン、クリストファー・リー、マーク・ロビンソン、デレク・ベンフィールド、クリフォード・ローズ
前述の「愛こそすべて」のコメント氏は、「春の悶え」という煽情的なタイトルが、この作品の本来の価値を損なっていると嘆いている一文がありましたが、「牝あわせ」に比べたらアナタ、「春の悶え」なんかまだまだ可愛い方ですって。
しかし、これだけではあまりにさびしすぎます、このコラム、ここで打ち切ってしまうと、悲惨な尻すぼみの「なんだ、これ!」みたいになってしまうので、アルネ・マットソンがこんなもんじゃない(なにせ、ベルリン国際映画祭金熊賞受賞監督なわけですから!)というところを、失地回復の願いを込めて海外wikiの記事を丸投げしてしのぎたいと思います。
結局、丸投げじゃん!!
訳の方はヨロシク、とはいっても、他の作品は、もともと輸入されていないわけですから、わざわざ和訳したところでどうにもなりませんが。あしからず
Arne Mattsson
From Wikipedia, the free encyclopedia
【Arne Mattsson】
Born 2 December 1919
Uppsala, Sweden
Died 28 June 1995 (aged 75)
Nationality Swedish
Occupation
Director, writer
Years active
1941–1989
Spouse(s)
Elsa Prawitz (m. 1956–1965)
Arne Mattsson (2 December 1919 - 28 June 1995) was a Swedish film director, born in Uppsala.
His early movies were mostly comedies. His biggest success was Hon dansade en sommar (1951, aka. One Summer of Happiness), which earned him the Golden Bear at the Berlin International Film Festival[1] and a nomination for the Grand Prize at the Cannes Film Festival in 1952.[2] It caused some controversy at the time because it contained nudity.
His 1953 film of Peder Sjögren's second novel, Bread of Love (Kärlekens bröd), based on Sjögren's experiences as a volunteer in the Finnish Continuation War of 1941-44 angered the author, was banned in Finland and incurred the wrath of the Soviets at the Cannes Film Festival. In spite of all this, Sjögren grudgingly admitted that as a study of men under severe pressure it was impressive.[3]
In 1958 he directed Damen i svart, the first in the series of five Hillman-thrillers, centred on Folke Mellvig's crime-solving middle-class city couple Kajsa and John Hillman. The second in the series, Mannekäng i rött (1958), is considered by some to be a precursor of the Italian giallo films, notably Mario Bava's Blood and Black Lace.[4][5]
The popularity of his mystery movies declined and in the 1970s and 1980s he made mostly low-budget thrillers - some in collaboration with Mats Helge Olsson - which got mostly bad reviews.
★Filmography[edit]
I brist på bevis (1943, writer)
Räkna de lyckliga stunderna blott (1944, writer and assistant director)
... och alla dessa kvinnor (1944)
I som här inträden (1945)
Maria på Kvarngården (1945)
Rötägg (1946)
Peggy på vift (1946)
Pappa sökes (1947)
Det kom en gäst (1947, also writer)
Rallare (1947)
Kvinna i vitt (1949)
Farlig vår (1949, also writer)
När kärleken kom till byn (1950)
Kyssen på kryssen (1950)
Kastrullresan (1950)
Hon dansade en sommar (1951, known as One Summer of Happiness)
Bärande hav (1951)
För min heta ungdoms skull (1952)
Hård klang (1952)
Det var dans bort i vägen (1953, short film)
Kärlekens bröd (1953, known as Bread of Love)
Salka Valka (1954)
Storm över Tjurö (1954)
Förtrollad vandring (1954)
Hemsöborna (1955)
Nattens väv (1955, also known as Männen i mörker)
Flickan i frack (1956)
Litet bo (1956)
Livets vår (1957)
Ingen morgondag (1957)
Körkarlen (1958, known as The Phantom Carriage)
Damen i svart (1958)
Mannekäng i rött (1958)
Ryttare i blått (1959)
Får jag låna din fru? (1959)
Sommar och syndare (1960)
When Darkness Falls (1960)
Ljuvlig är sommarnatten (1961)
Vaxdockan (1962)
Biljett till paradiset (1962)
Vita frun (1962)
Den gula bilen (1963)
Det är hos mig han har varit (1963)
Blåjackor (1964, also writer)
Brott och straff – men det är svårt (1964, also writer)
Morianerna (1965, also writer)
Nattmara (1965, also writer)
Här kommer bärsärkarna (1965)
Yngsjömordet (1966)
Mördaren - En helt vanlig person (1967, also writer)
Förtrollad resa (1966, also writer)
Den onda cirkeln (1966)
Bamse (1968, also writer)
Ann and Eve (1970)
Smutsiga fingrar (1973)
Mannen i skuggan [sv] (1978, also writer)
Sometime, Somewhere... (1983)
Mask of Murder (1985)
The Girl (1987)
Sleep Well, My Love (1987)
The Mad Bunch (1989, with Mats Helge Olsson)
References
[1] "2nd Berlin International Film Festival: Prize Winners". berlinale.de. Retrieved 2009-12-22.
[2] "Festival de Cannes: One Summer of Happiness". festival-cannes.com. Retrieved 2009-01-17.
[3]Problem while searching in The Literature Collection
[4] Andersson, Pidde (October 2, 2006). Blue Swede Shock! The History of Swedish Horror Films. The TOPPRAFFEL! Library. ISBN 1445243040.
[5]Alanen, Antti. "Mannekäng i rött / Mannequin in Red (SFI 2000 restoration)". Retrieved September 3, 2014.
The director, Arne Mattson is mentioned in chapter 29 of the police procedural novel, The Laughing Policeman, by Major Sjowall and Per Wahloo